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きょうのことば「神の恵みを見て」ー岩上祝仁 代表ー

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年1120()の礼拝メッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕を一区切り、現在は広島県呉市に在住。この日はインマヌエル綜合伝道団の岩上祝仁代表が盛岡の講壇に立たれ、國光牧師は呉から司会を務めました。

岩上祝仁代表の紹介(國光牧師から)
 講師の岩上先生を簡単にご紹介をさせていただきます。私たち東北教区の者たちにとりましては、2019年「きよめを求めて」という主題で東北聖会が持たれましたときの講師としてお迎えさせていただきました。「いこいの村岩手」を会場にしたときでございました。すぐ近くがまさに八幡平というところでありまして、聖会の合間をみて八幡平を散策したときの写真がございます。

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 右一番手前がこんど主に牧師として任命を受けられる神谷先生、そして、左手前がきょうお迎えしております代表の岩上先生、あとは秋田の方々です。それから一番後ろが盛岡のT兄であります。いちばん印象的な写真を一枚ずつ紹介しまして、そして先生に講壇から「神の恵みを見て」というメッセージをお願いしたいと存じます。


説教題 「神の恵みを見て」(教団代表 岩上祝仁 牧師)
引証聖句 使徒の働き 111926 節
19 さて、ステパノのことから起こった迫害により散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで進んで行ったが、ユダヤ人以外の人には、だれにもみことばを語らなかった。
20 ところが、彼らの中にキプロス人とクレネ人が何人かいて、アンティオキアに来ると、ギリシア語を話す人たちにも語りかけ、主イエスの福音を宣べ伝えた。
21 そして、主の御手が彼らとともにあったので、大勢の人が信じて主に立ち返った。
22 この知らせがエルサレムにある教会の耳に入ったので、彼らはバルナバをアンティオキアに遣わした。
23バルナバはそこに到着し、神の恵みを見て喜んだ。そして、心を堅く保っていつも主にとどまっているようにと、皆を励ました。
24 彼は立派な人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大勢の人たちが主に導かれた。
25 それから、バルナバはサウロを捜しにタルソへ行き、
26 彼を見つけて、アンティオキアに連れて来た。彼らは、まる一年の間教会に集い、大勢の人たちを教えた。弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。

<メッセージ>
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 改めましておはようございます。
 最初この盛岡の地に来させていただくということを聞きまして、何度か國光先生とメールのやり取りをさせていただきました。コロナの感染リスクを避けて、いつもなら10時半開始の礼拝を「きょうは30分礼拝を繰り上げます」と聞きまして、すごいなあと思いました。今から来られる方があってもぜんぜんおかしくないのに、皆さん方がもう30分前に来ておられました。神戸では実は今日は礼拝を45分繰り下げております。それには理由がありまして、神戸教会のすぐ近くを3年ぶりに行われる神戸マラソンがある。教会から最寄りの鷹取駅まで歩いてだいたい5分ぐらいですが、その間を走るということで、そのためにJRから来ることができない。南北も通行止めになってしまって皆さん来ることができない。それで通常は10時半からの礼拝を泣く泣く11時からにしている。もしかすると、盛岡教会の礼拝が終わってすぐにユーチューブを見ると、神戸教会の礼拝とのハシゴができるかもしれない、そのような神様のふしぎな状況がありますけれども、神様は私たち一人ひとりを導いてくださっています。

 この朝導かれておりますみことばに目をとめたいと思います。
 私たちは誰かに「あなたは何者ですか?」と訊かれたときに、どこそれの何某ですと名前や住んでいるところを答えます。そして生き方や信条を訊かれたときには、「私はクリスチャンです」と皆さん仰っておられると思うのです。日本語でクリスチャンはキリスト者という意味ですけれども、その名前がつけられたのは、実はこのアンティオケ、聖書の改定版が出るたびに、このアンティオケの名まえが変わりましたが、新改訳2017の版ではアンティオキアとなりましたけれども。アンティオケというこのところです。ではそのときまでは何と呼ばれていたかご存じですか。それまでは「この道の者」と呼ばれていた。ユダヤの教えから、キリストの道を歩む者たちということで「この道の者」といわれていたのが、このアンティオキアにおいてクリスチャンという名前がつけられたことが分かります。それはこの教会の成り立ちやいろいろなことから来ている。
 特に見させていただくのは
23節バルナバはそこに到着し、神の恵みを見て喜んだ。そして、心を堅く保っていつも主にとどまっているようにと、皆を励ました
 バルナバがアンティオキアの教会に来た時に、見たもの、それは何だったのかということを、けさはみことばから味わっていただいて、そして私たちのこの朝の礼拝を導かせていただきたいと思います。

