クラシック俱楽部を聴く 佐藤晴真/ジャン・ギアン・ケラス&アレクサンドル・タロー
6月14日(火) クラシック倶楽部を聴く 佐藤晴真 〜時代を超えたチェロ名曲選〜
18年ルトスワフスキ国際コンで第1位、19年ミュンヘン国際音楽コンで日本人として初めて優勝。東京藝大入学後ドイツにわたりベルリン芸術大学で研鑽を積んでいる。 14年日本音楽コンクール第1位、18年ルトスワフスキ国際コン第1位、19年ミュンヘン国際音楽コンで日本人として初めて優勝。国内外の楽団と共演を重ね音楽祭にも出演。東京藝大入学後ドイツにわたりベルリン芸術大学で研鑽を積んでいる。【演奏】佐藤晴真(チェロ)大伏啓太(ピアノ)【曲目】文楽(黛敏郎)、チェロ・ソナタ ハ長調 作品65(ブリテン)ほか【収録】2021年2月19日 武蔵野市民文化会館小ホール
佐藤晴真のコメント
Q今回のプログラムについて
バロックから現代音楽まで色んな曲を繋げながら織り交ぜたら面白いかなと思って今回色んな曲に挑戦しました。音色の違いを気を付けて、自分なりに解釈したうえで、色んな色の違いを出したつもりなので、そこを色んな色を味わっていただければなと思います。
Qバッハの無伴奏チェロ組曲について
僕の師匠から、バッハはシンプルに見えますけども、演奏家として色んな技術がたくさん詰め込まれているから、バッハを練習しとけば間違いないという教えをいただいていたので、バッハはなるべく本番で弾く、その予定がなかったとしても、練習はしたいなと心がけていますね。日々新しい発見が勿論あるので、音楽の流れとか、頭の中でイメージするだけでもどんどんインスピレーションが湧いてくるので、そこがほんとうに奥が深い作品だなと思います。
Qチェロの音色について
僕の声の声域自体がチェロと完全に、いちばん下の音が完全に一緒なんで、チェロを弾くイコール自分の声で歌っているようなリンクするところがありますね。
Qブリテンのチェロ・ソナタについて
勿論、ブリテンが生きた時代を僕は生きていないので、想像だけでしかわからないんですけれども、ブリテンの生きていた時代の戦争の悲しさとか酷さを音から、楽譜からでも伝わってくるものがあるので、それを解釈して表現、どう音に変換できるかにいちばん気を付けていますね。
昨年はいろんなことが起きましたけども、僕はここで音楽を止めたらとにかくダメだなと思って、あまり音楽を絶やさないように生活してたんですけども、本番という、コンサートという、アウトプットする場がなくなったことで、色んな目標が失われた時期はあったんですけども、自分の音楽とかいろんな音楽を聴いて、癒されたり勇気をあげられたりできる可能性は自分の中にも皆さんの中にもあるので、僕は絶対に音楽は止めたらいけないなと以前のように会場でお会いできることを夢見て僕も頑張っていきたいなと思っています。
曲目
☆無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調 BWV1007 (バッハ)
☆BUNRAKU (黛敏郎)
1960年大原美術館開館30周年記念演奏会のために作曲された。人形浄瑠璃をモチーフに書かれ、近代技法を駆使しながら三味線や鼓、太夫の語りなどをチェロで表現。
☆チェロ・ソナタ ハ長調 作品65 (ブリテン)
イギリスの作曲家ブリテンが1961年作曲。名チェリスト、ロストロポーヴィッチが委嘱し初演。平和主義者として知られるブリテンは同年第二次世界大戦を題材にした「戦争レクイェム」も書き上げている。
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「無伴奏チェロ組曲第1番」、感情に有無をいわさずさらい音に同化させるというか、溶け込ませるというか引き連れるところ、すごいなと。声域が同じと語っていたが、弦の響きに声には出さないその声の重複、唱和が聴こえた気が。
「BUNRAKU」、この曲を琵琶で演奏したらどうだろうかとも思った。唸り、地鳴りとも思われる旋律はやはりこのチェロでなくてはならないだろうか。幽玄。名状し難い何らかの引力が、影を曳く人影を自在に動かしているとも感じられる世界。
ブリテンの「チェロ・ソナタ」、ピアノが非常に効果的。平和への希求がチェロ旋律に込められているような。緊迫の楽劇といった感じが。
🎧
名曲アルバム。「ベートーベンのアイルランド民謡」ベートーベン編曲
ソプラノ佐竹由美、二期会合唱団
2296,2307
バリトン久保和範
アイルランド民謡には酒にまつわる歌も多いのだとか。
