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2022年7月

きょうのことば「岩の上に建つ教会」 

きのうきょうと工藤弘雄先生方ご夫妻をお招きして聖会が開かれておりますが、このページは1週間の時間をいただいて掲載しておりますので、聖会メッセージは来週になります。おそらくはユーチューブにアップされるかと思います。

            ☆  ☆  ☆

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年7月月24()の礼拝メッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 「岩の上に建つ教会」  (國光勝美 牧師)
引証聖句 マタイ161320
13 さて、ピリポ・カイザリアの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに「人々は人の子をだれだと言っていますか」とお尋ねになった。
14 彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人たちも、エリヤだと言う人たちもいます。またほかの人たちはエレミヤだとか、預言者の一人だとか言っています。」
15 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
16 シモン・ペテロが答えた。「あなたは、生ける神の子キリストです。」
17 すると、イエスは彼に答えられた。「バルヨナ・シモン、あなたは幸いです。このことをあなたに明らかにしたのは血肉ではなく、天におられるわたしの父です。
18 そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれには打ち勝つことはできません。
19 わたしはあなたに天の御国の鍵を与えます。あなたが地上でつなぐことは天においてもつながれ、あなたが地上で解くことは天においても解かれます。」
20 そのときイエスは弟子たちに、ご自分がキリストであることをだれにも言ってはならない、と命じられた。

《メッセージ》
けさの説教題は「岩の上に建つ教会」です。

この教会に開拓当時からいらっしゃる方々は、またかと思うようなお話しになってしまうでしょう。しかし、私にとりましては、振り返ってこの50年、多くのよい出会いに恵まれました。それゆえに私は「岩の上に建つ教会」というこの恵みの嗣業を受けて、ここまでさせていただいたという思いが深くございます。

 その出会いなのですけれども、それは1枚のチラシからでした。私はたまたまこのチラシを街頭で受け取りました。御茶ノ水キリスト教会館で、1968111216日まで伝道集会があるというのです。
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チラシとデヴィッド・マーチン先生 

 私はこの最終日に行ってみました。説教が終わりました。すると「きょうイエス様を信じたいと思う人はいますか。誰も見ていませんからどうか手をあげてください」と促しがあった。私はこの時だと思って手をあげましたらば、「いま手をあげた人は前に出て来て下さい」と言われて、良い意味で嵌められたのかなあと。この言い方はあまりに失礼なことではありますけれども。しかし手をあげたからには、前に出て行かないでは男が廃るといったらいいんでしょうか。しかし真面目にこの時に前に出て行きました。悔い改めのお祈りをさせていただきました。幼稚園の子どもがひと言ひと言、先生の祈りの言葉をなぞっていくと同じような祈りでありましたが、最後に「アーメン」と初めて自分自身の祈りで付け加えた時、非常な印象深い思い出がございました。
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 そしてこの写真、後ろのご夫妻はスタッフの渡辺佐次郎さんご夫妻でありました。もうずいぶん前から長野県の上田の方にお住まいですけれども。このご夫妻を一度盛岡教会にお招きいたしました。その時に渡辺佐次郎さんが、「このチラシと写真、先生、持っている?」とお持ちくださったのです。知りませんでした。後ろの一番左が後藤牧人先生で、それから前に座っておられるご婦人の方がウェブスター・スミス先生であります。この方々のとの出会いが大きな大きな一つの祝福になったということを思います。

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そしてこれが、まさにその当時の御茶ノ水の学生キリスト教会館の建物であります。因みにこの建物のすぐ左隣が明治大学の生協があったところでした。そしてもうちょっと行くとすぐ明治大学のキャンパスになっておりました。御茶ノ水駅から歩いて数分、大きな交差点を渡ってすぐの所がここでありました。でも「ここは教会ではなくして会館である。君たちはよい教会に導かれるようにそのお手伝いをしているのがこの会館なんだ」と後藤牧人先生が言われました。そしていくつかのすばらしい教会を紹介されました。その時にたまたま私の心に深くのこったのは、私の下宿の近くにあるインマヌエルでした。
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雪谷伝道所と当時インマヌエル綜合伝道団丸の内教会があった新国際ビル

 駅を降りるとしばしばインマヌエルという名前の教会のチラシ。それがインマヌエル雪谷伝道所です。雪谷伝道所は丸の内教会の支部であり、日曜礼拝はインマヌエルの本部、新国際ビルの9階であるということでした。これがインマヌエル綜合伝道団丸の内教会でした。

先ずは下宿のすぐ近くにありました雪谷伝道所に行くようになりました。どうも白黒のこれを見ると、クリスマスのあたりだったのか、リースがドアのところにあるんですけれども。何れ雪谷伝道所に導かれて今日のスタートになったということを思います。

そして丸の内教会、新国際ビルの9階にありました。私が出席したその時に、ちょうど蔦田二雄先生がマタイ伝の連続公開説教をなさっておられ、ちょうどそこがマタイ伝16章で、きょうお開き致しましたこの場所でありました。

 ご想像いただけるでしょうか、信仰に導かれた御茶ノ水の会館は初心者の人たちにできるだけわかりやすくという内容でした。そういう意味の幼児を成長させるそういうメッセージ。だからこそ育つことができたのだろうと思います。しかし丸の内教会の礼拝に出た時のショックは非常に大きなものでした。それは、その学生キリスト教会館の初心者の人たちを対象とした優しいメッセージというのをはるかに超えて、これ以上ないほどストレートに福音というものを語ってくださった、あの時の衝撃は大きいものでありました。しかもそのときの聖書の箇所がよかったですね、マタイ161518節。しかも驚いたことには文語訳聖書を使っている。

16:15らに言ひたまふ『なんぢらは我を誰と言ふか』
16:16シモン・ペテロ答へて言ふ『なんぢはキリスト、活ける神の子なり』
16:17イエス答へて言ひ給ふ『バルヨナ・シモン、汝は幸福なり、汝に之を示したるは血肉にあらず、天にいます我が父なり。
16:18我はまた汝に告ぐ、汝はペテロなり、我この磐の上に我が教會を建てん、黄泉の門はこれに勝たざるべし。

 講壇で語られるものすごい迫力に圧倒されました。この小さいおじいちゃん誰なんだろう、ほんとうにそう思いました。この小さなお爺ちゃんは、いつかの週報には蔦田二雄総理と書いてあった。総理というと、総理大臣? ふつうは宗教界での肩書では総理なんて言わないだろう。しかし週報にはそう書いてある。会員の方々が言うのが耳に入って来るのは、やはり蔦田総理が、総理が。あたり前に総理、総理と言ってるものですからほんとうに分からなくなってしまって。でもそれが職制だということに気づいたのも驚きでありました。そんな戸惑いもいっぱいありましたけれども、しかしそこで、ほんとうに私が心から納得できたのは、

汝はキリスト。生ける神の子なり。
というこのペテロの信仰告白でした。この告白は、私的な、そして人間的な意味の合理的判断でイエス様が救い主だというようなそういうレベルの理解ではなくして、ほんとうに根源的なところから

「あなたは、生ける神の子キリストです。」

このように告白をする。

 その当時のことを思いますと、御茶ノ水の会館で分かりやすいお話しを伺っているときに、ある先生は「キリストはあなたの罪のために十字架に架けられました」。またある先生は「十字架はキリストの愛のあらわれです」。「あなたの罪がキリストを十字架につけたのです」。まだ私はそのところが十分に整理されていないような、まだまだそういう未熟な段階だったんですけれども、そうだ、ほんとうにこのお方が神の御子キリストなんだ。アーメン。この講壇に仕えながら、はっきりとわかりました。そして、今でもそのジェスチャーまで覚えているんですけれども、「ペテロというのは、原語で岩という意味を持っている。そしてある方々は、このペテロを教会の基礎として、教会の基礎をペテロだというようなことを言う人たちもいる」。これは大きく言うとローマ・カトリック等をいうわけですけれども。「イエス様がおっしゃったのはそんな意味ではない。滑ったり転んだりするようなペテロの上に教会を建てるというのではなくして、「汝はキリスト。生ける神の子なり。」とこの確かな告白の上にキリストの教会は建てられているんだ」。ほんとうにこれをアーメンと納得することができました。

 

わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。

この50年を振り返りますとき、この教会というのは見える教会と見えない教会、このように分けて考えることもできます。見える教会というのはご存じの通り皆さん方がイメージされる教会です。しかし、見えない教会というものがある。これを別な表現で言うのならば、信仰告白によって救われているクリスチャンたちがいるけれども、それが見える形となる時に、キリストの体として教会がある。

つまりイエス・キリストというお方が、人という肉体、体を持たれたと同じように、私たちはキリストの体なる教会というものをしっかりと理解しなければならない。しかしまたそれとともに、キリストの体なる教会は、また見えない教会でもある。その教会のかしらがイエス様なのです。ですからこれを一つにまとめてみますと、教会というものは、
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 このようであるかと思うのです。
「この岩の上に」、つまり教会は、「汝はキリスト。生ける神の子なり。」そう告白をしていた者たちの不完全な者たちの集合体である。

 私たちはみな不完全な者たちです。聖書をご覧ください。みんな失敗をしています。それぞれの個性が違います。それぞれの性格が違います。みんな違っている。そして、その者たちが集まっている。

 突然、石垣の話しになりますが、盛岡城址の石垣のことです。あれはどうも石垣を研究している方々が言うに、なかなかの傑作なんだそうです。盛岡のお城の石垣はなかなかのものであるという。専門的なことはわかりません。不揃いな石が、嵌るべき箇所にうまく嵌って、お互いがきちっと組み合わされ、しかもそのまっすぐにしたいところはきれいに線が、エッジができているといったらいいのでしょうか。そういうことを聞きながら思うに、ブロック塀というのは比較的弱い。それはみんな均一のブロックで組まれているからです。だけれども、違う形のものが組み合わされるときには強固になる。

 私たち、ほんとうに様々な個性の人たちが集まっている。不完全な者たちが集まっている。しかし、よき石工であられる方に、その出っ張っているところをとんとんと痛いけれども、金鎚なり鑿なりで砕いていただくのです。教わっただろう、そちこちをとんとん叩きながら扱われることは痛いことですけれども、そして苦しいことであるかもしれません。だけれども、いろいろな人たちとのまじわりを通して、私たちそれぞれ違った個性の者たちが組み合わせられて教会を成している。不完全な完全です。

 きょうのメッセージで、いちばん申し上げたいことは、この「不完全な完全」。「不完全な完全」なんてあるんだろうか。ここでつまずくのは信仰的にほんとうに幼い人たちである、私はほんとうにこう思います。信仰的に幼いころは、不完全なんて完全じゃないと思う。しかし聖書を見てください。不完全な者たちばかりじゃありませんか。しかしその不完全な者たちが全き愛を説いてるじゃありませんか。

  そうなんです。いろんな不完全なところがある。けれども、その出っ張っているところを、鑿で或いは金槌でたたかれているときに、主よ有難うございますと、それに喜んで身を差し出すことができていることが私たちじゃないでしょうか。そのときに、もし救いが本物でなかったならば、もうとっくの昔に教会から離れてしまっているでしょう。だけれども、不完全な、そんな者なんですけれども、主に扱っていただくことができる。これほど幸いなことはありません。

 このように告白をして、十字架に示されたイエス様の愛、復活に示されたキリストの力を心に留めるなら、私たちは、ほんとうに教会のかしらなるキリストに向かって不完全な者たちが完全な者になるのです。嬉しい! そう心から思います。そして

「わたしがわたしの教会を建てます。」

 私は教会の建て上げのほんのお手伝いをさせていただいた者でしかありませんし、或いは、妨げばかりをしてしまった者である。もしそうだとしたら、ほんとうに主の前に申し訳なく思うのですけれども、そんな者をも主はお赦しくださり、受け入れて下さり、「わたしがわたしの教会を建てます」とイエス様は仰ってくださいます。

 教会をお建てになるお方はイエス様です。イエス様であります。あのお方を心から見上げ信じ、おゆだねしていきたいと、このように思っております。

※データは教会からお借りしています。但し、今回お借りしたのは最後の教会の画像1枚のみ。あとは礼拝中に私がPCから撮ったものです。

⏰6時23分更新

 

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インマヌエルの東北聖会

 きょう、あすの両日、東北のインマヌエル教会では、東北聖会が開かれます。ホストはインマヌエル盛岡キリスト教会が務めます。講師は工藤弘雄先生です。
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 工藤弘雄先生は1940年、長野県生まれ。早稲田大学、関西聖書神学校、英国オールネイションズ神学校、英国ナザレン神学大学大学院神学修士課程(マンチェスター大学提携)に学ぶ。関西聖書神学校卒業後、日本イエス・キリスト教団垂水教会にて副牧師として牧会。その後、関西聖書神学校学監、校長など伝道者養成の働きに従事。また、日本福音主義神学会全国理事長、同西部部会理事長を歴任。長く日本イエス・キリスト教団香登教会主管牧師を務められました。
 集会はハイブリットで行われます。
7月30日(土)14:00~聖会Ⅰ 
     「いのちの川の流れ」エゼキエル47:1~12
7月31日(日)10:30~聖会礼拝
     「イエスの栄光」イザヤ6:1~8
7月31日(日)14:00~聖会Ⅱ
     「燃えるしば」出エジプト3:1~12
※ズームと、会堂ではコロナ対策を取っての集いとなります。

 

 現在、統一教会が社会問題になっておりますが、所謂、新興宗教系がそういった問題を起こしており、インマヌエルは一切関係しておりません。インマヌエル盛岡キリスト教会でいいますと、必ず年一回の総会に向けて役員が集い、会計は詳らかにされておりますし、1円の果てまで不明金はなく、役員が通帳のすべてを確認しております。
 

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クラシック俱楽部を聴く 伊藤 恵 ベートーベンの後期ソナタを弾く

1983年ミュンヘン国際音楽コンクールピアノ部門で優勝。以来、第一線で活躍を続ける日本を代表するピアニスト。東京藝術大学教授でもあり、後進の指導にもあたる。 【曲目】レントラー舞曲 D790(シューベルト)、ピアノ・ソナタ 第28番 イ長調 作品101 から 第2楽章(ベートーベン)、ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 作品111(ベートーベン)。

【曲目】
レントラー舞曲 D790(シューベルト)
ピアノ・ソナタ 第28番 イ長調 作品101 から 第2楽章(ベートーベン)
ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 作品111(ベートーベン)
【演奏】
伊藤恵

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コメント
Q
シューベルトの音楽について

シューベルトの音楽は別れを告げる音楽だと思うんですよね。で、自分はもう行ってしまうけれども、みんなは幸せでいてねというような。やはり絶望だけじゃなくて希望をくれる作曲家だと思うんです。ドイツ舞曲は短い詩を読んでるような感じなんですけれども、楽しそうに振舞っていながら、心の中が寂しい人の音楽だと思うんですよね。で、それを大きな声でべつに言わない。本当に何かこうとってもデリケートで繊細で、やっぱり何でしょう、このひそやかに祈る、そのひそやかさというものがシューベルトの音楽は素敵だなと思います。
Q
ベートーベンに取り組み始めた経緯
話しだすと長いんですけれども、シューマンをやっているときには、シューマンがシューベルトにものすごくあこがれていたということが作品を弾けば弾くほど伝わってくるんです。やっぱりシューマンやってるあいだに、いつかシューベルトを弾きたい、シューマンで教えてくれたシューベルトみたいな。それでいよいよシューベルトを始めました。こんど、シューベルトがすごくベートーベンを尊敬してるということがまた伝わってきて、シューベルトをやってるあいだに、だんだんだんだんこのベートーベンの世界に近づきたいと自分が思ったんですけれども、実際のところ、昔はベートーベンは偉すぎて何だか難しすぎてあまりにも巨大で、とてもこう触れることもできない。勿論コンチェルトや室内樂はやらせていただきましたけれども、こちらがずっと修行してきて、ある日突然ベートーベンが何を謂わんとしていたかということが、彼の音楽の優しさというのが、なんか急にこう身に染みたんですよね。そのとたん何か私の中で、ベートーベンへの愛みたいなものがさく裂した。人間賛歌ともいえるような彼の人間愛、彼のほんとうに辛い人生、音楽家であのようなことが起きるなんて、信じられないようなことだけれども、それをすべて超えて、我々に何百年過ぎても、すばらしい愛をくれる作曲家なんだということに突然気が付いたんですね。
Q
ピアノ・ソナタ第32番について
完璧な人間じゃなくても、もう駄目な人間ていったらあれですけれども、人間の存在そのものが尊いということを何かこうシンプルな2楽章の歌で包み込まれるようなんですよね。私は神様というのがどこにいるかわからないけれども、ベートーベンの音楽の中には神様がいて、その神様にこう自分が温かく包まれるような何かそういうふうな感動があります。
Q
ピアノ・ソナタ第32番を弾き終えて
あの曲は皆さまにお聞かせするために何か弾くというよりは、ほんとうは自分のために弾いてしまうようなところがあるんですけれども、あまりにもすばらしい音楽なので、やはりこれから一人でも多くのその音楽家がこのソナタを演奏して、ずっとずっと、ベートーベン生誕300年、500年、1000年と続いていったらいいなと思います。

