« 2021年10月 | トップページ | 2021年12月 »

2021年11月

レオニダス・カヴァコス  バイオリン・リサイタル

1967年アテネ生まれ。17歳でアテネ音楽祭でコンサートデビュー。1985年シベリウス国際コンクール第1位。1988年にはパガニーニ国際コンクール優勝。現代を代表するバイオリニストの一人。ピアノの萩原麻未は2010年ジュネーヴ国際コンクールで優勝。【演奏】レオニダス・カヴァコス(バイオリン)萩原麻未(ピアノ)
【曲目】バイオリンソナタ第1番ト長調作品78(ブラームス)
    バイオリン・ソナタ第3番 第14楽章
    アンコール F.A.E.ソナタから第3楽章スケルツォ
【収録】東京オペラシティコンサートホール(2021年10月20日)

Dsc04697-2 Dsc04761-2

レオニダス・カヴァコスのコメント
ブラームスのソナタについては、ブラームスはジャンルを問わず多作な作曲家の一人です。今回は彼のソナタの夕べです。ほんとうに優れた作品群で、第1番と第3番の対比がとりわけすばらしいです。最後のソナタが大変交響的であるのに対し、非常に交響的な協奏曲の完成直後に作曲された第1番はとても個人的です。第3番はそれほど大きな規模ではありませんが、音楽的多面性を持つという点で、大曲的かつ交響的です。天才ブラームスのバイオリン・ソナタ第1番から第3番に至るまでの変化を知るのはとても興味深いことです。
 バイオリンへの思いについては、文化、言語を問わず世界中で芸術を通してコミュニケーションできることはすばらしいことです。私は音楽の根源的な要素は人生においてもまた根源的な要素だと信じています。できるだけ多くの人たちとこの考えをシェアするのが私の夢です。そうすることによって音楽がなぜ偉大なのか、なぜ繰り返し必要とされるのかが理解されるでしょう。ブラームスのソナタが過去何百万回と演奏されてきたことを思い出してください。それでも人々はこの種の音楽に渇きや飢えを覚えまた聴きたくなります。もし社会が偉大な交響曲や偉大なオーケストラのようにテーマや意図を持って機能するとしたらどうでしょう。そしてみなが力を尽くしこの意図を支持し一緒に呼吸し同じリズムを共有し同じハーモニーを尊重するとしたら。スコアのなかではまさにそれが起こっているのです。このことを理解し人生に適用すれば、私たちはブラームスやベートーベンの交響曲、ブラームスのソナタのような人生が送れます。

🎵1
番はブラームス40歳での作曲。この最中にブラームスが名付け親になったシューマンの息子が亡くなる。その悲しみとクララへの哀悼の思いがこめられているという。2番はブラームスが友人らの死に接するなど、宿命とい人生観が込められているとか。
きょうはF.A.E.ソナタから第3楽章スケルツォが際立って聴こえた。第1、第2の時としてやや重い曲想から解き放たれたこともあると思うけれども。

🎧名曲アルバムはモーツァルトの「トルコ行進曲」。ピアノ菊池洋子
この曲を聴くと条件反射的にコーヒーがのみたくなる。
Dsc04786-2

1683年オスマン・トルコがウィーンを包囲したときのトルコ軍の兵器を陳列する軍事史博物館があるらしいが、写真のような太鼓を使ってトルコ軍は兵士を鼓舞したという。楽器も〝兵器〟の一部として用いられていたということなのか。日本の戦時の突撃ラッパを思い出す。

⛳コメントの取りこぼしもいくつかあったけれども、何とかきょうも更新。音楽を書くのは楽しい。
11月30日ということは、あすはもう12月。21時30分更新。
いま天気予報を見ると、盛岡市にも強風、雷、融雪、雪崩と盛りだくさん。九州はやっと台風シーズンをやり過ごし今が安全なのかもしれない。ついでに九州をググってみると、各地の最高気温18~21、奄美24度。強風、高波、雨注意報が。ほんとうにことしも大変だった。台風のない時期ばかりも平穏であってほしい。
コロナ、米国は30日で死者およそ77万8千人、感染者4839万7千余人、今や何の大国? ついにきょう日本にもオミクロン株上陸。一旦緩んだ緊張がまたギュッと。

とあれやこれやを見ているうちに21時52分となってしまった。

 

| | コメント (0)

211129クラシッククラブを聴く ペーター・レーゼル ピアノ

1945年ドレスデン生まれ。チャイコフスキー国際コンクール入賞。ベルリン・フィルやニューヨーク・フィルと長年共演を重ねてきたドイツを代表するピアノの巨匠。日本では2008年から4年に渡って開催したベートーベンのピアノ・ソナタ全曲演奏会が高い評価を得た。【演奏】ペーター・レーゼル。【曲目】ピアノ・ソナタ第32番ハ短調作品111(ベートーベン)ほか【収録】東京・紀尾井ホール(2021年10月13日)

Dsc04641-2 Dsc04642-2

🎵ペーター・レーゼルに関する「ぶらあぼ」の記事をつなぎます。メディアによく登場する音楽家の知名度は勢い高まるのだけれども、知名度に関わらずすばらしい音楽家は存在しているもののようだ。
今回はピアノ・ソナタ第32番のみを聴く。
 

🎧名曲アルバム。ショパン「マズルカ 作品17-4」 ピアノ大崎結真
Dsc04663-2

 ショパン14歳のときというと、ショパンがまだポーランドにいたときだけれども、ポーランドの中北部にあるシャファルニア村の有力者がショパンを村に招待した。ここでショパンはここでピクニックや乗馬なども楽しんだようだ。写真はショパンが両親に書き送ったという「シャファルニア通信」。「15日事件発生。鳥小屋で七面鳥の雛がかえる。七面鳥の家族が増え、飼い主の財産も増えた」などといった内容のようだ。

⛳月曜はちょっと休憩したい日。きのうはズーム礼拝以外の空き時間は掃除に没頭。疲れずに終日やり抜けたと思ってはいても、今日になってちょっと休みたくなり……。それでもクラシック倶楽部の後半は聴くことができた。
 音楽をこのブログにメモりはじめ、すこしして私は気づいた。これは語学ができなければなかなかに大変、単に聴くだけというならまだしも、より分け入ってとなると語学は不可欠だなと。何の分野でもそうだろう。壁にはガ~ンと突き当たったけれども、それからかれこれ5年は経っている。
昨日11月29日の分を今日11月30日20時16分更新

| | コメント (0)

