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2022年6月

クラシック俱楽部を聴く エマニュエル・パユ フルート・リサイタル

エマニュエル・パユ フルート・リサイタル

89年神戸国際フルート・コン優勝以来、鮮やかな技術と流麗な音楽性で人気を博してきたパユ。今回はドイツ・バロックのテレマンと現代作品を交互に組んだ意欲的な公演。
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エマニュエル・パユのコメント
今回のプログラムでは古典の曲と現代の曲を組み合わせてみました。古典と現代を交互に演奏することで、フルートの曲が時代を超えて作られてきたことがわかります。スピリチュアルな目的や舞踏のため、それを聴き取ることができるのです。テレマンとオネゲルやヴァレーズとの対比は聴衆にとっても興味深いはずです。いわば作曲家たちによる対話です。あなたの音楽の聴き方にも変化をもたらすでしょう。私にとって舞台にあがることは大道芸をすることとは違います。徹底的に集中します。ソロ演奏のときはなおさらです。音符の一つ一つに私の息と心を吹き込まなければ音楽は生まれません。責任は重大です。ですから演奏会は常に真剣勝負です。全身全霊を注ぎます。しかし音楽が楽しく踊り飛び跳ねていたら私の心も踊ります。その喜びが私の演奏を通じて皆さんに伝われば嬉しいです。

曲目
「無伴奏フルートのための幻想曲 第1番」「比重21.5(ヴァレーズ)
「無伴奏フルートのための幻想曲 第10番」「スクリーヴォ・イン・ヴェント」(カーター)
「無伴奏フルートのための幻想曲 第5番」「めやぎの踊り」(オネゲル)
「無伴奏フルートのための幻想曲 第6番」「ソナタ・アパッショナータ」(カークエーレル)
「無伴奏フルートのための幻想曲 第7番」

🎵テレマンの第1番の次に「比重21.5(ヴァレーズ)、この次にテレマン第10番といった以上のような配列。「比重21.5」はプラチナの比重。尺八の節回しも感じられ、尺八の音域の事はわからないが、このような現代曲を尺八でやってみたら面白かろうと。「スクリーヴォ・イン・ヴェント」はニューヨークの詩人ペトラルカの詞「風に書く」に拠る。風がざわつく叢林に明滅させる光の屈折を写実的にとらえている感じが。異次元に足を掛けたかなと。「ソナタ・アパッショナータ」のカークェーレルトって、と思ったところに、ドイツの作曲家でありオルガニスと。この曲は1917年第一次世界大戦で知り合った友のために作られた曲と当意即妙な字幕解説。曲の終わりは「無伴奏フルートのための幻想曲 第7番」で、フルートの音が遠ざかっていくかに演奏しながらパユがステージの袖にすがたを消す。全曲無伴奏演奏。ベルリン・フィルの首席であってみれば、当たり前といえばあたりまえなのだが、知見によるプログラム編成、音の質の高さに心地よさを。無伴奏フルートのための幻想曲は第10番がいちばんよかったが、この10番を次のベースに入れたことで、テレマンはこんなにいいものだよ、だから続けて最後まで聴きなさいというパユのお勧めが。

「めやぎの踊り」(オネゲル)
劇の上演のために書かれた。1919年、サーシャ・デレク (Sacha Derek) の台本『わるい考え』 (La mauvaise pensée) による舞踏家のリザナ (Lysana) への伴奏音楽を委嘱されて書かれ、初演を担当したフルート奏者のルネ・ル・ロワフランス語版)に献呈された。無伴奏フルートのための貴重なレパートリーとして[1]頻繁に取り上げられる。(wikipedia.) 

🎧名曲アルバム。マーラー「交響曲第9番」。飯森&N響
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⛳ウクライナを思い、はたと手が止まる。40という気温に。食料の高騰に。地震、豪雨……新たに生まれた命たち。守られ育ってほしい。
非凡さ、奇抜さが注目され喜ばれるのは、平和な世の中、平和ボケで退屈した世の中でのことのように思う。
7時更新

 

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クラシック俱楽部を聴く  

TVスイッチ・オンとともに、といっても今朝はもう5時半を回っていたけれども、とにかく飛び込んできたのが、節電。昨夜見たサイバー攻撃の怖さが一夜の睡眠で意識の戸棚のどこかに整理されたばかりのところに、節電! 節電! 節電! いつかはこういう時代も来ると思っていたのが案外早くに来てしまった。そしてチャンネルをBS3に合わせながら、一度聴いたものは割愛してもとの思いが過るのだけれども。

         ☆  ☆  ☆

(トランペット)ルシエンヌ・ルノダン・ヴァリ、(ピアノ)沢木 良子
秩父ミューズパーク音楽堂

ルシエンヌ:1999年フランス生まれのトランペット奏者。パリ国立高等音楽院でクラシックとジャズを同時に学ぶ。18歳でワーナー・クラシックスと専属契約。辻井伸行との共演は記憶に新しい。先ずはすべて耳から覚え、後で楽譜で確認する練習方法を取っている。
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 ルシエンヌのコメント
トランペット、授業で知ってすぐに気に入りました。自分の息が音になるところや、楽器の構え方とか……唇をうまく使えば人それぞれいろんな音色が出せる。それにどんなスタイルの曲も演奏できる。私はすぐに夢中になって世界中の曲を拭いてみたいと思った。クラシックもジャズも歌も何でも。
クラシックとジャズはバイリンガルのようなもの。私の演奏は自然体でいつも楽しんでいます。どんな作品だろうと、そこに“音楽”を感じるんです。頭で考えるのではなくて、自分の中から出てくるの。はだしで演奏するのは音楽を感じられるから。バイブレーションを感じるし、動いたり踊ったりしやすいの。自由な空間が欲しいんです。クラシックとジャズを行ったり来たりするのが好き。今朝の目覚めはクラシックで明日はジャズ。好きに選ぶことができるし、二つの音楽なしには生きられません。どちらも大事なんです。まだまだ上手になりたいし、常に学ぶことが大事です。いつも旅をしていたいとも思います。とにかく音楽をやっていきたいですね。素敵なホールで録音やコンサートを。そして常に楽しみたいんです。

曲目

☆「亡き王女のためのパヴァーヌ」ラヴェル:作曲
☆「スペインの七つの民謡」ファリャ:作曲
☆「組曲「動物の謝肉祭」から「白鳥」」サン・サーンス:作曲
☆「ロシアの踊り」オスカー・ベーメ:作曲
☆「オブリヴィオン」ピアソラ:作曲
☆「ウィーン風小行進曲」クライスラー:作曲
☆「愛の悲しみ」クライスラー:作曲
☆「スカルラッティの主題による変奏曲」マルセル・ビッチ:作曲
☆「ウォーキング・イン・ジ・エアー」ハワード・ブレイク:作曲
☆「虹の彼方に」アーレン:作曲

🎵
違和感のあったはだしも今回で違和感がとれた。しょうじきなところそればかりが気になり演奏をどこか曖昧に聴いたところがあったが、彼女はしっかりと柔らかな音色を聞き届け、これがルシアンヌと視聴者に納得させてしまった感じが。これも彼女が探り出した演奏を飽きさせず楽しく聴いてもらうためのパフォーマンスであるのかも。かも。「トランペットはわたしの声です」。授業でトランペットの虜に。とにかく自由でありたい、いつも旅をしていたい、ずっと音楽をやり続けたいというルシエンヌ。サン・サーンスまではトランペットで物語を聴かせ、ベーメになると楽器がおしゃべりを始めるといった感じ。今回、トータルで自然な感じが。
 もしルシエンヌがブラック・ダイク・バンドの制服で演奏したとしたら、音の自由さはどうなる? とナンセンスな想像を。爽やかでセクシー。

🎧名曲アルバムはワーグナー「ローエングリン」
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ルートヴィッヒ2世がワーグナーに掴まれたのは、15歳のときに観た歌劇「ローエングリン」だったとか。右は「ローエングリンの間」
狂王といわれ数々の奇行もあったようだけれども、それもその真偽が確かなものを読んだことはないけれども、それはともかく美しい城といえば、真っ先にルートヴィッヒのこの城が浮かぶ。
王がノイシュヴァンシュタイン城に居住した期間は、わずかに172日間であったという。


⛳梅雨独特の空。だが時期にこの陰鬱な空も逝く。と思えば不思議に美しくも見えて。6時58分更新



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クラシック倶楽部を聴く ブルーオーロラ サクソフォン・カルテット

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別番組だけれども、熊本で地震があったようだ。能登でこれクラスが連日あったが。アフガにスタンと言い。

☆  ☆  ☆

 

パリ国立高等音楽院に学びJ.M.ロンデックス国際サクソフォーン・コンクールで優勝した 平野公崇により結成。それぞれが独奏者としても活躍する名手たちによるアンサンブル。【演奏】平野公崇、田中拓也、加藤里志、本堂誠
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【曲目】
☆平均律クラヴィーア曲集 第2巻 第1番 BWV870 より プレリュード  J.S.バッハ/平野公崇 編
サクソフォン四重奏曲第1番 Op.53  ジャン=バティスト・サンジュレー
 
サンジュレーはサクソフォンの発明者。
日本組曲 作品33  G.ホルスト/久保田麻里、平野公崇 編
和樂(わらく)  平野公崇:作曲
青森県民謡 津軽じょんがら節  田中拓也、平野公崇 編
沖縄民謡 てぃんさぐぬ花  平野公崇 編:
アンコール  BASQプレリュード(J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻 第2BWV847 

【収録】2020年11月1日武蔵野市民文化会館 大ホール

🎵「日本組曲」、同じ名前の曲がネットに7曲も出ていた。もっとあるらしい。貴志康一も同名の曲を書いているようだが聞いたことがないのが残念。ホルストの「日本組曲」の原曲はオーケストラ曲らしい。1前奏曲 - 漁師の歌2儀式の踊り3操り人形の踊り3間奏曲 - 漁師の歌 4桜の木の下での踊り5終曲 - 狼たちの踊りの5曲から成っている。「和樂」は「越天楽」の旋律をモチーフにしているようだが、笙、篳篥、笛などのオーケストレーションで聴いているようで、遠くで耳にしたなら雅楽器演奏だと思うのでは。次のジャズ仕様の「津軽じょんがら節」は三味線かと思わせる、バチさばきまで聞こえるような響きと共に、サクソフォンでこんなところまでと深甚。ジャズ仕様。アンコール「BASQプレリュード」、鎖がどうしても解けない、その硬質なもの、もがく、あがく、叫ぶ。現代的、都会的なセンスががっちり噛んでいる面白さ。大都会の底ヘッドライトとテールランプが行き交う谷間に響いているような。底流バッハなのだがもはや公崇流。もはやバッハとはボーダーで繋がっている感じも。

🎧名曲アルバム。パッヘルベル「カノン」。沼尻&東京フィル
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パッヘルベルはエルフルトにあるプレディガー教会のオルガニストだった。
エルフルト大学ではマルチン・ルターが学ぶ。教会音楽の改革にも関わっている。ターに始まった教会音楽はやがてバッハへと受け継がれる。


⛳以前に書いたものに書き足して6時16分更新

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きょうのことば 「大いなる光景を見るーリバイバルの幻―」

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年619()の礼拝メッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 「大いなる光景を見る」  (國光勝美 牧師)
引証聖句 詩篇12616
都上りの歌

1
主がシオンを復興してくださったとき
私たちは夢を見ている者のようであった。
2 そのとき 私たちの口は笑いで満たされ
私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。
そのとき 諸国の人々は言った。
「主は彼らのために大いなることをなった。」
3 主が私たちのために大いなることをなさったので、私たちは喜んだ。
4 主よ ネゲブの流れのように
私たちを元どおりにしてください。
5 涙とともに種を蒔く者は
喜び叫びながら刈り取る。
6 種入れをかかえ 泣きながら出て行く者は
束をかかえ 喜び叫びながら帰って来る。

《メッセージ》
  この朝は「大いなる光景を見るーリバイバルの幻―」このテーマでご用を果たさせていただきたいと願っております。
 教会の玄関のところに、きょうの説教題を、前日のうちに記しているのですけれども、週報には「大いなる光景を見る」と。工藤先生がこんどの東北聖会でお語りになる3回のメッセージのテーマとしておつけくださった表題は「大いなる栄光を見る」。実はそれをずっと思い巡らしながら今日の準備に当たっておりました。筆を持って書いております時に、「大いなる栄光を見る」と書きまして、書き終わった後よく付き合わせてみましたらば、週報には「大いなる光景を見る」。筆で書きました方を間違えてしまった。すぐに書き直そうかと思いました。しかし、「大いなる栄光を見る」、いいじゃないかと思いまして、玄関には「大いなる栄光を見る」と記したままにしておきました。 

 リバイバル。教会に行きます前からこの言葉は知っておりました。一般にもよく使われております。昔流行っていた歌謡曲などが再び吹き込まれて再ヒットしたときなども「リバイバルです」と。クリスチャンになってから、私は教会でしばしば「主よリバイバルを」という祈りの言葉を耳にしました。今まで私が何となく理解していたリバイバルとは趣が違うなということに気が付きました。
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 今日の「リバイバルの幻」と副題のように付けました時、これをしっかりと理解しておかねばと思いまして、手元にあるキリスト教用語大辞典で、「リバイバル」を引きました。「信仰復興という言葉と同意義」とあります。そして「リバイバル」と引いたところ、「信仰復興の項を見よ」と。これをまとめてみますと、リバイバルとは「神の恵みと力が特に著しく現れてクリスチャンたちを鼓舞、激励し、そして不信仰な人々が信仰に導き入れられ、回心の経験が与えられること。そして、また、信仰から離れていた者を再び信仰に立ち返らされるような状態に対して用いられる言葉」。ほんとうによくまとめられています。確かに教会ではそういうように使われていると改めて思いました。
「神の恵みと力とが特に著しく現れて、クリスチャンたちを鼓舞激励し、不信仰な人々が信仰に導き入れられ、回心の経験を与えられること。そして、また、信仰から離れていたものを再び信仰に立ち返らされるような状態に対して用いられる言葉」。
ガッテンしました。

 そのリバイバルのできごとが記されている聖書の箇所が「使徒の働き」。「使徒の働き」にはまさにこのリバイバルが記録されてあるといってよろしいのです。そしてまた幾つかの有名なリバイバルがありました。例外なしに言われているのは、18世紀のイギリスにおいて現わされたジョン・ウェスレ―のメソジスト運動、このリバイバルをぬかして記してある記述は皆無と言ってよろしいかと思います。このメソジスト運動の流れを引いております私たちは、今一度、リバイバルを本気になって捕らえたいとこのように思います。 

 きょうは言及するだけになりますけれども、たとえば、私はリバイバルをまだ知りません。字面で或いは、直接それを経験した人から聞いたことはあってもそれを知らない。しかし、それを実際に経験した人をよく存じ上げています。中田重治監督の下にあった時代の蔦田二雄先生です。蔦田先生は日本ホーリネスの日本橋教会を牧会しておられました。教派を超えて多くの方々が恵みを慕って集まってきたその場所が日本橋の蔦田先生の教会だったのです。蔦田先生はとても理性的な方でした。当時を知る方々は、カミソリ蔦田と呼ばれていたと聞きました。その先生がインマヌエルを創設され、また私自身その丸の内教会に導かれ、そこで経験したことです。

 ある先生が、丸の内教会に講師として招かれました。そして讃美歌を歌うときには、恵まれたときには手拍子をしたり手をあげたりして歌うように指導されたのです。そのとき蔦田先生は講壇の後ろの椅子に腰かけられ静かに目を閉じておられました。そしてその集会から1週間ほど経ったころにお話しされたことは、「私たちの礼拝では手拍子をしたり手をあげての祈りは、それは敢えてしない」と言い置かれました。釘を刺されたという表現は的確ではないかもしれませんが、いったい何を危惧してそう仰ったのか。

