ひとこと
きょうYさんという方の告別式に参列。奥中山を舞台としたピュアな人と動物との作品を数多く書かれた方だ。クリスチャンでもある。人に対する心遣いが自然にできる方であった。喪主は長女の方。お話しによると、模範的なクリスチャン家庭というのではなく、父と母はよくけんかもしていた。それが翌日にはからっと笑顔で話したりしていた。私も反抗したときもありました。しかし私の名前は神様の光に通じている名前をもらっている。このことばかりではなく、けっこう長い挨拶であった。お酒もたしなまれているのは知っていた。泥酔することはなかったろう。振り返って自分が存じ上げているYさんと家庭でのYさんには矛盾がない。矛盾がないというのは芯にはやはり生ける神のことば聖書のことば、それを信じる神の命をもっておられたな、このことだ。今、私は明日更新する説教の準備を終えて、しばしYさんを思い巡らしているのだが、世の中の多くの方々は、神は地に落ちた、宗教なんてと思っている方々が多数を占めている。これからの世界を救うのは科学だテクノロジーだ、宗教は何も実効性がないと思っておられる方々が大多数かと。しかし、私は、今回も、聖書が教える神の確かさを思わないわけにはいかない。今私が通読で読んでいるのはイザヤ書34章だけれども、預言の書ともいわれるけれども、このリアルさは! 今回のYさんの告別に際しても、私は聖書というもののすごさ、魂の真っただ中に為される目には見えないけれども、神の御業というものを思わないわけにはいかなかった。
⛳この部分は20日に日曜の更新が終わってからの書き足しだが、遅くなっちゃった、これが限界だな、とおもったのが23時半ごろだった。
果たしていつまでできるだろうか、眼精疲労、手指、肩の疲労などなどを危惧しつつの更新でした。
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