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2022年10月

221031 クラシック倶楽部を聴く 広瀬悦子 〜ベートーベン ショパンを紡ぐ〜

ヴィオッティ国際コン、ミュンヘン国際コンに入賞後99年アルゲリッチ国際コンで優勝。各地の音楽祭への出演のほか、バイエルン放響、モスクワ・フィル、N響などと共演。【曲目】ピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」(ベートーベン)バラード第1番作品23、バラード第4番作品52(ショパン)ほか【演奏】広瀬悦子(ピアノ)【収録】2020年12月8日 武蔵野市民文化会館大ホールで収録(無観客収録)
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広瀬悦子のコメント
 フランスで受けた影響については 私、15歳のときにフランスに行ったんですけれども、ショパンだったりドヴュシーだったりラヴェルだったり、そのフランスで生活した作曲家の音楽がすごく好きだったということもあって、その作曲家がどんなところで暮らしたんだろうという事を知りたくてフランスを選んだんですけれども、そのときに痛感したのが、日本の音楽教育は全般的にそうなんですけれども、先生がこう弾いたら生徒もこう弾きなさいというのが多いんですけれども、フランスはいかに個性を表現するかの教育が多い。例えば初見の授業の中でも、そんなに弾けない子でも自分の思ったこと、表現したいことをほんとうに上手く表している。そういうのを目の当たりにして、そういった個性の確立と言うのがすごくフランスで受けたいちばんの影響です。
 1番に関して、当時、ショパンはあまり幸せな人生でなくて、やはり祖国愛が強い人で、ポーランドに帰れなかったというのがすごくショパンの心に影を落としていて、その時ロシアに占領されるという事態にすごく心を痛めて、自分がそこになにもできないというもどかしさだったり怒りだったり、そういうものをこのバラードにぶつけたというか、最後のコーダなんかほんとうに神様ってほんとうにいるんですかというそういう心の叫びだったり、そういうものをすごく感じます。
 4番はほんとうにこうショパンの4曲の最後に書かれた作品で、ショパンが人生いろいろな経験をしてきて自分の特に影の部分というものをすごく感じる曲で、ほんとうはほほ笑んでいるんだけれども、心では悲しんでいるみたいな、そういう心の動きをすごくピアノの音に反映させているなというところが魅力だと思います。 

曲目
ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調作品312「テンペスト」ベートーヴェン
バラード第1番ト短調作品23ショパン
バラード第4番ヘ短調作品52 ショパン
「愛のワルツ」作品57 第5 
モシコフスキ

 

🎵モシコフスキについてwikipediaから抜粋
プロイセン王国のブレスラウ(現ポーランドのヴロツワフ)に生まれる。一家は1852年ザヴィエルチェに程近いピリカ[注 2] からブレスラウに移り住んだ、裕福なユダヤ系ポーランド人である。当時多くのユダヤ人が出自を明らかにしたがらなかったのに対し、モシュコフスキは熱心なユダヤ教徒であった。
彼は何度もアメリカのピアノ製造会社に招かれてピアノの宣伝を頼まれたが、いくら報酬を積まれても依頼を断り続けた 」
 多くの弟子を教えたが、最後は健康上の理由もあり、弟子を取らなくなった。新しい感覚を志向する傾向はあまり好まなかったようだ。
今回の「愛のワルツ」、もし誰かに、これはショパンの曲ですと言われたなら、私などはなるほどこんな曲も、と肯いてしまいそうだ。

 

🎧名曲アルバム。「ピアノ三重奏曲 第1番」メンデルスゾーン作曲

 演奏:葵トリオ 【ロケ地】ライプチヒ(ドイツ)
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盛岡では昨日から全5回にわたって「ライプツィヒへの旅」と題し、盛岡バッハ・カンタータ・フェライン(指揮・レクチャー佐々木正利)がカンタータの連続演奏会を開くというすごいことをやっている。しかも無料。こちらはバッハ。たまたまこのときにこの番組の回でライプツィヒの取り上げ。こちらはメンデルスゾーンだけれども、それでもライプツィヒの映像を垣間見ることが出来るのは願ってもないことだ。

 ライプツィヒは豊かな歴史と文化が薫る旧東ドイツ第二の都市。数々の音楽家とゆかりのある音楽の街でもある。ライプツィヒの音楽界に大きな影響を与えたフェリックス・メンデルスゾーン。幼いころからピアノと作曲を学び神童としてその名をとどろかせた。メンデルスゾーンが初めてこの街に来たのは1835年。26歳でゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者に就任。古典から新作までさまざまな作品を演奏、楽団のレパートリーを広げた。当時としては斬新だった指揮棒を使うスタイルを取り入れたほか、演奏方針を決めてオーケストラを統率する現在の指揮者の役割を実践。ライプツィヒから指揮者の新しい役割を発信した。メンデルスゾーンが晩年住んだ家は博物館として公開されている。演奏活動と並んで作曲家としても活躍。1839年に「ピアノ三重奏第一番」を完成させた。天才ピアニストとうたわれた彼らしく演奏には高度な技巧を要する。初演ではオーケストラの仲間たちと共に、メンデルスゾーン自身がピアノを演奏。盟友シューマンは「我々の時代における最高峰の三重奏」と称えた。メンデルスゾーンは30代でドイツで最初の音楽院を設立。国内外から生徒が集まり、またたく間にドイツ音楽文化の重要拠点になった。

⛳7時ジャスト更新

 

 

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きょうのことば「必要なのは一つだけ」 

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年1023()の礼拝メッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 「必要なのは一つだけ」  (國光勝美 牧師)
引証聖句 ルカの福音書103842
38 さて、一行が進んで行くうちに、イエスはある村に入られた。すると、マルタという女の人がイエスを家に迎え入れた。
39 彼女にはマリアという姉妹がいたが、主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた。
40 ところが、マルタはいろいろともてなしのために心が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。」
41 主は答えられた。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。
42 しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」


<メッセージ>
 きょうはマリア、マルタのあの場面です。二人ともイエス様を愛してイエス様にお仕えしている素晴らしい姉妹です。マルタの方はかいがいしくイエス様を接待することが得意。だけれども、マリアの方は動き回るよりもイエス様の恵みを慕う方が得意。どちらが良い悪いというよりも、イエス様の話しに耳を傾けそれを慕い求めることの方が大切だということなのです。このところ私は、自分自身がマルタのように動かなければ何もことが進んで行かないということでとにかく一生懸命に動きました。でもそんなときに、一瞬イエスさまのこのおことば、
「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。
42
しかし、必要なことは一つだけです。」
 
このイエス様のお声、これが私の心に響きました。
 私は今いろいろなことに思い煩って心を乱している。けれども必要なことは唯一つ、それはマリアがそうであったように、主の足元に座って、主のことばに聞き入る。主の足元に座って主のことばに聞き入る、この思いを持ち続けなさい。これが大切なことですよ。これを思いました。
 考えてみると、牧師は聖書に四六時中接しているのがある意味普通の通常の生活であり、そのような中に過ごしておりました。しかし教会に集っておられる皆さん方は、まさに好むと好まざるに関わらず、世の中のあのことこのこと期限に追われ、様々な責任を負わされている中に懸命に労しておられる。この皆さん方が置かれていらっしゃるいつもの、それが皆さん方にとって当たり前である中に、私も一か月余り体験的にみことばの前に座るのがふつうではないような、そういう中で礼拝に集い、デボーションの時を持っておられる。そうだ、必要なことは一つだけですよ。それは、主の足元に座って、主のことばに聞き入ること。教えられました。そして、どうか皆さん方もこのイエス様のおことばをしっかりとご自分のものとして語り掛けとして受け取っていただきたい。私たちの人生で必要なことは唯一つ、イエス様の足元に座り続けることです。

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 その必要なことが一つだけということが聖書の中に幾つか、表現は多少変わっていてもあることに思い巡らしが行きました。へブル116にあるおことばもそうです。
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信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
 
このおことば、これも「必要なことは一つだけ」というテーマの中に入って来るおことばだなと思いました。信仰です。信仰がなければ神に喜ばれることができない。私はこの大切な大切なこの一つだけという思い巡らしの中に、それは信仰。これをダイヤモンドと、敢えていうのならばこの原石のように思いました。 

 簡単な知識でしかないのですが、私はダイヤモンドを知らないのですけれども、しかし、原石がどんなに尊いものであり、またカットによってどれだけきれいなものになるかということだけは情報としてはしらないわけではありません。そんなことを思いながら、いちばん大切なものは信仰でそれを自分の人生、クリスチャン信仰生活の中で21:13さまざまなことに直面して、カットされ、研磨され、それによって私たちは輝きを増してくる。神様によって磨いていただく、カットしていただく、これが私たちクリスチャン信仰ではないだろうか。このように思うのです。そんな中にある時は、それを信頼することなんだよ。大きな決断をしようとするとき、みことばをどれだけ信頼できるか、これは信仰という原石を、ほら、今あなたがこういう人生の課題に今あなたは直面しているね。さあ、ほんとうにみことばに信頼できるかねと神様から問われる。ついついいろいろなものに解決を求めようとあがくことが動くことが多いことですけれども、みことばに信頼を置く。或いはみことばのゆえに希望を持つ。もうこう言いますとみなさんはこの次にでてくることが、

いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これらの三つです。その中でも一番すぐれているのは愛です。(第一コリント13:13)

とあります。私はそれはコリントの書にはそう書いてあり、そういう表現がされているけれども、それは信仰というものが、麗しくカットされ研磨され、人生のさまざまな困難の中で磨かれ磨かれたカットされそれがきらっと輝くときに、いちばん見事に輝くのが愛なんだろうな、そのように思います。

 そして締めくくりに、必要なことは一つだけ。別の表現では、それは永遠のいのち、私たちにとって必要なことは、「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら何の益があるでしょうか」(マタイ16:26)とイエス様が仰っておられますけれども、ここでいういのちは「永遠のいのち」のことです。永遠のいのちというのは、神様が永遠ですから、神様とつながる、神と交わるいのち。それを得ることが自分の生涯において唯一必要なことである。このように言うことができる。私はこのように導かれ、今日のメッセージの備えをさせていただきました。一生暮らすうちには様々なものが増えてきますけれども、裸で生まれ出てきた私たちは、また来た時と同じように裸で戻って行く。結局、人生で何を得るとか全世界を手に入れるといったこと、それがいったい何になるのか。必要なことは、神と交わるいのち、永遠のいのちを持つということに尽きる。このことを思いました。「必要なのは一つだけ」、この説教題にたどりついたのは、つい昨日のことでした。

 その昨日のことです。盛岡の方ではありませんが、ずっと前から知っているクリスチャンの方です。國光の関係者でずっとお世話になっているよい交わりの中にある私と同年の男性。その彼が東京におりますので、私が31日の新幹線に乗り、東京を経由することを言いますと、「ぜひ会いたい」と。「じゃ東京駅の銀の鈴で待ち合わせよう」となりました」。その時彼が「勝美さん、真剣に僕、教会のことを考えてるんだ」と言うのです。もうちょっとお話ししますと、彼は義母國光幾代子の甥であり、幼いころから教会学校にも行っていたし、そういう面でとてもまじめな青年で有能な人でもあります。ところがなかなかクリスチャンになるというところまで踏み込めずにいる。どこか違うんですね。その彼が今真剣に「いのち」の問題に向き合おうとしているのです。きっかけは、親しかった友人が最近山で死んでしまったことでした。聞けば秋田駒ヶ岳で。びっくりしました。遭難するようなところじゃない、ファミリー登山ができる山です。今月のはじめに滑落しているのを発見されたというのです。私はすぐにネットで見ました。年齢が76歳と出ていました。住んでいるところは淡路島。彼と私は同年ですから。で、遭難した彼も同年。「やあ勝美さん、一人で山にいくもんじゃないね。ショックでさ。僕も人生の締めくくりを考えなくちゃいけないなと思って、本気になって教会に戻るよ」。小さい時から教会に行ってますから、クリスチャン以外に信仰というのはないと思ってる人です。けれどもいわゆる新生経験というものを持つことがないままに来ていた彼ですから。彼が住んでいるところは、インマヌエルの聖宣神学院教会のある路線駅に一駅のところ。特に國光幾代子が神学院でお葬儀を持っていただいたとか、神学院に関わりがあったということなので、彼は神学院教会に行きたい希望があるようで、「できたら勝美さんから神学院教会の先生の方に一報入れておいてくれないか」と。ああ喜んでやりますよということで、さっそくそちらに連絡をしたわけでした。このことも思いながら、本当にほんとうに必要なのはただ一つだけ。永遠のいのちを持つ。このことです。このことをどうか大切なただ一つのこととして、これをもって旅立ちたいなとこのように思ったことであります。

 

※データは教会からお借りしています。
文責:中ぶんな

⏰7時3分更新

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秋はどこに来てるかな

もりおか歴史文化館前の盛岡市農業まつり
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どこかにきれいな紅葉はないかしらん
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秋の展覧会はどこにと見ればたまたまおでってプラザで「金曜会」の絵画展

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帰り際、受付の女性の方に、この絵を描いた方の受賞歴を訊くと「分かりません。隣の室にいますから呼びましょうか」。私はあわてて「いえいえ、もう帰りますから」。もうあまり人様に余計な時間は取らせたくない。「絵は描きたい気持ちはあるんですけどなかなか」というと、その方が仰った。「私は75歳で始めたんです」と。「どの絵ですか?」。その方が指さしたのは、私が立ち止まって見た絵の中の一枚だった。「ひ孫を描いたんです」。竹林の中を駆けてくる女の子の絵だ。手足の動きが非常にうまく捉えられていると眺めた絵だった。

秋はけっこう近場にも。面倒がらずにちょっと出かけるだけで、まるで光に花開くかのようにそこに静かに輝いていてくれた。

⛳22時7分更新

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221028 クラシック倶楽部を聴く ギター・フェスタ 2022 猪居亜美と押尾コータロー

8月19日から21日にかけて東京のハクジュホールで開かれた<ギターフェスタ2022>から、第一夜の猪居亜美と押尾コータローの演奏をお届けします。

【収録】2022年8月19日 ハクジュホール(東京) 

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猪居亜美:1993年大阪生まれ。4歳からギタリストの父に英才教育を受ける。大阪音楽大学で藤井敬吾、福田進一に師事。ギター音楽大賞グランプリ。台湾ギター国際コンクール第三位。国内外のコンクールで数多く入賞。今年16回目のギター・フェスに初出演の注目の若手ギタリスト。
猪居亜美のコメント
Q今回のプログラムについて
最初に福田先生から今回の「ハクジュのゲストどう?」というふうにお話をいただいた時に、日本ではあまり引かれていないけれどもすごくおもしろい作品、日本で広めたい作品も、そういった曲目ですべて組んでみたらどうなるかなということで、アンドレ・ヨークの作品そしてロベルト・シエッラの作品を選んだ形です。一見すごく不協和音、現代作品独特の不協、それぞれの作者によって音遣いがすごく独特なものがあるんですけれども、そのなかでやっぱり通して弾いてみるとギターの特殊奏法だったりいろんな可能性が秘められているような作品たちだなと、クラシックギターのために書かれてはいるんだけれども、すごくロックのようなカッコいい作品が取り上げられたなと思っていて、特にアンドレ・ヨークという作者はクラシック・ギターの中でもよく定番曲サンバーストであったりとか、そういったテーマ曲とかすごく人気な作曲者兼ギタリストなんですけれども、もう今までの彼とはまったく違った音遣いであったりとか奏法も取り入れていて、すごくカッコいいのでこちら聴いていただけたらなあと思っています。


【曲目】猪居亜美・演奏
Just how funky are you(ヨーク)
クラシックにジャズの語法を取り入れたジャズプレイヤーとしても熟達したヨークらしい作品。
ギター・ソナタ(シエッラ)
シエッラは1953年プエルトリコに生まれた現代のラテン・アメリカを代表する作曲家。終楽章にはシエッラが得意とするサルサのリズムが散りばめられている。
  

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押尾コータロー1968年大阪生まれ。14歳でギターを始める。2002年アコースティック・ギタリストとして日本、全米でメジャーデビューを果たし、この年から3年連続でスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演。特殊奏法を用いたアレンジと類まれな演奏テクニックが醸し出す表現豊かな音楽は、日本のみならずアジア圏でも多くのファンの支持を受けている。
押尾コータローのコメント
Q
ギター・フェスタ出演について
僕は今回の企画にほんとうに感謝なんですけど、なかなか押尾コータローという鉄弦のフォークギターのインストロメンタル奏者を呼んで一緒に何かやってくれるという事態はほんとうにすごいことで、なかなか近そうで近くない鉄弦とナイロンがなったのがその垣根を取ってくれた福田進一さんにほんとうに感謝ですね。しおむらあきおさんもそうですし。
Q今回のプログについて
とはいえ初めて見る方もおられると思うので、その時にやっぱり押尾コータローを知ってもらえるきっかけになった曲の一つにやっぱり、坂本龍一さんのメリー・クリスマス、ミスター・ローレンスを聴いてほしいなというのと、あとやっぱり、このハクジュホールのすばらしい響きの中で演奏するのに生音をいかにクラシックギタリストのように出したいなというのがぼくにもあって、その中で選曲したらやっぱり「第三の男」、ここで弾くと気持ちいいだろうなと。あと自分の曲でやってる「黄昏」という曲も普段はその前譜でとってるんですけども、きょうはその生音をできるだけ聴いてもらおうかなと。(弦をつま弾いて)これだけ響くんですからほんとに気持ちいいですよね。 

【曲目】押尾コータロー・演奏
映画「戦場のメリー・クリスマス」からMerry Christmas Mr.Lawrence(坂本龍一/押尾コータロー編)
坂本龍一が音楽を担当し俳優としても出演した映画「戦場のメリー・クリスマス」のテーマ曲。押尾は弦やボディーを打楽器のようにたたく奏法や変則的な調弦を使ってアレンジした。
映画「第三の男」から、ハリー・ライムのテーマ(A.カラス/押尾コータロー編)
民族楽器チターの奏者としてウィーンの酒場で活躍していたアントン・カラス。撮影で現地を訪れた監督に見いだされ、この映画の音楽を作曲・演奏して一躍有名になった。
黄昏(押尾コータロー)
ブラジルで親しまれているショーロというジャンルをイメージして作曲。夕暮れ時の寂しさと明かりが灯る町並みの温かさが描かれている。
☆リベルタンゴ(ピアソラ/押尾コータロー編)
タンゴの革命児といわれたピアソラが新天地を求め母国アルゼンチンからイタリアへ移住したときの作品。リベルタ(自由)とタンゴを合わせた曲名には従来のタンゴの枠を超えようとした決意がうかがえる。
翼~you are the HERO~(押尾コータロー)
「夢はきっとかなう」という思いを込めて、押尾コータローは初めて作った応援ソング。口ずさみたくなるようなポップなメロディーと軽快なグループ感にあふれた作品。

