クラシック俱楽部を聴く 吉井瑞穂 オーボエリサイタル
秋田県大仙市でおこなわれた世界的オーボエ奏者 吉井瑞穂のリサイタルから。巨匠アバドの薫陶を受け、2000年からマーラー室内管弦楽団の首席オーボエ奏者を務める実力派が、知る人ぞ知る名曲から“朝ドラ”のテーマ音楽まで、オーボエの魅力たっぷりのプログラムを披露する。【曲目】オーボエとピアノのための組曲(パヴェル・ハース作曲)、風笛(大島ミチル作曲)ほか【収録】2019年6月14日 大曲市民会館―番組紹介よりー
岡純子は(ピアノ)
吉井 瑞穂 2000年にマーラー・チェンバー・オーケストラの首席オーボエ奏者に就任。07年のザルツブルク音楽祭では、フィッシャーの《オーボエ協奏曲》でソロデビュー。各新聞で絶賛された。いままでに、シュトゥットガルト放送交響楽団、バイエルン放送交響楽団、ケルン放送交響楽団、フランクフルト放送交響楽団などでソロ・オーボエ奏者として出演。
コメント(抜粋) 大曲で花火伝統文化継承資料館を見て花火も音楽も瞬間芸術。おなじようなことをやっているという驚きがあった。
最後の曲は「オーボエとピアノのための組曲」でパヴェル・ハース作曲。ハースハユダヤ人でガス室送りになった方。平和と音楽のもたらすことのできる何が芸術で世の中のお役に立てるのかを自分に問いかけつつ皆さんと一緒に考えられたらいいなと選んでみました。
岡 純子 10歳からピアノを始める。
大阪音楽大学卒業。在学中にオペラハウス管弦楽団と共演。
ジュネーブ音楽院伴奏科においてディプロム取得。第41回ティボールヴァルガ、ヴァイオリン国際コンクール公式伴奏者。西安国際オーボエフェスティバル公式伴奏者。
第10回および11回 国際オーボエコンクール・軽井沢公式伴奏者。第36回37回草津国際夏期音楽アカデミーでヴァイオリンクラス、ファゴットクラスのアシスタントピアニストを務める。
(OBOEより転載)
☆「オーボエ四重奏曲 ヘ長調 K.370」モーツァルト:作曲、ピーター・ホジソン:編曲
☆「シチリア舞曲 作品78」フォーレ:作曲、アンリ・ビュッセル:編曲
☆「歌劇「イーゴリ公」から「ダッタン人の踊り」」ボロディン:作曲、グラハム・バスタブル:編曲
☆「風笛」大島 ミチル:作曲、荻野 松宣:編曲「映画「ミッション」から「ガブリエルのオーボエ」」モリコーネ:作曲
☆「オーボエとピアノのための組曲 作品17」パヴェル・ハース:作曲
パヴェル・ハースはナチス軍の占領下にチェコ北部のテレジン強制収容所に入れられた後アウシュヴィッツへ移送され、1944年ガス室でその生涯を閉じた。「オーボエとピアノのための組曲」は、第二次大戦が始まる1939年に作曲された。
☆アンコール「千の風になって」新井満:作曲、荻野松宣:編曲
🎵「シチリア舞曲 作品78」、シチリアの空気感、青空を背景に動物たちが憩っている景色を勝手に想像しながら。「ダッタン人の踊り」、ダッタン人って? ググると短く分かりやすく解説してくれているブログがこちら。「風笛」、瞼に移ろうノスタルジア。
「オーボエとピアノのための組曲 作品17」、単純に通り抜けられない気がして
パヴェル・ハース:チェコのユダヤ人の靴職人ジクムントと、オデッサ出身のオリガ・エプシュテインの子として、チェコ語を母語として生まれ育つ。 14歳からブルノで正規の音楽教育を受ける。1919年から1921年ブルノ音楽院でヤン・クンツとヴィレーム・ペテルジェルカに学び、その後2年間レオシュ・ヤナーチェクの私塾で研鑽を積んだ。それ後20年の間に50曲以上が作曲されたが、作曲者自身によって作品番号を与えられたのは僅か18曲であった。家業の靴製造を手伝うかたわら、あらゆる種類の作曲にたずさわり、《交響曲》や合唱曲、歌曲、室内楽、映画音楽(「犬の生活」のための音楽)、舞台音楽、歌劇《サルラタン Sarlátan 》を創り続けた。1941年にテレージエンシュタット強制収容所に送致され、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で処刑された。《交響曲》は長らく未完成のまま放置されたが、1994年にズデニェク・ゾウハルにより、ハースの作曲様式を踏まえてオーケストレーションを施された。ハースの作品は、ボヘミアやモラヴィアの民俗音楽に根差しており、時折りユダヤ人の民謡にも似た趣きがある。テレージエンシュタット時代の作品は僅かに8作が遺されたにすぎない。(wikipediaより転載)