 日本橋教会の蔦田先生の右腕とも思われる活躍をしていた渡辺倉蔵勧士、この方は日本橋教会のリバイバルを経験された方ですが、こう仰ったことがある。「あの時はすごかったよ。和服を着ている上品なご婦人が、主よ、といって教会の柱にしがみついて登り始める」。それを蔦田先生は知っておられた。先生は、聖霊の働きがどのようなものであるかをよくご存じですので、一連の感情にまつわることに対しては非常に慎重でした。そして根っから非常に理性的であり、カミソリ蔦田と言われるほどの人ですから、そういうことだったのです。

 ただこのようなこともありました。日本橋教会にリバイバルが起きた時、勿論その日の説教者は蔦田先生であり、先生はメッセージを準備して講壇におられました。説教の前に信者による「お証し」が語られます。そのときに、今はもう天に帰られましたけれども、大阪の朝比奈先生の奥様でらっしゃる朝比奈先生が、ほんとうに神様の前に悔い改めて扱われた救いの証しをなさったのです。或いは「きよめの証し」ともいえるものでした。このことは大橋武雄先生も出版物に残しておられますが。証しをされた朝比奈先生は音楽の賜物がおありの方で、それから賛美をしようと思ったところができなくなってしまった。会衆席にある方々がもうみんな圧倒的な聖霊の臨在に触れまして、あちらでもこちらでも悔い改めの祈りが起こってきたのです。司会者の先生は何とか進行せねばと次を説教者の蔦田先生に譲ろうとしました。しかしその様子を見ていた蔦田先生が、みんなその場で悔い改めている。メッセージを語ることはできないし、語る必要がないと判断なさいました。聖霊様が降っておられる。
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 これがリバイバルをまだ経験したことがない私が、実際に経験した方から直付けに聴いたリバイバルです。「大いなる光景を見る」。これは、神様のリバイバルの幻、それを神様が私たちにお約束をしてくださっておられる。そして、私の切なる願いは、「どうかこの時にリバイバルを起こしてください!」。それはまず個人的なお一人おひとりが、信仰のリバイバルを経験するということです。リバイバルによって、聖書に記されてあるような信仰生活を、そのようなあり方を実現できます。これはリバイバルの一つの証しといえるでしょう。
 神の恵みと力の傾注についてはゼカリヤ書1210節をご覧ください。
わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く。
 ゼカリヤ書のこのところだけを、今日は敢えて詳しい背景無しに取り上げました。
神様は「恵みと哀願の霊」を私たちに注いでくださいます。「彼ら」というのは、イエス様を十字架につけた人々、「十字架につけろ」と叫んだあのキリストを拒絶したユダヤ人たちです。まさにユダヤ人の王としていらしたはず、また救い主としていらしたはずのお方をユダヤの人たちイスラエルの人たちが拒絶してしまったその拒絶したイスラエルの人たちに、神様は「わたしは恵みと哀願の霊を注ぐ」。
 「彼らは、自分たちが突き刺した者」、これはイエス様の十字架を預言しています。ゼカリヤ書は旧約聖書にはいっていますから、これが記された時点でイエス様の十字架は将来のことですけれども、ゼカリヤは預言しているのです。「彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く」。イエス様を拒絶した私を赦してください。これがリバイバルなのです。「イエス様の十字架の救いに与っていた私、なのに、あり方に於いて生き方に於いていつの間にかかけ離れてしまっていた。主よ、どうか私にリバイバルを与えてください」。悔い改め祈りましょう。 

ゼカリヤ書13章1節には
その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる。
 エゼキエルの神殿からのあの一滴一滴の水のことがこんどの東北聖会で語られるでしょう。私たち、クリスチャンたちのために、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れを清める十字架の血潮が注がれる。格別な神の恵みと力が傾注されるのがリバイバルなのです。「夏になりました」「東北聖会です」「ああそうですね」じゃないんです。ほんとうに神様がこのところに恵みと力を格別な意味合いに於いて注いでくださって、先ず私たちが個人的に信仰復興、悔い改めて、文字通り今の在り方を主の前に告白し、日本橋がそうであったといいましたけれども、もう語ることは何もない。みんながそこかしこで罪を悔い改め、不信仰を悔い改め、そのところに圧倒的な聖霊が降されている。それがリバイバルリーグの始まりでした。神の恵みと力の傾注、これは多くの人たちが回心をしていく、そして信仰の回復、信仰の復帰が起こされます。

きょうの詩篇の126篇1節
1 主がシオンを復興してくださったとき
私たちは夢を見ている者のようであった。

 「主がシオンを復興してくださったとき」、リバイバルしてくださったとき、「シオン」というのはエルサレムの別名です。エルサレム、神の都です。それが廃れている。しかしその時、主はシオンを復興してくださったとき、私たちは夢を見ている者のようであった。 

 時が回りました。これから本番に入るつもりでした。しかし、先生の薫陶をいただいた者として、「大いなる光景を見る」と主が約束してくださった、「主の栄光を見る」と言うとき、私は駆け足ではなく、詩篇126篇の1節2節、3節と次回の礼拝の時、もう一度私も居住まいを正して神様が私たちに何を願っておられるのか、そしてどうかリバイバルを起こしてください。それをまた語らせていただきたいと思います。

 私は前回秋田の方々との合同礼拝の時に祈りました。立派な先生の講壇から、或いは、大きな素晴らしい教会からリバイバルが起きるというのも勿論願うところです。でも聖書の言っているリバイバルってどこから起きているんだろう。きらびやかなバチカンにリバイバルが起きているんでしょうか。ほんとうのリバイバルは無学なガリラヤの漁師たちに起こりました。イエス様を十字架につけて、つけられてしまって、今度は弟子である自分たちに迫害が振りかかってくる。どうしよう。弟子たちは恐れおののいて、そして主の前に、どうしようかと思ったときに、イエス様が、「大丈夫だ。聖霊があなた方の上に臨むときあなた方は力を受ける。そして、エルサレムそしてユダヤ全土及び地の果てにまで私の証人となる」と仰ったのです。
 そうです。まさかこんなところから、ここからというところからリバイバルが起きるのは神様に相応しいことではないでしょうか。決して卑屈で言ってるのでもない。ひがんで言ってるのでもない。そうではなく、ほんとうに主よ、神様の栄光を拝させてください。「大いなる光景を見る」。「大いなる栄光を見る」。そういう働きのこのところから主がリバイバルを始めてくださいますように、心から願うことです。

※データは教会からお借りしています。
文責:中ぶんな
⏰6時33分更新

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雑感

全国的に6月としては異常な暑さ予報。岩手県沿岸は35まで上がりそう。
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こんな日は大地を広く深々と覆わんばかりの巨樹、大樹の繁る樹下にくつろぎたい気もするけれども。

オンブラ・マイ・フ」(: Ombra mai fu)は、ヘンデルの作曲したオペラセルセ』(Serse, Xerxes)第1幕冒頭のアリアペルシャ王セルセ(クセルクセス1世)によって歌われる。調性はヘ長調。詩はプラタナスの木陰への愛を歌ったもの。

原詩(イタリア語

Ombra mai fu
di vegetabile,
cara ed amabile,
soave più

日本語訳

かつて、これほどまでに
愛しく、優しく、
心地の良い木々の陰はなかった

イタリア語のわかる方はイタリア語で、かくいう私は日本語で。
クーラーからは遠ざかり、木陰に身を寄せたいもの。


 

8時6分更新

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クラシック倶楽部を聴く  バリー・ダグラス ピアノ・リサイタル

1960年北アイルランド生まれ。ロンドン王立音楽院で学ぶ。1986年にチャイコフスキー国際コンクールで第1位を獲得し、国際的ピアニストの地位を獲得。

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【曲目】
☆4つの即興曲 D.899から 第1曲 ハ短調 (シューベルト)
 
ソナタ形式にとらわれず、30歳で書いた曲。
☆四季 作品37bから六月「舟歌」(チャイコフスキー)
 
サンクトペテルブルクの音楽雑誌『ヌーヴェリスト』(「ゴシップ好き」または「短編小説家」の意味)の企画依頼で1875年から翌年にかけて作曲され、1885年に曲集として出版された。12曲とも三部形式で書かれている。また、各曲ともロシアの詩人が各月の風物を題材にした作品を参考にしているという。作曲当時ロシアではユリウス暦を使っていたため、それぞれの月の季節感は現在と多少ずれている。
アレクセイ・プレシチェーエフ
の詩による。この曲集の中ではトロイカと並び有名な作品であり、物悲しい旋律が繰り返される。(wikipediaから)
☆四季 作品37bから十月「秋の歌」(チャイコフスキー)
 
アレクセイ・コンスタンチノヴィッチ・トルストイの詩による。演奏記号が特徴的で、ものさびしい季節の情感をシンコペーションを使って歌い上げている。(wikipediaから)
組曲「展覧会の絵」(ムソルグスキー)

【演奏】バリー・ダグラス(ピアノ)
【収録】2022年5月11日 東京オペラシティコンサートホールで収録。

コメント
「展覧会の絵」について、若いころから弾いていたのですが、何年か弾かない時期を経て再び取り組みました。自宅で弾いたとき、あることに気づいたからです。ある人から入手した自筆譜を見て、出版された楽譜では気づかないことを多く発見しました。それで15年前ころに再び弾き始めましたが、またやめてしまいました。あまり頻繁に弾くと親友でも嫌いになってしまうし嫌われてしまうかもしれないと心配ですからね。そのため2、3年ごとに5,6回弾いた後、一旦距離を置いています。友人との距離は大切です。

🎵「展覧会の絵」もやはりリムスキー・コルサコフらの尽力で世に出、これを世界的にしたのがラヴェルの管弦楽としての編曲にあったようで、いかに才能を認める存在が大事かがわかる。


🎧名曲アルバム。シルヴェスター・リーヴァイ作曲、栗山和樹編曲「ミュージカル“エリザベート”」
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悲劇のオーストリア皇妃を主人公にしたミュージカル「エリザベート」。ウィーンの皇帝に嫁いだ自由な気風に育った14歳の少女。厳格な気風になじめず宮廷内で孤立を深め、自分の道を歩むことを決意する。息子の自殺という悲劇も潜り、ついに旅先で死を遂げる。
1992年9月3日オペラ演出家として名高いハリー・クプファーの演出により、アン・デア・ウィーン劇場で初演され、6年のロングランを記録する。その後、世界各地で上演されドイツ語ミュージカルとして史上最大のヒット作となった。日本においては、宝塚歌劇団による1996年の初演以来上演が続いており、2000年からは東宝版も上演されている。(.wikipedia)

右の写真は.wikipediaに出ているエリザベートが暴漢に刺された場面。

⛳食事時間は冬至を待たずに7時となり、今朝は6時50分更新。
付け加えは、近頃毎日カツオを摂っている。カツオが絶対に健康維持によいと実感したからで、かつては大嫌いなカツオを、いまはいかに美味しくいただくかを試行錯誤している。


 

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クラシック倶楽部を聴く ニコライ・ルガンスキー ラフマニノフを弾く

「ロシア・ピアニズム」の正統派、ルガンスキーのピアノ・リサイタルから。ラフマニノフの前奏曲14曲をお送りする。「ラフマニノフのプレリュードには多種多様なコントラストがあり、どの曲もそれぞれ小さなポエムを持っています」と語るルガンスキー。濃密なロマンをたたえた数々の小品を説得力あふれる解釈で解きほぐし、聴衆を魅了した。2018年2月、東京・紀尾井ホールでの公演から。―番組紹介よりー

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🎵ニコライ・ルガンスキー、感じたところは、弾き終えたルガンスキーの表情。ラフマニノフ世界を展開し終えた満足感が。聴くたびに新たなイメージが湧く。ラフマニノフにはロシアぜんたいを包みこむような音のやわらかさ、この語彙を誤解されてもと他の語彙を探したが、この際煩わしい憶測は措くことに、このやわらかな空気感にも似た流れ、錆びついたところにも、はっきりと心にもといってしまおうか、がさついた間隙にも、一切の無遠慮さを消して優しい波のように押し寄せる。「前奏曲 作品23 & 作品32」からの抜粋、アンコールは「前奏曲 嬰ハ短調 作品3 第2。人生の半ば以上を演奏に費やした方でさえも、「新たな発見」があると仰るが、聴くたびに、ああ、こういうところもあったのかと気づくところは、自分はまだまだほんとうのところをほとんどわかってはいないのだと思わざるを得ない。それでもこのように聴く機会があり聴くことのできる有難さは!

 

🎧名曲アルバム。「琵琶湖周航の歌」 吉田千秋(原曲)作曲/小口太郎・作詞/斎藤ネコ・編曲
 【歌】おおたか静流,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】田中祐子
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原曲『ひつじぐさ』のメロディを用いて、京都大学(当時は第三高等学校)の学生だった小口太郎により作詞された。 加藤登紀子のカバーなどにより全国的に広まったのちも、京都大学ボート部の部員等によって歌の伝統は守られている。(ネットから)

ついでにヒツジグサとスイレンの違いを見ると、どちらもスイレン科スイレン属に属するが、今日目にする多くは明治以降観賞用として入ってきた外来種がほとんどで、日本原産はヒツジグサ(未草)という1種類のみだったとのこと。日本古来ヒツジグサは、白い花のみで直径3~4cmほどで花弁数も少なく、世界最小のスイレンだそうだ。尾瀬に咲くヒツジグサは直径が500円玉くらいの大きさしかないとか。

⛳日中はバロックを聴くことが多い。けれども朝一番5時からはメディア提供の曲。この関連項目をググるだけで、けっこうおもしろく聴くことができている。
6時45分更新

 

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クラシック倶楽部を聴く 辻井 伸行 ピアノ・リサイタルII

辻井伸行 渾身の演奏会の第2回。17歳でショパン・コンクールに挑み、「批評家賞」を受賞した名曲を30代の今、再び見つめ直し熱演。最後は驚きのアクシデントも! 【曲目】
☆舟歌 嬰ヘ長調 作品60(ショパン作曲)
☆ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 作品58(ショパン作品)
 ショパンの父の詞、サンドとのいさかいがった晩年の曲。この曲を今弾きたいと選んだ。
☆アンコール 練習曲 ハ短調 作品25 第12(ショパン作曲)
☆アンコール 「トロイメライ(シューマン作曲)

【収録】2022年2月24日 サントリーホール大ホール
コロナ禍で振り返った自らの音楽について、ずっと大切にしてきた作曲家ショパンについて語ったインタビューもご紹介。

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コメント
Q
コロナ禍で見つめた自らの音楽
10
代、20代のときとかけっこう前々と勢いよく行ってた部分がありまして、そこはすごくいいところでもありますけども、やはりまだまだ曲の全体的な形式だったりとか細かいフレーズだったりとかそういうところが完全に理解しきれてないなとすごく感じて、このコロナ禍でいろいろ見つめ直して成長できる機会になったんじゃないかなと思っています。
生の演奏を届けられるというのはほんとうに喜びで、先ず感謝していますし、自分のコンサートを一回一回大切にして心をこめていつも毎回ベストな演奏をしようといつも思いながら演奏するようになりました。
Q
辻井伸行のショパン体験1310
2010
年ショパン、マヨルカ島を訪れ感動した辻井さん。
思い出もあって、高校生の時にはじめてショパンコンクールも受けて、ポーランドも訪れて、ショパンが作曲していたところとかもたくさん行ったりして、いろいろショパンが過ごしていたとこととかを歩いてみたりとか、ショパンが使ってたピアノとかも弾く機会があって、そういういろんな経験をして、マヨルカ島に行ったときに、修道院を訪れて、そこでショパンが晩年結核になってしまって、大変な時期を過ごしていて、そういう大変な思いもしたけど、すばらしい作品をたくさん書いているので、そういう場所とかにも訪れて、ショパンのことも感じて、あの時は自分にショパンが語り掛けてくれたりとか、あとショパンの声が聴こえてきたりして、いろんなことを感じて、本当に自分も感動してしまって涙が出てきたのを今でも覚えていて、今の30代になって改めてこの曲を一から楽譜をこうしっかりとちゃんと曲の構成だったりとかフレーズだったりとか、そういう細かいところまでちゃんと理解をして、そのうえで昔、過去の演奏を聴いてみたり、比較して見たりして、すごくやはり昔弾いた曲を改めて今弾くと、こう、違った演奏ができるんじゃないかなと思って今回この曲を選びました。
Q33
歳辻井伸行今感じる音楽の喜び
やはり音楽がない人生というのは、僕は考えられないなと小さいころから思っています。やはり音楽というのは人を喜ばせたりとか、悲しい時とか辛い時とかもやはりどんなときにも音楽で助けられているし、あと自分を表現できるものですし、なかなかこうやって言葉で説明するより音で表現する方が得意なので、そういった意味でもほんとうに音楽って僕にとってはほんとうに重要なものだなと感じています。

🎵「練習曲 ハ短調 作品25」に涙。湧出する音の渦のまにまに辻井さんの素の想いも垣間見た気が。いつも勇気づけられる。

 

🎧名曲アルバム。宮澤賢治作曲、上柴はじめ編曲「星めぐりの歌」
東京少年少女合唱隊、東京フィル、田中祐子指揮。

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地元登場の嬉しさよ!田中祐子さんの指揮!、そして上柴さんの編曲と!