 バルナバが見たもの、それは「神の恵み」だったと書かれていますけれども、その恵みとは、第一番目に苦難の中に働く神の恵みです。私たちは今朝もズームで國光先生とお話をしたりいろいろできますけれども、インターネット、便利なようで不便ですね。何が不便かというと、こういう決まった形でセッティングをして、広域にわたって多くの人々に配信できるという点はいいのですけれども、ちょっと込み入った話しを何人かで集まってしようとするとすごく難しい。教団でもいろんな会議がもうズームに切り替わっています。ズームですと、たいてい皆さんミュートしてくださいといってミュートにする。そこで、これ誰かとちょっと相談したいなと思っても込み入った話しとなりますと、話しているんだけれども伝わりにくいこともある。
 コロナなどが無ければ、礼拝が終わった後に食事をしたり、いろんな形で顔を合わせて交わりをし、これどうなの? これはどう? 先生どう考えてるの? などという話しができるんですけれども、それができない。何が決定的に欠けているかと私が感じるのは、人格的なほんとの深い交わりということ。ズームは教会にとってツールとしてはすごくいいんですけれども、やはり難しさも覚えております。それでも、その中でも、私たちはそれをもっと積極的に用いて私たちのできることを、そして補えることは何かということを今教団あげて取り組みながら、この困難な伝道者不足の時代にそれを補い合いながらも、それを用いて使う。限界も見ながら、それをもって教会を建てていくという方向に少しずつ舵を切ろうとしています。そんな中で、私たちは確実に厳しい、ある意味苦しい時代に入ってきていると言えるのですけれども、でもここで見させていただくのは、アンティオケアの教会は苦難の中から始まった教会だったということです。

