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2023年4月

きょうのことば「死んでよみがえった方のために」ー説教・神谷光一牧師ー

 統計によると女性75歳の平均余命は16.08年、男性75歳の平均余命は12.42年だという。これは文芸誌「無人塔」にあった数字だ。「無人塔」に書いた方もどこからかこの数字を引いている。自分の数字もこれと大して変わらない。
 さて、この部分をどう生きるか、それ、動けるうちに旅行だ、旅行だ!旅行は計画するだけでも寿命を延ばす。それも悪くはない。最後だけでもすこしはまともに生きるか、で、ボランティア。それもすばらしい。人を助けられる。いいことをするとやはり気分が浄化される。好きなものを好きなだけ食べよう、牡蠣なら広島か、蟹なら福井か函館か、食べ歩きをしたことのない私に、あとはどこだと訊かれてもこれは無理なはなし。ただ数値があがれば寿命も縮む。余命の生き方はさまざま。生涯教育もあり、選択肢は多い。
 ただ、死んでも尚生きられる方法を知っておくのは、何にも増してお得なことかと思う。なんだ宗教か、キリストか、聖書か、そんなもん知ってるよ、そう仰るあなた、ほんとうに知ってますか? どこをどう知ってますか?

 

 

                ☆ ☆  ☆

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インマヌエル秋田教会の神谷光一牧師の説教をおつなぎします。

2023年4月23日(日)
説教題『死んでよみがえった方のために』
聖書朗読 コリント人への手紙第二 5章1~19節

1 たとえ私たちの地上の住まいである幕屋が壊れても、私たちには天に、神の下さる建物、人の手によらない永遠の住まいがあることを、私たちは知っています。
2 私たちはこの幕屋にあってうめき、天から与えられる住まいを着たいと切望しています。
3 その幕屋を脱いだとしても、私たちは裸の状態でいることはありません。
4 確かにこの幕屋のうちにいる間、私たちは重荷を負ってうめいています。それは、この幕屋を脱ぎたいからではありません。死ぬはずのものが、いのちによって吞み込まれるために、天からの住まいを上に着たいからです。
5 そうなるのにふさわしく私たちを整えてくださったのは、神です。神はその保証として御霊を下さいました。
6 ですから、私たちはいつも心強いのです。ただし、肉体を住まいとしている間は、私たちは主から離れているということも知っています。
7 私たちは見えるものによらず、信仰によって歩んでいます。
8 私たちは心強いのですが、むしろ肉体を離れて、主のみもとに住むほうがよいと思っています。
9 そういうわけで、肉体を住まいとしていても、肉体を離れていても、私たちが心から願うのは、主に喜ばれることです。
10 私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです。

11 そのため、主を恐れることを知っている私たちは、人々を説得しようとしています。私たちのことは、神の御前に明らかです。しかしそれが、あなたがたの良心にも明らかになることが、私の望みです。
12 私たちは、またしてもあなたがたに自分を推薦しているのではありません。むしろ、あなたがたに私たちのことを誇る機会を与え、心ではなくうわべを誇る人たちに応じられるようにしたいのです。
13 私たちが正気でないとすれば、それは神のためであり、正気であるとすれば、それはあなたがたのためです。
14 というのは、キリストの愛が私たちを捕らえているからです。私たちはこう考えました。一人の人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである、と。

15 キリストはすべての人のために死なれました。それは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためです。
16 ですから、私たちは今後、肉にしたがって人を知ろうとはしません。かつては肉にしたがってキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。
17 ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
18 これらのことはすべて、神から出ています。神は、キリストによって私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。
19 すなわち、神はキリストにあって、この世をご自分と和解させ、背きの責任を人々に負わせず、和解のことばを私たちに委ねられました。

 

6時34分更新

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きょうのことば「第一の復活にあずかる者は幸い」ー説教・神谷光一牧師ー

