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2022年9月

220930クラシック倶楽部を聴く 出田りあ 華麗なるマリンバの響き

パリ・コンセルヴァトワールで学び、2003年第1回パリ国際マリンバコンクールで第1位を受賞した、日本を代表するマリンバ奏者 出田りあ の演奏をお届けします。【演奏】出田りあ(マリンバ)、松岡優明(ゆうま)(ピアノ)【収録】2022年7月22日武蔵野市民文化会館大ホール
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出田りあ コメント
 私が6歳の時に父が木琴をする?と訊いたのが最初だったんですけど、4オクターブ半ぐらいが、ドーンと届いて、私の目線の高さに鍵盤があって、たたくと、ウ~ンとちょっと揺れるわけです。その揺れが何とも楽しくて、自分の体を使って弾きたい音の場所に行って鳴らしてというその動作自体も好きだったんだと思います。この楽器でやっていこうと思ったら、次はレパートリーが少ないぞということに気づくんですね。マリンバの曲を探すにしてもほんとに限られていて、この楽器の魅力を引き出せるようなアレンジをしよう、それで始めたんですけれども、それで、最近は、魅力として何にでもなれる、何色にでも染まる、誰とでも仲良くできるというような楽器なんじゃないかなとようやくこの楽器悪くないんじゃないかなと思えてきてます。
 今後、未来に残す名曲を書いてもらえるほどの楽器だと私は思っているので、そのためには、まずこの楽器の可能性を作曲の方々に示すことも必要だし、この楽器を好きになってもらうこと、お客様にも。そうすることでこの楽器のための曲が生まれる、そしてこの楽器が途絶えずにずっとずっと続いていくことができればなと思います。
 私が18歳でパリに留学をして、最初ついたエリック・サミュ先生は、パリのコンセルバトワールのマリンバ科の先生なんですけれども、私が入った当初、作品の作曲を進めてらして、私が入って来て、この子にこの初演をさせたいと思ったそうで、「もう曲を作り始めてしまったけれども、りあのことを思って続きは書くからね」と仰って、たとえば2楽章の中にちょっとアジアチックなところが出てくるんですね。そこは私が日本を懐かしんでいるところと仰っていて、そしてタイトルにシュガーとリアを合わせて「シュガーリア」にしてくださいました。くるくるくるくる変わっていくんですね。あとその音楽的要素もフランス音楽かと思ったらラテンが出てきて、ラテンがあったと思ったらジャズが出てきて、、もうほんとうに現代音楽を聴いてるとか、もうほんとうにそういう意識なく何も壁がなく、いつの間にか体がもしかしたらリズムに合わせて動くかもしれない、なんかすーっと人の心に入って行けるような魅力があるんだなあというのは私も人前で弾いてみて再確認しました。

【曲目】
☆組曲「マ・メール・ロワ」から(ラヴェル/出田りあ編)
☆亡き王女のためのパヴァーヌ(ラヴェル/出田りあ編)
☆シュガーリア(エリック・サミュ/出田りあ編)
  第3楽章まである。流れて、繊細、軽妙。
☆アヴェ・マリア、(ロバート・プライズマン/出田りあ編)
☆カヴァティーナ(スタンリー・マイヤーズ)
☆天使の死(ピアソラ/出田りあ編)ほか

☆ニュー・シネマ・パラダイス(モリコーネ)

☆雨にぬれても(バカラック)

 

 

🎧名曲アルバム。
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作曲者は大中寅二

⛳8時12分更新

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220929クラシッククラブを聴く グザヴィエ・ド・メストレ&ルセロ・テナ

220929クラシッククラブを聴く グザヴィエ・ド・メストレ&ルセロ・テナ
テナのカスタネットが奏でる歌をメストレのハープがやさしく包みこむ。スペインの音楽に新しい息吹を感じさせるデュオ。ふたりの放つ華やかな音が聴衆を引き込んでいく。【出演】グザヴィエ・ド・メストレ(ハープ)ルセロ・テナ(カスタネット)【収録】2019年10月8日 紀尾井ホール
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グザヴィエ・ド・メストレ:フランス出身。9歳からハープを学び、16歳でパリ・ハープコンクールで優勝。1996年バイエルン放送交響楽団のソロ・ハープ奏者として入団。1998USA国際ハープコンクールで優勝したのちに、25歳の若さでウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のソロ・ハープ奏者に就任。ソリストとしても世界各地で活躍。高い演奏技術が生む情感あふれる豊かな響きで聴衆を魅了。
ルセロ・テナ:メキシコ出身。舞踏家としてメキシコとスペインで活躍したのちに、カスタネット奏者として世界中で活動。カスタネットをオーケストラ曲のソロ楽器として演奏する独自のスタイルを生み出し、カスタネット・ソリストと呼ばれる。これまでのロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、スペイン国立管弦楽団など多くのオーケストラと共演。世界各地で話題となる。

コメント(概要)
グザヴィエ・ド・メストレ:大好きなスペイン音楽を録音したいと思いました。ハープはスペイン音楽と相性の良い楽器です。旋律を奏でるハープはカスタネットと絶妙な対比を生み出します。カスタネットの躍動感と色彩が理想的なハープとのデユオとなります。ルセロと共演するのは心強いことです。彼女は曲を熟知しているので、頼りになる存在だとわかっていました。だからふたりで音楽を作るのは当然なことです。予想以上の成果がありました。
ルセロ・テナ:彼は古典的なギター曲をハープに編曲しています。それらはとてもすばらしいです。だから彼とデュオを結成しました。お互いにとてもうまくいっています。
グザヴィエ・ド・メストレ:ルセロのカスタネットはいろいろな音が出ます。打楽器ではなく歌うのです。今回は曲名がスペインの地方や町の名なので音楽で旅をしているようです。演奏会では皆さんをすばらしい旅に連れ出しスペインの情緒や風景を感じてもらいたいです。
ルセロ・テナ:彼と共演できるのは、光栄で嬉しいことです。
私は舞踊家としてさまざまなスペインのダンスを踊っていました。それはとてもよい時代で幸せでした。以前から私はカスタネットに愛着がありました。だから踊るのをやめてカスタネットに集中しました。今はカスタネットの演奏に幸せを感じています。

曲目
マテオ・アルベニス:ピアノ・ソナタ ニ長調 Op.13*
ヘスース・グリーディ:古いソルチコ
   バスク地方のソルチコという民族舞踊が取り入れられている。
イサーク・アルベニス:12の性格的な小品集Op.92より 第12「赤い塔」*
イサーク・アルベニス:スペイン組曲第1 Op.47より
          第1「グラナダ」          
イサーク・アルベニス:スペイン組曲第2 Op.97より
          2「サラゴサ」
   サラゴサは聖母信仰の中心地

イサーク・アルベニス:スペイン組曲第1 Op.47より
          第5「アストゥリアス」*
   フラメンコ・ギターの奏法が取り入れられている
アントニオ・ソレール:ハープ・ソナタ ニ長調*
   ソレールは聖職者、作曲家、鍵盤楽器奏者
エンリケ・グラナドス:スペイン舞曲集 Op.37より 第5「アンダルーサ」*
   アンダルーサ、原曲は1890年に完成したピアノ曲集
マヌエル・デ・ファリャ/マルセル・グランジャニー編:歌劇《はかなき人生》より スペイン舞曲第1*
   民族的旋律のダイナミックな展開
*
はカスタネットとのデュオ

🎵スペイン音楽に通じるお二方の共演。カスタネットという楽器、実は楽器の仲間だとも思ってはいなかった。それがテナの経歴から、世界の名だたるオーケストラとの共演を果たしている。メストレが「テナとの共演は予想以上の成果をあげた」といっていたが、聴衆の反応という以上に音楽世界観が拡張されたといったことかと。はじめは何かそぐわない感じが。ソレールの「ハープ・ソナタ ニ長調」のあたりで、カスタネットが遠景として響くか、一部が近景のように、それも魂のどこからか湧き出るように響くのかを聴き分けようとしてみた。「古いソルチコ」や「サラゴサ」のハープのソロはギターでこの曲を聴くよりも優しく穏やかで深いのだが、これがカスタネットとのデュオとなると、カスタネットが有無をいわさぬ響き、ときとしては傍尺若無人に聴こえもする。カスタネットという楽器の自己主張の強さを知らされる。たぶん楽譜はなく即興演奏、あうんの呼吸での即興演奏であるかと思いながらソレールの「ハープ・ソナタ ニ長調」を聴いてみると、リズムの近似性からか、何か両者が風土に自然に相和している、互いの機微を掴み巧みな即興が繰り広げられていると。ハープ奏者が男性であることも意外だったけれども、異色のデユオ。一般の楽器からは作曲者により近づこう、或いは試行錯誤、幾多の研鑽の結果としての響きが感じられるが、カスタネットからは他の何ものにも左右されない動かざる確信、これぞわたしの魂と湧き上がるような情念も感じられる。それと同時にハープの繊細な部分にも繊細に寄り添える打ち方にも気づかされた。
 テナのカスタネットは歌うという聴き方もあるとは思うが、踊りの一部始終を視覚のうちに具現してくれると思われた。
 それにしても、ハープの外枠の曲線の美しさ、これはそれぞれの音を響かせる弦の並びによっているわけで、この作り出された自然の妙を思わないわけにはいかない。

🎧名曲アルバム。インガルス作曲、三角錫子作詞「真白き富士の根」、丸山和範
メゾ・ソプラノ林美智子、現田&東京フィル
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明治43年七里ガ浜の逗子開成学園の生徒12人の男子学生を乗せたボートの遭難を悼む。逗子に保養に来ていた三角錫子が報に接し、心を痛めてすぐに作詞し、インガルス作曲の讃美歌にのせてこの歌を作った。
🎵この歌について、やはりもうすこし詳しく、それにインガルスってどんなひとだったかなと調べた方があったらしい、そのページがこちら

⛳6時33分更新

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220928 クラシック倶楽部を聴く 関西から世界へ! 葵トリオ

関西出身の3人で2016年に結成されたピアノ三重奏団「葵トリオ」。ピアノ三重奏団として定期的に活動する楽団は日本ではめずらしい存在。2018年難関・ARDミュンヘン国際コンクールで優勝(日本人初の団体優勝)、国内外から注目を集める3人の「現在」を演奏とインタビューでお届けする
【出演】葵トリオ
ピアノ・秋元孝介は兵庫県出身。バイオリン・小川響子とチェロ・伊東裕は奈良県出身。
【収録】2022年6月7日 NHK大阪ホール

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コメント
小川響子:関西弁で弾くなよと語尾を歌いすぎると関東の方から言われる。
秋元孝介:関西弁で(3人)そろってるからまあいっか。
Q
ミュンヘン国際コンクールへの挑戦
小川響子:コンクールの課題曲って、すごいほんとに古典のハイドンから現代曲で、取り組むことで、こんなにたくさんのレパートリーがあるんやとか、ピアノトリオの魅力というのを、自分はコンクール前の自分時間ですごく知ることができて、
秋元孝介:一人のソリスト的なものと弦楽四重奏みたいな一体感とあとはオーケストラみたいな、もっと壮大な世界も3人で作ろうと思えば作れるというそういうすごく振れ幅の大きいジャンルなのかなあと、ピアノトリオは。
伊東裕:ミュンヘン国際コンクールでは、頑張って数か月きちんと取り組んだことを評価していただいて本当に嬉しいという気持ちだけだったんですけど、何年かたって今すごく感じてることは、やっぱりコンクールの責任というのも、この分野を開拓していくようなせきにんというものもやっぱり伴ってきてるのかなと最近思ってます。
―まだまだ知られていない三重奏曲を広めたいと葵トリオ。聴き手の心をつかむこの編成ならではの理想の音を追及し続けているー
小川響子:自分がここのところをこう弾きたいというのが最優先事項ではないというか、その音楽が何をもとめているかというのをいつまでも追及し続けられるそういう部分がトリオの魅力となればいいなというふうに思いますね。葵トリオのサウンドというものをやっぱりもっともっと追及して確率していけたら、一生かけて。

―今葵トリオが特に力を入れているのが、ふるさと関西での演奏活動です。2261日は小川さんの母校である奈良県の高校で、高校生に向けた演奏会を行う。このときにはロシアの作曲家アレンスキーのピアノ三重奏曲。これはダヴィドフというチェリストが亡くなったときの追悼に作曲されている。―
伊東裕:自分は大学から東京に出たんですけど、すごくびっくりしたのが東京って毎日コンサートが34つあるんです。できるだけやっぱり関西で演奏会をたくさんして、クラシックを知ってもらったり、自分たちもやっぱりたくさんの演奏会を増やせる一員になれればいいなと思っています。

 

 

【曲目】
ピアノ三重奏曲 ハ長調 Hob.XV-27から第3楽章(ハイドン)
 葵トリオがミュンヘン国際コンクールの1次予選で演奏した曲。
 数多くのピアノ三重奏曲を残したハイドンの最後期の作品。ピアノと弦楽器が技巧的な   モチーフを交わし合いオーケストラさながらの充実した響きを作り出す。
ピアノ三重奏曲 変ロ長調 D.898 から第2楽章(シューベルト)
 シューベルトの死後に出版されたこの作品は今ではピアノ三重奏曲の重要なレパートリーとなった。歌曲王と称されるシューベルトらしい歌のようなメロディーと転調の美しさが味わえる。
ピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調 作品32(アレンスキー)
1861年ロシア生まれのアレンスキーの曲。ラフマニノフやスクリャービンの師でもある。哀愁を帯びた旋律や和声など、アレンスキーの作風が生かされた代表作。

🎵朝比奈は今でもよく聴くけれども、大阪局制作番組は久方ぶり。ステージの明るさが飛び込んできた。関西弁は元気がいい。関西人がいるとそこいらじゅうの空気、空間を占有しているかにこの田舎人には思われる。今また耳にしながらこの部分を書いている。この気合い、気魄ある感性に通り良い演奏が厳しい審査の網の目を潜り抜けてきたものらしい。

🎧名曲アルバム。グリーグ「ペールギュント 朝」
(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団,(指揮)矢崎彦太郎

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⛳外は夕闇が下りようとしている。朝の5時ごろの薄闇といったらいいか。17時41分更新

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220927 クラシック倶楽部を聴く 加納悦子 近代ドイツ歌曲を歌う

日本を代表するメゾ・ソプラノ加納悦子。オペラや歌曲など幅広い分野で活躍する加納が、ドイツ歌曲の詩の魅力を届けたいと自ら選んだ近代ドイツ歌曲の演奏を紹介【演奏】加納悦子(メゾ・ソプラノ)、井出德彦(ピアノ)【収録】2022年2月24日 彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール-番組紹介よりー

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コメント
やはりシューベルトの歌曲などは聞いていて、すごく明快で和音の展開の仕方とかも非常にきれいで、起承転結はっきりしているけど、今日のプログラムのは、もしかするとそういう観点から見ると、ちょっととめどもない感じになってしまうかもしれないけど、やはりまあ20世紀の人間として思えば、やはり生きざまとか生きていることとか世界で起こっていることとか、そんなに簡単に解決できるものでもないし、だいたい歌われているものがほとんど恋愛のものではないんですよね。やはり20世紀は男女の愛を語るというより何かもっと違うものを語りたくなってきた。作曲家もそうだと思うし、私たちもそうじゃないかなと思うので、私はこういう時代の作品にとても傾倒しています。

【曲目】
これはひとつの歌(ウェーベルン)
夏の夜(ウェーベルン)
モーリス・メーテルリンクによる6つの歌(ツェムリンスキー)
ヘルダーリン断章(アイスラー)
ヘルダーリンによる「四季」から 春(ロイター)
ヘルダーリンによる「3つの歌」から 運命の女神に寄せて(ロイター)

