220120クラシッククラブを聴く バンジャマン・アラール チェンバロ&オルガン・リサイタル
主要な古楽アンサンブルのメンバーとしても活躍する名手、バンジャマン・アラール。オルガンとチェンバロをともに演奏したオール・バッハ・プログラムによる演奏会からお送りする。【出演】バンジャマン・アラール(オルガン/チェンバロ)【曲目】イタリア協奏曲BWV971(バッハ作曲)、前奏曲、トリオとフーガBWV545b(バッハ作曲) ほか【収録】2018年12月8日 武蔵野市民文化会館 小ホールー番組紹介からー
バンジャマン・アラールのコメント
バッハは膨大な数の音楽を作曲した音楽家です。私の日常に欠かせない作曲家です。バッハの音楽は常に私に寄り添い、私を支え音楽への探求心を駆り立ててくれます。絶えず研究し、学び続けていても、知り尽くすことのできない作曲家です。長く弾き続けている作品でも初めて弾くような感覚にとらわれることがあります。それは聴衆にとっても同じで、バッハは聴衆も演奏者も絶えず魅了し続ける作曲家なのです。
バッハはまるで「スポンジ」のように先人たちの音楽のすべてを、そしてさまざまな国の音楽スタイルを吸収した作曲家です。イタリアは勿論、フランスの舞曲などもバッハに強い影響を与えています。これらすべてを習得してさまざまな影響を受けながらも、常に自分の音楽を書き続けることができた。バッハは当時すでにあった作曲法や音楽様式を駆使して時代を超越する音楽を生み出しました。当時の音楽界に新風をもたらしたのです。バッハを演奏するには、演奏者は勤勉でなければなりません。寝ても覚めてもバッハと一緒にいる日常生活です!
チェンバロとオルガンの違いについて、
チェンバロとオルガンの違いについて、チェンバロには多くの長所がありますが欠点もあります。長所と短所がオルガンと正反対なのです。チェンバロの長所は音の立ち上がりがはっきりしていることで、欠点は音がすぐに消えてしまうことです。チェンバロの音は生まれると同時に小さくなり消えていきます。オルガンはまったく逆です。音をいくらでも伸ばしてすぐに切ることができます。こうした両方の楽器の特性をしっかり踏まえて活かす弾き方をしなければいけません。チェンバロは音を持続させて歌手やバイオリンのように楽器を歌わせなければなりませんし、オルガンは楽器が勝手に歌ってくれるのですが、響きに命を吹き込まなければなりません。ただ音を伸ばして切るだけでは音楽にならないので、そこに命を与える方法を探っています。二つの異なる奏法をひとつの演奏会で聴くのはとても興味深いと思います。
曲目はオールバッハ
☆「ソナタ ニ短調 BWV964 から 第1楽章・第2楽章」、チェンバロ。
☆「イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971」、チェンバロ。
この曲はイタリア風の協奏曲を1台のチェンバロで奏でようというバッハの意欲作。協奏曲のトウッティと独奏をチェンバロの二段の鍵盤で再現している。
☆「トリオ・ソナタ ホ短調 BWV528」、オルガン。
トリオ・ソナタは、17世紀イタリアに生まれた音楽形式。2つの旋律楽器と、1つの通奏低音の3声部の楽曲。バッハは1台のオルガンの右手・左手・足鍵盤によって3声部が融合するトリオ・ソナタを作り上げた。曲の原型はバッハがワイマールの宮廷に勤めていた1716年頃に出来上がった。今回はヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ第3番の第3楽章を取り入れた版が演奏された。
☆「前奏曲、トリオとフーガ 変ロ長調 BWV545b」、オルガン
🎵武蔵野市民文化会館のパイプオルガンの映像、これはTVから撮ったのですが、やはり盛岡市民文化会館のように、大ホールではなく小ホールに設置されているようだ。その理由は? と思うのだが、……。
アラールがいう「バッハを演奏するときは、演奏者は勤勉でなければならない」。バッハを聴くときに、聴衆は勤勉でなければならないと勝手に思ってしまったのだが。
若い時に、毎日聴いたゼルキンのチェンバロが自分の中では基本となってしまっているが、バンジャマン・アラールの音には、鋭くもある部分にも優しさが感じられた。パイプオルガン、今回は、特に、繊細で緻密な音に慈愛が丸みを帯びて感じられた。それにしても、パイプオルガンという“建造物”の壮大さ、音の豊穣さ、宇宙的な音色には魅されて止まない。
🎧名曲アルバム。フォーレ「レクイエム 神の小羊」
フォーレは仏南部フォア生まれ。5男1女の末っ子。生まれて乳母のもとに預けられたようだ。父が旧師範学校の校長をしており、一家は学校附属の寄宿舎に住んでいた。フォーレは1849年、4歳でフォアの両親のもとに帰っている。無口で空想好きな少年は、学校の庭でよく一人遊びをしていた。学校付属の礼拝堂ではじめて聖歌隊がうたう音楽を聴いた。足踏みオルガンで練習し9歳でパリの音楽学校進学。両親との暮らしはわずか5年間だった。聖マドレーヌ教会のオルガン奏者となり、40歳の時に父の死の知らせを受ける。レクイエムはこのころに書き始められ、2年半後、母の死の直後、曲はこの教会で初演されたという。
⛳連続してバッハを聴いた。目を見開いて、目を閉じてバッハを聴きながら思った。バッハは天にも響く地にも響く、広いところにも狭いところにも響く。光がさんさんと注ぐ明るいところにも、狭く籠った暗闇にも響く。希望に満ちた魂にも、絶望した魂にも響く。そしてコロナが潜み、跋扈暗躍これはコロナの側からいえば我が世の春を謳歌しているかもしれないのだが、人の側は緊張と謹慎とぎりぎりまでの対応闘いを強いられているのだが、そのさ中にも、最中にも、すべての状況、実態、実情を貫きとおしてバッハは響いている。まさしく宇宙的な響き、未来永劫の響きであると今朝は感じられた。
8時25分更新
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