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2022年4月

220428 エール弦楽四重奏団

メンバー4人が国内外の著名なコンクールに上位入賞歴をもち、それぞれがソロ活動も行う。2011年高校生の時に結成され、現在最も期待を集める若手アンサンブルの一つ【演奏】山根一仁(バイオリン)毛利文香(バイオリン)田原綾子(ビオラ)上野通明(チェロ)【曲目】弦楽四重奏曲D.810「死と乙女」(シューベルト)、弦楽四重奏曲 作品10から(ドビュッシー)【収録】2021年2月19日 紀尾井ホール(東京)

エール弦楽四重奏団は、高校時代に桐朋学園で出会った4人が2011年に結成。エールはフランス語で「翼」を表し、大きく羽ばたいていけるようにという願いをもとに名付けられた。ふだんは、それぞれがソリストとして海外を拠点に活動している。不定期に集まって演奏している。2021年で結成10周年を迎えた。
バイオリン 山根一仁
バイオリン 毛利文香
ビオラ   田原綾子
チェロ   上野道明

Q4人にとってエール弦楽四重奏団とは
山根一仁:久しぶりに今回このメンバーで弾いてるんですけど、リハーサルのときとかもやっぱり室内楽っていいなと思う瞬間がたくさんあったし、音楽家としても友達としてもすごく尊敬できて、楽しい仲間なので、そういった仲間と室内楽ができる自分、それが幸せでした。
田原綾子:よく話すのは、コノカルテットはエール弦楽四重奏団という名前はついているけれども感覚的にはファミリーみたいだよねとよく言ってます。
毛利文香:カルテットとして、常設のカルテットみたいにすごく頻繁に一緒に弾いているというわけではなくして、やっぱりそれぞれの勉強、ソロだったり別の室内楽やったりとか、そういうのをしながらたまに集まってカルテットを弾く感じなので、ちょうどいい頻度で演奏のために集まれてるのかなと、私自身はそういう感じがしてます。
上野道明:みんなそれぞれ違うところにいて違う場所で違う先生について、違う音楽のしゃべり方などを身につけてるから、久しぶりに集まったときは正直同じ音楽を作るのに楽ではない。みんなけっこう別の感じだから。だけどそんな中でお互いその違いを楽しみながらというか、その違いに影響を受けて刺激し合いながら作れるのがすごいいいと思います。

今回みんながそろったのは3年ぶりで、集まると昨日も会ったみたいなテンションでまた合わせの日々が始まるという感じなそうです。

 

曲目
弦楽四重奏曲ニ短調「死と乙女」D.810  シューベルト
 シューベルト自身が作曲した歌曲「死と乙女」の旋律を第2楽章の主題に用いていることから同じ名前で呼ばれている。当時シューベルトは病に侵されており、死を感じていた心境を表現したとも言われている。
弦楽四重奏曲ト短調 作品10 第14楽章 ドビュッシー
 当時は否定的な意見が多かったが、作曲家デュカスは自由ながらも明確な構成と大胆な和声を絶賛した。己の独立性を確立した第一歩となる。

 ここからはネットからの引用です。
ドビュッシーは古い教会旋法などを活用することで、今までの誰もが気づかなかった繊細で茫漠とした響きを音楽の中に導入したのです。
当然の事ながらそれらの響きは当時の聴衆にとっては「不協和音」の一種として受け取られたはずです。
ですから、この作品が発表されたときの聴衆の反応は極めて冷淡だったと伝えられています。
しかし、多くが冷淡な態度を取る中で、この作品に新しい時代の到来を見いだした人もいました。「魔法使いの弟子」で有名なポール・デュカスもそんな一人で、彼は「ハーモニー自体も非常に大胆であるがいささかも耳障りではない。こうした不協和音は不快どころか全体の複雑な流れの中では協和音よりもかえって調和しているほどだ。」
「こうした不協和音は不快どころか全体の複雑な流れの中では協和音よりもかえって調和しているほどだ。」という言葉は、この作品の本質をもっとも見事に言い当てています。

🎧名曲アルバム。ゲーテ作詞ウェルナー作曲「野ばら」
「野ばら」、詞の内容には、ウェルナーよりもシューベルトの曲の方が合っていると思う。けれどもウェルナーの曲の方がほんとうにやさしい。聴きたいのはウェルナーの「野ばら」だ。ウェルナーの年代は1800~1833。短命だったのだ。1833年3月3日に死去。4つの3の連なり。


 以下はwikipediaから
1821年、ヴェルナーはエアフルトに学び、1822年には教師資格を得た。同年末にはブラウンシュヴァイクへ戻り、ハーゲンマルクト歌劇場ドイツ語版の合唱指導者となり、音楽教師としても働くようになった。
ハインリッヒ・ヴェルナーは、84曲の作品を作曲したが、その大部分は歌曲(リート)であった。ヴェルナーの最も有名な作品は、「童(わらべ)はみたり 野なかの薔薇(ばら)...
(Sah ein Knab' ein Röslein stehn ...)」(日本語訳は近藤朔風による)と歌われる、ゲーテの「野ばら」であった。
1829年1月20日、この曲は、ヴェルナーが指揮者を務めていたブラウンシュヴァイク合唱団のコンサートで初演された。ヴェルナーが作曲したこの作品は、たちまち人気が出て、今日でも歌われることが多い百曲ほどの民謡(フォルクスリートドイツ語版)のひとつとなった。
1830年、ヴェルナーは、ホルツミンデンハノーファー、そして故郷への旅に赴き、1831年にはベルリンへ、さらに1832年には故郷への最後の旅路についた。
1832年秋に結核を患い、1833年3月3日にブラウンシュヴァイクにて死去し、同地に埋葬された。32歳没。

 ところで、ここに歌われている野ばらは野性の原種の一つだという。
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果たして今どれだけの種類のバラがあるのだろうか。ググってみると4万種以上もあるらしい。その中でも愛されている名花、殿堂入りのバラというものがあるらしい。しかし、しかし、どれほど豪華なバラがあろうとも、これまでに私にとって最もすばらしいバラは、以前住んでいた塀の外回りにあった、Gさんご夫妻が引っ越すときに私にくださったピンクのバラ。ほんとうに香りが高いピンクのバラ。通りかかる方に危ないからとぎりぎりまで剪定した翌年にも、そちこちから芽を噴き出してくれたときには、ただただ感動。その花の名は、ここでズバリ指すことができれば申し分ないのだけれども、図鑑を幾度となく開きながらも、いまだ特定に至ってはいない。ソニアリキエルだったろうか、それともジルドゥブリザックだったろうか。庭を手放した時に、バラは他の花たちと一緒に天国に行ってしまったのだ。そして今は私の心の中に咲いている。

⛳きょうのクラシック倶楽部は前に書いた通り。何しろ目覚めたのが6時5分ほど前。ありのままに書いておくのが一番いい。いい天気。近くの空き地になった一軒分の敷地にタンポポが群生。園芸種に勝って美しく健康的に感じられる。きょうの青い空をいっぱいに受け容れている。
14時56分更新

 

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220427 吉川隆弘 ピアノ・リサイタル

イタリアの巨匠・ミケランジェリに心酔し、イタリアへ留学、高弟に学ぶ。1999年東京藝術大学大学院修士課程修了。2002年7月シューベルト国際音楽コンクール優勝。ミラノに拠点を置き、イタリア各地の主要なオーケストラと共演を重ねながら、ヨーロッパ各地で演奏活動を行う。【曲目】ピアノ・ソナタ 第3番(ベートーベン) 映像 第1集(ドビュッシー)ほか【収録】2020年10月3日 浜離宮朝日ホール(東京)

吉川隆弘は1973年兵庫県出身。96年東京芸術大学卒。99年同大学院修了。イタリアへ渡る、ミケランジェリの弟子、アニタ・ポリーニにピアノを師事。ミラノ・スカラ座アカデミーで室内楽、作曲を学ぶ。ドイツのシューベルト国際音楽コンクールなど多くのコンクールで優勝(以上はTV解説)。ミケランジェリの奏法を徹底的に学ぶ。ミラノを拠点に活躍するクラシック・ピアニスト。イタリアのメディアにも度々取り上げられ、ミラノ・スカラ座での演奏は各紙にて高く評価されている。東京藝術大学卒業。同大学院修士課程修了。1999年よりイタリア、ミラノ市在住。イタリアの4つの国際コンクールに優勝。イプシロン・インターナショナルよりベートーヴェン、ドビュッシー、シューマン、リストのCDを発売。レコード芸術誌上で特選盤となるなど、高評を得ている。(ここまではこちら)
2019年11月「TAKAHIRO YOSHIKAWA - WOLFGANG AMADEUS MOZART」を発売。同月ミラノ・スカラ座のバレエ公演 Petite mort にてモーツァルトのピアノ協奏曲を演奏(8公演)。

http://takahiroyoshikawa.com/

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コメント

ミケランジェリ(1920~1995)が弾いてきた曲をということで、ミケランジェリへのオマージュといいますか、ミケランジェリはレパートリーがすごく絞られてた。生涯にわたって例えば今日弾くベートーベンの3番ソナタだったり、ドビュッシーの作品はもう生涯にわたって弾いてきている。そういう作品に取り組むことで僕自身ももういちどそのイタリアに留学したのが20年ぐらい前になりますので、その時期に勉強していたことをもう一度思い出してやってみようと思う。ミケランジェリというのは今でいえば、もうずいぶん昔のピアニストですから、今第一線で活躍しているピアニストたちというのは、価値観もすこし違うかもそれません。その時代のスタイル、価値観というか、そういうものも振り返り
つつ演奏できたらと思います。

Arturo Benedetti Michelangeli 1960cr.jpgミケランジェリ

ミケランジェリの奏法についてwikipediaには次のように出ている

リヒテルと違い、鍵盤の上部雑音(指が鍵盤に当たる時に出る衝突音)を出来る限りゼロにする彼特有のピアニズムで知られている。この趣旨を生涯守り続けたために、独自のテンポと独特のアゴーギクなどついて回ることもあったが、そのファンは、それこそがミケランジェリの美学であると思う者も多い。このような演奏は、ブゾーニやラテン系演奏家に近いものがある。日本人の信奉者を多く生んだ理由も、ブゾーニ経由のピアニズムを通過した日本の留学生が多かったからという見方もある。

ミケランジェリの演奏録音はこちら。ベートーベンの「皇帝」。録音嫌いだったというから、これも貴重な盤の一つか。

曲目

☆ベートーヴェン:ピアノソナタ第3番 ハ長調 Op.2-3
☆ショパン:アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ Op.22
☆ドビュッシー:映像第1集
☆ドビュッシー:映像第2集

  

🎵今回はもっぱらミケランジェリを追うことになってしまったが。何れミケランジェリの完璧主義に全幅の賞賛を寄せるほどにはミケランジェリを知ってはいないけれども、すこしでもと。
今回吉川の演奏でドビュッシーが際立って映像的に視覚的にのこった。

🎧名曲アルバム。イザイ「無伴奏 バイオリン・ソナタ 第4番」。演奏 川田知子

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この日の朝のイザイは、バイオリニストに放たれた矢にギリッと真中心を射抜かれた気がした。聴くその日の心境によってさまざまに響く。

 

⛳昨日の分を今日、何とか午前に更新しようと。それがTVでは対ガーディアン、大谷、セカンド・ゴロの場面。あれれスタンドの騒擾と、この皇帝、合わなくもないと思ったりも。
佐々木朗希の大活躍といい、今を明るくしてくれるのは野球と音楽か。もっとあるだろう。人の心。人間らしい心。立派なことをいうつもりはないけれど、自分を捨てて弱者のために身を切れる方々がいることは大きな心の慰め。今朝の新聞、「干ばつ2年飢えるケニア北部」。いまウクライナに思いを寄せるほどに、これまでアフリカにアフガニスタンに思いを寄せてきただろうか。
昨日の分を、きょうのTV、野球観戦をしながらの更新。「皇帝」は最後部分を奏でている。そしていまエンジェルスに満塁ホームランが出て次の打順は大谷。
11時25分更新。
 

 

 

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220426 アラベラ・美歩・シュタインバッハー バイオリンは歌う

「音楽の役割はエネルギーや安心感 強さを与えてくれること」国際派バイオリニスト、アラベラ・美歩・シュタインバッハーが名曲をバイオリンで歌うピアノ島田彩乃 アラベラ・美歩・シュタインバッハーはドイツ人の父と日本人の母の間にミュンヘンで生まれた。世界の主要オーケストラと共演するほか、ソロや室内楽の分野でも活躍している。【ピアノ】島田彩乃
【曲目】
ロマンチックな小品から 第1曲(ドボルザーク)
バイオリン・ソナタ(ドビュッシー)
フラトレス(ペルト)
バイオリン・ソナタ第2番 イ長調 作品100(ブラームス)

【収録】2021年6月7日 王子ホール
―番組紹介からー

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アラベラ・美歩・シュタインバッハーのコメント
 新型コロナウィルスの影響を受けて1年以上になります。それでも日本ではコンサートが開かれていて来る前からワクワクしていました。ドイツではほとんど中止になったので、この1年はどうなるかわからなかったので、ショックを受け、怖かったです。私も気分が落ち込みました。この時期を乗り切るうえで娘の存在が救いでした。娘と一緒に過ごす時間が増え感謝しています。生後1年間はとても重要な時期ですから。個人的には小さな娘のおかげで新型コロナウィルスに対処できたと思います。
きょう演奏するドビュッシーのソナタは他とは全く違う作品です。弓が弦に触れるか触れないかで弾く奏法も出てきます。カラフルで自由に様々に奏法を試みることができます。このソナタはドビュッシーの中でも特に即興的で、弾くたびに変化します。ピアノへの呼応の仕方によって変化し、バイオリンが何かを与えるとピアノから別な何かが生まれるのです。まるで即興のようです。
ブラームスのソナタはそれぞれ異なった性格がありますが、3曲のうち第2番が最もロマンチックです。ブラームスは自分と同じ場所にいる感じで、ドイツ的とは言いたくありませんが、ある種の重厚さとリアリティがあります。ブラームスはドイツ音楽そのもので、私は半分は日本人、半分はドイツ人なのでとても親しみを感じます。
 今のような誰もが恐怖におびえ、苦しみ先が見えないときこそ文化や音楽が重要になると思います。音楽は免疫力を高め、私たちを病気から守ってくれると思います。これが音楽の役割で、エネルギーや安心感、強さを与えてくれるのです。

🎵毅然としダイナミックな身の振り、アラベラ・美歩の演奏。コメントを参考にしながら聴き、ブラームスがより身近に。
今回はペルトを集中的に聴いてみる。可視不能な得体のしれない、名状しがたい不安が近づいてくるような、純度の高まりのうちにも、人の底にある恐怖感が聴こえるような。まったくの独りよがりの感想だけれども。そちこちの情報をたぐってみると、あとでもういちど聴いてみる必要はありそう。「フラトレス」、wikipediaによれば、というより番組解説にもあったが、「1977年エストニアの古楽団体ホルトゥス・ムジクスからの委嘱によって作曲された作品で、「ティンティナブリ様式」による書法で生み出された、ペルトの作品の中で最も演奏頻度が高く且つ有名な作品である。なおタイトルの「フラトレス」は「親族、兄弟、同士」といった意味を指す。後にペルト自身によりいくつかの異なる楽器のために編曲されている。独奏ヴァイオリンと弦楽合奏の版や、ヴァイオリニストギドン・クレーメルのために編曲されたヴァイオリンとピアノのための版が現在多く演奏されている」という。また「ティンティナブリ(小さな鐘)様式とは、ペルトが確立した、単純な三和音をまるで一つの鐘のように鳴らす音楽の手法です。 彼が宗教的な概念を音楽に見出し、様々な作曲技法を研究したことによって到達した、極めて純度の高い独自の調性感を生み出す手法であるとも言える」とあった。

 

🎧名曲アルバムはベルリーニ「カプレーティとモンテッキ」から「おおいくたびか」
ソプラノ砂川涼子。現田&東京フィル
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 北イタリアのヴェローナはロメオとジュリエットの舞台。ロメオとジュリエットの物語は今もって人の心をとらえて離さないというけれども、砂川涼子のソプラノもまた心をとらえて離さない。

⛳9時47分更新。花曇り。

 

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クラシック俱楽部を聴く ドビュッシー没後100年記念演奏会 II

20世紀を代表する、フランスの作曲家クロード・ドビュッシー。その没後100年を記念して、日本の名手たちを集めて行われた、室内楽作品の演奏会をお届けする。その2回目。
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曲目(すべてドビュッシー作曲)
「アラベスク 第一番」(1891)
「弦楽四重奏曲ト短調」(1893)
「パンの笛」(1912)
「バイオリン・ソナタ」
(1917)
出演:吉野直子(ハープ)、小林美恵、川久保賜紀(バイオリン)、川本嘉子(ビオラ)、遠藤真理(チェロ)、三浦友理枝(ピアノ)、上野由恵(フルート)

🎵「アラベスク 第1番」は吉野直子さん、もしかすれば、もしかしなくても、みな先生とお呼びすべき方々なのだけれども、大谷を大谷さんと言わないのと同じで、以下はみな敬称略、で、吉野さんのハープ。水の戯れを心地よく。
「弦楽四重奏曲ト短調」は小林美恵、川久保賜紀のバイオリン、川本嘉子のビオラ、遠藤真理のチェロ。第1楽章戸惑い、不安、憂愁。もしかすれば奏者としては互いの音を聴くにも聴きにくい、ただ素晴らしきプロであるからにはこんなたわ言は思いもしない、或いは思っても引っ込めてしまい、楽曲に向き合うものかもしれない。聴きにくい弾きにくいのではと勝手に思い込んでいる。奏者に難儀をさせるドビュッシーといいながらこれを読んだ方の哄笑が漏れるのを待っている次第でもある。第2楽章、意表をつく出だしが霊妙さにつながって。第3楽章神妙な鳴りだし。暗い森の底に静まる湖を連想。ビオラとチェロが思慮深く安定感をくれる。ほんとうに深いところでは4人の奏者が同感、共感し寄り添い和する。第4楽章、静かな面がざわつき波立つところにざわり。
「パンの笛」、上野由恵のフルート。
「バイオリン・ソナタ」、川久保賜紀のバイオリンと三浦友理枝のピアノ。この作曲の翌年にドビュッシーは亡くなっているので、病の憂鬱もあるかと思うが、しかしこれは短絡化かもしれない。最後の最後まで自分の曲想を追及し続けたに違いないと。しかし、この旋律が生涯つづいたなら、これはちょっとやるせないなと。第3楽章は霊妙でピュア。