きょうのことば『キリストの大宣教命令と私』

インマヌエル盛岡キリスト教会2021年1121()の礼拝メッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で48年目のご奉仕をしておられます。
Img153_20210801074901

 今朝は世界宣教アッピールの日ということで、盛岡教会でもインマヌエルの世界宣教局からのDVDをお聞きしました。
IGM宣教師派遣国世界地図

 

 

 

 

 

 

インマヌエルから派遣されている宣教師の先生方のお働きについてはこちらをご覧ください。 

説教題 『キリストの大宣教命令と私』 (世界宣教局長 田辺寿雄牧師)
世界宣教局長画像

聖書朗読 新約聖書  マタイの福音書281920
19 ですから
、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名においてバプテスマを授け、20 わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

<おはなし>

 きょうの聖書の個所は、イエス・キリストの大宣教命令といわれています。大宣教命令と聞くと、何か仰々しくてそれだけで自分には何も関係もないと思ってしまう人もおられるかもしれません。しかしこのみことばは聖書の中でも特に重要なみことばの一つであるというだけでなく、世界の歴史の中においても非常に大きな意味を持つみことばだということができると思います。そしてそれだけではありません。特にきょうこのことを強調したいのですが、それは、私たち一人ひとりと大いに関係のあるみことばだということです。

 きょうは「キリストの大宣教命令と私」というタイトルで、二つのことをお話ししたいと思います。

 まず第一に申し上げたいことは、この大宣教命令があるから今の私があるということです。キリストの大宣教命令があるから今の私、救われている私、神のこどもとされている私があるということです。イエス・キリストの弟子たちは、この宣教命令を本気で信じて本気で実践をしました。国境を越え、人種や言葉や文化の壁を超えて、文字通り出てゆき、そして福音を伝えていきました。その結果信じる人の数が増え、福音はどんどん広がり、エルサレムからローマにまで届きました。そのことが記録されているのが使徒の働きという書物になります。その後も、このキリストの宣教命令に押し出され、触発され、そして心奮い立たされるようにして、教会は出ていくことを継続し、福音を伝えてきました。行きなさいと言われて出て行った人たちが福音を伝え、それを聞いて救われた人たちが、こんどは出て行く人となり伝える人となっていきました。そのようにして、福音は今日、世界中で30億人を超えるまでに広がったということです。そして日本にも届いています。そして私にも届いているということ。

 この大宣教命令というのは、福音が私にも届くためのキリストの命令であり、またプランだったということなのです。イエス・キリストが十字架の上で「父よ彼らをお赦しください」とそのように祈られたとき、その祈りの中に私も含まれていました。同じように、ここでキリストが、「行ってあらゆる国の人を弟子としなさい」といわれたとき、そのキリストのことばの中に、思いの中に、そのプランの中に、私も含まれていたのです。

 どうしたら日本まで届くだろうか。20世紀21世紀を生きる私たちにも福音が届くだろうか。その作戦が弟子たちに対する「行きなさい」という命令だったということです。私に神の愛と救いを届けるためでした。私を救うためでした。「あらゆる国の人々」ということばがありますが、その中に私がいる。自分が含まれていたということです。私に福音を届けてくれた人がいます。だから今信じて救われている。この大宣教命令の中に、この大宣教命令があるから、今の私があるということ。そのことが第一に心に止めたいと思います。

 二つ目に申し上げたいことは、この大宣教命令を生きるようにと私も招かれているということです。「あなたがたは行って」といわれていますが、こんどはこの「あなたがた」ということばの中に、自分も含まれているということに気づく必要があります。こんどはあなたが行きなさい。あなたが出て行くのです。この「あなたがたは」ということばの中に私が、自分がいるということです。「出て行く」ということ、ここに教会のすがた、クリスチャンのすがたがあると私は考えています。出て行って福音を伝える。聞いて救われた人がまた出て行き伝えていく。このダイナミックな動き、流れの中に存在しているのが教会のすがただと思うのです。教会とは出て行く人たちのこと。だから伝道します。だから宣教師を送り出します。出て行くことをやめてしまうとき、私たちは教会でなくなってしまうのではないでしょうか。出て行って伝える。聞いた人が救われてまた出て行き、伝えていく。そのようないのちがあふれるダイナミックな流れの中に、私たちも生きていきたいというふうに思います。

 具体的に言いますと、それはどういうことになるんでしょうか。3つお話しして終わりたいと思います。

 一つは、私たち一人ひとりも、神によってこの地上に派遣されているということ。そのことを理解するということです。私たちも「行きなさい」と言われています。私たちも派遣されている。どこに派遣されているのでしょうか。それはそれぞれのご家庭になります。それぞれの地域になります。会社、学校です。どこにあったとしても、おかれた場所にあって、神の愛と救いと恵みを生きるように、私たちは神様によって派遣されているということです。私が受けた恵みのバトンを、こんどは誰に渡すことができるのでしょうか。私たちも皆、神によって遣わされています。

 二つ目は、出て行く人たちを応援するということです。私たちは現在5組の宣教師たちを送り出しています。しかしこれは、世界宣教局が送り出しているのではありません。私たち一人ひとりが、一つひとつの教会が彼らを送り出しているのです。多くの方々が宣教師のために祈ってくださり、また献金を捧げてくださっていますが、宣教師の存在と働きを通して私たちの祈りと献金は現地にまで届いています。宣教師たちを通して、私たちも出て行っていることになるのです。どうぞ自分も救われた者として、出て行く者として、さらにお祈り、また献金に続けてご協力ください。まだの方は是非祈り始めてください。教報を読みながらお祈りできます。祈りのネットワークを使ってお祈りすることができます。また是非世界宣教献金に加わっていただきたい。献金を始めていただきたいと思います。10円でも100円でも、毎月ではなくても月一回でも二回でもぜひ献金にお加わりください。また、宣教コイン献金もありますので、そちらの方にもご協力いただければと思います。

 そして三つめは、あなたも牧師になりなさい。宣教師となって出て行きなさいと、イエス・キリストから声をかけられている人がいるならば、その招きに応えていただきたいということです。2000年前にキリストは弟子たちに言いました。「行きなさい」。それは、私も救われるためでした。今キリストは、私たち一人ひとりにいわれます。「あなたも行きなさい」「あなたも出て行きなさい」。私たち一人ひとりに何かできることがあります。何か始められることがあるはずです。自分には何ができるでしょうか。

 

