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2022年12月

2022年も訪問いただきまして有難うございました。

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 30日放送の9年のブランクの後に復帰したブーニン氏、鬼気迫る館野さんのピアノ。きょうの井上さんの第九。辻井さんも出演。思うところさまざま。明日に備えて今夜の視聴はこれぐらいに。


 尽くせなかったところ多くございますが、お付き合いいただいた方々には厚く御礼申し上げます。来年からは気ままな更新となりますが、どうぞ宜しくお願いいたします。

 

⏰22時3分更新


 

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221229クラシック倶楽部を聴く  マリオ・ブルネロ チェロ・リサイタルⅡ

チェリスト、マリオ・ブルネロがチェロとチェロ・ピッコロを使ってバッハの無伴奏チェロ組曲と無伴奏バイオリンパルティータを演奏した公演から第2弾をお届けします 【演奏】マリオ・ブルネロ(チェロ、チェロ・ピッコロ)、【収録】2022年10月28日、紀尾井ホール(東京)
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18世紀のイタリアのチェロの名手たちは皆バイオリンの曲をチェロで弾いていました。チェロ・ピッコロは4弦だけでなく5弦のものもあり、高音の弦「E線」を使って演奏することもできました。バイオリン・ソナタとパルティータを演奏するには新たな視点が必要だったのだと思います。チェロ組曲にも新たな視点が見いだされ今ではバイオリンでチェロ組曲を演奏する者もいます。おもしろいものでチェロの場合は弓を楽器に近づけようとすると、自然に低音弦にに近づきます。高音弦に近づけると不自然ですが、低音弦に近づけると自然です。チェロ奏者は低音部から音楽をリードしていくのです。バイオリンで同じことをすると、自然に一番高い弦に行くので、バイオリン奏者は高音部から音楽をリードします。つまり陰と陽のようなもので、双方の視点が大切なのです。
Qチェロ・ピッコロについて
チェロ・ピッコロには特異な歴史があります。この楽器は18世紀には日常的に使われることがなくなってしまいました。しかしチェロ・ピッコロもそろそろ眠りから覚めて、普通に演奏され始めてもいい時期だと思うのです。当時は本当に人気の楽器だったのですから。バッハは多くのカンタータにもチェロ・ピッコロを登場させています。それからこの楽器は現代音楽にも適しています。この楽器の音は新しい音。新しい作曲家は新しい音を欲していますから。チェロ・ピッコロが未来の楽器であることは確かです。

【曲目】
☆無伴奏チェロ組曲 第6番 BWV1012(バッハ)
バッハの無伴奏チェロ組曲 第6番は高音の「E線」を加えた5弦の楽器のために作曲されたと考えられている。今日では通常の4弦で演奏されることが多く、今回の演奏会でも4弦のチェロが使用された。
☆無伴奏バイオリン・パルティータ 第2番 BWV1004(バッハ)
今回バッハの無伴奏バイオリン・パルティータの演奏に使われたチェロ・ピッコロは1600年代初頭にジロラモ・アマティが製作したチェロ・ピッコロをモデルに2017年に製作された。
4つの舞曲を経て終曲に長大なシャコンヌを持つ無伴奏バイオリン・パルティータ 第2番。257小節に及ぶシャコンヌでは高度な技巧を駆使した変奏が30以上繰り広げられる。

🎵無意識のうちに感動的だった
チョン・キョンファ復活シャコンヌを思い出しながら聴いていた。チェロのシャコンヌ、あの深く宇宙的な空間の広がりに量感、質感が増した感じがし素晴らしかった。
弾かれているチェロ、椅子に立てかけられお休みのチェロ、しかし、弾かれているチェロに共鳴し、ならずにはいられないチェロが弾く者がいなくとも、鳴り始めたような気がした。どちらも生きている。


🎧名曲アルバム。「アオテアロア序曲」リルバーン作曲

「アオテアロア序曲」(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団,(指揮)円光寺雅彦 ~ニュージーランド・ウェリントン、ワンガヌイ~
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ニュージーランド。最高峰はマウントクックで3754メートル。「アオテアロア」は先住民族マリオの言葉で「白い雲のたなびく島」の意味。マリオの人々がこの島につけた名前である。ニュージーランド音楽の父と呼ばれるリルバーンはここで生まれ育った。「アオテアロア序曲」はイギリス留学時代に作曲された。そこには祖国ニュージーランドのきらめく海原が描かれているという。故郷への思いがこめられた若き日の作品である。リルバーンは後半生は首都ウェリントンで暮らす。彼の遺志により家は今も若い音楽家の活動の場となっている。

 

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クラシック倶楽部、名曲アルバムに続く映像が今すばらしい。すでに見た方も。きのうは砂漠に生きるいきものたち。きょうも驚きの連続だったけれど、中でも、え、ホント? と思ったのが写真のファイヤーリリー。火事から4日目には地中から芽吹き花を咲かせる。何でも15年間、球根として地下に眠っていたとか。花が咲いて、周りの植物が火事後3か月して出てくるころには姿を消す。そして次の火事があるまで地中に眠っているのだとか。ほんとうかなあ、本当なんでしょう。乾ききった砂漠に生き延びる植物の生命力は驚異的だったけれども、今回もびっくり、どっきりでした。

8時39分更新

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221228クラシック倶楽部を聴く  マリオ・ブルネロ チェロ・リサイタルI

世界的チェリスト、マリオ・ブルネロがチェロとチェロ・ピッコロの両方を使って、バッハの無伴奏チェロ組曲と無伴奏バイオリンパルティータを演奏したコンサートをご紹介【演奏】マリオ・ブルネロ(チェロ、チェロ・ピッコロ)【収録】2022年10月28日、紀尾井ホール(東京)
1960年イタリア生まれ。1986年チャイコフスキー国際コンクールチェロ部門優勝。
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Qバッハの無伴奏バイオリン・パルティータをチェロで弾く理由

バッハの音楽をチェロで語るように演奏するには、どうすればさらに前進できるのかを考えていました。私は小さなチェロを持っていました。チェロ・ピッコロではなく、ここにある復元楽器程度の大きさのものです。しかしバイオリンの一番細い弦「E線」がなかったので妻のハープから弦を1本借りました。そして無伴奏バイオリン・ソナタの第1番の最初の和音を弾き、その音に完全にのめり込んでしまいました。これこそが私の疑問に答えてくれる楽器なのかもしれないと思ったのです。まずはこれらの作品を猛練習しよい楽器を見つけることから始めました。そしてようやく低音域と高音域の、つまりバッハの無伴奏チェロと無伴奏バイオリンのための全12作品のすばらしい宇宙の明暗を弾けるようになったのです。

チェロ・ピッコロの参考ページはこちら(宗次ホール)
ハープの弦についてはこちら

【曲目】
☆無伴奏バイオリン・パルティータ 第1番 BWV1002(バッハ)から アルマンド、テンポ・ディ・ブーレ、ドゥーブル(バッハ)
バッハは1720年に全6曲から成る「無伴奏バイオリンのためのソナタとパルティータ」を完成。この曲集にはバイオリン独奏のための3つのソナタと3つのパルティータが収められている。今回の演奏会では、無伴奏バイオリン・パルティータの演奏に、バイオリンの1オクターブ下に調弦されたチェロ・ピッコロが使用された。
☆無伴奏チェロ組曲 第4番 BWV1010(バッハ)
全6曲から成る「無伴奏チェロ組曲」は「無伴奏バイオリンのためのソナタとパルティータ」の続編としてまとめられた。
☆無伴奏バイオリン・パルティータ 第3番 BWV1006(バッハ)
明るく華やかなプレリュードと5つの種類の舞曲で構成された作品。

 

🎧名曲アルバム。
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 アームストロング66歳でこの曲を歌う

青々と茂る木々やバラが見える
君と僕のために咲き誇っているみたいだ
そして僕は思う
なんて世界はすばらしいんだと


赤ん坊は泣き
どんどん育っていくよ
多くを学ぶだろう
ぼくが学んだ以上のものを
僕は思う
なんて世界は
なんてすばらしいんだ

 

⛳16時3分更新

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221227クラシック倶楽部を聴く  ペーター・レーゼル(ピアノ)

1945年ドレスデン生まれ。チャイコフスキー国際コンクール入賞。ベルリン・フィルやニューヨークフィルなどと頻繁に共演。ドイツを代表するピアノの巨匠の一人。 1945年ドレスデン生まれ。チャイコフスキー国際コンクール入賞。ベルリン・フィルやニューヨーク・フィルと長年共演を重ねてきたドイツを代表するピアノの巨匠。日本では2008年から4年に渡って開催したベートーベンのピアノ・ソナタ全曲演奏会が高い評価を得た。【演奏】ペーター・レーゼル。【収録】東京・紀尾井ホール(2021年10月13日)
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【曲目】
ソナタ変ホ長調 Hob.XVI:52 (ハイドン)
ピアノ・ソナタ第32番ハ短調作品111(ベートーベン)

                         

「ペーター・レーゼルはドレスデン(旧東ドイツ)生まれだが、ドレスデン音楽大学で学んだあと、モスクワに留学し、モスクワ音楽院に学んでいる。
 2005年にはドレスデン音楽祭で紀尾井シンフォニエッタ東京との共演によりベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲を演奏した。この縁がもととなり20074月に日本では30年振りとなるコンサートを紀尾井ホールで開催した。さらに200810月からはベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲を同ホールにて4年にわたり演奏するプロジェクトが進行中である」とwikipediaにある。
また「ぶらあぼ」には2110月のインタビュー分として「キャリアの初期にはルドルフ・ケンペを深く敬愛しました。一番長く、頻繁に共演したのはマズア。真に世界レベルの実力者と言え、内面の深いところで一致していました。1980年代にはザンデルリンクとの仕事が増え、中でも87年、ロサンゼルス・フィルハーモニックに連れて行っていただき実現した『皇帝』は生涯、忘れられません。高貴なまでに洗練されて輝き、貴族的な解釈と響きに満ちた管弦楽でした」「そろそろ本当に弾きたい作品だけに絞り、より深める道を静かに歩みたい」と語るレーゼル。目下は日本公演と同じく「2020年に重なった2つの節目、ベートーヴェン生誕250年と私自身の75歳祝いにちなみ計画されながら、コロナ禍で延期を余儀なくされたドイツ、スイス、ポルトガル、韓国、中国、日本などでの演奏日程を少しずつ、回復させる作業が続いています」と出ている。
 
今朝、最初の方のコメントは撮り損ねたのだけれども、
二回目のコメント
ペーター・レーゼル2020年、音楽家は予定されていた公演が中止となりました。ベートーベン・イヤーで素晴らしい1年になるはずでした。長い間やりたいと思っていたことが突然できなくなったのは本当に残念です。その一方で「生涯でやりたいことはほとんどやった」と思いました。新しい若い演奏家のことも考えなくてはなりません。期待を込めて未来に注目していきましょう。

🎵ベートーベンの32番、第二楽章で何かしら天に抜けた、閉塞の底にありながらそこにあって視界が開けたという感じがし、終楽章では確信、これはこの曲が未来に脈々と生き続けるという作曲者の確信、自信が、それが静かなしかし確固たる確信と伝わってくる。今の混迷の底に光がさした気がした。

 

🎧名曲アルバム。「ある天使の思い出に」ベルク作曲
バイオリン渡辺玲子、渡邉一正&東京フィル

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ウィンの作曲家アルバン・ベルクが1935年に、愛する少女の死を悼んで書き上げたバイオリン協奏曲。少女の死と時を同じくしてベルクもこの世を去る。ベルクはウィーンの裕福な家庭に生まれた。初めての恋の相手は召使だった。身分の違いから引き離される。しかし彼女が産み落としたのはベルクの娘だった。その後数々の恋愛を重ねたベルクだったが、心の底から満たされることはなかった。自殺未遂、婚姻関係の破綻。ベルクは占いの一つ数秘学にとらわれる。自らの運命を暗示する“23”をバイオリン協奏曲に刻み込む。曲の終盤ではバッハのカンタータを引用。その歌詞が楽譜に書き記された。「もうたくさんです主よ御心にかなうなら私の戒めを解いてください」。
「ある天使の思い出に」は、生前に完成させた最後の曲であり、人生観や死生観が色濃く練り込まれている

⛳15時22分更新
きょうは暖かな光が今も差し込んでいる。

 

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221226クラシック倶楽部を聴く  アルゲリッチ&フレンズ イヴリー・ギトリスへのオマージュ

世界的ピアニスト、マルタ・アルゲリッチが日本の若手バイオリニスト辻彩奈と、これまでに何度も共演歴があり信頼の厚いピアニスト酒井茜と共演したコンサートをお送りする
【収録】202263日 すみだトリフォニーホール 大ホール
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☆バイオリン・ソナタ イ長調(フランク)【演奏】辻彩奈(バイオリン)、マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
☆パガニーニの主題による変奏曲(ルトスワフスキ)【演奏】酒井茜(ピアノ)、マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
ポーランドの作曲家ルトスワフスキ(19131994)が1941年作曲した2台のピアノのための変奏曲。主題にはパガニーニのバイオリン独奏曲「24の奇想曲」から第24番の旋律が用いられている。原曲の華麗さに負けず劣らず前衛的な響きや躍動感あふれるリズムが多彩な表情を生み出している。
☆パガニーニの思い出(ショパン)【演奏】マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
☆愛の悲しみ(クライスラー)【演奏】辻彩奈(バイオリン)、マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
クライスラーはウィーン生まれの名バイオリ二ストで作曲家。1939年からはアメリカに移り、活躍をつづけた。
☆アンコール 4手のためのピアノ・ソナタ K.381から第3楽章(モーツァルト)
1772
年モーツァルトが16歳の年に、姉と連弾するために作曲されたと考えられている。3楽章形式で書かれた朗らかな印象の作品である。

🎵この日10 分遅れの視聴で、コメントがあったかどうか、あったとして拾いかねて。もったいない。イヴリー・ギトリスについては、タワーレコードのページに「イスラエル出身の世界的名ヴァイオリニストで、近年は毎年のように来日し、我が国の聴衆にも親しまれたイヴリー・ギトリス氏が12月24日にパリで亡くなりました。98歳でした。謹んでご冥福をお祈りいたします」と出ている。また.wikipediaには「ギトリスは親日家としても知られるが、2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による東日本大震災にはたいへん心を痛めていた。ギトリスは日本人に向けて次のようにメッセージを届けた。「愛し、敬う誰かが悲劇に遭遇している時、何を語ればよいのだろう? 愛していると伝える? その通り・・。それこそ、私が第2の故郷と考える日本と、日本の皆さんに伝えたいことです。皆さんのことをいつも想っています。私に何かできることがあるなら教えてください。私は最善を尽くしたいと思います。今私に出来ること、それは皆さんにこう伝えること━━『私の心、そしてヴァイオリンはあなたのそばにいます』。もしもそれが皆さんの助けになるのなら、私はすぐにでも日本を訪れるでしょう! 今日本で起こっていることは世界全体への警告であり、私は世界がここから何かを学ぶことを望んでいます。しかし今はなにより、被災者の人々を愛し、その勇気を称賛しながら、より良い日が来るようにと希望を抱き、祈るだけです。」
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ギトリスは98歳まで、そしてアルゲリッチはただいま81歳。私の内ではいまだにその存在感が際立っている。
それにしてもルトスワフスキの変奏曲、異形に驚きはするものの私には前衛的すぎたようだ。





🎧名曲アルバム。ワーグナーの歌劇「ローエングリン」第1幕への前奏曲
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🎵メルヘン王と言われたルートヴィッヒ2世。これはほめ言葉なのか揶揄されたものなのか。ほめ言葉とは思えない。狂王ともいわれたワーグナー“狂い”から残ったこの城の美しさは!