🎵ピアノ・ソナタ 第28番、後期の様式の始まりとされるこの曲が32番につながっていくこと、32番の萌芽が脈打っていると感じられる。32番で開いた扉に響く境地に心地よさと勝利が感じられた今朝。番組解説には「天国的な響き」とも。終わりの部分に、探り出し得た、たどりついた、というベートーベンの穏やかで満たされた心境が読み聴きとれた。

🎧名曲アルバム。リヒャルト・シュトラウス「ばらの騎士」。現田&東京フィル
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1718年にはじまったという陶工のすばらしい職人気質、職人技がフィギュアにも。マリア・テレジアはバラのデザインを好まれたよう。「ばらの騎士」から生まれた「銀のばら」の習慣。

⛳日中は30度以上になっても、けさの空気に潜んでいたのは秋の気配。炒りつける炎暑もそろそろ年貢の納めどきか。
「雨ニモ負ケズ」、新型コロナにも、異常な記録的大雨にも、干ばつにも負けず、飢餓と戦争報道にも悲観せぬ強靭な精神力を持つ、「サウイフモノニワタシハナリタイ」
7時39分更新


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クラシック俱楽部を聴く アンヌ・ケフェレック ピアノ・リサイタル

フランスを代表するピアニスト、アンヌ・ケフェレックが、この2曲を弾くのは「今だ」との思いで挑む、シューベルトとベートーベン最後のピアノ・ソナタ。【演奏】アンヌ・ケフェレック(ピアノ) 【収録】2022年6月1 王子ホール(東京・銀座)―番組紹介からー

アンヌ・ケフェレックは1968年ミュンヘン国際音楽コンクールにて満場一致の優勝。
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コメント(抜粋)
死ぬ前に一人のピアニストとしてこの2曲を体の一部にしなくてはと。二人の作曲家がたどりついた「音楽の旅路」を私も共に歩きたいと強く思ったのです。(数年前からこのように思って準備をしてこられたということだった)

曲目
ピアノ・ソナタ 変ロ長調 D960から 第1楽章、第4楽章(シューベルト)
ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 作品111(ベートーベン)

🎵どちらも人生の集大成ともいうべき名曲。ピアノ・ソナタ 第32番、2楽章は自らの人生の成り行きを慈しんでいるかのようだ。しているうちに新たな境地への入り口の扉が、向こうから光が差し来るごとくに開いたという感じが。

 

🎧名曲アルバム。「安里屋ユンタ」沖縄県民謡/上柴はじめ・編曲 (三線)山内昌也,(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団,(指揮)渡邊一正

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「安里屋ユンタ」は島の美女クマヤをたたえた長編叙事詩によるとう。

⛳いまヤマバトが鳴いている。コロナの変異株が次々に見えを切るという事態。
7時更新

 

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クラシック俱楽部を聴く アンドレイ・ガヴリーロフ ピアノ・リサイタル

1974年18歳の時にチャイコフスキー国際コンクール優勝。同年のザルツブルク音楽祭でリヒテルの代役を務め脚光を浴びる。6年の活動休止時期を経て復活を果たした。【演奏】アンドレイ・ガヴリーロフ(ピアノ)【収録】2020年11月15日 武蔵野市あ民文化会館大ホールー番組紹介からー
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アンドレイ・ガヴリーロフ
1955
年モスクワ生まれ。モスクワ中央音楽学校でタチャーナケストナーに、モスクワ音楽院でレフナーモフに師事。197418歳でチャイコフスキー国際コンクールで優勝。1994年から演奏活動から離れ、哲学、宗教を研究し新たな音楽を模索。2000年演奏活動開始。2001年モスクワ音楽院大ホールで一夜で4つのピアノ協奏曲を演奏し復活。

コメント(抜粋)
30
代でロンドン・ドイツ・ニューヨークに住んで世界を旅して得た結論は、音楽の世界が深い停滞の中にあるということでした。もっとも悩ましいのは、音楽・演奏の世界がすべて感覚に基づいていることでした。私は音楽作りの科学を打ち立てたかった。音楽言語を読む科学です。それは音楽を言語として理解するレベルにまで発展させることです。大変困難でリスクもあるが、もう一度ゼロから始めるという思い切った決断をしました。殻を破り新しい音楽の哲学を作りたかった。
私はリモート・コントロールで、聴衆と亡き人々の魂をつなげています。トンネルを作り彼らの意思を伝えています。
プロコフィエフの「ピアノ・ソナタ 第8番」について、彼はこの作品でついに真の作曲家に成長しました。これまで使用したさまざまな音楽言語や作曲様式を止めました。非常に簡潔で深遠な彼の音楽言語を発達させたのです。

 

ノクターン 変ロ短調作品91(ショパン)
ノクターン 変ニ長調作品272(ショパン)
ノクターン 嬰ハ短調 遺作(ショパン)
ピアノ・ソナタ 第8番変ロ長調作品84(プロコフィエフ)
アンコール 幻想曲 ニ短調 K.397(モーツァルト)

 

🎵1994年に音楽活動を離れたいきさつをちょっと聞き落したかとも思うが、そこが肝心なところではあった。演奏に行き詰まったのか、持っていた疑問が頂点に達しそのままではいられなかったのか、それにしても演奏家が活動を止めるというのは命がけ。
「ノクターン 嬰ハ短調」、これは演奏の質如何に関わらず、もう聴こえてきただけで心揺さぶられる。この曲が貴族ではなく姉に捧げられているところも自らの内ではこの曲の好感度を高くしている。この辺りは、仮に、もう一つや二つキーの打ち間違いがあろうともどうということはない。
「ピアノ・ソナタ 第8番」193944年までに作られた「戦争ソナタ」のうちの一つ。とはいうものの、67番の曲調がどうであったかは曖昧なのだが。このプロコフィエフの8番こそがアンドレイ・ガヴリーロフが引っ提げて来日したものと納得。命の本質を見極めようとしたとの番組の解説もあったが。第一楽章、なぜだ! 不条理を神に問うと聴こえる。打ちひしがれる人々のすがたが映像的に感じられ、戦争のありさま、成り行きが。第二楽章は嵐が過ぎ去ったかの小康、明るさが。短めの楽章に平安を求める想いがこめられ。第3楽章先行きを求め模索し動き出す。プロコフィエフの真髄と、アンドレイ・ガヴリーロフのプロコフィエフは本物と得心。戦争のトラウマも超えて困難を激しく克服していく。時折ふと顔をあげてあたりの景色に心和ませながら力強く踏みしめる大地にロシア的な響きが。プロコフィエフが発展させた音楽形式とはまさしくこれなのだろう。
渾身の大曲を引き終えて、沸き立つ観客、歓声を聞きながらも、次のモーツァルトにすっと入っていく。もう頭が次の曲に。切り替えの鮮やかさ!
アンドレイ・カヴァリーロフのショパンはさらっとした感じを受けるところもあった。やはりプロコフィエフに本領があるかも。

 

🎧名曲アルバム。林古渓・作詞、成田為三・作曲、挟間美帆・編曲「浜辺の歌」
歌・TENDRE、ピアノ・宮田純、ベース・角田隆太
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成田為三は明治26年秋田県生まれ。「赤い鳥」専属作曲家。
成田故郷秋田の米内沢。近場ではあるけれども、いつか行ってみたいとは思うけれども。

⛳岩手はきのう梅雨明け。昨夕、救急車の音がし、近くの坂をバックで上っていくのが見えた。「熱中症」が浮かんだ。日中は34度まで上がったようだ。
 「ウクライナ」の過酷さあるも、そちこちの国が、この国も、軍事に傾くのではないか、もはや傾きつつある嫌な予感、と思ったところに、ひときわ甲高い鳥のさえずり。ツグミなのか、何の鳥かはわからないけれども、穏やかな朝の景色に注意が喚起されたありがたい鳥のさえずり。とりあえずはこの平和なひとときに感謝。
6時52分更新


 

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クラシック俱楽部を聴く ピョートル・アンデルジェフスキ ピアノ・リサイタル

1969年ワルシャワ生まれ。ウィーン・コンツェルトハウス、ベルリン・フィルハーモニー、カーネギーホールなどから繰り返しリサイタルに招かれる現代を代表する傑出した音楽家のひとり。【演奏】ピョートル・アンデルジェフスキ(ピアノ)  【曲目】平均律クラヴィーア集第2巻から【収録】2021年11月13日・紀尾井ホール(東京)―番組紹介からー
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コメント
平均律クラヴィーア曲集第2巻から選んだ12曲について
楽譜では調性の順番になっていますが、聴衆のための演奏を想定した順番とは思えません。数年前、うまくいくか心配でしたが自由な気持ちで自分が納得できる演奏順を考えました。一つのドラマを作ろうとしました。この作品は人々を自由にできると私は確信しています。
「バッハの音楽は人々を自由にする」これが今回のプログラムのテーマです。
「平均律クラヴィーア曲集」は終わりのない冒険のように永久に探究する機会を与えてくれます。これほど多様な感情や風情を表現した音楽はほかにありません。とてつもなく巧妙に構築されていて構造が驚くほど美しい。さらに魔力を持った感情が隠されています。完璧な構造物ですが人間性を持っているのです。まさに終わることのない探求の旅なのです。

曲目
平均律 第2巻 第11番 へ長調
平均律 第2巻 第22番 変ロ短調
平均律 第2巻 第7番 変ホ長調
平均律 第2巻 第16番 ト短調
平均律 第2巻 第23 ロ長調
平均律 第2巻 第24番 ロ短調
平均律 第2巻 第9番 ホ長調
平均律 第2巻 第18番 嬰ト短調

🎵バッハは名説教者だと思うことがある。こんこんと諭し、しかもそこに愛情がある。それはどうだろうね、そこを考えてみるといい、それが批判がましくなく押し付けがましくない。そこでうんうんと肯かせ、曲が終わったときには、心を自由にして放ってくれる。ピョートル・アンデルジェフスキのコメントを聞いたあとでは、これがバッハの内面の音楽活動であるかもしれないと思わせられるところがある。心にはさまざまな感情を秘めているのだが、それを聖霊によってろ過して、音楽という形に湧出させている、そんな感じがした。

 

🎧名曲アルバム。作詞・土井晩翠、作曲・滝廉太郎、編曲・ニウ ナオミ
(歌)加耒 徹 (管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団 (指揮)大井剛史 ~宮城県仙台市、福島県会津若松市~
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晩翠のドラマティックな人生。3人の子どもたちが病死。妻にも若くして旅立たれ、仙台空襲では自宅と3万冊の蔵書が焼失。
293校の校歌を作曲。

⛳11時28分更新

 

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クラシック俱楽部を聴く ピアニスト 小山実稚恵の世界 I 〜心に響くシューベルトとベートーベン〜

日本を代表するピアニスト小山実稚恵。コロナ禍中ひとり向き合ったベートーベンのピアノ・ソナタ第31番。そして心のひだに染み入るというシューベルトの名曲を弾く。 東北出身の小山が音楽を見つめ直すきっかけが東日本大震災だった。そしてコロナ禍。改めて感じた音楽の力とは、演奏するということとは。インタビューも紹介【曲目】4つの即興曲 D.935 第2番、第3番、4つの即興曲 D.899 第2番、第3番(いずれもシューベルト作曲)、ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 作品110(ベートーベン作曲)【収録】2021年6月23日 めぐろパーシモンホール 大ホールー番組紹介よりー

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小山さんのコメント
 心の歌だし、想いが歌ですし、シューベルトの思いっていうのは、シューベルトの旋律そのものですし、作曲家の中でもほんとうに静かに心を打つといいますか、心のひだの中のひだに静かに入って来るこの感じとか、一回目と二回目とほんの少しだけ音が変えてあったりちょっとだけその場の様子で違うという瞬間がシューベルトにはたくさん出て来て、それがもうたまらなく好きですし、胸がきゅーっとつまるような思いで、シューベルトは最近弾いて、弾きながら、もうこんなことは言えないと思って弾いてます。

 3・11被災地でのこと、そしてコロナ:私一寸そのとき、子供たちがピアノを聴いたりするのどうなんだろうと思ったら、二つの学校の先生が同じことを仰ったんですよ。一番持ってきた中で華やかなドレスを着てほしい、子供たちはとにかくわっとこうきれいなものとか楽しいことをとにかくしてあげて欲しいと。それが一番いろんなことを忘れて心から楽しいひとときになるから、といわれて、私、すごくこう胸は痛めてたんですけど分かっていなかったなあと。やっぱり音楽って、よいものだなあとか楽しいなあとか、いいなあと思うものじゃなくちゃいけないんだとその時ものすごく思って、そこで、なんかこう自分の音楽の感じ方っていうのも、2011年にすごく考えて、そしてまたここでコロナが起こって。
(小山さんがコロナで向き合った曲がベートーベンの31番。この曲に、小山さんは言葉では言い表せない深い悲しみを感じているという)第3楽章の嘆きの歌。その嘆きの歌がやっぱり、この事柄に嘆くとか、誰かの思いが悲しいから嘆くとかそういうことではなくて、なにかやっぱりもっと深い、もう何事と言えないものに二度嘆く。そして二回目の方はもう、とぎれとぎれになって嘆いて、だけどそこからこうフーガという緻密なものを組み立てていって、最後にはもうベートーベンらしい力が宿って来て全身がわーっとほんとうに心の下から勇気が湧き上がってくる。これはやっぱりもうベートーベンだからだし、人間だから感じられる感情だと思いますし、悲しいことに去年から今年コロナということが起こりましたけど、ベートーベンだってやはり耳が聴こえなくなる苦悩があって、苦悩の中の自分の在り方というものを見つけて、新しい自分の音楽が、逆に言うと聞こえてきたとか見えてきたということがあると思うので、やっぱりこの作品というのは単に傑作で素晴らしい作品だということだけじゃなくて、人類へのメッセージ、言葉にするとちょっと気恥ずかしいですけれど、音楽を弾くというのと、やはり人間であるから生きるということを思って弾くみたいな、そういう作品なのではないかなと思います。


🎵小山さんのピアノ、時として消えゆきそうな繊細さ、これがほんとうに打鍵によって作り出された音なのだろうかとさえ思うことたびたび。
被災地に足を運んでくれた方。
ベートーベンの31番、コメントをかみしめながら響きを共有。
震災の小山さんの映像は小山さんの何よりも輝いている履歴書と私には思われる。


🎧名曲アルバム。ペルゴレージ「スターバト・マーテル」。ソプラノ砂川涼子、アルト森山京子。飯森&東京フィル。
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ナポリの宮廷でオペラ作曲家として成功したペルゴレージ。結核に倒れ、写真の聖アントニオ教会(ポツォーリ)に隣接する修道院で1736年から療養。間近な死を意識しながら、この曲を書き上げる。ここに移って一月後には26歳の生涯を閉じる。キリストの死を嘆く聖母マリアの姿が歌われている。浄化されたきよらかな旋律が胸を打つ。


⛳昨夜のクラシック音楽館の映像もよかった。
9時34分更新

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きょうのことば 「成し遂げられる神」

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年7月月17 ()の礼拝メッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 「成し遂げられる神」  (國光勝美 牧師)
引証聖句 詩篇13818
ダビデによる
1 心を尽くして 私はあなたに感謝をささげます。

御使いたちの前で あなたをほめ歌います。
2 私は あなたの聖なる宮に向かってひれ伏し
恵みとまことのゆえに 御名に感謝します。
あなたがご自分のすべての御名のゆえに
あなたのみことばを高く上げられたからです。
3 私が呼んだその日に あなたは私に答え
私のたましいに力を与えて強くされました。
4 主よ
地のすべての王はあなたに感謝するでしょう。
彼らがあなたの口のみことばを聞いたからです。

5
彼らは主の道について歌うでしょう。
主の栄光が大きいからです。
6 まことに 主は高くあられますが
低い者を顧みてくださいます。

しかし高ぶる者を 遠くから見抜かれます。
7 私が苦しみの中を歩いても あなたは私を生かしてくださいます。

私の敵の怒りに向かって御手を伸ばし
あなたの右の手が私を救ってくださいます。
8 主は私のためにすべてを成し遂げてくださいます。
主よ あなたの恵みはとこしえにあります。
あなたの御手のわざをやめないでください。

《メッセージ》
 けさは「成し遂げられる神」と題しましてメッセージを導かれておりますおことばを共に味わわせていただきたいと思っております。

 今日はお開きいたしました詩篇1388に集中したいと願っております。
 主は私のためにすべてを成し遂げてくださいます。
主よ あなたの恵みはとこしえにあります。
あなたの御手のわざをやめないでください。」

 この「私のためにすべてを成し遂げてくださる」というおことばとよく似たおことば、それは詩篇572節にございます。
私は いと高き方 神を呼び求めます。
私のために すべてを成し遂げてくださる神を。
 この57篇2節のおことばは非常に励ましとなるおことばです。

