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2023年5月

5月に行った絵画展-大信田時子個展・青の会展ー

大信田時子さんの個展
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青の会 展
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音楽雑感

 きのうのクラシック倶楽部、ラトビア放送合唱団の響きはすばらしかった。繊細で清明、輝かしくやわらかな光をまとう響きの、息切れ途切れをまったく危惧させない平和な持続。そしてきょうはタリス・スコラーズ合唱団。2日続けての合唱に感謝。
 今日読んだ聖書の箇所が、ちょうど不平たらたらの民に神がマナを降らせた箇所。昨日今日の合唱は私にとって天から降った精神的なマナのようでもあった。


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ラトビア放送合唱団


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タリス・スコラーズ合唱団

⛳20時32分更新

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きょうのことば「あなたとともにエジプトに下り」ー説教・神谷光一 牧師ー

 とにかく忙しい1週間を過ごした。金曜日にはついに午後に主人と散歩しただけで、一日全休、じっくり休息を取る。教会奉仕もしたけれども、これは皆さんがさまざまな役割を担ってくださっており、私だけがやっているわけではない。何れその分担分を果たした。そして21日、27日はコンサートにも出かけ、また1冊読了と、読書の楽しみも。
 すばらしい季節。川岸にはニセアカシア、これがさまざまな害ともなっているとはいうけれども、花房がたわわにさがるさまを車窓に見る。家々の庭にはジャーマンアイリス、シャクナゲ、またすこし花期が過ぎたオキナグサもあった。きのう見上げるとユリノキの花も真っ盛り。マロニエもまだ咲いている。マロニエとウクライナの関係をググってみると、「ウクライナの首都キエフでは19世紀初頭にマロニエを植えることが流行して以来、その熱は冷めることなく続いていて、観光用のパンフレットにはマロニエを楽しむならキエフが最高と書かれています。実際、マロニエはキエフじゅうにあります」。それがどうなっているかは……もう、こんな事態は一刻も早く終わって欲しいと祈る。

 そして我が家のバルコニーでは、今か今かと待ち望んでいたアガバンサスが咲きました。ひっこし以来年ごとに1輪ほど花を何とか見せてくれていたのが、今年は5輪も。曇り空の下での写真ではありますが。

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  きょう5月28日はペンテコステを記念する日ですが、洗礼式がありますので、ペンテコステ聖餐礼拝は次週(6月4日)になります。秋田から神谷先生、美津子先生がいらっしゃいます。

 

             ☆ ☆  ☆

 

 

インマヌエル秋田・盛岡教会の神谷光一牧師の説教をおつなぎします。

2023年5月21日(日)
説教題『あなたとともにエジプトに下り』
聖書朗読 創世記45章25節~46章4節

25 彼らはエジプトから上って、カナンの地、彼らの父ヤコブのもとへ戻ってきた。
26 彼らは父に告げた。「ヨセフはまだ生きています。しかも、エジプト全土を支配しているのは彼です。」父は茫然としていた。彼らのことばが信じられなかったからである。
27 彼らは、ヨセフが話したことを残らず彼に話して聞かせた。ヨセフが自分を乗せるために送ってくれた車を見ると、父ヤコブは元気づいた。
28 イスラエルは言った。「十分だ。息子のヨセフがまだ生きているとは。私は死ぬ前に彼に会いに行こう。」
1 イスラエルは、彼に属するものすべてと一緒に旅立った。そしてベエル・シェバに来たとき、父イサクの神にいけにえを献げた。
2 神は、夜の幻の中でイスラエルに、「ヤコブよ、ヤコブよ」と語りかけられた。彼は答えた。「はい、ここにおります。」
3 すると神は仰せられた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民とする。
4 このわたしが、あなたとともにエジプトに下り、また、このわたしが必ずあなたを再び連れ上る。そしてヨセフが、その手であなたの目を閉じてくれるだろう。」

 

⏰6時49分更新

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きょうのことば「わたしの平安を与え」ー説教・神谷光一牧師ー

 先週は舅の13回忌。それで日曜礼拝を欠席させていただいた。舅は東日本大震災の年の5月に亡くなっている。13回忌は仏事なのだが、故人の遺志にそって主人が執り行った。
 仏教世界にもその道に優れた説法をなさる方、決して単なる葬式宗教になり果ててはいない寺も多くあるように思う。ただ聖書では、イエス・キリストは神であり救いはここにあると明言している。そして幾つかの宗教体験が、結局は現在私をこの道に留めている。
 忙しい一週間だった。また主を礼拝し、信仰を更新しよう。

