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きょうのことば「麗しの一片(ワン・ピース)

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年94()の礼拝のおことばをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 「麗しの一片(ワンピース)  (國光勝美 牧師)
引証聖句 エペソ人への手紙4713
7 しかし、私たちは一人ひとり、キリストの賜物の量りにしたがって恵みを与えられました。
8 そのため、こう言われています。「彼はいと高き所に上ったとき、捕虜を連れて行き、人々に贈り物を与えられた。」
9 「上った」ということは、彼が低い所、つまり地上に降られたということでなくて何でしょうか。
10 この降られた方ご自身は、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方でもあります。
11 こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。
12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。
13 私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。

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 このおことばは、ずっと恵みのように心の中にあるのです。これを今日皆さん方にお分かちさせていただき、麗しいワン・ピースの意味をくみ取っていただければと、そんな思いでおります。
 ここに、「見よ」ということば、そしてもう一つ「必ず」ということば。つまりこのおことばは非常に力強い「見よ」「必ず」そういうことばによって始まっているおことばです。じゃ何を強調しているのか。「わたしは」、もう一つ「わたしは」。そうだ、神様がなさる。「わたしは」という主体をしっかりと覚えておきたい。神様が行ってくださる。神様が設けて下さる。何を。「新しいことを」。そして、「いま、それが芽生えている」。この始まろうとしているということばが、思い浮かんでいたのですけれども、改めてこの2017の新改訳のことばでいうと、「今、それが芽生えている。」。始まろうとしていることの別の表現で「芽生えている」。何かもっといのちがそこに暗示されている。「荒野に道を」設ける。「荒れ地に川を設ける」。深く教えられました。今私たちには直面している大きな変化、課題があるでしょう。しかし、これがなかったのならば、おそらく今、起こりつつあることがらは、なかったのではないかと私は思うのです。

 思いますと教会の開拓の時から、これは何でも牧師が中心となって、牧師が率先していろんなことをするという方針があったようにも思いますけれども、それはそれとして、むしろ皆さん方の方から見るならば、良い意味で遠慮されて、ここは牧師の生活の場所だから、まさに開拓したときからまさに聖別の場所が集会のときには大急ぎで物を片付けてそこが集会所になることの繰り返しから始められたということなどから、これはもう致し方ないような遠慮されるところから皆さん方が集われたことなども振り返りながら、そんな体質がいつの間にかあった。しかし今、牧師主導ではなく、皆様の側から各々ができる役割の申し出が立て続いています。私ほんとうに嬉しいなと思いました。いよいよ教会が皆様方にとって来やすく集まってくださるような場所になるはずです。それだからこそ慎重にしなければならないことは当然あるでしょう。しかしここに新たな展開が始まっています。皆さんが自分の可能な所を担って、ワン・ピースとなってこの教会の運営に参画してくださるという新たな動きが今もたらされております。

イザヤ43:19
見よ、わたしは新しいことを行う。
今、それが芽生えている。
あなたがたは、それを知らないのか。
必ず
わたしは荒野に道を、
荒れ地に川を設ける。

※説教中のポイントのみを書かせていただきました。
データはズームで録りました。
文責:中ぶんな
⏰8時30分更新



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