🎧名曲アルバム。サティ「ノクチュルヌ 第2番 5番」
音楽院退学、酒場で暮らしの糧を得る、音楽界の異端児というこれらには耳慣れている。このサティ、しかしやはり自然からのインスピレーションを受けても作曲。冷たく清らかな空気が漂う詩的な世界と解説にあった。
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⛳もう少し書きたいと思いつつ、買い物などに多くの時間を取ってしまい、すこし疲れが。
出かけるときにエントランスに、何とアブラゼミの遺骸が羽と頭だけを残して仰向けに落ちていた。去年のだろう。無残な感じがした。
電気店に行くために北上川を通過。柳の新緑が実に眩しい。水のきらめきと相和し、柔らかで鮮やかなハーモニーで周囲も明るくしている。そろそろ山吹も咲いているかもしれない。宮古市に住んでいたころ、盛岡市との往復で、新緑の北上山地を縫う山吹を見るのは、四季を通じての大きな楽しみの一つだった。それこそ、今朝はアブラゼミが落ちていたけれども、これからは、というよりもう始まっているけれども、ありとあらゆる虫たちの活躍のとき。奇想天外な才能を伸ばしながら大活躍する姿も見られるだろう。もしかすればその中には、あのアブラゼミの子孫たちもいるに違いない。もっとも蝉が活き活きと動き回るのは、地中にじっとがまん、人から見れば我慢にも見えるのだが、案外その状況を楽しんでいるのかもしれないが、何れ地中の何年かを過ごして後のことになるのか。たしか10年であったか。ここで、蝉は地中に何年いるの?とググってみようかとも思ったけれども、ほら、もう9時、夜の9時、もう遅すぎ。おばあちゃんは寝なさいという声も。何れ、虫を虫けら扱いにしたことはただの一度もないのです。
21時10分更新

 

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きょうのことば「私の主。私の神よ。」

 先週はイースター礼拝でした。聖餐式に与り、また午後からは、この教会で故人となられた方々のお墓参りをしました。
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インマヌエル盛岡キリスト教会2022年417()のイースター・メッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 『私の主、私の神よ。』―復活節講壇―(國光勝美 牧師)
引証聖句 ヨハネの福音書202431
24 十二弟子の一人で、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。
25 そこで、ほかの弟子たちは彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」と言った。
26 八日後、弟子たちは再び家の中におり、トマスも彼らと一緒にいた。戸には鍵がかけられていたが、イエスがやって来て、彼らの真中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と言われた。
27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、私の脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
28 トマスはイエスに答えた。「私の主。私の神よ。」
29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じた人たちは幸いです。」
30 イエスは弟子たちの前で、ほかにも多くのしるしを行われたが、それらはこの書には書かれていない。
31 これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。

<メッセージ>
 今日は、「私の主。私の神よ。」という題でイースター・メッセージをお取り次ぎさせていただきます。
 前回「地の果てのすばての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。」(イザヤ書4522)、私たちはイエス様のご受難の十字架におもいを致したことでございます。たしかに、このキリストの十字架こそ福音の中心であるといってさしつかえございませんが、しかし、十字架ですべてが終わってしまったとするならば、それは違います。イエス様の十字架はいつでもその復活と表裏一体を成しているものだからです。ここに私たちのたしかな希望、たしかな栄光を見ます。
 私たちはクリスマスの時にイエス様のお誕生をいつも心に止めますように、この受難週からイースターのときには、イエス様のご復活ということを、毎年毎年教会で心を止めていることでございます。イエス様がアリマタヤのヨセフの墓に葬られたこと、そして、イエス様の「わたしは三日目によみがえる」ということばを耳にしていた者たちは、もしほんとうにこのようなことが起こったのならば、これは一層大変なことになるということで、イエス様の亡骸を葬った、その日本とは違う横穴式の、その入り口に大きな大きな石をもって塞いでしまいました。そして誰もこれを開けることがないようにということで、ローマの皇帝の印、封印をいたしまして、誰も開けられないように、そして兵隊たちも番をしてこのようなことが起こらないようにしていたわけであります。

 しかし十字架の金曜日の後、日曜日、私たちはそれを今日迎えているわけですけれども、朝に墓に行ってみましたのならば、その墓穴の石が転び去られて、イエス様の亡骸はすでにそこにはありませんでした。このようにイエス様の復活というできごとが、ほんとうに、こうお話ししていて、またメッセージの準備をしていて、ほんとうにアーメンと思うのですけれども、このことが実際に起きたからこそ、福音、キリスト教と呼ばれるキリストの福音というものがあるのであって、もしこの復活の事実がなかったのならば、福音はなかった、そう思うと一層この今朝のイースターの出来事は大きな大きな意味があるというように思います。

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 その時に色々なエピソードがあるのですが、きょうは、一つのエピソードに心を向けたく思っています。それはお弟子さんたちです。お弟子さんたちは、イエス様を十字架につけた勢力が、イエス様の弟子たちのグループを同じような目に遭わせようと狙っていると怖れまして、ペテロはじめお弟子さんたちは、一つところ、部屋に鍵をかけて、止まって居りました。よみがえられたイエス様は、鍵が掛けられいたにもかかわらず、弟子たちがいた部屋に、私たちの今の肉体とは違う次元の肉体なのですが、もはやそういう制約を受けないで、その部屋に入ってお弟子さんたちの前に現れました。「ほら私だよ」。よみがえられたイエス様はお弟子さんたちの前に自らが現れなさった。よみがえったご自分を、はっきりと示されました。しかしそこに一人トマスというお弟子さんが、どういう理由かは分かりませんけれども、ちょうどイエス様が復活をされたその場面にトマスだけはいなかったのです。しかしやがてトマスがそのグループに戻ってきたとき、お弟子さんたちが、「おい、トマス、トマス、こういうことだったんだよ」。といって、よみがえられたイエス様がご自身を現してくださったことを伝えました。
 トマスは、あまりに想像を超えた出来事でしたので「信じられないね、あなたたちは自分たちの集団的な幻想をもってそんなことをいったんだろう。私はイエス様の脇に傷跡があるのを、手に傷跡があるのをちゃんと自分で見るまでは、そんなことは信じられないよ」。トマスは言いました。しかし、イエス様はちゃんとそのことを聞いておられたのですね。1週間後です。今度は弟子たちと一緒にトマスはいました。「トマス、見てご覧。わたしだよ。さあ、脇腹に手を入れ、さあ手の釘跡を見てご覧」。トマスにイエス様はご自身を現してくださいました。その時、トマスは、「私の主、私の神よ。」。そこでイエス様は仰ったのです。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じた人たちは幸いです。」

 きょうは「私の主、私の神よ。」というこの一つのトマスの言葉に注目をしてみたいと思っています。
 みなさんはこのトマスの言葉をどのように考えなさるでしょうか。「私の主、私の神よ」。当時のユダヤの人たちにとってこれはあり得ない言葉だったのです。ユダヤの人たちは神様の名前を決してみだりに口に出してはならない。ですから、よくこれは言われているのですが、文語訳聖書で「エホバ」ということばがあります。そのように訳されているのですけれども、ほんとうはどのような言葉で神様のお名前が言われていたのかということは、ユダヤの人たちは代々決して神様のお名前を出さないように、この聖なる畏れをもって、ずっと神様のお名前は主という言葉で表す以外なかったのです。ですから、ほんとうはどのような発音をされたのかということは、あったんでしょうけれども、もうわからなくなっていた。しかし現在の学者たちがへブライ語の発音というもの、やはり、聖なる探求心をもって研究して、たぶんこのお名前は「ヤーベ」と発音をするのだろうと、だいたいの方々はそのように言っております。それほど神様のお名前を言うということはユダヤの人たちにとっては絶対にあり得ない。その時、トマスはイエス様に対して、「私の主、私の神よ」。これはよく日本人がびっくりしたときに発するような単純な感嘆の言葉ではない。むしろ、トマスはあまりの出来事の大きさゆえに、「ほんとうに神様なんだ」、この表現をトマスがしたということは、それ自体ものすごく大きな意味があることなのです。これは日本人的な感覚で、「まあ」といった感嘆の言葉というようなことをはるかに超えたものすごく大きな意味のある言葉なのです。そしてそれをよくよくご存じの主イエス様はその言葉をしっかり受け止めなさった。否定されるのでもなく、「トマス、よく言った」。イエス様はこれをしっかりと受け止めなさった。ほんのちょっとだけ横道に入りますけれども。

 所謂わたしたちのような正統的な信仰から外れた方々は、イエス様は神様ではないというような信仰を持って表している人たちがいますけれども、しかしトマスが、「私の主、私の神よ」と心の底から告白したときに、イエス様はそれを100パーセント受け止めていらっしゃる。このことをもってしても、イエス様が神様ではないということなどは到底あり得ない。イエス様こそまことの神様でいらっしゃる。これを信仰告白、トマスの信仰告白といいますし、これを私は、「私の信仰告白」とこの朝、共に確認をさせていただきたく思うのです。 

 その時、信仰告白というときに、私はペテロの信仰告白のことを思い起します。これはこの講壇からしばしばマタイ伝の16章のところから、イエス様がピリポ・カイザリヤのほうに退かれたとき、弟子たちに、いよいよ御自分が十字架を前に、これからエルサレムの方にのぼっていかねばならない。お弟子さんたちとのお別れのある意味最後のクライマックスのようなときに、イエス様は、お弟子さんたちを集めてヘルモン山近くの、ピリポ・カイザリヤと言われる地方に退かれて行きました。その時イエス様は、「人々は私のことを誰といっているのか」と尋ねられます。「はい、人々はあなたのことをエリヤだとも或いは預言者の一人とか言っています」。「じゃ、あなた方はわたしをだれと言うか」。そのときに、右代表のようにペテロが「あなたは生ける神の子キリストです」。この信仰告白をイエス様は引き出したく願っておられた。「よしよく言った。このことをあなた方に、あなたに示したのは、血肉ではない、天にいる私の父だ」。この信仰告白。「あなたはわたしをだれと言うか」。イエス様は今でも私たちにそのように問いかけなさっております。聖霊なる神様が私たちにこの信仰告白を可能にしてくださるのです。

 今日の私のメッセージは、「私の主、私の神よ。」ここに集約させていただいております。「私の」、です。「私の主」、誰彼の、或いは学説のというようなそういう知識ではなくして、私が今ある、私のこの主である。そして、私の神である。ですからこそイエス様の十字架の贖いがまことに私のものであり、そしてイエス様を、十字架の贖いを信じているとき、この復活こそ私の希望であり、私の栄光なんです。今日これから聖餐式を共にさせていただきますが、どうか、「私の主、私の神」、この告白をもってイエス様の十字架の贖い、復活の恵み、聖餐式に臨ませていただきたく存じます。

午後のお墓参り(松園墓園にある教会墓地)
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※データは教会からお借りしています。
⏰5時39分更新



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御崎馬

ちょっと心休まる風景は日南の御崎馬。軍馬が野性化したのだとか。のびのびと。新日本紀行から。

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220422 クラシック俱楽部を聴く ハインツ・ホリガーと仲間たち

80歳を迎えたホリガーは言う。「時計の針は人生を計るものではない。私は続けられる限り、演奏し、指揮し、作曲する。」信頼する仲間との絶妙なアンサンブルを放送するー番組紹介よりー

ハインツ・ホリガーは1939年生まれ。スイス出身のオーボエ奏者、指揮者、作曲家。演奏家としてバロック音楽から現代音楽までの作品に取り組む。作曲家としてさまざまな楽器の可能性を追求した作品を発表。
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<演奏者>       
オーボエ、指揮:ハインツ・ホリガー
オーボエ、イングリッシュ・ホルン(*):マリー=リーゼ・シュプバッハ
ファゴット:ディエゴ・ケンナ
コントラバス:エディクソン・ルイース
チェンバロ:桒形亜樹子

<曲目>
J.S.
バッハ:トリオ・ソナタ第1番 変ホ長調 BWV525
細川俊夫:『結び―ハインツ・ホリガーの80歳の誕生日を祝して』(2019)
ハインツ・ホリガー:『Klaus-Ur(クラウス・ウール)』
ゼレンカ:二つのオーボエ ファゴットと通奏低音のためのソナタ第5番 

 

🎵バッハとゼレンカを主に。バッハとゼレンカは交流があり、バッハがドレスデンにいた頃には、ゼレンカはバッハをよく訪れていたという。バッハの方もゼレンカには興味を持ち、バッハの息子にゼレンカの曲を写譜させていた。才能がある者同士は互いにその存在を意識し合うものかと思う。ただ、バッハの曲にはやはり神へのささげものである軸からの片よりは感じられず、ゼレンカの曲からは、世俗的な、「俗」という文字を当てはめるのは行き過ぎかとも思うが、同じような華やかさ、空気感、音の通りの良さでも、世に一脈通じるような気配、気分が感じられる。バッハとゼレンカの時代には、ロココ、感傷的な音楽もあったらしく、そちらの影響が入ってきていたのかとも。あとでそちこちのブログをぐぐっているうちに、ゼレンカの5番を「貴族的遊戯」と評していた方がいたが、まさしくの感。バッハ、ゼレンカが亡くなった後は信じられないことだが世に忘れられたふたり。バッハのマタイ受難曲を世に出したのがメンデルスゾーンだったが、ゼレンカを世に出したのはスメタナであったようだ。
 細川俊夫の「結び」。こんどはどう感じるだろうと興味津々で。ホリガーが贈り物をするときに布の端と端を結び合わせる、これは風呂敷のことかと思ったが。これがホリガーの80歳の誕生プレゼント曲。オーボエとイングリッシュホルンのデュエット。出だしには雅楽のような感じ。しだいに能楽を聴いている気がして、能面がイメージに現われると、それが脳裡から容易には去らず、ついに最後まで舞い続けていた。ところどころに和楽器の鼓が入っても不自然ではないと思われた。笙や篳篥をきいているような気分にも。ただこの和楽器、オーボエとイングリッシュホルンとの性能には格段の差があり、音域や技術的なことはよくわからないが、現代の楽器だからこそこの曲のように緻密で細やかな演奏も可能であり、幽玄ではあるけれども且つ現代的な仕上がりとしても聴かせるものになっているとも思われた。ホリガーの「Klaus-ur」、たえず炸裂するもの、大きくも小さくも火花を散らすもの、明滅するものの表現か。うめきというよりも見えないもの掴めない空間の呻きに意識の明滅とも。すごい感性の持ち主と。いちど聴いたら忘れない。譜面はいったいどう表記されているのだろうと。通常連なりうる旋律の埒外に見出した音符というには乾いた現代的な衝撃的な音なのだが、何れ平板と平板との間隙から拾い弾き集めたかのよう。最後部分のそれが点のように遠景となり締めくくられる。異形の造形なのだ。

ホリガーは音楽がなければ窒息するという。彼の肺呼吸は音楽。ヨーロッパの若者たちは物事への興味を失い老いている。人生は時計、時間では測れないものらしく、年齢はといったか、それは相対的なものであると。以前にも聴いてはいるのだが。何れ音楽がホリガーの人生のエネルギー源となっている。

相対的な齢を重ねるホリガー、そして仲間たちを、今朝も新鮮に聴いた。
今回も、以前聴いたときと感想が全く違わなかったことに自分でも驚いている。

 

🎧名曲アルバム。リヒャルト・シュトラウス「アルプス交響曲」田中良和&東京フィル
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ドイツ南部、アルプスの観光基地ガルミッシュ・パルテンキルヘンハはリヒャルト・シュトラウスが後半生の40年間を過ごした地。
シュトラウス自身の登山体験がそのまま素材となっているとか。

⛳夕刻のニュースで気づいたけれども、ウクライナのキーウ交響楽団がポーランドで支援を呼びかけてコンサートを開催したらしい。来月にかけてはドイツ各地でコンサート予定とか。曲目はウクライナの作曲家ボリス・リャトシンスキーの交響曲など。
 ニュースを見るたびに悲しんだり怒ったり、それが次第に言葉少なに。そして思った。ほとんど傍観者としかなり得なくとも、それなりの立場で腹を括って正視し、そして祈ること。


19時48分更新

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220421 クラシック俱楽部を聴く  マテュー・デュフォー フルート・リサイタル

(フルート)マテュー・デュフォー、(ピアノ)浦壁信二
武蔵野市民文化会館 小ホール

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マテュー・デュフォー
1972年パリ生まれ。8歳から本格的にフルートを始め、20歳の若さでトゥールーズ・キャピトル劇場管弦楽団の首席奏者に就任。1990年からシカゴ交響楽団の首席奏者に就任。現在はベルリン・フィル交響管弦楽団の首席ソロ奏者を務める。ソリストとしても活発に活動し、世界各国の音楽祭やリサイタルで演奏活動を行っている。

マテュー・デュフォー コメント
音楽の演奏家はみな「歌うような音楽」を目指しています。声をイメージして演奏するのです。声は何も介さずに自己表現ができる最も原始的な「楽器」です。フルートは声に一番近い楽器です。息と音が直接結びついています。歌口に(リードのような)物理的な抵抗がなく直接息が入る唯一のクラシック楽器なのです。だから私はフルートに話しかけるように演奏します。とても親密な関係です。息と戯れている感覚です。
今回は前半にフランス、後半にドイツとはっきり分けたプログラムにしました。私自身の人生と重なります。私にとってもピアニストにとっても難曲ぞろいですが、心を豊かにしてくれる作品ばかりです。やや暗く物悲しいプログラムですが、その気持ちを共有し会場を一つにしたい、そう願って組みました。
美しい音とはどのような音?
感情が伝える響きだと思います。ポジティブな感情もネガティブな感情もただ綺麗なものは飽きられます。人生と同じように音も変化や柔軟性があってこそ輝くのです。感情を音に乗せることが大切だと思います。私が音楽を通して目指すのは分かち合いです。音楽で物語を語りメッセージを伝える。それさえできれば私は満足です。人の心に響く演奏をすることが、私の幸せなのです。 

浦壁信二
1969年生まれ。都立芸術高校で学んだ後、パリ国立高等音楽院で研鑽を積む。ヨーロッパでの演奏活動を経て、現在は日本を拠点に室内楽や伴奏を中心に活動を展開。国内外の演奏家と多くの競演を重ねている。洗足学園音楽大学で客員教授、ヤマハ・マスタークラスを務めるなど後進の指導も積極的に行っている。

曲目

「フルート・ソナタ」プーランク:作曲
「フルートとピアノのためのソナチネ 作品76ミヨー:作曲
「フルート・ソナタ ホ短調「ウンディーネ」作品167ライネッケ:作曲

🎵「ウンディーネ」、凪いでいる海の表に、海中から底に揺らぐものが姿を現してくるようなところ、緊迫感、期待感を抱かせる。

 

🎧名曲アルバム。バルトーク「弦楽四重奏曲 第一番」
クワルテット・エクセルシオ。
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27歳の時、ブダペストの王立音楽院教授の時、作曲。生涯民俗音楽の研究に没頭。それは6つの弦楽四重奏曲に反映される。
ハンガリー、オスマン帝国、オーストリアの支配をうけるたびに教会の宗教までが塗り替えられてきているが、今はキリスト教徒の心の拠り所となっているようだ。

⛳桜、学校を囲み、包み、ぼちぼち葉桜の気配が。
16時55分更新

 

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220420 クラシック俱楽部を聴く MAGNUMTRIO ―福岡県春日市公開収録―

世界が注目する次世代型フルートアンサンブル「MAGNUMTRIO」が登場多久潤一朗、神田勇哉、梶原一紘による、超絶技巧を駆使した圧巻のパフォーマンスちくわ笛 歌劇「ルスランとリュドミーラ」序曲(グリンカ)、コロブチカ(ロシア民謡)、アヴェ・マリア(バッハ/グノー)、童謡メドレー、クロック・アラーム(多久潤一朗)、ミニマルアニマル(多久潤一朗)、剣の舞(ハチャトゥリヤン)、交響詩「死の舞踏」(サン・サーンス)、ハイランドパーク(多久潤一朗)、ブラックバード(マッカートニー&レノン)、くまばちは飛ぶ2020年9月福岡県春日市公開収録 ―番組紹介よりー