 

⛳真夜中に眼が醒め、もっとも昨夜は8時にはもう眠くて仕方がなかった。早く寝すぎたのだ。いつもなら10時までは起きている。10時就寝5時起床のパターン。ある方は、夜中に目が醒めてしまうので12時までは起きているようにしていると仰っていた。とにかく目が醒めたら起きだして何かをしていた方がましと思っている。それで今このブログ更新を。そんな日もある、こんな日もある。
 もう一つ、クリスマスのこと。イエス様の誕生がどこにも見えない動画、それはほんとうに美しいのだけれども、素晴らしい動画が数多く世界中に飛び交っている。何を祝うのか。そして嬉しそうにサンタクロースからプレゼントを受け取っている子どもたちの姿を見るたびに、それとは無縁な子どもたちがいるという現実に涙が流れて仕方がなかった。

きのうの分を2時47分更新

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きょうのことば「キリスト・イエスの心」ー第四アドベントー

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年1218()の礼拝メッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、ひろ子牧師は、現在、広島県呉市に在住。呉からのズーム配信です。

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説教題 「キリスト・イエスの心」―第四アドベント― 國光勝美牧師
聖書引証 ピリピ人への手紙 2章1~11節 

1 ですから、キリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、
2 あなたがたは同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、思いを一つにして、私の喜びを満たしてください。
3 何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。
4 それぞれ、自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい。
5 キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。
6 キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、
7 ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、
8 自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、
11 すべての口が、「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。

《メッセージ》

 改めて皆さんおはようございます。
 今窓の外を見ますと、明るい日差しが入ってきております。東北にある皆さん方の真冬の状況を知れば知るほど、どうか祝福が盛岡教会に豊かでありますようにという思いを持ちながら、このご用に立たせていただいております。
 「キリスト・イエスの心」。このおことばに導かれたのは、実は自分自身の心の在り方、在り様に弱さを感じることがございました。自分の感情をコントロールすることができない自分の弱さを改めて知らされたのです。具体的にあのこと、このこと、というわけではありませんけれども、少なくとも私の心の中では、これでいいんだろうか。自分自身に?を投げかけたのがきっかけでありました。
ちょうどクリスマスです。イエスさまを格別に深く思う時期に、「汝らキリスト・イエスの心を心とせよ」。私には文語訳の方がぴたりと嵌ります。このことばをふと思い、申し訳なく思ったのです。自分と、それからヨセフあるいはマリアを対比して、クリスマスの恵みを味わってみようと思います。神様がこのことに気づかせてくださった、そのように思いました。
 もっとはっきり言いますと、ヨセフさんを例にとってみましょう。責任感の強いヨセフは、許嫁の妻マリアがいよいよ出産が間近になっている。その時のマリアの不安な心。マリアがロバに乗せられたかどうか分かりませんけれども、そのような旅の辛さ。できるだけ速く進みたいのに思うにまかせない。お産までにもうすこし間があるなら、もうすこしはましな宿屋の手配ができるだろうに。しかしもうどうしてもここで泊まらなくちゃいけない。休ませなくちゃ。思うようにならないヨセフの思い。ベツレヘムに着いた時にはもうすっかり暮れてしまった。あっちの宿に行って断られ、こっちに行っても断られる。身重の妻がいると事情を話してもダメ。クリスマスの劇ですと、人のいいヨセフさんがそれでもあちこち宿を回って歩く。そして、よくあるヨセフとマリアとイエス様の光に包まれた誕生の場面がすぐ思い浮かぶのですけれども、実際にはどうだったのか。
 私はヨセフさんの気持ちを察するに、そんなにニコニコなんかしてられない。自分の妻をこんなところで出産させなければならない自分自身に対する苛立ち、不甲斐なさ。そして宿屋の人たちの思いやりのなさ。ヨセフの心はどんなに傷つき、それだけではなくイライラしてしまう。クリスマスの誕生劇を理想的に思いがちですけれども、現実問題うまくいかないことがある。あっちに行ってもこっちに行っても、この問題も、あの問題も。そういう時に、私たちは感情を持ってる人間なのです。生誕劇の劇中人物じゃないんです。その時の自分の感情を、また今ヨセフの事だけを言いましたけれども、マリアのことも考えてみてください。ヨセフさんを信頼していたけれども、こんなことになってしまってと愚痴の一つも言わなかったんだろうか。どうしてもっといいところが見つからないの、そんな思いがなかっただろうか。マイナス感情ばかり言ってしまうと申し訳なく思うのですけれども、私は、ヨセフも人の子、マリアもいわんや初めての出産の時でしょう。誰も手伝ってくれる人なんかいないのです。どんなに心細かったかなどなど、それを思うと、あの生誕劇で見る麗しい場面ではない、現実の生活の中に生きている私たちはこの感情をいかにコントロールするかということ。これは大きい問題だろうなあと。自分自身が通った、ほんの小さなできごとではありましたが、それを通ったとき、「キリスト・イエスの心を心とする」ということを、もう一度しっかりこのクリスマスの時に心に銘記したい、そのように導かれたのでございます。

 

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ピリピ2章5節には
「キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい」
とございます。ピリピ2章6~11節は、偉大な聖徒たちがここに注目して説教をしている聖書の中でも非常に有名な箇所です。
 笹尾鉄三郎という人物、これは中田監督とコンビを組んで良き働きをした、ほんとうに素晴らしい代表的な聖徒といっていいでしょう。聖徒というに相応しい人物の名前を挙げるならば、笹尾鉄三郎。少なくとも私は蔦田二雄先生が、「私は笹尾鉄三郎さんにほんとうに会ってみたかった。彼はほんとうに聖徒と言われる人だった」と授業で聴いたことを思い出すのです。
この笹尾鉄三郎さんが、このところを説教している部分があると聞いておりました。私は盛岡にいたとき、あることがきっかけで、笹尾鉄三郎全集をもらったことがあります。なかなか読む時間を持てずにおりました。それでも取っておきたいと思いまして、本をばらしてパソコンに取り込んでおきました。スキャンしてデータ化する自炊です。まず蔦田二雄全集も取り込み、その後、笹尾鉄三郎全集を取り込んでおきました。
 笹尾鉄三郎さんがこのピリピの2章をどのように扱い説教しているかを見たところ、「七つのへりくだり」、それから七つの上に揚げられるという意味、高められるという意味の高揚、「七つの高揚」でした。多くの方々が、この先生の影響を受けているのです。バークレー・バックストン先生はどうかを見ますと、やはりバックストン先生も笹尾鉄三郎先生もこの7つのポイントをしっかりと押さえている。

 

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①キリストは、神の御姿であられるのに、神としての在り方を捨てられないとは考えず、
これが天から降ってこられたイエス様、つまりクリスマスのまさにこのときのイエス様の謙遜、謙卑ということばを私たちは使いますけれども、イエス様の謙卑。神ご自身であられるのに、創造者であられるのに、そのお方が、その立場をかなぐり捨てるという、人の罪からの救いは、ここから始まったのです。そして
②ご自分を空しくして、
神様の属性、神の神たる属性、全能全地、偏在、あらゆる神様のもっておられる属性というものをイエス様はぜんぶかなぐり捨てた。そしてイエス様はそれだけではなく、
③しもべの姿をとり、
④人間と同じようになられました。
⑤人としての姿をもってあらわれ、
⑥自らを低くして、死にまで、
⑦それも十字架の死にまで従われました。

 神様が人となられるときに、大帝国の王子として生まれるならば、それはすこしでもバランスがとれるかと思うのですけれども、そうではない。仕える者の姿をイエス様はお取りになった。そして、同じ人間になられました。
 ホーリネスで小林先生とおっしゃる神学院の院長をしておられた先生も、やはりバックストン先生、笹尾先生のこのところを引用しておられ、「人間と同じようになられた」、これをポイントとして語っておられました。そして小林先生はこんなことを仰っていました。「皆さん、皆さんがもし、夜眠って翌朝目覚めた時に、自分が豚のようになっていたらどう思いますか」。豚とは!そういう例話は自分にはできなかったなあと思いましたが。神様が人となった。神様から見たのならば、ほんとうに豚のような、その姿になった。人間と同じようになった。被造物になった。
 地域で、春、秋に清掃があります。教会の前の下水道の蓋をあげて、泥をすくって掃除をしました。ふだん開けない下水道のふたを開けてみますと、そこに見たくもないような虫が、私がぞっとするようなミミズのようなのがのたうちまわるんです。神様が人となられる、それはこういうことなのかとも思いました。極限までの遜り。このイエス様が被造物として人の姿をもって、そして死に至るまで、それも十字架の死にまで従われた。これがイエス様のお姿です。クリスマスの時に人として生まれてくださった、これがクリスマスの心なんだよ。説教の準備をしながら、私はそう思いました。

 

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 そして笹尾先生もバックストン先生も、小林先生も、七つの謙卑があったとき、七つの高揚、つまり高められていくという神様のステップがあることを語っています。

①それゆえ神は、この方を高く上げて
②すべての名にまさる名を与えられました。
③それは、イエスの名によって、天にあるもの、
④地にあるもの、
⑤地の下にあるもののすべてが
⑥すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、
⑦父なる神に栄光を帰するためです。


 みなさん、どうかもう一度、「汝らキリスト・イエスの心を心とせよ」、このおことばに心を向けましょう。私も語らせていただきながら、もう一度皆さんとご一緒に天から降られたこのイエス様の心を心としたいと切に願ったことです。

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 そしてこの時、私にはもう一人の尊敬する器の言葉があります。
工藤弘雄先生です。工藤先生はこのところを説き明かして、「キリストの心臓を私たちの心臓として移植せよと命じているようなみことばの迫りを覚えます」。こう説教しておられます。「いいですか、あなたの心臓をキリストの心臓に移植してもらいなさい。あなたの心臓じゃだめだ。キリストの心臓を移植してもらうんです。そのように神様は迫っておられるんですよ」。
 私は「汝らキリスト・イエスの心を心とせよ。アーメン」と思ってはいましたけれども「あなたの心臓じゃダメなんだ。キリストの心臓を移植してもらいなさい」とパウロは命じている。そうか、そうなんだ。まねをしてできるようなことじゃない。そしてそのキリストの心臓を私たちに移植してくださるお方は、聖霊なる神様です。私たちの心臓をキリスト・イエスの心をほんとうに自らのそれにできるように悔い改め祈り求めるとき、聖霊なる神様はそれをして下さる。イエス様は、そのことのためにこの地上に来てくださいました。このクリスマスの恵みをアーメン、主よわたしのためにあなたは降って来てくださいました。自らを捨てて空けわたすとき、ご聖霊様が、そうだよ、よく空けわたしてくれたね。名医中の名医であられる聖霊さまは、キリスト・イエスの心を私たちに与えて下さいます。

 ピリピの2章のところ、1節から3節4節のところを見ると、ああこうありたいな、ほんとうにそうありたいと思います。私たちのあるべき姿がそこにあります。私が一番初めに申し上げました感情の部分、それが解決された姿がそこにあります。今、イエス様の心臓をいただいた者として、この部分こそまさに成長していく部分だと思うのです。
 すぐに素直に砕かれることです。主よあなたのご栄光をあらわすことができないこんな者ですとすぐに砕かれることです。そしてもう一度主を見上げて、決して失望しない。だって私の心臓にはあのイエス様の心臓が入ってるんだもの。どうして失望しなくちゃいけないの。聖霊様によって、このイエス様の心を移植していただいた者として「われすでに得たり、すでに全うせられたりと言うにあらず。これを得んがために」生涯この地上にある限り成長し続けていく、このことのためにイエス様がおいでくださったクリスマスです。この意味を、もう一度皆さんとともに、この朝、確認をしたいと思います。聖霊によって移植していただく者とし、いただいた者としてお読みし、メッセージを締めくくりたいと思います。
それでは最後にご一緒に文語訳でこのおことばをお読みいたしましょう。


汝らキリスト・イエスの心を心とせよ。

 

※データはズーム時に録りました。文責:中ぶんな
⏰6時22分更新


 

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221223クラシック倶楽部を聴く  ラトビア放送合唱団 演奏会

リッカルド・ムーティをはじめ世界的指揮者からも全幅の信頼を得ているラトビア放送合唱団の演奏会から、ブルックナーの宗教作品や、ラトビアの作曲家の作品をお届けします

【演奏】ラトビア放送合唱団(合唱)、シグヴァルズ・クラーヴァ(指揮、1992年から就任)、【収録】2022年10月16日、武蔵野市民文化会館大ホール(東京都) 

ラトビア放送合唱団は1940年にラトビアの指揮者テオドルス・カルニンシュが創設した室内合唱団。古典から現代作品までレパートリーは幅広い。リッカルド・ムーティ―やハインツ・ホリガ―ほか世界的な指揮者とも数多く共演。

シグヴァルズ・クラーヴァのコメント
Qラトビア放送合唱団について

この合唱団はソリストの集団で結成されているのではなく、団員のほとんどは合唱団の指揮者と教師たちです。私たちは歌うことは勿論ですが、それよりもまずたくさんの音楽を聴いて来ました。それぞれが蓄積してきた音楽性が合唱団の一人ひとりに備わっています。ときには歌い手たち自身が、音楽をいかに作り上げるか指揮者を導きます。指揮者はよりよい方向を示すにすぎません。それぞれの歌い手の才能と探求心こそがこの合唱団が評価されている理由そのものです。

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【曲目】
☆天においては神に栄えあれ(ウィールクス)
20023
年に没後400年を迎えるイギリスの作曲家ウィールクスはマドリガルや教会音楽の優美な声楽作品で名高い。
☆アヴェ・ヴェルム・コルプス(バード作曲)
☆ここはドイツの空ではない(マーラー/ペソン編) 対訳・寺倉正太郎
フランスの作曲家ペソンがマーラーの交響曲第5番の第4楽章を混声合唱に編曲した作品。
☆正しき者の唇は知恵を語る(ブルックナー) 対訳 多田茂史
交響曲の作曲家として知られるブルックナーは敬虔なカトリック信徒であり、合唱の分野においてこのモテット集数を含む数多くの宗教作品を残した。
☆この場所は神が作りたまう(ブルックナー)
☆アヴェ・マリア(ブルックナー)
☆エサイの枝は芽を出し(ブルックナー)
☆シジュウカラの伝言(ヴァスクス) 対訳 黒沢歩
1981年に発表されたこの曲は、自然にあふれる母国ラトビアを讃えている。
☆アンコール 
ウクライナの祈り(シルヴェストロフ) 対訳 黒沢歩

 

🎧何といっても最も心に沁みた「ウクライナの祈り」。こもる悲しみと祈り。この戦争の実態からすこし視線を、意識を逸らさなければ、理性を呼び起こし冷静であることに努めなければ、滂沱の涙に押し流され、とても歌うことなどできないのではないかと。ウクライナの惨状が累々と眼前に迫った。そしてロシア、抗うことのできない鉄のような力に拘束され戦場に駆り出されていく兵士たちの恐怖、無念さ、諦念、祖国愛の先に待つ熾烈な戦いの虚しさ。この一曲に前の数曲が一瞬かき消えた感じも。
 それにしてもこの合唱団の確かな響き、スウェーデン放送合唱団もそうだったけれども、小さく小さく消えてゆきそうになる微かな声も、確かに合唱の力が機能し、もう消えたかと耳を澄ませると、声が消えゆきそうな瞬間とほんとうに消えてしまった瞬間の狭間さえも音楽性が明瞭であることに驚く。
 「ここはドイツの空ではない」ならば、どこの空か、これがどうもベネチア。マーラー、ペソンもベネチアの圧倒的な建造物、芸術品に心揺さぶられた多くの芸術家たちの一人。

ウクライナの祈り


主よウクライナを守りたまえ
強さと信念と希望を我らに授けたまえ
我らが父よ
強さと信念と希望を我らに授けたまえ
主よウクライナを守りたまえ

 

 

🎧名曲アルバム。「思い出のサンフランシスコ」コリー作曲、栗山和樹・編曲
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トロンボーン中川英二郎、梅田俊明&東京フィル
街の発展の源は金。1848年からゴールドラッシュ。街の近郊には今も多くの金鉱の跡が残る。金への夢に始まったこの街は海を挟んで広がる東洋とアメリカ文化が出会う街であったという。

⛳11時58分更新 今朝から雪が間断なく降り続いている。

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221222クラシック倶楽部を聴く  スウェーデン放送合唱団

世界屈指のコーラス、スウェーデン放送合唱団。1925年創立、52年からは合唱の神様とも呼ばれるエリック・エリクソンが音楽監督に就任、飛躍的に成長、世界の合唱ファンを虜に。オーケストラの指揮者としても名高いペーター・ダイクストラが200718年まで音楽監督を担当。その後は音楽監督を置かずに活動している。スウェーデンの音楽を世界に広めたとして2011年にスウェーデン政府より特別名誉賞を授与される。番組紹介よりー
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ダイクストラのコメント
Q
スウェーデン放送合唱団の特色について
聴いてはっきりお分かりいただけるのは、明瞭な音だと思います。音の混ざり方が明瞭なんです。そして音の豊かさを給ったまま、フォルテやフォルティッシモへと力強さを維持できます。この合唱団はわずか32人ですが、大きなオーケストラに引けを取りません。これは声が力強く混ざり方が明瞭だからなんです。
Q詩篇交響曲(4手ピアノ版に関して)
ストラヴィンスキーの詩篇交響曲といえば、管弦楽版でおなじみでしょう。管楽器、低音弦楽器、2台のピアノ、ハープ、そして大人数の合唱です。ピアノ伴奏版で興味深いのは全く別物であり 1930年代にショスタコーヴィチによって編曲されたという事です。当然、ピアノ伴奏という部分が大きく違うのですが、合唱を違った方法で際立たせるという点も特徴です。大編成の器楽群に覆われないため、歌詞が私たちによりよく届きます。だから全く違った聴こえ方をすると思います。もう一つこの版でよいことは、大編成のオーケストラでの演奏ではないため、小規模な合唱で演奏できることです。だからショスタコーヴィチが作ったこのピアノ版のおかげで、より多くの歌い手に歌われるようになり、演奏会で取り上げられる機会も増えたのです。
Q
スヴェジ・ダーヴィッド・サンドストレムに関して
サンドストレムはスウェーデンの合唱の伝統を受け継ぐ最も重要な作曲家の一人です。そして以前。「いつもスウェーデン放送合唱団の音を意識しながら作曲している」と彼から聞きました。この合唱団の音は彼にとって理想的なんです。私は彼を新ロマン派的な作曲家と見ています。彼の曲は和声的であり、同時に歌詞にも非常に忠実です。しかし彼は美しい音楽を作ることを問題とせず、彼自身の心から私たちの心に届く音楽を作るのです。それはとても表現豊かで感動的、超絶技巧的でさえあります。例えば今日演奏する「歌え 主のみ前に新しい歌を」がそうですが、極めて鮮烈で且つ難しい曲です。しかしこの合唱団も、この音楽で超絶技巧を発揮するんです。先ほども触れましたが、彼はこの合唱団の真骨頂をよく知っていました。そのことがこの曲でよくわかりますよ。

