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きょうのことば「時に適ひて麗しかり」

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年102()の礼拝のおことばをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 「時に適ひて美麗しかり」  (國光勝美 牧師)
引証聖句 伝道者の書 311
神の爲したまふところは皆その時に適ひて美麗しかり

<メッセージ>

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 週報や先ほどのお祈りなどでS姉に係るご葬儀の報告がなされておりますが、今日は、そのことをきっかけにし、「時に適ひて美麗しかり」という伝道者の書311節からのメッセージを導かれております。

 あまり開く機会が無いのがこの伝道者の書ですが、旧約聖書と新約聖書の中から伝道の書を探してください。旧約聖書の部分には、おなじみの創世記からそして最後は小預言書のマラキ書まで39巻が入っています。その39巻の中には、いつも私たちが開く詩篇がありますが、このすぐ近くに伝道者の書がございます。

11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。

「人の心に永遠を与えられた」というのが実に意味深いことばです。「永遠をおもうおもいを与えられた」と訳されている聖書もあります。しかし今回は「人の心に永遠を与えられた」。そしてこの永遠というものは、神様に属する性質。神様が永遠である。「わたしはアルファであり、オメガである」(ヨハネ黙示録21:6)と仰るこの神様、この神様が神に似せて造られた私たちに、永遠、つまり神との交わりを持つ霊的なものを与えてくださった。そしてそのお方は永遠のいのちを私たちに与えてくださっている。そうでなかったらば、これほど残酷なことはありませんね。永遠に苦しむとかいうようなことではない。でも神様は私たちに永遠を与えられ、それは、永遠のいのちが保証されているということでもある。道が開かれているからこそ神様はそのためにこそ御子をお降しくださったのであります。そのことを思いながら、この文語訳の方に

神の爲したまふところは皆その時に適ひて美麗しかり

 先月27日に亡くなられたS姉は文語訳に慣れ親しんでいた方です。私にとりましても、お救いに与ったときには文語訳でしたので、やはり事ごとに文語訳の方が出てきますし、懐かしいことであります。牧師職としての節目に天に召されたS姉。このような時に、ああ、神様は時に適って麗しいことをしてくださったと、アーメンと思わず肯いたことであります。
 S姉、27日に召され、1日置いた29日に教会で告別式を行うことになりました。ご存じの通り、教会は今一つの節目にあります。集会があるときには片付けますけれども、いろいろなものが置かれております。その只中だったのですが、最初葬儀社のホールでと思っていたのですが、特にご遺族の方にとりましては、故人の夫である方のご葬儀は教会でした。それでS姉もぜひ教会で見送っていただきたいという切なる思いをお持ちでした。それが分かりましたものですから、それでは承知しましたと、野戦場のような、行き届いた控室もない状態ですけれども、と知っていただいて、とにかく会堂で告別式をさせていただきました。よかったと心から思ったことであります。
 司式をさせていただきながら、これはノブ姉にとっての神の麗しい時であったと言わざるを得ません。ノブ姉が私たちの教会と深く関わってくださった歴史をご存じの方々は、もう何回もの繰り返しになりますが、開拓して、大館町6123年。北天昌寺、マルイチのすぐ前のところで5年、ですから8年。その8年の終わりの頃に、ちょうど私たちも会堂が欲しいですねという思いが、開拓間もない頃から一緒に労してくださった方々と願いを持ちまして祈っておりました。その時に、一本の電話が入ってきまして、女性の方でした。「Sと申します」。S姉は「私たちの信仰の締めくくりはインマヌエルでさせていただきたいのです」と仰いました。それからS姉の夫である兄がお見えになり、やがてこのご夫妻の関係者であるM姉、T姉が関係者として与えられ、私たちの群れでの交わりを持たれるようになりました。真実に神様にお仕えくださったS兄姉であります。
 そして先にS兄が天にお帰りになられました。残されました姉はしだいにお歳を召され、ご長男も言っておられましたけれども、晩年には認知症になられまして、教会の皆様方にはご迷惑をおかけしたんじゃないかと思いますと仰っておられました。それからほぼ4年間後に、意識はほとんどないままの状態が長く長くおありでした。ご長男の管理下にあるものですから、教会も、連絡は控えざるを得ないような中ではありましたが、私たちがもう一か月で大きな節目を迎えるというときに、S姉は召されました。これは牧者にとりましても、盛岡における大切なお仕事がまだのこっていますよ、とノブ姉が仰られたような気がしました。
 そして、いちばん印象的なことは、召されなさって67時間経ってからでしょうか、お亡くなりになられてからのそのベッドの傍らに行きました。私たちのイメージだと、ぽっちゃりした感じの姉のイメージしかないのですけれども、あまりに小さくなっておられるので、顔も何も細くなっておられるので、しばらくお顔を見て、ああ、ほんとうに間違いなく姉だということはもうすぐに分かりましたけれども、そのお顔がえも言われず優しく笑みをたたえておられる。そのことが今でも印象的です。喪主になられたご長男は医者ですから、職業柄何人もの亡くなられたお顔を見ておられる。けれども、「自分の母親だから言うわけではないんですけれども」と仰りながら、「こんな微笑をたたえた母の姿をほんとうに嬉しく思います」と語って下さいました。
 それからすぐに、私は松園からの帰りにまず日程を決めなければならない。日程はどのように決めるのか。お葬儀の日程というのは、葬儀社さんがすぐに火葬をチェックして空いている時間、それを決め手として日程が決まるのです。その間私は松園からの帰りにすぐに葬儀社のホールに行き連絡をさせていただき、葬儀に係る日程を決めたということになります。告別式にご遺族の方々、そして突然の事ですので、時が許された方々と一緒に、心からのお別れの時を持たせていただき、金曜日に、やはり松園の方にある教会の墓地に納骨をさせていただきました。牧師にとって信仰者を天にお送りする神の麗しいときであったと心から肯いたことであります。

 

※この日は私は主人の所用で主人に同行し、礼拝出席が欠けましたが、教会からデータをお借りして起こしました。
このほかにも一旦は全内容を起こしたのですが、個人情報を含む事項もあり、公開は上記の部分だけと致します。
大変遅れましたが、
⏰17時56分更新


 

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