⛳急ぎ急いで6時59分更新

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クラシック倶楽部を聴く 若きピアニストの肖像 小林海都

1995年生まれ。高校卒業後、ベルギーでジョアン・マリア・ピレシュに師事。現在はスイスのバーゼル音楽院で学ぶ。2021年、リーズ国際ピアノコンクールで第2位。 神奈川県出身。上野学園高等学校音楽科を卒業後、ベルギーのエリーザベト王妃音楽院に留学。2013年東京音楽コンクールで第2位。2021年のリーズ国際ピアノコンクール第2位は歴代日本人最高位。一躍注目の若手ピアニストとなる。【演奏】小林海都(ピアノ)【収録】2021年11月30日武蔵野文化会館小ホール。

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【曲目】
デュポールのメヌエットによる変奏曲(モーツァルト)
4つの即興曲D.935から第1番(シューベルト)
前奏曲集第1巻から(ドビュッシー)
「草が茂る小道を通って」から(
ヤナーチェク)
【収録】2021年11月30日武蔵野文化会館小ホール。

コメント
今回こういう大きなコンクール(リーズピアノ国際コンクール)2位という結果をいただけたことは本当に嬉しいことなんですけれども、、コンサート以上にプレッシャーとか、緊張もすごいしますし、そういう中で自分のメンタルを支えている部分というのは、聴いている作品に委ねるというか、美しさだったりとか面白さだったり、そういうものを心から曲に共感しながら、その瞬間瞬間を紡いでいく、そういうふうに、そういう思いでいつも演奏しています。

よく言っていただいてるのは、一言でいうとオーガニックな音楽だというふうにおっしゃっていただいていて、その自然な音楽というのを作るのがほんとうに難しいことで、曲のいろいろな理解力が求められるんですけれども、難しいな上手く弾けないなと思ってるときはやはり何かかしらが間違っているというか、アプローチの仕方が間違っていることが多くて、その音楽がどういうふうに弾いてほしいというふうなメッセージがあるか、そういう部分が何かこうある意味直観のなかで模索したりはしています。

🎵このコメントを聞いて、この演奏がより自然に、これは人体にという意味でもあるけれども、とくとくと養分が注入されてくる感じが。ヤナーチェクのよさをまた知らされながら朝の散歩、音楽散歩をさせていただいた。

🎧名曲アルバム。ハンク・ウィリアムズ作曲・作詞/パイレーツ・カヌー編曲「アイ・ソー・ザ・ライト」
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「無鉄砲で罪にまみれた人生で救い主なんて求めてなかった。そんなとき夜の異邦人のごとくイエスがあらわれた。ああ主をたたえよ。光明を見た。」と歌うハンク・ウィリアムズ。街角で歌っているところを見出されラジオ局で歌うように。

以下はwikiから
 ハンクの父イロンゾ・ウィリアムズ(Elonzo Williams)は、鉄道会社に勤め、しばしば異動があり、一家はアラバマ州南部の数カ所を転居した。父イロンゾが病気で8年間入院することになり、その間に残された家族は自活を余儀なくされた。幼いハンクは、二分脊椎症のために健康を害していたが、母と姉の手伝いをした。アラバマ州ジョージアナGeorgiana)に住んでいたときに、ハンクはルーファス・"ティー=トット"・ペインRufus "Tee-Tot" Payne)という黒人の路上演奏者に出会い、食事の提供と交換にギターを習った。ペインはハンクの後の音楽のスタイルに大きな影響を与えた。この頃、ハンクは、非公式にだが名前をハイラムからハンクへと改めた。その方がカントリー音楽らしいと思ったのである。
 アラバマ州モンゴメリーに住んでいたとき、ティーンエイジになっていたハンクは、地元のラジオ局WSFAのスタジオ前の歩道で、ギターを弾きながら歌っていることがよくあった。首尾よくWSFAのプロデューサーたちの関心を引くことができたハンクは、1937年から、15分番組で歌と司会を務めるようになった。バックを務めるバンドとして結成したザ・ドリフティング・カウボーイズは、ハンクの母リリーがマネジメントを引き受けた。ハンクは学校を辞め、全ての時間を使って音楽の仕事に打ち込んだ。

⛳はや夏至。最近食事時間がはやくなっている。けさは6時。思えば夏至に向かって時間が早まっていったような。冬至にはまた7時ごろに戻るのかもしれない。
7時27分更新

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クラシック倶楽部を聴く Piano duo Sakamoto 〜姉妹が奏でるデュオの名曲

Piano duo Sakamoto 〜姉妹が奏でるデュオの名曲〜

坂本彩、坂本リサの二人は福岡県出身。2021年ミュンヘン国際音楽コンクールピアノ・デュオ部門で3位入賞ならびに聴衆賞受賞。今、注目の若手ピアノ・デュオ。 姉の坂本彩は4歳から、妹のリサは3歳からピアノを始める。幼い頃から姉妹でデュオを組んで演奏活動を続けてきた。2021年のミュンヘン国際音楽コンクールピアノ・デュオ部門で3位入賞および聴衆賞受賞。【収録】2021年10月12日 目黒パーシモンホール。
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【曲目】エロールの歌劇「マリー」の主題による変奏曲(シューベルト)
    5つの絵画的小品(マックス・レーガー)
    モーツァルトの主題による変奏曲とフーガ(マックス・レーガー)

 姉の彩は桐朋学園音楽大学音楽学部を卒業後、東京芸術大学大学院を修了。第11回ルーマニア国際コンクールピアノ部門で最高位獲得。地元の九州交響楽団と共演するなどソリストとしても活躍。妹のリサは東京芸術大学卒業後、大学院に進学。第7回エレーナ・リヒテル国際コンクール第一位。芸大フィルハーモニーと共演のほか、ラフォル・ジュルネと共演するなど、多岐にわたって活躍中。二人はともにドイツ、ロストック演劇大学のピアノ・デュオ科で学ぶ。


お二人のコメント:
 私が4歳で、姉が6歳のときから初めて二人で連弾をして、それからずっと続けてきました。二人で一つの音楽をぴったりと、でも自由に演奏できた時がとても幸せで、やっぱりこの数年で今まで気が付かなかったようなピアノデュオの奥深さというか、その魅力にとっぷりハマっているので、そういう魅力をたくさんの人に伝えられるような演奏ができたらいいなと思います。
 「エロールの歌劇「マリー」の主題による変奏曲」は、すごくユーモアたっぷりで、ほんとうにかわいらしいメロディーが演奏曲の主題になっているんですけれども、登場人物が次つぎと、いろいろな表情で歌っているように、そんなイメージで二人で演奏しています。
 ミュンヘン国際コンクールについては、課題曲が多くて、私たち的にも見たことも聞いたこともない   あって、準備期間ほんとうに大変でした。やはり大きなコンクールなのでいつか挑戦できたらいいなと思っていて、ピアノ部門は6年ぶりの開催だったので、ついにという気持ちで参加しました。(受賞は)本当に光栄ですし、やはりその準備期間もですけど、ミュンヘンに行ってからやはり独特なコンクールの緊張感とか、ふだんとかけ離れた生活の中で、私たちなりにいろんなことを感じて吸収しての本番。本番まで、その期間のあいだですごく成長できたかなと思います。今回聴衆賞いただけて、それが私たちの演奏が聴いてくださった方の心にすこしでも届いたのかなと思うと一番嬉しかったです。やはり受賞してピアノデュオに向き合う時間が長くなって、二人でほんとに些細なことまでイメージや気持ちを共有しながら日々過ごしてたんですけれど、私たちの先生が、とにかく内側からオープンになれるようなレッスンをいつもしてくださって、そこで何かが、私たちの音楽がはじけたのかなと思います。音楽に対する考え方も曲に対する考え方もすこし変わって、ピアノデュオを演奏することも前より好きになりましたし、たぶん愛情が増えたのかなと思います。
「つの絵画的小品」、この作品の題名に絵画的とあるように、私たち自身で5つの絵を想像しながら弾いているんですけど、一曲一曲の演奏時間はすごく短いんですけど、その中で、気分の浮き沈み、気分の浮き沈みに私たちが演奏していて置いて行かれそうになるようなそんな感じで、もうころころと表情が変わって、そういうドラマティックな魅力がたっぷりかなと思います。

🎵モーツァルトは分かりやすいだけに、編曲者のイメージの色彩を重ねて、幾分トーンが落ちていたりすると、ちょっとこれはモーツァルトでなくなったなというところも。そこにはさまざまな編曲者の意匠があるのだろうけれども。
 華やかな連弾。視覚も魅せられた連弾。

🎧
名曲アルバム。チャールズ・E・キング作曲「ハワイアン・ウェディン・ソング」。演奏Lagoon
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おだやかに晴れ上がっている。ハワイアン、きょうはぜいたくでゆったりとした時をくれた。昨日の震度6弱地震。能登の方々、どんなに驚かれたろう。毎日の緊迫感。緊張が解けない日々。ハワイアン、こちらはこちら、ただもうゆったりと、そんなふうに聴こえたけさ。
7時53分更新


 

 

 

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きょうのことば「御霊によって歩もうー神の導きに歩むー」

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年612()の礼拝メッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 「御霊によって歩もうー神の導きに歩む」  (國光勝美 牧師)
引証聖句 ガラテヤ人への手紙51626
16 わたしは言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲を満たすことは決してありません。
17肉が望むことは御霊に逆らい、御霊が望むことは肉に逆らうからです。この二つは互い対立しているので、あなたがたは願っていることができなくなります。
18 御霊によって導かれているなら、あなた方は律法の下にはいません。
19 肉のわざは明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、好色、
20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
21 ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものです。以前にも言ったように、今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。このようなことをしている者たちは神の国を相続できません。

22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
23 柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。
24 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたのです。
25私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。
26 うぬぼれて、互に挑みあったり、ねたみ合ったりしないようにしましょう。

 この日はインマヌエル秋田キリスト教会と合同で ハイブリット礼拝が行われました。これがユーチューブにアップされておりますので、それをご覧いただきたいと思います。

《メッセージ》 ←クリックしてお聴きください。

5時6分更新

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ニュースにぎくり

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乗り物ニュースには「中国3隻目の正規空母が2022年6月17日、上海にある中国造船グループ江南造船所で進水しました。艦番号は18、艦名は「福建」です。排水量は約8万トンで、カタパルトは電磁式、スキージャンプのないフラットな全通飛行甲板を備えているのが特徴」と出ている。これって乗り物? 果てしない軍拡競争?

ついでにググってみたのがこのページ

⛳22時33分更新

 

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クラシック俱楽部を聴く 奇跡のチェロ・アンサンブル 演奏会

日本を代表する若手チェロ奏者6人で2016年に活動を開始したチェロアンサンブル。ソリストやオーケストラ奏者として研さんを積んだ成果を披露する年末恒例の演奏会。
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【曲目】賛歌(ダヴィドフ/W・トーマス・ミフネ編)
    ハンガリー狂詩曲 作品68(ポッパー/小林幸太郎 編)
    シェエラザード「若い王子と若い王女」(リムスキー・コルサコフ)
    序奏とロンド・カプリチオーソ 作品28(サンサーンス/小林幸太郎 編)
    ブエノスアイレスの指揮から「冬」(ピアソラ/小林幸太郎 編)
    ブエノスアイレスの四季から「春」(ピアソラ/小林幸太郎 編)
【演奏】辻本玲伊藤悠貴小林幸太郎伊東裕岡本侑也上野通明(以上、チェロ)
【収録】2021年12月27日東京文化会館小ホール。



コメント
辻本:「チェロ6人のアンサンブル」、チェリストの伊藤悠貴くんが、みんなに声をかけて、それで、毎年、途中から年末に変わったんですけど、年末の恒例行事となってます。みんな勉強してきたところとか、そういうところぜんぶ違うのでいろんな個性が出るので、それを一つの作品にする難しさはあるかなと思います。でもみんなそれぞれをちゃんとリスペクトして尊敬してる部分がうまくいってる秘訣でもあります。
上野:このメンバーだからこそより楽しくなるというのが個人的にありますし、小林くんがアレンジしてるんですけども、それぞれのパートにそれぞれのソロパートが順番に回ってきたり、それぞれに見せ場があるようなアレンジなので、そういうのがやはりこのメンバーのこの一アンサンブルの個性かなと思います。
辻本:「序奏とロンド・カプリチオーソ」、やっぱりバイオリンで弾くのも難しいとおもうんですけど、たぶんチェロで弾いた方が1000倍ぐらい難しいと思うんですけど、ほんとにもう言葉通り、指板をもう駆け上がって駆け下がってほんとうにもう大忙しなんですけど、音だけじゃなくて視覚的にもすごくアクロバティックなところを楽しんでいただけるかなあと思います。
上野:チェロ6台でやると原曲よりもやっぱり分厚くなるというか、ソロパートはもちろんちょっと太く力強いイメージになるかなと思っていて、あと魅力としては、ソロパートと伴奏をぜんぶチェロという一つの楽器でできちゃうのがすごいことなんじゃないかなって。

🎵2016年の活動開始。4人のチェロアンサンブルを聴けるというときには、ティンパニーぐらいにはどきどきしたが、6人のチェロアンサンブルとなると、どきどきを超えてだいじょうぶまとまるのかな、まとめてみせるのかな、かなり朗々と重厚に圧してくるかもなどと聴く前には憶測した。5時からの放送を聴き、いままた録音を聴きながら書いている。説得力目指して上昇中という感じが。演奏は線引きとはちがうけれども、破線、実線、点線のうちの確かな実線で足が地に着いたような紆余曲折を聴いているような存在感がある。
「序奏とロンド・カプリチオーソ」、今回は宮澤賢治の詩「小岩井農場」のパート3を想起しながら聴く。抜粋を載せてみる。

どうしたのだこの鳥の声は
なんといふたくさんの鳥だ
鳥の小学校にきたやうだ
雨のやうだし湧いてるやうだ
居る居る鳥がいつぱいにゐる
なんといふ数だ 鳴く鳴く鳴く
Rondo Capriccioso
ぎゆつくぎゆつくぎゆつくぎゆつく
あの木のしんにも一ぴきゐる
禁猟区のためだ 飛びあがる
  (禁猟区のためでない ぎゆつくぎゆつく)
一ぴきでない ひとむれだ
十疋以上だ 弧をつくる
 (ぎゆつく ぎゆつく)
三またの槍の穂 弧をつくる