 滅多にはない大きな課題が持ち上がった場合に、新たな出来事にどのように対処していったらいいのか。このことを折あるごとに思い巡らしておりました。

 自分が信じている信仰、或いはもっと一般的にいうのならば、いったい宗教って何なのだろうか。「私のためにすべてを成し遂げて下さる」とは。いったい私にとって? 神様って? 一般的に宗教って? 鞍掛山をいつものように一歩一歩踏みながら考えさせられました。一つ間違えば、「私のためにすべて成し遂げてくださる」というのは、これはご利益宗教なのか、そう理解されることも無きにあらず。神様は「私のためにすべてを成し遂げて下さる」というけれども、ほんとうにそうなのか。
 ここで自問自答になりますが。私のためにすべてを成し遂げてくださる……これが私の個人的な願望が叶えられることだという思いがあるのかどうか。おまえはそうじゃないよね。うん、そうじゃない。けっしてそういうふうに思ってるわけじゃない。そうか、「私のためにすべてを成し遂げてくださる」というわたしの願い、わたしの思いというものは、これは神様のご計画のものである。そこに神様のみこころではない、何らかの動機があったのならば、それは、違ってしまう。このおことばをピュアな心で、「私のためにすべてを成し遂げてくださる」というときに、これは主よ、神様のみわざとして、これはあなたが成し遂げてくださる。私のためにすべてを成し遂げてくださる神というのは、わたしがどれだけ神様のみこころとぴったりと合った生き方をしているかどうか。その点についてはどうなのかということを、ほんとうに一足一足歩みながら、自問自答させられました。そして、メッセージとしてはまだまとまってはいませんでしたけれども、この詩篇1388節のおことばが与えられまして、そしてメッセージの備えは具体的には、それから後になりますけれども、いろいろと整えをさせていただく中に、今日私自身皆さんと共に、私たちの信じている神様はどういうお方なのかということを、ほんとうに分かち合うことができたならば、きょうは素晴らしい礼拝になるのではないかとこのように思っております。

詩篇572節、文語訳聖書では
わがために百事(すべてのこと)をなしをへたまふ神によばはん
 機会があったら是非文語訳聖書を手に入れていただきたい。味わい深いです。百事に(すべてのこと)というルビがついておりますが、新鮮な響きです。そう、あのこと、このこと、具体的なその一つ一つ。allではなくeachといったらいいんでしょうか、一つ一つのことを成し遂げてくださる。
そしてイザヤ書4313節のおことば。
新改訳2017 わたしが事を行えば、誰がそれを戻せるだろうか。
文語訳   われ行はば誰(たれ)かとどむることを得んや

 その日の山歩きは一つの結論をイザヤ書43章のおことばで肯くことができた、そんな思いでございました。

われ行はば誰(たれ)かとどむることを得んや
 
これを先ほど申しましたことを私なりにきょうチャートにしてみました。
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 詩篇1388節或いは詩篇572節。これが私のためにというときに自我の願いなのか、それとも神のご計画の事なのか。これは非常にデリケートなことです。神様のご計画にあることだと分かっていながら、そこに何らかの私的な思惑や意図が、特に宗教といわれるものの中にあるとしたら。そこを扱わせていただきたい。その中に生きているものとして、これは本当に大切な問題です。気をつけませんと、神のご計画の中に、自己満足のようなものさえあり得る。そういうところをほんとうに細かく心の中を探っていただき、この「私のためにすべてを成し遂げたもうお方」というときに、心の底から一点の曇りもなく、「主よそうです。これはあなたのためです」と絶えず言いうるものでありたい。つまりもっと別な表現をすれば、私たちの信仰は、私のための神なのか、それとも神のための私なのか。神を利用する、そのような思いがあってはいけないし、いや、私こそ神のための私というこの生き方だ。ほんとうに改めてチャートを見てみると、似ていることばです。私のための神。見方によってはすこしも悪いことはない。しかし深いところを探っていくときに、それはすなわち神のための私ということと同じでなければいけない、そうあるべきです。そうあらせください。弱い私たちですから、心のスキを狙って神様のことを表面に出しながら、そこに私的なそのようなものが紛れ込んでくる危険性、投げ込まれる危険性というのはいくらでもある。その時、どうか、どうか、神のための私。これはまさにきよめの問題と私です。

 どうか皆さん方にもお願いしたいのは、私たちのためにも祈っていただきたいのです。私はこのような立場でメッセージを取り次がせいただき、一人のクリスチャンです。それ以上の者でも何でもありません。ですから、ほんとうに神様の憐れみと助けがなかったのならば、神が私の願いを具現する道具としてすり替わってしまうことがいくらでもあり得る弱いものだということを思いつつ、どうか私のためにすべてをなさる、このことをそして、あなたの御手のわざをやめないでください。あなたの御手のわざをやめないでください。

これも文語訳聖書を引き合いにだしますと詩篇1388
エホバは我に関われることを全うしたまわん。
エホバよ、汝の憐憫はとこしえに絶ゆることなし。
願わくは汝の手の諸々の事跡(
みわざ)を捨てたまふなかれ。
 これは私たちの祈りです。主が始めてくださった神の働き。今こそ私たち教会員の皆様方と心を一つにして、どうぞ「あなたの御手の諸々の事跡をすてたまふなかれ。止めないでください。

具体的には、これからも皆さん方と一緒に信仰のこと、この教会の管理、運営、それらのことを考えていかねばなりません。どうかこれが、誰か傑出した人がいるから成り立つというのではなく、どうかあのガリラヤの漁師たちを思い出してください。無学ではあっても社会的な地位、力はなくとも、しかし、真実に主に仕えてきたこれらの方々が聖霊に満たされたときに、ほんとうに成し遂げられる神がおられます。

今まで自分が信じていた信仰ってなんだったんだろうか。私は鞍掛で思い巡らしてきたそれを皆さん方にこの朝もう一度皆さん方に投げ返して皆さん方に問いかけます。信仰とは何だったんですか。私のための神だったんですか。神のための私たちだったんですか。

使徒の働きの中でガマリエルという指導者が登場します。日ごとに力を増していくイエス様を信じているグループ、この道の者たち、これに対してユダヤ教の多くの人たちはとんでもない輩だ、十字架につけられた者がよみがえったなどと虚偽を並べて、人々を惑わすとはいったい何事かと。そんなことがあったときに、ガマリエルは言います。「放っておきなさい。このことが人のわざだったのならこれは消えてしまう。しかし、神のわざならば、それを妨げることは、私たちは神に背くことになってしまう」と懸命な判断をいたしました。 もし大きな懸案事項が、これが神のわざならば、主は必ず成し遂げてくださいます。どうか願わくは
汝の手の諸々の事跡をすてたもうなかれ。エホバは我に係れることを全うしたまはん
このおことばを心に留め、そして私の鞍掛において神様が語り掛けてくださったことを、今度は私が皆さん方にお分かちして、どうぞあなたのみわざを、どうか全うしてくださいと切に祈るものであります。

 

※データは教会からお借りしています。
文責:中ぶんな

⏰6時34分更新

 

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古楽器に心癒され

 きょうのクラシック倶楽部は小山さんだ! と飛び起きると、別番組。そうか、きょうは土曜日。小山さんは月曜日だった。やれやれ。ゆっくりゆったりと家事。食事を終えて一呼吸。

 7時台の番組で、見慣れないというよりも初めて見る楽器が紹介されていた。1886年製のアンティークのハーディガーディ。一瞬バグパイプの響きとも聞こえたのは錯覚かもしれず、音の原理はまったく異なっている。楽器が作られたフランス中南部のオーヴェルニュ地方に伝わるという「オーヴェルニュの踊り」が演奏されている。持ち主は久野さんという方。久野さんはもともとリュートの演奏家だということだ。ハーディガーディ、遠く懐かしい陽気な人々を思い出させてくれる。

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  ☆  ☆  ☆

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 ニュースの時間帯になるとまたもや突き付けられる現実。コロナの経済、人心の羽交い絞め。医療の逼迫。そしてどこまでも生き抜こうとする人、人、人。

 

⛳15時35分更新

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クラシック俱楽部を聴く 二期会サマーコンサートⅢ

今をときめく豪華な顔ぶれが2日にわたって出演した二期会のサマーコンサート。40人を超える歌手とピアニストが名曲の数々を披露しました。両日から抜粋でご紹介します。【曲目】歌劇「サムソンとデリラ」から(サン・サーンス)他【演奏】又吉秀樹(テノール)狩野賢一(バス・バリトン)山下牧子(メゾ・ソプラノ)塩田美奈子(ソプラノ)山岸茂人(ピアノ)他【収録】2019年8月23日、24日渋谷区大和田さくらホールー番組紹介よりー
会員・準会員2700人から成る二期会の20198月サマーコンサート3 
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上田純子。グノー 『ファウスト』より 宝石の歌
服飾品、宝石を身に着けて悦に入る女心を歌う。

金見美佳。マスネ 『タイース』より 私を美しいと言って(鏡のアリア)

空っぽの自分。満たせるものはどこに。「タイスおまえは老いる」「ある日タイスがタイスでなくなる日が来る」

又吉秀樹(テノール)。チレア 歌劇『アルルの女』第2幕より “ありふれた話”

眠りは忘却。しかし深く傷つけられた心は何にも癒されない苦しみ。

佐藤優子(ソプラノ)、狩野賢一(バスバリトン)
  ベッリーニ 歌劇『清教徒』第1幕より “おお、最愛の叔父様

人の皮を着た獣、とか人の皮を着た悪党などは聞いたことがあるが、ここで歌われるのは「人の皮を着た無垢の化身」への叔父からの結婚の勧め。
山下牧子(メゾソプラノ)
  サン=サーンス 歌劇『サムソンとデリラ』第2幕より “あなたの声に心は開く”

サムソンの力の秘密を聞き出そうとするのはやはりこんなメゾソプラノが。

塩田美奈子(ソプラノ)
パブロ・ルーナ サルスエラ『ユダヤの子』より “私はスペインから来た

「ロマ」はスペインの血の細部に宿り。
与田朝子(メゾソプラノ)。マスネ 歌劇『ウェルテル』第3幕より 「手紙の歌」

ウェルテルの傷心。「ぼくは一人常に一人」
今井俊介俊輔(バリトン)。ジョルダーノ 歌劇「アンドレア・シェニエ」第3幕より「祖国の敵」

詩人は破壊者? 「今俺は下僕、殺しながら泣く日々」。

待ちました。オールスター20人かでの椿姫「乾杯の歌」。愉快そうに歌うも聴くも皆愉快。

🎵 歌劇から一場面を取り出してのアリア、一連の流れの中になくとも情感こめて歌うすごさ。こうしてみると、オペラの内容は何も構えて聴くものではない。世間によくありがちな人間関係の機微、人情を歌っている。壁があるとすれば、やはり言語。ドイツ、フランス、英語圏に生まれずに損をしたような気分にもちょっと。自動翻訳機があっても……。それはあるとしても、すばらしい声質、声量。二期会、神が人間に与えた名器2700も。これが全く同じ声がなかったとしたら、この楽器の製作者の凄腕がわかろうというもの。

ピアノ伴奏は大藤玲子、山岸茂人。

🎧名曲アルバム。R.シュトラウス「ツァラトゥストラはこう語った」。尾高&N響
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⛳うまくいかなかった写真もあった残念さをひきずりながら6時55分更新

 

 

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クラシック倶楽部を聴く 二期会サマーコンサート II

二期会サマーコンサート II

今をときめく豪華な顔ぶれが出演した二期会のサマーコンサート。40人を超える歌手とピアニストが名曲の数々を披露しました。コンサートの2日目から抜粋でご紹介します。【曲目】歌劇「椿姫」から、歌劇「ドン・カルロ」から(以上ヴェルディ)ほか【演奏】山口道子(ソプラノ)多田羅迪夫(バス・バリトン)岸本力(バス)腰越満美(ソプラノ)山岸茂人(ピアノ)他【収録】2019年8月24日渋谷区 大和田さくらホールー番組紹介からー
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🎵菊地美奈、ニコライ「ウィンザーの陽気な女房たち」より 「いらっしゃい、陽気な移り気よ」。
日比野幸、与儀巧、ソプラノとテノールで「ヴェルディの歌劇 椿姫」から「パリを離れて」
山口道子、レハール「メリー・ウィドー」より「ヴィリアの歌」。

ここまでの3曲は愛の機微を直截に。すばらしい声量、声質!

鈴木 准・大川 博・多田羅迪夫、モーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」より「我がドラベッラはそんなことありえない」、テノール、バリトン、バスバリトンで女性の貞節はありえない、いや彼女は、をめぐっての掛け合いがちょっと愉快。
嘉目真木子、ドヴォルザーク「ルサルカ」より「月に寄せる歌」。これが比較的日本的というか、ちょうど一昨日の夜中に気づくと月が煌々と家々を照らしだしていたこともありわかりやすく。この歌詞にも愛がこめられているのだが、輻輳する感情が濾過されている分、奥行、美しさがあり、好感が持てた。空の彼方のお月さまあなたの光はどこまでも届く……世界のどこまでも届き人々の住まいを見つめている……―
岸本 力、ムソルグスキー「ボリス・ゴドゥノフ」より「ボリスの死~さようならわが子よ」
いま息を引き取ろうとするもなお皇帝であり続け、自らは罪に苛まれつつ、次の皇帝たる我が息子を神よ悪から災厄から誘惑から守りたまえと祈り、弔いの鐘を聞きつつ神よ死よわれを赦したまえと迫真の演技が身近に。
腰越満美、ヴェルディ「ドン・カルロ」より「世の空しさを知る神」。もし人が天国でも泣くことがあるなら私の涙を主の玉座へお届けくださいと歌う。堂に入った華麗さとでもいおうか。
字幕は多田茂史、ピアノ山岸茂人。

近代で上演された歌劇がどんなものであったかを思うときに、歌も演技も学ばれ研究され磨き抜かれて現在に斯くあることに隔世の感を覚えた。圧巻。
 また明日が楽しみ!

🎧名曲アルバム。ショパン「バラード 第4番」
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 ショパンが身を寄せたジョルジュ・サンドの館のあるノアンの風景。

 

⛳テレビの映像を撮るよりも、実際に外に出て、直に人や自然や街を撮った方がよいと知りつつ、やるべきことがすこしずれてるかなと思いつつ、飽かずに。
9時7分更新

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クラシック倶楽部を聴く 天羽明惠 美しきドイツ歌曲の調べ

ドイツリートの巨匠エルンスト・ヘフリガーの薫陶を受けたソプラノの天羽明恵。円熟期を迎えた彼女自ら選んだ今届けたいドイツ歌曲を歌った演奏をお送りします。
【演奏】天羽明惠(ソプラノ)、江口玲(ピアノ)【収録】2022年2月21日 すみだトリフォニーホール 小ホール。
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 【曲目】
歌曲集「乙女の花」 作品22(リヒャルト・シュトラウス)
別れの歌 作品14(コルンゴルト)
春のまなざし 作品5第3(シェック)
4つの最後の歌(リヒャルト・シュトラウス)

【演奏】天羽明惠(ソプラノ)、江口玲(ピアノ)
【収録】2022年2月21日 すみだトリフォニーホール 小ホール。
対訳 広瀬大介

天羽明惠さんのコメント(抜粋)
歌い手って、からだの旬と心の旬がずれるんです、どうしても。からだの旬というのは若い時の筋肉の柔らかさというのは俄然いいじゃないですか、若い時は。だけれども、心の旬というのは精神的にいろんなことを経験したうえで、こういう情感が出てくるとか、こういう感情が湧き上がるとか、そういうものって、絶対に齢を重ねてきたときの方が出てくる。深かったり豊かだったり温かかったりすると思うんです。でもこれをいつか歌えるからと思ってずっと取って置いたら、ひょっとしたら70になっても80になっても間に合わないかもしれない。どこかの時点でここって決めてやらないと無理だろうなと思ったので。だからまだまだこれからもっとあたためて、もっと豊かにいい歌になりたいなと思っています。だからもっともっと歌い込んでもっと私がやりたい音楽にできるように努力していきます。

🎵「乙女の花」、フェリックス・ダーンの詩をシュトラウスが作曲。シュトラウス、果たしてヤグルマギク、ポピー、木づた、スイレンの4種の花にどんな女性を想起して作曲したものか。
書きとめた天羽さんのコメントは、「4つの最後の歌」にかける想いであったかと思う。この曲はピアノがけっこう曲の前後に大きく曲想を連想させてくれる。江口さんのピアノだ。最後などは遠ざかり消えゆこうとする幻をどこまでも諦観した思念が不可能と知りつつ追ってゆくような印象がある。天羽さんはこの番組ではイ・ムジチとの共演などで、その声質は記憶に新しい。天羽さんのコメントから、「4つの最後の歌」はもっか研究中の作品ということに。
「4つの最後の歌」の内容は1、春 29月 3、眠りの前に 4、夕映えに詩としては2番の「9月」が共感された。
静かめのゆったりとした時間が流れた55分間。