🎵「モーリス・メーテルリンクによる6つの歌」、あるブログによると、「宿命感や死への諦観がこの作品の中にはみることができる」と。市の理解、曲の解釈に置いて深い方であるようだ。確かに奥を見透かしているような、奥にあるものに視点がぴたりと定まっているような響きが随所に。こうした楽曲の理解も、加納さんが自ら訳をなさっていることも、その深さにつながっているのではと。


🎧名曲アルバム。「グアンタナメラ」フェルナンデス作曲/塩谷哲・編曲

(トランペット)松島啓之,(ピアノ)塩谷哲,(打楽器)カルロス菅野,伊達弦,(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団,(指揮)沼尻竜典
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⛳きょうは加納さんが歌っている間に網走に震度3があったけれども、同時に窓の外をふと見ると、こんな朝焼けも
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毎年のハックルべリー2キロのジャムづくりがあり、またさまざまな用事があり、訃報も入ったきょう、更新もこんな時間になってしまった。22時16分更新


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220926 クラシック倶楽部を聴く 櫻田亮 イタリアを歌う

東京芸術大学教授でバロックオペラや歌曲の分野で世界的に活躍を続ける櫻田亮。円熟期を迎えた櫻田が自ら選曲したイタリア歌曲の名曲の数々をお届けする。【演奏】櫻田 亮(テノール)、古藤田みゆき(ピアノ)
【収録】2022年2月24日 江東公会堂 ティアラこうとう大ホール

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コメント
やはり僕はイタリヤで長くイタリヤ語で歌うことを勉強してきましたので、せっかくこういう機会をいただいたので、まずは自分がイタリヤ語を駆使して表現をする演奏をするというプログラムを組みたいと最初に思ったんです。徐々に時代が進むようになっておりまして、前半ではイタリヤ古典歌曲集からスタートして、ベルカントの作曲家の作った歌曲、それから19世紀後半20世紀初頭にかけてのイタリヤの近代歌曲というものですよね、そのイタリヤの近代歌曲の創始者のひとりと目されているトスティまで。時代が進むにつれて徐々にドラマティックな要素が増えていく。そういうふうに表現の幅がどんどんどんどん変わっていくというか、その曲のようすというんですかね、曲のそのキャラクターというものも少しずつ変化していく、そういうプログラムになればいいなと思って。

 

【曲目】
麗しのアマリッリ(カッチーニ/パリゾッティ編)
いとしい絆よ(ガスパリーニ)
ガンジス川に太陽がのぼり(スカルラッティ)
カロ・ミオ・ベン(ジョルダーニ)
麗しのアマリッリ(カッチーニ/パリゾッティ編)


燃え立つ情熱(ベッリーニ)
優雅なる月よ(ベッリーニ)
喜ばせてあげて(ベッリ ーニ)
お願いだ私の愛する美しい人よ(ベッリーニ)
ああ私の愛する人の(ドナウディ)
いつまた君に会えるだろうか(ドナウディ)
おもかげ(ドナウディ)
そうなってほしい(トスティ)
夢(トスティ)
きみなんかもう(トスティ)
最後の歌(トスティ)

 

🎵取り上げの順番がおもしろく、比較的時間にもゆとりがあったのでぜんぶ記してみた。内容はすべて愛の歌なのだけれども、スカルラッティの「ガンジス川に太陽がのぼり」だけは自然の輝きを身に浴びるようすが彷彿とし希望が感じられるので、歌詞を一部拾ってみる。ガンジスといえばあの赤く濁った水、濁流。その最中に美しさ、醜悪、腐敗、とにかく人の営みから生じるありとあらゆるもの、人の営みの最初から最期までをも受け取り受け容れ流し去るというイメージが強くある。それがスカルラッティが音に生じさせたガンジスのイメージには強く興味が引かれた。

どんどん明るく光り輝き
そして夜明けのすべての滴を拭い去る
すでにガンジス川に太陽がのぼり
明るく光り輝く
どんどん明るく光り輝く
金色の光で
あらゆる草木を輝かせる
あらゆる草木を
宝石のように輝かせる
そして空の星たちを草原に描く

 底にある人間の現実が見えるとき、この詩は宗教的な大きな受容を思わせる。ほんとうに生きとし生けるものがみな輝く、そんな思いがこめられていると私には思われた。

 

🎧名曲アルバム「おやすみアイリーン」レッドベリー作曲/挾間美帆・編曲

伝説のフォーク歌手レッドベリーの名曲。暴力沙汰で度々投獄された荒くれ者が、民謡研究の第一人者と出会い、フォークソングの魅力を広めていった波乱万丈の人生を描く。
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伝説のフォーク歌手レッドベリーはルイジアナ州で活躍。彼は暴力沙汰でアンゴラ刑務所にいた時期があった。囚人たちに歌われている古くからの労働歌を取材しに現れたのがアメリカ民謡研究の音楽学者ジョン・ローマックス。彼はレッドベリーの音楽の才能に驚き、釈放を州知事に請願。フォークソングが注目され始める中でレッドベリーは一躍指導的な存在となる。レッドベリーの死後にピート・シーガ―が歌ったこの曲は全米1位に輝いた。

どん底にある一人でも引き上げ光を与えたローマックスに感激!


⛳7時2分更新


 

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きょうのことば「喜びの福音」

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年918()の礼拝のおことばをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 「喜びの福音」  (國光勝美 牧師)
引証聖句 テサロ二ケへの手紙 第一 51618
16 いつも喜んでいなさい。
17 絶えず祈りなさい。
18 すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。


きょうのメッセージは

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「エホバを喜ぶ事は汝らの力なるぞかし」(文語訳)

※画像は教会からお借りしています。
きょうは諸事情からこのように簡略となりましたが、説教の時間はだいたいいつもと同じ40分ほどでした。この日は私もズームではなく教会に出席しました。きょう生きる力は神を喜ぶ、神のご存在を認め喜ぶところにその力が流れ込んでくる。このように思われたこの朝です。
⏰6時32分更新


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竹製の弦楽器

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 竹で作られた弦楽器が紹介されていた。この楽器の製作に携わっている藤田宙さんは、目や耳が過敏で人の声が気になり、ふつうの場所だと生活が送りずらいのだそうだ。それがこの竹製の楽器とは相性がいいらしい。この楽器にはそのような方々、神経過敏だという方々に音の優しさがあるのだろう。
 多くの楽器が生まれては廃れてしまっているけれども、この楽器の特性を生かす曲、この楽器でなければならない曲をどなたかが作ってはくれないものかと思わせられた。

 

19時55分更新

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220923 クラシック倶楽部を聴く ピアニスト三浦謙司 音楽は心の中に

 三浦謙司は1993年神戸市生まれ。13歳で単身渡英。ロンドンのパーセルスクールに入学。その後ベルリン芸術大学やハンス・アイスラー音楽大学で学ぶ。2019年にロン・ティボー・クレスパン国際コンクールで優勝。バッハと彼に影響を受けた作曲家たちの名曲を取り上げた演奏をお届けします。
【収録】2022721日、かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール(東京・葛飾区)
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コメント
 バッハというのは、宗教的でまじめで堅苦しい音楽だみたいな偏見が存在していて、それがすごく嫌で、バッハというのはほんとうに愛であふれているすごくドラマチックであるし、すごくユーモアにあふれているし、もっといろいろな魅力が詰まっている作曲家だなと思って、なのでワーグナーみたいなものすごくスケールが大きくドラマチックな作品の隣に置いてもぜんぜん負けないような魅力があると僕は思って、敢えてこういう曲の並び方をしました。
 ―コンクールで華々しい結果をのこしめざましい活躍を続ける三浦さんですが19歳の時にベルリン芸術大学を中退し、およそ1年半ピアノから離れた時期がありました。―
なぜ自分が音楽をやるのか、何事も極める人たちというのは、だいたい子どもの時からそれをやってきて、子どもの時からやってると周りよりはうまくなる。うまくなるとどんどん道が開けていく。その川に流れていくような生き方がすごく嫌だったというのがあって、で、ピアノなんて弾く人はいくらでもいますし、僕よりうまい人なんていくらでもいるし、僕がピアノをやめたところで世界は何も変わらない。じゃ何のためにやってるのかという時に答えがわからなくて、で、答えが見つからないとなったときに、そんな生半可な覚悟では音楽に対して失礼だなと僕は思ったので、答えを見つけるまでピアノには触らないと思ったのがやっと19歳ぐらいの時ピアノをやめて、結果的に1年半ぐらいかかってしまいましたけれども、日本で仕事をしました。飛び込み営業とか、パチンコ屋さんとか、工場で働いたりとか、引っ越し屋で働いたりとかも。力仕事が多かったですけれども。僕は何でもやりたかったし、体を動かすのが好きというのもあるし、稼いでいるというのを体を通して感じられるのが何かすっきりしたという。親しい友人が亡くなって、それが自分にとってすごくショックで。人間なんていつ死ぬかわからないし、お金とかそれぞれの居場所とか、持ち物とか名誉だったり、持ってるものがすべていつ無くなってもおかしくない。絶対というものが存在しないのかなと思ってる。その中で、自分の音楽に対する気持ちは誰にも取られないのかなと思って、だったらどれだけ辛くても、たとえそれが職業として成り立つ成り立たないかは関係なしに自分は自分のすべてをそこに注ぎこむ価値があるなと思いました。

【曲目】
☆イタリア協奏曲 BWV971(バッハ)
 イタリヤの協奏曲を研究していたバッハがその成果として発表した作品。協奏曲の総奏と独奏の効果を一つの楽器で表現した音楽的な工夫が光る。
☆厳格な変奏曲 ニ短調 作品54(メンデルスゾーン)
 バッハを敬愛し再評価に尽力したメンデルスゾーンが32歳で書いた作品。当時主流だった華麗な変奏曲とは一線を画する伝統的な作曲技法への敬意が込められている。
☆イゾルデの愛の死(ワーグナー/リスト編)
  2歳年下のワーグナーの才能をいち早く評価し「ローエングリン」の初演では指揮を務めたリスト。長大かつ難解なワーグナー作品の聴きどころを1台のピアノで演奏し、その普及に尽力した。
☆「ペトルーシカ」から3つの楽章(ストラヴィンスキー)
1ロシアの踊り、2ぺとルーシカの部屋、3謝肉祭の日
 名手ルビンシュタインの要望で高度な演奏技術を盛り込んだという。

🎵イタリア協奏曲は20代に毎日のように聴いていた。学ぶのは何歳からでもというのは嘘ではないと思う。ただ、聴くなら若いうち。若いうちに良いものを何度でも繰り返し繰り返し聴くことは、後々の音楽志向に大きく影響するのは確かだと思われる。「ぺトルーシカ」、冴えのある技巧に胸のすく思い。 

🎧名曲アルバム「グリーンスリーヴス幻想曲」ヴォーン・ウィリアムズ作曲

(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団,(指揮)飯森範親 ~イギリス・ウインザー、ノーフォーク州~
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「グリーンスリーヴス」は、16世紀エリザベス朝時代から知られていたという。ヴォーン・ウィリアムズ作曲のオペラ「恋するサー・ジョン」にこの旋律が織り込まれている。ヴォーン・ウィリアムズは民謡採譜の為にイングランド中央部ノーフォーク州を訪れる。85歳で亡くなるまで作曲を続け、死後、多くの人々に見守られながらウェストミンスター寺院に葬られる。

⛳10時更新

 

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220922クラシック倶楽部を聴く 川口成彦 フォルテピアノを弾く

現代のピアノのほか歴史的な鍵盤楽器で演奏活動を行う。第1回ショパン国際ピリオド楽器コン第2位、2016年ブルージュ国際古楽コン・フォルテピアノ部門最高位、2018年第一回ショパン国際ピリオド楽器コンクール第二位。第1回ローマ・フォルテピアノ国際コン優勝など受賞多数。第3ローマ・フォルテピアノ国際コンクールでは審査員を務める。世界各地の古楽音楽祭にも多数出演。【曲目】「田園風」「無頓着」「傲慢」(ソル作曲)創作主題による32の変奏曲(ベートーベン作曲)ほか【収録】2020年9月17日 府中の森芸術劇場 ウィーンホール番組紹介よりー

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1989年に岩手県盛岡市で出生し、横浜で育つ。東京藝術大学音楽学部楽理科を卒業。大学在学中に古楽器にフォルテピアノに出会い、先輩の勧めでフォルテピアノを中心とした古楽器による演奏活動を開始した[1]。その後、同大学院修士課程古楽科に進学し、大学院アカンサス賞を得て首席修了。アムステルダム音楽院古楽科修士課程を特別栄誉賞を得て首席修了。現在オランダアムステルダム在住。歴史的な鍵盤楽器を用いる。

川口成彦のコメント

ちょうど20歳になるころ、東京芸術大学の楽理科に在学していて、副科実技でフォルテピアノをやることになったんですが、ハイドンのソナタを弾いたときに、今まで現代のピアノで自分が知っていたイメージしていたハイドンとまるで違うものが見えてきて、はじめて古典派の音楽にかっこいいなと心から魅了され、それからどんどん嵌っていきました。昔のピアノというのは川の水のようないろんなものが混ざっているような音色に素朴さというか自然さを感じて、より人の声に近いなという感覚がある。それで昔のピアノって面白いなと思っています。
きょうのこの楽器はジョン・ブロードウッドといって当時のイギリスを代表する製作家の楽器で、それを太田垣 至さんという日本人の修復家の方が2020年に修復されたオリジナル楽器なんです。1800年ごろのものをそのまま現在でも音が出るように新しく修復された楽器です。今回使ったピアノに限っていうと、すごく軽いです。鍵盤数が5オクターブ半。今のピアノに比べるとすごく少ないです。それから中の弦が平行に張られている。パラレルスプリング、平行弦というんですが。平行に張られているのが特徴です。きょうの楽器はこれ(つまみのようなものですがよくは見落としました)がついていて、つまりこれをスライドすると、2本弦にしたり、1本弦にしたり。弦が3本張られているのが1本弦までできる。ペダル、右のがダンパーで音を響かせるやつですけれども、当時の楽器は1本弦、2本弦、3本弦と変えられたんですけれども、現代のピアノは2本弦までというのも大きな違いです。スペインの楽器の歴史というのは非常にイギリスのピアノの製作の影響を受けていて、スペインからイギリスに楽器製作を学びに行った人もいたり、マドリードの王宮にはブロードウッドがあった。で、それがいまボストン美術館にある楽器なんですけれども、イギリスの楽器って豪快さもあるんですね、派手さがあるというか。スペインのピアノ曲というのも、ギターからインスピレーションを受けたような表現も多いので、あとはスペインの民族的な歌だとか舞曲だとか、ピアノ音楽でそういうのを取り入れるにあたってもジョン・ブロードウッドの楽器、イギリス系の楽器というのは、スペインの作曲家たちにインスピレーションを与えたんじゃないかなと思います。

ベートーベンというのは、モーツァルトやハイドンに比べると、より一層楽器の限界を突破しようとした人なんだなというのを、やはり当時の楽器を弾いてみるとすごく感じます。最大限の自分のマキシマムなエネルギーをピアノと言う楽器に向けていた作曲家だなと思います。「月光」ソナタの第3楽章を当時の楽器で弾くともう崖っぷち状態にいるような緊迫感がすごくありますね。もう楽器も壊れるんじゃないかというぐらいのエネルギーがあって、ドナルド・ブラウティハム(オランダを代表する演奏家)さんという人の「月光」の録音が大好きなんですけれども、聴衆としてそれを聞くともう椅子にしがみつきながら聴きたくなるような崖っぷち状態。これは現代のピアノではなかなか表現できない世界。現代のピアノはもうどんな音を出しても余裕で大らかに受け止めてくれるので。ベートーベンがいかにその楽器の限界突破に挑もうとしていたか、未来志向だったのかなと思います。きょうの楽器というのは、「熱情」ソナタとかの時期とかの楽器ですけれども、これで「熱情」の3楽章とかも弾きますと、やっぱり限界値に到達、連れて行ってくれるといいますか、その白熱するエネルギーというか、その時にベートーベンって凄まじいエネルギーを持っていた人間なんだなと思います。

