あれこれ
今朝のおはよう日本で、ソ連のスターリン時代に、ウクライナにあった90年前の大飢饉ホロドモールを取り上げていた。
時代は進んでいるのか後退しているのか、AIに勝ったとか負けたとか、うん、まだ負けた例は見たことがないけれど。あらゆる分野で人をしのいでいる。知識もパソコン、スマホに訊けば質問の大方に答えてくれる。こんな世の中になって尚、戦争と深刻な飢餓が無くなることがない。夕刻にはアフガニスタンの危機的状況が報道されていた。どの場面も胸が射抜かれる思いがする。90年前も、もっとそれ以前にも、今も、これから先もこの悲惨は無くなりそうにない。
「ただ同時に」と藤原辰史が著書「ウクライナ」でいう。「歴史がくり返してきた重要な問題のひとつは、たとえば日本のような戦場から離れた国に住む人びとの、当事者意識の減退と、関心の低下、そして倦怠ではないか、つまり〝胸の痛み”が持続しないことではないか、ということです」。ウクライナ対ロシアを日々目にしながら、報道にどこか慣れてしまった自分に気づき唖然とした。これ以上は何と言ったらよいか何といったものか。神に日々問い祈る、わずかばかりの寄付を寄せる、これがせいぜいのところ。申し訳ない。すみません。ごめんなさい。
☆ ☆ ☆
ショスタコーヴィッチに関して、以前私が思っていたことが書かれてあり、たしかにショスタコーヴィッチをそう思っていた時があった、それが今は。切り抜いてみた。
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