 自分はこうしたいんだ、ああもしたい。そんな葛藤を経て私にはついに分かったのだ。自分の歩むべき道は神様が決めておられる。事実、私が分岐点で自分が行きたい方向に舵を切ろうとすると、神様はあたかも私の襟首をつかんで回れ右といわんばかりに方向変換させたという実感がある。行きたい方向が社会的に悪いことではなくとも、「おまえはこっちだ」と神によって神の道を歩ませられてきたという実感。

 この短歌、木曜の朝未だきに、さしたることもなくつらつらと、つまりはどうでもよいことを思い巡らすうちに、パズルのようにカチカチとことばが連なり、無意識のうちに推敲していた1首。

 この道を歩めと神ののたまひしこの道を行くひたすらに行く  ぶんな

 

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インマヌエル秋田教会の神谷光一牧師の説教をおつなぎします。

2023年4月16日(日)
説教題『第一の復活にあずかる者は幸い』
聖書朗読 黙示録20章1~15節

1 また私は、御使いが底知れぬ所の鍵と大きな鎖とを手にして、天から下って来るのを見た。
2 彼は、竜、すなわち、悪魔でありサタンである古い蛇を捕らえて、これを千年の間縛り、
3 千年が終わるまで、これ以上諸国の民を惑わすことのないように、底知れぬ所に投げ込んで鍵をかけ、その上に封印をした。その後、竜はしばらくの間、解き放たれることになる。
4 また私は多くの座を見た。それらの上に座っている者たちがいて、彼らにはさばきを行う権威が与えられた。また私は、イエスの証しと神のことばのゆえに首をはねられた人々のたましいを見た。彼らは獣もその像も拝まず、額にも手にも獣の刻印を受けていなかった。彼らは生き返って、キリストとともに千年の間、王として治めた。
5 残りの死者は、千年が終わるまでは生き返らなかった。これが第一の復活である。
6 この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対して、第二の死は何の力も持っていない。彼らは神とキリストの祭司となり、キリストとともに千年の間、王として治める。
7 しかし、千年が終わると、サタンはその牢から解き放たれ、
8 地の四方にいる諸国の民を、すなわちゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海の砂のようである。
9 彼らは地の広いところに上って行き、聖徒たちの陣営と、愛された都を包囲した。すると天から火が下って来て、彼らを焼き尽くした。
10 彼らを惑わした悪魔は火と硫黄の池に投げ込まれた。そこには獣も偽預言者もいる。彼らは昼も夜も、世々限りなく苦しみを受ける。
11 また私は、大きな白い御座と、そこに着いておられる方を見た。地と天はその御前から逃げ去り、跡形もなくなった。
12 また私は、死んだ人々が、大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。
13 海はその中にいる死者を出した。死とよみも、その中にいる死者を出した。彼らはそれぞれ自分の行いに応じてさばかれた。
14 それから、死とよみは火の池に投げ込まれた。これが、すなわち火の池が、第二の死である。
15 いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた。

 

6時半更新

 

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きょうのことば『朽ちないものによみがえらされ』イースター講壇  ー説教・神谷光一牧師ー

   


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インマヌエル秋田教会の神谷光一牧師の説教をおつなぎします。

