きょうのことば「聖言(みことば)とわたし」
インマヌエル盛岡キリスト教会2022年8月28日(日)の礼拝のおことばをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕をしておられます。
説教題 「聖言とわたし」 (國光勝美 牧師)
引証聖句 詩篇119篇105節ペテロの手紙 第一 4章7~11節
あなたのみことばは
私の道の光です。
「道の光」は今踏みだす一歩を危険から守ってくれる照らす光です。「道の光」は私たちがどこに進んでいったらいいのか、行くべき方向を示してくださる光です。「あなたのみことばは、わが足のともしび、わが道の光」は、私たちの一日一日、つまずかないように導いてくださる。このおことばが、私たちの地上における最終のゴールである天の御国に過つことなく導いてくださる。どうかこの神様のおことばを、きょうの道の光、足のともしび、そして私の生涯の道の光として、皆様方も一緒にみことばと共に歩んでいただきたいと心から願いながら、今日は、私はこれまでの牧師としての歩みを顧みております。自分のことをどこか隠しだてしておく方が、どこかミステリアスなのかもしれませんが、少なくとも私が牧師としてあるときに、私は、ありのままの姿を隠さないで提示する、そういう生き方が私らしいのだろうと思いました。
私は聖書的な背景がないところからお救いに与って、厳密にいうのならば、聖宣神学院に入学する資格のないままに入学が許された者です。聖宣神学院に入学するには信仰生活、教会生活を2年は行った者という規則があります。ところが私は1年11か月、それにすこし届かなかった。でも入学が許されて3年間の学びをいたしました。
今にして皆様方には申し訳ないと思うのは、私にもっと多くの知識があったのならば、さまざまお話ができたのになあという思いがございます。それから、私の未熟さ、人間的な未熟さ、失敗ということもありました。今でもあります。
それは牧会ということが何なのかを知らないままに牧師として盛岡の開拓をさせていただいたことです。何よりも人間的な未熟さがあった。おとしを召され経験を積んだ方々には歯がゆいこともあったのではと、ほんとうに申し訳ないようなことがいっぱいありました。
それでも私が一つこれだけは言えると思ったのは、私は私の受けた福音というものを過つことなくお伝えしてまいりました。そのことには自負をもって私は証しをさせていただきたいと思うのです。こんな未熟な者が講壇に立ってお語りさせていただいた福音ですけれども、この福音を信じて間違いがあったということは絶対にありませんと、私の受けた福音を精一杯お伝えさせていただいたという思いを持っております。
だからこそ、こういう角度から聖書を思い巡らしますと、パウロがガラテヤ人の手紙だとか、そのほか幾つかの牧会書簡に記したことが実感としてわかります。パウロが自分の命が危うくなってきたときに、「この福音によって」、と言っていることの意味が、ああなるほどと分かってきました。
ガラテヤ書を見ますと、牧会者に会衆との別れが差し迫ったときに、どういうわけか教会に誤った福音、異端的な教えが入って来てしまった。そしてそこに、「私はパウロにつく、いや私はイエスにつく」などというような混乱、分裂が生じたとき、パウロはきっぱりと言っています「たとえ天使であったとしても、私に反する福音を伝える者は呪われるべきだ」と。パウロがこのように言っている気持ちがよくわかるのです。
「この福音によって救われる」。過つことのない純粋なこの教えに堅く立っていただきたい。この辺りで言いますと、タラッパンというカルト的な〝宗教団体〟が存在します。彼らは自分たちがカルトだと言ってはいない、自分たちこそほんとうだと言っているところが問題なのですけれども。つなぎにあり、東北の拠点となっている。このタラッパンが、従来の福音的な教会に混乱を来たらしています。どうかこのようなことに惑わされることなく、純粋に、「ただ福音によって救われる」ことを銘記いたしましょう。
―この項目では、盛岡開拓当初、段ボールをテーブル代わりにして食事をしたことに始まる清貧を貫き通した牧師一家の経済がどうであったかが証しされました。しかしながら神は与え養い会堂建設の費用も不思議なようにその必要が満たされ、最後にはローンの完済が早められるように資金を投入くださる方が現れるなどして、ローン返済は滞りなく早められて完了しました。
この部分はブログの筆者による書き込みですが、教会の指導者がどのような暮らしぶり、あり方をしているかは、それがカルトであるかそうではないかを見分ける一つの方法であると思われます。また教会会計が明らかにされているかいないか、使途不明部分があるかないか、これも見極めるべき点かと思われます。会計が明快であるか否か、これも大きな一つのバロメーターかと思われます。ー
「我は全能の神なり 汝我前に歩みて完全かれよ」 創世記17:1
この日は45分ほどの説教でした。信者の為に牧者の個人的な体験も話されましたが、ここでは割愛いたします。
※以下の写真は筆者の自宅に於けるズーム礼拝のようすです。
⏰台風被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げるとともに、引き続きお祈り申し上げます。
ウクライナ、アフガニスタン、心が痛みます。難題に解決の道がございますようにお祈り申し上げます。
7時5分更新
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