🎧名曲アルバム。シューマン「マンフレッド」序曲。高関健&東京フィル
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スイスの首都ベルンの南にあるベルナー・オーバーランド、19世紀に英のバイロンが訪れている。バイロンが残した劇詩にシューマンが作曲。主人公マンフレッドはスイス山中に城を構え、若くして世の中と縁を切り、宗教には救いを得ないまま、慕う恋人の死がもたらした孤独と虚無に生きる。

⛳遠景の連なる山並みには靄。近景になるほどに打ち勝つ樹木の青さ。
教会が、教会のみなが祈っている。一人として信仰から落ちることがないようにと祈っている。靄がかる遠景のそのまた遠景に祈るお一人お一人の姿が見えるこの朝。
6時47分更新

 

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クラシック俱楽部を聴く チェロアンサンブルXTC演奏会

気鋭のチェロ軍団XTC(エクスタシー)による熱いチェロ・アンサンブル!クラシックからポップスまで名曲の数々をチェロならでは音色で。2022年2月4日山形テルサ(山形市)公開収録 【曲目】XTC EXPRESS(阿部俊祐作曲)ピアソラ・メドレー(阿部俊祐編曲)トリッチ・トラッチ・ポルカ(ヨハン・シュトラウス作曲)BLOODY STREAM(大森俊之作曲)ボヘミアン・ラプソディ(フレディ・マーキュリー作曲)JACK THE RIPPER(ダミアン浜田作曲)ほか【出演】チェロアンサンブルXTC(小野木遼、夏秋裕一、山澤慧、西方正輝)、横山桂(ゲスト・チェロ)
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コメント(抜粋)
……ヤマキチ 、所謂コンテンポラリーのものがすごく得意で、そういった特殊奏法についてはおそらく日本で僕らの世代から見ると一番詳しくて、毎回練習しながら想像もしない音が出るので笑ったりするんですけれども、クラシックのチェロアンサンブルやってるかたは、もうクラシック純粋で育った方が多いけど、僕らはもう僕らにしかできないものによりなっているんではないかな。
10年かけてそれはどんどんよりなっていってますよね。

 

 

【曲目】
XTC EXPRESS(阿部俊祐作曲)
レクイエム 井伊準の思い出に(阿部俊祐作曲)

ピアソラ・メドレー(阿部俊祐編曲)
トリッチ・トラッチ・ポルカ(ヨハン・シュトラウス作曲)
BLOODY STREAM(大森俊之作曲)
 
アニメ「ジョジョ」のオープニングテーマ
ボヘミアン・ラプソディ(フレディ・マーキュリー作曲)
 
イギリスのロックバンド「クィーン」の代表作
JACK THE RIPPER(ダミアン浜田作曲)
 
聖飢魔の代表作の一つ

🎵最後の笑いか嗤いが何とも豪快。観客の受けの良さ。いわば〝企業努力〟を怠ってはいない。どちらかといえば思い、重厚なチェロの音色でいかに軽めの曲をこなすかに挑戦した感じも。エネルギッシュ。
山形テルサは作曲家木島由美子さんのブログで知り、いつか見たいものとおもっていたけれども、この番組できょう観客席のようすなども見ることができた。
 5分ほど遅れて聴いたときには、「レクイエム」だったので、「XTC EXPRESS」は聴き落し、或いは今日ほんとうに入っていたかどうかの確認はしていない。

🎧名曲アルバム。デュレー「ソナチネ」
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デュレーは20世紀初頭の音楽家。プーランクらとともに6人組と呼ばれもてはやされたが有名であることを嫌う。モンパルナスにある画家のアトリエで演奏会を重ねる。
1921
年パリを離れ、南フランスのサントロペに移住し静かな環境で作曲。この曲もサントロペで作曲された。

⛳梅雨の朝景色。植物たちも全身に滴を帯びてうるんでいるだろう。6時45分更新

紫陽花の窓に連弾ひびき来る 中ぶんな

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クラシック倶楽部を聴く 上野通明 チェロ・リサイタル

1995年パラグアイで生まれ、幼少期をスペイン、バルセロナで過ごす。2021年ジュネーヴ国際音楽コンクールで日本人として初優勝。現在注目の若手チェリストの一人。 【曲目】ビオラ・ダ・ガンバ・ソナタ第2番 ニ長調 BWV1028(バッハ)、チェロとピアノのための3つの小品 作品8から第2曲(ヒンデミット)、チェロ・ソナタ 作品143(プーランク)【演奏】上野通明(チェロ)、須関裕子(ピアノ)【収録】2022年1月20日 東京・紀尾井ホール

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【曲目】
ビオラ・ダ・ガンバ・ソナタ第2番 ニ長調 BWV1028(バッハ)
チェロとピアノのための3つの小品 作品8から第2曲(ヒンデミット)
チェロ・ソナタ 作品143(プーランク)

【演奏】上野通明(チェロ)、須関裕子(ピアノ)
【収録】2022年1月20日 東京・紀尾井ホール

上野コメント

チェロを始めたきっかけは、4歳ぐらいのときにヨーヨーマのインスパイアド・バイ・バッハというビデオをたまたま見まして、チェロの低音の太い音が大好きになって、両親にチェロをやりたいってお願いしまして1年間待っても気が変わらなかったらっていうことだったので、それからずっとお願いし続けて、5歳の時にいろいろな偶然が重なって、先生が見つかってやっと始められるようになった感じです。
ジュネーブ国際コンクールについては、大きなコンクールなのでいろんな人が注目する聴いてくださる、ばーっとしてそこで自分の演奏ができるのはいいことかなと思って臨みました。
正直ファイナルにのこった時点でもルトスワフスキー のコンチエルトを弾きたいというのもこのコンクールを受けた理由の一つでもあったので、それが確実となった時点でよかったなあと思って、やっぱりコンサートのように楽しもうと思って演奏して結果発表が出たときに、さらに運よく1位までいただいて信じられないくらい嬉しかった。これを一つの節目というか、皮切りにして、これからより多くの人に聴いていただけたらなと思ってます。

🎧名曲アルバム。グリーグ「ソルヴェイグの歌」
「ペール・ギュント」の中の歌のひとつ。
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毎年8月ノルウェー、ユーロ―湖畔で上演される「ペールギュント」にはオーディションで選ばれた村のアマチュア俳優が出演しているとか。
この村の方々、きっとみな声もよく出るし歌もうまいのでは。村人でできるというところに共感。

6時28分更新
それなりに健康が保たれているこの有難さ。しかし限界は間近かもしれない。そこは神にお任せ。

 

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クラシック俱楽部を聴く 佐藤晴真/ジャン・ギアン・ケラス&アレクサンドル・タロー

6月14日(火) クラシック倶楽部を聴く 佐藤晴真 〜時代を超えたチェロ名曲選〜

18年ルトスワフスキ国際コンで第1位、19年ミュンヘン国際音楽コンで日本人として初めて優勝。東京藝大入学後ドイツにわたりベルリン芸術大学で研鑽を積んでいる。 14年日本音楽コンクール第1位、18年ルトスワフスキ国際コン第1位、19年ミュンヘン国際音楽コンで日本人として初めて優勝。国内外の楽団と共演を重ね音楽祭にも出演。東京藝大入学後ドイツにわたりベルリン芸術大学で研鑽を積んでいる。【演奏】佐藤晴真(チェロ)大伏啓太(ピアノ)【曲目】文楽(黛敏郎)、チェロ・ソナタ ハ長調 作品65(ブリテン)ほか【収録】2021年2月19日 武蔵野市民文化会館小ホール
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佐藤晴真のコメント
Q今回のプログラムについて
 バロックから現代音楽まで色んな曲を繋げながら織り交ぜたら面白いかなと思って今回色んな曲に挑戦しました。音色の違いを気を付けて、自分なりに解釈したうえで、色んな色の違いを出したつもりなので、そこを色んな色を味わっていただければなと思います。
Q
バッハの無伴奏チェロ組曲について
 僕の師匠から、バッハはシンプルに見えますけども、演奏家として色んな技術がたくさん詰め込まれているから、バッハを練習しとけば間違いないという教えをいただいていたので、バッハはなるべく本番で弾く、その予定がなかったとしても、練習はしたいなと心がけていますね。日々新しい発見が勿論あるので、音楽の流れとか、頭の中でイメージするだけでもどんどんインスピレーションが湧いてくるので、そこがほんとうに奥が深い作品だなと思います。
Q
チェロの音色について
 僕の声の声域自体がチェロと完全に、いちばん下の音が完全に一緒なんで、チェロを弾くイコール自分の声で歌っているようなリンクするところがありますね。
Q
ブリテンのチェロ・ソナタについて
 勿論、ブリテンが生きた時代を僕は生きていないので、想像だけでしかわからないんですけれども、ブリテンの生きていた時代の戦争の悲しさとか酷さを音から、楽譜からでも伝わってくるものがあるので、それを解釈して表現、どう音に変換できるかにいちばん気を付けていますね。
 昨年はいろんなことが起きましたけども、僕はここで音楽を止めたらとにかくダメだなと思って、あまり音楽を絶やさないように生活してたんですけども、本番という、コンサートという、アウトプットする場がなくなったことで、色んな目標が失われた時期はあったんですけども、自分の音楽とかいろんな音楽を聴いて、癒されたり勇気をあげられたりできる可能性は自分の中にも皆さんの中にもあるので、僕は絶対に音楽は止めたらいけないなと以前のように会場でお会いできることを夢見て僕も頑張っていきたいなと思っています。

曲目
無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調 BWV1007 (バッハ)
BUNRAKU
 (黛敏郎)
 1960年大原美術館開館30周年記念演奏会のために作曲された。人形浄瑠璃をモチーフに書かれ、近代技法を駆使しながら三味線や鼓、太夫の語りなどをチェロで表現。
チェロ・ソナタ ハ長調 作品65 (ブリテン)
 イギリスの作曲家ブリテンが1961年作曲。名チェリスト、ロストロポーヴィッチが委嘱し初演。平和主義者として知られるブリテンは同年第二次世界大戦を題材にした「戦争レクイェム」も書き上げている。

🎵
「無伴奏チェロ組曲第1番」、感情に有無をいわさずさらい音に同化させるというか、溶け込ませるというか引き連れるところ、すごいなと。声域が同じと語っていたが、弦の響きに声には出さないその声の重複、唱和が聴こえた気が。
BUNRAKU」、この曲を琵琶で演奏したらどうだろうかとも思った。唸り、地鳴りとも思われる旋律はやはりこのチェロでなくてはならないだろうか。幽玄。名状し難い何らかの引力が、影を曳く人影を自在に動かしているとも感じられる世界。
 ブリテンの「チェロ・ソナタ」、ピアノが非常に効果的。平和への希求がチェロ旋律に込められているような。緊迫の楽劇といった感じが。

🎧
名曲アルバム。「ベートーベンのアイルランド民謡」ベートーベン編曲
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ソプラノ佐竹由美、二期会合唱団
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バリトン久保和範
アイルランド民謡には酒にまつわる歌も多いのだとか。
生活のために引き受けた編曲でもあったようだ。スコットランドとベートーヴェンの意外なつながりを知った。

 

  ☆   ☆   ☆

6月13日(月)クラシック倶楽部を聴く ジャン・ギアン・ケラス&アレクサンドル・タロー 演奏会
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日本では8年ぶりのデュオを披露したチェロのジャン・ギアン・ケラスとピアノのアレクサンドル・タロー。最高の共演相手と認め合う彼らのアンサンブルをお楽しみください 日本では8年ぶりのデュオを披露したチェロのジャン・ギアン・ケラスとピアノのアレクサンドル・タロー。互いを最高の共演相手と認め合う彼らのアンサンブルをお楽しみください【曲目】ハンガリー舞曲集から(ブラームス作曲 ケラス&タロー編曲)ほか【演奏】ジャン・ギアン・ケラス(チェロ)、アレクサンドル・タロー(ピアノ)【収録】2019年11月27日 王子ホールで収録
コメント
タロー:彼とは20年以上も共演しているので、言葉なくして阿吽の呼吸で演奏できます。本番の最中も視線を交わすだけで絶妙な反応が返ってきます。今までと違うニュアンスで弾いていてもそれを受け止めボールを投げ返してくれます。今回演奏するブラームスのように何回も一緒に演奏している曲もありますが、そうではない曲もある。
ケラス:そうした曲はともに理解を深め、我々も作品と共に成長してきました。だから演奏中の無言のやり取りが可能なのです。リスクを恐れずに自由に弾く。長く共演してきたからこそできることです。

ドビュッシーの「チェロ・ソナタ」1915の作品。

このデュオ、精彩があって華やか。ケラスいう自由さからくる響きと感じられた。第2楽章、ドビュッシーの陰影を曳きながら、次は自分がおもしろいと思った点をwikipediaでたしかめたのだけれども、「短いながらもチェロの幅広い演奏技巧が駆使され、左手のピチカートスピッカートフラウタンド奏法、ポルタメントが認められる」とある、このところに関心を集中。

ブラームスの「チェロ・ソナタ 第2」。188653歳のとき、避暑地のスイスのトゥーン滞在中にヴィトマンの邸宅で作曲したという。ブラームスの熱が、ケラスの熱となって絞り出されといった感じにも、すこし切なく聴く。

ブラームスの「ハンガリー舞曲」の超有名な第5番、これでケラス&タローの編曲の違いを確かめ得たかなと。それにしても、ロマの影響というものの大きさをここでも。

🎧名曲アルバム。マーラー「交響曲第9番」。飯森&N
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マーラーは1908年イタリア南チロルドッビアーコを訪れ生涯最後の3年間はここで夏を過ごした。左はマーラーがおよそ100年前に訪れたときと同じ姿のドッビアーコの駅舎。右はマーラーの作曲小屋。いたって簡素な造り。1909年の夏にこの9番が完成。彼の最後の交響曲となる。
日曜の夜にN響がこの曲を演奏していたが、最後に自分という存在が消えた後の静寂、死後のこの世をか、死後の自分をかを覆うような静寂が感じられた。

  ☆  ☆  ☆

611()はウクライナのニュース
戦争が愚かで酷いことに誰もが慟哭しつついまだ止まない。
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 黒岩重吾の「生きてきた道ー私の履歴書」の中でこんなことが書いてあった。同じ牧師で愛だけを説き、そのように自らも生きていた方。そしてもうお一方は、愛を説くと同時に人の内にある根源的な罪をも説いた牧師がおられたという。
 罪、罪、罪……実際耳が痛いのだ。いろいろな言い逃れはできるだろう。しかし、罪が解決されない限りこの世の争いと悲惨は尽きることがないのだろう。このだろうという言い方にも問題はあるかもしれない。聖書にははっきりとこの罪を解決するためにイエス様は十字架に架かられたのだとあり、私の所属教会ではくどいほどに繰り返されている。及ばない自らを悔い改める事は多々。怒り、失言もあり。しかし1個人の信仰レベルがどうであれ、講壇で語られることには真理があると思う。そして罪意識、認罪も神によると思われる。裁判で有罪とされても、罪を認める人と本音は何ら罪意識のない人とに分かれる。認罪も神による、神のなすわざと思う。
 これは他人ごとではなく、自身、教会にまったく行っておらず、聖書もなければ、どのような人間になっていたか。理想的なキリスト者には遠いけれども、少なくとも聖書や教会が抑止力になってきたことは確かだ。

⛳22時23分更新

 

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きょうのことば 「ペンテコステの力」



インマヌエル盛岡キリスト教会2022年65()の礼拝メッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 「ペンテコステの力―ペンテコステ講壇」  (國光勝美 牧師)
引証聖句 使徒の働き1311
3 イエスは苦しみを受けた後、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。四十日にわたって彼らに現れ、神の国のことを語られた。
4 使徒たちと一緒にいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。」
5 ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」
6 そこで使徒たちは、一緒に集まったとき、イエスに尋ねた。「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」
7 イエスは彼らに言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。
8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」
9 こう言ってから、イエスは使徒たちが見ている間に上げられた。そして雲がイエスを包み、彼らの目には見えなくなった。
10 イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると見よ、白い衣を着た二人の人が、彼らのそばに立っていた。
11 そしてこう言った。「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」