🎵ハリー・ライムのテーマが鳥の囀りのようにも聞こえて。アコースティックゆえか。「黄昏」、語り掛けてくれる歌のような。「翼」、なかなかうまくいかなくて、そんな軽い吐息にも、ああそうさ、そうなんだよ、そんなときもあるさ、と受容効果もあるような。

 

🎧名曲アルバム。「英雄の生涯」リヒャルト・シュトラウス作曲

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(管弦楽)NHK交響楽団,(指揮)小泉和裕 ~オランダ・アムステルダム~
コンセルトヘボウを世界有数の楽壇に作ったメンゲルベルクは約半世紀楽壇に君臨。鬼軍曹と呼ばれて。しかしR・シュトラウスは彼を絶賛。この曲を彼とその楽壇に捧げたという。

⛳番組が終わって東の方を見やると、

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9時5分更新

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221027 クラシック倶楽部を聴く ホルヘ・カバジェロ ギター・リサイタル を聴いたか聴かなかったか

 アッと目を覚ますと、ここでまた「覚ます」じゃない「醒ます」なのではないかと、心の中から声がするのだが、こんな声は毎回書くたびに書くたびに聞いている。そして、ここでめげるな! ここで折れるな! という声も聞こえてくるのだ。そうか、私は先生じゃない。先生じゃないというのは楽なものだ。よし質問事項に答えられないとしても、はい、次回までには勉強しておきますと応えられればいい。音楽愛好家は評論家ではない。愛好家というのはこの音楽が好きだ嫌いだというだけで十分成り立つ存在であって、これほど気楽なものはないと、そうそう「アッと目を覚ますと」、その次、その次を書こうとしていたのだとあまり質のよくない脱線から自分を引き戻す。引き戻したところで次がすごいかというと、これが先すぼまりでいささか身が縮む。

 5時起きのはずがアッと目を覚ますと、もう550分。「もうダメだ、終わりだ」。オンデマンドもあるはあるだろうがたぶん見ない。けれども閃いた、残るはあと5分。5分を聴いただけでカバジェロのギターがどんなものか分かることだってあるだろう。彼がこの曲を選択した理由、5分で醸す彼の音楽の性格、本質が分かることだってあるだろう。そう自分を奮い立たせながらも、やはり心のどこかが、そう簡単に分かってたまるかいと自分を見下ろしている。
 しかしそれも吹っ切ってTV点火。着火。
カバジェロの最後の5分を聴いた結論は、知的な感性に支配された技巧が煮え立つとでも。

      ☆

いつもとは逆に番組紹介は後回しになった。
写真はたった5分かそこいらのうちに撮った写真。まだステージにいてくれと言うにいわれぬ虚しさに、すたすたとステージから去っていくうしろ姿。
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221027 クラシック倶楽部を聴く ホルヘ・カバジェロ ギター・リサイタル

ペルー出身の世界的ギタリスト、ホルヘ・カバジェロが、ギター曲の中でも難曲とされる、ムソルグスキー作曲/山下和仁編曲の「展覧会の絵」を演奏した公演からお届けします 【曲目】半音階的幻想曲とフーガ(バッハ/カバジェロ編)、組曲「展覧会の絵」(ムソルグスキー/山下和仁 編)、光のない練習曲(セゴビア)【演奏】ホルヘ・カバジェロ(ギター)【収録】2022年8月18日 武蔵野市民文化会館 小ホール

 

🎧名曲アルバム。滝廉太郎作曲・土井晩翠作詞・ニウ ナオミ編曲
加來徹歌・大井剛史&東京フィル

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会津の悲哀に寄せる思い。
私はひと頃は、官軍に逆らって失墜する人々を、なぜ時局をよく見極めて滅亡を避ける道を選ばなかったのかと歯がゆかった。しかしなぜか今は会津や、それこそローマを相手に立ち上がったスパルタカス、これが残党は延々とアッピア街道に吊るされる羽目になったのだけれども。ヒトラー暗殺を企て結果失敗して殺された「もう一人のドイツ人」のような存在が好きになった。もしかすれば全存在を失うことになるかもしれないと分かっていて突き進んでいき、しまいには惨憺たる有様となる。しかしこういう存在あってこそ歴史がおもしろい。こういう存在がなかったら寂しすぎる。そう思うようになった。

⛳きょうも秋晴れ。森閑とした林にさし、こもる光が懐かしく思われる。11時57分更新

 

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221026 クラシック倶楽部を聴く ラファエル・アギーレ ギター・リサイタル

2007年のタレガ国際ギターコンクールをはじめ、世界の名だたる13のコンクールで優勝を収めたスペインのギタリスト。賞賛を受け続ける華麗な演奏をご紹介します。 【出演】ラファエル・アギーレ(ギター)【収録】2020年2月4日 浜離宮朝日ホールで収録

ラファエル・アギーレ
南スペインのマラガ出身。8歳でギターを始め16歳でオーケストラトと共演してデヴューアンドレ・セゴビヤやナルシソ・イエペスの後を継ぐギター奏者として高く評価されている。

今回は母国スペインの音楽。クラシックからフラメンコまでさまざまな作品を演奏。

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ラファエル・アギーレのコメント
スペインの音楽はスペイン人そのものです。情熱的でメランコリーで気性が激しくドラマチック生き生きとしていて人生を楽しむ気風があります。ギターの魅力とはそのすべてを表現できることだと思います。ピアノには敵いませんが、ベルリオーズがいったようにギターは小さな一つのオーケストラなのです。
このギターは2016年に私の父が故郷のマラガで作ったものです。表板はシダー(米杉)、裏板と側板はインディアンローズウッド。フラメンコとクラシック両方演奏するのに最適です。シダーのしっとりとした響きしかし、一瞬で世界を旅することができる、そこが気に入っています。
演奏するときは、神経質なのでとても緊張します。そんなときは子どものころのことを思いだします。ギターの奏でる音を聴いて恋に落ちた時のことです。その感情がステージにあがる理由を思い出させて完璧を求めずに楽しむこと。演奏会はパーティーですから。音楽の力を分かち合う事で聴衆は私に力を与えてくれます。そして演奏会は大きな力をくれる場になるのです。

どこでであったか、ファエル・アギーレがいっていたが、ギターとういう楽器は演奏技術を知らないと自然な流れを作るのが難しい、ギターは特殊なところがあって響きにくい調性があったり派手に聴こえるアルペジオやコードの組み合わせがありそれを熟知していないといけない、その点スペインのギタリストの作品にはベースとなる深い知識があると。

曲目

スペイン組曲から 「アストゥーリアス」(アルベニス):原曲はスペイン民族主義音楽を確立させたアルベニス(18601909)のピアノ曲。セゴビアが愛奏したことで、ギター曲としても人気の作品となった。
スペイン組曲から「セビリャーナス」(アルベニス):超絶技巧で名を馳せたサビーカス(19121990)とフラメンコにジャズやクラシック・ギターの要素を取り入れたパコ・デ・ルシア(19472014)の作品。ともにフラメンコ奏者による曲だが、それぞれの特徴が出た作品となっている。
オレイ・ミ・カディス(サビーカス)
月に映えて(パコ・デ・ルシア)
はかない人生から「スペイン舞曲 第1番」(ファリャ):民族主義と印象主義を巧みに融合させたファリャ(18761946)の歌劇の中の一曲。結婚式の場面で演奏される音楽で流麗な主部に熱い中間部が挟まれている。
スペイン風セレナーデ(マラッカ):スペインの名ピアニストホアキン・マラッツ(1872)の作品中ほとんど唯一知られた作品。近代ギターの礎を築いたタレガによってギター曲として広まった。
サルスエラ「ルイス・アロンソの結婚式」から間奏曲(ヒメネス)
 ギタリスト山下和仁の見事な編曲によってめくるめく妙技が披露される。
アンコール カヴァティーナ(スタンリー・マイヤーズ)
「私の大好きな小品を演奏します。がらっと雰囲気を変えて」とアギーレが弾いたのがこの曲。心休まる寛げる静かな曲。
アンコール 「アランブラ宮殿の思い出」(タレガ)

 

🎵「ギターの場合、たとえば「はかない人生」で民族主義と印象主義との融合と解説があっても即座にそれを聴き分けられなかったり、小曲が並んだ場合、超有名な曲しか印象にのこらず、あとは並列的に聴こえたりなのだが、これも回を重ねるうちには、じわじわと心に落ち込んでくるものかと」と前回書いているが、今回は一曲一曲が独立して立ち上がり心に落ちた。それにしても、間合いの絶妙さ、これは完全に曲を掌握し奏者の感性が融合を果たし、魂そのものとなったときに、聴く者の魂に届いてくるものと思われる。熱こもるアギーレの演奏は深い。

🎧名曲アルバム。「里の秋」海沼実・作曲/斎藤信夫・作詞/日高哲英・編曲

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(歌)林美智子,(指揮)岩村力,(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団 ~千葉県・山武市~

⛳書き足しで7時更新

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221025 クラシック倶楽部を聴く 村治佳織 村治奏一 ギター・デュオ・リサイタル I 〜岡山県津山市公開収録〜

村治佳織・奏一姉弟のギターによる珠玉のギターの調べ。岡山県津山市での公開収録の後編。 個性が響く独奏と息のあったデュオ演奏。大曲への思い、お互いについて語ったインタビューもご紹介。【収録】2020年12月11日 津山文化センター 大ホール(岡山県津山市)

Img_20221025_053739 Img_20221025_052707 Img_20221025_053429 【曲目】
対話風小二重奏曲 作品34 第2から「ロンド」(カルッリ作曲)
映画「「ミッション」から「ガブリエルのオーボエ」(
モリコーネ作曲/モーガン&ポーチン編曲
  
映画「戦場のメリークリスマス」からMerry Christmas Mr.Lawrence(坂本龍一作曲・佐藤弘和編曲)
映画「ひまわり」からテーマ曲「ひまわり」(マンシーニ作曲・鈴木大介編曲)
映画「プライドと偏見」から「夜明け」(マリアネッリ作曲・牟岐礼編曲)
「ラプソディー・ジャパン」藤井眞吾作曲

コメント
佳織
:津山は直接知っている人が誰もいないなと思ったんですけれどもすごくお世話になっている方が津山のご出身だと思ってご連絡したら、何とこの文化センターが建つ前の第一小学校ご卒業の方で、すごくご縁を感じました。
奏一:石垣だけが当時のままの状態で残ってるんですよね。あれを見ながら佳織さんと坂を上って来て、ちょうど鐘が鳴ってたんですけど、これから弾く鐘の情景の曲、その響きを再現出来たらなと聴いておりました。
やっぱり制限が掛かっていたなかで、ネットを通じてのコミュニケーションというのはあったんですけれども、やっぱりこういう場所に来るとそこで演奏を待っていてくださっているお客様もいて、やっぱりスタッフの方々もいらっしゃいますよね。これまで当たり前と思っていたことにもういちどそのすばらしさに気付くことができて、そこはやっぱり、今回ここに来て思わされたところですね。
佳織:ここにお住まいの方も刺激を受けて、私たちも。双方が刺激を受けて日常の生活に戻っていくというそのプロセスがほんとうに好きなので、今回もありがたいなと思っています。
映画音楽とクラシックと日本の曲というのを世界旅行でしていただけるようなプログラムになっているかなあと思います。
奏一:やはりクラシックギターそのものがまだ比較的新しい楽器で100年ぐらいしか経っていない。その中で色々な編曲作品を取り入れた作品なので、「ひまわり」にしてもギターの繊細さですとか一台でいろんな表現を重ねていくことができる良さ強みを、ギターの曲ではないんですが、強みを発揮できる作品だなあと、今回は取り入れてみました。
佳織:映画音楽は今から20年ぐらい前から取り入れ始めたジャンルなんですけれども。やはち、クラシックという柱があって、そのうえで音楽を表現するというのは、すごく音楽の豊かさを自分も感じられるし、お客様との距離も近づくような感じがあって、映画音楽ってシーンが明確にあるので、お客様の頭の中で浮かぶシーンと私たち演奏家が浮かべるシーンと一致する楽しさというのがあると思うんですよね。
きょう演奏する「ガブリエルのオーボエ」もあたたかい曲ですので心をこめて演奏します。
佳織:最後の曲「ラプソディー・ジャパン」、いろいろな曲がはいっているので、じっくりとお聴きいただけると思います。
奏一:「ラプソディー・ジャパン」、ラプソディというのは自由な組曲、狂詩曲というんですけども、日本の色々なメロディを使った組曲になってます。その中に「隅田川」がありますが、我々の地元、実は隅田川が流れてるので、何となく親近感が。で、その後、色々なメロディーもあります。
佳織:「ずいずいずっころばし」とかね。で、最後は「ふるさと」で終わります。今回も泊まっているホテルからちょうど川と山が見えて、「ふるさと」にぴったりな光景だなと思って、きょうはその津山の光景を思い出しながら、朝見た光景を思い出しながら最後を演奏できたらなと思っています。
色々な、ギターをかき鳴らす奏法も出てきますし、ハーモニスクという弦、高い音が出る奏法も出てきますし、たっぷりと、こうやはり自然に恵まれた場所にご縁があって生まれてきたんだなということを、是非皆さんにも実感していただける時間になったらいいなと思います。
奏一:僕らにとっての「ふるさと」というのは、こういうステージで演奏することでもありますから、またこうやって舞台で演奏できるというありがたみを感じながら。
佳織:そうですね。ステージもふるさとの一つと言えるかもしれませんね。 

🎧名曲アルバム。ヒナステラ「“エスタンシア”から“終幕の踊り”」、三ツ橋敬子指揮・東京フィル
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舞台はアルゼンチンの大平原。そこに暮らすのは、牛の群れを追う「ガウチョ」たち。作曲家ヒナステラは、何者にも束縛されず、誇り高く生きる彼らの姿を音楽に描き出した。

 

⛳13時35分更新

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221024クラシック倶楽部を聴く パク・キュヒ ラテンの風〜古民家に響くギターの調べ〜

韓国と日本で育ち国際的に活躍するギタリスト、パク・キュヒのリサイタル江戸~明治時代に建てられ横浜市の文化財として保存・公開されている古民家「横溝屋敷」からスペイン&中南米ギター音楽の傑作によるスペシャル・コンサート

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パク・キュヒのコメント
 まず最初にお話しいただいたときに、古い民家で撮影するということを聞いて、そもそも野外で演奏したことがあまりなかったので、どういう響きになるかすごく楽しみにしていました。いつもコンサートの前はコンサートホールで演奏するということをイメージしながら練習してるんですけれども、今回来る前まであまりイメージが湧かなくてそういった部分がちょっと心配だったんですけれども、お家で  弾くような感じかなというイメージが湧いたので、そういう感じで演奏できたかなと思っています。
 ヒナステラの「ソナタ」は、アルゼンチンのリズムを使った曲になっています。マランボというのはアルゼンチンの男性が踊るリズムのことで、すごく男性的なかっこ良さを表しています。この曲の聞きどころは、特殊奏法がけっこうある。たとえばギターを弾くだけでなく、板や弦をたたいたり、弦をはじくという奏法が駆使されている楽しい曲かなと。特に4楽章では日本人ギタリストが名付けた奏法があるんですけれども、「猫パンチ」という奏法がはいっていまして、これは猫のように指を丸めて一回たたきます。たたいてラスケアードという一気に弦をはじくという奏法なんですね。これが合わさってリズムを表す、そういう奏法になっています。そこを聴いていただけたらと思います。
 ブローウェル「旅人のソナタ」はこの曲はブラジルの巨匠のオダイル・アサドさんに献呈された曲です。彼がブラジルの方なので、ブラジルをイメージして旅をするような形で、4楽章になっている曲です。スペインに留学していた頃にオダイルさんにレッスンを受ける機会があって、特徴としてはオダイルさんの人柄にすごく似ているかなという感じがしました。彼の言葉でいちばん記憶に残っているのは「この曲はロックン・ロールだ」。オダイルさんはとてもワイルドな方で自由な方なんですね。それがこの音楽にまさに入っていて、その自由さそしてワイルドな感情をもって演奏することを心がけています。

 曲目
☆「ソナタ ト長調 K.391」スカルラッティ:作曲
☆「アランブラ宮殿の思い出」タレガ作曲
☆「フリア・フロリダ(舟歌)」バリオス:作曲
☆「ワルツ 作品8 第3」バリオス:作曲
☆「ワルツ 作品8 第4」バリオス:作曲
☆「ソナタ 作品47」ヒナステラ:作曲
☆「カタルーニャ奇想曲」アルベニス:作曲
☆「練習曲 ホ短調 作品6 第11」ソル:作曲
☆「旅人のソナタ」ブローウェル:作曲
☆「愛のロマンス」作者不詳:作曲

🎵1896年に建てられたという横溝屋敷。横浜にこのような豪農が存在したことの驚き。
この放送を聴くのは4回目であったか。コンサート・ホール以外で収録されたものの中では印象深くのこっている。よいものは何度でも。ヒナステラの「ソナタ 作品47」、ブローウェル「旅人のソナタ」、解説を踏まえて興味深く。「アランブラ宮殿の思い出」、「愛のロマンス」、この二つの曲は、ほかにどんな曲があろうとも、他を良い意味で駆逐してしまう。
カメラワークのすばらしさ、演奏のすばらしさは前にも書いたけれども、ギターのラテンの響きが時を超えて16世紀の古民家に届きそこで鳴り、同時にいまのこの古民家のたたずまいに響いている不思議さ。

🎧名曲アルバム。「ニューヨーク・ニューヨーク」ジョン・キャンダー、 フレッド・エッブ作曲・作詞/栗山和樹・編曲

映画のタイトル音楽としてヒットした「ニューヨーク・ニューヨーク」。ブロードウェイなど曲ゆかりのさまざまな場所を取り上げながらオーケストラの演奏でお送りする。

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⛳昨日、きょうと忙しく、いま時間の更新。
栗の木でも探しに行きたいような今日の天気。一枚一枚、木の葉が落ちていくように、一日一日が取り去られていくような感覚になる日もある。けれども記憶の良し悪しに関わらず、その歩みが記憶に書き込まれているような気分も。そして誰の彼のの記憶以上に、神の記憶に書き込まれ保存されているのだろう。この部屋には天井がある。この家には屋根がある。その屋根が瓦ででできていようが、コンクリートでできていようが、トタンでできていようが、人がその下でどんな営みをしているかは神の目にはすべて見えている。屋根があろうとも神には丸見え、屋根があろうとなかろうと把握しておられる、そんな気がする今時間。