曲目
☆「それはの息子であったペルト:作曲  訳:今谷和徳
この曲は2000年にアイスランドの首都レイキャビクが欧州文化首都に選ばれたことお記念して書かれた。イエスから祖先を辿ってアダムそして神までさかのぼりイエスや人間一人ひとりの神からの連なりが示される。
3つの聖歌」シュニトケ:作曲  訳:中田朱美
シュニトケはユダヤ人の父とドイツ系の母の間に旧ソ連内にあるドイツ移民の町で生まれた。この曲は正教会聖歌の様式で作られており、中世アルメニアの僧侶で詩人であるグレゴリー・ナレカツィの詩が使われている。
詩編交響曲」(4手ピアノ版)ストラヴィンスキー:作曲、ショスタコーヴィチ:編曲 訳:今谷和徳
(ピアノ)ヨハン・ウッレン、(ピアノ)マグヌス・ショルド
原曲の管弦楽版はストラヴィンスキーが政治的弾圧に遭い、帰国できなくなった後の1930年に作曲された。その後ショスタコーヴィッチが1937年に4手ピアノ版に編曲。編曲者の死後、楽譜が発見され2017年に初めて出版された。
「モテット「歌え 主のみ前に新しい歌を」」サンドストレム:作曲 訳:樋口隆一
 サンドストレムはこの合唱団に縁が深いスウェーデンの作曲家。2019年に惜しまれつつ亡くなる。この曲はヨハン・グラマン作のコラールの1節を引用したバッハのモテットBWV225の歌詞に基づき作曲された。
乙女は踊りの輪に入る」スウェーデン民謡:作曲、アルヴェ:編曲 訳:濱田吾愛

🎵「それはの息子であった」。「イエスが行動を始められたのは30歳ごろで」に始まり、歌詞の内容はマタイ伝1章のキリストの系図。初めて聖書を読む方が、延々と続く名前の羅列に読みあぐね飛ばしそうな箇所、旧約聖書の知識がない方には退屈極まりないところ、とにかく聖書中の名前が初めて見る字面からすれば退屈極まりないところを、このようにていねいに作曲されて、それも意味深い音でといったらいいだろうか、聴き手に一音聞き漏らすまいとさせてしまう、それが驚き。誰それの息子は誰それで、誰それの息子は誰それでと延々と続き、最後「アダムは神の息子であった」と終わる。ある意味驚異的なほど綿密で緻密だとさえ感じられた。思えばキリストの系図には庶民から王、そして卑しい職業とされていた人々までが入っている。いまだ全部の人物を知ってはいないけれども、これもまた実に意味深いことであると思う。
 「3つの聖歌」、マリアの受胎、讃美。罪びとなる我を赦し給え。主の祈りの内容とからなる。
 「詩編交響曲」。「われは期待しつつ主を待ち望みぬ。主はわれに耳を傾け、わが祈りを聴きたまいぬ」。「その聖所にて主をたたえよ」。「弦や楽器にて主をほめたたえよ」。今回、実はこの曲がいちばんおもしろかった。第二楽章ピアノ伴奏、一音一音がピュアな滴のしたたりのようにも。ストラヴィンスキーがこんな曲を! だけどどこがストラヴィンスキー的? と思ったところで第3楽章。ピアノにそれが顕著に表れ合唱にも。この曲でこれまで抱いていたストラヴィンスキーへの意識に1+。弦や楽器、シンバル、とにかくすべてを用いて主をほめたたえよと歌う。ストラヴィンスキーが弾圧に遭い帰れなくなっているときに、敢えてこの詩篇を選び作曲したところに意味の深さとこの曲の真価が。
 サンドストレムのモテット「歌え 主のみ前に新しい歌を」、解説だけを読むとバッハの亜流かと思ってしまうが某ページには「バッハ作品とは一線を画した独創的なモテット」とある。「われらは主をこどものようにひたすら畏れる」。「主は造られし者の貧しさを知り」。「神はわれらがただ塵にすぎぬことを知られている」。訳は樋口隆一、バッハ研究の大家であるようだ。
 「乙女は踊りの輪に入る」、ユーモラスな曲。この民謡の俗歌が300以上あるとか。訳は濱田吾愛。

🎧名曲アルバム。「ニュー・シネマ・パラダイス」エンニオ・モリコーネ&アンドレア・モリコーネ作曲、栗山和樹編曲。
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舞台はシチリア島パラッツォ・アドリアーノ

⛳14時27分更新

 

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221221クラシック倶楽部を聴く トン・コープマン オルガン・リサイタル

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コープマンのコメント
 ブクステフーデの自由な音楽性が大好きです。彼は即興が好きで、自由な鍵盤奏法の最高の演奏家でした。彼は「劇場はいらない」といい、教会を劇場ととらえ演奏を行ったのです。ブクステフーデの多様な面を見せるために、まず変化に富んだ「前奏曲」を選びました。次の「わが愛する神に」は、珍しい変奏曲で、それぞれの曲が舞曲で始まります。アルマンドで始まり、サラバンド、クラント、ジーグ。当時としては新しい試みです。3曲目は華やかで楽しい「フーガハ長調」です。このような幅広い作品を残したブクステフーデにすっかり魅せられています。
 バッハが一番優れた音楽家と考える理由は、感情と理性のバランスがとれていることです。彼はすべて譜面に表すことができ、同時に和音一つで聴き手を感動させることもできました。その音楽があまりに強く感情に訴えるため、涙することもあるでしょう。音楽史の中でもバッハのような人は他にいません。ミケランジェロやダ・ビンチと並ぶ最高の芸術家です。

曲目
 ☆「フーガ ト短調 BWV578」バッハ:作曲

☆「前奏曲 二長調 BuxWV139」ブクステフーデ:作曲
☆「わが愛する神に BuxWV179」ブクステフーデ:作曲
☆「フーガ ハ長調 BuxWV174」ブクステフーデ:作曲
☆「前奏曲 変ホ長調 BWV552」バッハ:作曲
 合奏が「神」、軽快なリズムの主題が「イエス」、下降音階に始まる部分が「聖霊」を示すとされる。
☆「「オルガン小曲集」から“おお人よ 汝の罪の大いなるを嘆け”BWV622」バッハ:作曲
☆「「クラヴィーア練習曲集第3部」から “永遠の父なる神よ”BWV669」バッハ:作曲
☆「「クラヴィーア練習曲集第3部」から “世の人すべての慰めなるキリスト” BWV670」バッハ:作曲
☆「「クラヴィーア練習曲集第3部」から “聖霊なる神よ”BWV671」バッハ:作曲
☆「フーガ 変ホ長調 BWV552」バッハ:作曲
☆アンコール 「オルガン小曲集」から “主イエス・キリスト われ汝を呼ぶ” BWV639」バッハ:作曲
☆アンコール 「ソナタ ト長調」スカルラッティ:作曲
☆アンコール 「ヴォランタリー」から」スタンリー:作曲

 

🎵ブクステフーデの研究者でもあるコープマン。軽々とパイプオルガンに着席。この軽々が今回見ていて、ブクステフーデ、最初の曲はバッハだったが、彼の中ではブクステフーデ感覚が運動系に伝わっていたように思う。事実バッハの「フーガ ト短調 BWV578」はまるでブクステフーデが舞い降りたかと思うほど。もう光あふれる宙、神の恩寵の只中に、あらゆるものが喜びに活き活きと戯れあそび飛び交う感じなのだ。コープマンの神の光、恩寵への向日性だ。続く3曲のブクステフーデ。コープマン解説による自由な音楽性、自由な鍵盤奏法ともいっていたが、バッハにある重厚さ、荘重さ、厳かさとはまた微妙にというより明らかに一味違う自由。ブクステフーデにもバッハに似たそれもあるはあるのだけれども作曲、培養土壌の違いといったらいいのか、ブクステフーデの曲のはじめにはたしか舞曲が出てくるとコープマンがいっていたが、ブクステフーデのうちに作曲以前にしっかりと入っている民族的なリズムがそう感じさせるのではないかと思った。彼に劇場は必要なく、教会が彼の劇場であったようだ。
 

🎧名曲アルバム。ペールギュントから「ハリング舞曲」グリーグ作曲
ノルウェー西部ハルダンゲル地方。

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⛳18時2分更新

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221220クラシック倶楽部を聴く 廣江理枝 オルガンで奏でる「展覧会の絵」

ムソルグスキーの傑作「展覧会の絵」のオルガン版をお送りする。演奏は東京藝術大学教授の廣江理枝。両手足を駆使した超絶技巧、荘厳な音色で描かれる音の絵画【曲目】
パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582(バッハ)
組曲「展覧会の絵」(ムソルグスキー/ギユー) 
【演奏】廣枝理枝(オルガン) 
【収録】20221019日 愛知県芸術劇場コンサートホール 
【出演者プロフィール】
廣江理枝(ひろえ・りえ)・・・東京藝術大学教授。フランスのシャルトル国際オルガンコンクールでアジア人として初優勝するなど数多くの受賞歴を持ち、国際的に活躍する実力派。
 「展覧会の絵」の編曲を手掛けたジャン・ギュー(19302019)は世界的なオルガニストで作曲家としても活躍。オルガンの鬼才と呼ばれたギューらしいさまざまな技法を駆使した創意あふれる編曲となっている。「展覧会の絵」の原曲はムソルグスキーが書いたピアノ曲。ラヴェルの管弦楽版など数多くの編曲版がある。
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廣江理枝のコメント
Qオルガニストにとっての「バッハ」

バッハってたくさんの曲を残していますし、いろいろな楽器の方がバッハを演奏されるんですけれども、でもバッハばかりを弾いている楽器奏者の方って、あんまり他にいないかなと思います。一方そのオルガニストというのは、人生の大半以上をバッハに捧げているような、つまりレパートリーの大半がバッハを占めているという楽器ですね。なので人生の半分以上バッハと一緒に歩んでいる感じです。
Q
バッハの「パッサカリア」
バッハはいろんな作品をオルガン作品でも書いているんですけれども、パッサカリア(バロック時代に発達した変奏曲の形式)は唯一、一曲しか書いていなくて、バッハのわりと若い頃の作品だというふうに言われているんです。おそらく20代前半に書かれていて、それを生涯持ち歩いてちょこちょこ手直しして、マイナーチェンジをしていった、もうすごく大切にしていた曲らしいんです。20代で書いたということがありありと分かるような情熱、それからバッハは対位法の大家と言われますけれども、構築性ですね、そういったものが一緒に兼ね備わっているという作品ですね。非常に魅力的です。
Q
鬼才が編曲 「展覧会の絵」
編曲のこのジャン・キューという人が先ずその数年前に亡くなってしまったんですけど、オルガンの鬼才と呼ばれることが多い方でした。作曲もいっぱいされていて、オルガン作品をたくさん残している。一見派手、技術的にビルトオーゾで技巧的で、その彼が手掛けた編曲ということで、キューらしさがすごく生かされている作品じゃないかなと思います。非常にオルガにスティックというんでしょうか、オルガンでできることを極限まで突き詰めたような、そういうところがある編曲であることは確かですね。

🎵展覧会場の絵画を次つぎに、というよりは街からは遠く隔たる今は人知られぬ中世のほの暗い城の中に回遊している気分になった。幽鬼が雄たけびをあげる騒擾、鋭利な響きが異世界に一瞬足を踏み外したかに意表を衝く。唯一採光を取り入れる、これはあたかも古い城廻りをほっとさせるかに開いている窓、そこにさまざまな繊細で美しい光彩が絵画のごとくに響いてくる。枠組みはムソルグスキーでも、そこを満たす内容は鬼才キューの次元の世界。久しぶりにおもしろいものを聴いたというまだ咀嚼しきれない余韻に満足。


🎧名曲アルバム。「バイオリン協奏曲」シベリウス作曲

(バイオリン)加藤知子,(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団,(指揮)現田茂夫 ~フィンランド・ヤルヴェンパー、ヘルシンキ~

Img_20221220_055855 ヘルシンキ郊外に広がるヤルヴェンパーの森。シベリウスは、91歳で世を去るまでの半世紀以上をこの地で過ごす。終の棲家となった山荘〝アイノラ〟は今も静かにたたずんでいる。妻アイノの名からつけられたこの山荘での暮らしは、シベリウスの芸術に大きな影響を与えた。
1900
年にヘルシンキで活躍していたシベリウスを聴覚の異常が襲う。酒におぼれ、社交に明け暮れる日々。シベリウスは創作の意欲を失い堕落の底へと落ちていった。逆境の中、バイオリン協奏曲が誕生する。しかし初演は失敗に終わる。妻アイノはシベリウスと共に山荘で暮らすことを決意する。光と緑に包まれた森の生活。シベリウスは創作意欲を取り戻していった。自ら演奏を禁じていたバイオリン協奏曲に再び向き合う。改訂稿で臨んだ再演は大成功をおさめシベリウスは自信を回復する。北欧を代表する作曲家として世界的な名声を確立したシベリウスは終生〝アイノラ〟を離れることはなかった。

 

⛳14時46分更新

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221219クラシック倶楽部を聴く 小糸 恵 バッハ・オルガン作品演奏会

ヨーロッパでバッハの第一人者として高く評価されているオルガン奏者、小糸恵の7年ぶりの帰国公演。2020222日いずみホール(大阪市)での収録。ー番組紹介よりー
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 小糸恵のコメント
ヨーロッパに渡ったのは25歳ぐらいの頃でした。それでいてたぶん最初にすこしコンセルバトワールで勉強してから日本に帰ろうと思ったんですが、いろいろオルガンを調べているうちに、やっぱり残って、もっと探さなきゃだめだと思いまして、で、歴史的なオルガンをやる場合は、イイタリアとかフランスとかスペインとかオランダとか、特に北ドイツ、南ドイツもそうですけども、バッハの音楽の完全には必要だし、そのためにあちこち旅行して、その場の方に教えて頂いて、オルガン製作者の人と一緒に旅行したり研究したり致しました。でもオルガン音楽をやる場合は、オルガンだけやっていたらだめだと思って、バハの例えばその時作ったどういう他の音楽を作っていたかというようなことですね。特にオーケストラとか合唱とかいろんなもの、そういう作品も勉強しなきゃいけないし、それで今はバッハの他の楽器の勉強もし始めて、私は他のピアノとかチェロとか昔から弾いてたんですけれども、今はちょうどオボエ・ダモーレとヴィオラダ・ガンバの勉強をしておりまして、彼がどのような作り方をしたか、それを今学んでるところで、たぶんそれがオルガンのいろんな奏法に影響できるようになればと思っております。

 

演奏曲目 オールバッハ 
前奏曲とフーガハ長調BWV545
ライプツィヒで45歳のとき最終稿を書いたが25歳で書かれた作品
「心よりわれは求めん」BWV727  1
ハンス・レオ・ハスラーの「わが心は千々に」から。マタイ受難曲にも現れる旋律
前奏曲とフーガ ト短調 BWV535
アルンシュタットでのオルガニスト時代に20歳で書かれた。ブクステフーデがよく用いた同音反復の形式が用いられている。
おお人よ、お前の罪に泣け」BWV622
バッハより200年前の1525年頃のコラールをもとに書かれている
前奏曲ハ短調 BWV546/1
トマス教会時代、45歳で作曲
ヴァイオリン・ソナタ第3BWV1016より 第1楽章 (小糸恵編曲)
30歳代半ば1720ごろの作曲
バビロンの流れのほとりに」BWV653
罪のゆえの追放とその快復
トッカータとフーガ ニ短調 BWV538(「ドリア調」)
ワイマール時代2732歳で作曲。カッセル・マルティン教会時代か。
バッハ自身がこの曲に愛着をもっていたようだ
アンコール:カンタータ第106番「神の時」からソナチネ