曲目
「アリア ニ短調」アングレス:作曲
ラファエル・アングレス(17301816) 176221日にバレンシアのカテドラルのオルガニストとして就任し、86歳で死ぬまでその職を務めたということです。オルガニストの職と共に、グレゴリオ聖歌の指導をしたり、他の楽器の楽団員の審査員をしたりもしました。(全てニューグローヴ音楽事典からの情報です。アングレスに関する面白いネタ話はなかなか見つかりませんでした川口成彦の頁からー
「スペインのファンダンゴによる変奏曲」ロペス:作曲
フェリックス・マクシモ・ロペス(17421821)
「ソナタ ニ長調」アルベニス(1755~1831):作曲
1790
作曲。サパティアードの影響。スペイン舞曲の影響。
ファンダンゴ風メヌエットによる変奏曲 ニ短調」ロペス:作曲
カスタネットとギターで踊るファン・ダンゴの影響。
「田園風」ソル:作曲
フェルナンド・ソル(17781839)
「無頓着」ソル:作曲
☆「傲慢」ソル:作曲
☆「アンダンテ・ファボリ」ベートーベン:作曲

もともとワルトシュタイン・ソナタの中間楽章として書かれたが、冗長になるのを恐れて独立した楽曲にした。1803年から1804年にかけて作曲され、1805年に出版された。章の構想であったのをソナタには組み込まれずに独立した作品として1805年に出版された。
「創作主題による32の変奏曲 ハ短調」ベートーベン:作曲

1806年に作曲したピアノ独奏のための作品。

作曲者36歳の中期に属する作品で、古典的な作曲法と巧みな変奏技法とが見事に一体となった変奏曲である。ベートーヴェンはハ短調には特に名作が多く、交響曲第5番ピアノ協奏曲第3番ヴァイオリンソナタ第7番など、大作が揃っている。

🎵だいたい同年代の作曲家たち。ベートーベンは1770だけれども。アルベニスまではギターの響きのような音色もあり陽気で明るく舞曲のような躍動感。「ファンダンゴ風……」は足を床に打ち鳴らすような響きが心地よい。ソルは練習曲を聴いているような。それがベートーベンで一転。「創作主題による……」、解説、コメントが一層の真実味を。ベートーベンのベートーベンたる所以に満足度もまたマキシマム。


因みにソロ・アルバム「ゴヤの生きたスペインより」の使用楽器は
ジョン・ブロードウッド&サン 1792年製(エドウィン・ベウンク氏修復)…トラック1-3811-14
クリストファー・ゲイナー スクエアピアノ 1780年頃製 (オラフ・ファン・ヒース氏修復)…トラック4-7910

🎧名曲アルバム
角田鋼亮&東京フィル
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セビリアの街

⛳ついでにけさの映像の姫神山。田中陽希登頂。地元じゃないか、載せるならちょっと行って自分で撮った写真を載せた方がと自分でも思わないではないけれども一応。
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9時9分更新


 

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220921クラシック倶楽部の聴き落しが残念 北村朋幹 ピアノ・リサイタル でした。

不覚にも目を覚ましたのが6時。何かすっきりとしないままに、そんな日もあるこんな日もあると、今時間になって、前に聴いた通りを再びコピー。

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  

【演奏】北村朋幹(ピアノ):東京藝大を経てベルリン芸大、フランクフルト音楽・舞台芸大で学ぶ。2005年東京音楽コンクールで第1位の他、浜松国際コン第3位、シドニー国際コン、リーズ国際コンでそれぞれ第5位、ベートーベン国際コン第2位など入賞多数。【曲目】
ピアノ・ソナタ 作品1(ベルク)
ピアノ・ソナタ 第3番 ヘ短調 作品5から(ブラームス)
【収録】2021年3月22日武蔵野市民文化会館 小ホール

コメント
<ベルクのソナタについて>
ロマン派そしてロマン派の終わり、そして現代に向かってというあたりがとても自分にとっては大事な時代なので、意識したわけじゃないですけど自然とこうなんだという感じですね。共通してるのは、とにかく歌の作曲家だということで、歌を歌うということは、とても根源的な音楽的欲求だと思うんです。で、何かをこう言葉じゃなく表現するときに、歌っていうのは自然に出てくるもの。で、それが音楽の基本のところにあるので、とても美しいと思います。アルバン・ベルクベルクのソナタに関して、僕は実は14歳ぐらいのときから弾いていて、それから実は15年以上弾いてる曲なんですけれども、楽譜を見ると信じられないぐらい細かく、一音一音に対してどういう表現をしてほしいかが書いてあって、ぜんぶのの声が歌のフレーズのようになっていく。いろんな人がいろんな歌を歌っているというふうに解釈できるんですけど、いろんな情報の中から何かを選び出して自分で弾かなければいけないというのは、15年弾いていてもいまだに新しい発見がいくつもあるし、ちょっと人生と似てるなと思うんですね。いろんなものがあって、例えば自分で選ばなければいけない。
<ブラームスのピアノ・ソナタ第3番について>
僕がいつも願っているのは作曲家自身がどういう音を聴いていたかということをとても興味があって、聴いていたかというのは実際の楽器に関してもそうなんですけど、その音を僕は聴きたいわけですね。だから楽譜を読み込むし、彼らが書いた日記だとか手紙だとかというのもとことん読むし、あとはその時代の空気というのも勿論想像するしかないんですけれども、そういうものはものすごく重要で、疑似体験ですらないんだけど、でもそれを知っているのと知っていないとでは自分のイマジネーションの幅は大きく変わると思いますし、印刷された音符がどういうことばを語っているのかとかどういう意味なのか、当時どういう意味だったのか、今の時代ではなくて、ということはずっとずっと考えていますね。
 ブラームス、今回演奏させていただくのは、ほんとうに初期の作品で、それこそ恩人であって師匠であるシューマンに出会った頃の作品で、ほんとうにちょうどであった頃の作品で、最終楽章とかはシューマンのアドバイスで書き直したりとかしていて、ほんとうに彼が一歩踏み出すか踏み出さないかのころの作品で、夢も希望もたくさんあって、でも、5楽章で出てくるテーマというのは、Frei aber einsam(自由だけれども孤独)って、それはシューマンと彼の仲間たちと一緒に言っていたモットーなんだけど、それが、だから出会った後、第5楽章書き直した。5楽章でそれが出てくる、それが一つ。この彼の人生のその後を預言しているようなそんな感じもしますね。いちばん特別なのは2楽章で、あの2楽章はもう言葉では言い表すことができないくらい美しい音楽だと思います。

🎵作曲家というのは、永遠に演奏家に突き詰めさせる存在なのか。そこにもそれぞれの演奏家の個性が。

 

   ☆  ☆  ☆  ☆

 

 音楽ではないけれども、田中陽希のきょうのグレートトラバース3は岩手山だった。五葉山、早池峰山、そして沿岸をまわって、今回は岩手山。何度か登ったことがあるけれども、その姿がすっきりと見えていないと何か元気が出ない。きょうは見上げるのではなく、これはたぶんドローンを使っての撮影かと思うが、上空から見下ろした素晴らしさをキャッチ!

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⛳17時18分更新

 

 



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220920クラシック倶楽部を聴く 福間洸太朗 ベートーベンを弾く

福間洸太朗(ピアノ):20歳でクリーヴランド国際コンクールで日本人初の優勝を果たし注目を集める。ベルリンを拠点に、ソロ活動のほか国内外の著名なオーケストラとも多数共演。


【曲目】(オール ベートーベン)
☆幻想曲 作品77 
☆ピアノ・ソナタ第24番「テレーゼ」
☆ロンド・ア・カプリッチョ 「なくした小銭への怒り」 
☆ピアノ・ソナタ第23番「熱情」
【収録】2020715日 すみだトリフォニーホール 小ホールで収録
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福間洸太朗のコメント
 ベートーベンに対して恐怖心というか、恐れていたために、自分には向いていないんじゃないかとか、まだ早いんじゃないかという意識を持ちながら作品を弾いたり取り組んでいたんですけれども、ようやくベートーベンという人間像にすこしづつ近づいているように感じられて、生誕250年というタイミングもあったので、CDを録音しましたし、演奏会でもたくさん取り上げるようになったんですね。彼自身ものすごい向上心と忍耐と勇気を持っていた方だと思うんですね。そういったものを私は彼の音楽を通してつたえたいなと思います。
「幻想曲」に関して言うと、ほんとうにユニークな作品だなあと私は思います。記述によると、「幻想曲ト短調」と書かれている場合もあるんですけれども、ト短調の部分というのは最初の4小節ぐらいしかないんですね。それからどんどんどんどん転調していっちゃって結局はロ長調で終わるんですけども、その調性だけでなく、場面もかなり頻繁に変わりますし、テンポも変わりますし、こう、ソナタ形式とかロンド形式とかバリエーションとか、その当時は形式に則ってその中で自由に冒険しながら音楽を書くというのが通例だったと思うんですけど、ほんとうに自由な作品だなと思います。その中でもベートーベンなりのロジックを立てて音楽を構築してて、最後は一つのモチーフがバリエーションになって盛り上がっていくんですけど、ほんとにこれはユニークな作品だなと思います。
「ロンド・ア・カプリッチョ」について、あまり取り上げられない作品を敢えて取り上げました。やはり生誕250年だけれども、ベートーベンがいかに幅広い音楽スタイルを書いたかということも皆さんに聴いていただきたいなということで選んだんですけれども、「ロンド・カプリッチョ」、これもまた大変珍しい作品ですけれども、オーパス・ナンバーは129といってかなり終わりの方なんですけれども、実は初期の作品で、「悲愴」とかも作られる前に書かれたんですよね。サブタイトルがあって、「失われた小銭への怒り」という冗談みたいなタイトルがついているんですけれども、この曲が全体にアップテンポで、非常に技巧的にも難しいですし、見せ場もたくさんあるんですけれども、全体にはハンガリー風のロマの音楽をモチーフに作られているので、非常にリズミックだし、一人で弾いてるんですけれども、何かこう楽団、ロマの人たちが何人かで一緒に弾いてるという気分で私は弾いています。

 ベートーベンを弾くにあたって難しいのは、感情表現はとても大切なんですけれども、ほんとうにもう細かなところで緻密に音楽が構築されてるんですね。「熱情ソナタ」とかは、たぶん10代の終わり、20代で弾いたときには、とにかく勢いに任せてエネルギッシュに弾くことで満足を得ている自分がいたと思うんですけど、今は全然そうじゃなくて、特に3楽章とか、アレグロ・マ・ノントロッポ、「速いんだけれどもそんなに速くなく」いう指示を私はすごくこだわりたいんですね。勢いに任せてエネルギッシュに弾くんだったらもう指の訓練とその時のフィーリングで弾けると思うんですけども、そうじゃない、どこか抑制しながら、どこか抵抗を感じながら弾くということにすごい意味があると思うんですね。「熱情」というタイトルは勿論そうなのかもしれないですけど、かなり冷静な部分というのも私は大切じゃないかと思います。

🎵激情の表現にも抑制のある方がとおもっていたけれども、今回の「熱情」が何かそれでむしろ奥行、深みが出ていたという感じが。選曲の面白さ、「幻想曲」にはピアノ・ソナタ32番で聴いた旋律も。何か新しい。「失われた小銭への怒り」すっきりと立ち上がった響きが、くぐもった頭脳を洗ってくれた。
 

 

🎧名曲アルバム。「ミサ曲第3番から ベネディクトゥス」ブルックナー作曲
この曲はブルックナーがリンツからウィーンへ移住する直前に書かれたリンツ時代の集大成というべき曲。


交響曲の大家として知られるブルックナーは、教会のオルガニストを長年務めた。彼が弾いたオルガンが今も残る旧大聖堂を中心に、ブルックナーゆかりの町リンツの紹介。
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⛳一とき、風で桐の葉っぱが枝から引きちぎられて、隣家のトタン屋根に散乱したが、昼からは静かで穏やかな空気がもどった。14号、この辺りではさしたるいたずらもせずに通り過ぎて、今頃は太平洋でうやむやになっているかどうか、その後のことはまだ見ていない。
そういえばけさ地震があったようだ。郡馬南部、埼玉北部震度3。
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それが9時過ぎだったが盛岡でも震度2が。これは青森の震度4の波及というか。
地上に台風、地下には異変(凡人にはそう思われる)。

13時55分更新






 

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220919クラシック倶楽部を聴く 角野隼斗 Beethoven Chopin Sumino

角野隼斗は1995年生まれ。2017年ショパン国際コンクールinASIA大学・一般部門アジア大会金賞受賞。18年ピティナピアノコンペティション特級グランプリ。189月から半年間フランス音響音楽研究所(IRCAM)で音楽情報処理の研究に従事。19年リヨン国際コンで第3位を受賞。20年東京大学大学院情報理工学系研究科修了。
自作や即興演奏なども配信し従来の枠を超えた演奏家として注目を集める
【収録】202139日 武蔵野市民文化会館 大ホール

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コメント

ベートーベンの和声の積み方というのは、けっこう、特にこの「ワルトシュタイン」なんかはピアノの音域が広がって、ピアノがすごく進化していったころに作られた曲の一つでもあって、高域、低域というのをガツンと使うみたいなのが多くて、でもそれはそれでベートーベンとしての男性的な力強い魅力というのがあって、そういうのを改めて聴いてみると、あ、すごいカッコイイなと思うんです。ロック的というか、ギターを低弦ですごく鳴らしているみたいな、うんと近いようなカッコ良さを感じるんですけど、なので、そういう曲としてショパンとの対比という意味でも面白いかなと今回弾かせていただきました。
 音楽を届けたい、楽しんでもらいたいというのは、何らかわりはなくて、たぶん、僕もユーチューブとかの活動とコンサートでクラシックを弾くという活動が、もともとぜんぜん別のところにあって、どういうふうに自分の中で両立していけばいいのかなというのをいろいろ考えた時期があったんですけど、でも別にそれは200年前のフランツ・リストとかがやってたことと同じだなと思ったんですよね。昔のその当時のクラシックも演奏するし、自分で作曲アレンジ、即興とかもやるというということに改めて考えて気づいたときに、あ、この二つは自分の中でぜんぜん分けて考えなくていいんだと思うようになって、お互いにいい影響を与え合ってるんじゃないかなとは思ってます。
 ショパンはその音を出したときの響きがすごく輝いて洗練されているなというのを感じるんです。いろいろなところが緻密に考えられているんだけれども、でも、たぶん、すごくインスピレーションというのはだいじにしてて、ショパンだって即興演奏とかはしてましたから、そういうバランスっていうんですか、インスピレーションをだいじにするけれども、そこからそれをちゃんと曲として完成度の高いものに構築していくというところがすごく見習うべきところがあるなというか、自分にとってすごく大きな存在ですね。
 「子犬のワルツ」と「大猫のワルツ」については、そうですね、それ(子犬のワルツ)の逆を行こうというか、子犬の逆は大猫かなあみたいな、その大猫であるのには理由がありまして、ショパンもジョルジュ・サンドが飼っていた子犬にインスピレーションを得ててというはなしがありますけれども、僕の実家で猫を飼ってるんですけど、大きい猫なんですね。大きんだけど太ってるんだけど、すごいジャンプしたり走り回ったり軽々と駆けまわってるんだけど、こう重量感はあるような、そんなようなところから、これも家でそういうのを見ながら即興してて、たところから生まれた曲なんですけども。ロマン派時代のなんか良いセンスはすごいありますよね。で、それにちょっとだけジャズっぽいハーモニーとかリズムを自分なりにちょっとだけ加えてみてるという感じです。
 でも僕はやっぱりクラシックは大好きなんだけど、クラシックを演奏するだけではなくて、今の21世紀、多様なジャンルがあるわけですけど、そういうものと或いはそのどんどん取り入れる中で、こう混じらわせてこう次への世代へと音楽を繋いでいきたいという気持ちは強くて、何かそういうところはずっとやり続けると思います。 

