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2022年8月

220831 クラシック倶楽部 マルタ・アルゲリッチ&フレンズ 演奏会は聴き逃したが 夕べには盛岡市のキャラホールでオペラ講座が

 はたと眼が醒めるともう6時が過ぎていた。アルゲリッチは見なければと昨夜は意気込んだはず。今月はアルゲリッチで締め括ろう、ところがところがこの始末。とにかく眠い。さては低気圧か。6時のニュースに合わせてみると台風11号。
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 こんな日もある、そんな日もある。それでも番組予告を開けてみる。

世界的ピアニスト、マルタ・アルゲリッチが日本の若手バイオリニスト辻彩奈と、これまでに何度も共演歴があり信頼の厚いピアニスト酒井茜と共演したコンサートをお送りする 【曲】バイオリン・ソナタ イ長調(フランク)【演奏】辻彩奈(バイオリン)、マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)【曲】パガニーニの主題による変奏曲(ルトスワフスキ)【演奏】酒井茜(ピアノ)、マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)【曲】パガニーニの思い出(ショパン)【演奏】マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)ほか【収録】2022年6月3日 すみだトリフォニーホール 大ホール

🎧名曲アルバムは「べサメ・ムーチョ」。コンスエロ・ベラスケス作曲、丸山和範
(ギター)沖仁,(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団,(カホン)ホセ・コロン,(指揮)円光寺雅彦 ~メキシコ・グアダラハラ~

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 そうだ、きょうはオペラ講座がある。今開かれている数々の講座の中では、たぶん感染者は出ないだろうと思われる。受講者は観客席に1列に2から4人。講師はステージで。主催は盛岡市文化振興事業団。共催は盛岡市教育委員会という何やら堅め。講師は佐々木正利氏で宗教音楽のオーソリティー。
 特に佐々木門下に育った声楽家の実演は毎回楽しみ。特に在原泉さんは東京国際声楽コンクールの審査員を務める。また多くの団体からソリストとして招かれている。
 CD,DVDを用いてのオペラの数々の場面には、引き込まれ、圧倒され、感動というよりも全身全霊をあげての説得力に驚かされている。全5回の講座だ。2回目のきょうは「バロックオペラの発展と変遷」。ちょうど聴衆が王侯貴族から一般の人々にももたらされるようになるその過渡期もたどった。以下は佐々木正利氏についてですが、1度クリックしていただくと、鮮明にお読みいただけます。
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⛳22時26分更新






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220830 クラシック倶楽部を聴く ニコラ・アンゲリッシュ ピアノ・リサイタル

 米で生まれ仏で学んだアンゲリッシュ。来日の回数は多いものの、オーケストラとの共演がメインで本格的なソロ演奏会は今回がほぼ初めて。卓越したピアニズムを聴く。【曲目】「きたれ、異教徒の救い主よ」BWV659(バッハ作曲ブゾーニ編曲)、クライスレリアーナ 作品16(シューマン作曲)ほか【演奏】ニコラ・アンゲリッシュ(ピアノ)【収録】2019年10月15日 紀尾井ホール

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ニコラ・アンゲリシュ
1970
年アメリカ生まれ。13歳でパリ国立高等音楽院に入学し、アルド・チッコリーニ、イヴォンヌ・ロリオ、ミシェル・ベロフ、マリー=フランソワーズ・ビュケに師事した。ピアノと室内楽で1等賞を授与され、同音楽院を卒業。
 アメリカのジーナ・バッカウアー国際ピアノ・コンクールで第1位(1994年)に輝く。ソリストとして世界の舞台で活躍するばかりでなく、マルタ・アルゲリッチをはじめ、ルノー・カプソン、ゴーティエ・カプソンなど著名な音楽家たちから篤い信頼を得て共演を重ねている。

ニコラ・アンゲリッシュのコメント
Q日本について
学生時代に日本人の友人がたくさん出来て、日本に興味を持つようになりました。日本の人々は音楽や芸術に対して素直な愛情と敬意を持っていますね。すばらしいことです。そのような人はどこの国にもいますが、日本は特別ではないでしょうか。あらゆるものを敬う精神が根付いているこの国が好きです。
Q
プログラムについて
プログラムを考えるときには、「音楽の旅路」のようなものを念頭に置いています。感情的、精神的な旅路で、作品の再発見にもつながります。調和を持ちながら異なる世界観を持つ作品を並べるように工夫を凝らしています。きょう演奏する曲はどれも近年弾き込んでいる大好きな作品です。
Q
クライスレリアーナについて
シューマンは常に画期的な試みに挑戦しました。この曲も従来の音楽の枠を超越しています。それぞれの曲の調性の選び方も独特です。激しさと親密性、内面的な性格が混在していて情熱的であり、いかにもロマン派らしい曲ですね。シューマンの音楽はロマン派という時代を体現していると言っても過言ではないでしょう。 

曲目
「コラール前奏曲「きたれ、異教徒の救い主よ」BWV659バッハ:作曲、ブゾーニ:編曲

厳かな低音と装飾的に歌う旋律の特徴が際立つ。ブゾーニの編曲は多くのピアニストに愛されている。
「クライスレリアーナ 作品16シューマン:作曲
シューマンはクララとの結婚を反対されていた時期に苦しい思いを綴るかのようにピアノ曲を次々に書いた。「クライスレリアーナ」もそういった時期の作品。題名はE.T.A.ホフマンの著作に由来している。ダイナミックであり、変化に富んだ8曲で構成されたシューマンのピアノ作品の傑作の一つ。
「こどもの情景 作品15 から「知らない国々」」シューマン:作曲

🎵2019年4月に来日したマルタ・アルゲリッチがアンゲリッシュを語るに、「ニコラのことは何年も前、彼が若い時からよく知っていてよく共演もしています。しかし、間もなく50歳を迎える彼が日本であまり知られていないなんて、信じられないわ!だってニコラは私がサポートなんてする必要はまったくなく、ヨーロッパでは素晴らしいキャリアを積んで充実した活動をしているのに。彼は真摯で謙虚。インテリジェントで本当に素晴らしい音楽を聴かせてくれます。彼に『スター』という感覚はないかもしれないけれど、音楽家としてこういう態度はとても大事だし、ニコラのようなピアニストにこそ人々の関心が強まることを望んでいます」。

その信じられない一人がこのブログの管理人だったのだニコラ・アンゲリッシュ。「クライスレリアーナ 作品16」1357曲と興味深く。解説をのみ込むにはあと何回か聴く必要がありそうだ。心の奥で誰かが、それはおそらくは自分だろうけれども、「笑います」と言っている。けさは感想を書いても、その感想を後で読んで「笑います」「笑えます」「笑いましょう」となりそうなので、一曲だけを然るべき先につないで終わりに。(苦笑)
 亡くなられていたことを今回そちこちググっている中で知った。51歳。早すぎる。

追悼 ニコラ・アンゲリシュ氏 (タワーレコード追悼ページから)
アンゲリッシュ

 アメリカ出身の名ピアニストで、ラ・フォル・ジュルネ音楽祭など数多くの来日公演でも親しまれた二コラ・アンゲリッシュさんが、418日にパリ市内の病院で、慢性的な肺疾患のために亡くなりました。51歳でした。
 我が国へは2006年のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンで初来日。2020年の国際音楽祭NIPPONでの、ヴァイオリンの諏訪内晶子さんとの共演が最後の来日となりました。

 

 

🎧名曲アルバム。「桃太郎」 文部省唱歌 岡野貞一作曲、上柴はじめ編曲
NHK
東京児童合唱団、二期会合唱団
東京フィル&岩村力
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岡山にある桃太郎伝説は吉備の山の上に住む温羅という鬼が女こどもを釜茹でにして食べるというはなし。この鬼の退治に吉備津彦命(きびつひこのみこと)が成敗に乗り出した。放った矢が左目を射抜きその血で赤く染まったのが吸血川だというのだが、川を血に染めるほどの大量の流血がおどろおどろしい。後で神社が建てられているが、鬼の方の魂も慰められているようだ。8月の「おかやま桃太郎まつり」では「うらじゃ」踊りが繰り広げられる。
 それにしても、岡野貞一(18781941)によって明治に作られた曲が現代の曲に勝って、多くの方々を慰め愛唱されていることにあらためて瞠目。

⛳きょうも夕方の更新になってしまった。いつもなら朝5時台の写真、それがきょうは夕方5時の写真がこれ。5時のニュース。
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こんな時に、ことさらに冷静な神の眼を感じるのはなぜだろう。17時7分更新

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220829 クラシック倶楽部を聴くアン・セット・シス ピアノ・デュオ〜北海道北見市公開収録〜

人気の管弦楽作品、映画音楽を豪華絢爛な2台ピアノ版にアレンジ!山中惇史と高橋優介による気鋭のピアノ・デュオ「アン・セット・シス」の情熱あふれる演奏をお届けする。【演奏】アン・セット・シス 【収録】2022年6月15日 北見市民会館(北海道北見市) アン・セット・シス山中惇史と高橋優介により2019年に結成されたピアノ・デュオ。自ら作曲・編曲を手がけた独自のレパートリーで注目を集めている。-番組紹介よりー
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コメント
髙橋:ジョン・ウィリアムズについては、難しい音楽じゃなくて分かりやすいメロディーなのに、そこにけっこうびっくりするような  つくって言うのがジョン・ウィリアムズの魅力じゃないかな。
山中:ぼくが小学校の頃ハリー・ポッターが大ヒットして、音楽にやっぱり衝撃を受けて、映像以上に物語を語ってしまう。当時習ってるピアノの曲といえばソナチネとか、そこから逸脱した聞いたこともないような和音とオーケストラの音に衝撃を受けて、もう一回大人になって聴いて観たら、やっぱりそのすごさが色あせてない。これは「ローマ」に続いてテーマにできうる題材じゃないかと思ってこれを選びました。
髙橋:レパートリーの部分ってけっこうたとえばオーケストラの作品なんか、話せばたくさんあるし、そういうのを二人でやっていきたいなと思っています。他でもない山中さんと。

山中:僕たちにしかできないこと、それはれぱーとりーにしてもそうですし、演奏内容についてもそうですし、唯一無二のピアノ・デュオになれたらなあと思ってます。


【曲目】
交響詩「ローマの祭り」(レスピーギ作曲、山中惇史・高橋優介編曲)
「時代」(中島みゆき作曲、後藤元信編曲)
「Opening」(山中惇史作曲)
映画「ハリー・ポッター」シリーズから(ジョン・ウィリアムズ作曲、山中惇史編曲)
「スターウォーズ」から「メイン・タイトル」(ジョン・ウィリアムズ作曲、山中惇史編曲)

🎵「ローマの祭り」、二台用ピアノに編曲しての初演であるという。きょうは5分遅れで「ローマの祭り」に間に合う。「ハリー・ポッター」、不思議な未知への歩み、そのワクワク感。ジューシー。
 

🎧名曲アルバム。ドボルザーク「アメリカ」
バイオリン漆原啓子・川田知子、ビオラ鈴木康浩、チェロ向山佳絵子
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ドボルザークは1893年スピルヴィルに滞在。ここで通った教会のオルガンをよく弾いたという。「アメリカ」はスラブ舞曲と黒人霊歌の融合

 

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きょうのことば「恵みの良い管理者」 

 インマヌエル盛岡キリスト教会2022年821()の礼拝のおことばをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 「恵みの良い管理者」  (國光勝美 牧師)
引証聖句 ペテロの手紙 第一 4711
7 万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。
8 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。
9 不平を言わないで、互いにもてなし合いなさい。
10 それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。
11 語るのであれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕するのであれば、神が備えてくださる力によって、ふさわしく奉仕しなさい。すべてにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。この方に栄光と力が世々限りなくありますように。アーメン。

 

 きょうは「恵みの良い管理者」という説教題で、御用を果たさせていただきたいと思っております。
 この10節のおことば「それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい」。このおことばに集中します。

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 ここに第一番目に「それぞれが賜物を受けているのですから」。この「賜物」と「恵み」は、ここでは、等しい意味合いで用いられております。私たちは等しい神様の恵みを受けてお救いに与り、クリスチャンとしての歩みをさせていただいております。その時に私たちは賜物を神様から受けている。それぞれが賜物を受けていることを、そのまま受け入れたく存じます。謙遜と不信仰は違います。私はそんな賜物など、そんな畏れ多いことは、というような謙遜をしてしまう気持ちがありますが、神様が賜物をくださるというときには、有難うございますといって素直に感謝して受け入れることです。私たちが救いの恵みを受けたとき、そうでした。受ける資格があるからではない。ほんとうに自分の現状を認め、神の御子の十字架のご愛というものを知ったときに、こんな者に主が与えてくださった恵みを、私たちは有難うございますと受けました。それを信仰と言います。有難うございますと謙遜に、またある場合には、もう縋りつく以外にないというような切実さをもって、私たちはそれを受けました。その時、神様は、あなた方一人ひとりに賜物を与えてくださる。そしてそれは神様にお仕えするための賜物である。


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 そしてもう一つ、神のさまざまな恵みの良い管理者として、既に受けているはずのその恵みの良い管理者であるように。「善良なる管理者」とちょっと固い表現を使いましたけれども、善良なる管理者。与えられている賜物を善良な管理者としてこれを管理する、用いる。福音書にはタラントのたとえ、それからミナのたとえがあります。今日はこれを取り上げて大きく学ぼうとするのではないのですが、皆さん方、ああそうだったと思い出していただくためにもマタイ伝2514節からのところを画面には出しませんので聖書を開いていただきます。


マタイ25:14
14天の御国は、旅に出るにあたり、自分のしもべたちを呼んで財産を預ける人のようです。
15彼はそれぞれの能力に応じて、一人には五タラント、一人には二タラント、もう一人には一タラントを渡して旅に出かけた。するとすぐに、
16五タラント預かった者は出て行って、それで商売をし、ほかに五タラントをもうけた。
17同じように、二タラント預かった者もほかに二タラントをもうけた。
18一方、一タラント預かった者は出て行って地面に穴を掘り、主人の金を隠した。

 時代にもよると思いますが、一タラントを今ではだいたい3,000万円としてみましょう。いちばん少ない金額を預けられた人も実は3,000万円です。そして二タラントは6,000万円。五タラントは15,000万円です。大きな恵み、賜物です。これを管理するようにとあります。それぞれが与えられたそれぞれをベストを尽くして管理する。
 一タラント受けた人は、ご主人様から何か文句を言われるといけないからというので、「地面に穴を掘り、主人の金を隠した」。マタイ2525節を見ますと、主人が帰ってきたときに、「はい、ご主人様あなたに預けられました一タラントはここにあります」と言って出して見せたというのです。ところが主人は彼に「悪い、怠け者のしもべだ」と激怒したのです。
 これは分かりやすいたとえばなしです。せっかく賜物を用いて最善に管理するようにと言われたのに、与えられているものを用いずにいるときに、大きな失望を神様に与えるどころか、何という奴だというお叱りを受けてしまう。


 それからもう一つ、ミナのたとえがあります。ルカ1911節からのところにありますが、
特に13「 彼はしもべを十人呼んで、彼らに十ミナを与え、『私が帰って来るまで、これで商売をしなさい』と言った。
 ここに10人に10ミナを与えたとあります。1ミナは今でいうと50万円相当です。ただ金額がいくらかということは、ここではそれほど大きな問題ではありません。それぞれ同じように10ミナを与えてやったのにそれを活用したか、活用しないのか。
 20節を見ると、「ご主人様、ご覧ください。あなた様の1ミナがございます。私は布に包んで、しまっておきました。あなた様は預けなかったものを取り立て、蒔かなかったものを刈り取られる厳しい方ですから、怖かったのです」。

「布に包んで」という。つまりこれは善良な管理者ではありませんでした。私たちは一人ひとり能力も違います。違って当然です。預けられているものの多い少ないはあるでしょう。問題はそういうことではない。与えられているはずの神様からの賜物を積極的にそれを用いるか、それとも何もしないままにしてしまうのか。そのことを思いながら、どうか私たちがそれぞれ神様の良い恵みの管理者として、どうか与えられている賜物を用いましょう。活用しましょう。

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 そして最後にもう一つ申し上げたい。
それは、その賜物を用いて「互いに使え合いなさい」というこのおことばです。これを思い巡らす中にいただいた大きな語り掛けとしては、ヨハネ13章のおことばであります。
 
 ヨハネ13章、イエス様が最後のお別れの晩餐の席にあったとき、4節を見ると、
「4イエスは夕食の席から立ちあがって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた」。イエス様が奴隷の仕事を自らなさった。「5弟子たちの足を洗い、腰にまとっていた手ぬぐいで拭きはじめられた」。イエス様がなさいました。イエス様はこのことを通して、互いに仕え合うべきであるという、奉仕をするときもこの大切な心構えを教えてくださいました。
 互いに仕え合う。このイエス様のほんとうの謙遜が、賜物を用いて互いに仕え合うという時に、あの人この人ではなく私自身が主が弟子になさったようにさせていただくことが特権なのです。そのように心から思って主にお仕えすることができたら、何と幸いなことでしょうか。このことが私たちの教会になされていくのならば、本当に主のお喜びになるリバイバルの火がここから始まるように思います。


※資料はズーム礼拝に参加のときPC画面から録りました。
このほかにもさまざまお話しがありましたが、ポイントを記させていただきました。
文責:中ぶんな
⏰5時50分更新