 

《メッセージ》
この朝は「ペンテコステの力」と題しまして、今年のペンテコステの恵みをともにさせていただきたく導かれております。

8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」
 
使徒の働きの1章と2章は、おそらく 世界中のキリスト教会で、きょう一番開かれているはずです。そして私たちの教会もこの朝は、このおことばに心を向けたく思っております。

 いくつかのポイントを示させていただきます。「聖霊があなたがたの上に臨むとき」、これがはじめです。
次に「あなたがたは力を受けます
そして三つ目に「わたしの証人となります
この三つを、今日は柱として語らせていただきます。 

 先ず「聖霊があなたがたの上に臨むとき」。これはいったい何を意味しているのでありましょうか。それは、使徒の働きの2章にも記してありますように、目に見える一つの歴史的な事実がありました。そして目に見えるそのような事実が、目には見えない部分において、それが確かになされている。これはただ単なることばではなく、ほんとうに聖霊というお方が私たちの上に臨むという事実、体験的な事実を意味しております。 

1 五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。
2 すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。
3 また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。
4 すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。

 これは使徒の働きの2章のはじめの部分であります。聖霊が「炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上に止まった」とございます。

こういう場面を想像するのもなかなかおもしろい。「お、なんだ君の頭に」「あなたの頭の上にもあるよ」「そお?」などと。こんな光景もあったかもしれない。「おい、あの人を見ろよ、まだ来てないよ」「あ、来た来た」などなど楽しい想像は尽きません。
 それはともかく、聖霊が私たち一人ひとりの上に止まった。どうか全員このみことばの恵みの中に、会堂の方々もズームの方々も、例外なしに、私の上にも聖霊が臨むのだ、このことをしっかりと心に留めさせていただきましょう。

この聖霊降臨が何を意味するのか。これは約束が成就したということです。その約束がルカ244649節に記されております。
46 こう言われた。「次のように書いてあります。『キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、
47
その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。』エルサレムから開始して、
48あなた方は、これらのことの証人となります。
49見よ。わたしは、わたしの父が約束されたものをあなた方に送ります。あなた方は、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」

 聖霊降臨は、父なる神様、イエス様の約束の成就であったということです。
すこし補足的にいうのならば、これでルカの福音書は一つ区切られるわけなんですけれども、ルカの福音書はルカが書いたのですけれども、使徒の働きもルカが書いてる。ですから、ルカの福音書の続きが、使徒の働きの11節「テオフィロ様」です。このように呼びかけているルカ。ですから、このルカの最後の24章と、使徒の働きの1、2章というのは非常につながりのあるものなのだということをまず理解しておきましょう。

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使徒の働き11214
12 そこで、使徒たちはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムに近く、安息日に歩くことが許される道のりのところにあった。
13
彼らは町に入ると、泊まっている屋上の部屋に上がった。この人たちは、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。
14 彼らはみな、女たちとイエスの母マリア、およびイエスの兄弟たちとともに、いつも心を一つにして祈っていた。
(ペンテコステは 復活祭(イースター)から50日目の日曜日。 復活祭後の第7日曜日で、イエス・キリスト昇天の10日後の日曜日になります。)
 私はこの2章のペンテコステ、五旬節となって、「天から突然激しい風が吹いて来たような響きが」という大きな聖霊降臨の備えは、実にここにあるのだということを申し上げたいのです。彼らは切に一つとなって共に祈っていたのです。どうか軽く読み流さずに想像してみてください。彼らがこのイエス様が天に上げられて、そして、聖霊降臨までの10日間、彼らは町に入ると、泊っている屋上の部屋に上がった。そこにこの人たちが皆集まっていたのです。私たちはこの後こうなると分かって聖書を読んでいますけれども、知ってますけれども、彼らは「いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい」というときに、本当に一つとなって集まったとき、どうかご想像ください。ペテロ、個性的な、いつも自分が一番でなければおさまらない性質を持っている男。ヨハネ、別名雷の子と呼ばれているんですけれども、非常に気性が激しい。だけども、ヨハネは内向的な部分を持っていた。内向的なんですけれども、よく火山は煙が残っている方が圧力が解放されているから大噴火にならないんだけれども、しかし、いつも出るはずの煙が止まっていると、これは安心じゃなくてむしろ圧力が、という話しを聞いたことがありますけれども。ヨハネは雷の子とイエス様があだ名をつけられたほど彼の本質を見抜いていた。タイプがいろいろ違う。ピリポ、トマスと、私はいろいろな性格の、しかも彼らがみんな挫折感とそしてだからこそ待ち望みをしている。そのときに、彼らはどんな待ち望み方をしたのだろうか。ヨハネは言ったかもしれない、「ペテロさんごめんなさい。わたしはいつもあなたがしゃしゃり出て頼まれもしないのに気を利かしていろんなことをやって失敗して、あれ見るとイライラしてたんだ。ごめんなさい」。ペテロは言ったかもしれない。「僕はイエス様の懐に、ヨハネ君、あなたがいつも最後の晩餐のときだってそうだった。いちばんイエス様の懐の近くにあって胸に抱かれていたのはあなただった、それがなぜ俺じゃないんだと妬ましかった」など、これは創造であっても、想像にすぎないのではない。いろんな人たちがこの10日間、もう一度言います。10日間と決まっているわけではないのですが。神様の約束を待っているときに、本当の意味の悔い改めがそこで為されていた。そして、一様に自分たちの無力を思い知っている。イエス様の十字架の時に、みんな逃げ出したのは俺たち男だった。女の人の方が強い、変わらないと言ったかどうかはわかりませんけれども、しかし、女の人たちだってそうです。マグダラのマリアが「私が一番最初にイエス様の復活のイエス様を見た」と証しするごとに、ベタニアのマリアは「ああ、私じゃなかったのね」という思いがあったかもしれない。想像ですからどうかお許しください。だけれども、この間一つ所に集まって、「共に」と書いてあるところに意味があるのです。それぞれがいろんな違い、いろんな異なる要素、それを持っている。失敗や弱さがいっぱいある者たちが共にいて、そして心を一つにして祈る。このことが結果的にできたのが10日後になったのでしょう。神様は弟子たちが一つとなるその時が来るのをきっと待っておられたのに違いありません。彼らはそこでこれまでの自分の信仰生活、これは弟子たちだけではない、ペンテコステの恵みを待ち望む私たちです。私たち一人ひとりが本当に真実に主の前にへりくだり、自らの足りなさを、失敗を悔い改めて、そして、イエス様、あなたのお約束の通り、もう一人の、もう一つの私をあたえてくださると、あの最後の晩餐のときに、ほかに助け主を与えてくださるとおっしゃっいましたね。どうかそのお方なしにはやっていけません。もうあなたの満たしがなければやっていけません、というそのところまで真実に待ち望み悔い改めてゆく。これがペンテコステの備えです。「聖霊があなた方の上に臨むとき」というのは、まさに一人ひとりこのことができて初めて「あなた方は力を受けます」。

 これはキリストの証人となるための力の無い渇望、どうぞお願いします。力を与えてくださる。「あなたは力を獲得する」と書いてない。「力を受ける」と書いてある。獲得するんじゃない、あなた方は力を受けるのです。力が賦与されるのです。

 前の時にもお話しさせていただきましたけれども、私はこの力への渇望ということを体験的にお話しさせて例話としてお話しするのですけれども、もう何か月も前になるんでしょう。私はほんとうに、この鞍掛山の時に神様の恵みを頂戴しているものです。ですから、そこはちょっとオーバーな表現をすれば、私の庭歩きのようなものなんです。ところがもう秋ごろだったですか、いつものように歩いて行って、さあこれから急な坂のところに登るという、歩いて登り口から20分ぐらい行ったときに、力がないんです。どうもきょうはおかしいぞ。そこを登るとあとは平らなしばらく道が続くというその急な路。登れるかなあ。こんなこと思たこともない。だけど、そのときはほんとにどうかしちゃったんじゃないかと思うほど力が無かった。で、それ考えてみたら笑われそうですけども、登山用語でシャリバテということがある。まさに前日夕刻6時ごろから何も食べてなかった。朝に到るまで。それで歩いて行って、ほんとうに歩けなくなるってことがあるんだな、そのことを経験しました。食べるものを食べてない。こういうことを言うと、お説教じみた響きになるとこまるんですけれども、クリスチャンとして聖書のみ言葉を読んでなかったり、それを真剣に捕らえていない人たちは、慢性的にシャリバテになってしまっているんです。でも、みことばのめぐみということが、ああこういうことかという7、一つのきっかけが与えられると、これが神様からの力なんだ。おそらく10日間の間弟子たちはシャリバテ状態だったんじゃないか。そのときほんとうに力が欲しい、どうぞ、お願いします。わたしはそれなりに、それこそこれからのポイントは鞍掛の途を歩きながら、これはこのメッセージを、あ、今度の聖日メッセージをというときに、力。私たちが力を欲しいと言うときに、ということで、今度はそれこそ分岐点まですいすい歩きながら、そして坂道も、この坂道があるから楽しいんだよなあと思いながら登ったんですけれども、でもその時に神様は語り掛けてくださるんです。そう力、それは人を赦す力、そして人を受け入れる力、あのペンテコステ前の弟子たちの姿を想像しながら、そうだなあ、此れなんだよな。そして神様の導きに従う力、また御心を知る力、こう思い巡らすともう幾つも出てくるんです。そうだ、それなんだ。そしてほんとうに  もう一つのポイント、仰ぎ臨む力。これはちょうどあの分岐点から急登をいくときに、坂道に、そうだ、仰ぎ望むということにも力が要るよな。うつむくときには力はいらないんです。頭が自然に下がりますから。だけど、そんな中に、主よこの問題、この課題、そうだ、主よといって汝ら我を仰ぎ臨めさらばスクワレン。我は神にしてというイザヤのおことばを思いながら、我を仰ぎ臨め、そうだ、仰ぎ臨む力が必要だ。なのでここに書いてある力はみんなこれはどこかの辞書に書いてあるものではないんです。一人の信仰者が、力をほんとうに欲しいというときに、これらのことを主の前に申し出て、その時に神様は、あなたは力を受ける、力を受けるんだよ。受けるんならば、授けて下さるんだ、有難うございますと受け取れば院でしょう。だって神様は与えたいとねがってらしゃるんですから。そうするのならば、私の証人となる。

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 この私の証人というときに、ちょうど1年ほど前になりましょうか、ナサニエル・ホーソンという人が書いた「大いなる岩の顔」という物語があります。小学校の教科書で学んだのですが、とても印象深く覚えているんです。ネットで調べてみると、昭和36年、1961年に使用された小学校6年生の国語の教科書()の中にこの「いわおの顔」がある。ちょうど私の使っていた教科書に間違いない、このようになります。やがてこの村に威厳のあるあの岩の顔のような素晴らしい人が現れると一途に待ち望んでいる少年が、やがて青年となり、やがて老年になっていく。ずっと彼は威厳のある岩の顔を見続けておりましたところ、いつの間にか彼自身がその人の顔になっていた。村の人たちはあなたこそあの大いなる岩の顔の人ではないですか。
 私の証人となりますというとき、「地の果てにまで」というある意味遠大な言葉がありますけれども、むしろまず自分自身が失望や落胆、自己卑下、自己憐憫というようなところから解放され、まっすぐ仰ぎ望む力を持って仰ぎ望む時、あなた方は力を与えられる。何の力? それはキリストの証人となる力です。どうかこのペンテコステが一人一人の心の中に聖霊が臨み、私たちが力を与えられる、その恵みの時であらせていただきたいと願うことです。

※データは教会からお借りしています。
聖画はネットからです。
文責:中ぶんな
⏰6時半更新

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「クラシック倶楽部を聴く」など1週間分を一括更新

6月6日、音楽を聴き終えてみると、血圧急上昇。130に慣れ、140に慣れ、150にも親しみを覚えるようになっている昨今ではあった。しかし188という数字にはさすがに危機感急上昇。昼には対策を取らざるを得なくなり、それなりの行動、対応を。その後は休息に継ぐ休息。そしてきょう、せっかく聴いた分もったいないから更新しておこうかなということに。

   ☆  ☆  ☆

910()クラシック倶楽部を聴く ピアニスト 小山実稚恵の世界II ファンタジー そして情熱
 
日本を代表するピアニスト、小山実稚恵の演奏を紹介する、2回目。モーツァルトとバッハが残した独創的な「幻想曲」、そしてショパンの名曲をたっぷりとお聴き頂く。
2021年6月23日 めぐろパーシモンホールにて収録
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小山さんのコメント(途中から)
 (
録る直前にバッハは楽器を選ばないと仰ったように聞いたが、そしてその続き)そもそもがバッハ自体が作品自体は厳格であるんだけれど、非常にファンタジーのあふれる作曲家なんだなと思えるところです。
 ピアノを弾くことはほんとに昔から好きで、とにかく音が好きなのか、ピアノという楽器がすきなんですけど、でも若いころは弾くという呪縛に、聴く快感もあるものですから囚われていたんですけど、今は、やはりピアノもですけど、音楽をピアノで弾きたいなとすごく感じます。
 ショパンというのはピアニストにとって特別な作曲家だということ。やっぱりショパンって完全にピアノの作曲家で、ピアノのこれ以上の作曲家はいないんですよね。ショパンの音はピアノでなければいけないし、ピアノの音を聴いたらやっぱりショパンだと思うようなところがあるので、そのショパンが初恋の彼女を思って書いたという一番最初に作られたコンチェルトの第二楽章で、「ラルゲット」にはほんとうにショパンの純な思いというんでしょうか、メロディの鮮烈な美しさと気品と響きの結晶のような作品だとお思うんですけど、途中でショパンが試みられて激情するんですよね。ある意味では、ショパンの一番素の部分がものすごく詰まった、そしてほんとうに美しい楽章だと思うんですね。そして「英雄ポロネーズ」はもう後期の作品ですけれども、勇気漲るというか、ショパンはやっぱり後期はものすごく離れましたけれども、思い切ったというすごい故郷愛の強い作曲家でしたけど、内に秘めたる意志というか、その強さですね。それもものすごい激しいものがあったと思うので、そういう意味で、この「英雄ポロネーズ」を弾くと、とにかく気持ちが湧き上がってくるというか、勇気が出る、単純にそういう思いに駆られるので、機関車が動くかごとくの左手のオクターブのところも何べんも何べんも繰り返してやられると、ああ、そうだそうだと思ってきて力湧く。  希望と力、勇気が出るので、私はそういう意味で選曲しました。



 【曲目】
幻想曲ハ短調 K.475(モーツァルト作曲)
半音階的幻想曲とフーガBWV903(バッハ作曲)
ラルゲット<ピアノ協奏曲第2番 作品21から第2楽章>(ショパン作曲)
ワルツ嬰ハ短調作品64第2(ショパン作曲)
ポロネーズ 変イ長調作品53「英雄」(ショパン作曲)
「左手のための2つの小品」からノクターン作品9第2(スクリャービン作曲)
 

🎵 一応曲目の全部をあげておいたけれども、きょうは不覚にも前半を聴き落してしまった。たぶんインタビューもあっただろう。オンデマンドがあるはある。「ラルゲット」から。小山さんならではの響きにきゅん。「英雄」、3・11のときによく弾いてくださったこの曲。聴いているうちに、自分があのときに集まった方々と並んで聴いている心境に。胸が詰まった。曲の値、演奏の値が幾層倍にもその大きさ、包容力を増して響いてくる。このような「英雄」はまたとはない。「左手のための2つの小品」、真っ先に舘野泉さんが想われたが、このような曲が何も障害を克服しつつある、克服した音楽家のためにだけあるのではないことを小山さんは聴かせてくれた。東北の作曲家木島由美子さんもたしか館野さんに弾いていただきたいと作曲しておられたなと思い至った。
とても片手だけで演奏しているとは思えないスクリャービン。どのような動機でスクリャービンはこの曲を作曲したのだろうか。

