インマヌエル盛岡キリスト教会2021年10月31日(日)の礼拝メッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で48年目のご奉仕をしておられます。
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この日は1987年に盛岡教会にお招きしました大橋武雄牧師の説教DVDをズーム配信でお聞きしました。
説教題 『我に来たれ』 (大橋武雄 牧師)
聖書箇所 新約聖書 マタイの福音書11章28節
<お話し>
マタイの福音書11章28節
(文語訳)凡て勞する者・重荷を負ふ者、われに來れ、われ汝らを休ません。
(新改訳2017)すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
これはイエス・キリスト様が仰った有名なおことばであります。よく宣伝カーで教会の集会の案内しますときに語られておりますおことばです。
キリスト教という宗教はいったいどういうものなのか、いろいろな面から申し上げることができます。
ただいまお読みいたしました聖句から申しますと、キリスト教という宗教は、神様が人間を招いていらっしゃる宗教であるということがいえるのであります。キリスト教以外の世の中の宗教というものは多くの場合に、人間の側が神様を探して歩いている。たとえば安心を与えるところの神様はないであろうか。必ずしも神様という名前は聞いていないかもしれないけれども、いわゆる信仰の対象としてそれを求めている。どうかいいお嫁さんやいいお婿さんを世話してくれる神様はないだろうか。交通事故から守ってくれる神様はいないだろうか。お金がたくさん儲かるような宗教はないだろうか。このように、この世の多くの宗教というものは、人間がご利益がある有名な神様を探して歩いている宗教であります。けれども、キリスト教という宗教は、神様が人間を招いていらっしゃる。
ただいまお読みしましたところに、「すべて」と書いてある。「すべて」というのは、お年寄りも若い人も、お金持ちも貧しい人も、男の人も女の人も、肌の色の黒い人も黄色い人も白い人も、つまりは全世界の全時代の全人類という意味で、ここに 「すべて」ということばが用いられております。「労する者」というのは、ほかの訳を見ますと、「疲れたるもの」と訳されている。「疲れた」とはどういうことかというと、人生の航路、人生の旅路に疲れている。
テレビを観ておりましたところが 、甲府かどこかの高校生がマラソンを走っているのを見ました。はじめはみな元気に走っております。ところがだんだん足が重くなってきます。道に座る者も出てくる。途中でいろんなサービスを受け、飲ませてもらったりしますけど、ふらふらです。もうすこしだ! もうすこしだ! と声援されながらゴールインするのを見ておりました。あれは体の方の疲れですね。さらに20キロ30キロ40キロ、50キロ。疲れていきます。
人間が生涯を送っておりますときに、肉体的な疲労ばかりではなくて精神的な疲れも起こって来る。あとでそういった事例を申し上げてみたいと思いますけども。その人生という旅路に疲れを覚えてきた人が「すべて疲れた人」なのであります。 またそのあとに「重荷を負っている人」、またこれを説明してまいりますけれども、重荷というものはどんなものであるか。人生の旅路で、荷物を担がないで長い道を歩いているのならまだよろしいのですが、重い荷物を負って旅路を歩くのは大変です。
私は、よく旅行をしますが、そのときに少々重い荷物を持っても、そう重いと感じたことはありませんでしたけれども、近頃は重いなと感じるときがあって、これは重いなというよりも、こっちが齢とったのかなと考えたりもしますが。
徳川家康という人が申しております。「人の一生というのは重き荷を負うて遠き道を行くがごとし」と。その重みの中にはいろいろなものがありますけれども、一つは日々というものの重荷。そういう重荷を担っているところの者は我に来たれと仰っているのはイエス・キリスト様であります。先ほど申しましたように、これはイエス・キリスト様のおことばです。