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雑感

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朝は7時のニュースに始まり、そして昼間は天寿を全うされた知人の弔問。そして夜は大曲の花火中継。
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 降水確率90パーセントに入った時間帯に大会提供花火。3年ぶりに雨の大空に華麗に豪快に打ち上げられた花火。3枚目は観客の花火師への感謝に揺れるペンライト、そしてそれに答える花火師のトーチ。帰りの道中の無事を祈りつつ。

⛳22時52分更新

 

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220826 クラシック倶楽部を聴く バリトン・アンサンブル ハンサム四兄弟 演奏会

宮本益光、与那城敬、近藤圭、加耒 徹、日本を代表するバリトン歌手4人で結成するハンサム四兄弟の演奏会。日本歌曲からオペラアリアまで多彩な歌声をお届けします。 【曲目】うたうこと・・・平和へのソネット(宮本益光)、春(信長富貴)、歌劇「フィガロの結婚」K.492から「これでいい、さあもうすぐだ」(モーツァルト)、歌劇「ドン・カルロ」から ロドリーゴの死「終わりの日は来た」(ヴェルディ)、AROUND THE WORLD 映画音楽で巡る世界一周メドレー(加藤昌則 編曲)ほか【演奏】ハンサム四兄弟【収録】2022年6月9日王子ーホール(東京)

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曲目
☆うたうこと…平和へのソネット  宮本益光
☆春 新川和江詞、信長貴富
☆歌劇「リナルド」から「アレクト―の蛇の音が聴こえるのか」 ヘンデル
☆歌劇「フィガロの結婚」から「これでいい、さあもうすぐだ」 モーツァルト
☆歌劇「ドン・カルロ」からロドリーゴの死「終わりの日は来た」 ヴェルディ
☆歌劇「エロディアード」から「はかないまぼろし」 マスネ
                                  訳 宮本益光
☆AROUND THE WOLLD(映画音楽で巡る世界一周メドレー) 加藤昌則・編曲
  映画「八十日間世界一周」「男と女」「エマニエル夫人」「太陽がいっぱい」「ゴッドフ ァーザー愛のテーマ」「メリー・ポピンズ チムチムチェリー」「サウンドミュージック エーデルワイス」「第三の男 ハリー・ライムのテーマ」「屋根の上のバイオリン弾き サンライズ・サンセット」「昼下がりの情事 魅惑のワルツ」「風と共に去りぬ タラのテーマ」「八十日間世界一周 アラウンド・ザ・ワールド」「男はつらいよ」


加藤昌公則のコメント
バリトンが4人となると、同じ音域を4人が密集しちゃうので、そのままにすると、ちょっとハーモニー的に偏ってしまうんですよ。それをピンにしたりふたりにしたり、振り分けてメドレー全体の構成としても4人で動く瞬間もあれば、伴奏に二人が回るとか、一人だといかんとかというその役回しをすることによってメドレー全体がすこしショー的にも楽しめるような、そういう工夫をした方がいいかなと思ったんで、計画的に作っていくという作業をしました。
🎵実は10分遅れの視聴。最初を聞き逃したし、プログラムの2番目が果たして「春」であったかどうか。もう一曲入ってはいなかったか。オンデマンドでまでは見たことがなく、ありのままに書き連ねている。

 昨夜この番組の予告を見ながら、「ハンサム4兄弟」とは思い切ったタイトルをつけたものと何やら怪しげな感じも。しかしこれが実の兄弟で4人が4人の声質がバリトンとなったら、これは聴きごたえがありそうと期待が湧いた。その期待も、昨日は掃除に珍しく熱が入ってしまい、もうここまで、まだまだもうちょっと、もうここまで、まだまだもうちょっと、を繰り返すうちにどっと疲れが。
 また多忙であり、お互いを認め合う心地よいコメントの筆記は割愛してしまった。オペラアリア、聴きごたえあり。
 作曲家がステージに出ることはめずらしくないが、きょうは編曲者がピアノ伴奏、紹介も。

🎧名曲アルバム。「ソルヴェイグの歌」グリーグ
ソプラノ天羽明惠、ピアノ松川儒
「冬が過ぎ春も去り
そしてまた夏も終わり一年が過ぎゆく
けれどいつかあなたは戻る
わたしはそう信じています」

ノルウェーの作家イプセンの代表作「ペール・ギュント」の中で歌われる。
冒険に旅立ったペール・ギュントを恋人ソルヴェイグが待ち続ける。
毎年8月ノルウェー東部ヴィンストラ村ゴーロー湖畔で村人によって「ペール・ギュント」が上演される。
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⛳もう半年にもなるウクライナ侵攻。ソルヴェイグの歌を聴きながら、ウクライナの、ロシアの出征兵士たちを家族はまして、どんな思いで帰還を待ちわびていることかと。
12時57分更新

 

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220825 クラシック倶楽部を聴く イル・デーヴ スペシャル・コンサート〜北海道伊達市公開収録〜

重量級ボーカルグループ、イル・デーヴが心にしみる日本の名曲を熱唱望月哲也、大槻孝志(テノール)青山貴(バリトン)山下浩司(バスバリトン)河原忠之(ピアノ) 「さびしいカシの木」「かもめ」「涙そうそう」「花は咲く」(イル・デーヴ)「ちびつぐみ」(山下浩司)「かやの木山の」(望月哲也)「あわて床屋」(青山貴)「春」(大槻孝志)「ピアノのためのからたちの花」(河原忠之)「糸」「いのちの歌」「アンパンマンのマーチ」(イル・デーヴ)2020年11月29日 北海道伊達市 だて歴史の杜カルチャーセンター公開収録―番組紹介からー
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青山貴のコメント
今年のコロナ禍で、イル・デーヴも他のクラシックの演奏家の皆さんと同じようにやはり春から演奏会が次々と中止になってしまいました。練習もできなかったですし、活動が全くできない状態が何か月も続いたんですが、その秋から少しづく演奏活動を再開させていただき、これが何とか続けていけたらなあとおもっています。

メンバーが互いに魅力を語る
山下浩司の魅力―青山から
 山下さんはこのイル・デーブ5人のリーダー。大先輩にあたる。頼らせて頂いてるし気さくに接してくれますし、とてもやさしい方です。
望月哲也の魅力―山下から
 イル・デーブのいちばん上のパートを歌う事が多いんですけれども、その時にみんなを先導してくれるというか、そのいちばん上のパートとか、音楽を先導してくれるすばらしいテノール。
青山貴の魅力はー河原から
 いちばん年下のメンバー。デーブのマスコットといわれている。冷静に考えてみたら、彼の歌唱、彼のおしゃべり、いわゆるMCといわれているんですけれども、いちばんお客さんの人気が高い。イル・デーブのメンバーからもそうですしお客さんのみんなからも愛される愛すべき存在。
大槻孝志の魅力はー望月から
 望月は大槻とは大学時代からの同級生。アイデアマン。コンサートのプログラミングも積極的に考えてくれ、イル・デーブの可能性も探って盛り上げてくれる。


河原忠之の魅力―大槻から
 ほんとうに見た通りの大柄な体格で、僕(大槻)たちの声も見た目も支えてくださって、僕は個人的に河原先生のピアノの音が好きで、みんなもそうなんですが、その音に後押しされて毎回気持ちを乗せられるという大黒柱というか、縁の下の力持ちといった存在。

曲目
「さびしいカシの木」やなせたかし作詞、木下牧子作曲
「鷗」三善達治作詞、木下牧子作曲
「涙そうそう」森山良子作詞、BEGIN作曲
「花は咲く」岩井俊二作詞、菅野よう子作曲
「ちびつぐみ」北原白秋作詞、平井康三郎
 歌 山下浩司
「かやの木山の」北原白秋作詞、山田耕筰作曲
 歌 望月哲也
「あわて床屋」北原白秋作詞、山田耕筰作曲
 歌 青山貴
「春」新川和江作詞、信長貴富作曲
 歌 大槻孝志
「ピアノのためのからたちの花」山田耕筰作曲
 ピアノ 河原忠之
「糸」中島みゆき作詞曲
「いのちの歌」Miyabi作詞、村松崇継作曲
「アンパンマンのマーチ」やなせたかし作詞、三木たかし作曲

 

🎵詩人としてのやなせたかしは「詩とメルヘン」も主宰。最初は大人向けに書いた「アンパンマン」を、後に子供向けの漫画に描き直してヒット。やなせは60歳を過ぎていた。1988にはTV放映。69歳にして爆発的なヒットを手にする。

こうしてじっくり聴いてみると、歌の雰囲気が「アンパンマン」のところだけ瞬時あの飛ぶヒーローが浮かぶのだが、よい詩だなと思う。

なんのために 生まれて
なんのために 生きるのか
こたえられないなんて
そんなのはいやだ
今を生きることで
熱い心燃える
だから君は行くんだ
微笑んで
そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷が
いたんでも
ああ アンパンマン
やさしい君は
行け
みんなの夢まもるため

 

 ちょっと話は飛躍するけれども、イエス・キリストは人の罪を肩代わりして十字架の罰を受け苦しんだというけれども、このアンパンマンはお腹を空かせたものたちに自分の体を食べさせる。自分は痛いのだけれどその痛みの分だけ他者が生きる。私の友達が病気で苦しむ過程を踏むことになり、何といってよいか分からなかった。けれどもその後で、自分が苦しむときには誰かがどこかで生かされるときなのではないか、だから苦しみは無駄ではない、そんな気がした。けれども、友達と全く同じ状況に置かれてみなければ、それを口にはできない、そんな気もした。
 今回聴いていて、流行歌にも人を励ます、気持ちをホットにしてくれる歌はたくさんあるなと。中島みゆきもMiyabiも。 
 メンバーによるそれぞれの方の紹介とソロ演奏、バス・バリトン山下の「ちびつぐみ」、朗々と重厚。イル・デーヴ、包容力も感じさせる。

 

 

🎧名曲アルバム。ダンディー作曲「フランスの山人の歌による交響曲」
ピアノ浦壁信二、小泉和裕&N

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 貴族の家に生まれはやくに両親に先立たれ厳格な祖母に育てられた彼は作曲でも厳格さと理性を重んじたが、この曲では自然から農村、牧場から受けた数々のインスピレーションをもとに、穏やかなのどかな情景が素朴な調べとなって伝統的な様式美に織り込まれているという。仏の教育界の重鎮。教育にも携わる。


さまざま録った情報が詰まっているICレコーダー、誤操作ですべてが忽然と消えた。PCに取り込んでおかなかったことが悔やまれると言えばまともなのだろうが、近頃は、まあいいでしょ、これが人の生死に関わるわけじゃない。まあいいか、が近頃多くなっている。最近は物を落とした、物を置き忘れたは一時期ほどはなくなっているが、何を落としたとしても免許書、保健書、カード以外であれば、まあいいかとなりそうだが、「齢のせい」にかこつけて、どこかに自分を置き忘れてきてしまった感覚がないではない。もういいやと思っていた創作ができていないところに、創作への意欲が沈潜してしまっているところに、置き忘れ感覚の原因がありそうなのだけれども。
7時45分更新

 

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220824 クラシック倶楽部を聴く 東京混声合唱団演奏会

1956年の設立以来、日本の合唱界をけん引してきた円熟のアンサンブルをご紹介します。【出演】東京混声合唱団(合唱)、山田和樹(指揮)、福間洸太朗(ピアノM3のみ)【曲目】1.コンダリラ(スティーブン・リーク作曲)、2.カンタータ「人間の顔」(プーランク作曲)、3.混声合唱とピアノのための「鉄道組曲」(信長貴富作曲) 【収録】2020年2月8日 東京文化会館 小ホールで収録ー難組解説よりー

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山田和樹のコメント
東混ができた当時は合唱曲というものがそもそも日本に少なかった。それを委嘱して作っていこうという団体でもあって、必然的にそれが委嘱初演というものが活動の主軸にあって、今の時代ですからハーモニーがちゃんとしている曲から無調のような現代音楽まで幅広いものに対応できないとプロフェッショナルとしてやっていけないものですから、そこらへんはここに技量の高い人が集まっているという面もあります。一つ今回、自然と人というんですか「コンラリダという曲も、アボリジニに伝わる曲でして、そこに先ず大自然があって、そこに人が生まれて、そして音楽が生まれて行ったというこの三つの自然と人と音楽を結びつけるようなプログラミングになればいいなあというのがありまして、そこに信長さんが加わってレールがそこに敷かれるというスト-リー的にはうまくまとまったんではないかなと思っております。
 信長さんというのは、非常にアイデアマンなんんですね。6曲あるんですけれども、まったくバラエティーに富んでいるというか、まったく違うスタイルの曲が6曲ならんだんですね。最初は電車が走る走行音であるとか、タカタカというそういう音だけでできてる曲なんですけれども、それが2曲目になると宮澤賢治さんの世界観の出る曲になって、3曲目は短い間奏曲なんですけれども、アカペラ、伴奏を入れない。そして、それが4曲目につながって、これは非常に叙情的な上野ステーションという曲で、で、それが5曲目になりますと、それが合唱なんですけども、オペラみたいな要素が入って来て、ソロが出て来て歌う。それが最後どうなるのかなと思いきや一気に落語の世界に行ってしまうという、これがまたすごい強烈なインパクトなんです。アイデアのすごさを感じました。

曲目

☆「コンダリラ」
スティーブン・リーク/アン・フェアバーン:作詞、井形ちづる:訳
スティーブン・リーク:作曲
☆「カンタータ「人間の顔」」ポール・エリュアール:作詞、プーランク:作曲
☆「混声合唱とピアノのための「鉄道組曲」」
三宮麻由子、宮沢賢治、石川啄木、室生犀星、吉野弘、四代目・柳亭痴楽:作詞
信長貴富:作曲[-2019年度 新作委嘱初演-]

🎵「鉄道組曲」の演出が、けっこう歌い手の自由に任されているという感じで、それぞれの方がその中で楽しんでいるところを楽しんだ。

 

🎧名曲アルバム。ショパン「マズルカ へ短調作品68第4」
(ピアノ)廻由美子
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ワルシャワの西50キロにあるジェラゾヴァ・ヴォラにショパンの生家、スカルベルク家がある。ショパンの父はここで家庭教師、母はスカルベルク家の遠縁にあたる。屋敷は当時のようすが再現されている。

⛳8時5分更新

 

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220823 クラシック倶楽部を聴く タリス・スコラーズ 演奏会

ルネサンスの作曲家、トマス・タリスの名を冠したコーラス・アンサンブル、タリス・スコラーズ。透明で濁りのないその歌声は比類のない美しさで聞くものの心をとらえてきた【出演】タリス・スコラーズ(合唱)ピーター・フィリップス(指揮)【曲目】「マリアよ あなたはすべてに美しい」(ゲレーロ作曲)「レクイエム(死者のための聖務)」(ビクトリア)【収録】2019年6月4日 東京オペラシティ コンサートホール-番組紹介からー



ピーター・フィリップスのコメント
活動を始めてもう45年ほどになります。ルネサンス音楽を演奏するためにこの合唱団をつくりました。当時はこの時代の作品を演奏する団体はまれでした。私は声の響きに魅せられたのです。合唱団のメンバーに求められるのは透明かつ強い声です。そして常に新しい技術を習得することを心掛けてきました。ルネサンス音楽はバロック音楽とはまったく異なったスタイルが要求されます。リズムもチューニングも違いますし、ルネサンス音楽は独唱ではなく小規模の合唱ですから、これだけ大きなホールで歌うのはとても難しいのです。日本は大きなホールが多く声の響かせ方を学びました。
ビクトリアの才能を説明するのは難しい。彼は奇跡の作曲家です。音が強烈です。ごく普通の和音をより印象深く響かせる能力に優れていました。パレストリーナやタリスバードのような作曲家は音楽がもっと複雑で声部も入り組んでいます。一方でビクトリアは和音の選択が巧みで聴く人に感動をもたらします。彼は聖職者で敬虔なキリスト教徒でした。「レクイエム」は彼の親愛なる主人皇太后マリアのために書かれました。ビクトリアの感情と宗教観のすべてが彼女への思いとして表現されたのだと思います。これは彼の音楽の極致でありルネサンス音楽の極致でもあると私は思います。

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曲目
マリヤよあなたはすべてに美しい   ゲレーロ作曲
ゲレーロは16世紀後半に活躍したスペインの作曲家。多くの教会音楽を残している。この作品は1570年に出版されたモテット集に含まれている。
レクイエム(死者のための聖務)   ビクトリア作曲
ビクトリアは1548年にスペインで生まれ、教会のオルガン奏者や楽長を務めた。この作品は彼が司祭として仕えたマリア皇太后の死を悼んで書かれ、1605年に出版された。

訳 今谷和徳

ーレクイエムの抜粋
わが心は生活に疲れたり
われはあえてわが言葉を投げん
わが心の苦しみを示さん
われ神に語らん
われを非難したもうことなかれ
なにゆえにわれを
かく裁きたるかを述べたまえ
御身が手になる作品たるわれを
とがめ 抑圧したもうこと
また不信人なる者の忠告を
支持したもうことが
御身には良きことと見えたもうや
御身の目は人の目のごときものなるや
人が見るごとく御身も見たもうや


🎵けさは上記の詩の部分がいたく共感された。ここで遠藤周作の沈黙が思い出された。しかし光は、たとえ戦争があっても、人がそれを知覚できないとしても、神は存在する。光の無いところに実は光はあるという事実。それを信じるか信じないかは〝カラスの勝手〟、自由意思に任されているらしい。
タリス・スコラーズ、人々がより神に近かった時代の歌声がいまによみがえったかの思いが。

 

🎧名曲アルバム。マーラー「交響曲第3番第5楽章」
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⛳6時57分更新


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220822 クラシック倶楽部を聴く ウィーン少年合唱団 演奏会