<プロフィール>
 2006年、東京藝術大学在学中に結成。多久潤一朗、神田勇哉、梶原一紘による次世代型フルートアンサンブル。ピッコロからアルト、バス、コントラバスフルートなどの特殊管、尺八型、リコーダー型、中華型、スライド型などの改造頭部管を使う。
 フルートのイメージからは想像し得ない音響を生み出す様々な特殊奏法や超絶技巧を駆使する特異なスタイルのパフォーマンスが注目され、世界各国で公演を行う。2020年ロシアのサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場で行われたフルートフェスティバルに日本代表として出演。(番組の解説)
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コメント
多久:我々マグナムトリオ、ご存じの通りフルート3本の編成です。フルート3本ですから同時にたてる音は三つまでなんですね。でも3つということは、ピアノでドミソと弾いたら、これでもう終わっちゃうんです。ですから、もう3人でしっちゃかめっちゃかになって動かないと曲が成立しませんし、またコンサートを通すと、もうずっとフルートしか出てきませんから、やはりいろんなアイデアが必要になってくるんですね。ですので、私たちは自分たちの事をこう呼んでいるんです。フルートを突き詰めすぎた団体。きょうはこれをテーマに私たちがどれだけ突き詰めているのかを皆様に紹介したいと思います。
先ずは、ふつうのフルートをコンサートフルートといいます。そして音が4つ低くなったアルトフルート、そして、1オクターブ低くなったバスフルート。さらに1オクターブ低くなったコントラバスフルートがあります。フルートは楽器が大きくなればなるほど音量がすこしまろやかになって音色がやさしくなるんですけれども、この低音フルートだけでグノーの「アヴェ・マリア」をお贈りします。

 特殊奏法というのは、簡単にいうと普通じゃない奏法です。フルートという楽器は特殊奏法が非常に多い楽器なんです。なぜかというと、口でできることを増幅するシステムだからなんです。口で弾けば、それがフルートで反響して打撃音になりますし、管の中に息を吹き込んでひゅーっと流したり、いろいろな特殊な音響を生み出すことができます。特殊奏法を極めたきっかけは、私はもともと現代音楽を専門にやっていたからなんです。現代音楽では特殊奏法の音を出すことが非常に多い。ただ特殊な音で特殊な音楽をやってるから、結果ふつうになっている。なので、この僕は、この特殊な奏法で普通の音楽をやったら、これがいちばん特殊なものになるのではないかなと、それがアイデアの発端です。
神田:音楽大学で楽器を学ぶということは、クラシックのレパートリーをきちんと吹けることが前提になってくるんですが、現代音楽の曲を演奏してくれと依頼が来たりですとかコンクールの課題曲になったりしたときに特殊奏法が出て来て、皆さんはそれをとりあえずできるようにするまで習得するというところが普通のルートなんですけれども、私たちはその特殊奏法がぼこっと一つだけ出てきたのを、こんなに面白い音がするのをただその音楽のためにだけ一回使うのはもったいないと、これをいかに形を変えて面白い音楽にできないかと、特殊奏法というのは非常に重要な私たちの活動の軸になっています。


多久:「ミニマルアニマル」では、パーカショニストを招いて共演したい。ただこのパーカショニストはちょっと癖が強い。謎のリズムを叩くのでいつも崩壊してしまうんですけれども、きょうはうまくいったらいいなと思っています。

多久:(SNSに投稿した「ちくわの吹き方講座」は12万回以上の再生があった。実際ちくわで鳥のさえずりを演奏)。特殊ということを売りにしてやっていた我々が見落としていたのは、フルーティストがフルートを吹くのはふつうだな。ほかのものを吹いたほうが受けるんだということに何で気づかなかったんだ。なのでこれから仲間の二人はいばらの道を歩まされることになると思います。

演奏にはいろいろな頭部管を使う。Bee モードヘッドジョイントは頭部管に穴をあけてラップを貼っている。音は懐かしさという感じ。多久は中華風な音と。グリッサンドヘッドジョイントはフルートではできないポルタメントとかができる頭部管を使ったり。またアルトリコーダーの頭の部分をフルートに挿してみたら、何と挿さってしまった。こういう楽器を使って「「剣の舞」、「死の舞踏」を、さらに「ハイランドパーク」を演奏します。

 

曲目

「歌劇「ルスランとリュドミーラ」序曲」グリンカ:作曲、多久 潤一朗:編曲
☆「コロブチカ」ロシア民謡:作曲、多久潤一朗:編曲
☆「アヴェ・マリア」グノー:作曲、多久潤一朗:編曲
☆「童謡メドレー」多久潤一朗:編曲
☆「クロック・アラーム」多久潤一朗:作曲
☆「ミニマルアニマル」多久潤一朗:作曲
☆「剣の舞」ハチャトゥリヤン:作曲、多久潤一朗:編曲
☆「交響詩「死の舞踏」」サン・サーンス:作曲、多久潤一朗:編曲
☆「ハイランドパーク」多久潤一朗:作曲
☆アンコール「ブラックバード」ポール・マッカートニー&ジョン・レノン:作曲、多久潤一朗:編曲
☆アンコール「くまばちは飛ぶ」リムスキー・コルサコフ:作曲、多久潤一朗:編曲

🎵フルート実験工房といった感じ。あっと言わせずにはおかないという企みと好奇心がいっぱい。
多久さんの編、作曲にはぜんたいに遊び心が感じられる。自分が楽しく愉快になる旋律を編み出し組み立てるという感じが。

「童謡メドレー」では機関車が蒸気を噴き上げる音、滴がしたたる音、ぞうの鳴き声、小鳥のさえずり、にわとりの鬨の声、ウミネコの鳴き声。蜂の羽音、茶摘みの忙しさ爽やかさの音までを追求する愉快な自然描写。

「剣の舞」は改造フルートでの演奏。グリッサンド・ヘッドジョイント、リコーダー・ヘッド・ジョイントと、移動式の吹き口にはびっくり。

「ハイランド・パーク」ではタップ、足踏み、アンコールの「ブラックバード」では口笛。可能な限りの模索、試行錯誤。「くまばちは飛ぶ」は、いたずらなくまばちが、どこにどんな悪戯できるところがあるかと好奇心いっぱいな目を光らせながら飛ぶさまが浮かぶ。これがまさしくMAGNUMTRIOの好奇心に相通じると思われた。

「クロック・アラーム」は目覚ましに覚醒を促されながらの夢うつつでの作曲らしいのだが。

ちくわばかりではなく、ねぎ、空心菜も吹いて見せるのには驚き! ちくわでえんそうしたのは「大きな古時計」。ちくわではない何かピッコロかを吹いて音を合成したのではとさえ思われるのだが、正真正銘のちくわと見た。ほとんど手品か魔術のよう。

🎧名曲アルバムはグロフェ作曲「組曲 大峡谷」から「日の出」。大友&N響
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グロフェはグランドキャニオンの壮大さに感動、5つからなる組曲を10年の歳月をかけて作曲。

⛳9時22分更新

 

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220419 クラシック倶楽部を聴く カナディアン・ブラス

1970年にキューバのチャールズ・デイレンバック、ジーン・ワッツらによって結成され、50年にわたり金管五重奏の音楽をけん引し、世界中の聴衆をとりこにしてきたカナディアン・ブラス。確かな技術と豊かな音楽性で紡ぎ出されるスーパーサウンドをご紹介。
【出演】カナディアン・ブラス ブランドン・ライデナワー(トランペット)ケイレブ・ハドソン(トランペット)ジェフ・ネルセン(ホルン)アキレス・リアルマコプーロス(トロンボーン)チャック・デーレンバック(テューバ)【収録】2020年2月1日  武蔵野市民文化会館 大ホール番組紹介よりー
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曲目
☆「ジャスト・ア・クローサー・ウォーク・ウィズ・ジー」黒人霊歌:作曲、ギリス:編曲
☆「戦いのガイヤルド」シャイト:作曲、カナディアン・ブラス:編曲
☆「トッカータとフーガ ニ短調 BWV565」バッハ:作曲、ミルズ:編曲
☆「ビートルズ・オン・ブラス」レノン/マッカートニー:作曲、ライデナワー/デドリック:編曲
☆「ライト・ナウ」ロングストレス:作曲、ライデナワー:編曲
☆「リベルタンゴ」ピアソラ:作曲、バーグストーラー:編曲
☆「ロンドンデリーの歌(ダニー・ボーイ)」アイルランド民謡:作曲、ハドソン:編曲
☆「デキシーランド・トリビュート」ヘンダーソン:編曲
 ハイ・ソサイェティー
 ブラック・ボトム・ストンプ
 チューバ・タイガー・ラグ

🎵とにかく明るい! 明るい! 青空、大空のように明るい! カナディアン・ブラス、伝統をまもり、未来をめざし、ブランドンいうに「今のこの瞬間がいちばん大切」と。もともとは子どもたちとの活動、子どもたちのために演奏していたのが、やがてはカーネギーホールに、世界にと。バッハからビートルズ、ソプラノからバスまでを5声、それぞれの個性をアンサンブルに反映させての演奏。演奏者自身がカナディアンを聴いて育ったとも。
 5人が黒のパンツスーツにオレンジ色のネクタイ、スニーカーで、黒人霊歌「ジャスト・ア・クローサー・ウォーク」、これが葬送の曲なのだけれども、これを演奏しながら観客席に登場。客席のあいだを縫ってステージに。この曲を演奏しながら登場するのがこの楽団の定番であるという。続く「戦いのガイヤルド」。何と、ここまでがアンコール曲。時々時間の関係でできないこともあるので先にアンコールを演奏。これからがプログラムにある演奏です」とユーモアたっぷりの日本語挨拶には皆が爆笑。
 そしてバッハの「トッカータとフーガ」。軽さ、光の軽さとでもいおうか、そんな明るい響きを巧みに響かせながらも荘重さも感じさせる。ここで逆なりにパイプオルガンの響きが思いだされ、パイプオルガンの地を圧する地のすべてをおおう壮大な響きのすごさを再確認させられたような。「ビートルズ・オン・ブラス」ではビートルズナンバーから3曲を。トランペットで「イエスタディ」。トロンボーンで「ブラック・バード」、これは黒人女性を傷つきながらも飛びたつ黒い鳥にたとえた応援歌。続く「ケニ・レイン」。「リベル・タンゴ」。「ロンドンデリーの歌」。
 それにしても、このブラス使用の金管の美しさは! 譜面台や天井に並ぶライト、演奏する指のうごきなどが輝く金色のラッパの曲面に映りこみ繊細にうごき流れている。どこかの頁でアメリカのどこぞで製作されたものと出ていたけれども、華麗、流麗という感じが。
 ディキシー・ランドジャズ、発祥はニュー・オリンズ。1917年にニューオリンズに登場し、ニューヨーク、シカゴに移動して広まったのが190年か。1917年というと大正6年。たしか最初は大阪の道頓堀あたりで盛んに鳴っていたはず。しだいに東京へと。

 五重奏のディキシーランドジャズ「ハイ・ソサィエティ」、「ブラック・ボトム・スクンプ」、「テューバ・タイガー・ラグ」、軽々とチューバを自在に振り回し振り回されるチャックのパフォーマンス。せっかくのサービスに観客の反応はちょっと遅いのが残念。また3人の奏者が歌声を聴かせてくれた。ユーモアたっぷりの実力派金管五重奏、朝の空気を清々しく震わせてくれた。

🎧名曲アルバム。イザイ「無伴奏バイオリン・ソナタ 第4番」
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ウジェーヌ・イザイは1858年ベルギーのリエージュ生まれ。4歳の時父が音楽への道を開く。首都ブリュッセルの音楽院に進む。ヴュータン、ヴィ二ャフスキに教えを受ける。60歳過ぎてバッハの影響を受け、代表作の「無伴奏バイオリン・ソナタ」を書く。これが音楽家としての集大成であった。1937年彼をイザイを記念した若手音楽家の登竜門であるコンクールがパレ・デ・ボーザールではじまる。
 以上が番組解説からだけれども、それにしても鮮烈な弦の響きに、これがほんとうに60歳での作曲? この番組での演奏は川田知子さん。

⛳市中の桜・桜・桜は大喜び。満開・満開・満開! 石を割って生きる石割桜。平和も何とか岩を割って出て来て欲しい。
22時9分更新

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220418クラシック俱楽部を聴く アメリカ海兵隊バンド

世界最高峰の吹奏楽団のひとつ、アメリカ海兵隊バンドの初来日公演! マーチ王スーザ直伝のサウンドと颯爽としたパフォーマンスをお届けする!番組紹介よりー

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曲目

☆「アメリカ合衆国国歌「星条旗」」
☆「日本国歌「君が代」」
☆「行進曲「海を越えた握手」」ジョン・フィリップ・スーザ:作曲
☆「エスプリ・ドゥ・コール」ロバート・ジェイガー:作曲
☆「イロァ・イロァ」ケヴィン・ウォルツィク:作曲
☆「ルイ・アームストロングへのトリビュート」スティーヴ・ブラ:編曲
(独奏トランペット)ダニエル・オーバン、(独奏クラリネット)パトリック・モーガン、(独奏トロンボーン)サミュエル・バーロウ、(吹奏楽)アメリカ海兵隊バンド
☆「「ユーソニアン・ドゥエリング」(世界初演)から 第2楽章「タリアセン・ウエスト」、第3楽章「落水荘」」マイケル・ギルバートソン:作曲
☆「くちづけ」アルディゲーリ:作詞、アルディーティ:作曲、パターソン:編曲
(メゾソプラノ)サラ・シェフィールド、(吹奏楽)アメリカ海兵隊バンド☆「「ウエストサイド物語」から「サムホエア」」ソンドハイム:作詞、バーンスタイン:作曲フェティッグ:編曲
(メゾソプラノ)サラ・シェフィールド、(吹奏楽)アメリカ海兵隊バンド
☆「行進曲「星条旗よ永遠なれ」」スーザ:作曲

🎵金沢市石ノ森ホール、2019年の収録。アメリカ海兵隊バンドは1798年創立。大統領直属。マーチ王スーザは第17代隊長。現在の指揮者はジェイソン・フェティッグ。司会はサラ・シェフィールド。
 制服組、特に軍服となると、ちょっと引いてしまうところもあったけれども、サラ・シェフィールド のメゾ・ソプラノを聴いてしまった時点から、海兵隊の華が意識を変えてくれた。音楽する方々はみなが音楽を愛して取り組んでいる。以下は前に書いたとおりになるけれども。

 両国国歌に始まりスーザの「海を越えた握手」ジェイガーの「エスプリ・ドゥ・コール」、そして東日本大震災と津波の犠牲者のためにウォルツィクが2015年に作曲した「イロァ・イロァ」。「神よ、神よ、なぜ私を見捨てたのですか」という聖書のことばが引かれている。一転、明るく「ルイ・アームストロングへのトリビュート」、ルイ・アームストロングの6曲のメドレーでルィブラの編曲。そしてギルバートソンの「ユーソニアン・ドゥエリング」。第2、第3楽章、マイケル・ギルバートソンの初の吹奏楽作品。建物周辺の荒涼とした景色ということだったが、無機質をふるわせて振動を起こしてゆくような渺茫とした感じもある中に静謐な荘厳な光に足を踏み入れたところを丁寧に慎重にたどりゆくときにもたらされる一種のカタルシスも覚えた。ギルバートソンもこの金沢初演に駆けつけていた。これは前にも書いているけれども。先ごろ筆者の住まい近くで工事現場を見ながら、これを管楽器で作曲したら時間と空間をギューント貫き裂くような大地を平板を抉るような現代の最先端の響きともいえる曲ができあがるのではないかと思ったが、このギルバートソンの音、楽器の用い方に、まさしく、これ、これだ! と。書くときになるとこれです、まさしくと落ち着き払うのだが、その時は飛び上がった。前にも聴いていたはずだが今回はその特異さを得心したというところ。ギルバートソンは建築家ロイドライトの設計になる建物から着想を得たようだが、むしろ建築途上にある重機の動き、技術、人の動き、危険度すれすれの緊張感を引き寄せて作曲すれば、それこそサンサーンスの3番のオルガン付きぐらいの壮大さ、その現代版になるのではと。誰かこれで世界のオンリー・ワンになれないものか。
 
それにしてもサラ・シェフィールドのメゾソプラノ、軍楽隊のイメージを反転させ花と輝いている。アルディティの「くちづけ」、軍楽隊に咲く一輪の薔薇のよう。バーンスタインの「サム・ホエア」、アンコール「星条旗を永遠なれ」。スーザの「世界共通言語」、子どものときから無意識のうちにも入ってしまっている数々の曲だが、今回その偉大さが一層おもわれた。

 

🎧名曲アルバム。リヒャルト・シュトラウス「アルプス交響曲」
田中良和&東京フィル
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⛳18時11分更新。
ロシア、「全滅させる」とは何のこと。

 

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220416 祈り

16日の土曜日も習慣で6時半には起きていたのだけれども、J-MEROもいいけれど、きょうはイースター前日などと思いながら時間にTVをつけると、この日は53年の新日本紀行だった。横浜の山手町にあるフランシスコ修道院が映った。修道院というと静謐さ。寒いのではないかと勝手に想像してしまう。昔はやはり規律がけっこう厳しかったらしい。今は緩やかに。祈る姿には心惹かれた。まだまだ自分の届かぬ世界という感じも。
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⛳18日17時06分更新

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きょうのことば 「仰ぎ見る十字架」

2022・4・17 
イースターおめでとうございます!