🎧名曲アルバム。「スコットランド古謡」。上柴はじめ編曲
バグパイプ演奏:東京パイプバンド。岩村力&東京フィル
スコットランドの自然の中での労働から生まれた50キロ近い松の木を投げて距離を競うゲームや木の樽で10年以上も熟成させるスコッチウィスキーの映像など、どこへ行ってもスマホ片手、タブレット携帯の日常を見慣れているところに、自然に通じる空気孔が開かれたようなやすらぎを感じさせてくれた。壮観なミリタリー・タトゥーの場面をやっとうまく写真に撮れたかなと思いきや、データからブログに取り込もうとしたときに「原因不明のエラーが発生しました」との表示。何度か方法を変えてみたが不可。一向に入って来てくれない。これ以上の時間は費やさない。そんな日もある、こんな日もある。

⛳けさ3時ごろ、目を覚ますと雷が鳴っていた。屋内でこれだけ派手に響くからにはもし屋外にいたならその怖さは! TVを、またTVだけれども、警報が出ていないか見ると、岩手は一関、花巻に。予期せぬ事態が起こり得る。日本のそちこちで水害、土砂災害、列島が雨に流されてしまわないかと思うほど。それが明けてみると
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これが今朝5時半。盛岡市東の空。同じ時間帯のこの写真が撮りこめたことで、ミリタリ・タトゥーの画像を見てみれば、「予期せぬエラー」の原因は、画像の不鮮明にあったかもしれない。
8時46分更新 もうすぐ9時、「オールスターゲーム」の開幕だ。


 

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クラシック倶楽部を聴く 大村博美 〜今届けたいオペラ・アリア〜

プッチーニの歌劇「蝶々夫人」のタイトルロールをはじめ、世界中から高い評価を得ているオペラ歌手、大村博美。彼女が今届けたいオペラアリアと歌曲を集めてお届けする。
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【曲目】
歌劇「ファウスト」から トゥーレの王~宝石の歌(グノー)
歌劇「アンナ・ボレーナ」から あなたたちは泣いているの?~私の生まれたあの城へ(ドニゼッティ)
歌劇「フィガロの結婚」から あの人はもう来ないかしら(モーツァルト)
「そして小鳥は」(プッチーニ)
歌劇「妖精ヴィッリ」から(プッチーニ)
歌劇「オテロ」から 柳の歌「泣きぬれて野のはてにただひとり」~アヴェ・マリア(ヴェルディ)
訳:多田茂史

【演奏】大村博美(ソプラノ)、熊谷邦子(ピアノ)
【収録】2022年1月24日、めぐろパーシモンホール 大ホール(東京)

大村さんのコメント
 今何が歌いたいかなあと考えて、まず私はフランスに住んでずいぶん長くなるので、ちょっとフランス語のものも聴いていただきたいなと思って、そこからその次に私は喋々夫人とかプッチーニでいっぱい舞台に育てていただくことが多いんですけど、もともとはベルカントのものをイタリアに留学してる時代とかも勉強していて、アンナ・ボレーナとかもイタリア留学時代によくオーディションとかコンクールで歌っていたので、そういう私のベルカントのものを歌う面も聴いていただきたいなと思って、そして最後はヴェルディの長大な柳の歌とアヴェ・マリアを、これはもう私、オペラの中で、いちばん好きなシーンをあげよと言われたらこのシーンはぜったい入るんですけれど、これをぜひ。アヴェ・マリアはよくコンサートとかでも歌いますけれども、柳の歌からというとけっこう長いので、なかなか歌う機会がなかったんですが、今回ぜんぶつなげてできたので嬉しかったです。
 20代の時にイタリアに留学したんですけれども、そのときに、いろんな先生にもついたんですが、今すごく役に立っている発声のテクニックというのはやはりモンセラート・カバリエさんが教えてくださったことが、当時はあまりにもほかの先生と違うことを教えて、独特だったので、へーっという感じでピンとこなかった。えーっという感じだったんですけど、彼女のすごいのは、ほんとうに腹筋を使ってきゅーっと筋肉を上手に結びつけて上半身と下半身をほんとに胸郭も広げてすごく響く楽器に作り上げるんですね。それを言葉を語ることで、しっかりとしぼまないようにする、響く楽器をずーっと保ち続けるという、ほんとうに復帰分がすごく必要な発声なんですね。そのテクニックで歌うと声を壊すことなく、息の上でゆったりと漂うような声で歌うことができるんですよね。ガンガン、フォルテでわーっと歌うだけではなく、ぱっと優しい声に切り替えたときに、劇場の一番後ろにいる一番高いところにいる人にピアニッシモの弱い響きの優しい響きが自分にささやいてもらってるように思ってもらえるように、聞こえるようにというのをいつも目指しているんですけれども、それをやるときに、カバリエさんの教えがすごい役に立ってます。

🎧名曲アルバム。リスト「慰め」
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37歳でワイマールの宮廷楽長に就任。その後作曲に力を入れる。「慰め」は1850年充実期に作られた。若き日の技巧的な作品とは対照的で、簡素でやすらぎがある。リストは54歳で僧籍にはいる。

⛳バルコニーの手すりの下部に水滴が辛うじて形を保っている。緑が深まった。
 窓を見て火災に驚いたのは一昨日。全焼だった。松尾町の和菓子店。数日前に店先に美味しそうなお団子と思って見たばかり。何とも……。きのう散歩がてら通りかかると隣接する店舗、建物に黒煙の跡はまったくなく、延焼を免れていた。消火の技術も研究されているのだろうなどと思った。ビル火災よりも手に負えないのは森林火災か。今年も炎暑の夏、人の無事、自然の無事を願い祈る。
6時50分更新


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クラシック倶楽部などなどを聴く   

⛳このページのいちばん下に書いた13日(木)イ・ムジチに関しては、前に書いた記事をそのまま転載。イ・ムジチの後の名曲アルバムは「荒城の月」であったことは、後で主人から聞いた。こんな日もある、そんな日もある。この朝、5時からのこのイ・ムジチを10分ばかり聴いたところに電話が鳴った。誰かに何かがあったのかもと急いで出る。というのも、親しい数人の方々には、「大変な時には駆け付けるから電話をしてね」といってあるからだ。親戚筋の危篤。娘が駆け付けるためであっても「子どもは病院に連れてこないようにと言われたので」。即私が駆け付けて彼女は出かけて行った。預かった赤ちゃんのために歌った曲は「どんぐりころころ」。同じ歌を何度も何度も繰り返す。赤ちゃんは上機嫌。それでまた繰り返す。
 しかし思った。子どもを託することができる人がいる方はいいけれど、誰にも頼めない方はいったいこのような危急にどうするのだろうと。コロナ第7波。これと似たケースも多くあるに違いない。
 その後に続いたのは葬儀。
というわけで数日分を今日18日15時17分更新

  ☆  ☆  ☆

 

7月18()クラシック俱楽部を聴く 上江隼人 バリトンの世界

 オペラを中 心に活躍中のバリトン上江隼人が、今届けたいイタリアのオペラアリアと歌曲を歌った演奏を紹介。伴奏は歌手から信頼の厚いピアニスト河原忠之。ー番組紹介からー

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【曲目】
喜ばせてあげて(ベッリーニ)
ベネチアの幻影(ブロージ)
歌劇「ウィリアム・テル」から 動いてはいけない(ロッシーニ)
歌劇「ラ・ファヴォリータ」から レオノーラよ
私の愛を受けてくれ(ドニゼッティ)
歌劇「ドン・カルロ」から ロドリーゴの死「終わりの日は来た」(ベルディ)
【収録】2022年2月18日 武蔵野市民文化会館 小ホール。

 

🎧名曲アルバム。リヒャルト・シュトラウス作曲 歌劇「ばらの騎士」から。現田茂夫&東京フィル。
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ウィーンの国立歌劇場。マーラー、カラヤンも歴代監督に。R.シュトラウスも。1909~10年に「ばらの騎士」を作曲。劇中に婚約者に銀のばらを贈るシーンがあり、ヒットしたところで、まねる者たちが。

   ☆  ☆  ☆
7月16日、きょうはクラシック倶楽部なし。
おはよう日本で、大分の臼杵にある「恵みの聖母の家」にいらっしゃる方々に、オルゴールを寄贈された方がいらっしゃった。
障害者の方々に新たな光、音の光が。
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  ☆  ☆  ☆

7月15()クラシッククラブを聴く ウェールズ弦楽四重奏団 演奏会

桐朋学園の学生により2006年に結成されたカルテット、ウェールズ弦楽四重奏団。三人のゲストとともに演奏した「変容(弦楽七重奏版)」を中心にお送りする。ー番組紹介からー
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ウェールズ弦楽四重奏団のコメント
「今回の演奏会のテーマが変奏と変容ということで、一曲目は第3楽章にとてもユーモアにあふれて美しい変奏曲を持つベートーベンの第5番を演奏します。メインはリヒャルト・シュトラウスのメタモルフォーゼン(変容)を演奏します。いまできる曲をバーンとやってるだけじゃないから、うちの場合。三原が考えてますけど、きょうのもちゃんと全体を通してストーリーがありますし、それと僕ら今ベートーヴェンを全曲取り上げるというのを軸にやっていて、それプラスアルファで何ができるかなということをすごく考えてくれてます。」
「三原がもってきて、まず僕がファーストは難しいのでスケジュールとにらめっこして間に合うかなとか、﨑谷からNGが出たことも過去にはある。﨑谷がやるといったら、それはもったいないから俺たちは何もいわない。」「言ったことないよね、直前になってやめときゃよかったとか」「いつも見事よね」「うん。無意味なプログラミングは僕らはぜったいにしない。それはもう見事、手前みそですが。」「仲悪くはなく友達という感じでもない。それぞれ各オーケストラで仕事もしてますし、いろんな現場で別な方と弾く機会もあるんですけど、各自が経験したものを持ち帰ってきて、ああでもないこうでもないと、一定の緊張感のある現場なので、持ち帰って論議しあう、そういう関係ですね。ずっと一緒に成長してきたし変化もしてきた仲間なので、演奏家としての自分をいちばんわかってくれていると信じているし、音楽的なつながりが強い仲間かなと思います。」「もちろんここで自分がこう弾きたいと思っても、話し合いの末却下されることもありますが、オーケストラになると、より自分の意思だとか表現したいものはどうしても薄まる。人数も多いですし。より自分がナチュラルに表現できる、だから自分にとっては、やはり帰る家みたいに思っています。」
「ここまで弦楽四重奏に打ち込むことは、たぶんこのメンバーに出あわないとしなかったことなので、よく出会ったなと、ほんとにメンバーにはすごく感謝してて、僕が個人的にすごく成長できたのも、このメンバーといるときがほとんどだったので、ついてる人生だったなと思っています。」

「弦楽四重奏曲 イ長調 作品185から 第3楽章・第4楽章」ベートーベン:作曲
ウェールズ弦楽四重奏団

この曲は若きベートーヴェンによる弦楽四重奏曲で、第3楽章は主題と5つの変奏で構成されている。

「変容(ルドルフ・レオポルトによる弦楽七重奏版)」リヒャルト・シュトラウス:作曲
ウェールズ弦楽四重奏団、(ビオラ)佐々木亮、(チェロ)横坂源、(コントラバス)池松宏

🎵ベートーベンの全曲演奏のリリースにも漕ぎつけたベートーベンに通じるウェールズが選んだベートーベンの「弦楽四重奏曲イ長調」は、やはり「変容」を念頭に置いた選曲。4人がそれぞれの意見を提示し、否定されることがあってもそれこそ変容を遂げつつ邁進中かと。ベートーベンの弦楽四重奏曲イ長調」は、ここでは第34楽章。
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+池松宏、佐々木亮、横坂源の弦楽7重奏はリヒャルト・シュトラウスの「変容」。これが何とシュトラウス81歳での作曲。ほんとかな? ぐぐってみるとほんとうだった。第二次世界大戦の末期に作曲されている。自分が初演した劇場が次々に焼け落ち瓦解していく状況下での作曲。哀惜、悲しみと怒りが昇華され、本来は23の弦のための作曲でもあったようだが、ここでは7つの弦が、まるで叫びをのど元に抑え、音符に落とし込んで浄化させたような各々の響きが相和している。表現しよう、表現したいと、絵筆を取ったり、楽器を取ったりする、そして楽譜や画布に、或いは彫刻にとその枠の中に表出を修めることの技術というか、能力というか、想いというか、これらが不思議に思われてならない。戦争による変容、苛酷さ、悲哀。変容の段階、或いは変容させ形と成した段階にもたらされるカタルシスも感じられる。感情のエッセンスが集められ濾過され凝縮せられる芸術の不思議さ。動物と人間はこんなところでも違うのだ、そんなことを思わせられた。
「変容」はまず弦楽七重奏の形で構想が練られたらしい。1990年になって初期の七重奏の楽譜が発見され、現代の音楽家が手を加えて弦楽七重奏版の「変容」が完成したという。 

🎧名曲アルバム。ブラームス「交響曲第一番」。大友直人&東京フィル
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7月14日(金)クラシック倶楽部を聴く ヴィオラスペース2019

28回を迎えたビオラの祭典。世界各地からビオラの名手が集まり、将来を嘱望される日本の若手奏者たちと競演を繰り広げる。ビオラ・ファンならずとも必見のコンサート。 28回を迎えたビオラの祭典。世界各地からビオラの名手が集まり、将来を嘱望される日本の若手奏者たちと競演を繰り広げる。ビオラ・ファンならずとも必見のコンサート。【出演】アントワン・タメスティ(指揮/ビオラ)今井信子、佐々木亮、(以上ビオラ)ガース・ノックス(ヴィオラ・ダモーレ)三浦一馬(バンドネオン)ほか【曲目】「ストレンジャー」(ノックス作曲)【収録】2019年6月5日上野学園石橋メモリアルホールー番組紹介からー

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アントワン・タメスティのコメント
選曲が終わってから、つくづくおもいました。「ほんとうに色々なスタイルの曲が集まったな」と。ブレット・ディーンの曲はとても緻密で、無調音楽などの流れを組んでいるのですが、ベートーバンの引用もあってすごく面白い。西村朗の曲は現代音楽ですが、誰もが知る古謡「さくら」を引用しています。一見難しそうな現代曲が並んでいますが、決してそうではありません。「ストレンジャー」について、これはヴィオラとヴィオラ・ダモーレ奏者のガース・ノックスと話し合って生まれた作品です。彼の曲には即興演奏が求められる部分があります。そこでは自由な演奏ができます。彼は舞台空間を利用するのも大好きです。舞台の中央の位置だけでなく様々な位置から響きを探りながら曲を書きます。演奏者が舞台上で動くことで、聴き手も旅をしているような感覚になるでしょう。そして今までにない新しい響きを楽しむことができるのです。
「テスタメント」について、これはベルリン・フィルのビオラ奏者だったブレット・ディーンが同僚たちのために書いた曲です。現代音楽的な響きの曲で、12人のビオラ奏者とのやりとりが面白い。主導権を握る奏者が目まぐるしく変わって、音が縦横無尽に駆け回るようです。とても刺激的で魅力的な作品です。

「ストレンジャー」ガース・ノックス:作曲
(ビオラ)アントワン・タメスティ、(ヴィオラ・ダモーレ)ガース・ノックス
アイルランドの盲目のハープ奏者が残した「負傷した軽騎兵」という曲をもとに書かれた作品。幾多の戦いから生還した老兵士が、故郷で「見知らぬ人」として疎外される姿が描かれている。
ヴィオラ・ダモーレは、17世紀に生まれた弦楽器。演奏用の弦の下に張られた共鳴用の弦が、独特な残響を生み出している。
8つのヴィオラのための<桜>」西村朗:作曲
(ビオラ)今井信子、(ビオラ)ルオシャ・ファン、(ビオラ)井上祐吾、(ビオラ)セジュン・キム、(ビオラ)大島亮、(ビオラ)辻菜々子、(ビオラ)井上典子、(ビオラ)佐々木亮
今井信子を中心としたビオラグループ「ヴォワラ・ヴィオラ!」の委嘱で書かれた作品。東日本大震災のあと、桜花のうつろいから受けた作曲者の内的な心象風景が描かれている。

「ル・グラン・タンゴ」ピアソラ:作曲
(ビオラ)佐々木亮、(チェロ)江口友理香、(バンドネオン)三浦一馬
1982
年タンゴの巨匠ピアソラが、世界的チェロ奏者ロストロポーヴィッチのために書いた作品。原曲はピアノとチェロのための作品だが、今回はバンドネオン奏者の三浦一馬の編曲で演奏された。

「テスタメント」ブレット・ディーン:作曲
(指揮)アントワン・タメスティ、佐々木亮、塩加井ななみ、藤原右京、石渡彩馨、本田梨紗、貝森萌、蕨春菜、布施海里、佐藤友希乃、島英恵、大島愛華、大畑祐季乃
ベートーベンの有名なハイリゲンシュタットの遺書にちなんだ作品。12人の奏者は通常の弓と松ヤニを塗らない弓を持ち替えて演奏する。不確かにぼやかされたビオラの音は、悪化する耳の病を示唆している。また同時期に作曲された弦楽四重奏曲ラズモフスキー第1番が引用されている。

 