曲目

ピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」 ベートーベン
スケルツオ第1 ショパン
☆ノクターン作品481 ショパン
子犬のワルツ ショパン
大猫のワルツ 角野隼斗

 

🎵え、これが「ワルトシュタイン」? そう思った。一つの打鍵の瞬間に意識はもう次の音に移り、次つぎに音を追い続けてゆく感じが。感情が一つのフレーズに留まり玩味するということが無いかに始めは聞こえていた。ピアノに遊ぶというか、ピアノは彼の遊びの一つなのではと。これを音楽の読みはすでに完了させ一種の超越ととらえたらよいものかどうか迷った。デジタルな音色の探り出しといった感じも。第2楽章の終わりのところで、この感じで次があり得るのだろうかと思ったところで第3楽章。夕景に映えるさざ波を抜き手抜き手で泳ぎわたりゆく感じが。一見、ベートーヴェンの懊悩とは対極にあるかにも見えるのだけれども、それは弾き込んだ末に自らの特性が融合したところの結果であるかもしれない。「スケルツォ」、ワルトシュタインとは一味違う。感情を入れる余地を十分に学び知って後に、その余地を意識的に排しているように感じられた。コメントからそのヒントが。「逆に」。こう弾くであろうことは常道であるが敢えてその逆にといういわば挑戦なのだろうか。「ノクターン」、突き刺さってくるほどに冴え冴えとした部分もあって最後静まり返っていく。「大猫のワルツ」ロマンの作品のような感じが。
 今後の活動については聞いてみたい事項、それを質問し録ってくださっていたが。どんな展開があるか楽しみというよりも興味津々。このような感覚の音楽家はどんな作品展開、或いは演奏展開を辿るのだろう。

 

🎧名曲アルバム。「交響曲 第8番」ベートーベン作曲
(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団,(指揮)小松一彦 
ベートーヴェンが愛したというよりも多くの芸術家たちに愛された温泉保養地チェコボヘミアにあるテプリツェ、そして今一つの温泉保養地カルロヴィ・ヴァリ~

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ゲーテとベートーヴェン、散歩途中にここでばったり。
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ベートーヴェンが愛したボヘミアのもう一つの保養地カルロヴィ・ヴァリ

⛳9時15分更新

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きょうのことば「エマオの道を辿る」

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年911()の礼拝のおことばをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 「エマオの道を辿る」  (國光勝美 牧師)
引証聖句 ルカの福音書241327
13 ところで、ちょうどこの日、弟子たちのうちの二人が、エルサレムから六十スタディオン余り離れた、エオマという村に向かっていた。
14 彼らは、これらの出来事すべてについて話し合っていた。
15 話し合ったり論じ合ったりしているところに、イエスご自身が近づいて来て、彼らとともに歩き始められた。
16 しかし、二人の目はさえぎられていて、イエスであることが分からなかった。
17 イエスは彼らに言われた。「歩きながら語り合っているその話は何のことですか。」すると、二人は暗い顔をして立ち止まった。
18 そして、その一人、クレオパという人がイエスに答えた。「エルサレムに滞在していながら、近ごろそこで起こったことを、あなただけがご存じないのですか。」
19 イエスが「どんなことですか」と言われると、二人は答えた。「ナザレ人イエス様のことです。この方は、神と民全体の前で、行いにもことばにも力のある預言者でした。
20 それなのに、私たちの祭司長たちや議員たちは、この方を死刑にするために引き渡して、十字架につけてしまいました。
21 私たちは、この方こそイスラエルを解放する方だ、と望みをかけていました。実際、そればかりではありません。そのことがあってから三日目になりますが、
22 仲間の女たちの何人かが、私たちを驚かせました。彼女たちは朝早く墓に行きましたが、
23 イエス様のからだが見当たらず、戻って来ました。そして、自分たちは御使いたちの幻を見た、彼らはイエス様が生きておられると告げた、と言うのです。
24 それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、まさしく彼女たちの言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」
25 そこでイエスは彼らに言われた。「ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち。
26 キリストは必ずそのような苦しみを受け、それから、その栄光に入るはずだったのではありませんか。」
27 それからイエスは、モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明かされた。

 

<先週の復習>

見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。
あなたがたは、それを知らないのか。
必ず、
わたしは荒野に道を、
荒れ地に川を設ける。
イザヤ43:19

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「見よ」「必ず」、誰が。「わたしが」「わたしは」と神様が必ず「新しいこと」をしてくださる。「行う」「設ける」「新しいことを」。「今、それが芽生えている」。始まろうとしている。「荒野に道を」「荒れ地に川を設ける」。これはきっと皆さん方もアーメンと肯かれるものだと思っております。このことばを私は実感しております。


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 静かで確かな神様のみわざが、これはリバイバルの炎が、今盛岡にふさわしく燃え上がりつつある。
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 これは聖徒たちを整えて、私たちを奉仕をする者と聖別し、キリストのからだを建てあげるその尊いお仕事に私たちは携わることができているのです。
 前回は、これらのことを語らせていただきました。

 

<今日のメッセージ>

 私はよく鞍掛山の話しをいたします。今日もそのように導かれまして、このことをありのままにお証しをさせていただきまことが、「エマオノ道を辿る」お弟子さんとイエス様が二重写しのように私には思われまして、これを証しさせていただきたいと願っております。

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 鞍掛山は小岩井農場から網張温泉の方にクルマで数分ほど走った右側にある相の沢キャンプ場が登り口になっています。ここを初めて登ったのはもう何十年も前のことではありますが、しかし、ある時から非常な近しさを覚えながらこの鞍掛山の道を辿るようになり、そして今に至ったのであります。

 まだ登り始めて間もないときころ、ちょうど夕刻になりかけていたころかと思うのですけれども、山道を降って来る初老の人とお会いしました。まったく初めてお会いする人です。もう午後の道でしたので。ただその初老の方が、結構な坂道を降ってこられたときに、息も切らさずにさっさっさと非常にかっこよく降って来られ、私はすれ違ったものですから、「こんにちは」とあいさつを一言交わしました。過ぎ去った後、あの初老と思える方がこの坂道を何の息苦しさを感じさせない、ふつうのように歩いて降ってきたそれを見ながら、私も初老になったらこのような健康でありたいなと思うようになったのです。
 鞍掛山に登るようになったもう一つのきっかけは、これも今から十何年も前ですけれども、私は十和田教会を兼牧、牧師としてもう一つの教会兼ねるという意味の兼牧をしばらく続けてました。その時、クルマで何回か往復したのですけれども、もうすぐ十和田教会にあと10分か15分で着くという時に、もう街中近くでしたが、ものすごく腰が痛くなってきまして、必死にドラッグストアを探して、塗り薬を買ってようやく使命を果たすというようなそんな経験をいたしました。この腰の痛さというのは、けっこう厳しいものだなということをその十和田の時に経験いたしました。

山登りを始めてからというもの、鞍掛山は急な坂道もあるのですけれども、息も切らさず、腰もまったく痛くなく、登り降りできるということは私にとって健康的な良い調整の場所であったと、今振り返ってみてこういうよい影響があったということは証しさせていただけるかなあと思います。元気に今日までの奉仕ができております。
 でもある意味それ以上に、この道は私にとって大変意味のある道になってきました。何回かお話しをしたので、重複するかもしれません。
 私は神学院の同窓会で柄にもなくその責任を負わせられた時期が何年かありました。その時に、教団と神学院の同窓会、これは、神学院は教団創立のものですから、当然教団の系統図から見ればやはり含まれているのは当然なのですけれども、しかし、その同窓生の方々には委託生の方もあれば、そのほか教団を去られた方もいらっしゃるというような、ある意味複雑な、ちょうどその大きな問題が私の期間にありまして、のっぴきならないような大きな課題に直面いたしました。いわば、教団側にアクセントを置くか、それとも、同窓会というある意味独立した形のところにスタンスを置くのか、迷いに迷うような大きなことがあったとき、私は、この鞍掛山の道を歩きながら、ほんとうに神様の前に祈りを捧げたことがありました。その時に山道を歩きながら大きな問題を訴えて、そして神様に知っていただいて結局良い知恵が与えられて、乗り越えることができたという、そのところの知恵が良かったと見えて、それから以降の同窓会の方々も、そのとき与えられた一つのことばがずっと今も生き続けて、それによって衝突のような無用な緊張、衝突のようなところから守られているということを見た時、ああ本当に神様はよい知恵を与えてくださったなというように感謝をした一つがそれであります。

 また老後をも含めて今日的な大きな課題もございます。心の叫びのような祈りが与えられました。それが最近の事。
 これを通して教えられたことが、主が近づいて来て下さる道ということを実感しました。ちょうどこれは、エマオへの道という有名な絵があるのですけれども、この時に、お弟子さんたちは自分たちの生涯は失敗だった、つまりあのお方こそ私たちの救い主だと思って私たちはすべてをこのお方に賭けて歩んできたのに、何とあのお方は、という十字架のあのできごと。そして彼らは復活ということにまだ目が開かれていなかったので、もう絶望しながらエルサレムに背を向けてエマオという道を二人で歩いていた。なあおまえどう思う? そうだな俺たちは失敗だな。そんなときにどなたか分からない不思議な方が、「道々何を話しているのかね」と声をかける。イエス様ですけれど、このお方が現れてくださいます。そしてこれらのところにみことばを語り、そして内に心が燃えるという経験をさせてくださったことを皆さんはご存じです。みなさんは、エマオ途上にあるこの二人が、ちょうど自分自身の心の中とそれを表しているように思っているのです。一人の信仰者として、それは皆さんもそうです。いろいろなことどもを通りながら、歩んでいきますでしょう、日々。すると、あの時はああでもない、こうではなかったんだろうか、といろいろな心の中でやり取りが。しかも、非常にかまびすしい際限のない心の中のやり取りが、まさに二人のお弟子さんたちの中に表れています。ある時には自己弁明であったり、ある時には相手の誹謗となったり、ある時には、なぜこんなことが、或いは論じることもできないで、ただただ項垂れながらとぼとぼと歩くこと、ただただ涙するということだってありますよね。つまり、この二人のお弟子さんたちのすがたは、鞍掛山を歩んでる私の心の姿です。そのときに、主がともに歩んでくださるということを経験します。だいたい私は早朝です。一日のお仕事に支障がないように朝早くに歩く。すこし遅くなったとしても、とにかく朝食前に帰ってくるという、非常に朝早く出るものですから、するとそこに朝日がほんとうに輝いたり、季節によって緑が輝いたり、鳥の囀りがあったり、或いは道に季節の花々が次々と咲いてくる。道を歩きながら体が温まって来て、或いは汗が心地よく出てくる。そんな時にほんとうに無心になれる。これはメンタルな面でも非常に幸いなことでした。

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  主がともに歩まれる。これはもっと言うのならば、次々とみことばが与えられるのです。実は今日のメッセージの「エマオへの道」というのも、この前鞍掛山を歩いているときに、エマオの道、これがあなたの鞍掛山を歩いているときの姿だったねえ、とイエス様から言われたような気がするのです。はいイエス様そうです。ほんとうにあの時、心から祈って、その時に、
我はエホバにして汝を醫(いや)す者なればなり」(出エジプト1526) 
「汝我に龢(よび)求めよわれ汝に應(こた)へん又汝が知ざる大なる事と祕密(かくれ)たる事とを汝に示さん」(エレミヤ33:3)
 このようにイエス様がおことばをかけてきてくださるのです。それを信仰を持って握りしめる。このような繰り返しが、私の鞍掛山の山歩きです。ほんとうにみことばが与えられる時、心が燃える経験を致します。
 登り始めが600メートル以上のところですから、鞍掛山897メートル。そんなにきつくない。だいたいふつうに歩いて1時間半で頂上まで登れます。すると目の前にドーンと雄大な岩手山が存在感を持って現れてくれます。ここでしばし祈ります。この鞍掛の道で私が教えられたこと。それは、私たちは叫び求めること、これが私たちの為し得る領域のこと。叫び求めること。「なんじの口をひろくあけよわれ物をみたしめん」(詩篇81:10)、これが私たちの為すべきことです。そしてそれにどういう解決を与えてくださるかということは、神様の領域のことです。


 私はこれを思い巡らしながら、ふとヨブ記のことを思い起しました。なぜ正しいものが苦しみ、なぜ悪いものが富んでいくのですか。信仰者のほんとうに率直な疑問。ヨブは私は神様の前に正しいことをしていたのに、どうしてこんな理不尽なことをうけるのかとヨブは悩みに悩みます。それに対して近郊の友人たちが次々に現れては、ヨブを或いは慰め、或いはけん責し、などなど、これがヨブ記というところですけれども、私はヨブ記を十分に学びきってはいないのですけれども、私なりに与えられているのは、そうだ、ヨブはこれに対して何の解決も得られていないけれども、ヨブは神様と目と目を合わせてお会いした、それだけで十分だ。解決を与えてくださるのは神様であって、ヨブはいろんな解決していない問題、課題はいっぱいあるけれども、でもこのことを神様にほんとうに知っていただいた、それだけでヨブはもう十分です。私にとって鞍掛山の山歩きはまさにこれでした。
 解決は神様がしてくださる領域、どういう回答になるのかはもうそれは神様もうあなたに委ねています。でも私は叫びます。求めます。だって神様が何でも私の名によって求めなさい、そうすれば私は答えるとおっしゃっています。イエス様が何回もおっしゃっているのですから。神様に真剣に叫び、神様に真剣に呼び求めるということは、ほんとうに神様を信じているからできるのです。神様を信じていなければ本気になって叫び求めるなどということはしません。でも涙を流しながらでも、本気になって叫び求めるというこのことができているとき、答えは神様が相応しいように解決を備えてくださる。私はこのことを教えられております。

※データは教会からお借りしました。教会の内々の情報、個人情報に含まれる内容は割愛してございます。
文責:中ぶんな
⏰6時20分更新


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パキスタンの水害

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 またまた台風、14号。「トラックが横転するような強風が」、それも珍しくなくなった。温暖化があらゆる不安を。
2,3日前の新聞だったろうか、朝日の一面に記録的な大雨で「パキスタン国の3分の1冠水」と。「国土の3分の1!凡そ3,300万人が被災。「異常気象による大雨のほか、4~5月に猛暑が続いて北部にある山岳地帯の氷河が解けたという指摘や排水設備などのインフラが不十分だったとの声があがる。」と。そして次の行からを読んで、「その通りだ!」と心が動いた。「同国のレーマン気候変動相は異常気象の原因の一つとされる地球温暖化に言及し、「世界が直面する実在する危機であり、パキスタンはその震源地になっている。我々の温室効果ガスの排出量は世界全体の1パーセントに満たないのにだと指摘。排出量が多く、経済発展を遂げてきた西側諸国などに責任がある」
 深刻になればなるほど、口にはださないまでも、意識の内に諦めが巣くってしまっている。たぶんこのことはもう子どもたちでさえ分かっているかと思う。
 環境破壊という大罪をほとんど犯していない人たちが、甚大なしわ寄せを被っている。何とも言いようのない気分になった。
 

 

   ☆  ☆  ☆  ☆

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⛳21時52分更新
終日風が。今日の暑さはこの風に救われたけれども。

 写真は大正時代の蓄音機。今現役で活躍中。あの当時の音響を個人で楽しんでいる方がいらっしゃるとは!