この「我に来たれ」と招かれるお方は、一旦ご自分のもとに問題を持ち込んできたからには、解決することのできるお方であるということを意味している。たとえば病気の人に「どうぞいらっしゃい」といって、「じゃあなたのところに行ったら治りますか?」と尋かれたとき、「治るか治らないかはわかりませんが」ということでは招く資格はない。「どうぞいらっしゃい」といいながら、「ただし、わたしのところではなかなかできませんが」というのでは、招いたところの資格はない。けれどもこのイエス・キリスト様が「我に来たれ」と仰ったということは、これは問題を解決することのできるお方であるということであります。そして「我汝らを休ません」とこうおっしゃって、問題を解決されるのであります。
さて、このイエス様が「凡て勞する者・重荷を負ふ者、われに來れ、われ汝らを休ません。」と仰った時代はどういう時代であったか。当時、ユダヤの国は、ローマの帝国に征服せられていた。日本も、第二次世界大戦後は被占領国民であった。日本は戦争に負けまして、アメリカ、或いはオーストラリア、英国、こういうような国々が来て日本の街を占領したわけです。日本のあちらこちらの都市が焼き払われてしまった。建物が残っている街は少なくありましたが、当時、私は京都に住んでおりましたが、京都はそういう戦災を受けておりませんでした。占領軍が、大きな旅館とか立派な建物を接収しました。大正天皇のご大典のご大礼、結婚をなさいましたときの記念の建物、ヒノキ造りの立派な建物、私はそこに行ったことがあります。そこにも占領軍はみんな土足で上がる。建物の前にこう書かれている「進駐軍のほか入るべからず」。日本人でありながら、日本人は入ることを許されない。みんな焼けてしまって、焼け残ってる物は持っていかれる。それでも税金はたくさん取られる。家を税金の代わりに納める。或いは土地を税金の代わりに納める。こういう状態でありました。
このユダヤの国はどういうものであったか。詳しく知ることはできませんけれども、ローマに占領せられておりまして、そしてローマに税金を払っていかなければならないというような状態。ですから彼らは疲れ果てて生きているのがいやになるような状況が起きていたに違いない。そういう状況下でのイエス様のおことばが
「凡て勞する者・重荷を負ふ者、われに來れ、われ汝らを休ません」
このおことばであります。
けれどもこれは今から2000年前のユダヤの国にばかりではなくて、全時代における全世界の人間に書かれたおことばでありまして、今日私ども対しましても同様に、すべて男の人も女の人も、お年寄りも若い人も、或いは知識のある人もない人も、お金のある人もない人も、みんな誰でも疲れた人はと、こういうふうにイエス様は仰る。
人生の旅路に疲れているとはどういうことか。1978年 11月に栃木県議会議員が、経営する会社が経営破綻した翌日に、大井川中洲で一族三代9人で自殺をしたということがあった。明かな自殺はその議員の方と長男の2人のみが焼身自殺で、他の7人は中洲に停めたマイクロバス内で睡眠薬を飲まされた後に絞殺されていたという悲惨な事件があった。あの議員は小学校しか出ていなかった。世の中でいうなら立志伝中の一人であったかもしれない。けれども息子さんの商売の失敗、それに助けを出したことから、だんだんと泥沼にはまるようになりまして、何とか夫妻のためにとお金をかき集めるために血みどろな毎日を送っていたようです。そして自分の嫁がせた娘には生き残るようにいったけれども、お父さんに同情したか、みんな私たちも連れていってくださいということでこういう結末になったと新聞には報じられておりました。
