きょうのことば「主は成し遂げてくださる」
インマヌエル盛岡キリスト教会2023年2月5日の礼拝メッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、ひろ子牧師は、現在、広島県呉市に在住。説教は呉からのズーム配信です。教会総会のあるこの日をもって、國光牧師夫妻は正式に引退されます。こんど盛岡教会を兼牧される秋田教会の神谷先生、副牧となられる細田先生がお見えになりました。
國光ひろ子牧師、引退のご挨拶
皆様おはようございます。杉本先生の時から親しいお交わりをいただいている秋田教会の皆様と、ズームによる合同礼拝になっております。盛岡教会にとっては、神谷先生ご夫妻と細田先生においでいただいての教会総会の朝でもあります。
大切な時間ですが、一言、長いお交わりをいただきました皆様にご挨拶させていただきたいと思います。
教団あげての全国、一つの県に一つのインマヌエル教会をとの願いと祈りが叶えられて、この岩手県にインマヌエル盛岡キリスト教会が開設される運びとなった年、1974年3月の年会において任命をいただき、私どもは遣わされてまいりました。それから49年間の奉仕がゆるされました。そして、今朝の教会総会をもって引退することになっております。主の憐れみと皆様の尊いお祈りに支えられて、最後の講壇に立たせていただけますことを、心から感謝しています。また小さい者のためには、格別にお祈りいただいておりますことを、本当に心から感謝いたします。2008年から、度々入院や手術をしてまいりましたので、皆様にもご心配いただきました。さらに、19年に膵臓癌がわかってからは、多方面から切なるお祈りをいただき、ほんとうに有難うございました。
昨年11月に主に導かれて呉に参りまして、再検査が為されました。丁寧な検査の結果、肝臓への転移の影はない。間質性肺炎にもなっていない。腫瘍マーカーの数値の心配もない。だから抗癌剤を飲む必要がないと告げられました。ただ、ただ驚き、主の憐れみと皆様のお祈りのゆえと心から感謝しています。これからこの呉の地にあって、主がお許しくださるあいだ、恵みの証人として用いていただけるなら、それは大きな大きな恵みであります。しかし担当の医師が仰るように、転移したら命は秒読みにはいる。それが膵臓癌というものですと言われております。そのような状況になったとしても、それも恵みと感謝して受けたいと願っています。尚お祈りを宜しくお願いいたします。有難うございました。
☆ ☆ ☆
説教題 「主は成し遂げてくださる」 國光勝美 牧師
聖書引証 詩篇138篇1~8節
詩篇 138篇1~8節
1 心を尽くして、私はあなたに感謝をささげます。御使いたちの前で、あなたをほめ歌います。
2 私は、あなたの聖なる宮に向かってひれ伏し、恵みとまことのゆえに、御名に感謝します。あなたがご自分のすべての御名のゆえに、あなたのみことばを高く上げられたからです。
3 私が呼んだその日に、あなたは私に答え、私のたましいに力を与えて強くされました。
4 主よ。地のすべての王はあなたに感謝するでしょう。彼らがあなたの口のみことばを聞いたからです。
5 彼らは主の道について歌うでしょう。主の栄光が大きいからです。
6 まことに、主は高くあられますが、低い者を顧みてくださいます。しかし高ぶる者を、遠くから見抜かれます。
7 私が苦しみの中を歩いても、あなたは私を生かしてくださいます。私の敵の怒りに向かって御手を伸ばし、あなたの右の手が私を救ってくださいます。
8 主は私のためにすべてを成し遂げてくださいます。主よ、あなたの恵みはとこしえにあります。あなたの御手のわざをやめないでください。
《メッセージ》
改めて皆様方に心からの感謝と共に、短いみことばの恵みをともにさせていただきたく願っております。今日お開き致しました詩篇138:8「主は私のためにすべてを成し遂げてくださいます。主よ、あなたの恵みはとこしえにあります。あなたの御手のわざをやめないでください。」
このおことばは、この度の私どもに大きな変化をもたらすできごとに折々に心の中に励ましのように与えられていたおことばでございます。49年間の盛岡教会でのご奉仕を締めくくらせていただきます。言葉に言い尽くし得ませんほどの皆様方からいただいたご愛とご忍耐を心から感謝を申し上げますとともに、このような小さいものたちでありましたけれども、イエス様の体なる教会を建て上げるというこれ以上ない尊い働きに人生の大半を用いることがゆるされたということは、この上ない特権であり、感謝であります。本当に有難うございました。
きょうは教会総会を前に、神谷先生ご夫妻を秋田から、それから協力牧師BA(ブロック・アドバイザー)として、細田先生を仙台からお迎えした礼拝でありますし、格別に秋田の皆様方とは、ズームによって共に主を礼拝しております。このご協力をいただいておりますことを感謝を申し上げます。
きょう私は、この138篇のおことばに集中して、短く証しをさせていただきたいと思っております。
