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211115 クラシック倶楽部を聴く ファブリス・ミリシェー トロンボーン・リサイタル

圧倒的なテクニックと豊かな表現力で「若きレジェンド」と賞賛される演奏家、ファブリス・ミリシェー。ピアノの中川賢一とのデュオでトロンボーンの妙技を聴く。

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ファブリス・ミリシェーのコメント(途中から)
14歳のときジャズをやりたくなって、「それならトロンボーンだ!」と。チェロ科と並行してトロンボーンを選択しました。聴いていただければ明らかなのですが、トロンボーンの魅力はまろやかで暖かい音色とその多彩な響きです。繊細で小さな音から力強い音まで幅広い響きで空間を彩ります。私の感性にはトロンボーンがいちばん合っているようです。金管楽器の中のトロンボーンは、弦楽器の中のチェロと立場が似ていますし、響きも音色もいちばん私に合っています。音楽を楽しみ共有することは、どの楽器でも不変の喜びです。技術は必要ですが、音楽のすばらしさ分かち合うことが一番大切なのです。

(トロンボーン)ファブリス・ミリシェー、(ピアノ)中川賢一
武蔵野市民文化会館 小ホール 

曲目
☆「トロンボーン・ソナタ「大天使ガブリエルの嘆き」」シュレック:作曲
「室内カプリッチョ 作品35」クロール:作曲
「トロンボーンとピアノのためのバラード」マルタン:作曲
「交響的小品 作品88」ギルマン:作曲
「ゴールデン・スランバー」レノン&マッカートニー:作曲、武満徹:編曲
(ピアノ)中川賢一
6つの演奏会用小品「ホフマニアーダ」から」グラドキフ:作曲

🎵けさは、リラックスして耳を傾ける。ジャズがやりたくなり、チェロ+トロンボーンとなったらしい。グラドキフの「6つの演奏会用小品」を傾聴。中川賢一のピアノがけさは新鮮に聴こえた。

 
 ミリシェーが、オンライン・マスタークラスについて語っているが、放送とはまた別にちょっと転載してみる。日本にいながら彼の講義を受けられるかもしれない。
「長い間、いつかは始めたいと思っていましたが、はじめは良い方法が見つかりませんでした。リアルタイムのオンライン動画通信でレッスンをしている人もいましたが、それが上手くいくとは思えませんでした。
一つ目の問題は時差です。例えば日本とは8時間の時差があります。生徒が10時にレッスンを受けたいとしたら、フランスにいる私は夜中の2時です。時差のせいでレッスン時間を決めるのがとても難しいのです。二つ目は音のクオリティです。インターネットの状況に左右され音がよく聞き取れない場合があります。三つ目は言葉の問題です。私は英語、フランス語、ドイツ語でレッスンをすることができますが、誰もがこれらの言語に堪能なわけではありません。
こうして、私は「生徒が自分の動画を送り、私がコメントをつけて送り返す」という方法を選びました。
まず生徒が自分の演奏をビデオに撮って私に送ります。例えば、今ギルマンを練習しているとします。彼は自分のビデオカメラでギルマンを演奏しているところを撮影します。それは、一人でもピアニストと一緒でもどちらでも構いません。
その後、受けとったビデオを見ながら私がレッスンをします。本人の演奏動画を流しながら、直すべきこと、もっとこうすべきだと思う箇所で一時停止をし、私がアドバイスをしているところを撮影します。
オンライン・マスタークラスならば、リアルタイムのオンライン動画通信による先ほど述べた3つの問題点は解決できます。また、一時停止もできますので、生徒は理解できるまで何度も聴くことができます。外国語が苦手な学生には特に重要ですね。」

🎧名曲アルバムは、ヴィドール「トッカータ」。オルガン新山恵理
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ヴィドールが活躍の場を求めてリヨンからフランスに出た、その当時、オルガンは改良が進み、色彩豊かな音色が響きが加わっていったという。
ヴィドールというと、あの大オルガン、サン・シュルピス教会の壮麗、荘厳、重厚、典雅なあの大オルガンが彼と共に浮かぶ。64年もの間、90歳まで、ヴィトールはこのオルガニストであった。67段ある階段を彼は厭わずにのぼって演奏し続ける。願わくはあと3年弾いてほしかった。あと3年、93歳まで弾けば、ちょうど階段の数と弾き続けた年限が一致する。これはどうでもいいような私的な願いなのだけれども。「この階段の上で待つオルガンを思えば、階段上りも辛くない」と彼はいっていたという。

⛳紅葉の鮮やかさが日々にくすんできている。外の景色が、世間の、世界のさまがどうであれ、音楽は、音の響く領域に、独立国家、独立大気圏を作ってくれる。いまのところこの領域に侵攻してくる〝敵〟がないのは、何と幸せなことだろうか。
9時40分更新

そういえば昨夜のクラシック音楽館、九州交響楽団、滅多に聴くことはないという思いにつられて、ついつい、22時以降の番組はついつい観てしまう聴いてしまうものに分類されているが、ついつい聴いて、聴かせられてしまった。指揮の田中祐子さんのカッコよさ。これで、音造りのときにはけっこうきついのかもなどと思いながら、メリハリの小気味よさをうっとりと。九響とは「崩れる寸前のスリルを味わえる」とのたもうた。ベルリオーズ、序曲「ローマの謝肉祭」。ピアノの金子三勇士さんも出演。ググると何でも、知識的なことは大方は出てくる。ベルリオーズの「幻想交響曲作品14」田中さんが愛と屈折、挫折、怨念を語って真に迫る。と、音楽の聴きすぎ観すぎ。こんなに音の快楽ばかりを追っていていいものか。九響のコンマスの方であったか、「チープだけど『思い』というのは密接な方がいい」と。「このチープだけど」という形容が、一旦貼り付けて、取り忘れた絆創膏のようにのこった、といったらこの形容は叱られるだろうか。

と書くうちにときは進んで9時56分更新

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