221031 クラシック倶楽部を聴く 広瀬悦子 〜ベートーベン ショパンを紡ぐ〜
ヴィオッティ国際コン、ミュンヘン国際コンに入賞後99年アルゲリッチ国際コンで優勝。各地の音楽祭への出演のほか、バイエルン放響、モスクワ・フィル、N響などと共演。【曲目】ピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」(ベートーベン)バラード第1番作品23、バラード第4番作品52(ショパン)ほか【演奏】広瀬悦子(ピアノ)【収録】2020年12月8日 武蔵野市民文化会館大ホールで収録(無観客収録)
広瀬悦子のコメント
フランスで受けた影響については 私、15歳のときにフランスに行ったんですけれども、ショパンだったりドヴュシーだったりラヴェルだったり、そのフランスで生活した作曲家の音楽がすごく好きだったということもあって、その作曲家がどんなところで暮らしたんだろうという事を知りたくてフランスを選んだんですけれども、そのときに痛感したのが、日本の音楽教育は全般的にそうなんですけれども、先生がこう弾いたら生徒もこう弾きなさいというのが多いんですけれども、フランスはいかに個性を表現するかの教育が多い。例えば初見の授業の中でも、そんなに弾けない子でも自分の思ったこと、表現したいことをほんとうに上手く表している。そういうのを目の当たりにして、そういった個性の確立と言うのがすごくフランスで受けたいちばんの影響です。
1番に関して、当時、ショパンはあまり幸せな人生でなくて、やはり祖国愛が強い人で、ポーランドに帰れなかったというのがすごくショパンの心に影を落としていて、その時ロシアに占領されるという事態にすごく心を痛めて、自分がそこになにもできないというもどかしさだったり怒りだったり、そういうものをこのバラードにぶつけたというか、最後のコーダなんかほんとうに神様ってほんとうにいるんですかというそういう心の叫びだったり、そういうものをすごく感じます。
4番はほんとうにこうショパンの4曲の最後に書かれた作品で、ショパンが人生いろいろな経験をしてきて自分の特に影の部分というものをすごく感じる曲で、ほんとうはほほ笑んでいるんだけれども、心では悲しんでいるみたいな、そういう心の動きをすごくピアノの音に反映させているなというところが魅力だと思います。
曲目
ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調作品31第2「テンペスト」ベートーヴェン
バラード第1番ト短調作品23ショパン
バラード第4番ヘ短調作品52 ショパン
「愛のワルツ」作品57 第5 モシコフスキ
🎵モシコフスキについてwikipediaから抜粋
「プロイセン王国のブレスラウ(現ポーランドのヴロツワフ)に生まれる。一家は1852年にザヴィエルチェに程近いピリカ[注 2] からブレスラウに移り住んだ、裕福なユダヤ系ポーランド人である。当時多くのユダヤ人が出自を明らかにしたがらなかったのに対し、モシュコフスキは熱心なユダヤ教徒であった。
彼は何度もアメリカのピアノ製造会社に招かれてピアノの宣伝を頼まれたが、いくら報酬を積まれても依頼を断り続けた 」
多くの弟子を教えたが、最後は健康上の理由もあり、弟子を取らなくなった。新しい感覚を志向する傾向はあまり好まなかったようだ。
今回の「愛のワルツ」、もし誰かに、これはショパンの曲ですと言われたなら、私などはなるほどこんな曲も、と肯いてしまいそうだ。
🎧名曲アルバム。「ピアノ三重奏曲 第1番」メンデルスゾーン作曲
演奏:葵トリオ 【ロケ地】ライプチヒ(ドイツ)
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盛岡では昨日から全5回にわたって「ライプツィヒへの旅」と題し、盛岡バッハ・カンタータ・フェライン(指揮・レクチャー佐々木正利)がカンタータの連続演奏会を開くというすごいことをやっている。しかも無料。こちらはバッハ。たまたまこのときにこの番組の回でライプツィヒの取り上げ。こちらはメンデルスゾーンだけれども、それでもライプツィヒの映像を垣間見ることが出来るのは願ってもないことだ。
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ライプツィヒは豊かな歴史と文化が薫る旧東ドイツ第二の都市。数々の音楽家とゆかりのある音楽の街でもある。ライプツィヒの音楽界に大きな影響を与えたフェリックス・メンデルスゾーン。幼いころからピアノと作曲を学び神童としてその名をとどろかせた。メンデルスゾーンが初めてこの街に来たのは1835年。26歳でゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者に就任。古典から新作までさまざまな作品を演奏、楽団のレパートリーを広げた。当時としては斬新だった指揮棒を使うスタイルを取り入れたほか、演奏方針を決めてオーケストラを統率する現在の指揮者の役割を実践。ライプツィヒから指揮者の新しい役割を発信した。メンデルスゾーンが晩年住んだ家は博物館として公開されている。演奏活動と並んで作曲家としても活躍。1839年に「ピアノ三重奏第一番」を完成させた。天才ピアニストとうたわれた彼らしく演奏には高度な技巧を要する。初演ではオーケストラの仲間たちと共に、メンデルスゾーン自身がピアノを演奏。盟友シューマンは「我々の時代における最高峰の三重奏」と称えた。メンデルスゾーンは30代でドイツで最初の音楽院を設立。国内外から生徒が集まり、またたく間にドイツ音楽文化の重要拠点になった。
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