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きょうのことば「いつも共におられる主」ー元旦礼拝ー

インマヌエル盛岡キリスト教会2023年元旦(日)の礼拝メッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、ひろ子牧師は、現在、広島県呉市に在住。今日はインマヌエル呉キリスト教会の講壇から呉・盛岡への同時ズーム配信です。

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説教題 「いつも共におられる主」―2023年元旦・聖日講壇 國光勝美牧師
聖書引証 詩篇23篇
ダビデの賛歌
1 主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われます。
3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のゆえに、私を義の道に導かれます。
4 たとえ、死の陰の谷を歩むとしても、私はわざわいを恐れません。あなたが、ともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
5 私の敵をよそに、あなたは私の前に食卓を整え、頭に香油を注いでくださいます。私の杯は、あふれています。
6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みが、私を追って来るでしょう。私はいつまでも、主の家に住まいます。

《メッセージ》
改めて新年明けましておめでとうございます。私は岩手県盛岡市で凡そ50年牧師をしております國光勝美と申します。どうぞ宜しくお願いいたします。
 今日はズームという手段を用いて、呉教会の皆さんと盛岡教会を結んで礼拝を共にさせていただいておりますが、なぜこのような機会が与えられたのかを、ご挨拶と共に進めさせていただきます。

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 私の家内であるひろ子牧師が、いまこの呉教会の会堂の後ろに座っておりますけれども、私とひろ子牧師は、今年の11月から呉のベタニヤホームにお世話になっております。
 現在私は盛岡教会の牧師でありますので、ベタ二ヤホームの私の部屋からこのような機材を用いまして、盛岡の方々とは日曜ごとには礼拝を、そして週の半ば水曜日には、祈り会のような集いをずっと持たせていただいておりました。しかしご存じの通り、内山先生の休養ということで、その代役としてご用を務めさせていただくことになりました。


 実は、ひろ子牧師が膵臓癌に罹りましたのは2019年夏のことでありました。それから約半年を経て2020年1月に岩手県立中央病院で摘出手術を受け、それから抗癌剤の治療を受けるようになりました。順調に行くはずでしたが、やがて肝臓の方にも転移があり、またそれを抑える薬の副作用で間質性肺炎というすこし厄介な症状も起きてまいりました。それが2020年、そして、2021年の盛岡に於ける私たちの生活でございました。
 年を越えましたので去年ということになりますが、2022年の5月末に、私たちのインマヌエル綜合伝道団の厚生局主催による「一歩先の将来を考える研修会」がございました。私たち二人とも後期高齢者になりましたので、それに参加をし、特に家内のことを思います時、これは現実問題どのようにしたらいいのか祈る中に、ほんとうに不思議なようにこのベタ二ヤホームへの道が開きました。まさに雲の柱が動いたと感じたのはこのことでありました。約50年近く、盛岡の開拓から動いたことが無かったことでした。勿論盛岡の皆さん方も突然の事でありまして、非常に驚き戸惑いを持つのは当然のことでありました。しかし会員の方々はひろ子先生の状況はよくよく知って祈っていてくださる皆さん方ですので、それでしたら、先生、行ってくださいというご了解を、好意的に頂戴いたしまして、本当に突然、雲の柱が動き、それに従ってまいりました。
 聖書に、「信仰に由りてアブラハムは召されしとき嗣業として受くべき地に出で往けとの命に遵ひ、その往く所を知らずして出で往けり」(へブル11:8)。文語訳ですとちょっとカッコいいんですけれども。まさに私は、呉という所がどういうところか全く知らないままに、しかし、これは神様が導いてくださったところなのだという確信をもって移らせていただきました。ベタ二ヤホームに引っ越す前にグーグル地図を開いて、さて治療のことを考えねばならない、それがある意味一番大切なことですから調べたところ、国立がんセンター、正式名はもうちょっと長いのですが、大きな病院があることが分かりました。しかも歩いても行ける距離にあることを発見いたしました。ああ、これも神様が導いてくださったなあ。こういうことなんだ。このがんセンターがあるからここに来たんじゃなくて、ここに導かれて、さあて病院はどこに、と思ったときに、この大きな病院が歩いて行けるところにあると分りました。
 呉に引っ越して1週間後、すこし落ち着いた時に、さっそくがんセンターに行きました。担当医の先生が感謝なことに膵臓癌を専門に扱っていてくださるお方でございました。盛岡から引き継いでくださったデータをよくご覧になって、「分かりました」。また「膵臓癌というものがどういう癌であるかはよくご存じでしょうから」ということで、最初は緊張しました。こちらも緊張していましたけれども、先生も緊張して患者に接して下さっていたんですけれども、私たちが牧師だと聞きましたら、オーバーじゃないですけれどのけぞられまして、そして急にフレンドリーに気安くお話しくださるようになりました。つまり、こういう病気を扱っておられる先生は、死と隣り合わせの患者さんをもう日常的に扱わざるを得ないお仕事の中にいらっしゃる。それがこんどは私たちがある意味違った意味で生きるということを専門に扱わせていただく牧師ということですから、ある意味何の気兼ねも要らない。「そうですか。じゃ、こちらでもう一度精密な検査を致しましょう」ということになりました。それから11月の半ばから下旬にかけて詳しい検査をしていただいたところ、不思議なように「見つからないなあ」と仰ってくださったんです。膵臓癌が肝臓の方に転移したということで行った検査結果をよくよく見てくださった先生が、「見つからない。CTでもMRIでも見つからない。がん治療の必要がありません」と仰ってくださったのです。こんなことってあるんでしょうか、ほんとうに信じられないような、でもクリスチャン、皆さん方が祈っていてくださっている、そのことを覚えて、ほんとうに感謝を覚えたことでした。

