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220214 クラシック俱楽部を聴く 青木尚佳&ウェン・シン・ヤン デュオ・リサイタル

若手の新星・青木尚佳、そしてバイエルン放送交響楽団で首席奏者を務め、現在は世界各地で活躍するウェン・シン・ヤン。個性際立つふたりによる二重奏の世界をお送りする。【出演】青木尚佳(バイオリン)、ウェン・シン・ヤン(チェロ)【曲目】八つの小品 作品39から(グリエール作曲)、バイオリンとチェロのための二重奏曲 作品7(コダーイ作曲) ほか【収録】2018年12月4日 武蔵野市民文化会館小ホールー番組紹介よりー

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青木尚佳(ヴァイオリン)
ロイヤルアルバートホール、ウィグモアホール、カドガンホールなどで演奏、チャールズ皇太子よりタゴール・ゴールドメダルを授与された才媛。
ウェン・シン・ヤン(チェロ)
ジュネーヴ国際に優勝し、C.デイヴィス、サヴァリッシュ、マゼールなど世界の巨匠たちと共演してきた名手。

プログラム
☆4
つの二重奏曲(8つの小品Op.39より) グリエール
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第4番 ホ短調 Op.27-4(ヴァイオリン・ソロ)  イザイ
ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲 Op.7 コダーイ

青木尚佳のコメント:ウェン・シン・ヤンの魅力は、ものすごく深い音を出される方で、支えてくれるというのがいちばん大きいですね。すごいコンスタブルだと言って下さるんですけれども、私の方がすごく頼りにしている部分もありますけれども、対等に音楽を奏でてくださっているというところが一番の魅力かなあと思います。
ウェン・シン・ヤンのコメント:尚佳は技術があり自然な音楽性を持つ。自由さが備わっている。

 

🎵バイオリンとチェロの二重奏曲は沢山あるだろうと思っていたところ、これが意外に少ないのだという。その中からの選曲がグリエールの「二重奏曲 作品39」。第45曲がちょうどバイオリン描く細い川とチェロが描く幅広の川が地の上を交差し、くっきりと跡を記しながら歌い流れ下るような映像が想像せられる。7のスケルツォの躍動感に遠景に見えていた川が近景と迫り、あがる飛沫に砕け遊ぶ。
イザイの「無伴奏ソナタ第4番」。おもしろいのは1924に全6曲が完成するのだが、それぞれが偉大なバイオリニストに捧げられているところ。因みにこの4番はフリッツ・クライスラーに献呈されている。イザイも光と影の作曲家。この第4番の第3楽章では、これもあるか、そこにもある、おお、むこうにも、スポットライトが隠れた存在を照射し、存在をくっきりと浮かび上がらせていくのだ。さて、献呈された名だたるバイオリニストとは、と見ると、第1番はヨーゼフ・シゲティに。第2番はジャック・ティボーに。第3番はジョルジェ・エネスクに。第4番はもちろんフリッツ・クライスラーに。第5番はマチュー・クリック・ボームに。第6番はマヌエル・キロガに。すべて7~12分前後の曲。イザイが曲を献呈したがゆえにその後までも名をのこすことになったバイオリニストが何人かはいるだろうという側面があるかないかを知るには、その演奏を聴いてみるほかはないのだが。ここで思うのはイザイのために献呈された作品はあるのだろうか。デュメイ、カプソン、パパヴラミといった大物たち。エリザベート音楽院やエリザベート国際コンクールから排出された人々による作品があるようだ。こうして辿るときりもないのでこの辺で。
コダーイ「二重奏曲 作品7」。コダーイは民俗音楽の研究者。どこを取っても聴くたびに新鮮。影響の大きい曲はたとえ繊細な旋律にさえも、その内にもどこか骨太な感じが聴こえるのだ。このお二人の「二重奏曲 作品7」は絶品。民俗音楽的な響きを醸しながら異次元の音を探りだし、にれ食んでいるかに始まり民俗色を土台に、そこを一つ超えた響きをテクニックを駆使しながら展開させていく。言語が音楽をダメにしたと誰かが言っていたが、このところのすばらしさを言語化しかねて焦りを覚えている自分がある。そんなときは「素晴らしかった」というこの一言に集約する。
これも何回か聴いている。きょうは無伴奏を聴きながら、この演奏は鏡に映る自分をそのまま確認させられるような状況ではないかと思い、はたと、鏡どころかMRI、或いは心を計量、計測できる機器にのせられ、測られるほどの状況に立たされるということではないかと思われた。

🎧名曲アルバム。シューベルト作曲、ゲーテ詩「魔王」
若草惠編曲、バリトン河野克典、円光寺&東京フィル
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「魔王」もワイマールでの恋の相手シャルロット・フォン・シュタインとの恋のさ中に作られたものらしい。ゲーテの死の直前の「もっと光を!」はただ単純にほんとうにその暗さに孤独感や怖れを感じたからいったことばではなかったか。哲学的、或いは芸術的な意味が込められていたとは私は考えにくい。

⛳前回書いたものに書き足して21時1分更新。ウェン・シン・ヤンのコメントの記載が不十分であることが気になりつつ。

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