※原則として盛岡教会の講壇を、ということでデータを起こしております。盛岡を載せるということだけでも、実は、畏れ多いと思いつつ行っておりますが、今回もまして教団の範囲との畏れも覚えましたが、説教内容から、このような者でも或いは許されるかと思い、起こし掲載させていただきました。
⏰朝焼けを仰ぎつつ6時47分更新

 

 

 

| | コメント (0)

雑感

j-meroを見逃し、TV画面はチョモラリ(7326 m)、この辺りにまで入り込んで撮影してる方々が。
Dsc04594-2
 たしかに山岳の美しさを見るときに人のいない美しさをいかにスケール大きく映し出されても、何か実感がわかない。それがこのようにカメラマンの苦労も見せてくれると、極めつけの美しさに出会ったときの感動が違うのだ。
 数日前に山岳カメラマンの石井邦彦、中島健郎の両氏が剱岳に入り、劔沢を映し出してくれた。幻の滝といわれるD滝。そして劔沢も交わる黒部渓谷十字峡。ザックが岩にかすっただけで谷底に落下するような危険な道をたどり、水温4度、5度といった流れの冷たさに身を切られながら沢を登り、ドローンを飛ばしてもGPSをキャッチできず、さらに壁をよじ登って可能な高度を確保して再び飛ばして成功するなど、息をのみハラハラし通しだった。そして峡谷に谷底に、水面にはラピスラズリの沈黙、壁には紅に燃える群落、そして真冬にも耐える常緑の木々の得も言われぬ鮮やかなコントラストにはほんとうに息をのんだ。いつか黒部に行ってみたいと思っていたところが、この番組がトロッコにも乗せてくれ、おいそれとはお目にはかかれない幻の滝にまで案内してくれた。多くの紅葉を見たけれども、これまで観たなかではもう動かしがたい光景として焼き付いている。

 ☆

 けさは川崎市を取り上げた番組もあった。亡き伯母が川崎に住んでいたことがあるので、この街には親しみを感じる。川崎の工場街の夜景。これが観光ルートになっている。公害の川崎は一昔前のはなしになっている。この川崎の工場の一つで働いている岩手県の工業高校出身の方、井上明さんという方、課長となられているのだが紹介されていた。岩手県の方が番組に出ると予め知っていればなんという工場か気を付けたのだが、そこは見落とし。ただ県人が活躍していることが嬉しかった。

⛳カーテンを開けて初めてことしの雪を見たこの朝だった。更新は21時45分。

| | コメント (0)

211126クラシッククラブを聴く グザヴィエ・ド・メストレ(ハープ)&ルセロ・テナ(カスタネット)

テナのカスタネットが奏でる歌をメストレのハープがやさしく包みこむ。スペインの音楽に新しい息吹を感じさせるデュオ。ふたりの放つ華やかな音が聴衆を引き込んでいく。【出演】グザヴィエ・ド・メストレ(ハープ)ルセロ・テナ(カスタネット)【曲目】古いソルチコ(グリーディ作曲)赤い塔(イサーク・アルベニス作曲)以上メストレ編曲 ハープ・ソナタニ長調(ソレール)ほか【収録】2019年10月8日 紀尾井ホール

Dsc04560-2 Dsc04553-2 Dsc04548-2  

グザヴィエ・ド・メストレ:フランス出身。9歳からハープを学び、16歳でパリ・ハープコンクールで優勝。1996年バイエルン放送交響楽団のソロ・ハープ奏者として入団。1998USA国際ハープコンクールで優勝したのちに、25歳の若さでウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のソロ・ハープ奏者に就任。ソリストとしても世界各地で活躍。高い演奏技術が生む情感あふれる豊かな響きで聴衆を魅了。
ルセロ・テナ:メキシコ出身。舞踏家としてメキシコとスペインで活躍したのちに、カスタネット奏者として世界中で活動。カスタネットをオーケストラ曲のソロ楽器として演奏する独自のスタイルを生み出し、カスタネット・ソリストと呼ばれる。これまでのロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、スペイン国立管弦楽団など多くのオーケストラと共演。世界各地で話題となる。

コメント(概要)
グザヴィエ・ド・メストレ:大好きなスペイン音楽を録音したいと思いました。ハープはスペイン音楽と相性の良い楽器です。旋律を奏でるハープはカスタネットと絶妙な対比を生み出します。カスタネットの躍動感と色彩が理想的なハープとのデユオとなります。ルセロと共演するのは心強いことです。彼女は曲を熟知しているので、頼りになる存在だとわかっていました。だからふたりで音楽を作るのは当然なことです。予想以上の成果がありました。
ルセロ・テナ:彼は古典的なギター曲をハープに編曲しています。それらはとてもすばらしいです。だから彼とデュオを結成しました。お互いにとてもうまくいっています。
グザヴィエ・ド・メストレ:ルセロのカスタネットはいろいろな音が出ます。打楽器ではなく歌うのです。今回は曲名がスペインの地方や町の名なので音楽で旅をしているようです。演奏会では皆さんをすばらしい旅に連れ出しスペインの情緒や風景を感じてもらいたいです。
ルセロ・テナ:彼と共演できるのは、光栄で嬉しいことです。
私は舞踊家としてさまざまなスペインのダンスを踊っていました。それはとてもよい時代で幸せでした。以前から私はカスタネットに愛着がありました。だから踊るのをやめてカスタネットに集中しました。今はカスタネットの演奏に幸せを感じています。

 

曲目
マテオ・アルベニス:ピアノ・ソナタ ニ長調 Op.13*
ヘスース・グリーディ:古いソルチコ
イサーク・アルベニス:12の性格的な小品集Op.92より 第12「赤い塔」*
イサーク・アルベニス:スペイン組曲第1 Op.47より
          第1「グラナダ」          
イサーク・アルベニス:スペイン組曲第2 Op.97より
          2「サラゴサ」
イサーク・アルベニス:スペイン組曲第1 Op.47より
          第5「アストゥリアス」*
アントニオ・ソレール:ハープ・ソナタ ニ長調*
エンリケ・グラナドス:スペイン舞曲集 Op.37より 第5「アンダルーサ」*
マヌエル・デ・ファリャ/マルセル・グランジャニー編:歌劇《はかなき人生》より スペイン舞曲第1*
*
はカスタネットとのデュオ