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 まず私がこのような経緯で、背景でここに導かれている、こうなっているというご紹介とともに、私の今回のことを通して、詩篇の23篇をもう一度しっかりと捕え直してみたい、このように導かれております。
 23篇はもう皆さん方よくご存じの「主は私の羊飼い」で始まる。何とも麗しい、クリスチャンたちならばほんとうにこの23篇は心に慰めと励ましと希望を与えてくれるものであることを、よく知っております。
 私はこの「 主は私の羊飼い」ということばを過去と現在と未来という角度からすこしお話をさせていただこうと思います。

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 過去を見るとき、私は失われていた羊飼いのもとから離れていた者でありました。しかし、よき羊飼いでいらっしゃるお方は、私の東京での学生生活のときに、憐みのゆえに見出してくださって、初めてイエス様のお救いというものを経験し、「ありがとうございます」。イエス様の羊として、主が私の羊飼いとなってくださったことを経験いたしました。これは皆さん方もきっと人生のどこかで、過去においてそのような経験をなさったに違いございません。ある時、主は私の羊飼いになってくださいました。

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 またこれを、現在というところに心を向けてみましょう。どうぞ23篇をご覧ください。2節「主は私を緑の牧場にふさせ、いこいのみぎわに伴われます」。このときに、主がほんとうに一緒にいてくださる幸いを私たちは永遠の日々の中に感じております。
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 また3節のところを見ますと「主は私のたましいを生き返らせ、御名のゆえに私を義の道に導かれます」。これは今私たちが歩んでいるときに、何らかの弱さのゆえに誘惑に負けてしまい誤った方向に行ってしまう。そんなときに魂を生き返らせ、ほらほらそっちじゃないよと言って私を義の道にいつでも導いてくださる。主は私たちが誘惑の中にあるときにも導いてくださるお方です。
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 続いて4節を見ますと、たとえ死の陰の谷を歩むとしても、私は災いをおそれません。あなたがともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。ここに死の陰の谷という非常にそうぞうしただけでも辛い厳しい試練だな、そういうところを    たとえ通ったとしても、主は「あなたと一緒にいる」、このように主は仰られます。
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 そしてまた5節を見ますと、「私の敵をよそにあなたは私の前に食卓を整え頭に香油を注いでくださいます。私の杯はあふれています」。敵が攻め寄せて、まさにそこまで敵がきているその時に平然として神様からの祝福の宴、喜び、交わりの中に身を置いている。
 この2節3節、平安の時、あるいは誘惑の時、あるいは4節、死の陰の谷を歩むというような熾烈な試練の中にあって、あるいは滅ぼそうとする敵が何千人現れてまさにその戦いのさ中にも関わらず、それをよそにあなたは私に豊かな交わりの食卓を整えてくださる。