クラシック界のアイドル的存在として、長年、日本のファンを楽しませてきたウィーン少年合唱団が登場。ヨハン・シュトラウスに加え日本の歌やドイツの合唱曲などを歌う。【出演】ウィーン少年合唱団(合唱)マノロ・カニン(ピアノ・指揮)【収録】2019年5月29日 東京芸術劇場大ホール

神聖ローマ帝国から500年の歴史を持つ。ハイドン、シューベルトも少年時代に参加。拠点はアウガルテン宮殿にある全寮制の学校。オーストリア内外から集まった1014歳までの凡そ100人の少年たちがブルックナー組、ハイドン組、モーツァルト組、シューベルト組の4つに分かれ学ぶ。学習はもちろん海外ツァーも。2019年はイタリア出身のマノロ・カニンが率いるブルックナー組の少年たちが来日。30回以上の公演を行う。カニンは合唱団について、先ず歌うのは最高に楽しいと感じること、そしてプロとして常に高いレベルを目指しながら互いに尊重し合い、チームワークを築くことが大事と語っている。

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曲目

喜べ正しい人たちよ:ヴィアダーナ
天は神の栄光を語り:ハイドン
詩篇第13番 主よいつまで私をお忘れになるのですか:ブラームス
3声のためのカプリース 動物たちの対位法:バンキエーリ
リベルタンゴ:ピアソラ
≪サウンド・オブ・ミュージック≫より ひとりぼっちの羊飼い:
ねむの木の子守歌:皇后陛下御作詞 山本正美作曲
ふるさと:岡野貞一
内なる平和:ヴィルト
ポルカ 雷鳴と稲妻:ヨハン・シュトラウス
ワルツ 美しく青きドナウ:ヨハン・シュトラウス
アンコール 花は咲く:菅野よう子

 🎵「喜べ正しい人たちよ」、主を賛美することは 誠実な者にふさわしいー。「天は神の栄光を語り」では、ケントくんの日本語紹介。この後にも日本語挨拶、日本語での合唱がここまでやってくれたのという感じで出てくるのだけれども、同団は世界中で公演をしており、英語、フランス語、ドイツ語、或いはラテン語をはじめとして、行く先々の言葉で語り歌っているのかと思うが、そういった訓練もすんなりと受け入れ努力するすがたが浮かんだ。
 
多くの詩に詞に命をふきこんでくれるウィーン少年合唱団、凪いだ海の面に微細に光をさざめかせるちっちゃな宝石たちのメッセージ。


「主よいつまで私をお忘れになるのですか」、こんな心境になることも。一応、新改訳を取り出してみると、

指揮者のために、ダビデの賛歌

1 主よ。いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。
2
いつまで私は自分のたましいのうちで思い計らなければならないのでしょう。私の心には、一日中、悲しみがあります。いつまで敵が私の上に、勝ちおごるのでしょう。3 私に目を注ぎ、私に答えてください。私の神、主よ。私の目を輝かせてください。私が死の眠りにつかないように。4 また私の敵が、「おれは彼に勝った」と言わないように。私がよろめいた、と言って私の仇が喜ばないように。5 私はあなたの恵みに拠り頼みました。私の心はあたの救いを喜びます。6 私は主に歌を歌います。主が私を豊かにあしらわれたゆえ。

(太字の部分は番組では「どうか敵がお前を制圧したと「驕る」ことがないように」と訳されている。)

3声のためのカプリース」、金澤正剛の訳。マリスくんのコメント。犬、猫、カッコウ、みみずくなどの登場。明るく愉快。「リベルタンゴ」、因習からの脱却という意味がこめられているとか。「ひとりぼっちの羊飼い」はティモくんのピアノ。「ねむの木の子守歌」、デヴィットくんのコメント。「ふるさと」、1914年尋常小学唱歌集に登場。ふるさととは実は天国のことであるとか。「内なる平和」、カビールの詩をタゴールが英訳。これがちょっと考えさせられる内容の詩なのだが、

庭に入ってはいけません
花咲く庭に
友よ! 入るのはそこではありません
友よ! あなたの身体の中にこそ
花咲く庭があるのです
たくさんの蓮の花弁に座り

そこで無限の美を見つめなさい

「雷鳴と稲妻」、結局どこにいても雷鳴と稲妻は避けられないと悟る。何処に行っても逃れ場はなかったか。ユーモラス。「美しく青きドナウ」の詩がすばらしい。井形ちづるさんの訳。1867プロイセンとの戦いに疲弊した人心を慰め励ます。

美しき青きドナウよ
谷や野を通って
穏やかに流れる君に
私たちウィーンは挨拶を送る
君の銀色の流れは 国と国を結ぶ 
心は浮き浮きと 君の美しい岸辺で鼓動する
遠いシュヴァルツヴァルトから 君は海へ急ぎ
至る所で恵みを与えながら
東方へと流れ 多くの仲間を誘う
君は永遠に 団結の象徴だ
水底で水の精たちが ささやき知らせている
君が見るものすべてを 空が青く染めると
ウィーンで流れを止めておくれ
ウィーンは君を とても愛しているから
君がどこに流れていこうと 第二のウィーンは見つからない
ここでは 膨らんだ胸から 喜びの魔法が湧き出て
忠実なドイツの感性が
ここから遠くへと まき散らされる
君は 兄弟のライン川をよく知っているね
その岸では 上等なワインが育っている
そこでは昼も夜も 忠実な監視の目が光っている
だから兄弟たちよ しっかり団結して
困難な時も 明るく勇ましく!
ドナウの川岸は 私たちの心の絆
どんな時も 君にすべてを捧げよう
小舟が波の上を静かに進む
静かな夜 愛だけが目覚めている。
船頭が恋人の耳にささやく
「ずっと前から僕の心は君の虜だ」と
天よ どうか恋人たちをやさしく
いつも危険からお守りください!
至福の安らぎに包まれた 2人を乗せて
小舟よ ひた走れ
若い二人よ 新鮮な空気よ
君たちが共に微笑むのは幸福だ
愛と喜びで 胸がいっぱいだ
それは世界で最も偉大なこと
いま君が歌う楽し気で
この上なく幸せな歌は
歓呼の声のように空を通り
心に大きくこだまして
私たちを固い絆で結ぶ
歌と行いの中にある自由と誠実さが
ウィーンの街に活気をもたらす
ウィーンは華やかに生まれ変わり
人々の心を一挙に魅了する
最後にもう一度 挨拶を送ろう
愛するドナウ すばらしい川に!
今日(こんにち) 私たちにもたらされるものは
誠実さと団結
どんな時にも 私たちを守ってくれるのは
誠実さと団結だ!

 

《別訳もー抜粋》
 
ウィーンで君の流れを止めてくれ

そこは君をとても愛しているのだから
君がどこをみようとも
第二のウィーンは見つからないだろう

ここにはいっぱいの胸から流れ出ている
明るい喜びに満ちた魔法が
そして忠実なドイツの心が
ここから遠くへまかれる

私たちは一つになろう
兄弟たちをしっかりと輪舞に加えて
重苦しい時代でも明るく
私たちに危機が迫っても、勇気をもって

ドナウの川岸の故郷は
私たちの心の絆
いつも君のために
財産も血も捧げる

最後に もう一度挨拶しよう
私たちの愛するドナウに 素晴らしい川に!
その日 私たちにもたらしてくれるもの
忠実と団結

それがいつも私たちを守ってくれますように
そう 忠実と団結!
()の心を 力で自分のものとする

(しっかり団結して困難なときにも明るく!!!)

🎧名曲アルバム。ウェーバー 歌劇「魔弾の射手」~間奏曲「狩人の合唱」
新国立劇場合唱団、渡邉一正&東京フィル
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理屈云々より何より、とにかく元気が出るこの曲。健康がどうであれ、状況がどうであれ、人生の舞台があろうとなかろうと、前進、邁進、勇躍あるのみと聞こえる。
右写真はドレスデン歌劇場内の一部。

 

⛳夕べは沼尻さんとN響の歴史っぽい内容番組を観る。音楽のお陰。晩年がこんなに楽しくなるとは!
8時50分更新

 

 

 

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きょうのことば「主がお入り用なのです」

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年814()の礼拝のおことばをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 「主がお入り用なのです」  (國光勝美 牧師)
引証聖句 ルカの福音書192836
28 これらのことを話してから、イエスはさらに進んで、エルサレムへと上って行かれた。
29 オリーブという山のふもとのベテパゲとベタニアに近づいたとき、イエスはこう言って、二人の弟子を遣わされた。
30 「向こうの村に行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばが、つながれているのに気がつくでしょう。それをほどいて、連れて来なさい。
31 もし『どうして、ほどくのか』とだれかが尋ねたら、『主がお入り用なのです。』と言いなさい。」
32 使いに出された二人が行って見ると、イエスが言われたとおりであった。
33 彼らが子ろばをほどいていると、持ち主たちが、「どうして、子ろばをほどくのか」と彼らに言った。
34 弟子たちは、「主がお入り用なのです」と言った。
35 二人はその子ろばをイエスのもとに連れて来た。そして、その上に自分たちの上着を掛けて、イエスをお乗せした。
36 イエスが進んで行かれると、人々は道に自分たちの上着を敷いた。

この日は、「主がお入り用なのです」と題して、午後からは過密なスケジュールが立て込んでいる中に、メッセージを取り次いでいただきました。
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《メッセージ》

牧師としての人生のこの時点において思いましたことは、こんな小さなロバのような私が50年近く主のご用をさせていただいたことです。この恵みを心から思い巡らしておりましたとき、「主がお入り用なのです」。文語訳では「主の用なり」、このおことばがありました。こんなものを主が、主の用なりといって召してくださり、そしてお忍のびいただき、一つの区切りをつけて新たな段階へと進みゆこうとしている、このようなことをいろいろ思い巡らしました。
 私の郷里は長野の浅間温泉です。街からはすこし離れた商業のまちというよりは農業で成り立っているようなところでした。私の家はバス通りに面しておりました。そこに不定期ではありますが、音楽を鳴らしながらパン売りが来るのですが、ロバに引かせているんです。歌がありましたのでちょっとお聞きください。 

ろばのおじさんちんからりん
ちんからりんのやってくる
ジャムパン、ロールパン
できたて焼きたていかがです。
チョコレートパンもあんぱんも
なんでもありますチンカラリン

かたいくるまをチンカラリン
チンカラリンの引いてくる
ジャムパン、ロールパン
あまくておいしいいかがです。
チョコレートパンにあんぱんに
どちらにしましょうチンカラリン
(
以下省略)

 礼拝中にびっくりされたでしょ。これもこの開拓教会ならでは、許されるでしょう。
ロバ。ロバがパンを乗せてきてたんです。懐かしいです。
 思うに、私ほんとうにこの50年の日々、主のロバだったんだ。主のロバにさせていただいたんだ、そう思いました。

 聖書でロバが出てくるところは、ゼカリヤ書9章9節
娘シオンよ、大いに喜べ。
娘エルサレムよ、喜び叫べ。
見よ、あなたの王があなたのところに来る。
義なる者で、勝利を得、
柔和な者で、ろばに乗って。
雌ろばの子である、ろばに乗って。

 これは紀元前の凡そ500年、ハガイ或いはゼカリヤという預言者が活躍した時代に、「やがてあなたがたの救い主があなたがたのところにやってくる」という私たちからいうと、まさにイエス様のことを、500年も前に預言していたゼカリヤ書のおことばです。
「あなたの王があなたのところに来る。義なる者で、勝利を得、柔和な者で、ろばに乗って」
 まさにこれが十字架にお架かりになられるイエス様をお乗せしたあのろばの出来事、それを預言していると言わざるを得ません。世の中の王は武力、力をもってやってくるでしょう。しかしこのお方イエス様は、まさに子ろばにまたがって、人々から「ホサナ、ホサナ」と迎えられる。我らの待ち望んでいた王がこのろばに乗って、エルサレムに王として、義の王、王の王としてやってこられた。このことを思いました。

「主の用なり」とご用に導かれて、私は何をこの50年間したのかを思い返しました。聖書の中で、ろばというとまさに柔和なりということのひとことで表される動物であります。柔和。ライオンやヒョウのように争いをするといった獰猛なものではなく、そうだ、ろばなんだと、ロバを思い巡らしますときに、もう一つ、ロバの事を英語ではドンキーといいます。そしてドンキーという言葉の意味は「まぬけ」「のろま」。これが英語のドンキーの意味ではありますけれども、私は自分にこれをあてはめて主の用に立たせていただきましたけれども、私はほんとうにまぬけなもの、のろまなもの、もうこれがぴったりだなあとつくづく自分を重ね合わせました。「主がお入り用なのです」。こんなまぬけでのろまな私を主は見出してくださいました。

 私は自分がクリスチャンになるとは思っていませんでした。しかし遡ってみますと、不思議な気がするのですけれども、幼少の時、のばら保育園というところに通っていたのですが、園長先生やそこで働いておられた方がクリスチャンであったことがきっと影響したんだろうなあと思うんです。私たちの時代は後になって団塊の世代といわれるんですけれども、子どもがどんどんと生まれて来たそういう時代でありますから、保育園の特に浅間温泉は商業で成り立つようなところではなく、ほとんどが農業でした。そこに温泉があるというところでして、ガキ大将のような男の子、女の子がたくさんおりました。いまでも忘れられないのは、ある時保母さんが私の親に「勝美ちゃんがいてくれて助かります」と言ったそうです。「何でしょう」と尋いたら「勝美ちゃんは子ども同士が殴り合ってけんかしてるとそこに泣きながら入って行って『やめてよ、やめてよ』と止めるんです。なんてやさしい子でしょう」。私はほんとうに人が争うことが辛いことでありまして、そういう私の面からいうと柔和な面があったのかもしれない。しかしまあ、わがままで愚かでと言ったらいいのか、でもそんな幼い私が、絵本を見てイエス様の十字架を、「この人誰?」と尋くと保母さんが、この方はね、とイエス様の事をおはなししてくださった。みんなにも話してるんですが、私にはずっとそれが潜在意識にあって、家は仏教徒というほど仏教徒ではない、普通の家庭ですが、そういうイエス様への思いがあった。きっと主が「お入り用」と言っておられたのかなあと思うのです。

 そんな下地があって、21歳の大学4年の11月に福音に自覚的にはっきり触れたのです。すでに就職が内定していました。音楽が好きなのでビクターに入りました。その時に人事の方に、「君は履歴を見ると長男ではあるけれども、お姉さんが家を継いでいるようだから、君はフリーなんだね」「はい」「じゃどこへ配属されてもいいね」と言われまして、「その通りですけれども、実はついこの前私はクリスチャンになりました。前に履歴書に仏教と書いてあるのをキリスト教としていただければ。そして丸の内教会というところに通うことになっているので、できたら丸の内にいちばん近いところに配属してもらえたら」と言ったのです。会社のいろいろな部門の一通りの学びを終えて正式な配属が発表になってみると、新橋の東京第一レコード新橋営業所というところでした。当時は日本ビクターは慶應閥でした。みんな慶應、たまに地方の国立大学。別な大学出身の者がいる。そんな中でみんなが狙っていたのが東京第一レコード新橋営業所だった。それは後で知りました。入っていきましたらば、「あなた大学どこ」、どこそこです、「ふーん」「あなた、そうか、あの人の次ね」。あの人というのは私の大学の先輩のことで、数年間そこで働いて音楽事業本部の方に行った方ですが、ざっとこんな流れです。新橋営業所に入りたいと思ったわけではなかった。ところが、「お前どんなコネ使ってここにはいってきたんだ」と言われました。「ただ丸の内教会に一番近いところがいいと言っただけなんです」「そうか」。こんなことも懐かしく思い出されます。
 もし他の営業所に配属になったら、教会生活さえもままならなかったと思うのです。雪谷からも離れるでしょうから。ほんとうに丸の内に、雪谷に、守られ守られ、ほんとうに弱いろばのようなものでしたから、幾重にも守られ恵まれていたと思います。
 そして、自分はどうしても会社で一生を送るようには導かれていないなあと思われました。クリスチャンになって、いよいよ神様の声を聞いた時に、聖宣神学院に入りました。まもなく蔦田二雄先生は天に召されましたけれども、神学院を卒業してすぐに盛岡の開拓という任命をいただきました。振り返ってみて、神様はこんな者を「主がお入り用だ」と用いてくださったのです。

 じゃ私はこの盛岡で何をしたのか。まぬけでのろまなろばですけれども、しかし私が誇らしく思うことは、福音だけは語らせていただいたと思っています。もし盛岡の教会の会衆席にパウロ先生やペテロ先生が座っておられたとしても、語り方とか様々な聖書知識は浅薄なものですけれども、私が確信していることは、聖書の偉大な説教者ペテロもパウロも、そして何よりイエス様も、「そうだよ、その通りだよ」と肯いていてくれる福音を語らせていただいた、これは大きな喜びです。主はろばを用いてくださった。そしてこの盛岡にあるあいだ、50年の間に、このイエス様をご紹介させていただき、この福音の恵みに与った方々がおられることを思い、何という光栄、何という喜び。これを昨日このメッセージの準備をしながらつくづく思いました。主はこれまですべてを成し遂げてくださった。「あなたの恵みはとこしえにあります」。「あなたの御手のわざをどうか辞めないでください」。「エホバは我に係れることを全うしたまわん」。「エホバよ汝の憐みはとこしえに絶ゆることなし」。「願わくは汝の御手の諸々の御業を捨てたもうなかれ」。
 この教会、この盛岡教会はあなたの教会です。全うしてくださるのはイエス様です。必ず主は成し遂げてくださるし、そして、「わたしを呼べそうすれば私はあなたにこたえあなたの知らない理解を超えた大いなることをあなたに告げよう」。きっと私はここにリバイバルを起こしてくださる。もしこの盛岡教会、もしというよりも、福音によって主の上に成り立っている教会ならば、仮に私というろばがいなくなっても、それで倒れてしまうことがあるでしょうか。福音によってこんなろばをさえ用いてくださるということを皆さんお分かりいただいたならば、皆さんお一人お一人が、「私がロバになりたいです」、こう仰るでしょう。そうです。イエス様、あなたをお乗せするろばですと仰る方々によってこの教会がリバイバルの始めになるのではないか、なってほしい、なるものだと心から祈るものです。

