きょうのことば 「御霊の証」
インマヌエル盛岡キリスト教会2022年3月13日(日)のメッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で48年目のご奉仕をしておられます。

説教題 『御霊の証』(國光勝美 牧師)
引証聖句 ローマ人への手紙8章14~17節
14 神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。
15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは「アバ、父」と叫びます。
16 御霊ご自身が、私たちの霊とともに、私たちが神の子どもであることを証ししてくださいます。
17子どもであるなら、相続人でもあります。私たちはキリストと栄光をともに受けるために苦難をともにしているのですから、神の相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです。
<メッセージ>
先週は、「聖言」と「導き」について語らせていただきましたが、ある意味それと同じような「御霊の声を聞く」ということ、神様に導かれるということを、もうすこし掘り下げていきたいとこのように導かれております。
御霊の証(あかし)、聖霊の証といいますと、ある方々にはこれは要注意だろうなと警戒される向きもあるでしょう。聖霊の証ということをあまりに強調いたしますと、たとえば聖書の中に異言を語るというできごとが出ていますが、極端になるとそれこそが聖霊に満たされた証拠であるという立場になりかねない。使徒の働きの2章に書いてあるので、弟子たちが聖霊に満たされて異言を語ったのはたしかにその通りですけれども、聖霊に満たされるということが、異言を語るという一つの現象に現れねばならないとするのならば、それは前回お話しさせていただきましたように、地図を頼りに山歩きをしているとき、自分たちの居場所を間違えて読んでしまう。あの山の上のてっぺんに今私たちはいるのだというような間違いをしてしまう。でもその本人たちにすれば、聖書にそう書いてあるからということで、それを見てしまう。そういう恐れがあります。
御霊の証ということはある意味ほんとうに慎重に扱わなければならないことであります。注意深く健全に理解していかなければならないところです。
信仰というものが御霊の証をないがしろにするのならば、それは、キリスト教神学を学ぶことにはなるのかもしれませんけれども、福音に生きる、クリスチャンとして生きるということとは違ってきてしまうからであります。
10数年も前のことです。私は教団の本部の仕事で上京、御茶の水まで出向くことがありました。その仕事を終えて、夕刻の東北新幹線で帰るまでに1時間ほど時間があります。それで東京駅近くにある八重洲ブックセンターに行ったものです。そこの4階に宗教関係の書物があります。こちらではなかなか目にすることができないような本がずらりと書架に並んでいる。すこしでも刺激を受けたかった。敢えてここで著者は申しませんけれども、分厚い興味深いエッセイの本を手にしました。おもしろそうだと思って開いたんですけれども、どうも内容がピンとこない。学問的には大きな地位を占めているのでしょうが、ピンとこない。知的な面は豊かです。この著者が文中で、「ある熱心なクリスチャンたちは、いのちのことば社というような出版社から出ている新改訳聖書なるものを用いているけれども、あれはそいうのを好んでいる人たちに任せておけばいいのであって」といっているのを見たときに、うん? びっくりしました。なるほどこれじゃ分からないはずだ。著者のプロフィールを見れば、神学者として代表的な人物でしょう。しかしこの方に「あなたは聖霊の証というものを持っていますか?」と尋くとき、彼はどのように答えるだろうか、そう思ったのです。印象的でした。
ですから今日これからお話しすることを、ほんとうにアーメンと皆様方に肯いていただけるかどうか、或いは、皆さん方にどのように取られるかは、私自身の試金石であるような気がいたします。すこし前置きが長くなってしまいました。
御霊ご自身、これは聖霊ですけれども、
16 御霊ご自身が、私たちの霊とともに、私たちが神の子どもであることを証ししてくださいます。
ローマ人への手紙8章15節にある「アバ、父」というのは、「親愛なるお父さん」という意味の愛と信頼をこめた神様への呼びかけです。つまりイエス様が父なる神様に向かってお呼びになるそれと同じ心で、今私たちは「天のお父様」と親しく呼びかけることができる。そしてロマ書8章17節、
17子どもであるなら、相続人でもあります。私たちはキリストと栄光をともに受けるために苦難をともにしているのですから、神の相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです。
私たちがイエス様と同じように、天の世継ぎとなっている。この喜び。私たちはそういう者たちなのです。