復活, ピーター, ラストマン, 絵画, アートワーク, 男性, 男, 天使

きょうは全世界で主の復活をお祝いする日です。
このブログは1週間遅れで掲載しておりますので、イースターメッセージは次週になります。

☆  ☆  ☆

 

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年410()のメッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 『仰ぎ見る十字架』(國光勝美 牧師)
引証聖句 ルカの福音書233249
32 ほかにも二人の犯罪人が、イエスとともに死刑にされるために引かれて行った。
33 「どくろ」と呼ばれている場所に来ると、そこで彼らはイエスを十字架につけた。一人は右に、もう一人は左に十字架につけた。34そのとき、イエスはこう言われた。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているかが分かっていないのです。」彼らはイエスの衣を分けるために、くじを引いた。
35 民衆は立って眺めていた。議員たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ったらよい。」
36 兵士たちも近くに来て、酸いぶどう酒を差し出し、

37 「おまえがユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」と言ってイエスを嘲った。
38「これはダヤ人の王」と書いた札も、イエスの頭の上に掲げてあった。
39 十字架にかけられていた犯罪人のひとりは、イエスをののしり、「おまえはキリストではないか。自分とおれたちを救え」と言った。
40 すると、もう一人が彼をたしなめて言った。「おまえは神を恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。
41 おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことを何もしていない。」
42 そして言った。「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」
43 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」
44 さて、時はすでに十二時ごろであった。全地が暗くなり、午後三時まで続いた。
45 太陽が光を失っていた。すると神殿の幕が真ん中から裂けた。
46 イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。
47 百人隊長はこの出来事を見て、神をほめたたえ、「本当にこの方は正しい人であった」と言った。
48 また、この光景を見に集まっていた群衆もみな、これらの出来事を見て、悲しみのあまり胸をたたきながら帰って行った。
49しかし、イエスの知人たちや、ガリラヤからイエスについて来ていた女たちはみな、離れたところに立ち、これらのことを見ていた。


<メッセージ>
 いよいよ受難週に入ります。「仰ぎ見る十字架」というテーマでともに恵みをいただきたく願っております。
 この1週間、日曜日から次の日曜日、イースターまで、一言でこのようにこのようにというように理解をしておくとらくでしょう。
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 きょうは棕櫚の聖日です。パーム・サンデーと呼ばれているのですけれども。イエス様は、イエス様の命令で弟子たちが引いてきたロバの子に乗ってエルサレムに入城なさいました。群衆は自分の上着や棕櫚の葉のついた枝を敷いて、この棕櫚はなつめやしだといわれておりますけれども、こうしてイエス様を迎え、「ホサナ(ヘブライ語で「救い給え」の意味)。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」と叫びました。
 イエス様がエルサレムに入るときに、民衆が自分の服ややしの葉っぱをその道に敷いてイエス様を歓待したところから棕櫚の聖日という呼び名がついております。今でいうと凱旋パレードというような類のものでしょう。まさにイエス様は平和を象徴するロバに乗って、しかも、ロバの子、子ロバに乗っての入城です。世の中の多くは、戦車を対立させて凱旋するすがたを私たちは知っていますけれども、しかしイエス様は王の王、主の主としておいでになるとき、平和の象徴のようにロバの、しかも子どものロバに乗って凱旋されたということは、この時代、多くの考えさせられる恵みを私たちに与えてくれます。
 月曜日は宮きよめの日です。イエス様は、神殿というこの神聖な場所が、両替商や捧げもの専門の祭司たちと結託して利権を貪る商人たちによって強盗の巣のようになっていることを悲しみ嘆かれました。イエス様は宮に入り、売り買いをしている者たちを追い出し、両替人の台や鳩を売る者たちの腰掛を倒されました。
 そしてそのようなイエス様を見かけた人々は、イエス様に対して論争を挑んできた。しかし、イエス様は、宗教学者たちが繰り出してくる様々な問題に対して、一つ一つそれを反論していかれた。火曜日は論争の火曜日と私たちは呼んでおります。水曜日は特には聖書にはこれこれをなさったという記述は見当たりませんので、きっと主イエス様の静かな祈りのときだったでしょう。聖書はそれに対して、沈黙をしているということから、沈黙の水曜日と呼ばれております。そして、木曜日が有名な最後の晩餐のできごとです。そしてお弟子さんたちに対する様々な申し聞かせ、お別れの時。木曜日は最後の晩餐の時であります。ゲッセマネの祈りを終えられ、そして、イスカリオテのユダに導かれたローマ兵たちによって主イエス様は捕らえられ、サンヒドリンという偽りの形だけの裁きを受け、当時の支配者であるローマ帝国、その代表者である総督ピラト、彼のところに、この男を十字架につけ殺すようにと引き立てます。

 ピラトはユダヤ人たちの間の複雑なできごとに関わりたくなかった。しかし、この男は自分が王だと言っている。ピラト総督、あなたがもしこの男を赦せば、あなたはローマ皇帝以外の者を王と認めることになると詰め寄られました。ピラトはここで騒動を起こされてしまっては厄介なので、イエス様を鞭打たせたあと、お前たちに委ねるとイエスから手を引きます。ここでユダヤ人たちはローマ帝国のお墨付きをいただいて、いよいよイエス様を死刑に処すことになりました。それが金曜日でした。9時に執行され、そして10時ごろにあたりは暗くなり、そして午後の3時ごろ、イエス様はとうとう「我が霊をあなたの御手にお委ねします」といって息絶えられたのでございます。イエス様は使命を全うされました。
 ユダヤの人たちから見るのならば、木の上に架けられたもの、これは呪われた者ということですから、これを日の没するまで木にさらしておくようなことはやってはならない。これはユダヤの人たちの堅い意識でありました。あのニコデモが申し出て、イエス様は木からおろされ葬られたわけであります。そして、いよいよ日曜の朝、主の復活という大きな大きな出来事がございました。これが受難週の歩みとして週報にも書いておきましたけれども、どうぞ心にとめさせていただきたいと思います。

 

 私は今日は「仰ぎ見る十字架」と題しました。最初に「強盗の仰いだ十字架」。二つ目は「百人隊長の仰いだ十字架」、最後に「クレネのシモンの仰いだ十字架」。そして敢えて結論のように「私の仰いだ十字架」がきょうのメッセージの結論ということなります。
 イエス様の十字架を真ん中にして、右と左に二人の強盗が十字架に架けられました。イエス様も十字架の苦しみを余すところなく味わわれましたが、この二人の強盗も苦しみの中にありました。この二人の右と左のどちらの強盗が信仰告白をしたかは私も興味はあるのですけれども、それは書かれておりません。ふたりの強盗のうちの一人は、「お前はキリストではないか、自分とおれたちを救え」と言いました。二人の強盗は誰よりも一番近くに主イエス様を見つめておりました。このお方をほんとうに見つめるとき、私は、その人の本当の自分の姿が映し出されるように思うのです。一人は、「おれを救え」。自己中心です。最後まで「おれ」、自己中心。そういう思いを持ち続けておりました。しかし、もう一人の強盗の方は、「お前は神を畏れないのか、お前も同じ刑罰を受けているではないか。俺たちは自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だが、この方は悪いことを何もしていない」と言いました。イエス様の十字架を直視するとき、強盗たちは自分たちの今まで歩んできた人生の醜悪さ、それをほんとうに知ることができました。そのうちの一人は、「おれを救え」。しかしもう一人は、イエス様が「父よ彼らをゆるしてください」ということばを一番近くで聞いた時に、彼はほんとうにイエス様を仰ぎ見ることができました。


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 そしてもう一つ、「100人隊長の仰いだ十字架」、これを見ていきたいと思います。百人隊長というこの人は、ローマの軍隊の、いちばんの現場の指揮官です。こういう処刑の現場に立ちあうということは、それほど位が高いローマの兵隊ではないと思います。しかし、彼は戦闘の最前線に入っている人です。人間の死というものをイヤというほど日常的に見ていた人でしょう。そして、おそらくこれは想像ですけれども、正しく生きている人間に釘を打つという、当時の最も残忍な十字架刑を直視している。この100人隊長はたくさんのそういう人の最期を見ていたでしょう。釘を打たれる者が、瞬間人が思わず叫ぶ言葉や人間の本当のすがた、この修羅場を一番よく知っているのは100人隊長だと思います。そのローマ兵が、イエス様を「ほんとうにこの方は正しいひとであった」と言ったのです。
 私はちょっと関心がありまして、この「正しい人」という意味は何なんだろうかと思い確かめてみたところ、このローマ兵の言っているこれは、「神様を意識した正しいということばの意味。神の目から見て正しいという理解」で、これが「正しい人」の語源の意味である。彼が知っている神様というものは、勿論ローマの神様でしょう。ローマの神話に出てくるような神様でしょう。だけども、それらのことを超えて、人間にはほんとうに神を畏れるという思いが誰しもあるのです。どこの文化のどこの人であろうとも。そこにイエス様の十字架の死というものを、100人隊長は、「この人はほんとうに正しい人だ。神の前に正しい人だ」ということを思わず告白をした。
 これは想像ですけれども、100人隊長、この人、クリスチャンになったと思いますか。私はぜったいになったと思います。一番現場にいたわけですから。イエス様の最期を一番目の当たりにしていた男です。
 イエス様が葬られたとき、墓の入り口を塞ぐ石にはローマの封印がしてありました。誰もローマの許可なくこの石を取り除けてはならない。それをローマの兵隊たちが命を賭けて番をしていた。しかし、その石が転ばし去られているのを、ローマの兵隊たちは見ているのです。
 このローマの百人隊長、イエス様の死とそしてイエス様の復活ということを、いちばん近くで知った人が、「ああこの人は正しい人だ」。彼はきっとその後いろいろなところに転任していくであろうところに、イエス・キリストのことを証ししていったに違いない。私はそう確信します。この場所にいて、イエス様を信じないはずはない。このお方は、ほんとうに正しいひとであった。

 もう一つ、私はクレネ人シモン、この人物に注目していきたいと思うのです。今世界中に、ウクライナの戦争の映像が配信されています。そのウクライナよりさらに南下、地中海の西、アフリカ大陸の上の方、イタリアの対岸あたりにクレネがあります。
 クレネ人シモンはこの遠いクレネからエルサレムにやってきていた。そしてイエス様が十字架を負わされてゴルゴダへの道を歩んでいるところに、群衆の一人としてたまたまそこで見物していた。そこにローマ兵から、力尽きたイエス様に代わって十字架を負うようにと命じられ引き出された人物でした。
 イエス様の十字架の場面にクレネのシモンが出会いました。これも皆さんご想像ください。イエス様、きっとクレネのシモンに申し訳ないな、有難う。何回も何回もクレネのシモンと目と目が合ったに違いありません。イエス様の苦しい息、そのイエス様と目と目が合って、このイエス様と一緒に十字架を担いでいったとき、クレネのシモンはイエス様の十字架をほんとうに仰いだ人になったはずです。皆さんきっと皆さんも私の想像に賛同してくださると思います。死刑場に着きました。クレネのシモンはこれで解放されると言ってそのまま帰ってしまったと思いますか。ぜったい私はそんなことはないと思う。クレネのシモンが、あの愛のまなざしをもって自分を何回も振り返ってくださったお方が架けられた十字架を最後まで見上げていたはずです。イエス様の発せられた一言一言、このクレネのシモンはイエス様の十字架を仰いだ人物であります。

マルコの福音書15章21節
兵士たちは、通りかかったクレネ人シモンという人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。彼はアレクサンドロルとルフォスの父で、田舎から来ていた。

 「アレクサンドロルとルフォスの父」といったのでしょうか。この時すでに、アレクサンドロルとルフォスがクリスチャンになっていたに違いない。だから、マルコは、ほらみんなが知っているアレクサンドロルとルフォスの父、彼が、あのお父さんがイエス様の十字架を背負ったんだよ。そして、
使徒の働きの13章1節、さてアンティオキアには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどの預言者や教師がいた。
とあります。

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 ほんとうにイエス様の十字架を仰ぎ見た人。十字架の強盗。そして、ほんとうにこの人は神の子だったと言った100人隊長。そして、クレネのシモン。イエス様の十字架を仰いだ人たちがどれほど大きな祝福をもたらしていったのか。
 結論として、それは私にとって、イエス様の十字架はどんな意味があるのか。
イザヤ45章22節に「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神だ。ほかにはいない。」
 この十字架は敗北ではなくして三日後に墓からよみがえってきてくださった、このたしかな希望、この栄光、これがイエス様の十字架であります。私たちは生涯イエス様の十字架を仰ぎ見続け、そしてたしかな希望、復活の栄光がある、それを心の中にしっかりと捕らえた歩みをさせていただき
たいと思います。

※データは教会からお借りしています。
礼拝では、このほか地図二枚も使われましたが省略してございます。
⏰8時55分更新

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220415クラシック俱楽部を聴く  福井敬 悲しくなったときは〜歌に込めた思い〜

新国立劇場やびわ湖ホールほか数々のオペラ公演でタイトルロールを演じ、ドラマティックな歌声で聴衆を魅了。2016年ウィーン・フィルの第九演奏会でソリストを務める。【演奏】福井敬(テノール)谷池重紬子(ピアノ)【曲目】君を愛す(グリーグ)歌劇「トゥーランドット」から 誰も寝てはならぬ(プッチーニ)悲しくなったときは(中田喜直)ほか【収録】2020年12月3日 武蔵野市民文化会館大ホール

テノールの福井敬は岩手県出身。これまで新国立劇場やびわ湖ホールほか数々のオペラ公演でタイトルロールを演じ、輝かしくドラマテックな歌声で聴衆を魅了。2016年にはウィーン・フィル管弦楽団の第九演奏会でソリストを務めるなど、国内外のオーケストラトの共演も多く、日本を代表するテノール歌手の一人として精力的に活動。
(
以下はこちらから)国立音楽大学及び同大学院修了。文化庁在外派遣等により渡伊。イタリア声楽コンコルソミラノ大賞(第1位)、芸術選奨文部大臣賞新人賞、五島記念文化賞オペラ新人賞、ジロー・オペラ新人賞及びオペラ賞、出光音楽賞、エクソンモービル音楽賞本賞、等受賞多数。2015年には二期会「ドン・カルロ」の優れた演唱等により"65回芸術選奨文部科学大臣賞"を受賞。二期会「ラ・ボエーム」ロドルフォ役での鮮烈デビュー以来、数々のオペラに主演。他者の追随を許さない輝かしい声、音楽性豊かな表現力かつ情感溢れる演技により、聴衆を魅了している。
ピアノの谷池重紬子は第一線で活躍している歌手と数多く共演。歌手の育成にも携わる。次代のオペラ界を担う歌手を支えている。

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福井敬のコメント
 テノールの魅力は、昔、高校時代に応援歌練習、要するに伴奏無しで応援歌を歌わされるんですよ。周りのみんなは高い音でヒーヒーいってたんですけど、なぜか私だけ高い音がわーっと出ちゃって何でだろうと不思議に思ってたたんですけど、あ、これがテノールというものなんだなとそのときに初めて感じて、自分はテノールなんだろうと思って、最初におそらくルチアーノ・パバロッティという世界の名テノールの、その時代はまだLPレコードなんですけど、買いまして、こんな素敵な声を持ってる人がいるんだ、わ、面白いなと思って勉強していくうちに、歌って、あ、そうだ、楽器を使わないんだ。そうか自分自身の体が楽器でそれが、自分の体そのものが逆に音楽を表現するためのインストゥルメントであり、その手段であり、唯一のものだとすごく魅力を感じて、やっていくうちにどんどんどんどん嵌っていきました。
 私は実は岩手県の出身なんですね。東日本大震災があったときに、やっぱりその無力感と言うか、自分はこちら関東にいて何もできない悔しさとか虚しさ、それからこちらで被災された方が大変な生活を送ってらっしゃる。あるテレビでニュースで岩手で被災した避難生活、ほんとうに辛い、大変だと仰ってたんですけども、でもそういうときに、「宮澤賢治の詩を口ずさむんです。そうすると、あ、もうすこし頑張んべが、て思えた」と。それを見たときに何ができるんだろうと思ったときに、あ、自分は逆に音楽を色々なコンサートの会場で披露することができるんですから、じゃ音楽で皆さんにこういう思いがあるんだよ、こういうふうに頑張っている人がいる、そういう思いを忘れないでほしい、それから一緒に感じて欲しいというふうに思って歌うようにしています。

 曲目
「君を愛す」 アンデルセン詩、グリーグ曲 寺倉正太郎 訳
「木兎」 中田喜直
歌劇「リゴレット」から「女心の歌」ヴェルディ
歌劇「トゥーランドット」から「誰も寝てはならぬ」プッチーニ
歌劇「トスカ」から「たえなる調和」プッチーニ  小畑恒夫 訳
歌劇「ウェルテル」から「春風よなぜ私を目ざますのか」マスネ
詩「雨ニモマケズ」福井敬の朗読
「悲しくなったときは」寺山修司 詩 中田喜直 曲
「死んだ男の残したものは」谷川俊太郎 詩 武満徹 曲
「小さな空」武満徹
「春なのに」菅野祥子

「つれない心」カルディッロ
  カタリィに呼びかける失恋の想い
「彼女に告げてよ」ファルヴォ 小瀬村幸子 訳
  告げてください、あなたから。告げたい愛の苦しみ。
「ビー・マイ・ラブ」ブロッキー 濱田滋郎 訳
  恋の歌。

 

死んだ男の残したものは

1.
死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

2.
死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった

3.
死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

4.
死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

5.
死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

6.
死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
他には何も残っていない

 

🎵オペラのアリア。歌劇の公演では、このオペラのハイライトに納得すれば、きょうの公演はよかったね、ということになるのかもと思った。この朝聴いていて、パバロッティよりも芸術的質が上ではないかと思いさえした。何をバカなと言われそうだが、世界の3大テナーの場合、先ずはその声量に度肝を抜かれ圧倒される。有無を言わさぬという圧力さえ感じる。これを除いた場合、彼らよりも内容的に優れたテナーはけっこういるのだと思われる。福井敬も質的な点で大変説得力に富んでいると思う。愛の心境を朗々と。オペラは向こうでは演劇よりも大衆的であるらしいけれども、愛の移り気、軽さ、切なさ、喜び、悲しみ、傷み、愛の勝利を余すところなく。
 やはり武満の「死んだ男の残したものは」が沁みた。谷川俊太郎が作曲を依頼。「ベトナムの平和を願う市民の集会」のために書かれた作品。この番組収録は20年。ウクライナのあの惨状を見た後では、どのように歌われたであろうかとふと思った。「つれない心」はアメリカに帰化したイタリアの作曲家カルディッロが同郷であるナポリ出身の大テノールであるカルーソーに捧げた作品であると番組解説。
 一曲一曲をぐんと引き寄せ渾身で歌いあげる。じわりと心に来る説得力に感動! 無観客であるけれども、コロナなければ観客の間から盛んにブラボーがあがっていたはず。
 岩手出身。県人の活躍は嬉しい。 

🎧名曲アルバム。ヴィヴァルディ「四季 春」
バイオリン漆原朝子、飯森&東京フィル
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ヴィヴァルディは1678年ベネチアの音楽家が多く住むというカステッロ地区で生まれる。ブラゴラ教会で受洗。聖職者になるべく教育される。音楽は楽団のバイオリニストをしていた父から、音楽の手ほどきをうけたらしい。孤児院併設のピエタ教会に楽団の講師として24歳で招かれる。楽団のために作曲に力を入れ、生涯300曲を超えるバイオリン協奏曲を作曲。これはとても考えられないことだが、彼の死後は忘れられ、「四季」が日の目を見たのは20世紀に入ってからだという。

⛳「死んだ男の残したものは」、これは谷川俊太郎の詩だが、戦争を詩にするのは、非常に難しい作業ではないかと思う、何もかもが強烈すぎて手に余るのではないか。「死んだ子ども残したものは ねじれた足と 乾いた涙」、ダイレクトに突き刺さり、悲しみの深さが胸に迫る。
 実はこのクラシック倶楽部の時間帯、主人は主人でNHK第一を聴いていたらしい。それが、やはり、「死んだ男の残したものは」をやっていたという。起きだしてきてから、私が録音したICレコーダーで聴いていた。
 
 きょうは受難週の金曜日。イエス様が十字架に架かられた日なのだ。「父よ彼らをゆるしてください。自分で何をしているのかわからないのです」イエスはこう言われた。ご自分に仇する者を、自分をひどい目に遭わせる者たちのために、このように祈れるものだろうか。クリスチャンといえども死の間際までこれは課題と残しそうな自らを照らす。
7時51分更新

 

 

 

 

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220414 クラシック俱楽部を聴く 森谷真理 魅惑のソプラノ