 

以下は小糸の演奏会紹介記録より転載
バッハ・アルヒーフ・ライプツィヒといずみホールが共同企画で開催した「バッハ・オルガン作品連続演奏会」(20072012年)と「バッハ・オルガン作品全曲演奏会」(20122019年)では、合計22名のオルガニストたちが出演。彼らはバッハ演奏のスペシャリストばかりで、毎回個性が光るステージで高い評価を獲得しました。
お客様に22名のオルガニストの中から「再登場を希望するオルガニスト」についてのアンケートを実施。アンケートで最も多くの方が再演を希望したのが、今回の出演者の小糸恵でした。
小糸恵は、20133月にバッハ・オルガン作品全曲演奏会Vol.2「鼓舞される心」公演で初めていずみホールに登場し、卓越した音色作りとダイナミックな表現力で感動的なバッハの音楽を届けました。その時から交友が続いていた故礒山雅芸術監督の突然の死を悼み、命日である222日にいずみホールのオルガンを奏でます。彼女の強い希望で、バッハ研究に尽くした故人へ贈るオールバッハ・プログラムを披露します。

 

世界有数のコンサート・オルガニストであり、特にバッハ演奏のスペシャリストである。
東京藝術大学を経て渡欧し、現代曲初演を含むオルガン音楽の全てのレパートリーとする演奏家として活動。1985年以降、古典作品をレパートリーの柱とし、歴史的資料の研究に基づいた、楽器の選択および演奏法を、独自に展開している。
バッハ作品の優れた演奏者のひとりとして、ヨーロッパ、ロシア、日本、アメリカでコンサートを開催。また、ソリストとしてのみならず、バロックオーケストラやグレゴリオ聖歌隊との共演にも積極的に取り組んでいる。とりわけ、ムジカ・アンティクァ・ケルンとはバッハのカンタータおよびオルガン・シンフォニアやヘンデルのオルガン協奏曲を、アンサンブル・ジル・バンショアとはフランスの古典、前古典やイタリア・ルネッサンス、バロックの作品演奏で共演した。
また、レコーディングも数多く、歴史的価値の高いオルガンを弾き古典をレパートリーの柱とする数々のバロック時代のオルガン作品を発表し、数多く栄誉ある賞を授与されている。2019823日には、Sony/DHMより新CD BACK TO BACH」をリリース。
1992
年にローザンヌ高等音楽院のオルガン科教授に就任。加えて、英国王立音楽院、オーストリアバロックアカデミー等の客員教授を務めている。また、著名な国際オルガンコンクールの審査員としても頻繁に招かれている。
「ローザンヌ・バッハ・フェスティバル」は、1997年の開始当初より芸術監督を務めており、2012年からは、ローザンヌ・シティ・オペラのバロック・オペラ共同プロデューサー。

       

🎵小糸の来日のとき、武漢でのコロナ禍がグラフ頂点。その後に世界中で。無事に帰られたのだろう。
 今回も聴いていると小糸に対する深い敬愛の念が湧いてくる。小糸は、バッハがこの時代に遣わしたバッハ音楽の女性大使であるような気がした。
バッハと生きている方。バッハを理解するためにヨーロッパ各地を訪ね取材、研究。バッハ関連の楽器にはことごとく学び触れているようなのだが、今ではオーボエ・ダモーレやヴィオラダ・ガンバといった古楽器も学んでいるという。これがオルガン演奏に影響、反映されればというのだから奥が深い。
 BWV535、これはバッハがブクステフーデから影響を受けて作曲との解説。コープマンがブクステフーデの研究者だが、そのブクステフーデの演奏を聴いたとき、私はそのときのブログに「もう光あふれる宙、神の恩寵の只中に、あらゆるものが喜びに活き活きと戯れあそび飛び交う感じなのだ。コープマンの神の光、恩寵への向日性だ。」と感想を記している。ブクステフーデの影響に成るこの曲がまた小糸恵演奏でさらに緻密な異彩を帯びていると。小糸の編曲によるBWV1016の第一楽章、細密な緻密にはめ込まれ柔らかな光を帯び、量感も感じさせるステンドグラスの響き。

 

🎧名曲アルバム。モーツァルト「ディヴェルティメントK.136」
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ザルツブルク生まれのモーツァルトは、
10代半ばに3度ここからイタリアに旅に出た。父子と馬車の旅。インスブルックには滞在した宿が残っている。ブレンナー峠(現在はこの峠が国境)を越え、峠からおよそ100キロのロヴェレートで温かく迎えられる。そこから50キロ南にヴェローナがある。ヴェローナでのイタリア初の演奏は大喝采を浴びた。

⛳7時更新


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きょうのことば「まことの光の来臨」ー第三アドベントー

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年1211()の礼拝メッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、ひろ子牧師は、現在、広島県呉市に在住。きょうは呉からのズーム配信です。
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説教題 「まことの光の来臨」―第三アドベント― 國光勝美牧師
聖書引証 ヨハネの福音書1章9~18節
9 すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。
10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。
11 この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。
12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。
13 この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意思によってでもなく、ただ神によって生まれたのである。
14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
15 ヨハネはこの方について証しして、こう叫んだ。「『私の後に来られる方は、私にまさる方です。私より先におられたからです』と私が言ったのは、この方のことです。」
16 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた。
17律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。
18 いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。

《メッセージ》
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 クリスマスにはキャンドルがよく似合います。きらびやかなイルミネーションは風物詩、心をなごませてくれます。世の中の人たちにとっては賑やかできれいなものですけれども、クリスチャンたちにとっても、やっぱり、嬉しいものです。
 でも私たちにとってクリスマスの光というのは、あの羊飼いたちにあらわれたみ使いたちの大合唱。「今日ダビデの町で、なたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」。み使いたちの夜空に輝く大合唱。それからもう一つ、前回、東の博士たちのことをお語りいたしましたけれども、救い主に導く輝く星の光、これに、やはり私たちは思いを致すことです。

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 私はこのクリスマスの光を思い巡らしますときに、ヨハネ伝の第一章、ここからクリスマスのメッセージをともに与らせていただきたいと導かれてお開きいたしました。
 ヨハネ伝の1章の1節から
1初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。2この方は
このように書き記されておりますが、私はこの「ことば」に強く心が向けられました。
 皆さん、ここで使われている「ことば」というのは、「ロゴス」という意味が使われている。一体「ことば」とは何でしょう。
 小学生の頃の記憶ですが、先生が「人間だけが言葉を使うことが出来るのです」と教えてくださった。妙に納得しました。そうか、言葉を使えるのは人間だけなんだと思ったのですが、それから様々研究が進められているようで、どうも、言葉というのは人間特有のものではなさそうです。いろんな動物も言葉を話していることが分かってきている。しかしそうであればあるほど、一体言葉って何なのだろうか。
 それは、交わりをする手段。そうです。交わりをする手段として言葉があります。そして、さらに考えると、ここで言われている「ことば」というのは、交わりの手段というよりもそれを超えて、交わりそのもの。「ことば」というのはそういうものです。
 このように思索を発展させていったのです。すると、「ことばは神とともにあった」。もちろん「この方」とありますから、イエス様のことを指しているわけですけれども、そして、「ことばは神であった」。交わりをもっておられる。そして、これと非常に並行して思い起されることばは、神様、天地創造をなさったとき、神様はことばによってこの全地宇宙を造られていかれました。そして神様がお造りになられた中で、ご自身に似せて造られた最高のものとして人間を造られたということは、人間こそ神様の交わりの対象として最も優れたものである。神様は人間を造って、人間と交わることを最終目的として天地宇宙を造られたのだ、こういって間違いないと思いました。神は人をご自身の形として創造され、男と女にこれを創造された。ですから、神様は人間と交わることを何よりの目的としてこの世界をお造りになられたのに、罪を犯してしまった人間が神との交わりを失ってしまった。そのことを心から悲しまれたお方が、人間との交わりの回復の最終手段として、あろうことかご自身の愛してやまない第二位格の神ご自身であるイエス様を私たちの交わりを回復させてくださる手段として、まことのことばなるお方が人となってくださって、十字架の贖いを為して交わりを回復させてくださった。このように聖書は理解することができます。

 私はクリスマスの時に、み使いたちがほんとうに嬉しそうに大活躍をしながら、登場してくるのを見ます。ガブリエルが、或いはみ使いの大合唱が。それは何でしょう。み使いが堕落してしまったのがサタンです。いわゆる悪魔は、み使いが堕落をしてしまった。で、そのみ使い、堕落したみ使いを救うために神様は何かをなさったのではない。人間が堕落したときに神様は御子をお降しくださった。み使いはそれがほんとうにある意味羨ましがった。これほどまでに神様に愛されている人間を。だからみ使いは人間の救いのために執られた非常手段を、妬ましいというと言葉は正確ではないでしょう。だけども、み使いとすれば本当に人間の救いの為に神様がこれほどのことをしてくださったという喜びをもってお仕えしてくださったんでしょうね、神。そんなことを思うのです。
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4この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。
わたしは「いのち」ということばが、しばしばゾーエイということば、ビオスということば、ギリシャ語にはいのちをあらわすことばとして、少なくともこの二つがあって、ということをしばしば今までもお語りしたので、もう一度初心に帰って、このヨハネの1章4節の「いのち」ということばにどんな言語が使われているのかと思って、今はこういうネットの時代ですので簡単にギリシャ語にたどり着くことができますので、それをさがしてみましたらば、確かにゾーエイという言葉が使われていました。それは人格的ないのちを持っている。そしてもう一つ、ビオスという言葉は「命」という言葉であるのですけれども、これは生物学的な意味の命、生物の持っている命といったらいいでしょう。人間は生物的な命を持っていると同時に、人格的ないのち、これは何かというともう神様と交わることが何よりのいのちでありますから、いのちとは何かというと交わりですから、神様との交わりを持っているゾーエイ。
 聖書に伝道者の書がありますが、「空の空、空の空かな、すべて空なり」(伝道の書)ソロモンが詠んだ詩だと言われていますが、人間の栄華、世の中的な人間が望んでいる栄華をぜんぶ満足させた。つまりビオスの望んでいる動物的な生物的な満足、快適な環境、美味しいもの、本能を満足させるすべてのもの、これで人間は満足するかというとそうじゃない。伝道者ソロモンは言います。「ことはすべて言い尽くされた。神を信じる事、これが人にとってすべてのすべてだ」と。つまり神様との交わりがなかったのならば、人間は決して満足しない。「このいのちは人の光であった」というときに、「すべての人を照らすまことの光」。それ対して偽りの光がある。それがビオスの光であると言ったらいいでしょう。

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  しかしそこに、すべての人を照らすまことの光が、世に来ようとしていた。
 
神様との交わりの光、これを回復させてくださるために、ことばなるお方がこの世においでくださった。

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 この方はもとからよにおられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。
 私が丸の内時代に聴いた忘れられないクリスマスメッセージがあります。それは二重のnotがあるのだということ。
10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。
(He was in the world, and the world was made by him, and the world knew him not.)
11 この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。
(He came unto his own, and his own received him not.)

 世はこの方を無知から拒絶した。この方はイスラエルの待ち望んでいるメシアとして来たのに、いいやこんなのを受けたくはないと言って、ご自分の民はこれを意志的に拒絶した。knew him not そしてreceived him not 。世の中はこのことばを受け入れなかった。

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12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。
 「受け入れた人々」、これは意志的に受諾することです。つまり私にはこの人が必要だ。このお方を私は受け入れますと意志的に受諾することです。
「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権が与えられた」。
使徒の働き2021節に
「パウロは、ユダヤ人にもギリシャ人にも、つまり、すべての人々に対して、神に対する悔い改めを宣べ伝えた」と言っています。そしてパウロは、「主イエスに対して信仰することを私は証ししてきたのだ」と宣言しています。
 同様に、私たち、神を知らざる異邦人であった私たちが、ああ、私は誤っていた、間違っていたといって悔い改めること。そして、私たちの罪の為にこのお方が十字架に架かってくださった、罪の解決をしてくださった。そしてこのイエス様が、神との交わりを回復してくださる。このお方を見上げるとき、私たちは神の子どもとされる特権を与えられました。
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 神の子どもとなる特権です。当たり前のようですけれども、当たり前のようにイエス様の聖名を使っていますけれども、これは途轍もないことです。生まれながら神の怒りを被るべきものが、あろうことか、私を救ってくださるために、神様はイエス様の命さえも見捨てて下さったのです。引き換えにしてくださったのです。それほどまでに私たちは神様に愛されている。で、私はキリストの贖いのゆえに神様の子どもとされた。神との豊かな交わりを私たちは得ることができました。
 クリスマスはある意味子どもの時の方が楽しいかもしれません。それはこれが欲しい、あれが欲しい、サンタさんこれ持ってきてくださるかな。じゃお手紙に書いておこうか。甘えて、期待して、そして、眠ったその時を皆様方覚えておられるでしょうか。それは、お父さんお母さんたちに対する心からの信頼とそれから甘え、それがここにあったんですね。私は神の子どもとなる特権が与えられたというときに、そうか、私は神様に思いっきり甘えてみよう。だって、そうなることを期待して神様はイエス様をこの世にお降しくださったんだから、もっともっと神様の前に信頼を持って甘えてみたい。良い意味で思いっきりダダをこねてみたい。それを神様は願っておられる、このように思います。
 聖霊によるいのちの賦与、自分でこのようになったのではない。これは神様によって私が罪びとであるということを自覚させられ、神様の恵みによってイエス様の十字架のすばらしさというものに膝まづかせていただき、有難うございますと受け入れたとき、荒野で蛇を揚げたごとく人の子もまた揚げられる。滅びの中に死んでいた者に新しいいのちが与えられる。それは「神は実にその一人ごを給うほどに世を愛されたそれは御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」。
 どうかことしのクリスマス、この神様の命あふれる祝福のクリスマスを持たせていただきたいと存じます。

 

10節11節の英訳はお訊きしたところ、King James Bibleからということです。
文責:中ぶんな
⏰5時11分更新


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12月16日分。221216 クラシック倶楽部を聴く 第91回日本音楽コンクール 本選会 フルート部門

【審査結果】
入選 大山宙透 アイルランドにて から(ハーティ)
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第2位 畢 暁樺 スペインのフォリア から 抜粋(マレー)
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第2位 鎌田邦裕 フルート・ソナタ ニ長調 作品94 から (プロコフィエフ)
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第1位 清水 伶 フルート協奏曲 ニ長調(ライネッケ)
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🎧名曲アルバム。「花のワルツ〜“くるみ割り人形”から〜」チャイコフスキー作曲。NHK交響楽団&高関健 ~ロシア・サンクト・ペテルブルク~
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 サンクト・ペテルブルクは北方ロシアの文化・経済の中心。世界遺産に指定されるほどの美しい西欧建築が立ち並び、芸術・文化の中心として栄えた。モスクワ音楽院と並ぶ最も伝統ある音楽学校であるペテルブルク音楽院がある。ロシアを代表する音楽家チャイコフスキー(1840~1893)もここで学んだ。成績優秀だった彼の名前は今も校内に刻まれている。「1865年卒業チャイコフスキー」。代表作のバレエ「くるみ割り人形」はマリインスキー劇場で初演された。初演当時の衣装デザインも残っている。振付、演出家のプティパが台本を書いた。プティパは急病のため最後までこの作品に係ることはできなかった。チャイコフスキーは彼の台本の指示通り忠実にスコアを書き上げ、プティパの世界を見事に表現した。初演から1年チャイコフスキーはペテルブルクで53歳の生涯を閉じたという。

⛳バイオリン部門放送日には、これは番組にはまったく関係ないのだが、近くの火事騒ぎで、といっても火の手があがったわけではなく、しばらくして駆け付けた8台ばかりの緊急車が現場を後にしたのを見たのだけれども。そんなこんなで演奏中のバルトークが飛んでしまったり。ここのところの冷え込みで、こんなに朝早くに起きだすのは自然に逆行している気もして迷いやためらいが生じたり。今朝の外気温は⁻3、⁻4といったところ。
 それにしても、音楽コンクール、まだ在学中といった方々が多い。活躍の場がどんなに彼らを待ってくれていて欲しいか。このコロナ、果たして第何波まであるのだろう。これほどまでウィルスに苦しめられるときが来るとは。

一日遅れで6時42分更新
ついでに火事騒ぎの写真も
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221215 クラシック倶楽部を聴く 第91回日本音楽コンクール 本選会 声楽部門