そういうような実業に携わっている人もそうでありますけれども、またある人は育児ノイローゼ。子育てに自信がなくて、子供を道連れに自殺をする。そういう人たちの人生をみておりますと、子育ての大変なところは僅か3、4年ぐらいしかない。大変さがずっとじゃないんでしょうけれども、その人にとっては、もうそれは何十年もの間辛い人生を歩んできたような疲れを覚えていたに違いない。或いは自分が病気であって、もう治る見込みがないと思われたり。或いはその病人の世話をしている人が、いつまでこれは世話をしたらいいのかわからない。そういうケースがあります。或いは齢とった人の世話、看病のために疲れてしまう。
私もこの春、半年ばかり入院をしておりました。そして食物が入らないので点滴。長い間何度もやってるので堅くなって注射針が通らない。そこで直に血管を裂いて血管の中に点滴のチューブを入れる。24時間起きることができません。誰かついていなければならない。子供たちが8時間交代でついていた。長男も二男も。勤めから帰ったばかりの三男が夜明けまでついて、病院から勤めに出ることもあった。これが70日続いた。三男は嫌がらず一生懸命やってくれたけれども、体力的に続かなくなってきた。しまいにはもうみんな倒れるかというところまでいった。半年で3人がそうでありますが、もし一人の人が、夫であるか奥さんであるか、お年寄りが子供の面倒をということになると、6年も7年も、しかも治る見込みがないということになりますと、疲れてくる。そういう結果長い間ついているご主人を死なせて自分も死ぬとか、あるいは奥さんを先にやって自分も死ぬとかいうようなことが起きる。自分の病気のために、或いは看護のために疲れてしまったというような人も。そればかりではなくて、深刻な問題も。ご主人がギャンブルでお金を使ってしまった。お金を入れてくれない。埼玉県ではある巡査部長さん、奥さんと離婚、子供を道連れにして自殺してしまった。
疲れている方々は多くいらっしゃる、その中で、自分の問題をしっかり考える方々がいらっしゃる。たとえば人生とは何ぞや。いったい人間はどこから来てどこにいくのか。何のためにこの地上に生きているのか。
私はいつも思うんですが。大人の人たちが毎日朝起きて顔を洗って、ご飯を食べて仕事にでかける。そこに行きつくまでには、学校にも一生懸命で、塾通いしたり。自分で行きたくないと思っても行け、行け、あれを習えこれを習えと子どもの時を過ごし、そして進学した。高校へも何のために行ったらいいのか分からないけれども行った。というようなところを通ってまいりまして、あるときになりますと、こんどはその成り行きを問い直す。
私の息子たちも、朝起きて、勤めて戻ってきて、お風呂に入って、繰り返しまたやって、そのほかにもいろいろあるでしょ。満員電車に揺られ降りてみますとオーバーのボタンが落ちてどこにいったかわからない。人生そんなことでしょうけれども。いったいこのことを何でしなければならないのか。働くのは食べるため。人間は食べるために働く。人間の本能のために生きてる。
戦争に負けました時にはみんなどうやって食べるか。ジャガイモを手に入れることができるか、とうもろこしをどうやって手に入れることができるか。サツマイモをどうやって。京都は戦災を受けなかったので、京都の人たちは衣装を持っていた。これを食べるわけにいかない。田舎に持って行ってとうもろこしと交換する。つまるところ、結局人間は食べることのため。学校を出ていいところに就職してたくさん月給をもらって、立派な家を建ててみても、結局は煎じ詰めると食べること。
犬を飼っています。可愛がっていますけども。自分が餌をたべるときに誰かがそばに寄ると、うーっと。ほかのときならじゃれついてくるのですが、食べるときにはこれを取られはしないかと思って、うー。結局、生き物は食べることのために。家畜であっても。最終的にはみんな食べるためです。だから人間はいったい食べるためにこの世に生まれてきたのかと考えられてくる。他に目的はあるとはいいますけれども、地位を得ても名誉財産を得ても、食べ物がなくちゃどうにもならない。最後は食べること。
それでは人間は食べることのために生まれてきたのか。食べさえすれば千年も万年も生きていくことができるのか。そうはいかない。みんな天寿を全うしたといっても70か80、或いは長くて100前後と決まってはいない。交通事故、飛行機墜落。こっちが気をつけてもクルマに跳ねられることも。或いは結婚式に行ってご馳走食べてコレラに罹って帰ってこられなかったということもある。これらはざらにあることではないかもしれませんけれども、こういうことがないとは誰もいえない。
