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2022年11月

221130 クラシック倶楽部を聴く アンサンブル・ミクスト木管五重奏団演奏会〜弘前市公開収録

2011年大阪国際室内楽コンクール第3位 実力派メンバーの熱演!梶川真歩(フルート)本多啓佑(オーボエ)尾上昌弘(クラリネット)嵯峨郁恵(ホルン)中田小弥香(ファゴット)【演奏】アンサンブル・ミクスト木管五重奏団
    2003年に当時東京芸術大学の学生だった5人によって結成。
【収録】2022年9月29日 弘前市民会館(青森県)

弘前の夏の風物詩はねぷた祭り。2022年は弘前ねぷたが登場してから300年。1617年完成の弘前城。現在の人口は16万。リンゴの生産量日本一。
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嵯峨(ホルン):アンサンブル・ミクストという名前をつけたときに、同族楽器というアンサンブルではなく、5つの楽器がそれぞれ個性的な楽器が集まっていることから、混ぜ合わせてミックスしていこうという意味でつけていきました。もちろん5人とも楽器が違うだけじゃなくて個性もばらばらですし、性格もバラバラなんですけども、個を生かしつつ、時にこういろいろ言いあいながらも仲良くやっていこうとの意味もこめられて、そろそろ19年目に入るところでございますが、長く続けられています。
梶川(
フルート):演奏させていただける喜びというのをほんとうにひしひしと感じた数年間だったんですが、お客さんが入った状態で緊張感のある中、双方のコミュニケーションがある中で演奏するというほんとうの演奏会の形ということで、今日は5人でいい演奏をできるように頑張りたいと思います。
中田(ファゴット):木管五重奏という編成はレパートリーが少ないと言われてるんですけれども、その中でも古典から現代までいろいろな作品を楽しむことが出来ると思いますし、今回ライヒャを演奏しますけれども、ライヒャの時代からもうこの木管五重奏の編成があって同族楽器にはない音色感の多様さというか、カラフルさというのがすごく魅力的だなと思います。
本田(オーボエ):今まで19年やってきたチームワークを聴いていただきたいと思いますし、発音体もまったく違いますけれども、その5つの楽器がどうやって音を溶け合わせているかを是非聴いていただきたいと思います。

【曲目】
ノヴェレッテ ハ長調(プーランク)
「ああ、お母さん聞いて」による12の変奏曲(きらきら星変奏曲)K.265(モーツァルト)
 当時フランスで流行していた旋律をもとにモーツァルトが作曲した変奏曲。後に「きらきら星」としてひろまる。
小組曲(ドビュッシー)
 18世紀ロココ時代の貴族の優雅な宴を描いた「艶なる宴」と深い関係を持つ作品。第1曲と第2曲はヴェルレーヌの詩集「艶なる宴」に収められた詩と同じ題名を持つ。
「日曜美術館」テーマ曲~ルペラージュ(阿部海太郎)
木管五重奏曲 二長調 作品91第3(ライヒャ)

 

🎧名曲アルバム。シューマン「ピアノ協奏曲」
ピアノ清水和音、N響&外山雄三。映像ドイツ、ライプチヒ。
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この曲はシューマンの代表作の一つ。結婚の翌年に妻クララのために書き始めた。クララは19世紀最高のピアニストの一人。8
人の子を育てながらヨーロッパ中を演奏して回った。この曲が完成したときクララは8か月の身重だったが、この激しい曲を見事に弾ききったという。10年後シューマンは子どもたちとクララを残し他界。その後クララは常に黒い衣装で舞台に上がり、亡き夫の贈り物であるこの曲を終生たいせつに弾き続けたという。

⛳きょうはずいぶんと遅くなってしまった。またあしたすこし書き足したいけれども、できるかどうか。22時38分更新

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221129 クラシック倶楽部を聴く アンサンブル・ウィーン・ベルリン 演奏会

ウィーンとベルリンの主要オーケストラで活躍する管楽器奏者がユニットを組んで、珠玉のアンサンブルを聴かせる演奏会をお届けします
【演奏】アンサンブル・ウィーン・ベルリン(管楽アンサンブル)
1983
年結成。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン交響楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で活躍するソリストで結成。メンバーを変更しながら活動し、30周年を迎えた2013年に最後の創立メンバーが引退。新たなレパートリーを開拓するなど意欲的な活動を展開。
【収録】2022929日 紀尾井ホール
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カール・ハインツ・シュッツ(フルート):今回はリゲティやミヨーなど木管五重奏の重要なレパートリーを演奏します。ミヨーは日本の多くの若者が演奏していますし、同じくニルセンの有名な五重奏曲も演奏します。献立のような選曲です。スターター、前菜、スープ、ステーキという感じ。
ゲラルド・パッヒンガー(クラリネット):このメンバーで演奏できるのはすばらしいことです。日々、それぞれのオーケストラで最高の指揮者や仲間と演奏していますが、彼らとのアンサンブルはまた格別です。
ジョナサン・ケリー(オーボエ)
―指揮者がいないというのもまた「格別」楽しい?という質問に対してはー
返答に困る。罠みたいな質問だね。木管五重奏は個性的な楽器が集まった独特な編成です。5つの楽器でオーケストラの管楽器セクションのような響きを奏でます。木管セクションの「代表選手の集い」のようです。そして、それぞれに役割があります。私はオーボエ奏者ですが、第2フルートや第2クラリネットの役割をしたり、それが楽しいです。それぞれが複数の役割を演じてさまざまな音色を出す工夫をすることで、とても新鮮な刺激的なサウンドを生み出し木管五重奏ならではの面白さを楽しめるはずです。
シュテファン・ドール(ホルン):長く続ける秘訣は、音楽面だけでなく、人間的にもとても気が合うことです。特にリハーサルは大切です。今回も音楽だけでなく、プライベートな話しもいろいろできてよかったです。お互いに何でも話し合えるのがいいですね。一緒に舞台に立ち、演奏することを心から楽しめる、そんなアンサンブルです。
リヒャルト・ガラ―(ファゴット)確かにウィーンとベルリンでは、フレージングなど奏法への理解や演奏そのものに伝統的な違いがあります。しかし、美しい「妥協点」を探るのがこのアンサンブルの面白いところなのです。これほどの名手たちと「妥協点」を探るのは本当に楽しいんです!「違い」がまさに魅力なのです。

【曲目】
☆6つのバガテル(リゲティ)
現代音楽の巨匠リゲティの初期の作品。リゲティがピアノ独奏のために書いた「ムジカ・リチェルカータ」から6曲を選び木管五重奏曲にした。
☆組曲「ルネ王の暖炉」作品205 から(ミヨー)
ルネ王は15世紀にプロヴァンス地方を治めた実在した領主の愛称。冬の時期、陽光にあふれた土地を好んで訪れていたルネ王の様子を描いている。
☆木管五重奏曲 作品43(ニルセン)
デンマークを代表する作曲家ニルセン円熟期の作品。広く親しまれている木管五重奏の一つ。オーボエ奏者は第3楽章でイングリッシュホルンに持ち替えて演奏する。

🎧名曲アルバム。ラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲」。ピアノ江口玲、現田&東京フィル。
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ラフマニノフは母国ロシアで名声を得るも、ロシア革命の動乱を逃れ1918年アメリカに移住。終戦まえの1943年にビバリーヒルズ近くの正ロシア教会に葬られている。死に瀕して彼がいったことばは「これでもう手がだめになる」。何度も聞いたはずだが、けさは涙が出た。演奏、作曲に命をかけて生きた音楽家の最期のことばだ。

⛳11時17分更新

 

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221128 クラシック倶楽部を聴く ルーシー・ホルシュ&トーマス・ダンフォード デュオ・コンサート

オランダの若手リコーダー奏者、ルーシー・ホルシュとフランスを代表するリュート奏者、トーマス・ダンフォードによるデュオコンサートをお送りします。
【演奏】ルーシー・ホルシュ(リコーダー)、トーマス・ダンフォード(リュート)
【収録】2022年9月8日浜離宮朝日ホール
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コメント
ルーシー・ホルシュ:リコーダーの魅力について。さまざまな様式の音楽を演奏できる多彩さと楽器としての純粋さが魅力です。声楽的な性質もあり私はほとんど自分の声のように感じています。人間の声を除けば完璧で最も直接的な表現手段だと思います。
トーマス・ダンフォード:リュートの魅力。リュートが奏でるメロディーもハーモニーも大好きです。でもやはりメロディーですね。ギターではこれほど豊かに響きません。とても長い一つのラインが生まれるのでメロディーをフレーズにすることができるのです。低音弦のおかげで美しい後光のようなものが生まれ屋外で演奏しても温かい響きが得られます。高い音からこんなに低い音まで出せる幅広い可能性を持ったすばらしい楽器です。
ルーシー・ホルシュ:今回のプログラムについて。ドイツ、フランス、イタリアとさまざまなスタイルを取り入れ多彩なプログラムにしています。技巧的な作品もあればめい想的な作品もあります。その対比を楽しんでいただければうれしいです。今回のプログラムのテーマは「対話」。私たち二人の対話というのはもちろんですが、直前に演奏した曲が次の曲の雰囲気に変化をもたらすこともあります。つまり作曲家同士、作品同士の対話でもあるのです。
共演について。トーマスとの共演はすばらしい体験です。一緒に演奏するまで気づきませんでしたがお互いの楽器の相性がとてもいいと思います。リコーダーの旋律とリュートのハーモニーの響きが敏感に反応し合うのです。本当に楽しいです。トーマスの演奏は自発的なところが魅力です。コンサートでは即興的な要素が多いためジャズ・ミュージシャンと呼びたくなるほどです。私も常に注意深く耳を傾けるようになりとてもいい影響がありました。本当に楽しいです。
トーマス・ダンフォード:私たちの楽器は互いに補完し合っています。私がハーモニーをルーシーはメロディーを奏でる。どちらも強弱のダイナミクスに可能性がありますがそれがルーシーのリコーダーの驚くべき点でもあります。ルーシーと演奏していると質のいい音楽になれてしまいます。というのも彼女は楽器を自在に操り自身の演奏を考察できるからです。これは音楽家の持つ資質の一つですが自発性と瞬間的な反応につながります。互いに聴き合っていると音楽は私たちを違う場所・時代に連れて行ってくれます。

【曲目】
☆リコーダー・ソナタ第2番(カステッロ)
☆組曲 BWV997から(バッハ/ホルシュ編)
リュート、もしくはリュートと似た鍵盤楽器ラウテンヴェルクのために書かれたと考えられている。サラバンドには「マタイ受難曲」を締めくくる最終合唱との類似も見られ、バッハの創作の充実期に書かれた作品といわれている。
☆あふれよ、涙(ダウランド)
この作品はリュートの伴奏による歌曲として当時ヨーロッパで大流行したダウランドの代表作。
☆リコーダー・ソナタハ長調(テレマン)
4,000
曲以上の作品を残したといわれるテレマンは18世紀前半にハンブルクを中心に活躍したドイツの作曲家。楽譜を定期刊行物として予約出版し音楽愛好家から絶大な支持を得た。リコーダーが得意だったという彼のこの作品も愛好家向けの楽譜集「音楽の練習帳」の一曲。
☆ソナタ集「忠実な羊飼い」から リコーダー・ソナタ第6番ト短調(シェドヴィル)
終楽章のテーマはヴィヴァルディのバイオリン協奏曲集「ラ・ストラヴァガンツァ」から転用されている。
☆恋のうぐいす(クープラン)
☆人間の声(マレー)
マレーはクープランと同時代のパリの作曲家。貧しい家庭の出身ながら若くして宮廷音楽家となった。この曲は当時人間の声に最も近いとされたヴィオラ・ダ・ガンバのために書かれた。
☆「スペインのフォリア」から(マレー)
フォリアはイベリア半島発祥とされる舞曲でその名は「狂気」の意味を持つ。低音部の主題をもとに変奏することが流行し、コレッリやヴィヴァルディも自作に取り入れた。マレーの作品は主題と31の変奏からなり、ホルシュはその中から10曲を選び出し編曲した。

🎵木管は樹木のさざめき、ざわめき、ひそやかさ、鳥の鳴き声、羽ばたき、移ろい、そして木漏れ日までを想起させる。そしてリュートは時代の空気感というものの中に聴く者を取り込んでくれる。ダンフォードいう低音弦から生まれる美しい後光のようなもの、その響きが私にとっては最も大きなリュートの魅力かと思う。

🎧名曲アルバム。「トロイメライ」シューマン作曲/栗山和樹・編曲。ピアノ仲道郁代,東京フィル&矢崎彦太郎~ドイツ・ライプチヒ、ツヴィッカウ
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シューマンはツヴィッカウの本屋を営む家に生まれ、文学にも親しむ。20歳でライプチヒへ出て本格的に音楽を学ぶ中で、天才ピアニストと謳われたクララ・シューマンとであい紆余曲折を経て結婚。ドイツロマン派を象徴するカップルであった。クララの「あなたって時々子どものようね」のひと言に、このやさしいトロイメライができあがったようなのだ。この5分はシューマンの最もしあわせな人生の部分だけが切り取られたように編集されている。その一コマ一コマがこのトロイメライによく映えている。

⛳8時33分更新

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きょうのことば「神の恵みを見て」ー岩上祝仁 代表ー

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年1120()の礼拝メッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕を一区切り、現在は広島県呉市に在住。この日はインマヌエル綜合伝道団の岩上祝仁代表が盛岡の講壇に立たれ、國光牧師は呉から司会を務めました。

岩上祝仁代表の紹介(國光牧師から)
 講師の岩上先生を簡単にご紹介をさせていただきます。私たち東北教区の者たちにとりましては、2019年「きよめを求めて」という主題で東北聖会が持たれましたときの講師としてお迎えさせていただきました。「いこいの村岩手」を会場にしたときでございました。すぐ近くがまさに八幡平というところでありまして、聖会の合間をみて八幡平を散策したときの写真がございます。

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 右一番手前がこんど主に牧師として任命を受けられる神谷先生、そして、左手前がきょうお迎えしております代表の岩上先生、あとは秋田の方々です。それから一番後ろが盛岡のT兄であります。いちばん印象的な写真を一枚ずつ紹介しまして、そして先生に講壇から「神の恵みを見て」というメッセージをお願いしたいと存じます。


説教題 「神の恵みを見て」(教団代表 岩上祝仁 牧師)
引証聖句 使徒の働き 111926 節
19 さて、ステパノのことから起こった迫害により散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで進んで行ったが、ユダヤ人以外の人には、だれにもみことばを語らなかった。
20 ところが、彼らの中にキプロス人とクレネ人が何人かいて、アンティオキアに来ると、ギリシア語を話す人たちにも語りかけ、主イエスの福音を宣べ伝えた。
21 そして、主の御手が彼らとともにあったので、大勢の人が信じて主に立ち返った。
22 この知らせがエルサレムにある教会の耳に入ったので、彼らはバルナバをアンティオキアに遣わした。
23バルナバはそこに到着し、神の恵みを見て喜んだ。そして、心を堅く保っていつも主にとどまっているようにと、皆を励ました。
24 彼は立派な人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大勢の人たちが主に導かれた。
25 それから、バルナバはサウロを捜しにタルソへ行き、
26 彼を見つけて、アンティオキアに連れて来た。彼らは、まる一年の間教会に集い、大勢の人たちを教えた。弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。

<メッセージ>
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 改めましておはようございます。
 最初この盛岡の地に来させていただくということを聞きまして、何度か國光先生とメールのやり取りをさせていただきました。コロナの感染リスクを避けて、いつもなら10時半開始の礼拝を「きょうは30分礼拝を繰り上げます」と聞きまして、すごいなあと思いました。今から来られる方があってもぜんぜんおかしくないのに、皆さん方がもう30分前に来ておられました。神戸では実は今日は礼拝を45分繰り下げております。それには理由がありまして、神戸教会のすぐ近くを3年ぶりに行われる神戸マラソンがある。教会から最寄りの鷹取駅まで歩いてだいたい5分ぐらいですが、その間を走るということで、そのためにJRから来ることができない。南北も通行止めになってしまって皆さん来ることができない。それで通常は10時半からの礼拝を泣く泣く11時からにしている。もしかすると、盛岡教会の礼拝が終わってすぐにユーチューブを見ると、神戸教会の礼拝とのハシゴができるかもしれない、そのような神様のふしぎな状況がありますけれども、神様は私たち一人ひとりを導いてくださっています。

 この朝導かれておりますみことばに目をとめたいと思います。
 私たちは誰かに「あなたは何者ですか?」と訊かれたときに、どこそれの何某ですと名前や住んでいるところを答えます。そして生き方や信条を訊かれたときには、「私はクリスチャンです」と皆さん仰っておられると思うのです。日本語でクリスチャンはキリスト者という意味ですけれども、その名前がつけられたのは、実はこのアンティオケ、聖書の改定版が出るたびに、このアンティオケの名まえが変わりましたが、新改訳2017の版ではアンティオキアとなりましたけれども。アンティオケというこのところです。ではそのときまでは何と呼ばれていたかご存じですか。それまでは「この道の者」と呼ばれていた。ユダヤの教えから、キリストの道を歩む者たちということで「この道の者」といわれていたのが、このアンティオキアにおいてクリスチャンという名前がつけられたことが分かります。それはこの教会の成り立ちやいろいろなことから来ている。
 特に見させていただくのは
23節バルナバはそこに到着し、神の恵みを見て喜んだ。そして、心を堅く保っていつも主にとどまっているようにと、皆を励ました
 バルナバがアンティオキアの教会に来た時に、見たもの、それは何だったのかということを、けさはみことばから味わっていただいて、そして私たちのこの朝の礼拝を導かせていただきたいと思います。

 バルナバが見たもの、それは「神の恵み」だったと書かれていますけれども、その恵みとは、第一番目に苦難の中に働く神の恵みです。私たちは今朝もズームで國光先生とお話をしたりいろいろできますけれども、インターネット、便利なようで不便ですね。何が不便かというと、こういう決まった形でセッティングをして、広域にわたって多くの人々に配信できるという点はいいのですけれども、ちょっと込み入った話しを何人かで集まってしようとするとすごく難しい。教団でもいろんな会議がもうズームに切り替わっています。ズームですと、たいてい皆さんミュートしてくださいといってミュートにする。そこで、これ誰かとちょっと相談したいなと思っても込み入った話しとなりますと、話しているんだけれども伝わりにくいこともある。
 コロナなどが無ければ、礼拝が終わった後に食事をしたり、いろんな形で顔を合わせて交わりをし、これどうなの? これはどう? 先生どう考えてるの? などという話しができるんですけれども、それができない。何が決定的に欠けているかと私が感じるのは、人格的なほんとの深い交わりということ。ズームは教会にとってツールとしてはすごくいいんですけれども、やはり難しさも覚えております。それでも、その中でも、私たちはそれをもっと積極的に用いて私たちのできることを、そして補えることは何かということを今教団あげて取り組みながら、この困難な伝道者不足の時代にそれを補い合いながらも、それを用いて使う。限界も見ながら、それをもって教会を建てていくという方向に少しずつ舵を切ろうとしています。そんな中で、私たちは確実に厳しい、ある意味苦しい時代に入ってきていると言えるのですけれども、でもここで見させていただくのは、アンティオケアの教会は苦難の中から始まった教会だったということです。

 19節にこういうおことばがあります。
さて、ステパノのことから起こった迫害により散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで進んで行ったが
 散らされた人々は、ユダヤにいて、あるいはエルサレム中心、その近くにいて、そこで信仰を持っていたのですけれども、ステパノの迫害、殉教の死によって、エルサレムにはいられなくなります。そればかりではなくて、その後、イエス様が亡くなられたのは、だいたいAD30年ごろといわれますけれども、その40年後、AD70年にローマ帝国が台頭、60年前後から攻め始めてだいたい66年、67年にはエルサレムが陥落したといわれています。ほんとうにユダヤの人々は今のウクライナの人々のように全世界に散らされていくようなそういう歩みをする。その始まりだったのが実はキリスト者たちでした。今まで住み慣れたところを全部手放して、命からがら逃げた先が地中海の街フェニキア。そこでもうまくいかなくて、彼らは船に乗って更にキプロスへと。キプロスに渡ってもまだ難しくて、そしてアンティオケアまでやってきた。流浪の生活を送るという中を通っている。私たちは様々な流浪の生活を送っているときに、自分たちは一体何者なのだろうかということを悩み始めます。なぜならば人間は生きる場所と自分のアイデンティティというものを深く結びつけて歩むからです。皆さん方それぞれに出身地があると思います。多くの方は岩手出身ではないかなというふうに思います。岩手の、私も「岩」という字にはすごく愛着があります。岩手って何で「岩手」なのか由来を調べたら、盛岡の三ツ石神社ある大きな岩に懲らしめられた鬼の手形が残っているところからという話しでした。それぞれ歴史があって、文化があって、生きている人は場所にある意味結びついて生きているのでその場所を移る、変えて生きるということに非常な困難を覚える。
 今朝、ホテルから出て、すこし歩きました。凛とした冷たさの中を散歩しました。それから教会に来ますと、出迎えてくださった盛岡の兄弟に「今朝あったかかったですよね」という一言に愕然。神戸なら真冬の気温です。気温が違うというだけでいろんなものが違う。植物が違い、街の風景が違い、食べ物が違い、いろんな違いがあるときに、そして昨日の夜も夕食に入った店の店員さんが、ちょっと外国の方もいらっしゃったんですけども、たぶん盛岡弁交じりの日本語で話される。ここも盛岡、神戸とは違うんだなと。その中で、私の場合はここに来た目的がありますから、礼拝の為にという目的で盛岡に来ているので自分は盛岡にいる。でももし無目的に旅しているとしたら、まったく別です。そのときに私たちは、なぜこういうふうになったのか考えることが人間という存在です。そして、その先を見通しながら、不安になるのも人間。そして、その中で悩むのも人間です。
 そういうときに信仰者は、その中に違いをもたらすことができる存在です。それは、何かというと、迫害ということを通ったときに、彼らが持っていたものがあった。彼らはイエス・キリストの福音を持ち、信仰を持ち、そしてその中で歩んでいたという事実。迫害が起こったときに、それを訝しがり、なぜ私たちにこんなことが起こるんだ。神様いったい何を考えているんだ、なぜこんなことになるんですか。しかし、そういう考えではなくて、神様が御手をもって私たちを導いて、このことも神のご計画の中にあり、この世は神に敵対し、私たち信仰者を信仰から落とすために悪魔は働いている。そのことを覚えながら彼らはキリストの十字架とその救い、そして、死を打ち破られたキリストご自身を見上げてキリストの足跡に倣うということを心に決めてその道を歩んでいく。ですから、苦難の中で彼らがしっかりと持っていたのは、私たちを愛していのちを捧げてくださったキリストであり、私たちを愛して死を打ち破って下さったキリストであり、そしてキリストご自身がわたしに従って来なさいといわれたそのことばを握って歩み続けていく姿であった。私たちはふだん恵みを受けているときには、感謝を育ててそして喜びを持って進むことができます。でも私たちの信仰がほんとうに試されるのは、このような試練の時、苦難の時、困難な時ではないでしょうか。苦難の時だからこそ、その中でしか味わえない神の恵みがある。苦難の中にこそ働く神の恵みがあることを今朝もういちど覚えたいと思います。