 私はこのことを、去年実際に経験させていただいたことで証しさせていただきたいと思います。ひろ子先生の摘出手術のときのことです。
 ひろ子先生が手術室に入って、けっこう長い時間がかかった手術でありましたので、その間、さまざまなことを考えました。もう手術が終わっていい頃だなあ、知らせがなかなか来ないなあ。そう思っているときに、我活くれば汝らも活くべければなり、文語訳聖書でですが、このおことばが与えられました。「我活くれば汝らも活くべければなり」。イエス様が生きておられるから、そのいのちにあなたがたも生きるんだ。大きな励ましをいただいたことを覚えております。ほんとうに私にとっては厳しい試練のときでしたけれども、そのことを思います。

 

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さて、去年私たちは5月に、呉のベタ二ヤホームの方に移ることに決まっていました。50年近くにわたる盛岡の最後の大きなご奉仕は夏の東北聖会でした。講師は工藤弘雄先生。教団は違いますけれども塩谷の神学校の校長を長らく務められ、香登というあの岡山のバックストンの流れを汲む教会ですばらしい働きをしておられる工藤弘雄先生ご夫妻が、このコロナの時にも関わらず、インマヌエルの東北教区、夏の聖会においでくださるということになりました。9つの教会の中で、ズームの設備の整っている所であればどこにでも伺います。そういう情報がありました時に、私は、思い切って手を挙げて是非盛岡に来ていただきたいと立候補いたしました。それは私の心にも、盛岡に於ける最後のこの講壇に工藤先生をお迎えして扱っていただきたいという切なる思いもございました。教区の先生方もほんとうにご理解くださいまして、ご夫妻を盛岡教会の講壇にお迎えすることができました。
 その時、実は私たちは牧会を離れて11月には呉の方に移ることになっています。それは家内が膵臓癌ということで、と工藤先生にお話をしました。まだ6月の時点です。そして工藤先生方に7月の最後においでいただきました。
 私は工藤弘雄先生のご息女真史さんとおっしゃるピアニスト、良い証しを立てられていらしたところ、癌で召されたことは知っておりました。2020年1月3日に召されなさった工藤真史さん。癌で愛する者を失くするということを誰よりもよくご存じの工藤先生ご夫妻が、私たちの今の状況をよく受け止めてくださって、「先生、祈りましょう」とお別れの時に切にお祈りくださいました。
 三日間の集会があっという間に終わって、いよいよ盛岡駅にお送りするとき、そのぎりぎりまでひろ子先生はご夫人と、私はご主人の工藤先生と別れを惜しんでおりましたときに、いよいよお別れというときに、工藤先生が、「國光先生、常念岳ってご存じですか」とおっしゃいました。実は私は長野県の松本で育った人間なんです。松本の人間にとって常念岳はとても懐かしい。きれいな山なんです。工藤先生が、もっと正確に言うと「浅間温泉ってご存じですか?」。それを聞いた時にびっくりしてしまいました。私は浅間温泉出身です。「そこから一寸行ったところに真史も一緒に行って見た、きれいな常念岳があるんですよ。先生知ってます?」。どうしても常念岳に登りたくなって、私は盛岡での聖日礼拝が終わってから長野に走り、常念岳に登って帰って来たことがあります。その  お別れの寸前の時なんです。こちらの方では家内とご夫人先生が、もう最後の別れを惜しんでいる。工藤先生が仰いました「先生、大丈夫ですよ。治りますよ。先生は抜けていらっしゃるから」。それは良い意味の信仰が抜けているという意味のほめことばでいらっしゃるんですけれども。そこにひろ子先生がジョークで、「そうなんです、わたし抜けてるんです」。大爆笑になりました。何で私こんなお話しをしたのでしょうか。
Img_20230101_111751  私が国立がんセンターの建物の造りが少しわかるようになってきたとき、地下の1階のところにこんな絵があったんです。私これを見て、驚愕しました。おいおいこれ常念岳じゃないか。なんでここに常念岳が。この病院の地下の通路のところにこんなに大きく掲げてある。びっくりしました。神様はこの病院でひろ子先生の癌を癒して下さり、そして、工藤弘雄先生が「常念岳ご存じですか?」と仰った。「知ってますよ~私の一番好きな山ですもの」。まさかその常念岳の絵ががんセンターの地下通路の廊下に掲示されているとは夢にも思いませんでした。神様は導いてくださいました。

