きょうのことば 「成し遂げられる神」
インマヌエル盛岡キリスト教会2022年7月月17 日(日)の礼拝メッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕をしておられます。
説教題 「成し遂げられる神」 (國光勝美 牧師)
引証聖句 詩篇138篇1~8節
ダビデによる
1 心を尽くして 私はあなたに感謝をささげます。
御使いたちの前で あなたをほめ歌います。
2 私は あなたの聖なる宮に向かってひれ伏し
恵みとまことのゆえに 御名に感謝します。
あなたがご自分のすべての御名のゆえに
あなたのみことばを高く上げられたからです。
3 私が呼んだその日に あなたは私に答え
私のたましいに力を与えて強くされました。
4 主よ
地のすべての王はあなたに感謝するでしょう。
彼らがあなたの口のみことばを聞いたからです。
5 彼らは主の道について歌うでしょう。
主の栄光が大きいからです。
6 まことに 主は高くあられますが
低い者を顧みてくださいます。
しかし高ぶる者を 遠くから見抜かれます。
7 私が苦しみの中を歩いても あなたは私を生かしてくださいます。
私の敵の怒りに向かって御手を伸ばし
あなたの右の手が私を救ってくださいます。
8 主は私のためにすべてを成し遂げてくださいます。
主よ あなたの恵みはとこしえにあります。
あなたの御手のわざをやめないでください。
《メッセージ》
けさは「成し遂げられる神」と題しましてメッセージを導かれておりますおことばを共に味わわせていただきたいと思っております。
今日はお開きいたしました詩篇138篇8節に集中したいと願っております。
主は私のためにすべてを成し遂げてくださいます。
主よ あなたの恵みはとこしえにあります。
あなたの御手のわざをやめないでください。」
この「私のためにすべてを成し遂げてくださる」というおことばとよく似たおことば、それは詩篇57篇2節にございます。
私は いと高き方 神を呼び求めます。
私のために すべてを成し遂げてくださる神を。
この57篇2節のおことばは非常に励ましとなるおことばです。
滅多にはない大きな課題が持ち上がった場合に、新たな出来事にどのように対処していったらいいのか。このことを折あるごとに思い巡らしておりました。
自分が信じている信仰、或いはもっと一般的にいうのならば、いったい宗教って何なのだろうか。「私のためにすべてを成し遂げて下さる」とは。いったい私にとって? 神様って? 一般的に宗教って? 鞍掛山をいつものように一歩一歩踏みながら考えさせられました。一つ間違えば、「私のためにすべて成し遂げてくださる」というのは、これはご利益宗教なのか、そう理解されることも無きにあらず。神様は「私のためにすべてを成し遂げて下さる」というけれども、ほんとうにそうなのか。
ここで自問自答になりますが。私のためにすべてを成し遂げてくださる……これが私の個人的な願望が叶えられることだという思いがあるのかどうか。おまえはそうじゃないよね。うん、そうじゃない。けっしてそういうふうに思ってるわけじゃない。そうか、「私のためにすべてを成し遂げてくださる」というわたしの願い、わたしの思いというものは、これは神様のご計画のものである。そこに神様のみこころではない、何らかの動機があったのならば、それは、違ってしまう。このおことばをピュアな心で、「私のためにすべてを成し遂げてくださる」というときに、これは主よ、神様のみわざとして、これはあなたが成し遂げてくださる。私のためにすべてを成し遂げてくださる神というのは、わたしがどれだけ神様のみこころとぴったりと合った生き方をしているかどうか。その点についてはどうなのかということを、ほんとうに一足一足歩みながら、自問自答させられました。そして、メッセージとしてはまだまとまってはいませんでしたけれども、この詩篇138篇8節のおことばが与えられまして、そしてメッセージの備えは具体的には、それから後になりますけれども、いろいろと整えをさせていただく中に、今日私自身皆さんと共に、私たちの信じている神様はどういうお方なのかということを、ほんとうに分かち合うことができたならば、きょうは素晴らしい礼拝になるのではないかとこのように思っております。
詩篇57篇2節、文語訳聖書では
わがために百事(すべてのこと)をなしをへたまふ神によばはん
機会があったら是非文語訳聖書を手に入れていただきたい。味わい深いです。百事に(すべてのこと)というルビがついておりますが、新鮮な響きです。そう、あのこと、このこと、具体的なその一つ一つ。allではなくeachといったらいいんでしょうか、一つ一つのことを成し遂げてくださる。
そしてイザヤ書43章13節のおことば。
新改訳2017 わたしが事を行えば、誰がそれを戻せるだろうか。