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220916クラシック倶楽部を聴く カナディアン・ブラス 演奏会

50年にわたり金管五重奏の音楽をけん引し、世界中の聴衆をとりこにしてきたカナディアン・ブラス。確かな技術と豊かな音楽性で紡ぎ出されるスーパーサウンドをご紹介。 【出演】カナディアン・ブラス
ブランドン・ライデナワー(トランペット)
ケイレブ・ハドソン(トランペット)
ジェフ・ネルセン(ホルン)
アキレス・リアルマコプーロス(トロンボーン)
チャック・デーレンバック(テューバ)
【収録】2020年2月1日  武蔵野市民文化会館 大ホール
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ブランドン・ライデナワー
(途中から)また私たちメンバーが編曲を手掛けた新しい曲も演奏します。皆さんと共に過去を振り返り未来を見据えるプログラムです。
チャック・デーレンバック:ツァーのタイトルは「ライト・ナウ(まさに今)」です。アニバーサリーとして私たちの過去と未来をひも解きますが、それだけでは少々退屈です。だから「今」に集中することにしたのです。ブランドンが「ライト・ナウ」という曲を編曲しましたが、今回のツァーにぴったりです。過去も未来も大切ですが、今この瞬間が一番かけがいのない時間なのです。
ブランドン・ライデナワー:私たちのポリシーは心を開くことです。メンバーの間のコミュニケーションのためにも、そして聴衆のみなさんと公演の感動を分かち合うためにも大切なことなのです。
ジェフ・ネルセン
どんな曲でもソプラノからバス五声部のアンサンブルとしてしっかりスタイルを確立できます。5人という小編成ではそれぞれの個性も表現できるので聴衆のみなさんはそれぞれの個性もアンサンブルの魅力も味わえます。
ブランドン・ライデナワー
僕らが金管五重奏を生んだわけではありませんが、親しみやすいものにしたのは僕らかもしれませんね。
アキレス・リアルマコプーロス:カナディアン・ブラスは、子どもたちとの活動から始まり、そしてカーネギーホールまでたどり着いたのです。若者と音楽を分かち合うのはすばらしいことです。私たち自身カナディアン・ブラスを聴いて育ち、大きな影響を受けています。だからこそ今度は自分たちが音楽のすばらしさを伝えていきたいと思うのです。

曲目
「ジャスト・ア・クローサー・ウォーク・ウィズ・ジー」黒人霊歌:作曲、ギリス:編曲
 
黒人女性を傷つきながらも飛び立つ黒い鳥に例えた応援歌とも言われている。
「戦いのガイヤルド」シャイト:作曲、カナディアン・ブラス:編曲
「トッカータとフーガ ニ短調 BWV565」バッハ:作曲、ミルズ:編曲
「ビートルズ・オン・ブラス」レノン/マッカートニー:作曲、ライデナワー/デドリック:編曲
「ライト・ナウ」ロングストレス:作曲、ライデナワー:編曲
 
電子的なサウンドを取り入れた現代的な曲をトランペットのライデナワーが編曲
「リベルタンゴ」ピアソラ:作曲、バーグストーラー:編曲
「ロンドンデリーの歌(ダニー・ボーイ)」アイルランド民謡:作曲、ハドソン:編曲
「デキシーランド・トリビュート」ヘンダーソン:編曲
 ハイ・ソサイェティー
 ブラック・ボトム・ストンプ
 チューバ・タイガー・ラグ

🎵とにかく明るい! 明るい! 青空、大空のように明るい! カナディアン・ブラス、伝統をまもり、未来をめざし、ブランドンいうに「今のこの瞬間がいちばん大切」と。もともとは子どもたちとの活動、子どもたちのために演奏していたのが、やがてはカーネギーホールに、世界にと。バッハからビートルズ、ソプラノからバスまでを5声、それぞれの個性をアンサンブルに反映させての演奏。演奏者自身がカナディアンを聴いて育ったとも。
 5人が黒のパンツスーツにオレンジ色のネクタイ、スニーカーで、黒人霊歌「ジャスト・ア・クローサー・ウォーク」、これが葬送の曲なのだけれども、これを演奏しながら観客席に登場。客席のあいだを縫ってステージに。この曲を演奏しながら登場するのがこの楽団の定番であるという。続く「戦いのガイヤルド」。何と、ここまでがアンコール曲。時々時間の関係でできないこともあるので先にアンコールを演奏。これからがプログラムにある演奏です」とユーモアたっぷりの日本語挨拶には皆が爆笑。
 そしてバッハの「トッカータとフーガ」。軽さ、光の軽さとでもいおうか、そんな明るい響きを巧みに響かせながらも荘重さも感じさせる。ここで逆なりにパイプオルガンの響きが思いだされ、パイプオルガンの地を圧する地のすべてをおおう壮大な響きのすごさを再確認させられたような。「ビートルズ・オン・ブラス」ではビートルズナンバーから3曲を。トランペットで「イエスタディ」。トロンボーンで「ブラック・バード」、これは黒人女性を傷つきながらも飛びたつ黒い鳥にたとえた応援歌。続く「ケニ・レイン」。「リベル・タンゴ」。「ロンドンデリーの歌」。
 それにしても、このブラス使用の金管の美しさは! 譜面台や天井に並ぶライト、演奏する指のうごきなどが輝く金色のラッパの曲面に映りこみ繊細にうごき流れている。どこかの頁でアメリカのどこぞで製作されたものと出ていたけれども、華麗、流麗という感じが。
 ディキシー・ランドジャズ、発祥はニュー・オリンズ。1917年にニューオリンズに登場し、ニューヨーク、シカゴに移動して広まったのが190年か。1917年というと大正6年。たしか最初は大阪の道頓堀あたりで盛んに鳴っていたはず。しだいに東京へと。

五重奏のディキシーランドジャズ「ハイ・ソサィエティ」、「ブラック・ボトム・スクンプ」、「テューバ・タイガー・ラグ」、軽々とチューバを自在に振り回し振り回されるチャックのパフォーマンス。せっかくのサービスに観客の反応はちょっと遅いのが残念。また3人の奏者が歌声を聴かせてくれた。ユーモアたっぷりの実力派金管五重奏、朝の空気を清々しく震撼させてくれた。

🎧名曲アルバム。プーランク「オーボエ・ソナタ」
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ロワール川の恩恵で栄えたフランス中西部トゥーレーヌ地方の田舎町ノワゼーにプーランクの館がある。生涯独身だったプーランクはこの地のワインを愛し作曲に専念した。かれは生粋のパリジャンだが曲を作るときはノワゼーへ通った。美しい土地で自由に作曲ができる環境を気に入っていたという。印象主義音楽が華開いた19世紀末に薬品会社を経営する父のもとに生まれる。ピアニストの母に5歳から学ぶ。サティなど様々な作曲家と出会い、独学で作曲を始める。父に音楽家への道を反対される。
この曲は死の前年に書かれた。彼にはノワゼーで暮らしたいと願う、彼の音楽の理解者である幼なじみのリノシエがいたが、彼女は早世してしまう。

⛳20時10分更新
いまオーボエ奏者が書かれていないことに気づき、撮ったものをまた繰ってみると、オーボエは古部賢一、ピアノ宇根美沙恵。

取り立てて書こうと思わなくとも打ち始めると出てくるときもあるけれども、きょうは書いては消し、書いては消し。結局は書き足さないまま11分経過。

 

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220915クラシック倶楽部を聴く フォーレ四重奏団〜ピアノ四重奏が奏でる「展覧会の絵」〜

フランスの作曲家フォーレの名に因んで、カールスルーエ音楽大学出身の4人が1995年に結成した四重奏団。日本にも度々訪れ、多くのファンを魅了し続けている。【演奏】フォーレ四重奏団【収録】2021年12月6日、所沢市民文化センター ミューズ マーキーホール。
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コメント
Q
「展覧会の絵」四重奏版について
 ディルク・モメルツ:ピアニストなら遅かれ早かれ一度は対峙する作品です。しかしこの作品のピアノ版は聴いても弾いても以前から何となくしっくりこないところがありました。オーケストラ用の編曲は存在しますが、ピアニストの自分にもピアノ四重奏にも無縁の作品です。どうすればこの名曲を通じて自分たちを表現できるのか、その答えがピアノ四重奏版の編曲だったのです。このようにして冒険してみたわけですが、とても魅力的な試みでした。私たちは多くの作曲家による編曲を演奏してきましたが、今回は自分たちで編曲を手掛けてみたというわけです。もちろん難しい大曲ですよ。実験的な試みですごく刺激的でした。
 エリカ・ゲルドゼッツァー:現代曲では音色や奏法などの面で多様な実験が行われていて、「普通の音」を超えた可能性を探る面白さがあります。この編曲でも「普段は使わない音色」など斬新な試みに挑戦することができました。ラヴェルも使わなかった手法です。楽器から新しい可能性を引きだすのは苦労ではなく楽しみでした。

 

曲目
ピアノ四重奏曲 断章 イ短調(マーラー)
組曲「展覧会の絵」(ムソルグスキー/ディルク・モメルツ、グリゴリー・グルズマン 編)
ラヴェルの管弦楽版をはじめ、多くの音楽家が様々な編曲を行っている。今回の演奏はディルク・モメルツが恩師グルズマン編曲のピアノ三重奏版をもとに再編曲したもの。
夢のあとに(フォーレ/ツェルナー 編)
婚約を解消され失意の底にあったフォーレが書いた彼の歌曲の中では最も広く知られる作品。夢の中で出会った美しい女性への思いが、夢の目覚めによって断ち切られる悲しさが歌われる。夢幻的な詩情を醸し出す甘美な旋律は、さまざまな器楽曲に編曲され親しまれている。

 

🎧名曲アルバム。サティ「ジムノペディ 第一番」、ニウ ナオミ編曲
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サティは1878年12歳でパリにやって来る。パリは折しも建設ラッシュ。パリ音楽院に入ったもののとび出してしまう。ある日友人に連れていかれた酒場で職業をきかれ「ジムノペディスト」と名乗った。「ジムノペディ」は「裸の子供」の意味で古代ギリシャの祭りの名前。サティは出まかせの職業に実体を与えるために「三つのジムノペディ」を作曲する。これは稚拙とされ音楽界からは無視されたが、しかしモンマルトルに住む芸術家たちは、サティの音楽に新しさを聴いた。権威を嫌い皮肉と遊び心に満ちたサティの音楽と生き方は、20世紀初めの前衛芸術家運動へとつながっていく。

 

⛳8時51分更新

 

 

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220914クラシック倶楽部を聴く 東京・春・音楽祭2019 ヴェリタス弦楽四重奏団 演奏会

アメリカ、イギリス、日本と世界各地のオーケストラを拠点にもつ4人が集ったヴェリタス弦楽四重奏団。新世代の演奏家による四重奏をお送りする。【出演】ヴェリタス弦楽四重奏団(バイオリン:岩崎潤、島田真千子 ビオラ:小倉幸子 チェロ:工藤すみれ)【曲目】弦楽四重奏曲第2番「カンパニー」(グラス作曲)弦楽四重奏曲ヘ長調(ラヴェル作曲)ほか【収録】2019年3月27日 上野学園 石橋メモリアルホール

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コメント
Qこのアンサンブルについて
小倉:昔いろいろなカルテットをやっていたんですけれども、すばらしいソリストとしても活躍してらっしゃるような方々とやるというのは、すごく刺激になりましたよね。最初の音を聴いてびっくりしました。
工藤:楽しかった。私がはしゃいでいる写真ばっかりで、ほんとうに楽しかったんだなあと。
岩崎:カルテットでは誰もがアイデアを出し合い、またそれに喜んで応じます。私たちはソリストでもありますが、その4人の音が一つのまとまりになります。それが室内楽の醍醐味です。
Qラヴェルの弦楽四重奏曲について
島田:今回メインにしたラヴェルというのは、私たちは一番最初にメインに選んだ作品なんですね。4年経って、この前ナッシュビルでリハーサルしたんですけども、ぜんぜん4年前と違う音が鳴ったから、それは私たちのそれぞれの4年間の成長。
工藤:一回終わったらそれで終わりじゃないから。
島田:なんかすごくまた違うものができてたから、そうやって時間をかけてレパートリーを作っていくというのがいいのかなと思ってました。

 

曲目
☆弦楽四重奏曲 第7番 嬰ヘ短調 作品108作曲
妻ニーナに捧げた作品。ショスタコーヴィッチ自身この曲を愛してやまなかったという。
弦楽四重奏曲 第2番 「カンパニー」 フィリップ・グラス作曲
グラス自身が参加していた演劇集団「マブー・マインズ」の舞台「カンパニー」のために幕間曲を書いた。後に演奏会用の曲として独立させた。
弦楽四重奏曲 ヘ長調 ラヴェル作曲

 

🎵ショスタコーヴィッチ、けさは抵抗感なく。曲への抵抗感がいつしか消えた曲の中身が、けっこう問いかけや抵抗も感じられ、いまの自分を知らされたかのような。不可解とも聴こえる響きがこの曲の魅力と素直に耳を傾けるいま。
 ラヴェルの第一楽章、これを解説なしに聴いたらドビュッシーだと思ってしまいそう。wikipediaからの転載が多くてちょっと、なのだが、「ドビュッシーはラヴェルのこの作品に熱狂的な賛辞を送って、ラヴェルに終楽章を改訂せぬように説得し、次のように進言した。「音楽の神々の名とわが名にかけて、あなたの四重奏曲を一音符たりともいじってはいけません。」。しかしながらラヴェルは、出版にあたって作品全体を改訂して、より構築感が高まるようにした。弦楽四重奏曲はこの時代には難しいとされたジャンルであり、作曲家が成熟期を迎えるまでにこれを手懸けることは、まず滅多にないほどである。だが、当時まだ27歳のラヴェルはその作曲に挑んで、この楽種の傑作を示したのであった。」
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楽章からは趣が変わり、4楽章でけっこう熱っぽく激しく、ラヴェルの感じが。
 それにしても、グラスの「カンパニー」、きょう、改めてミステリアスな曲と感じたけれども、それが胸中を幽魂たずねるごとくにくぐり抜けずにいたのだが、次のこれまた玄妙なラヴェルにかき消された。

 

🎧名曲アルバム。グリーグ「ペール・ギュント」から「朝」
矢崎彦太郎&東京フィル
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北海に面した古都ベルゲン周辺には美しいフィヨルドの風景が広がる。太陽は地平線上を横に動き沈むことなくまた昇りはじめる。短い夏の間、山に暮らす人々は牧草を刈り冬に備える。大自然に生きるノルウェーの人々の民話からこの「ペール・ギュント」は生まれた。青年の冒険の生涯をを描いた「ペール・ギュント」。その響きは雄々しく雄大である。
 ベルゲン郊外に面したトロルハウゲン(妖精の丘)
作曲家グリーグは42歳から亡くなるまでこの家に住んだ。グリーグは多くの友人に恵まれ、質素ながらも満たされた生活を送った。
-番組解説からー

 

⛳7時更新

 

 

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220913 クラシック倶楽部を聴く ノトス・カルテット演奏会

ノトス・カルテット演奏会

2007年にベルリンで結成された世界でも珍しい常設のピアノ四重奏団、ノトス・カルテット。彼らが再発見したバルトークのピアノ四重奏曲が日本初演された注目の公演。マーラーは16歳、バルトークは17歳で作曲された若き日の作品。バルトークは楽譜が失われていた知られざる作品で、ノトス・カルテットが再発見し、今回の日本初演が実現した。2019年7月2日、京都コンサートホール アンサンブルホールムラタでの収録。