2023年4月9日(日)イースター礼拝説教
説教題『朽ちないものによみがえらされ』
聖書朗読 コリント人への手紙第一15章35~58節

35 しかし、「死者はどのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで来るのか」と言う人がいるでしょう。
36 愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ生かされません。
37 また、あなたが蒔くものは、後にできるからだではなく、麦であれ、そのほかの穀物であれ、ただの種粒です。
38 しかし神は、みこころのままに、それにからだを与え、それぞれの種にそれ自身のからだをお与えになります。
39 どんな肉も同じではなく、人間の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉、それぞれ違います。
40 また、天上のからだもあり、地上のからだもあり、天上のからだの働きと地上のからだの働きは異なり、
41 太陽の輝き、月の輝き、星の輝き、それぞれ違います。星と星の間でも輝きが違います。
42 死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、
43 卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、力あるものによみがえらされ、
44 血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。
45こう書かれています。「最初の人アダムは生きる者となった。」しかし、最後のアダムは、いのちを与える御霊となりました。
46 最初にあったのは、御霊のものではなく血肉のものです。御霊のものは後に来るのです。
47 第一の人は地から出て、土で造られた人ですが、第二の人は天から出た方です。
48 土で造られた者たちはみな、この土で造られた人に似ており、天に属する者たちはみな、この天に属する方に似ています。
49 私たちは、土で造られた人のかたちを持っていたように、天に属する方のかたちも持つことになるのです。
50 兄弟たち、私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。
51 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな眠るわけではありませんが、みな変えられます。
52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
53この 朽ちるべきものが、朽ちないものを必ず着ることになり、この死ぬべきものが、死なないものを必ず着ることになるからです。
54 そして、この朽ちるべきものが朽ちないものを着て、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、このように記されたみことばが実現します。「死は勝利に呑み込まれた。」
55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。」
56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
57 しかし、神に感謝します。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
58 ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。

 

※6時59分更新

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音楽雑記  カヴァコスのコメント&パイプオルガン

 今朝、クラシック俱楽部、レオニダス・カヴァコス、彼のコメント 「もし社会が偉大な交響曲や偉大なオーケストラのようにテーマや意図を持って機能するとしたら、みなが力を尽くしこの意図を支持し一緒に呼吸し同じリズムを共有し同じハーモニーを尊重するとしたら」。聴きながら、私は、まことの「平和」を奏したくとも、この地上にはその指揮者がいない。肩を落とすのだが、悲観的に考えるのはよそうと。続く名曲アルバムはショパン。「雨だれ」。出かけていったサンドは帰るか帰らぬか。この時は帰ってはきたけれども。ショパン弾きの想いを掻き立てるこのマヨルカ島、90歳になるフジ子・ヘミングも自力で行くことは厳しかったが、さるバイオリニストがエスコート。ともかくもマヨルカ島に足をつけている。ここの島の人々は、ショパンとサンドが短い間でも暮らしてくれたおかげで、今はその恩恵を被っているわけだ。サンドとショパンが置かれた状況については、こちら

   ☆ ☆

 と、ほっと一息で、朝食の準備をはじめ、食卓にあれこれ、というよりも、これとそれという程度の皿数を並べているときにTV画像に出ていたのが「美の壺」。再放送なんでしょうけれども。「楽器の王様」。? と吸い寄せられる。何と、パイプオルガン。機能として弦楽器、管楽器の、その他さまざまな楽器の〝疑似音〟を出せる、それは出せるだろうと思う。その次、倍音に倍音を重ねられるというのだ! そして歴史的パイプオルガンの制作者横田宗隆さん登場。この方、その時代に存在したいわばノイズをもわざわざ再現できる管を作り出している。恐れ入りました。

 手動式パイプオルガンもあるらしい。

とても豊かな内容。で、再放送もアリかなと。慌てて撮った写真3枚アップ。


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⛳10時1分更新

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きょうのことば『主がお入り用なのです』ーIGM秋田教会 説教・神谷光一牧師ー

イースター
おめでとうございます!


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 けさはイエス様を十字架につけたありとあらゆる立場の人々の心の動きを考えていました。ローマに君臨する者、ローマに口実を設けて潰されたくない属国ユダヤの為政者。学者、パリサイ人、所謂当時の有識者たち、いまでいうなら何かが起きるたびにメディアに招かれて語る有識者、また論説委員、解説委員といった人々。そしてそれを鵜呑みにする大衆。どうもおかしい、何か変と思いつつ、勢いに押され流されてしまう。声をあげようにも縛りには敵わない、そこには損得勘定も働く。そこで分かっていながら唯々諾々と従ってしまう。弟子たちですら、捕縛を恐れて逃げ隠れしてしまっている。

 誰一人イエス様を助けることはできなかったが、しかし、イエス様は復活の朝、これらすべてを、まるでダイナマイトが仕掛けられたかに打ち砕かれ、よみがえられたことを私は信じます。