21時55分更新

 

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きょうのことば 「神に渇く幸い」

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年1016()の礼拝メッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 「神に渇く幸い」  (國光勝美 牧師)
引証聖句 詩篇63111
1 神よ あなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない 衰え果てた乾いた地で私のたましいは あなたに渇き 私の身も あなたをあえぎ求めます。
2 私は あなたの力と栄光を見るために こうして聖所で あなたを仰ぎ見ています。
3 あなたの恵みは いのちにもまさるゆえ 私の唇は あなたを賛美します。


4 それゆえ私は 生きるかぎりあなたをほめたたえ あなたの御名により 両手を上げて祈ります。
5 脂肪と髄をふるまわれたかのように 私の魂は満ち足りています。喜びにあふれた唇で
 私の口はあなたを賛美します。
6床の上で あなたを思い起すとき 夜もすがら あなたを思い巡らすときに。
7 まことに あなたは私の助けでした。御翼の陰で 私は喜び歌います。
8 私のたましいは あなたにすがり あなたの右の手は 私をささえてくださいます。


9私のいのちを求める者どもは滅び 地の深い所に行くでしょう。
10 彼らは剣の力に渡され 狐の餌食となるのです。
11 しかし 王は神にあって喜び 神にかけて誓う者は みな誇ります。偽りを言う者の口が封じられるからです。


<メッセージ>
 改めて、今日の礼拝をご一緒させていただく恵みを心から感謝をしております。

20221016-161216_20221023063801  「神に渇く幸い」。きょうは聖書66巻のうち詩篇63篇から、これをテーマにお話しさせていただきたく思います。
 私たち人間の苦痛の中で何が一番つらいものであるのか、お考えになられたことがあるでしょうか。
  
私がクリスチャンになり、教会に行き始めてまだ間もないころのこと。11月に信仰を持って、クリスマスを迎え、まだ何が何だか分からないけれどもとにかく12月を終えました。私の通う大学はすでにバリケードが張られてしまっていました。大学紛争でいつ卒業試験が行われるかもわからないのです。ただ東京に止まっていないと、いざ試験だとなったときに困ることになる、それで東京に残っていたのです。教会には行っていました。2月、3月を経て、ようやく教会生活がすこし分かってきたころ、いよいよイエス様の十字架のできごとが、メッセージで語られる時期になりました。だいたい3月、4月が、イエス様の十字架と復活が扱われる季節になるのですけれども。その時に、講壇から語られたイエス様の十字架のこと。そして忘れられないのは人間の苦痛の中で、何が一番激しいものか、それは渇きなのだと知り、私には思いもよりませんでした。ですから一層印象深くあったのです。私はたぶん痛みが一番激しい苦しみなんだろうなと漠然と思っていたのです。それをくつがえすように、肉体的な一番の苦しさは渇きである。イエス様が十字架で息を引き取られる間際に「われ渇く」(ヨハネ19:28)と言われたことがメッセージとして取り次がれました。イエス様は人間の一番辛い苦しいところをお通りになられたのだ。

 さらに、私が牧師として、これまで歩ませていただく一クリスチャンとして、これをしばしば思い巡らす中に、私はイエス様が「われ渇く」と仰ったことには、肉体的な苦しみ以上に、神様から見放されて、もっと言うのならば、私たちの罪そのものとして十字架に架かり裁かれているわけです。イエス様が人類の罪を背負われる前には、豊かな神様との交わりの中に生き続けておられました。そのお方が、人の罪を背負ったがゆえに、そのご生涯の中で初めて神様との交わりが絶ち切られるというその経験をされたときに、イエス様はほんとうに「われ渇く」。いのちの根源でおられる神様から、私たちの罪の救いのためとは言いながら、神様から呪いを受けられた。十字架の御わざの中に身を置かれてイエス様は神様との交わりを絶たれてしまった。それが「われ渇く」。これがこの50年にわたって折々に深く深く教えられてきた十字架の恵みであります。そして、私は、何に渇くんだろうか。それは、イエス様がそうであられたように、神様との交わりに渇く。どうでしょうか。神様との交わりに渇くというこの経験があるとき、神様はその渇いた魂に豊かな豊かな交わりを与え、潤いを与えてくださるのです。

 この詩篇の背景は、ユダの荒野です。63篇の11節、
11
しかし 王は神にあって喜び 神にかけて誓う者は みな誇ります。偽りを言う者の口が封じられるからです。
 当然ダビデが王であった時、そして、このような悲惨な状況、1節、2節にあるような水のない 衰え果てた乾いた地
 
これは自分の愛する息子アブシャロムの謀反によって命を狙われ、エルサレムから大急ぎで、子どもに命を狙われるそれを避けるために、ユダの荒野に身を置いたというこういう状況の中であると思います。大きな試み、思わない試練。そういったところに追いやられてしまうその時に、私たちはどうしてこうなったんだろうか。神様の前に自らを省み、切に神様の交わりを求めるという経験をいたします。
 あの創設者の蔦田二雄先生が、戦時中の弾圧で牢屋に入れられてしまったとき、彼はそこでどうしてこのような状況になったんだろうか。福音のため、神様のためとこれまで労していた半生を顧みた時、悔い改めなければならないことがあった。この背景をいうのならば、中田重治監督とそれからそうでない方々との方針の違い、それが方針の違いだけでなく、いろいろな具体的な問題の行き違いがあって、興味本位とも思われる報道もされてしまった。キリスト教会がこのように荒れていると話題にされるようなそんな中に、心ならずも議論に誤解を招くような感情を入れてのやりとりをしてしまった。今になってこれを顧みた時に、どんなに神様のお心を傷つけてしまっていたか。良かれと思ってやったこと、信じてやったこと、これが大きな神様の悲しみとなってしまったということなど思ったとき、ほんとうにこの牢獄の中で神様の前に取り扱われた。そして、その牢獄が実はカラカラに渇いていたはずが、蔦田先生の表現を借りると、神様との交わりの豊かなゆたかな恵みの場所と変えられたというのです。冬の東京であっても、コンクリートの牢獄、シラミ、そのような暖房一つないその場所が、神様との交わりの中で、ここはまさに王宮のような或いは修道院のような場所であったと彼は述懐しております。ほんとうに渇く時、私たちは神様の豊かさに満たされることを経験します。

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 きょうの聖書箇所にありますが、ダビデが神様を「あなた」と呼んでいるところがどれだけあるのか、赤ペンで記してみました。そうなんです。神様を「誰」というような第三者的な意識で聖書を勉強したり、それを研究したりということではなく、神様を「あなた」という関係の中で聖書を見るとき、「あなた」は私の魂の渇きをほんとうに癒し、悔い改め、切に求め、渇きを与えられる神様は、豊かな満たしをもって私をあしらってくださいます。

634節、
4 それゆえ私は 生きるかぎりあなたをほめたたえ あなたの御名により 両手を上げて祈ります。

そして
5 脂肪と髄をふるまわれたかのようにというこれは 私の魂は満ち足りています。
「脂肪と髄」、これは神様へのいけにえとしてお捧げする最良のものです。何と、それをふるまわれたかのように私の魂は満ち足りる。喜びにあふれる。


そして、6
6床の上で あなたを思い起すとき 夜もすがら あなたを思い巡らすときに。
「床の上で」、ユダの荒野の石のふしどの中で、よもすがら神様のことを思い巡らしている。

7
7 まことに あなたは私の助けでした。御翼の陰で 私は喜び歌います。
そして、私は次の8節にしばしば励まされ、教えられるのですけれども、

8 私のたましいは あなたにすがり
どこにも行かないで、主よ、といって「あなたにすがり」。主にすがりつく。すがりついたときに、何と 
あなたの右の手は 私をささえてくださいます。
 私たちが人生のどのようなどん底のユダの荒野のようなところにあったとしても、そこで神に渇いて、主よなぜですかといってそこでほんとうに悔い改め、ほんとうに主の前に信仰の手を伸ばしてすがりつくとき、何と、あの十字架で裂かれ、釘打たれ十字架で血を流された主の右の手は、「だいじょうぶだよ」と私を支えてくださる。 

 神に渇く生涯、何と幸いなことでしょうか。これから私たちは今も含めて、どのようなところを今辿っておられか、どうぞ皆さん、そこをユダの荒野にしてください。そして神様を第三者としてではなく、「あなた」と呼び掛けてください。そしてあなたの見前に真実に悔い改め、すがりつく時、神様は「大丈夫だよ」、力強い右の手が私を支えてくださいます。

賛美歌♪「谷川の流れを慕う鹿のように」を賛美しましょう。

 

※データは教会からお借りしています。
参考にユーチューブにある他教会の讃美歌を載せておきました。
文責:中ぶんな
⏰6時55分更新

 

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TVをどんなふうに

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このニュースではじまったきょうの一日。

 なぜNHKを見るのか。その昔は民放もけっこう見ていた。結婚前、実家では民放もよく見ていた。結婚してみると、夫は民放があまり好きではなかった。チャンネル権を主張しない私は、自然に夫が見る番組を見るようになっていた。そして長い間そうしているうちに、賑々しい場面が少ない、コマーシャルが入らないチャンネルに落ち着きを感じるようになった。ノリのいい若者たちのように、賑やかなシーンが多いチャンネルにはついていけなくなってしまったともいえる。今はニュース、野球なら大谷、菊池。プレミアムシネマでは興味がある内容の時だが途中で消してしまうことが多い。最近で、最後まで観たのは「スパルタカス」「ワルキューレ」の2作のみ。朝ドラはなぜか主人が欠かさずに。プレミアムカフェはたまに。しかし最後まで見ることは少ない。8時以前は見るか見ないかは別としてTVは点けたまま。とにかくずっと続いているのは5時のクラシック倶楽部とその後の名曲アルバムだけ。ざっとこんな具合。
 クラシック音楽館もたまに。ただ9時以降の番組は私にはちょっと辛い。昨日のブーニンなどは22時から。興味津々待ったはずが、途中で居眠り。何れ21時以降の番組は夜に起きているのが苦手な私にはきつい。
 もう一台TVを買うべきだと思ったことは一度もない。ただごくたまに何となくTVを点け、何を見たいでもなくだらだらとTVを見続けていることがある。たいていこれは逃避。やるべきことがあるのになかなか着手できないでいる、そんなときだ。こんな場合は思い切って外に出て散歩するとか別行動にスパッと切り替えてしまう方がいいように思う。
 気づけば22時半を過ぎている。こういう日は翌朝の目覚めに影響するのだ。そんなわけで、書き落し多々あるけれども、ここで、どんと晴れ。

⛳22時43分更新

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221021クラシック倶楽部を聴く東京オペラシンガーズが歌う 60年目の「大地讃頌」

1992年小澤征爾指揮の歌劇「さまよえるオランダ人」公演に際し、世界水準の合唱を目指して組織された合唱団。ウィーンフィルハーモニー管弦楽団やシカゴ交響楽団などと共演。東京を中心とする中堅、若手声楽家で結成される合唱団、東京オペラシンガーズが、佐藤眞作曲「大地讃頌」をはじめ、合唱の名曲を歌った演奏―番組紹介よりー
【演奏】東京オペラシンガーズ(合唱)、寺嶋陸也(指揮・ピアノ)
【収録】2022年7月11日 めぐろパーシモンホール大ホール

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【曲目】
混声合唱のためのカンタータ「土の歌」(佐藤眞・作曲/大木惇夫・作詞
☆旅愁(オードウェー・作曲/犬童球渓・訳詞/寺嶋陸也 編)
アメリカの作曲家オードウェーは医者を職業としながら多くの歌曲を残した。犬童球渓は明治生まれの熊本の詩人。「旅愁」も名訳で広く親しまれている。
☆アビニョンの橋で(フランス民謡/小林純一・訳詞/寺嶋陸也 編)
フランスに古くから伝わる民謡。都市アビニョンを流れるローヌ川にかかるサン・ベネゼ橋を歌っている。
☆久しき昔(ベーリ・作曲/近藤朔風・訳詞/寺嶋陸也 編)
ベーリは19世紀後半のイギリスの作曲家。
☆すみれの花咲く頃(F.ドール・作曲/ロッタ―・作詞/白井鐵造・訳詞/寺嶋陸也 編)
ドイツの作家ドールが1928年に発表した作品。宝塚歌劇団の演出家白井鐵造が日本語詞をつけ劇団作品の劇中歌として使用したことで広まった。
☆ロンドンデリーの歌(アイルランド民謡/津川主一・訳詞/寺嶋陸也 編)
訳詞の津川主一は、明治29年名古屋生まれの牧師で、世界の民謡を多く訳し、日本に広めたことで知られる。
☆荒野の果てに(作曲者不詳/寺嶋陸也 編)
フランスの古いクリスマスキャロルで、キリスト降誕を祝う喜びを高らかに歌っている。
☆アメイジング・グレイス(伝承曲/ニュートン・作詞/寺嶋陸也 編)
アメリカのバージニア州で古くから歌われていた伝承曲。18世紀後半に書かれたジョン・ニュートンの歌詞によって世界に広まり、多くの人々に希望を与えた。


 

🎧名曲アルバム。「“ファウストのごう罰”から“ハンガリー行進曲”」 ベルリオーズ作曲

東京フィルハーモニー交響楽団&現田茂夫 ~ハンガリー・ブダペストほか~
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ハンガリー東部に広がる大平原プスタ。この地域では今も昔ながらのやり方で牛や羊の放牧が行われている。「ファウストのごう罰」を着想したベルリオーズは雄大な光景に感激し、曲の冒頭場面を、原作にはないこの大平原に設定した。
 ブダペストはドナウの真珠と呼ばれる。この街のシンボルがゴシック様式のマーチャーシュ教会。起源は街のできた13世紀に遡る。17世紀以降はハプスブルク家がこの地に君臨。支配者が変わっても、丘の建物は政治・文化の中心であり続けた。外国支配が多かったハンガリーには圧政と抵抗の歴史がある。ラコッツィーは18世紀解放戦争の騎手である。貴族や農民を率い、ハプスブルクに抵抗を繰り返した。
 1846年ハンガリーを訪れ独自の気風に触れたベルリオーズは、その頃流行していたラコッツィーをたたえる歌を編曲し「ハンガリー行進曲」として演奏し熱烈な歓迎を受けた。図書館にその時のプログラムが残っている。コンサートの締めくくりが「ハンガリー行進曲」だった。曲は後に「ファウストのごう罰」に組み込まれている。
 自立の気概にあふれたハンガリーの人々。「ハンガリー行進曲」は独立と愛国の歌として今も愛されている。

 

⛳独り言:自立の気概にあふれているハンガリーの人々を思うにつけ、日本はどうだろう。その実、従属と依存体質なのではないか。
 私の葬式ではアメージング・グレイスを流してほしい。誰も来ないかもしれない、一人か二人は来るかもしれない。弔問客があろうとなかろうとアメイジング・グレイス。このような者をも神はそのしまいまで愛してくださった。そうなりたい。そうありたい。
10時50分更新

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221020クラシック倶楽部を聴く  新国立劇場合唱団 華麗なるオペラ・コーラス

日本のオペラ界の合唱を牽引する団体のひとつ新国立劇場合唱団が、イタリアオペラやドイツオペラの合唱の名曲を歌った演奏をお届けする。 【曲目】歌劇「タンホイザー」から 大行進曲「歌の殿堂をたたえよう」(ワーグナー)、歌劇「アイーダ」から「エジプトとイジスの神に栄光あれ」(ヴェルディ)、歌劇「トゥーランドット」から「おのをとげ」~「おお太陽よ 命よ 永遠よ!」(プッチーニ)ほか【演奏】新国立劇場合唱団(合唱)、水野 彰子(ピアノ)、三澤 洋史(指揮)【収録】2022年1月15日 めぐろパーシモンホール 大ホール(東京)

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 【曲目】
歌劇「タンホイザー」から 大行進曲「歌の殿堂をたたえよう」(ワーグナー)
歌劇「ナブッコ」から「ヘブライの捕虜たちの合唱」 「行けわがおもいよ金色の翼にのって」(ヴェルディ)
歌劇「マクベス」から(ヴェルディ)
歌劇「さまよえるオランダ人」から(ワーグナー)
歌劇「魔弾の射手」から「狩人の合唱」「狩人の喜びは」(ウェーバー)
歌劇「オレンジの花は香り」(マスカーニ)
歌劇「トゥーランドット」から「カラフと結ばれる」(プッチーニ)
歌劇「トゥーランドット」から「斧を研げ」(プッチーニ)
歌劇「アイーダ」から「エジプトとイジスの神に栄光あれ」(ヴェルディ)
歌劇「トゥーランドット」から「斧をとげ」~「おお太陽よ 命よ 永遠よ!」(プッチーニ)

【演奏】新国立劇場合唱団(合唱)、水野 彰子(ピアノ)、三澤 洋史(指揮)
【収録】2022年1月15日 めぐろパーシモンホール 大ホール(東京)

対訳:小畑恒夫、井形ちづる

三澤さんのコメント
私が新国立劇場の合唱指揮者になったのが2001年なんですね。ちょうどもう20年以上経つわけなんですけれども、その間に何をやってきたのかと言いますと、一つは発声法ですね。ベルカント唱法というのがありますけど、そのベルカント唱法、ほんとうはそれを極めるとオペラでもコンサートでも或いは歌曲とか歌うときでもぜんぶその応用で生かせるというのがあります。合唱というのはバレエで言う群舞みたいなもので、一人ひとりが自分の限界を出しちゃうと揃わないですよね。ですから、私はいつも言ってるんですけど、100パーセント出すのと98パーセント、95パーセントができるようにしなさいと、これは毎日ぐらい言ってるんですけれども、完全に自分がコントロールをとれている状態でないと揃えるところまで回らないというのがありますね。だから、揃える部分と舞台上ではじける部分がないとおもしろくないので、そこのせめぎ合いだと思います。

🎵10曲ほどであったろうか、というのは、正確に取りかね、曲目の表記も若干曖昧であるからだ。きちんと調べ直してと思っていたけれども、これもなかなか時間を費やしてしまうので後回しにしたところが、後回しはどこまでも後回しになりそう。マスカーニなどはあまり聴く機会はない演目であるらしい。「トゥーランドット」はすばらしいページがあったのでこちらをご覧ください。
 朝からこんなに歌劇のハイライトを耳にできた。意外だった。新国立劇場合唱団、どんな合唱団かと興味もあったので、ラッキーだった。
 合唱も響きの構築と思っているけれども、群れが醸す、それも立体的に音域を膨らませて響く、団員相互と、演奏者と観客とのあいだに、また響きそれ自体が容れ物を凌駕して響きあうという感じがある点で、特にオペラはありとあらゆる人の声、語らい、人の持てる感情のすべてに接したという充足感が得られる。

