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211221 クラシック倶楽部を聴く ベルリンRIAS室内合唱団 演奏会 

ドイツを代表する室内合唱団、ベルリンRIAS室内合唱団。ジャスティン・ドイルの指揮でバッハやブルックナーといった宗教合唱曲の精髄をお送りする。【曲目】「神よ なぜわたしを見捨てられたのか」(メンデルスゾーン作曲)「キリストはわれらのために」「エサイの枝は芽を出し」(ブルックナー作曲)「イエスはわが喜び」(バッハ作曲) ほか【収録】2018年11月2日 東京オペラシティ コンサートホール

 

ベルリンRIAS室内合唱団は1948年設立。ドイツを代表する合唱団として世界各地で活躍。時代を超えた幅広いレパートリをー持ち透明感のある活き活きとして歌声は高く評価されている。

指揮のジャスティン・ドイルは、イギリスのランカスター生まれ。ウェストミンスタ大聖堂聖歌隊に所属した後に、ケンブリッチのキングス・カレッジで学ぶ。これまで多くの合唱団を指揮し、2017年にベルリンRIAS室内合唱団の芸術監督及び首席指揮者に就任。

ジャスティン・ドイルのコメント
この合唱団のすばらしいところは、35人の歌手が一つの生き物のようにうごくことができることです。……心が温かく声という驚異的な楽器を持っている人たちが集まっています。オペラやオラトリオでソリストを経験した人たちがこの合唱団で活躍する道を選んだのです。寛大で勤勉な彼らと仕事ができるのはすばらしいと思います。
ふだんはアカペラで小品を歌っていますが、合唱カンタータのような大作の委嘱も始めています。しかしハイドン、ヘンデル、モーツァルトといった古いレパートリーも大切にしています。RIASはドイツの合唱の伝統を受け継ぐ「大使」ですが、違う文化の歌を歌う能力を持っています。だから他国の民謡などにも取り組んでいます。そのような活動は今後も続けたいと思います。

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曲目

「歌え 主のみ前に新しい歌を BWV225」バッハ:作曲
「3つの詩編 作品78第3 詩編22 神よ なぜわたしを見捨てられたのか」メンデルスゾーン:作曲
「キリストは われらのために」ブルックナー:作曲
「エサイの枝は芽を出し」ブルックナー:作曲
「イエスは わが喜び BWV227」バッハ:作曲

🎵メンデルスゾーン「神よどうして私を見捨てられたのか」、井形ちづるさんの訳に、打ち捨てられた、底辺にある人たちの嘆き、悲しみ、慟哭が切々と迫り胸を打った。バッハの「イエスはわが喜び」、これも井形さんの訳。「悪魔を嗅ぎわけ 敵を苦しめたまえ」「罪と地獄が襲いかかっても イエスが私を守ってくださる」「大地も奈落の淵も……たとえどんなに轟音をたてようとも」、神への全き信頼の訳、これはいうまでもなく聖書にあるのだが、この揺るがない全的神への信頼には、足らざるわたしなどはほんとうにひっくり返ってしまうほど。照らされるのだ。今谷和徳さんの訳ももうすこし聴きたかった。

ベルリンRIAS室内合唱団はドイツを代表する合唱団、その水準が保たれる要因の一つには、やはりオペラやオラトリオでソリストを務めるほどの人材がこの合唱団に流れてきていることにあるようだ。しっかりと歌える存在が合唱団の中に一人いるだけでもその影響力の大きさが察せられるが、おそらくそのような方々が何人も。ジャスティン・ドイルの就任は2017年、つい最近。彼がこの合唱団をいうに「35人が一つの生き物のように動く」「繊細なしなやかさを持つ」「カメレオンのような」これは変幻自在、であったか、「寛大で勤勉な彼ら」、何れ表現のいかなる要求にもこたえ得る力を持つのだ。
 このような合唱団が盛岡にもある。私が宗教曲を聴くようになったのは、この地方都市にあって異色ともいえる国際的な活躍の経験もある盛岡バッハ・カンタータ・フェラインの影響が大きい。率いるは佐々木正利氏。実はこの方、何と私と、というと何が出てくるかと思われる向きもあろうけれども、私と中学校が同じ。同学年というただそれだけのことではある。最近知ったばかりだ。私がぼーっと3年間、教師のはなしには一向に耳を傾けず無為に過ごしたその3年間に、こちらの方は着々と未来を築いていたらしい。東京藝術大学卒。1980年第6回ライプツィヒバッハ声楽コンクール部門第5位。当時の第5位は日本人としては大変な快挙。それが数々の世界的な活躍をする中で、このベルリンRIAS室内合唱団とも共演していたのだ。
 10年前にはこういった宗教曲はまるで自分の内には届かなかった。自分の中にその土壌の質的なものが欠けていたともいえる。さらにいえば一応クリスチャンでもあるし、わかったふりの聴いたふり。しかし同団に圧倒され教えられ興味をもって耳を傾けることで、いまは、聞いていて心が休まるというところにたどり着いている。これはどんな優れた合唱団を問わず、宗教曲は、まだまだ多くの人々の頭上高くに、君臨と言えば言いすぎだけれども、下界をはるかに下して鳴り響いているという実感を否めない。キリストこそ本質的には庶民の宗教、それがなぜかいつまでもどこまでも遠いと人に思わせるところが。かといって崇高さを貶めることはこれはできることではない。これはほんとうに難しい課題であると思われる。クリスチャンや宗教音楽関係者だけが歌い聴いて満足しているにはもったいないと思うが故の思い巡らしなのだけれども。ただこれには伝道を使命とする教会と宗教音楽を研究し歌い検証する使命を持つ合唱団とを混同している自らの誤りもあるだろう。

🎧名曲アルバム
バイオリン千住真理子、高関健&東京フィル

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