【審査結果】
入選 程音聡 さすらう若者の歌 から(マーラー)
入選 一條翠葉 リュッケルトの詩による歌曲集 から(マーラー)
入選 益田早織 ロマの歌 から(ドボルザーク)
第2位 深瀬廉 孤独にふける者は (シューマン)
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第2位 種谷典子 3つのペトラルカのソネット から(リスト)
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第2位 小池優介 「炎の騎士」から(ウォルフ)
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第1位 松原みなみ 
ダリア (リヒャルト・シュトラウス)
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🎧 名曲アルバム。「きよしこの夜」グルーバー作曲

(ソプラノ)天羽明惠,(合唱)晋友会合唱団,(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団,(指揮)尾高忠明 ~オーストリア・オーベルンドルフ~
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ザルツブルクの北にある町オーベルンドルフに「きよしこの夜」礼拝堂がある。1818年のクリスマス前夜、この場所で「きよしこの夜」は生まれた。教会の司祭モールは、親友グルーバーと皆で歌えるクリスマスの曲を考えていた。夜が更け、グルーバーがギターを鳴らすと、モールはそれに歌詞をつけて歌った。翌日完成した曲を子どもたちと歌い、「きよしこの夜」が誕生したのである。
⛳10時40分更新


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221212~221214 クラシック倶楽部を聴く

221214 クラシック倶楽部を聴く 第91回日本音楽コンクール 本選会 オーボエ部門

 第一位 榎かぐや
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🎧名曲アルバム。「祖谷(いや)の粉ひき唄」(唄)早坂光枝,(尺八)三橋貴風,竹井誠,水川寿也,渡辺淳,(ギター)高井寿,(エレキベース)前田JIMMY久史 ~徳島県祖谷地方~-番組紹介よりー

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祖谷は平家の落人部落なのだが、これは全国的にある。岩手で知るところは鳥取春陽の先祖たちがたどり着いた新里村、刈屋北山。周囲はやはり北上山系の1000m級の山々に取り囲まれている。実際行ってみたけれども、その山中に立てこもるように見張りを立てて暮らしていたようだ。祖谷でも追手がきたときには切り落とせるようなつり橋があるなど、どれほど追手を畏れて山奥にへ山奥へと逃れ苛酷な条件に暮らしたものかがわかる。琵琶を弾くにも音を悟られないように滝の傍で弾いたとか。

☆  ☆  ☆

221213 クラシック倶楽部を聴く 第91回日本音楽コンクール 本選会 バイオリン部門

バイオリン協奏曲(シベリウス)第二位青山暖
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第一位 増沢賞 渡邉紗蘭
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🎧名曲アルバム。ダグラス・リルバーン(1915~2001)作曲「アオテアロア序曲」
円光寺雅彦&N響。
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ニュージーランド。最高峰はマウントクックで3754メートル。「アオテアロア」は先住民族マリオの言葉で「白い雲のたなびく島」の意味。マリオの人々がこの島につけた名前である。ニュージーランド音楽の父と呼ばれるリルバーンはここで生まれ育った。「アオテアロア序曲」はイギリス留学時代に作曲された。そこには祖国ニュージーランドのきらめく海原が描かれているという。故郷への思いがこめられた若き日の作品である。リルバーンは後半生は首都ウェリントンで暮らす。彼の遺志により家は今も若い音楽家の活動の場となっている。

 

☆  ☆   ☆

221212 クラシック倶楽部を聴く 第91回日本音楽コンクール 本選会 ピアノ部門
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🎧名曲アルバム。「このすばらしき世界」
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⛳14日一挙8時52分とりあえず更新。忙しく録りかねたところ多し。

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12月10日の全国ニュースに穐吉敏子さん

穐吉敏子記念館が岩手県の盛岡市にある。これは照井顕さんが一生をかけて穐吉さんを顕彰し続けているもの。穐吉さんの若いころからの写真や活躍を見たことがあるのですっかり嬉しくなった。お歳を召しても尚素敵な方。希望、平和を訴えておられたのが印象的だった。

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⛳㋋12日 21時32分更新

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221209 クラシック倶楽部を聴く 迫昭嘉の第9

5回目を迎えた「迫昭嘉の第9」。今回は日米を中心に世界で活躍する江口玲と組んで演奏。リスト編曲による2台ピアノ版「第9」は、その難しさから長らく絶版となっていた。迫はこの編曲版に再び光をあて、原曲とは違う価値を見出し継続して取り上げている。【曲目】交響曲第9番「合唱つき」(2台ピアノ版リスト編曲)から【演奏】迫昭嘉(第1ピアノ)江口玲(第2ピアノ)【収録】2019年12月21日ハクジュホール ー番組紹介よりー
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迫昭嘉は東京藝術大学及び東京藝術大学大学院、ミュンヘン音楽大学マイスタークラス修了。東京藝術大学大学院にてクロイツァー賞を受賞、ジュネーヴ国際音楽コンクール最高位、東京国際音楽コンクール室内楽部門優勝(1980)、ハエン国際ピアノコンクール優勝およびスペイン音楽賞(1983)、ABC国際音楽賞受賞(1998)。「ドイツ・ピアニズムの本流を継承する名手」と評価され、全てのディスクが『レコード芸術』誌で特選盤・推薦盤に輝く。近年は指揮者としてもベートーヴェンの交響曲を手掛けている。今回共演した江口玲は東京芸術大学の作曲科を卒業したあとアメリカのジュリアード音楽院修士課程を卒業。東京、ニューヨークを拠点に活躍。

迫昭嘉のコメント
我々ピアニストにとっては、このシンフォニー第九交響曲というのは、鑑賞はできても実体験がなかなかなくて、それこそ4半世紀前になりますけども、初めてやったときは、とにかくその実体験ができるという喜びがものすごく強かったです。最近また実はオーケストラで第九を指揮させていただくという機会も増えてきたところで、もう一回この曲を見直してみました。やはり単純にオーケストラの曲をピアノを置き換えたというだけではなくて、ピアノならではの魅力もはっきり感じられるようになってきたんです。より細部の構成というか動きが、オーケストラの中で埋もれてしまうような音がピアノだとはっきり出てくるということで、十分に違う第九の魅力をピアノ2台で出せると思います。

🎵この2台のピアノ版「第9」は、1851年にリストによって編曲され、ドイツで出版されたが、演奏が極めて困難だったからか一般に広まることはなかったようだ。たが、第23楽章までは、心境的にオケ版の第9に押され気味だった。ピアノを聴きながらオケが一緒に鳴り響いている感じが。それが第4楽章ではたと。これはピアノ・ソナタとして聴けばいいのだ。2台のピアノ・ソナタとして。そう意識した途端にピアノだけの音がすっきりと立ち上がり、色々な風景が見えてきたから不思議だ。日が傾き静かな深まりゆく蔭に沈みゆく風景。しだいにそれがまた月光に浮かびあがってくる。またたきはじめる星のいくつか。それがしだいに数を増してさざめきながら夜空にまたたく。互いに自己主張の競いあい。それがやがて静かに相和し互いを輝かせ銀河と、もちろん当時は銀河という認識はなかったとしても、一つの相和する星の一つのまとまりと歓びと輝きはじめる。こんなイメージに遊んだ。シラーの詩はシラーの詩としてこんな空想もできる澄みきった叙情ある響き、また流麗と感じさせるところも。
 「管弦楽はもとより第4楽章の合唱パートも2台のピアノによって緻密に弾き分けられる」。
 何回か聴いているけれども、今回で、リスト編曲版の魅力を手にすることができた。。

 

🎧名曲アルバム。「ある天使の思い出に」ベルク作曲
バイオリン渡辺玲子、渡邉一正&東京フィル

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 ウィ―ンの作曲家アルバン・ベルクが1935年に、愛する少女の死を悼んで書き上げたバイオリン協奏曲。少女の死と時を同じくしてベルクもこの世を去る。ベルクはウィーンの裕福な家庭に生まれた。初めての恋の相手は召使だった。身分の違いから引き離される。しかし彼女が産み落としたのはベルクの娘だった。その後数々の恋愛を重ねたベルクだったが、心の底から満たされることはなかった。自殺未遂、婚姻関係の破綻。ベルクは占いの一つ数秘学にとらわれる。自らの運命を暗示する“23”をバイオリン協奏曲に刻み込む。曲の終盤ではバッハのカンタータを引用。その歌詞が楽譜に書き記された。「もうたくさんです主よ御心にかなうなら私の戒めを解いてください」。
「ある天使の思い出に」は、生前に完成させた最後の曲であり、人生観や死生観が色濃く練り込まれている

⛳㋋8日分 本日㋋12日21時6分更新


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きょうのことば「クリスマスの星に思う」第二アドベント講壇

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年124()の礼拝メッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、ひろ子牧師は、現在、広島県呉市に在住。きょうは呉からのズーム配信です。
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説教題「クリスマスの星に思う」―第ニアドベント― 國光勝美牧師
聖書引証 マタイの福音書2章1~12節
1 イエスがヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東の方から博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」
3 これを聞いてヘロデ王は動揺した。エルサレム中の人々も王と同じであった。
4 王は民の祭司長たち、律法学者たちをみな集め、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
5 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれています。」
6 『ユダの地、ベツレヘムよ、あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。あなたから治める者が出て、わたしの民イスラエルを牧するからである。』」
7 そこでヘロデは博士たちをひそかに呼んで、彼らから、星が現れた時期について詳しく聞いた。
8 そして、「行って幼子について詳しく調べ、見つけたら知らせてもらいたい。私も行って拝むから」と言って、彼らをベツレヘムに送り出した。
9 博士たちは、王の言ったことを聞いて出て行った。すると見よ。かつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、ついに幼子のいるところまで来て、その上にとどまった。
10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
11 それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
12 彼らは夢で、ヘロデのところへ戻らないようにと警告されたので、別の道から自分の国へ帰って行った。


《メッセージ》
皆様、おはようございます。
 
ともにアドベントの良い時を持たせていただく幸いを心から感謝しつつ、今日のご用に当たらせていただきます。
 私はこの度、ひろ子先生の上に神様の大きな恵みのわざを目の当たりにさせていただきながら、聖書の中の奇蹟ということを深く思う時がございます。この奇蹟という言葉を使ってよろしいのか、それとも奇蹟的な神様の恵みと申し上げた方がよりぴったりするのか、そんなことを思いながら、クリスマスにあらわれる奇蹟を、改めて考え直す時を持ちました。そんな中で今日のメッセージが導かれたように思っております。

 聖書の中には、誰でもが気づく圧倒されるような奇蹟があります。劇的なところはいくつもあるのですけれども、旧約聖書を見ると、エジプトのパロの圧政から逃れた、モーセに率いられたイスラエルの民が、紅海に道を閉ざされてしまう。後ろからはパロの軍勢が追い迫っている。切羽詰まったイスラエルに、もう皆さんよくご存じ、海がパーッと分かれて新しい道があらわれる。考えたこともないような道が開けました。そこをイスラエルの人々が主をほめたたえながら渡るあの出エジプトのできごと。これも誰しもが聖書の中の奇蹟と言うでしょう。また新約の時代では、あのイエス様が死人をよみがえらせる奇蹟、あるいは嵐の湖を静めるられる奇蹟などなどあります。つまり誰もが認めて圧倒されるような奇蹟を聖書は記しています。
 ところがその一方で、そういう大々的な奇蹟ではないのですけれども、日常生活の中にひっそりと示される奇蹟もあります。それに気づく人たちはほんの限られた人たちだけであるという奇蹟があります。旧約聖書のエリヤが、あのカラスによって食物が備えられたというひっそりとした奇蹟。でも彼にとってはそれは大きな大きな奇蹟であるように、華々しい奇蹟ではありませんけれども、しかし、その中を通った人たち、それに気づいた人たちは、まさにそれが夜空にひときわ大きく輝く星のように、神様の恵み、憐みというものをはっきりと認めることができる奇蹟の星を見るように思います。そして、その人にあらわされた奇蹟の星は、間違いなく私たちを救い主、イエス様のところに導いていく、あのクリスマスのときの星のようです。
 今年、クリスマスをともに皆様方と迎えているとき、神様がこのたび、この小さき者に示してくださったキリストのもとに導くクリスマスの星、これを証しさせていただきたいとこのように思っております。
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 この聖書の中には、やってきた博士たちが三人であるとは書いてないのです。人数は書かれてない。けれども、黄金、乳香、没薬をそれぞれ捧げたというそのところから、いつの間にか博士は三人となり、東方から、これはペルシャ地方ですが、東方から旅してきた。その時代は占星術というものがあり、それに携わっているのは、然るべき学識や地位、名誉のある王様、あるいは、それに準ずるような権力者であった。そういう博士たちが特に導かれてやってきました。どういう星だったのだろうかと思います。誰にでも分かるような星であるならもっともっと、当時は占星術というのは今の科学のような意味を持っていたはずですから、もっと気づく人々があっていいはずなのに、不思議なことにこの人たちだけがこの星を見ている。これは一体どういうことなんだろうか、そんな思いを持ちながら、この特別な星のことをお分かちしたいと思っております。

 


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 まず舞台を、ペルシャの方から導かれて来たエルサレム。ベツレヘムというところを心にとめたいと思います。
 イエス様の時代のパレスチナです。赤の実線で囲まれた、緑色と青色に染められている部分がヘロデ王が統治していた領域です。そしてベツレヘムは、死海の西にあるエルサレムの南にあります。
 星によって博士たちがエルサレムまでやってきた。そしてまた星に導かれてみどりごのいるその家まで導かれたとあります。まさにこれは奇蹟的な現象と言ってよろしいでしょう。

 

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 聖書に親しんでいる多くの方々が、一体この星が何だろうかということで、真実な探求心から解明しようとしています。たとえば超新星の爆発ではなかっただろうか。今の私たちが多少なりともそういう情報を知ってますので、なるほどそうかなと。超新星、ちょっと興味のある方々は、平安、鎌倉時代の歌人である藤原定家の「明月記」に、異常に輝く星があったという記述があるなどということを知っております。博士たちが見たのも或いはそういった超新星の爆発だったのかなあ、あるいは、惑星だとか、木星だとか火星だとか、一列に並ぶような大きな現象が起きてそうだったんだとか、あるいは私もハレー彗星の回帰の話しを356年前でしたでしょうか、今は亡きT姉の家庭集会で話題にしたことが思い出されます。このほかにもいろいろな幾つかの現象を絡めて、奇蹟的なこのクリスマスの星について論じているものがいっぱいあります。
 しかし私はこのクリスマスの星に関して、もう盛岡で開拓以来49年のあいだ、クリスマスのたびに扱うのですけれども、実は、扱えばあつかうほど私にはぬぐい切れない積年の疑問があるのです。

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 東方で星が昇るのを見た博士たちが、ヘロデ王のところに救い主がどこにおられるのかを訊きにくるわけです。それがヘロデ王にはまったくわからない。王が律法学者、祭司長たちを集めて訊くと、ユダヤのベツレヘムです。それでベツレヘムに向かおうと外に出ると、かつて昇るのを見たあの星がまた現れ、彼らの先に立って進み、ついに幼子のいるところまで来て、その上にとどまったというのです。
 素直に読めばまさしく何の疑問もないかもしれませんが、私には正直分からないなあという思いがあるのです。それはわたしの幼いころの実際の経験でありまして、生まれ育った松本でのこと。幼い頃、夜母親に手を引かれながら夜道を歩くのはやはり嬉しい思い出です。「見てご覧、お月様だよと」と言われ、空を見上げると大きなお月様が頭上にあるんですね。よし、あの月のあるところまで行ってみようと、前方にありますから一生懸命下駄をからから鳴らしながら走るんですけれども、走っただけ月が向こうに行っちゃうんです。あの家の下になかなか行かないのはどうしてだろうなと。その時に植え付けられた不思議なことでした。
 家を特定できる星の動きっていったいあるのだろうか。これが積年の疑問です。正直解決されていませんでした。

 実はきょう、これで積年の疑問が解決したと思ったので、私はこのお話しをするように導かれているのですけれども。
 もう一つの疑問は、猜疑心の塊であるヘロデが、なぜその星をたよりに行く、星をたよりにしてというか、博士たちが行こうとしたときに、東方で見た星が再び現れて、博士たちが導かれたわけでしょう。私は思うのです。あの猜疑心の塊であるヘロデがユダヤ人の王と生まれたものを礼拝すると、彼にとってはとんでもない、平安ではとってもいられないような、そんなことを聞いてもう殺してしまう。ユダヤ人の王として生まれた者は絶対殺さなければ、自分の王位が危うくなる。もうヘロデが、言葉では「わたしも行って礼拝するから」と言ってとり繕って博士たちが出て行くというときに、もう私だって、「おい、奴らの後を追え、絶対逃すな」と私なら絶対命じたと思うし、ヘロデがそう命じないはずがないと思うんです。しかもそろってヘロデに仕える学者、律法学者たちは、ベツレヘムで生まれるって聖書に書いてありますよ。ミカ書を御覧なさい、そういって分かっている。ベツレヘムということが分かっている。しかも生まれた。どうしてヘロデはあの後を追わせなかったんだろうか。しかも星に導かれていく博士たちでしょう。博士たちの後をヘロデに命じられてついていったとするならば、その追手も星を見たはずです。けれども彼らはその星に導かれていない。もちろん追手がいたと聖書には書かれておりませんが、様々に想像され考えるわけです。