🎧名曲アルバム。ワーグナー 歌劇「ローエングリン 第3幕 婚礼の合唱」
現田茂夫&二期会合唱団&東京フィル
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 ルートヴィッヒ2世の居城ノイシュバンシュタイン城。ワーグナーに心酔し城の装飾をローエングリン一色に。彼のパトロンとなり、ワーグナー劇場までを造る。

 

   ☆   ☆   ☆ 

6月9日(木)クラシック倶楽部を聴く ジャン・チャクムル ピアノ・リサイタル
ジャン・チャクムルは1997年にトルコのアンカラ生まれ。5歳頃から地方の音楽学校でピアノを習い始める。高校卒業後、パリのストラ・カントルムでマルセラ・クルデリに師事。2014年に首席で卒業。その後、トルコ、イギリス、オランダ、日本などで演奏。20018年の第10回浜松国際ピアノコンクールで優勝。
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ジャン・チャクムルのコメント
ピアノとの出会い

両親の影響で幼い頃からクラシック音楽に親しみました。演奏会には欠かさずに行きました。ときには週に何度も。そうするうちに5歳か6歳の頃ギターを弾きたくなりました。地元の音楽学校へ通いましたが、ギターには手が小さかったのでピアノを始めました。ギターは忘れました。12歳頃から講習会に参加したりコンクールに出場するうちに、これがやりたいことだと思いました。
浜松国際ピアノコンクールについて
コンクールで優勝するのは大変なことです。参加者たちは大きな負荷のかかる3週間を過ごしました。一方で皆の間には仲間意識がめばえ、これは運命だったんだと思います。
演奏で大切にしていること
演奏家はコンサート中は特に情緒や感覚をそれほど重視しません。フレーズの開始やアクセントの位置、和音の解決などを現実的に考えます。音楽を正しく理解し伝えれば自然と意味が生まれます。演奏家が音楽に意味を吹き込むのではありません。正しい文法で弾けば音楽は自ずと立ち上がります。練習や準備を重ねてそこを理解できるようにするのです。音楽の意味を理解することと、ひらめきで弾くのとは違います。

曲目

「幻想曲 嬰ヘ短調 作品28「スコットランド・ソナタ」」、メンデルスゾーン:作曲
メンデルスゾーンは1828年頃からこの曲を書き始めたといわれている。1830年に以前から交流のあった文豪ゲーテを訪問し披露された。
「ピアノ・ソナタ 変ホ長調 D568シューベルト:作曲

20歳の頃の作品。

「組曲「野外で」」バルトーク:作曲
バルトークは祖国ハンガリーの民俗音楽を用いた作品を多く生み出した。屋外での情景や光景が描かれており、自然を愛したバルトークの一面を強く示した作品である。

🎵「スコットランド・ソナタ」、第3楽章では音の饗宴に招かれているという心地よさ。「ピアノ・ソナタ 変ホ長調」の第二楽章の冒頭のあたたかさ。絶えず脳裏にはベートーベンの楽曲があったか、そんな逡巡も時折感じられて。
「組曲「野外で」」は5つの曲から成っており、1「太鼓と笛」、冒険するときの期待と興奮、一種野卑な感じも宥められ含まれているのだが、そこに捕まれたという感じなのだ。不安、慄きを底に未知の世界に分け入っていくような気分。2「舟歌」揺蕩いにも重たさ硬さが。3「ミュゼット」、4「夜の音楽」、5「狩」。の「夜の音楽」、静寂の奥から無意識の広く深い世界から湧出し、聞こえてくるような一音一音の妙。押し黙った地の底から動植物の気配を探知してゆくような。意識と無意識の狭間に浮かび映じては消えるかの音。今回この「狩」。静寂の奥から無意識の広く深い世界から湧出し、聞こえてくるような一音一音の妙。押し黙った地の底から動植物の気配を探知してゆくような。意識と無意識の狭間に浮かび映じては消えるかの音。そして現実世界に覚醒され躍り出てくる響きが印象的。今回はこの静まり返る森からひたひたと聴こえるかの音に注意深く受け取る。5「狩り」、激しい勇み足。血の匂い、血をかぎ分けるような響きも。これぞ民俗的、ダイレクトに土俗的な動きが伝わってくる。優雅で流麗なメロディーラインには遠い感覚があざとく聴く者の心を惹きつける。
 以前はバルトークは苦手だった。それがなぜいま素直に受け入れられるか。この曲が「そうだよ、現実はこうなんだ」と、顔を背けない現実直視が聴こえる。それが現代的とも感じられるところかとけさ思い到った。

チャクムル使用のピアノは「SHIGERU KAWAI」

🎧名曲アルバム。パッヘルベル「カノン」。沼尻竜典&東京フィル
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 パッヘルベルが1678年から12年間オルガニストを務めたドイツ、チューリンゲン州エルフルトにあるブレディガ―教会。彼は当時の傑出したオルガニストであり作曲家だった。この曲はパッヘルベルの代表作。
 マルティン・ルターはエルフルトにある大学で学ぶ。彼はドイツ語のコラールを用いるなど教会音楽の改革を行ったという。この街は多くの音楽家を輩出したバッハ―一族の中心地でもある。パッヘルベルはバッハ―一族が住んだ家に間借りして親交を持ったらしい。

   ☆   ☆   ☆ 

6月8日(水) 上野耕平サクソフォン・リサイタル〜兵庫県豊岡市公開収録〜

上野耕平:1992年茨城県出身。ベルギーのアドルフ・サックス国際コンクール第2位。
高橋優介:1994年千葉県出身。第10回東京音楽コンクール第一位。上野耕平とは2010年から共演。

ベダール:ファンタジー
参考D.ベダールは1950年、カナダに生まれた作曲家で、オルガンの作品が有名です。
ファンタジーは1984年に作曲された作品で、サクソフォンの、特にソプラノ・テナーサクソフォンのレパートリーの中で有名で重要なものとなっています。

トマジ:バラード
参考アンリ・トマジ(1901-1972)はフランスのマルセイユに生まれた作曲家で、1927年には、当時の作曲家にとって最高の栄誉とされた「ローマ大賞」を得ています。この曲は1939年に作られ、作曲者の親友で当時世界最高のサクソフォーン奏者として活躍していたマルセル・ミュールに捧げられました。

 タイトルにある「バラード」とは、もともとは詩の一形式を表わす言葉でしたが、18世紀以後は、物語の内容を持った器楽曲のタイトルにつけられるようになりました。このトマジ作曲の「バラード」も楽譜にはS.マラールの詩が添えられています。マラールの詩の内容はとても叙情的なもので、曰く「ためらいがちに鳴り響くサクソフォーン」がひとりの道化師を苦悩と絶望から立ち直らせるものとして登場します。

トマジのバラードに寄せる上野耕平のコメントは
秋がいちばん好き。これから冬に向かう何とも言えない美しさ、寂しさ。この秋のにおいが大好き。僕が好きな音楽はそういう音楽が多い気がする。いい音楽だなと思うのが夕焼けっぽかったり、秋っぽかったり、なんかこう散ってゆく枯れてゆく美しさというのがトマジの曲からも感じられる。人間の明と暗を描いているような、それを音楽でうまく表現しているというか、なんかこう、背中から漂う哀愁を感じる曲ですかね。

フランク:バイオリン・ソナタ

ふつうはバイオリンとピアノで奏されることが多いこの曲を、上野がアルト・サクソフォンで演奏。

上野耕平のコメントは
理想はあたかもサクソフォンのために書かれたかのように聴こえてほしい。ピアノパートがとても充実してて、今回共演する高橋君はバイオリンと葉もう数多く共演しているんですが、サクソフォンとははじめて(?)。バイオリンだと音量の問題でどうしてもピアノはおさえなくてはならないところがあるんですが、サクソフォンとはそういう心配は一切要らないので、ピアノものびのび弾いてくれると思うので、きっとバイオリンとピアノで聴けるのとはまた違ったフランクのバイオリン・ソナタを聴いていただけるんじゃないかと思います。

🎵トマジの「バラード」、拘泥することなく頓着することなく、角にぶち当たることもなく流れゆくのだが、しだいに秋、たたずんで水底の枯葉を見、秋の華やぎ紅葉を見まわし、自分は自分だという立ち位置を見出して閉じたような。フランク「バイオリン・ソナタ」、サクソフォンの方はバイオリンよりも広く切々と且つ高らかに訴えかける効果があるように感じられしみ込んだ。

🎧名曲アルバム。シルヴェスター・リーヴァイ作曲・/栗山和樹・編曲ミュージカル「エリザベート」
あの超有名なオーストリアの皇妃エリザベートの人生を追った作品。
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   ☆   ☆   ☆

6月7日(火)クラシック俱楽部を聴く キアロスクーロ四重奏団 演奏会

名手アリーナ・イブラギモヴァが率いるカルテット、キアロスクーロ四重奏団。チェロ以外の三人が立って演奏する独特なスタイルによる、しなやかなアンサンブルを。 名手アリーナ・イブラギモヴァが率いるカルテット、キアロスクーロ四重奏団。チェロ以外の三人が立って演奏する独特なスタイルによる、しなやかなアンサンブルをおおくりする。【収録】2019年4月23日 王子ホール(東京都中央区)【曲目】弦楽四重奏曲ト長調作品18第2(ベートーベン作曲)、弦楽四重奏曲第1番変ホ長調作品12(メンデルスゾーン作曲)【収録】2019年4月23日 王子ホール(東京都中央区)番組紹介よりー
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キアロスクーロ弦楽四重奏団は、ロンドンで学んだ弦楽器奏者により2005年に結成。メンバーは
アリーナ・イブラギモヴァ:ヴァイオリン
パブロ・ヘルナン・ベネディ:ヴァイオリン
エミリエ・ヘルンルント:ヴィオラ
クラーレ・ティリオン:チェロ

ガット弦を使い、立奏で行われるアンサンブルは、しなやかでダイナミック。彼らの演奏はヨーロッパの聴衆に高く評価されている。エディンバラ国際音楽祭をはじめ、ヨーロッパの音楽祭に数多く出演。また録音も意欲的に行っている。 

コメント
クラーレ・ティリオン
:カルテットの「キアロスクーロ」とは、絵画の技法において光と影を意味します。この名にしたのはロジャー・ノリントンのおかげです。私たちがロンドンで学んでいたころ彼に会いました。指導を受けていた時に「もっと違いをはっきりと! キアロスクーロのように!」と言われたのです。音楽は緊張と緩和の対比なので、その名は最適です。全員が気に入っています。
アリーナ・イブラギモヴァ:色彩の違い、強弱、緊張と和みなど。多くの意味を持つことがすばらしいと思います。
パブロ・ヘルナン・ベネディ:キアロスクーロの演奏形態立奏については、立奏は自由になれます。私たちに新たな交流の方法をもたらしました。いつでも動けます。座って練習していても立つだけで音がより心地よく響きます。
エミリエ・ヘルンルント:ガット弦を使い、少し低い音程で演奏します。おすすめはしませんがその音色に魅了されました。純粋で美しい音、無機質な音、野性的な音も出せるので、皆その音が気に入っています。
アリーナ・イブラギモヴァ:この奏法はキアロスクーロ(光と影)の方針を発展させます。私たちは光と影の境界を広げようとしているのです。

曲目
弦楽四重奏曲 ト長調 作品18 第2 ベートーベン
 ベートーベンの作品186曲の弦楽四重奏曲で構成されている。1799年に完成。優雅な香りが漂う。主題が挨拶を交わしているように感じられるところから、「挨拶四重協奏曲」と呼ばれることもある。
弦楽四重奏曲第一番 変ホ長調 作品12 メンデルスゾーン
 メンデルスゾーンは1829年にこの曲を20歳で作曲。ベートーベンの影響を強く受けているが、メンデルスゾーンらしい端正なハーモニーも表れている。

🎵光と影を弦で描出するためにさまざまな工夫が為されているようだ。
2005
年の結成。「並外れたユニークな音色だけでなくアンサンブルに知性ある姿を兼ね備え」とユーラシックには出ている。この知性が曲を凌駕したというほどではないが、この知性支配とまでは言い難いかもしれないが、何か、曲そのものを超えていたという感じが。ただし、これがベートーベンの曲も多分に実験的であると感じられたままに聴いているわけで、そこに整合性を聴き分けられなかったのは、それこそ筆者の側の感性の乏しさであることも多分にあるかもしれず、モノ申した分を引っ込め引き下がれとなっても、直感を押し通すだけの迫力と論拠を持ち合わせてもいない。
メンデルスゾーンの終楽章の巧みさ見事さをこの曲でも見せつけられたというか、いよいよ認識を強くしたというか。終楽章が受けた多くの影響の集大成、大団円と感じられた。

🎧名曲アルバム 「琵琶湖周航の歌」 吉田千秋(原曲)作曲/小口太郎・作詞/斎藤ネコ・編曲
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吉田千秋(原曲)作曲/小口太郎・作詞/斎藤ネコ・編曲 【歌】おおたか静流,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】田中祐子

   ☆   ☆   ☆

 

6月6日() クラシック倶楽部を聴く 辻彩奈 バイオリン・リサイタル

モントリオール国際音楽コンクール優勝、期待の若手バイオリニスト辻彩奈。ベートーベンとフランクの名曲に加え、辻自身が現代作曲家・権代敦彦に委嘱した新作も披露する。 【出演】辻彩奈(バイオリン)、阪田知樹(ピアノ)【曲目】ロマンス 第1番 ト長調 作品40(ベートーベン作曲)、Post Festum 無伴奏バイオリンのための 作品172(権代敦彦作曲)、バイオリン・ソナタ イ長調(フランク作曲)【収録】2020年11月16日 NHK大阪ホール
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辻彩奈さん(バイオリン)
1997
年岐阜県出身。2016年モントリオール国際音楽コンクール第一位。現在フランスと日本を拠点に活躍。
阪田知樹さん(ピアノ)
1993
年愛知県出身。2016年フランス リスト国際ピアノコンクール第一位。以来世界20か国で演奏。


作曲家 権代敦彦さん、独自の死生観をもつ作品で国際的に高く評価されている。辻彩奈さんからの依頼にこたえて無伴奏バイオリンのための新作Post Festum(ポスト・フェスティム)を作曲。
「現在、パリ東京を拠点に作曲活動を展開。桐朋学園大学作曲科非常勤講師として後進の指導にもあたっている。カトリック洗礼を受けたクリスチャンであり、スピリチュアリズムに感化された曲名を持つ作品が多い。作風の表面的な類似性から、欧米の作曲界では「日本のペルト」として呼ばれることもあるが、反復語法であってもサクレド・ミニマリズムとは全く違ったものを用いている。東京コンサーツ所属」.wikipediaから

辻彩奈さんのコメント
自分のために作品を書いていただくという経験は初めてでしたし、自分にとってはすごく大きな意味だったし、いざ練習して権代さんと、どんなふうに弾いたらいいとか、どんなことを考えながら作曲したとかいろんなお話を伺って、そういう生きている作曲家とお話しするという体験も初めてだったので、すごくすばらしい経験でした。Post Festumというのは、「祭の後」という意味があって、祭の後の静けさだったり、詳しく権代さんとも何を描いたのかという話をしてないんですけれども、遠くから何か見えないものが形はないんだけれども、それをずっとこう暗い中を探しているというイメージですかね。

私が演奏する色んな人のコンチェルトとかソナタの中で、すごく好きな作品というのはたくさんあるんですけれども、その中でもすごく大切に向き合ってきた作品で、ピアニストの阪田知樹もこのフランクにすごく熱い思いがあるということを知っていたので、彼と弾くならぜったいフランクしかないなと思ってこれを選びました。何回弾いてもすごく美しい旋律がわたしは好きなんですけれども、中でも34楽章が好きなんですけれども、3楽章、悩み、悩んでこう淡々と歩いている中で、一筋の光が見えて来て、それで第4楽章に光が溢れるみたいな。私はそういうふうに感じるんですけれども、4楽章は特にきれいなメロディーをピアノとバイオリンが掛け合う、そこがとても好きで彼の曲に対する大切さとかもすごく伝わってくるし、私もそれを受け継ぎたいなと思って、そういう気持ちで演奏しました。