それから第二番に、神の恵みは私たちの苦難を打破することができる。打ち破る恵みがある。おもしろいのは、この19節、20節、
アンティオキアまで進んで行ったが、ユダヤ人以外の人には、だれにもみことばを語らなかった。
20 ところが、彼らの中にキプロス人とクレネ人が何人かいて、アンティオキアに来ると、ギリシア語を話す人たちにも語りかけ、主イエスの福音を宣べ伝えた。
 それまでは、イエス様のことを話して通じるのはユダヤ教の人たち、ユダヤ語を話す人たち。聖書を読むことができる人たち、勿論その当時はもう70人訳の聖書が出てましたけれども。私たちは今皆さんこのお手元に聖書を持っておられます。聖書を読むことができてますね。聖書って、皆さん、読むものだと思ってませんか。聖書は実は読むものではない。どういうことかと言いますと、聖書が読めるようになったのは、つい200年ぐらいの間のことなんです。1500年代にグーテンベルクが活版印刷を始めて、ルターがドイツ語の訳をして印刷をします。ウェスレーの時代にもそれができる。でも識字率というのは世界を見てもすごく低くかった。18世紀までは教会に大きな聖書があると、鍵が付いていて開けられない。鎖が付いていて、持ち出せないようになっている。なぜかというと、聖書は非常に高価で、そして普通の人がおいそれとは近づくことができないもの。
 ですから、皆さん、美術館に行きますと、宗教画がたくさんありますでしょう。関西の宣伝になって申し訳ないんですけれども、神戸の南に淡路島というのがありまして、その先にもう一つ南に行きますと、鳴門市という徳島県の街があります。そこに行きますと、大塚美術館というところがあります。そこに古代から現代までの美術品がある。本物ではありません、本物は見せられませんから、レプリカでずらっと並んでいる。ローマのシスティーナの礼拝堂の壁画と、それから天井画と、それから壁面のものが実物大で置かれています。上を見ますと創造のはじめから最後は「最後の審判」の光景がダヴィンチの絵が描かれてある。それは何かというと、聖書の物語を、それを見れば分かるようになっている。そして、そこで礼拝でみことばが取り次がれて語られて、そして福音理解が深まっていく。そして聖餐式が行われて、十字架が伝えられるというのが、教会がずっと守ってきた礼拝です。ですからみことばを聴く。
 皆さん礼拝には必ず聖書朗読があります。聖書朗読って、説教の前の聖書箇所を読むということじゃない。私はたいてい礼拝の聖書朗読のときには会衆席にいるんです。それはなぜかというと、私説教者自身が神のことばを聴くという私の礼拝の表れになっているから。みことばを聴く。だから説教がこの礼拝の中心に置かれている、そういう意味合いなんです。そのことを覚えて彼らはユダヤ人、聖書のことばが分かる人たちに伝えればいいねといってユダヤ人にしか福音は伝えないという暗黙の了解がこのときまで教会の中にあった。ところが、へブル語を話すクレネ人やそれからキプロス人が来て、ギリシャ語で、あそうだこの人たち、イエス様のことを知ったら救われるんじゃないの。この人たちにも福音が必要なんだねといって、それまでの教会の常識を打ち破って言葉を超えて福音を伝え始めたのが実はこの箇所、福音の可能性を信じて神の恵みが私たちの思っている枠を超えて働き、神のみわざが成されていくということを彼らはこの箇所で体験をします。


 私たちは、國光先生がこの場所にいらっしゃるからこの教会が建て上げられ、そして尊いご奉仕をしてくださった。そのことを私自身も忘れてはいませんし、また忘れるつもりもありません。でもそれを覚えつつも國光先生が呉に行かれた後この教会はどうなるのか、いなくなったからダメになるのか。聖書はそうは語っていない。私たち一人ひとりが神の恵みの可能性を信じ、そして、私たちの思っている枠を超えて働くことができるお方が神様なのです。
 四国のある教会の先生、私もその先生といろんなところでお交わりをいただいているんですけれども、その先生がすこしご病気になられ休むことになりました。それがコロナが始まって一年目ぐらいのことですから、だからもう一年ぐらいになるんですけれども、そしたら何が起こったかというと、先生が病気になって大変だからみんなで祈って頑張りましょう。教会員の方々が其々様々なことを分担をされて、そして福音の恵みを伝えていこうということがされて、その教会では昨年7名の方がイエス様に導かれて受洗されたんです。神様がなさる恵みというのは私たちの思いをはるかに超える。なぜそれができるんでしょうか。それはイエス様が私たちの中に働いてくださって、そのイエス様の十字架と福音、罪赦されて神の子どもとされました。イエス様とともに歩んでいます。この人生の底支えをしてくださるイエス様があなたの人生の問題にも有効ですよ。本物ですよ。信じたらあなたもイエス様によって救われますよということを彼らが信じていたからです。そしてアンティオキアの人たちは、それをしっかりと握って信じていた。バルナバがアンティオキアに来た時に見たのは何だったでしょう。今日と同じ皆さん方の集まりです。

 私は前回2019年に北東北聖会で、この盛岡の地に伺わせていただいたときに、聖会の直前ですから國光先生がこの教会の前を走って、ここが盛岡教会ですよ。聖会の前だったので、私は内心、ほんとはもうちょっと見たいのになと思いながら、そのまま素通りをして、そしてかえってきました。今日は中に入って、会堂ではなくて、そこにいらっしゃるここにいらっしゃる盛岡教会のお一人おひとりとお会いすることができたというのが喜びなんです。教会は建物ではありません。信仰者お一人おひとり、そしてそこには一人ひとりの人生があり、一人ひとりの課題があり、一人ひとりの闘いがあり、そして一人ひとりの問題や課題やいろいろなものがあるときに、そこにイエス様がどのように関わってくださっているか。それが私たちは様々なものを乗り越えていく力になり、知恵になり、そして様々なものを生かしていく福音によって私たちはその枠を乗り越えていくことができるようになっていくんだ。ですから神様、この盛岡教会のこの変化の時期もほかならず私は助けてくださってお一人おひとりが信仰者として育っていくための機会として用いて下さる愛なるお方であり、善なるお方であり、そして助けであるということをしっかりと覚えながら、この朝を迎えさせていただきたいと願っております。


 そして最後に、神の恵み、それは神の働きにさらに人々を進ませる、これは私たちは見るということを、皆さん方は教会に来て、礼拝に来て、何を見てきておられたでしょう。今までは國光先生がいらっしゃってこの講壇で語るのを見てこられた。今朝は私が神戸から来てみ言葉を取り次ぐのを見てくださって、聴いてくださる。でも、私はみことばを取り次ぐときに、覚えていただきたいのは、決して私を見ないでください。肝心なのは私ではなくて語れる器ではなくて、語ってくださるイエスご自身を私たちはしっかりと見なければいけない。バルナバはそこのところをよく分かっていました。こういう人がいる。ああいう働きがある。こんな問題がある。いやこういう改善点があるということに着目するのではない。バルナバが見たのは、私たち一人ひとりの中にある働いてくださる神の恵みキリストご自身を見たんだ。私たちが見上げるべきお方は、問題でもなく課題でもなく状況でもなく人でもなく闘いでもなくキリストご自身、しかもそこに働くキリストを通して与えてられている神の恵みにこそ私たちは目を向けなければならないんだということを覚えたい。しかもそれはこの場所で、教会の中で、私たちは福音を語る時に、どちらかというと、あなたは信じなさい。個人的なメッセージとして語りだす。私もそうですけども。それはなぜかというと、私たちが一人ひとり信仰の決断を持って信仰に立って歩むということが必要だから。同時に私たちが忘れてはいけないのは、神は教会を通して働かれる。覚えていただきたいのは、そこに到着し、神の恵みを見て喜んだ。そして、最後に皆を励ました。で彼が見たのは、キリストを信じて受け入れる個人と、それから人々です。教会、そして私たち一人ひとりが、信仰に堅く保って、いつも主にとどまり続けていくようにヨハネの15章を読みますと、主にとどまることが三つ書かれています。それはキリストを信じる信仰と、キリストのみことばと、そして、キリストの愛にとどまりなさいということ。私たちは、今朝個人としてキリストにしっかりととどまって、主にとどまるようにということを心に決めると同時に、もう一つは、私たちはインマヌエル綜合伝道団という名前の教団に所属しています。インマヌエル教会という名前。インマヌエルは、ヘブル語。(ヘブライ語: עִמָּנוּאֵל‎、ImmanuelEmmanuelImanu'el)インマヌ‘エル、エルというのは「神」。インマヌエルというのは、「神が私たちとともにおられる」。教会の間に、人々の間に聖霊なる神様は働いて、そして共同体を造ってくださるという意味がある。聖書の神様は、父なる神様、子なるキリスト、聖霊なる神様、3人の神様がいらっしゃる。そして一人の神様だということ。なぜなのかというと、それは愛なる神様だから。父が子を愛し、子が父を愛し、父が聖霊を遣わし、子の聖霊を遣わし、そして、聖霊は父と子の栄光をあらわすというそういうことがある。お互いに完全な愛をもって愛する愛が成立し、しかもその愛が私たち人間にあふれ流れて私たちのところまで届けられている。私たちは神の愛を受けて神様を愛します、というふうに言います。

 でも聖書は神を愛しますというときに、必ずセットになっているのは、それは何かというと、隣人を愛しなさい。私たちは神様を愛しますといいながら、聖書が書いているようではなく、人に対して厳しくしたり冷たくしたり、手を取り合ったりしないなら、それは本物の愛じゃないと聖書は厳しくいう時に、私たちは、お互いに助け合って励まし合って、力づけ合って、助けあってゆく教会。今までは、問題があれば國光先生の所に行けば、なに大丈夫という思いがあった。でも先生もまた、それを通して私たちの信仰を励まし、イエス様も導いて見せてくださった。ここで神の恵みは私たちに教会の中でそれぞれがキリストですよね、といっていたからこそ、イエス様を知らない人たちがあの人たちはキリスト者だよね、いつもイエス・キリストのことを言っているよね。何があってもキリストだよね。だからクリスチャンだよねというように変えられていった評判がついた。人々はよく私たちのことを見ています。そして私たちがほんとうにキリスト者なのかどうかをおそらくよく見て観察しているんだろうなと思います。

 岩手に来て花巻に着いて、真っ先に思い浮かんだのは大谷翔平選手。でもそれ以上に大きい名前は恐らく宮沢賢治さん。そして北東北聖会でも話させていただきましたけれども、あの「雨ニモ負ケズ」というあの詩のモデルになったのはクリスチャンの斎藤宗次郎であるという説があります。そういう人々の中に働く神の恵みキリストがおられるんだよ。それは、私たち一人ひとりは、イエス様の十字架を見上げて、罪を告白をして悔い改めて、キリストのもの、イエス様のものにしていただいた。そしてそこからイエス様の愛に生きるように私たちも変えられて、イエス様を愛するようにほかの人たちを愛すること。教会の中でお互いの為に祈り、支え合い励まし合っていくことで教会は育ち、そしてその恵みがイエス様を知らない人たち、あなたもこの恵みを届けたら信じたら、イエス様を信じたらだいじょうぶですよ。それを伝えながら、このアンティオケアの教会は進んでいます。

 そして今日はお読みしませんでしたけれども、使徒の働き1129節では、教会がユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物資を送ることを決めて、それをバルナバとサウロの手に託して送り出すところまで変わっていくんです。教会が成長してくると、私たちは助けてもらったからこんどは助けましょうとなる。実は2011年に、東日本大震災で岩手県も大きな被害を受けた。1995年に私たちは神戸の街は阪神淡路大震災の只中にありました。震災の厳しさ、戦いというのは文字通り私たちの住んでいたすべてのものが奪われる。しかも家族も奪われる。そこが悲しみであり痛みであり、そしてそれは何年経っても決して消えない。表面上は変わります。でも、心の中に残った傷や痛みは決して消えず、より深く深く根をおろしていく。その時に私たちは神様の憐みのゆえにそれを持ちながらでも歩むことができる。いやそれを持っているからこそ、体験をしているからこそほかの人の支えになったり支援に回ることが出来るんだなあということを改めて教えられる。痛みがあることは悪いことではない。悲しみを通ることは辛いです。苦しいです。でもそれさえも神の恵みが私たちを、それらのマイナスであることをも含めて私たちを成長させ、私たちをして、他のインマヌエル教会のために仕えることができるようにも変えてくださることができるのが神の恵みという、いやキリストご自身だということができます。復活の主は聖霊によって皆さん方お一人おひとりの心に住んでくださるお方です。そして今朝、この礼拝に臨む方々に、復活の主が住んでいてくださって、私たちがキリストの救いを喜び、愛に生きるように。そして遠く離れた國光先生ともつながり、またこれからは、いろいろな形で秋田の教会や仙台の教会ともつながりながら、その輪が広がって、キリストの恵みを体験しながら、お互いの為に祈り、お互いに愛を注ぎ合い、支え合っていく教会に神様は導こうとしてくださっていることを覚えたいと思います。そして、インマヌエルの群れ全体も、盛岡の教会をはじめ、多くの教会が厳しい中を通っていくときに、それを支援をし、サポートをしようとしております。

 代表になりましてから私は、いくつかの教会を回らしていただいておりますが、そのほとんどが福島の教会であったり青森の教会であったり、そして今回の盛岡の教会。そしてそれぞれの教会で申し上げているのは、牧師がいない、無牧という状態、このような言い方はインマヌエルでは使わないようにしましょう。在住の先生がいない教会であっても、しかし必ず牧師が責任を持つものがいて、そしてみことばを取り次がれる態勢を取らせていただいて、一人ひとりが神の恵みであるキリストご自身にしっかりとつながってみことばが語られ、信仰が励まされ、お互いに祈り合い支え合い励まし合っていく教会を建て上げていくことに私たちも労させていただきますし、また盛岡の教会の皆さん方も今まで以上にイエス様としっかりと結びついていただいてキリストにある神の恵みを、悲しみではなくて、ともに喜ぶことができるようにさせていただきたいなと。神の恵みを見るときに、あるのは喜びです。そして神様の支えが豊かにあるように私たちも祈り支えさせていただきたいと思います。

 

※データは音声、写真ともに会員作成の動画から取っております。
文章に起こすにあたって、聞き間違いもあり得ることをお詫びいたします。文責:中ぶんな
⏰6時55分更新

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あれこれ   

 今朝のおはよう日本で、ソ連のスターリン時代に、ウクライナにあった90年前の大飢饉ホロドモールを取り上げていた。
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 時代は進んでいるのか後退しているのか、AIに勝ったとか負けたとか、うん、まだ負けた例は見たことがないけれど。あらゆる分野で人をしのいでいる。知識もパソコン、スマホに訊けば質問の大方に答えてくれる。こんな世の中になって尚、戦争と深刻な飢餓が無くなることがない。夕刻にはアフガニスタンの危機的状況が報道されていた。どの場面も胸が射抜かれる思いがする。90年前も、もっとそれ以前にも、今も、これから先もこの悲惨は無くなりそうにない。
 「ただ同時に」と藤原辰史が著書「ウクライナ」でいう。「歴史がくり返してきた重要な問題のひとつは、たとえば日本のような戦場から離れた国に住む人びとの、当事者意識の減退と、関心の低下、そして倦怠ではないか、つまり〝胸の痛み”が持続しないことではないか、ということです」。ウクライナ対ロシアを日々目にしながら、報道にどこか慣れてしまった自分に気づき唖然とした。これ以上は何と言ったらよいか何といったものか。神に日々問い祈る、わずかばかりの寄付を寄せる、これがせいぜいのところ。申し訳ない。すみません。ごめんなさい。

     ☆  ☆  ☆

 ショスタコーヴィッチに関して、以前私が思っていたことが書かれてあり、たしかにショスタコーヴィッチをそう思っていた時があった、それが今は。切り抜いてみた。

⛳20時6分更新
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221125 クラシック倶楽部を聴く  スティーヴン・イッサーリス チェロ・リサイタル

イギリスを代表するチェロ奏者スティーヴン・イッサーリスが、カナダ出身のピアニスト、コニー・シーとともにロシアを代表する作曲家の作品を披露する
【演奏】スティーヴン・イッサーリス(チェロ)、コニー・シー(ピアノ)
【収録】2022年9月14日 王子ホール(東京)
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スティーヴン・イッサーリスのコメント
ロシアの作曲家といっても楽派の違いはありますが、民族音楽や教会音楽の影響を受けた者、または両方の影響を受けた作曲家もいます。ラフマニノフの作品はより宗教的な印象が強く、事実彼は大変信仰心があつい人間でした。民族色は薄く東方正教会のメロディーや聖歌、そして鐘の音がさまざまな作品に出てきます。ラフマニノフのチェロ・ソナタは私の歴史そのものでもあります。
私の祖父はロシア出身のピアニスト・作曲家で、チェロ奏者のブランドゥコーフとこの曲を演奏しました。私はこの曲を聴きながら育ったのです。ブランドゥコーフは最終楽章の最後の部分の強弱記号にひとつの変更を加えました。私の祖母もピアニストで、11歳の私と演奏するために80歳の時にこのソナタを勉強したそうです。この強弱記号の変更については祖母が教えてくれました。私はこの変更をずっと守っています。
ガット弦を使用することについては、ガット弦のほうが好きなのは事実ですが、スチール弦との間に大した差はありません。同じ日にガットからスチールに変えることもあるくらいですから。しかし今夜のプログラム、特にラフマニノフはどちらかというとガット弦で弾きたいです。ガット弦はより人間らしい音がしますし、この音楽も人間的ですから。この曲にはスチール弦からは得がたい温かみが必要だと感じるのです。スチール弦でも不可能ではありませんが、ガット弦のほうがより自然です。

【曲目】
☆チェロ・ソナタ ニ短調 作品40から 第1楽章(ショスタコーヴィチ)
チェロの表現力を存分に引き出した全4楽章の作品は、20世紀を代表する一つのチェロ・ソナタに数えられる。
☆チェロ・ソナタ ト短調 作品19(ラフマニノフ)
1901
年に作曲された全4楽章の作品。ラフマニノフと親交のあったブランドゥコーフに献呈され、ブランドゥコーフと作曲者自身のピアノによって初演された。
☆ロマンス(スクリャービン)

🎵スティーヴン・イッサーリスの祖父のブランドゥコーフを介してのラフマニノフとの近さを想像しながら聴く。ブランドゥコーフが加えた最終楽章の最後の部分の強弱記号のひとつの変更が、ブランドゥコーフの曲の解釈によるものかどうか、彼の間近にあったラフマニノフの譜に変更を加えた理由は? それがスティーヴン・イッサーリスの家に受け継がれ守られているという。イッサーリス使用の楽譜がよれよれ。暗譜しているから捲るわけではないのだが、擦り切れている感じがまた年季を思わせる。


🎧名曲アルバム。「ピアノ協奏曲 イ短調」グリーグ作曲。東京フィル&矢崎彦太郎、ピアノ横山幸雄、映像~ソグネフィヨルド~
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ロフトフスにはグリーグの作曲小屋が今もあるらしい。創作の源は雄大なノルウェーの大自然。
⛳コメントの最初部分が一部欠けてしまったけれども。
16時57分更新


 

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221124 クラシック倶楽部を聴く  フェデリコ・アゴスティーニ バイオリン・ソナタを弾く