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 不思議な星だなあ、そう思ううちに、ああ、そうか、と分かったのがひろ子先生の癌がどこにも見当たらなかったことでした。積年の疑問が晴れた瞬間です。もう皆さんはよくご存じですけれども。どれほど皆さん方から祈っていただいたか、そして私も祈って祈って迎えた今回の診断でした。呉の国立病院の一室で、担当医師がにっこりと笑顔になって、「よかったですねえ。CTで見ても、MRIでみても、超音波で見ても見つかりません。腫瘍マーカーも正常範囲です」。こう聞いた時、ああ、祈りが聞かれるってこういうことなんだ。神様はこういうお方なんだ! 奇蹟を待ち望んでいた者たちには、はっきりと救い主に導いてくださる星なんです。しかし他の人たちには、片隅で起こった小さなできごとでしかない。数値云々といっても、画像云々といっても、そうでない人たちには何でもない。つまり、ほんとうに神様を待ち望んでいる人たちに神様は奇蹟の星をあらわしてくださる。あるいは羊飼いたちのことを例にするのならば、羊飼いたちが世の中から疎外されて、軽蔑されているようなお仕事だったかもしれない、しかし、そのお仕事をしている羊飼いたちが、私たちはこうやっていけにえに捧げる羊を飼っているけれども、やがて、本当の小羊が、私たちの罪のいけにえとなってくださる神の小羊が与えられるんだよといって、子どもたちに話している羊飼いたち、それを想像するときに、ああ、この羊飼いたちに、御使たちの大合唱が聴こえてきた。天に鳴り響く神をほめたたえる天使たちの歌声が、この人たちには聞こえてきた。だけど、他の人たちには何にも現れていない。私はヘロデ王が当然、絶対に追跡隊を送るはずなのに、送っていないというところに、そこにこそ何か私は、天的な奇蹟的な神様のバリアを感じるのです。

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 東方の博士たちは、どうしてユダヤ人の王となる救い主が生まれたからといって、ペルシャからはるばる、しかも自分のすべてを投げ捨ててまでも礼拝にやってきたのでしょう。それは本当に救いを待ち望んでいた真実な人たちだったからです。本当に待ち望んでいる人たちには、その星があらわれるのです。ヘロデ王のところに行って、さあベツレヘムに行こうとしたときに、再び彼らにあの星があらわれた。そうです。待ち望んでいる人たちには現れるのです。ほら、ここだよ。しかし、それだけはっきりとした奇跡であるにも関わらず、他の人たちにはぜんぜん分からない。それがクリスマスの星ではないでしょうか。クリスマスのできごとは、救い主を真実に待ち望んでいる人たちにだけ分かる、そういうものではないでしょうか。

ヨハネ1章9
9
すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。10この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。11この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。
 このメッセージでいうなら、「まことの光」、これはまさにクリスマスの星と言っていいでしょう。「世はこの方を知らなかった」とあります。多くの人々にはクリスマスの星が見えないのです。遮られてしまっているのです。「この方はご自分の所に来られたのに」、これは、律法が与えられ、ユダヤ人としての特権が与えられている己の民ユダヤのところに来たのにです。星は、はるか彼方のペルシャの何の関係ないようだけれども、真実に待ち望むその人たちには現れたのです。

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 世はこの方を知らなかったのです。この方はご自分のところに来られたのに、民はこの方を受け入れようとしなかった。そういう人たちにはクリスマスの星は見えないのです。

12しかし、この方を受け入れた人々、すなわちその名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。13この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも、人の意思によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。

 そうです。私の罪の身代わりとして十字架にお架かりになった神の御子を心から信じて有難うございます。罪を悔い改めてこのお方を受け入れ罪ゆるされたのは、それは、あなたがしたことではない、神によって生まれた人、これは私が願ったから私が望んだからというのではなく、ただ、神によって生まれる。
 
 私は決してカルビ二ストではありません。選ばれたものだけが救われるなどというつもりはさらさらありません。けれども聖書を見るときに、私はほんとうに、ああ、これは神によって生まれる。このような恵みに与った者たちにだけ、クリスマスの星というのは見える、導かれるのだ、そのことに打たれます。
14
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

 そうです。あの神の御子がこの世に来られたのに、こんな大きな奇蹟があるのに、多くの人たちは今の時代に到るまで、どれだけの人々がこの奇蹟を見ましたか、知りましたか。ほとんどの人は知らないでしょう。けれどもほんとうに生まれ変わりの恵みを受けた人たちは、このイエス・キリストに見るクリスマスの恵みを、もう心の中にあふれるほど感謝にあふれて受け入れることができているじゃありませんか。何と幸いな私たちでしょう。クリスマスの星が見える者とさせていただいた。ですから、神様はイエス様をヘロデの手からもお守りくださるし、そしてこの神様はこの私たちを守り続けていてくださるお方なのだということをアーメンと皆さん方と一緒に心に留めさせていただきたいと思います。私は、今回このクリスマスの時、積年の疑問がそうか!と晴れた思いが致しました。

 

※データは呉の國光先生の音声データ、地図は新改訳聖書2017から、イラストはズーム配信から撮りました。
文責:中ぶんな
⏰6時42分更新



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221208 クラシック倶楽部を聴く クァルテット・エクセルシオ ベートーベンを奏でる

~2021年1月15日めぐろパーシモンホール大ホール(東京)で収録

1994年桐朋学園在学中に結成。国内外の数々のコンクールで受賞。日本では数少ない常設の四重奏団として四半世紀を超えて第一線で活躍し続けている。
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コメント
西野ゆか
:弦楽四重奏、最初の頃は、こうやって練習してきたものを温めたものをコンサートでみんなに聞いてもらうという意識が強かったと思うんですけど、これだけ何度も弾いてまた今後も弾くチャンスがあることが、自分たちの中にあって、あのときはこんな考えでこんなふうに演奏してきたけど、今はまた違ったり、未来もまた新しいアイデアが生まれると思うし、また違った意味での楽しみが今はできていると思います。
吉田有紀子:もうとにかく作品がすばらしいというところが第一にありますし、ハーモニーの美しさというのが神がかったような感じがあるので、もう特別な存在ですね。
大友 肇:ベートーベンって、たしかにメロディーとかメロディーラインあるんですけれども、役割がメロディーと伴奏というそういう分け方じゃない。ほんとうにもう4人が音楽の主導を持っている。そういう存在が絡み合って何かもう一つの世界を作るという、そういうところが最大の魅力じゃないかなと思います。
北見春菜:「ラズモフスキー」第一番は、初期の作品6曲と比べて、壮大なスケールというか演奏時間も長いですし、技術的にもけっこう演奏するのが難しい作品ではあるんですけれども、特に2楽章とかもすごくリズミックですし、強弱のコントラストもすごくあったり、たぶん聴いていても面白いと思うんですけど、視覚的に見ていてもすごく面白いのでがないかなと思います。4楽章は4楽章ですごく明るくて軽快な雰囲気なんですけれども、今けっこう世の中は暗いニュースが多いんですけれども、この曲を聴いていただいたらみなさんハッピーな気持ちになっていただけるんじゃないかなと思います。

曲目
弦楽四重奏曲 作品59「ラズモフスキー」第一番 ベートーベン
 ベートーベンはウィーン駐在ロシア大使ラズモフスキー伯爵の依頼を受けて3曲の弦楽四重奏曲を作曲した。ベートーベン中期の代表作に数えられ、初期の弦楽四重奏曲とは一線を画する独創性と豊かな楽想を持つ。
弦楽四重奏曲 作品130から 第5楽章      ベートーベン
 1825年に出版されたベートーベン後期の弦楽四重奏曲。全体は6つの楽章からなる。美しい旋律を持つ第5楽章「カヴァティーナ」は、作曲者自身もその出来栄えに満足したといわれる。

🎵今回の曲は暗闇を超えて光にといった根底の苦悩から発しているのではないなと。ラズモフスキー、2楽章で何かドラマがはじまりそうな気配も感じさせるけれどもそこには平明な幸せな気分も感じられる。3楽章は穏やかな空気に穏やかな会話が美しく流れ時としてさざめくような哄笑が聴こえる。このような曲調というのは自らが安定、充実しているときに浮かぶものなのかもしれない。

🎧名曲アルバム。「歌劇“ローエングリン”第1幕への前奏曲」ワーグナー作曲

沼尻竜典&N
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ワーグナーの歌劇「ローエングリン」はバイエルン王ルートヴィヒ2世が愛した曲。彼が建てたノイシュヴァンシュタイン城とミュンヘン近郊の美しい秋の風景とともに紹介する

南ドイツのシュバンガウ地方は中世の「白鳥の騎士」伝説の地。バイエルン王ルートヴィヒ2世は15歳の時、ミュンヘンにあるバイエルン国立歌劇場で初めてオペラ「ローエングリン」を観、神話世界を壮大なスケールの音楽で描くワーグナーに心酔したのがノイシュヴァンシュタイン城建設の動機となる。城にはワーグナーのオペラ世界が再現されている。王は自らを白鳥の騎士に重ね合わせていたというが、居間にはローエングリンの絵が描かれている。王になっても政治には関心がなくワーグナーの援助と城づくりに熱中。莫大な金と15年以上の歳月をかける。だが国の破綻を危ぶむ家臣によって、ルートヴィヒは僅か半年で城を追われる。ある日ミュンヘン郊外の湖に散歩に出かけた王は水死体となって発見される。死因は今も謎。王は生前「私は永遠の謎でありたい」と語っていたという。

⛳7時更新
7時に仕上がると、気分はすっきりする。

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221207 クラシック倶楽部を聴く 堀米ゆず子 児玉桃 ベートーベンを奏でる

ベートーベン不朽のバイオリン・ソナタ「春」と「クロイツェル」。出会いから30年、共演を重ねてきた堀米ゆず子と児玉桃。世界的演奏家による円熟の響きをお届けする。 ベートーベン生誕250年の節目に堀米ゆず子と児玉桃が取り組んだバイオリン・ソナタ。新型コロナウイルス感染拡大のため、半年も演奏活動ができなかった二人が久しぶりに音楽で対話する。ベートーベンについて、お互いについて語ったインタビューもご紹介。【収録】2020年10月16日 武蔵野市民文化会館大ホール

堀米ゆず子1980年エリザベート王妃国際コンクールバイオリン部門で、日本人として初めて優勝。児玉桃1991年ミュンヘン国際音楽コンクールピアノ部門、最年少で最高位獲得。二人はベルリン・フィルと共演するなど世界の舞台で活躍。バイオリン・ソナタ「春」は二人が最初に取り上げた作品。

 

コメント
新型コロナ感染拡大での影響で、この時点まで半年以上演奏活動ができなかったお二人の5年ぶりの共演
堀米ゆず子:とても楽しみにしてましたので。ベートーベン250年ぎりぎりにベートーベンいっぱいなはずだったのが、結局ぜんぜんそういう動きがなくなってしまいましたので。
児玉桃:時期が長かったので、改めて音楽の力とかベートーベンの力というのは250年関係あってもなくてもすばらしいと思いましたね。
堀米ゆず子:やっぱり力を与えてくれるというか元気に、鼓舞してくれるような音楽。生命力、私がベートーベン弾くときにいちばん感じるのは彼の調性によるファンタジーなんですけど、調性を生きるという言い方をするんですけども、C(ツェー)ドラになった、G(ゲー)ドラになった、Es(エス)ドラになった、こういうふうにして、それと一緒に動いていくとそれが自ずから力になるというか、もちろん計算されているんでしょうけれども、私はそれよりはもっとファンタジーというのかな、そういう即興性みたいな転調の感じがしますね。そういうふうにして弾いていくと新鮮な感じがする。嬉しいし、自分も。クラシック音楽というのはやっぱり調性によって表現されるものが多いと思うんですけども、それ、ハーモニーに和声、だから桃ちゃんと弾いてるとやりやすいのは、やっぱりちゃんとベースを弾いてくださるから、それに乗っかっていけば音楽ができていくというところがありますよね。
児玉桃:私は逆にその表現の仕方がスフォルツァンドでもいろんな表現がやってありますので、それをピアノで想像してイメージして、ペダルとか、一つの音で、ディミヌエンドはできても、こう、音が消えていくので、音の中でクレッシェンドというのは難しいんですよね。それをだからこう想像で、それを和にしようとするのがとても表現の広さにつながりますし、自分なりに解釈しようとして、それを取り出すのにやっぱりゆず子さんのバイオリンとか聴いて実演するようにしてますから。努力してます。いつもうまくはいかないんですけれども、それが理想としてます。すばらしいゆず子さんとベートーベンの音楽を届けることができるというのは何と幸せなことだろうと、きょうまたつくづく思いました。
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曲目
バイオリン・ソナタ 第5番 ヘ長調 作品24“から 第1楽章、第3楽章、第4楽」
バイオリン・ソナタ 第9番 イ長調 作品47“クロイツェル

🎵「春」にはベートーベンの小難しそうな表情はどこにも見えない。何か安堵して、明るさと満ち足りた気分を共有。「クロイツェル」、なかなか分かってくれない相手に自分の述べるところはこうなんですよと言い分を縷々。結論を急かされているといった響きも。これはあくまで曲から感じられることなのだが。なにか頑張んなくちゃという気分にもさせられる一曲。
面識はなくとも、堀米さんは今どうしてらっしゃるかと気になる存在。

🎧名曲アルバム。コリー作曲、栗山和樹・編曲「思い出のサンフランシスコ」
トロンボーン中川英二郎、梅田俊明&東京フィル
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サンフランシスコへの想いをトニー・ベネットが歌っている。
街の発展の源は1848年からのゴールドラッシュだった。サンフランシスコ近郊には今でも多くの金鉱跡が残る。一獲千金を夢見る人々がこの街になだれこんだ。鉱山で働く人々が愛用したブルージーンズはヒッピー文化全盛の時代には反抗の精神の象徴として、そして今や永遠のファッションとして世界中に愛されている。
「金」への夢に始まったこの街は、海をはさんで広がる東洋とアメリカ文化が出会う街でもあった。「金」がもたらす富は異文化を引き寄せ、この街にさらなる発展をもたらした。街に刻まれた自由と夢を追い求める精神。サンフランシスコは今も新しい文化と価値観の発信地として人々の心をとらえている。

⛳6時54分更新
窓外を見るとけさも雪景色。
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221206 クラシック倶楽部を聴く イゴール・レヴィットのベートーベン

ザルツブルク音楽祭2020 イゴール・レヴィットのベートーベン▽生誕250年を記念して行われた、ベートーベンのピアノ・ソナタ全曲演奏会の最終公演
【曲目】
ピアノ・ソナタ第31番変イ長調作品110(ベートーベン)
ピアノ・ソナタ第32番ハ短調作品111(ベートーベン)
【収録】2020年8月21日 ザルツブルク祝祭大劇場大ホール
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 イゴール・レヴィット1987年、ニジニーノヴゴロド生まれ。8歳のときに家族と共にドイツ移住。2009年ハノーファー音楽演劇メディア大学において、理論・演奏の両方で大学史上最高の成績でピアノの学業を修める。これまでにカール=ハインツ・ケマーリング、マッティ・ラエカッリオ、ベルント・ゲーツェ、ラヨス・ロヴァトカイ、ハンス・ライグラフに師事。2005年、テルアヴィヴのアルトゥール・ルービンシュタイン・コンクールに最年少で参加し、銀メダル及び最優秀室内楽演奏賞、観客賞、最優秀現代音楽演奏賞を獲得した。
 居住地のベルリンでは、サドラーズウェルズ・インディペンデント・オペラ管財人団の厚意により与えられた、スタインウェイDグランド・ピアノを使用している。

 31番に関し、作曲者はチェロソナタ第5番にみられるように、後期の作品ではフーガの応用に大きく傾いている。この曲の終楽章は、最後の3曲のピアノソナタの中では最も典型的にフーガを用いたものである。ドナルド・フランシス・トーヴィーは「ベートーヴェンの描くあらゆる幻想と同じく、このフーガは世界を飲み込み、超越するものである」と述べた[3](wikiから)

🎵32番、宇宙を注意深くしかし肩の力を抜いてめぐり、旋律を探し求め、にわかに知覚される旋律を間髪おかず手繰り寄せ、わしづかみにしてデフォルメ。そして新たな境地、新世界に一歩抜きんでるという、そんな感じをもった。このソナタ、次は? と期待するごとに異世界の新しさが展開されていく。

 