「狩人の合唱」の訳に狩りの後は「食事が美味くなる」という部分があったが、音楽を聴いた後は「食事が美味くなる」。

シオンの倒された塔にも
あの美しい失われたわが祖国
いとしく悲しい思い出!
予言を伝える金のたて琴よ
なぜ柳に吊るされて黙っている?
記憶を胸によみがえらせ
あのエルサレムの運命にも似た
つらく哀しい哀歌を
さもなければ神の妙なる響きで
苦しみに耐える勇気を奮い立たせておくれ

            ―ナブッコからー


 

🎧名曲アルバム。モーツァルト  交響曲第36番「リンツ」。円光寺&東京フィル
1783
27歳モーツァルトは家族を伴ってリンツを訪問。父の代から親交のあったトゥーン伯爵の家に滞在。伯爵家が音楽を楽しんだ儀式の間でモーツァルトは演奏会の要請にこたえ、わずか4日でこの曲を作曲。これが後に「リンツ」の愛称で親しまれるように。

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 リンツには芸術と最先端技術の融合メディア・アートの博物館もある。毎年開催されるアート・フェスティバルは世界的な規模を誇る。
 この最先端にも「リンツ」は、よく似合うというのがTV解説。 

⛳夜明け前、室内に溶け込むように流れ満ちるコーラス。至福のひと時。9時44分更新



 

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221019クラシック倶楽部を聴く ラドヴァン・ヴラトコヴィチ ホルン・リサイタル

ザグレブ出身の世界的ホルン奏者ラドヴァン・ヴラトコヴィチが、ベートーベンのホルン・ソナタから現代の作曲家の作品までを多彩な音色で奏でる演奏会をお送りする。
 【演奏】ラドヴァン・ヴラトコヴィチ(ホルン)、児嶋 一江(ピアノ)【収録】2022年5月20日 紀尾井ホール(東京・千代田区)

Img_20221019_053021 Img_20221019_054235 Img_20221019_053822 【曲目】
☆ホルン・ソナタ ヘ長調 作品17(ベートーベン)
☆オルフェオの嘆き(キルヒナー)
☆7つのスケッチ(マッツ)
 マッツ(1901~1988)はクロアチアの作曲家。約500の器楽、声楽曲を作曲。ー
☆ホルン独奏のための「Horn Lokk」〈牛追い歌〉(ベルゲ)
 北欧の冷涼な空気を感じさせるこの曲のタイトル「Lokk」はノルウェーの伝統的な牛追い歌の意味。叫び、歌い、語りかけるようすが現代的な技法を伴うホルンで再現されている。
☆序奏、アンダンテとアレグロ(ロッシーニ)
☆アンコール サルタレッロ(アルトー)


🎵
「Horn Lokk」、音に遠近感をもたせ、広さ、空間、或いは、近づき来るものたちを感じさせるこの曲。「序奏、アンダンテとアレグロ」、哀歌のようにきこえながらも、次第に展望が開けてゆくような。アンコール曲、小さいながらも軽快、小気味よさも。


🎧名曲アルバム。「❝伝説❞から❝小鳥に語るアッシジの聖フランチェスコ❞」リスト作曲。ピアノ三舩優子

清貧の修道僧として有名な12世紀の聖人フランチェスコ。アッシジに11811182に生まれる。彼の故郷であるイタリア中部の街アッシジとその周辺の風景を、リストが作曲したピアノの佳品に乗せて紹介する。
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ラヴェルナ山にある聖フランチェスコが寝起きしたと言われる洞くつ。
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フランチェスコがどういった道を辿ったかはこちら

⛳たまに霧雨程度がぱらついてもいたが、明るい秋の日差しが。左手の、というよりも東の空の紅葉まじりかと見える山々の起伏から持ち上げられたかに、名状しがたい形の雲が一かたまり、薄青い中空に綴じつけられたかに浮かんでいるというよりも、静止している。なかなか気分がよさそうだ。
16時更新

 

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221018 クラシック倶楽部を聴く 語るように奏でる 〜吉田誠と小菅優の世界〜

世界的に活躍するクラリネット奏者・吉田誠とピアニスト・小菅優。長年、音楽を通じて対話を重ねてきた2人が奏でるクラリネットの名曲、そして「歌」【演奏・語り】吉田誠(クラリネット)小菅優(ピアノ)【収録】2021年12月22日NHK大阪ホール(無観客)

【曲目】
☆クラリネット・ソナタ 第2番 変ホ長調 作品120第2(ブラームス)
☆「こもり歌」(ブラームス)
「3つのロマンス」作品22から第1曲(クララ・シューマン)
「3つのロマンス」作品21はクララが34歳、シューマンが精神病院に収容される前年の作品である。広い音域とポリフォニーが深い悲しみに沈む気持ちと張り裂ける心の叫びのように聞こえる第1曲。突然メルヘンの世界に誘われるような、愛らしさあふれる第2曲。絶えず渦巻く激情のようなテーマと憧れが駆け上るようなテーマの交錯が印象的な第3曲は、穏やかな中間部にも絶えず不穏な楽想が見え隠れして、病状が悪化していくシューマンを見守るクララの心を映し出しているいるかのようである。第1曲はシューマンへの誕生日プレゼント、作品全体は当時、クララを献身的に支えたブラームスに献呈された。
☆「鐘」(サン・サーンス作曲、ユゴー作詞)
☆クラリネット・ソナタ 変ホ長調 作品167(サン・サーンス)
 「クラリネット・ソナタ」は、サン・サーンスが亡くなった年に作曲された。当時85歳。この曲には作曲家として賞賛と批判を受けた日々、そして42歳で愛する息子を失った波乱万丈の人生が描かれていると感じます。
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コメント
吉田:優ちゃんのサロンコンサートの打 ち上げで出会い、たまたま遊びで演奏したことが共演のきっかけです。初めて会って合わせただけなのに、ここまで音を通して会話ができるんだと。ピアノという楽器とここまで音楽的な対話をすることができるんだと思ってすごく衝撃的でした。小菅さんとだったら音を通して語り合うことができる、やっぱり確信したんですね。
小菅:一緒に音楽をやるに、何れすごくいろんなアイデアが浮かんでくる、なので、自分もいろいろ言うけれども、そっちからもインスピレーションがすごくお互いあるなと話しているだけでも感じました。
まずは二人が初めて演奏した曲、ブラームスの「クラリネット・ソナタ」をお届けします。

吉田:続いては三つの歌、「こもり歌」(ブラームス)、「3つのロマンス」作品22から第1曲(クララ・シューマン)、「鐘」(サン・サーンス)をお届けします。僕たちはここ数年、たくさんの歌曲を演奏してきました。二人で何度も演奏するうちに、クラリネットは語ることができる楽器だと気づいたからです。
吉田:言葉の意味を音で表現することは、演奏の幅を広げてくれました。3曲やるってことは言葉の意味を調べないといけない。ブラームスの歌曲はやはりドイツ語で書かれているのでドイツの詩ですしね。小菅さんはもうドイツ語ペラペラだし、そんな中で彼女にいっぱい教えてもらったんです。言葉の意味であるとか、ドイツ語でしゃべる時には、こういうふうにしゃべるとか。
小菅:サン・サーンスはフランス語だから誠君はフランス語が得意なんで、ムコビエ、Mucobieとかここは発音しないだろうとフレーズもそういうふうにっていう
吉田:うわーとしゃべって最後ふっと言葉も最後単語をしゃべり切らなかったりするじゃないですか、そういう風になってるんですよ。ドイツ語はきちっと最後までしべるじゃないですか。だからちゃんと言葉のフレーズも音楽もきちっと最後までお話しするということが大事になってくるんだと思う。そういった微妙な国によっても違うことばのニュアンス、表現というのも音を通して表現されるべきだし、それがパーンとハマったときにはじめてその音楽は自然に聴こえてくると思うんです。
小菅:歌というのは、詩の朗読を向上させたものだとサン・サーンスが言っているように、詩と音楽というのが助け合ってできているものなんで、そういうのがサン・サーンスの音楽からもすごく感じ取られるし、ピアノっていうのは歌をサポートして、雰囲気とかその場の風景とか質感とかも、最初の序奏とかで表して、そこにクラリネットが加わって。最終的にピアノだとかクラリネットだとかそういう楽器が見えてくるんじゃなくて、曲の感情とか曲に対するメッセージとかそういう根本的なものを表してるわけじゃないですか音楽で。なのでやはり今ピアノとかクラリネットを聴いているということを忘れて詩の世界に皆さんを連れていけたらなと思います。

「クラリネット・ソナタ 変ホ長調 作品167」(サン・サーンス)について
吉田:死を前にして、これだ、という哲学というか、これだ、っていうのが特に入ってる気がする、サン・サーンスの最後のメッセージとして。人生とはこれだよというみたいな。
小菅:いつもサン・サーンスというのは感情的ではないといろいろ言われてたんですけれども、すごい感情的。ほんとうは彼の正直な気持ちがわーっとあふれ出るみたいなところがあるんじゃないかと。85歳まで抑えてたものとか。
吉田:たとえば4楽章とかも、appassionata、情熱的にと。音楽はほんとうに情熱的な部分もあるし、短いフレーズに突然わっと。それが人間でしょ、といってる気がする。それを最後楽章に、1楽章のテーマが最後に出てくる。まるで自分で自分の本を閉じるかのような、こうでした、パタ、という感じ。前もこうやって楽しく、ある意味深刻というよりもすごく明るいポジティブな気持ちで彼が人生どうだったかと考える余地を与えられているわけですよね。

🎵昨日番組予告を見た時点では、クララ・シューマンの曲が入るということで、ただそれだけを楽しみに観たところが、番組自体が小菅さん、吉田さんというお二人の音楽家の会話の中に自分も加われたような楽しさをくれる制作、内容だった。日常会話的なコメントを聞きながら興味深く聴くことができ、画像も照明に飽きさせない変化が。三つの歌、対訳がブラームスの子守歌は小菅さん、鐘は吉田さんの対訳。演奏家による対訳であるところ、訳には曲から汲み上げられた読み込み、解釈もあろうかと思われた。何しろメモっている私自身が語学は全くダメ、ネットで今は単語の発音まで出してくれるので、不十分と知りつつ何とかコメントを記してみた。音作りの場面で、小菅さんが「オンブラというのは陰でしょう、ここのとこもうちょっと」などと言っている場面に、小菅さんのピアノのすばらしい音作りのプロセスのほんの一断片をのぞいた思いがした。

 

🎧名曲アルバム。ララ作詞・作曲、栗山和樹編曲「グラナダ」
アンダルシア地方の古都グラナダに、書籍を通して熱い思いを寄せ作曲したララが、この地を訪れたのはその30年後。
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10時47分更新


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221017 クラシック倶楽部を聴く 上野星矢 フルート・リサイタル

上野星矢さん(フルート)
東京都出身。小学校4年生でフルートを始め、全日本学生音楽コンクール全国大会中学生の部、高校生の部など、国内の主要コンクールの数々で優勝を果たす。2008年、東京藝術大学音楽学部フルート専攻入学。同年、第8回ジャン=ピエール・ランパル国際フルートコンクール優勝。2009年よりパリに留学し、パリ国立高等音楽院に審査員満場一致で入学。2012年同校を首席で卒業。
岡田奏さん(ピアノ)
2013年第8回プーランク国際ピアノコンクール第一位。パリ国立高等音楽院ピアノ科・室内楽科を最優秀で終了。

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曲目
☆パンの笛(ドビュッシー作曲)
 
 パンの笛はギリシャ神話の精霊の名を取って「シランクス」とも呼ばれる。揺れ動く   神秘的な響きは同時代の作曲家に大きな影響を与えた。
カルメン・ファンタジー(ビゼー作曲/上野星矢・内門卓也編曲)
 歌劇「カルメン」の名旋律で構成された幻想曲。上野星矢自身が編曲に携わった。フルートの多彩な音色とテクニックが随所に散りばめられている。
春よ、来い(松任谷由実作曲・上野星矢・内門卓也編曲)
☆REGRETS AND RESOLUTIONS-
後悔と決断-(ショッカー作曲)
フルート・ソナタ ニ長調 作品94(プロコフィエフ作曲)

 

🎵「パンの笛」、ドビュッシーは従来を破壊し、新たなる構築であるらしい。それが最先端、前衛といわれるようだけれども。旋律が霊妙に曳かれ曳かれする。繊細でピュアな響き。「カルメン・ファンタジー」、ピアノの方の編曲が流麗に、優雅に仕立て直されたという感じが。「春よ来い」、これはアンコール用として演奏するなど、上野さんが気に入っている曲らしい。ショッカーはフルーティストであると同時に200曲にも及ぶフルート曲を作曲しているとか。プロコフィエフの「フルート・ソナタ」、この曲の持つ美しさが繊細な緻密なところまでこの演奏で具現。フルートにもピアノにも一種の狂おしさ、漂泊するような物思いも感じられた。
 

🎧名曲アルバム。「英雄の生涯」リヒャルト・シュトラウス作曲
NHK交響楽団&小泉和裕 ~オランダ・アムステルダム~
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アアムステルダムは一人の偉大な指揮者ウィレル・メンゲルベルクを世に送り出した。彼は、オランダの音楽の殿堂コンセルトヘボウを根拠地とするコンセルトヘボウ管弦楽団に半世紀ものあいだ首席指揮者として君臨し、この楽団を世界のトップクラスに育てあげた。当時気鋭の作曲家リヒャルト・シュトラウスも彼の才能に注目。「英雄の生涯」を彼と彼のオーケストラにささげた。シュトラウスのメンゲルベルクへの信頼を表すことばは「君が好きなようにやりたまえ。だが決して退屈にならんように」。
綿密で厳しいリハーサルを行い、鬼軍曹と恐れられたメンゲルベルク。第二次大戦後、ナチスのスパイだった嫌疑がかけられ、亡命先のスイスで生涯を終えた。
 これはタワー・レコードのページにでていたのだが、「リヒャルト・シュトラウスやマーラーとの親交も厚く、まだ評価の定まらなかった彼らの作品を積極的に紹介した」。


 私の背後にある棚にもクローゼットの中にも復刻版なども合わせて夥しい数の交響曲があるけれども、そういえばメンゲルベルクは1枚もなかったような気がするが、どうだったか。

⛳6時51分更新

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きょうのことば「この福音によって」

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年109()の礼拝のおことばをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 「この福音によって」  (國光勝美 牧師)
引証聖句 コリント人への手紙第一 1515
1 兄弟たち。私があなたがたに宣べ伝えた福音を、改めて知らせます。あなたがたがその福音を受け入れ、その福音によって立っているのです。
2 私がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかりと覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。
3私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてある通りに、私たちの罪のために死なれたこと、
4 また、葬られたこと、また、聖書に書いてある通りに、三日目によみがえられたこと、
5 また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。

<メッセージ>
 きょうのメッセージを祈り求めまして、「この福音によって」というテーマでご用を果たさせていただきたいと願っております。

 「この福音によって」。私たちが主食としておりますご飯、これを美味しく食べられる、それはほんとうにけっこうな良い状態でありますし、この主食のご飯を、時には味の変わった調理法で食べる、するとまたそれも美味しくなる。それがちょうど教会でいつも牧師のお話、そしてまた時には、意味が異なった味付けの先生のお話をうかがったりということになる。それぞれが大きな恵みになると思いますけれども、いちばん大切なのは「この福音によって」福音が語られるところが教会なのです。そのことを改めて今日心にとめながら、今日のメッセージの場所は聖書のどういうところにあるのかを見て見ます。聖書は旧約聖書、新約聖書と分かれております。まず新約聖書と呼ばれる、もちろん何が旧約で何が新約なのかということ、聖書全体がイエス様が救い主であることが記されている。旧約聖書とはやがて救い主がやってくる、このことを記しているのが旧約聖書。それに対して新約聖書は、その救い主はあのイエス・キリストであったということを記しているのが新約聖書。旧約聖書がやがて救い主が私たちに与えられる。新約聖書は、そのお方はイエス・キリストだった。そして、この新約聖書の中のお手紙、教会への手紙にパウロによる手紙がありまして、幾つかあります中にコリント人への手紙第一があり、そこから今日の箇所が開かれております。導入から始まりまして、きょうの一番大切なところ、「この福音によって救われます」。非常に明確です。錨のマークをイラストに使わせていただきました。この確かな福音の錨が天にちゃんとおかれていると揺るがない。このしっかりと錨を天に、錨は本来下にむかってなんでしょうけれども、福音は発想を変えて、私たちの天に望みの錨をしっかりと置いて、これによって救われます。

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「この福音によって」。私はへブル人への手紙92628をきょうは開かせて示しました。

へブル92628
しかし今、キリストはただ一度だけ、世々の終わりに、ご自分をいけにえとして罪を取り除くために現れてくださいました。そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪をおおうために一度ご自分を献げ、二度目には、罪を負うためにではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現れてくださいます。
 つまり、「この福音」というのは、イエス・キリストは私たちの罪を取り除くためにこの世に現れてくださった。つまり、お生まれくださったということ。そして、このお方が私たちの罪の為にご自分が十字架の上で命を賭して私たちの救いを為し遂げてくださったということ。そしてこのお方は、よみがえって三日後に復活してくださり、そして今天におられて、もう一度私たちのところにおいでくださる。これが「この福音」というものです。

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「この福音によって」。そうです。このお方は現れてくださいました。これは架空の事ではなく、ほんとうに私たちの救いの為に神が人としてこの世に受肉、人となっておいでくださった、天来のプレゼント。神様から私たちへのプレゼント。これが福音です。

ヨハネ316
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
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「この福音によって」。この福音というのは、このお方は、私たちの罪の贖いの為に、救いの為に、何の罪のないお方が、身代わりとして十字架に架かって死んでくださった。私たちの罪の為に死なれたこと。イエス様は十字架の贖いを成し遂げたときに、「ことは成就した」。人の救いのために必要な一切のことを私はここで成就した、成し遂げられた満足をもって頭をたれなさった。「我が霊を父に御手に委ねる」この福音によってのみ、私たちは救われるのです。