人生とはなんぞや。いったいみんな何のために生きているのか。何のために勉強しなくちゃならない。何のために遊ぶ時間もなく塾通いを。小学生でもそう考える人が出てくる。
3週間前、神戸で伝道しておりましたが、三日目の講壇に立とうとする直前にニュースで、小学校4年の女の子が首を吊ったと聞きました。ショックでした。授業中に弁当を食べたとか食べないとか。新聞、TVで毎日のようにこのようなことが報道されている。
人生とはいったい何なのか。旧いはなしではありますけれども、藤村操という一高(東大)の生徒が、「人生不可解」ということばを遺して投身自殺をしたというのでありますが、人生とは何なのか。このような問題を考えて疲れていく人もある。
また実際に自殺を実行されるというのは氷山の一角であり、新聞記事やニュースになるのはほんの僅かで、それの一歩手前の人が世の中にどれだけあるかわからないのです。そういう人に対してイエス様は、「我に来たれ我汝を休ません」
ただ単に人生行路に人生の旅に疲れたということばかりではなくて、さらに、重荷を負っている方々がある。人間が心の中に持つ重荷がある。
一つは人間が心の中に重荷だと感ずるときは、どのような事態を重荷だと感ずるかということ。たとえば育児のことも申しましたけれども、この子どもを育てるにしても、自分が耐えられておる間は重荷ではない。殊に親御さんになられた方はよくお分かりだと思うのです。病気になったりしますと夜も寝ずに看病されたり、私もすこしやったことがあります。昔は洗濯も手でやりました。おむつを洗うところから。子どもが大きいのをしておりましたら若いご主人はびっくりしてしまって鼻をつまんでぶるぶる震えている。わたしは伝道者になりましたから、お母さんがどんな苦労をするかと洗濯もやったんです。初めての子どもですから今から何十年も前のことです。伝道もしなくちゃならないし家事もしなきゃならない。子どもが大きくなってくれたら、健やかに育ってくれたら、育児はちっとも重荷じゃない。希望が持てなくなっていくと、さらにこれ以上は耐えられないとなってくると、同じことをやっていてもそれが重荷となってしまう。これは事業の問題でもそうでしょう。或いは子どもさんの問題でも、希望をもってやっている間は疑問も湧かない。いくらやってもできないなと思うと、どうして、なんで勉強しなくちゃならないの。どうしてテストをしなきゃならないの。重荷になってくる。自分の耐えられるうちは、事業でも勉学でも育児でも重荷にはならない。自分に耐えられなくなってくると、これが重荷になってくる。もう一つは何であるかというと、一生懸命に自分はやっているんだけれども、やってることの意味がわからない。なんでこれやんなくちゃなんない、なんで勉強しなくちゃならない、やってる意味がわからない。どうして人間は生きていかなくちゃならないんだとなる。
私は18歳になってから、勉強し、就職した成り行きを振り返ってみて、結局は食べるために働いてきたんだなと思った。しかも、ご馳走のためと言うじゃなし、いい家に住んだというわけじゃなし、美しいものを着たというわけじゃない。それでどうして、人生50年とするなら50まで生きてなくちゃいかんのか。当時の私は20歳前でありました。これであと30年同じことを繰り返してかなくちゃならんのかな。ある時は傘を忘れて取りに行ったり。こうしてあと50年生きていかなくちゃならん。これは死んだ方がいいなと思ったのが18のときです。それじゃあっさり死ねるかというと、そうはいかない。そこが問題。