 何か載せられる写真の一枚ぐらいないかと写真庫を開けたところ、駆け足で小岩井農場の賢治の碑を訪れた一枚がありました。詩碑に映っているのは友人Mさんと私です。
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      ☆  ☆  ☆

 

インマヌエル秋田・盛岡教会牧師・神谷光一先生の説教をおつなぎします。

2023年5月14日(日)
説教題『わたしの平安を与え』
聖書朗読 ヨハネの福音書14章15~31節

15 もしわたしを愛しているなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
16そして わたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。
17 この方は真理の御霊です。世はこの方を見ることも知ることもないので、受け入れることができません。あなたがたはこの方を知っています。この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです。
18 わたしはあなたがたを捨てて孤児にはしません。あなたがたのところに戻って来ます。
19あと少しで、世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生き、あなたがたも生きることになるからです。
20 その日には、わたしが父のうちに、あなたがたがわたしのうちに、そしてわたしがあなたがたのうちにいることが、あなたがたに分かります。
21 わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛している人です。わたしを愛している人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身をその人に現します。」
22 イエスカリオテでないほうのユダがイエスに言った。「主よ。私たちにはご自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、どうしてですか。」
23 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。
24 わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わされた父のものです。
25 これらのことを、わたしはあなたがたと一緒にいる間に話しました。
26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
27 わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。
28 『わたしは去って行くが、あなたがたのところに戻って来る』とわたしが言ったのを、あなたがたは聞きました。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くことを、あなたがたは喜ぶはずです。父はわたしよりも偉大な方だからです。
29 今わたしは、それが起こる前にあなたがたに話しました。それが起こったとき、あなたがたが信じるためです。
30 わたしはもう、あなたがたに多くは話しません。この世を支配する者が来るからです。彼はわたしに対して何もすることができません。
31 それは、わたしが父を愛していて、父が命じられたとおりに行っていることを、世が知るためです。立ちなさい。さあ、ここから行くのです。

 

 

6時32分更新

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クラシック倶楽部を聴く ウクライナの響き

ウクライナはプロコフィエフやホロヴィッツなど多くの音楽家を輩出してきた「音楽の宝庫」。歌劇のアリアから民謡まで多彩なウクライナの歌をお送りする。
【演奏】オクサーナ・ステパニュック(ソプラノ・バンドゥーラ)、デニス・ビシュニャ(バス)、比留間千里(ピアノ)、髙谷光信(指揮)、ヴァレンティン・シルヴェストロフ(ピアノ)ほかー番組紹介よりー

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ミコラ・ルイセンコはウクライナを代表する作曲家。バレンティン・シルヴェストロフはウクライナの現代に活躍する作曲家。


【曲目】
夜鳴きうぐいす(クロピヴニツキー)
ドニプロ川のワルツ(イホール・シャモー)
キーウの鳥の歌(秋再び)(ビラシュ)
バイオリン(ウクライナ民謡)
歌劇「タラス・ブーリバ」から「鷲(わし)が飛んでいる」(ルイセンコ)
「ドニプロ川に響くとどろき」(ミコラ・ルイセンコ )
果てなき荒野(ミコラ・ルイセンコ)
バンドゥーラを手に取り(ウクライナ民謡)
空の月(ウクライナ民謡)
清らかな空に星は輝く(ドミトロ・パヴリチコ作詩/オレクサンドル・ビラシュ作曲)
私のキーウ(ドミトロ・ルツェンコ作詞イホール・シャモー作曲)
ウクライナへの祈りパストラール(伝承詩/ヴァレンティン・シルヴェストロフ作曲)
パストラール<ドイツにおいて。シルヴェストロフのピアノ独奏>

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オクサーナ・ステパニュックのコメント
歌うのはシャモ―作曲の「ドニプロ川のワルツです」。この曲は私にとってとても身近な曲です。歌詞にはウクライナの景色がたくさん表現されています。人は自分が生まれ育った場所や自分の民族の歌を聴くとき、先祖のエネルギーをもらっています。伝統を生みウクライナの宝である音楽を作り出した先人たちに深く感謝しています。歌に込められたウクライナの心や力を私たち歌手は自らの声で伝えるのです。
 毎日親戚や身近な人のことを祈っています。世界のどこにいても健康や幸せ、平和を祈っています。ウクライナに平和が訪れますように。