🎵「ストレンジャー」、ステージの両端に距離を置いての演奏。遠隔で語りかける魂に呼応する。諦念をもらして曲が鳴りを潜める。「桜」、幽玄にたわわに、そしてどこか凄まじい感じも。被災直後の光景が累々と。それでも傍らに咲く桜。「ル・グラン・タンゴ」、穏やかなリズムにも籠る熱さ。「テスタメント」、このような状況に、甘やかな香りがふと鼻をつくような旋律も。聞こえなくなっていく状況を音で表現するという、どこかパラドックス的な。

🎧名曲アルバム。シャブリエ作曲 狂詩曲「スペイン」。角田鋼亮&東京フィル。
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7月13()イ・ムジチの四季

イ・ムジチといえば四季、四季といえばイ・ムジチ。1980年代、全世界に四季ブームを巻き起こした「イ・ムジチ合奏団」の現在の、清冽な「四季」をお送りする。

 

 

イ・ムジチ合奏団 演奏会
2019
102日 サントリーホール 大ホール

イ・ムジチ、イタリア語で「音楽家たち」という名前をもつ合奏団は、聖チェチーリア音楽院の卒業生が中心となり1952年デビュー。1955年にはじめてヴィヴァルディの「四季」を録音。以後録音を繰り返し、1983年までに全世界で1000万枚を売り上げ、イ・ムジチの「四季」は世界中のファンを魅了。歴代のコンサートマスターの個性によってイ・ムジチの「四季」は異なる表情を見せる。今回のコンサートマスターはマッシモ・スパダーノ。スパダーノは1968年イタリアのランチャーノ生まれ。オランダのユトレヒト音楽院を卒業、古楽の研究、演奏に力を入れている。ドラマティックな演奏で知られたコンサートマスターアントニオ・アンセルメが、来日前に亡くなり、スパダーノがゲスト・コンサートマスターを務める。

☆「四季」ヴィヴァルディ作曲
☆アンコール 「アリア」バッハ作曲
☆アンコール「調和の霊感 第一楽章」ヴィヴァルディ

 今回のイ・ムジチの「四季」、これは現在のコンサートマスター、マッシモ・スパダーノの感覚かと思ったが、前任者のアントニオ・アンセルミはこの公演の直前に急逝しており、コンマスを引き継いだマッシモが成り行きからいっていきなりアンセルミの音を覆すとも思われない。ただソロはマッシモ。アンセルミはドラマティックな演奏を得意としていたようだが、マッシモは古楽に通じているという。1983年までに1000万枚を売り上げたイ・ムジチ。地球全体に認知され聴かれているということか。1952年デビュー。すでに70年を経ている。番組予告を初めて見たときは、正直、イ・ムジチという名がセピア色を帯びて聞こえた。ところがそれは間違い。イ・ムジチの果たした役割を思いつつ耳を傾け、団員のお一方お一方、特にアンコール曲を喜びのうちに演奏くださって、その喜びがこちらにそのまま流れ込み、心が揺すぶられた。番組タイトルに「イ・ムジチの四季」とあったけれども、やはり「イ・ムジチの四季」は他の四季とは違う、そう思わせられた。

 今回の字幕は「あずさまゆみ」。この字幕で、実にドラマティックに聴くことができた。これには哲学的な意味も込められているといっていたのは誰だったか、もう云十年前に読んだ解説のこと。
 夏の楽章で、北風が挑みかかってきたところで「牧人は運命が脅かされているのを恐れて泣く」「凶暴なハエどものため疲れた手足が憩うことができない」「ああ悪いこと恐れているとおりだった」「雹がふって誇らしげな麦の穂を絶つ」……、ヴィヴァルディの曲には苦悩すらも降り注ぐ光の中にある、光の透過があると感じられる。ヴィヴァルディはカトリックの司祭でもある。「冬」の章、最後の「冬は喜びをもたらしてくれる」。あたたかくそして意味の深いことばだ。
 あまりに有名なヴィヴァルディ、しかしこのヴィヴァルディを自分がどの程度把握しているかはずいぶんと怪しい。というわけで、こちらを繋いでみた。

アンコールはバッハの「アリア」、ヴィヴァルディの「調和の霊感 作品3第10番 第一楽章」。喜びに満ちた「調和の霊感」!

🎧名曲アルバム。土井晩翠・作詞、滝廉太郎・作曲、編曲ニウナオミ「荒城の月」
(歌)加耒 徹、東京フィル&大井剛史・指揮

 

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きょうのことば 「わたしの時は御手の中に」

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年7月月10()の礼拝メッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 「わたしの時は御手の中に」  (國光勝美 牧師)
引証聖句 詩篇311418
14 しかし 主よ 私はあなたに信頼します。
私は告白します。
「あなたこそ私の神です。」
15 私の時は御手の中にあります。
私を救い出してください。
敵の手から 追い迫る者の手から。
16 御顔を しもべの上に照り輝かせてください。
あなたの恵みによって 私をお救いください。
17 主よ 私が恥を見ないようにしてください。
私はあなたを呼び求めていますから。
悪しき者どもを辱めてください。
彼らが黙って よみへと下るように。
18 偽りの唇を封じてください。
それは 正しい者に横柄に語っています。
高ぶりと蔑みをもって。


《メッセージ》
きょうは「わたしの時は御手の中に」というメッセージを共に味わわせていただき、恵みをいただきたいと願っております。
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 「わたしの時」、これはいったい何を意味するのでしょうか。

 この詩篇に直接関わる本ではありませんが、「時」には二通りあると書かれてございました。生きること死ぬことに於いて、人間は時というものを非常に意識するという文脈の中でのことです。一つは、ギリシャ語で「クロノスChronos」。もう一つは「カイロスKairos」です。クロノス時間は過去から未来へと一定速度、一定方向で機械的に流れる。カイロス時間は速度が変わったり繰り返したり逆流したり止まったりする、人間の内的な時間。
 クロノスは、時計の針が刻む量的な時間。ここでは物理学で言う時というのとは一切離れて、私たちが常識的にこの世に生きている意味の時ということで、ご理解いただきたい。時計の針が刻む秒的な時。標準電波は、どうも福島県のおおたかどや山と、福岡県と佐賀県の境にあるはがね山の送信所から出されているようです。誤差がほとんどない。その正確なクロノス。
 私にとってのクロノスは、よく書類に書くのが194731日。私の誕生日です。多くの書類に記載を求められます。これは私が生まれる意味がどうであるかには全く関係ありません。因みに芥川龍之介も31日生まれでした。そんな程度です。クロノスという以上ではない。
 カイロス時間といえるのはもう一つの私の誕生日で、イエス様を自分の救い主として受け入れた時です。誰にもクロノスとカイロスがある。

 今日ここで扱うのはカイロスです。

 説教者ならではの「時」を申し上げますと、信仰を持ち献身を決意し、会社に辞表を出し、牧師になるべく神学校に進もうと、これは反対されてもその決意は変わらないのですが、人としてのけじめとして両親に報告するわけです。退社するけれども、これからの半年間を神学校に入る準備に使うつもりであること。両親は自分の決断が翻るものではないということを知ってくれました。帰る時、松本駅までの路線バスで、母が隣の座席に座ってくれました。実家から松本駅まではバスでは30分かからない。そのバスの中ですけれども、ふと横の母の顔を見ると、目からあふれる涙を抑えている。ああそうだったな。今思い出してもそういう時がある。決してクロノス時間ではない時間。一人ひとりにそれぞれの意味のある瞬間がある。
 もう一つ、私どもが盛岡に教会開拓に来て、皆さん方とともに教会を建て上げ、会堂ができた後だったと思います。毎年年会があって上京するわけですが、その年も東京に出て、教団んの総会、年会に出席しました。それから松本を経由して盛岡に戻ります。その時に松本で数日過ごしたときの思い出です。どうも男の子というのは折に触れて思い出すのは決まって母親の方なんですけれども、その松本でのことです。話の流れは覚えていません。覚えているのは、私が母に「私を産んでくれてありがとう」と心からそれを言ったんです。ふつう男の子はそんなことは言わないでしょう。しかし、そういうことを心から言う時の流れだったのでしょうね。そうしたらその時の母が、こんなに幸せそうな母親の顔を見たことはない幸せそうな表情になりました。すごい親孝行をしたという感じがいたしました。

「時」、私の時ということをメッセージのために思い巡らすのですけれども、この「わたしの時」というのは、自分にとっては、カイロス、質的な非常に意味のある神様の時であるというそれが「わたしの時は御手の中にあります」という言葉の秘めている意味であると思われます。私の人生、そして私の歩んできた一つ一つの場面、それは、神の御手の中にある。この自覚が私たちクリスチャンにはあるのです。今たまたま私は語る立場で印象的なことを皆さん方にお話ししました。だけれども、皆さん方にはそれぞれに、あの時の事あの場面、今メッセージに触れながら、きっと皆さん方は今クリスチャンとして、あの時、カイロスという響きで理解する、納得する経験があられる、それが「わたしの時」だと思います。

 クリスチャンたちにはどうしてなのかわからない、辛い悲しいできごとに遭遇することがありますけれども、でも心の中に、私は神様の御心の中に生きている存在なのだという、このことが確かであるならば、「今あなたは知らなくてもいい後に悟ることになる」というイエス様のことばがありますけれども、神様が私の明日を握っていてくださるのです。今知らなくてもいい、またわからない。けれども、振り返ってみると、最善の時が成る。神様がなさったことだから。

 こんな思い巡らしの中にやはり私には、忘れられない一つの瞬間があるのです。それは前回もたしかお話しさせていただいたでしょうか、あの元気な蔦田二雄先生が、前の週は講壇に立って、一週間経ったらば居られない。突然天に召されたのです。インマヌエルという存在をよくご存じの方々、インマヌエルの群れ以外の方々教団のいろいろな人たちは、悪意でもなく、客観的に見て、ああインマヌエル終わったなと感じられたそうです。それほどに蔦田二雄という方の存在は大きかった。しかもその1967年に日本の福音的な教会の大きな集会、ビリーグラハム大会の実行委員長をされていた。あの時蔦田二雄というあの人が実行委員長であるからできたという、人間的な表現でいうならば、それは確かで、だから皆もそれを認めざるを得ない。私を導いてくださりお世話になった後藤牧人先生は、神学的に言うのならばカチカチのカルビン派     の先生です。ホーリネスはその反対側の立場にあるのですが、私がインマヌエルに導かれるようになったのは、あの会館でお救いに与って、その後こういうことでインマヌエルの教会に行けることになりましたと後藤牧人先生にご挨拶したとき、後藤先生が仰いました。「僕が導いた人たち、みんなインマヌエルに行っちゃうんだよな、どうしてだろうな」。ちょっと苦笑いをされながら。    ちょうど私が救われたのが68年、ビリーグラハム大会が67年で、蔦田二雄先生という方の存在が、ただ一つの小さな教会の指導者ということではなく、日本のキリスト教会の指導者であると皆に認識されてきたときに、後藤先生が、本心だと思うんですけれども、インマヌエルに対しての「みんなインマヌエルに行ってしまう」というようなそういう印象を持たれていた。そのような恵みの中に蔦田先生とインマヌエルはあった。だからこそ、突然蔦田先生がぱっと天に召されたとき、皆様方よくご存じの羽鳥先生、本田浩司先生にしても、ああインマヌエルはこれまでかなと思われたとしても無理はないかと思うのです。  しかしその後、私が忘れられないこととして、今脱線をもとに戻しますが、ずっと後になって、竿代信和先生と私は、本部の方でお仕事をご一緒させていただいたことがあります。その時に信和先生がいろいろなことを話して下さった中で、「君どう思う」。つまり信和先生が私に対して、蔦田先生の突然のあれは衝撃的な出来事だったけれども、しかし今になってこうしてようく考えてみると、神様の最善の時だったかもしれないよ。もし蔦田先生があのままずっとお元気で指導して行ったならば、インマヌエルは蔦田二雄の教団となってしまう。神様は「わたしの時」、そのときに、もうお前の仕事は終わった、もうここまででいいと神様はぱっと誰の何の了解も得ずして神様の専権事項ですからぱっと蔦田先生を取ってしまわれた。その後しっかりと朝比奈先生が引き継がれ、藤本先生が引き継がれ、河村先生が、信和先生が、群れを本当に神様が願っているように導いていかれたということを思うときに、神様の時というものがあるのだということを改めて心に留めたいと思うのです。

とても良い讃美歌があります。ご一緒に賛美し味わいましょう。どうぞお聴きください。

In His Time
In His time, in His time
He Makes all things beautiful in His time
Lord, please show me every day
As You're teaching me Your way
That You do just what You say
In Your time

In Your time, in Your time
You make all things beautiful in Your time
Lord, My life to you I bring
May each song I have to sing
Be to You a lovely thing
In Your time

御(み)手(て)の中で すべては変(か)わる 感(かん)謝(しゃ)に
わが行(ゆ)く道(みち)を 導(みちび)きたまえ
あなたの御(み)手(て)の中で


御(み)手(て)の中で すべては変(か)わる 賛(さん)美(び)に
わが行(ゆ)く道(みち)に 表(あらわ)したまえ
あなたの御(み)手(て)のわざを

この讃美歌を参考にしたいと思うのです。

 

「わたしの時」を教えている聖句を幾つか挙げましょう。

☆マタイ2618イエスは言われた。「都にはいり、これこれの人のところに行って言いなさい。『わたしの時が近づいた。あなたのところで弟☆子たちと一緒に過越を祝いたい。と先生が言っております。』」
☆ヨハネ20:4イエスは母に言われた。「女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか。わたしの時はまだ来ていません。」
☆ヨハネ7:6そこで、イエスは彼らに言われた。「わたしの時はまだ来ていません。
☆ヨハネ7:8「あなたがたは祭に上って行きなさい。わたしの時はまだ満ちていないのです。」

イエス様はいつでも「わたしの時」それを自覚し、そのすべてを神様にお委ねして神のなさることはみなその時にかなって麗しい。ということばがありますけれども、十字架に向かって主は麗しい時を御手の中にお過ごしになられたのであります。このところは、省略させていただきます。

☆民数記9
15幕屋が設営された日、雲が、あかしの天幕である幕屋をおおった。それは、夕方には幕屋の上にあって朝まで火のようであった。16いつもこのようであって、昼は雲がそれをおおい、夜は火のように見えた。17いつでも雲が天幕から上るときには、その後でイスラエルの子らは旅立った。また、雲がとどまるその場所で、イスラエルの子らは宿営した。18主の命によりイスラエルの子らは旅立ち、主の命により宿営した。雲が幕屋の上にとどまっている間、彼らは宿営した。19雲が長い間、幕屋の上にとどまるときには、イスラエルの子らは主への務めを守って、旅立たなかった。20また、雲がわずかの間しか幕屋の上にとどまらないことがあっても、彼らは主の命により宿営し、主の命により旅立った。21雲が夕方から朝までとどまるようなときがあっても、朝になって雲が上れば、彼らは旅立った。昼でも夜でも、雲が上れば旅立った。22二日でも、一月でも、あるいは一年でも、雲が幕屋の上にとどまって、去らなければ、イスラエルの子らは宿営を続けて旅立たなかった。しかし、雲が上ったときは、旅立った。23彼らは主の命により宿営し、主の命により旅立った。彼らはモーセを通して示された主の命により、主への務めを守った。 

「御手のうちに」、「神様の時に」ということを思い巡らすとき、教会員の方々にも、自らにも、神様は最も良い時に神様の最善を成してくださる。このように思うのであります。

 

※データは教会からお借りしています。
文責:中ぶんな
⏰8時1分更新


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クラシック俱楽部を聴く ヴィジョン弦楽四重奏団

ベルリンを拠点とした若きカルテットが登場!前半はハイドン、後半はポップス、ロック、ジャズナンバーを披露する。 演奏:ヴィジョン弦楽四重奏団 曲目:弦楽四重奏曲ト長調作品77第1(ハイドン)レイチェルズ・ドリーム、ストールン・モーメンツ、ビッグ・ハイ・ワイヤー・ホップ、ザ・シューメーカー、サンバ、ヘイルストーンズ ~2019年10月21日武蔵野市民文化会館小ホールで収録~

ヴィジョン弦楽四重奏団
2012年ベルリンを拠点に結成。2016年ジュネーブ国際音楽コンクール第一位。さらに腹症もすべて受賞。演奏スタイルは、毎回プログラムのすべてを暗記し、チェロを除く全員が立奏。

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ヤーコブ・エンケ (1ヴァイオリン)
ダニエル・シュトル (2ヴァイオリン)
ザンダー・シュトゥアート (ヴィオラ)
レオナルド・ディッセルホルスト(チェロ)