 

曲目

ロマンス 第1番 ト長調 作品40(ベートーベン作曲)
ベートーベン30歳の頃の作品。穏やかな和声の中に抒情性が
Post Festum 無伴奏バイオリンのための 作品172(権代敦彦作曲)
協奏曲の後に演奏するアンコール・ピースとして作曲された。20206月に辻彩奈によって初演された。一丁のバイオリンが永遠を求めて時を刻み、高揚と沈静を経て聴く者を彼岸へと導く。
バイオリン・ソナタ イ長調(フランク作曲)
フランクはベルギーで生まれフランスで活躍した。フランクと同郷の名バイオリニスト イザイの結婚を祝福して作曲された。内面的な情熱と緻密な構成を併せ持ち、バイオリン・ソナタの最高傑作の一つ。

 

🎵「ロマンス」、甘やかな旋律。
「Post Festum」、、なぜか芥川の「蜘蛛の糸」が眼前に。躍り出たくとも鳴りを潜める魑魅魍魎に控えめな木魚の響きが。、魂のざわめき、しゅーっと天上にのぼり、昇りつめて辺りの見晴らしを確かめているが、そこにある形を留め得ない何者か。、宙を漂っている、これは昇天を果たした何者かであるのか、カトリックの方ではあるけれども、聴いた感じの通りにいわせていただくと経文が彼方に遠くに、役目を果たし終えたかに遠ざかっていくかのよう。
フランクの「バイオリン・ソナタ」、1楽章、内に秘られた熱い思い。2楽章泡立ち波立つ不信感。持って行きどころのないやり場のない感情の表出。3楽章、沈思黙考しつつ部屋と思しき空間を一人さまようような。名旋律が一連の褒章のように鳴り響いたところで、ああ、これでしょう、人生のこたえはこれでしょう。4楽章、明るい日差しに冴えわたる喜びの名旋律。ああ、そうですよ。人生は捨てたもんじゃない。悪くはない。バイオリンとピアノの実に当を得、さえた気分のいい会話が。

🎧名曲アルバム。宮澤賢治作曲、上柴はじめ編曲「星めぐりの歌」
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🎵賢治さんは盛岡中学校、盛岡農林高等学校時代は盛岡で暮らした人。左が遠景に岩手山が見える盛岡市の景観。名曲アルバムがぐんと近しく感じられた。編曲は上柴はじめさん。この方、名曲アルバムのロンドンデリーの歌の編曲も担当しておられ、それを聴いたときには、こんなきれいな歌があるならもうちょっと生きていてもいいなと思った瞬間だった。ロンドンデリーは何度もきいているはずなのだけれども。「星めぐりの歌」の編曲者としては大変相応しい方と思われる。

   ☆   ☆   ☆

6月4日()はクラシック倶楽部は無し。何を録り置いていたかといえば、
新日本紀行
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たしか1950年代の記録だったと思うが。
箱根温泉小学校の伊藤先生という方、お風呂にまで子どもたちと一緒に入ってらした。箱根温泉小学校の歌も作り児童たちと歌っていた。
箱根の登山電車は大正8年開通。以後は箱根も庶民に開かれたらしい。あの先生は今もご存命であられるかどうかは厳しいところ。あの小学生たちが辛うじてかどうかはまだまだご活躍の方もいらっしゃるかも。

   ☆   ☆   ☆

⛳このページの最後部分に賢治がでてきたことで、またまた拙作を思い出した。やはり岩手山登山で出合った壮大な宇宙景観の記録。
山頂に立てば眼下の雲海にきらめき注ぐ満天の星 (柏崎驍二 選) 中ぶんな
流れ星が雲海にいくつもいくつも急ぎ落ちゆく景観はすばらしいものでした。

6月10日(金)20時50分更新

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きょうのことば 「父なる神・アバ父」

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年529()の礼拝メッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕をしておられます。
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説教題 「父なる神・アバ父」  (國光勝美 牧師)
引証聖句 ローマ人への手紙81117
11 イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられるご自分の御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだも生かしてくださいます。
12 ですから、兄弟たちよ、私たちには義務があります。肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。
13 もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬことになります。しかし、もし御霊によってからだの行いを殺すなら、あなたがたは生きます。
14 神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。
15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは「アバ、父」と叫びます。
16御霊ご自身が、私たちの霊とともに、私たちが神の子どもであることを証ししてくださいます。
17 子どもであるなら、相続人でもあります。私たちはキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているのですから、神の相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです。

 

《メッセージ》
きょうは「父なる神・アバ父」という説教題でお話しさせていただきたいと願っております。

この「アバ父」の「アバ」という言葉ですけれども、これはアラム語で「父」という意味です。子どもがその父に呼びかけるとき、或いは宗教的な指導者、ラビと呼ばれる人たちに敬意をもって呼びかけるときにも「アバ」というそうです。ここで私たちが今日心に留めたいと思っておりますのは、新約聖書の中には「アバ父」ということばが3回出てまいります。最初にそれをご紹介いたしましょう。

まずマルコの福音書14章36節
36そしてこう言われた。「アバ、父よ。あなたは何でもおできになります。どうか、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように。」
これは、イエス様が十字架に架かられるのを目前にしておられるゲッセマネの園における祈りです。血の汗を流しながらイエス様が「アバ、父よ」と呼びかけられた非常に印象的な場面です。「アバ、父よ」とイエス様がこのように祈られたのです。十字架を前にした最も大切な祈りの時に「アバ、父よ」と父なる神様に呼びかけられました。
それからは、もう一つ

ローマ人への手紙8章15
15あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、わたしたちは「アバ、父」と叫びます。
神様の子どもとされた神の子どもとして本当の意味で、「ああ、お父さん」、「アバ、父よ」と呼ぶことができるのです。奴隷ならば主人にそうは呼びかけません。子どもだからお父さんに対して「アバ」と呼ぶのです。

そして、新約聖書にもう一つだけ「アバ、父」と。ガラテヤ人への手紙4章6節
6そして、あなた方が子であるので、神は「アバ、父よ」と叫ぶ御子の御霊を、私たちの心に遣わされました。
新約聖書の中でこの三つ、マルコの福音書にあるゲッセマネの園の祈り、またローマ人への手紙、ガラテヤ人への手紙、みな神の子どもとして呼ぶ「アバ、父」。
この朝の礼拝のご用を思い巡らす時、私は皆さん方が「アバ、父」と心から呼ぶ、叫ぶ、祈る、そういうお一人おひとりになってくださったのならば、もう大勝利です。天のお父様にこのように呼びかける。きょうはこのおことばを心に留めてください。

この一つの鎖を皆さん方の心にアバ父。どんなときにもイエス様もアバ父と呼ばれたあの祈り。そしてどんな苦しい時にも、アバ父、こう呼びかける。これさえできたのならば、私たちの信仰生活がもう力から力へと進むことに間違いありません。

 

 さて、その「アバ、父」が、いわゆる幼児語として「お父ちゃん」というような、そんな呼びかけでもあると知りまして、さて、赤ちゃんが初めて意味のわかることば、単語を発するのはどんな言葉なのかなと興味がわきました。

 最近おもしろいことを聞きました。あのシジュウカラが言葉を話すということをご存じでしょうか。鳥が単語も文法も操ることを科学的に証明した学者がいるのです。動物行動学者の鈴木俊貴さん。
NHK
番組で話しておられましたが、子育てをするときの親のシジュウカラの鳴き声があるというのです。これが冗談じゃない。ラジオで本人が言ってるんですから間違いないんですけれども。シジュウカラが子育てをするときに、子どもがしゃべるように「パパ」「ママ」と幼児語で赤ちゃんの言葉をまねて一緒に子育てをするんだそうです。思わずほんとうかなあと思いました。
 山カフェの
石丸謙二郎さんの番組でも、「シジュウカラも子育てするときに、『ママ、一緒に子育てしようね』なんて言って幼児語で話すんだそうです」と聞きました。ウッソーと思いましたけれども、嘘じゃないようですよ。
最初からこんな話しをしてしまいましたけれども。
 

 赤ちゃんの言葉、喃語にも様々な調査があるようです。
生まれてから8か月ぐらいで始めて、単語でもいい、意味のある言葉を発した月数と回数を棒グラフにしたものですが。8か月、9か月、10か月とありまして、10か月ぐらいで多くの赤ちゃんが意味のある言葉を発するそうですけれども、やがて1歳、1歳8か月までといったおもしろいランキングがありました。

 なぜこんな話しをするのか。
私たちは神様の子どもとして生まれたわけです。神の霊が心の中に宿っている。幼児がお話しをするようにお祈りをします。そのとき、いつまで経ってもお祈りができないと、これは心配しますよね、親は。私たちが神の子どもの霊を受けて新しく生まれ変わったときに、いちばん最初に天のお父様と呼び掛ける。

 で、またこれも意味のある脱線と思ってください。
私が初めて御茶の水の会館で救われ、そして、丸の内教会に導かれて、丸の内教会の礼拝に出席をさせていただきました。礼拝では週ごとにお祈りを捧げる信徒が割り当てられています。
蔦田先生の薫陶を受けた渡辺倉蔵という模範的なクリスチャン青年がその日にお祈りしました。後年に盛岡教会でもお招きしたことのある方です。
 渡辺倉蔵勧士は、蔦田先生が戦争中に日本橋の近くの留置所に入っていた時も、中にいる蔦田先生に聞こえるように、「先生だいじょうぶですよ、私たち頑張ってますよ」と伝えようと太鼓をたたいて路傍伝道をしたというそういう方です。渡辺倉蔵さん、当時は青年だったんですが、私が信仰に導かれたときには、もうお爺さんになっておられました。またこの先生の祈りの決まっていることといったら。駆け出しのクリスチャンのような喃語じゃないのです。真似したくとも、もうはなから構えが違う。「それでは渡辺倉蔵勧士、お祈りをお願いします」と講壇から声が掛かりますとマイクが回ってくる。「在天の父よ。」この最初のひと言で会衆が粛然となる。とてもまねするなどでき ません。ひと言ひと言がぴちぴちと決まっていく。しかもそれが嫌味じゃない、見せびらかすということでもない。心の底からアーメンと同感できる。渡辺倉蔵勧士のような祈りを皆がするのは難しいと思います。

 私たち、はじめは幼子のような祈りでもいい。はじめはそれでいいのです。しかしそれを重ねていくうちに、まことの神との対話、その言葉が発せられます。要はアバ父と祈ることを始めていただきたい。これが、聖霊が私たちに与えられているしるしです。

 さて、おもしろい調査があります。100人を対象に、最初に子どもが発した意味のある言葉はどんな言葉でしょうかという質問に対して、「ママ」が33票。それから「マンマ」が23票。「パパ」が11票。とにかく100人のランキングにいちばん輝いたのが「ママ」。それを聞いたお母さんは「ヤッター」。

 私たちが神の幼子として、神の子どもとして初めて発する神様が期待しておられることば、それは「アバ、父」。決して揺るぐことがありません。愛情と信頼の言葉です。「アバ、父」。この言葉が私たちの心の底から迸り出ることを、神様はとても期待をしておられる。マタイの福音書6章に、ポイントとなるところをちょっと抽出してみました。

26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。
 
「アバ、父」という心からのこの一言が心から出てきたのならば、それは勝利です。なぜでしょう。もし赤ちゃんが、この親で大丈夫かな、心配だな、と考えたのならば、おっぱいも飲むことができない、眠ることもできない。けれども、そんな赤ちゃんはいません。赤ちゃんが休んでいるのはほんとうに愛と信頼を持って天のお父様を知っているからなのです。天のお父様はその私たちの必要なことをぜんぶご存じである。私たちはその天のお父様を知っている。呼びかけるとき、もうそれは勝利です。これは決してことばだけのお話しではありません。ほんとうに私たちが大きな課題に直面し、現実問題に悩むとき、神様の前に、アバ父、あなたはぜんぶご存じですよね。このお方を愛し、このお方に信頼する。この信仰の心の営みができたなら、幼子の言葉から、あの「在天の父よ」」というような渡辺勧士ではありませんが、さまざまな大きな課題を通りながら、本当に神様に呼びかける者になってくるでしょう。

 そして先ほどのゲッセマネの時に、イエス様は「アバ父」と呼びかけられました。「あなたは、何でもおできになります。どうかこの杯、十字架に架かる苦しみを私から取り去ってください。しかしわたしの望むことではなくあなたがお望みになることが行われますように」と祈られた。これがイエス様のアバ父の祈りです。「どうかあなたがお望みになることがこの身になりますように」。アバ父。私たちもイエス様のこのような祈りに倣わせていただきたいと心から願うものです。
そして、「アバ父」ということを思い巡らしますときに、もう一つ、へブル人への手紙125

5「わが子よ、主の訓練を軽んじてはならない。主に叱られて気落ちしてはならない。6主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから」

またへブル127

7 訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が訓練しない子がいるでしょうか。

 ほんとうに愛する子供だからこそ、神は私たちに訓練をなさる。その意味で試練を与えられる。さあ、この時、どういうようにあなたはこの問題を解決しますか。その時、神様の前に真実に悔い改め、決して言い訳はしない。自分のありのままを主の前に告白をし、イエス様のように「アバ父よ、どうかあなたのみ思いがこの身になりますように」。こう言って主の前に出て行ってみてごらんなさいませ。主が愛するご自分の子によくしてくださらないはずがないでしょう。絶対にそんなことはありません。そのように寄りすがっているこどもを抱きしめない親がいるでしょうか。受け入れない親がいるでしょうか。もう一度いいます。私たちが、「アバ父よ」とほんとうに心から主の前に駆け寄っていくときに、主は必ず受け入れてくださるし、そしてその時にけむれるあまを消すことなく、あしを折ることなくねんごろに主は私たちを扱ってくださいます。
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「アバ、父よ」。このことばで私たちは生まれたのです。クリスチャンとして。アバ父よと。真の子供だからこそ神様をアバ父と呼ぶ神の子どもとされたのです。私たちはこのことばで生まれました。そして私たちはこのアバ父よ、という言葉でこの地上生涯を歩者です。どうか、四面さまざまなところはあるでしょうけれども、そのときに、アバ父と呼びながらこの言葉で歩もうじゃありませんか。そして私たちはアバ父よといってこのことばでふるさとに帰るのです。帰るべきところは天のお父さまなんです。そこにアバ父よ、あなただったんですね。御子をこのようにわたしのために遣わしてくださった、ああ懐かしい。わたしたちはこのアバ父で生まれ、アバ父で歩み、アバ父で天に帰ってゆく。これが私たちの信仰生涯そのものです。

※データは教会からお借りしています。
文責:中ぶんな
⏰6時40分更新

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クラシック倶楽部を聴く、などなど、まとめ更新

6月3日(金)クラシック倶楽部を聴く 大西宇宙 〜七変化のバリトン〜
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大西宇宙(おおにしたかおき)バリトン
武蔵野音楽大学、同大学院を修了後、ニューヨークのジュリアード音楽院留学。音楽院時代から多くのオペラ公演の主要キャストに選ばれ舞台にあがる。2015年シカゴ・リリック・オペラの所属歌手となり、さまざまな公演に出演。日本では2019年にセイジ・オザワ松本フェスティバル、エフゲーニ・オネーギンで代役を務め話題を集める。
村上寿昭 ピアノ
桐朋学園大学で指揮を学び、オーストリアのリンツ、ドイツのハノーヴァーの歌劇場に在籍し数多くのバレエやオペラを指揮。現在は活動の中心を日本に定め、室内楽や歌曲の演奏などピアニストとしても活躍。