🎵スペイン音楽に通じるお二方の共演。カスタネットという楽器、実は楽器の仲間だとも思ってはいなかった。それがテナの経歴から、世界の名だたるオーケストラとの共演を果たしている。メストレが「テナとの共演は予想以上の成果をあげた」といっていたが、聴衆の反応という以上に音楽世界観が拡張されたといったことかと。はじめは何かそぐわない感じが。ソレールの「ハープ・ソナタ ニ長調」のあたりで、カスタネットが遠景として響くか、一部が近景のように、それも魂のどこからか湧き出るように響くのかを聴き分けようとしてみた。「古いソルチコ」や「サラゴサ」のハープのソロはギターでこの曲を聴くよりも優しく穏やかで深いのだが、これがカスタネットとのデュオとなると、カスタネットが有無をいわさぬ響き、ときとしては傍尺若無人に聴こえもする。カスタネットという楽器の自己主張の強さを知らされる。たぶん楽譜はなく即興演奏、あうんの呼吸での即興演奏であるかと思いながらソレールの「ハープ・ソナタ ニ長調」を聴いてみると、リズムの近似性からか、何か両者が風土に自然に相和している、互いの機微を掴み巧みな即興が繰り広げられていると。ハープ奏者が男性であることも意外だったけれども、異色のデユオ。一般の楽器からは作曲者により近づこう、或いは試行錯誤、幾多の研鑽の結果としての響きが感じられるが、カスタネットからは他の何ものにも左右されない動かざる確信、これぞわたしの魂と湧き上がるような情念も感じられる。それと同時にハープの繊細な部分にも繊細に寄り添える打ち方にも気づかされた。
 テナのカスタネットは歌うという聴き方もあるとは思うが、踊りの一部始終を視覚のうちに具現してくれると思われた。
 それにしても、ハープの外枠の曲線の美しさ、これはそれぞれの音を響かせる弦の並びによっているわけで、この作り出された自然の妙を思わないわけにはいかない。

🎧名曲アルバム。シューマン作曲、栗山和樹編曲「トロイメライ」
ピアノ仲道郁代、矢崎彦太郎&東京フィル

Dsc04578-2 Dsc04573-2 シューマン(18101856)はドイツのザクセン州ツヴィッカウに町の本屋の息子として生まれる。20歳でライプチヒへ。ピアノの神童と呼ばれていたクララ・ヴィークと出会う。トロイメライは「子供の情景」の第7曲。1840挙式。父親の文学好きの影響でか文才にも恵まれたシューマンは文筆と作曲の両方でロマン主義を主導した。

⛳久方ぶりの7時前更新。もう紅葉はおわり、銀杏の木もちょっとだけ葉をのこして寂しげ。それでも常緑の樹木が密に立ち並んでいることに安らぎ、6時53分更新。

 

| | コメント (0)

211125 クラシッククラブを聴く ウィーン・ニコライ弦楽四重奏団

ウィーンを拠点に活躍するカルテット、ウィーン・ニコライ弦楽四重奏団。ヘーデンボルク和樹・直樹兄弟のインタビューを交え、ウィーン古典派の作品をお送りする。【出演】ウィーン・ニコライ弦楽四重奏団
【曲目】弦楽四重奏曲ニ長調K.575から第1・第4楽章(モーツァルト作曲)
    弦楽四重奏曲作品59「ラズモフスキー」第3番ハ長調(ベートーベン作曲)
【収録】2018年10月6日 フィリアホール(横浜市青葉区)

Dsc04503-2

ウィーン・ニコライ弦楽四重奏団はウィーン・フィルのメンバーから成り、2012からウィーンを拠点に活動している。ドイツ、オーストリアの古典派、ロマン派の作品を得意とし、伝統を重んじながら、新たな響きの創造に取り組んでいる。これが日本での初めての演奏会。
ヴィルフリート・和樹・ヘーデンボルク(ヴァイオリン)使用楽器はM. SchwalbD. Bagué。弓はT. M. Gerbeth1977年生まれ。
ベンジャミン・モリソン(ヴァイオリン)使用楽器は父デヴィッド・モリソン作(2006年)とジュゼッペ・ナドッティ作(1785年)。
ゲルハルト・マルシュナー(ヴィオラ)
ベルンハルト・直樹・ヘーデンボルク
(チェロ)

ザルツブルク生まれの和樹(長男)・直樹(次男)は、洋(三男)と日本語が流暢な三兄弟。洋のピアノでピアノトリオでの活動も。オーストリア・ザルツブルク出身。スウェーデン人のヴァイオリニストの父と日本人のピアニストである母をもつ。和樹、直樹はウィーン・フィルの団員。

Dsc04506-2

和樹・直樹両氏へのインタビュー
和樹:僕は先に生まれて、子供のころベランダにあるソファーの上にバイオリンのケースがおいてあったのを大変興味深く眺めていたらしくて、ある日そこに行って父のバイオリンを取り出したがってたという憶えはある。それは出してもらってもフルサイズで、ちゃんと持つわけにはいかないから、顎に当ててもらって、手で支えて興味を示したのが始まりだったみたいで、と同時に母がピアノだったので、ピアノの勉強も始めました。どっちがさきだったかはちょっと憶えてない。
直樹:母がちょっと父と得策を練って、兄がバイオリンを弾いてるので私もバイオリンを弾きたいという様子があったみたいで、家の中に2人も3人もバイオリニストがいては困ると、母がチェロを始めたらしい。そのレッスンについていって、母がチェロを弾く姿を見て、自分もチェロを弾きたいと思ったんじゃないかなと思います。ピアノを弾いている弟は齢が離れているので、今になって、同じ目線で話をすることができる、そして音楽を作れるというのがとても嬉しいです。
和樹:小さい時から何か一緒に弾ける曲があったら弾いてたよね。家族としての室内楽、オーストリアは勿論、ウィーンも特にハウスムジークといって、家族の中でする音楽がやっぱりすごく伝統的なので、それを兄弟で弾けるというのはやっぱりいいところ。あとは血がつながってるというか、毎日いっしょに過ごしてるから、何もことばを言わなくとも、最後までいわなくとも分かってくれてるから、リハーサルなどしてても音楽に関して事が進みやすい。そこはやはり兄弟のメリットかなと思います。
 オーケストラにも室内楽にも共通しますが、やはりウィーン・フィルのメンバーとして歌手の音に耳を傾けるのがオペラのオケピットの中での仕事ですよね。オーケストラの中でもいろいろの音をたくさん聞く。その中で室内楽はさらにアットホームな親密な関係である4人の中でお互いに耳を傾ける、話し合うというイメージなんですけれども、そこが室内楽とオーケストラの共通点かなと。それでもアンテナは常に室内楽をやっているときみたいに出てて、室内楽の編成が多少大きくなった、もしくはかなり大きくなった、でも最後まで室内楽的にお互いに反応して演奏してるというところがあるんで、やっぱりオーケストラとしてもそれはやっぱりウィーン・フィルの特徴の一つ。やはり毎日何時間も何年にもわたって一緒に弾いているオーケストラは、たぶん家族よりも過ごしている時間が多い同僚たちとカルテットを弾くのも、だからどうオーケストラとして差があるかと言うとそれはない。ただ一つやはり違うのは、オーケストラは言ってみれば、音楽ですからわかりやすい、とてもはっきりした音楽です。作曲家もオーケストレーション、楽器を割り振ることによって音色から何を聞いてほしいかということはとてもはっきりしてるんですけれども、弦楽カルテット、たとえば弦だけの室内楽だと、それ以上に音のイメージが必要ですよね。弦が4人だけで作ってるんですから。そこで私たちのオーケストラの体験というか楽器の音色をイメージしてジェスチャーなどに持っていく。そこが面白味かなと思います。