コメント
ザンダー:立奏について、ポップスやロックは立って演奏するのがあたりまえです。座って弾くバンドはありませんからね。自由に動けるし立ち位置も変えられる。暗譜なら視線も交わせてとても刺激的です。クラシックでも同じ開放感が生まれます。
ダニエル:初めての曲は大変だけど、どうせ暗譜するまで弾くから、楽譜はあってもなくても同じです。オペラ歌手なんか何時間も暗譜で歌うし、楽譜を見て演奏するジャンルの方がめずらしい。暗譜の方が楽しいよ。
レオナルド:座っているのはチェロの僕だけ。だから休憩中は僕だけ立っています。
ヤーコブ:彼もほんとうは立って弾きたいんですよ。
ヤーコブ:今回は多彩な音楽の旅を楽しめるプログラムです。
      弦楽四重奏という編成だけは変わらないけどね。
レオナルド:でも後半ではハイドンの時代にはなかった電子機器を使います。
       あったら彼もきっと使ってたよ。
レオナルド:チェロの音域を低くするとか音量を大きくすることができます。コントラバスのような響きも出せて音の可能性が広がるのです。ハイドンの時代よりはね。
ダニエル人はいろいろな音に触れることで音楽の聴き方が変わる。「古典」も新鮮に聞こえるのです。様々なジャンルを聴くことで、よりオープンに音楽に向き合えるはずです。

曲目
「弦楽四重奏曲ト長調作品771 ハイドン作曲
1799年70歳を間近に作曲。
「レイチェルズ・ドリーム」ベニー・グッドマン作曲
「ストールン・モメンツ」 オリヴァー・ネルソン作曲
「ビッグ・ハイ・ワイヤー・ホップ」ライダーズ・イン・ザ・スカイ作曲
「ザ・シューメーカー」 ヤーコブ・エンケ作曲
「サンバ」 ヤーコブ・エンケ作曲
「ヘイルストーンズ」ヤーコブ・エンケ作曲 

🎵立奏によって動きの自由さ、演奏の自由さを獲得。立奏であってもこもっているような演奏はこれまでにもたびたび聴いた気がする。ロックやオペラも立奏とコメントにあったが、何かそれ以上により広い自由さ、音をもって空間に遊ぶようなそんな自由さも感じられた。演奏に勢いがある。ダニエルが言うように、「古典」が実に新鮮に聞こえる。「ザ・シューメーカー」、靴職人の仕事の音がおもしろい。「サンバ」 、これが弦楽四重奏団が弓を置いての演奏。4つの楽器がピッチカートと意表を突くかにギターのようなかき鳴らし。「ヘイルストーンズ」、4台が小刻みな弦の連続に、これも意表を突いて、馬に一鞭当てるかにぴしりと鋭い弦。駆ける駆ける。ヤーコブ・エンケの作曲、単純な繰り返しの疾駆に突如現れる意表を衝く場面。聴く者の意識にしっかと流れを銘記してしまう。ウェブ上に飛び交う数々の絶賛。
 クラシック演奏が耳には鮮烈に届いた。面白いことをやってくれそうな期待感とともに、現代曲も楽しいけれども、それよりはクラシックを新鮮に届けられる楽団という感じが。 

🎧名曲アルバム「安里屋ユンタ」沖縄県民謡/上柴はじめ・編曲。(三線)山内昌也,(管弦楽)東京フィル&渡邊一正
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 沖縄本島から南西へ400キロにある八重山諸島の竹富島はサンゴ礁の隆起でできた島で、道も石垣もサンゴでできている。「安里屋ユンタ」は竹富島の美女クヤマを讃えた長編叙事詩による。ユンタとは共同作業で歌う労働歌で、結歌から転化したもの。恋についての内容が多く歌われる。
「安里屋ユンタ」のクヤマは権力者の強引な求愛を拒み、島に生き島に死んだという。

⛳またまたコロナの跋扈。第7 波かと。疫病、地震など手に負えない災厄に襲われたときに出るのが天誅説。そろそろコロナを抜け出られるかという期待感に空中の酸素までが幾分濃くなったような思いだったけれども。「そう甘くはおまへんで!」、これが関西弁で聞こえた気がしたのはなぜだろう。

6時53分更新

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クラシック俱楽部を聴く ズーラシアン・フィルハーモニー管弦楽団演奏会

ズーラシアンフィルハーモニー管弦楽団 演奏会

「ズーラシアンフィルハーモニー管弦楽団」は、動物たちによるオーケストラ。独自のアレンジやユニークな演出で子供たちに大人気の演奏会をお届けする。 【出演】ズーラシアンフィルハーモニー管弦楽団【曲目】祝典序曲 作品96(ショスタコーヴィチ)どんぐりころころ ~オケにはまってさあ大変!~(高橋宏樹 編曲)行進曲「威風堂々」第1番(エルガー)ほか【収録】2020年10月23日 東京オペラシティ コンサートホール

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曲目
☆祝典序曲 Op.96 (作曲:ドミートリイ・ショスタコーヴィチ)
☆どんぐりころころ〜オケにはまってさあ大変! (編曲:高橋宏樹)
☆ソーラン・ブラス (作曲:北海道民謡/ 伊藤多喜雄 編曲:山口尚人)
☆この素晴らしき世界 (作曲:ジョージ・デヴィッド・ワイス/ ジョージ・ダグラス 編曲:石川亮太)
☆悲愴 第2楽章 (作曲:ベートーヴェン)
☆きらきら星 (フランス民謡 編曲:高橋宏樹)
☆闘牛士のマンボ (作曲:モンテルデ・ベルナルディノ・バウティスタ 編曲:高橋宏樹)
☆行進曲「威風堂々」第1番 (作曲:エドワード・エルガー)
☆アンコール 幻想曲「かごめ」(石川亮太)

🎵どこがどう演奏されたかよりも、とにかく楽しく癒される楽団。服装は一般的なクラシックスタイルなのだが、頭にはみなすっぽりと動物の仮面。ズーラシアンブラスのときには絶滅した動物だけが登場。しかし、今回のオケでは弦ウサギや打楽器担当でナマケモノも登場。まだほかにも絶滅していない動物がいたかもしれない。現在は生き物すべてが絶滅危惧種の観を呈している昨今ではある。

 「どんぐりころころ〜オケにはまってさあ大変!」、なにが転がり出るかと思いきや、ベートーベン5番シンフォニー、展覧会の絵、ブラームスのハンガリー舞曲、ヴィヴァルディの四季、ヨハン・シュトラウスのトリッチ・トラッチポルカ、ドボルザークの新世界、パッヘルバルのカノン、チャイコフスキーの序曲1812、エルガーの威風堂々、ビゼーのカルメン前奏曲、この10曲の超有名なフレーズがどんぐりコロコロの節々の間に転がり込んでいた。ズーラシアンの「悲愴」は何と優しく夢見るような世界!「きらきら星」ではなぜか度々現れては雑音を鳴らして演奏をかき乱す。ずっこけそうな指揮者、演奏者。会場からカバを呼んでいるのか、子どもの声がしていたが、とてもじっとして見てはいられない楽しさ温かさ。ぜんたいを包む空気のあたたかさに子どもばかりではない大人も楽しみ癒される楽団。ひとの名前が画面の、ステージ上のどこにも表れないのはこれは夢をこわさないためなのかも。
 ショスタコーヴィッチの「祝典序曲」はソビエト政権の樹立を記念する革命記念日のために作曲されたという。チャイコフスキーの「1812年」、1812年はナポレオンがロシア遠征した年。これが、.wikipediaには「日本での初演は定かではないが、1917年(大正6年)422日に日比谷公園野外音楽堂で行われた山本銃三郎[注釈 2]陸軍一等楽長指揮の陸軍戸山学校軍楽隊による公園奏楽で演奏されている[11]。」とあり非常に興味深かった。

 

🎧名曲アルバム。林古渓・作詞/成田為三・作曲/挾間美帆・編曲「浜辺の歌」
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ジャズアレンジに、ちょっと期待した気分が削がれた感じもしたが、ジャズアレンジ、これも曲が生き残るための一つの手法であるかもしれない。
成田為三の故郷は秋田。秋田師範学校を卒業、教員となったが辞めて、東京音楽学校に入学。「赤い鳥」に多くの作品を発表。今回の解説でも鈴木三重吉が主宰する「赤い鳥」が当時としてはいかに革新的で子どもたちに想像力や夢を与えるものであったかが窺われる。

⛳更新は後にしようと思うとのびのびになり、今時間に。20時28分更新。

 

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きょうのことば 「後になって思い直し」

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年7月3日(日)のインマヌエル秋田キリスト教会とインマヌエル盛岡キリスト教会の合同礼拝をお伝えいたします。

この日は秋田教会の神谷光一先生が説教を務められ、國光先生は共同ホストとして加わられました。 

説教題 「後になって思い直し」  (神谷光一 牧師)
引証聖句 マタイ伝21:28~43

28 ところで、あなたがたはどう思いますか。ある人に息子がふたりいた。その人は兄のところに来て『子よ、今日 、ぶどう園に行って働いてくれ』と言った。

29 兄は『行きたくありません』と答えたが、後になって思い直し、出かけて行った。

30 その人は弟のところに来て、同じように言った。ところが、弟は『行きます、お父さん』と答えたが、行かなかった。

31 二人のうちのどちらが、父の願ったとおりにしたでしょうか。」彼らは言った。「兄です。」イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに言います。取税人たちや遊女たちが、あなたがたより先に神の国に入ります。

32なぜなら、ヨハネがあなたがたのところに来て義の道を示したのに、あなたがたは信じず、取税人や遊女たちは信じたからです。あなたがたはそれを見ても、後で思い直して信じることをしませんでした。

33 もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がいた。彼はぶどう園を造って垣根を巡らし、その中に踏み場を堀り、見張りやぐらを建て、それを農夫たちに貸して旅に出た。

34収穫の時が近づいたので、主人は自分の収穫を受け取ろうとして、農夫たちのところにしもべたちを遣わした。

35 ところが、農夫たちはそのしもべたちを捕らえて、一人を打ちたたき、一人を殺し、一人を石打ちにした。

36 主人は、前よりも多くの、別のしもべたちを再び遣わしたが、農夫たちは彼らにも同じようにした。

37その後、主人は『私の息子なら敬ってくれるだろう』と言って、息子を彼らのところに遣わした。

38 すると農夫たちは、その子を見て、『あれは跡取りだ。さあ、あれを殺して、あれの相続財産を手に入れよう』と話し合った。

39 そして彼を捕らえた。ぶどう園の外に放り出して殺してしまった。

40ぶどう園の主人が帰って来たら、その農夫たちをどうするでしょうか。」

41 彼らはイエスに言った。「その悪者どもを情け容赦なく滅ぼして、そのぶどう園を、収穫の時が来れば収穫を納める別の農夫たちに貸すでしょう。」

42 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、聖書に次のようにあるのを読んだことがないのですか。『家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった。これは主がなさったこと。私たちの目には不思議なことだ。』

43ですから、わたしは言っておきます。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ民に与えられます。

説教がユーチューブに公開されております。こちらをお聞きください。

 

6時37分更新



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早池峰山の固有種

 きのうは11時半からは元総理の銃撃事件。きのうのクラシック倶楽部は奈良での収録分で、奈良には日本最古のロープウェイがあると、子ども達が見たら駆け込みそうな楽しい車体が映し出されていた。奈良での収録は滅多にはない……と大仏やら鹿やらを思いながら地域紹介を見たが、その昼に、その奈良で、元総理が銃撃されようとは。岩手出身の平民宰相原敬が東京駅で中岡艮一に刺され命を落とした場面が思い起された。原はすでに死後の葬儀のことまでを細かに遺言書にしたためており、遺体は確か常磐線経由で盛岡に運ばれ、遺言通り盛岡での葬儀となった。大臣らも盛岡に。道はぬかるみで靴が泥にめり込む始末であったもようが当時の岩手日報に出ている。令和に命を落とした元総理の葬儀はどのような形で行われるのだろう。

 しかし朝まだき、ヤマバトの鳴き声がしきりに響いているのを聞きながら、気持ちが休まるのを覚えた。7時半の今はスズメ。元気で大らか。身近にある自然の断片に癒される。
 6時台の番組だったけれども、早池峰山の固有種が紹介されていた。3種だけは慌てて撮ったが不鮮明。で、wikipediaにつないでおいた。

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ハヤチネウスユキソウ、ヒメコザクラ、ナンブトラノオナンブトウウチソウ、ミヤマヤマブキショウマ、ザラツキヒナガリヤスなどは、早池峰山だけにみられる固有種
早池峰山の基岩は蛇紋岩で、蛇紋岩の高山としては東北唯一であるらしい。

鳥の声一つも癒しをくれる自然がこの先も常にあるようにと祈らずにはいられない。

⛳メシアンの「鳥のカタログ」を思い出しながら7時54分更新

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クラシック倶楽部を聴く 豊嶋泰嗣バイオリン・リサイタル 〜奈良県生駒市公開収録〜

演奏活動35周年を迎えた日本を代表するバイオリニスト豊嶋泰嗣が、デビュー・リサイタルでも弾いた名曲、フランクのソナタを再び取り上げ、円熟の演奏を聞かせた。北欧の作曲家アウリンの可憐な小品集とともにお送りする。【出演】豊嶋泰嗣(バイオリン)、上野真(ピアノ)【公開収録】2022年2月5日たけまるホール(奈良県生駒市)

 【曲目】
4つの水彩画(アウリン作曲)
バイオリン・ソナタ(フランク作曲)

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コメント
豊嶋:あっという間に35年経ってしまったなあという実感なんですけれども、僕の場合は大学卒業してすぐもう仕事を始めて、所謂留学とかいう経験もなくもう直ぐオーケストラに入って仕事し始めたので、もう大学時代だけが勉強の場、一生勉強なんですけれども、あとは要するに現場で経験を積みながらもう35年という感じですけれども。わりと初期はほんとうにオーケストラやって室内楽やってバイオリン弾いてビオラ弾いてというもうありとあらゆるできることをぜんぶやって、時間さえ空いてればぜんぶ受けてたという感じで隙間もなかったです。
上野:(豊嶋さんは)非常に人間的な魅力のある方と僕はおもっていまして、すごくお茶目、実は。包容力が非常にあって、自分なんかはぜんぜんその辺がなくていろんなことでピリピリする方なので、ご一緒させていただくことによってまたバランスがおもしろくなるんじゃないかなと思います。
豊嶋:僕が包力あってみたいなことですが、裏を返せばがさつ、細かいこと気にしないというか、そういう反面もあるような気がして、そこへいくと上野さんはほんとうに精密、繊細で、楽譜を見せていただけばわかるとおもうんですけども、ものすごく楽譜のすべてさきにあるものを勉強されてて、ぼくなんかはもうまったくそんなことはできないタイプなんで、ほんとうに頭が下がるといいますか、逆にそういう違うタイプのアプローチから得るものはものすごく大きいので、僕はほんとうに刺激をたくさんもらえていると思います。
上野:(フランクの選曲について)豊嶋さんから曲目の相談があったときに、大きく構えてくださって、こちらが何かを言っても、ああOKという形でうけてくださるんで、こちらもそこをいいことにいろいろ曲目をあげさせていただいたんですけれども、その一つがフランクで、やはりこの2022年フランク生誕200年、今年12月10日がフランクが生まれた日で、それに向けて演奏するのもいいんではないかなとご提案させていただいて。
豊嶋:偶然と言いますか僕がデビューしたときのデビューリサイタルのメインがフランクのソナタだったんですね。勿論その後何回か弾いていますけども、そういう意味で35年やってきてまた初心に戻ってというような意味でフランクに臨めるというのは自分にとっては新鮮な新たにまた齢を重ねてどう見えてくるのかというのが楽しみなところです。

🎵精神的な部分は齢重ねてさまざまな成長を遂げると。これが円熟という言葉でよくいわれるのだが、安んじてどっしり構えて演奏を聴いていられる、そんな滋養ある喉越しのよいフランクを聴いた。

🎧名曲アルバム。ペレス・プラード作曲/貫田重夫・編曲「マンボNo.5」

「マンボNo.5」(演奏)見砂和照と東京キューバンボーイズ ~キューバ・ハバナ、メキシコ・メキシコシティー~

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1916年ハバナからおよそ100キロの港町マタンサスに生まれる。幼少時に母からピアノの手ほどきを受ける。ピアニストとして活躍するなか、マンボのリズムに魅了される。30代でメキシコに移住し、ぺレス・プラード楽団結成。1949年に「マンボNo.5」発表。世界的にヒット。「マンボの王様」と称される。1959年のキューバ革命。故国の土を踏むことなく1989年死去。別れの演奏は「マンボNo.5」。史上最も陽気な葬儀といわれた。
⛳ふと自分の葬儀の時に何か流してもらえるとしたらどんな音楽がいいかなと。いまのところ「アメージング・グレイス」。このような者をも神は慈しみ憐れんでくださったかと来会した数少ない方々が思ってくだされば本望。
8時11分更新

 

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クラシック倶楽部を聴く  川本嘉子 心に響くビオラの調べ

1992年ジュネーブ国際音楽コンクールビオラ部門で最高位を受賞。ソリストとして活躍する他、NHK交響楽団の首席客演奏者を務めるなど、幅広い分野で活動を続ける。
 
【曲目】ビオラ・ソナタ へ調 作品11第4(ヒンデミット)
     アルペジョーネ・ソナタ イ短調 D.821(シューベルト)
     F.A.E.ソナタから 第3楽章 スケルツォ(ブラームス)     
【演奏】川本嘉子(ビオラ)、津田裕也(ピアノ)
【収録】2022年1月11日 北とぴあ さくらホールで収録。
 