1939年前後の背景はこちら。ハースも日々の恐怖と戦っていたに違いない。出口、精神的な空気孔が作曲であったものか。背景を思うからか切ない思いに。
「千の風になって」、歌と違い、やわらかいけれどもどこか硬質な音が天からふって。絶品。
🎧名曲アルバム。「桃太郎」 文部省唱歌 岡野貞一・作曲/上柴はじめ・編曲
(合唱)NHK東京児童合唱団、二期会合唱団 (管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団 (指揮)岩村力
曖昧だった岡野貞一が立ち現れてくれたような。いつも思うのだが、たった5分の中に生い立ちを入れ資料写真を入れ、風土を入れ、関連する人々のようすをみせてくれる。霞がかって心に居続けてきた「桃太郎」がかなりの輪郭を帯びたひととき。
岡山には桃太郎伝説のモチーフがいたるところに。吉備の山の温羅(うら)という鬼が女子どもを釜ゆでにして食ってしまう。その鬼を吉備津彦命(きびつひこのみこと)が討伐。8月の「おかやま桃太郎まつり」に「うらじゃ」を踊る若者たちの姿も。「温羅の魂とも共生できる平和な世を願って」に、昨今世間を騒がせている事件などが想起せられ、しばし考えさせられた。
岡野貞一はwikipediaによると、「1892年、キリスト教徒として鳥取教会(現在:日本基督教団)で洗礼を受け、翌年、岡山の教会で宣教師からオルガンの演奏法を習った。」とある。この岡山の教会というのが薇陽学院なのだろう。「1895年には岡山の薇陽学院を中退し、上京して東京音楽学校に入学、1900年に専修部を卒業した」
岡山で学んだキリスト教系の学校のそばにあった三友寺には日本最初の孤児院があったという。周りではいつも子どもたちの遊ぶ声がこだましており、童謡、唱歌の才能は岡山で育まれたと。
明治末期、文部省は日本人作曲家の唱歌の編纂に力を入れた。30代で岡野は作曲委員に抜擢される。
「桃太郎」は明治44年小学校1年生の教科書に掲載される。
「1906年に東京音楽学校助教授、1923年に教授(声楽)となり、1932年に退官するまで音楽教育の指導者の育成に尽力した。1918年より文部省編纂の尋常小学唱歌の作曲委員であった。約40年にわたり東京の本郷中央教会(明治・大正期には本郷中央会堂と呼ばれた、カナダメソジスト系の教会)の教会オルガニスト(聖歌隊も指導)であった。1941年、日本大学附属病院で死去。63歳没。 」
⛳8月に入ったら、この時間帯の音楽、聴くは聴くけれども、この更新はやりかねる、と思っていたのだけれども、パヴェル・ハース、岡野貞一で、またもやそちこちぐぐったり。もうそろそろ歳だ。もうそろそろ眼が、もうそろそろ、と思いつつまたもや。きょうはたまに雨がぱらつき、比較的涼しく過ごしやすかった。
午前にはスーパーに買い物に。それが冷房が効きすぎていてちょっと具合が悪くなり急いでクルマに戻った。一瞬コロナに感染したのかもと思ったが、すぐに回復したのでほっと。
きょうからは4日間、盛岡市では「さんさ踊り」。熱気にコロナが弾き飛ばされてくれるといいのだけれども。
ブログ数か所のぞくうちに、何やら盛岡市浅岸の薬師社脇遺跡の土坑墓からローマの「ガラス小玉」が見つかったことを今頃知り、またそちこちをガチャガチャ。ついつい今時間になってしまった。
16時18分更新
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