当時はいまでいえば20歳、昔でいえば21歳といえば当時は徴兵検査を受けて兵隊になる義務がある。甲種、乙種、丙種と判別される。丙種となると兵隊としては使い物にならない。私は兵隊検査の時までに会社の社長になろうと思った。なれるわけがない。けれども若いときはそういう夢を持つ。18歳のとき、広島にいたんですけど、大阪のでいい会社だと思った会社に入った。立派な印刷所のように名刺に書いてあるのだけれども、実際は中継ぎみたいなところ。注文を取るとほかに頼んで印刷をやってもらうのがありますように、その会社も、立派な名前を付けてある。大阪の南区の安堂寺橋といえば、大阪では商店街がならんでいるところ。問屋街がならんでいるところなんです。初めて夜行列車に乗って、列車食堂に入った。ボーイさんに大阪ってどんなとこか尋いた。「駅に着くと円タクが寄ってきますよ」。それぐらいの予備知識は持っておりました。18歳です。タクシーに乗って「この会社に」というと「そんな会社はありませんよ」とぐるぐる回ってる。安堂寺橋4丁目に入って、そのときやっと探し当てたところが、普通の家のようなところにネームプレートが掛っていて入ってみたところが、テーブル三つ、応接セット一つ。出勤してきたのが社長と専務と玄関番の3人。私が4人目。仕事は、きょうはどこから電話がかかってきたか。誰が来たのか、その日記をつける。時々銀行にお使いに行く。そして毎週土曜日になるとお小遣い5円。土曜日になると映画の無料券をくれる。道頓堀に行って映画を観たり。下宿代もない。当時の給料は小卒で一か月10円ぐらいのときです。毎週5円。私は一か月20円。しかし月給がない。両親を養わなくちゃいけない。「社長、月給はいつくれるんですか」と尋くと、「貯金通帳を見ただろう」。残高が5円しかない。つまり給料がでない。これじゃ徴兵検査までに社長になるどころではないんです。それから転々として。これは未信者のときのことですが。
このようなときには人生がみな重荷になってくる。あるものは死んでしまう。最近起きている自殺がありますが、人生が重荷になってくる。死にたい死にたいと言う人がいますけど、本当は死にたい人はいない。もし生きることができるならば1000年でも2000年でも生きたい。それくらい生きたら、月に行くのにちょっと新幹線でいくような具合になっていて素晴らしいものだろう。けれども現実的には、日本は色々住みにくくなって死を選ぶ。人生の目的があるうちは重荷ではないが、目的なくしてやっていると重荷になってくる。とんとん拍子にいってるときは勉強であれ仕事であれおもしろい。何をやってもおもしろいようなもんだろうと思う。
私が入院しておりましたとき、隣に入院した人が自動販売機のセールスマンだった。一台売ると10万ぐらいもらったらしい。一か月に何台も売れる。月に百何十万も収入があって恐ろしくなったと彼はいっています。普及してくると買わなくなるから、こんどは貸すんですね。しまいには買うところも借りるところもなくなった。そうなったときに自動車事故で吹っ飛ばされた。入院です。生きる望みがないなんていってるんです。まだ彼は30になってない。隣の私は伝道者ですから聖書を渡してイエス様のお話しをしました。彼は入退院を繰り返してました。私は退院してしまったので会わなくなりました。
自分のやっていることに意味が分からなくなるもう一つは、自分がやってもやっても、これいつまでやらなくちゃいけないかわからないとなると、これは重荷になってくる。いつまでやったらケリが付くのか。
昭和18年に満州に行ったことがあった。中国の東北地方に伝道に行ったことがある。そこでは、直径1メートルの大きな臼がある。柄が出ていてロバに引っ張らせる。ロバに目隠しをして。人間だと大変です。首から外してやっても、まだロバは回っている。いつまでやっていいかわからないから重荷になる。人間だっていつまでやったらこれが完成するのかがわからなかったならば、その人は何をやっていてもそれは重荷になってくる。あそこに行けばいいんだというときには重荷にならないけれども。