元イ・ムジチ合奏団コンサートマスターのフェデリコ・アゴスティーニ。2019年から愛知を拠点に活動する。
【演奏】フェデリコ・アゴスティーニ(バイオリン)、練木玲子(ピアノ)
【収録】2022年2月17日 長久手市文化の家・森のホール(愛知県)
【出演者プロフィール】フェデリコ・アゴスティーニ・・・イタリア・トリエステ出身。愛知県立芸術大学 客員教授。
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元イ・ムジチ合奏団コンサートマスターのフェデリコ・アゴスティーニ。2019年から愛知を拠点に活動する彼が、ドビュッシーやフランクなどのバイオリン・ソナタを弾く。
【曲目】
バイオリン・ソナタ(ドビュッシー作曲)
バイオリン・ソナタ イ長調(フランク作曲)
バイオリン・ソナタから第2・3・4楽章(ヤナーチェク作曲)
【演奏】フェデリコ・アゴスティーニ(バイオリン)、練木玲子(ピアノ)

【収録】2022年2月17日 長久手市文化の家・森のホール(愛知県)
【出演者プロフィール】フェデリコ・アゴスティーニ・・・イタリア・トリエステ出身。愛知県立芸術大学 客員教授。

フェデリコ・アゴスティーニのコメント
日本での暮らしについては、日本、特に愛知県に住めて光栄に思います。愛知は海に近いところが気に入っています。私の生まれた街も海沿いだったので居心地がいいです。海辺や知多半島のあたりに行くのが好きで、家族を連れてよく行っています。
 ドビュッシーのソナタは彼の最高傑作です。素材の使い方が卓越しています。第一楽章は物思いにふけるような雰囲気があり、第二楽章はパントマイムを思わせます。第三楽章はタランテラ風のたのし気なダンス。本当に素晴らしい大好きな作品です。
 フランクのソナタは定番ですね。もっとも有名で愛され演奏されている作品の一つです。このソナタは特性を適切につかむことが重要です。4つの楽章からなり、ある種の物語性を持っています。つまり4つの章で構成された物語。素敵な本を読んでいるかのような曲なのです。

🎵フェデリコ・アゴスティーニが愛知県立芸術大学の客員教授に招かれていた。2019年から。それまでには多くの大学で教鞭を執り、今は10か国以上の国でマスタークラスを開講しているらしい。いまだに人気が高いイ・ムジチのメンバーだった方が日本にいらっしゃったとは!
 ドビュッシーは病にある1917年、これは亡くなる前年にこのバイオリン・ソナタを作っている。フランクはイザイの結婚祝いにバイオリン・ソナタ イ長調を作曲。循環形式で書かれているとの解説が。ヤナーチェクはチェコのモラビア地方出身で、この地方の民俗音楽の研究者。バイオリン・ソナタは60歳で完成させたとか。夕闇迫る、星がまたたくやすらぎの田園風景が思い描かれた。
 映像、無観客なのだけれども、その観客席を背景に用いての収録、品格の高さを感じさせる映像となっている。

 

🎧名曲アルバム。伊福部昭・作曲「日本狂詩曲」。東京フィル&広上淳一
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映画「ゴジラ」のテーマ音楽の作曲家として知られる伊福部昭の手による「日本狂詩曲」は札幌まつりの笛や太鼓にインスピレーションを得て1935年に作曲された。当時伊福部は21歳。最初のオーケストラ作品である。写真左は北海道大学。作曲当時伊福部は北海道帝国大学林学科に通う学生だった。管弦楽部に所属し独学で作曲を学んだという。〝血湧き肉躍る〟リズムとメロディー伊福部音楽の礎はすでに完成されている。卒業後伊福部は北海道庁に勤め、林務官として道東の厚岸町に赴任。植林から伐採まで広大な道有林の管理に日々奔走した。そんな折、「日本狂詩曲」がフランスの作曲コンクールで優勝したとの報が届く。コンクールを主催した作曲家チェレプニンが来日して、伊福部は一か月間作曲を学び、その才能を高く評価された。伊福部はコンクールの賞金でヨーロッパの音楽事典を購入し勉強に励んだ。80年前、道東の寒村で音楽への情熱を燃やした伊福部昭。「日本狂詩曲」は伊福部青年を音楽家の夢へと導いた青春ラプソディーである。ー番組の解説に従って書いていますー

🎵伊福部の曲には躍動感があり元気をくれる。今回たった5分で伊福部の断片を知ることができ目が覚める。北海道の自然の、海の厳しさも或いは伊福部作品に影響を与えているかと。一時期携わった林業も。あの樹林も。樹木もまた多くのインスピレーションをくれるものだと思いのだが。

⛳毎日のように重大事。サッカー、日本がドイツに勝利で湧いているさ中、ジャワ島では、これまでに271人の死亡が確認され、40人が行方不明となっているほか、けが人は2000人以上に上っているという。

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 祈ろう。

6時45分更新

 

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221123 クラシック倶楽部を聴く レオニダス・カヴァコス バイオリン・リサイタル

1967年アテネ生まれ。1985年シベリウス国際コンクール第1位。1988年にはパガニーニ国際コンクール優勝。現代を代表するバイオリニストの一人。ピアノの萩原麻未は2010年ジュネーヴ国際コンクールで優勝。
【演奏】レオニダス・カヴァコス(バイオリン)萩原麻未(ピアノ)
【収録】東京オペラシティコンサートホール(2021年10月20日)
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レオニダス・カヴァコスのコメント
ブラームスのソナタについては、ブラームスはジャンルを問わず多作な作曲家の一人です。今回は彼のソナタの夕べです。ほんとうに優れた作品群で、第1番と第3番の対比がとりわけすばらしいです。最後のソナタが大変交響的であるのに対し、非常に交響的な協奏曲の完成直後に作曲された第1番はとても個人的です。第3番はそれほど大きな規模ではありませんが、音楽的多面性を持つという点で、大曲的かつ交響的です。天才ブラームスのバイオリン・ソナタ第1番から第3番に至るまでの変化を知るのはとても興味深いことです。
 バイオリンへの思いについては、文化、言語を問わず世界中で芸術を通してコミュニケーションできることはすばらしいことです。私は音楽の根源的な要素は人生においてもまた根源的な要素だと信じています。できるだけ多くの人たちとこの考えをシェアするのが私の夢です。そうすることによって音楽がなぜ偉大なのか、なぜ繰り返し必要とされるのかが理解されるでしょう。ブラームスのソナタが過去何百万回と演奏されてきたことを思い出してください。それでも人々はこの種の音楽に渇きや飢えを覚えまた聴きたくなります。もし社会が偉大な交響曲や偉大なオーケストラのようにテーマや意図を持って機能するとしたらどうでしょう。そしてみなが力を尽くしこの意図を支持し一緒に呼吸し同じリズムを共有し同じハーモニーを尊重するとしたら。スコアのなかではまさにそれが起こっているのです。このことを理解し人生に適用すれば、私たちはブラームスやベートーベンの交響曲、ブラームスのソナタのような人生が送れます。

【曲目】
バイオリンソナタ第1番ト長調作品78(ブラームス)

バイオリン・ソナタ第3番 第14楽章
アンコール F.A.E.ソナタから第3楽章スケルツォ


🎵1番はブラームス40歳での作曲。この最中にブラームスが名付け親になったシューマンの息子が亡くなる。その悲しみとクララへの哀悼の思いがこめられているという。2番はブラームスが友人らの死に接するなど、宿命という人生観が込められているとか。
きょうはF.A.E.ソナタから第3楽章スケルツォが際立って聴こえた。第1、第2のやや重い曲想から解き放たれたこともあると思うけれども。

 

🎧名曲アルバム。「無伴奏チェロ組曲 第1番」バッハ作曲 。チェロ横坂源

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ケーテンはバッハが愛した小さな町。当時人口3000人。チェロの可能性を広げた画期的な「無伴奏チェロ組曲」は音楽好きの君主レオポルト侯との出会いから誕生、時を越えて町の人々から深く愛されている。

いま背後のTV画面は、オーストラリア対フランス。ワールドカップ湧きに沸く。
この家に勤労者がいなくなったのはいつからだったろう。
9時45分更新

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221122 クラシック倶楽部を聴く エマニュエル・チェクナヴォリアン バイオリン・リサイタル

エマニュエル・チェクナヴォリアン1995年に指揮者の父とピアニストの母を両親に持つウィーンの音楽一家に生まれ、アルメニアに育つ。7歳でオーケストラとデビューを果たす。2015年シベリウス国際コンで第2位及びを受賞、及びベスト・シベリウス演奏賞を受賞。使用楽器は、ベアーズ国際ヴァイリン協会から貸与された1698年製ストラディヴァリウス。ゲヴァントハウス管やサンクトペテルブルク・フィルなど共演多数。201712月、ソニー・クラシカルからデビューアルバム「SOLO」をリリース。このCDが注目を集め、201810月には新設されたOPUS Klassik賞を錚々たる演奏家とともに受賞。20179月からは、オーストリアのラジオ番組で、毎月1回「Der Klassik-Tjek」というタイトルの自身のラジオ番組のパーソナリティを務めている他、北ドイツ放送、バイエルン放送や独仏共同出資のテレビなどにも出演している。

マリオ・ヘリング(ピアノ)1989年ハノーファー生まれ。いずれもヴァイオリニストの両親は、父がドイツ人、母が日本人である。3歳からピアノを始め、樋口紀美子、ファビオ・ビディーニに学んだのち2009年よりハノーファー国立音楽大学にてカール=ハインツ・ケマリング及びラルス・フォークトへ師事。スタインウェイ国際コンクールやドイツ青少年コンクールで16回の優勝を飾っており、さまざまな奨学賞も獲得。2003年ベルリン交響楽団とベルリンのフィルハーモニーへ登場してオーケストラ・デビュー、大成功を収めた。巨匠パウル・バドゥラ=スコダが絶賛するドイツ若手ピアニストの注目株で、これまでにエルプフィルハーモニー・ハンブルク、コンセルトヘボウ、ウィーン・コンツェルトハウス、ケルン・フィルハーモニー、ベルリン・フィルハーモニー、コンツェルトハウス・ベルリン等世界有数の会場、キッシンゲン夏の音楽祭、ルツェルン音楽祭、スタインウェイ国際フェスティバル等著名な音楽祭へ出演。2012年名匠アレクサンドル・ラザレフの指揮で日本フィルハーモニー交響楽団と初共演を果たす。2016年ノエ・乾とのデュオアルバム、20182枚目のソロアルバムがそれぞれICMA国際クラシック賞にノミネートされ絶賛を博した。2018年難関として知られるリーズ国際ピアノ・コンクールにて第2位及びヤルタ・メニューイン賞受賞。

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【演奏】エマニュエル・チェクナヴォリアン(バイオリン)マリオ・ヘリング(ピアノ)
【収録】2019121日 ハクジュホール 

エマニュエル・チェクナヴォリアンのコメント
ウィーンには日本人の芸術家がたくさんいて日本はまったく知らない国ではありませんでした。アルメニアでは父の助手が日本人でしたから幼い時から日本はとても身近な存在でした。今回は日本ではじめてのリサイタルなのでドイツやオーストリアを代表する作品でまとめました。
 シューベルトも生粋のウィーン人です。今日は二人のウィーンの作曲家で締めくくられます。この「華麗なるロンド」はあまりシューベルトらしくない作品です。シューベルトは歌曲、ピアノ・ソナタの作曲家として有名ですが、この曲はまったく彼らしくない。ものすごく技巧的で歌曲のようなところもありますが、どこか「悪魔的」です。ピアノもバイオリンも非常に難しい。最晩年の作品ですが最後に突拍子もないものを書いてしまった感じ。演奏可能かどうか考えずに湧き上がる音楽をそのまま書いたかのようです。でもすばらしい曲です。

【曲目】
ヴァイオリン・ソナタ 第5番 ヘ長調 Op.24「春」 (ベートーヴェン)
ウィーン風狂想的幻想曲 (クライスラー)
華麗なるロンド ロ短調 D895 (シューベルト)
アンコールは愛の喜び(クライスラー)



🎵「春」は「クロイツェル」と並んでよく奏される。深刻さはない明るさ。両手を広げて来る季節を寿ぎ喜び楽しんでいる感じが。1801年というとベートーベンはどこでどんな暮らしであったろうか。
「ウィーン風狂騒的幻想曲」、何とクライスラー70歳で作曲。出だしは玄妙、あとはゆったりと黄昏時を楽しんでいるような、鼻歌が聞えてきそうなところも。シャンソンにも通じるような重音の響きに、これがまさしくクライスラー!と。クライスラーはシェークスピア、当時一世を風靡した歌手カルーソーと並んで大いに迎えられた自らの人生に満足であったのでは。
「華麗なロンド」をチェクナヴォリアンは「シューベルトの歌曲、ピアノ・ソナタの作曲からは彼らしくない作品であると。突拍子もなく考えもせずに湧きあがるがままに書かれている」とコメント。譜面の上ではいかに破天荒でも。これが言葉で表した場合には難儀なことになることも。
アンコールの「愛の喜び」、この曲を当時の人々はどれほどに待ち望んだことか。
ふたりのプロフィールはハクジュのコンサート紹介から。自分は70歳まで生きられればと思っていたがすでにこの齢に。クライスラーは70でこんな作曲をしている。単純でもいいから賛美歌の一つも作曲して譜面に残したいと思ったものの、明日は明日にお任せ。

🎧名曲アルバム。「歌劇“はかなき人生”から 間奏曲とスペイン舞曲」ファリャ作曲

(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団,(指揮)岩村力 ~スペイン・グラナダ~
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ファリャは当時珍しかった写真から想像を膨らませてロマの人々の生活を描いたという。してみるとこのコロナと隣り合わせの時代、メディアだけから想像を膨らませて何かを仕立てることもアリ。

⛳7時7分更新

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サンタ・ルチア

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これは11月19日(土)の朝6時前だったと思う。どこかで音楽をやっていないかなとチャンネルを変えていくうちに、ダーク・ダックスの歌声が流れてきた。懐かしかった。これはCD販売用の番組なので、写真はちょっとどうかと思ったのだが、サンタ・ルチアの解説に目が止まった。
「元は迫害で目をくりぬかれた殉教者聖ルチアを歌ったナポリ民謡。今は歌に悲しい殉教者の影はなく、穏やかな旋律が平和なナポリ湾を描いている」とあった。


ルチアはキリスト教の熱心な信者だったが、ローマ帝国の皇帝ディオクレティアヌスによる迫害政策により、彼女は厳しい拷問を受け、棄教か死かの選択を迫られた。しかし、彼女は最後まで決してキリスト教への信心を棄てることはなく、様々な拷問を受けたあげく、短剣で殺されてしまったという。この拷問の中で、彼女は目をくりぬかれたと伝えられている。このことから、彼女が描かれている絵画には、お盆の上に目玉が二つ並んで置かれているもの等、目を描写した作品が多く見られる。





⛳19時40分

 

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221121 クラシック倶楽部を聴く 第16回チャイコフスキー国際コンクール ガラ・コンサートI

2019年第16回チャイコフスキー国際コンクールの上位入賞者たちが来日、華麗な演奏を繰り広げた。その中から今回はバイオリンのセルゲイ・ドガージンの演奏を放送する【演奏】セルゲイ・ドガージン(バイオリン)、東京交響楽団(管弦楽)、飯森範親(指揮)【収録】2019年10月8日 東京芸術劇場で収録
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【曲目】
☆歌劇「エフゲーニ・オネーギン」から ポロネーズ(チャイコフスキー作曲)
☆バイオリン協奏曲(チャイコフスキー作曲)
☆アンコール「ネル・コル・ピウ」による変奏曲から(パガニーニ作曲
)

参考:「タワーレコード」より

藤田真央が第2位に入賞し、話題となっている第16回チャイコフスキー国際コンクール。ヴァイオリン部門では、2011年に1位無しの第2位に入賞した経験のあるロシアのセルゲイ・ドガディン(30)が念願の優勝。ロサンゼルス在住でアメリカから出場した金川真弓(かながわ・まゆみ)は4位に入賞しました。

ヴァイオリン部門(ファイナル6名中)

1
位 セルゲイ・ドガディン(ロシア)
2
位 マルク・ブシュコフ(ベルギー)
3
位 キム・ドンヒュン (韓国)
4
位 金川真弓 (アメリカ)、アイリン・プリチン(ロシア)
6
位 ミラン・アルアシャブ (チェコ)

セルゲイ・ドガディン
1988
年、6歳でヴァイオリンを始め、2002年にはヴァシリー・ペトレンコ指揮サンクトペテルブルク・フィルの演奏会でデビュー。これまでに指揮者のゲルギエフ、テミルカーノフ、アシュケナージ、スピヴァコフ、ホーネックと、ピアニストではレオンスカヤ、マツーエフ、トリフォノフらと共演しています。

コンクール歴は下記のように華々しく、今後の国際的な活躍が期待される。
2002
年 アンドレア・ポスタッチーニ国際ヴァイオリン・コンクール(Italy) 優勝
2009
年 ミュンヘン国際コンクール(Germany) 特別賞
2011
年 第14回チャイコフスキー国際コンクール・ヴァイオリン部門 第2位(1位無し)
2015
年 第9回ヨゼフ・ヨアヒム国際ヴァイオリン・コンクール(Germany) 優勝
2016
年 第1回アイザック・スターン国際ヴァイオリン・コンクール(China) 2
2018
年 シンガポール国際ヴァイオリン・コンクール 優勝
2019
年 第16回チャイコフスキー国際コンクール・ヴァイオリン部門 優勝

CD
デビューは2008年にドイツのソロ・ムジカ・レーベルへ録音した『チャイコフスキー/ラフマニノフ/プロコフィエフ/ローゼンブラット:ヴァイオリン作品集』。その後、2016年にメロディア・レーベルにショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番を録音(スラドコフスキー指揮『ショスタコーヴィチ:協奏曲全集』の中の1曲)。同年12月にはナクソス・レーベルに『ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン・ソナタ Op.13424の前奏曲 Op.34』を録音しています。
(
タワーレコード 商品本部 板倉重雄)

🎵4年に一度のチャイコフスキーコンクールで11年には2位。しかし彼は1位と2位にある開き、差を痛感。さらに4年をかけて再度挑戦し見事第一位。この音楽家の想い! 何としても1位でなければ。バイオリン協奏ニ長調作品35の第一楽章の終わりに差し掛かるころには、聴きながら涙が出てしかたがなかった。ドガージンは曲について、チャイコフスキーの曲には誠実さや美しさがある。この協奏曲はレオポルド・アウアーに献呈されているが、アウアーはバイオリンのできる範囲を超えていると。演奏には技術ばかりでなく体力も必要。繰り返される似たようなフレーズに違った表現をつけなければならないなどと語っている。東京芸術劇場での飯森範親、東京交響楽団との共演では、ドガージンの共演者への感謝の思いと今日ある喜びがあふれていた。ドガージンの経歴など番組中に解説があったが、しっかりと記録しかねたので、タワーレコードから引かせてもらった。

 

🎧名曲アルバム。ショパン「マズルカ 作品17-4」。ピアノ大崎結真

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1824
年夏、すでに神童として有名だった14歳のショパンが、ポーランドのシャファルニア村の有力者の招きでこの村に滞在した。記念してシャファルニア・ショパン館が建てられ、肖像画や楽譜などゆかりの品が並んでいる。毎年ショパンの名を冠した青少年のためのピアノ・コンクールも行われている。都会暮らしのショパンには田舎暮らしが新鮮だった。景色と共にピクニックや乗馬などを楽しんだ。シャファルニア通信と題して、村のできごとを両親に書き送っている。ショパンは滞在中に行われた祭で、この地特有のマズルカと出会っている。ポーランドの人々が古くから親しんでいる民族舞踊だ。その音楽から着想したのが「マズルカ 作品174」だという。

⛳昨夜のクラシック音楽館、ブロムシュテット、介助されながらの登場、しかしその頭脳の中は、音楽理論、音楽づくり、作曲者の姿が交錯、いっぱいに満ち満ちている感じが。グリーグ、ニルセン、北欧の作曲家たち。弾くムストネンの電撃的なひらめきに震えてか鋭い指さばきを久方ぶりに見る。

17時53分一旦更新18時11分再更新

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きょうのことば「キリストのからだをたてあげる」

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年1113()の礼拝メッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕を一区切り、現在は広島県呉市に在住。今朝は呉からのズーム配信です。

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説教題 「キリストのからだをたてあげる」―呉からの礼拝―  (國光勝美 牧師)
引証聖句 エペソ人への手紙 4713 節
7 しかし、私たちは一人ひとり、キリストの賜物の量りにしたがって恵みを与えられました。
8 そのため、こう言われています。「彼はいと高き所に上ったとき、捕虜を連れて行き、人々に贈り物を与えられた。」
9 「上った」ということは、彼が低い所、つまり地上に降られたということでなくて何でしょうか。
10 この降られた方ご自身は、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方でもあります。
11 こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。
12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。
13私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するのです。


<
メッセージ>

 盛岡教会を離れて、ようやく盛岡教会というものを客観的に見る立場になりました。きょうのおことばの一番の中心は「聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです」。このエペソ412節のおことば、今日はこれを中心に思い巡らしたく願っております。

 教会はキリストのからだです。このおことばを思い巡らすときに、改めて、私たちが関わっている教会はイエス様ご自身のおからだであるということ。今まで字面では読んで、また牧師という立場で語ってはいましたけれども、イエス様のお体が教会なのだということを新たにとらえ直した時に非常な畏れを感じたのです。聖なる畏敬の心です。掃除をしたり、あるいはどなたかが司会のご奉仕をされるときに、私も皆さんもフローアより一段高くなっている講壇に上がるときがあります。この教会では、私も皆さんもいつものようにスリッパを履いて講壇に上がっております。ところがある教会では、講壇にのぼるときには、スリッパを脱ぐか履き替えるかしておられました。良い悪いの問題ではなく、何れにしろ聖なるものに対して畏敬の心を持つということはとても意味のある大切なことなのだと教えられ、そのことが非常に新鮮に思われました。どうか皆さん方、そういう心を持つべきであるということだけで、どうぞいつもと同じようにスリッパを履いて講壇に上っていただきたい。決してそこで脱いでくださいと言ってるわけではありません。ただいわんとしていることは、私たちが関わっている教会のお仕事というのは、キリストのからだに係るお仕事である。そのことを意識させていただいたことです。メッセージを準備しているときに、そのことにふと気が付いて、先ず序論のように皆さんにお伝えしました。