 19節にこういうおことばがあります。
さて、ステパノのことから起こった迫害により散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで進んで行ったが
 散らされた人々は、ユダヤにいて、あるいはエルサレム中心、その近くにいて、そこで信仰を持っていたのですけれども、ステパノの迫害、殉教の死によって、エルサレムにはいられなくなります。そればかりではなくて、その後、イエス様が亡くなられたのは、だいたいAD30年ごろといわれますけれども、その40年後、AD70年にローマ帝国が台頭、60年前後から攻め始めてだいたい66年、67年にはエルサレムが陥落したといわれています。ほんとうにユダヤの人々は今のウクライナの人々のように全世界に散らされていくようなそういう歩みをする。その始まりだったのが実はキリスト者たちでした。今まで住み慣れたところを全部手放して、命からがら逃げた先が地中海の街フェニキア。そこでもうまくいかなくて、彼らは船に乗って更にキプロスへと。キプロスに渡ってもまだ難しくて、そしてアンティオケアまでやってきた。流浪の生活を送るという中を通っている。私たちは様々な流浪の生活を送っているときに、自分たちは一体何者なのだろうかということを悩み始めます。なぜならば人間は生きる場所と自分のアイデンティティというものを深く結びつけて歩むからです。皆さん方それぞれに出身地があると思います。多くの方は岩手出身ではないかなというふうに思います。岩手の、私も「岩」という字にはすごく愛着があります。岩手って何で「岩手」なのか由来を調べたら、盛岡の三ツ石神社ある大きな岩に懲らしめられた鬼の手形が残っているところからという話しでした。それぞれ歴史があって、文化があって、生きている人は場所にある意味結びついて生きているのでその場所を移る、変えて生きるということに非常な困難を覚える。
 今朝、ホテルから出て、すこし歩きました。凛とした冷たさの中を散歩しました。それから教会に来ますと、出迎えてくださった盛岡の兄弟に「今朝あったかかったですよね」という一言に愕然。神戸なら真冬の気温です。気温が違うというだけでいろんなものが違う。植物が違い、街の風景が違い、食べ物が違い、いろんな違いがあるときに、そして昨日の夜も夕食に入った店の店員さんが、ちょっと外国の方もいらっしゃったんですけども、たぶん盛岡弁交じりの日本語で話される。ここも盛岡、神戸とは違うんだなと。その中で、私の場合はここに来た目的がありますから、礼拝の為にという目的で盛岡に来ているので自分は盛岡にいる。でももし無目的に旅しているとしたら、まったく別です。そのときに私たちは、なぜこういうふうになったのか考えることが人間という存在です。そして、その先を見通しながら、不安になるのも人間。そして、その中で悩むのも人間です。
 そういうときに信仰者は、その中に違いをもたらすことができる存在です。それは、何かというと、迫害ということを通ったときに、彼らが持っていたものがあった。彼らはイエス・キリストの福音を持ち、信仰を持ち、そしてその中で歩んでいたという事実。迫害が起こったときに、それを訝しがり、なぜ私たちにこんなことが起こるんだ。神様いったい何を考えているんだ、なぜこんなことになるんですか。しかし、そういう考えではなくて、神様が御手をもって私たちを導いて、このことも神のご計画の中にあり、この世は神に敵対し、私たち信仰者を信仰から落とすために悪魔は働いている。そのことを覚えながら彼らはキリストの十字架とその救い、そして、死を打ち破られたキリストご自身を見上げてキリストの足跡に倣うということを心に決めてその道を歩んでいく。ですから、苦難の中で彼らがしっかりと持っていたのは、私たちを愛していのちを捧げてくださったキリストであり、私たちを愛して死を打ち破って下さったキリストであり、そしてキリストご自身がわたしに従って来なさいといわれたそのことばを握って歩み続けていく姿であった。私たちはふだん恵みを受けているときには、感謝を育ててそして喜びを持って進むことができます。でも私たちの信仰がほんとうに試されるのは、このような試練の時、苦難の時、困難な時ではないでしょうか。苦難の時だからこそ、その中でしか味わえない神の恵みがある。苦難の中にこそ働く神の恵みがあることを今朝もういちど覚えたいと思います。

それから第二番に、神の恵みは私たちの苦難を打破することができる。打ち破る恵みがある。おもしろいのは、この19節、20節、
アンティオキアまで進んで行ったが、ユダヤ人以外の人には、だれにもみことばを語らなかった。
20 ところが、彼らの中にキプロス人とクレネ人が何人かいて、アンティオキアに来ると、ギリシア語を話す人たちにも語りかけ、主イエスの福音を宣べ伝えた。
 それまでは、イエス様のことを話して通じるのはユダヤ教の人たち、ユダヤ語を話す人たち。聖書を読むことができる人たち、勿論その当時はもう70人訳の聖書が出てましたけれども。私たちは今皆さんこのお手元に聖書を持っておられます。聖書を読むことができてますね。聖書って、皆さん、読むものだと思ってませんか。聖書は実は読むものではない。どういうことかと言いますと、聖書が読めるようになったのは、つい200年ぐらいの間のことなんです。1500年代にグーテンベルクが活版印刷を始めて、ルターがドイツ語の訳をして印刷をします。ウェスレーの時代にもそれができる。でも識字率というのは世界を見てもすごく低くかった。18世紀までは教会に大きな聖書があると、鍵が付いていて開けられない。鎖が付いていて、持ち出せないようになっている。なぜかというと、聖書は非常に高価で、そして普通の人がおいそれとは近づくことができないもの。
 ですから、皆さん、美術館に行きますと、宗教画がたくさんありますでしょう。関西の宣伝になって申し訳ないんですけれども、神戸の南に淡路島というのがありまして、その先にもう一つ南に行きますと、鳴門市という徳島県の街があります。そこに行きますと、大塚美術館というところがあります。そこに古代から現代までの美術品がある。本物ではありません、本物は見せられませんから、レプリカでずらっと並んでいる。ローマのシスティーナの礼拝堂の壁画と、それから天井画と、それから壁面のものが実物大で置かれています。上を見ますと創造のはじめから最後は「最後の審判」の光景がダヴィンチの絵が描かれてある。それは何かというと、聖書の物語を、それを見れば分かるようになっている。そして、そこで礼拝でみことばが取り次がれて語られて、そして福音理解が深まっていく。そして聖餐式が行われて、十字架が伝えられるというのが、教会がずっと守ってきた礼拝です。ですからみことばを聴く。
 皆さん礼拝には必ず聖書朗読があります。聖書朗読って、説教の前の聖書箇所を読むということじゃない。私はたいてい礼拝の聖書朗読のときには会衆席にいるんです。それはなぜかというと、私説教者自身が神のことばを聴くという私の礼拝の表れになっているから。みことばを聴く。だから説教がこの礼拝の中心に置かれている、そういう意味合いなんです。そのことを覚えて彼らはユダヤ人、聖書のことばが分かる人たちに伝えればいいねといってユダヤ人にしか福音は伝えないという暗黙の了解がこのときまで教会の中にあった。ところが、へブル語を話すクレネ人やそれからキプロス人が来て、ギリシャ語で、あそうだこの人たち、イエス様のことを知ったら救われるんじゃないの。この人たちにも福音が必要なんだねといって、それまでの教会の常識を打ち破って言葉を超えて福音を伝え始めたのが実はこの箇所、福音の可能性を信じて神の恵みが私たちの思っている枠を超えて働き、神のみわざが成されていくということを彼らはこの箇所で体験をします。