 

⏰文責:中ぶんな
掲載の画像は説教中にパソコンから撮らせていただいたもの、音声データは自らのICレコーダーで録ったものです。
9時更新

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休息のつもりが

 今時間になって、きょうは何もしないでしまったと一日を振り返ると、コロナワクチンを接種したわけでもないのに、起床と同時にちょっとめまい。これは要注意と思いつつ、久方ぶりにストラヴィンスキーの「火の鳥」を。それも結局は休息の時に振り替えて、とにかく予定も返上で休みに休んだ一日。

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夜に花火の音が。最初は雷かと思ったが。撮れないかなとためしたがあきらめたつもりが、PCの方に今取り込んだところが、中央に小さく輝くもの。ああこれで夏の輝き、暑くてコロナの渦中で、しかし今年はことしの輝ける夏が終わった。今年も夏はあったのだ。どこにもでかけなくともちゃんとあった夏。どんな状況下でもこれを生かすか否かは自分次第だったのだとはたと気づく。

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⛳22時半、何とか健康上の正常値を取り戻した今。

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220819 クラシック倶楽部を聴く 新倉瞳 チェロ・リサイタル 

「自分のできる精一杯をやるしかない」新倉瞳が奏でるチェロの名曲集新型コロナ・ウイルス感染拡大による緊急事態宣言後、番組初の無観客中継収録 チェロ新倉瞳ピアノ梅村百合【曲目】白鳥(サン・サーンス)、シチリア舞曲、エレジー(フォーレ)、フランス組曲(プーランク)、ヴォカリーズ、チェロ・ソナタ第3楽章(ラフマニノフ)、ルーマニア民俗舞曲(バルトーク)【収録】2020年7月3日古賀政男音楽博物館けやきホールー番組紹介からー

コロナ禍での収録は手足の消毒。足も。換気扇の持ち込み、奏者の距離計測。等々など。
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そしてこのような中で収録された新倉瞳さん。梅村百合さん。
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新倉のコメント
リサイタル・プログラムとしては数か月ぶり。帰ってきた、私も楽器も息を吹き返したような気がしました。とても長い時間をかけて用意してきているものを失ってしまうとどこに向けてモチベーションを持っていいのか、ほんとに私以外の皆さんも感じていたことだと思いますし、私自身も来年、再来年を見越して用意していたものとか、ちょっとずつ全部ずれてしまったのでどうしたものかな、というのはあったんですが、もう受け入れるしかないので。最初はどきどきそわそわしていたんですけれども、ある時からもう、力だめして、この期間だからできることをするしかないなと、わりと落ち着いたかなと思います。
 プログラムについては、プログラム順というとプーランクからなんですけど、こちらは16世紀の古い舞曲をもとにして、プーランクがマルコ王妃という方が主人公の、いってみればシアター音楽というので書かれたんですね。そういう古いものを新しい形で提供するということ、私自身はかなり自分のテーマにしているので、そういう意味でそのプーランクの思いがとてもリンクしたなと思って。もともとプーランク、好きだったんですけれども、またこの曲をお勉強するにあたって、またチャーミングなところを見つけられたかなあと思っていて、もっともっと弾いて掘り下げていきたい曲でもあります。
 ルーマニア民俗舞曲、この曲は大変有名な曲ですし、ピアノがオリジナルで、弦楽合奏だとかバイオリンにアレンジされてるものはたくさん弾かれていると思うんですけども、チェロで弾いてらっしゃる方が少ないということで、弾けないかなと思ってたんですが、実際バイオリンだとそこまで難しくないテクニックでも、チェロにした途端に大変で、けっこう大変になったんですけれども、私自身が音楽をするうえで、あまりチェロを弾いてるという意識ではやってないことに最近気づいたんですね。とにかく大好きなので、その思いとイメージがあれば音が出るであろうという思いがありまして、チェロだから止めておくというのには自分の中で封印をしたんです。だからそういう意味で、今回はプーランクとバルトーク、うまくつながらないようで、私の中ではリンクする部分があったので、選びました。
 きょう久しぶりにホールでぜいたくにリサイタル・プログラムを弾かせていただいて感じたことなんですけども、収録ではありましたが、生の音楽を弾いてる感覚が凄く大きくて、そういったときに勿論こまかいいろいろな自分的な反省点というのも限りなくあるんですけども、そう言った中でその時にしかできない、出てこない音色だとか色合いというものが、チェロという楽器は音程が取りにくいとかそういう事情があるんですが、それがゆえ、とても人間的に、声が近いとも言われますし思うんですけど、その感情の起伏に添っていると思いますし、それが、勿論聴いてくださいとオープンにバーンといくところもあるんですけども、内側に音楽を感じられるというか、そういう意味ではチェロという楽器は特別に人の精神的な部分に近い楽器なのかなあというのは、きょうその音が空気に乗って振動して届くときに感じました。何ともいえないわからない事ばかりですし、今はインターネットだったりSNSがほんとうに盛んになっている世の中なので、知っていただくきっかけだとか、何か興味を持つきっかけというのは、もしかしたら今までよりもチャンスが増えるんじゃないかなと思うんですけど、ただ、それがやっぱり説得力が無かったり魅力が無かったりしたら、かえって興味を持っていただけないことになってしまうと思うので、そういう意味ではもう全く変わらず自分のできる精一杯をやるしかないんじゃないかなと思っていて、特に私はいろんなことに興味が湧いてしまう人間なのですけれども、この機会によく自分と対話をしていくと結局はその音楽オタクといいますか、結局そういうものが好きでそこを突き詰めていく職人的な気質を今後も大事にしたいなと思いました。

無観客、待ち望み迎える聴衆のいないステージの前、すぐ下にはカメラ眼が。

サン・サーンス「白鳥」
フォーレ「シチリア舞曲」「エレジー」
プーランク「フランス組曲」
ラフマニノフ「ヴォカリーズ」「チェロ・ソナタ 作品19 第3楽章」
バルトーク「ルーマニア民俗舞曲」

🎵たとえ12年、或いは3年前の収録であってもいいものは良い、何回でもと思って毎回聴きながら、しかし、次の週録はいつ頃になるのだろうと思っていたが、今回の収録現場のスタッフの様子も含めての映像に、その大変さを納得。新倉がサーキュレーターの間近にチェロを寄せていたが、ドアの開閉のたびに湿気も室内に流れ込むらしく、楽器は湿気に弱いので風に当てているのだとか。ピアノを調弦するところも久方ぶりに目にして、コンサートが始まる前もコンサートだという感じが。
 ルーマニア民俗舞曲、バルトークが特に興味深かった。鮮烈さ、また踊る人々の間に立ち上る土埃、湧き立つ陽気さすべてが地にしっかりと繋がっているかの力強さ。たまにバルトークが聴きたくなったのはいつごろからだったろう。

🎧名曲アルバム。「ベサメ・ムーチョ」コンスエロ・ベラスケス作曲、丸山和範・編曲
(ギター)沖仁,(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団,(カホン)ホセ・コロン,(指揮)円光寺雅彦 ~メキシコ・グアダラハラ~
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コンスエロ・ベラスケスはまだ恋人のいない多感な少女時代にこの曲を書き上げている。


⛳コロナはいつまで続くんだい?
ところがところが素知らぬ顔の今朝の空
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7時更新



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220818 クラシック倶楽部を聴く  REICH85 -加藤訓子-

現代音楽の巨匠スティーヴ・ライヒの作品を、パーカッショニスト加藤訓子が「ライブソロ+多重録音」で表現。「ピアノ・フェイズ」ヴィブラフォン版世界初演に挑戦する。 パーカッションならではの表現を追求し、全てのパートを加藤訓子自身が演奏&録音。圧巻の演奏を披露する。スティーヴ・ライヒからのメッセージも必見【曲目】シックス・マリンバ・カウンターポイント、ピアノ・フェイズ[ヴィブラフォン版・放送による世界初演]、ニューヨーク・カウンターポイント、ヴァーモント・カウンターポイント(全てスティーヴ・ライヒ作曲、加藤訓子編曲)【収録】2021年2月NHK放送センター

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スティーブン・ライヒ(作曲家)
1936
年生まれ。ミニマルミュージックの先駆者として現代音楽に多大な影響を与える。
加藤訓子(パーカッショニスト)
愛知県豊橋市出身のパーカッショニスト。時習館高等学校を経て、桐朋学園大学研究科修了後に渡欧。蘭・ロッテルダム音楽院を首席で卒業。サイトウキネンオーケストラ、アンサンブル・イクトゥスなどへ参加後、ソロ活動を開始。2011年にスティーヴ・ライヒの代表作を打楽器へ編曲したソロ作『kuniko plays reich』が話題を呼び、2013年の『カントゥス』がMPCJ音楽賞最優秀録音賞を受賞。若手プロ育成を目的にアーティストインキュベーション・プロジェクトinc.を始動させる。2018年にダンスプロジェクト“DOPE”を始動。同年に『ドラミング』を発表。ダルムシュタッド国際現代音楽祭クラニヒシュタイン賞ほか受賞歴多数
今回はライヒの85歳を記念し、その作品を加藤訓子がアレンジ。

スティーブン・ライヒからのメッセージ
私は以前から東京を始め日本の各地で公演を行ってきました。1991年には私のアンサンブルを連れてBunkamura(東京)で、最近では2017年にも訪日し、ロンドンのコリン・カリー・グループと共演しました。何よりも日本にはすばらしいパーカショニスト加藤訓子がいます。また皆さんに直接お目にかかりたかったのですが東京は遠いですしこのような年齢でもあります。私の音楽を応援してくれていることに感謝しています。これからも楽しんでください。

加藤訓子のコメント
ピアノ・フェイズ、ずっとやってみたくて、ピアノフェイズはマリンバで弾いていいというバージョンがあるんですけど、私はどうしてもヴィブラフォンでやってみたかったので、それをずっと考えていて、ずっとこの場で作ってみれないかというのをもちろんライヒさんに相談して、ノンペダルでやるのか、それともペダル(聞き逃し)がぜんぶあったらそれは無理だろう。ただぜんぶノンペダルだと、それがいいかどうかはわからないという答えだったんですね。とにかくやっぱりデモをくれ、君が何を考えているのかそれを聞きたいからというので、私はもちろんノンペダルでやるつもりだったんですけれど、一生懸命やってお送りしたら、音がちょっとデッドすぎるということで、やっぱりペダルを使えと。ペダルを使うという事はずっと鳴りっぱなしにはできないので、こまめに切るか、やっぱりバイブってそんなに完成度が高い楽器ではないので、そのフェルトの具合をちゃんと万遍無く均等にするのはけっこう難しいんですね。オリジナルの、それをとにかく聴きなおして聴きなおして、だいじなのはやっぱりそのハーモニーというか、一つひとつのスタカートの後にこう響きが残っている、弦とその響きが余韻というか、それが必要だった、やっぱり言ってることが正しかったんだ、デッドの音じゃないんだというのがわかって、ペダルを踏み続けることを決意して、15分間ぐらいなんですけど、ずっと、挑戦しました。

 

曲目
全曲スティーブン・ライヒ/加藤訓子
シックス・マリンバ・カウンターポイント
ピアノ・フェイズ ヴィブラフォン版
ニューヨーク・カウンターポイント
ヴァーモント・カウンターポイント

🎵シックス・マリンバ・カウンターポイント、はじめは単調ともきこえるのだが、聴いていくうちに自由奔放というのではなく、たとえば解脱してからの自由とでもいったらいいのか、遮るものもなく何者にも捉われないこだわらない魂の自由が感じられた。6台のマリンバの多重録音、これが時として重厚な音を響かせる1台とも錯覚させられるが、完璧な多重を成功させているところはすごいなと。
ピアノ・フェイズ ヴィブラフォン版、ずれが、逃れられない拘束感、出口のない閉塞感を思わせるのだが、そこには深刻さも悲壮感もない。その何某かのるつぼと感じられ、霊が不可思議に揺らいでくるような思いにもさせられる。
ニューヨーク・カウンターポイント、ニューヨークの街の映像が背景に流れている。これが映像を見ながら聴くと飄々と風の中をという感じもするのだが、後で聴きなおしたところが、クルマの車窓から風景をまなじりに流しているようでもあるのだが、見納め、聴いているうちに出て来た言葉は一つひとつを淡々と心に刻んでいくという音なのだ。これが当たっていようといまいと私はそう感じた。無意識の底に幾つもの場面を落とし込んでいく音。
ヴァーモント・カウンターポイント、これがまた前に演奏された曲にさらにピュアな明るさ遊び心を感じさせる。ハミングかスキップでもするような。人生肯定の響き。それこそ街中にカリヨンが一斉によき訪れを告げ知らせてでもいるような。
4
曲ともに作曲者の透徹した達観が聴こえた気が。

🎧名曲アルバム。ビゼー作曲 アルルの女から「メヌエットとファランドール」
梅田俊明&東京フィル。
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プロバンスの古都アルル。ビゼーの名曲「アルルの女」の舞台。この曲は文豪ドーデの戯曲のために作曲される。戯曲中の青年は失恋、聖エロワ祭に身を投げる。

⛳プレミアムカフェでクラシック音楽専門のカメラマン木下晃さんの世界を見ながら更新。10時24分

 

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220817 クラシック倶楽部を聴く 一行の詩のために〜つのだたかしと望月通陽の世界〜

リルケの小説「マルテの手記」から生まれた美術家・望月通陽の作品。小さな美術館as it isを訪ね、作品を前にリュート奏者つのだたかしが奏でる音楽とは。 【曲目】涙のパヴァーヌ、運命(ダウランド作曲)、サラバンド(プーランク作曲)月とりんご、雨のミロンガ(つのだたかし作曲)、トッカータ第6番(カプスベルガー作曲)、キリストは生まれたまいぬ(ユーデンキューニヒ作曲)、パバーナ第4番、第6番(ミラン作曲)、そは5月(ダラス作曲)、ぼだい樹の下で(フォーゲルヴァイデ作曲)ほか【収録】2021年3月 美術館as it is(千葉県長南町)―番組紹介からー
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つのだたかしのコメント
望月は、彼は音楽家じゃないし、僕は物書きでも物つくりでもないので、あまりそこで芸術的な話を戦わすことはなくて、必要がない。できて来たものを「いいね」とお互いに言うような感じですね。これは今回だけじゃなくていつも思うに望月さんの作品というのは、とても音楽的な感じがする。何かこう、こういう静かなホールで彼の絵を見ていると、何かが聴こえるみたいな、それも滔々と流れて来る音楽ではなくて、中に訴えかけてくれるものというか、中に響いてくるというのがすごく幸せな感じはしますね。ですから望月君の作品は、そうした内なる音楽というのを持ってる作家なのかという。たとえばCDを作った場合に、これに何か絵をつけてくれると最初の編集したものを彼に聴いてもらう。そうすると何だかいろいろなものがにょろにょろと出てくるんですよ。魔法のように。

 この場所(美術館as it is)はもう夢の場所。ここで演奏ができるなんて幸せだと思いますね。手触りがあるもの。やっぱりこのすこし雑味があるといいますか、つるつるにしてないところ、壁でも何でも。手触りがあるというのはリュートの中にもあるんです。音に、2本の弦が完璧に1本に聴こえないところがあるんですね。そこがサワッてくる。サワリのある音楽というのは、ちょっとノイズが、いい音に対する感覚というのがちょっと。ヨーロッパの楽器の中に教わってくるものとはちょっと違う。むしろ民族音楽の中にあるサワリ。三味線のサワリとか琵琶のビンビンというそれだけでぞくぞくとするような音がいっぱいあるわけですよね。僕は歌は大好きなんですけど、歌うんじゃなくて喋る。ぼそぼそ喋るんですけど、喋ってるような音楽はいいなあと思う。リュートを弾いて喋る、こんどは音が作りだす、音が鳴ってるから聴こえてくる静けさみたいなとこが心にサワるんですね。

曲目
サラバンド(プーランク作曲)
月とりんご(つのだたかし作曲)
ファンタジア(作者不詳 16世紀イタリア)
聖母マリアの頌歌から「バラの中のバラ」(アルフォンソ10世編纂 13世紀スペイン)
プロピニャン(作者不詳 15-16世紀 スペイン)
パバーナ第4番(ミラン作曲)
運命(ダウランド作曲)
パバーナ第6番(ミラン作曲)
ぼだい樹の下で(フォーゲルヴァイデ作曲)
トッカータ第6番(カプスベルガー作曲)
プレアンベル(ノイジドラー作曲)
涙のパヴァーヌ(ダウランド作曲)
ファンタジア(ナルバエス作曲)
こずえのロシニョール(作曲者不詳 17世紀 フランス)
恋のためにすべてを失って(アテニャン編)
雨のミロンガ(つのだたかし作曲)
キリストは生まれたまいぬ(ユーデンキューニヒ作曲)
カナリー(作曲者不詳 17世紀 イギリス)