 

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 さて、先ほど申しました通り、盛岡にいたときには、教会と自宅が距離的に一体となっていたものを、客観視できる教会という時、私自身、教会とは何なんだろうか。教会には二つの面があるというようにきょうは分類してみました。

 一つは公開性ということ。そして、一つは閉鎖性ということ。教会は公開性と閉鎖性という二つの側面を持っている。有名なマタイ11:28には「すべて疲れた人、重荷を負っている人は私のもとに来なさい。私があなた方を休ませてあげます」とありますけれども、「さあ誰でもいらっしゃい。私のもとに来なさい」というキリストの招き、これは公開性の一つのおことばだと思うのです。ところが、閉鎖性というときに、ヨハネ1516節に「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えて下さるようになるためです。
 このヨハネ1516節のおことばは、「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである」。イエス様に招かれた者が教会なのです。その意味で、閉鎖性がある。閉鎖性というと良からぬイメージがわきますが、ここでいう閉鎖性はマイナス的なイメージではない。この教会の閉鎖性というのは何なのか。教会、これは生まれ変わった者たちが集まっているところ。そうです。すべての人にキリストの招きがなされています。そして聖霊の働きのゆえに、私はその招きに応じたい、行きたいと言っていらした方々はキリストに選ばれた人たちです。その意味で、十字架を見上げた人々を、イエス様は「あなたはわたしのものだ」と言われる。キリストのものになり生まれ変わった者たちだけが教会なのです。その意味で健全な意味で教会はキリストによって生まれ変わった人たちの集まり。こういってよろしいかと思います。この二つが矛盾しないで健全に一つとなる。これが理想の教会であります。

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 更に教会というものを思いめぐらすときに、教会が持つ個性、それは盛岡教会と具体的なことを念頭に置いていただいても結構です。教会が持つ個性、それは、教会は協力性を持つとともに、独自性を持っている。この二つの要素、これもまた聖霊によって麗しく調和していくということが大切です。これまで50年ご奉仕させていただいている中で様々な経験がありました。協力性ということがずっと前面に出ていきますと、私たちの教会というものが無秩序になってしまう。また、独自性ということが強く強調されるときに、私たちの教会こそがという独善的なそういった教会になってしまう。お分かりいただける一つの例としまして、今から11年前に311、あの大災害が起こって、教会もそれに貢献するべく「311岩手教会ネットワーク」というものが立ちあげられ、そしてビリーグラハム大会の組織がそのまま現在にも良い意味で継続しているその団体が「希望の祭典」というものを企画し、東北地方の教会はこの時こそ福音を協力して伝えて行こうというよい働きを推進したことがあります。このときに協力をするということは大きな意味のあることでした。その時に、いやそうではなく、自分たちは自分たちでやっていくんだという独自性を強調してしまうとそこに独善主義、自分たちだけがということになってしまう。ところがまた協力性というものがどんどん広がっていくとそこが無秩序な状態になってしまって、そのことから、たとえば沿岸地域に、いわゆる教会に大きな混乱をもたらす異端的なものがどんどんと入ってきてしまう。すると、協力していたのにそれが無秩序な状態になってしまう、そういう危険性がある。これはいつでも考えさせられたことです。教会にさまざまな協力を要請されることがありますが、私がいつも悩んでいるのは、協力性と独自性のどれだけの調和を持つことができるだろうかな。私はまだ答えが出ていないような気がするのです。いかにして健全に調和をしていくことができるかをまだ見極めてはいない。これは更に力をいれるべきことなのか、身を引くべきことなのか。知恵をいただきながらこれからも教会はこの要素をしっかりと把握し理解していきたいと思います。
 幸いなことに私たちは教団というものに属しておりますから、正しい情報をもとにこれから秋田の神谷先生、仙台の細田先生の指導を受けることができます。きっと両先生方のご協力のもとに、この協力性と独自性のバランスのとれた教会として働いてゆくことができるようになるだろうと思います。
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 それから、こんどは個人の特性ということを見てみたいと思うのです。これにも同じように協力性と独自性というものがあり、これが無秩序になりあるいは独善主義になる、こういう個人の特性ということも、教会の牧師として私があったときに、自分の性格というものを、そしてこれは教会にどういう影響を与えたのだろうかと客観視し、思い巡らしているさ中であります。私は自分の性格を分析してみると、イエス様によってお救いに与った。その喜びとそれに信仰の憐みのゆえに救いに成長して、神様のためにこの自分の生涯をお捧げしたいという思いでそれを貫いてゆく道を選びました。その意味で私は自分の意志を自分の独自性を貫いてきている。しかし私は自分の性格をよく見ると、どちらかというと協調性があるということなんでしょう。別な言い方をすればリーダーシップをもって俺についてこいというタイプの私ではないなあと思っております。人それぞれまっすぐに貫いていくという面もあれば、しかしそうでなくやはり別の個性を持っている。複雑ですけれども人間の自分自身にある特性というもの、これを調和していかねばならない。これが盛岡教会にどのような影響を与えたのかを、ほんとうに考えさせられているところです。

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 皆さんはマルタとマリアのことをご存じだろうと思います。マルタというとかいがいしくイエス様にお仕えするのを喜びとする。マリアタイプというとイエス様のおことばにしっかりと沈潜していくことが好きなタイプ。それからたとえばペテロとヨハネという代表的なお弟子さんを考えてみるときに、ペテロは何といっても俺についてこいというタイプ、立場の人物です。それに対してヨハネはいつでもイエス様の懐近くあることを喜びとするタイプなんですけれども。しかしヨハネは別名あだ名は雷の子と呼ばれているように、爆発するようなところがあった。内向的な者であればあるほど、それがぐーっとたまって爆発してしまうことがある。またパウロとバルナバという人物を思い巡らしました。パウロは理路整然と、そして、リーダーシップを持って俺についてこいタイプを象徴して入る人かなあと私なりに思うのですが、一方、バルナバという人は慰めの子と呼ばれるようにそういうパウロとは逆な立場で傷ついている人を慰め励まし、弱っているものと共に歩むということが彼の特色だったのかなあと。いろんな人たちが聖書の中に登場します。これらの人たちが聖霊によって調和されていく。まさにキリストの体を私たちは建て上げていく。その奉仕に導かれています。ですから今、私は物理的に呉からズームでという立場を取っておりますけれども、やがて間もなく神谷先生が、そして細田先生が協力して盛岡教会を造っていってくださる。キリストのからだが建て上げられようとしています。一人ひとりみんな個性が違っている。だけれどもそれが聖霊による調和をもって一つとなっていったのならば、今までと違うすばらしい盛岡教会が建て上げられていくに違いありません。皆さん方が真実に労していてくださるすがたを、このように距離的には遠くからですけれども、近しく知らせていただくとき、はっとしました。イエス様が盛岡教会になさろうとしている、キリストの体を建て上げようとしている。今大きな大きな転機の中をお互い通っているのだ。このことを教えられたことでございます。そしてそれをお分かちをさせていただきました。

文責:中ぶんな
音声、イラストはズーム配信中、パソコンからとったものです。
⏰6時18分更新




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221118 クラシック倶楽部を聴く ジャン・ギアン・ケラス&アレクサンドル・タロー 演奏会

日本では8年ぶりのデュオを披露したチェロのジャン・ギアン・ケラスとピアノのアレクサンドル・タロー。互いを最高の共演相手と認め合う彼らのアンサンブルをお楽しみください【曲目】ハンガリー舞曲集から(ブラームス作曲 ケラス&タロー編曲)ほか【演奏】ジャン・ギアン・ケラス(チェロ)、アレクサンドル・タロー(ピアノ)【収録】2019年11月27日 王子ホールで収録
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王子ホール

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コメント
タロー:彼とは20年以上も共演しているので、言葉なくして阿吽の呼吸で演奏できます。本番の最中も視線を交わすだけで絶妙な反応が返ってきます。今までと違うニュアンスで弾いていてもそれを受け止めボールを投げ返してくれます。今回演奏するブラームスのように何回も一緒に演奏している曲もありますが、そうではない曲もある。
ケラス:そうした曲はともに理解を深め、我々も作品と共に成長してきました。だから演奏中の無言のやり取りが可能なのです。リスクを恐れずに自由に弾く。長く共演してきたからこそできることです。

 

ドビュッシーの「チェロ・ソナタ」1915の作品。

このデュオ、精彩があって華やか。ケラスいう自由さからくる響きと感じられた。第2楽章、ドビュッシーの陰影を曳きながら、次は自分がおもしろいと思った点をwikipediaでたしかめたのだけれども、「短いながらもチェロの幅広い演奏技巧が駆使され、左手のピチカートスピッカートフラウタンド奏法、ポルタメントが認められる」とある、このところに関心を集中。

ブラームスの「チェロ・ソナタ 第2」。188653歳のとき、避暑地のスイスのトゥーン滞在中にヴィトマンの邸宅で作曲したという。ブラームスの熱が、ケラスの熱となって絞り出されといった感じにも、すこし切なく聴く。ブラームスには底にいつも煩悶と自問自答、あるいはこたえは出てこないといった思いが感じられる。最後はすっきりと仕上げているけれども。

ブラームスの「ハンガリー舞曲」の超有名な第5番、これでケラス&タローの編曲の違いを確かめ得たかなと。それにしても、ロマの影響というものの大きさをここでも。エレジーを裾のように引きずりながらも陽気に踊るすがたが、今そこに立ち現れ、舞い踊り果ててスカッとさせてくれる。

 

🎧名曲アルバム。マヌエル・ポンセ作曲、加羽沢美濃・編曲。「小さな星」。チェロ江口心一、ピアノ加羽沢美濃

メキシコの中央標高1800にあるアグアスカリエンテス(スペイン語で「熱い水」)は温泉郷。1882年生まれのポンセは生後まもなくこの地に引っ越してきた。サンディエゴ教会の聖歌隊に入り、早くから音楽の才を発揮。16歳で正オルガニストを務める。代表作が「小さな星」。原曲はポンセ自ら詩をつけた歌曲であるという。ポンセは故郷に向かう夜行列車の中でこの歌詞を書いたといわれている。


遠い空の小さな星
私の悩みを見ている星
私の苦しみを知る星よ
もしもあの人が少しでも私のことを愛しているのなら
降りてきて教えておくれ
なぜなら私は生きてはいけない
あの人の愛なしには

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ポンセが弾いたオルガン

⛳ポンセの哀切に澄んで美しい「小さな星」が、今のこのオルガンを天から見下ろしたとき、その頬に一筋の涙がつたうのでは。
けさは5時段階で⁻3。予報を見てこの音楽がおわるころには陽がのぼるとおもっていたが、今しがた遮らなければ眩しいほどの光が一気にさした。6時50分更新

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221117 クラシック倶楽部を聴く  新倉瞳 チェロ・リサイタル

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「自分のできる精一杯をやるしかない」新倉瞳が奏でるチェロの名曲集新型コロナ・ウイルス感染拡大による緊急事態宣言後、番組初の無観客中継収録 チェロ新倉瞳ピアノ梅村百合【曲目】白鳥(サン・サーンス)、シチリア舞曲、エレジー(フォーレ)、フランス組曲(プーランク)、ヴォカリーズ、チェロ・ソナタ第3楽章(ラフマニノフ)、ルーマニア民俗舞曲(バルトーク)【収録】202073日古賀政男音楽博物館けやきホール
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新倉のコメント
リサイタル・プログラムとしては数か月ぶり。帰ってきた、私も楽器も息を吹き返したような気がしました。とても長い時間をかけて用意してきているものを失ってしまうとどこに向けてモチベーションを持っていいのか、ほんとに私以外の皆さんも感じていたことだと思いますし、私自身も来年、再来年を見越して用意していたものとか、ぜんぶちょっとずつ全部ずれてしまったのでどうしたものかな、というのはあったんですが、もう受け入れるしかないので。最初はどきどきそわそわしていたんですけれども、ある時からもう、力だめして、この期間だからできることをするしかないなと、わりと落ち着いたかなと思います。
 プログラムについては、プログラム順というとプーランクからなんですけど、こちらは16世紀の古い舞曲をもとにして、プーランクがマルコ王妃という方が主人公の、いってみればシアター音楽というので書かれたんですね。そういう古いものを新しい形で提供するということ、私自身はかなり自分のテーマにしているので、そういう意味でそのプーランクの思いがとてもリンクしたなと思って。もともとプーランク、好きだったんですけれども、またこの曲をお勉強するにあたって、またチャーミングなところを見つけられたかなあと思っていて、もっともっと弾いて掘り下げていきたい曲でもあります。
 ルーマニア民俗舞曲、この曲は大変有名な曲ですし、ピアノがオリジナルで、弦楽合奏だとかバイオリンにアレンジされてるものはたくさん弾かれていると思うんですけども、チェロで弾いてらっしゃる方が少ないということで、弾けないかなと思ってたんですが、実際バイオリンだとそこまで難しくないテクニックでも、チェロにした途端に大変で、けっこう大変になったんですけれども、私自身が音楽をするうえで、あまりチェロを弾いてるという意識ではやってないことに最近気づいたんですね。とにかく大好きなので、その思いとイメージがあれば音が出るであろうという思いまして、チェロだから止めておくというのには自分の中で封印をしたんです。だからそういう意味で、今回はプーランクとバルトークがうまくつながらないようで、私の中ではリンクする部分があったので選びました。
 きょう久しぶりにホールでぜいたくにリサイタル・プログラムを弾かせていただいて感じたことなんですけども、収録ではありましたが、生の音楽を弾いてる感覚が凄く大きくて、そういったときに勿論こまかいいろいろな自分的な反省点というのも限りなくあるんですけども、そう言った中でその時にしかできない、出てこない音色だとか色合いというものが、チェロという楽器は音程が取りにくいとかそういう事情があるんですが、それがゆえ、とても人間的に、声が近いとも言われますし思うんですけど、その感情の起伏に添っていると思いますし、それが、勿論聴いてくださいとオープンにバーンといくところもあるんですけども、内側に音楽を感じられるというか、そういう意味ではチェロという楽器は特別に人の精神的な部分に近い楽器なのかなあというのは、きょうその音が空気に乗って振動して届くときに感じました。何ともいえないわからない事ばかりですし、今はインターネットだったりSNSがほんとうに盛んになっている世の中なので、知っていただくきっかけだとか、何か興味を持つきっかけというのは、もしかしたら今までよりもチャンスが増えるんじゃないかなと思うんですけど、ただ、それがやっぱり説得力が無かったり魅力が無かったりしたら、かえって興味を持っていただけないことになってしまうと思うので、そういう意味ではもう全く変わらず自分のできる精一杯をやるしかないんじゃないかなと思っていて、特に私はいろんなことに興味が湧いてしまう人間なのですけれども、この機会によく自分と対話をしていくと結局はその音楽オタクといいますか、結局そういうものが好きでそこを突き詰めていく職人的な気質を今後も大事にしたいなと思いました。

無観客、待ち望み迎える聴衆のいないステージの前、すぐ下にはカメラ眼が。

サン・サーンス「白鳥」
フォーレ「シチリア舞曲」「エレジー」
プーランク「フランス組曲」
ラフマニノフ「ヴォカリーズ」「チェロ・ソナタ 作品19 第3楽章」
バルトーク「ルーマニア民俗舞曲」

🎵たとえ12年、或いは3年前の収録であってもいいものは良い、何回でもと思って毎回聴きながら、しかし、次の収録はいつ頃になるのだろうと思っていたが、今回の収録現場のスタッフの様子も含めての映像に、その大変さを納得。新倉がサーキュレーターの間近にチェロを寄せていたが、ドアの開閉のたびに湿気も室内に流れ込むらしく、楽器は湿気に弱いので風に当てているのだとか。ピアノを調弦するところも久方ぶりに目にして、コンサートが始まる前もコンサートだという感じが。収録現場の対コロナの動きの映像からは大変さがつたわってくる。この収録は2020年。今22年の第7波から第8波の初期をかぶっている。AI予測では8波のピークは年明けかとも。コロナへの緊張感が薄れがちな今、この現場での感染対策を見るばかりも、対コロナのありようが更新された。
 ルーマニア民俗舞曲、バルトークが特に興味深かった。鮮烈さ、また踊る人々の間に立ち上る土埃、湧き立つ陽気さすべてが地にしっかりと繋がっているかの力強さ。たまにバルトークが聴きたくなったのはいつごろからだったろう。

🎧名曲アルバム。シューベルト「交響曲〝グレート〟」。円光寺雅彦&東京フィル。

音楽の都ウィーンに生まれ育った天才作曲家シューベルト。畏敬するベートーベンを仰ぎ見て、短い生涯でたどり着いたのが壮大な交響曲「グレート」だった。
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シューベルトはウィーン生まれ。生涯は31年。郊外にあるリヒテンタール教区教会1797年に受洗。ここで音楽と出会う。シューベルトが弾いたオルガンもある。11歳で宮廷礼拝堂聖歌隊に入り、サリエリから音楽教育を受ける。寮生活で友情をはぐくみながら音楽に没頭。シューベルトは大家族の家に生まれた。教師であった父は息子を教職につかせようとした。10代半ばから父を手伝いながら旺盛な創作力でミサ曲や歌曲を作曲。市民の憩いの場ホイリゲと呼ばれるワイン酒場に現れ、仲間たちと飲み集うのが好きだった。彼が目標とする人物はベートーべン。「ベートーべンの後に生まれた者に一体何ができるのか」。シューベルトは畏敬する楽聖に憧れて交響曲に挑んだ。壮大さと力強さを受け継いだハ長調で鳴り響く傑作は「グレート」。シューマンはこれを称賛し「この交響曲はベートーベンの後において未だない」と。シューベルトはベートーベンが死んだ翌年に隣に葬られる。

⛳8時18分更新

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221116 クラシック倶楽部を聴く  グザヴィエ・ド・メストレ&ルセロ・テナ

テナのカスタネットが奏でる歌をメストレのハープがやさしく包みこむ。スペインの音楽に新しい息吹を感じさせるデュオ。ふたりの放つ華やかな音が聴衆を引き込んでいく。―番組紹介からー
【出演】グザヴィエ・ド・メストレ(ハープ)ルセロ・テナ(カスタネット)【曲目】古いソルチコ(グリーディ作曲)赤い塔(イサーク・アルベニス作曲)以上メストレ編曲 ハープ・ソナタニ長調(ソレール)ほか
【収録】2019108日 紀尾井ホール
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コメント
グザヴィエ・ド・メストレ:大好きなスペイン音楽を録音したいと思いました。ハープはスペイン音楽と相性の良い楽器です。旋律を奏でるハープはカスタネットと絶妙な対比を生み出します。カスタネットの躍動感と色彩が理想的なハープとのデユオとなります。ルセロと共演するのは心強いことです。彼女は曲を熟知しているので、頼りになる存在だとわかっていました。だからふたりで音楽を作るのは当然なことです。予想以上の成果がありました。
ルセロ・テナ:彼は古典的なギター曲をハープに編曲しています。それらはとてもすばらしいのです。彼はスペイン音楽に優れています。だから彼とデュオを結成しました。お互いにとてもうまくいっています。
グザヴィエ・ド・メストレ:ルセロのカスタネットはいろいろな音が出ます。打楽器ではなく歌うのです。今回は曲名がスペインの地方や町の名なので音楽で旅をしているようです。演奏会では皆さんをすばらしい旅に連れ出しスペインの情緒や風景を感じてもらいたいです。
ルセロ・テナ:彼と共演できるのは大きな喜びであり光栄です。とても楽しいです。
私は舞踊家としてさまざまなスペインのダンスを踊っていました。それはとてもよい時代で幸せでした。しかし私には以前からカスタネットに愛着がありました。だから踊るのをやめてカスタネットに集中しました。今はカスタネットの演奏に幸せを感じています。

 
曲目

マテオ・アルベニス:ピアノ・ソナタ ニ長調 Op.13*
ヘスース・グリーディ:古いソルチコ
イサーク・アルベニス:12の性格的な小品集Op.92より 第12「赤い塔」*
イサーク・アルベニス:スペイン組曲第1 Op.47より
          第1「グラナダ」          
イサーク・アルベニス:スペイン組曲第2 Op.97より
          2「サラゴサ」
イサーク・アルベニス:スペイン組曲第1 Op.47より
          第5「アストゥリアス」*
アントニオ・ソレール:ハープ・ソナタ ニ長調*
エンリケ・グラナドス:スペイン舞曲集 Op.37より 第5「アンダルーサ」*
マヌエル・デ・ファリャ/マルセル・グランジャニー編:歌劇《はかなき人生》より スペイン舞曲第1*
*
はカスタネットとのデュオ