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コメント
 私もビオラを弾いてるとあまりこうきーきーしないし、バイオリンのときはもうすごかったんです、練習、練習、練習で。苦労はするんですけど気持ちが楽なまま舞台にのってるというのはあるかもしれないですね。もしかしたら私の思い過ごしかもしれないんですけど、こう優しい気持ちになって会場を出られる方がたくさんいらっしゃるんではないかなあと思いますね、ほかの楽器の演奏会よりもやさしい朗らかな気持ちになるみたいな。
 シューベルトにとっては、アルペジョーネの曲なのでビオラでもチェロでもバイオリンでも弾けるということにはなってると思うんですけれども、ビオラのこの中音域しかない魅力が出たらいいなと思って今回取り上げてみました。やっぱり器用さというか、チェロとか、アルぺジョーネに比べればこれだけの幅で弾けるわけですよね。チェロとかだと(楽器が大きく指板が長い分動きが大きくなるという意味かと)こうやって弾かなければいけないから。その器用さは出てくると思います。ビオラで弾くことによって運指が楽というパッセージがたくさんあるので、より遊べるというか楽しみながら弾けるような気がします。

🎵川本さん仰る通り、「やさしくおおらかな気持ちになる」。身構えるところを解きほぐされるような。バイオリンでもチェロでも癒されはしたと思うが、ビオラはたしかに音色にやわらかさやさしさがジューシー。

🎧名曲アルバム。ペルゴレージ作曲「スターバト・マーテル」
【ソプラノ】砂川涼子,【アルト】森山京子,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】飯森範親 ~イタリア・ポッツォーリ~
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南イタリアのナポリ近郊にあるポッツォーリは古代ローマの昔から温泉地として知られる。18世紀の作曲家ペルゴレージは人生最後の日々をこの町で過ごした。聖アントニオ教会。ペルゴレージはナポリの宮廷でオペラ作曲家として成功するが、華やかな活躍のさ中不治の病に倒れた。1736年療養のためにこの教会に隣接する修道院に滞在し、残り少ない命を意識しながら宗教曲「スターバト・マーテル」を書き上げた。町はずれのアヴェルノ湖、古代の人々には死者の国への入り口と信じられていた。ポッツォーリに移って一か月ほどのち、ペルゴレージは26歳の生涯を閉じた。没後間もなくして彼の名声はヨーロッパ中に広まった。キリストの死を嘆く聖母マリア姿を歌う「スターバト・マーテル」。このペルゴレージの晩年の傑作は、若くして世を去った作曲家の清らかな祈りを今に伝えてくれる。―番組解説よりー

⛳真夏日を予感させる太陽。ぎりぎりと山際からにじり出て、今日の一日を俯瞰するかのように東側の家々のビルの木立の形状をを照らし出している。何ものにも何人にも負けてなるかの強気だ。それはカーニバルの始まり。炎暑に泡立ち、揺らめき、今や溶け出さんと、倒れかかり、踏みこたえ、体力を使い果たす今日という一日のカーニバルの始まりだ。
8時49分更新

 

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クラxシック倶楽部を聴く 岡本誠司バイオリン・リサイタル

2021年ミュンヘン国際音楽コンクールで優勝したバイオリンの岡本誠司がベートーベンとシューベルトの名曲を披露。ピアノは、若手ピアニストとして活躍する務川慧悟。 【曲目】バイオリン・ソナタ 第10番 ト長調 作品96から 第1楽章、第4楽章(ベートーベン)、幻想曲 ハ長調 D934(シューベルト)【演奏】岡本誠司(バイオリン)、務川慧悟(ピアノ)。【収録】2021年12月23日、浜離宮朝日ホール。
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【曲目】バイオリン・ソナタ 第10番 ト長調 作品96から 第1、4楽章(ベートーベン)
    幻想曲 ハ長調 D934(シューベルト)
【演奏】岡本誠司(バイオリン)、務川慧悟(ピアノ)。
【収録】2021年12月23日、浜離宮朝日ホール。ー番組紹介からー

コメント
岡本:僕は両親も音楽と関係ない仕事をしていますし、身近にバイオリンがあったわけではないんですが、3歳の時に近所の公園でよく一緒に遊んでた女の子がいて、その女の子が弾き真似をしてくれて、おお、カッコいいなと思ったのがそのきっかけだったんですけども。その時点では実はまだそのバイオリンの音というのは聴いたことがなくて、その後、その女の子のご両親が、それはきっとバイオリンだからということを僕の両親に教えてくださって。家に楽器がきたときは、むしろほんとに来ちゃやったよという感じでとても恥ずかしくて隣の部屋に逃げちゃったのを覚えてるんですけども。それから紆余曲折あり、素晴らしい先生に恵まれて、それから25年ほど経った今ですが、まだバイオリンを楽しんで続けてます。
務川:誠司は4年前の共演と今回やっぱり留学して変わったというか、成長もしたなと思うんですけれど、彼の演奏はひとことでいえば、渋いといえるのかもしれない。しっかり聞くことですごくよさが分かる演奏なんですけれど、彼は非常に好奇心もあって、楽譜というものをすごく深く読み込む人で、だけれど、たくさんの知識があるんだけれども、それによって縛られることがない。だから非常に研究肌でもあるけれど自由、そこのバランスがすごくとれた人なんではないかと思ってます。

🎵ベートーベンのバイオリン・ソナタ10番はこのシリーズの最終作。曲自体に強い感情の表出がないので、ベートーベンの作品の中でもやや平板。その点シューベルトの「幻想曲」ではその迸りも感じられその境地に楽しめた。シューベルトが亡くなる前年の作品だという。

 

🎧名曲アルバム。「ツァラトゥストラはこう語った」リヒャルト・シュトラウス作曲尾高忠明&N響
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ニーチェは宗教を否定したわけだけれども、私はやはり人の言葉よりは神のことばに真理があると信じている。シュトラウスの曲は壮麗で気分の良さもあるけれども、実は美しさも人生の一時を喜ばせるが、それらのすべてが永遠だと思ってはいない。存在するもののすべてから人の感性というフィルターに抽出された一つの部分、多くあるものの中の一つの個、人ができるだけ生きやすいように貢献してくれる一つの存在、そんなふうに思っている。ニーチェは精神を病み隔離されたなかでこの世を去ったが、ほんとうに痛々しい。
賢治がペンネンネンネンネンネネムでニーチェを言ってるのだが、当時盛岡高等農林学校に玉置邁教授という美学、哲学に通じた教授がおられ、その影響が多分にあったと思っているけれども、ニーチェを書き込んだ賢治の真意はもうすこし全体を読み直して考えてみる必要があると思っている。
⛳けさは実は5時10分の地震で目を覚ました。日本中がたえずどこかが揺れている。大きくなくてよかったといえるか、揺れるたびにどこかに変化を生じているだろう。
もう朝から太陽がぎらついている。6時42分更新


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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クラシック倶楽部を聴く 川久保賜紀&上原彩子 デュオ・リサイタル

川久保賜紀、2002年チャイコフスキー国際音楽コンクールバイオリン部門最高位受賞。上原彩子、同年の同コンクールピアノ部門で第1位受賞。以来、両者とも第一線で活躍 【演奏】川久保賜紀(バイオリン)2002年チャイコフスキー国際音楽コンクールバイオリン部門最高位受賞。上原彩子(ピアノ)2002年チャイコフスキー国際音楽コンクールピアノ部門で第1位。以来、両者とも世界の第一線で活躍を続けている日本を代表するアーティスト。
【収録】2021年11月24日・ハクジュホール(東京)
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【曲目】バイオリンソナタ第9番「クロイツェル」(ベートーベン)
    オブリヴィオン (ピアソラ・作曲/山本京子・編曲)


コメント
Qお互いについて
上原:すごく音楽に対して誠実で自然に音楽をいくところがすばらしいところだなといつも思います。
川久保:やっぱりダイナミックさがとても好きで、音楽の中の幅がすごくある、とても広いので、その中でいろんな表し方とかできる音楽家なので、一緒に弾いててもぐいぐい来るときはぐいぐい来てくれるし、そういうのがすごくいい。一緒に弾いているとそういうのが大事だなとすごく思いますね。
Q二人で演奏する力
上原:やはり毎年だいたいやらせてもらっていることによって、お互い遠慮なく音楽をできるようになってきたので、リハーサルではこういうふうに作っていたけど、本番で違うアイデアをだしていてもそれを瞬時にお互い理解しあえたりとか、そういう即興性みたいなのが、やはり最近一緒に弾いていてできるので、そこが一番長年お付き合いしてるいいところかなと思います。
Qクロイツェルの魅力
上原:楽しいしエキサイティングでスリルもある。ほんとうにバイオリンとピアノが同じぐらいの割合で拮抗してるというかそこが。それでいてすごく曲としていろいろな幅があって、やはりベートーベンのピアノ・ソナタの中で、最高峰なんではないかと思います。
川久保:やはりバイオリン・ソナタ10曲あるんですけどその中の9個目なんですけど、 やはり一番最後の、前に書いた全部を出し切ったといった作品で、とても大曲なんですけどやはり全部の中で皆さんどうして好きなのかというのがすごくわかりますし、やっぱりピアノもバイオリンもとてもドラマティックなソナタなので、そこがやっぱりクロイツェルの魅力的なところなんだなと思います。

🎧名曲アルバム。ショパン「バラード第4番」

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年ショパンは29歳でノアンにあるサンドの館で暮らし始める。ここでショパンは創作の絶頂期を迎える。この館にパリから招かれたリスト、ドラクロア、バルザックらとショパンは時間を共にする。ノアン4年目1842年この曲を作曲。
サンドの息子たちがこのころ難しい年齢にあり、トラブルを生じたものか、ショパンは館を出る。
作曲者の詩世界に浸り作曲者と共に逍遥できる一曲。

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 ☆  ☆  ☆

4日に岩手であったチャリティーコンサート
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⛳過ごしやすい朝を迎えた朝方は涼しい風が吹き込んでいたが、いま徐々に気温が上がってきているようだ。西では台風被害もあがってきている。穏やかな午前。10時更新

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クラシック倶楽部を聴く、等などを聴く

20220704()服部百音バイオリン・リサイタル〜島根県川本町公開収録〜
 数々のコンクールで優勝を果たした気鋭のバイオリニスト・服部百音と、卓越した技巧で注目のピアニスト・亀井聖矢。若き才能2人による、情熱あふれる演奏をお送りする。 服部百音(バイオリン)祖父・服部克久、父・隆之(共に作曲家)という音楽一家に育つ。2009年ヴィエニャフスキ国際コンクール(ジュニア部門)を最年少で制し、10歳で演奏活動を開始。
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ノクターンとタランテラ 作品28(シマノフスキ作曲)

バイオリン・ソナタ 第1番 へ短調 作品80(プロコフィエフ作曲)
チガーヌ(ラヴェル作曲)

【収録】2021年6月27日 悠邑ふるさと会館(島根県川本町)

服部百音:島根は訪れる前から、日本のある意味原点の場所というか、神話にもあるように神聖な空気とかエネルギーに満ちた場所だとおもうんですけれども、音楽というのも目に見えないとても大きな存在と人間が結びつきを感じることができる芸術だと思うのでその意味で何か共通点があるというか、こういうところに来て音楽ができるということはすごく嬉しいですし、神様に感謝しながら弾かなきゃと思ってます。
亀井聖矢:すごく自然が美しくて、美しいという中にもすごく厳かな感覚があって、その中にこの自然の中にたたずむこの立派な音楽堂の中で二人で一緒に演奏できるということがすごく自分にとっても音楽のインスピレーションにもなりますし、またそこから得たものを音楽を通して還元していけたらなというふうに思ってます。
バイオリン・ソナタ 第1番 へ短調 に挑戦する思いは
服部百音:当時の戦争であったり、ソ連の粛清であったり、そういった殺伐とした時代背景が色濃く反映された曲ですし、ピアノとバイオリンはけっこう役割が分かれているんですね。で、こう物理的な爆撃音だったり鐘の音であったりとか、そういった残酷な現状というのを淡々と映し出す役目のピアノとそこに魂の歌であったり人々の叫びとかそういった感情とかいったものを歌うパートであるバイオリンというか二つの要素が一つになって一つの戦争映画のようなものなんですが、そういった世界観を作り出せる。ピアノとバイオリンの編成ですけれども、シンフォニーのような作品で、プロコフィエフに関しては、容赦のない音というのを出してくださるのでそれがまたこう内臓をえぐり取られるようなひしひしと感じる、やっぱり近くで弾いているので感じて刺さって来るものがあると、それを受けてこちらの出す音というのもさらにこの世界にマッチする音が出せたらいいなと思っています。
亀井聖矢:僕はそれを受けてそういう気持ちになっていくような感じです。
服部百音:またそれを受けて音を出してるわけなんですけどね。
亀井聖矢:すこし特殊で難しい面もあるんですけど、ただこの曲のそういうこの世の終わりのような世界観と音色と雰囲気がすごく心に刺さるような大好きな作品なので、そういった世界観を存分に届けられるように演奏したいなと思います。
服部百音:どこまで作品の持つ描写的な部分は近づけることができるんだろうとずっと思ってたんですけど、ある意味音楽的にまとまってしまうと、どうしても人の感情の産物で終わってしまうというか、そういった部分も出てくるんですが、そういったところを一切前提を取り払ったところで音楽を作っていってくださるので、一緒に話しながらすごく新鮮ですね。新しいプロコフィエフの世界が私も見えています。
<チガーヌ>
服部百音:最後のチガーヌは私のソロの部分がすごく緊張しますけど、そこが終わるとピアノが入って来てくれるんでほっと一息という感じで、安心するんですけど。
亀井聖矢:僕はそのあとに出てくる16小節ぐらいのソロの部分が一番緊張しますけどね。何よりもその音遣いというかピアノもバイオリンも同じ旋律を奏でて、それがハモリというか、そういう融合の仕方がそれぞれにどんどんどんどん変わっていくので、すごく不思議な音色というが感じられる部分があるし、最後はほんとうに二人で盛り上がって盛り上がって派手に終わるので。
服部百音:丁々発止じゃないですけど、ちょっとアドリブ的な勢いだったりそういったのは本番で出てくるものだったりしますけど、楽譜に記されたことを真面目にやってるんじゃないという曲なので、そういった面白おかしい部分だったりとかちょっと滑稽に弾いてみるとかいったやりとりが幅があって面白い曲ですけど、ラヴェルのかわいらしくて意地の悪い性格がよく出ているすばらしい作品なので、楽しんでいただきたいです。

🎵きょうのプロコフィエフの「バイオリン・ソナタ第一番」、これはダヴィッド・オイストラフに献呈されているようだ。第一楽章を彼は「墓場にそよぐ風」と表現しているけれども、連日のウクライナ報道で身につまされた。平和の中に生まれ育った世代の演奏家の解説と演奏。それがなかなかにリアル。

🎧名曲アルバム。スコットランド民謡「スコットランドの勇者」
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バグパイプ、街角に立つ奏者といったイメージが自分の中では定番だったが、スコットランドでは集落ごとにバグパイプの楽隊が存在するようで、陸・海・空軍のパイプバンドの集結は壮観。スコットランドの軍楽隊はバグパイプ。英、米のそれとはまったく趣が異なる。軍楽隊といっても何か平和な響きが。

  ☆  ☆  ☆

2022/07/02()の新日本紀行は下駄。今工場はなくなり下駄もオーダーメイドに。盛岡でもさんさ踊りが8月1~4日と。下駄は履かないけれども、どっと繰り出す浴衣すがた。昔なら下駄は必須。沿道には今は浴衣にサンダルの方も。高校時代には学生服に下駄のバンカラも見た気がするけれども。下駄の音もまた懐かしい音の風景。
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    ☆  ☆  ☆

 

22/07/01 (金) クラシック倶楽部を聴く 須川展也 サクソフォーンの神髄

オーケストラとの共演をはじめ国際的に演奏活動を続ける須川展也。クラシック・サクソフォーンの第一人者がサクソフォーンの魅力あふれる名曲をお届けする。 【曲目】シーガル(真島俊夫)、ファジイバード・ソナタ(吉松隆)、枯葉シークェンス(コズマ/本多俊之)、美女と野獣(アラン・メンケン/西邑由記子)、アディオス・ノニーノ(ピアソラ/啼鵬)、天使のミロンガ(ピアソラ/小松亮太)、日本民謡による狂詩曲(石川亮太)【演奏】須川展也(サクソフォーン)、小柳美奈子(ピアノ)【収録】2022年3月7日 武蔵野市民文化会館大ホール(東京)

 【曲目】
シーガル(真島俊夫)
ファジイバード・ソナタ(吉松隆)
枯葉シークェンス(コズマ/本多俊之)
美女と野獣(アラン・メンケン/西邑由記子)
アディオス・ノニーノ(ピアソラ/啼鵬)
天使のミロンガ(ピアソラ/小松亮太)
日本民謡による狂詩曲(石川亮太)
【演奏】須川展也(サクソフォーン)、小柳美奈子(ピアノ)