 

デニス・ビシュニャのコメント

伝記によるとルイセンコは小さい町を回り民謡などを集めました。その後、自分の作品の中でそれを表現していたのです。彼は自分の作品の中で昔ながらのウクライナの音楽文化を保護していたのです。また彼は自分の曲の歌詞をとても慎重に選びました。たとえば国民的詩人シェフチェンコの詩です。次に歌う「「ドニプロ川に響くとどろき」は、シェフチェンコの詩「プリチンナ」からの抜粋です。音楽とシェフチェンコの偉大な詩との結びつきはとても深遠なもので、ウクライナの文化を表現しています。
「私のキーウ」について、この曲が描くのはキーウの町、そしてウクライナの心や平和への思いが表現されています。今この曲の3番を歌うのはつらいです。「疲れた町は眠って平和な穏やかな眠りについている」。今は残念ながら平和に眠ることができません。でもこの状況を乗り越え、またマロニエ(キーウのシンボル)が咲きます。

 

ヴァレンティン・シルヴェストロフのコメント(22年4月16日ベルリンで)
いつ戻れるのか、この先どうなるのかという混沌とした不安。ここに来たらピアノがあった。何も考えないで座ったらそこに曲があった。私は自分が作曲家であるということすら忘れていた。私は音楽を続けたかった。でも音楽で戦うわけじゃない。「大砲がなるとき芸術の女神は黙る」ということわざがあります。芸術の女神は 沈黙しますが、大砲な無情な音を強調したいのではありません。芸術の女神は沈黙しつつも、別の“音域”に存在し続けます。音楽は“怒り”のゾーンにいながらも、戦争中は自らの怒りを抑えているのです。私は一人の人間として怒りを感じていますが、音楽でそれを表すことはしません。怒りの表現は敵をあおる可能性があるからです。怒りは味方だけでなく敵にも力を与えます。だから芸術の神は沈黙するのです。音楽は平和の価値を教えてくれます。地球上の一人ひとりの命の価値をです。

 

 

キーウの鳥の歌


秋ふたたび……
遠い南へとふたたび
鳥たちはウクライナより舞い上がる
空高く渦を巻きながら
遠くかなたへの道をゆく
夜鳴きうぐいすの歌が飛び去り
空のどこかに漂う
夜鳴きうぐいすの歌もなくウクライナは
いかにして生きていくのだろうか?

白鳥の歌は飛び去り
空のどこかで漂う
白鳥の歌もなくウクライナはいかにして生きていくのだろうか?
鶴の歌が飛び去った
ウクライナの鶴の歌が
鶴もなくウクライナは
いかにして冬を越えられるのだろうか?
秋が近づき…心は曇る
風は静まり夜更けの庭は薄暗い
私の心は南へ飛び去ったようで
戻ってはこない
夜鳴きうぐいすの歌は飛び去り
空のどこかを漂う
夜鳴きうぐいすの歌もなくウクライナは
いかにして生きていくのだろうか?

 

清らかな空に星は輝く


清らかな空に星は輝き
道は青い氷で燃えている
葉のない木のように
私の心は草原に立っている
葉のない木のように
私の心は草原に立っている
幸せな運命が
春の力を目覚めさせた
私の心はポプラの木のように
雪の中で緑になった

真実の愛が
ぬくもりを運んできた
私の心は桜のように
りんごの私の心は桜のように
雪の上に花を咲かせた

 

光り輝く友情が
永遠に訪れ
私の心は雪の上で
リンゴの実をつけて立っている
私の心は雪の上で
リンゴの実をつけて立っている
                             字幕 髙谷公子

 

 

私のキーウ


緑の樹々が海のように波うち
静かな一日の夕陽が燃え尽きようとしている
ドニプロの川岸の傾斜も
私には親しいものとなり
そこで愛おしい数々の夢が
枝を広げ揺り動かしている……
どうしておまえを愛さずにはいられよう
私のキーウよ!
そこで愛おしい数々の夢が
枝を広げ揺り動かしている……
どうしておまえを愛さずにはいられよう
私のキーウよ!
カンナの花々が私を見つめ
私はそれらに私の思いのたけを託す
愛しい人に私の誠実な愛を
伝えてもらおうと
私は夢見そして生きる
希望の翼をはばたかせて……
どうしておまえを愛さずにはいられよう
私のキーウよ!