🎵スペイン音楽に通じるお二方の共演。カスタネットという楽器、実は楽器の仲間だとも思ってはいなかった。それがテナの経歴から、世界の名だたるオーケストラとの共演を果たしている。メストレが「テナとの共演は予想以上の成果をあげた」といっていたが、聴衆の反応という以上に音楽世界観が拡張されたといったことかと。はじめは何かそぐわない感じが。ソレールの「ハープ・ソナタ ニ長調」のあたりで、カスタネットが遠景として響くか、それとも近景のように、それも魂のどこからか湧き出るように響くのかを聴き分けようとしてみた。「古いソルチコ」や「サラゴサ」のハープのソロはギターでこの曲を聴くよりも優しく穏やかで深いのだが、これがカスタネットとのデュオとなると、カスタネットが有無をいわさぬ響き、ときとしては傍尺若無人に聴こえもする。しかし、今回は「ルセロのカスタネットは打楽器ではなく歌うのです」というコメントを念頭に聴いてみると、カスタネットという楽器の自己主張の強さを思いつつも、カスタネットをたしかに歌わせている。その妙技を知らされる。たぶん楽譜はなく即興演奏、あうんの呼吸での即興演奏であるかと思いながらソレールの「ハープ・ソナタ ニ長調」を聴いてみると、リズムの近似性からか、何か両者が風土に自然に相和している、互いの機微を掴み巧みな即興が繰り広げられていると。ハープ奏者が男性であることも意外だったけれども、異色のデユオ。一般の楽器からは作曲者により近づこう、或いは試行錯誤、幾多の研鑽の結果としての響きが感じられるが、カスタネットからは他の何ものにも左右されない動かざる確信、これぞわたしの魂と湧き上がるような情念も感じられる。それと同時にハープの繊細な部分にも繊細に寄り添える打ち方にも気づかされた。

🎧名曲アルバム。マーラー作曲「最後の七つの歌」から「死んだ鼓手」
バリトン福島明也、高関健&東京フィル
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 チェコ中央部の丘陵地帯にある小村カリシュトで、マーラーは1860年酒造業を営むユダヤ人の家庭に生まれた。ここに父の酒造所跡がある。ジャガイモから作る蒸留酒は評判だった。
 程なく、一家は村に近いイーフラヴァに移住する。13世紀から栄える文化と商業の街である。街のシンボルは聖イグナチウス教会。
当時はハプスブルク帝国の一部だったこのイーフラヴァの街には軍隊が駐留していた。マーラー少年は軍楽隊が奏でる行進曲に強く魅了された。彼が行進曲のリズムを好んだのはこの影響ともいわれる。イーフラヴァにも一家が暮らした建物がある。父が営む酒屋では人々がモラヴィア地方の歌を口ずさんだ。少年が覚えた数百の民謡は、のちの創作活動の大きな糧となる。イーフラヴァの市民劇場で、マーラーはピアノの神童として10歳でステージに立った。マーラーが通ったギムナジウムもある。
 このころ仲の良かった弟が亡くなり、少年は大きな衝撃を受けている。「死んだ鼓手」では冷酷な運命に沈む兵士の身の上が切々と歌われる。兵舎の響きや死の面影は、少年時代の体験そのものである。
イーフラヴァ近くの並木道、森を散歩してしばしば我を忘れ、夢見心地になったというマーラー少年。音楽の世界は夢想家の夢をかなえてくれた。軍楽隊や民謡との出会いそして肉親の死。大作曲家マーラーの源流にあるのは少年時代の出来事だった。ー番組解説を参考にー

マーラーの詳しくはこちら

🎵モラヴィア地方、少年が覚えた民謡が数百。モラヴィアは民謡の宝庫だったのだろうか。この民謡だけを採譜した出版物はのこっているのだろうか。

⛳21時28分更新

 

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音楽の連なりに、コーヒーがわりの絵画ブレーク

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 友人のOさんのお知らせで滑り込みセーフ。

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 こういった絵画展のあとには、自分も、とつい口を衝いて出る。Oさんに、「花瓶に挿した一本の花からでいいんだから」とアドバイスを受け、ずっと以前にもそうすすめられて描いたことがあった。一枚は描いたのだけれども。そう一本の花、一本の花、と思いながら帰る道すがら、花屋をのぞきのぞきして、これは難しそう、あれも難しそうとなり、ついにはまたいつかに。むこう3年は描かないだろうと思いながら帰宅。絵を描くって容易なことではないのだ。

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221115 クラシック倶楽部を聴く イリーナ・チュコフスカヤ ピアノリサイタル

ロシアのピアニスト、イリーナ・チュコフスカヤは1980年ショパンコンクールに入賞しながらも旧ソビエト政府によって、その後10年近く外国での活動が禁止された。現在は国際的に、演奏活動と日本やロシアで教べんも執る。【収録】2021年2月21日愛知県立芸術大学室内楽ホール

イリーナ・チュコフスカヤ
2019年から愛知県立芸術大学客員教授。モスクワ音楽院で学び、1980年ショパン国際ピアノコンクール第6位。その後、旧ソ連政府より活動を制限され、1989年に渡米するまでは、ソビエト国内でのみ演奏活動を続ける。現在は世界各国で国際的な活動を続ける一方、モスクワ音楽院やグネーシー音楽大学でも教鞭を執る。1980年代のソ連の混迷はこちら
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イリーナ・チュコフスカヤのコメント
ロシアの音楽には古い歴史はなくヨーロッパ音楽によって育まれました。ロシアの作曲家はヨーロッパ音楽を吸収し、育てられてきたのです。チャイコフスキーはメンデルスゾーンやマイアベーア、ベートーベンの影響を受け、スクリャービンはワーグナーの影響を受けました。チャイコフスキーが活躍した19世紀は、ロシア文化の黄金時代でした。有名ではない作曲家も大勢いて特別な土壌が生まれました。だからこそこのような音楽が生まれたのです。チャイコフスキーは皇帝から年に3000の銀貨を与えられました。皇帝自身が芸術を大変好み、協力していた時代だったのです。
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年ショパンコンクール入賞の影響は
当時ソビエト連邦共産党に入っていた人々は、外国への行き来が自由でしたが、私はコンクールの後、すぐモスクワに呼び戻されてしまいました。そのため音楽仲間にも会えず、プロモーターとも接触できませんでした。10年近くも外国に行くことができなかったのです。ずっと悔しい思いでいっぱいでした。
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ショパンのピアノ・ソナタ第3番について
この曲はコンクールで演奏しその後も何度も弾きましたが、さらにその後はしばらくの間は弾きませんでした。そして今やこの作品を再発見したのです。全く新しい作品のようにに思われたことに驚きました。明確には言えないのですが、ほんとうに興奮しました。この作品にスリルを感じるようになり、毎回の練習が楽しみとなりました。

 

曲目
マズルカ Op.3―9
 (スクリャービン)
 ピアニストとして高く評価されていたスクリャービン(18721915)。初期のピアノ曲にはリストやショパンの影響がうかがわれる。
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つの詩曲 作品32  (スクリャービン)
 1903年に書かれたこの詩曲は、優美で幻想的な響きが印象的。
ワルツ 作品38 (スクリャービン)
 スクリャービン自身が大変好んでいたといわれる曲。ワルツだが自由に発展する幻想曲風な変奏曲となっている。
ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 作品58 (ショパン)
 即興性を重んじたショパンが生涯に残したピアノ・ソナタは全3曲と決して多くはないが、第3番は洗練された美しさとダイナミックな響きを持つ最高傑作である。
アンコール バレエ音楽「くるみ割り人形」から「パ・ド・ドゥ」(チャイコフスキー、ドゥボフ編曲)
 王子と金平糖の精による「パ・ド・ドゥ」は華やかな音楽で舞台をクライマックスへと盛り上げる。

🎵ロシア、ソビエト時代から、芸術家は大切にされているというけれども、たとえ国内にいてもプロパガンダに利用されてしまう。演奏家が持てるものを十分に発揮できないもどかしさに思いが及ぶ。

🎧名曲アルバム。スメタナ作曲、栗山和樹編曲「ふるさとから」
バイオリン天満敦子、小松一彦&東京フィル

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チェコの人々はオーストリアの支配下にあっても独自の文化を守り続けてきた。プラハ市の公会堂にスメタナの名を持つホールがある。チェコの音楽文化を切り開いたスメタナに人々は限りない尊敬の念を寄せる。プラハから東におよそ140キロにある小さな町リトミシュル。町の中心にはべドルジヒ・スメタナ(18241884)の像が建てられている。スメタナはリトミシュル城付のビール醸造家に生まれた。音楽好きの父親のもとで育ち、幼いうちから音楽的才能を発揮。15歳の時音楽家になろうと決心する。後に民族独立の悲願をこめた多くの作品で国民的作曲家としての栄誉を得たスメタナはチェコの民族舞踊を好んだ。作品の多くには民族舞踊のリズムが刻まれている。

⛳6時48分更新

 

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221114 クラシック倶楽部を聴く 辻井伸行ピアノ・リサイタルⅠ

ピアニスト辻井伸行が「今の自分を出し切れた」と語る渾身の演奏会の第1回。ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールから10年あまり。30代になった辻井の音色とは。【収録】2022年2月24日 サントリーホール 大ホール 音楽への思い、ピアノの音色で表現したいことについての情熱を語った貴重なインタビューもご紹介。
ピアニスト辻井伸行が「今の自分を出し切れた」と語る渾身の演奏会の第1回。ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールから10年あまり。30代になった辻井の音色とは。

 
【曲目】
こどもの領分(ドビュッシー作曲)
演奏会用組曲「くるみ割り人形」(チャイコフスキー作曲プレトニョフ編曲)
アンコール:亜麻色の髪の乙女(ドビュッシー作曲)
アンコール:花のワルツ(チャイコフスキー作曲)
【出演】辻井伸行(ピアニスト)

【収録】2022年2月24日 サントリーホール 大ホール
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辻井さんのコメント
今回は(日本ツァー。最後が岩手県盛岡市)13公演ありましたので、ぜんぶで13回ひきましたけれども、やはり、千秋楽に向けて、もっともっといい演奏をしたいという欲が出て来て、どうしたら、やはり、こう自分が一番これだと思う演奏ができるかなって、いつもいろいろ試行錯誤して、特に千秋楽はすごく自分の納得のいく演奏ができて、今できることはすべてこのツァーの中でもできた本番だったんじゃないかなと思います。
  ドビュッシーの「こどもの領分」については、すごく大好きな曲ですけれども、 特に、4曲目の「雪は踊っている」とかは、ほんとうに雪がこうちらちらちらちら上からこう振ってくるような感じ、ほんとうに雪が舞っている、そんなイメージを思い浮かべて演奏していますし、一曲一曲のキャラクターを弾き分けるということもすごく難しいですし、この曲ってほんとうに音が少ない分いろんなことにこだわらないといけないので、それがすごく難しくもあり、そういうところがいろんな自分の音を追及できる曲だなって思います。
「くるみ割り人形」については、
 ピアノ一台でいろんな音色が出せるというのを皆さまに知っていただきたいなと。ピアノで音を押せば勿論音は出ますけれども、その中でもやはりピアノの圧し方によって音も違ってくるし、ペダルの使い方一つでも音っていうのは変わりますし、ピアノ一台で繊細な音から壮大な音までいろんな音が表現できて、この「くるみ割り人形」もやはりオーケストラの原曲を聴くと、もうほんとうに最後の7曲目に向かってどんどんどんどん盛り上げていって迫ってくるような感じで、そういうところとか、特にピアノでこの曲を表現できるようにいろいろ研究しました。

🎵きのうは番組予定で、明日は辻井さんだ。けさ目を覚まして、きょうは辻井さんだ。30歳になられた響き。コメントでおっしゃっているから言うのではない、実際に聴いていて、「こどもの領分」の「雪が踊っている」、辻井さんは今この雪を見ている、そう思った。静かめの曲の方が辻井さんの澄んだ空気や明るさ、心地よく温かい輝きといったらいいか、そんな音がよく聴こえるのだ。それがあって、強く激しい旋律も深く刻まれる。「雪が踊っている」、絶品、というとちょっと即物的な感じにもなるだろうか、すばらしいといえば月並み、ならば何といえばいいのか、まだことばが見つからない。演奏会用組曲「くるみ割り人形」、この曲を辻井さんはチェレスタを実際に演奏するなどして音を詳細に研究してから演奏に挑んだと解説があった。チェレスタ、いまユーチューブで聴いてみたけれども、ちょっと甲高い電子音、これが識別とかニュアンスをつかむことに役立つのかもしれないと勝手に思ったが、違っているかもしれない。「くるみ割り人形」は4番の「間奏曲」が沁みた。それと7番の「アンダンテ・マエストーゾ」、これが辻井さんの真骨頂も聴こえ、辻井さんの心の代弁も聴こえ、聴きごたえがあった。
辻井さんにはもう一つ、ほかのピアニストにはまねできない感動があり、辻井さんにはほんとうに未来に向かっていよいよ輝き続けていただきたいと切望している。
 


🎧名曲アルバム。シューマン「ピアノ協奏曲」。清水和音・ピアノ、外山雄三&N
ライプチヒはシューマンがクララと出会った街。そして世界有数の楽譜出版社のあるところ。この曲は妻クララのために結婚の翌年に作曲。シューマン亡きあと、クララは黒い服を身につけ、この曲を大切に弾き続けたという。

⛳6時41分更新名曲の写真はトラブル。

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きょうのことば「神様の複縦線に思う」―呉からの礼拝― 

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年1106()の礼拝メッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕を一区切り、現在は広島県呉市に在住。今朝は呉からのズーム配信です。

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説教題 「神様の複縦線に思う」―呉からの礼拝―  (國光勝美 牧師)
引証聖句 伝道者の書 311 節
11
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。


改めて皆様おはようございます。そして呉からこのような形で盛岡教会の礼拝を共に持たせていただくことが現実に行われている、夢のようなこの時代の恵みを覚えることでございます。後ほどズーム上でのお交わりのときにこちらのこともご紹介できると思いますが、はじめに大切なおことばに心を向けたいと思っております。

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 私は特に音楽を勉強している者ではありませんので、ネットなどで調べながらの楽譜の紹介でございます。複縦線という記号があるようです。私もあまり耳慣れない言葉でございました。
 ご覧のように1本の縦線で区切られる小節と呼ばれるものがあります。ところが讃美歌の楽譜をご覧になりお分かりかもしれませんが、2本の線が縦に入っている、これを音楽用語でどうも複縦線というようです。そして一番最後の終止線、これで曲が終わりますよ、これはよく楽譜などで見ることができる、この曲が終わりですという記しです。小節を作るための線がある。
 じゃ、どういうときに複縦線を使うのかというと、曲の変わり目、ここで曲が変わりますよという目安としてこの複縦線が登場するわけです。私はこれを盛岡教会と牧師である私たちの今回の出来事、まさに人生の変わり目を示す複縦線のところをいま共に通っている、そういう思いがしています。
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 そして作品がそうであるように、音楽が作曲家の作品といわれるわけですけれども、私たち人生、あるいは私たちの教会も神様の最善の作品である、このことをきょうは複縦線ということに合わせて味わいたいと思っています。
エペソ人への手紙の210
 実に、私たちは神の作品であって、よい行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちがよい行いに歩むように、そのよい行いをあらかじめ備えてくださいました。

 実に私たちは神の作品なのだということ。神様の作品です。本物か偽物か、「開運!なんでも鑑定団」というTVの番組がありますけれども、それが、贋作なのか本物なのかということによって価値が違う。似て非なるものがあると私たちは知るのですけれども、どうでしょうか。私たちが神様の作品なのだということです。これほど尊いものはないでしょう。神様は私たちをご自身の手でお造りくださった。私たちはその意味ですばらしい価値を持っているものなのです。
 「神は、私たちがよい行いに歩むように、そのよい行いをあらかじめ備えてくださいました」。この「よい行い」とは。ふつうは立派で道徳的な優れた生き方、行いということを先ず考えるものです。それはよくわかります。しかし、それにはるかに勝ってここでいっている良い行いというのは、神様のみこころに素直に従っていく、神のみこころに従っていくことをよい行いというのです。私たちはこの世に生まれ、私たちにはそれぞれの個性があります。神様の恵みのゆえにです。いろいろなタイプの人があって、そしてその個性を神様はご自身の手にあって、ああこの人はこういうものに、この人はああいうものに、というように神様がお造りくださる。


 私はずっと以前、教派を超えた牧師たちの修養会に出たことがあります。そのときの講師の例話が思いだされます。その先生は「川に流木ってありますよね、流れ下って来て、それが川岸に打ち上げられて干からびて独特の趣を見せる」。先生はその流木を拾ってきて楽しむ趣味があられた。流木にもさまざまな個性がある。大きなものには節くれだった部分がある。大水で山の奥から大きな木が流れてきているんだけれども、それがくっと曲がりくねっているようなもの、これはもうとても柱なぞには使えない。材としては何の価値も無いようなもの。しかしそれがまた趣がある。ねじれているところを梁に使うととてもおもしろいと仰る。私もそれを想像しながら、なるほどなるほどと思いました。もうずいぶん前の話しですが。
 あの人のようでない、この人のようでない、自分だけの個性、これが神様の手に拾われて、うんこれはいいものになるぞと神様が造ってくださる。作品として。そして造られる私たちは、あるときには痛いかもしれない、神様に扱われるときに苦しいかもしれない、だけれども神様はあなたならではのすばらしいものをといって私たちを造ってくださる。造ってくださったその神様のみこころに素直に従っていくときに、私たちは神様の最善の作品として作り上げられる。良い作品になる。このことを私は思ったのです。そして、それが実は今この複縦線という大きな転機を迎えようとしている時、私たちいよいよ神様がそのわざを為してくださるときでありました。

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11神のなさることは、すべて時にかなって美しい。

 それは大きなまとまりが終わる時、交響楽とか大きな大作のような、楽譜、スコアというのでしょうか、楽譜のところに複縦線があるとき、これはここまで、ここで段落が区切られました。これは神様がご自身の最善のわざをなさるために一つ区切ってくださった。その時に痛いかもしれない、苦しいかもしれない、だけれども、神様は私たちを最もよい作品とするためにこの通過点を与えておられる。楽譜で言うと、ちょうど調号が変わる時というのでしょう。私は音楽の専門家ではありませんけれども、同じようなメロディーの調子であったとしても、それが♯の調で歌われることになるかもしれず、ときとしては♭の状態でまたそのまま同じメロディーでかもしれないけれども、調号が変わると趣がすこし変わるようです。

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 いわんとすることは今までと同じ営み、だけれどもそこに調号が変わるということがある。複縦線。盛岡にいた時の礼拝と、今このように皆様は盛岡で私は呉での礼拝となっております。今までと調子が変わりましたでしょう。皆さん方、日曜日の朝おいでくださった方々は、やっぱりいつもの盛岡の礼拝と、調号が、拍子が変わっていたと思います。これらのことは神様が私たち個人にもそして教会にもターニングポイントとして今のきょうのこの時を与えてくださっているのです。また、複縦線が書かれている所には、何かしら大事な要素があるのだそうです。
 これがきょうのおことば伝道者の書3:11
神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることはできない。
 
ほんとうにそうです。まさか私が呉で自分の生涯のコースを辿るということは想像すらできませんでした。しかし神様がこのように導いてくださった。人には分からない。しかし神様はわざを行われる。私たちの将来は神様が責任を持って造ってくださって、磨いてくださって、作品として完成させてくださる。私たちはそれを知らないけれども、見極めることはできないけれども、神様は最善のことをしてくださる。今私たちは神様の御手の中にあるのです。
 私は説教者ですから、今までいろいろな説教を聞いたことがありました。その中でインマヌエルの創立20周年の大きな集会が持たれたときの宣教師の先生が説教に引かれた例話が印象的でした。先生がある織物工場に見学に行った時の話でした。案内されながら、今織られているものを上の方から見たところ、何かよく分からないいろいろな色の糸が複雑に絡み合っている。どんな柄を織り出そうとしているのか何か納得ができなかった。ところがこんど下の方に案内されて、さっきと同じ反物をこんどは下の方から見上げたときに、わーっと、驚くようなすばらしい模様が織りなされていたそうです。先生の著書には、それを見た時に「私は涙ぐんだ」と書いてあったと思います。上から見た時は何か複雑な色がいろんな糸が走っているだけのように見えたけれども、下から見た時に感動するような麗しい織物の模様がそこにあった。

 私たちは永遠をおもう思いを持っております。その中で、なぜ? とすぐには得心のいかないこともあるでしょう。この盛岡教会の場合もそうかもしれません。しかし今盛岡教会は秋田から仙台から、また札幌から多くの御助力をいただきながら、神様の御手の中にあって織られているところです。「しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることはできない」。だけれども、神のみわざですから間違いは決してありません。良いわざを行う。神のみこころに従っていくのならば、永遠の角度からみたときに、何と麗しい人生を、何と麗しい教会を神様が建てて下さったということができるのです。今、私たちは複縦線、そこをお互い神様が造って下さる作品の複縦線に今差し掛かっているところです。どうか神のみこころに従うよきわざを行い続け、そして新しい地へと進みゆこうではありませんか。

 

※この毎日曜のページは、教会側から頼まれて行っているのではなく、自主的に行っているものです。
ズーム配信で自分で撮った画像などを使用しています。
文責:中ぶんな

⏰6時53分更新

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音楽表彰ニュースーTVから

盛岡城跡公園の紅葉も水の面に映えるこのときに、
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スポーツ文化の知事表彰が。これは昨夜のニュースから。
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不来方高校の音楽部の合唱には癒しがあると思っていたので嬉しかった。村松先生に関してはこちら
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照井さんは、世界的なジャズピアニストの穐吉敏子さんを一生をかけて顕彰し続けている。11日金曜日の穐吉さんのコンサートは、もしかすればこれが最後とも思われたけれども非常に残念ながら行きかねた。しかし穐吉さんは照井さんのジャズのミュージアムにこれからも生き続けるはず。
照井さんには、主人がデッキの修理をお願いしたことがあり、ご縁もある。

      ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

ここからは今夕のニュース。北上市立黒沢尻北小学校。よい合唱づくりにさまざまな努力がなされていたけれども、児童たちが曲、歌の詩のイメージを画用紙に描きだしてみていることには唸ってしまった。

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☆  ☆  ☆  ☆  ☆

一応昨日今日のニュースで見たことだけになっているのだけれども、岩手には日本屈指といってもいいのではと思われる合唱団体も存在している。いつかニュースにもなるかと思う。TVニュースばかりがニュースではないと思いつつ。

一昨日、宮古市の友人から手紙が届き、「賛美歌のCDに心癒されております」とあり嬉しく思った。何かに行き詰まったなと思う時には心を癒し慰めそっと生きる力をくれるのは讃美歌。どうかしたときにはふと口をついて出てくる。

 

⛳20時50分更新

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221111 クラシック倶楽部を聴く 幸田浩子 ソプラノ・リサイタル〜愛知県安城市

【演奏】幸田浩子(ソプラノ)藤満健(ピアノ)
【収録】2022年9月4日安城市民会館サルビアホール(愛知県)
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幸田浩子のコメント
幸田:海の歌をお届けしております。海の歌が大好きなので、私自身は波の音を聞いて風を感じたら、ほんとうにそこからエネルギーをもらいます。そして、大きなものを添えて育む海がある時にはすべてを覆いつくすような悲しいこともあると知ったのが東日本大震災でした。演奏の東日本大震災のあとに何か自分たちにできることはないかと思って、より日本の歌をうたうようになりました。そして陸前高田出身の私の大切な友人が震災からしばらく経ってから作った曲があります。波の雫と書いて「波雫(なみだ)」という曲です。
解説:東日本大震災の後、改めて日本の歌の力を感じるようになった幸田さん。2017年にはJポップのカバーアルバムにも取り組みました。そのきっかけとなった曲が中嶋みゆきの「糸」

幸田:「糸」という曲に、その曲はずっと前から存在してたんですけれど、震災の後、本当にたくさんの方が改めてこの曲の持っているエネルギーというものを皆さん感じて、たくさんのところで耳にすることが多くなりました。「糸」という作品の「縦の糸はあなた、横の糸は私、織りなすものはいつか誰かをあたためうるかもしれない」というこの言葉に心が響いて、この響いた心の共鳴をたくさんの人と私も共感したいなと思ったところがきっかけです。ひとしずくが、こちらでもひとしずくが波紋みたいなイメージですかね。だから「糸」という作品が持ってるエネルギーのひとしずくを私もその波紋の中にはいりたくなったという感じですかね」

【曲目】
「かやの木山の」(北原白秋/山田耕筰)

「からたちの花」(北原白秋/山田耕筰)
「鐘が鳴ります」(北原白秋/山田耕筰)
「たたへよ、しらべよ、歌ひつれよ」(三木露風/山田耕筰)
「浜辺の歌」(林古渓/成田為三)
「初恋」(石川啄木/越谷達之助)
「悲しくなったときは」(寺山修司/中田喜直)
「波雫(なみだ)(菅野祥子作詞・作曲)
「糸」(中島みゆき)
「ハナミズキ」(一青窈)/マシコタツロウ)
「翳りゆく部屋」(荒井由実)
「時は風のように」(池田綾子)

「時は風のように」、これは幸田の為に作られた曲
「奇跡~大きな愛のように」(さだまさし)
 

🎵中島みゆきのファンは厚いけれども、そのポテンシャル、モチベーションの高さには瞠目させられる。「糸」、この歌詞「ささくれ」という言葉が心の中のそちこちのささくれをかすっては痛みを思い起させ撫ぜてさりげなく過ぎゆく。私にとってはそこがまたたまらない魅力なのだ。「翳りゆく部屋」、幸田が歌うと、あれ、これ誰の歌だっけ。いま一人のユーミンに出会ったような。「時は風のように」は幸田のために作られた曲。新しい曲が歌い継がれ残っていくのは並大抵のことではないと思わせられる。「奇跡~大きな愛のように」、あきれたといわれるだろうけれども、この歌があることは今初めて知った。クラシックにチャンネルを合わせたところがJポップを知るといったところ。思えばジャズの良さに気づいたのもクラシック番組の中でのことだった。この「奇跡」、ともに歩むことがあろうともなかろうとも心のなかでは隣を歩み続けて愛する人を守るというのだ。神の愛に近い感じも。
 それにしても幸田浩子の声、天のひとつの星がまたたきながら歌声をこぼしてくれているような響き。

 

🎧名曲アルバム。ラフマニノフ作曲「パガニーニの主題による狂詩曲」
(ピアノ)江口玲,(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団,(指揮)現田茂夫 ~アメリカ・ロサンゼルス、ニューヨーク~
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ロシア生まれの世紀のピアニスト、ラフマニノフは1918年ロシア革命の混乱を逃れ、家族とともにアメリカに亡命。ニューヨークを拠点にカーネギーホールなどを中心に数千人の前で演奏。全米、ヨーロッパにも演奏旅行をする。愛用のピアノは今もコロンビア大学に残されている。ラフマニノフのアメリカ移住後の傑作がこの「パガニーニの主題による狂詩曲」であるという。ついにロシアへは帰らず、1943年ビバリーヒルズに近いロシア正教会で葬儀が行われる。死の床に臥した彼がつぶやいた一言は「もうこれで手がだめになる」。

⛳8時57分更新

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221110 クラシック倶楽部を聴く イル・デーヴ スペシャル・コンサート〜北海道伊達市公開収録〜

2020年11月29日 北海道伊達市 だて歴史の杜カルチャーセンター公開収録。伊達市は明治3年(1870年)に仙台藩一門亘理領主伊達邦成とその家臣達の集団移住で開拓した歴史を持つ。アイヌの人々ともよき共存を果たした。

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 イル・デーヴはメンバー望月哲也、大槻孝志(テノール)青山貴(バリトン)山下浩司(バスバリトン)河原忠之(ピアノ)。総重量500キロの重量級クラシック・ボーカル・グループ。イギリスの「イル・ディーボォ」に触発されて2011年結成。豊かな音色とぬくもりのある音楽を目指す。
青山貴のコメント
今年のコロナ禍で、イル・デーヴも他のクラシックの演奏家の皆さんと同じようにやはり春から演奏会が次々と中止になってしまいました。練習もできなかったですし、活動が全くできない状態が何か月も続いたんですが、その秋から少しづく演奏活動を再開させていただき、これが何とか続けていけたらなあとおもっています。

メンバーが互いに魅力を語る
山下浩司の魅力
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山下さんはこのイル・デーヴ5人のリーダー。大先輩にあたる。頼らせて頂いてるし気さくに接しているし、とてもやさしい方です。


望月哲也の魅力
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イル・デーブのいちばん上のパートを歌う事が多いんですけれども、みんなを先導してくれるすばらしいテノール。

 青山貴の魅力は
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いちばん年下のメンバー。デーブのマスコットといわれている。彼の歌唱、彼のおしゃべり、いわゆるMCいわれているんですけれども、いちばんお客さんの人気が高い。イル・デーヴのメンバーからもそうですしお客さんのみんなからも愛される愛すべき存在。


大槻孝志の魅力は
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望月は大槻とは大学時代からの同級生。アイデアマン。コンサートのプログラミングも積極的に考えてくれ、イル・デーヴの可能性も探って盛り上げてくれる。


河原忠之の魅力
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ほんとうに見た通りの大柄な体格で、僕(大槻)たちの声も見た目も支えてくださって、僕は個人的に河原先生のピアノの音が好きで、みんなもそうなんですが、その音に後押しされて毎回気持ちを乗せられるという大黒柱というか、縁の下の力持ちと言った存在。

河原忠之のコメント
音楽が果たす役割、一言では本当に難しいと思うんですけれども、私個人に関して言いますと、世の中の未曽有の災害のできごとだけでなく、私の個人的な悩み、個人的な問題をクリアする時にも気が付いてみたらこの4人がそばにいました。ということは、この4人がそばにいなければ乗り越えられなかったと僕は思っています。同じように、音楽も何かを乗り越えられるためにやはりあるんではないか。そして、今このコロナ禍の時代で皆さんが制約なさってることというのは、なるべく人と人との距離をあける。そして会話をしない。これはすべて愛に通じて人と人とのコミュニケーション、愛を阻害している形となります。逆に考えればそれが世の中にとってどれだけ必要なのかということ、もし神様というものがいるならば、たぶん試されている時期なんじゃないかなというふうに思います。私たちイル・デーヴはそのことを胸に留めて、こんなに音楽ってすばらしい、音楽、ほんとうに世の中に必要なんだなと皆さんに感じていただけるために演奏したいと思います。

曲目
「さびしいカシの木」やなせたかし作詞、木下牧子作曲
「鷗」三善達治作詞、木下牧子作曲
「涙そうそう」森山良子作詞、BEGIN作曲
「花は咲く」岩井俊二作詞、菅野よう子作曲
「ちびつぐみ」北原白秋作詞、平井康三郎
 歌 山下浩司
「かやの木山の」北原白秋作詞、山田耕筰作曲
 歌 望月哲也
「あわて床屋」北原白秋作詞、山田耕筰作曲
 歌 青山貴
「春」新川和江作詞、信長貴富作曲
 歌 大槻孝志
「ピアノのためのからたちの花」山田耕筰作曲
 ピアノ 河原忠之
「糸」中島みゆき作詞曲
「いのちの歌」Miyabi作詞、村松崇継作曲
「アンパンマンのマーチ」やなせたかし作詞、三木たかし作曲

 

🎵詩人としてのやなせたかしが主宰する「詩とメルヘン」に何回か自分の詩を取り上げていただいたこともあり、最後がやなせの詩で締めくくられ嬉しく思った。最初は大人向けに書いた「アンパンマン」を、後に子供向けの漫画に描き直してヒット。やなせは60歳を過ぎていた。1988にはTV放映。69歳にして爆発的なヒットを手にする。

こうしてじっくり聴いてみると、「アンパンマン」のところだけ瞬時あの飛ぶヒーローが浮かぶのだが、よい詩だなと思う。

「そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷が
いたんでも」

 ちょっと話は飛躍するけれども、イエス・キリストは人の罪の身代わりに十字架につけられ罰を受け苦しんだというけれども、このアンパンマンはお腹を空かせたものたちに自分の体を食べさせる。自分は痛いのだけれどその痛みの分だけ他者が生きる。私の友達が病気で苦しむ過程を踏むことになり、何といってよいか分からなかった。けれどもその後で、自分が苦しむときには誰かがどこかで生かされるときなのではないか、だから苦しみは無駄ではない、そんな気がした。けれども、友達と全く同じ状況に置かれてみなければ、それを口にはできない、そんな気もした。
 今回聴いていて、流行歌にも人を励ます、気持ちをホットにしてくれる歌はたくさんあるなと。中島みゆきもMiyabiも。 
 メンバーによるそれぞれの方の紹介とソロ演奏、バス・バリトン山下の「ちびつぐみ」、朗々と重厚、聴きごたえがあった。
 きょう改めて思ったことは、ただ単にメロディー、詩に共感するというところにとどまらず、歌、詩を通してこれまでの自分の来し方というものを振り返えさせられた。たとこえば「花は咲く」、もう何度となく聴く機会があった。そのたびに被災地、被災者の方々の心境に思いをいたしていたけれども、今回は聴きながら「自分も人に傷つけられたことがある。しかし自分も人を傷つけたことがある」等々。自己を顧みさせる、これはこの曲を聴くときの視聴者の心境もあるけれども、このイル・デーヴの歌唱の力なのだろう。「ピアノのためのカラタチの花」、これもまったく個人的な話しで、外に出ると見える向かい側の家の門口にあるカラタチ。春に咲かせる5弁の小さな白い花、そのあとには緑色のまんまるな実がつく。5月の爽やかな自然の息に美しく切っ先を尖らせる棘。梅雨どきにはその棘に硝子のようなまるい滴が光る。秋にはまるでいくつもの天体が小さくなってこの木に集合したように球形の黄金の実が緑のこずえの間に見え隠れしながら輝く。歌詞がないピアノだけの演奏が、この1年のカラタチの生きたさまに精彩をくれた。このカラタチも、きのう見るとぜんぶ刈られてしまっていた。秋はもう去りゆく。 
 まだまだ書き足りない気がするけれども、きょうはここまで。各メンバー、海外で研鑽を積み、国立音楽大学、愛知県立芸術大学で准教授、教授である方々である。

 

🎧名曲アルバム。シューマン「トロイメライ」。シューマン作曲、栗山和樹編曲
ピアノ・仲道郁代、矢崎彦太郎&東京フィル
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シューマン(18101856)はドイツザクセン州の小都市ツヴィッカウの本屋の息子として生まれた。少年シューマンは文学好きの父親の影響か、文学に強くひかれながら育った。20歳のとき、本格的に音楽を学ぶためにライプチヒへ移る。そこでピアノの神童と呼ばれていたクララ・ヴィ―クと出会い大恋愛。「あなたって時々子どもみたいね」、そんなクララの言葉がきっかけで「子供の情景」は作曲されたという。「トロイメライ」はその曲集の第7曲。さまざまな曲折の後、1840年二人はシェーネフェルダー教会で結婚。ドイツ・ロマン派を象徴するカップルの誕生であった。
 ライプチヒの中心街にあるカフェでシューマンは多くの芸術家仲間たちと多くの時を過ごした。文才に恵まれた彼は、音楽と文筆の両方でロマン主義を指導した。

⛳視野に迫る黄葉真っ盛りの銀杏。木の葉ももうじき散ってしまう。散ったあとの樹の周りに散り敷かれた扇形の葉っぱを踏みしめると足裏に重量感も感じさせる。消えてゆく命でありながらなほ語る生命というものの重み。冬が来る。そしてまた春が来る。
10時44分更新


 

 

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221109 クラシック倶楽部を聴く 小林沙羅&山本耕平デュオ・リサイタル

【出演】(ソプラノ)小林沙羅,(テノール)山本耕平,(ピアノ)河原忠之。「この道」北原白秋:作詞,山田耕筰:作曲,(ソプラノ)小林沙羅,(ピアノ)河原忠之ほか。~2020125棚倉町文化センター倉美館~番組紹介よりー

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棚倉町の重要無形文化財 御田植祭

 ☆

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コメント(抜粋)
河原忠之
:日本全国回らさしているんですけれども、ここ(棚倉町)は初めてで、クルマで来るときも、田園風景のきれいさが心に染みわたってきて、やっぱり、着いて先ずびっくりして、日本のすごく田舎、いい意味での田舎の中にいきなりギリシャ神殿が建ってるようなとこで、ああ、とびっくりしてしまいました。なぜかこの道が流れてて、この道、この道といい感じでしたね。
小林沙羅
:やっぱり海外に住んでた時期なんかに、日本の歌を歌ったり聴いたりすると、ああ、やっぱり日本人なんだな私、と思う時がすごくあって、だから今もとっても大事に歌っていて、だから日本の歌曲はどうしても入れたかったので、耕平さんと相談して、有名な曲と、有名じゃないけど素敵な曲というのをお互い一曲づつだして。耕平さんのもわりと新作。
山本耕平
:そうですね。泉谷閑示さんの4拍子なんていうのはたぶん恐らく演奏される回数もたぶん初めてに近いもので、恐らく放送されるのは間違いなく初めてだと思うんですが、とってもいい曲で、やっぱり名曲との知られている曲とこれから生まれてきているもの、その両方が今回入れられているのがすごく嬉しくおもっています。日本語、美しいですよね。すくない言葉でほんとうに行間をたくさんふくらませてくれる力があるので、そのコンテキストていうのはやっぱりテキストだけでなくて作曲者がどう解釈するかというのは音にいっぱい書いてあるんですよね。そこがまたいいですよ、河原先生がもう、
河原忠之:舞台の発語法というものもあるくらいで、こうやってネイティブな私たちが日本語をしゃべるのと日本歌曲を歌うのって違うところがあるんですね。だから日本歌曲をうたうときには、ちょっと外国の言葉みたいにして発語しないと届かないというところがあるんですけれど、そのお二人の日本語の美しさというものがつたわれば、で、傍で見ると、あ、こんなふうにしているんだなあって、ふだんはふつうにしゃべってるのに、あ、歌うときにはこうやってるんだということをご覧いただければなあと思います。1228

曲目
「この道」北原白秋:作詞、山田耕筰:作曲
(ソプラノ)小林沙羅
「くちなし」高野喜久雄:作詞、高田三郎:作曲
(テノール)山本耕平、(ピアノ)河原忠之
「或る夜のこころ」高村光太郎:作詞、中村裕美:作曲
(ソプラノ)小林沙羅、(ピアノ)河原忠之
「四行詩」中原中也:作詞、泉谷閑示:作曲
(テノール)山本耕平、(ピアノ)河原忠之
「小さな空」武満徹:作詞、武満徹:作曲
(ソプラノ)小林沙羅、(テノール)山本耕平、(ピアノ)河原忠之
「喜歌劇ほほえみの国からきみはわが心のすべて」レハール:作曲
(テノール)山本耕平、(ピアノ)河原忠之
「喜歌劇チャールダーシュ姫からハイヤ!山こそわが故郷」カールマーン:作曲
(ソプラノ)小林沙羅、(ピアノ)河原忠之
「歌劇椿姫から燃える心を」ヴェルディ:作曲
(テノール)山本耕平、(ピアノ)河原忠之
「歌劇椿姫からさようなら 過ぎ去った日よ」ヴェルディ:作曲
(ソプラノ)小林沙羅、(ピアノ)山本耕平
「歌劇椿姫からパリを離れて」ヴェルディ:作曲
(ソプラノ)小林沙羅、(テノール)山本耕平、(ピアノ)河原忠之
「歌劇椿姫から乾杯の歌友よ さあ飲みあかそう」ヴェルディ:作曲
(ソプラノ)小林沙羅、(テノール)山本耕平、(ピアノ)河原忠之
Con Te Partiro Time to say goodbye」クアラントット:作詞、サルトール:作曲
(ソプラノ)小林沙羅、(テノール)山本耕平、(ピアノ)河原忠之

🎵河原先生の日本語で日本歌曲を歌うときの技術については、そこに一ひねりがあったかと。今回一通り聴いていて、やはり日本歌曲を聴くだけではその一人の演奏家の声の値、声の持つ質、技術、力のすべてはわからないなと。オペラを歌ったところで、そこに全表現が開陳されるといった感じを持った。
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曲を超えるバイオリン協奏曲を書いたヴィヴァルディにして、死後は次第に忘れられ、「四季」が日の目を見たのは20世紀に入ってからというこの一つをとっても、演奏される機会の少ない曲を取り上げてもらえることが、どれだけ有難いことかがわかる。
華やぎも声質にならぶ一つの大きな魅力なのかもしれない。
御田植祭は重要無形文化財。

 

🎧名曲アルバム。グリーグ「ピアノ協奏曲 イ短調」
ピアノ・横山幸雄、矢崎彦太郎&東京フィル
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北欧フィヨルドの国ノルウェーにあるロフトフス村。グリーグはこの村を愛し度々訪れている。ここにグリーグの作曲小屋が今も残されている。ピアノを愛し北欧のショパンといわれている。透明で美しい音色は北欧の自然そのもの。グリーグが完成したピアノ協奏曲は生涯にこの一曲だけだが不朽の名作として北欧の音楽の叙情性を世界に伝えているという。
フィヨルドの様々な角度からの抗えないような美しくも透徹した厳しさを見せる映像、その懐にそっと広がる清楚なロフトフス村の文明に毒されていないかに見えるたたずまいが新鮮。

⛳7時。さてきょうのウクライナの展開は。ロシアの酷い徴兵。

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ベートーヴェンの会話帳10冊

 土曜日だから5日、背後でTVが「ベートーヴェンの会話帳」と。主人が見ていた。わたしはこの時間、明日に間に合わせたいと説教の起しを必死でやっていた。取り掛かったのが金曜だったために、うかうかしていると間に合わなくなる。しかし「会話帳」。ちょっとだけ見よう。で、1時間は見てしまったのだが。「ベートーヴェンの恋」は割愛。そこまで見ていては絶対に間に合わなくなる。
 たぶん音楽ファンの方はもう見ただろうけれども、この「会話帳」が東ドイツの図書館から忽然と消えたというのだ。聞くうちに犯人は図書館司書ヨアヒム・クリュー。メーデーで図書館の職員たちがいなくなった時にこの会話帳がなくなり、ヨアヒムの姿も消えたという。消える前に、ソ連がこの会話帳を要求していた。それが1951年になって西側にわたっていた。どうもヨアヒムが廉価で西の何某に引き渡したというのだった。このことに関してはたぶん書籍が出ているかもしれない。

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 ヨアヒムは西側のスパイだったとも。しかし西側は否定。いずれにせよ、ベートーヴェンの会話帳はソ連にわたらずにベルリン国立図書館にのこることになったのだという。
 

 いつもなら夜の10時には眠くてたまらなくなる。しかしここで1時間TVに費やした分だけ11まで頑張り、翌朝は4時半起きで教会の「送別説教」を7時前に更新したのである。もしこれが教会の敬虔な方々であれば「更新させていただきました」と仰るだろう。そうです。「やっと更新させていただきました。