 私たちは、國光先生がこの場所にいらっしゃるからこの教会が建て上げられ、そして尊いご奉仕をしてくださった。そのことを私自身も忘れてはいませんし、また忘れるつもりもありません。でもそれを覚えつつも國光先生が呉に行かれた後この教会はどうなるのか、いなくなったからダメになるのか。聖書はそうは語っていない。私たち一人ひとりが神の恵みの可能性を信じ、そして、私たちの思っている枠を超えて働くことができるお方が神様なのです。
 四国のある教会の先生、私もその先生といろんなところでお交わりをいただいているんですけれども、その先生がすこしご病気になられ休むことになりました。それがコロナが始まって一年目ぐらいのことですから、だからもう一年ぐらいになるんですけれども、そしたら何が起こったかというと、先生が病気になって大変だからみんなで祈って頑張りましょう。教会員の方々が其々様々なことを分担をされて、そして福音の恵みを伝えていこうということがされて、その教会では昨年7名の方がイエス様に導かれて受洗されたんです。神様がなさる恵みというのは私たちの思いをはるかに超える。なぜそれができるんでしょうか。それはイエス様が私たちの中に働いてくださって、そのイエス様の十字架と福音、罪赦されて神の子どもとされました。イエス様とともに歩んでいます。この人生の底支えをしてくださるイエス様があなたの人生の問題にも有効ですよ。本物ですよ。信じたらあなたもイエス様によって救われますよということを彼らが信じていたからです。そしてアンティオキアの人たちは、それをしっかりと握って信じていた。バルナバがアンティオキアに来た時に見たのは何だったでしょう。今日と同じ皆さん方の集まりです。

 私は前回2019年に北東北聖会で、この盛岡の地に伺わせていただいたときに、聖会の直前ですから國光先生がこの教会の前を走って、ここが盛岡教会ですよ。聖会の前だったので、私は内心、ほんとはもうちょっと見たいのになと思いながら、そのまま素通りをして、そしてかえってきました。今日は中に入って、会堂ではなくて、そこにいらっしゃるここにいらっしゃる盛岡教会のお一人おひとりとお会いすることができたというのが喜びなんです。教会は建物ではありません。信仰者お一人おひとり、そしてそこには一人ひとりの人生があり、一人ひとりの課題があり、一人ひとりの闘いがあり、そして一人ひとりの問題や課題やいろいろなものがあるときに、そこにイエス様がどのように関わってくださっているか。それが私たちは様々なものを乗り越えていく力になり、知恵になり、そして様々なものを生かしていく福音によって私たちはその枠を乗り越えていくことができるようになっていくんだ。ですから神様、この盛岡教会のこの変化の時期もほかならず私は助けてくださってお一人おひとりが信仰者として育っていくための機会として用いて下さる愛なるお方であり、善なるお方であり、そして助けであるということをしっかりと覚えながら、この朝を迎えさせていただきたいと願っております。