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 そして「この福音」は、よみがえり、栄光にあふれているものです。「この福音によって」。皆様ご存じの通り私はこの1か月ほどの間にお葬儀に係ることを集中して関わらせていただいております。その時に、私が皆様方にお伝えしているのは、この福音なんだ。これをしっかりと皆さん方にお伝えするのが、私のお仕事なんだ。もし私たちがこの地上の命においてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、地上の命においてのみ朽ちる。その肉体の命においてのみキリストに望みを抱いているのならば、私たちはすべての人の中で一番哀れな者だ。しかしこの福音は永遠のいのち、ビオスという動物的な生物的な命、これだけでキリストに望みを抱いているんじゃない。もしそうだとすれば、私たちクリスチャンは地上で一番哀れな者なんだ。そうじゃない。ビオスというそれだけではなくして、ゾーエイという永遠の神につながるいのち、神につながるいのちをイエス・キリストによる福音によってしっかり持っているから、「この福音」。お葬儀をさせていただきながら、何回も親しい方をお送りしながら、そうだ、ビオスの命だけではない。そうではなくして、神につながる永遠のいのちを持っている、これを伝えてきているのだともう一度、もう一度自分自身に納得をさせていただいているところです。

「この福音によって救われます」。
イザヤ4522
地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神だ。ほかにはいない。

「仰ぎ見て救われよ」なのです。神様の思いがイエス・キリストのご生涯によって私たちの目の前にはっきりとしめされたときに、自らのほんとうのすがたを聖霊によって神の憐みによって、自分の滅ぶべき裁きであることを自覚したときに、ああ、主よ、有難うございます。あなたのプレゼントを私は受け入れますと仰ぎのぞむということは信仰を持つ、それに委ねるということです。イエス・キリストの誕生、十字架・復活というこのイエス・キリストご自身に私はすべてを委ねます。そう仰ぎ見るとき、どんな人であっても救われる。どうでしょう、皆さんもう一度このおことばを読ませていただこうじゃありませんか。

ヨハネ316
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

教団で出しております「つばさ」という小さな冊子が月刊で皆さんのところに届けられております。その今月の言葉という一番最初の大きな記事のところに、梅田先生が、たまたま國光幾代子先生の事に言及して、思い出を短くですけれども書いておられました。

「その先生が98歳で亡くなる数日前、消えゆく意識の中で語られたメッセージを忘れることはできません。その内容は、イエス・キリストのご生涯に於いて大切な点が三つあります。それはキリストの誕生、十字架、復活です。この三つをしっかりと捕らえ、信じることがクリスチャン信仰にとって重要なのです」。薄れゆく意識の中でこのことを語られたとお見舞いに行かれた梅田先生が、これが非常に印象的だった。最期まで福音を伝え続けるそのお姿に、私は、圧倒され深く教えられたことですとございました。

私も盛岡で皆様方に「この福音」これを精一杯乏しい歩みでしたけれども、伝えさせていただきました。どうかこの福音をしっかりと皆様方ご自分のものとし、これに生きる者としてくださいますように、それが私の心からの願いであります。

※データは教会からお借りしました。⏰7時28分更新

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きょうはクラシック倶楽部はないけれど

 先日、水曜デッサン会の展覧会があった喫茶ママでのこと。Oさんがどうもこのブログを見て下さっているらしい。仰るに「毎朝起きて見てるようで」。確かに5時前には目覚める習慣がついてしまっている。「見ないでしまったときもあったね」。これにはこちらがびっくり。確かに。そしてDVDをくださった。「クラシック倶楽部2022・9・21 北村朋幹」。私が寝坊した朝の番組。録画を持ってきてくださったのだ。
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 落ち着いた時間がなく、申し訳なくもまだ開いていない。しかし、必ず、見ておこうと思っている。「私も見るようになった」「録画して見てます」、よくこのような声を耳にする。ただ5時に起きて出して見ているというのは、私の周りではまだ聞かない。
 録画さえすれば寝坊しようが忘れようが関係なく見ることができるわけだが、一旦これをしてしまうと必ず見なくなる。いつでも見られると思うといつまでも見ないのである。そして録画分が堆積してゆく。そんなわけで一度も録画したことがない。こんな理屈で通しているうちに、何と録画の仕方を忘れてしまっていた。使わない機能は日々衰えるどころかきれいに忘れていた。コピー用のディスクも引っ越しの時に大量に、思えばもったいないことをしてしまったが、処分。改めて買う気にもなれないでいる。
 クラシック音楽館もおもしろいなとおもうことが多い。録っておけばいつでも、なのだが、たぶんこの先も録画の積み重ねはないだろう。
 それにしても、欠番を届けてくれたOさんには感謝しかない。Oさんは音楽もお好きだが、弛まずに絵に取り組んでおられる。私よりも一回り先輩なのだが、私はこの方の100歳記念の個展は必ずあると信じ楽しみにしている。
 

⛳20時2分更新




 

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221014クラシック倶楽部を聴く 清水和音 珠玉の名曲を奏でる

「こどもの情景作品15」シューマン:作曲,(ピアノ)清水和音,「バラード第4番ヘ短調作品52」ショパン:作曲,(ピアノ)清水和音ほか 「巡礼の年第2年(イタリア)からペトラルカのソネット第47番」リスト:作曲,(ピアノ)清水和音,「ピアノ・ソナタ第30番ホ長調作品109」ベートーベン:作曲,(ピアノ)清水和音 ~2020年9月30日NHKホールで収録~―番組紹介よりー

清水和音20歳でロンティボー国際音楽コンクールピアノ部門優勝。リサイタル賞受賞。世界的な指揮者、オケと共演。
清水和音のコメント
作曲家はみんな譜面に託すわけですからやはり分かってもらえるように書いてあるはずであるという前提で演奏するというのが基本的な姿勢なんですけれども、それと同時に一人ひとりの作曲家のことでいえば、人と付き合うのと一緒だというのが基本で、シューマンのパーソナリティがどうかというのはもちろん想像でしかないですけども、とても温かい人なんだろうなとそういう感じがしますね。温もりを感じるとか近い感じがするとか、いつもそばにいてくれる感じですね。音楽家はシューマンとシューベルトはみな大好きですよね。多くの人が。それはやはりそのあたたかさなんではないか、そう思いますね。ショパンは演奏家に遠慮させるというか、あまりにも凄すぎて傍にいたらもうみんなが遠慮するんじゃないか、そんな感じがしますね。人にはおそらく優しくてジェントルマンで知的で、あらゆるものがそろっていて、傍にいたらまあ遠慮して除けて避けて通るかなとそんな感じがしてます。それにもかかわらずその表面的なメロディーはほんとうに分かりやすくて魅力的で、みんながショパンを好きになるのはそっちの方面だと思います。演奏家の立場で言うとある意味近寄りがたいというのが正しい表現のような気がしますね。リストは何たって大スターで、華やかで、基本的にオペラが頭の中にいつもあって、神様だとか悪魔とか、天使だとかそういうものが音楽のどの曲を聴いても何かそういうものが聴こえてくる。そのおとぎ話的なものが楽しめる。僕大好きですねリストは。この傍にいたらいちばん仲良くできるんじゃないか、そんな感じがします。ベートーベンは何なんでしょうね、もういろんな顔があってその多くの演奏家たちがおそらくその一部分を深く自分の中に入れていくというか、ベートーベンのほんの一部に触れることで、なんかとても巨大な存在に接しているという体験ができている、そんな感じだと思いますね。あまりにも多くの面がありすぎて、しかもそのとてもおそらく難しい人間で複雑怪奇な内面を持ってるんだけども、表に出ているものは常に単純でわかりやすくて、この二面性というか、中身と表側の違いの面白さというような側面がいつも興味深いですよね。

🎵名曲アルバムではおなじみ。当然のことながらやはりそれぞれの作曲者に対する個人的な思いがあられるらしい。今回の収録からは、ベートーベンの「ピアノ・ソナタ第30番」の第一楽章の終わり部分のピュアな響きが心に落ちたのと、コメントを聞くことでより一層この音楽家のリストとの親密さ、感覚的に、それは人格的な側面もあるのかもしれないが、相通じる親和性を実に肯定的に聴くことができ、また演奏4曲のうちやはりリストが印象にのこった。
 今日新たに感じたところは、ショパンのバラード、心の中にあるこごりを音で解きほぐしていくような、自らの音で隠れたる心の塊をカウンセリングしているかに聞こえてきたときがあった。 

 

🎧名曲アルバム。「里の秋」海沼実・作曲/斎藤信夫・作詞/日高哲英・編曲


(歌)林美智子,(指揮)岩村力,(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団 ~千葉県・山武市~

「里の秋」は昭和20年終戦直後に作曲されている。子が母と二人で父の帰りを待つという歌詞は戦地からの家族の帰還を待つ人々の心を打った。この曲が初めてラジオで生放送された直後、リクエストが殺到したという。作詞したのは千葉県生まれの詩人斎藤信夫。子どものころは山武市の南郷小学校に通っていた。正門近くには「里の秋」の歌碑がある。斎藤は36年間小中学校の教壇に立ったかたわら、子どもたちのために詩を作り続けた。山武市に斎藤の自宅がある。縁側は斎藤が晩年に好んで過ごした場所である。自宅に残る65冊のノートには1万編を超える詩が書き綴られている。「里の秋」のもとになった「星月夜」の自筆稿もある。「里の秋」はまだ国民学校の5年生だった童謡歌手川田正子によって歌われ、レコードとなった。その後彼女の歌声によって、斎藤はいくつもの童謡を世に出すことになる。「里の秋」は童心とともにありたいという斎藤のあたたかいまなざしが感じられる作品である。―番組解説通りー

⛳「予期せぬエラー発生」で写真の掲載は後に。たぶん取り込みの段階でのエラーかと思う。
とりあえず6時50分更新
そういえばきょうもミサイルニュース。夜中か明け方かラジオで聴いていた。東京大空襲が浮かんだ。wikipediaからの転載だけれども、

東京大空襲とうきょうだいくうしゅうは、第二次世界大戦太平洋戦争)末期にアメリカにより行われた、東京都区部に対する、M69焼夷弾などの焼夷弾を用いた大規模な戦略爆撃の総称。日本各地に対する日本本土空襲アメリカ軍による広島・長崎に対する原爆投下沖縄戦と並んで、東京の都市部を標的とした無差別爆撃によって、市民に大きな被害を与えた。爆撃被災者は約310万人、死者は11万5千人以上[注 1][注 2]、負傷者は15万人以上、損害家屋は約85万戸以上の件数となった[4]

東京都1944年(昭和19年)11月24日から1945年(昭和20年)8月15日まで[5]106回の空襲を受けたが、特に1945年(昭和20年)3月10日、4月13日、4月15日、5月24日未明、5月25日-26日の5回は大規模だった。

その中でも「東京大空襲」と言った場合、死者数が10万人以上の1945年(昭和20年)3月10日の夜間空襲(下町空襲。「ミーティングハウス二号」[6]。Meetinghouse 2[7]を指す(77年前)[注 3][9][10][11]。この3月10日の空襲だけで、罹災者は100万人を超えた[10]。なお、当時の新聞報道では「東京大焼殺」と呼称されていた[4]

 こんな時代が日本にもあったのだ。日本もアジアでさんざんやったわけだけれども、アメリカさんにもやられ放題やられたのだ。二度とこんなことにはなりたくない。

更新が寄り道分遅れて6時56分更新。

※あとで写真を入れると書きましたが、このブログにはうまく掲載できませんでした。ためしにフェイスブックの方でためしたところ、そちらにはアップできましたので、名曲アルバムのほうだけですが、フェイスブックでご覧ください。

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221013クラシック倶楽部を聴く 江口玲 アメリカに心を寄せて

アメリカ同時多発テロから20年。NYを拠点に活動してきた江口玲が思いを込めて演奏する。【収録】2021年4月15日 東京・めぐろパーシモンホール 小ホール 【曲目】なつかしいウィーン(ゴドフスキ)、ノクターン(ホフマン)、メロディー、幻想的クラコーヴィアク(パデレフスキ)、パガニーニの主題による狂詩曲から第18変奏(ラフマニノフ/江口玲)、4羽の白鳥の踊り(チャイコフスキー/ワイルド)、小犬のワルツによるパラフレーズ(ミハウォフスキ)、ジャズボ・ブラウン・ブルース(ガーシュウィン)、ラプソディー・イン・ブルー(ガーシュウィン/江口玲)ほか
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江口玲のコメント
前半に入れたクラシックの小品たちというのは、実は作曲した人たちが、みんなカーネギーホールに由来のある人たち、ピアニストたちなんですよね、作曲家というよりもピアニストたち。いわゆる1890年から1900年代の初頭を、ピアノとしては、後期ロマン派からいわゆるいちばんロマンティックなこてこてのピアニストたちがいっぱいいた時代というんですかね。ゴドフスキはカーネギーホールが公式にオープンするより前にそこで非公式なリサイタルを一番最初に演奏したピアニストだったり、あとホフマンもパでレフスキーもみんなアメリカでデビューというかコンサートはカーネギーホール、ラフマニノフもそうですし、そういう由来をもって選んでみました。
 自分の中でガーシュインという作曲家を過小評価してたところがあったんですが、弾いてみたら何て美しいメロディーを次からつぎへと書く人だろうっていう、最初の「ジャズボ・ブラウン・ブルース」ってうのは、あれはポーギーとベス、オペラの、一番最初に出てくる曲なんですけれども、残念ながら上演される際にその場面カットされてしまうことが多いんですよ。でもあんな素敵な小品があそこピアノのソロなんですよね。酒場で弾いてるという、これはたぶん聞いたことある方あまりいらっしゃらないんじゃないかと思ってぜひこれ入れてみたいなと。とってもガーシュインらしい曲だなあと思って。2曲目に「ザ・マン・アイ・ラブ」を入れたんですけど、これは「ラプソディー・イン・ブルー」が時々クラシックとジャズの間に挟まっているみたいなことを時々いわれるんだけれども、そこの中に含まれているメロディーというか、イディオムというものが、やっぱりガーシュインがとっても好きだった音型というものがいっぱいあって、それの一つとしてこのメロディー、いろんなところに「ラプソディー・イン・ブルー」にも出てくるので、とてもきれいな曲だなと思っておりました。「ラプソディー・イン・ブルー」は必ず最後に入れたいなと思って。改めて久しぶりに弾いてみたという感じなんですけれど。そうですね、自分がNYで家族と一緒に過ごしている何十年かの歴史ですか、そういったものが今頭の中によみがえってきたような気がしてます。
 <アメリカ同時多発テロの記憶、今のアメリカはどう見えているか。>
あの日のことはほんとうにはっきりよくお覚えていて、というのは実は上の娘が幼稚園に登園する最初の日だった。ものすごくいい天気で、さあ今から行こうかと言ってたときに、そういうことが起こって、学校の方に確認したところが、学校の方は何にもわかってなくて、当たり前でしょ、みたいな感じ。で、時間が経つにつれて緊急車両などの数が増えてきて、残念ながらやっぱり幼稚園のご家族の方も犠牲者何人か出てしまって、大変なことがここで起こって、それを境に世界がやっぱり変わってしまった。
 それをきっかけにアメリカはものすごく国として団結してた。テロに立ち向かう。なんだけれど、今、完全に分断されてます。この20年の間、ここ数年の間なんですけども。なぜそうなってしまったのか。私がアメリカの人たちに願うこととして、一つの大きな国の人として、その隣の人、移民で成り立ってる国として隣の人を尊敬すること、そして一人ひとりアメリカ人としての誇りを持ってそれを生きていってほしいなということ。ほんとに今の状態、一部の人だと思うんですけど、アメリカ人としてとっても恥ずかしいと思うことがあります。今はそんなことを考えてますね。

【曲目】
なつかしいウィーン(ゴドフスキ)
ノクターン(ホフマン)
メロディー(パデレフスキ)
幻想的クラコーヴィアク(パデレフスキ)
前奏曲 作品3212(ラフマニノフ)
パガニーニの主題による狂詩曲から第18変奏(ラフマニノフ/江口玲)
4羽の白鳥の踊り(チャイコフスキー/ワイルド)
小犬のワルツによるパラフレーズ(ミハウォフスキ)
ジャズボ・ブラウン・ブルース(ガーシュウィン)
ザ・マン・アイ・ラブ(ガーシュウィン/グレンジャー)
ラプソディー・イン・ブルー(ガーシュウィン/江口玲)

▽アレクサンドル・ミハウォフスキ(18511938)はポーランドのピアニスト、教師。主にポーランドとロシアで活動。ショパンの弟子の薫陶を受け、ショパン演奏家として名をはせた。ショパンの作品に超絶技巧を加えた編曲を数多く行っており、「小犬のワルツによるパラフレーズ」もその一つ。

🎵江口玲さんはクラシック倶楽部の顔。どなたかとの共演で登場するたびに、どんな個性でどんな音楽傾向をお持ちの方かと思っていたけれども、きょうは共演者のいない立場でのプログラム選択と演奏。ピアノになぜロゴが入っていないのだろうと不思議に思っていたところが、例外的にピアノの内側に刻まれていた。スタインウェイ。これがホロビッツの使ったピアノであるというから驚く。

 カーネギーホールに所縁のある音楽家たちというブログラムもおもしろい。また様々な編曲のバリエーションも楽しかった。最後の「ラプソディー・イン・ブルー」の編曲、格調が付加されたのも感じられ、軽みがミキサーされ、存在感となってのこった。

 911当日のもよう、直にNYにいた方のはなし、あれから20年、アメリカ軍はアフガニスタンから撤退。まさかのタリバンのアフガン征服。弱体化したアメリカ、根強い人種差別、問題化したのはまだまだ氷山の一角。ウクライナ、ロシアのたどり着く先は。けさは音楽を通してさまざまなことを考えさせられた。

 

🎧名曲アルバムは
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ウースター大聖堂にあるパイプオルガン

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⛳急ぎ急いで9時21分更新



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221012クラシック倶楽部を聴く 松田華音 ピアノ・リサイタル