土曜日のことなので今更書かなくともいいかと思ったものの、もったいない気がしてメモってみました。


⛳5日分を今日8日20時46分更新





 

 

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221108 クラシック倶楽部を聴く 林美智子 日本歌曲を歌う

めぐろパーシモン小ホール 20201118収録

林美智子(メゾ・ソプラノ)石野真穂(ピアノ)
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林美智子のコメント
日本の歌曲の魅力は、母がお風呂で毎日のように歌ってくれていたので、みかんの花咲く丘とか、色々な歌、そしてコーラスでも四季折々の日本の歌をたくさん習っていたので、自然に慣れ親しんだ感じでしたね。母国語ですからお客様とキャッチボールが直接的にできるので、自分が感じていることをそのまま伝えて、そしてお客様にもそのまま感じていただいただく、そんな分野ですね。
 武満徹さんの歌を好きになったきっかけというのは、もともとは谷川俊太郎さんの詩の方が私には身近にありまして、シンプルで想像力が湧く愉快な詩には心躍らされて、そしてまた武満さんは、こと歌に関しては何かの書物で、もう歌は限りなく自由でいい、その人のその人のことばで表現で自由であるべきだと書かれていたのを読んでなるほどなと思って、是非これらの歌を自分のライフワークとして歌って行きたいなと感じました。

曲目

朧月夜 高野辰之作詞 岡野貞一作曲
お菓子と娘 西条八十作詞 橋本国彦作曲
くちなし 高野喜久雄作詞 髙田三郎作曲
貝がらのうた 三善晃作詩曲
市の花屋 深尾須磨子作詞 髙田三郎作曲
赤とんぼ 三木露風作詞 山田耕筰作曲
落葉松 野上彰作詞 小林秀雄作曲
さびしいかしの木 やなせたかし作詞 木下牧子作曲
ねむの木の子守歌 上皇后作詞 山本正美作曲
旅のこころ 高田敏子作詞 加藤昌則作曲
夢みたものは 立原道造作詞 木下牧子作曲
以下は武満徹作曲
恋のかくれんぼ 谷川俊太郎作詞
昨日のしみ 谷川俊太郎作詞
小さな部屋で 川路明作詞
見えないこども 谷川俊太郎作詞
うたうだけ 谷川俊太郎作詞

 

「さびしいかしの木」 アンパンマンの作者やなせたかしの詩。山頂に立つ一本のかしの木がさみしさに慣れてしまったとつぶやく様子を歌っている。
「市の花屋」 髙田三郎はパリの庶民の生活を書いた深尾の詩に日本への愛しさを感じて「パリ旅情」を作曲したが、その一曲。
「落葉松」 野上彰は昭和22年の秋に軽井沢で「落葉松」の詩を書いた。野上の死後小林はこの詩を読んで深く感動し一気に作曲したといわれている。
「旅のこころ」 詩人高田敏子は主婦の立場から平易なことばで日常を描き多くの女性から支持されていた。
「夢見たものは」 木下牧子が高校生の時に作曲。
「ねむの木の子守歌」 上皇后が高校生の時の作詩

🎵今回は「落葉松」がじわりと。落葉松、新緑の落葉松には清々しさ、黄葉の落葉松には明るさばかりを感じ取ってきただけに、この詩と曲の全く違った青色、濃紺、水色、黒と林美智子のメゾ・ソプラノに透明度が増してくる色彩感と雨に濡れそぼつ、涙に濡れそぼつ深い悲しみに打たれた。「落葉松の 小鳥の雨に わたしの 乾いた眼が濡れる わたしの 乾いた眼が濡れる」。落涙。

🎧名曲アルバム。伊福部昭・作曲「日本狂詩曲」。東京フィルハーモニー交響楽団&広上淳一 ~北海道・札幌、厚岸~
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写真右、札幌、北海道神宮の奉納の舞と演奏。夏の風物詩として親しまれる 札幌まつり。映画「ゴジラ」のテーマ音楽の作曲家として知られる伊福部昭の手による「日本狂詩曲」は札幌まつりの笛や太鼓にインスピレーションを得て1935年に作曲された。当時伊福部は21歳。最初のオーケストラ作品である。写真左は北海道大学。作曲当時伊福部は北海道帝国大学林学科に通う学生だった。管弦楽部に所属し独学で作曲を学んだという。〝血湧き肉躍る〟リズムとメロディー伊福部音楽の礎はすでに完成されている。卒業後伊福部は北海道庁に勤め、林務官として道東の厚岸町に赴任。植林から伐採まで広大な道有林の管理に日々奔走した。そんな折、「日本狂詩曲」がフランスの作曲コンクールで優勝したとの報が届く。コンクールを主催した作曲家チェレプニンが来日して、伊福部は一か月間作曲を学び、その才能を高く評価された。伊福部はコンクールの賞金でヨーロッパの音楽事典を購入し勉強に励んだ。80年前、道東の寒村で音楽への情熱を燃やした伊福部昭。「日本狂詩曲」は伊福部青年を音楽家の夢へと導いた青春ラプソディーである。ー番組の解説に従って書いていますー

⛳伊福部の曲には躍動感があり元気をくれる。今回たった5分で伊福部の断片を知ることができ目が覚める。写真あと二枚、チェレプニンとのツーショット、伊福部昭の記念館をアップしたかったがちょっと不具合を生じ断念。これ以上の時間はかけられない。北海道の自然の、海の厳しさも或いは伊福部作品に影響を与えているかと思いつつ更新。
6時54分

 

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221107 クラシック倶楽部を聴く 二期会サマーコンサート I

221107 クラシック倶楽部を聴く 二期会サマーコンサート 

渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール 2019823収録

ピアノ・大藤玲子、訳・多田茂史

曲目
☆歌劇「マルタ」から「もっと近くへおいではにかみやのお嬢さん」(フロトー)

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☆歌劇「リゴレット」から「慕わしい人の名は」(ヴェルディ)

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歌劇「リゴレット」から「ほおの涙が」(ヴェルディ)
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歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」から「あなたのお嬢さんをください」(ニコライ)
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歌劇「ミニヨン」から「こよい私は妖精の女王」(トマ)
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歌劇「スペードの女王」から「あなたを愛しています」(チャイコフスキー)
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劇的物語「ファウストのごう罰」からロマンス「燃える恋の思いに」(ベルリオーズ)
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歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」から「さあ 答えがないわ 開けてください」(チレーア)
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🎵二期会サマーコンサート、予告を見てワクワク。二期会のファンといっても、会員、準会員を合わせて2,700人を超える声楽家団体。ワクワクはサマーコンサートで聴いたオペラ・アリアの数々。今日は聴いたという実感、滋養が体中にしっかりと送り届けられたという実感を残してくれる。多くは愛の歌。加えて「もっと近くへおいではにかみやのお嬢さん」は糸紡ぎの二人の女性と、すぐにでも働かせようと躍起になる雇用主側の男性二人の軽妙な四重奏での掛け合いがおもしろい。「あなたのお嬢さんをください」、娘の父親に結婚を申し込む場面だが、青年は理想のみを語り説得しようとし、父親の方は現実的なことをのみ述べて突っぱねる。この対極的な二人が二重唱をするというおもしろさ。「さあ 答えがないわ 開けてください」、これは奥に蓄積された人生観、音楽技法、歌唱力、思いを秘めた演技力などのトータルな魅力に惹きつけられた。

 

🎧名曲アルバム
無伴奏チェロ組曲 第1番プレリュード「サラバンド」
(バッハ)チェロ・横坂源
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バッハはドイツの田舎町ケーテンで32歳からおよそ5年半を過ごした。当時は人口3000人ほど。この町でバッハは宮廷楽長として活躍。ケーテン城は町の歴史を伝える。君主レオポルド侯がバッハを迎えた。レオポルド侯は音楽を愛し芸術の盛んな領地にしたいと願っていた。君主の厚い信頼を得たバッハは、代表曲となる多くの器楽曲を次つぎと作曲。〝鏡の間〟で「無伴奏チェロ組曲」もレオポルド侯を前に披露された。しかし突然、「妻の死」という悲劇が。バッハが通っていたアグヌス教会には彼が使ったといわれる聖杯が残っている。悲しみを乗り越えたバッハは、新たな妻を迎え子どもたちと幸せな日々を送った。「無伴奏チェロ組曲」は独奏楽器としてのチェロの可能性を広げた画期的な作品。君主が早世したとき、バッハは葬儀に駆け付け、自作の葬送音楽曲をささげて追悼した。この「無伴奏チェロ組曲」はバッハがケーテンで過ごした充実の日々から生まれた。

⛳6時ごろにカーテンを大きく開けると、手前にある住宅やビルだけは街並みの代表のように形状を止めていたが、そこからは背後はずっと深い霧に包まれ、見知らぬ幻想的な街にでも迷い込んだような景色が広がっていた。きょうから冬。バルコニーに並ぶバラやアガバンサス、シクラメン、次男たちが母の日に送ってくれたマーガレットが、今も赤い小さな菊のような花を一輪づつ、まるで申し合わせた連携プレーのように咲かせ続けている。そろそろ屋内を親し気にのぞき込んでいるようでもある。
11時7分更新

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きょうのことば「雲が上がれば旅立った」―送別礼拝― 

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年1030()の礼拝メッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 「雲が上がれば旅立った」―送別礼拝―  (國光勝美 牧師)
引証聖句 民数記91523
15 幕屋が設営された日、雲が、あかしの天幕である幕屋をおおった。それは、夕方には幕屋の上にあって朝まで火のようであった。
16 いつもこのようであって、昼は雲がそれをおおい、夜は火のように見えた。
17 いつでも雲が天幕から上るときには、そのあとでイスラエルの子らは旅立った。また、雲がとどまるその場所で、イスラエルの子らは宿営した。
18 主の命令によりイスラエルの子らは旅立ち、主の命により宿営した。雲が幕屋の上にとどまっている間、彼らは宿営した。
19 雲が長い間、幕屋の上にとどまるときには、イスラエルの子らは主への務めを守って、旅立たなかった。
20 また、雲がわずかの間しか幕屋の上にとどまらないことがあっても、彼らは主の命により宿営し、主の命により旅立った。
21 雲が夕方から朝までとどまるようなときがあっても、朝になって雲が上れば、彼らは旅立った。昼でも夜でも、雲が上れば旅立った。
22 二日でも、一月でも、あるいは一年でも、雲が幕屋の上にとどまって、去らなければ、イスラエルの子らは宿営を続けて旅立たなかった。しかし、雲が上ったときは旅立った。
23 彼らは主の命により宿営し、主の命により旅立った。彼らはモーセを通して示された主の命により、主の務めを守った。

<メッセージ>
 あらためて皆様おはようございます。このように送別礼拝を、主にある兄弟姉妹方とともにまもることができますことを深く深く心から感謝を覚えております。
まさに今雲の柱が動いて、それに遅れないように出発しようとの準備の段階にあることであります。私はいつものようにネクタイをしておりますが、慌ただしかったことを証ししなければなりません。うっかり礼拝用のネクタイも荷造りしてしまい、すぐに司会の兄弟に電話をして事情を話したところ、ネクタイを下さいました。教会のバザーで買ったものなので返さなくてもいいということでした。ネクタイ無しのニューファッションでやろうかとも思いましたが、兄弟に助けられました。
 今回の移動は数か月前から分かっていたことですけれども、ご存じの通りこの数か月は突然の葬儀が入り、またその後も結局お葬儀関連が3回続きました。しかしこれもみな私が盛岡でご奉仕させていただく必要のある方々として主が導いてくださった方々であったと改めて深く覚えております。
 ひろ子先生は病の中でありますけれども、引っ越しというとそれなりの大きなストレスと疲労があるのが当然のところ、不思議なように支えられております。ほんとうに感謝なことでありました。
 私はと言うと、やはり教会の事務的なこと、また多くの方々の訪問をいただきましたりで、なかなか書斎の辺りが片付きません。「あなただいじょうぶなの?」とひろ子先生に言われるんですけれども、慌ただしい中にも詩篇1388「主は私のためにすべてを成し遂げてくださいます」「エホバはわれに係れることを全うしたまはん」(文語訳)というおことばが胸中にございました。
 そんな中でようやく最後の最後に長らく開けたことのなかった机の引き出しを見ますと、東京の丸の内教会の渡辺倉造勧士、勧士というのは信徒の立場であってもご用をする資格を持っているのですが、その渡辺倉造勧士の達筆になる栞が出てきました。私たちが盛岡で開拓をすると知り、「もし洗礼者が与えられたらば、その都度、受洗者の栞を私が作るから楽しみにしていてください」と仰って、受洗者が出ることを楽しみに待っていてくださいました。そして第一号の方から、次つぎに作ってくださった。勿論その都度栞は関係した方にはお配りしてあるんですけれども、その中の一枚一枚が奥の引きだしの中にありました。感慨深いことでした。初めての第一回開拓のとき1974年の夏、そしてクリスマス、洗礼を授けてくださったのは当時の教区長の川村襄先生でありました。私の初めての盛岡の冬の経験がこの1974年。たしか12月の11日から一泊二日の河村先生の巡回をいただいたそんなとき、大雪が降りまして、結局その雪が春まで解けずに根雪になった。あの当時は寒さが厳しかったなとそんな思い出があります。
 また栞が入っていた引き出しに一枚のメモを発見したんです。もう茶色く色が変わってますが、一枚のメモ。見たとき記憶がよみがえってきました。
 私たちが初めて盛岡に赴任したのが1974413日でしたが。その当時春闘が年中行事のように交通機関を、特に国鉄を巻き込んで、国鉄と言っても今の方はピンとこないでしょうけれども、ストライキで東北に限らず列車が動かないんですね。盛岡で初めて説教をしなければならない、その聖日に間に合うか間に合わないかの瀬戸際です。そのとき、今日ズームでこの礼拝に参加してくださっている橋本兄が「俺の友達に交通公社の人がいるから、発売になったら真っ先にキーをポーンと叩いて発券してもらうようにするから」と機転を利かしてくれたのです。それでやっと夜11時上野発十和田行の急行に乗ることができました。盛岡駅に着いたのが土曜日の朝。小雨そぼ降っていました。昔の盛岡はご存じの通り、駅前には日通の倉庫が幾つかあって、ここが県庁所在地の盛岡? しかしちょっと行きますと開運橋というのがあって、それを渡ってみると、あ、街なんだということが分かって。開運橋のこっち側はもう倉庫のようなところだったのですが。教区長の河村先生から「あなたの行くところはここだから」と受け取った住所、交通などを書いたメモを頼りにバスに乗りました。夕顔瀬という橋があり、へーロマンチックだな。ところが川を見たところ、ちょうど線路の石が茶色くなっているように川が濁っている。北上川だというけれども水際の石が線路わきの石のように錆びついて見えるのにはびっくりしました。後で訊くと松尾鉱山から出る強酸性水が流れているということでした。後には清流化されましたが。そして前九年というバス停を聞いたときに、たしか歴史の教科書でやったよな、ここだったのか、などなど。
 私とひろ子先生は神学院を卒業して、初めてお昼を婚約式か何かの時に御茶ノ水の駅の近くのレストランでスパゲティを食べた。それぐらいしかないのですが。そのひろ子先生と盛岡に着いたのが土曜日。そして翌日はいよいよ日曜日、聖日です。説教をしなくちゃいけないわけです。私は初めて自分の妻となった人を前に置いて日曜日の説教をしたわけです。その説教のメモ、走り書きのメモ、第一回説教の走り書きした原稿なんですけれども、それが引き出しから出てきたんです。
 そうだったなあ。出エジプト記の17章ヨシュアにアマレクが攻めてきて、そしてそれと戦わなくちゃいけない。若いヨシュアが闘ってその大先輩であるモーセは山の上で祈っている。モーセは山の上で手を挙げて祈っていると、山の下で戦いが進められている。戦いはヨシュアの方が優勢になる。だけど、モーセが疲れて祈りの手が落ちてくる。するとアマレクが優勢になる。その聖書の箇所を私は第一回の盛岡の礼拝で開きました。ヨシュアにとっては初めての戦い。モーセにとっては初めて自分が戦闘に加わるのではなく、一歩退いて祈る。ヨシュアにおいてはほんとうに初めての戦い、まさにそれは私が置かれている盛岡の戦いと同じだなと。その時に盛岡のためにモーセのような祈り手がちゃんと祈っていてくださる。とりなし手がいらっしゃるということなどなど。聴衆は空席の座布団を前にしたひろ子先生一人、大説教をしたのは私一人。それを思い起しながら、このメモを見つめ、これは大切にとっておこうと思いました。


 差し迫った引っ越し準備のさ中に、今日私は皆さん方と一緒にこの民数記9章の15
、途中からなんですけれども、皆さん方はイスラエルの民が出エジプトというできごとを通ったとき、後を追って来るパロの軍勢、前には紅海が彼らの行く道を塞ごうとしているときに、モーセが杖を。そして祈ったとき、そのモーセの祈りの手が先ほどの話しとつながるんですけれども、その時に、つまり、この雲の柱、火の柱、これは神様のご臨在の可見的といったらいいか、ご臨在が目に見えるしるしとして、雲の柱、そして夜はそれが火の柱として彼らをまもってくれるものであります。聖書はこの雲の柱という神のご臨在をもって民を導いてくださいます。

 きょう開きました民数記9章には、神のご臨在を示す雲の柱がとどまっているのならば、ずっとそれが長い期間であっても彼らはそこに止まっていた。1721節と、イスラエルの子らは、雲の動きに即刻に従っていきました。22節を見ても、二日でも一月でも、あるいは一年でも雲が幕屋の上にとどまって去らなければ、イスラエルの子らは宿営を続けて旅立たなかった。しかし、雲が上ったときは旅立った。つまり、神様の臨在の中に彼らは導かれていきました。同じように私は神様のご臨在の雲の、神様のご命令の雲の柱の、決して先走りはしてはいけない。しかし雲の柱が動いたのならば、遅れてもいけない。主の命によって動くということを、これまでもしてきました。50年近くというのはほんとうに長い期間でありましたけれども、神様は、よし、さあ動きなさいと応援してくださいました。それをひしひしと感じ、これが神様の時であると、様々なことの中に経験してまいりました。
 そして皆さん方が、牧師が去った後の神の教会の維持、管理、活動のために本当に一つとなって動いていてくださる。これは私がいつまでもこの教会にいては決してできることではない。見ることのなかった光景です。さあ、雲の柱が動いた。私はこれを皆さん方の人生の信仰生活の尊い一つの事例として受けとめ、そうだ、もう次の地に行ってもよいのだと。私も実際そうさせていただきます。皆さん方も臨在の雲に従ってそれをしっかりと捕えて歩んでいくならば、ぜったいに間違いはなく神様が導いてくださる。
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 時として、私たちは神様の臨在の雲を見失ってしまう時があります。どんなときなのか、自らの焦りなのか、あるいは生き方がすこしずれてしまっているのか。そのことに気が付いたのならば、そこでいつでも悔い改めて、もう一度主の前に膝を折って祈ることです。そのようにして進んでいくのならば、ああ神様はちゃんとおられた。ただ私は気づかなかっただけだ。だいじょうぶです。導かれていくことができます。


 この教会の入り口にはS兄が色紙に書き額装した書「大路」が掛けられています。清々しい品格のある書です。S兄がマリオスで個展を開いたとき、「先生どれでも一つ差し上げますから」と。そのときに譲り受けたものですけれども、「大路」。イザヤのおことばを思いながら、このように雲の柱に導き続けられ天にお帰りになられた信仰の勇者です。まだまだおられました。そのような方々を思いながら歩ませていただきたいと思うのです。

 先ほどの橋本真理姉の賛美のビデオの中に、鞍掛山の頂上から見た景色が映っていました。私が鞍掛山が好きな理由はこの写真一枚でもおわかりいただけるでしょう。この写真の記録を見ますと、去年の1028日、ですから凡そ1年前の鞍掛山です。私は朝はやく家を出るものですから、この日は659分に頂上に着いております。岩手山が目の前に見えている。雲を通して太陽が朝日をさしてくるところです。私は雲の導きというのは、経験的に言って、これは妙な神秘的な意味で言うのではなくして、神様は導かれる。大きな選択しなければならない課題があるときには、私はこの頂上の地点で祈り、「汝我前に行(あゆ)みて完全かれよ」という創世記171節のおことばが心の中に通いました。またひろ子先生が病という大きな闘いの中にありますけれども、その時にも、私は雲に導かれるかのごとくに、そこで祈りをなし、そして皆さん方にも祈っていただきながら今日このような道筋を迎えることができている。私の場合には鞍掛山の朝の祈りの時がシンボリックなデボーションのひと時でした。


 証しはそこまでにさせていただいて、これに従って、私どもはこんど盛岡から広島の呉の方に移転させていただきます。週報にもございますが、引っ越し業者さんとの打ち合わせで、今日の午後4時にこちらに来て搬出してくださるということでありました。呉の方には111日の午前中に着き搬入を終わらせるという予定です。
 神様の雲の臨在は語り掛け、私たちを導いてくださいます。導きの先走りをしてはいけない。しかしそれに遅れてもいけない。これを心にとめながら、今回のおことば
エホバはわれに係れることを全うしたまはん
エホバよなんぢの憐憫(あわれみ)はとこしへにたゆることなし
願わくはなんぢの手の
もろもろの事跡をすてたもふなかれ
              詩篇138篇