 そして最後に、神の恵み、それは神の働きにさらに人々を進ませる、これは私たちは見るということを、皆さん方は教会に来て、礼拝に来て、何を見てきておられたでしょう。今までは國光先生がいらっしゃってこの講壇で語るのを見てこられた。今朝は私が神戸から来てみ言葉を取り次ぐのを見てくださって、聴いてくださる。でも、私はみことばを取り次ぐときに、覚えていただきたいのは、決して私を見ないでください。肝心なのは私ではなくて語れる器ではなくて、語ってくださるイエスご自身を私たちはしっかりと見なければいけない。バルナバはそこのところをよく分かっていました。こういう人がいる。ああいう働きがある。こんな問題がある。いやこういう改善点があるということに着目するのではない。バルナバが見たのは、私たち一人ひとりの中にある働いてくださる神の恵みキリストご自身を見たんだ。私たちが見上げるべきお方は、問題でもなく課題でもなく状況でもなく人でもなく闘いでもなくキリストご自身、しかもそこに働くキリストを通して与えてられている神の恵みにこそ私たちは目を向けなければならないんだということを覚えたい。しかもそれはこの場所で、教会の中で、私たちは福音を語る時に、どちらかというと、あなたは信じなさい。個人的なメッセージとして語りだす。私もそうですけども。それはなぜかというと、私たちが一人ひとり信仰の決断を持って信仰に立って歩むということが必要だから。同時に私たちが忘れてはいけないのは、神は教会を通して働かれる。覚えていただきたいのは、そこに到着し、神の恵みを見て喜んだ。そして、最後に皆を励ました。で彼が見たのは、キリストを信じて受け入れる個人と、それから人々です。教会、そして私たち一人ひとりが、信仰に堅く保って、いつも主にとどまり続けていくようにヨハネの15章を読みますと、主にとどまることが三つ書かれています。それはキリストを信じる信仰と、キリストのみことばと、そして、キリストの愛にとどまりなさいということ。私たちは、今朝個人としてキリストにしっかりととどまって、主にとどまるようにということを心に決めると同時に、もう一つは、私たちはインマヌエル綜合伝道団という名前の教団に所属しています。インマヌエル教会という名前。インマヌエルは、ヘブル語。(ヘブライ語: עִמָּנוּאֵל‎、ImmanuelEmmanuelImanu'el)インマヌ‘エル、エルというのは「神」。インマヌエルというのは、「神が私たちとともにおられる」。教会の間に、人々の間に聖霊なる神様は働いて、そして共同体を造ってくださるという意味がある。聖書の神様は、父なる神様、子なるキリスト、聖霊なる神様、3人の神様がいらっしゃる。そして一人の神様だということ。なぜなのかというと、それは愛なる神様だから。父が子を愛し、子が父を愛し、父が聖霊を遣わし、子の聖霊を遣わし、そして、聖霊は父と子の栄光をあらわすというそういうことがある。お互いに完全な愛をもって愛する愛が成立し、しかもその愛が私たち人間にあふれ流れて私たちのところまで届けられている。私たちは神の愛を受けて神様を愛します、というふうに言います。

 でも聖書は神を愛しますというときに、必ずセットになっているのは、それは何かというと、隣人を愛しなさい。私たちは神様を愛しますといいながら、聖書が書いているようではなく、人に対して厳しくしたり冷たくしたり、手を取り合ったりしないなら、それは本物の愛じゃないと聖書は厳しくいう時に、私たちは、お互いに助け合って励まし合って、力づけ合って、助けあってゆく教会。今までは、問題があれば國光先生の所に行けば、なに大丈夫という思いがあった。でも先生もまた、それを通して私たちの信仰を励まし、イエス様も導いて見せてくださった。ここで神の恵みは私たちに教会の中でそれぞれがキリストですよね、といっていたからこそ、イエス様を知らない人たちがあの人たちはキリスト者だよね、いつもイエス・キリストのことを言っているよね。何があってもキリストだよね。だからクリスチャンだよねというように変えられていった評判がついた。人々はよく私たちのことを見ています。そして私たちがほんとうにキリスト者なのかどうかをおそらくよく見て観察しているんだろうなと思います。