大西宇宙のコメント
Q
今回のプログラムについて
イタリア語、ドイツ語、フランス語、ロシア語、各国語にわたってこのリサイタルを回していただいたんですけど、それぞれ言葉によってキャラクターも全然違うし、バリトンという声種そのものがいろんな顔と性格があるという事で、今回それを楽しんでいただければと思ってこういうプログラムにしてみました。
Q
「さすらう若者」について
マーラーは最初ピアノ伴奏で作って、オーケストラを想定して作っていて実際に自分でもオーケストラで最後のバージョンを書いたと思うんですが、すごく交響曲に近いというか、交響曲のいちばんの下地になった歌曲なんですけど、ものすごくスケールの大きい作品になってます。オーケストレーションの鮮やかさ、そこにこの歌が乗るという何とも魔法がかったというか、そういう音楽の持ち主だと思います。すごくそういうマーラーの歌の世界をどんどん自分の中でも広げていきたいなといつも思ってます。私もアメリカの音楽院時代ですとかシカゴにいた時代から、すごくドイツリートを大事にしてきて、やはりこう一つの音楽的な表現の基礎となるような礎となるようなレパートリーだと思うので、これからも大事に歌って行きたいと思っています。

Qバリトンという声について
男性のふつうの地声に近い声種だと思う。ちょうど真ん中ぐらい。だからいちばんハートが素直に出る声種なんじゃないかなと思いますけれども、そこの間で揺れ動く心情を歌ったりダークな面、暗い面を歌ったりとか或いはスケルツォな、おどけたような役もやったりするわけで、その物語の中でも複雑な役が多いというか、名脇役みたいなキャラクターがよく出るキャラクターで、たまにやっぱり自分の中にまったくないキャラクターをやらなければいけないときもあるので、そういうときはやはり、作品をしっかり読み込んで、想像力で補う事をしていかないといけないかなと思います。自分だったらこの立場に置かれたときにどうするか。で、もし必要だったらその時、当時の時代背景はどうだったのか、この人はどういう信条を持っていて、どういう暮らしをしててとか、そういうところに、分かるところはちゃんと情報を得て、分からないところは想像深める。音楽家の人生ってたぶんすごく長距離のキャリアだと思うんですね。やはり長く歌って行くというのが大事で、目の前の事だけを見るんじゃなくてこう常に先を見据えながら自分の心に正直な歌を常に歌える人でありたいと思っています。

曲目

ドゥルシネア姫に心を寄せるドン・キホーテ(ポール・モラン作詞/ラヴェル)
訳 大西和子
バス歌手シャリアピン主演の映画「ドン・キホーテ」のために書かれたが、映画では用いられず歌曲として残った。スペインの作家セルバンテスの小説を題材にしたポール・モランの詩による3つの曲から成る。
さすらう若者の歌(マーラー作詞、作曲)
訳 西原稔
20
代半ばのマーラーが自分の体験をもとに書いた4つの曲からなる歌曲集。
当時勤めていた歌劇場の歌手ヨハンナ・リヒターへの報われぬ愛がきっかけとなって生まれた。
歌劇「フィガロの結婚」から「もうあんたの勝ちだと言ったな」(モーツァルト)
アルマヴィーバ伯爵の召使フィガロとスザンナ二人の結婚式に起こる騒動を描いたオペラ。スザンナを口説く伯爵だ

が彼女の言葉に「騙されているのでは?」と疑念を抱きいきまいて歌う。
歌劇「ランメルモールのルチア」から「激しい苦しみ」(ドニゼッティ)
訳 小畑恒夫
17
世紀のスコットランドを舞台に恋人がいながら政略結婚をさせられるルチアの悲劇を描いたオペラ。ルチアの兄エンリーコは仇敵エドガルドに心を奪われていると知り、怒りに燃えて歌う。
歌劇「ドン・カルロス」から「私ですカルロス~わが生涯最高の日です~ロドリーゴの死「終わりの日が来ました」(ヴェルディ)
訳 岡本和子
舞台は16世紀のスペイン 実在の人物をモデルに歴史に翻弄される人々の愛と葛藤を描いたオペラ。反逆の罪で捕えられたスペインの王子ドン・カルロス 親友ロドリーゴは彼の身代わりとなり未来を託し死んでいく。
歌劇「スペードの女王」から「あなたを愛しています」(チャイコフスキー)
訳 小林久枝
野心家の青年士官ゲルマンと伯爵令嬢リーザの身分違いの恋を成就させようとするゲルマンは賭博に身を滅ぼしていく。第2幕舞踏会にやってきたリーザと婚約者のエレッキー侯爵 侯爵はリーザに対する深い愛を歌いあげる。

🎵これだけの解説があって、これ以上何を書くことがあるだろう。すごい! どなたかが言っていたが声は最も簡単な楽器と。しかしその研鑽は並大抵ではなさそうであり、その表現の豊かさ多様さはどの楽器にも及ばないものがあるのでは。生まれながらにしてこんな楽器を内蔵して生まれることができた驚き。ところで楽器に掛ける保険があるとは聞くけれど、声という楽器に掛ける保険はあるのかしらんと、検索してみると、これがしっかりとした筋のページかどうかは分からないけれども、一応こちらに一件出ていた。 

この日の🎧名曲アルバムは、「アイ・ソー・ザ・ライト」 ハンク・ウィリアムズ作曲・作詞/パイレーツ・カヌー編曲
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6歳のウィリアムは、アラバマ州にあるマウントオリーブ・バプテスト教会でゴスペルと出会う。脊椎に病を抱え、辛い幼少期を送ったという。

  ☆   ☆   ☆

 6月2日()クラシッククラブを聴く 笛田博昭&ヴィンチェンツォ・スカレーラ リサイタル

日本を代表するテノール・笛田博昭が、オペラ・アリア、歌曲の伴奏者として一流歌手から絶大な信頼を寄せられているスカレーラとベッリーニ、マスネなどの名曲の数々を熱演【出演】笛田博昭(テノール)ヴィンチェンツォ・スカレーラ(ピアノ)【曲目】マリンコニーア(ベッリーニ作曲)、オシアンの歌「春風よ、なぜ私を目ざますのか」(マスネ作曲)ほか【収録】2019年6月9日 テアトロ・ジーリオ・ショウワー番組紹介よりー

笛田博昭(テノール)インタビュー 写真を撮り損ね、別なところからお借りしました。

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笛田博昭(テノール)
名古屋芸術大学音楽学部声楽科を首席で卒業。同大学院修了後ミラノで学ぶ。2012年フェッラーラ国際コンクールで優勝。歌劇「トロヴァトーレ」マンリーコ役でイタリアデヴュー。「アイーダ」「マクベス」「運命の力」など多くのオペラ作品に主要な役で出演を重ねている。
ヴィンチェンツォ・スカレーラ(ピアノ)
アメリカ ニュージャジー州出身。マンハッタン音楽学校で学び、ピアノ演奏の学位習得。1980年ミラノ・スカラ座の副指揮者兼リハーサルピアニストに就任。カルロ・ベルゴンツィ、ホセ・カレーラスなど世界一流の歌手の伴奏を務め、芸術性の高い演奏は「名手スカレーラ」と評されている。

笛田博昭・スカレーラのコメント
Q
今回のプログラムについて
あまり日本で歌われないというか、みんながやるようなプログラムではないものをやりたかったと。「アマランタ」は初めて。やってすごく大好きになりました。やればやるほど歌えば歌うほど、どんどん掘り下げられる。歌曲はそんなにたくさん勉強してこなかったので、勉強する作業が、歌うってことが僕は声を出すことにすごくとらわれていたわけですよ、アクート、高い声を出すのにはそこに集中しなければいけないし、けれどもそうするとドラマが見えてこない。「アマランタ」を勉強していてあるとき、オペラ歌手というのは役者以上に芝居ができなければ成立しないのだとすごく思った。訳者みたいにオペラの人は、もちろん歌いながらなので動いて表現するよりも言葉のニュアンスとか、動かないでそのドラマを再現するという意味では、ものすごく芝居心とかが必要だなとよくわかりました。
Q
スカレーラについて
笛田博昭:僕はフランス歌曲とかぜんぜん歌ったことがないし、フランスものをほとんどやったことがなかった。だからスカレーラに教えてもらいました。
スカレーラ:私がそうだと言っているわけではありませんが、理想的な伴奏者というのは歌手の息が続かないなどトラブルが起きたとき助けられる人です。リハーサルからやり方を変えて演奏を音楽的に成り立たせるのです。

笛田博昭・スカレーラのコメント
Q
今回のプログラムについて
あまり日本で歌われないというか、みんながやるようなプログラムではないものをやりたかったと。「アマランタ」は初めて。やってすごく大好きになりました。やればやるほど歌えば歌うほど、どんどん掘り下げられる。歌曲はそんなにたくさん勉強してこなかったので楽しかった、勉強する作業が、歌うってことが僕は声を出すことにすごくとらわれていたわけですよ、アクート、高い声を出すのにはそこに集中しなければいけないし、けれどもそうするとドラマが見えてこない。「アマランタ」を勉強していてあるとき、オペラ歌手というのは役者以上に芝居ができなければ成立しないのだとすごく思った。役者みたいにオペラの人は、もちろん歌いながらなので動いて表現するよりも言葉のニュアンスとか、動かないでそのドラマを再現するという意味では、ものすごく芝居心とかが必要だなとよくわかりました。
Q
スカレーラについて
笛田博昭:僕はフランス歌曲とかぜんぜん歌ったことがないし、フランスものをほとんどやったことがなかった。だからスカレーラに教えてもらいました。
スカレーラ:私がそうだと言っているわけではありませんが、理想的な伴奏者というのは歌手の息が続かないなどトラブルが起きたとき助けられる人です。リハーサルからやり方を変えて演奏を音楽的に成り立たせるのです。
Q
今回初挑戦するマスネの歌曲について
スカレーラ:: フランス語のマスネのアリアは私のアイデアでした。彼の声に合っていると思ったのです。ベッリーニの歌曲からイタリア歌劇のアリアへの橋渡しになると思いました。

曲目

フィッリデの悲しげな姿よ」ベッリーニ:作曲
ベッリーニの若き日の恋から生まれたといわれる作品。今は亡き恋人に変わらぬ愛を歌いかける。
マリンコニーア」ピンデモンテ:作詞、ベッリーニ:作曲
「マリンコニーア」はイタリア語で「憂愁」「哀しげ」の意味。恋人をニンフ(妖精)に例え、「憂愁」にひそむ甘美を歌う。
お行き、幸せなバラよ」ベッリーニ:作曲
6つのアリエッタ」の第2曲。ベッリーニらしい旋律美にあふれた作品。
アマランタの4つの歌」ダンヌンツィオ:作詞、トスティ:作曲
トスティの生涯の友人で詩人・劇作家のダンヌンツィオと意見を交わしながら作曲した歌曲集。
あなたの青い目を開け」ロビケ:作詞、マスネ:作曲
マスネが母校パリ音楽院の作曲家教授に就任した1879年の作品。歌曲集『愛の詩』の第3曲。
エレジー」ガレ:作詞、マスネ:作曲
ピアノ独奏だった曲にガレが詩をつけた作品。フランス歌曲の名作の一つとして広く愛唱されている。
「歌劇「ウェルテル」からオシアンの歌「春風よ、なぜ私を目ざますのか」」マスネ:作曲
若き詩人ウェルテルが人妻シャルロッテへの思いを、伝説の詩人オシアンの詩に託して歌う甘美なアリア。
タイスの瞑想曲」マスネ:作曲   ピアノ独奏
「歌劇「運命の力」から「この世は地獄」「天使のようなレオノーラよ」」ヴェルディ:作曲   
アルヴァーロが不幸な生い立ちを振り返り、レオノーラへの愛と絶望を情熱的に歌うアリア。

訳は河野典子

🎵 「アマランタの4つの歌」は1そっとしておいて2暁は光と影を分け3虚しく祈り4賢者の言葉よ、何を語っているのか。ガレの「エレジー」春はもう戻っては来ないと切々。ヴェルディ「運命の力」、王座を夢見た者は皆斧で殺され、その血筋にあることにふるえながら不運に掴まれた慟哭が真に迫り地を圧するの感。
あなたの青い目を開け」、マーガレットが出てくるが、近くでは今マーガレットが一帯を覆いつくさんばかりに咲いている。この歌の核心部分とはあまり関係なかったかも。

🎧名曲アルバムはデュレー「ソナチネ」。フルート上野由恵、ピアノ三浦友理枝
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世紀の初頭、「音楽を裸にする」と簡素で明快な作風がパリ音楽界の話題となる。プーランクらとともに「六人組」と呼ばれ、時代の寵児に。しかし富裕な家庭に生まれながら華やかな生活になじまず、独り音楽に向き合う。1921年パリから小さな港町サントロペに移住。1925年この地で「フルートとピアノのためのソナチネ」は作曲された。

  ☆  ☆  ☆

6月1日(水)クラシッククラブを聴く 小林厚子のソプラノ
東京藝術大学大学院修了。その後イタリア留学。2000年ドニゼッティの歌劇「愛の妙薬」でオペラデビュー。2015年プッチーニの歌劇「蝶々夫人」でイタリアデビュー。 近年は、ワーグナーやヤナーチェクのオペラにも出演。幅広いレパートリーで活躍。ピアノの江澤隆行は、東京藝術大学別科を修了後フランスに留学。オペラや歌曲の伴奏法を学ぶ。【演奏】小林厚子(ソプラノ)、江澤隆行(ピアノ)。【収録】2021年11月29日武蔵野市民文化会館大ホール。
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コメント(一部)
アリアはその場所、コンサートでしたらその歌詞をとりあげて歌いますので、それまでのどうしてこのアリアに至ったかという物語を自分の中で反芻してからじゃないとやはりそのアリアを歌いきれないんですが、歌曲はほんとうにコンサートのためにつくられているので、共演者と一緒にその世界を作り上げるというのですね。大学に入ったときに、最初のレッスンだったと思うんですが、先生が「きみねぇ、歌は長い長い人生をかけてやるものだよ」と仰って、私はほんとうに途方にくれました。やっとこの自分という楽器がすこし見えてきたかなあというところで、まだまだ進化していきたいとはおもっているんですが、その運転の仕方をやっとすこし身につけてこられたかなあと。でもまだまだこの先がありそうです。

【曲目】
かわいい口もと(トスティ)
君ゆえ死ぬ思い(ロドリーゴ)

ノクターン(レスピーギ)  江澤隆行のピアノ

歌劇「ゴイェスカス」から「マハと夜鳴きうぐいす」(グラナードス)
歌劇「ルサルカ」から「月に寄せる歌」(ドボルザーク)
歌劇「ドン・カルロ」から「世のむなしさを知るあなた」(ヴェルディ)

                            字幕 多田茂史 

 
🎵前回は後半30分ほどしか聴くことができなかった。今回は一通り聴く時間はあった。そして書き落しの多さに気づかされる。少々疲れ気味で、前回をそのまま転載した。ヴェルディは圧巻。

🎧名曲アルバム。グリーグ「ソルヴェイグの歌」。ソプラノ天羽明惠、ピアノ松川儒
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 ノルウェーの作家イプセンの代表作が「ペール・ギュント」。1875年、グリーグがこれを組曲に。と私が書き連ねるよりもこちらに素敵なページが。

⛳転載、転載の付け足しで更新。そろそろ体力が、そういつか私が花巻市にいた時分に見に行った時の豊沢ダムの干上がった底のように、何か枯渇しそうな、つまり続けられる余力が乏しくなってきているこの現実。あの時に詠んだ俳句でも記しておこう。


旱魃やダム底の村見えて来し(小原啄葉 選)  中ぶんな

 ダムの底の泥土が干からびひび割れており、かつてはそこにあった村の人々の暮らしを彷彿とさせる形状があらわれ陽光にその様をさらしていた。ことしはどうなるだろう。猛暑にいたぶられる夏とならなければよいが。
6月3日(金)21時18分更新

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