救われているとき、罪赦されて神の子となっているその私たちの霊は、「アバ、父」と呼ぶことができ、そして御国の世継ぎとなっている。このことをほんとうに心からアーメンと肯くことができるのです。そして、そのことは、私たちの生まれ変わった心の中にある霊と共に、「これはそうだよ、その通りなんだ」と御霊ご自身が私たちにこの霊の真理を証ししてくださいます。これは「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」(ヨハネ3:3)。そして「聖霊によるのでなければ、誰も『イエスは主です』と言うことはできません」(1コリント12:3)とありますように、生まれ変わった経験を持っている私たちの霊が、そうだよその通りなんだよと肯かせてくださる。しかも、聖霊ご自身が、これは決してこれから先の死後の祝福のことだけををいってるんじゃなくして、今現在、今私たちはアバ父、そして御国の栄光ある世継ぎとされているのだというこのことを、ご聖霊様が私たちに豊かに証ししてくださっている。
そのことを思い浮かべながら、私は皆さん方にどういうチャートを準備しましょうかと思ったのです。
これが私たち一人ひとりとしましょう。生まれ変わった私は実は売約済み。たまに販売店にいくことがあります。お、いいのがあるなと見ますと、そこに売約済みという札が貼られていることがある。これはもう売約済み、売れてしまいました。残念だなと思うことがあります。私たちはもう売約済みという札が貼られている。そして私たちを買ってくださった購入者、それはイエス様なのです。イエス様が、もうこの者は私のものだ、他の誰にも渡さないと仰る。イエス様が尊い血潮をもって買い取ってくださった。この地上にいる今は、私たちは天国の前味わいのようにイエス様と一緒に天の父なる神様をアバ父とお呼びして、御国の世継ぎとなっている。何たる幸いでしょう。皆さんと一緒にこの救われている喜びを確認したいなとこのように思っております。
皆さんご存じのように私はたった一回しか外国にいったことはありません。私は日本のキリスト教会しか知りません。唯一行ったことがあるのがケニヤ、20年も前のことです。ケニヤの教会は、もう礼拝の何時間も前からそこで楽器が鳴らされ、人々が賛美している。にぎやかです。ケニヤの教会はほんとうに歌う教会でした。
ところがケニヤに行きましたときに、せっかく日本から牧師が来たので説教をするようにと頼まれました。何とか説教を文章にして、わたしは英語が苦手ですから、それを日本に来ている宣教師に英語に直してくれるよう頼みました。お安い御用と引き受けてくれ、私の説教を英語に直してテープに録音してくださった。そして無事にお役目を果たしてきたんですけれども。そんな楽しい思い出があります。
帰国してから、私のケニヤにおける説教がどうだったかを、翻訳してくれた宣教師に訊きますと、「だいじょうぶ」と彼は喜んでくれました。やったー、僕の説教がケニヤに通じた! 嬉しく思いました。英語にはそんな思い出があるんですけれども。
きょうは、英語で、ファニー・クロスビーという人の讃美歌を皆さま方と一緒に賛美したいと願っております。皆さんよくご存じの讃美歌。右側に直訳があります。この詞でファニー・クロスビーが何を謂わんとしているのかがわかります。
祝福された保障。イエス様はわたしのものだ。私はイエス様の売約済みだとされているんですけれども、何という神聖な栄光の前触れだろうか。救いの相続人。そして神様の贖い。主の霊によって生まれ、主の血潮によって洗われきよめられる。これがわたしの物語、これが私の証しなのだ。これがわたしの歌なのだ。ひもすがらわたしの救い主をほめたたえ、これが私の証し、これが私の歌。ひもすがら私の救い主をほめたたえる。それから2番になると、全き服従、そして全き喜び。それから再臨。再臨の時にぱっと天にあげられる、携挙です。バースト、これは爆発するような、ですが、このファニー・クロスビーは盲人の方なんです。その彼女が、イエス様がいらしてその再臨のようすは、ばーんと心の中で弾き飛ばすといったらいいのか、飛び込んでくるといったらいいのか、それどんなことかというと、み使いが現れて、これは第一テサロニケに書いてあります。再臨の時にみ使いがラッパの音と共に、そして、天からの贈り物を携えてくる。それはあわれみの恵みの響きである。そして、愛のささやき、その心がファニー・クロスビーの心の中に、突然爆発するような喜び。此れなんですね。これはクリスチャンのほんとうに大きな喜びですね。それから、3番、全き服従。神様に従うとき、まったき安きがある。全き救い主の中にある私は、何という幸せであり、祝福でありましょうか。
御国を見つめ、私は上を待ち望んでいる。神様のイエス様の善意、これにあふれ、愛に陥るというまさにそのこと。われもなくただ主のみいませり。これがクロスビーの讃美歌です。この直訳のようなものが、インマヌエルさんびかにもあります。イ510番。「あなうれしわが身も」、これも歌ってみましょう。
1、イェスの血に洗われ
御霊(みたま)にて生まれる
イェスは今 わがもの
揺るぎない確信(かくしん)
♪,救い主たたえて
日々歌が あふれる
救い主たたえて
主のあかし あふれる
2,主に全(また)く従い
再臨(さいりん)を
待つ身は
御使いのもたらす
喜びに あふれる
♪,救い主たたえて
日々歌が あふれる
救い主たたえて
主のあかし あふれる
3,主に全く従い
こころ今 安らぎ
主の愛に いだかれ
待ち望む その日を
♪,救い主たたえて
日々歌が あふれる
救い主たたえて
主のあかし あふれる
「イエスの血に洗われ」ユーチューブにつながっています。お聴きください。
※データは教会からお借りしています。
⏰8時35分更新
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