6歳でロシアに渡りグネーシン音楽学校、モスクワ音楽院で研鑽を積んだ松田華音。大学院を修了する2021年6月、一時帰国した際に収録したみずみずしい演奏を紹介します 【出演】松田華音(ピアノ)1996年香川県出身。2003年グネーシン音楽学校に首席で入学。2013年同校で外国人として初となる最優秀生徒賞を受賞。2014年ロシア政府特別奨学生としてモスクワ音楽院に入学。同年、世界的レーベルからCDデビュー【曲目】ピアノ・ソナタ 変ロ長調 K.333(モーツァルト作曲)、楽興の時 作品16(ラフマニノフ作曲)【収録】2021年6月8日 NHK大阪ホール(無観客)
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松田華音のコメント
 私が6歳の時にロシアに渡って、12年間学んできたグネーシン音楽学校の先生が、どちらかというとモーツァルトよりもベートーベンが得意な方で、そのあとのモスクワ音楽院の教授もクラシックのソナタというよりはロマン派が得意で、ロマン派のものをたくさん弾いてたんですけど、今回モスクワ音楽院の大学院に入学して、ヴィルサラーゼ教授のクラスに入らせていただいて、ヴィルサラーゼ先生もとてもモーツァルトが得意なのでモーツァルトがやりたいなと思っています。
 モーツァルトから始めるのはすごくこわいです。すべてが表面に出てしまうので、すごくコントロールが必要だと思います。個人的には3楽章のコンチェルトのような、最初ソリストが出て、その後オーケストラが出て、そういうまるでやり取りが聞こえてくる曲なので、そういうところがすごく気に入っていて、そういうところを聴いていただけたら嬉しいなと思います。
 ラフマニノフはロシアの風景が見えるものでもありますし、ロシアに住んでらっしゃる方々のハートが感じられる温かいハートが感じられるような作曲家だなと思って、弾いていたり聴いていたりすると、すごく心に沁みるというか、ああこの景色、あの時に見たなとか、その瞬間、だれだれと話してこう感じたなとか。ロシアの方は最初は冷たい感じかなとおもうかもしれないんですけど、話してみるとすごく暖かくて優しい方たちなので、そういった優しさ、包んでくれるような温かみと優しさがラフマニノフの音楽にも出てるんじゃないかなと思います。
 「楽興の時」はまさにロシアの風景が感じられる曲だと思います。ロシアの小説に出てくるような景色だったり、ロシアの小説の中の主人公たちが感じている気持ちだったり、ほんとに弾いていて、ああ、ロシアだなという、ノスタルジックな感じがします。わたしの演奏を聴いてくださった方が、ああ、ロシアだなと聴いてくださったらすごく嬉しい。

 

🎵NHK大阪ホールでの無観客収録だったようだ。その無観客席も一つの奏者の背景として生かしたかの一場面も。モーツァルトでは青系ライト、ラフマニノフでは赤系ライト。特に前半の映像描出がすばらしい。青系が幻想的な雰囲気を醸す効果にもよるけれども、演奏者と共にピアノという楽器の美しさを余すところなく演出してくれた。楽器はそのままの形状ですでに形が完成していると思わせられるところ、さらにライトとカメラの丹念な協調、共同作業がピアノの美しさの格を増し加えたという感じが。ピアノを円状にとりかこむあかりが配置を変えての場面。また黒鍵の陰が白鍵に並び映りこんでいる。周りの事物がピアノの断面、湾曲によってどのように映し出されるかの可能性が追及されていたようにも思う。ピアノのあらゆる角度、断面が漆黒から様変わりする新たな姿が描出されている。
 「楽興の時」、第4曲、第6曲、はけ口のない情念、といっても引きずるような粘っこさはないのだが、音に託されたロシア的な憂鬱といいがちになるけれども、或いは、没落貴族に生まれ9歳で生家破産。奨学金でペテルブルク音楽院に入学するが、学科試験で落第などの痛手がすでに神経系に影響を及ぼしていたか、神経系からくる憂愁を託っていたものか、無意識の咆哮が出口を求めているかのような。
 松田華音さんの曲のここぞという部分の作曲家への相槌に相槌を打ちながら聴く。

🎧名曲アルバム。「白鳥」サン・サーンス作曲/丸山和範・編曲
(チェロ)藤原真理,(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団,(指揮)本名徹次 ~フランス・アヌシー、ディエップ~
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フランスの作曲家サン・サーンスはノルマンディー地方にある港町ディエップを愛し、しばしば訪れた。16世紀には象牙貿易で栄え、19世紀には印象派の画家たちがモチーフを求めてよく訪れたという。海をのぞむ古城は現在美術館となりその中にはサン・サーンスの間がある。早くに父を亡くし母に育てられた。3歳でピアノ曲を作曲している。「白鳥」は後に名声を得た彼が旅先で書いた「動物の謝肉祭」の中にある一曲。友人の演奏会のために作曲された小品集「動物の謝肉祭」は、著名な音楽家の作品が引用され、風刺と遊び心があふれている。そのためサン・サーンスは生前、誤解を恐れてその出版を禁じた。だが「白鳥」だけは、その人気のゆえに出版を許可された。ユーモアに満ちた作品集の中で、「白鳥」は象徴的な美しさを放つ。ー解説を参考に筆記

⛳21時45分更新

 

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221011クラシック倶楽部を聴く 若林顕の世界 〜ラフマニノフ ショパン〜

20歳でブゾーニ国際コン第2位、22歳でエリーザベト王妃国際コン第2位に入賞。ベルリン交響楽団、サンクトペテルブルク交響楽団など多くのオーケストラと共演するほかカルミナ弦楽四重奏団やウィーン八重奏団との室内楽、ソロなど一線で活躍している。【演奏】若林顕(ピアノ)
【曲目】
☆楽興の時から第1曲、第4曲(ラフマニノフ)
☆24の前奏曲作品28(ショパン)

【収録】20201130日 武蔵野市民文化会館
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ショパンの前奏曲最後の一音

若林顕のコメント
ピアノは自分の鏡というか、こちらの思いとか願いとかこめる度合いというものが強ければ強いほどいくらでも答えてかえって来てくれる。いくらでももう無限大に可能性があると思うんですけれども、すべては自分しだいというか、ピアノはどんとあって自分のそのままを映し出し努力した分だけ注ぎこんだ分だけ何らかの形でかえってきてくれる。ただピアノが答えてくれるような熱意の伝え方をしなければいけないというところで、双方とがやっぱりどうしても考えざるを得ない。いちばん大事なのはピアニストにとってはだいたいはホールのピアノにはじめて会って、時間でお友達になって、いかに仲良くといいますか、意思の疎通がちゃんと図れるといいますか、そこが楽しいところでも苦労するところでもあるという。僕としては、ピアノが嫌なことはしないというか、一緒に歌えるようにという気持ちを持ちながら弾いています。当然、意思があるように思いますよね。生き物じゃないかなと。

 

🎵「楽興の時」は第6曲まである。これはラフマニノフ23歳での作曲。スランプに入る直前の時期でラフマニノフの前半期の集大成であるとの番組解説。.wikipediaによればラフマニノフのピアノ独奏曲への復帰作にして、ピアノ曲作曲の転換期と位置付けられているようだ。第1曲はやさしく流麗、ラフマニノフならではの揺蕩うような旋律。第4曲では感情の湧出。この辺りがショパンやリストの影響なのかと思いつつ。ショパンの「24の前奏曲集」、これはバッハの「24の前奏曲」から着想を得ており、ショパン作品の中でも完成度が高いとされるとの番組の解説。第10番はエンドレスでいつまでも聴いていたいような心洗われるピュアな感じ。それがあまりに短すぎて。第23番にも10番に似た響きはでてくるけれども、こちらには遊びといえるかさりげない変容の感じも。第16番、焦燥を伴う感情の湧出。第15番「雨だれ」、超有名ときいていたが、最初はたしかに雨だれ、しだいに涙も出ないほどの耐え難い寂莫感と孤独が。これがショパンの孤独。ショパンの孤独が切々と胸に迫った。第20番の厳かで奥深くまた厳かに。第24番、感情の湧出、しかし第16番とのそれとは違っている。決意が秘められている感じも。最後の低音、設置のピアノの左から2番目の三つの低音にこの24曲を詩として肯定、位置付けるかの効果を覚えた。ショパンの感性の危うさ確かさ豊かさ凄さを聴いた。
 きょう改めて聴いたショパンの前奏曲16のスピード感に底にある荒涼とした想いを感じてしまった。
なぜかラフマニノフの前奏曲を聴いてはショパンの前奏曲を思い、ショパンの前奏曲を聴いてはラフマニノフの前奏曲がおもわれるのだが、昨日のルがんスキーの曲目と今日の若林の曲目、この連なりが心境に適っていた感じが。

🎧名曲アルバム。「荒城の月」土井晩翠・作詞、滝廉太郎・作曲、ニウ ナオミ編曲
(歌)加耒 徹 (管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団 (指揮)大井剛史 ~宮城県仙台市、福島県会津若松市~
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土井晩翠は学生の頃、会津で目にした荒れた城、白虎隊の秘話に心動かされ、その無常観を「荒城の月」の詞に刻んだ。晩翠のふるさとは仙台。ビルの合間に晩年暮らした「晩翠草堂」が残っている。幼いころから文学に親しみ、大学時代続々と詩を発表。27歳の頃中学唱歌の作詞を依xx頼され書いたのが「荒城の月」。英文学の教授としても活躍。
 しかし3人の子供が若くして病死。妻にも先立たれる。さらに仙台空襲で自宅と3万冊の蔵書を焼失している。晩翠が通った仙台市立立松小学校には晩翠の資料室が設けられてある。

🎵晩翠は3人の子どもと妻を失くしているが、当時岩手県盛岡市に小林という有名な霊媒師がいた。何とか死んだ子どもに会いたいと晩翠は小林に面会した。その時のようすがどのようであったかは聞いていないが、その霊媒師が紫波町高水寺にある蟠龍寺の檀家であったことから、蟠龍寺に立ち寄り、「天地有情」の書を揮毫したという。

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⛳眩しい日がさしている。先ずはきょう生きられる命あることに感謝!6時56分

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221010クラシック倶楽部を聴く ニコライ・ルガンスキー ラフマニノフを弾く

ロシア・ピアニズムの正統派、ルガンスキーのピアノ・リサイタルから。「ラフマニノフのプレリュードには多種多様なコントラストがあり、それぞれが小さなポエムを持っています」と語る、ラフマニノフの前奏曲14曲をお送りする。濃密なロマンをたたえた数々の小品を説得力あふれる解釈で解きほぐし、聴衆を魅了した。2018年2月、東京・紀尾井ホールでの公演から。
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🎵ニコライ・ルガンスキー、感じたところは、弾き終えたルガンスキーの表情。ラフマニノフ世界を展開し終えた満足感が。聴くたびに新たなイメージが湧く。ラフマニノフにはロシアぜんたいを包みこむような音のやわらかさ、この語彙を誤解されてもと他の語彙を探したが、この際煩わしい憶測は措くことに、このやわらかな空気感にも似た流れ、錆びついたところにも、はっきりと心にもといってしまおうか、がさついた間隙にも、一切の無遠慮さを消して優しい波のように押し寄せる。「前奏曲 作品23 & 作品32」からの抜粋、アンコールは「前奏曲 嬰ハ短調 作品3 第2」、壮大、大聖堂の連なりが遠近感を伴って水平線の彼方までつづきその先がふっと消えゆく感じが。人生の半ば以上を演奏に費やした方でさえも、「新たな発見」があると仰るが、聴くたびに、ああ、こういうところもあったのかと気づかされる。

 

 

🎧名曲アルバム。ララ作詞・作曲、栗山和樹編曲「グラナダ」
ララは書籍を読みながらグラナダに衝き動かされたらしい。ロマの住む、情熱あふれる街が想起されたという。ここでもロマ。ララが初めてグラナダを訪れたのは何と作曲から30年後であったという。ララがこの時の感激をどう綴ったか、「グラナダ あなただけがこの素晴らしい歌を私に創作させてくれた」「グラナダに祝福あれ」。
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グラナダ、昼下がりに活気づく街。バルと呼ばれる居酒屋に老若男女が集まってくる。お酒1杯につく無料のタパスが人気らしい。

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タパスというのはこのマテ貝かと思いきや、こちらに。

⛳10時41分更新

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きょうのことば「時に適ひて麗しかり」

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年102()の礼拝のおことばをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 「時に適ひて美麗しかり」  (國光勝美 牧師)
引証聖句 伝道者の書 311
神の爲したまふところは皆その時に適ひて美麗しかり

<メッセージ>

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 週報や先ほどのお祈りなどでS姉に係るご葬儀の報告がなされておりますが、今日は、そのことをきっかけにし、「時に適ひて美麗しかり」という伝道者の書311節からのメッセージを導かれております。

 あまり開く機会が無いのがこの伝道者の書ですが、旧約聖書と新約聖書の中から伝道の書を探してください。旧約聖書の部分には、おなじみの創世記からそして最後は小預言書のマラキ書まで39巻が入っています。その39巻の中には、いつも私たちが開く詩篇がありますが、このすぐ近くに伝道者の書がございます。

11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。

「人の心に永遠を与えられた」というのが実に意味深いことばです。「永遠をおもうおもいを与えられた」と訳されている聖書もあります。しかし今回は「人の心に永遠を与えられた」。そしてこの永遠というものは、神様に属する性質。神様が永遠である。「わたしはアルファであり、オメガである」(ヨハネ黙示録21:6)と仰るこの神様、この神様が神に似せて造られた私たちに、永遠、つまり神との交わりを持つ霊的なものを与えてくださった。そしてそのお方は永遠のいのちを私たちに与えてくださっている。そうでなかったらば、これほど残酷なことはありませんね。永遠に苦しむとかいうようなことではない。でも神様は私たちに永遠を与えられ、それは、永遠のいのちが保証されているということでもある。道が開かれているからこそ神様はそのためにこそ御子をお降しくださったのであります。そのことを思いながら、この文語訳の方に

神の爲したまふところは皆その時に適ひて美麗しかり

 先月27日に亡くなられたS姉は文語訳に慣れ親しんでいた方です。私にとりましても、お救いに与ったときには文語訳でしたので、やはり事ごとに文語訳の方が出てきますし、懐かしいことであります。牧師職としての節目に天に召されたS姉。このような時に、ああ、神様は時に適って麗しいことをしてくださったと、アーメンと思わず肯いたことであります。
 S姉、27日に召され、1日置いた29日に教会で告別式を行うことになりました。ご存じの通り、教会は今一つの節目にあります。集会があるときには片付けますけれども、いろいろなものが置かれております。その只中だったのですが、最初葬儀社のホールでと思っていたのですが、特にご遺族の方にとりましては、故人の夫である方のご葬儀は教会でした。それでS姉もぜひ教会で見送っていただきたいという切なる思いをお持ちでした。それが分かりましたものですから、それでは承知しましたと、野戦場のような、行き届いた控室もない状態ですけれども、と知っていただいて、とにかく会堂で告別式をさせていただきました。よかったと心から思ったことであります。
 司式をさせていただきながら、これはノブ姉にとっての神の麗しい時であったと言わざるを得ません。ノブ姉が私たちの教会と深く関わってくださった歴史をご存じの方々は、もう何回もの繰り返しになりますが、開拓して、大館町6123年。北天昌寺、マルイチのすぐ前のところで5年、ですから8年。その8年の終わりの頃に、ちょうど私たちも会堂が欲しいですねという思いが、開拓間もない頃から一緒に労してくださった方々と願いを持ちまして祈っておりました。その時に、一本の電話が入ってきまして、女性の方でした。「Sと申します」。S姉は「私たちの信仰の締めくくりはインマヌエルでさせていただきたいのです」と仰いました。それからS姉の夫である兄がお見えになり、やがてこのご夫妻の関係者であるM姉、T姉が関係者として与えられ、私たちの群れでの交わりを持たれるようになりました。真実に神様にお仕えくださったS兄姉であります。
 そして先にS兄が天にお帰りになられました。残されました姉はしだいにお歳を召され、ご長男も言っておられましたけれども、晩年には認知症になられまして、教会の皆様方にはご迷惑をおかけしたんじゃないかと思いますと仰っておられました。それからほぼ4年間後に、意識はほとんどないままの状態が長く長くおありでした。ご長男の管理下にあるものですから、教会も、連絡は控えざるを得ないような中ではありましたが、私たちがもう一か月で大きな節目を迎えるというときに、S姉は召されました。これは牧者にとりましても、盛岡における大切なお仕事がまだのこっていますよ、とノブ姉が仰られたような気がしました。
 そして、いちばん印象的なことは、召されなさって67時間経ってからでしょうか、お亡くなりになられてからのそのベッドの傍らに行きました。私たちのイメージだと、ぽっちゃりした感じの姉のイメージしかないのですけれども、あまりに小さくなっておられるので、顔も何も細くなっておられるので、しばらくお顔を見て、ああ、ほんとうに間違いなく姉だということはもうすぐに分かりましたけれども、そのお顔がえも言われず優しく笑みをたたえておられる。そのことが今でも印象的です。喪主になられたご長男は医者ですから、職業柄何人もの亡くなられたお顔を見ておられる。けれども、「自分の母親だから言うわけではないんですけれども」と仰りながら、「こんな微笑をたたえた母の姿をほんとうに嬉しく思います」と語って下さいました。
 それからすぐに、私は松園からの帰りにまず日程を決めなければならない。日程はどのように決めるのか。お葬儀の日程というのは、葬儀社さんがすぐに火葬をチェックして空いている時間、それを決め手として日程が決まるのです。その間私は松園からの帰りにすぐに葬儀社のホールに行き連絡をさせていただき、葬儀に係る日程を決めたということになります。告別式にご遺族の方々、そして突然の事ですので、時が許された方々と一緒に、心からのお別れの時を持たせていただき、金曜日に、やはり松園の方にある教会の墓地に納骨をさせていただきました。牧師にとって信仰者を天にお送りする神の麗しいときであったと心から肯いたことであります。

 

※この日は私は主人の所用で主人に同行し、礼拝出席が欠けましたが、教会からデータをお借りして起こしました。
このほかにも一旦は全内容を起こしたのですが、個人情報を含む事項もあり、公開は上記の部分だけと致します。
大変遅れましたが、
⏰17時56分更新


 

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ウォン・ウィンツァン ピアノコンサート

ウォン・ウィンツァンのアーティスト写真

 思いがけずGさんという方がチケットを回してくださった関係で、ウオンさんのコンサートを聴く機会があった。毎日のようにクラシック倶楽部をメモっているわりにはここのところコンサートにはめっきり出かけなくなっている。これでほんとうの音楽愛好家といえるかどうかは怪しいもの。「生演奏を聴かずして音楽を聴いたというなかれ」をその通りと賛同しつつ、ディスクなどで間に合わせてしまっている。演奏家の方々にはほんとうに申し訳ないと思いつつも。

 このコンサートのプログラム第一番「ふるさと」を聴いただけで、癒し系音楽であることが、そのように聞いてはいたが実際に自分の耳で感じとることができた。ウォンさんは、どうもセラピストのもとで心理療法のメソッド、このところはよく分からないのだけれども、これを学び、音楽と瞑想の力をセラピーに活かしながら、魂の表現や生と死をテーマにワークショップも行っているのだそう。私は、あの大作曲家マーラーがフロイトの心理治療を受けていたのを思い出したが、そのマーラーのアダージョに影響を受けて作曲したという聴きごたえある曲もあった。