 

🎵上記の曲をリュート、ウード、バロック・ギターの3通りの楽器での演奏。「マルテの手記」からの詩と詩の朗読、「マルテの手記」からインスピレーションを得ての絵画、造形、そして古楽器が静謐な空間で交錯し互いが静かなおしゃべりをしているトータルなすばらしさ。

🎧名曲アルバム。「マドンナの宝石」ヴォルフ・フェラーリ作曲。飯森&東京フィル。
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ヴォルフ・フェラーリはベネチアの名門ベネデッド・マルチェッロ音楽院の学長を務める。喜歌劇を得意とし、その中の異色の野心作が歌劇「マドンナの宝石」であるという。悲劇的な結末を迎える恋物語。
映像のなかでは今回はベネチアの人々が眠るサン・ミケーレ島にある墓地、墓地の島が印象的。ヴォルフもこの島に眠る。

 

⛳黒く、しかしまだ柔軟性がありそうな雲が東に下がっていたけれども、その雲を押し上げるかにぎりぎりと強烈な光を放って強引にのぼる朝日。きょうは30度にはなりそう。35、37の地域にくらべればまだまだなのかもしれないが。お盆休みがのびた方々は明後日あたりから動き始めるだろうか。きのう盛岡市にある肴町ホットラインに行くと、連日の人出に疲弊したかにシャッターを閉じている店舗が目立った。
前のブログに書き足しで7時更新

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220816 クラシック倶楽部を聴く  福井敬 悲しくなったときは〜歌に込めた思い〜

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新国立劇場やびわ湖ホールほか数々のオペラ公演でタイトルロールを演じ、ドラマティックな歌声で聴衆を魅了。2016年ウィーン・フィルの第九演奏会でソリストを務める。【演奏】福井敬(テノール)谷池重紬子(ピアノ)【収録】2020年12月3日 武蔵野市民文化会館大ホール

テノールの福井敬は岩手県水沢市出身。 (以下はこちらから)国立音楽大学及び同大学院修了。文化庁在外派遣等により渡伊。イタリア声楽コンコルソミラノ大賞(第1位)、芸術選奨文部大臣賞新人賞、五島記念文化賞オペラ新人賞、ジロー・オペラ新人賞及びオペラ賞、出光音楽賞、エクソンモービル音楽賞本賞、等受賞多数。2015年には二期会「ドン・カルロ」の優れた演唱等により"65回芸術選奨文部科学大臣賞"を受賞。二期会「ラ・ボエーム」ロドルフォ役での鮮烈デビュー以来、数々のオペラに主演。他者の追随を許さない輝かしい声、音楽性豊かな表現力かつ情感溢れる演技により、聴衆を魅了している。
ピアノの谷池重紬子は第一線で活躍している歌手と数多く共演。歌手の育成にも携わる。次代のオペラ界を担う歌手を支えている。
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福井敬のコメント
 テノールの魅力は、昔、高校時代に応援歌練習、要するに伴奏無しで応援歌を歌わされるんですよ。周りのみんなは高い音でヒーヒーいってたんですけど、なぜか私だけ高い音がわーっと出ちゃって何でだろうと不思議に思ってたたんですけど、あ、これがテノールというものなんだなとそのときに初めて感じて、自分はテノールなんだろうと思って、最初におそらくルチアーノ・パバロッティという世界の名テノールの、その時代はまだLPレコードなんですけど、買いまして、こんな素敵な声を持ってる人がいるんだ、わ、面白いなと思って勉強していくうちに、歌って、あ、そうだ、楽器を使わないんだ。そうか自分自身の体が楽器でそれが、自分の体そのものが逆に音楽を表現するためのインストゥルメントであり、その手段であり、唯一のものだとすごく魅力を感じて、やっていくうちにどんどんどんどん嵌っていきました。
 私は実は岩手県の出身なんですね。東日本大震災があったときに、やっぱりその無力感と言うか、自分はこちら関東にいて何もできない悔しさとか虚しさ、それからこちらで被災された方が大変な生活を送ってらっしゃる。あるテレビでニュースで岩手で被災した避難生活、ほんとうに辛い、大変だと仰ってたんですけども、でもそういうときに、「宮澤賢治の詩を口ずさむんです。そうすると、あ、もうすこし頑張んべが、て思えた」と。それを見たときに何ができるんだろうと思ったときに、あ、自分は逆に音楽を色々なコンサートの会場で披露することができるんですから、じゃ音楽で皆さんにこういう思いがあるんだよ、こういうふうに頑張っている人がいる、そういう思いを忘れないでほしい、それから一緒に感じて欲しいというふうに思って歌うようにしています。

曲目
「君を愛す」 アンデルセン詩、グリーグ曲 寺倉正太郎 訳
「木兎」 中田喜直
歌劇「リゴレット」から「女心の歌」ヴェルディ
歌劇「トゥーランドット」から「誰も寝てはならぬ」プッチーニ
歌劇「トスカ」から「たえなる調和」プッチーニ  小畑恒夫 訳
歌劇「ウェルテル」から「春風よなぜ私を目ざますのか」マスネ
詩「雨ニモマケズ」福井敬の朗読
「悲しくなったときは」寺山修司 詩 中田喜直 曲
「死んだ男の残したものは」谷川俊太郎 詩 武満徹 曲
「小さな空」武満徹
「春なのに」菅野祥子

「つれない心」カルディッロ
  カタリィに呼びかける失恋の想い
「彼女に告げてよ」ファルヴォ 小瀬村幸子 訳
  告げてください、あなたから。告げたい愛の苦しみ。
「ビー・マイ・ラブ」ブロッキー 濱田滋郎 訳
  恋の歌。

 

死んだ男の残したものは

1.
死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

2.
死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった

3.
死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

4.
死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

5.
死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

6.
死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
他には何も残っていない

 

🎵オペラのアリア。歌劇の公演では、このオペラのハイライトに納得すれば、きょうの公演はよかったね、ということになるのかもと思った。この朝聴いていて、パバロッティよりも芸術的質が上ではないかと思いさえした。何をバカなと言われそうだが、世界の3大テナーの場合、先ずはその声量に度肝を抜かれ圧倒される。有無を言わさぬという圧力さえ感じる。これを除いた場合、彼らよりも内容的に優れたテナーはけっこういるのだと思われる。福井敬も質的な点で大変説得力に富んでいると思う。愛の心境を朗々と。オペラは向こうでは演劇よりも大衆的であるらしいけれども、愛の移り気、軽さ、切なさ、喜び、悲しみ、傷み、愛の勝利を余すところなく。
 やはり武満の「死んだ男の残したものは」が沁みた。谷川俊太郎が作曲を依頼。「ベトナムの平和を願う市民の集会」のために書かれた作品。この番組収録は20年。ウクライナのあの惨状を見た後では、どのように歌われたであろうかとふと思った。「つれない心」はアメリカに帰化したイタリアの作曲家カルディッロが同郷であるナポリ出身の大テノールであるカルーソーに捧げた作品であると番組解説。
 一曲一曲をぐんと引き寄せ渾身で歌いあげる。じわりと心に来る説得力! 無観客であるけれども、大観客の前で歌っているという雰囲気。コロナなければ盛んにブラボーがあがっていたはず。
 岩手出身。県人の活躍は嬉しい。 

🎧名曲アルバム。「郡上節」岐阜県民謡。佐原一哉・編曲
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岐阜県郡上八幡は古くからの城下町。「郡上踊り」は郡上八幡の夏の風物詩。30数夜にわたって開かれおよそ30万が参加。盆の4日間行われる徹夜踊り。踊りで歌われる郡上節は10曲。元は各地から伝わった民謡だという。中でも「春駒」は軽快なリズムと威勢の良い掛け声で人気の曲。江戸時代に始まり400年にわたり地元の人々が守り続けている。終戦の日は戦没者慰霊のために踊ったという。夜明けが近づくころ最後に歌われるのが「まつさか」。
 新日本紀行で下駄職人、下駄工房を見てから、やたらに下駄が気になっていた。もうすたれてしまったかな。しかし郡上踊りあるかぎり、その心配はなさそう。

⛳6時45分更新

 

 

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終戦記念日 220815 クラシック倶楽部を聴く 戦没作曲家 尾崎宗吉の音楽

太平洋戦争で若くして亡くなった作曲家・尾崎宗吉(19151945)の作品を特集。尾崎は1934年東洋音楽学校(現・東京音楽大学)入学。将来を期待されながら志半ばで生涯を閉じた尾崎の音楽を、現代屈指の演奏家たちがよみがえらせる。
【出演】バイオリン渡辺玲子、チェロ古川展生、ピアノ黒岩航紀、弦楽四重奏クァルテット・インテグラ。

【収録】2022年6月24日 めぐろパーシモンホール


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尾崎宗吉
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 【曲目】
☆小弦楽四重奏曲  
1935
20歳での処女作。作曲を始めて半年後だった。選考会で山田耕筰に認められ初演の機会を得る。
☆幻想曲とフーガ
1936
21歳で作曲。1937NHKのラジオ放送で尾崎宗吉作品が特集され放送初演。チェロ演奏は尾崎の盟友井上頼豊であり、彼に献呈されている。
☆バイオリン・ソナタ 第2番
1938
23歳で作曲。バイオリン・ソナタ 第1番を書いた時に、痛烈な批判を浴び、一時期作品が書けなくなったが、第2番の発表に当たり、「新しい試み、努力をした」「自分というものを赤裸々に表す」と決意を述べている。
☆バイオリン・ソナタ 第3番
1939
24歳の作品。完成後召集令状が届き鉄道兵として任務に就く。尾崎自身は初演を聴くことはなかった。任地でも作曲をして兵たちを励ます。
☆「夜の歌」(全て尾崎宗吉作曲)
帰還して19434月に作曲。しかしこの後再び召集され中国で戦死。尾崎最後の作品。

無言館館主窪島誠一郎氏のことばが胸に響く。
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「お父さんお母さんから与えられた生身の命と、作品という自分の産み落としたもう一つの命。彼らは死んでいないのですよ」尾崎について、「ある若者が明るさに向かって地底からもがきながら出ていくような出口のないところをさまよっている感じがあって、その次からぐーっと伸びていく。希望を見つけた感じがして。一人の若い音楽家として闇から明るい方向へ向かおうとしていた芸術家の姿」。「今も地球の裏側で起こっているあらゆる紛争や戦争の中で多くの表現者たちが命を落としていることを考えるとたまらない。人間には他者の自己表現を重んじ、しかも自分も何かを通じて、自分にしかないものを表現したい。僕はそれを信じたいし守っていきたい」

尾崎宗吉の資料は明治学院大学図書館付属日本近代音楽館に保管されてある。

🎧名曲アルバム。 マーラー「交響曲第3番第5楽章」
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オーストリアのシュタインバッハにマーラーの作曲小屋がある。ここで1895年三つ目の交響曲に取り掛かる。「夏の真昼の夢」をイメージして書かれる。都会を離れ自然豊かなこの地で作曲に没頭。万物に宿る神秘を音楽によって表現しようとしていた。マーラーは午前中だけ作曲し午後は自然に親しむなど自由。動植物の声に耳を澄ましたり水泳をしたり。友人あての手紙に書かれていたことは、「私の曲は世界がいまだかつて聴いたことのないものとなる でしょう」「森羅万象が自分の声で語るのです。夢の中でしか感じ得ないような深い神秘を」

 

 

⛳兵器開発とはいかに効率よく人を殺すか、いかに効率よく対象物を破壊するか、敵に後れを取らぬように優れた機能を搭載させての軍拡競争。動悸がする。

戦時下日本で、科学者はどのように軍事研究にかかわったか
多くの国でいまこれが現在進行形。

8時50分更新

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きょうのことば「わたしの天の父」

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年8月7()の礼拝のおことばをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 「わたしたちの天の父」  (國光勝美 牧師)
引証聖句 マタイ6章25~34
25 ですから、わたしはあなたがたに言います。何を食べようか何を飲もうかと、自分のいのちのことで心配したり、何を着ようかと、自分のからだのことで心配したりするのはやめなさい。いのちは食べ物以上のもの、からだは着る物以上のものではありませんか。
26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。
27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか。
28 なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。
30 今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっとよくしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。
31 ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。

32 これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。
33 まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。

34 ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。

《メッセージ》
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この日のメッセージは説教者の人生を顧みて、その人生の一コマ一コマに神様のはかり縄があり、一つ一つが時宜に適っており、神様はよきに導き、最善を成してくださったというおはなしでした。
 また東北聖会にお招きした工藤弘雄ご夫妻との集会以外でのおまじわりの様子もお聞きし、工藤先生ご夫妻も國光先生ご夫妻も、ことばに表さないまでも、いかにまず第一に主のために行動をし、またご自分のことよりも、まず相手の事情、心情に配慮して行動、言動をとっておられるところに大変感銘いたしました。どんな困難があっても、ただ主のために生涯を用られてこられたお姿に打たれました。

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この写真は私が礼拝時にPCから撮ったものです。

画像は教会からお借りしています。
6時半更新

 

 

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 早朝から鋭くおどろおどろしい雷。それでも9時過ぎに晴れ間を縫い、その晴れ間と思った間にも小雨に見舞われながら墓参りを済ませる。
21時前のニュースでこのような状況。台風8号は関東に接近。行動制限は無いのだが。ならば〝我々が行動制限をかける〟とばかりに大雨、そして徹底するかに台風の襲来。国土を壊し放題。

しかしあの書物にはこうある。
「恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしはあなたを助ける。―主の御告げ―あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。」(イザヤ41:14)

⛳21時15分更新





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220812 クラシック倶楽部を聴く アレクサンドル・カントロフ ピアノ・リサイタル

22歳の時チャイコフスキー国際コンクールでフランス人として初めて優勝を果たし、一躍世界が注目するピアニストとなったアレクサンドル・カントロフの演奏会をお届けする
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ピアニストになったきっかけは、両親がバイオリニストで最初に挑戦したのはバイオリンです。子どもの頃、かなりの怠け者だったようです。バイオリンは音を出すのも難しく、格闘しているような感じでした。一方ピアノは子どもにとってゲームのようでした。鍵盤を押せば正しい音が出ますからね。初見で弾くのが大好きで、楽譜を読むとすぐに手が行くべき鍵盤を見つけるのに夢中でした。しかし長い間ピアニストが理想の職業とは思えず、プライベートな時間にピアノを楽しむ程度でした。当時は科学などの分野に進むつもりでした。高校に入学したら友人が皆音楽家という環境になりました。その経験は大きく、友人との共演や初めての舞台、体内にあふれるアドレナリンの勢い、明るい照明。さまざまな感覚が重なり合い演奏家になることを考え始めました。

リスト「ダンテを読んで」で演奏で大切にしていることは、音への創造力と想像力です。リストが読んだダンテの「神曲」地獄編に基づいています。ギュスターヴ・ドレの挿絵などを見て全体像をつかみ、音に翻訳します。重要なのは通常のピアノの響きではない音を見つけることができるかです。本当に時間がかかります。

曲目
☆ピアノ・ソナタ 第1番 嬰ヘ短調 作品11(シューマン)
ピアノに新たな効果を発揮させるように意図して書かれ、それまでのピアノ技巧の集大成の作品ともいわれている。
☆巡礼の年 第2年「イタリア」から ソナタ風幻想曲「ダンテを読んで」(リスト)
「巡礼の年」全4集、26曲で構成される小ピアノ曲集で、第2年はイタリアの芸術作品から感じた霊感をもとに作曲。リストは、ダンテの「神曲」地獄編に書かれた情景描写よりも自ら救済の扉を開く人間の感情を中心に音楽を構成した。
☆歌と踊り 第6番(モンポウ)
【演奏】アレクサンドル・カントロフ(ピアノ)【収録】2022年6月30日、東京オペラシティ・コンサートホール

🎵昨日、今日のリストで、リストの奥行、技術的なすごさを得心。

🎧名曲アルバム。「日曜はダメよ」ハジダキス作曲/上柴はじめ・編曲

(歌)EVE,(ブズーキ)若林忠宏,(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団,(指揮)円光寺雅彦 ~ギリシャ・アテネ、ピレウス~
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エーゲ海に面したギリシャの海ピレウスは1960年公開の映画「日曜日はダメよ」の舞台。気のいい娼婦と堅物のアメリカ人男性が港町で騒動を巻き起こす。ー番組紹介からー

この映画は主演メリナ・メルクーリが歌うテーマ曲とともに大ヒット。アテネに彼女の記念館がある。メルクーリは1967年祖国に軍事政権が誕生すると、国外で反政府運動に身を投じる。「デモクラシーが生まれたギリシャに今や自由はない」と語ったメルクーリは、軍事政権が倒れた後、国政に参加、国民的英雄になった。

⛳雨模様。ちょと遅いけれども、大谷翔平の偉業が。何も自慢はないが、あの大谷が出た岩手の花巻に私も7年暮らしてたんですよ。ベーブルースを超えた人があそこから! まだ半信半疑。
6時59分更新



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220811  クラシック倶楽部を聴く 阪田知樹ピアノ・リサイタル

2016年にフランツ・リスト国際ピアノコンクールで第1位を受賞した若手ピアニスト、阪田知樹のオール・リストプログラムの演奏会をご紹介する。
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【曲目】
超絶技巧練習曲 第7番「エロイカ」
ハンガリー狂詩曲 第5番 「悲劇的な叙事詩」
ハンガリー狂詩曲 第15番 「ラコッチー・マーチ」
超絶技巧練習曲 第4番 「マゼッパ」
 以上(リスト作曲)
交響曲 第3番 変ホ長調 作品55 「英雄」から 第3楽章
第4楽章(ベートーベン作曲/リスト編曲)
【収録】2022年6月30日(木)ハクジュホール(東京)

