220428 エール弦楽四重奏団
メンバー4人が国内外の著名なコンクールに上位入賞歴をもち、それぞれがソロ活動も行う。2011年高校生の時に結成され、現在最も期待を集める若手アンサンブルの一つ【演奏】山根一仁(バイオリン)毛利文香(バイオリン)田原綾子(ビオラ)上野通明(チェロ)【曲目】弦楽四重奏曲D.810「死と乙女」(シューベルト)、弦楽四重奏曲 作品10から(ドビュッシー)【収録】2021年2月19日 紀尾井ホール(東京)
エール弦楽四重奏団は、高校時代に桐朋学園で出会った4人が2011年に結成。エールはフランス語で「翼」を表し、大きく羽ばたいていけるようにという願いをもとに名付けられた。ふだんは、それぞれがソリストとして海外を拠点に活動している。不定期に集まって演奏している。2021年で結成10周年を迎えた。
バイオリン 山根一仁
バイオリン 毛利文香
ビオラ 田原綾子
チェロ 上野道明
Q4人にとってエール弦楽四重奏団とは
山根一仁:久しぶりに今回このメンバーで弾いてるんですけど、リハーサルのときとかもやっぱり室内楽っていいなと思う瞬間がたくさんあったし、音楽家としても友達としてもすごく尊敬できて、楽しい仲間なので、そういった仲間と室内楽ができる自分、それが幸せでした。
田原綾子:よく話すのは、コノカルテットはエール弦楽四重奏団という名前はついているけれども感覚的にはファミリーみたいだよねとよく言ってます。
毛利文香:カルテットとして、常設のカルテットみたいにすごく頻繁に一緒に弾いているというわけではなくして、やっぱりそれぞれの勉強、ソロだったり別の室内楽やったりとか、そういうのをしながらたまに集まってカルテットを弾く感じなので、ちょうどいい頻度で演奏のために集まれてるのかなと、私自身はそういう感じがしてます。
上野道明:みんなそれぞれ違うところにいて違う場所で違う先生について、違う音楽のしゃべり方などを身につけてるから、久しぶりに集まったときは正直同じ音楽を作るのに楽ではない。みんなけっこう別の感じだから。だけどそんな中でお互いその違いを楽しみながらというか、その違いに影響を受けて刺激し合いながら作れるのがすごいいいと思います。
今回みんながそろったのは3年ぶりで、集まると昨日も会ったみたいなテンションでまた合わせの日々が始まるという感じなそうです。
曲目
☆弦楽四重奏曲ニ短調「死と乙女」D.810 シューベルト
シューベルト自身が作曲した歌曲「死と乙女」の旋律を第2楽章の主題に用いていることから同じ名前で呼ばれている。当時シューベルトは病に侵されており、死を感じていた心境を表現したとも言われている。
☆弦楽四重奏曲ト短調 作品10 第1、4楽章 ドビュッシー
当時は否定的な意見が多かったが、作曲家デュカスは自由ながらも明確な構成と大胆な和声を絶賛した。己の独立性を確立した第一歩となる。
ここからはネットからの引用です。
ドビュッシーは古い教会旋法などを活用することで、今までの誰もが気づかなかった繊細で茫漠とした響きを音楽の中に導入したのです。
当然の事ながらそれらの響きは当時の聴衆にとっては「不協和音」の一種として受け取られたはずです。
ですから、この作品が発表されたときの聴衆の反応は極めて冷淡だったと伝えられています。
しかし、多くが冷淡な態度を取る中で、この作品に新しい時代の到来を見いだした人もいました。「魔法使いの弟子」で有名なポール・デュカスもそんな一人で、彼は「ハーモニー自体も非常に大胆であるがいささかも耳障りではない。こうした不協和音は不快どころか全体の複雑な流れの中では協和音よりもかえって調和しているほどだ。」
「こうした不協和音は不快どころか全体の複雑な流れの中では協和音よりもかえって調和しているほどだ。」という言葉は、この作品の本質をもっとも見事に言い当てています。
🎧名曲アルバム。ゲーテ作詞ウェルナー作曲「野ばら」
「野ばら」、詞の内容には、ウェルナーよりもシューベルトの曲の方が合っていると思う。けれどもウェルナーの曲の方がほんとうにやさしい。聴きたいのはウェルナーの「野ばら」だ。ウェルナーの年代は1800~1833。短命だったのだ。1833年3月3日に死去。4つの3の連なり。
以下はwikipediaから
1821年、ヴェルナーはエアフルトに学び、1822年には教師資格を得た。同年末にはブラウンシュヴァイクへ戻り、ハーゲンマルクト歌劇場の合唱指導者となり、音楽教師としても働くようになった。
ハインリッヒ・ヴェルナーは、84曲の作品を作曲したが、その大部分は歌曲(リート)であった。ヴェルナーの最も有名な作品は、「童(わらべ)はみたり 野なかの薔薇(ばら)...
(Sah ein Knab' ein Röslein stehn ...)」(日本語訳は近藤朔風による)と歌われる、ゲーテの「野ばら」であった。
1829年1月20日、この曲は、ヴェルナーが指揮者を務めていたブラウンシュヴァイク合唱団のコンサートで初演された。ヴェルナーが作曲したこの作品は、たちまち人気が出て、今日でも歌われることが多い百曲ほどの民謡(フォルクスリート)のひとつとなった。
1830年、ヴェルナーは、ホルツミンデン、ハノーファー、そして故郷への旅に赴き、1831年にはベルリンへ、さらに1832年には故郷への最後の旅路についた。
1832年秋に結核を患い、1833年3月3日にブラウンシュヴァイクにて死去し、同地に埋葬された。32歳没。
ところで、ここに歌われている野ばらは野性の原種の一つだという。
果たして今どれだけの種類のバラがあるのだろうか。ググってみると4万種以上もあるらしい。その中でも愛されている名花、殿堂入りのバラというものがあるらしい。しかし、しかし、どれほど豪華なバラがあろうとも、これまでに私にとって最もすばらしいバラは、以前住んでいた塀の外回りにあった、Gさんご夫妻が引っ越すときに私にくださったピンクのバラ。ほんとうに香りが高いピンクのバラ。通りかかる方に危ないからとぎりぎりまで剪定した翌年にも、そちこちから芽を噴き出してくれたときには、ただただ感動。その花の名は、ここでズバリ指すことができれば申し分ないのだけれども、図鑑を幾度となく開きながらも、いまだ特定に至ってはいない。ソニアリキエルだったろうか、それともジルドゥブリザックだったろうか。庭を手放した時に、バラは他の花たちと一緒に天国に行ってしまったのだ。そして今は私の心の中に咲いている。
⛳きょうのクラシック倶楽部は前に書いた通り。何しろ目覚めたのが6時5分ほど前。ありのままに書いておくのが一番いい。いい天気。近くの空き地になった一軒分の敷地にタンポポが群生。園芸種に勝って美しく健康的に感じられる。きょうの青い空をいっぱいに受け容れている。
14時56分更新
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