武蔵野音楽大学声楽科および大学院、ニューヨークのマネス音楽院で学ぶ。「魔笛」夜の女王役でアメリカでオペラ・デビュー。以後、欧米各地の主要歌劇場に出演を重ねている【演奏】森谷真理(ソプラノ)山田武彦(ピアノ)【曲目】歌劇「マノン」から 私が女王のように町を行くと(マスネ)叙情的散文(ドビュッシー)ほか【収録】2020年11月26日めぐろパーシモンホール 小ホール
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森谷真理のコメント
 歌との出会いは、母が声楽家だったので物心ついたときには母の歌を聴いていたという出会いでした。ちょうどその大学院に入る前の時に、母の大学時代の友人の方が、ニューヨークに住んでらっしゃる方だたんですけど、その方が偶然栃木の実家に遊びに来て下さって、その時に、ニューヨークはどう? といってくださったのがたぶん最初のきっかけだと思います。何しろアメリカは他のヨーロッパの国と違って、やはりオペラというものは後から国に取り入れた国ですよね。彼らのものではなかったというところが大きくて、とてもよい先生たちがそろってたんですね。アメリカに行ったことがご縁で、やはりイタリアオペラだけではなく、たとえばあの当時学校に入って、すべてきちんとドイツ歌曲を勉強する機会を得たりオラトリオか、あとはちょっとバロックに触ってみるとか、フランス歌曲であるとか、色々なジャンルのものを手広く演奏するきっかけになったのは、アメリカの学校に行けたお蔭ではないのかなと今でも思ってます。
 まずアメリカの国独特の事かもしれないんですが、例えばコンクールにしてもオーデションにしても、一つの言語だけの曲を持って行ってはいけない。色々な時代のものを幅広く入れつつ、たとえばドイツ語もありフランス語もあり、英語もありというような形でのプログラムになるので、私は何も知らなかったので、そのときついていた先生に、あなたどう、これやったらどうと言われつつ受験をこなして、それで学校に入ってまた授業を取って、他の生徒さんが歌っているのを聴いたりだとか、先生にもらった曲を自分で見たりだとかやってるあいだに、ああ、自分はこう言う曲が好きなんだなとか、こっちのジャンルはもうちょっと勉強してみたいとか、そういった意識は芽生えていました。
 この日本で働き始める前はオペラばかり歌ってたので、逆にあまりコンサートというものをしたことがなかった。オペラの魅力は、わたしがどうしてオペラを好きかと言えば、一人じゃないというところですね。アンサンブルが好きなんです。誰かと一緒に歌ってるのが好き。あとお芝居が楽しいですね。言葉もあるけれども、そこに演技というものがついてくる。演技をするときも相手方がいる。そういうところが私はすごく、オペラやりたいと思う時はそういう時で、人恋しいときですね。
 歌曲の魅力は、歌曲で特にチクルスが好きなんですけど、その世界観と言うものを自分で作れるというところが好きです。自分で、勿論ピアニストの方と一緒にですけれども、その空気感であるとか方向性であるとか最終的にマネージメントというものが自分からですよね。そこが面白いところかなあとは思ってます。
 私はドビュッシーが大好きなんです。歌曲と言ったらドビュッシーが群を抜いて好きなので、私にとってはすごく感動が深い。すごく深く突き刺さるものがあって、かといって攻撃的でもなく、独特の柔軟性と言うか柔らかみもありつつ深みもありつつ鋭いところもあってというところがすごく魅力的で、やはり自分が良いと思った曲を歌いたいという本能的な欲求があります。私はドビュシが好きなんですよね。

曲目
歌劇「アルチーナ」から「帰ってきて、喜ばせて」ヘンデル作曲
歌劇「ジュリアス・シーザー」から「夜は青く」ヘンデル作曲
歌劇「タイス」から鏡の歌「私を美しいと言っておくれ」マスネ作曲

 結局最後は一人。 どこに安息はあるの。私の忠実な鏡よ言っておくれ。お前は美しく、今後も美しいと。タイス、お前は老いる。
歌劇「マノン」から「私が女王のように町を行くと」マスネ作曲
 毎日楽しまなきゃ。いくら羽をのばしても、若さは失われていく。
前奏曲第一巻「アナカプリの丘」ドビュッシー  山田武彦のピアノ演奏
「叙情的散文」ドビュッシー作曲
 ドビュッシー33歳のときの作曲。1895年出版の歌曲集。歌詞はドビュッシー自身の手による。4つの曲で構成されている。

1夢
木々の下から奇妙なため息がたちのぼる。
2砂浜
3花
太陽はふしだらな花々の仲間
現れよ救いの手よ
我が張顔は涙に飽き、わが両腕は祈りに飽き
4夕暮れ


🎵「叙情的散文」、一言、二言、意識に引っかかった語彙を書き留め、後でネットを回ってみたけれども、得心のゆく訳を探すのに時間がかかりそうで頓挫。しかし、ソプラノ、森谷さんが好きだというドビュシーのみならず、如何様にも対応可能なゆとりを感じさせる。一曲歌い終えて速やかに次の曲に移ってまったく自在な感じ。一曲目から捕まったという感じ。時間が短く感じられた。それだけ引き込まれて集中させられたということなのだ。「私が女王のように」「私を美しいと言っておくれ」は、森谷さんのハマり役とも。ドビュッシーの詩は凡庸さを回避するような企みも感じられるけれども、この詩でドユッシーの私的世界観に意外な

 

🎧名曲アルバムはベートーベン「クロイツェル・ソナタ」(バイオリン)小林美恵,(ピアノ)清水和音
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21歳でボンからウィーンへ。ウィーンの貴族社会で作曲とピアノで顔を売る。一方すでに聴力の生涯に苦しみ遺書まで作成。やがては乗り越えんと住居を変えるなどして心機一転をはかり、30代で「英雄」などの数々の名曲を作曲するが、この「クロイツェル」もその一つ。バイオリンとピアノの激しい掛け合い、創造の爆発が魂を衝き動かす。ゲーテは影響を受け小説「クロイツェル・ソナタ」を書く。

 

⛳10時21分更新
ところで、ついにプーチンが口にした「浄化」。「浄化」の意味する非人間的な行為。逆らうもの、邪魔な者、自分の地位権力を脅かす者の一掃、人間の選別、粛清、抹殺に使われてきたこの「浄化」。もっともきよめられなければならない者ほど堂々と使うこの「浄化」。恐るべき傲慢だ。
教会の説教で、くどくどと、「遜(へりくだ)って」といわれる。また「罪深い私」と牧師がいう。その時、私は内心、世の中こんなもんじゃない、これ以上どこをどう直すというのかという思いになることがある。しかし私は、人間の傲慢さがどれほどのものか、また表面を繕っていても心のうちの罪深さがどれほどのものか、教会が説教で繰り返すのは必要なことなのだと思うに至った。今教会は受難週。木曜日は「最後の晩餐」。イエス様がそこで、弟子たちの足を洗ってくださったのだ。

 

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220413 クラシック俱楽部を聴く 妻屋秀和 〜世界のオペラ・アリア〜

イタリア声楽コンコルソ・ミラノ部門金賞をはじめ多くのコンクールに入賞。ライプチヒ歌劇場、ワイマール・ドイツ国民劇場のほか、ヨーロッパ各国の歌劇場に出演する。【演奏】妻屋秀和(バス)、矢崎貴子(ピアノ)【収録】2021年1月18日 めぐろパーシモンホール 大ホールで収録

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妻屋さんのコメント
今回のプログラムについて
ふだん僕オペラばっかりうたってるもんですから、やっぱり僕のものとかパフォーマンスを聴かせるのに一番いいのがやっぱりオペラかなと思いまして。あとリートとかも少しづつやってはいるので、と思ったんですが、まずやっぱり自分はオペラだと思ったんですよね。リートというのも一つの作品になっていて、その一つひとつを構築していって一つの作品で一つのオブジェを造るという感じなんですけども、オペラというのは、それぞれパーツを持ってきて結果的にすごく大きなオブジェを造る感覚なんですね。なので、自分が歌っているアリアというのは、そのオブジェの中の一部分でしかないんですけども、その一部分でありながらも、パーツがすごく大きな意味を持っていてという感じがあるので、造り方が若干異なりますよね。必ず対象になる人が存在するんですよね。要するに自分の独白だけではなくて、そこに対象の人が存在したり、対象物があったり、あと一人にかけているものもあれば、大ぜいにかけてる曲もありますし、自然と手が出てしまうわけですよね。演技というつもりではないんですけども、歌曲とはちょっと違った感じにはなると思いますね。
バスの魅力とは?
テノールやソプラノに比べて派手さはないです。もうバリトンに比べても派手さはないです。ほんとうに花がないと言ってしまったらそれまでなんです。でも、バスにはバスでしかない魅力というものもあると思うんですよね。低めの声も温かい気持ちになるそんな声ではないかなと自分では思います。勿論強い表現をすることがあるんですけども、どちらかというと、テノールが王子様やってるんだったら、じゃバスは王様。それでソプラノが恋人というふうになっていると、それを心配するおとうさんであったりとか。僕の今の歳になって、ようやっとバスの役柄の歳となじんできて、ちょうどうまいこと北かなって今すごく思えるんですよね。なので今の年齢と役柄を表現するのに、ちょうどいいのかなという気もしますし、滅多に聴けないバスのアリアで、皆さん、ご存じない曲もたくさんあるとおもうんですけれども、是非この機会に聴いてみて、あ、こんないい曲もあるんだ、あ、この曲、実は知ってるとかありましたら、すごく嬉しいと思います。ぜひ聞いていただけると嬉しいです。
 ロシアのオペラ作品について
これはわりと昔から自分に合うからと言われて、よく言われていたロシアのオペラですね。チャイコフスキーの音楽と言ったら皆さんもそうだと思うんですが、日本人の心に伝わるというか、演歌ちっくなところありますよね。ああいうところになると、日本人の心じゃないですけども、別に日本人的に歌おうと思ってるわけじゃないんですが、自然にはいっていけるグーっと絞り出すようなそういった表現とかがやはりロシアのものというのは、そういう感じがしますね。
 ベルディのオペラ作品について
ベルディのオペラを4つ続けて聴いていただくんですね。ベルディで求められるバスの声というのは温かい声であったり、威厳を求めている声であったりするんですけども、いずれも表現は大きいんですね。4曲歌っていくと次第に魂が抜かれていくような感じはします。でもそれぐらい力こめて歌っていきたいと思います。

曲目
歌劇「魔笛」から この神聖な殿堂には(モーツァルト)
歌劇「ボエーム」から 古い外とうに別れを告げる(プッチーニ)
歌劇「ファウスト」から 眠ったふりをせずに聞きたまえ(グノー)
以上、対訳:多田茂史
歌劇「イオランタ」から もし私に罪があるならば(チャイコフスキー) 
歌劇「ボリス・ゴドノフ」から ある日の夕暮れ年とった羊飼いが(ムソルグスキー)
以上、対訳:小賀明子
歌劇「シモン・ボッカネグラ」から 悲しい胸の思いは(ヴェルディ)
歌劇「ナブッコ」から 来たれレビ人よ(ヴェルディ)
歌劇「シチリア島の夕べの祈り」から ああパルモ(ヴェルディ)
歌劇「ドン・カルロ」から ひとり寂しく眠ろう(ヴェルディ)
以上 対訳:多田茂史

 

🎵バスのアリアは聴くことがなかった。バスのアリアだけを集めることができると思ってもいなかった。ヴェルディからは4曲も。バスには決断、理性、威厳、うめき、懊悩、聖断、呪い、憎悪、墓、大地、等などの語彙が連想された。

 

🎧名曲アルバム。宮城道雄「水の変態」
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この曲は8歳で視力を失い、箏の道に入り、この曲は確か明治4214歳での第一号の作品であり彼の代表作。点字タイプライターを独学で習得し、400曲を作曲。この時世、新たなコロナ株、止まらない殺戮。何かいらだちに心冷えるときに、14歳の盲目の少年の内なる世界、近代音楽の最高峰「水の変態」が瑞々しく明るく澄んだ世界で心を洗ってくれた。

⛳21時17分更新

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220412 クラシック俱楽部を聴く 

国際ミトロプーロス声楽コンクール2003で最高位入賞。オペラのほか、オーケストラとの共演、リサイタルなどでも活躍を続ける。自身のプロデュース公演も行う。【演奏】林美智子(メゾ・ソプラノ)石野真穂(ピアノ)【収録】2020年11月18日 めぐろパーシモン小ホール
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林美智子のコメント
日本の歌曲の魅力は、母がお風呂で毎日のように歌ってくれていたので、みかんの花咲く丘とか、色々な歌、そしてコーラスでも四季折々の日本の歌をたくさん習っていたので、自然に慣れ親しんだ感じでしたね。母国語ですからお客様とキャッチボールが直接的にできるので、自分が感じていることをそのまま伝えて、そしてお客様にもそのまま感じていただいただく、そんな分野ですね。
 武満徹さんの歌を好きになったきっかけというのは、もともとは谷川俊太郎さんの詩の方が私には身近にありまして、シンプルで想像力が湧く愉快な詩には心躍らされて、そしてまた武満さんは、こと歌に関しては何かの書物で、もう歌は限りなく自由でいい、その人のその人のことばで表現で自由であるべきだと書かれていたのを読んでなるほどなと思って、是非これらの歌を自分のライフワークとして歌って行きたいなと感じました。

 曲目
朧月夜 高野辰之作詞 岡野貞一作曲
お菓子と娘 西条八十作詞 橋本国彦作曲
くちなし 高野喜久雄作詞 髙田三郎作曲
貝がらのうた 三善晃作詩曲
市の花屋 深尾須磨子作詞 髙田三郎作曲

赤とんぼ 三木露風作詞 山田耕筰作曲
落葉松 野上彰作詞 小林秀雄作曲
さびしいかしの木 やなせたかし作詞 木下牧子作曲
ねむの木の子守歌 上皇后作詞 山本正美作曲
旅のこころ 高田敏子作詞 加藤昌則作曲
夢みたものは 立原道造作詞 木下牧子作曲

以下は武満徹作曲
恋のかくれんぼ 谷川俊太郎作詞
昨日のしみ 谷川俊太郎作詞
小さな部屋で 川路明作詞
見えないこども 谷川俊太郎作詞
うたうだけ 谷川俊太郎作詞


「さびしいかしの木」 アンパンマンの作者やなせたかしの詩。山頂に立つ一本のかしの木がさみしさに慣れてしまったとつぶやく様子を歌っている。
「市の花屋」 髙田三郎はパリの庶民の生活を書いた深尾の詩に日本への愛しさを感じて「パリ旅情」を作曲したが、その一曲。
「落葉松」 野上彰は昭和22年の秋に軽井沢で「落葉松」の詩を書いた。野上の死後小林はこの詩を読んで深く感動し一気に作曲したといわれている。
「旅のこころ」 詩人高田敏子は主婦の立場から平易なことばで日常を描き多くの女性から支持されていた。
「夢見たものは」 木下牧子が高校生の時に作曲。
「ねむの木の子守歌」 上皇后が高校生の時の作詩
「夢みたものは」24歳で亡くなった立原(19141939)がその前年に作詞。
wikipedia から「1938年(昭和13年)、中原中也が没して半年ほどの頃『四季』第37号(昭和135月号)に「別離」という文章を発表。そこで中原の「汚れつちまつた悲しみに」について、「僕はこの涙の淵の深さに反撥する」と言及する。同年11月、九州へ旅行するが、126日に長崎で発熱・喀血。1226日に東京市中野区江古田の市立療養所へ入院[6]1939年(昭和14年)、第1中原中也賞(現在の同名の賞とは異なる)を受賞したが、同年3月29日午前220分、結核のため24歳で没した。戒名は温恭院紫雲道範清信士。所は東京都台東区谷中の多寳(宝)院。」

🎵今回は「落葉松」がじわりと。落葉松、新緑の落葉松には清々しさ、黄葉の落葉松には明るさばかりを感じ取ってきただけに、この詩と曲の全く違った青色、濃紺、水色、黒と林美智子のメゾ・ソプラノに透明度が増してくる色彩感と雨に濡れそぼつ、涙に濡れそぼつ深い悲しみに打たれた。「落葉松の 小鳥の雨に わたしの 乾いた眼が濡れる わたしの 乾いた眼が濡れる」。落涙。以来、さまざまな「落葉松」の演奏を聴くようになった。

🎧名曲アルバムはシモンス作曲「南京豆売り」。
南京豆はキューバでは、路上でも売られている手軽な庶民のおやつ。
この曲は世界的なルンバ旋風を巻き起こした。

☆音楽とは関係ないけれど、耳にして複雑な心境になったキューバの今(時事ドットコムから)
「キューバは現在、ここ30年間(ケネディが発動した経済制裁がずっと続いている関係で)で最悪の経済危機に見舞われている。インフレ率は70%に達し、食品と医薬品は深刻な不足に陥り、主要収入源の観光業は新型コロナウイルス流行で大打撃を受けている。
 キューバ政府は、すべての元凶は米国の経済制裁にあると非難し、米国と対立する中国やロシアに支援を求めている。」
ロシアの先々がこれにダブって……。

⛳11時1分更新

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220411 クラシック俱楽部を聴く  村上敏明 テノール 東西 名作の世界

黄金のテノール村上敏明がリストの歌曲とオペラの名曲を歌うペトラルカのソネット(リスト)歌劇「アンドレア・シェニエ」から ある日青空をながめて(ジョルダーノ) 輝くような歌声と個性的なキャラクターで人気のテノール村上敏明がリストの歌曲とオペラの名曲を歌う【演奏】村上敏明(テノール)村上寿昭(ピアノ)
【曲目】
▽3つのペトラルカのソネット(フランチェスコ・ペトラルカ作詞/リスト作曲)対訳小畑恒夫
▽歌劇「黒船」から おお美しの日本よ(山田耕筰作曲)
▽歌劇「黒船」から 死なすに惜しきさむらいよ
▽歌劇「ファウスト」から この清らかな住まい(グノー)対訳岡本和子
▽歌劇「ワルキューレ」から 冬の嵐は過ぎ去り(ワーグナー)対訳寺倉正太郎
▽歌劇「運命の力」から この世は地獄(ヴェルディ)
▽歌劇「運命の力」から 天使のようなレオノーラよ(ヴェルディ)対訳小畑恒夫
▽歌劇「アンドレア・シェニエ」から ある日 青空をながめて(ジョルダーノ)
▽歌劇「トゥーランドット」から 誰も寝てはならぬ(プッチーニ作曲) 

【収録】2021年4月20日 めぐろパーシモンホール 大ホール(無観客収録)