「主は私のためにすべてを成し遂げてくださいます。主よ あなたの恵みはとこしえにあります。あなたの御手のわざをやめないでください」詩篇138
 このおことばを握りしめて、またこのみことばの雲に導かれて行きたいと思っております。本当に皆様方の尊いお祈りをいただき、今日までありましたこと、深く深く感謝を申し上げます。有難うございました。

☆   ☆   ☆   ☆   ☆
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國光ひろ子先生のご挨拶
 皆さまほんとうに50年、長い方で50年、そうでない方たちもいらっしゃいますけれども、ほんとうに小さな者のためにお祈りいただき、お心遣いをいただき、本当に感謝しております。まだ移動するという実感はまったく湧かないのですけれども、明日にはこの盛岡を発たなければならない。いまいちはっきり自覚できておりませんが、でも現実には、そのようになると思います。私たちが思うよりも願うよりもはるかに勝ることをしてくださる神様を信じて、さらに進んで行きたいと思っております。
 私、こんなことを申し上げていいかどうか分かりませんけれども、私が皆様と次にお会いするのは天国という方が現実的だなあという思いはしておりますけれども、もしゆるされましたら、呉の方にいらしていただきたいと思います。私、近所の方や、いろんな関係の友達がいて、話が終わるところで「絶対倉敷に行くからね」「行こうね」と言ってくださっているので、とても嬉しく思っております。皆様もどうぞお大事にしてくださって、この寒い冬を乗り越えて行っていただきたいと思います。私は暖かいところにいて申し訳ないと思うのですが、ただ暑いのは苦手なのでどうしようかと思うのですが、主が導いてくださったのなら逃れる道をも備えてくださると信じておりますので、尚お祈りを宜しくお願いいたします。また折々にズームでお会い出来たら嬉しいと思っておりますが、それは際限なく許されることではなさそうですので、とりあえず2月まではズームでお会いしたいと思っております。有難うございました。


※このたび、牧師夫妻が盛岡を離れ、広島県の呉に転居することとなりました。キリスト教関連の多くのページは、イエス様があがめられるようにということで、牧師個人のご忍耐やご苦労、写真などはほとんど掲載されておりませんが、私が個人的に思うところは、経済的困難があろうとも生涯を神に捧げた先生方については、そのご労を讃えてもいいし、そうあってよいとの思いから、また一人にでもキリスト教を知っていただくことができれば、またどなたかの人生の何らかの一助になることができればと、このブログを書き続けてまいりました。先生方の移転で、レコーダーから起こすことは一区切りとなります。今後はできる範囲以内で無理をせずにということになりますが、どうぞ宜しくお願いいたします。
先生方は9月31日、9時50分発の新幹線で、日常の勤務のある方々はやむを得ず新幹線ホームで送る事はできませんでしたが、それ以外の方々皆の讃美歌に、握手に、お一人おひとりの感謝のことばに労われ発たれました。ー中ぶんなー
⏰6時40分更新

 

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221104 クラシック倶楽部を聴く 小川典子 ピアノ・リサイタル ドビュッシーを奏でる

イギリスと日本を拠点に世界的に活躍するピアニスト小川典子。今回は小川が愛してやまないドビュッシーの作品を集めた演奏を紹介する。
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【曲目】
ベルガマスク組曲から「月の光」、「喜びの島」
映像第1集から「水に映る影」
前奏曲集 第2巻(以上、ドビュッシー作曲)
【演奏】小川典子 
【収録】2022年2月28日 かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール

コメント
「映像第1集」ですけれども、私が子どものときに、NHKのリサイタルでアンドレ・ワッツが弾いていたんですよね。この映像第1集の「水に映る影」を聴いたときに、この世の中にこんなにきれいな曲があるのか、ほんとうに驚いて、それ以来この曲を弾いてみたいと思ってきた、私がドビュッシーを好きになるきっかけになった曲なので、映像第1集は今日入れたいなと思いました。
 私は子どものころは、やはりバッハ、ベートーヴェン、ショパン、リストなど勉強をしてそういうものを積極的に練習しましょうと先生にも教えていただいたんですけれども、ドビュッシーはぜんぜん演奏する機会がなかった。だからこそ魅力があったかと思いますね。だからレッスンに関係なくドビュッシーの楽譜を開いて聴いたことのある曲をちょっと弾いてみたり、一人でほんとに隠れて弾いておりました。
 弾く機会がありそうでなかなか無いのがドビュッシーで、特に前奏曲集 第2集というのは、機会がないんですね。やっぱりあの曲はほんとうに弱音が多くて、ずっと静かな曲が続くので演奏会でプログラムに入れると、やはりお客さんにとってもかなりハードなきょくになるので、どっちかっていうと大衆の方でというお話が多いんですね、それなので今回は好きな曲を弾けるということで、第2集を中心にプログラムを考えました。曲のタイトルが楽しそうでも、たとえば「月の光」のような前期の作品の耳馴染みのいいというよりは、音楽のアイデアを好きなように放り込んでいるようなそういう曲想になっているので、それは私にとって非常に魅力的です。題名は非常に映像を感じさせるような画集を読んでいくようなタイトルになっていますけれども、曲の音楽のつくりはかなり抽象的になっていっている。それが、その対比が私にとってはとても魅力があります。

⛄今日の聴きどころはやはり前奏曲集第2巻ということで、内容をWikiから引いてみた。
1曲 霧 - Brouillards
白鍵の和音と黒鍵の分散和音との短2度の衝突が生み出す響きを中心とした大胆な音量が模糊した情景を映し出す。このような技法で書かれた時期では、ドビュッシーがちょうどストラヴィンスキーのバレエ音楽『ペトルーシュカ』に感銘を受けており、その影響が見られる。
2曲 枯葉 - Feuilles mortes
季節の秋、そして人生の秋の寂しさが映し出されたものと思われる。この曲では半音と全音の組み合わせによるオクタトニック(後年メシアンにより「移調の限られた旋法」第2番と名付けられた)をやはり曲中のほとんどで使用している。第1巻の『ヴェール(帆)』と同様の、その他全般的に五音音階の使用が多い。
3曲 ヴィーノの門 - La Puerta del Vino
ハバネラのリズムのうちに激しい情熱と甘美さが交錯するスペイン情緒豊かな曲。ドビュッシー自身、スペイン風の曲をスペイン的に作曲するのが得意だったように、グラナダのアルハンブラ宮殿にあるワインの門をイメージして作曲された。
4曲 妖精たちはあでやかな踊り子 - Les Fées sont d'exquises danseuses
妖精の軽やかな動きを変化溢れる音の運動のうちに表し出した曲で、ジェームズ・バリーの戯曲
『ピーター・パン』のアーサー・ラッカムの挿絵からヒントを得たという。スケルツォ-ワルツ-スケルツォの三部形式の構成からなる。
5曲 ヒース - Bruyères
牧歌風の旋律が美しく織り成された雰囲気豊かな佳品。この曲は、第1巻の『亜麻色の髪の乙女』と同様の、はっきりした調(変イ長調)で書かれており、装飾的で上品な曲に仕上がっている。なお、題名の『ヒース』は花の名前でもあるが、そのヒースが茂る荒野のことも意味する。
6曲 奇人ラヴィーヌ将軍 - Général Lavine - excentrique
1巻の『ミンストレル』と同様の、ケークウォークのリズムが用いられている。そのリズムを生かしつつ、アメリカの道化俳優の動きを巧みに捉えた機知に溢れる曲である。曲の冒頭のそれぞれ調の違う3和音の連続は、ストラヴィンスキーの音楽とも共通した「モダニズム」を表している。
7曲 月の光が降り注ぐテラス - La terrasse des audiences du clair de lune
デリケートな和音と音の動きが月夜の情景を現出する。冒頭に現れる動機は童謡『月の光に』の引用である。複合旋法を用いている。
8曲 水の精 - Ondine
ラッカムの挿絵に霊感を得て書かれたもので、多様に変化する細かな音の運動による幻想的な曲。冒頭に「スケルツァンド」と書かれてあるように、スケルツォ的な曲となっている。
9曲 ピクウィック殿をたたえて - Hommage à S. Pickwick Esq. P.P.M.P.C.
チャールズ・ディケンズの小説『ピクウィック・ペイパーズ』の主人公をパロディ風に描いた曲で、イギリス国歌「神よ女王を守りたまえ」が引用される。
10曲 カノープ - Canope
古代エジプトの壺・カノープから喚起される悲し気な幻想が平行和音の神秘的な響きの中から浮かび上がり、第7小節からは呟きや嘆きの声も聞こえてくる。時々使わう平行和音の連続は、死者への悲しみを表現している。
11曲 交代する三度 - Les tierces alternéesこの曲のみ、他の楽曲のように叙情的な題名がつけられておらず、無機的な運動からなる曲である。これは後年のドビュッシー最後のピアノ独奏曲集となった『練習曲集』を予感させるものとなっている。フランス・バロック風のトッカータ的に書かれた曲。
12曲 花火 - Feux d'artifice
本曲集の最後に飾る曲は、第1巻の『西風の見たもの』と同様のヴォルトゥオーソに書かれた難曲。714日のフランス革命記念日の情景。素早い音の動きのうちにドビュッシーの大胆な音響実験とピアノの名技性とが結び付いた曲で、「遠く lointain」の賑わいに始まり、夜空に炸裂する花火の投影を表している。最後の部分に、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」が引用される。

🎵今回改めて聴いて、事象、人物、景色、実際にあるものそれ自体に緻密で的確な観察眼を働かせているのは画家、彫刻家、その他あらゆる芸術ジャンルはあるだろうけれども、そういう人たちばかりではない、音楽家の観察眼、曲に取り入れるまでの観察眼というものに驚かされる。たとえば第9曲の番組の訳では「ピノック将軍」となっていたけれども、この一人の人物の所作、風体、性格、そしてそこから連想される顔の輪郭、骨格といったものまでが想起せられる。第11曲「交代する三度」、指の動きの面白さ、踊っているかに見える俊敏さに陶然とした。無機的な運動が思わずも見せてくれた面白さだ。あとはもう自然にまつわることは言わずもがな。ただ一つ、たとえば水面でも月でも、ひたりと影を落として見せる、これは音で見せてくれるわけで、この妙が何ともいわれない。ドビュッシーの魅力が今回でもアップ。

 

🎧名曲アルバム。ファリャ作曲 歌劇「はかなき人生」から「間奏曲とスペイン舞曲」。岩村力&東京フィル。
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歌劇「はかなき人生は」は20世紀初頭に活躍したスペインの作曲家ファリャの作品。ロマの娘サル―の悲恋物語を題材にしたドラマティックな音楽劇。当時珍しかった写真から想像をふくらませ作曲。生きる苦悩と情熱に満ちている。写真は昔のロマの人たちの暮らし。

⛳またまた昨日からの北朝鮮のミサイルに震撼し、ロシアと中国、イランの顔色を間近に感じながらも変わらぬ音楽タイム。9時58分更新

 

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221103 クラシック倶楽部を聴く 小菅優 ピアノ・リサイタル

9歳でデビュー。2005年にはカーネギー・ホールで、2006年にはザルツブルク音楽祭でリサイタル・デビューを行う。世界の殿堂で活躍を続ける小菅の「今」を聞く。
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東京オペラシティでの収録

小菅優のコメント
「風」というのは目に見えないもの。空気、それから語源などをさぐっていくと命とか魂とかいうふうにどんどん連想される幻想であって、すごく想像力が掻き立てられるところですね。「風」は今までやってきた(聞き落し)のなかで一番前向きで一番ミステリアスで不可思議な世界。それでいて、奮い起こしてくれる強さもあって、すごく私は一番感性を揺すぶられるようなエレメントだと思います。
ベートーベンはずっと取り組んできた作曲家で、今回は「テンペスト」なんですが、すごく対話は激しい対話が(この部分は今回も聞き取りかねた)でしょうか、「嵐」といっても心の嵐、ほんとうにベートーベンがハイリゲンシュタットの遺書を書いて、その後に、やっぱり芸術を絶対に残していかなければいけないという使命感も感じるほんとうに画期的な作品だと思います。

曲目
☆「クラヴサン曲集 第1巻 第3組曲から「かっこう」ダカン:作曲
「カラヴィンカ」西村朗:作曲
西村朗は2006年にザルツブルク音楽祭で行われた小菅優のリサイタルのためにこの作品を書いた。カラヴィンカは極楽に住む人間の顔を持つ鳥。美しい声で人の魂を救済するといわれている。
ピアノ・ソナタ 第17 ニ短調 作品312」ベートーベン:作曲
ベートーベンは1802年にこのソナタを作曲した。当時の彼は難聴が悪化し自殺を考えるほど思い詰めていた。彼がこの作品の真意について秘書に、「シェークスピアの嵐を読めばわかる」と語った逸話から、嵐を意味する「テンペスト」という名で知られている。
「前奏曲集 第1巻から「沈める寺」」ドビュッシー:作曲
ドビュッシーは1909年から13年にかけて自身のピアノ曲の集大成とされる2つの前奏曲を書いた。「沈める寺」はブルターニュ地方の伝説をもとに作曲された。伝説都市イスの海底に沈んだ寺院が水上に姿を現し、聖歌や鐘の音を響かせてはまた沈む様子を表現している。
「前奏曲集 第2巻から「霧」」ドビュッシー:作曲

🎵「かっこう」。鳥、かっこう、聴いているうちに、カッコウってどんな鳥? 小菅を聴いていると曲をよく理解したいというに優って、小菅の指が紡ぎ出す鳥を訊ねてみたくなるのだ。「カラヴィンカ」、実に印象的。透徹した鉱物的な響きに目が醒める想い。小菅の10指に潜む鳥は飄然と翻って美しさで辺りをざわめかせる。周りの気配を察知し見抜き、玄妙に姿を垣間見せる。以前、小菅が打ち出す音をインド、東南アジアの打楽器に探したことが思い出される。自分の宗教土壌とは異なるが、魂を訪ねあるく、何か巡礼的な感じもする魅力的な旋律、靄がかるところも明瞭に聴かせる小菅のハイテクニック。「ピアノ・ソナタ 第17番」即ち「テンペスト」。これはもうハイリゲンシュタットのあと、しかし芸術はのこしていかなければならないとの思いと小菅。激しい対話、心の嵐、これはシェークスピアの「嵐」でもあると。鮮烈な演奏途上に第3楽章の魂を震わせる優しさには落涙。すばらしいベートーベン演奏にはベートーベンが現われると私は思っているが、この演奏にもあの面影が。最後は、現実はこうだが、しかしこうあらねばならないとつたわってくる。「沈める寺」、ブルターニュの伝説から。「霧」、小菅の真骨頂、繊細な色彩感が響く。

 

🎧名曲アルバム。ショパン「マズルカ作品17-4」
ピアノ大崎結真
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のどかな田園風景が広がるポーランドのシャファルニア村に、ワルシャワにいたショパンは1824年の夏14歳でこの村を訪れる。8歳で神童と呼ばれ貴族の間でも評判のショパンの演奏を聴きたいとこの村の有力者がショパンを招いたのだ。この来訪を記念してシャファルニア・ショパン館が建てられた。毎年ショパンの名を冠した青少年のためのピアノコンクールも行われている。都会暮らしのショパンに田舎暮らしは新鮮だった。ピクニックや乗馬などを楽しみ田舎暮らしを満喫したショパンは。「シャファルニア通信」と題して村の出来事を両親に書き送った。「15日事件発生。鳥小屋で七面鳥の卵孵る。七面鳥の家族が増え、飼い主の財産も増えた」といった内容。ショパンは滞在中に行われた祭で、この地域特有のマズルカに出会う。マズルカはポーランドの人々が古くから親しんでいる民族舞踊。ゆるやかなリズムに憂いのあるメロディー。その音楽から着想したのが「マズルカ作品17-4」といわれる。ショパンは祖国の音楽を芸術にまで高め生涯で60曲のマズルカを書いている。

⛳7時ジャスト更新

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221102 クラシック倶楽部を聴く 田部京子 ピアノ・リサイタル

17歳での日本音楽コンクール第1位をはじめ、数々のコンクールで上位入賞を果たしてきた田部。今回はシューベルトを軸にしたシリーズからシューマンとブラームスを放送
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収録の朝日ホール
  
田部京子のコメント
オーケストラの指揮者と一手に引き受けて一人何役もやっているような作品であったり、伴奏者が一人で独り占めしたりとかいろんなパターンがありますけれども、こういうことを味わえるのはやはりピアノしかないと思うんですね。10本の指を駆使して色んな声部を操って組み合わせて弾いてるわけなので、いつそのどのパートでどういうタイミングでどういう音がほしいかというのは、ものすごい多彩なバリエーションがあるわけなんで、そこを一人で追及していくというか、可能性が無限にあるところをどこまで追求していけるかなあというところがピアの魅力だなあという風に、どんなに時間があっても足りないなあと思うんですけれども、最近はそういうところが魅力かなというふうに感じております。
あとは管楽器、弦楽器と、私はすごく憧れがあるんですけれども、違うのは、打鍵したあとに音が減衰していってしまうということがありますね。そこの減衰が、減衰こそがピアノの美しさ、魅力の一つであるので、そこをいかに減衰を感じながらピアノで歌わせるかというところが、いちばん私にとっては大切なところなんですね。

曲目
「「こどもの情景 作品15」から「知らない国々」「トロイメライ」「炉ばたで」「詩人のお話」」シューマン:作曲
ピアノ・ソナタ 第3 ヘ短調 作品5」ブラームス:作曲

🎵201月に聴いたときには、ブラームスのピアノ・ソナタとはほんとうのところ相性がいまいち、と書いていたようだ。先回、今回と、田部のコメント、ピアノの音の減衰、これをいかに美しく弾くか、そこに導かれて聴くシューマン、ブラームスはまたもう一つの曲の顔に出あわせてくれた。ピアノの欠点としか捉えられなかった音の減衰というものへの意識が変えられた。シューマンが周りの気配のようにそこにあってくれた。ブラームス、3番はやはり大曲であるなと。ブラームスが20歳代で作曲した三つのピアノ・ソナタのなかでは別格の質量とも感じられた。音の連鎖も瑞々しく聴くことができた。第5楽章、聴く者を道連れにそれこそ彼が求めた見出したフレーズで見得をきるような響きが。この楽章のアレグロ・モデラート・マ・ルバートを再現しながらまた書いている。

 

🎧名曲アルバム。 「小さな星」マヌエル・ポンセ作曲/加羽沢美濃・編曲

「小さな星」(チェロ)江口心一,(ピアノ)加羽沢美濃 ~メキシコ・アグアスカリエンテス~
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アグアスカリエンテスはメキシコの中央標高1800メートルの都市。アグアスカリエンテスはスペイン語で「熱い水」を意味する。かつては街のいたるところに温泉場があった。1882年に生まれたポンセは生後間もなくこの街に引っ越した。ポンセはサンディエゴ教会の聖歌隊に入り、早くから音楽の才能を発揮し16歳でこの教会のオルガニストを務めた。「小さな星」はポンセの代表作。美しいメロディーで知られているが、原曲はポンセ自らが歌詞をつけた歌曲であるという。
一応、詩を掲げてみると、

遠い空の小さな星
私の悩みを見ている星
私の苦しみを知る星よ
もしもあの人が少しでも私のことを愛しているなら
降りてきて教えておくれ
なぜなら私は生きてはいけない
あの人の愛なしには……

 

故郷に向かう夜行列車の中でこの歌詞を書いたと言われている。
1948
年、ポンセは65年の生涯を終えている。

🎵写真のオルガンのキー、こんなに悲し気なオルガンはいまだかつて見たことがない。よくぞ記録に加えていただいたものと思う。教会が次つぎに消えてゆくとしても、神が死んだわけではなく、神は依然として生きておられるというところが、実は怖いところなのだが。
せめて重要ないわれある会堂、楽器だけでも行政が手をかけ保存してはくれないものだろうか。

⛳10時32分更新

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221101 クラシック倶楽部を聴く 河村尚子 ピアノ・リサイタル

1986年に渡独。欧州の数々のコンクールで優勝・入賞を重ね2006年にはクララ・ハスキル・コンで優勝。2年に渡ったべ-トーベンプロジェクトの最終回を放送する

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【曲目】オール・ベートーベン
ピアノ・ソナタ 第31番
ピアノ・ソナタ 第32番
アンコール ピアノ・ソナタ 第30番第3楽章から
 

🎵川村尚子が「とにかく熱い作曲家」「躍動感に満たされ、情熱的、リズミカル、愛情に満たされたり」「とびぬけた時代を超えたアイデア」「形式に縛られず新しい世界へ」「止まらない探求心」「形式ををまもる部分と弾ける部分、そのギャップが、ギャップがあっていい」「人生そのものを音楽にした」と熱く語るベートーベン。このベートーベンプロジェクトでいよいよベートーベンとの親密さを得た川村が、ベートーベンの後期ピアノ・ソナタをベーゼンドルファーで親密に聴かせてくれた。31番、32番ともにベートーベン51歳の完成。1822年だ。2年間にわたるプロジェクトの最後がこの3132のプログラム。これにアンコールの30番をプラス。それにしても異次元から湧いてくるかのあの細やかなピュアな響き! 32番最後の音をどう弾くかが極めて難しい表現を求められるところかとも思った。32番の不思議さ。いよいよ興味が尽きない。

🎧名曲アルバム。「交響曲“グレート”」シューベルト作曲

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音楽の都ウィーンに生まれ育った天才作曲家シューベルト。畏敬するベートーベンを仰ぎ見て、短い生涯でたどり着いたのが壮大な交響曲「グレート」だった。
⛳20時2分更新



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