Img_20220913_051640 Img_20220913_051845 メンバー
シンドリ・レーデラ:ヴァイオリン 
アンドレア・ブルガー:ヴィオラ 
フィリップ・グラハム:チェロ 
アントニア・ケスター:ピアノ アントニア・ケスター

発見した楽譜に関する コメント
レーデラ:バルトークの「ピアノ四重奏曲ハ短調」、この作品の存在はバルトークの作品一覧で知りました。「楽譜もどこかにあるに違いない」。そう思い私たちは楽譜を探しました。そしてブダペストの公文書簡で見つけたのです。しかしその楽譜は持ち出しもコピーもできず、演奏することができませんでした。私たちはどうしてもその曲が演奏したくて楽譜を探し続けました。ようやく発見した楽譜を手にしたときは信じられない思いでした。初めて演奏して作品に命を吹き込んだ瞬間は何ともいえない最高の気分でした。
グラハム:私たちはこの作品への理解を深めてきました。成熟期以降のバルトークのモダンな作風と異なりロマンチックで若々しく情熱的です。17歳の彼が、その後どのように成長していったのかを知ることができて気持ちが高ぶりました。
TV解説―1898年の作曲当時、バルトークはギムナジウム(中等教育)で学ぶ17歳の学生だった。前年に亡くなったブラームスからの影響を強く受け密度の高い作品に仕上がっている。

🎵マーラーが16歳で作曲した現存する唯一の室内楽曲「ピアノ四重奏曲イ短調」、歌心あふれる抒情性に富み、瑞々しい、それに加えてドラマ性も。とても16歳とは思われない老成した部分も。レーデラであったか、我々はオーケストラのようにも23人で弾くようにも演奏できると語っていたが、もうこの曲からにして、ピアノが入っているという理由からばかりではなく、オケ並みの量感、質感を感じさせる。第一楽章からが終章のような豊かさがあり、この楽章だけでも事足りるかの満足感。曲が進むごとに、調和という目標はすでに眼下、気づけば各パートが完全に前面に躍り出て各々の個性を存分に発揮している。これがノトスならではの響き、滋養の豊かさであるかと。

バルトークの「ピアノ四重奏曲ハ短調」、これがまたすばらしかった。ノトスの誇りとする曲。終始聴く者の意識を逸らせない演奏だった。

アンコールはブルガーの日本語での紹介で、クライスラー「愛の悲しみ」エルガー「愛のあいさつ」2曲が。

 

🎧名曲アルバム。「椰子(やし)の実」 大中寅二・作曲/島崎藤村・作詞/日高哲英・編曲  歌・福田明也、渡邉一正&東京フィル

唱歌「椰子の実」。名も知らぬ遠き島より~で有名な島崎藤村 作詞の歌。民族学者 柳田國男との交流から生まれたエピソードや内陸で育った藤村の海への憧れを描く。
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明治31年の夏、伊良湖岬に滞在していた柳田國男は浜辺に流れ着いた椰子の実を見つける。柳田はこの旅の思い出を島崎藤村に話したところ、藤村は激しく詩情を掻き立てられ、「椰子の実」を作詩。
 藤村は岐阜県中津川市馬籠出身。宿場町の旧家に生まれた。街並みは江戸時代の風情を残す。ここに藤村記念館がある。山深い地で育った藤村には、海への強い憧れが。椰子の実に漂泊した自分の人生を重ねて作詩。ここまでの解説には、ああそうかなと。ところが意外だったのが、昭和11年にNHKの依頼によって大中寅二によって曲がつけられたということだ。ラジオ放送されるやいなや、全国に大反響を呼んだという。

 

海の日の沈むを見れば
激(たぎ)り落つ異教の涙
思いやる八重の汐々(しおじお)
いずれの日にか国に帰らん

🎵この曲の反響については、作曲の力も大きいかと思うので、作曲者大中寅二についてもちょっとwikipediaから

大中 寅二(おおなか とらじ、1896年明治29年)6月29日 - 1982年昭和57年)4月19日[1])は日本作曲家オルガニスト

東京市芝区三田(現在の東京都港区)に生まれる。大阪府立北野中学校を経て、1920年大正9年)同志社大学経済学部卒業。同年、日本基督教団霊南坂教会(東京都港区赤坂オルガニストとなる(1979年まで)。東京で山田耕筰に、1925年(大正14年)にはドイツに留学し、ベルリンでカール・レオポルト・ヴォルフ[2] に作曲を師事する。帰国後、東洋英和女学院短期大学で教えた。

また副科で打楽器を習得し、1942年の満州国建国10周年奉祝交響楽団(山田耕筰大塚淳ヘルムート・フェルマー指揮で新京での演奏)には打楽器奏者として加わっている。

教会オルガニストを59年にわたって務め、礼拝用のリードオルガン曲や賛美歌などの教会音楽を多く作曲している。また、1936年(昭和11年)に作曲されNHK国民歌謡として放送された歌曲「椰子の実」(詞・島崎藤村)は一般にも広く知られている。

大中恩(作曲家)の父。サカタインクス創業者である阪田恒四郎の娘と結婚し、阪田寛夫(小説家・作詞家)は甥にあたる。阪田の小説『音楽入門』・児童文学『トラジイちゃんの冒険』のモデルである。


⛳8時25分更新


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220912クラシック倶楽部を聴く イ・ムジチの四季

イ・ムジチの「四季」
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今回のイ・ムジチの「四季」、これは現在のコンサートマスター、マッシモ・スパダーノの感覚かと思ったが、前任者のアントニオ・アンセルミはこの公演の直前に急逝しており、コンマスを引き継いだマッシモが成り行きからいっていきなりアンセルミの音を覆すとも思われない。ただソロはマッシモ。アンセルミはドラマティックな演奏を得意としていたようだが、マッシモは古楽に通じているという。1983年までに1000万枚を売り上げたイ・ムジチ。地球全体に認知され聴かれているということか。1952年デビュー。番組予告を初めて見たときは、正直、イ・ムジチという名がセピア色を帯びて聞こえた。ところがそれは間違い。イ・ムジチの果たした役割を思いつつ耳を傾け、団員のお一方お一方、特にアンコール曲を喜びのうちに演奏くださって、その喜びがこちらにそのまま流れ込み、心が揺すぶられた。番組タイトルに「イ・ムジチの四季」とあったけれども、やはり「イ・ムジチの四季」は他の四季とは違う、そう思わせられた。

 今回の字幕は「あずさまゆみ」。この字幕で、実にドラマティックに聴くことができた。これには哲学的な意味も込められているといっていたのは誰だったか、もう云十年前に読んだ解説のこと。
 夏の楽章で、北風が挑みかかってきたところで「牧人は運命が脅かされているのを恐れて泣く」「凶暴なハエどものため疲れた手足が憩うことができない」「ああ悪いこと恐れているとおりだった」「雹がふって誇らしげな麦の穂を絶つ」……、ヴィヴァルディの曲には苦悩すらも降り注ぐ光の中にある、光の透過があると感じられる。ヴィヴァルディはカトリックの司祭でもある。「冬」の章、最後の「冬は喜びをもたらしてくれる」。あたたかくそして意味の深いことばだ。
 あまりに有名なヴィヴァルディ、しかしこのヴィヴァルディを自分がどの程度把握しているかはずいぶんと怪しい。というわけで、こちらを繋いでみた。
 アンコールはバッハの「アリア」、ヴィヴァルディの「調和の霊感 作品3第10番 第一楽章」。喜びに満ちた「調和の霊感」!

春 第一楽章

春が訪れる
小鳥たちはにぎやかに
喜ばしい歌で春に挨拶する
西風の息吹に泉は柔らかく
ささやきながら流れ出る
大気を黒いマントで覆って
春を告げるため稲妻と雷鳴が
選ばれたものとしてやってくる
嵐が静まると小鳥たちは
再び魅惑にあふれた歌を聴かせる
そして花咲く快い牧場では
木の葉と草木の親しげなささやきに
忠実な犬を従えて牧人は眠る




🎧名曲アルバム。「真白き富士の根」インガルス作曲

林美智子,現田茂夫&東京フィルハーモニー交響楽団
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 鎌倉市の七里ガ浜で明治43年に逗子開成学園に学ぶ12人の男子学生を乗せたボートが転覆し全員死亡。女学校教員の三角錫子は滞在中の逗子で遭難の報に接し、追悼の詞を賛美歌にのせてこの歌を作った。大正時代に全国的に広まる。

⛳ヴィヴァルディ、脳のそちこちにこびり付いている錆を優しく静かに的確に、まるでサンドペーパーのように擦過しては削り取ってくれる。さび付いた部分を掃除するにはうってつけの曲。それが今は8時44分。5時に聴いてから4時間近くも経っているわけで、この4時間近くの間にまた錆がうっすらと溜まったのでは。
8時46分更新

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きょうのことば「麗しの一片(ワン・ピース)

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年94()の礼拝のおことばをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 「麗しの一片(ワンピース)  (國光勝美 牧師)
引証聖句 エペソ人への手紙4713
7 しかし、私たちは一人ひとり、キリストの賜物の量りにしたがって恵みを与えられました。
8 そのため、こう言われています。「彼はいと高き所に上ったとき、捕虜を連れて行き、人々に贈り物を与えられた。」
9 「上った」ということは、彼が低い所、つまり地上に降られたということでなくて何でしょうか。
10 この降られた方ご自身は、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方でもあります。
11 こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。
12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。
13 私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。

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 このおことばは、ずっと恵みのように心の中にあるのです。これを今日皆さん方にお分かちさせていただき、麗しいワン・ピースの意味をくみ取っていただければと、そんな思いでおります。
 ここに、「見よ」ということば、そしてもう一つ「必ず」ということば。つまりこのおことばは非常に力強い「見よ」「必ず」そういうことばによって始まっているおことばです。じゃ何を強調しているのか。「わたしは」、もう一つ「わたしは」。そうだ、神様がなさる。「わたしは」という主体をしっかりと覚えておきたい。神様が行ってくださる。神様が設けて下さる。何を。「新しいことを」。そして、「いま、それが芽生えている」。この始まろうとしているということばが、思い浮かんでいたのですけれども、改めてこの2017の新改訳のことばでいうと、「今、それが芽生えている。」。始まろうとしていることの別の表現で「芽生えている」。何かもっといのちがそこに暗示されている。「荒野に道を」設ける。「荒れ地に川を設ける」。深く教えられました。今私たちには直面している大きな変化、課題があるでしょう。しかし、これがなかったのならば、おそらく今、起こりつつあることがらは、なかったのではないかと私は思うのです。

 思いますと教会の開拓の時から、これは何でも牧師が中心となって、牧師が率先していろんなことをするという方針があったようにも思いますけれども、それはそれとして、むしろ皆さん方の方から見るならば、良い意味で遠慮されて、ここは牧師の生活の場所だから、まさに開拓したときからまさに聖別の場所が集会のときには大急ぎで物を片付けてそこが集会所になることの繰り返しから始められたということなどから、これはもう致し方ないような遠慮されるところから皆さん方が集われたことなども振り返りながら、そんな体質がいつの間にかあった。しかし今、牧師主導ではなく、皆様の側から各々ができる役割の申し出が立て続いています。私ほんとうに嬉しいなと思いました。いよいよ教会が皆様方にとって来やすく集まってくださるような場所になるはずです。それだからこそ慎重にしなければならないことは当然あるでしょう。しかしここに新たな展開が始まっています。皆さんが自分の可能な所を担って、ワン・ピースとなってこの教会の運営に参画してくださるという新たな動きが今もたらされております。

イザヤ43:19
見よ、わたしは新しいことを行う。
今、それが芽生えている。
あなたがたは、それを知らないのか。
必ず
わたしは荒野に道を、
荒れ地に川を設ける。

※説教中のポイントのみを書かせていただきました。
データはズームで録りました。
文責:中ぶんな
⏰8時30分更新



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宿命の決意を全う

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けさは国内ニュースもワールドニュースも8日に亡くなられたエリザベス女王を一斉報道。
96歳。多くの輝かしさ。そして多くの人々を励まし、また王室の存続を担い心労や苦難もあられたところを最期まで生き抜き生き切られた見事さに落涙。

 

⛳21時29分

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220909クラシック倶楽部を聴く タマーシュ・ヴァルガ チェロ・リサイタル

【収録】2022年7月1日 ハクジュホール(東京)
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タマーシュ・ヴァルガ:1969年ハンガリー、ブタペスト生まれ。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団首席チェロ奏者を20年以上にわたって務める。
浅野真弓:桐朋学園大学卒業後ドイツで学び数々の国際コンクールで入賞

タマーシュ・ヴァルガのコメント
Q
西村朗作曲の「カラヴィンカの歌」について
2018
年にコダーイの無伴奏チェロ・ソナタの初演から100年を祝う公演を企画したのがこの作品の誕生のきっかけです。特別企画でお祝いしようと考えたのです。西村氏とは彼が音楽監督を務める「草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティバル」で古くから交流があります。私はこの音楽祭で2005年から後進の指導と演奏をしています。西村氏に作曲の依頼をしたらうれしいことに快諾してくれました。曲は2017年に完成しました。草津で彼に演奏を聴いてもらいいろいろ意見を交わしました。作曲家と演奏者で意見交換しながら完成した作品です。
Qコダーイ作曲の「無伴奏チェロ・ソナタ」について
コダーイの音楽言語は100パーセントハンガリーです! 彼の音楽はハンガリーの民族音楽を基礎にしています。私たちハンガリー人が耳にして育ったハンガリー音楽です。古くから親しまれてきた民謡の要素がふんだんに引用されています。ハンガリー色の濃い音楽で私は大好きです。コダーイのチェロ・ソナタはハンガリーのチェロ奏者にとって必須のレパートリーです。もっとも、どの国のチェロ奏者もレパートリーにしている有名な作品ですけれど。技術的にとても難しい曲です。通常とは異なる調弦を必要なことも演奏を困難にしています。下の2本の弦(G線とC
)を半音下げて、A-D-Fis-Hの調弦で弾かなくてはいけません。 

 

曲目
カラヴィンカの歌(西村朗)
タマーシュ・ヴァルガの委嘱により2017年に作曲。コダーイの無伴奏チェロ・ソナタと同じ特殊な調弦が用いられている。カラヴィンカは仏教の極楽に住むとされる鳥で、頭部は人の顔を持ち体は人のすがた、美しい声で鳴くという。
無伴奏チェロ・ソナタ 作品8(コダーイ)
ハンガリーの作曲家で民族音楽学者や言語学者でもあったコダーイが1915年に作曲し1918年に初演された。特殊な調弦のはか左手のピチカートや重音奏法、急速なトレモロが多用された難曲として知られている。
チェロ・ソナタ ト短調 作品65から 第4楽章(ショパン)
ピアノの詩人ショパンは生涯にチェロとピアノのための作品を3曲作曲した。4楽章から成るこのピアノ・ソナタはショパンの友人でチェロ奏者のフランショムにささげられた。




🎧名曲アルバム。「グアンタナメラ」作曲ホセイート・フェルナンデス、編曲塩谷哲
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キューバ東南部の中心都市サンティアゴ・デ・クーバはかつてスペイン総督府が置かれた。この地方はソンやボレロが生まれたキューバ音楽のゆりかごで「グアンタナメラ」も南東部の農民たちの歌から生まれたという。19世紀後半この地で独立戦争の火ぶたが切られ「革命発祥の地」と呼ばれる所以となった。
「キューバの使徒」と呼ばれるホセ・マルティ(18531895)はスペインからの独立運動に一生をささげた詩人で革命家。「椰子より高く正義を掲げよ」と戦いの先頭に立ち死んだ。
「グアンタナメラ」は国民的歌手だったホセイート・フェルナンデスが作曲。キューバデでは様々な詩で歌われる人気の曲だが、マルティの詩集「素朴な詩」を歌詞に歌われることが多い。

