きょうのことば「喜びの福音」
インマヌエル盛岡キリスト教会2022年9月25日(日)の礼拝のおことばをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕をしておられます。
説教題 「喜びの福音」 (國光勝美 牧師)
引証聖句 ガラテヤ 1章6~12節
6 私は驚いています。あなたがたが、キリストの恵みによって自分たちを召してくださった方から、このように急に離れて、ほかの福音に移って行くことに。
7 ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるのではありません。あなたがたを動揺させて、キリストの福音を変えてしまおうとする者たちがいるだけです。
8 しかし、私たちであれ天の御使いであれ、もし私たちがあなたがたに宣べ伝えた福音に反することを、福音として宣べ伝えるなら、そのような者はのろわれるべきです。
9 私たちが以前にも言ったように、今もう一度、私は言います。もしだれかが、あなたがたが受けた福音に反する福音をあなたがたに宣べ伝えているなら、その者はのろわれるべきです。
10 今、私は人々に取り入ろうとしているのでしょうか。神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、人々を喜ばせようと努めているのでしょうか。もし今なお人々を喜ばせようとしているのなら、私はキリストのしもべではありません。
11 兄弟たち、私はあなたがたに明らかにしておきたいのです。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。
12 私はそれを人間からは受けたのではなく、また教えられたのでもありません。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。
いちばんパウロが何を気遣っていたのか。それは自分が伝えた福音というものと、いつの間にかそれが異なった福音というものに移ってしまうということがあるならば、これは聖霊的に絶対にいけないことなのだということ。パウロが宣べ伝えたキリストの福音というものから離れていってはならないということであり、これを命がけで力説しているのがこのガラテヤ書であります。そのことを思い、キリストの福音というものにしっかりと私たちが立ち続けていくことができますように、こういう願いをもって今日はガラテヤ書に導かれたものであります。
ガラテヤ人への手紙の著者はパウロ。そして宛先はギリシャ地方の諸教会です。パウロの手紙の中で、複数の教会に宛てられたのはこの手紙だけです。背景として、パウロの第二次の伝道旅行の期間。彼は病気のためにガラテヤに滞在し出発を延ばしました。彼はそこで病気であったにもかかわらず、福音を宣べ伝え続けました。この機会に彼はガラテヤにいくつもの教会を発足させました。
聖書の中での位置として、ガラテヤ人への手紙は、パウロによる手紙の区分の4番目の手紙です。今日はここを開こうとしておりますし、またガラテヤというとどの辺なんでしょうか。
さて背景的な学びはそこまでにいたしまして、この6~9節をご覧ください。
6 私は驚いています。あなたがたが、キリストの恵みによって自分たちを召してくださった方から、このように急に離れて、ほかの福音に移って行くことに。
7 ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるのではありません。あなたがたを動揺させて、キリストの福音を変えてしまおうとする者たちがいるだけです。6 私は驚いています。あなたがたが、キリストの恵みによって自分たちを召してくださった方から、このように急に離れて、ほかの福音に移って行くことに。
―ここでパウロは強い口調で言いますー
8 しかし、私たちであれ天の御使いであれ、もし私たちがあなたがたに宣べ伝えた福音に反することを、福音として宣べ伝えるなら、そのような者はのろわれるべきです。
9 私たちが以前にも言ったように、今もう一度、私は言います。もしだれかが、あなたがたが受けた福音に反する福音をあなたがたに宣べ伝えているなら、その者はのろわれるべきです。
こう記しております。けんか腰にでも徹底しておきたいとパウロの情熱を傾けた、私が伝えたキリストの福音をいささかなりとも変質させるなどということは絶対に許さない。それがたとえ私たちであれ天の御使いであれ、私たちであれ天のみ使いであったとしても、これは強い。み使いがあなた方に伝えたとしても、もし私が伝えた福音と異なるものを伝えたのならば、そのようなものはのろわれるべきです。皆さん、アナテマイという言葉をお聞きになられたことがおありかもしれません。アナテマイは非常に強い意味で用いられる。ある場合には「破門とする」、「決定的に断絶する」。ですからこれは非常に強烈なのろいの言葉をもってこのキリストの福音から決して離れることがないように諭しています。ここでパウロが言おうとしていることは、第一ペテロの1:23に「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく朽ちない種からであり、生きた、いつまでも残る、神のことばによるのです。」とある通りです。
どうか純粋な神のことば、これにしっかりと根差し、これによって成長していく私たちの教会でありますように、これが切なるこのガラテヤのおことばであります。