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村上さんのコメント
 日本でリストの「三つのペトラルカ」の三つのソネットというのはそんなに多く取り上げられる曲ではないんですが、これ実はピアノソロでも作られている曲。またテノール歌手じゃなくてバス歌手用にも編曲されてたりとかいろんなバージョンがある曲なんですが、そのなかでも一番きらびやかに表現されるのがこのピアノとテノールのための編曲。私たちテノール歌手にとっては非常に大事なレパートリーでありまして、そして私ももうすぐ50が見えてくるところなんですが、20代の時、30代の時、40代の時とそれぞれリサイタルで取り上げた曲でありまして、だから自分の成長度合いとか心の成長と声の成長というのを確認できる非常にすばらしい連作歌曲だと思ってまして、事あるごとに取り上げて歌わせていただいております。
 私は実はイタリアオペラがわりと専門だと思われてるんですけど、日本オペラも15演目以上出演しておりまして、その中の一つに2008年の新国立劇場の公演で、この「黒船」そして、サブタイトルが「夜明け」という名前の日本オペラの初めてのグランドオペラになるわけですね。1940年の初演だと聞いておりますが。勿論私たちがよく知っている「からたちの花」だとか「この道」だとかの名曲がありますが、そのようなセンテンスがちりばめられたすばらしいオペラ、そしてその中に、ドラマティックなドラマもきちんと作られているというほんとうに日本オペラの名作中の名作だと思っておりまして、山田耕筰さんというのは、歌手としても素晴らしかった方で、勿論舞台にバンバン出てたわけではないんですが、ハイバリトンのすばらしい歌声を持っておりまして、やはりほんとうに歌に寄り添って、自分が歌われるというのも相まって、ほんとうに私たち歌手たちに寄り添ってくれている作曲家の一人だというふうに思っています。


🎵「黒船」は、日本文化に通じていたアメリカのジャーナリスト、パーシー・ノーエルによってもたらされた、 シカゴ歌劇場からの新作オペラの委嘱を受けて着想された歌劇。ところが、シカゴ歌劇場での上演計画は途中で頓挫してしまう。 ノーエルは計画を持ってアメリカ中を行脚したともいうが、現在に至るまで上演には至っていない。完全版として上演されたのは2008年の新国立劇場による上演。 実に作曲から79年後(!)であった。これらはこちらのページからで、この2008までには「黒船」上演は何度か〝座礁〟。それを思うとき、このプログラムの中での取り上げには感慨がある。
確信に満ちた迫真の歌唱。今歌っている本人の内側から発せられているはずの歌唱が、まったく独立した別世界から響いてくるような錯覚に捕らえられた。

🎧名曲アルバム。バルトーク「弦楽四重奏曲 第1番」
クァルテット・エクセルシオ ~ハンガリー・ブダペスト
この曲は王立音楽院の教授だった時代、27歳で作曲された。生涯民俗音楽の研究に没頭。

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🎵wikipediaによれば、作曲以外にも、学問分野としての民俗音楽学の祖の1人として、東ヨーロッパの民俗音楽を収集・分析し、アフリカアルジェリアまで足を伸ばすなどの精力的な活動を行った。
 また民謡について科学的アプローチを始めていたコダーイ・ゾルターンと出会い、多大な影響を受ける。
1906年からコダーイやその他の研究者達と共にハンガリー各地の農民音楽の採集を始める。1913年にアルジェリアへ赴いた他は、専ら当時のハンガリー国内で民族音楽を採集していた。
1907年、26歳でブダペシュト音楽院ピアノ科教授となる[1]。ピアニストとして各地を旅するのではなく、ハンガリーに留まったことで、更なる民謡の採集が進み、民謡の編曲なども行う。

⛳月曜日は気持ちは張っていても、どこかにけだるさがあるけれども、迫真のオペラ・アリア、バルトークの鮮烈な響きは、朝の1杯のコーヒーと連携して、どこにでも張り付きそうな曖昧模糊とした気分を、そうはさせるかと、スパッと覚醒させてくれた。
福寿草はもうとっくに。フキノトウは天婦羅や蕗味噌にと無残にすがたを変えられ、土手にはタンポポ、イヌノフグリ。いつも忘れられると嘆くヒメオドリコソウもあります、出ています、咲いていますと低い位置から葉っぱに紛れそうな地味な紫の花で精いっぱい存在誇示。ユキヤナギの開花間近ですの枝の湾曲。見上げると冬にきっかりと口をつぐんでいた梅のつぼみ、あらいつの間に。きのうです、きょうです、あしたですとにぎやか開花。もうすぐやってくる5月。いのちみなぎる5月に向かって、ざくざくと行進真っ最中の草花たち。花の名前は漢字かカタカナかに統一せよなどとくだくだしいことは今は考えないことに。春ですからね。
9時55分更新


村上さんのコメントの書き込みを忘れてしまい、12時9分に再更新

 




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きょうのことば 「十字架と私」

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年43()のメッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 『十字架と私』(國光勝美 牧師)
引証聖句 コリント人への手紙 第一 11831
18十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。

19「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、悟りある者の悟りを消し去る」と書いてあるからです。
20知恵ある者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の論客はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。
21神の知恵により、この世は自分の知恵によって神を知ることがありませんでした。それゆえ神は、みこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救うことにされたのです。
22ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。
23しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かなことですが、 24ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者たちにとっては、神の力、神の知恵であるキリストです。
25神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
26兄弟たち、自分たちの召しのことを考えてみなさい。人間的に見れば知者は多くはなく、力ある者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。
27しかし神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。 28有るものを無いものとするために、この世の取るに足りない者や見下されている者、すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです。
29肉なる者が誰も神の御前で誇ることがないようにするためです。
30しかし、あなたがたは神によってキリスト・イエスのうちにあります。キリストは、私たちにとって神からの知恵、すなわち、義と聖と、贖いになられました。
31「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。

<メッセージ>
 今週は「私の十字架」と題しまして、主イエス様と私たちの十字架に関わるメッセージをと導かれております。
 前回は「十字架と私」というテーマでメッセージを取り次がせていただきました。イエス様の十字架と私がどのような関わりをもっているのか。そしてその十字架は、一面において罪の裁きである。またそれこそが神の愛のあらわれであるとも。神の裁きと神の愛というこの二つが、聖霊なる神様のお働きによって一つとされる。そのことを前回は語らせていただきました。そして今日の聖書朗読の中にもありましたけれども、聖霊なる神様の働きによらなければ、誰もイエス様の十字架の意味を悟ることはできません。要するに、この地上における人間の探求によって分かるのはキリストの十字架とその救いであって、つまり、それだけでは福音ではないということ。聖霊なる神様の働きによってのみ、初めてそれを私たちは自分のものとして受け取ることができるわけであります。
 すこし改まった言い方をしますと啓示ということばがあります。それは、今まで真理を覆い隠していたベールがぱっと取り除かれたときに、ああ、こういうことなんですか、というように隠されていたものが分かる。つまり、十字架の福音というのは、啓示によってはじめて私たちが肯くことができるものであります。そして、それは、分かりました。罪が分かりました。また、その私の罪のためにイエス様の身代わりの十字架がある。贖いの十字架があった。わかりました。もうこれを私は受ける以外にありません。ほんとうにただただ神様のご愛に、恵みに浴する以外にありません。もっと別な言い方をすると、神様から恵んでいただく以外には方法がない。私は自分の功(いさお)しによっては何一つすることができません。
 人は何らかの対価として、これだけのことをやったのだから受けられるという場合には、素直に受けることができる。肯くことができ、落ち着きどころがある。しかしそんなものは何の意味もありません。ただただ、憐れんでいただく以外にありませんという場合には、それはある意味人間にとって一番屈辱的な救いの方法です。でも、これこそ一番屈辱的な救いの方法、ただ憐れんでいただくのにすがる以外ないということこそ神の知恵に適う。これこそ、傲慢によって堕落をしてしまった人間が一番したくないことなのです。憐みにすがる以外にないというこの十字架の恵みということに、私はそれが必要ですという心からの肯きを持った者のみが初めて知ることができる。信仰によって救われるとはそういうことです。これが、キリストの十字架と私との関係であります。
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 今日は、この「私の十字架」というテーマで、もうすこし掘り下げていきたく願っております。

 ここに掲げた「私のための十字架」、「私の内の十字架」、「私の負う十字架」、の三つのテーマのうち、特に「私の十字架」ということを扱わせていただきたく願っております。
 「私のための十字架」、「私の内の十字架」、「私の負う十字架」。もうこれは皆さん、何を意味しているかお分かりでしょう。前回の「十字架と私」というとき、「私のための十字架」、このことがイエス様の十字架の身代わりということ、そして、神の裁きということがどういうことであるのかを前回語らせていただきました。
 私は大学を卒業する4年の秋に信仰に導かれクリスチャンとなりました。そして、あくる年の4月には、会社に就職をし、そこで、全力を尽くそうとの思いでいたのですけれども、しかし、どうしても心の中に、自分はこのところにいてはいけない。牧師になる道を選ぶべきではないのだろうかということが心に深く迫ってまいりました。ほんとうに当時のことが思い出されます。具体的な行動をとるには、先ず今自分が働いております営業所長さんに、このことを言わなければならないと思いました。
 「実は、牧師になるために営業所を辞めたいと思います」。所長さんもびっくりしたんですが。所長さんが言いました「きみはどこ出身だったっけ」「長野県の松本、浅間温泉というところです」「浅間温泉、聞いたことあるなあ。知ってる知ってる、俺の親戚のいるところだ。きみ坂口酒店って知ってる?」「知ってます、浅間温泉の旅館街の中で一番大きな酒屋さん」「あれね、俺の親戚なんだよ」。不思議な感じがしました。だからといってどうのということもないんですが、まさかそこにそういう人が所長さんだったとは。「きみはまだ若いからそう言うんだ。私はきみより人生経験があるから」と一生懸命に私を止めてくださったんです。そんなことがふと今思い起されました。
 さあいよいよ両親にこのことをきちっと会って話をしなければならないと思いました。松本の浅間温泉の家に、こういうことで、そうなりますと伝えました。
 よくお話ししている通り、私の家は満州から引き揚げてきております。一族郎党を引き連れて行ったのが、私の母のすぐ上のお兄さん。満州で一旗揚げるということで一家を率いていった、そして、まさか敗戦です。苦労しながらやっと帰国し、そして、盛岡でいえば奥中山のような山に入って開拓に従事した。その伯父が、やはり母方の親戚の内では一番力がある中心的な伯父さんです。浅間温泉からちょっと山の方に入っていった山の中で開拓していた。その伯父さんが、私がこういうことで会社を辞めて牧師になると決意したと言ったとき、ほんとうに親身になって怒ってくれたんです。「勝美、人間の醜さってえものを知らねえから牧師になるとか、人間が罪びとだとか。てめえ、罪びとってことがどういうことかわかるか」。こちらが言いたいことなんですけれども、しかし、伯父さんは伯父さんなりに、「俺は満州で人間の醜さ、残虐さをイヤというほど見てきた」。まさに命を賭けて逃避行できたほどの伯父さんですから、「てめえのようなまだ尻の青いものに、人が罪びとだとか何をぬかすか」こういう言い方だったんです。それはほんとうに伯父の真剣な説得でありました。私はその時、どういうようにその話を終えたのか覚えていません。しかし私が帰った後、やっぱり松本の両親はショックであったし、そして両親は、伯父から「勝()、きみ子 ()、てめえの育て方がいけねえから」と徹底的に絞られたそうです。

 なぜこんな話をしたか。私は伯父さんが満州で経験した人間の残虐さ、野蛮さ、それを直に知ってはいません。だけれども、人間というものが、それほどんのものであって、そしてイエス様は、まさにそのような人間の野蛮さと罪深さを十字架の上で一身に負ってくださった。それはまさにおじさんのそれではない、私自身も同じ者なんだ、この私のためにこのお方が身代わりとなって神の裁きを受けてくださったということを、ほんとうに聖霊によって知らせていただきました。

「私のための十字架」、22歳の時にお救いに与って今日まで、この「私のための十字架」という、自分の罪とその故の神様のご愛というものは恐らく、ずっとずっと深く深く知り続ける生涯なのだろうなと私は思うのです。「私のための十字架」、どうか皆さん方、自分が初めてイエス様の十字架の恵みを知った、自分の罪を本当に知った。そしてそのキリストの愛を知った、それをどうか深め続けていただきたい、このように思うのです。
 もう一つ、私のための「私の内の十字架」。これは先ほどお話しさせていただいた「私のための十字架」という自分の罪深さ、そして神の赦しという、罪というものは分かれば分かるほどこの罪を持ったままで、この罪のほんとうの解決がなされないままで、クリスチャンということは凡そあり得ない。これをきよめという表現を使うかどうか私たちはもう大胆にこれをいうのですけれども、自分の罪が分かれば分かるほど、このキリストの愛がわかる。そしてこのイエス様がわがうちにある罪をきよめてくださる。
第一ヨハネ1:7「其の子イエスの血、すべての罪より我らを潔む」
そして
ガラテヤ書2章19、20節「
19 しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストとともに十字架につけられました。20もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです」

 このキリストの十字架、このきよめの信仰をほんとうにアーメンと告白する生き方をともにさせていただきたい。だから、よくお救いに与ったとき、きよめ派だからきよめというんだとか、そういうことではまったくなくって、ほんとうに罪というものがわかり、ほんとうにキリストの十字架が何のためであるかということが分かって、罪の解決がキリストにある。そして、十字架の血潮によってそれは信仰によってのみ受けられるということが分かったのなら、人はこのきよめの信仰に進むのが極めて当たり前のことなんだ。特別なことでも何でもない。どうか、わがうちにあるキリスト、わがうちの十字架、アーメンと肯かせていただきましょう。

 そして今日はもう一つは、「私の負う十字架」
マタイ10章38節「自分の十字架を負ってわたしに従って来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません」

 皆さまはイエス様の十字架の場面、福音書でご存じのあのときに、イエス様が十字架を担がせられて刑場への道を歩むのですが、ついに疲労困憊、倒れてしまったときに、ローマの兵隊はこの騒ぎを見に沿道に来ていた一人の屈強なクレネ人シモンに、「この男の代わりに十字架を担いで刑場まで行け」と命じます。ただ見物をしていたこのことには何も関わりがなかったクレネのシモンがイエス様に代わって十字架を負いました。きょうはこのことには詳しく触れませんけれども、それが彼の生涯に大きな祝福の原点となったということを私たちは知っています。
 思わずもキリストの十字架を背負う人生を歩む。それぞれの人生がありましたけれども、ある時にキリストの十字架に出会い、そして神のご愛に触れて、キリスト共に十字架につけられたりというこの恵みの中に生きているときに、イエス様と一緒に働くことができる。イエス様のお手伝いをすることができる。皆さん方で、もし失礼でなかったのならば、お仕事をしておられるそのお仕事の中で、教会に献金をささげてくださる、どれほどの大きな恵みでしょうか。これもまたキリストの十字架を負わせていただいてるのです。
マタイ16:24だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従ってきなさい。

 伝道会の時にしばしば開かれるマタイの112830節のおことばを読ませていただきましょう。

28すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなた方を休ませてあげます。29わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。

 イエス様は、さあ私と一緒にくびきを負わないか。そうすれば魂に安らぎを得ますよ。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからですと言っておられる。

 自分の生涯の中で、キリストの十字架をともに負わせていただく、「私のための十字架」、「私の内の十字架」、「私の負う十字架」これは「私の負わせていただく十字架」ですが、これが「私の十字架」であります。

18十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。(第一コリント1:18)

 「私の十字架」、これをしっかりと心に止めさせていただきましょう。

※データは教会からお借りしています。
⏰6時12分更新
たった今眩しい曙光が夥しい矢を放ちはじめました。
平和を祈りつつ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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雑感

 きょうはJ-MERO は無し。そのあたりの番組に心休まる風景があったので見ていたところ、私がいつも声に温かみを感じていたその人が出ていた。山田敦子さん。愛媛県石鎚山のこれは登山道だったろうか。この優しい声の持ち主はどんな方だろうかといつも思っていた。
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 それが、昨年の12月26日の、やはり「小さな旅」でやっとお顔を拝見。きょうの写真ではよくわからないので、12月に画面から撮り置いた写真の方をアップ。この方です。

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 山田さんの声には癒しがある。安心をくれる。

 それといつも感心していることがある。これは何も特定の局に限ってのことではないが、アナウンサーとしての訓練を受けた方々の話しは、逐一聞き取ることができる。これは仕事でも何でもなく、まったく自分の好き勝手でやっていることなのだが、ICレコーダーの録音を文字に起こす時に、講演者の方のものであっても、舞台、声楽であっても、或いは、説教であっても、なかなか聞き取れないことがある。しかし、アナウンサーの方の音声には、少なくともこれまでは、どうしても聞き取れないということは無かった。微妙なところも、きちんと聞き手の耳に届くように話している。職業としてあたりまえと言えばあたりまえなのだが、それに気づいた時に、私は感心したのだ。
 

⛳20時45分更新

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220408 クラシック倶楽部を聴く クンウー・パイク ピアノ・リサイタル

ソウル生まれ。15歳で米国に渡り、ジュリアード音楽院で学ぶ。1969年ブゾーニ国際ピアノコンクールで金賞。現在は、パリを拠点に世界の第一線で活躍を続けている。 ソウル生まれ。10歳で韓国国立オーケストラとの共演でデビュー。15歳の時に米国に渡りジュリアード音楽院で学ぶ。1969年ブゾーニ国際ピアノコンクールで金賞。1982年からパリを拠点に移し、世界的なピアニストとして活躍中。今回のプログラムは全てショパンのノクターンで組まれた。【演奏】クンウー・パイク(ピアノ)【曲目】ノクターン変ホ長調作品9-2ほか【収録】2021年7月13日王子ホール(東京)
 番組紹介よりー 

クンウー・パイクのコメント
<全曲ショパンの「ノクターン」というプログラムについて>
実はかなり長い間ショパンのノクターンを演奏していませんでした。演奏するのが難しいといつも思っていたからです。「ポロネーズ」「マズルカ」「バラード」「スケルツォ」には華麗さを伝え人々を幸せにし感動させるという目的があります。しかしノクターンは自分との対話です。ショパンも自分と対話していたのでしょう。ノクターンはその様を巧みに表現しています。ノクターンはショパンと最も親密な関係が築ける作品です。今回はノクターン全21曲の中から選曲し演奏します。

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曲目 オールショパン
ノクターン 変ロ短調 作品9第1
ノクターン 嬰ハ短調 (遺作)
ノクターン 変ホ長調 作品9第2
ノクターン ハ短調 作品481
ノクターン 変ホ長調 作品552
ノクターン ロ長調 作品621
ノクターン 嬰へ短調 作品482
ノクターン 作品151
ノクターン 作品481

🎵若い時分には高齢になってからの演奏の価値というものがいまいち分かっていなかった。ここのところ、長年培われてきた方々の演奏のすごさというものが分かる。このような現在をこのようにあらせることのできる日頃の研鑽、鍛錬に敬服する。嬰へ短調、これがポーランドの敗戦下の街に流されたときのことを、瓦礫を縫って流れたさまを想像、そのポーランドには今、ウクライナから逃れた人々が。ウクライナの惨状を想った。


🎧名曲アルバム。グロフェ「組曲 大峡谷」から「日の出」
大友直人&N
グランドキャニオンの壮大な日の出を音で綴った曲。
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⛳大谷翔平、アストロズ戦に「1番・DH兼投手」で先発出場。ついついTV。エンゼルス敗退がちょっと残念。
沖縄は第7波突入か。政府、ロシアへ追加制裁。
盛岡市高松の池で剪定された枝を貰ってきて花瓶に挿しておいたところ、3輪の桜開花。これが今日の最も明るい話題。たった3輪のこの明るさ、眩しさよ!
20時34分更新





 

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220407 クラシッククラブを聴く ペーター・レーゼル(ピアノ)