私の子どものときに、私の母の田舎である四国に行ったことがあります。いまから60年ぐらい昔の話。今は鉄道やフェリーがある。まだ船が沖の方に留まっていた。浅瀬では伝馬船というのを船頭さんが引っ張る。予定よりは遅れて向こうに上陸したり。ところが、こんどそこから母の里に行くまでに、12キロぐらいある。もう夕方でした。その道をたどっていく。田舎ですから10キロぐらい向こうでも電灯がついているのが見える。その家にたどり着いたとき、ほっとしたことがありますが、向こうに目的があるときには、途中で疲れてきても、もうあそこまでだ、もう少しだと自分で自分を励ますことができますけれども、人生は、あとどれぐらい行けば行きつくのか、どこでおしまいになるのかわからないときには重荷になってくる。いつまでやらなきゃならないかわからない。子育てもそうでしょうし、事業のことでもいつまでやらなくちゃならないかわからないとき、その人には重荷になってくる。
もう一つは、やってもやっても結果を得られないというときには重荷になる。これをやったらああいう褒賞をもらうことができる。或いは進級することができる。何かがあるときには辛いことでも、もうひと頑張りだ、もうひと頑張りだ。いつまでやっても報いがない、報われないというときには、その人にとって重荷になってくる。内容はさまざま。これは人生のことであるか、治療であるかもしれない。政治の世界であるか、或いは思想の世界のことであるか、芸術の世界か、彫刻でも行き詰まってしまう。よく有名な小説家が自殺するでしょう。芥川、川端、有島、みんな行き詰まる。
神様は私ども人間を「我に来たれ」と仰って、イエス様のところにまいりますと、その人に目的のある人生を与えなさる。あなたにはこういう人生がある、こういう目的がある。これを目指してあなたは進んでいる。そして、こういう結果を期待することができる。こういうことを聖書は教え、そして「我に来たれ、我汝らを休ません」と仰っている。イエス・キリストを信じて救われてこそ初めて人間は何のためにこの世に生まれてきたのか。何をするのか、いったいどこに行くのかということがはっきりしてくる。聖書はそれを教えている。そして、聖書はただ教えているというだけではなくて、実際にそういう目的を持って生きていくことができる。すばらしいではありませんか。
私の手術をいたしましたときに、小腸の中に癒着が起こった。1年間の間に3か所。胆汁が流れなくなり、黄疸になった。昨年の7月の17日に痛みを覚えて検査入院。最終的に流動食。スープが通るようになったのは5月の終わりなんです。それまでほとんど固形物は喉を通ったことがないと思うぐらい。あとは点滴。そのときに、私自身もこんどは再起は不可能だなと思われるところまでいった。あとで聴きましたら医者も勿論再起できると思っていなかったようですし、私の子どもたちも家の者も再起はないと思っていた。喪服の準備をしていた。
私は、食事が通るすこし前のときから神様に、「癒してください」と祈っていたけれども、癒してくださいというお祈りの中に、ただ癒してもらえばいいというだけであって、私は神様の御心のままに生きるとはお祈りしてなかったなと気づいた。勿論私はなにかこの世の楽しいことをしようとして癒してくださいと祈っていたのではなかった。もし私が癒されたら多くの人が神様は素晴らしいと思ってくれるだろうなと考えていた。けれど、今申しました通り、もう難しくなったとき、私は神様にこういうお祈りをした。
「神様、もし私に、もうこの地上における使命がないんでありますなら、もう天国にお返しください。けれども、もし私に何か使命がのこっているのならば、もういちど癒してください」とお祈りしたんです。ところがそれから不思議なように食欲が出てきてスープが飲める。茶さじに2杯。ついに癒されて退院。
退院して初めの神様の御用をさせていただいたのは4月。それから7月は函館、札幌、大湊、下田、松山、沼津、それから2週間、3週間前には金沢、神戸に6日間。というように、日本のあちこちと周りましたけれども、このとき私の心にあることは何かというと、もしまだ使命があるなら癒してくださいとお祈りしたんだけども、私はまだ使命があるんだということ、生きる目的がある。だから、このようにして神様にお頼りするときに、私の場合にはキリスト様を多くの人々に伝えていくという使命がある。そして神様はそうしてくださった。