【収録】2022年3月7日 武蔵野市民文化会館大ホール(東京)
                  ー番組HPよりー
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須川さんのコメント
サックスの魅力は、人間の声と思いますね。人間の声のような楽器というのはたくさん美しい楽器がいっぱいあるんですが、サックスは美しいだけじゃなくて、叫びもあったり、怒ったりもするし、ちょっと割れたような声、怒ったような声も出る楽器だと思うんですな。人間そのものを表すというところの楽器としてとても魅力があるので、その人間の魅力をそのまま音楽で表現したいなというのが今のずっと続けているスタイルなんですかね。
「ファジイバード・ソナタ」の演奏のポイントは、やっぱりこの「あ・うん」の呼吸ですかね。小柳さんとのもう何回も演奏しながら、拍を数えるだけじゃなくて、気配でこう出るぞ、こう行くよというような感じ。一回たりとも同じような演奏にならない魅力がこの曲にはあります。即興的な部分がいっぱいあるので、その即興性も生かしながら、ジャンルを混ぜた、ミックスした美しさやカッコよさなどを表すというところ。ですからその時に呼吸を共にするということがこの曲の一番の魅力だと思う。その呼吸がうまくいって演奏になっているんじゃないかなと思ってます。
「枯葉シークェンス」は、サキソフォンという楽器のイメージであるジャズ、ジャズというのはよくよく聞いていくとバッハにもつながるなということを感じるんですね。バッハの多用したバッハの芸術の一つであるシークェンス
のところですね。循環進行ともいったりするんですけど、そこと、ジャズのつながり、サックスとのつながりを感じて、「枯葉」という曲もシャンソンの曲ですけれども、ジャズのスタンダードナンバーとしても大名曲でありますので、本多俊之さんにバッハから始まってジャズに行ってバッハに戻る「枯葉」を作曲のような編曲をしてくださいって頼んでできた曲です。
音楽のちからについては、コロナにしてもいろんな厳しいことがあると心は沈みますよね。やっぱり家の中でじっとしてると何となく寂しい気持ちになると思うんですけど、そこでふと聞こえた音楽の音で救われたりすることがあると思うんで、それは自分もそうであるから皆さんもそうじゃないかなという思いがいっぱいあるので、やはりまずは音を届けたいな。聞け、じゃなくて耳に触れて心地よくなったらいいなという思いはいつもあって、それで届けたいなと思ってます。それで温かい気持ちになったなという人が、このコロナの時にもあったら、コロナがもっともっとよくなって、世の中がまた活気を持ってきたときにコンサート会場に来てもらえたらいいなという思いは持っています。

※古典的な楽典では、反復進行を意味する。ドイツ語で「ゼクヴェンツ」ともいう。ある楽句を音高を変えながら反復させることをいう。(wikipedia)

🎵きょう使用の楽器、これがふつうの金管色じゃない。色合いと音の関係なぞは分からないけれども、あれはライトの関係ばかりじゃない。写真よりは赤っぽい。電気メッキからざっと上げられて今出てきたばかりという感じの光沢。「ファジイバード・ソナタ」、おもしろかった。ジャングルに息づく鳥たちを思い出してしまった。ちょっとヒンズー教なんかも思い出したり。

🎧名曲アルバム。リスト「慰め 第3番」。ピアノ金子三勇士
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54歳でカトリックの僧籍にはいり、十字架像を持ち歩く。

  ☆  ☆  ☆

1日19時半には小さな旅山田敦子アナin岩手 陸前高田市
 一本松から接ぎ木した松は立派に育っていた。
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   ☆  ☆  ☆

2022/06/30()ラドヴァン・ヴラトコヴィチ ホルン・リサイタル

1962年現在のクロアチ、アザグレブ生まれ。世界的ホルン奏者ラドヴァン・ヴラトコヴィチが、ベートーベンのホルン・ソナタから現代の作曲家の作品までを多彩な音色で奏でる演奏会をお送りする。
【演奏】ラドヴァン・ヴラトコヴィチ(ホルン)、児嶋 一江(ピアノ)
【収録】2022年2022年5月20日 紀尾井ホール(東京・千代田区)
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 【曲目】
ホルン・ソナタ ヘ長調 作品17(ベートーベン)
オルフェオの嘆き(キルヒナー)
7つのスケッチ(マッツ)
ホルン独奏のための「Horn Lokk」〈牛追い歌〉(ベルゲ)
序奏、アンダンテとアレグロ(ロッシーニ)
アンコール サルタレッロ(アルトー)



🎧名曲アルバム。ベートーベン編曲「アイルランド民謡」       
(ソプラノ)佐竹由美、(バリトン)久保和範、(合唱)二期会合唱団、(ピアノ)渡邊一正、(バイオリン)篠崎史紀、(チェロ)遠藤真理 ~アイルランド・マンスター地方
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⛳ラドヴァン・ヴラトコヴィッチのコメントが十分に取れなかったことがつまずきとなり、何か重たい気分に。更新が先延ばしになった。誰に強制されているわけでもなく、頼まれているわけでもないので、更新しなければしなくとも自他ともに体制に影響はないのだが、これが長年の習慣ですっきりとしない。それで更新したのだけれども、さていつまで続くやら。体力が厳しくなりつつある。その時はその時、きょうはきょうでああだったこうだったと楽しんで一応は書けたことに感謝。昨夜のN響も良かった。昼間に聴いたバロックのCDではバッハのミサ曲ロ短調BWV232「我らに平和を与えたまえ」。
きょう網戸の外側にクルマトンボ(子どもの頃の通称)がとまっていた。思わず「来てくれてありがとう」。この真夏日に。人通りも途絶えたこの暑さの中に。
22時15分更新


 

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きょうのことば 「大いなる光景を見る2 リバイバルの幻」

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年626()の礼拝メッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 「大いなる光景を見る2 リバイバルの幻」  (國光勝美 牧師)
引証聖句 詩篇12616

都上りの歌
1 主がシオンを復興してくださったとき
私たちは夢を見ている者のようであった。
2 そのとき 私たちの口は笑いで満たされ
私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。
そのとき 諸国の人々は言った。
「主は彼らのために大いなることをなった。」
3 主が私たちのために大いなることをなさったので、私たちは喜んだ。
4 主よ ネゲブの流れのように
私たちを元どおりにしてください。
5 涙とともに種を蒔く者は
喜び叫びながら刈り取る。
6 種入れをかかえ 泣きながら出て行く者は
束をかかえ 喜び叫びながら帰って来る。

《メッセージ》
 きょうは先週に引き続きまして「大いなる光景を見る2―リバイバルの幻」というテーマでご用をさせていただきたいと願っております。
「リバイバル」という言葉は「信仰復興」という意味を持っております。
「神の恵みと力が特に著しくあらわれてクリスチャンたちを鼓舞、激励し、不信仰な人々が信仰に導き入れられ、回心の経験を与えられ、また、信仰から離れていた者を再び信仰に立ち返らされるような状況に対して用いられる。それは聖霊の働きによるものとされている」
 前回はこの定義を紹介いたしました。そして、特に蔦田二雄先生がおられました時代の日本橋教会のリバイバルについて、もう時を経てセピア色になっている教報に大橋武雄先生が日本橋のリバイバルのことについて記されたお証し、感動を覚えつつ読んだそれをお伝えいたしました。
 蔦田先生はカミソリ蔦田といわれるほど理性的なタイプの先生でありまして、感情に任せて集会を導くということには非常に慎重な先生でした。ある時、丸の内の時代に、ほかの背景を持っている団体の先生が講壇に立たれました。非常に恵まれたメッセージのその後で、「さあ、皆さん、手を叩いて賛美しましょう、さあ、」と盛り上がる集会指導をなさいました。その一週間後かの聖日だったかに蔦田先生が仰いました。「皆さんは前回のあれ(在り方)を見てどう思うか。ああいう感情的な」、しかもこういう表現をなさってましたね、「もし、自分が心理学的に人の心を操るようなテクニック、タンタンタンタンというような単調な音、この単調な音がずっと響き続けると、それだけがまた今一つの意味を持ってきてしまう。感情の高ぶりとか、或いは、マインドコントロールとかそういうところに陥ってしまう」。特に宗教ということに於いては、あの先生は非常に慎重な方でありまして、「むやみに足を踏み鳴らしたり手を叩いたりするもんじゃない」と仰いました。  

 蔦田先生はご自身がホーリネスのリバイバルを経験しておられる。本当のリバイバルとは感情に衝き動かされたものではない。感情を全くは否定しないけれども。ホーリネスのリバイバルの非常な恵みとともに、時として無作法な、常軌を逸したような振舞になることがあることも、蔦田先生はやはり直に見てきておられたのです。それを経験しておられた器だからこそ、神様は、戦後にインマヌエルの創設というときに、福音の中心は何か、それは聖潔(きよめ)であることを弁え知っておられた蔦田先生をお用いになられました。そして蔦田先生は、かつて経験した危うさというものをできるだけ排除していった。そんな背景があったということを前回は立ち入ってお話しをさせていただきました。

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 リバイバル、まずこれは個人的信仰の復興です。ゼカリヤ書1210
10 わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く。

 「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に」、もし今の私たちがここから恵みをいただこうとすれば、つまりこれは「神の民」です。「ダビデとエルサレムの住民」とあるときに、今私たちが恵みをいただこうとするならば、実にそれは私たちお救いに与っているクリスチャンたち一人ひとりです。私たちのこととしてこれを味わうことができるのです。ゼカリヤは言います。「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ」。つまり、聖霊が注がれる。リバイバルで、「彼ら」は、つまり、これを、今の私たちというように。くどいようですけれども、恵みをいただこうとすれば、そして、「彼ら」というのは、イエス様の十字架以前の、まだイエス様がお生まれになるよりも200年も300年も前のできごとです。あたかもそれが今のように彼らは自分たちが突き刺したもの、私を仰ぎ見て。もう皆さん、私たちはこれを過去の出来事として知ってるわけですよね。イエス様の十字架の事です。彼らにとっては、未来のことでしたけれども、今の私たちからはそれは、イエス様の十字架以外何でしょう。
「彼らは、自分たちが突き刺したもの、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く」。

 今私たちがこれをリバイバルとして味わおうとするならば、神様が今救われている今教会員である私たちに、もう一度格別な恵みと嘆願の霊を、つまり、見てお分かりの通りに、ああ私はイエス様の十字架の贖いに与っていながら何と不信仰な、何と不徹底な者だったたんだろうか、これほどまでに神様のご愛を知っていながら。そうなんです。リバイバルが起こる時に、クリスチャンであったはずの私たちが、もうひとたびあの鮮血流れる主イエス様の前に、聖霊様が持って行って、ほら、あなたのために神様はこれだけのことをしてくださったんだ、分かるか、そのところにご聖霊様は私たちを連れて行ってくださる。

 主よお許しください。この時に、彼らはひとり子を失って嘆くかのように、その者のためにイエス様の十字架を嘆き泣くのです。そのために激しく泣く。もうひとたび、私たち主イエス様の十字架の前に、自らの信仰の姿をしっかりと聖霊によって直面させていただきましょう。

同じくゼカリヤ131
その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる。

きよめの恵み、

先ほど♪インマヌエル讃美歌293「とうときいずみあり」を歌いました。

尊き泉あり そのうちより

インマヌエルの血ぞ 溢れ流る

罪に悩む者 潜り入らば

汚れは洗われ 染みは消されん 

 ほんとうにこのような恵みが私たちに約束されているのです。
 私はこれを味わいながら、以前に観た映画の感動的な一場面、あの場面がネットのどこかにないかと探し回りました。それはベン・ハーの一番終わりに近い部分で、イエス様が十字架にお架かりになって、大嵐の雨、十字架から流れる血潮が雨水に混じって流れくだる。その時、ベン・ハーは、自分の愛する母と妹をフィアンセを迫害した親友メッサラ、憎んでも憎んでも憎み切れない男、そのベン・ハーの心の中にある憎しみにあの血潮が流れこんだときに、ベンハーの内に赦しと信仰の回復、復帰がもたらされました。

 多くの人たちの回心、信仰の回復、復帰、これを詩篇1261節では、
1 主がシオンを復興してくださったとき 私たちは夢を見ている者のようであった」
このように表現されております。

 またしてもこのメッセージを語らせていただきながら思い起しました。昭和40年代半ばでしたが、蔦田先生が、丸の内の講壇で日本橋時代のことに言及したのです。
「日本橋のリバイバルの時にたくさんの人たちが悔い改めてお救いに与った。しかし間もなく太平洋戦争になり教会が閉鎖され、敵国の宗教であるとクリスチャンたちが迫害されて、あの日本橋時代に悔い改めた多くの人たちがやがて去って行ってしまう。あのかつて教会で恵まれて、一緒に主を礼拝した人たち、今どうしているのか。だから日本橋のリバイバル、リバイバルというけれども、あんなのはほんとうの救いじゃなかったんだ。このように言う人たちがいる。」しかし、先生は仰いました。「ところが、こんどリバイバルが起きた時、真っ先に悔い改めて帰ってくるのはそういう人たちなんだ。だから一生懸命に種をまいて、一生懸命に福音を伝えていたら、ほんとうにリバイバルが起きた時、涙と共に悔い改めて帰ってくるのはこういう人たちなんだ」

 多くの人たちが回心し、かつての信仰の友たちが涙を流しながらかえってくる。
「私たちは夢を見ている者のようである」、そうです。「主がシオンを復興してくださったとき、私たちは夢を見ている者のようであった」。まさしく今の言葉で言えば、ウッソーと感嘆の声をあげるだろうリバイバルの時に、そういったことが為されるのです。そしてその時、
「私たちの口は笑いで満たされる。舌は喜びの叫びに満たされる」。
 感情的なことには慎重になるべきとさっき言ったばかりじゃありませんかと言われるかもしれません。矛盾するとお思いになりますか。

 蔦田先生によって船橋でインマヌエルが発祥し、やがて丸の内に移り、それから神学院を浦和に移して、という活動をしていたときに、非常に大きな経済的ピンチがやってきた。神学院建設のために土地が必要でした。 浦和の県庁跡でしたでしょうか、そこが売りに出されている。先生が現地を見てきて「あそこは神様の器たちを訓練する場所にふさわしい。あそこを購入する」と。本当にこれを無茶と言わずして何を無茶というかと思うんですが。いよいよ返済の期限がやってきたとき、不足分のお金がどうにもならない。御名が汚されてしまう。祈りに祈ったところ、外国からの電報が届きました。「日本の蔦田がこれだけの金額を送ってくれと」。不足分が間に合いました。蔦田先生の喜びよう! 子ども時代にそれを見ていた、もう大きくなっていた蔦田真理先生、そして牧師になられている方々が、「あの時の父の姿、足を踏み鳴らして大喜び!」。それこそヤッターという場面。これは矛盾しますか? カミソリ蔦田がやっちゃけないんでしょうか。お祈りをして、だいじょうぶ、これは神様の御業だからと言って祈って祈って、大丈夫だと待っていた時に電話がかかってきた。取ったらば、「蔦田のために」といって期限のその時に送られてきた。その電報を見て踊りあがったといいます。ほんとうのことです。「私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた」のです。リバイバルの時、このような恵みをいただきたいのです。

 その時諸国の人々は、神を知らない人たちは言った。「彼らが信じている神様は大いなることをなさった」。神を知らざるものたちが、「あの人たちの信じてる神様すごいよ」。そして「主が私たちのためにおおいなることをなさった」。これは、諸国の民ではなく恵みの中を通っている私たちのためにこれをなさったと言って喜んだ。それは主がなさることなんです。主がなさったこと。
ネゲブの流れのように私たちを元通りにしてください。
文語訳ですと 詩篇1264エホバよ願はくはわれらの俘囚(とらはれびと)をみなみの川のごとくに歸(かへ)したまへ
新改訳2017では 詩篇1264主よ ネゲブの流れのように 私たちを元どおりにしてください。

 ネゲブの場所は、こちらの地図でご確認ください。エルサレムの辺です。この辺りがネゲブといって荒野、荒れ果てたユダの荒野と言われているところです。そしてこれは乾燥して水もなく、だけれども一度雨期になってみると、今まで何もなかったところが何と大きな川になる。その川を「みなみの川のごとく」という。今までからからで、教会が、そして今キリスト教がそういわれております。救われる人たちが、牧師になる人たちが少なくなってきている。ああ主よ、みなみの川のごとくに私たちを元通りにしてください。

 どうかこのことばのごとくにならせていただきたいのです。

詩篇126篇5、6節
5涙とともに種を蒔く者は 喜び叫びながら刈り取る。
6種入れを抱え 泣きながら出て行く者は
束を抱え 喜び叫びながら帰って来る。

 

データは教会からお借りしています。
文責:中ぶんな

今朝もホトトギス、そして今低くはありますけれどもカッコウの声がしています。この清涼なひとときに更新することができ感謝です。
⛳5時41分更新

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