1945年ドレスデン生まれ。チャイコフスキー国際コンクール入賞。ベルリン・フィルやニューヨーク・フィルと長年共演を重ねてきたドイツを代表するピアノの巨匠。日本では2008年から4年に渡って開催したベートーベンのピアノ・ソナタ全曲演奏会が高い評価を得た。
【演奏】ペーター・レーゼル。
【曲目】

ソナタ変ホ長調 Hob.XVI:52 (ハイドン)
ピアノ・ソナタ第32番ハ短調作品111(ベートーベン)

【収録】東京・紀尾井ホール(2021年10月13日)
Dsc00042-2  Dsc00054-2                        ―番組紹介よりー

「ペーター・レーゼルはドレスデン(旧東ドイツ)生まれだが、ドレスデン音楽大学で学んだあと、モスクワに留学し、モスクワ音楽院に学んでいる。
 2005年にはドレスデン音楽祭で紀尾井シンフォニエッタ東京との共演によりベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲を演奏した。この縁がもととなり20074月に日本では30年振りとなるコンサートを紀尾井ホールで開催した。さらに200810月からはベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲を同ホールにて4年にわたり演奏するプロジェクトが進行中である」とwikipediaにある。
また「ぶらあぼ」には2110月のインタビュー分として「キャリアの初期にはルドルフ・ケンペを深く敬愛しました。一番長く、頻繁に共演したのはマズア。真に世界レベルの実力者と言え、内面の深いところで一致していました。1980年代にはザンデルリンクとの仕事が増え、中でも87年、ロサンゼルス・フィルハーモニックに連れて行っていただき実現した『皇帝』は生涯、忘れられません。高貴なまでに洗練されて輝き、貴族的な解釈と響きに満ちた管弦楽でした」「そろそろ本当に弾きたい作品だけに絞り、より深める道を静かに歩みたい」と語るレーゼル。目下は日本公演と同じく「2020年に重なった2つの節目、ベートーヴェン生誕250年と私自身の75歳祝いにちなみ計画されながら、コロナ禍で延期を余儀なくされたドイツ、スイス、ポルトガル、韓国、中国、日本などでの演奏日程を少しずつ、回復させる作業が続いています」と出ている。
 
今朝、最初の方のコメントは撮り損ねたのだけれども、
二回目のコメント
ペーター・レーゼル2020年、音楽家は予定されていた公演が中止となりました。ベートーベン・イヤーで素晴らしい1年になるはずでした。長い間やりたいと思っていたことが突然できなくなったのは本当に残念です。その一方で「生涯でやりたいことはほとんどやった」と思いました。新しい若い演奏家のことも考えなくてはなりません。期待を込めて未来に注目していきましょう。

🎧名曲アルバム。オネゲル作曲「パシフィック231」
(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団,(指揮)円光寺雅彦
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アルテュール・オネゲルは1892年仏ルアーブル生まれ。蒸気機関車で動くケーブルカーの音を聴いて育つ。19歳パリ音楽院入学。蒸気機関車の名を冠した「パシフィック231」は彼の代表作。

⛳先ほどまで風がピューピュー鳴っていた。この風に吹かれて、まだ枯草色の小高い丘に咲いていたタンポポは、花をすぼめて息を詰め、身をかがめているだろうか。
21時56分更新

 

 

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220406 クラシック俱楽部を聴く 江口玲 アメリカに心を寄せて

アメリカ同時多発テロから20年。NYを拠点に活動してきた江口玲が思いを込めて演奏する。【収録】2021年4月15日 東京・めぐろパーシモンホール 小ホール
 
【曲目】
なつかしいウィーン(ゴドフスキ)
ノクターン(ホフマン)
メロディー、幻想的クラコーヴィアク(パデレフスキ)政治家
前奏曲 作品32 第12(ラフマニノフ)
パガニーニの主題による狂詩曲から第18変奏(ラフマニノフ/江口玲)
4羽の白鳥の踊り(チャイコフスキー/ワイルド)
小犬のワルツによるパラフレーズ(ミハウォフスキ)
ジャズボ・ブラウン・ブルース(ガーシュウィン)
ザ・マン・アイ・ラブ(ガーシュウィングレンジャー)
ラプソディー・イン・ブルー(ガーシュウィン/江口玲)

                            ―番組紹介よりー

クラコーヴィアクはポーランドに伝わる舞曲
パガニーニの主題による狂詩曲から第18変奏、壮麗な感じも。
ワイルド、ロマン派最後のピアニストとも
ミハウォフスキはポーランドの作曲家、教師。聞き分けのないやんちゃな子犬

江口玲
東京芸術大学作曲科卒業。ジュリアード音楽院ピアノ科大学院修士課程、プロフェッショナルスタディング終了。その後NYと東京を行き来しながらソリスト、室内楽奏者、伴奏者として多彩な活動を。2001911日アメリカ同時多発テロが起きた時、ニューヨークで暮らしていた。あれから20年となる2021年当時のアメリカに思いを寄せながら名曲の数々を演奏する。
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江口玲のコメント
プログラムについて
前半に入れたクラシックの小品たちというのは、実は作曲した人たちが、みんなカーネギーホールに由来のある人たち、ピアニストたちなんですよね、作曲家というよりもピアニストたち。いわゆる1890年から1900年代の初頭を、ピアノとしては、後期ロマン派からいわゆるいちばんロマンティックなこてこてのロマン派のピアニストたちがいっぱいいた時代というんですかね。ゴドフスキはカーネギーホールが公式にオープンするより前にそこで非公式なリサイタルを一番最初に演奏したピアニストだったり、あとホフマンもパでレフスキーもみんなアメリカでデビューというかコンサートはカーネギーホール、ラフマニノフもそうですし、そういう由来をもって選んでみました。
このとき江口が弾いたピアノについて
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 ホロヴィッツが来日したときに使ってたピアノなんです。今縁があって日本にあって、アクションとか鍵盤すべてそのときのまま、もう丁寧に保管されてきて、今でもこうやって使える楽器なんですけど、1912年に作られた楽器、いうなれば、今日弾いた作曲家たちが大活躍してた時代ですね。ですからもう彼らと一緒にこれがよみがえってきたような感じは自分の中でしてます。
ガーシュインについて
> 自分の中でガーシュインという作曲家を過小評価してたところがあったんですが、弾いてみたら何て美しいメロディーを次からつぎへと書く人だろうっていう、最初の「ジャズボ・ブラウン・ブルース」ってうのは、あれはポーギーとベス、オペラの、一番最初に出てくる曲なんですけれども、残念ながら上演される際にそこの場面カットされてしまうことが多いんですよ。でもあんな素敵な小品があそこピアノのソロなんですよね。酒場で弾いてるという、これはたぶん聞いたことある方あまりいらっしゃらないんじゃないかと思ってぜひこれ入れてみたいなと。とってもガーシュインらしい曲だなあと思って。2曲目に「ザ・マン・アイ・ラブ」を入れたんですけど、これは「ラプソディー・イン・ブルー」が時々クラシックとジャズの間に挟まっているみたいなことを時々いわれるんだけれども、そこの中に含まれているメロディーというか、イディオムというものが、やっぱりガーシュインがとっても好きだった音型というものがいっぱいあって、それの一つとしてこのメロディー、いろんなところに「ラプソディー・イン・ブルー」にも出てくるので、とてもきれいな曲だなと思っておりました。「ラプソディー・イン・ブルー」は必ず最後に入れたいなと思って。改めて久しぶりに弾いてみたという感じなんですけれど。
そうですね、自分がNYで家族と一緒に過ごしている何十年かの歴史ですか、そういったものが今頭の中によみがえってきたような気がしてます。
 <アメリカ同時多発テロの記憶、当時江口は家族とともにニューヨーク暮らしだった。そして今のアメリカについて
 あの日のことはほんとうにはっきりよくお覚えていて、というのは実は上の娘が幼稚園に登園する最初の日だった。ものすごくいい天気で、さあ今から行こうかと言ってたときに、そういうことが起こって、学校の方に確認したところが、学校の方は何にもわかってなくて、当たり前でしょ、みたいな感じ。で、時間が経つにつれて緊急車両などの数が増えてきて、残念ながらやっぱり幼稚園のご家族の方も犠牲者何人か出てしまって、大変なことがここで起こって、それを境に世界がやっぱり変わってしまった。
 それをきっかけにアメリカはものすごく国として団結してた。テロに立ち向かう。なんだけれど、今、完全に分断されてます。この20年の間、ここ数年の間なんですけども。なぜそうなってしまったのか。私がアメリカの人たちに願うこととして、一つの大きな国の人として、その隣の人、移民で成り立ってる国として隣の人を尊敬すること、そして一人ひとりアメリカ人としての誇りを持ってそれを生きていってほしいなということ。ほんとに今の状態、一部の人だと思うんですけど、アメリカ人としてとっても恥ずかしいと思うことがあります。今はそんなことを考えてますね。

アレクサンドル・ミハウォフスキ(18511938)はポーランドのピアニスト、教師。主にポーランドとロシアで活動。ショパンの弟子の薫陶を受け、ショパン演奏家として名をはせた。ショパンの作品に超絶技巧を加えた編曲を数多く行っており、「小犬のワルツによるパラフレーズ」もその一つ。

🎵江口玲さんはクラシック倶楽部の顔。どなたかとの共演で登場するたびに、どんな音楽傾向をお持ちの方かと思っていたけれども、きょうは共演者のいない立場でのプログラム選択と演奏。ピアノになぜロゴが入っていないのだろうと不思議に思っていたところが、例外的にピアノの内側に刻まれていた。スタインウェイ。これがホロビッツが所有していたピアノであるというから驚く。カーネギーホールに所縁のある音楽家たちというブログラムもおもしろい。また様々な編曲のバリエーションも楽しかった。最後の「ラプソディー・イン・ブルー」の編曲が進むごとに軽みがミキサーされ、クラシックの重みが実線のように輪郭を隈取り、存在感となってのこった。

 911当日のもよう、直にNYにいた方のはなし、あれから20年、アメリカ軍はアフガニスタンから撤退。まさかのタリバンのアフガン征服。今はウクライナの封じ込めに必死。強いアメリカなのかどうか、日本が宿りたい大樹の陰とするには危うさ脆さが。根強い人種差別、問題化したのはまだまだ氷山の一角。けさは音楽を通してさまざまなことを考えさせられた。

🎧名曲アルバム。「歌劇〝カプレーティとモンキッキ〟から〝おお、いくたびか〟」ベルリーニ作曲あ
(ソプラノ)砂川涼子,(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団,(指揮)現田茂夫
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ヴェローナはロミオとジュリエットの舞台。この物語もロミオとジュリエットが題材となっている。

⛳花粉、跋扈。
春嵐 コロナ花粉が 入り乱る

一市民が銃を乱射すれば警察が逮捕する。一市民が心病み常軌を逸すれば精神科医の処方箋が出る。隔離されるかもしれない。非常識な人には親族、友人が説得にあたることもあるだろう。しかし核を握る一国の元首には大量殺戮を日々目にしながら、誰も即座には手も足も出ない。席を蹴って助けに駆け付ける者がいない。奇態なものだ。
11時21分更新

 

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220405 クラシック俱楽部を聴く ザルツブルク音楽祭2020 アンドラーシュ・シフI

2020年の「ザルツブルク音楽祭」から、世界的ピアニストのアンドラーシュ・シフがシューベルトとヤナーチェクの作品に取り組んだソロ・コンサートをお送りする。 卓越した技術と豊かな音楽性を兼ね備えたピアニストとして聴衆を魅了し続ける世界的ピアニスト アンドラーシュ・シフがシューベルトとヤナーチェクの作品に取り組んだ2020年の「ザルツブルク音楽祭」のコンサートからお送りする。出演:アンドラーシュ・シフ(ピアノ) 曲目:4つの即興曲 D.935(シューベルト作曲)、霧の中(ヤナーチェク作曲) 〈2020年8月25日 ザルツブルク モーツァルト劇場〉
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曲目
4つの即興曲 D.935 (シューベルト)
霧の中 (ヤナーチェク)

モーツァルトの生誕地オーストリアのザルツブルクで毎年夏に開催されるザルツブルク音楽祭。一か月以上に及ぶ期間に演劇、オペラ、バレエ、種々のコンサートを含む数多くのプログラムが提供され規模、内容ともに世界有数の音楽祭として知られる。1920(大正9)年に第一回が開催されたのち、偉大な音楽家たちの導きで伝統を積み重ねてきた音楽祭が2020年創立100年を迎える。新型コロナウィルスの感染拡大を受けて一時開催が危ぶまれたが規模を縮小しさまざまな感染防止対策をとったうえで81日から30日間、110公演が行われる。
音楽祭の後半、ステージに登場したのは、世界的ピアニストのアンドラーシュ・シフ。アンドラーシュ・シフは1953年ハンガリーのブダペスト生まれ。バッハからブラームスまでのドイツ音楽のレパートリーを中心とし卓越した技術と音楽性を兼ね備える。
                                ―番組紹介よりー

🎵ザルツブルク音楽祭は1920年から100年の歴史をもつ。100年前の日本は大正時代。音楽では軍楽隊や帝室雅楽部が西洋音楽の習得も課せられて頑張っていた。ヨーロッパに比肩しうるアンサンブルもソリストもいない時代。それがもうこんな音楽祭が企画され開催されていた。この圧倒的な落差。
 アンドラーシュ・シフの演奏、研ぎ澄まされ澄んだ音にも、流麗なところにも、すべてに明晰さが感じられた。
 マスクを着けてステージに登場、スツールに掛ける直前にマスクを外していた。はたしていつまでこんな光景となるのだろうか。
 ザルツブルクといえば、一時期は天上界をのぞくかの心境だったけれども、何もこれほどの大舞台に乗るまでもなく、ほんとうに優れた音楽家たちが日本にもいる、ふとそんな思いを持った。小山さんの4つの即興曲、私には優しさまでもが感じられて、さりげなく光る、そしてここぞというときには、確かに響ききる宝石のような感じがしたのだけれども。

🎧名曲アルバム。サティ「ノクチュルヌ 第2番 5番」。ピアノ高橋アキ
サティ(1866 - 1925) 仏で活躍した。音楽界の異端児だった。
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🎵パリ音楽院に入学するが、西洋音楽の伝統に飽き足らず退学ということだが、wikipediaには「指導教授から才能が無いと否定され、1885年に2年半あまりで除籍になった」とある。在学中に作った曲などが、教授に否定されたのだろうか。教授はサティの新しい感覚がわからなかったのかもしれない。この旧弊な感覚に飽き足らずに退学を受け入れたのだろうか。20歳でモンマルトルに移り住み、夜の町に通い、生活の糧を得る。行きかえりの自然から作曲のインスピレーションを受けていた。「ノクチュルヌ」は晩年の代表作だという。アルコール中毒となり、病院で亡くなっている。
 生涯サティへの敬意について公言し続けたラヴェルは、ドビュッシーこそが並行和音を多く用いた作曲家だと世間が見なしたことに不満を呈しており、その処女作『グロテスクなセレナード』において既にドビュッシーよりも自分が先に並行和音を駆使したと述べ、それがサティから影響を受けた技法であることにも触れている。

⛳きょうもいい陽気だった。
ウクライナから20人の方々を乗せて政府専用機が到着。
戦争犯罪にさらされる側も地獄、有無を言わさず戦争犯罪を犯させる、犯させられる側も地獄。これぞ地獄。
20時51分更新

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220404 クラシック倶楽部を聴く ピアニスト 小山実稚恵の世界 I 〜心に響くシューベルトとベートーベン〜

日本を代表するピアニスト小山実稚恵。コロナ禍中ひとり向き合ったベートーベンのピアノ・ソナタ第31番。そして心のひだに染み入るというシューベルトの名曲を弾く。 東北出身の小山が音楽を見つめ直すきっかけが東日本大震災だった。そしてコロナ禍。改めて感じた音楽の力とは、演奏するということとは。インタビューも紹介【曲目】4つの即興曲 D.935 第2番、第3番、4つの即興曲 D.899 第2番、第3番(いずれもシューベルト作曲)、ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 作品110(ベートーベン作曲)【収録】2021年6月23日 めぐろパーシモンホール 大ホール

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2枚目写真は被災地での小山さん。子供たちとともに。

小山さんのコメント
 心の歌だし、想いが歌ですし、シューベルトの思いっていうのは、シューベルトの旋律そのものですし、作曲家の中でもほんとうに静かに心を打つといいますか、心のひだの中のひだに静かに入って来るこの感じとか、一回目と二回目とほんの少しだけ音が変えてあったりちょっとだけその場の様子で違うという瞬間がシューベルトにはたくさん出て来て、それがもうたまらなく好きですし、胸がきゅーっとつまるような思いで、シューベルトは最近弾いて、弾きながら、もうこんなことは言えないと思って弾いてます。

 3・11被災地でのこと、そしてコロナ:私一寸そのとき、子供たちがピアノを聴いたりするのどうなんだろうと思ったら、二つの学校の先生が同じことを仰ったんですよ。一番持ってきた中で華やかなドレスを着てほしい、子供たちはとにかくわっとこうきれいなものとか楽しいことをとにかくしてあげて欲しいと。それが一番いろんなことを忘れて心から楽しいひとときになるから、といわれて、私、すごくこう胸は痛めてたんですけど分かっていなかったなあと。やっぱり音楽って、よいものだなあとか楽しいなあとか、いいなあと思うものじゃなくちゃいけないんだとその時ものすごく思って、そこで、なんかこう自分の音楽の感じ方っていうのも、2011年にすごく考えて、そしてまたここでコロナが起こって。
(小山さんがコロナで向き合った曲がベートーベンの31番。この曲に、小山さんは言葉では言い表せない深い悲しみを感じているという)第3楽章の嘆きの歌。その嘆きの歌がやっぱり、この事柄に嘆くとか、誰かの思いが悲しいから嘆くとかそういうことではなくて、なにかやっぱりもっと深い、もう何事と言えないものに二度嘆く。そして二回目の方はもう、とぎれとぎれになって嘆いて、だけどそこからこうフーガという緻密なものを組み立てていって、最後にはもうベートーベンらしい力が宿って来て全身がわーっとほんとうに心の下から勇気が湧き上がってくる。これはやっぱりもうベートーベンだからだし、人間だから感じられる感情だと思いますし、悲しいことに去年から今年コロナということが起こりましたけど、ベートーベンだってやはり耳が聴こえなくなる苦悩があって、苦悩の中の自分の在り方というものを見つけて、新しい自分の音楽が、逆に言うと聞こえてきたとか見えてきたということがあると思うので、やっぱりこの作品というのは単に傑作で素晴らしい作品だということだけじゃなくて、人類へのメッセージ、言葉にするとちょっと気恥ずかしいですけれど、音楽を弾くというのと、やはり人間であるから生きるということを思って弾くみたいな、そういう作品なのではないかなと思います。


🎵小山さんのピアノ、時として消えゆきそうな繊細さ、これがほんとうに打鍵によって作り出された音なのだろうかとさえ思うことたびたび。
被災地に足を運んでくれた方。
ベートーベンの31番、コメントをかみしめながら響きを共有。