 何れウォンさんの音楽は、確かに、がちがちにぎちぎちに間隔が狭められ、圧縮され固まった心に、ふっ、ふっと澄明な空間を作り出してくれたようだ。

⛳22時25分更新


 

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221007クラシック倶楽部を聴く ジャパンシリーズ Takemitsu Alone 〜武満徹没後25年〜

草月会館イサム・ノグチの石庭に静かに響く武満徹の音楽「巡り」「海へ」など代表作から武満の愛したビートルズまでフルート工藤重典・ギター鈴木大介2021年収録 武満徹作曲「巡りーイサム・ノグチの追悼に」(フルート工藤重典)武満徹編曲「ギターのための12の歌」全曲・「ロンドンデリーの歌」「オーバー・ザ・レインボー」「サマータイム」「早春賦」「星の世界」「ミッシェル」「ヘイ・ジュード」「イエスタデイ」他(ギター鈴木大介)「海へ」(アルト・フルート工藤重典 ギター鈴木大介)2021年草月会館 花と水と石の広場「天国」(イサム・ノグチ作)で収録

コメント
工藤重典:武満さんが雄大な海を鯨のような頑健な身体を持って自由に泳ぎ回りたいんだと仰ってたように、時間とか空間とかいったものをすべて超えて解き放たれた命のありようというか、そういったものが非常に凝縮された音楽ですね。改めてその一つ一つの音楽が自分にどんなものをもたらしてくれるのかということを皆さんがとてもニュートラルな状態と言うか真摯な気持ちで接しておられるなというのは、コロナ禍になってからの自分の演奏体験を通じて強く感じるところです。
 そうなってくるとこの起承転結というものがあるようなないような終わり方も、まあ、いわゆるブラボーって声がかけられない、ジャンと終わらない曖昧模糊とした終わり方の多い、武満さんの音楽というのは。すごくそれを目的として音楽を聴かないという状態においては真実の姿が皆さんに受け取ってもらえると思います。
鈴木大介:リズムとかそういうのもすごく複雑なんですけど、彼の書いている作品はだいたいすごく複雑ですね。だけどなんか、その中のこう僕らが探し求めているものがまた発見されるんじゃないかなあという気がするんです。考古学の  が一生懸命掘り起こして何か見つけるみたいに、わかってんだけどまだ何にも出てこないなあみたいな感じで一所懸命やるでしょ、ああいう感じでこの作品を掘り下げて一生懸命演奏したり気持ちを入れて、ま、本番も重ねていくと、独特な精神性の違うもの、深いものというんですかね、出てくるような気がする。それが僕たちを支えるような気もして、これからたぶん、これからの時代、別な意味をもって接するということにだんだんなってくる。僕はそう思います。
鈴木大介:「ギターのための12の曲」、何でも書ける人だったですね、武満さんは。そういうのが一切ご自身のコンサートピースの中には顔を出さないんですけれども、非常にジャズでも何でも書けた。だからその割烹なり料亭をやってる世界的に有名な板前さんが、実は中華作ってもステーキ焼いても一流だみたいなはなしですね。そういうバラエティーに富んだ方なんですよ。12の歌というのは、ギタリストの荘村清さんのために武満さんがアレンジした12の世界中のポピュラーソングですね、とはいえ、世界中から集めたのに、なぜかビートルズが4曲も入っている。どんだけビートルズが好きなんだという、ほんとうにビートルズが好きでらした。一つひとつの曲に、その曲に対する思い入れとか愛情が感じられて、その一曲一曲のもとの世界観というか、原曲の世界観を大切に思ってらっしゃるんだなということがわかります。特にギターの曲は、武満さんの編曲作品もそうですけれども、オリジナル作品も非常にロマンティックな部分が強いのでそういった映画音楽の巨匠武満さん、そして、現代音楽の武満さん、前衛芸術の武満さんという色々な武満さんがちょうどうまくバランスをよく顔をのぞかせている、武満さんの音楽の中でも最も、ある意味では武満さんらしい音楽がギターのための音楽だと思います。

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曲目
「巡り」
 工藤重典フルート演奏。イサム・ノグチへの追悼曲
ギターのための12の曲
 すべて武満の編曲版。クラシックギターが「今日」とふれあい生きたものとなるなるようにとの願いがこもる。
1
、ロンドンデリーの歌 (アイルランド民謡)
2
、オーバー・ザ・レインボー (ハロルド・アーレン作曲)
3
、サマー・タイム (ジョージ・ガーシュイン作曲)
4
、早春賦 (中田章作曲)
5
、失われた恋 (ジョゼフ・コスマ作曲)
6
、星の世界 (チャールズ・C・コンヴァース作曲)
7
、シークレット・ラヴ (サミー・フェイン作曲)
8
、ヒア・ゼア・アンド・エヴリウェア(ジョン・レノン/ポール・マッカトニー作曲)
9
、ミッシェル(ジョン・レノン/ポール・マッカトニー作曲)
10
、ヘイ・ジュード(ジョン・レノン/ポール・マッカトニー作曲)
11
、イエスタディ(ジョン・レノン/ポール・マッカトニー作曲)
12
、インター・ナショナル(ピエール・ドジェイテール作曲)
海へ
 ギターとフルートのための曲。環境保護団体からのリクエストにより作曲。
1
The Night
2
Moby Dick 白鯨
 ハーマン・メルヴィルの小説「白鯨」に因む
3
Cope Cod 鱈岬
 アメリカのケープゴットに因む

🎵「巡り」輪廻転生を思い巡らしながら聴く。フルートがいつの間にか尺八に重なるのだけれども。魂が次の嵌りどころを求め揺らぎながら旅しているような。「ギターのための12の曲」、武満のうちにある音楽の蔵に広く深く網を差し掛け下ろしたときに、武満の感性に引っ掛かってきた曲が手繰り寄せられての12曲かと。編曲により穏やかな揺らめき懐かしさ、色彩感によってリニューアルされた感じが。この曲目の中でちょっと驚きだったのは「インターナショナル」。労働歌、革命歌の系列。私には不屈な闘志が感じられなければ「インターナショナル」じゃないという思い込みがある。聴いて血が湧き元気が出るようでなければ。しかし武満の「インターナショナル」は平和調。尖った角も丸められてしまう。それが武満の人間味を伝えてくれているところと思われた。武満の音楽、音色には独特な「宿るもの」がある。それが哀惜であったり、時としては寂まく感であったり、安らぎであったり、追想であったりと、音を勝手に自らに引き寄せて聴いている。

🎧名曲アルバム。「バレエ組曲“エスタンシア”から“終幕の踊り”」
三ツ橋敬子&東京フィル

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⛳7時9分更新


舞台はアルゼンチンの大平原。そこに暮らすのは、牛の群れを追う「ガウチョ」たち。作曲家ヒナステラは、何者にも束縛されず、誇り高く生きる彼らの姿を音楽に描き出した。自らがガウチョに取材している。

 作曲者の勝手な思い込み、付け加えの感情というものがなく、直截でおおらかなガウチョのすがたそのままの楽曲に親しみと好感が持てた。映像に見るこのような暮らしには、毎日の朝のニュースを見ながら、驚き、呆れ、悲しみの涙、対面上慟哭を押し殺しながら朝飯を掻き込み飲み下し、映像過ぎ去れば世の不条理も一旦は脳裏に預けてその日を何事もないかに生きやり過ごすという偽善は一切ないかに見える。

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221006クラシック倶楽部を聴く 小曽根真×富士山

日本を代表するピアニスト・小曽根真が、日本最高峰・富士山をバックにクラシックとジャズの熱演を披露する。即興演奏を得意とする小曽根が、富士山からのインスピレーションを得て紡ぎ出す音楽とは 【曲目】マズルカ イ短調(ショパン作曲)、「クープランの墓」から前奏曲(ラヴェル作曲)、Asian Dream(小曽根真作曲)ほか【収録】2019年2月4日 ハイランドリゾート グランドバンケット富士
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小曽根真のコメント
4
曲、クラシックの演奏をしましたが、僕はもともとクラシックプレーヤーではまったくないので、クラシックを始めてそれでも145年演奏させていただいてるんですけど、まず何とか弾ける曲を選びました。クラシックの場合一番大事なのは譜面に書いてあることをちゃんと弾かなくちゃいけないので。それがそのジャズとクラシックではあまりにも奏法が違うので、ジャズでいくら弾けても、クラシックのリクワイアメントしなければいけない弾かなければいけない音を弾けるかどうかというのとまた全然違うんです。ですからあまりその高度な超絶技巧の曲、弾きたいんですけど、何とか弾けるけれどもTVに収録できるだけの技術があるかどうかちゃんと吟味しなければいけないだろうがまず一つ。その中で、即興の要素ってしっかりいただける曲、コンポーザーとの対話が面白いんですけど、モーツァルト、僕が音を変えようとすると、楽譜の向こうから「どうぞ、どうぞ、どうぞどうぞ」っていう、「ここがその場所だよ」と投げてくる感じがする。バッハもショパンもスカルラッティも。ラヴェルはご自身でも即興されてたと思うんですけど、要素がいっぱいあるんで。あそびしろっていうんですかね、それがいっぱいあるんです。なので今回は僕が弾く意味をちゃんと出せる曲を選ばせてもらいました。あとは自分が好きな曲ですけど、最終的には。

最近よく僕が口にする言葉がボーダレスとかビヨンドボーダーとか、要するにその音楽という言語にはジャンルは必要ないというふうに本当に思うんですね。特にこの15年、クラシックという自分の中でもジャズのある意味対極にある音楽をやらせていただいて、クラシックの音楽家の方にいっぱい助けていただいてもらってコンサートをやっていく中で、すごく感じたことはやっぱり言語の表面的なものがぜんぶ違うんですけれども、すべて表現したいものは同じ。人間の気持ち、感情、物語りというのがあって。ですからまずジャズと一口に言ってもラテンジャズもあれば、クラシックに影響を受けたジャズもあるし、ブルースからきたジャズもありますし、今のラップとかヒップホップというのがありますが、あれはもうジャズから完全に来てる音楽なんですよね。弾むリズムという自体がそうですから。ですから自分の中でやっぱりそのボーダレスで作ってきた自分のコンポジションを代表するような(自作のジャズ)4曲を選びました。

曲目
クラシック小曽根真編曲でショパン「マズルカ イ短調作品17第4」、スカルラッティ「ソナタ ホ長調」、バッハ「シンフォニア 第7番」、ラヴェル「クープランの墓 から」
後半4曲はすべて小曽根真作曲によるジャズ作品。NO SIESTA」「My Witch's Blue」「Mirror Circie 」「Asian Dream

 🎵なぜこの選曲? と思っていたところ、小曽根氏、何とか弾ける曲、これはジャズアレンジに耐える曲、ジャズアレンジをゆるす曲という意味かと。クラシックとジャズでは奏法がまったく違うらしい。即興の要素をいただける、あそびしろの個所がたくさんある楽譜から選んだのが今回の曲であるという。遮るものなく、頂の冠雪からすそ野の広がりまでをすっぽりと容れる床から天井、天井には建築用語があるのだろうが、このハイランドリゾートグランドバンケット富士の設計者は誰だろうと、思いも到るのだが、とにかく総ガラスの向こう、輝かしい冠雪の青く美しい富士を奏者は左横に置きながらの演奏。清新な富士、ピアノの黒いシルエット、奏者の青いシャツ、ガラスを支える建材の絨毯に長く伸びる陰が視覚的条件も満たしている。
 意匠を生かしてのジャズ化を遂げた響きに、思わず、ショパンさん、バッハさん、こんなに小曽根さんに遊ばれちゃっていいの? と冗談が浮かびはするものの、アレンジは実は、作曲者を軽んじたり茶化したりしてはいない。ただ、クラシックがジャズに淘汰されてしまったかと感じた部分も。それがまた新しい境地が開拓されたかの感じも。
 コラボというけれど、ピアノを弾くときに、富士は見えてないじゃないの? しかし、後で小曾根氏が言った「弾いている間は富士は見えないが、富士からパワーをもらった」と。「きょうはメロディーが次つぎに湧いてきた。自分が弾いていながら自分が弾いていないような感覚だった。富士山、ありがとうございました!」。取り囲む収録の機材、スタッフからもエネルギーをもらうのだという。
 小曽根作品、12曲とも、最初の部分、ショパンじゃないかと思うほどクラシカル。意外だった。そしてジャズもクラッシクも人間の想い、感情の表出という点では底にある、流れるものは同じなのだなと。3曲ともに、底にある詩が感じられ、特にも2曲目は、氷筍に滴る水の音が聴こえたような、実に素晴らしかった。「Mirror Circie 」、最初は「鳥のカタログ」かと思いきや光の移ろい姿を変えて。4曲目、「Asian Dream」、車窓に夕映えを流しているうちに山際に陽は沈みゆき静けさが忍び寄った。

🎧名曲アルバム。「ニューヨーク・ニューヨーク」
ジョン・キャンダー、フレッド・エッブ作曲・作詞。栗山和樹編曲
歌・団しんや、大井剛史&東京フィル、ピアノ美野春樹、ベース加瀬達、ドラムス伊藤史朗
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この歌はヒットした映画「ニューヨーク・ニューヨーク」のタイトルソングとして書かれた。
試合後のヤンキースタジアムで必ず流れる曲。ブロードウェイなど曲ゆかりのさまざまな場所を取り上げながらオーケストラの演奏でお送りする。

どちらの番組も番組解説に教えられながらの筆記です。

⛳4日にはついにミサイルが頭上をすっ飛んで太平洋に落ちた。いくら何でも2、3日はないだろうと思っていたところが今朝も2発。これがEEZのそとに落下。ミサイルを撃ち込まれることも怖いが、対応策がけん制、防衛力増強となっていくのが同じくらい怖い。ウクライナ、ロシアに冬が近い。

13時19分更新

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221005クラシック倶楽部を聴く フィルハーモニック・ファイヴ×ベートーベン×デジタルアート

ウィーン・フィルのメンバーを中心に結成されたピアノ五重奏団デジタルアートミュジアムで収録
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曲目
☆ルートヴィッヒのラグ ベートーベン作曲、コヴァ―チ編曲
ベートーベンのピアノ・ソナタ第32番第2楽章にはスィング・ジャズ風のリズムが現れる。コヴァ―チが編曲してベートーベンが「ジャズの預言者」であることを明らかにする。
☆ピアノ四重奏曲作品16から第2楽章  ベートーベン作曲
☆ピアノ・ソナタ第24番テレーゼ  
テレーゼの夢の中で響くベートーベンの音楽をコヴァ―チが想像して作った曲
☆セレナード作品25から  ベートーベン作曲
フルートのパートはバイオリンが演奏
☆シネマ風アレグレット  ベートーベン作曲、ヴェルツォヴァ編曲
 ベートーベンの交響曲第7番の第2楽章をハリウッドで活躍するヴェルツォヴァが映画音楽風に編曲☆ロンドとチャールストン  
ベートーベン&アプレウ作曲、コヴァ―チ編曲
ベートーベンのピアノ協奏曲第一番のロンドが1920年代に流行したチャールストンへと変化してゆく
ブラジルの作曲家アプレウが1917年に発表した「ティコ・ティコ」のメロディーも現れる。
☆カリビアン・テンペスト  ベートーベン&カミロ作曲コヴァ―チ編曲
ベートーベンのピアノ・ソナタ17番「テンペスト」とラテン・ジャズの名手ミシェル・カミロの作品を組み合わせた1曲。

コヴァ―チのコメント
とても感動しています。21世紀のいま、美のルネサンスがここで起きている。古い教会や聖堂と同じように英知・力強さと美との調和がここにあります。強いインスピレーションをもらっています。さまざまな分野の芸術、たとえば彫刻や絵画、音楽や文学はいつの時代にも互いに影響し合って実を結んできました。私たちが今回ご紹介するのは、クラシック音楽の天才としてのベートーベンだけではなく、ジャズの預言者であるということです。現代の聴き手がベートーベンに親しむきっかけになればと願っています。ジャズが生まれる100年以上前に、ベートーベンはそのアイデアを持っていました。ベートーベンは芸術における偉大な巨人です。レオナルドやミケランジェロ、バッハ、モーツァルト、ブラームスらと同じように、彼らの作品が発する力強いメッセージはこれから何百年も輝き続けるでしょう。それを生み出したの芸術家の誠意と新しいものを作ろうとする勇気なのです。偉大な芸術はこれからもずっと人々を魅了し受け継がれるでしょう。ベートーベンは自分の作品が当時の聴衆に受け容れられなくても決して動じることなく自分のアイデアや音楽を信じ続けたことに感動します。後の世代の人には理解してもらえると信じていたのでしょうね。

🎵クラシック界のあるオーソリティーが、クラシックの曲には何も付け加えて欲しくないと仰っていたが、この五重奏団の意図するところの「本気」に打たれた。当初は制作、企画の演奏者を巻き込んでのゴリ押しではないかという思いも。ところが、聴き進むほどに納得。「ピアノ・ソナタ 第32番」が編曲により「ルートヴィッヒのラグ」として登板。これはもうベートーベンがジャズに行き着いたというか探りあてたというか、それで有名なのだが、これを皮切りにどう展開するのか興味津々で次に。「ピアノ四重奏曲 作品16 第4楽章」、音で楽しみ視覚で楽しむ。続く「テレーゼの夢」、ベートーベンが愛した女性、なぜかベートーベンの恋愛は成就しない。テレーゼの方がベートベンの音楽を夢に見、夢で聴くであったか、そのような思いめぐらしからのコヴァーチの作曲であったかと。「セレナード作品25から」、ここではバイオリンがフルートパートを務める。「交響曲第7番第2楽章」が「シネマ風アレグレット」として登場。これは生涯的に聴いていた楽曲でもあり切々と興味深く。自分に没し過ぎて作曲者の意図から遠ざかってしまったのだが。次の「ピアノ協奏曲 第一番 ロンド」が「ロンドとチャールストン」での登場、1920年のチャールストンへと変化。ここから5重奏の意図が鮮烈に訴えてくる。ここでコヴァーチのコメントが俄然精彩を帯び説得力を効かせる。コヴァーチ語るに、21世紀の美のルネサンス、あの時代の寺院や大聖堂などの英知、力強さ、美がここにある。彫刻、音楽、絵画、文学は互いに響き合うもの。クラシック音楽の天才ベートーベンはジャズが生まれる100年以上も前にジャズを響かせている。ベートーベンはジャズの預言者。レオナルド・ダ・ヴィンチを筆頭に当時の錚々たる大芸術家の名を連ねて、ベートーベンは彼らと並んで力強いメッセージとともに生き続けると。落涙。ベートーベンは古びない、ベートーベンは未来永劫に新しいというこの5重奏団のメッセージがぎりっと鳩尾に落ちる。たしかに、演奏を聴きながら、大聖堂も見えたと実感した瞬間がある。続く「ピアノ・ソナタ17番 テンペスト」が「カリビアン・テンペスト」とジャズ仕様。どんな仕様をまとっても元曲が映えるベートーベン、21世紀の奏者とデジタルにも映える曲の見事さ、奏者の渾身に感動