 

🎵モーツァルトの「弦楽四重奏曲 ニ長調 K.575から 第1楽章、第4楽章」。聴くときのその時々に聴く側がどういう心境にあるかによっても強く受け取る部分に違いが出てくることもあるのだが、前回は、森の中を散策しながら樹上にかける鳥の音を聴き、自然との対話を楽しんでいる心境で、繊細優美な流れをそのまま受け取っていた。今回はそれよりも風通しよく軽快に流れる心地よさをそのまま。ベートーベンの「弦楽四重奏曲 作品59「ラズモフスキー」から第3番 ハ長調」。これは、ベートーベンの「傑作の森」のうちの一曲。第一楽章、深淵、慎重、第九の冒頭のようにこの音じゃない、この音でいいのかと、作者の模索が聞こえる。流麗なところあり、対話的なところも。これは自分との対話、自らに問いながらの思いめぐらしが感じられる。第二楽章、この冒頭に心がざわついた。室内を歩き回り、ときに窓外に視線を移し、こうか、ああかと反問、思索、試作をくりかえすさまがほうふつと。第三楽章、明るみに向かう弾んだ気分。ちょうど鬱を脱したような解放された快活さ、躍動感が。意匠、着想がそちこちに飛翔し最高の心境にかけのぼったところで、これでよし! とペンが置かれたような。

 

🎧名曲アルバム。ニコライ・メトネル「忘れられた歌」から「夕べの歌」
ピアノ:イリーナ・メジューエワ

Dsc04518-2

⛳街にははやくもクリスマスツリーが飾られている。こんどの日曜日が第一アドベント。コロナは収束しつつあるかに見えるけれども、海外を見ると予断は許さない。教会の夫人牧師たちと白い雪道をきゅきゅと踏みながらキャロリングに歩いた遠い日が懐かしく思われる。きょうは降っているだろうか、きょうは白くなっているかもしれないと思いつつ朝にカーテンを開けている。
17時34分更新

 

 

| | コメント (0)

211124 クラシッククラブを聴く ウェールズ弦楽四重奏団

桐朋学園の学生により2006年に結成されたカルテット、ウェールズ弦楽四重奏団。三人のゲストとともに演奏した「変容(弦楽七重奏版)」を中心にお送りする。

Dsc04461-2 Dsc04458-2

ウェールズ弦楽四重奏団
ヴァイオリン﨑谷直人、ヴァイオリン三原久遠(ひさお) 、ヴィオラ横溝耕一、チェロ富岡廉太郎。桐朋学園の学生により2006年に結成。2008年ミュンヘンARD国際音楽コンクールにて第3位入賞。これまでメナヘム・プレスラーやポール・メイエなどの著名な音楽家と共演。2017年よりベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲録音プロジェクトを開始。その名の示す通り真の音楽を誠実に追及する姿勢が高く評価されているカルテットである。

ウェールズ弦楽四重奏団のコメント
「今回の演奏会の大きなテーマが変奏と変容ということで、一曲目は第3楽章にとてもユーモアにあふれて美しい変奏曲を持つベートーベンの(弦楽四重奏曲 イ長調 作品185番を演奏します。メインはリヒャルト・シュトラウスのメタモルフォーゼン(変容)を演奏します。
 いまできる曲をバーンとやってるだけじゃないから、うちの場合。三原が考えてますけど、きょうのもちゃんと全体を通してストーリーがありますし、それと僕ら今ベートーヴェンを全曲取り上げるというのを軸にやっていて、それプラスアルファで何ができるかなということをすごく考えてくれてます。」
 「三原がもってきて、まず僕がファーストは難しいのでスケジュールとにらめっこして間に合うかなとか、﨑谷からNGが出たことも過去にはある。﨑谷がやるといったら、それはもったいないから俺たちは何もいわない。」
 「言ったことないよね、直前になってやめときゃよかったとか」
 「いつも見事よね」
 「うん。無意味なプログラミングは僕らはぜったいにしない。それはもう見事、手前みそですが。」
 「仲悪くはなく友達という感じでもない。それぞれ各オーケストラで仕事もしてますし、いろんな現場で別な方と弾く機会もあるんですけど、各自が経験したものを持ち帰ってきて、ああでもないこうでもないと、一定の緊張感のある現場なので、
 持ち帰って論議しあう、そういう関係ですね。ずっと一緒に成長してきたし変化もしてきた仲間なので、演奏家としての自分をいちばんわかってくれていると信じているし、音楽的なつながりが強い仲間かなと思います。」
 「もちろんここで自分がこう弾きたいと思っても、話し合いの末却下されることもありますが、オーケストラになると、より自分の意思だとか表現したいものはどうしても薄まる。人数も多いですし。より自分が自分自身がナチュラルに表現できる、だから自分にとっては、やはり帰る家みたいに思っています。」
 「ここまで弦楽四重奏に打ち込むことは、たぶんこのメンバーに出あわないとしなかったことなので、よく出会ったなと、ほんとにメンバーにはものすごく感謝してて、僕が個人的にすごく成長できたのも、このメンバーといるときがほとんどだったので、ついてる人生だったなと思っています。」
 「今回3人のゲストの方に入っていただく演奏なんですけれども、3人も入る、七重奏というのがまずめずらしくて、3人ともすばらしい演奏者の方にご参加いただいて、いつもとは違うウェールズカルテットにもなると思うので、そこをお楽しみいただけたらと思います。