🎧名曲アルバム。「ニュー・シネマ・パラダイス」エンニオ・モリコーネ、アンドレア・モリコーネ作曲、栗山和樹・編曲
東京フィル&円光寺雅彦
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 イタリア、シチリア島から望むティレニア海。映画「ニュー・シネマ・パラダイス」の冒頭、青い海をバックにこのメロディーが流れる。
シチリア島中央に位置するパラッツォ・アドリアーノ。ここにある広場が映画の舞台の中心となった。広場の様子は、今も撮影が行われた1988年当時と変わってはいない。
 映画「ニュー・シネマ・パラダイス」は、老映写技師と映画の世界に魅せられた少年との心の交流を描いた。主人公の少年の家として撮影された家もある。成長した少年が町を離れることになり映写技師と別れた駅が映る。時の流れが止まったかのようにそのたたずまいはずっと変わらぬままだ。
 今もパラッツォ・アドリアーノの市民は、夕刻になると広場に集まり、撮影当時の話しを交わす。シチリアの地方都市であるこの町が、世界的な映画の舞台になったことは、彼らの誇りであり続けている。名シーンの数々を彩ったメロディーは人々の心に深く刻まれている。

🎵一時期私は、今は滝沢市になっている滝沢村、駅近くに住んでいたことがある。私の中にある原風景は、南北に遠く走り遠景に緩やかに湾曲し点と消える線路、そして昼時になると煙突からたくましく力強く無遠慮に蒸気を吐き、大車輪と客車や貨車の軋みを響かせ極めつけの存在感で地を圧しながら小さな駅のホームに堂々入城してくる列車であり、そして住宅に迫る国有林の奥から響いてくる人が聞き耳を立てずにはいられない遠慮なく響くカッコウの誇らしげな自己主張や、遠慮がちなヤマバトのくぐもった呟き。そして冬ともなれば、てかてかに凍てついた坂を陽に大理石と磨き上げて見知らぬ世界につながっている馬車も通る道。しかし後年、大人になってから訪れてみると、そのどこもかしこも宅地化の波に多くが損なわれ押され失われて跡形もなかった。線路や駅舎の位置さえすっかり変わってしまっていたのだ。甚だしい喪失感に見舞われたことがある。
 それが、このパラッツォ・アドリアーノは今も昔と変わらないままの景色が残っているというのだ。自分の原風景とは全く違うけれども、まるで失われた自分の一部でも辿るかにこの一連の風景に目を凝らした。

⛳8時30分更新


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221205 クラシック倶楽部を聴く 福間洸太朗 ベートーベンを弾く

20歳でクリーヴランド国際コンクールで日本人初の優勝を果たし注目を集める。ベルリンを拠点に、ソロ活動のほか国内外の著名なオーケストラとも多数共演。
【収録】2020 年7
月15 日 すみだトリフォニーホール 小ホールで収録

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【曲目】(オール ベートーベン)
幻想曲 作品77 
ピアノ・ソナタ第24番「テレーゼ」
ロンド・ア・カプリッチョ 「なくした小銭への怒り」 
ピアノ・ソナタ第23番「熱情」
【収録】2020715日 すみだトリフォニーホール 小ホールで収録

福間洸太朗のコメント
 ベートーベンに対して恐怖心というか、恐れていたために、自分には向いていないんじゃないかとか、まだ早いんじゃないかという意識を持ちながら作品を弾いたり取り組んでいたんですけれども、ようやくベートーベンという人間像にすこしづつ近づいているように感じられて、生誕250年というタイミングもあったので、CDを録音しましたし、演奏会でもたくさん取り上げるようになったんですね。彼自身ものすごい向上心と忍耐と勇気を持っていた方だと思うんですね。そういったものを私は彼の音楽を通してつたえたいなと思います。
「幻想曲」に関して言うと、ほんとうにユニークな作品だなあと私は思います。記述によると、「幻想曲ト短調」と書かれている場合もあるんですけれども、ト短調の部分というのは最初の4小節ぐらいしかないんですね。それからどんどんどんどん転調していっちゃって結局はロ長調で終わるんですけども、その調性だけでなく、場面もかなり頻繁に変わりますし、テンポも変わりますし、こう、ソナタ形式とかロンド形式とかバリエーションとか、その当時は形式に則ってその中で自由に冒険しながら音楽を書くというのが通例だったと思うんですけど、ほんとうに自由な作品だなと思います。その中でもベートーベンなりのロジックを立てて音楽を構築してて、最後は一つのモチーフがバリエーションになって盛り上がっていくんですけど、ほんとにこれはユニークな作品だなと思います。
「ロンド・ア・カプリッチョ」について、あまり取り上げられない作品を敢えて取り上げました。やはり生誕250年だけれども、ベートーベンがいかに幅広い音楽スタイルを書いたかということも皆さんに聴いていただきたいなということで選んだんですけれども、「ロンド・カプリッチョ」、これもまた大変珍しい作品ですけれども、オーパス・ナンバーは129といってかなり終わりの方なんですけれども、実は初期の作品で、「悲愴」とかも作られる前に書かれたんですよね。サブタイトルがあって、「失われた小銭への怒り」という冗談みたいなタイトルがついているんですけれども、この曲が全体にアップテンポで、非常に技巧的にも難しいですし、見せ場もたくさんあるんですけれども、全体にはハンガリー風のロマの音楽をモチーフに作られているので、非常にリズミックだし、一人で弾いてるんですけれども、何かこう楽団、ロマの人たちが何人かで一緒に弾いてるという気分で私は弾いています。

 ベートーベンを弾くにあたって難しいのは、感情表現はとても大切なんですけれども、ほんとうにもう細かなところで緻密に音楽が構築されてるんですね。「熱情ソナタ」とかは、たぶん10代の終わり、20代で弾いたときには、とにかく勢いに任せてエネルギッシュに弾くことで満足を得ている自分がいたと思うんですけど、今は全然そうじゃなくて、特に3楽章とか、アレグロ・マ・ノントロッポ、「速いんだけれどもそんなに速くなく」いう指示を私はすごくこだわりたいんですね。勢いに任せてエネルギッシュに弾くんだったらもう指の訓練とその時のフィーリングで弾けると思うんですけども、そうじゃない、どこか抑制しながら、どこか抵抗を感じながら弾くということにすごい意味があると思うんですね。「熱情」というタイトルは勿論そうなのかもしれないですけど、かなり冷静な部分というのも私は大切じゃないかと思います。

🎵激情の表現にも抑制のある方がとおもっていたけれども、今回の「熱情」が何かそれでむしろ奥行、深みが出ていたという感じが。選曲の面白さ、「幻想曲」にはピアノ・ソナタ32番で聴いた旋律も。何か新しい。「失われた小銭への怒り」すっきりと立ち上がった響きが、くぐもった頭脳を洗ってくれた。
 

 

🎧名曲アルバム。「“ペール・ギュント”からハリング舞曲」グリーグ作曲

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ハリング舞曲(参考にピアノ演奏)はノルウェー西部のハルダンゲル地方の結婚式や祭にまつわる一曲。演奏に使われる美しいバイオリンとともに「ペール・ギュント」の知られざる名曲を紹介する。

ハルダンゲルバイオリン山瀬理桜、ピアノ中村真理

グリーグはハルダンゲル地方で生まれたハルダンゲルバイオリンを愛した。ライオンの頭と自然をモチーフにした伝統的な装飾。熟練工でさえ年に1,2台しか製作できないほど。弦の下には共鳴弦を張ってある。

🎵ハンダンゲルバイオリンの山瀬さんは、この界の巨匠クヌート・ハムレ氏から絶賛される奏者であるようだ。ハンダンゲルには沈んだ気分も引き上げてくれるような明るさと懐かしさ陽気さも感じられる。これは通常の4本の下に張られてある4、5本の共鳴弦のマジックなのかもしれない。
⛳実はきょうはちょっと朝寝坊。前の記事を引っ張り出して、何か所か知りたい箇所につないでみた。
10時30分更新

書き足し:
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けさXR技術なるものが紹介されていたけれども、近頃は逆な在りようが自然に思われ、自然に息ができるような気もしている。

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きょうのことば「インマヌエルの主」ー第一アドベントー

 インマヌエル盛岡キリスト教会の2022年1127()の礼拝メッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、現在は広島県呉市に在住。きょうは呉からのズーム配信です。

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説教題 「インマヌエルの主」―第一アドベント― 國光勝美牧師
聖書引証 詩篇23篇
ダビデの賛歌
1 主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われます。
3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
4 たとえ、死の陰の谷を歩むとしても、私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
5 私の敵をよそに、あなたは私の前に食事を整え、頭に香油を注いでくださいます。私の杯は、あふれています。
6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みが、私を追って来るでしょう。私はいつまでも、主の家に住まいます。

<メッセージ>
 おはようございます。
 呉の方は暖かいと言っていいのでしょう。暖房を点けるかどうか迷う、そのような中にあります。先ほど、ズームで、礼拝の準備をしていてくださる盛岡の様子を、ああきっと寒いんだろうなあと思いながら拝見しておりました。特に今日は第一アドベントの聖日、クリスマスを直前にしていることを思いながらおります。

 皆さんにお祈りいただいておりますひろ子先生の最終的な診断が、22日の昼に呉の国立がんセンターの先生からございました。それは本当に驚くような内容でございました。盛岡では、膵臓癌の手術の後、肝臓に転移したということがありました。そしてそのための治療が行われたり、また、その治療薬の副作用で間質性肺炎も起こしました。盛岡の診断では、抗がん剤で癌の進行を抑えて寿命をどこまで延ばせるかということでした。また間質性肺炎がこのまま進んでいくのならば、癌の進行よりも、間質性肺炎から来る寿命の方が短くなってしまうだろうということで、もう抗癌剤は使えない。使わない。間質性肺炎を止める方に舵を切りましょうということになりました。
 ちょうどそれと前後して、私たちは5月末に、呉への導きがございました。呉のベタニアホームが空いて、主がこちらにお導きくださいました。 さて次に行ける病院はとグーグルの地図を見たところ、すぐ近くに国立がんセンターという中核的な病院が徒歩圏内にあると分かりました。ゆっくりひろ子先生と一緒に歩いて20分の距離です。
 盛岡からの紹介状と病状の資料を持って、国立がんセンターで新たに診ていただくことになりました。遠く盛岡からの紹介状とデータを持ってきたものですから、私たちにとっては初めての先生です。インターネットで、呉、国立がんセンター、消化器内科と検索すれば主治医の先生たちの何人かが出ています。その中の山口先生とおっしゃる方です。その方がどうも主治医になる。名札を見て緊張して行きました。
 お会いして、先ず向こうの先生が仰ったことは、「膵臓癌というものは、私はたくさんの例を見ていますけれども、そう長く生きられるものではないということが前提となった治療になる。極めて厳しいかというとそれは言い過ぎかもしれませんけれども」。医師として告げるべきことは告げねばとデータをご覧になって、「それが膵臓癌というものなんです。改めてこの病院でCTを先ず撮ってみましょう。そしてそれからMRIとか超音波とか、そしてもし気になるところがあったら細胞を取って検査をしましょう」ということでありました。
 一応これからの治療方針を仰った先生は、「ところでどうしてあなたたちは盛岡から呉に来たんですか?」。訊かれてはじめて「私たちは二人とも牧師をしておりまして」と言いますと、感染防止のアクリル板で隔てられてはいましたが、先生が一気にリラックスなさったらしく、「二人共ですか?」。「そうです」。「えー」。本当にのけぞって「カトリックですか? プロテスタントですか?」。「プロテスタントです」。「そうですか」。ふつうの患者さんであれば生きる死ぬということに対しては非常にナーバスにならねばならない、それを告げねばならない先生ですけれども、もう私たちがそういう生きる死ぬということもある意味納得し、それをテーマとして生きていることを知られた先生が、「おー」とそれから非常にフレンドリーに今後の方針をお話しくださいました。すぐCTを撮らせていただきました。
 そして一週間後にCTの結果をご覧になって「見当たらないなあ」と言うのです。「見当たらないけれども、盛岡のデータを加えると、これはもっと慎重に見なければいけないから、MRIの方を早速撮りましょう」ということで、MRIのスケジュールは詰まっていたようですが、係に「そこに悪いけど割り込ませてくれよ」と順番を取ってくださいました。それからそのまた一週間後、こんどは先生がMRIも参考にして先に撮ったCTも参考にして、診察をされる前に超音波診断を撮って、そのことも合わせて見てみましょうということになりました。
 ですので私たちは22日に超音波の検査を受けてから、いよいよ最終的な先生の判断をいただくということになったのです。
 超音波を録ったひろ子先生に聞いたのですが、録り終わった後に老先生と若い先生の会話が聞こえてきたのだそうです。「見当たらないな」というような会話をしていたと言うのです。
 それはそれとして、超音波も終わって、必要なデータがまとまったのがお昼過ぎだったと思います。いよいよ山口先生のところに行きました。先生は笑顔で「良かったですね。どこにも転移していませんし、それから間質性肺炎もまったく問題ないし、それから腫瘍マーカーも大丈夫ですよ。だから抗がん剤の治療は必要ありませんね」。付き添っていた私が「先生、本当に間質性肺炎大丈夫なんですか?」 と訊くと「だいじょうぶですよ」。そして仰いました。「ただこれまでの盛岡のデータもあるから、ちょっとこれは放射線がきついんですが、PET-CTを撮りましょう」。クリスマス前にこの検査を受けることになり、後で看護師さんがこのPET-CTの説明をしてくださいました。
 説明くださった後で看護師さんが、「ところで岩手からこちらの方にいらした國光さんですね」。と言うのです。どうも看護師さんの中でも、岩手から来たことは、よほど話題になっているらしい。仰るに「良かったですね。この先生はすい臓がん専門に研究している先生なんです」。「私たちも光栄です」と看護師さんも非常に喜んでくださった。岩手からここに来て、膵臓癌が意外な展開となったということが非常に大きなできごとなのだろうと思うのです。その意味で「光栄」と仰った、そう思うのです。「私たちも嬉しいことです」といってお別れをいたしました。

 私は誇張もせずありのままをお話しいたしました。私たちは一週間前あたりから、ようやくがんセンターの構造やらいろいろなことに慣れました。地下通路を通って正面玄関の方に來るんですが、その地下通路のところに絵が掛かっていることに気づきました。気持ちに余裕が出てきたのだと思いますけれども。地下通路に掛かっている大きな油絵、上高地から奥穂高を見るいちばん有名な景色です。なるほど、まさかここで見ることができるとは! と思いながら、長野県の松本出身の私は、ちょっと嬉しい気分になりました。近づいて油絵を見てびっくり。それがどう見ても常念岳の絵なのです。郷里の懐かしい山。なんでここに常念岳の絵が? 間違いない。へー、呉に来てこういう油絵に出会えたんだという驚きと喜び、そしてさらに話題が岩手山を望める鞍掛山につながるんですが。これは本当に神様のふしぎな導きと言ったらいいのでしょうか。雲の柱が動いて、神様がここの病院に、この先生に、導いてくださった。絵画も含めて何か不思議な神様の導きを感じたその出来事を、きょうのメッセージを語る前に、背景のような思いで語らせていただきました。

 それできょうのみことばからのお話はすこし短めになりますが。

 私たちはしばしば詩篇を取り上げます。それは詩篇には私たちの信仰生涯のありのままの姿が出ている。そこに共感を覚えるのです。飾らず率直です。ある時には失敗があり、ある時には嘆きがあり、ある時には悲しみがある。ある時には怒りがある。ある時には憎しみさえ出てくる。歯に衣着せずして信仰者の心の動きが素直に出ている。その中に私たち自身が投影されているような気がいたします。
 ただ詩篇を見るときには、ああなるほど、こういうことが書いてあるなあというような意味の字面という意味の二次元的な理解。その二次元的な理解から、こんど私たちが現実生活を生きているときに、いろいろなつらいこと、悲しいこと、嬉しいこと、そんなことをも経験しながらそれで詩篇を見るときに、そこに何か浮かび上がってくる。ああそうだ、三次元的な詩篇の理解がやってくるのです。ですからクリスチャンたちが詩篇を好んで読むというのは三次元的な理解が深まって来るからなのです。
 それとともに、もっと言うならば、これを通して神様との交わりがいよいよ豊かにされるという意味で三次元の上といえば四次元、つまり詩篇を通して神様との深い交わりが強められていく。これが詩篇の持つ無限の魅力だと私は思うのです。
 繰り返します。詩篇は二次元的理解から始まっていいのです。でも二次元的な理解から自分たちの信仰生涯を重ね合わせるとき、立体的にそれが捕えられてくる。ああそうだな。でもその三次元的な理解をさらに超えて、「ああ神様」となり、そこに四次元的な深みと或いは飛躍といったらいいのか、その中で神様に扱われる。これが詩篇の魅力だと思います。詩篇の22篇、23篇、24篇を見ましょう。

 