先ほど、ひろ子先生がご挨拶をいたしましたけれども、おそらく牧師夫人の膵臓癌ということがなかったのならば、このような急激な展開はなかったでしょう。しかし、2019年の東北聖会が終わってから、そのことが発見され、いわゆる闘病生活が始まって今日に至ったわけであります。その間、さまざまな出来事、恵みがありました。その中の一つ、それは去年の夏の東北聖会であります。これは、秋田の皆さん方、仙台の先生もよくご存じでありますけれども、日本イエス・キリスト教団の工藤弘雄先生ご夫妻を東北聖会にお招きしたことです。そしてそのホスト教会として盛岡教会を使うことを主はおゆるしくださった、もうこれが幾重にも幾重にも大きな私は恵みであったと心からこの恵みを振り返っております。
「大いなる光景を見る」というテーマのもとに3回にわたる先生からのメッセージがありました。そしてまた、ご夫人の証しがございました。工藤先生方は、ピアニストであられたお嬢様の工藤真史姉を癌で天にお送りするという経験をしておられました。先生ご夫妻が盛岡にいらっしゃるときに、ひろ子先生が今このような闘病にあるということを、来てからご存じになるよりも、知っておられた方がかえっていいだろうと思いまして、メールでのやり取りの中で、ひろ子先生が膵臓癌になっておりますのでお祈り下さいとだけお伝えしておき、そして当日先生方をお迎えいたしました。
しかしその後、こういうことがきっかけとなりまして、私は今このように導かれております広島県呉のベタ二ヤホームというところに二人して入居するということに道がちょうど開かれつつあるときでございました。先生は私たちが動くということを聞かれて、非常に驚きなさいまして、それから盛岡教会のことども、そしてひろ子先生のことども、三日間にわたります集会の合間に、ほんとうに祈って導いてくださいました。
聖会のあいだ、先生の宿舎は、網張温泉というところに取らせていただきました。そこのところでの滞在をなさるとき、いつも小岩井農場のところを通ってまいります。そこへの行き帰りに小岩井農場を通ります。小岩井農場を過ぎてさらに網張温泉の方に行くちょうどその中間に、すこし小岩井農場寄りなんですけれども、、私の大好きな祈りの山、鞍掛山があります。私は工藤先生方に、この今回の導き、ベタ二ヤの導き、それからひろ子先生の癌の癒しの事、私はこの鞍掛山で注ぎだした祈りをずっと続けるときが与えられました。先生もそのところで、心をとめてくださいまして、ああ、この山ですか。私は、この鞍掛山でありのまま神様に祈ったこと、悔い改めたこと、励まされたこと、力をいただいたこと、それを率直にお話しいたしました。
三日間はあっという間に終わりました。
先生を盛岡駅にお送りするとき、すっかりいろいろな面で打ち解け、何でもお話しできる、聴いていただける、そのような中で、工藤先生が、「ところで、國光先生、浅間温泉ってご存じですか」と訊かれたんです。私は盛岡で長く牧会していますけれども、高校までは長野県の松本が私のふるさとであります。工藤先生は長野県の諏訪湖の近く岡谷というところの出身ですから、そんな関わりからでもあったんでしょう。私は突然浅間温泉という名前が出てきたことにびっくりいたしまして、「ご存じですかどころではありません。実は私、浅間温泉に高校までいたんです」。そしたら先生が、「あそこから見た北アルプスはきれいですね。そして、あそこに常念岳というきれいな山がありますよね」。これを聞いて私はまた驚きました。私は、49年にわたる牧会生活の中で、会員の方々には何回かお話をしておりますけれども、一度だけ、どうしても矢も楯もたまらず我ままをいって、盛岡の日曜の礼拝が終わった後、月曜日早朝にクルマで長野県の松本まで走り、そして、火曜日の日に常念岳に登ったことがあります。これは安曇野という所にある近くの山々なんですが、私の大好きな一度は登ってみたいと思っていた山だったものですから、そこに登りまして、そして水曜日は祈祷会がありますから、高速で盛岡に帰ってきたという、それほど私にとっては格別な思いのあるところでありましたけれども。工藤先生には、たぶんいろいろな背景がおありでしたでしょう。ここでは省略するのですけれども、癌で時が残り少なくなっておられる真史さん、それから奥さんもご一緒にその浅間温泉で泊ったというのです。その時に「真史、見てご覧、きれいな山だろう、あれが常念岳というんだ」こんなお話をしたということをお聞きしました。時間がもっとあればよかったのですけれども、出発の時間になってしまって。そのまま先生とお別れしたのです。
どうしてここで、このようなお話をしたかといいますと、ひろ子先生が主の導きのもとに私と一緒に呉のベタ二ヤホームに来ました。ところが、たまたまそこから歩いて20分ぐらいのところに、国立がんセンターという大きな病院があったのです。それまで岩手県立中央病院の方で、いろいろ治療を受けさせていただいたぜんぶの資料をこんどは呉の国立がんセンターという大きな病院に移していただいて、初めて主治医の先生とお会いいたしました。その時は先生も私たちと初対面でありましたから、先生は先生なりに初めてという緊張もあったんでしょうけれども、私たちが、「実は私たちはクリスチャンなんです」とお話をしたところ、先生が、「おおーそうですか」と緊張を解かれた。要するに生きる死ぬということについては、医師は医師としての立場で、牧師は牧師としての立場で、ある意味それぞれの専門的な関係にありますから。それで、私たちに遠慮くなはなしをしてくださって、「わかりました。じゃもう一度納得がいくように検査をさせてください」。