これは実はパウロ自身が異なる福音を異なる福音と思わずしてキリスト教に対して迫害をしてしまったという過去があり、自分自身がそういった間違いを犯した経験をしている。
パウロはかつてクリスチャンたちを、あんな神にのろわれて十字架につけられるような者を救い主として信じているようなふとどきな者たちは抹殺しなければならないと思っていた。自分こそ神に従っているという情熱を持ってキリスト教を迫害したことを、皆さんはよくご存じです。自分にその経験があるからこそ、パウロは一層このことを意識して述べているわけです。
昨今メディアを通していろいろ言われている統一教会も、聖書を一応ベースにしているようでありながら、原理講論というようなものによって、聖書のいわんとするところが変質せられ、そしてそれが非常に強力な様々な影響をその信徒に世の中にもたらしていることを私たちは今知っております。
第一コリント15:3、4節に、
3私があなた方に最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。「キリストは聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、4また葬られたこと、また、聖書に書いてある通りに三日目によみがえられたこと。」
これがパウロの確信、そしてきょうのガラテヤ書の引証箇所に合わせるのならば、
11 兄弟たち、私はあなたがたに明らかにしておきたいのです。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。
12 私はそれを人間からは受けたのではなく、また教えられたのでもありません。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。
どうかパウロが受けた福音、私は今こう語りながら、参考までにですけれども、今思い起しておりますのは、私の育ちました浅間温泉の家のバス道路を隔てたほんとうに目の前の家にM君という男がおりました。彼は松本の高校を卒業しまして、他県の大学の方に進みましたときに、原理研究会といわれる統一教会のそれに触れて、彼はそのままずっと進んでいきました。まったく異なることで、私はご存じの通り盛岡に牧師としてやってきました。何年目のことだったでしょう、盛岡に来て10年以上は経っていたかと思うのですが、M君が用事が私を訪ねてくれました。その時に原理研究会の話しが出ました。必死になって私に語ってくれました。私はそれを聞きまして、「M君、僕はね、パウロよりも賢くなりたいとは思ってないんだ」。つまり聖書がいっている福音、統一教会が何を言おうと、パウロが言っているパウロが受けていた啓示、これより賢くなっては決していけない。また別の角度からいうのならば、ペテロの信仰です。これは皆さんがご存じ、
15イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」16シモン・ペテロが答えた。「あなたは生ける神の子キリストです。」(マタイ16:15、16)
ここであの疑い深いトマスが思い出されます。トマスはイエス様が復活したことをなかなか信じない。しかしトマスがよみがえりのイエス様に触れた時、「わが主、わが神」、こういってかれは信仰を確立していきました。そしてそれらのことを思いながら、私はインマヌエル盛岡キリスト教会でヨハネの黙示録を開くことはあまりなかったな。ということを思いながら、イエス・キリストというお方をどのようなお方とみているだろうか。ヨハネは黙示録でこのように言っています。
17この方を見たとき、私は死んだ者のように、その足もとに倒れ込んだ。すると、その方は私の上に右手を置いて言われた。「恐れることはない。わたしは初めであり、終わりであり、18生きている者である。わたしは死んだが、見よ、世々限りなく生きている。また、死とよみの鍵を持っている。」(ヨハネ黙示録1:17、18)
皆さんこれが私たちが信じているキリストの福音です。どうぞ世の中の様々な教えの風に惑わされることなくキリストの福音、私たちの罪の為に死に、そして十字架に架かって三日目によみがえってくださった生けるお方。このキリストを主として、私の神として、このお方から決して決して離れることがありませんよう、ともに信仰の道を歩ませていただきたいと存じます。
※ガラテヤ書に関して詳しい解説がございましたが、割愛してございます。地図はネットからです。
この日はズームではなく、教会に出席し礼拝に与りました。
文責:中ぶんな
⏰6時9分更新
| 固定リンク
「教会」カテゴリの記事
- きょうのことば『どうぞ披露宴においでください』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教ー(2025.05.18)
- きょうのことば『福音を一緒に届ける同労者として』ー木山キリスト教会 松尾献牧師の説教ー(2025.05.11)
- きょうのことば『イエスは手と脇腹を彼らに示され』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教ー(2025.05.04)
- きょうのことば『聖書を、まだ理解していなかった』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教ー(2025.04.27)
- きょうのことば『わたしとともにパラダイスに』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教ー(2025.04.20)
コメント