皆さん方はどんなに自由をされておっても、その自由がいけないというんじゃない、勉強がいけないというんじゃないけれども、それが何のために勉強して何のために自由をしてるのか。目的ははっきりしている。目的ある人生を送ることができる。
ただ今私はお証しをさせていただきましたように、不可能なことを可能に変えることができる。それは事業でも同じ。事業に行き詰った。或いは人生の何かに行き詰った、家庭生活に行き詰った、あるいは育児に行き詰った。そういうように行き詰ったときに神様は、特に聖書の中を見るとものの見事に道を開いてくださる。
その昔、200万人を超えるイスラエルの民がエジプトの軍隊に追われ追い詰められた。先は紅海に遮られる。両方は山に阻まれている。絶体絶命。そのとき、神様は海を二つに分けてこのイスラエルの民を、シナイ半島の方にざーとお渡しなさったということが聖書の中に書かれている。そういう奇蹟的なことは、かなり昔だけじゃなくて今も行われる。神は、人間には不可能である、人間にはできないということに神様の力は働く。不思議なことが行われてくる。ここでは時間の制約があってその幾多の例をお話しできませんが、そのように神様は、目的を明確にし、不可能を可能にして、そういう人生を送らせてくださるお方である。だから、それで
すべて労する者重荷を負う者我に来たれ。我汝らを休ません。
重荷のもう一つは何かというと、これは精神的な面の重荷をもってる。それは罪という重荷。人間は誰も人が知らなくても罪というものがその人を責める。法的な罪はもちろんのことです。或いは盗みの罪、殺人の罪であるとか。
自分が何かしでかした悪いもの、罪をもっておりますと、夜もろくろく眠れない。いろんな悪いことをした人が警察から追われて捕まったときに、ほっとしたということを新聞でよくお読みになるでしょう。みんな誰も知らないと思っているけれども、自分が知っておる。私の友人で聖書を販売して歩いている人がいた。伝道してる。その人が、献身をいたしまして、その人から聞いたのですが、宮崎県のどこかで売り歩いてどこかに泊まった。ところがその夜に、これが50年ぐらい前のことですから、安宿は襖一枚で仕切られてる。隣の人が夜中に「赦してくれ!」と叫んだ。そして私の友人が、朝、共同の洗面所に行くと、うなされていた人が洗面器を並べていた。「夕べうなされていたようですが」と話しかけると顔色がさーと変わった。「何て言いましたか?」。自分の過去をわかられたと思った。「私はリスチャンで聖書を売り歩いている。何か悩みがあったら私に話してください」。尋くと、居酒屋で酒を飲んで相手を殺して逃げていた。全国の炭鉱に潜り込んで隠れ歩いていたけれども。殺した相手の顔が、恨めしそうに倒れていったすがたが目の前に出るんだそうです。それで彼は夜うなされる。北海道から九州まで逃げ回っていた。友人は彼のためにお祈りして「自首しなさい」。自首したところが時効になっていた。
殺人ばかりではなく、親の金を盗んだり、子どもでもいたずらして、親が帰ってくるとおやつと言って玄関にいつもなら飛び出していくのが、悪いことすると、靴音がしただけで気持ちが暗くなる。人間を暗くし、下向きにさせてしまう。重荷には罪の重荷というものもある。あの罪は誰も知らない、自分だけが知っている、その罪のために悩む。大人であっても、子どもは子どもなりに、お年寄りはお年寄りなりに。
日本は結果的に戦争に負けました。大陸に渡っていたときに日本人はいろんなことをしておった、そういう人が30年経って、今頃になってああいうことがあった、こういうことがあったと。話して自分はこれですっきりしたということを言ってる方もありますが、そういう罪の重荷、これは人を苦しめるものです。さらにその人を、この地上において苦しめるというばかりでなく、聖書はもし罪がそのままであるならば、よしんばその人がこの地上において自殺をしたりそんなことをしないで生き延びて行って、天寿を全うして仮に死んでいったとしても、聖書は、罪を持っているところの者は来世において必ず罪の裁きを受けなければならない。聖書には