🎧名曲アルバム。ヴィヴァルディ「四季 春」
バイオリン漆原朝子。飯森&東京フィル
ベネチアのピエタ教会には孤児院も兼ねていたが、楽団があった。彼らのために多くの作曲を。生涯に300曲以上のバイオリン協奏曲を書きながら彼の功績は次第に忘れられ、傑作「四季」が再び日の目を見たのは20世紀に入ってからだという。因みに彼の在世は1678 - 1741年。

🎵春が来ている。惨い酷い戦火のときにも。しぶとく蝕むコロナがあっても、春が来ている。窓の外にも、窓の内にも、確かに春が来ている。もしこれから先が秋だったら、もしこの先が冬だったら、思いはどんなに寒く、いよいよ暗く、わびしく、厳しかったろう。
20時28分



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220402 J-MERO

J-MERO
サルサガムテープは、かしわ哲率いる知的障害者達の日本音楽バンド
1994年
かしわ哲知的障害者達を集め結成。1996年にはスウェーデンでの海外ライブを行った。1999年4月NHK音楽番組みんなのうた」で、「まひるのほし」が放送となった。その後もCDを幾枚も発売した。2003年11月には、忌野清志郎との共作「ONABE」を発表する。後に、日本テレビの番組「どっちの料理ショーエンディングテーマに採用された。(2005年13) また、「リラックスNO.1」が2005スペシャルオリンピックス長野の公式サポートソングに選ばれた。(Wikipediaより)
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🎵放送当日、といっても、これが再放送の放送当日2日のことだが、その日のうちにアップしたいなと思い、メンバーの名前を聴いていたが二人の方の名が聴き取れなくて、そちこち検索して調べているうちに、時間がどんどん経ち、ついつい後回しになってしまったのだ。
 ギター・ボーカル、ガムテープ太鼓、ダンパー、サックス、ベース、パーカッション、ドラムの11人編成であったかと。障害の方々の活き活きとしたセッション。生きていることを感じさせられる演奏、内側から自然に、ストレートに出てきた躍動に共感。
 
⛳4日のきょう、8時36分更新。きょうの小山さんの演奏もよかったなと思いつつ。


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きょうのことば「十字架と私」

インマヌエル盛岡キリスト教会2022年327()のメッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で49年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 『十字架と私』(國光勝美 牧師)
引証聖句 コリント人への手紙 第一 11831
18十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。19「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、悟りある者の悟りを消し去る」と書いてあるからです。

20知恵ある者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の論客はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。21神の知恵により、この世は自分の知恵によって神を知ることがありませんでした。それゆえ神は、みこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救うことにされたのです。 22ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。 23しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かなことですが、 24ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者たちにとっては、神の力、神の知恵であるキリストです。 25神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
26兄弟たち、自分たちの召しのことを考えてみなさい。人間的に見れば知者は多くはなく、力ある者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。27しかし神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。 28有るものを無いものとするために、この世の取るに足りない者や見下されている者、すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです。29肉なる者が誰も神の御前で誇ることがないようにするためです。 30しかし、あなたがたは神によってキリスト・イエスのうちにあります。キリストは、私たちにとって神からの知恵、すなわち、義と聖と、贖いになられました。31「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。

 

<メッセージ>
 この朝は「『十字架と私』という説教題で、年会後の、そして、レントと呼ばれるご受難を格別に意識するこの数週間を、「十字架と私」というテーマをしっかりと捕らえて歩ませていただきたいと導かれております。
 まず、この年会におきまして私たち二人はもう一度盛岡教会に任命をいただきました。49年目の奉仕を、ある意味11日からということで、進んでいることでありますが、 正式にはこの年会においてですので、いよいよ今日からだなという思いでございます。どうぞ宜しくお願いいたします。
 既に週報にご案内のとおり、大きな異動というのは、教団全体から見るとありませんでしたけれども、東北教区では、青森教会に12年間労してくださいました中尾道程先生ご夫妻が引退をなさいまして、奈良に生活の場所を移動されるということであります。教区の先生方に、中尾先生方のご挨拶のメールをいただきました。ぜんぶ青森教会の個人的な荷物は既に奈良の方に送ってあるので、今は、教会をキャンプのような形で生活をしていますということでありました。新幹線がご存じのようなわけでもありましたし、たぶん新幹線が普通どおりであったとしても、たぶん飛行機で飛ばれるんだろうかなと思いますけれども、この聖日の後、区切られて奈良の方に行かれるのだろうと思いました。
 また、私の同期の大分の別府の方で労しておられる徳田先生、とても大きな教会で現在は小川先生が牧しておられますけれども、数年前から協力牧師という形で関わっておられましたが、今期年会で正式に引退なさる。どうか個人的な面では大きな変化であったと、このように思っております。しかし、皆さん方にとりましては、ユーチューブでメッセージに触れる機会がおありであったということ。特に「我を呼べ、さらば我汝に応えん」とエレミヤのおことばから、小川宣嗣先生が聖会で語られたユーチューブのメッセージは今も見ることができますし、それから、宣教会で語られました岩上祝仁先生の「収穫の主が働き手を求めなさい」と切なる祈りがこめられたメッセージが、これもユーチューブにおいて見ることができます。そして、任命式、按手式というようなところは、皆様方の週報で書いてあるもので見ることができますが、おそらく任命式の方は一般では検索しても出てこないというようになっておりますが、皆様にとりましても、年会というものの雰囲気を知っていただく機会だなと思いました。

 この年会、新しい踏み出しをさせていただき、十字架と私というテーマでみことばのご用をさせていただきたいと思っております。
18十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。
 この十字架のことば、これは私もいつも教会の玄関にこの日のメッセージの題を表示しているので、ご近所の方々は、見るともなしに見ておられるんですね。約1年間ぐらいだったでしょうか、会堂での集会ではなく、ズームがメインになっていたので、その間はずっと説教題を書くということは致しませんでしたが、ご近所の方が、「教会に車が集まってないし、いつも日曜日の朝に玄関に出てる大きく書いたおことばが無いんですが」とご心配くださり、声をかけてくださった方もございました。一応収束して、集まってくださってもけっこう、その代わり注意をしてという形で、すこしそれが方向転換と言いますか、通常に一歩踏み出したときからは、ずっと玄関に説教題を表示しています。きょうも「十字架と私」という説教題を玄関に出してあります。これをご覧になって、ご近所の方々は、どういうように受け止められるんだろうかな。教会だから、十字架というのはシンボルなので、きっとそれなりに想像はなさるんだろうとは思います。しかし、私が今朝皆さん方とともに心したいのは、ご近所の方々が十字架と私という説教題をご覧になって意識されるようなことではなく、もうすこしきちっと十字架と、キリストの十字架と自分というものに対峙する、向き合うときを持っていただきたいとこのように思っているのです。

 私自身の実体験をお話しします。ご存じの通り私はクリスチャンの背景がほとんどないまま信仰に導かれたのが大学4年の秋のことでありまして、聖書を手にしたのも196811月に初めてということでした。十字架ということの大切さは勿論分かっています。そして1116日のデビッド・マーチン先生のメッセージで、イエス様を救い主として信じたい人は手をあげなさいと促されたときに、真心から手を挙げたということは確かです。ですから十字架は分かっていたはずなのです。勿論程度はもうご存じの通りですけれども、理解の程度は別として、確かに私とイエス様との十字架というものは、出会いました。対峙しました。でもそれからの実体験なのですけれども、ほんとうに乾ききった砂が水を吸い尽くすように講壇で語られる先生のメッセージ、ああなるほど、ああなるほどと心にしみわたってきた中に、おや、昨日講壇で、勿論この講壇というのはお茶の水キリスト教会館の集会のことですけれども、昨日講壇で語られたあの先生は、十字架に神の愛があらわされている、あなたは愛されているんですよと仰った。アーメンと思いながら、恵みに浴したんですけれども。今日語られる別の先生は、あなた方の罪がイエス様を十字架につけたのです。十字架は神の裁きなのですと仰った。これって、あれ、昨日の先生は愛が十字架だ、ところが今日の先生はあなた方の罪がイエス様を十字架につけたのだ。あれ、どう理解したらいいんでしょう。戸惑ってしまった。でも恵みですね。わからないから、だから自分は十字架と関係がないんじゃないんです。ほんとうに救われてましたから。この十字架の意味が知りたい、どういうことなんだろうか、知りたい知りたいという思いで、分からないこと矛盾したことをそのままにしながら神様の恵みにあったときに、この二つのものが一つになってくる。

 また、これを話すと時代が分かりますが。私が小学生のころ、学習雑誌、小学一年生とか何年生とかいうような雑誌がありまして、そこに付録が付いてきたんです。家は貧しかったものですから、お前はお姉さんの学習雑誌を一緒に見ればいいということで、2つ上の姉の買ってもらっている月間の雑誌を一緒に見ていたんですが、その付録に、立体写真というのがあったんです。その当時ですからお相撲さんの写真でした。土俵入りの写真です。たぶん若乃花か栃錦かその土俵入りの写真だと思います。二つの写真は一見同じように見えるんですけれども、それを立体のぞきカメラというか、要するに双眼鏡のような簡単な箱があって、右にも左にも双眼鏡のような箱の穴に入れて、そしてその見える向こう側に横綱、たとえば若乃花の土俵入りの少しだけ角度が違った二つ、同じような写真があって、それを見ていると、ある時点で、一つにその像がなるんです。右と左、すこしちがっている土俵入りのそれが、なんとなく一つになって、一つになったと思ったらば、すこし立体的に見える。なるほどこれが立体写真なのかと妙に感心したことを思い出します。特に皆さん方も、こういうお話をしますと、ご想像はいただけるのかなと思うんですね。
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 そうなんです。この前の時の先生の十字架のお話しと、それから今日の先生のお話しとちょっと違う。ちょっと違うけれども、キリストの十字架の救いというところから見ると2つのものがなんとなく、ぐーっと、ああ、そうか。立体的にというか、わかった、福音とはそういうものだなあというように私は、今日、この例話が私自身が経験したときのその違いとしてお分かりいただきたいと思うのです。同じように見えた十字架ですけれども、明らかに違っているというそれはキリストの十字架というものは、罪の塊。きよい神様の前で絶対に立つことができない私という人間は、聖書という角度から見てということだけでなくほんとうに罪の塊なんだ。それをみことばから見れば、いよいよそう告白せざるを得ない。ローマ人への手紙、ガラテヤ人への手紙などなどもう読むまでもありません。
神は罪を知らない方を私たちのために罪とされました。(コリント第二5:21)
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 しかし、このほんとうに滅んでしまう罪の塊であるような私たちの罪を、何の罪も持っておられないお方が、私のその呪われて当然であるような 罪をぜんぶその身に背負ってくださった。そして、十字架の神の裁きをこれでもかというばかりに、徹底的に私たちの罪を神の裁きをそのうえで成し遂げてくださった。私の罪のそのすべてを、このキリストという罪のないお方が、これほどまでに私の代わりに神の裁きを受けて、わが神我が神どうして私をお見捨てになったのですかと十字架の上で叫ばれるほど罪というものの裁きをぜんぶ残すところなく受けてくださった。これ以外に私たちは罪の解決方法を持っておりません。これ以外に私たちの罪の解決はどこに行ってもありません。しかし、このとき、このお方は神の裁きをことごとく受けてくださった。ご自分を私の罪の身代わりとし神の裁きを受けてくださった。この十字架こそ、これ以外に私にはありませんと心の中で、そして口で言い表してということもロマ書の中にありますけれども。このキリストにあるその血の贖い、これ以外のものありますか。このお方の贖いの血によって私たちの背きの罪の豊かな赦しを私たちは受けているのです。

ヨハネは言います。「人が自分の友のためにいのちを捨てる事これより大きな愛は誰も持っていません」。「自分の友のために」。生まれながら神に敵対していたこんなものを友と呼んでくださる。私はここでヨハネ316節のおことばを、皆さんとご一緒にお読みしたいと思うのです。
神は実にその一人ごをお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者 が一人として滅びることなく永遠のいのちを持つためである ヨハネ3:16
誰も聖霊に感じなければイエスを主ということはできない、

 

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18十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。
 「十字架のことば」というのは福音ですけれども、これが、救われている私たちには神の力だというのです。神の力。いろいろな表現ができると思いますけれども、私は、
「われ活くれば汝らも活くべければなり」(ヨハネ14章19節)
 神の力がいちばんはっきりと顕れるのは、復活に顕れる力です。今まですべての人をのみ込んできた、ブラックホールということばが適切かどうかどうかはわかりませんけれども、すべてのものをのみ込んでしまう、そのような中に、神の力、「われくれば汝らもくべければなり」、イエス様が十字架の死からよみがえってくださった。「よみがえらされた」というのが原語の意味だと伺ったことがありますけれども、神はよみがえらせてくださる、そのお力を持っておられる。このお方に私たちが一つになっておりますから、だから私たちも生かされるのです。「われくれば汝らもくべければなり」。この驚くべき神の力、ほんとうに私はお救いに与ったとき、十字架というものはキリスト教のシンボルということでしか救われる前は、ありませんでした。しかしマーチン先生のメッセージで、神の愛、イエス・キリストの十字架の救いということを聞いた時、十字架というものを初めて知ることができ、「きょうこれを受け入れる人がいますか?」と促しがあったとき、私は手をあげました。この2つのものが1つに集まって立体的にここに神の愛、神の力がある。
 救われる私たちに福音こそ神の力だと教えてくれるのは、聖霊による神様の働き以外にはありません。三位一体である聖霊なる神様は私たちにイエス・キリストの十字架を示し、そして、それがあなたのためだということを知らせるために、聖霊は私たちがいかに罪人であるかということをこれでもかというほどまでに光を照らしてくださり、光を照らしてくださる聖霊様は、それ以上にそのためにといってキリストの救いの方へと私たちにスポットライトを当ててくださって、ほらここに救いがあるんだよ、と教え納得させてくださいます。
聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。(コリント第一12:3)
 このようにみことばにありますけれども、ほんとうにそうです。聖霊に感じなかったのならば、誰もイエス・キリストの十字架を私の十字架と告白することはできないでしょう。

 どうぞこの時、私たち一人ひとりがキリストの十字架と対峙し、向き合い、神の義と神の愛がそこにしっかりと出会い、立体として、自分の心の中に、しっかりと自分の中に受け止められますように、そのような恵みの期間をともに過ごさせていただこうではありませんか。


※音声データ、スクリーンショットは教会からお借りしています。
⏰5時47分更新

 

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220401 クラシック俱楽部を聴く 服部百音バイオリン・リサイタル〜島根県川本町公開収録

数々のコンクールで優勝を果たした気鋭のバイオリニスト・服部百音と、卓越した技巧で注目のピアニスト・亀井聖矢。若き才能2人による、情熱あふれる演奏をお送りする。 服部百音(バイオリン)…祖父・服部克久、父・隆之(共に作曲家)という音楽一家に育つ。2009年ヴィエニャフスキ国際コンクール(ジュニア部門)を最年少で制し、10歳で演奏活動を開始。
【曲目】
ノクターンとタランテラ 作品28(シマノフスキ作曲)
バイオリン・ソナタ 第1番 へ短調 作品80(プロコフィエフ作曲)
チガーヌ(ラヴェル作曲)

【収録】2021627日 悠邑ふるさと会館(島根県川本町)
                             ―番組紹介からー
川本庁は人口3,000人。音楽の町。

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お二人のコメント
服部:島根は訪れる前から日本のある意味原点の場所というか、神話にもあるようにそういった神聖な空気とか流儀に満ちた場所だと思うんですけども、音楽というのも目に見えないとても大きな存在と人間が結びつきを感じることができる芸術だと思うのでそういう意味でなんか共通点があるというか、こういうところに来て音楽ができるということはすごく嬉しいですし、神様に感謝しながら弾かなきゃと思っています。
亀井:もう自然が美しくて、いま美しいという中にもすごく厳かな感覚があって、その中にこのしえいの中にたたずむ立派な音楽堂のなかで二人で演奏できるということがすごく自分にとっても音楽のインスピレーションにもなりますし、またそこから得たものを音楽を通して還元していけたらなと思っています。

難曲として知られるバイオリン・ソナタ 第1番 へ短調 作品80に挑戦する思いは。
服部:当時の戦争であったりとか、ソ連の大粛清であったりとか、そういった殺伐とした時代背景が色濃く反映された曲ですし、ピアノとバイオリンでけっこう分かれているんですね、役割が。物理的な爆撃音だったりかねの音であったりとか、そういった残酷な現状というものを淡々と映し出すピアノの役目とそこに魂の歌であったり人々の叫びとかそのような感情とか、そういったものを歌うパートであるバイオリンというか、そういう二つの要素が一つになって、一つの戦争映画のようなものなんですが、そういった世界観を作り出せる。ピアノとバイオリンですけど、シンフォニーのような作品で、
プロコフィエフに関してはほんとうに容赦のない音というのを出してくださるので、それがまた内臓をえぐり取られるようなひしひしと感じる、やっぱり近くで弾いてるので、感じて刺さってくるものがあると、それを受けてこちらが出す音というのもさらにこの世界にマッチする音が出せたらいいなと思ってやってるんですけど、
亀井:僕がそれを受けてそういう気持ちになっていくような感じです。
服部:わたしはそれを受けてまた音を出してるわけなんですけどね。
亀井:すこし特殊で難しい面もあるんですけど、ただこの曲のそういうもうこの世の終わりみたいな世界観と音色とそういう雰囲気がすごく心に刺さるような大好きな作品なのでそういった世界観を存分に届けられるように演奏したいなと思います。
服部:15:10どこまで作品の持つ描写的な部分は近づけることができるんだろうというふうにずっと思ってたんですけど、ある意味、音楽的にまとまってしまうとどうしても人の感情の産物で終わってしまうというか、そういった部分も出てくるんですが、そういった部分を一切前提を取り払ってしまったところで音楽を作っていってくださるので、一緒に話しながら、すごく新鮮ですね。新しいプロコフィエフの世界、私も見えています。

服部:最後の「チガーヌ」は、出だしのソロの部分がすごく緊張しますけど、そこが終わるとピアノが入って来てくれるのでほっと一息、安心するんですけど。
亀井:僕はその後に出てくる16小節目のソロの部分がいちばん緊張しますけれどね。だけれどもその音遣いというか、ピアノもバイオリンも同じ旋律を奏でて、それがハモリというか、その融合の仕方がそれぞれにどんどんどんどん変わっていくので、すごく不思議な音色というかが感じられる部分があるし、もう最後はほんとうに二人で盛り上がって盛り上がって派手に終わるので。
服部:丁々発止じゃないですけど、ちょっとアドリブ的な勢いだったりとか、44:39そういったのが本番で生まれてくるものだったりしますけど、楽譜に付しだされたことを真面目にやっているんじゃないという曲なので、そういったのは面白おかしい部分であったりとか、ちょっと滑稽に弾いてみるとか、そういったやりとりが、幅があっておもしろい曲です。ラヴェルのかわいらしくて意地の悪い性格が出ているすばらしい作品なので、楽しんでいただきたいです。

🎵ウクライナのこともあり、集中して。テクニックもさることながら、曲にかける熱量、時として火の球のごと。

🎧名曲アルバム。ガーシュイン「パリのアメリカ人
秋山和慶&東京フィル。「アメリカのクラシック音楽」を築いたといわれるガーシュイン。
写真はガーシュイン行きつけのバー。
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⛳17時53分更新

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