終戦記念日 220815 クラシック倶楽部を聴く 戦没作曲家 尾崎宗吉の音楽
太平洋戦争で若くして亡くなった作曲家・尾崎宗吉(1915~1945)の作品を特集。尾崎は1934年東洋音楽学校(現・東京音楽大学)入学。将来を期待されながら志半ばで生涯を閉じた尾崎の音楽を、現代屈指の演奏家たちがよみがえらせる。
【出演】バイオリン渡辺玲子、チェロ古川展生、ピアノ黒岩航紀、弦楽四重奏クァルテット・インテグラ。
【収録】2022年6月24日 めぐろパーシモンホール
【曲目】
☆小弦楽四重奏曲
1935年20歳での処女作。作曲を始めて半年後だった。選考会で山田耕筰に認められ初演の機会を得る。
☆幻想曲とフーガ
1936年21歳で作曲。1937年NHKのラジオ放送で尾崎宗吉作品が特集され放送初演。チェロ演奏は尾崎の盟友井上頼豊であり、彼に献呈されている。
☆バイオリン・ソナタ 第2番
1938年23歳で作曲。バイオリン・ソナタ 第1番を書いた時に、痛烈な批判を浴び、一時期作品が書けなくなったが、第2番の発表に当たり、「新しい試み、努力をした」「自分というものを赤裸々に表す」と決意を述べている。
☆バイオリン・ソナタ 第3番
1939年24歳の作品。完成後召集令状が届き鉄道兵として任務に就く。尾崎自身は初演を聴くことはなかった。任地でも作曲をして兵たちを励ます。
☆「夜の歌」(全て尾崎宗吉作曲)
帰還して1943年4月に作曲。しかしこの後再び召集され中国で戦死。尾崎最後の作品。
無言館館主窪島誠一郎氏のことばが胸に響く。
「お父さんお母さんから与えられた生身の命と、作品という自分の産み落としたもう一つの命。彼らは死んでいないのですよ」尾崎について、「ある若者が明るさに向かって地底からもがきながら出ていくような出口のないところをさまよっている感じがあって、その次からぐーっと伸びていく。希望を見つけた感じがして。一人の若い音楽家として闇から明るい方向へ向かおうとしていた芸術家の姿」。「今も地球の裏側で起こっているあらゆる紛争や戦争の中で多くの表現者たちが命を落としていることを考えるとたまらない。人間には他者の自己表現を重んじ、しかも自分も何かを通じて、自分にしかないものを表現したい。僕はそれを信じたいし守っていきたい」
尾崎宗吉の資料は明治学院大学図書館付属日本近代音楽館に保管されてある。
🎧名曲アルバム。 マーラー「交響曲第3番第5楽章」
オーストリアのシュタインバッハにマーラーの作曲小屋がある。ここで1895年三つ目の交響曲に取り掛かる。「夏の真昼の夢」をイメージして書かれる。都会を離れ自然豊かなこの地で作曲に没頭。万物に宿る神秘を音楽によって表現しようとしていた。マーラーは午前中だけ作曲し午後は自然に親しむなど自由。動植物の声に耳を澄ましたり水泳をしたり。友人あての手紙に書かれていたことは、「私の曲は世界がいまだかつて聴いたことのないものとなる でしょう」「森羅万象が自分の声で語るのです。夢の中でしか感じ得ないような深い神秘を」
⛳兵器開発とはいかに効率よく人を殺すか、いかに効率よく対象物を破壊するか、敵に後れを取らぬように優れた機能を搭載させての軍拡競争。動悸がする。
「戦時下日本で、科学者はどのように軍事研究にかかわったか」
多くの国でいまこれが現在進行形。
8時50分更新
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