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 まず詩篇の22篇、これは四次元的な意味でいうのならば、ここに受難のキリストを見る。それは何かというと、まず1節に
「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか。」
もう皆さんお分かりになりますね。イエス様の十字架上でのおことばです。つまりイエス様は詩篇の22篇をそのまま生きたお方なのです。
敵は8節のように言います。
「主に救い出してもらえ。彼のお気に入りなのだから。」
22
篇には人々の嘲りのことばまである。

これが私たちの地上におけるさまざまな出来事、悲しみ、辛さをぜんぶ経験されたイエス様です。私たちの救い主は私たちのすべてを経験されたお方なのです。受難のイエス様と私たちの心が結びつきます。

 


Img_20221202_163258 そして詩篇の23篇、これは復活のキリストです。22篇が受難のキリスト、十字架のキリストであるなら、23篇を復活のキリストというように味わうことができます。
「主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます」。「私はいつまでも、主の家に住まいます」。
これは復活のキリストを私たちに証しするものです。

 

 

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そして24篇、これは凱旋のキリスト、
地とそこに満ちているもの、世界とその中に住んでいるもの、それは主のもの。
だれが、主の山に登り得るのか。
門よ、おまえたちの頭を上げよ。永遠の戸よ、上がれ。栄光の王が入って来られる。
 これがまさに凱旋のキリスト。
これが私たちが22篇、23篇、24篇の中で、四次元的に捕らえられることです。

 

 

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 今回アドベントの時、このイエス・キリストご自身というものを心に留めるとき、受難のキリスト、凱旋のキリスト、というこのお方が私たちの為に人となってくださった。私たちとこの救いのために、このお方が人となって下さったというこのことにあらためて思いをさせていただきたいとこのように思うのです。

 

 

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 ダビデは少年時代、羊飼いをしていました。ダビデは誰よりも羊飼いをよく知っているそのダビデが、23篇で「主は羊飼いだ」。動物の中でいちばん小さい者弱い者、それが羊。おろかなものが羊だということを、ダビデは少年時代からよく知っていた。そしてダビデは、「私の主は私の羊飼いなのだ」。そしてよき羊飼いは「いつくしみと恵みの神」。この23篇の6節。「いつくしみと恵みが私を追ってくる」。「いつくしみ」。これは神様が天地宇宙を造られたときに、「それは非常に良かった」と仰られたそのことばと同じことばが使われているということを、いつか皆さんと一緒に心に留めた記憶がございます。神様が天地宇宙を造られたときに、「それは非常に良かった」、文語訳では「甚(はなは)だ善(よか)りき」と仰ったその神様が私たちの羊飼い、そして恵みという言葉が6節にありますけれども、「いつくしみみと恵み」とありますけれども、これは、まったく同じ意味で「憐れみ」ということばです。神様は慈しみと恵みに富んで私たちをあしらってくださる。そして6節に私を追って来るでしょう。影が私たちが逃げようとしても離れずについてくるようについてくる。「追って来る」、これは「付き纏(まと)う」という意味が使われているようです。
 今回のひろ子先生のことを通して、神様のいつくしみと恵みがまさに追ってきてくださった。ほんとうに主が私の羊飼い、よき羊飼いであってくださいました。主がよき羊飼いであられることを心からアーメンと肯ける人々、それは、イエス様のお誕生を知らされたほんの一握りの羊飼いであったり、星に導かれた博士たちであったり、世の中から見たのならば、ほんの世界の片隅で起きた小さな取るに足りない小さな出来事、でもそこに神様のいつくしみと恵みがある。

 私が今日のメッセージの序論でひろ子先生のことを証しさせていただいたのは、祈っていてくださった皆さん方に、ほらね、主はほんとうに導かれたでしょう。皆さんは、ほらね、と言って分かっていただける方々なのです。他の人たちには、こんなことは世の中の片隅で起きた小さな取るに足りないことなんです。でも、神様に祈っている人たちにとって、ほら、神様ってすばらしいお方でしょう。私がこのようにお話をし、皆様方が、そうだ、ほんとうに私たちの主は私たちに良き羊飼いでらっしゃるんだということを肯いてくださるのならば、今年に相応しいアドベント第一回目になるのではないか、このように思っております。

 

※データは会員の方が記録した動画から撮っています。
文責:中ぶんな
⏰6時26分更新

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あれこれ

 久しぶりに新日本紀行を見ると、岩手県種市町の南部もぐりが紹介されていた。

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 海中土木、開発など、予想を超える仕事内容、特に海中での溶接は興味深かった。東日本大震災のときの海中のようすは、泥だらけで真っ暗闇、ウニ栽培のいけすも流されていた。シケとはけた違い、地震で地割れが入って弱い岩盤の岩がひっくり返っていた。桁違いの破壊力だったという。それを確か一か月後には漁の再開にこぎつけたとか。

 盛岡から宮古市に引っ越した時に、さあこれからは朝夕に海を眺めて暮らすことができると喜んだのは実際に現地に行きつくまでの夢。着いた先は浜から離れた山の上にできた団地だった。それでも何度かは行く機会があった。浄土ヶ浜で子どもたちを遊ばせた思い出がある。印象深かったのは、海の底の美しさ。何も沖に出なくとも、その時はたまたまウミウシがいて、図鑑で見るのとは違い、いかにもゆったりと潮に揺られている。それまで海面しか見たことが無かったけれども、海の底は面白いと思った。
 いつか本格的に潜ってみたいと思いながらついに今日に至るまで、チャンスに恵まれなかった。
 こんなことをも思い出しながら見たこの番組。潜水にも多岐にわたる仕事内容があることを教えてくれた。そして意外にも、潜水を学べる高校は全国にこの岩手県立種市高等学校一校だけであるらしい。

 

⛳きょうはまる一日休養。休養ボケでなかなか手つかずで22時43分更新

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221202 クラシック倶楽部を聴く  マテュー・デュフォー フルート・リサイタル

マテュー・デュフォー(フルート):1972年パリ生まれ。8歳から本格的に始める。現在ベルリン・オーケストラ首席奏者。
浦壁信二(ピアノ):1969年生まれ。都立芸術高校、パリ国立高等音楽院に学ぶ。国内外の演奏家と共演。洗足学園音楽大学客員教授。

マテュー・デュフォーのコメント
器楽の演奏家はみな「歌うような演奏」を目指しています。「声」をイメージして演奏するのです。声は何も介さずに自己表現ができる最も原始的な「楽器」です。フルートは「声」にいちばん近い楽器です。息と音が直接結びついています。歌口に(リードのような)物理的な抵抗がなく、直接息が入る唯一のクラシック楽器なのです。だから私はフルートに歌いかけるように演奏します。とても親密な関係です。息と戯れている感覚です。
 今回のプログラムは私自身の人生とも重なります。私にもピアニストにとっても難曲ぞろいですが、心を豊かにしてくれる作品ばかりです。やや暗く物悲しいプログラムですが、その気持ちを共有し会場と一つになりたい、そう願って組みました。
 美しい音とは、感情が伝わる音だと思います。ポジティブな感情もネガティブな感情も含めての音です。ただ綺麗なものは飽きられます。人生と同じように音も変化や柔軟性があってこそ輝くのです。感情を音に乗せることが大切だと思います。
 私が音楽を通して目指すのは「分かち合い」です。音楽で物語を語りメッセージを伝える。それさえできれば私は満足です。人の心に響く演奏をすることが私のしあわせなのです。

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【曲目】
フルート・ソナタ  プーランク
 20世紀前半を中心に活躍したフランスの作曲家集団「6人組」のひとりプーランクが晩年に書き上げた代表作のひとつ。フルートの巨匠ランパルに助言を仰ぎながら書き進められ、ランパルのソロ、プーランクのピアノで初演された。
フルートとピアノのためのソナチネ op.76  ミヨー
 「6人組」のひとりミヨーの作品。クラリネット、オーボエの作品とともに「ソナチネ3部作」と呼ばれ、その中で最初に作曲された。
フルート・ソナタ ホ短調「ウンディーネ」op.167  ライネッケ
 ドイツの作曲家ライネッケがフーケの戯曲「ウンディーネ」から着想を得て作曲。水の精ウンディーネの悲恋を描いた作品で最終楽章では悲劇的な結末へいたる様子が激しい曲調で表現される。

🎵 3人の作曲家による、それぞれの色合いをもったフルートの音。
「ウンディーネ」、水の精を歌うフルート。時として陰影も伴う奥行きのあるフルートにピアノがけっこうドラマを付加してくれる。水の面をすべり揺らぐものがしだいに森の木立のかしこに悲しく希望を探しめぐるという感じが。悲しく呼ぶような、はたまたそれが木漏れ日に慰められてでもいるような魂のひとり歩き。第2楽章でアクティブに。いいじゃないの、これで、けっこうこれも愉快痛快と聴こえてからは解放されたような伸びやかさ。次楽章、それこそ、こうか、ああかと歌うような。終章、追いかけるのはピアノかフルートか、フルートかピアノかと華麗に勢いづく先の静けさ。

🎧名曲アルバム。シベリウス「バイオリン協奏曲」
バイオリン加藤知子、現田茂夫&東京フィル
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ヘルシンキ郊外に広がるヤルヴェンパーの森。シベリウスは、91歳で世を去るまでの半世紀以上をこの地で過ごす。終の棲家となった山荘〝アイノラ〟は今も静かにたたずんでいる。妻アイノの名からつけられたこの山荘での暮らしは、シベリウスの芸術に大きな影響を与えた。
1900
年にヘルシンキで活躍していたシベリウスを聴覚の異常が襲う。酒におぼれ、社交に明け暮れる日々。シベリウスは創作の意欲を失い堕落の底へと落ちていった。逆境の中、バイオリン協奏曲が誕生する。しかし初演は失敗に終わる。妻アイノはシベリウスと共に山荘で暮らすことを決意する。光と緑に包まれた森の生活。シベリウスは創作意欲を取り戻していった。自ら演奏を禁じていたバイオリン協奏曲に再び向き合う。改訂稿で臨んだ再演は大成功をおさめシベリウスは自信を回復する。北欧を代表する作曲家として世界的な名声を確立したシベリウスは終生〝アイノラ〟を離れることはなかった。

 

⛳ワールドカップと音楽番組との間を行き来しながら、観た、聴いた、の今朝、デュフォーのフルートの音を引きずりながら、チャンネルを切り替え、切り替え。シベリウスに入る直前に日本の勝利決定。それにしてもゴールキーパーは偉大なり。そう思われた。もし私がサッカーをやるとしたら、すでに、絶対に、間違ってもあり得ない、バカげた、能天気な、あと打ってつけの言葉はないかと思い巡らすも、もはやこれぐらいの貧しさで、ともかく、やりたいなと思ったのはゴールキーパー!

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世の中事情がそんなこんなでも、身近な景色は雪の衣装。

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8時43分更新

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221201 クラシック倶楽部を聴く ラドヴァン・ヴラトコヴィチ ホルン・リサイタル

ザグレブ出身の世界的ホルン奏者ラドヴァン・ヴラトコヴィチが、ベートーベンのホルン・ソナタから現代の作曲家の作品までを多彩な音色で奏でる演奏会をお送りする。
【演奏】ラドヴァン・ヴラトコヴィチ(ホルン)、児嶋 一江(ピアノ)
【収録】2022年5月20日 紀尾井ホール(東京・千代田区)


ラドヴァンのコメント
 どんな楽器にも特有の魅力がありますが、ホルンの魅力の一つは多様性だと思います。神秘的で魔法のような楽器です。私は6歳でホルンを始めました。最初は遊び感覚で、毎週土曜日がレッスン日。当時はホルンではなくメロフォンというホルンに似た楽器で練習していました。帰国後小学校と音楽学校に通い始め、そこから本格的な音楽の勉強が始まり、楽器のテクニックや音楽理論などを学びました。
 ホルンは音色がとても魅力的な楽器です。大きい音や勇ましい音、逆に信じられないほど繊細な音も出るし人間の声のように歌うこともできます。4オクターブ以上の広い音域があり、音の強弱の幅も大きい。木管楽器と共演するときなどは、とても小さな音で演奏することも可能です。逆にオーケストラと演奏するときには、それなりに大きな音を出せるのも魅力です。楽しいという気持ちは6歳の時から今も変わりませんね。
 ベートーベンのソナタのように有名な作品もあればあまり知られていない作品もあります。キルヒナーもそうです。どの作品も個人的な「縁」があるものばかりです。今日演奏する「オルフェオの嘆き」は、私の知人の女性ホルン奏者のために書かれたものです。
 オルフェウスの神話は音楽と深い関わりがあります。〝空間と反響〟そして〝時の流れと反響〟の関係性に注目して書かれた作品です。ピアノの中で音が発せられ、そこから跳ね返ってくる音をピアノストがペダルを踏むことで更に響きに変化を加えます。作曲家は数年前に亡くなりましたが、とても美しい作品です。
 今日演奏するもう一つの現代曲は、ノルウェーの女性ホルン奏者のために書かれた曲です。ベルゲという作曲家の作品で、ノルウェー語で「牛追い歌」を意味する「Horn Lokk」という題がついています。とても面白いホルンのための独奏曲です。古典から現代曲までホルン音楽の大きな流れを紹介できるので、ベートーベンも喜んでくれるでしょう。同時に彼の時代にはなかったバルブ付きホルンの可能性も感じていただけると思います。

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曲目
ホルン・ソナタ ヘ長調 作品17(ベートーベン)
 1800年、ベートーヴェンが29歳の時に、ホルンの名手プントと共演するために書いた作品。難易度の高い作品でベートーベン自身が弾くために書かれたピアノパートも技巧的。楽譜を書き始めたのは演奏会前日と言われている。
☆オルフェオの嘆き(キルヒナー)
☆7つのスケッチ(マッツ)
 マッツ(1901~1988)はクロアチアの作曲家。約500の器楽、声楽曲を作曲。ー
☆ホルン独奏のための「Horn Lokk」〈牛追い歌〉(ベルゲ)
 北欧の冷涼な空気を感じさせるこの曲のタイトル「Lokk」はノルウェーの伝統的な牛追い歌の意味。叫び、歌い、語りかけるようすが現代的な技法を伴うホルンで再現されている。
☆序奏、アンダンテとアレグロ(ロッシーニ)
 父がホルン奏者だったロッシーニは、この楽器の扱いにたけていた。37歳の時、「ウィリアム・テル」でオペラの筆を折った彼はサロン向けの小曲を多く作曲した。ロッシーニらしい歌心にあふれたこの曲は、晩年のパリ時代に作曲されたと言われている。
☆アンコール サルタレッロ(アルトー)


🎵今回は演奏から醸される空気感を楽しむ。「Horn Lokk」、音に遠近感をもたせ、広さ、空間、或いは、近づき来るものたちを感じさせるこの曲。「序奏、アンダンテとアレグロ」、哀歌のようにきこえながらも、次第に展望が開けてゆくような。アンコール曲、小さいながらも軽快、小気味よさも。

 

🎧名曲アルバム。「ディヴェルティメント K.136」モーツァルト作曲 。飯森範親&N響。

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 モーツァルトは十代半ばに3回イタリアを訪れた。ザルツブルクからインスブルック、ブレンナー峠を越えてイタリア最初の公開演奏を行ったヴェローナまでの道のりをたどる。
 モーツァルトはザルツブルクに生まれここに育つ。十代半ばの彼は、ここから3度イタリアに旅立った。モーツァルト父子はザルツブルクから先ず西へと向かう。途中インスブルックには今も彼らが滞在した宿が残っている。ここから二人はブレンナー峠へと向かった。18世紀馬車による山越えは過酷なものだった。現在はアルプスの南北を隔てるブレンナー峠がオーストリアとイタリアの国境で、ドイツ語とイタリア語が共存する。峠からおよそ100キロのロヴェレートでモーツァルトは温かく迎えられた。モーツァルトの十数年後にアルプスを越えたゲーテは「イタリア紀行」の中で、この街で言葉はイタリア語だけになると述べている。ロヴェレートからおよそ50キロ南のヴェローナに古代ローマ時代の野外劇場がある。モーツァルトに強い印象を与えたかと。
イタリア最初の公開演奏を行ったホールでは、13歳の神童は聴衆の大きな喝采を浴びた。モーツァルトのイタリア体験は、その後の創作活動に大きな影響を与えた。
興味深いモーツァルトのカレンダーはこちら

🎵ブレンナー峠越えのモーツァルトの旅にたった数分間同行。馬はこの坂をのぼれるかしらん、馬車は大揺れ、背中は痛いおしりも痛い、全身ぐったり。現地到着で息を吹き返す。こんな旅?

⛳さきほど盛岡にも雪がちらついていた。初雪ではないらしいけれど。もう12月1日。ことしもあと一か月。月並みなこのセリフだと思いながらの更新。何が何でも朝食は7時に出すと決まっている。朝食を終え、後片付けを終えて8時25分更新。

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