※イースターのメッセージは来週になります。

 

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インマヌエル秋田教会の神谷光一牧師の説教をおつなぎします。

2023年4月2日(日)礼拝説教
説教題『主がお入り用なのです』
聖書朗読 マタイ21章1~11節
1 さて、一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとのベテパゲまで来たそのとき、イエスこう言って、二人の弟子を遣わされた。

2 「向こうの村へ行きなさい。そうすればすぐに、ろばがつながれていて、一緒に子ろばがいるのに気がつくでしょう。それをほどいて、わたしのところに連れて来なさい。
3 もしだれかが何か言ったら、『主がお入用なのです』と言いなさい。すぐに渡してくれます。」
4 このことが起こったのは、預言者を通して語られたことが成就するためであった。
5 「娘シオンに言え。『見よ。あなたの王があなたのところに来る。柔和な方で、ろばに乗って、荷ろばの子である、子ろばに乗って。』
6 そこで弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、
7 ろばと子ろばを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。そこでイエスはその上に座られた。
8 すると非常に多くの群集が、自分たちのの上着を道に敷いた。また、木の枝を切って来て道に敷く者たちもいた。
9 群集は、イエスの前を行く者たちも、後に続く者たちも、こう言って叫んだ。「ホサナ。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。ホサナ、いと高きところに。」
10 こうしてイエスがエルサレムに入られると、都中が大騒ぎになり、「この方はだれなのか」と言った。
11 群集は、「この人はガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言っていた。

 

⏰6時48分更新

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きょうのことば「そうせずにはいられない」ー説教・神谷光一牧師ー

 昨日は教会の片付けに参加。午前中いっぱいかかるかと思っていたが、有志7人で1時間半で切り上げる。仕事の前に来て作業の段取りをしてくださった方、多忙な中かけ付けて下さった方、私のように専業主婦で時間が空いている方とさまざま。
 機動力がめっきり落ちている私は、重い物などは他の方々に担っていただいて、もう一人の姉妹と洗礼槽のお掃除。細かな埃なども掃除機で吸い取りながら、この洗礼槽で次々に洗礼を受ける方々の姿を思い浮かべていました。
 きょうは棕櫚の主日。イエス様がエルサレムに入城された日です。

 

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インマヌエル秋田教会の神谷光一牧師の説教をおつなぎします。一週間前の説教です。

2023年3月26日(日)礼拝説教
説教題『そうせずにはいられない』
聖書朗読 コリント人への手紙第一9章16~27節

6私が福音を宣べ伝えても、私の誇りにはなりません。そうせずにはいられないのです。福音を宣べ伝えないなら、私はわざわいです。
17 私が自発的にそれをしているなら、報いがあります。自発的にするのでないとしても、それは私に務めとして委ねられているのです。
18 では、私にどんな報いがあるのでしょう。それは、福音を宣べ伝えるときに無報酬で福音を提供し、福音宣教によって得る自分の権利を用いない、ということです。
19 私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷になりました。
20 ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人たちにはー私自身は律法の下にはいませんがー律法の下にある者のようになりました。律法の下にある人たちを獲得するためです。
21 律法を持たない人たちにはー私自身は神の律法を持たない者ではなく、キリストの律法を守る者ですが—律法を持たない者のようになりました。律法を持たない人たちを獲得するためです。
22 弱い人たちには、弱い者になりました。弱い人たちを獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。何とかして、何人かを救うためです。
23 私は福音のためにあらゆることをしています。私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。
24 競技場で走る人たちはみな走っても、賞を受けるのは一人だけだということを、あなたがたは知らないのですか。ですから、あなたがたも賞を得られるように走りなさい。
25 また競技をする人は、あらゆることについて節制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。
26 ですから、私は目標がはっきりしないような走り方はしません。空を打つような拳闘もしません。
27 むしろ、私は自分のからだを打ちたたいて服従させます。ほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者にならないようにするためです。

⏰6時11分更新

 

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