ローマ 6章23節「罪の払う値は死なり」
と書いてある。死ぬということは人間の内なる霊魂と肉体が分離することを肉体的な死という。肉体は土葬か火葬され土になってしまう。霊魂というものは、霊魂の世界がある。この霊魂にいのちがある。誰も突き止めたひとはないでしょうけれども。キリスト教以外の人も、ある宗教では毎年7月になると、霊魂を迎え慰めをするといってご供養したり、慰霊祭をする。それはこの肉体はなくなったけれども、魂がどこかに生きていることを理論的に説明することはできないかもしれないけれども、あるものはお墓の前に行って、事業失敗しました、結婚しました、家庭を持ちましたと報告する。石に向かって。しかしその人は石に向かって言ってるんじゃない。魂がある、そう思うから言ってる。聖書では、その生ける魂が、永遠に苦しんでいかなければならない世界を地獄といっているのです。
そして永遠に幸いな生涯、キリストと共にある世界が聖書にある。罪をそのままにしておくと、この地上でさいなまれ苦しい生涯を送るというばかりではなくて来世でも苦しむことになる。けれどイエス・キリスト様は、地上における生活は勿論のこと、来世の生活もちゃっといいところに行かせてやりたい。神はその一人子であるイエス・キリストをこの地上に遣わして人間の罪の身代わりのために死なせてくださった。わかりやすく申しますと、人類は自分で働いて返すことのできない借金したとしますが、イエス・キリストというお方は、お前の借金はぜんぶ払ってやる。これはお前が書いた借用書。私が払ってやったから、結果的に縁もゆかりもない今から2000年前のユダヤのイエスキリストというお方が私の借金を払ってくれるはずがないと思えば、実際に払われておっても、まだ謝金の重荷はなくならない。けれども、はいそうですか、有難うございますと、領収書をそのまま受け取りますならば、その人から負債感なんてものはなくなる。聖書に書かれてある通り、イエス・キリスト様が十字架に架かって死んでくださったということは、あなたの罪の身代わりなんだ。あなたが罪を犯して当然受けなければならない罰というものはイエス様がぜんぶ代わって受けてくださった。そしてあなたには天国というものを約束せられている。信じなさい。イエス様は私の罪の身代わりに死んでくださった。信じるなら、誰でも罪が赦される。「すべて疲れた者重荷を負う者我に来たれ、我汝をやすません」とイエス様は招いていらっしゃる。
その後の2000年の教会の歴史を見ますと、そのイエス様のことばを信じてから罪を赦されている。もう日本中世界中にこういうような救ってもらった証しをすることができる人が満ちている。きょうもここで、ああ私のためにイエス様が死んでくださった。信じます。きょうまでの生涯が間違いであったことを見前に認めてお詫びをして、イエス様を信じるとお救いに与ることができる。これを悔い改めと信仰という。誰でも修養、努力しなければならない、あるいは聖書をぜんぶ読まなきゃならない。或いはお金を持ってこなきゃならない。というようなことであるならば、誰も救いに与ることはできない。
けれど、先ほどお証ししましたように、私を導いた牧師さん難しいこと言わなかった。イエス様信じると救われる。そうして私は昭和5年の5月1日に。それまで私は無神論者だった。でも私は罪というものが分かってきたときに、一人でいるのが怖くなってきたときに、イエス様のもとに救われて48年経つのでありますけれども、その喜びを忘れることができない。自分がそうであるばかりではなくして多くの人々に40数年前の恵みを伝えることのできる恵みである。今日、御前に一緒に私は重荷を、負債を負っている者だという自覚をお持ちになりますならば、このイエス様におすがりになって、幸いな生涯にお入りになるようにお勧めしてやまないのです。
※写真、画像、音声データは教会からお借りしています。
⏰6時54分、13,514字更新
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