「弦楽四重奏曲 イ長調 作品185から 第3楽章・第4楽章」ベートーベン:作曲
演奏:ウェールズ弦楽四重奏団
この曲は若きベートーヴェンによる弦楽四重奏曲で、第3楽章は主題と5つの変奏で構成されている。
「変容(ルドルフ・レオポルトによる弦楽七重奏版)」リヒャルト・シュトラウス:作曲
ウェールズ弦楽四重奏団&(ビオラ)佐々木亮、(チェロ)横坂源、(コントラバス)池松宏

Dsc04468-2 Dsc04471-2

🎵ベートーベンの全曲演奏のリリースにも漕ぎつけたベートーベンに通じるウェールズが選んだベートーベンの「弦楽四重奏曲イ長調」は、やはり「変容」を念頭に置いた選曲。4人がそれぞれの意見を提示し、否定されることがあってもそれこそ変容を遂げつつ邁進中かと。ベートーベンの弦楽四重奏曲イ長調」は、ここでは第34楽章。
4
+池松宏、佐々木亮、横坂源の弦楽7重奏はリヒャルト・シュトラウスの「変容」。今回はNHK交響楽団首席ビオラ奏者の佐々木亮、ウェールズ弦楽四重奏団とともに桐朋学園で学んだチェロの横坂源、日本を代表するコントラバス奏者の一人池松宏をゲストに迎え弦楽七重奏として演奏される。
 これが何とシュトラウス81歳での作曲。ほんとかな? ぐぐってみるとほんとうだった。第二次世界大戦の末期に作曲されている。自分が初演した劇場が次々に焼け落ち瓦解していく状況下での作曲。哀惜、悲しみと怒りが昇華され、本来は23の弦のための作曲でもあったようだが、ここでは7つの弦が、まるで叫びをのど元に抑え、音符に落とし込んで浄化させたような各々の響きが相和している。表現しよう、表現したいと、絵筆を取ったり、楽器を取ったりする、そして楽譜や画布に、或いは彫刻にとその枠の中に表出を修めることの技術というか、能力というか、想いというか、これらが不思議に思われてならない。戦争による変容、苛酷さ、悲哀。変容の段階、或いは変容させ形と成した段階にもたらされるカタルシスも感じられる。感情のエッセンスが集められ濾過され凝縮せられる芸術の不思議さ。動物と人間はこんなところでも違うのだ、そんなことを思わせられた。
 「変容」は23人の弦楽器奏者のために書かれた作品。1990年になって初期の七重奏の楽譜が発見され、現代の音楽家が手を加えて弦楽七重奏版の「変容」が完成したという。

 

🎧名曲アルバム。デュファイ作曲、ニウ・ナオミ編曲「うるわし ばらの花」
指揮長谷川久恵、東京少年少女合唱隊、シニア&ユース・コア、オルガン小林英之、リコーダー古橋潤一、神戸愉樹美ヴィオラ・ダ・ガンバ合奏団

Dsc04495-2

デュファイはローマ教皇聖歌隊の歌手。この曲はサンタ・マリア・デル・フィオーレ(花のマリア大聖堂)の献堂式に向けての作曲。

⛳雪予報もあったけれど、はやくから降ってるかなと外をみていたけれども、雲をかぶる盛岡気象台向こうの山々には或いはふっているかもと思いつつ、昼近くになってもその気配はなし。同じ盛岡市といっても薮川あたりは大いに冷えているはず。
さてきょうの昼食は何にしようか。
11時29分

 

| | コメント (0)

211123クラシッククラブを聴く クリストフ・コワン シューベルト演奏会

ナヴァラ、アーノンクールに学んだ古楽の雄、クリストフ・コワン。金子陽子、ジェローム・アコカとの共演でシューベルトが死の前年に作曲した室内楽の名作をお送りする。【出演】ジェローム・アコカ(バイオリン)、クリストフ・コワン(チェロ)、金子陽子(フォルテピアノ)【曲目】ピアノ三重奏曲変ホ長調作品100(シューベルト作曲)ほか【収録】2018年4月19日 武蔵野市民文化会館小ホール

Dsc04405-2 Dsc04412-2  

コワンのコメント
フォルテピアノはモーツァルトの時代には5オクターブだったのが、10年ほどで8オクターブ弾けるようになりました。ですから使用する鍵盤の数によって演奏できる作品が限られるのです。たとえばこの楽器でピアノ三重奏曲を弾くことはできません。フォルテピアノは音の強弱の幅が狭いため非常に繊細なタッチが求められます。
金子のコメント
常に楽器の音を気にしなければなりませんが、彼らとは練習中も言葉がいらないほど、お互いの音に耳を傾けることができます。自然に音楽に集中できます。


🎵金子のHPには「コワンたちとの共演では、フォルテピアノのもつ限りない表現の可能性と室内楽のあるべき真の姿を共に提示した」とある。古楽器。モダンのような華麗さにはちょっと距離を置くけれども、遠い時代の空気感、絹の手触りの音色で安らぎをくれる古楽器たち。
 ピアノ三重奏曲、シューベルトが31歳で亡くなる前年の作品。ベートーヴェンが亡くなり、シューベルトはこの葬儀に参列し、翌年には彼自身が亡くなっている。
 ここのところは、番組予告を見て、ああ、これはもう何回か聴いている。それが「古楽器の雄か」、「紀尾井のメンバーなら」、「ベルリン・フィルの首席か」、クラシック音楽館であると、「えっ、ブロムシュテットが94歳!」、「反田さん第二位のカギ?」、こういった、自分にキャッチ・コピーのように働く言葉の吸引力で起きだしては聴き、自分にとっては遅い時間についつい聴いてしまっている。

⛳名曲アルバム。ファリャ 歌劇「はかなき人生」から「間奏曲とスペイン舞曲」
岩村力&東京フィル

Dsc04439-2 Dsc04431-2 グラナダ。街のいたるところにある洞窟にはロマが住んでいた。この曲はロマの娘サル―の悲恋物語題材にしているという。音楽へのロマの影響は随所に色濃い。秘められた激しい情念が芸術家を衝き動かすのだろうか。
ファリャはグラナダに住居を構えるも、親友の死にあい、南米に移住し、そのまま祖国へは戻らなかったようだ。

⛳昨日今日とゆっくりと過ごし、更新も休もうかとも思ったがPCをなんとなく開けて、21時9分更新。あすはいよいよ天気予報は雪だるまマーク。

 

| | コメント (0)