 

コメント
私は20世紀に生まれてるんで、リストとの面識はないんですけれども、だけどもリストという存在は作曲家としては多作でしたし、何と言っても彼がすごい名ピアニストで、多くのピアニストを指導して、今たぶんピアニストになってる方々は、何かではリストの教えを伝わって今にいるわけですけれども、それほど大きな樹なわけですよね。だからそれをいろいろなことがあろうとも、彼という音楽家は非常に大きな存在で、私も単純に尊敬してますとか言えるような感じじゃないんですけども、音楽家の理想像の一つではないかなと思いますし、いつかそうなれるように日々精進していきたいなと思っています。
 プログラムは、前半はリストのオリジナル作品、後半はベートーベンの交響曲「英雄」んピアノ独奏版です。まず前半について、後半にあるのが「英雄」なので、「英雄」に因んだ作品をリストの作品の中から選んでおります。超絶技巧練習曲の「英雄」、これはそのタイトルのままですね。2曲目、これは「悲劇の英雄」というタイトルのハンガリー狂詩曲の5番なんですけども、これも英雄というのが入ってる。3曲目がハンガリー狂詩曲の15番「ラコッチー・マーチ」。最後が超絶技巧練習曲にまた戻って第4番の「マゼッパ」という曲なんですけども、後ろ2曲、「ラコッチー・マーチ」のラコッチはハンガリーの英雄というか指導者の方が好んでいた旋律を使って作曲されたさくひんであって、最後の「マゼッパ」というのは、ウクライナの英雄だった人の伝説に基づいて書いている作品なんですね。この楽曲に関して、構成は最初に短い序奏があって、それから主要な旋律が順番に変奏されていく形式をとっている変奏曲のような感じのような曲ですけれども、まさにそれが英雄交響曲の第4楽章、これが完全に変奏曲なんですけれども、そういうリンク性を持たせて全体を構成しております。
 やはりどう考えてもオリジナルの、これが3番であろうが何番であろうが、ま、第9とかなったらそうですけれども、何番のシンフォニーであろうとやっぱりたくさんの人がたくさんの楽器で奏でる音響の感覚とピアノ一台で奏でる音響の感覚というのは、どうしようもない差というか異なった音響になる、これは当然でして、じゃ何でこれ(ピアノ編曲版)の存在意義は何なのか。要するにピアニストから見た時に、オーケストラ的な色彩というか音色の変化のパレットをたくさん持っていなければいけないんですよね。そういった意味でオーケストラの楽曲を実際にピアノで演奏することに挑戦することによって、自分の引きだしが広がるということがまず一つあるかなあと思います。そしてリストがこの編曲をしてくださったことに非常に思うことと云うのは、本来であればオーケストラでしか演奏できない曲をこうして、弾くのが大変難しいですけども、ピアノ一台で演奏することを可能にしてくれたことにはやはり一ピアニストとして感謝したいなと思います。

 

🎵 交響曲のピアノ編曲版を聴くたびに、やはり幾分かの物足りなさを感じてしまう。ここまでして編曲しピアノで弾く意義、阪田さん言う存在意義を心のどこかで問うていたのが、このコメントで吹っ切れたというか、 「音色の変化のパレットをたくさん持っていなければいけない」、もしかすれば「弾けない」だったかもしれないが、何れピアニストの側からいえば音色のパレットが豊かでなければ弾くことはできない、力量を試される曲でもあるのだと思った。
 リストでは狂詩曲第5番「悲劇的な叙事詩」が心に沁みた。

 

🎧名曲アルバム。「弦楽四重奏曲 アメリカ」ドボルザーク
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アイオワ州に、チェコからの入植者で作られた小さな村スピルヴィルがある。1893年にドボルザークは夏の休暇でこの村を訪れる。滞在した建物は今は記念館となっている。当時彼はNYの音楽学校の校長を務めていた。故郷ボヘミアを思わせるスピルヴィルに癒され、ボヘミアの旋律と黒人霊歌を結びつかせ「弦楽四重奏曲アメリカ」が生まれたという。

⛳9時30分更新
明け方には北海道で地震震度5強。5強と聞いて、こうなってないといいが、ああなってないといいがと思いつつ、どこか5強にもすこし感度が鈍ってきている、良からぬことに慣れたような自分の意識にどきり。道路の隆起、崩壊、……破壊が止まない。すこしでも食い止められるように。
 朝刊記事は政治と旧統一教会の癒着が満載。
 宗教は古いほどいい、昔ながらの教えがいい。そして、教祖の実態がどうであるか、会計が明らかであるかどうか。
 

 

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220810  クラシック倶楽部を聴く  牛牛(ニュウニュウ) ピアノ・リサイタル

本名、張勝量(Zhang Shengliang)。1997年中国福建省厦門(アモイ)の音楽一家に生まれる。3歳で才能の片鱗を見せ始め、音楽教師の父より手ほどきを受ける。2003年8月、6歳になった直後にデビューコンサートを行い、モーツァルトのピアノ・ソナタやショパンのエチュードを演奏。8歳で上海音楽院に史上最年少で入学。その後ニューイングランド音楽院等を経て、2018年ジュリアード音楽院(米国)卒業。

2007年最年少で国際クラシックレーベルのEMIクラシックス(現ワーナークラシックス)と専属契約を結ぶ。

▽アニメ「ピアノの森」でパン・ウェイの演奏を担当。収録:2019年6月19日 すみだトリフォニーホール小ホール
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コメント
牛牛(ニュウニュウ)というニックネームは生まれたときに両親がつけました。中国の暦でうし年に生まれたからです。ジュリアード音楽院には音楽のほか、舞踊と演劇部門もあります。舞踊部門・バレエの学生と友達になりました。どのように身体の動きを考案するのか彼らの話を聞き、演奏するときの手の動きをダンスとして考えるようになりました。コンサートでの演奏では視覚的な要素も大きいと私は考えています。演奏の視覚的な側面により集中するようになりました。演劇から学んだことは、自分が弾く曲のもっともドラマティックで激しい瞬間にあっても、心をクリアに保つべきだと気づきました。演劇では役になりきっているときにも常に自分自身を保つことが必要ですから。

 曲目

☆「即興曲 第2番 嬰ヘ長調 作品36」ショパン:作曲
☆「即興曲 第3番 変ト長調 作品51」ショパン:作曲
☆「ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 作品35」ショパン:作曲
☆「スケルツォ 第3番 嬰ハ短調 作品39」ショパン:作
☆「ウィーンの夜会 第6番(シューベルトによるヴァルス・カプリス)」リスト:作曲

🎵予告に牛牛とみただけで、ああ、あの身のこなし優雅な、と思いだす。舞踊の影響を受けたしなやかな彼の動き。ダンサーがピアノに舞い降りてきて弾いている、そんな感じも。ピアノソナタ第2番のなかの葬送行進曲中の、聖母の涙が流れるような澄明な心持で思い出をたどるようなピュアな響きがのこる。追憶に苛まれるかの第4楽章。スケルツォ、聴くたびに、作曲家が、繊細で細やかな音を最速でなぜにこのように美しい連なりをもってどこぞから汲みあげられるものかが不思議でならない。

 

🎧名曲アルバム。グリーグ「ソルヴェイグの歌」。ソプラノ天羽明惠
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ノルウェーの作家イプセンの代表作「ペール・ギュント」の中で歌われる。村人に慕われる村の英雄ペール殿下が未知の冒険にでかけるが、恋人ソルヴェイグが待ち続けて歌う。天羽明惠の歌声が心を打つ。毎年8月にゴーロー湖畔で上演される「ペール・ギュント」にはオーディションを通過した村の人々が出演する。

⛳雨・雨・

 天の水道には調節蛇口や元栓はないのか。

7時更新

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220809  クラシック倶楽部を聴く  ベンジャミン・フリス ピアノ・リサイタル

ナガサキ



身に迫る核。身震いが。リハーサルで整えられ
た式典やことばだけではその悲惨な実態はつぶさに見えはしない。証拠写真、記録画、感情のこもる語り部の声やことばにはそれがある。

     ☆   ☆   ☆

クラシック倶楽部を聴く  ベンジャミン・フリス ピアノ・リサイタル

ブゾーニ国際コン2位、ルビンシュタイン国際コン優勝の経歴を持つイギリスのピアニスト、ベンジャミン・フリス。評価の高いベートーベンのディアベルリ変奏曲を放送する。
【曲目】「ディアベルリ変奏曲 ハ長調 作品120」(ベートーベン作曲)【収録】2019年6月19日 すみだトリフォニーホール小ホール

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🎵ベートーヴェンが作曲したピアノ独奏曲。1823年に完成された晩年の傑作である。ベートーベンは1827年には亡くなっている。この亡くなるまでの数年間ベートーベンは敬愛する作曲家たちと音楽で様々に語り合っていたのではないか。ピアノを弾くベートーベンに入れ代わり立ち代わり彼らが現われていたと妄想し楽しんだ。 

去年8月に放送されたときに、最初の5分間を聴き逃して、最後まで喪失感を引きずってしまったことを思い出す。今回はその最初をしっかりと聴き留める。音楽の改革を絶えず目指したベートーベンだけれども、ベンジャミンの話しでも、それまでの作曲家にも深い敬愛の念を抱いていたようだ。特にこのディアベルリ変奏曲にはバッハとショパンへの想いがこめられているといった解説で、理解が深まった。ベンジャミンの名刺代わりの曲とまでいわれる。演奏家は聴衆のサービスに多くのレパートリーを準備してはいるが、本音は「名刺代わり」を演奏したいもではないかと。ああ、ここはバッハ追想か、ああ、ここはショパン的、ここがベートーベンのベートーベンたる所以と。最後にはやはりベートーベンの足音が聞えたような気が。

これがベンジャミンの名刺代わりの曲であるとまでいわれる演奏内容、徹頭徹尾に精魂籠る説得力。

 

名曲アルバム。「フランスの山人の歌による交響曲」ダンディー作曲

「フランスの山人の歌による交響曲」(ピアノ)浦壁信二,(管弦楽)NHK交響楽団,(指揮)小泉和裕
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イタリアの東南部にあるヴィヴァレー地方に作曲家ダンディ(1851~1931)が夏を過ごした別荘がある。彼は中世から続く貴族の出身。このあたり一帯が父祖から受け継いだ彼の領地。幼くして両親を失くし、厳格な祖母に育てられたが、作曲にも理性と厳格さを重んじた。仏の音楽界の重鎮となり、教育者として多くの作曲家を育てた。この土地の牧童の歌に耳を傾けまた自然の中を散策しながら、頭に浮かんだ旋律を書きつけ出来上がったのがこの曲。のどかな情景と素朴な調べが伝統的な様式美巧みに取り込まれている。伝統的な外形の一方、彼の音楽は田舎のやすらぎに満ちている。ー解説を見ながらのまとめー

⛳7時更新

 

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220808  クラシック倶楽部を聴く スティーヴン・オズボーン ピアノ・リサイタル

スティーヴン・オズボーンは1971年スコットランド生まれ。ナウムブルク国際コン、クララ・ハスキル国際コンで優勝。音楽の本質を鋭く捉えた実力派ピアニスト。知的なアプローチで緻密・精緻な分析に裏付けられた音楽性と確かな技術でベートーベン最晩年のソナタを描く。

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オズボーンのコメント
後期三大ソナタの特徴についてはー
ベートーベンは一生を通じて、即興と言うものにこだわっていました。彼自身即興演奏を競い合うようなことをしましたし、作曲に当たっても即興的な要素を組み込もうとしていました。年を経るほどにそのやり方が巧妙で繊細になっていきました。この最後の三つのソナタは即興的な要素が巧みに組み込まれた見事な例だと思います。ですからこれらの作品には自然に湧いてくるという感じがあります。構築されたものというより、意識の自由な流れが感じられます。前作のハンマークラヴィーア・ソナタは40分くらいの曲です。しかしこの三つのソナタは20分です。3曲目は25分でしょうか。素材は圧縮されていて、ベートーベンが何を表現しているかと言うと、決して長い演奏会にはなりませんが、表現されることはどんな演奏会にも引けを取りません。音楽的中身が濃いからです。

ピアノ・ソナタ30番についてー
曲ごとに特徴を述べるのはとても難しいですね。いろいろと異なる特徴がありますから。作品109のソナタには何かいいものがあります。ベートーベンは自分の作品集に収めるために曲を書いていました。ピアノ・ソナタの作曲依頼があったとき、彼の助手がその曲をソナタの第一楽章にしたらどうかと提案したのです。作品集に収めるような曲だったからか大作のように構えたところのない曲です。面白いのはとても即興的なことです。非常に短いソナタ形式の曲です。3曲ともそうかもしれませんが、構えたところがないというところで特徴が生まれるようです。とてもやさしい感じで始まります。謙虚といってもいいかもしれません。そんな第一楽章とは対照的で、第2楽章はとても攻撃的です。第3楽章はすばらしい変奏が続きます。曲の最後が超絶技巧になりますから、ピアノが素晴らしく響くので、リストはそこが大好きだったのでしょう。

ピアノ・ソナタ第32番についてー
最後のピアノ・ソナタ作品111、このあとベートーベンがピアノ・ソナタを書かなかったのもうなずけます。(拾いかねた部分)2つの楽章は極めて対照的です。第一楽章は密度が濃く、攻撃性が満ちています。第一楽章はやはり前の時代を向いていて古い音楽の要素があるのですが、そこにもベートーベン的な性格が非常に強く出ています。そのような攻撃性とは対照的に第2楽章はベートーベンが書いたとは思えないほど叙情的です。(拾いかねた部分)かれはここで素晴らしいことをやっている。変奏というとふつうは旋律を超絶技巧的にしたり短調にしたりと違うものが集められて最後は拍子を変えたりして楽しく元気よく終わる形にします。しかしベートーベンの場合はまったく違い、(拾いかねた部分)そして主題を再現しますが、最初と違ってたくさんの音符があります。その形をとらないところも2か所ほどありますが、全体として最初は少ない音符、最後にはたくさんの音符ということで単純です。ほとんど平凡ですらあります。あまりにも単純すぎて、このようなことをした作曲家はいないかもしれません。しかしベートーベンがしたことは感情の面からいうと、とても信じられないほどすばらしいのです。最初はすこしずつ有機的に展開していくのですが、やがて多様な性格を帯びてきます。展開が分かりにくかったりもするのですが、しかしその真っただ中でとてもテンポが速くジャズっぽくなる所があって、その後突然えも言われぬほど美しくなります。そこでも前の変奏より音符が増えていきます。感情の面でいうと、これは彼の作曲したものの中でも異例中の異例でしょう。これほど私を感動させる楽章は他にないと思います。一つの大きな金字塔です。この終楽章ゆえに、最後のソナタが最も思い入れがありますね。音符もそんなにない、音楽の流れに身を任せるような感じのところが多いです。これほど輝かしい音楽の中でそれができるのはいいことですね。

 

曲目

☆ピアノ・ソナタ第30番ホ長調 作品109
作品109は三つのピアノソナタの一曲目。壮大さが凝縮された音楽からはベートーベンの新たな音楽の歩みが感じられる。
ピアノ・ソナタ第32番ハ短調 作品111
 ベートーベンが作曲した最後のソナタ。2つの楽章で構成されていて、第一楽章は張り詰めた雰囲気が漂い、第二楽章は美しい旋律の変奏曲。ベートーベンが最後に到達した音楽の境地を見るかのような奥深い一曲。

🎵演奏に明晰さが通っている。個人的に聴きどころと思うのは何といっても32番の第2楽章。静謐な中にまるで色彩の光が白光に溶け込んでその彩を失くするように消えゆく最後の音がまだのこっている。この32番のオズボーンいう抒情性。洞窟のはるか向こうに日がさしていて、そのあたりから密やかに鳴りこぼれる音の連なり。繊細なところを丁寧にひろうオズボーンの指先をカメラが大きく映し出したとき、なぜか感動し涙が。オズボーンの左手中指のテーピング、終生指に故障を来さなかったピアニストは果たしてどれぐらいいるのだろう。

🎧名曲アルバム「マズルカ ヘ短調 作品68 第4」ショパン作曲

(ピアノ)廻由美子 ~映像はポーランド ジェラゾヴァ・ヴォラ、ワルシャワ~
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ワルシャワの西50キロにあるジェラゾヴァ・ ヴォラにフレデリック・ショパンの生家がある。今は記念館。この家は、当時この一帯を所有するスカルベルク家が暮らした。ショパンの両親はともにこの家で働いていた。2人はこの家で新婚生活を送り、1810年に長男のフレデリック・ショパンが誕生する。

⛳6日(土)には岩手の一関学院が甲子園初戦突破。延長11回までの試合。校歌が歌われた。作詞:芳川 顕雄作曲:千葉 了道。頑張りがすごい。


14時40分更新



 

 

 

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きょうのことば「イエスの栄光」  (工藤弘雄牧師)

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年731()の礼拝メッセージをお伝えいたします。この日はインマヌエル綜合伝道団の東北聖会第2日目が開かれ、工藤弘雄牧師の説教を聴くことができました。國光勝美牧師は司会を務められました。