生活のために引き受けた編曲でもあったようだ。スコットランドとベートーヴェンの意外なつながりを知った。め
☆ ☆ ☆
6月13日(月)クラシック倶楽部を聴く ジャン・ギアン・ケラス&アレクサンドル・タロー 演奏会
日本では8年ぶりのデュオを披露したチェロのジャン・ギアン・ケラスとピアノのアレクサンドル・タロー。最高の共演相手と認め合う彼らのアンサンブルをお楽しみください 日本では8年ぶりのデュオを披露したチェロのジャン・ギアン・ケラスとピアノのアレクサンドル・タロー。互いを最高の共演相手と認め合う彼らのアンサンブルをお楽しみください【曲目】ハンガリー舞曲集から(ブラームス作曲 ケラス&タロー編曲)ほか【演奏】ジャン・ギアン・ケラス(チェロ)、アレクサンドル・タロー(ピアノ)【収録】2019年11月27日 王子ホールで収録
コメント
タロー:彼とは20年以上も共演しているので、言葉なくして阿吽の呼吸で演奏できます。本番の最中も視線を交わすだけで絶妙な反応が返ってきます。今までと違うニュアンスで弾いていてもそれを受け止めボールを投げ返してくれます。今回演奏するブラームスのように何回も一緒に演奏している曲もありますが、そうではない曲もある。
ケラス:そうした曲はともに理解を深め、我々も作品と共に成長してきました。だから演奏中の無言のやり取りが可能なのです。リスクを恐れずに自由に弾く。長く共演してきたからこそできることです。
☆ドビュッシーの「チェロ・ソナタ」、1915の作品。
このデュオ、精彩があって華やか。ケラスいう自由さからくる響きと感じられた。第2楽章、ドビュッシーの陰影を曳きながら、次は自分がおもしろいと思った点をwikipediaでたしかめたのだけれども、「短いながらもチェロの幅広い演奏技巧が駆使され、左手のピチカート、スピッカート、フラウタンド奏法、ポルタメントが認められる」とある、このところに関心を集中。
☆ブラームスの「チェロ・ソナタ 第2番」。1886年53歳のとき、避暑地のスイスのトゥーン滞在中にヴィトマンの邸宅で作曲したという。ブラームスの熱が、ケラスの熱となって絞り出されといった感じにも、すこし切なく聴く。
☆ブラームスの「ハンガリー舞曲」の超有名な第5番、これでケラス&タローの編曲の違いを確かめ得たかなと。それにしても、ロマの影響というものの大きさをここでも。
🎧名曲アルバム。マーラー「交響曲第9番」。飯森&N響
マーラーは1908年イタリア南チロルドッビアーコを訪れ生涯最後の3年間はここで夏を過ごした。左はマーラーがおよそ100年前に訪れたときと同じ姿のドッビアーコの駅舎。右はマーラーの作曲小屋。いたって簡素な造り。1909年の夏にこの9番が完成。彼の最後の交響曲となる。
日曜の夜にN響がこの曲を演奏していたが、最後に自分という存在が消えた後の静寂、死後のこの世をか、死後の自分をかを覆うような静寂が感じられた。
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6月11日(土)はウクライナのニュース
戦争が愚かで酷いことに誰もが慟哭しつついまだ止まない。
黒岩重吾の「生きてきた道ー私の履歴書」の中でこんなことが書いてあった。同じ牧師で愛だけを説き、そのように自らも生きていた方。そしてもうお一方は、愛を説くと同時に人の内にある根源的な罪をも説いた牧師がおられたという。
罪、罪、罪……実際耳が痛いのだ。いろいろな言い逃れはできるだろう。しかし、罪が解決されない限りこの世の争いと悲惨は尽きることがないのだろう。このだろうという言い方にも問題はあるかもしれない。聖書にははっきりとこの罪を解決するためにイエス様は十字架に架かられたのだとあり、私の所属教会ではくどいほどに繰り返されている。及ばない自らを悔い改める事は多々。怒り、失言もあり。しかし1個人の信仰レベルがどうであれ、講壇で語られることには真理があると思う。そして罪意識、認罪も神によると思われる。裁判で有罪とされても、罪を認める人と本音は何ら罪意識のない人とに分かれる。認罪も神による、神のなすわざと思う。
これは他人ごとではなく、自身、教会にまったく行っておらず、聖書もなければ、どのような人間になっていたか。理想的なキリスト者には遠いけれども、少なくとも聖書や教会が抑止力になってきたことは確かだ。
⛳22時23分更新
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