 

🎧名曲アルバム。ベルリオーズ 「ファーストのごう罰」から「ハンガリー行進曲」
現田&東京フィル
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1846年ベルリオーズはハンガリーを訪れ、解放戦争の騎手ラコッツィーを讃える歌を編曲し「ハンガリー行進曲」として演奏し熱烈な歓迎を受けた。
 写真はラコッツィーの像。

⛳きょうはワクチン接種の4回目。副作用もなくこのように午後からはまた音楽を書く楽しさを満喫。14時16分更新

 

 

 

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221004クラシック倶楽部を聴く 三浦文彰×デジタルアート

来場者100万人突破(開館5か月でということであったか)という東京の新名所「チームラボ・ボーダレス」を舞台に、バイオリンの俊英・三浦文彰がデジタルアート作品とコラボを実現!三浦文彰はハノーファー国際コンクールにおいて、史上最年少の16歳で優勝

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三浦文彰のコメント
Q
デジタルアートの中で演奏して
こんな空間で演奏するってまずないので、僕の中ではクラシック音楽というのはやはり国も何も関係なく人々が常に人生の中であるものなので、こういう場所で演奏するというのは楽しかったです。
Q
今回の選曲について

まったく違った時代の作品たちを、バランスをすこし考えながら作ってみました。パガニーニの「ネル・コル・ピウ」はもう僕が10代の頃からよく演奏していて、パガニーニの書いた作品の中では最も難曲と言われているとてもチャレンジングな作品なので、それこそこのような空間で演奏できるというのは面白いんじゃないかなと思ったので、自分自身で楽しみながら演奏できればいいかなと思います。
Q
今後の展望
音楽というのは、人生にいろんな彩をくれるものだと思っていて、クラシック音楽の魅力というかそれを僕らの世代にももっと知っていただいたらいいかなとおもっているので、もっと身近に楽しめる機会というものを作っていけたらいいなと思うので、僕もそれに熱を入れてやっていきたいなと思っています。

曲目
愛の喜び」クライスラー:作曲
☆「大王の主題」ユン・イサン:作曲
☆「「ネル・コル・ピウ」による変奏曲」パガニーニ:作曲
☆「バイオリン・ソナタ 変ロ長調 K.454」モーツァルト:作曲
☆「大河ドラマ「真田丸」メインテーマ(ピアノ伴奏版)」服部隆之:作曲

 

🎵とにかくあの真田丸のテーマが流れたときの鮮烈な驚きは今もって忘れられない。奏者が字幕に現われるのを息をつめて待った。それが三浦だった。その三浦とデジタルアートとのコラボなのだ。チームラボ・ボーダレスは作品に触れながらさ迷い歩く。作品が自ら動きだし、人と触れ合い、しだいに人との垣根が消えてゆくという、それも現実にあったかなかったかの感覚がのこるのでは、いちど行ってみたいと思いつつ出かけることが危惧され、いまだ叶わずにいる。1万平方に無数のデジタルアートがあるらしい。

白づくめ衣装で、クライスラー作曲「愛の喜び」に始まり、花と人の森でユン・イサン作曲「大王の主題」。次には黒づくめの衣装でランプの森でパガニーニ作曲「『ネル・コル・ピウ』による変奏曲」。三浦はパガニーニを10代から弾いているという。今回、全く時代の違った曲をバランスよく選曲したという。パガニーニ、あらゆる奏法のオンパレードなのだが、これがちょうど今のポップス界の若者たちのパフォーマンスの機敏さを感じさせる。ユン・イサン、パガニーニと、表現が適切かはわからないが、切り取られた音の表面に凸凹がない、三浦が翳す弓の空間には、実に見事で颯爽とした一面が有無を言わさず君臨しているとさえ思われることが。モーツァルト作曲「バイオリン・ソナタ変ロ長調K.454」、では奏者のまた別側面の感性が。穏やかで叙情的、それこそ「人のため岩に憑依する滝」に流れる水が己の行方を問うているかなのだ。服部隆之作曲「大河ドラマ『真田丸』メインテーマ」。意表を憑く冒頭のフレーズには靄がかった脳内もスッキリ。鮮烈! 切れ味に心ざわめく。
 前回はユン・イサンとパガニーニが印象的だったが、今回リラックスして観てみる、聴いてみると、モーツァルトがデジタルアートとコラボする場面がまったくもってコラボという感じが。ピアノもより印象深く残った。

 

🎧名曲アルバム。モーツァルト 交響曲 第36番 「リンツ」
円光寺雅彦&東京フィル
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リンツは古くからの交通の要所。1783年モーツァルトは家族を伴ってリンツを訪問。父の代から親交のあったトゥーン伯爵家に滞在。音楽好きな伯爵に応えわずか4日でこの交響曲を作曲。何しろモーツァルトは交響響39,40、41番を2か月で作曲したひと。とにかく作曲スピードはすごい。この36番は後に「リンツ」の愛称で親しまれるようになる。

またこの街にはリンツァートルテという菓子がある。350年前のレシピそのままに作られている世界最古のトルテ。ヘーゼルナッツ・クリームに赤すぐりジャムがベース。モーツァルトはこのトルテに舌鼓を打ったか打たなかったか。

⛳6時52分更新

 

 

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2201003クラシック倶楽部を聴く 悠久薫る歴史の響き~横坂源無伴奏チェロの響き

2020年日本遺産に認定された牛久市にあるワイン醸造場「牛久シャトー」。レンガ造りの旧醸造場の建物を舞台に、チェリスト横坂源が、無伴奏チェロの名曲を奏でる。
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 【曲目】
無伴奏チェロ組曲 第4番 変ホ長調 BWV1010(バッハ)
無伴奏チェロ・ソナタ(リゲティ)
無伴奏チェロ組曲 第2番 ニ短調 BWV1008(バッハ)
【演奏】横坂 源(チェロ)―ミュンヘン国際音楽コンクール第二位。 
【収録】2022年1月28日 牛久シャトー(1903年建設―仏ボルドーの最新技術を導入) 神谷傳兵衛(愛知県出身の実業家)記念館(茨城県 牛久市)

コメント
 プログラム選曲のねらい:最初にお話をいただいたときに無伴奏ということだったので、まずやっぱりバッハの無伴奏チェロ組曲というのはチェリストにとってはみなさん方いくつになっても弾いていかなければならない有名な作品なので、演奏させていただけたらなと思っていて、バッハの無伴奏組曲から2曲、明るい調のエスドラの4番とすこし暗い調の2番を選びました。リゲティはそれとコントラストがすごくあるので、間にリゲティを入れて一つの形が出来上がったらいいんじゃないんかなというような思いで考えました。
ワインと音楽にまつわる思い出:自分の生まれ育った新潟なんですけれども、そこにワインを造ってる場所が家の近くにあって、なので、当時はワインは飲めなかったですけど、ぶどうジュースとか周りの広場、自然がたくさんあって畑があるので、その周りの景観を楽しみながらよく遊んでいた記憶があります。ワインは家ではあまり飲まないんですけれども、コンサートの後とか、友人とは食事に行ったときによくワインのおいしさを知っている友人について行って、一緒に美味しいワインを自分も飲んで楽しむという形で楽しませてもらってます。

リゲティの無伴奏チェロ・ソナタ:二つの楽章なんですけれども、合計でも8分から9分ぐらいのすごく短い曲で、その一つ目と二つ目というのがすごいコントラストをなしていて、一つ目はどちらかというと非常にロマンティックで明るい未来が見えてくるような、それからすこしこう冒険の始まりとか、そんな予感めいたものというのが一つ目には感じられて、二つ目になってくるともうすこし具体的な音の動きというのが出てきます。チェロだと無窮動で動いていく忙しい動きがあったり、それからそれがダンスの動きとして聞こえてきたりして、わりとこう聞いてくださるお客さまによってもいろいろと変化することができるすばらしい曲なんじゃないかなと思っています。
無伴奏チェロ組曲 第2番:やっぱりバッハの無伴奏というのはプレリュード1番から6番まで6つあるんですけど、プレリュードの性質というのが非常にドラマティックに書かれているんですね。この2番というのも特にそうで、最初ほんとうに一人でつぶやいて、そこからどんどん展開していくんですけど、その中でもすごく気性が激しくて、それがアルマンドやクーラントにどんどん飛び火していくような、力強くはないんですけどそういう意志の強さとそれからやっぱり孤独というのはやっぱりすごくワードとしては自分の中で出てくるものだと思います。

🎵この番組をずっと観ていて、コンサートホール以外でのさまざまな環境での収録が行われてきているけれども、富士山を左手に,ピアノ。古民家ではギター。航空記念館ではやはりチェロとバイオリンであったか、デジタルアートミュージアムもやはり弦。無言館も弦楽四重。まだあった気もするけれども、何れ楽団とそれぞれの場所の相性というのはあるかもしれない。チェロとワイン醸造所。チェロを聴かせたワインの味はいかがなものか。

 

🎧名曲アルバム
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聖フランシスコは、13世紀にイタリアのアッシジに生まれる。彼はもともと豪商の息子。青年時代は奔放な生活を送っていた。それが大病を患い信仰に目覚める。以後は世俗を離れトスカーナの山中に暮らした。すべての財産を捨て、粗末な身なりで神の教えを求め続けたという。たどり着いた境地は、何も持たずありのままに生きる。「生まれたままの姿で生きる鳥たちよ お前たちは美しい」「創造主に感謝しよう」。リストはフランチェスコに深く共感し、1861年から63年をかけてこの曲を書いた。リストは後に53歳でローマで聖職者になった。

⛳13時20分更新


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きょうのことば「喜びの福音」

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年925()の礼拝のおことばをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 「喜びの福音」  (國光勝美 牧師)
引証聖句 ガラテヤ 1章612
6 私は驚いています。あなたがたが、キリストの恵みによって自分たちを召してくださった方から、このように急に離れて、ほかの福音に移って行くことに。
7 ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるのではありません。あなたがたを動揺させて、キリストの福音を変えてしまおうとする者たちがいるだけです。

8 しかし、私たちであれ天の御使いであれ、もし私たちがあなたがたに宣べ伝えた福音に反することを、福音として宣べ伝えるなら、そのような者はのろわれるべきです。
9 私たちが以前にも言ったように、今もう一度、私は言います。もしだれかが、あなたがたが受けた福音に反する福音をあなたがたに宣べ伝えているなら、その者はのろわれるべきです。
10 今、私は人々に取り入ろうとしているのでしょうか。神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、人々を喜ばせようと努めているのでしょうか。もし今なお人々を喜ばせようとしているのなら、私はキリストのしもべではありません。
11 兄弟たち、私はあなたがたに明らかにしておきたいのです。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。
12 私はそれを人間からは受けたのではなく、また教えられたのでもありません。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。

 いちばんパウロが何を気遣っていたのか。それは自分が伝えた福音というものと、いつの間にかそれが異なった福音というものに移ってしまうということがあるならば、これは聖霊的に絶対にいけないことなのだということ。パウロが宣べ伝えたキリストの福音というものから離れていってはならないということであり、これを命がけで力説しているのがこのガラテヤ書であります。そのことを思い、キリストの福音というものにしっかりと私たちが立ち続けていくことができますように、こういう願いをもって今日はガラテヤ書に導かれたものであります。

 ガラテヤ人への手紙の著者はパウロ。そして宛先はギリシャ地方の諸教会です。パウロの手紙の中で、複数の教会に宛てられたのはこの手紙だけです。背景として、パウロの第二次の伝道旅行の期間。彼は病気のためにガラテヤに滞在し出発を延ばしました。彼はそこで病気であったにもかかわらず、福音を宣べ伝え続けました。この機会に彼はガラテヤにいくつもの教会を発足させました。

聖書の中での位置として、ガラテヤ人への手紙は、パウロによる手紙の区分の4番目の手紙です。今日はここを開こうとしておりますし、またガラテヤというとどの辺なんでしょうか。
ガラテヤ書3章26-29節「キリストにあって一つ ガラテヤ書」 - 聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

 さて背景的な学びはそこまでにいたしまして、この69節をご覧ください。

6 私は驚いています。あなたがたが、キリストの恵みによって自分たちを召してくださった方から、このように急に離れて、ほかの福音に移って行くことに。
7
ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるのではありません。あなたがたを動揺させて、キリストの福音を変えてしまおうとする者たちがいるだけです。6 私は驚いています。あなたがたが、キリストの恵みによって自分たちを召してくださった方から、このように急に離れて、ほかの福音に移って行くことに。

―ここでパウロは強い口調で言いますー
8
しかし、私たちであれ天の御使いであれ、もし私たちがあなたがたに宣べ伝えた福音に反することを、福音として宣べ伝えるなら、そのような者はのろわれるべきです。
9
私たちが以前にも言ったように、今もう一度、私は言います。もしだれかが、あなたがたが受けた福音に反する福音をあなたがたに宣べ伝えているなら、その者はのろわれるべきです。

 こう記しております。けんか腰にでも徹底しておきたいとパウロの情熱を傾けた、私が伝えたキリストの福音をいささかなりとも変質させるなどということは絶対に許さない。それがたとえ私たちであれ天の御使いであれ、私たちであれ天のみ使いであったとしても、これは強い。み使いがあなた方に伝えたとしても、もし私が伝えた福音と異なるものを伝えたのならば、そのようなものはのろわれるべきです。皆さん、アナテマイという言葉をお聞きになられたことがおありかもしれません。アナテマイは非常に強い意味で用いられる。ある場合には「破門とする」、「決定的に断絶する」。ですからこれは非常に強烈なのろいの言葉をもってこのキリストの福音から決して離れることがないように諭しています。ここでパウロが言おうとしていることは、第一ペテロの123「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく朽ちない種からであり、生きた、いつまでも残る、神のことばによるのです。」とある通りです。

 どうか純粋な神のことば、これにしっかりと根差し、これによって成長していく私たちの教会でありますように、これが切なるこのガラテヤのおことばであります。
 
これは実はパウロ自身が異なる福音を異なる福音と思わずしてキリスト教に対して迫害をしてしまったという過去があり、自分自身がそういった間違いを犯した経験をしている。
 パウロはかつてクリスチャンたちを、あんな神にのろわれて十字架につけられるような者を救い主として信じているようなふとどきな者たちは抹殺しなければならないと思っていた。自分こそ神に従っているという情熱を持ってキリスト教を迫害したことを、皆さんはよくご存じです。自分にその経験があるからこそ、パウロは一層このことを意識して述べているわけです。
 昨今メディアを通していろいろ言われている統一教会も、聖書を一応ベースにしているようでありながら、原理講論というようなものによって、聖書のいわんとするところが変質せられ、そしてそれが非常に強力な様々な影響をその信徒に世の中にもたらしていることを私たちは今知っております。
 第一コリント153、4節に、
3私があなた方に最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。「キリストは聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、4また葬られたこと、また、聖書に書いてある通りに三日目によみがえられたこと。
これがパウロの確信、そしてきょうのガラテヤ書の引証箇所に合わせるのならば、
11 兄弟たち、私はあなたがたに明らかにしておきたいのです。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。
12
私はそれを人間からは受けたのではなく、また教えられたのでもありません。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。
 
どうかパウロが受けた福音、私は今こう語りながら、参考までにですけれども、今思い起しておりますのは、私の育ちました浅間温泉の家のバス道路を隔てたほんとうに目の前の家にM君という男がおりました。彼は松本の高校を卒業しまして、他県の大学の方に進みましたときに、原理研究会といわれる統一教会のそれに触れて、彼はそのままずっと進んでいきました。まったく異なることで、私はご存じの通り盛岡に牧師としてやってきました。何年目のことだったでしょう、盛岡に来て10年以上は経っていたかと思うのですが、M君が用事が私を訪ねてくれました。その時に原理研究会の話しが出ました。必死になって私に語ってくれました。私はそれを聞きまして、「M君、僕はね、パウロよりも賢くなりたいとは思ってないんだ」。つまり聖書がいっている福音、統一教会が何を言おうと、パウロが言っているパウロが受けていた啓示、これより賢くなっては決していけない。また別の角度からいうのならば、ペテロの信仰です。これは皆さんがご存じ、

15イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」16シモン・ペテロが答えた。「あなたは生ける神の子キリストです。」(マタイ16:15、16)

 ここであの疑い深いトマスが思い出されます。トマスはイエス様が復活したことをなかなか信じない。しかしトマスがよみがえりのイエス様に触れた時、「わが主、わが神」、こういってかれは信仰を確立していきました。そしてそれらのことを思いながら、私はインマヌエル盛岡キリスト教会でヨハネの黙示録を開くことはあまりなかったな。ということを思いながら、イエス・キリストというお方をどのようなお方とみているだろうか。ヨハネは黙示録でこのように言っています。

17この方を見たとき、私は死んだ者のように、その足もとに倒れ込んだ。すると、その方は私の上に右手を置いて言われた。「恐れることはない。わたしは初めであり、終わりであり、18生きている者である。わたしは死んだが、見よ、世々限りなく生きている。また、死とよみの鍵を持っている。」(ヨハネ黙示録1:17、18)

 皆さんこれが私たちが信じているキリストの福音です。どうぞ世の中の様々な教えの風に惑わされることなくキリストの福音、私たちの罪の為に死に、そして十字架に架かって三日目によみがえってくださった生けるお方。このキリストを主として、私の神として、このお方から決して決して離れることがありませんよう、ともに信仰の道を歩ませていただきたいと存じます。

 

※ガラテヤ書に関して詳しい解説がございましたが、割愛してございます。地図はネットからです。
この日はズームではなく、教会に出席し礼拝に与りました。
文責:中ぶんな
⏰6時9分更新

  

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ある死

 先月、教会の会員であられるご婦人が亡くなられた。天寿を全うされたのだ。 ほんとうにやさしい微笑のままに息を引き取られたとお聞きしている。やさしいばかりではなく芯のしっかりした、信念に貫かれている方だった。告別式で、教えられた一言一言を思い出すごとに心が洗われていくのがわかった。いまだにその方がいなくなったという実感を持てないでいる。亡くなられてまだ日が浅いせいか、いなくなってはいないという感覚がある。

 

⏰22時16分

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