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説教題 「イエスの栄光」  (工藤弘雄牧師)
引証聖句 イザヤ6110
1 ウジヤ王が死んだ年に、私は、高くあげられた御座に着いておられる主を見た。その裾は神殿に満ち、
2 セラフィムがその上の方に立っていた。彼らにはそれぞれ六つの翼があり、おのおのその二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでいて、
3 互いにこう呼び交わしていた。「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満ちる。」
4 その叫ぶ者の声のために、敷居の基は揺らぎ、宮は煙で満たされた。
5私は言った。「ああ。私は滅んでしまう。この私は唇の汚れた者で、唇の汚れた民の間に住んでいる。しかも、万軍の主である王を、この目で見たのだから。」
6 すると、私のもとにセラフィムのひとりが飛んで来た。その手には、祭壇の上から火ばさみで取った、燃えさかる炭があった。
7 彼は、私の口にそれを触れさせて言った。「見よ。これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り除かれ、あなたの罪も赦された。」
8 私は主が言われる声を聞いた。「だれを、わたしは遣わそう。だれが、われわれのために行くだろうか。」私は言った。「ここに私がおります。私を遣わしてください。」
9 すると主は言われた。「行って、この民に告げよ。『聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな。』
10 この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を固く閉ざせ。彼らがその目で見ることも、耳で聞くことも、心で悟ることも、立ち返って癒されることもないように。」

《説教》
youtubeにおつなぎします。下をクリックしてお聞きください。

工藤弘雄牧師の説教

 

⏰6時36分更新


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HIROSHIMA

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 いまだ戦争も核もなくなってはいない。虚しさが募るけれども、しかし平和への祈りが消えたなら、それこそ、そこからは真っ暗闇の支配が始まる、そんな気がした。

 

  ☆  ☆  ☆

 先週の土曜日、730()は何を書こうとしたかしらんと。当初は、朝に新日本紀行で見た神田の古書店。これは図書館よりもすごいものが眠っていそう、というよりも、貴重なものはすべてリストアップされて、後生大切に保管されており、店主は必ず必要な人物が現れることを確信しているようなのだ。我が国にとって、いや世界にとっても重要な書物がここにあるとの自負と風格。写真は和本専門の古書店。
 私は、新刊書が並ぶ書店よりも、古書店に行くことが多い。古書と言っても史料価値があるものはそれなりの立派な値段。なかなか。
 何れ、聖会のある日に、それも初日にTV番組を書くでもないかという気がして、聖会の方を載せたのだった。撮り置いた分を出してみると、

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 東京の神保町の音楽専門の古書店に、昔、息子が連れて行ってくれたことがあるけれども、その時は圧倒されて背表紙たどるだけで精一杯だった。盛岡市にある古書店で「赤い鳥」を見つけた時は嬉しかった。

⛳10時更新

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20220805 クラシック倶楽部を聴く 紀尾井ホール室内管弦楽団 ウィーン・フィルのメンバーを迎えて

これまで20世紀前半の私的演奏会の作品を中心に活動してきた同楽団のアンサンブル・シリーズ。今回はウィーン・フィルのメンバーとの共演でマーラーの「大地の歌」を上演
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ライナー・ホーネックのコメント
全員がとても高いプロ意識を持っています。私の役割は全体の響きの方向性を示し、時に、ウィーンの伝統奏法を伝えることです。そして今回のウィーン・フィルの同僚たちは楽団の中でもずば抜けた名手です。このように共演でき大変嬉しいです。彼らはリハーサル初日からお互いにすぐ理解しあえました。同僚たちもほんとうに驚いたほどです。
室内オーケストラ版の「大地の歌」については、小編成での演奏はより難しいですが、オーケストラ版より美しいところがあります。指揮者がいないので、奏者はお互いの演奏を完全に理解しながら弾かなくてはなりません。しかしお互いの音に反応しながら弾くのが室内楽の醍醐味といえるでしょう。私はこの編曲版を演奏するのが好きなんです。集中力というか、作品の深いところにまで身を投じて演奏するからです。挑戦するにはかなりの勇気が要りますが、成功したときの喜びは何にも代えがたいです。

「交響曲「大地の歌」(室内オーケストラ版)から 第1楽章、第2楽章、第3楽章、第6楽章」。マーラー:作曲、シェーンベルク/リーン:編曲
(室内オーケストラ)紀尾井ホール室内管弦楽団、(メゾ・ソプラノ)ミヒャエラ・ゼーリンガー、(テノール)アダム・フランスン 

第1楽章「大地の哀愁を歌う酒の歌」  
第2楽章「秋の寂しさ」
第3楽章「青春について」
第6楽章「告別」

 

🎵マーラーが感銘を受けた中国の詩をもとに歌詞がつくられているという。生と死への思いについて。1楽章では人生のはかなさ。無常観に共感した心情が。2楽章では「秋はあまりに長すぎる」と歌う。人生のたそがれの長さ。3楽章の始めの管楽器に中国の音楽の賑々しさも聴こえたような。「池の水面にはすべてが鏡のように映る」「友は着飾り飲んだりしゃべったり」。そして、6楽章の「別れ」。「夜のとばりとともに」「大地は安らぎに満ちて」「疲れた人々は家路につき」「世界は眠りに入る」「私はここで友を待ちわびている 最後の別れを告げるために」、そして輝ける日々の追憶が徐々に虚しさか懐疑か諦念のうちにかき消えて。「馬から降りた彼は言う」というところを見ると、彼は戻ってはきたのだ。そして「幸運はわたしには微笑まなかった」。孤独な心に安らぎを求めてさまよう魂。「私は故郷を、居場所を探す」。「心の安らぎを求めて」。最後には「愛しき台地は春になれば花が咲き新緑になる。とこしえまでも。永遠に」と大地、自然だけは生き続けると歌い、そこに自分は見ることのない先々の生の営みに慰めをえているのか。今となっては、何としてもこの素晴らしい大地を自然を生き続けさせなければならないという課題に突き当たってしまうのだけれども。
 ソリストの声を聴くのはやはりあまり大きくないホールがいいと思うのだが。今回はオケのフォローはないとしても、声楽家たちにとっては幾分リラックスして、しかし手を抜かずに歌うことができる空間だったのでは。
 マーラーというとありとあらゆる楽器の大編成のイメージがあるだけに、この編成に、これで曲が成り立つのかと思ったけれども、むしろ味わい深くもあった。管の支配的な寂莫感、孤独感が甲高く入って来たけれども、それがあって弦の慰めや美しさに癒されもするのだと。ミヒャエル・ゼーリンガーのメゾ・ソプラノ、「この世で幸福は私にはほほ笑まなかった」「どこへ行くのかと? 私は山をさ迷い歩く 孤独な心に安らぎを求めて」「私は故郷に居場所を探す」「決して遠くまでさすらうのではない」「心は安らぎ その時を待ち望む」「愛しき大地は春になれば花が咲き新緑になる」「どこまでも永遠に 彼方は明るく青くなる」そして「永遠に」が何度も繰り返され、繰り返され、最後は彼方に消えゆくようにふつりと消えるのだが、この幾分憂いを帯びたメゾ・ソプラノが小さく小さくなってゆきついに永遠に溶け込んでしまい永遠の果てに見えなくなるのだ。そこに一縷の望みが託されているようにも聞こえる。

🎧名曲アルバム。「ベサメ・ムーチョ」 コンスエロ・ベラスケス作曲/丸山和範・編曲

(ギター)沖仁,(カホン)ホセ・コロン,(指揮)円光寺雅彦 (管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団,~メキシコ・グアダラハラ~

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この曲はピアニストのコンスエロ・ベラスケスが少女時代にまだ恋人もいなかったとき、未来の王子様を夢見て書いたものだという。表題通りの画像をアップしておいたけれども、何れ夢であるうちが想像も増幅され、より人に受け容れられることがあるのだろう。

⛳7時15分更新

 

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20220804 クラシック倶楽部を聴く ベスクラ公開 務川慧悟 ピアノ・リサイタル

2019年のロン・ティボー・クレスパン国際コンクールで第2位に輝いた期待の若手ピアニスト。パリ国立高等音楽院で研鑽を積んだ、感性豊かな演奏をご紹介します。 【出演】務川慧悟(ピアノ)【曲目】前奏曲集 第2巻から抜粋(ドビュッシー作曲)、ピアノ・ソナタ第2番(ショパン作曲)、組曲「マ・メール・ロワ」から「妖精の園」(ラヴェル作曲/務川慧悟編曲)【収録】2021年2月13日 相生市文化会館 扶桑電通なぎさホールで収録
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務川慧悟のコメント
Qコンクールでの入賞、フランスでの活躍は
ロン・ティボーはフランスでも特に権威のあるコンクールですし、フランスでの活躍の場が圧倒的に増えたことで、これは僕にとってとても嬉しいことなのですけれど、フランス人の聴衆を前に色々なリサイタルプログラムを披露する場が増えた。で、向こうの聴衆の方とコミュニケーションがとれる。また向こうのホールとかサロンのような場所で演奏する機会もとても増えたということで、向こうの形式でのコンサート経験を積むことによって自分の中でも演奏家として見えてくるものがあったりということが非常に大きかった。入賞してからここ1年ちょっとの間に、非常に大きな変化でした。


(最初にお送りするのは務川さんがフランスに留学して専門的に学んできたドビュッシーの作品、前奏曲集第二巻から5曲を選びました。)
Q前奏曲集第二巻の魅力は
ドビュッシーの前奏曲集一巻と二巻で全24曲ありますけど、一巻はほんとうにカラフルな色彩で描かれた光のある曲だと思ってるんですけれども、今回弾く二巻というのは、ちょっと水墨画のような、すこし光とか色彩を敢えて落とした中で描かれる世界というのが僕にとっては大変魅力的で昔から大好きな作品なんですけど、第6巻変わり者のラヴィーヌ将軍というのは、ラグタイムの形式を持った曲で非常にドビュッシーらしいユーモアのある作品で、前奏曲この第二集が非常に暗い色彩を持っている中にも幾つかこういったユーモアを交えた曲というのがあって、そこにどれも好きなきょくなんですけど、幾つか組み合わせを考えて、いちばん最後に、やっぱり曲中の中でも傑作といっていいであろう花火をもってきたという感じの構成になってます。

(なぎさホールのすぐそばの海岸を歩いて)
海好きですね。生まれたところも半島ですし、南仏とかで音楽の講習を受けたりして、海沿いで夏を過ごしたことも何度かあるんですけど、もともと海が好きですね。
Q
ショパンのピアノ・ソナタ第2番、想像を超えた魅力とは
(古典的な形式にとらわれない斬新な構成を持つ作品です)
パリに留学して1年目に先生の下で学んだ曲なんですけど、僕はわりと常々3番のソナタがとにかく大好きで、これもショパンの中で一つの到達点となる作品だとおもっているんですけど、そんなパリ留学のきっかけで2番を改めて勉強してみて、2番というのは、何というか、常人の理解の範疇を超えてしまったような天才的な作品だということに何年か前ぐらいに気付いたんですね。その3番というのがちゃんとした構成、どのような意図をもって作曲したかがある程度想像がつくのに対して、2番と言うのは、僕にはもうまったくどのような過程で作曲したのか想像がつかないくらい天才な作品で、この作品にここ最近また魅せられてまして、ここ何度か人前でも弾いたり今回もこのリサイタルで取り上げることにしました。

曲目
前奏曲集 第2巻から抜粋(ドビュッシー作曲)
 前奏曲集第二巻は1911年から1913年に作曲された12曲から成る。各曲のタイトルは楽譜の冒頭ではなく末尾の余白にひっそりと記された。
  第6巻 変わり者のラヴィーヌ将軍
  第5曲 ビスの成る荒地
  第9曲 ポクウィック卿をたたえて
  第11曲 交代する三度
  第12曲 花火

ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 作品35(ショパン作曲)
アンコール 組曲「マ・メール・ロワ」から「妖精の園」(ラヴェル作曲/務川慧悟編曲)


🎵ドビュッシー、森閑とした森にある湖の面が光とともにさまざまなもの、動き、ひとの想い、機微を映しだすさまが浮かぶ。味わい深い。ピアノ・ソナタ第2番、第3楽章が、いささか口幅ったいけれども今は人類の葬送曲とも聴こえた重たさの次に開けた旋律のやさしさ。音楽がある限り、音楽のあるところでは、人生悪くはないと思わせられ、次なる荘重さには警告を発せられたような思いも。第4楽章、折れそうで折れない、癒されたくも癒されない魂の漂白。務川さん編曲の「妖精の園」、これでラヴェルのまた別な一側面を聴いた気が。

🎧名曲アルバム。「歌劇〝魔弾の射手〟~間奏曲 狩人の合唱」ウェーバー作曲
新国立劇場合唱団、東京フィル&渡邊一正 ~ドイツ・ドレスデン~

きょうのクラシック倶楽部のプログラムを聴いてすぐに勇壮な「魔弾の射手」。名曲アルバムのタイトルを見ると気分がカチッと切り替わる習慣がついてしまっている。このホルン、合唱には、とにかくテンションがあがる。
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1、3枚目はドレスデン歌劇場。ウェーバーもかつて楽長を務める。ウェーバーはドイツオペラの普及に努め、後のワーグナーへと続くドイツ・ロマン派オペラの礎を築いたという。楽譜には手書きで演奏上の注意が記され、これが歴代の演奏家たちによって、上演のたびに書き加えられて
きている。こうして歌劇場の伝統が培われてきているという。楽器は、ドレスデン市内の楽器工房。木型や工具もすべて先代のマイスターに認められた者のみが受け継ぐ。以上解説を参考に。歌劇場にも工房にも格段の格というか、向こうの音楽文化を容れる建築物、支える楽器職人の歴史を思わせられた。

⛳天までも届きそうなコロナグラフ。きょうはいったいどこまで。コロナを討つもっと多くの魔弾の射手が待たれる。6時50分更新

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20220803 クラシック倶楽部を聴く アンサンブル天下統一〜栃木県壬生町公開収録

アンサンブル天下統一関東初公演!栃木県壬生町公開収録日本を代表するバイオリン奏者長原幸太、ビオラ奏者鈴木康浩、チェロ奏者中木健二の実力派弦楽トリオによる、至高のベートーベン&モーツァルトの世界なぜ天下統一?インタビューで語るベートーベン 弦楽三重奏曲 ハ短調から第1楽章、モーツァルト ディヴェルティメントK.563から ほか2019年10月25日城址公園ホールで収録

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アンサンブル天下統一は、愛知県岡崎市シビックセンターのレジデントアンサンブルとして2014年に結成される。チェロの中木健二が徳川家康の出生地である愛知県岡崎市出身であるところかららしい。中木はキングレコードよりCD「美しき夕暮れ」および「J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲全曲」(「レコード芸術」誌・特選盤)をリリース。紀尾井ホール室内管弦楽団メンバー。第11回名古屋音楽ペンクラブ賞受賞。使用楽器はNPO法人イエロー・エンジェルより貸与されている1700年製ヨーゼフ・グァルネリ。ついでに日本音楽財団所有の名器はこちら
 読売日本交響楽団コンサートマスターの長原幸太のバイオリン鈴木康浩のビオラ。鈴木康浩は2001年よりドイツのカラヤン・アカデミーで研鑽を積んだ後ベルリン・フィルの契約団員となり、04年秋帰国。現在読売日本交響楽団ソロ・ヴィオラ奏者。読響との関りが深い三重奏団。久方ぶりに読響の頁も訪問。

3人のコメント
「天下統一」というネーミングには二つの理由がある。一つは岡崎市が家康のゆかりの地であることから、地元に根付いた活動をという意味で天下統一。もう一つは、演奏会って、どうしても一回ホールに出向いてそのとき出会った人たちと演奏して、そのときに来てくださるお客さんに聴いていただいて、一回きりというのが多いんですけれども、室内楽っていうほんとうにフレキシブルな音楽の形態を利用することで、音楽をもっと身近に感じてもらって、作曲家、作品そのものに興味を持っていただくことで、音楽に興味を持ってもらうという活動そのものが、じわじわ浸透していく。それを岡崎発信でいろんなところに広めていって、行くゆくは天下を取りたいというのが、アンサンブル天下統一の名前の由来です。
ほんとに少年のころから性格は知ってて、演奏もうまいなと知ってる。うまい人たちが6年前に結集したから、ほんとうに友達の方が先という感じ。何でも言うし、何でも受け入れるし、だからそれが楽だしおもしろい。
音楽に対してはすごくまじめで、だからみんなそれぞれの曲に対して思い入れか、あとは造詣の深さがあるけれども、やっぱり音楽というのは生き物だから、その時、その都度、同じ曲をやってもちょっとづつ違うんです。そのときにどれだけフレキシブルの中で音楽を一緒に作り上げられるかというときに、この3人は抜群に相性がいいです。だからみんなそのことがフレキシブルにできるし、イメージの共感をするのも速いし、でも各々のイメージは常にしっかり持っているから、そういう融合がおもしろいんじゃないかなと思う。

天下統一するというさっきのその自分たちがやってる活動をいろんな方に共有してもらうということが勿論目標ではあるんですけど、焦らずというか一つづつやっていることに共感してもらったり、自分たちが、今日みたいな来たことのない場所に来て、演奏会で多くの人々と出会って、つながりができて、またその信頼関係から次に演奏する機会があってというように一つづつ積み重ねていきたいので、
3
人でやることによって、3人でやる音楽の深みが好きだし、どんどん増えていけば。それでさらに生まれるものを探していけば、一人ひとりとか、それぞれは活動しているんですけど、やはり3人いると全然違う。
何でも3という数字はいいこと、歴史のはなしでいけばね。3本の矢、毛利元就か。やっぱりそれでみんなで作って行って、100歳ぐらいで全国統一。

