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221222クラシック倶楽部を聴く  スウェーデン放送合唱団

世界屈指のコーラス、スウェーデン放送合唱団。1925年創立、52年からは合唱の神様とも呼ばれるエリック・エリクソンが音楽監督に就任、飛躍的に成長、世界の合唱ファンを虜に。オーケストラの指揮者としても名高いペーター・ダイクストラが200718年まで音楽監督を担当。その後は音楽監督を置かずに活動している。スウェーデンの音楽を世界に広めたとして2011年にスウェーデン政府より特別名誉賞を授与される。番組紹介よりー
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ダイクストラのコメント
Q
スウェーデン放送合唱団の特色について
聴いてはっきりお分かりいただけるのは、明瞭な音だと思います。音の混ざり方が明瞭なんです。そして音の豊かさを給ったまま、フォルテやフォルティッシモへと力強さを維持できます。この合唱団はわずか32人ですが、大きなオーケストラに引けを取りません。これは声が力強く混ざり方が明瞭だからなんです。
Q詩篇交響曲(4手ピアノ版に関して)
ストラヴィンスキーの詩篇交響曲といえば、管弦楽版でおなじみでしょう。管楽器、低音弦楽器、2台のピアノ、ハープ、そして大人数の合唱です。ピアノ伴奏版で興味深いのは全く別物であり 1930年代にショスタコーヴィチによって編曲されたという事です。当然、ピアノ伴奏という部分が大きく違うのですが、合唱を違った方法で際立たせるという点も特徴です。大編成の器楽群に覆われないため、歌詞が私たちによりよく届きます。だから全く違った聴こえ方をすると思います。もう一つこの版でよいことは、大編成のオーケストラでの演奏ではないため、小規模な合唱で演奏できることです。だからショスタコーヴィチが作ったこのピアノ版のおかげで、より多くの歌い手に歌われるようになり、演奏会で取り上げられる機会も増えたのです。
Q
スヴェジ・ダーヴィッド・サンドストレムに関して
サンドストレムはスウェーデンの合唱の伝統を受け継ぐ最も重要な作曲家の一人です。そして以前。「いつもスウェーデン放送合唱団の音を意識しながら作曲している」と彼から聞きました。この合唱団の音は彼にとって理想的なんです。私は彼を新ロマン派的な作曲家と見ています。彼の曲は和声的であり、同時に歌詞にも非常に忠実です。しかし彼は美しい音楽を作ることを問題とせず、彼自身の心から私たちの心に届く音楽を作るのです。それはとても表現豊かで感動的、超絶技巧的でさえあります。例えば今日演奏する「歌え 主のみ前に新しい歌を」がそうですが、極めて鮮烈で且つ難しい曲です。しかしこの合唱団も、この音楽で超絶技巧を発揮するんです。先ほども触れましたが、彼はこの合唱団の真骨頂をよく知っていました。そのことがこの曲でよくわかりますよ。

曲目
☆「それはの息子であったペルト:作曲  訳:今谷和徳
この曲は2000年にアイスランドの首都レイキャビクが欧州文化首都に選ばれたことお記念して書かれた。イエスから祖先を辿ってアダムそして神までさかのぼりイエスや人間一人ひとりの神からの連なりが示される。
3つの聖歌」シュニトケ:作曲  訳:中田朱美
シュニトケはユダヤ人の父とドイツ系の母の間に旧ソ連内にあるドイツ移民の町で生まれた。この曲は正教会聖歌の様式で作られており、中世アルメニアの僧侶で詩人であるグレゴリー・ナレカツィの詩が使われている。
詩編交響曲」(4手ピアノ版)ストラヴィンスキー:作曲、ショスタコーヴィチ:編曲 訳:今谷和徳
(ピアノ)ヨハン・ウッレン、(ピアノ)マグヌス・ショルド
原曲の管弦楽版はストラヴィンスキーが政治的弾圧に遭い、帰国できなくなった後の1930年に作曲された。その後ショスタコーヴィッチが1937年に4手ピアノ版に編曲。編曲者の死後、楽譜が発見され2017年に初めて出版された。
「モテット「歌え 主のみ前に新しい歌を」」サンドストレム:作曲 訳:樋口隆一
 サンドストレムはこの合唱団に縁が深いスウェーデンの作曲家。2019年に惜しまれつつ亡くなる。この曲はヨハン・グラマン作のコラールの1節を引用したバッハのモテットBWV225の歌詞に基づき作曲された。
乙女は踊りの輪に入る」スウェーデン民謡:作曲、アルヴェ:編曲 訳:濱田吾愛

🎵「それはの息子であった」。「イエスが行動を始められたのは30歳ごろで」に始まり、歌詞の内容はマタイ伝1章のキリストの系図。初めて聖書を読む方が、延々と続く名前の羅列に読みあぐね飛ばしそうな箇所、旧約聖書の知識がない方には退屈極まりないところ、とにかく聖書中の名前が初めて見る字面からすれば退屈極まりないところを、このようにていねいに作曲されて、それも意味深い音でといったらいいだろうか、聴き手に一音聞き漏らすまいとさせてしまう、それが驚き。誰それの息子は誰それで、誰それの息子は誰それでと延々と続き、最後「アダムは神の息子であった」と終わる。ある意味驚異的なほど綿密で緻密だとさえ感じられた。思えばキリストの系図には庶民から王、そして卑しい職業とされていた人々までが入っている。いまだ全部の人物を知ってはいないけれども、これもまた実に意味深いことであると思う。
 「3つの聖歌」、マリアの受胎、讃美。罪びとなる我を赦し給え。主の祈りの内容とからなる。
 「詩編交響曲」。「われは期待しつつ主を待ち望みぬ。主はわれに耳を傾け、わが祈りを聴きたまいぬ」。「その聖所にて主をたたえよ」。「弦や楽器にて主をほめたたえよ」。今回、実はこの曲がいちばんおもしろかった。第二楽章ピアノ伴奏、一音一音がピュアな滴のしたたりのようにも。ストラヴィンスキーがこんな曲を! だけどどこがストラヴィンスキー的? と思ったところで第3楽章。ピアノにそれが顕著に表れ合唱にも。この曲でこれまで抱いていたストラヴィンスキーへの意識に1+。弦や楽器、シンバル、とにかくすべてを用いて主をほめたたえよと歌う。ストラヴィンスキーが弾圧に遭い帰れなくなっているときに、敢えてこの詩篇を選び作曲したところに意味の深さとこの曲の真価が。
 サンドストレムのモテット「歌え 主のみ前に新しい歌を」、解説だけを読むとバッハの亜流かと思ってしまうが某ページには「バッハ作品とは一線を画した独創的なモテット」とある。「われらは主をこどものようにひたすら畏れる」。「主は造られし者の貧しさを知り」。「神はわれらがただ塵にすぎぬことを知られている」。訳は樋口隆一、バッハ研究の大家であるようだ。
 「乙女は踊りの輪に入る」、ユーモラスな曲。この民謡の俗歌が300以上あるとか。訳は濱田吾愛。

🎧名曲アルバム。「ニュー・シネマ・パラダイス」エンニオ・モリコーネ&アンドレア・モリコーネ作曲、栗山和樹編曲。
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舞台はシチリア島パラッツォ・アドリアーノ

⛳14時27分更新

 

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