⛳すべて番組解説もとに筆記。けさは聴きながらの家事、雑事で何とか混乱を来さずに8時40分更新

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220908クラシック倶楽部を聴く オーレン・シェヴリン チェロ・リサイタル

2001年ロストロポーヴィチ国際コン第2位。ケルンWDRの首席チェロ奏者。ソロ活動を積極的に行いヘルシンキ・フィルやパリ管弦楽団などと共演している。ピアノの芦川真理子は、チャイコフスキー国際コンで最優秀伴奏者賞を受賞。【演奏】オーレン・シェヴリン(チェロ)、芦川真理子(ピアノ)【曲目】民謡風の小品集(シューマン)、ル・グラン・タンゴ(アソラ)ほか【収録】2021年3月1日武蔵野野市民文化会館

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曲目
民謡風の小品集 作品102  シューマン作曲
1849
年シューマンがドレスデンで創作活動をしていた時期にわずか数日間で完成させた。
チェリストのグラーバウのために作曲されたが現在はさまざまな楽器で演奏されている。
チェロ・ソナタ第一番 ホ短調 作品38 ブラームス作曲
ブラームスは生涯に2曲のチェロ・ソナタを残した。第一番は186532歳のときに完成。3つの楽章すべてが短調で書かれ、全体を通してチェロの低い音域が際立った重厚な雰囲気を持つ。
ル・グラン・タンゴ  ピアソラ作曲
アルゼンチンの作曲家でバンドネオン奏者のピアソラが1982年チェロの巨匠ロストロポーヴィチのために作曲した。ピアソラは当時「ピアノのパートは綿密なタンゴの語法で書いた」と語っていたという。

🎵ル・グラン・タンゴ、1頁、1場面切り開かれていくような音色の心地よさ。

 

🎧名曲アルバム。「おやすみアイリーン」、作詞レッドべりー、ジョン・ローマックス、作曲レッドべりー、編曲狭間美帆
歌中井智彦、ハモンドオルガン金子雄太、ギター関根良、ベース、西島徹
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レッドベリーは家に帰ることもなく放浪し、暴力沙汰で度たび投獄された。収監されたアンゴラ刑務所に現れたのがアメリカ民謡研究の草分けであるジョン・ローマックス。囚人たちが強いられた労働の現場では古くからの労働歌が歌われていたが、その採譜、研究のためにジョン・ローマックスが現れレッドベリーを見出した。レド・ベリーのレパートリーの多さに驚嘆したジョン・ローマックスはそこで数多くの楽曲を録音。才能ある男の自由を願い州知事にレッドベリーの釈放を請う。翌年釈放されて彼はローマックスの誘いでニューヨークへ。レッドべりーの死後にピート・シーガ―がこの曲を歌い全米1位となる。
 レッドべリーを刑務所から救い出し、人生のチャンスを与えたローマックスの大きさは!

⛳いつかの番組で、クラシック音楽の写真家木之下晃を、ロリン・マゼールは、「木之下の写真はいつもドラマチックで音楽の深さをえぐるように個性を撮影するのがうまいのです」といっていたが、それを観てからTV番組相手ではあるけれども見様見真似をしたところ、2、3日はすこしはよくなっていたと思うが、このところ木之下いう集中力が途切れ、元の木阿弥。出演者と何の関係もないのだが何だか申し訳ないなという気になっているところが我ながら可笑しくもある。
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13時50分更新




 

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220907クラシッククラブを聴く 遠藤真理のサウンド・オブ・チェロ〜加藤昌則と紡ぐ音の旅

【遠藤真理】2003年日本音楽コン第1位、2006年「プラハの春」国際コン第3位。国内外の一流オーケストラや指揮者と共演。読売日響ソロ・チェロ奏者。ラジオでも活躍【加藤昌則】作曲家・ピアニスト。幅広いジャンルで自作を発表しつつ、ピアニストとして数多くのソリストと共演を重ねる。【曲目】チェロ・ソナタから(シェック)花詠み人(加藤昌則)他【収録】2020年8月25日武蔵野音楽大学 ブラームスホールー番組紹介からー

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コメント
遠藤:リサイタルのお話をいただいたときに、加藤さんと一緒にやってほしいなと思って、いくつかコロナのせいで公演がキャンセルになってたんですね。そのときに組んでいたプログラムをそのままやるのがベストなんだろうと頭の片隅では思っていながら、何だかそこに足をふみいれられないというか、そこに気持ちが乗らなかったんです。それで加藤さんに相談したところ、こういう曲あるよと、まずシェックのソナタ、チェロ・ソナタを紹介してくれて、すごいきれいな曲ですねというところから、もうそれが中心になって他を決めたといっても過言ではないほど。今回自分の中でもぜんぶ新しい曲をやるというのはチャレンジングなんですけど、それでも、シェックを弾いて、加藤さんの曲もたくさん入れさせてもらったんですけど、加藤さんのアイデアを盛りだくさんに入れさせてもらいました。
加藤:シェックという作曲家はけっこう昔から好きな作曲家だった。真理ちゃんにいい曲ないかといわれたから、出したんです。チェロと共演する機会が何度かある中でこのアレンジをちょこっと演奏会のたびにやったり。実はある程度ストックがあって、じゃほかに何かアレンジある? と言われて、まとめて、これそうだよとポンとわたしたんです。そしたらそれをほとんどこれぜんぶやりましょうとなって、それぞれの演奏会にかいたものが、こういう機会に新しい息吹を取り戻せたのには感慨深い思いがありました。
遠藤:実は今回が初めてです。きちんと演奏してもらうのは。
加藤:共演は初共演に近い。
遠藤:加藤さんのキャラクターが面白くて大好きなので。頭の中が先を読めない感じ。何を考えてんだろう、加藤さんは。
「花詠み人」について
遠藤:今回、世界初演の曲。
加藤:我々音楽家はコロナのことでほんとうに世の中ひっくり返っちゃうんじゃないかぐらいの思いがあって、みんながいろいろな思いを抱えたと思うんですけど、僕はほぼ2か月間演奏することはなく家にずっといるという生活になったときに、自分を保つために書かなきゃなというのがあって、それで1か月間ぐらい毎日のようにずっと曲を書いてたんです。たまたま自粛の期間に、京都の芸妓さんのドキュメンタリーをやっていて、その表の部分じゃなくてふだんの私生活の部分みたいなものでやっぱり、いろいろ悩んだり一人の女性ですからいろいろ思うこともあるじゃないですか。そういうことを見ている中でそういう雰囲気の女性というか、それを音楽で表現する、書きたいなと自然に思って書いた。こんな曲あるよという中に忍び込ませておいたら、やろうと。してやったり、です。4月の終わりごろに書いたと思います。ほんとうにこの放送が初演ですね。
遠藤:「花詠み人」も譜面上はすごく単純なんですね。単純だけど、やっぱりそこにいろんな彩が見えるんですよね。和声ごとに色があったりとか流れが空気の流れが変わるようなところがあったりとか、それもやっぱりリハーサルを重ねていくうちにどんどんしっくりくるし、自分の中でも、あ、ここはこういう呼吸にしようとか、しっくりくるものがすごくあった。大好きになりました。

曲目
☆「Around The World 映画で巡る世界一周メドレー」:加藤昌則:編曲
☆「チェロ・ソナタ から 第3楽章」:シェック:作曲
☆「チェロ・ソナタ 第1番 ハ短調 作品32から 第2楽章、第3楽章」:サン・サーンス:作曲
☆「花詠(よ)み人」:加藤昌則:作曲
☆「NATHA-VALSE」:チャイコフスキー:作曲:加藤昌則:編曲
☆「Moon River」:ヘンリー・マンシーニ:作曲:加藤昌則:編曲
☆「Sound of Music Medley」:加藤昌則:編曲

オトマール・シェックOthmar Schoeck, 1886年9月1日 - 1957年3月8日)は20世紀スイス作曲家300曲以上にのぼる歌曲を作曲し、ピアノ伴奏つき歌曲や管弦楽伴奏つき歌曲、様々な合唱曲を遺している。その他の作品に《ヴァイオリン協奏曲「幻想曲風に」》作品21や《ホルンと弦楽合奏のための協奏曲》作品65, ハインリヒ・フォン・クライスト原作の歌劇《ペンテジレーア》作品39などがある。
1980年代半ばから、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ白井光子の地道な努力によりシェックの再評価が始まった。(wikipedia)

 

🎵「Around The World」、チェロ演奏に乗っての旅は心弾んでも足はしっかりと地を踏んでという感じが。懐かしい映画メドレー、いまは神奈川にいる中学校時代の友達と観たメリーポ・ピンズ。シェックの「チェロ・ソナタ から 第3楽章」、物思いに静かに沈潜しているかのところに共感。静かな流れのきれいな小石の揺らぎを見るような。サン・サーンスの「チェロ・ソナタ」のところで、雲の奥から日が輝きでて、ああきょうもはじまるなと清新な心持に。「花詠み人」、加藤の作曲。今回が初演。今年の4月に遠藤が演奏することを希望して書いたようだ。出だしから京都の路地のたたずまいにたしかにたおやかな女性のすがた。シルエットが障子に移ろうような感じも。

🎧名曲アルバム。ヴォーン・ウィリアムズ作曲「グリーンスリーヴス幻想曲」
飯森範親&東京フィル
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ロンドン郊外ウィンザーはシェイクスピアの喜劇「ウィンザーの陽気な女房たち」の舞台。この喜劇に登場するグリーン・スリーヴスはイングランドの古い民謡で、16世紀エリザベス朝時代から知られていたという。ヴォーン・ウィリアムズの作曲したオペラ「恋するサー・ジョン」、「ウィンザーの陽気な女房たち」をもとにしたこの作品には、「グリーンスリーヴスの旋律が織り込まれている。
 ヴォーン・ウィリアムズは民謡の採譜の為にイングランド中央部ノーフォーク州を訪れる。イングランド各地で収集した民謡は800以上に及ぶと言われる。このパブで書き留めた民謡「ラブリー・ジョーン」。そのメロディーは曲の中間部に生かされているという。
 ヴォーン・ウィリアムズは85歳に生涯を閉じるまで作曲を続ける。

⛳もう昼になろうとするこのとき、近くに緊急車の音、消防車が横付けに。TVではタイガース対エンジェルスが5回戦。主人は4回目のワクチン接種の為に外出。そろそろ帰るだろう。きのうは地上をかき乱した風も穏やかさを取り戻して、今昼の時報チャイムが流れている。
 市のホームページによれば「この時報チャイムは、郷土の詩人石川啄木の詩に、古賀政男氏が映画「情熱の詩人啄木」の伴奏曲として作曲した「春まだ浅く」です。昭和53年に放送設備とメロディーの寄贈を受け、毎日、午前8時30分と正午、午後6時の計3回、市庁舎及び盛岡西消防署の屋上に設置している設備から放送しています。」
チャイムも止んで12時6分更新

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220906クラシッククラブを聴く 米元響子 バイオリン・リサイタル

1997年パガニーニ国際コンで史上最年少13歳で入賞後、2001年日本音楽コン第1位、モスクワ・パガニーニ国際コンで優勝。現在、オランダで後進の指導にもあたる。【収録】2021年2月3日 ハクジュホール
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大須賀恵理:国内外で著名な演奏家と共演。教育者としても活躍。米元響子も幼いころから指導を受ける。

コメント
Q大須賀恵理について
米元響子:とっても明るくて優しい先生です。私はワルツの曲を一緒に演奏したんですけれども、そのときにワルツのスィングがとても特徴があって、私はそれでとても弾きやすかった覚えがあります。
Q再びの共演について
米元響子:やはり昔は何というんでしょうか、きょう演奏するようなソナタだったりというのは、まだ知らない時だったので、今回、ソナタを一緒に作り上げていく音楽をプログラムを組み立てる時点から一緒にお話合いできるのが嬉しい、時が経ったなあと実感しました。

曲目
バイオリン・ソナタK.296(モーツァルト)
1778
年母親と訪れたマンハイムで書き上げる。宿を提供した家の娘でピアノの生徒のテレーゼ・ピエロンに献呈されている。
この曲は出発前の3月11日に、世話になったマンハイム宮廷顧問官ゼラリウスの養女ピエロン嬢のために書かれた。
転載:美しいマンハイムの少女のための曲は、挿入された緩徐楽章アンダンテ・ソステヌートのなかに、ヨーハン・クリスティアーンへの最も強い回想を含んでいる。 それは器楽のアリエッタで、その主題と伴奏の仕方はほとんどそっくりロンドンの楽匠のアリア(『甘いそよ風』Dolci aurette)から取られている。
バイオリン・ソナタ(ドビュッシー)
バイオリンの名手ガストン・ブーレの助言を得て書き上げた晩年の傑作。この曲の初演が、ドビュッシーが公の前に姿を現した最後の機会となった。
ワルツ形式の練習曲による奇想曲 作品52 第6(サン・サーンス/イザイ)
高度な技巧を要する華麗なワルツはバイオリン曲としても人気を集めている。
アンコール 子どもの夢(イザイ)
アンコール 愛の悲しみ(クライスラー)

 

 

 

🎧名曲アルバム。ビゼー  カルメン組曲第2番「ロマの踊り」

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角田鋼亮&東京フィル

カルメン組曲第2番はセビリアが舞台。主人公カルメンは何ものに縛られず自由に生きる。奔放な恋を繰り返し命を落とす。

ロマを単なるジプシーと呼ばれる人々と単純に括ってきたけれども、これもちょっとググってみると世界各地でさまざまな呼び方をされてきたようだ。


このロマの踊りの情念が時として捨て鉢とも見え、それゆえそこに生きる事への強烈な執着も感じられることがあり、すこし辿ってみた。

⛳10時半更新

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220905クラシッククラブを聴く 神尾真由子 バイオリン・リサイタル

2007年第13回チャイコフスキー国際コンクールで優勝。ロストロポーヴィチ、インバル、アシュケナージ、メータなどの指揮者と共演、国際的に活躍するバイオリニスト。 【神尾真由子(バイオリン)】2007年第13回チャイコフスキー国際コンクールで優勝。ロストロポーヴィチ、インバル、アシュケナージ、メータなどの指揮者と共演、国際的に活躍する【田村響(ピアノ)】2007年ロン・ティボー国際コンクールで第1位。オーケストラとの共演のほか、室内楽でも活躍【曲目】チガーヌ(ラヴェル)妖精の踊り(バッツィーニ)ほか【収録】2020年11月13日文京シビックホール 大ホール
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 神尾真由子
4
歳でバイオリンを始める。11歳でメニューイン国際バイオリンコンクールジュニア部門で最年少入賞。2007年21歳で第13回チャイコフスキー国際コンクールで優勝。
田村響
3
歳からピアノを始め、18歳でザルツブルクモーツァルテウムに入学。200720歳でパリのロンティボー国際コンクールで第一位。

神尾真由子のコメント

Q国際コンクール優勝後の変化について

21歳になりたててコンクールに出たんですが、そのときはどこに行っても右手を注意されるような状態で、自分でも自信がなくて、それによって表現できる幅が狭くなっていたんですが、20代の後半ぐらいから、ある日いきなりのように右手のつかえがとれたような気がしまして、それからは自分でも自由に弾けるようになったかなと思います。たとえば、声だと一息で弾けるところもバイオリンでは弓をちょこちょこ返さないとそんなに続かないところであったり、ほんとうに一息のように弾けるように弓を動かしていくというようなことであったり、弓をはやく使うこともけっこう難しいことだったり、色々なほんとうに自分の体という楽器のように弾くと思ったら至らない部分が難しい部分がたくさんあるので、そういう意味で右手というのは目には付きにくいですけれど、かなり大きなウェイトをしめるところかなと思います。