文語訳 われ行はば誰(たれ)かとどむることを得んや
その日の山歩きは一つの結論をイザヤ書43章のおことばで肯くことができた、そんな思いでございました。
われ行はば誰(たれ)かとどむることを得んや
これを先ほど申しましたことを私なりにきょうチャートにしてみました。
詩篇138篇8節或いは詩篇57篇2節。これが私のためにというときに自我の願いなのか、それとも神のご計画の事なのか。これは非常にデリケートなことです。神様のご計画にあることだと分かっていながら、そこに何らかの私的な思惑や意図が、特に宗教といわれるものの中にあるとしたら。そこを扱わせていただきたい。その中に生きているものとして、これは本当に大切な問題です。気をつけませんと、神のご計画の中に、自己満足のようなものさえあり得る。そういうところをほんとうに細かく心の中を探っていただき、この「私のためにすべてを成し遂げたもうお方」というときに、心の底から一点の曇りもなく、「主よそうです。これはあなたのためです」と絶えず言いうるものでありたい。つまりもっと別な表現をすれば、私たちの信仰は、私のための神なのか、それとも神のための私なのか。神を利用する、そのような思いがあってはいけないし、いや、私こそ神のための私というこの生き方だ。ほんとうに改めてチャートを見てみると、似ていることばです。私のための神。見方によってはすこしも悪いことはない。しかし深いところを探っていくときに、それはすなわち神のための私ということと同じでなければいけない、そうあるべきです。そうあらせください。弱い私たちですから、心のスキを狙って神様のことを表面に出しながら、そこに私的なそのようなものが紛れ込んでくる危険性、投げ込まれる危険性というのはいくらでもある。その時、どうか、どうか、神のための私。これはまさにきよめの問題と私です。
どうか皆さん方にもお願いしたいのは、私たちのためにも祈っていただきたいのです。私はこのような立場でメッセージを取り次がせいただき、一人のクリスチャンです。それ以上の者でも何でもありません。ですから、ほんとうに神様の憐れみと助けがなかったのならば、神が私の願いを具現する道具としてすり替わってしまうことがいくらでもあり得る弱いものだということを思いつつ、どうか私のためにすべてをなさる、このことをそして、あなたの御手のわざをやめないでください。あなたの御手のわざをやめないでください。
これも文語訳聖書を引き合いにだしますと詩篇138篇8節
エホバは我に関われることを全うしたまわん。
エホバよ、汝の憐憫はとこしえに絶ゆることなし。
願わくは汝の手の諸々の事跡(みわざ)を捨てたまふなかれ。
これは私たちの祈りです。主が始めてくださった神の働き。今こそ私たち教会員の皆様方と心を一つにして、どうぞ「あなたの御手の諸々の事跡をすてたまふなかれ。止めないでください。
具体的には、これからも皆さん方と一緒に信仰のこと、この教会の管理、運営、それらのことを考えていかねばなりません。どうかこれが、誰か傑出した人がいるから成り立つというのではなく、どうかあのガリラヤの漁師たちを思い出してください。無学ではあっても社会的な地位、力はなくとも、しかし、真実に主に仕えてきたこれらの方々が聖霊に満たされたときに、ほんとうに成し遂げられる神がおられます。
今まで自分が信じていた信仰ってなんだったんだろうか。私は鞍掛で思い巡らしてきたそれを皆さん方にこの朝もう一度皆さん方に投げ返して皆さん方に問いかけます。信仰とは何だったんですか。私のための神だったんですか。神のための私たちだったんですか。
使徒の働きの中でガマリエルという指導者が登場します。日ごとに力を増していくイエス様を信じているグループ、この道の者たち、これに対してユダヤ教の多くの人たちはとんでもない輩だ、十字架につけられた者がよみがえったなどと虚偽を並べて、人々を惑わすとはいったい何事かと。そんなことがあったときに、ガマリエルは言います。「放っておきなさい。このことが人のわざだったのならこれは消えてしまう。しかし、神のわざならば、それを妨げることは、私たちは神に背くことになってしまう」と懸命な判断をいたしました。 もし大きな懸案事項が、これが神のわざならば、主は必ず成し遂げてくださいます。どうか願わくは
汝の手の諸々の事跡をすてたもうなかれ。エホバは我に係れることを全うしたまはん
このおことばを心に留め、そして私の鞍掛において神様が語り掛けてくださったことを、今度は私が皆さん方にお分かちして、どうぞあなたのみわざを、どうか全うしてくださいと切に祈るものであります。
※データは教会からお借りしています。
文責:中ぶんな
⏰6時34分更新
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