 

疲れた町は眠っている
平和な穏やかな眠りについている
ごらん ドニプロ川の上で
首飾りのように明かりが輝き始めた
ビロードのような宵闇が
幸せの波となって岸に打ち寄せる……
どうしておまえを愛さずにはいられよう
私のキーウよ!
ビロードのような宵闇が
幸せの波となって岸に打ち寄せる……
どうしておまえを愛さずにはいられよう
私のキーウよ!
私のキーウよ!
私のキーウよ!
                             字幕 竹内高明



ウクライナに平和を


神よウクライナを守ってください
私たちに力、信仰、希望を与えてください
神よウクライナを守ってください
神よウクライナを守ってください
私たちに力、信仰、希望を与えてください
神よウクライナを守ってください
私たちの父よ

 

🎵
盛岡市でも、10日に中ノ橋傍にマロニエが咲いていた。まだ散らずに咲いているだろうか。自転車を降りてしばし眺めた。氷が青く燃えるウクライナ、雪の下に植物が青く芽吹くウクライナ、くぐもる夜鳴き鶯。バンドーラの響き。打ち続く破壊、破壊、破壊。シルヴェストロフの曲の深い平和の祈りの響き。今は深い霧の向こうに、見えるか見えないかのウクライナの平和。

 

⏰6時34分久方ぶりに音楽の更新

 

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きょうのことば「祭りの終わりの大いなる日に」ー説教 神谷光一牧師ー

けさは、こんなことばが浮かんでいた。

o 文語訳聖書
困苦(くるしみ)にあひたりしは我によきことなり、
此によりて我なんぢの律法(おきて)をまなびえたり。
o 新改訳聖書
苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。
私はそれであなたのおきてを学びました。

 

 きょうも新たな一日が、一週間が始まる。少なくとも今このときに頭上をミサイルが飛んでいるわけではない。雨風が避けられる屋根があり、暑さ寒さをしのげる衣服があり、3食、さまざまな状況を思えばこれはほんとうに申し訳ないことであるけれども、3食にも事欠いてはいない。立ち上がれる。歩くことができる。話すことができる。食事のしたくができる。自分で食べられる。感謝すべきことは山ほど。

 

          ☆  ☆  ☆

 

 

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インマヌエル秋田・盛岡教会の神谷光一牧師の説教をおつなぎします。
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 神谷光一先生、美津子先生です。毎月一回、盛岡に来てくださいます。そのほかの週は、皆さんが教会に集まり、ズームで神谷先生のおはなしをお聴きしています。写真はお分かち会、近況報告、心境などを述べ合う心和む楽しいひとときです。

2023年5月7日(日)
説教題『祭りの終わりの大いなる日に』
聖書朗読 ヨハネの福音書7章37~39節

37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ちあがり、大きな声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」
39 イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ下っていなかったのである。

 

 

6時50分更新

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きょうのことば「私たちの国籍は天にあります」ー説教・神谷光一牧師ー

 コロナからまずまず解放されGWの人出に気分がいささか浮き立ったところに、能登半島珠洲市で震度6強。連休で弛緩した気分が一瞬ぎゅっと縮んだ。そのとき、その時間、自分は何してたっけ? うん、遊んではいなかった。こう確認できたとき、どこか心の中でほっとしている自分がある。なぜだろう。ゆえなく、理不尽に悲しみ苦しむ方々が出ませんようにと祈りつつ。

 

                    ☆ ☆  ☆

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インマヌエル秋田教会の神谷光一牧師の説教をおつなぎします。

2023年4月30日(日)
説教題『私たちの国籍は天にあります』
聖書朗読 ピリピ人への手紙3章17~21節

17
兄弟たち。私に倣う者となってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。
18 というのは、私はたびたびあなたがたに言って来たし、今も涙ながらに言うのですが、多くの人がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。
19 その人たちの最後は滅びです。彼らは欲望を神とし、恥ずべきものを栄光として、地上のことだけを考える者たちです。
20 しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。
21 キリストは、万物をご自身に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。

 

6時17分更新

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