Q母親となって変わったことは

いい意味で、もっと大事なものがあるので、それまでは演奏が大きなウェイトを占めていたんですが、そこまで大事でなくなったことがいいように作用しているかなあと思いますね。これは演奏家には付きものなんですが舞台に出る恐怖みたいなのが誰でもあります。よく言われるのが仕事が決まったら嬉しいけどキャンセルになったらもっと嬉しいとか、いざ出ることになったら怖い、キャンセルしたくなるというのが常なので、そういう意味ではちょっと練習が間に合ってなく嫌だなと思っても、子どものことでひやっとするのに比べたらもう全然怖い事じゃないのでほんとうに最近は楽しく演奏させていただいてるなと思います。

Qプロコフィエフの「バイオリン・ソナタ第2番について

後半はプロコフイエフの、すごくフランス的な響きがありながら、ちょっとロシアの響きもありながら、ただロシアものにしてはかなり軽め、叙情的でリリカルな流れるような不思議なハーモニーだったりきれいなハーモニーだったりと、とてもきれいなので、聴いてあまりズドーンとする感じではなく、きれいだなと思って聴いていただけると思います。

曲目
「月の光」ドビュッシー 田村響のピアノ演奏
「チガーヌ」ラヴェル
「バイオリン・ソナタ 第2番」プロコフィエフ
アンコール 「妖精の踊り」パッツィーニ

🎵伴奏者を伴奏者といわず共演演奏家、クラシック倶楽部を聴くようになってから、こういう意識に育てられた。コンサートの途中のどこかに共演者のピアノが入ることはよくあるのだが、このコンサートではピアノが切り口となった。ピアノ演奏が最初に置かれることの効果は、その後の演奏でもけっこう耳が引き続いてピアノを拾ってくれるのだ。耳という器官はしもべ的であるところもあり、本人の意識があるところの音を集中的に拾う。場合によっては意識外にある音は一切、その時の意識中には拾わない。かといって聴こえていないかと思えば、集中するポイントから意識を取り戻せば耳にはちゃんと入ってくる。意識を外させない音とは、ということにも。
「チガーヌ」、ハンガリーのバイオリニストが演奏するロマ音楽を聴き影響され作曲したとか。影を落とし影をさらい、しだいにほの灯りを携えて抜け駆け出てまちを徘徊、あそびだすといったイメージが浮かんだ。アンコールの「妖精の踊り」もテクニックのすごさ、至芸を待ち望む期待の間隙に心行くばかりの答えを充当してくれる。ロマの影響力の大きさをここでも。「バイオリン・ソナタ 第2番」は神尾のいうところを参考に聴く。前よりはすこしは分かったような。自分の分類の中ではどうしても聞きたい一曲という範疇ではないが、神尾が弾くなら、そして聴いてみて、そして聴いてよかったと。

 

 

🎧名曲アルバム。アントン・ルビンシテイン(1829~1894)「ピアノ協奏曲第4番」
ピアノ横山幸雄。渡邉一正&東京フィル
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ロシアを含むヨーロッパアメリカで精力的に演奏会を開き、ロシアのピアニストとして初めて世界的名声を博してロシア・ピアノ流派の祖となった。また、1862年にロシア最初の専門的な音楽教育機関であるサンクトペテルブルク音楽院を創設し、1859年にはロシア音楽協会を創設した。それまでオペラ中心であった[2]ロシアの音楽活動に交響曲管弦楽室内楽曲などを持ち込ませるなど、ヨーロッパの音楽的伝統をロシアに根付かせるために、彼はオペラから歌曲までのすべての19世紀のジャンルで作曲した。これはロシア人では初めてのことだった。(wikipedia)

没後彼の作品は独創性に欠け保守的だと評され急速に忘れ去られたという。64歳没。サンクトペテルブルクの地に眠る。ロシア音楽発展の礎を築いた。あの偉大なアルトゥール・ルビンシュタインとの関係はないようだ。

⛳6時43分更新
それにしても不思議だ。きょうも無事。きょうも生きている。

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きょうのことば「聖言(みことば)とわたし」

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年828()の礼拝のおことばをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 「聖言とわたし」  (國光勝美 牧師)
引証聖句 詩篇119105節ペテロの手紙 第一 4711
あなたのみことばは
私の道の光です。

「道の光」は今踏みだす一歩を危険から守ってくれる照らす光です。「道の光」は私たちがどこに進んでいったらいいのか、行くべき方向を示してくださる光です。「あなたのみことばは、わが足のともしび、わが道の光」は、私たちの一日一日、つまずかないように導いてくださる。このおことばが、私たちの地上における最終のゴールである天の御国に過つことなく導いてくださる。どうかこの神様のおことばを、きょうの道の光、足のともしび、そして私の生涯の道の光として、皆様方も一緒にみことばと共に歩んでいただきたいと心から願いながら、今日は、私はこれまでの牧師としての歩みを顧みております。自分のことをどこか隠しだてしておく方が、どこかミステリアスなのかもしれませんが、少なくとも私が牧師としてあるときに、私は、ありのままの姿を隠さないで提示する、そういう生き方が私らしいのだろうと思いました。
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 私は聖書的な背景がないところからお救いに与って、厳密にいうのならば、聖宣神学院に入学する資格のないままに入学が許された者です。聖宣神学院に入学するには信仰生活、教会生活を2年は行った者という規則があります。ところが私は111か月、それにすこし届かなかった。でも入学が許されて3年間の学びをいたしました。

 今にして皆様方には申し訳ないと思うのは、私にもっと多くの知識があったのならば、さまざまお話ができたのになあという思いがございます。それから、私の未熟さ、人間的な未熟さ、失敗ということもありました。今でもあります。
 それは牧会ということが何なのかを知らないままに牧師として盛岡の開拓をさせていただいたことです。何よりも人間的な未熟さがあった。おとしを召され経験を積んだ方々には歯がゆいこともあったのではと、ほんとうに申し訳ないようなことがいっぱいありました。

 それでも私が一つこれだけは言えると思ったのは、私は私の受けた福音というものを過つことなくお伝えしてまいりました。そのことには自負をもって私は証しをさせていただきたいと思うのです。こんな未熟な者が講壇に立ってお語りさせていただいた福音ですけれども、この福音を信じて間違いがあったということは絶対にありませんと、私の受けた福音を精一杯お伝えさせていただいたという思いを持っております。

 だからこそ、こういう角度から聖書を思い巡らしますと、パウロがガラテヤ人の手紙だとか、そのほか幾つかの牧会書簡に記したことが実感としてわかります。パウロが自分の命が危うくなってきたときに、「この福音によって」、と言っていることの意味が、ああなるほどと分かってきました。

 ガラテヤ書を見ますと、牧会者に会衆との別れが差し迫ったときに、どういうわけか教会に誤った福音、異端的な教えが入って来てしまった。そしてそこに、「私はパウロにつく、いや私はイエスにつく」などというような混乱、分裂が生じたとき、パウロはきっぱりと言っています「たとえ天使であったとしても、私に反する福音を伝える者は呪われるべきだ」と。パウロがこのように言っている気持ちがよくわかるのです。

「この福音によって救われる」。過つことのない純粋なこの教えに堅く立っていただきたい。この辺りで言いますと、タラッパンというカルト的な〝宗教団体〟が存在します。彼らは自分たちがカルトだと言ってはいない、自分たちこそほんとうだと言っているところが問題なのですけれども。つなぎにあり、東北の拠点となっている。このタラッパンが、従来の福音的な教会に混乱を来たらしています。どうかこのようなことに惑わされることなく、純粋に、「ただ福音によって救われる」ことを銘記いたしましょう。

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―この項目では、盛岡開拓当初、段ボールをテーブル代わりにして食事をしたことに始まる清貧を貫き通した牧師一家の経済がどうであったかが証しされました。しかしながら神は与え養い会堂建設の費用も不思議なようにその必要が満たされ、最後にはローンの完済が早められるように資金を投入くださる方が現れるなどして、ローン返済は滞りなく早められて完了しました。

この部分はブログの筆者による書き込みですが、教会の指導者がどのような暮らしぶり、あり方をしているかは、それがカルトであるかそうではないかを見分ける一つの方法であると思われます。また教会会計が明らかにされているかいないか、使途不明部分があるかないか、これも見極めるべき点かと思われます。会計が明快であるか否か、これも大きな一つのバロメーターかと思われます。ー



Img_20220828_115155 「我は全能の神なり 汝我前に歩みて完全かれよ」 創世記17:1

この日は45分ほどの説教でした。信者の為に牧者の個人的な体験も話されましたが、ここでは割愛いたします。

 

 

※以下の写真は筆者の自宅に於けるズーム礼拝のようすです。

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掲載の写真などは筆者のPCから録りました。

⏰台風被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げるとともに、引き続きお祈り申し上げます。
ウクライナ、アフガニスタン、心が痛みます。難題に解決の道がございますようにお祈り申し上げます。
7時5分更新


 

 

 

 

 

 

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雑記

 音楽とは関係ないけれど、今朝新日本紀行で真昆布漁を見た。

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 この松前小島の周辺が豊かであるらしい。たしか水深20メートルまで潜り、根元から取って束にし、いくつもの束を紐に括りつけて引き上げる。柔らかい部分は切り落として整形し出荷。よい煮出し汁が出る。
 海藻類は必ず一品食卓に乗せることにしている。結び昆布をほかの材料とお煮しめにすることが多いが、最近は昆布巻が美味しい。叔母が昆布巻が大好きだった。その気持ちが分かるようになっている。味噌汁にふのりやわかめ、たまには焼きまつもも美味しい。松前漬けも自家製にすると塩分を控えることができる。茎わかめを千切りにしたしょうがとだし醤油につけ込むのも美味しい。めかぶにゆずやれもんを垂らしても美味しい。何れ海藻類は食卓からは切り離せない。
 これらを育て、収穫し、出荷のための作業に力を注いでくださっている方々に感謝、感謝。

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220902クラシッククラブを聴く アレクセイ・リュビモフ ピアノ・リサイタル 220901 クラシック倶楽部を聴く ザルツブルク音楽祭2021 エフゲーニ・キーシン ピアノ・リサイタル

220902クラシッククラブを聴く アレクセイ・リュビモフ ピアノ・リサイタル

古典から現代まで幅広いレパートリーを持つリュビモフ。今回の来日は自身にとって特別な作曲家というモーツァルトだけで組まれた。即興性にとんだ変幻自在な演奏を放送する

アレクセイ・リュビモフ ピアノ・リサイタル
2019
929日 すみだトリフォニーホール 小ホール
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アレクセイ・リュビモフは1944年旧ソビエト連邦出身。10代から数々のコンクールで優勝し、その後現代音楽の演奏に力を入れ、シェーンベルクやブレーズの作品のソビエト初演を次つぎに行って注目をされた。30歳ごろからピアノだけでなくチャンバロやフォルテピアノといった古楽器の演奏にも取り組み、今では国を代表する古楽器奏者としても活躍しています。2018年には「第1回ピリオド楽器のためのショパン国際コンクール」の審査員も務めた。ピアノ、フォルテピアノ、チャンバロを弾きこなし、バロックから現代音楽まで幅広いレパートリーで活躍。モーツァルトはリュビモフにとって大切な作曲家であり、フォルテピアノの演奏でピアノ・ソナタ全曲録音を行っている。今回のコンサートではモダンピアノでモーツァルトの作品を熱演。

アレクセイ・リュビモフのコメント
多くの人はモーツァルトの音楽を語るとき、まず音楽の様式を理解することから入ろうとします。かつて私も古い音楽において大切なことは、様式を理解することだと思っていました。今私の考え方は少し広がりました。私にとって大切なことは様式ではなく、モーツァルトという人そのもの。様式においては同じ時代のほかの作曲家も同様でしたから。だからモーツァルトの人物像をひもとくことこそおもしろいアイデアであり、すばらしい課題だと思うようになりました。そして彼という人間の多彩性や多面性を演奏で表現することが一番大切だと思うようになったのです。モーツァルトの内面的な部分は、さまざまな文献や研究書で明らかになってきています。私はそうした資料を読むのがとても好きです。音楽を理解する助けになります。モーツァルトはとても複雑な人でした。どの小節にも彼の人間性が顕著に表れてています。私にとって大切なことは、彼の音楽から彼自身を見つけ出すことなのです。

曲目 オールモーツァルト

「幻想曲 ニ短調 K.397
「ピアノ・ソナタ ハ長調 K.545
「幻想曲 ハ短調 K.396
「ピアノ・ソナタ ハ短調 K.457

🎵演奏するさまはいうまでもなく、ハンマーの落ちるさま、黒鍵の並ぶハイライト、白鍵に動く動く指の影までに注意力を喚起させるすばらしい演奏。どこもかしこも聴き逃せない、見逃せない。どの音もが聴く者の感性に落ち、矛盾するようだが、繊細さややさしさが突き刺さるまでに繊細であるところに魅入られる。モーツァルトの内側に近づけた気が。
 けさはテンポの速い演奏を聴きなれてしまった自分に気づかされ、はたと立ち止まった瞬間も。 
「ピアノ・ソナタ ハ短調」、ベートーベンに影響を与えた曲であるとか。あの時代、後世に不動の位置を画する作曲家同士が互いに互いの創作に自らの曲を照らしての作曲が桁外れの壮観さを呈して眼前に迫る。 

🎧名曲アルバム。ブルックナー(182496) ミサ曲第3番から「ベネディクトゥス」
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ミサ曲第3番はブルックナーがウィーンへ移住する直前に書かれた。リンツ時代の集大成ともいうべき傑作であるという。

 

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220901 クラシック倶楽部を聴く ザルツブルク音楽祭2021 エフゲーニ・キーシン ピアノ・リサイタル  

世界的ピアニスト エフゲーニ・キーシンが2021年のザルツブルク音楽祭で亡き恩師に捧げた演奏からお送りする エフゲーニ・キーシン…1971年モスクワ生まれ
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【曲目】

ピアノ・ソナタ 作品1(ベルク)
ピアノのための3つの小品 作品5第3「舞曲」(フレンニコフ)
3つの前奏曲(ガーシュウィン)
ノクターン ロ長調 作品62第1
即興曲 第1番 変イ長調 作品29
ポロネーズ 変イ長調「英雄」作品53(ショパン)
アンコール 
ドデカフォニック・タンゴ(キーシン)
アンコール 「ベルガマスク組曲」から「月の光」(ドビュッシー)
【演奏】エフゲーニ・キーシン(ピアノ)【収録】2021年8月14日ザルツブルク祝祭大劇場(オーストリア)

🎵キーシンが作曲をしていた! 「ドデカフォニック・タンゴ」、聴いてみると、アルゼンチン、スペインあたりのタンゴとは一味も二味も違っていた。ロシア的、すべてこの一言で済まそうとは思わないけれども、あの暗く長く厳しい冬と暮らしを思わせ、そして野太さもある。最後はほとんどタンゴとは思われない力強いしめくくり。キーシンがどちらかと言えば繊細、優美、流麗さよりも、このような音色に我が意を得るピアニストであるように思う。この大舞台。万雷の拍手。スタンディング・オーベーション。演奏家としてのゆるぎない一つの位置に立ったことを思った。

🎧名曲アルバム。ベートーベン「交響曲 第8番」
小松一彦&東京フィル
ボヘミア北西部テプリツェで書かれた。滞在中1812年にここで散歩中、
偶然に文豪ゲーテと出会う。
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⛳12時2分更新

 

 

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