そして、その結果、まったく癌の治療は必要ないというそういうお話を先生から頂いた時、「夢見る者のごとくなりき」ということばがありますけれども、突然にこれまでのあらゆる覚悟や緊張から解放され夢でも見ているような心持ちでした。
ちょうどその日と同じ日だったと記憶しておりますけれども、私は、病院をよく知りたいなと思いまして、病院の地下の方まで行ってみました。病院の通路には、いろいろな美術品が掛けられています。雰囲気づくり、患者の心の癒しのためでしょう。きれいな絵を何点か飾ってあるんです。その地下一階の通用口の広い廊下のところに、一枚の絵があったんです。私はその絵を見た時に、ほんとうに足が震えるような思いで佇んでしまいました。絵ですから写真とは違うのです。でもそれは明らかに私が大好きな常念岳の絵でした。常念岳は百名山の一つではありますが、富士山とか槍穂高というような山に比べるとマイナー、でもその私の愛してやまない常念岳の絵が、ひろ子先生の癌が見つからないと聴いたその日に病院の廊下にあったことに気づき、これを見た時に、神様はここに導いて下さった、しかもその主治医の先生は膵臓癌を研究しておられる方だと知りました。これらの事を思ったとき、私は、「主は私のためにすべてを成し遂げてくださいます」というこのおことばに非常な励ましと慰めを受けました。主は導き、成し遂げてくださる。当然のことながら、私は、一連のこの出来事を神様は成し遂げて下さったのだという思いを一層深くしました。
しかし、もう一たび、よくよく考えてみるときに、これは盛岡教会のためということも当然入っていることなのだと思います。私が呉に移る。盛岡教会に、こんど神様のご配慮のもとに、すばらしい先生方が与えられる。そう、神様は、盛岡教会のために、「我に係れることをまっとうしてくださる」。成し遂げてくださる。神様の恵みはとこしえにある。「主よ、あなたの恵みはとこしえにあります。あなたの御手のわざをやめないでください」。そうです。これは、何か少しでも私心のある、そんな意味での祈りでは決してない。「あなたの御手のわざ」じゃありませんか。これは、私たちの肉的なそういったものでもなくして、神様のみわざです。どうか、神様の「御手のわざをやめないでください」。神様の恵みはとこしえにある。この常念岳の絵は、その呉の病院の地下通路のところに、いくつかの絵と一緒に飾られていたものでした。まさに、広島のまさか呉の病院の、まさか家内のこの検査の結果を受けた日にこれに気づこうとは!
去年の12月、私が転居するということで、ベタ二ヤホームの住所を書いた、ご挨拶を関係する方々にお送りしました。その中に当然のことながら工藤先生、お世話になりましたのでその転居先の住所などをお出ししてあったのですが、その翌日、クリスマスの翌日の夜、工藤先生からお電話が入りました。「ひろ子先生どうですか」。あの案内では、あの大きな恵みをいただいたとは書いてありましたけれども、先生、こうだったんです。そしたら、ほんとうにご夫妻が、電話越しで、「良かったですね先生」。私はその時に工藤先生に思い切って伺ったんです。一生懸命にお祈りをされた真史さん、どれほど癒しを祈ったか。ご夫妻、電話の向こうで、「ほんとうに私たち、祈りました。癒してください、祈りました。でもね先生、真史は召される最期まで苦しいところさまざまなピアニストとしての奉仕をしながら、彼女は輝いて天に帰っていったんです。先生、癒されることも神様の恵みです。だけども、癒されないで天に帰っていくことも、これもすばらしい神様の恵みということを私たちは知っています」。こういって祈って下さいました。私は、盛岡の方々に、そして或いは秋田の皆さん方にも、申し上げたい。私たちが信じている神様は、ご利益宗教の神様じゃない。わたしのためにすべてのことを成し遂げてくださるお方、このお方に心からの祈りを捧げる、これこそ、きよめじゃないんでしょうか。神様のために、自分のすべてをお捧げして神様のために生きるというこの目的で生きていく人たちであるのならば、我にかかわることを全うしてくださる。このことを私は確信をもってきょう証しをさせていただきたいと思うのです。どうぞ病の苦しみの中にある方がた、「エホバ我に係ることを全うし給わん。汝の恵みはとこしえなり」、このお方に、心から祈って神様の導きを癒しを恵みを祈らせていただきたいと存じます。説教というよりは、証しのようになりましたけれども、これで、締めくくらせていただきます。
※文責:中ぶんな
⏰9時6分更新
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