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きょうのことば「わたしの証人となります」ー説教・神谷光一牧師ー

あしたは、というよりも、もう今日になってしまっている。日曜日だ。日曜日にひとことでも神のことばを載せなければ。唐突なはなしだけれども、先ごろ聴いた演奏会「ライプツィヒへの旅で」のレクチャーで聞いた話の受け売りになるが、バッハは、次の日曜日に教会で演奏する曲を、2日がかりでぜんぶ書きあげてパート譜を書き、それを各声部のパートやコーラスに渡し、オーケストラに渡し、さらにそれぞれに稽古をつけ訓練して回って、土曜日にはソリストも入って合わせて、いよいよ日曜日が本番。礼拝音楽として演奏していたという。年間50~60曲書いていたというから驚く。
 そのまねをしていたわけでも何でもないけれども、これまで、私もある時点からとにかく日曜日には、もちろん作曲ではないが、牧師の説教の公開を義務付けてきた。私の場合は、牧者のご苦労というものは並々のことではなく、新興宗教のように信者から無理な寄付を集めてもいない。もっぱら清貧を貫き伝道、牧会を続け、そして、他の教団のことはわからないが、社会的に見ると考えられないほど僅かな退職金。それでも不平不満を聞いたこともなく、まして賃上げ闘争とは無縁の世界。それぞれの信念で献身してるのだからといった捉え方もあるだろうけれども、それでいいんだろうか。だいたい世の中的に名を成すということも多くの場合は、眼中にない。イエス様の名が崇められること、イエス様のお救いを伝える事、そして信じる方に永遠のいのちを示すこと、それが肝心であり大事であるのだが、そして自分の名は出さない。
 毎週の説教を一般の方々、一人にでも読んでいただけたなら、そんな思いで日曜には説教を起こしてブログ掲載をさせていただいた。
 終盤はひろ子牧師の病状に、祈りつつも緊迫感を持ちながら、日曜日には間に合わせて説教を書かせていただいていた。そして、牧師夫妻が呉に転居されてほどなく、ひろ子牧師の癌が消えていたことを知らされ、一挙に緊張がゆるみ、そして、こんど秋田から牧会してくださる神谷先生は、説教をご自分でユーチューブにしておられるので、聴く者がこれを起こして筆記する必要がない。この方が後で起こすよりもどれだけ正確であることか。
 このような事態の急変に、日曜のブログのあり様もどうすべきか判断がつかないままに時を過ごしてしまったけれども、近づくは日曜日、というよりはもう来てしまった日曜日。どうにかせねば、という思いが過る中、とにかくPCに打ち込むうちに出てきた考えは、考えというほどのものでもなく、そういう流れで思ったことは、形式にとらわれず、パターン化せずに、楽な気持ちで、その時々を綴り、あとはユーチューブを見ていただく。このようなリラックス態勢で、最後には、カタンと一文字しか書く力が無くなるまで続けてみようとの心境にいたりました。

       ☆   ☆   ☆

 

インマヌエル秋田教会の神谷光一牧師の説教をお聴きください。
https://www.youtube.com/watch?v=vMc3sosucb0
聖書朗読箇所 使徒の働き1章3~14節

3 イエスは苦しみを受けた後、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。四十日にわたって彼らに現れ、神の国のことを語られた。
4 使徒たちと一緒にいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。」
5 ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」
6 そこで、使徒たちは、一緒に集まったとき、イエスに尋ねた。「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」
7 イエスは彼らに言われた。「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。
8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」
9 こう言ってから、イエスは使徒たちが見ている間に上げられた。そして雲がイエスを包み、彼らの目には見えなくなった。
10 イエスが上って行かれるとき、使徒たちは天を見つめていた。すると見よ、白い衣を着た二人の人が、彼らのそばに立っていた。
11 そしてこう言った。「ガリラヤの人たち。どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」
12 そこで、使徒たちはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムに近く、安息日に歩くことが許される道のりのところにあった。
13 彼らは町に入ると、泊まっている屋上の部屋に上がった。この人たちは、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。
14 彼らはみな、女たちとイエスの母マリア、およびイエスの兄弟たちとともに、いつも心を一つにして祈っていた。

 

⏰3時36分更新

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