211122 クラシッククラブを聴く 紀尾井ホール室内管弦楽団 ウィーン・フィルのメンバーを迎えて

これまで20世紀前半の私的演奏会の作品を中心に活動してきた同楽団のアンサンブル・シリーズ。今回はウィーン・フィルのメンバーとの共演でマーラーの「大地の歌」を上演。~紀尾井ホール~2020/1/17

Dsc04338-2 Dsc04369-2 Dsc04357-2 Dsc04346-2 Dsc04339-2  

「交響曲「大地の歌」(室内オーケストラ版)から 第1楽章、第2楽章、第3楽章、第6楽章」。マーラー:作曲、シェーンベルク/リーン:編曲
(室内オーケストラ)紀尾井ホール室内管弦楽団、(メゾ・ソプラノ)ミヒャエラ・ゼーリンガー、(テノール)アダム・フランスン 

第1楽章「大地の哀愁を歌う酒の歌」  
第2楽章「秋に寂しさ」
第3楽章「青春について」
第6楽章「告別」

 

🎵ライナー・ホーネックが、今回のウィーン・フィルのメンバーはずば抜けた奏者たちであるといっているが、そのずば抜けた奏者たちが紀尾井のメンバーに感心した、最初のリハからわかり合えたというのだから嬉しくなる。ソリストの声を聴くのはやはりあまり大きくないホールがいいと思うのだが。今回はオケのフォローはないとしても、声楽家たちにとっては幾分リラックスして、しかし手を抜かずに歌うことができる空間だったのでは。
マーラーというと私には憂鬱、悩みという先入観でできあがっている。今回も管の支配的な寂莫感、孤独感が甲高く入って来たけれども、それがあって弦の慰めや美しさに癒されもするのだと。ミヒャエル・ゼーリンガーのメゾ・ソプラノ、「この世で幸福は私にはほほ笑まなかった」「どこへ行くのかと? 私は山をさ迷い歩く 孤独な心に安らぎを求めて」「私は故郷に居場所を探す」「決して遠くまでさすらうのではない」「心は安らぎ その時を待ち望む」「愛しき大地は春になれば花が咲き新緑になる」「どこまでも永遠に 彼方は明るく青くなる」そして「永遠に」が何度も繰り返され、繰り返され、最後は彼方に消えゆくようにふつりと消えるというよりは、この幾分憂いを帯びたメゾ・ソプラノが小さく小さくなってゆきついに永遠に溶け込んでしまい永遠の果てに見えなくなるのだ。そこに一縷の望みがたくさ託されているようにも聞こえる。

🎧名曲アルバム。マヌエル・ポンセ作曲、加羽沢美濃編曲「小さな星」
チェロ江口心一、ピアノ加羽沢美濃

ポンセはメキシコのアグアスカリエンテス(スペイン語で「熱い水」の意)で育つ。
サンディエゴ教会の聖歌隊に入り、16歳で正オルガニストを務める。「小さな星」は彼の代表作。原曲は彼自ら歌詞をつけた歌曲。

「遠い空の小さな星 私の悩みを見ている星 私の苦しみを知る星よ もしもあの人が少しでも私を愛しているなら 降りてきて教えておくれ なぜなら私は生きてはいけない あの人の愛なしには」。なにかウィンザー侯爵エドワード8世のシンプソン夫人への呼びかけを聞くような詞なのだけれども、故郷に向かう夜行列車の中で書かれたらしい。
写真はピアノ。ありとあらゆるピアノを画面に見たけれども、このような悲し気なピアノはめずらしい。
Dsc04393-2

⛳終日小雨もよう。しかしこの雲の上の星の輝きがなぜか浮かぶ。眼精疲労に抗いつつ20時27分更新


 

| | コメント (0)

きょうのことば 「よきサマリヤ人のたとえばなし」

インマヌエル盛岡キリスト教会2021年1114()の礼拝メッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で48年目のご奉仕をしておられます。
Img153_20210801074901



説教題 『よきサマリア人のたとえ話』 (國光勝美 牧師)
聖書朗読 新約聖書 ルカへの手紙 10章25~37節

10:25さて、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試みようとして言った。「先生。何をしたら、永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか。」 10:26イエスは彼に言われた。「律法には何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」 10:27すると彼は答えた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』、また『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』とあります。」 10:28イエスは言われた。「あなたの答えは正しい。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」 10:29しかし彼は、自分が正しいことを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とはだれですか。」 10:30イエスは答えられた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下って行ったが、強盗に襲われた。強盗たちはその人の着ている物をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。 10:31たまたま祭司が一人、その道を下って来たが、彼を見ると反対側を通り過ぎて行った。 10:32同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。 10:33ところが、旅をしていた一人のサマリヤ人は、その人のところに来ると、見てかわいそうに思った。 10:34そして近寄って、傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで包帯をし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行って介抱した。 10:35次の日、彼はデナリ二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』10:36この三人の中でだれが、強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか。」 10:37彼は言った。「その人にあわれみ深い行いをした人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って、同じようにしなさい。」

 けさはメッセージに入るまえに、世界福音同盟(WEA)信教の自由委員会などの呼びかけによる「迫害下にある教会のための国際祈祷日」に心を合わせて、特にインド、ナイジェリア、ネパール、ソマリア、ミャンマー、アフガニスタン、パキスタン、アルジェリア、イラン、エリトリアの10か国の現状報告と祈祷が行われました。

 

<おはなし>

 きょうは、みなさんがよく親しんでいる聖書のたとえばなし「よきサマリア人」からです。皆さん、今では絵本を見るという機会は少なくなっているでしょう。「よきサマリア人」を絵本で紹介してみます。(絵本ではありますが、音声データからお伝えします)

11.新約の時代の聖地
死海の西側にある⓫がエリコというところです。⓯がエルサレム。イエス様が十字架にお架かりになられたあの場所です。イエス様がいよいよ十字架に向かわれる旅のところでありました。そして⓫のエリコ。⓬のベタニヤ。
 ⓯エルサレムには神殿がありまして、ここで奉仕をする神に仕える祭司たち、或いは、祭司のお手伝いを専門にするレビ人といわれる人たちがいました。エルサレムはあらゆる面で国の中心であり、そして宗教的な行事の中心地であります。ですので、このエルサレムで、神に仕えた祭司、レビ人たちは、交代をするために、このエリコというところに下ってまいります。これは祭司の町という言い方ができるのかもしれません。仕事を終えた祭司たちは、このエリコの町に、ひとまず帰って来る。エリコからエルサレムまでが30キロ。この道が、そういう意味で大切な道なんですけれども、実は当時はとても危険な道でもありました。強盗、追いはぎが出る物騒なところであることは分かっている。それを前提としてイエス様はこの「よきサマリア人」のおはなしをされたわけです。だから当時の人たちは、イエス様のこのたとえ話をよくわかったんだろうなと思います。