 呉に移ってから、このベタ二ヤホームに、ちょうど12月26日に弘雄先生からお電話が掛かってきたんです。クリスマスの翌日夜。「工藤です。先生有難うございました」という中で私は「先生、家内が全く癒されたんです。」「そうですか。良かったですね~」。電話近くで奥様の「良かったですね~」という声が聞こえました。私はこの時、勇気を出して一度聴いてみたいと思ったことがありました。愛するお嬢さんを乳癌で、そして最後には肺に水がたまって苦しい中を。実は2019年12月26日に真史さんの病室にいてご夫妻は祈った夜でした。このことを聞くのは今しかないと思ってお聞きしました。
「真史さんは天に召されました。家内は癒されました。先生、これをどう折り合いをつけたらいいんでしょう。ほんとうに牧師として嬉しいことともう一つの、愛する者を天に送られた悲しみをとことん知っておられる先生、いったいこれをどう折り合いをつけましょう」と。私が言い終わるや否や工藤先生が仰いました。
「先生、癒されることも恵み、召されることも恵みなんですよ。真史が5年間、胸の水が溜まって、苦しい中、苦しい中証しをして、そして最期のクリスマスの病床を迎えた」「そうです。そうです」奥さんの声も聞こえてくるんです。「そして神様の恵みがここにある」。
 皆さんどうですか。「たとえ死の陰の谷を歩むとしても、私は災いをおそれません。あなたが私と共にいてくださいますから」。そして5節「私の敵をよそにあなたは食卓を整え、頭に香油を注いでくださいます」。

 最大の敵とは何ですか。人間にとっては死でしょう。死というものがそこにいても、まさにハレルヤ真史の手を一緒に握っては最後のクリスマスを守った。よく頑張ったね真史といって。これが奇跡の5年間だった。そして召されたその時、「私の敵をよそにあなたは私の前に食卓を整え、頭に香油を注いでくださった」ということが。主がともにいてくださった。どんな時にも主がご栄光を取ってくださる。あらわしてくださる。最後のこの6節「私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みが、私を追って来るでしょう。私はいつまでも、主の家に住まいます」。

 「私の命の日の限り慈しみと恵みが私を追ってくるでしょう」。この良き牧者に従い続けていくのならば、恵みと慈しみが私を追ってくる。私が常念の絵を見た時に、神様分かりました。工藤先生と一緒に「先生、常念岳知ってますか」。「知ってますよ私が登った山ですよ」。主は私を追いかけてきてくださる。慈しみと誠が私を追って来るでしょう。

 どうかここに「主は私の羊飼い」という、皆さん方もこの良き羊飼いに導かれた2023年を共に歩ませていただこうではありませんか。

 

 

文責:中ぶんな

⏰6時50分更新

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