 岩手に来て花巻に着いて、真っ先に思い浮かんだのは大谷翔平選手。でもそれ以上に大きい名前は恐らく宮沢賢治さん。そして北東北聖会でも話させていただきましたけれども、あの「雨ニモ負ケズ」というあの詩のモデルになったのはクリスチャンの斎藤宗次郎であるという説があります。そういう人々の中に働く神の恵みキリストがおられるんだよ。それは、私たち一人ひとりは、イエス様の十字架を見上げて、罪を告白をして悔い改めて、キリストのもの、イエス様のものにしていただいた。そしてそこからイエス様の愛に生きるように私たちも変えられて、イエス様を愛するようにほかの人たちを愛すること。教会の中でお互いの為に祈り、支え合い励まし合っていくことで教会は育ち、そしてその恵みがイエス様を知らない人たち、あなたもこの恵みを届けたら信じたら、イエス様を信じたらだいじょうぶですよ。それを伝えながら、このアンティオケアの教会は進んでいます。

 そして今日はお読みしませんでしたけれども、使徒の働き1129節では、教会がユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物資を送ることを決めて、それをバルナバとサウロの手に託して送り出すところまで変わっていくんです。教会が成長してくると、私たちは助けてもらったからこんどは助けましょうとなる。実は2011年に、東日本大震災で岩手県も大きな被害を受けた。1995年に私たちは神戸の街は阪神淡路大震災の只中にありました。震災の厳しさ、戦いというのは文字通り私たちの住んでいたすべてのものが奪われる。しかも家族も奪われる。そこが悲しみであり痛みであり、そしてそれは何年経っても決して消えない。表面上は変わります。でも、心の中に残った傷や痛みは決して消えず、より深く深く根をおろしていく。その時に私たちは神様の憐みのゆえにそれを持ちながらでも歩むことができる。いやそれを持っているからこそ、体験をしているからこそほかの人の支えになったり支援に回ることが出来るんだなあということを改めて教えられる。痛みがあることは悪いことではない。悲しみを通ることは辛いです。苦しいです。でもそれさえも神の恵みが私たちを、それらのマイナスであることをも含めて私たちを成長させ、私たちをして、他のインマヌエル教会のために仕えることができるようにも変えてくださることができるのが神の恵みという、いやキリストご自身だということができます。復活の主は聖霊によって皆さん方お一人おひとりの心に住んでくださるお方です。そして今朝、この礼拝に臨む方々に、復活の主が住んでいてくださって、私たちがキリストの救いを喜び、愛に生きるように。そして遠く離れた國光先生ともつながり、またこれからは、いろいろな形で秋田の教会や仙台の教会ともつながりながら、その輪が広がって、キリストの恵みを体験しながら、お互いの為に祈り、お互いに愛を注ぎ合い、支え合っていく教会に神様は導こうとしてくださっていることを覚えたいと思います。そして、インマヌエルの群れ全体も、盛岡の教会をはじめ、多くの教会が厳しい中を通っていくときに、それを支援をし、サポートをしようとしております。

 代表になりましてから私は、いくつかの教会を回らしていただいておりますが、そのほとんどが福島の教会であったり青森の教会であったり、そして今回の盛岡の教会。そしてそれぞれの教会で申し上げているのは、牧師がいない、無牧という状態、このような言い方はインマヌエルでは使わないようにしましょう。在住の先生がいない教会であっても、しかし必ず牧師が責任を持つものがいて、そしてみことばを取り次がれる態勢を取らせていただいて、一人ひとりが神の恵みであるキリストご自身にしっかりとつながってみことばが語られ、信仰が励まされ、お互いに祈り合い支え合い励まし合っていく教会を建て上げていくことに私たちも労させていただきますし、また盛岡の教会の皆さん方も今まで以上にイエス様としっかりと結びついていただいてキリストにある神の恵みを、悲しみではなくて、ともに喜ぶことができるようにさせていただきたいなと。神の恵みを見るときに、あるのは喜びです。そして神様の支えが豊かにあるように私たちも祈り支えさせていただきたいと思います。

 

※データは音声、写真ともに会員作成の動画から取っております。
文章に起こすにあたって、聞き間違いもあり得ることをお詫びいたします。文責:中ぶんな
⏰6時55分更新

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