曲目
弦楽三重奏曲作品9 第3から 第一楽章 ベートーベン作曲
ディヴェルティメント K563  モーツァルト作曲

🎵ヴェルティメントK.563、これが第6楽章まである。モーツァルトの楽興がノリにノッテいたのかな、まだまだいけると第6楽章までなのか、最初から1~6楽章を見通しての構築であるのか、いずれ、これが「ジュピター」を作曲してすぐにまた作曲されており、埋蔵量はかり知れぬ音楽油田というよりは音楽の泉というべきか。 

wikipedia:モーツァルトはディヴェルティメントと題した曲を20曲以上作曲しているが、弦楽三重奏の形態をとるものはこの変ホ長調K.563のみである。このK.5636つの楽章からなり「ディヴェルティメント」と題されてはいるが、ディヴェルティメントに特有の娯楽性を目的としたもののみならず、もっと高い音楽性を指向しているのが特徴である。室内楽曲としての書法としては弦楽四重奏からヴァイオリンを1本欠くため難しくなるが、各楽器を均等に扱いつつ精緻な作曲技法を施し、構成的にもしっかりしたものにすることにより、モーツァルト晩年らしい作品になっている。演奏技術的にも高いものを要求し、各楽器は時には協奏曲のような妙味も見せ、モーツァルトの他の弦楽四重奏曲などより難度は高い。

 

🎧名曲アルバム。「マドンナの宝石」。ヴォルフ・フェラーリ作曲。東京フィル&飯森範親 ~イタリア・ベネチア~
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美しい旋律。ポピュラーなのに作曲家についてはあまり考えたことがない。19世紀後半ベネチア生まれ。ベネチアの名門ベネデッド・マルチェッロ音楽院に入る。20世紀のはじめに学長を務める。ここまで書いてやっと、ああそうだっけ、と。ベネチアの音楽活動をけん引。喜歌劇を得意とした中での野心作が「マドンナの宝石」。かじやの青年の義妹に寄せるかなわぬ恋。そこに裏社会のボスが横やりを入れて悲劇に終わる。街の聖母(マドンナ)の像の首飾りが物語の鍵となる歌劇なのだとか。よく間奏曲の部分だけが独立して演奏されているらしい。

⛳けさは雨の音を聴きながらアンサンブル天下統一を聴いていたが、「マドンナの宝石」でいきなり雨音が強くなりボリュームをあげたけれども、なぜか戸を閉じて雨の音の方をシャットアウトしようとは思はないのか。何か相乗効果のようなものもあり、どちらを消すも惜しまれたのだ。雨の音にもドラマがある。とはいえ、その後避難されている地域もあると知り、あとはどんな言葉を続けるべきかが。
 まもなく盛岡さんさ踊りの2日目が始まる。さんさ開始時間が近づくにつれて、あの方、この方、関係者の方々の盛岡さんさにかける熱意が思い出されている。
 昨日は午後からブルーベリー摘みに出かけ、3キロ収穫。半分は昨日のうちにジャムに。きょう残りの半分を作る。引っ越しのときに大鍋を処分したために、一挙に仕上げることができない。
 思えば、かつて花巻時代は地域の祭りのために30人分のいものこ汁を作ったことがある。懐かしい思い出だ。最初はそういう慣例であると聞き、できるか自信がなかったが、やれば何とか。後で気づいたことは、なぜほかの人たちに手伝ってもらうことを考えなかったのか。あの時、頼まれて嫌な顔をする人は一人もいなかったろう。思えばいつも何をするにも一人でやってきたというよりも、なぜか誰かに頼むということに頭が回らないのだ。共同、協調が苦手だ。
 ただ盛岡に転居してからの地域行事では采配してくださる方々に恵まれ、協力して作業をする楽しさも教えていただいた。
 音楽とは関係ないはなしになってしまった、と書いたところで、花巻祭のお囃子が思い出された。もう盛岡さんさも始まっている。
18時3分更新。

 

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20220802クラシック俱楽部を聴く 

 自然豊かな中標津町で行われた金子三勇士のピアノ・リサイタルからショパンの名曲「革命」「雨だれ」やリストの「ラ・カンパネラ」「ピアノ・ソナタ」を熱演6歳からハンガリーで学んだ金子三勇士のバルトークやリストについてのインタビュー2019年6月16日北海道・中標津町総合文化会館での公開収録番組紹介よりー
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金子三勇士
1989
年日本人の父とハンガリー人の母とのもとに生まれる。6歳からハンガリーと日本で音楽を学び現在は国内外で活動。6歳のとき単身ハンガリーに渡る。数々のコンクールで優勝。国内外のオーケストラと共演するほか、ソロ、室内楽でも活躍している。

コメント 
中標津はハンガリーのような風景。6歳から自分自身もハンガリーの祖父母の家、山の奥の何にもないところで暮らしてたんですけど、その景色にものすごく似てますね。遠くの方に牛さんがいたり、自然の中だったからこそ、ピアノと向き合う時間も自由に取れましたし、たぶん、音楽的なイメージをするとき、作品を弾くときに景色をイメージするときというのは、ある意味で自分の原点ですよね、この自然豊かな環境は。
リストはバルトークの次に音楽世界を感じさせてくれた作曲家で、バルトーク音楽小学校の次には、リストが立ち上げたリスト音楽院で5年間学ばせていただいたんですが、如何に彼が偉大な作曲家、偉大な人物だったかというのを意識させられたことがとてもよかったかなと思いますし、一人でも多くの方々に本来の、本当のリストのすがたを知って欲しいなという思いで、今回も多めにリストの作品を選んでみました。
今回、後半のプログラムには、リストのロ短調ソナタという31分ぐらいの長い作品を選んでおり、最高傑作と言ってもオーバーじゃないかなと思ってるんですけど、彼の人生観、或いは音楽家としての生き方、人間としての生き方、すべてが詰まっているような作品でして、18歳の時に弾いたこのロ短調そなた、或いは20代の時に弾いたロ短調ソナタ、で、この先、30代、40代、50代、何歳まで生きるかですけど、70代、80代で弾いたロ短調ソナタがどういう風に変化していくのかというのを、ずっと人生をかけてお付き合いしていく大事な曲かなと思っていまして、10年ごとのこのロ短調ソナタを皆さんに是非楽しんでほしいなと思います。

曲目
「「ミクロコスモス」から「オスティナート」」バルトーク:作曲
「練習曲 ハ短調 作品1012 「革命」」ショパン:作曲
「前奏曲変ニ長調作品2815「雨だれ」」ショパン:作曲
「「パガニーニによる大練習曲」から「ラ・カンパネラ」」リスト:作曲
「ピアノ・ソナタ ロ短調」リスト:作曲

🎵2019年6月16日の収録ながら、この緑の豊かさ、ゆったりとした家畜、飼い犬とともにある暮らしにしばし癒される。中標津町は酪農の町。飼育頭数は人口よりも多い。人口は23,000。郷土館には開拓時代からの品々が展示されている。本格的な開拓が始まったのは明治末期。1937年標津線開通。1989年標津線廃止。50年以上も暮らしと共にあった駅がなくなる思いはどんなものだったろうか。苛酷な開拓と共にあった駅舎が消えた日。しかしその跡地に中標津町総合文化会館しるべっとホールが建てられたのだ。

この中標津まで来てくれた、行ってくれた金子三勇士は国際派の若手ピアニスト6歳で祖父母のハンガリーの田舎の家からバルトーク音楽小学校に、11歳でリスト音楽院に通学。中標津の風景を歩む金子に、ハンガリーの祖父母の田舎の風景が重なる。演奏するときの彼の原風景だ。
 けさはバルトークの「オスティナート」に風通しの良さ、新しさを。熱を帯びた「革命」、左手に淡々と落ちる雨粒が際立つ「雨だれ」、そしてリストの「ラ・カンパネラ」は鐘の下で暮らす人々の面影も拾い上げて豊かに鳴り響く。つづくリストの「ピアノ・ソナタロ短調」は、謎かけ、謎かけが連綿と。ピアニストは生涯このなぞ解きを迫られ、答えを詰問されるのではないかとさえ思われる。金子が「バルトークのほんとうのリストのすがたを知って欲しい」と語っているが、その大方がこの曲に詰まっているのではないかと。多面体であるリストの様々な側面を聴かせてくれた。リストが最も充実している時期に書かれている。曲についてリンク先で賛否両論を読んでみると面白い。金子はこの曲はリストの最高傑作であり、人生観、音楽観、人生のすべてが詰まっているといった意味のことを述べていたが。金子がこの曲に取組んだのが18歳、これを自らの年代ごとにどう紐解いていけるか、10年後の演奏も楽しみに聞いて欲しいと語っている。10年後というと、2029年。はたしてどんな世の中が、世界となっているかを想像すると空恐ろしくもあるが、どうか金子が芸術家たちが、誰もがどんな人々も、音楽をゆったりと楽しめるような世の中であってほしい。



 

🎧名曲アルバム。「“アルルの女”〜メヌエットとファランドール」ビゼー作曲

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アルルの女~メヌエットとファランドール」(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団,(指揮)梅田俊明 ~フランス・アルル

プロバンスの古都アルルにはゴッホも過ごしたという。「アルルの女」は文豪ドーデの戯曲のために作曲された。ドーデはユダヤ人嫌い。つまりは時代を超えて大虐殺の片棒担ぎとなったとも。物語は内容は若者が失恋し聖エロワ祭の日に身を投げてしまう。写真2枚は聖エロワ祭のようす。

⛳きょうはさんさ踊りの2日目。そしてウクライナの戦火も止まず。
前のブログに書き足しで6時50分更新

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クラシック俱楽部を聴く 吉井瑞穂 オーボエリサイタル

秋田県大仙市でおこなわれた世界的オーボエ奏者 吉井瑞穂のリサイタルから。巨匠アバドの薫陶を受け、2000年からマーラー室内管弦楽団の首席オーボエ奏者を務める実力派が、知る人ぞ知る名曲から朝ドラのテーマ音楽まで、オーボエの魅力たっぷりのプログラムを披露する。【曲目】オーボエとピアノのための組曲(パヴェル・ハース作曲)、風笛(大島ミチル作曲)ほか【収録】2019年6月14日 大曲市民会館番組紹介よりー

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岡純子は(ピアノ)

吉井 瑞穂 2000年にマーラー・チェンバー・オーケストラの首席オーボエ奏者に就任。07年のザルツブルク音楽祭では、フィッシャーの《オーボエ協奏曲》でソロデビュー。各新聞で絶賛された。いままでに、シュトゥットガルト放送交響楽団、バイエルン放送交響楽団、ケルン放送交響楽団、フランクフルト放送交響楽団などでソロ・オーボエ奏者として出演。
コメント(抜粋) 大曲で花火伝統文化継承資料館を見て花火も音楽も瞬間芸術。おなじようなことをやっているという驚きがあった。
最後の曲は「オーボエとピアノのための組曲」でパヴェル・ハース作曲。ハースハユダヤ人でガス室送りになった方。平和と音楽のもたらすことのできる何が芸術で世の中のお役に立てるのかを自分に問いかけつつ皆さんと一緒に考えられたらいいなと選んでみました。


岡 純子 10歳からピアノを始める。
大阪音楽大学卒業。在学中にオペラハウス管弦楽団と共演。
ジュネーブ音楽院伴奏科においてディプロム取得。第41回ティボールヴァルガ、ヴァイオリン国際コンクール公式伴奏者。西安国際オーボエフェスティバル公式伴奏者。
10回および11回 国際オーボエコンクール・軽井沢公式伴奏者。第3637回草津国際夏期音楽アカデミーでヴァイオリンクラス、ファゴットクラスのアシスタントピアニストを務める。
(OBOE
より転載)

「オーボエ四重奏曲 ヘ長調 K.370」モーツァルト:作曲、ピーター・ホジソン:編曲
☆「シチリア舞曲 作品78」フォーレ:作曲、アンリ・ビュッセル:編曲
☆「歌劇「イーゴリ公」から「ダッタン人の踊り」」ボロディン:作曲、グラハム・バスタブル:編曲
☆「風笛」大島 ミチル:作曲、荻野 松宣:編曲「映画「ミッション」から「ガブリエルのオーボエ」」モリコーネ:作曲
☆「オーボエとピアノのための組曲 作品17」パヴェル・ハース:作曲

パヴェル・ハースはナチス軍の占領下にチェコ北部のテレジン強制収容所に入れられた後アウシュヴィッツへ移送され、1944年ガス室でその生涯を閉じた。「オーボエとピアノのための組曲」は、第二次大戦が始まる1939年に作曲された。
アンコール「千の風になって」新井満:作曲、荻野松宣:編曲

🎵「シチリア舞曲 作品78、シチリアの空気感、青空を背景に動物たちが憩っている景色を勝手に想像しながら。「ダッタン人の踊り」、ダッタン人って? ググると短く分かりやすく解説してくれているブログがこちら「風笛」、瞼に移ろうノスタルジア。
「オーボエとピアノのための組曲 作品17、単純に通り抜けられない気がして
パヴェル・ハース:チェコのユダヤ人の靴職人ジクムントと、オデッサ出身のオリガ・エプシュテインの子として、チェコ語を母語として生まれ育つ。 14歳からブルノで正規の音楽教育を受ける。1919年から1921ブルノ音楽院ヤン・クンツヴィレーム・ペテルジェルカに学び、その後2年間レオシュ・ヤナーチェクの私塾で研鑽を積んだ。それ後20年の間に50曲以上が作曲されたが、作曲者自身によって作品番号を与えられたのは僅か18曲であった。家業の靴製造を手伝うかたわら、あらゆる種類の作曲にたずさわり、《交響曲》や合唱曲、歌曲、室内楽、映画音楽(「犬の生活」のための音楽)、舞台音楽、歌劇《サルラタン Sarlátan 》を創り続けた。1941年にテレージエンシュタット強制収容所に送致され、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で処刑された。《交響曲》は長らく未完成のまま放置されたが、1994にズデニェク・ゾウハルにより、ハースの作曲様式を踏まえてオーケストレーションを施された。ハースの作品は、ボヘミアモラヴィア民俗音楽に根差しており、時折りユダヤ人の民謡にも似た趣きがある。テレージエンシュタット時代の作品は僅かに8作が遺されたにすぎない。(wikipediaより転載)
1939年前後の背景はこちら。ハースも日々の恐怖と戦っていたに違いない。出口、精神的な空気孔が作曲であったものか。背景を思うからか切ない思いに。
「千の風になって」、歌と違い、やわらかいけれどもどこか硬質な音が天からふって。絶品。

 🎧名曲アルバム。「桃太郎」 文部省唱歌 岡野貞一・作曲/上柴はじめ・編曲
(合唱)NHK東京児童合唱団、二期会合唱団 (管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団 (指揮)岩村力
曖昧だった岡野貞一が立ち現れてくれたような。いつも思うのだが、たった5分の中に生い立ちを入れ資料写真を入れ、風土を入れ、関連する人々のようすをみせてくれる。霞がかって心に居続けてきた「桃太郎」がかなりの輪郭を帯びたひととき。
 岡山には桃太郎伝説のモチーフがいたるところに。吉備の山の温羅(うら)という鬼が女子どもを釜ゆでにして食ってしまう。その鬼を吉備津彦命(きびつひこのみこと)が討伐。8月の「おかやま桃太郎まつり」に「うらじゃ」を踊る若者たちの姿も。「温羅の魂とも共生できる平和な世を願って」に、昨今世間を騒がせている事件などが想起せられ、しばし考えさせられた。
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 岡野貞一はwikipediaによると、「1892年リスト教徒として鳥取教会(現在:日本基督教団)で洗礼を受け、翌年、岡山教会宣教師からオルガンの演奏法を習った。」とある。この岡山の教会というのが薇陽学院なのだろう。「1895年には岡山の薇陽学院を中退し、上京して東京音楽学校に入学、1900年に専修部を卒業した」
 岡山で学んだキリスト教系の学校のそばにあった三友寺には日本最初の孤児院があったという。周りではいつも子どもたちの遊ぶ声がこだましており、童謡、唱歌の才能は岡山で育まれたと。
 明治末期、文部省は日本人作曲家の唱歌の編纂に力を入れた。30代で岡野は作曲委員に抜擢される。
「桃太郎」は明治44年小学校1年生の教科書に掲載される。

1906年に東京音楽学校助教授、1923年に教授声楽)となり、1932年に退官するまで音楽教育の指導者の育成に尽力した。1918年より文部省編纂の尋常小学唱歌の作曲委員であった。約40年にわたり東京の本郷中央教会(明治・大正期には本郷中央会堂と呼ばれた、カナダメソジスト系の教会)の教会オルガニスト(聖歌隊も指導)であった。1941年、日本大学附属病院で死去。63歳没。 」

8月に入ったら、この時間帯の音楽、聴くは聴くけれども、この更新はやりかねる、と思っていたのだけれども、パヴェル・ハース、岡野貞一で、またもやそちこちぐぐったり。もうそろそろ歳だ。もうそろそろ眼が、もうそろそろ、と思いつつまたもや。きょうはたまに雨がぱらつき、比較的涼しく過ごしやすかった。

 午前にはスーパーに買い物に。それが冷房が効きすぎていてちょっと具合が悪くなり急いでクルマに戻った。一瞬コロナに感染したのかもと思ったが、すぐに回復したのでほっと。
 きょうからは4日間、盛岡市では「さんさ踊り」。熱気にコロナが弾き飛ばされてくれるといいのだけれども。
ブログ数か所のぞくうちに、何やら盛岡市浅岸の薬師社脇遺跡の土坑墓からローマの「ガラス小玉」が見つかったことを今頃知り、またそちこちをガチャガチャ。ついつい今時間になってしまった。
16時18分更新



 

 

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