 直接関係はないのですが、ちょっとだけ寄り道をします。私は1週間前の月曜日に七時雨山というところに登りました。ひろ子先生の学生時代の友人が、ご夫妻でひろ子先生に会いに来てくださいました。根っからの山好きな方でありました。一刻も早く盛岡に行ってお会いしたい。この奥様は、毎年盛岡教会にリースを手作りして送ってくださっています。ほんとうに教会によくしてくださっている。コロナ禍で旅ができなくなっていたけれども、解放されて、是非お伺いしたいということでした。ご主人も俺も行くと。このご主人は山好き以上の山好き。彼女たちが昔話をしている間に俺は山に行きたい。七時雨に。どうしてそれほどメジャーな山でもないのに。早池峰山や岩手山ならともかく。何で? すると、もう山という山は登りつくしており、七時雨が最近、新日本百名山に数えられたので、登りたいということでありました。
 どのコースがいちばんいいのかと思って八幡平の観光に電話をすると、いろいろな登り口があるんですけれども、いちばん早く登れるのは1時間ちょっとで登れる西根寺田口でした。一緒にのぼってきました。私は1時間半というと、いつも登っている鞍掛山とそう変わらない。鞍掛山ぐらいのものと思って七時雨に行きましたら、たしかに時間は1時間ちょっとでしたが、急坂です。鞍掛はのぼりがあったり平らなところがあったりでけっこうピクニック気分で登れるんですけども。七時雨も別の口からいけばそういう道もあるんでしょうけれど、この西根寺田口からのルートはなかなかのものでした。

 エリコの記事を読みながら、七時雨山を思い出したわけです。そういうところへ行きますと、昔の街道に通じる抜け道というか近道であったりします。七時雨にも小屋のあととか標識がありました。エルサレムとエリコ、30キロの道ですからそれほど遠くはないにしろ、七時雨のその西根寺田からのそれほどではないにせよ、ずいぶん急な道なんだそうです。七時雨にはお助け小屋がありました。エルサレムからエリコまでにはそれもなかったでしょう。実際強盗が出てる。

 エルサレムからエリコまでの暗くて寂しい山道を一人の旅人が歩いていました。かくれている者たちもいます。そこに突然強盗があらわれ、旅人に襲いかかったのです。強盗は旅人をさんざん殴りつけたあと、服も荷物もみんな持っていってしまいました。

 ここにほんとうは祭司たちが登場しなければならないのですが。祭司たちがこの道をやってきたんですけれども、わー、こんな物騒なことには関わりたくないと、見て見ぬふりをして、道の反対側を通った。レビ人もそうだった。私、ここのところで思いました。牧師は礼典などがあるときにガウンを着ます。そういうようなときに、神様に仕えている自分が衆目にもわかる。有名なたとえばなしですから、いろんな人がいろんなことをいってるんですけれども、もしこの時に祭司が一人だけでなくて、ほかの人たちもいたならば、きっと祭司は、俺はこんなに情け深いのだというように助けるなりしてわざわざ善行を見せたのかもしれない。だけれども、ここに衆目はない。ひとりだけ。ああこんなところで関わりたくないといって祭司は反対側を行ってしまったと書いております。レビ人、神に仕える人も、そうでした。ほんとうに面白おかしく子供たちにはなしはできるんですけれども、そこに自分を当てはめた時にどうなのかなと思うのです。

 サマリヤ人は、当時はユダヤの人たちからいちばん偏見の目で見られていた。賤しめられていた。祭司、レビ人の次に通ったのはサマリヤ人でした。そのサマリヤ人は旅人をねんごろに介抱し、そして、もし宿屋の費えが足りなかったら私が払うから。

 これはみなさんよくご想像できますでしょう。まさしくこれはイエス様ご自身が私たち罪の中に滅んでしまうような者たちのために、わざわざ天の御座から身を低くして、おいでくださって、わたしたちのために救いを為してくださった、このイエス様のことを、私たちは思います。

20211114-183654 20211114-183639

 今日は迫害下にある十の国々の教会のために祈らせていただきましたが、ふと思ったのです。果たして私はどういう態度をとるのだろうか。このよきサマリヤ人のように、ほんとうにその窮状に眼をとめてかわいそうに思って心を動かされるのか。たぶんこのかわいそうに思ってというのは、放蕩息子が帰ってくるときに、お父さんが走り寄っていくときの、あのはらわたがよじれるというようなかわいそうだという思いをもつ者であるのかどうか。まさしくよきサマリヤ人であるそのお方が、私たちのためにおいでくださった。さあ、これをどのように受け止めたらいいのでしょうか。キリストの心を心とする。私たちはイエス様がご覧になったような目で、この現実をしっかりと把握する。そしてイエス様の手となり、足となって、イエス様がなさったようなわざをさせていただくことです。汝らイエスキリストの心を心とせよ。この文語訳聖書のことばを思い起しながら、きょうは世界福音同盟、そして日本福音同盟からのリクエストでこのように見させていただきました。

しっかりと見ること。無関心ではいけない。このように思い、それに対して具体的に手と足を動かすということです。そして、来週はインマヌエルの世界宣教局からも、毎年のことですけれども、DVDが送られてきております。
 今週来週と、イエス様の心を心として整えをいただきたく願うことであります。そして私は、このきょうのお話しを締めくくらせていただきますとき、一つ付け加えたいと思うのは、御霊の導きの中で、或いは、心の中に私たちが宿させていただいているキリストの心、或いは御霊、聖霊が私たちの心にそうだよ、それでいいんだよというこの聖霊様の心の中の笑み、ほほえみというものが、このバロメーターになるんじゃないのかなと。で、これは皆さん方に足りないこの者のために祈っていただきたいと思うのです。

ありのままお話しいたします。

 教会にはよく社会福祉団体などそのほか人道的な働きをしておられる方々の訴えが届きます。特に11月、クリスマス近くになってきますとまいります。その一つ一つに、私たちはどのように対処、応じていったらいいのだろうか。これは大きな現実的な課題であります。ぜんぶに応じられればそれにこしたことはないのでしょうが、しかし現実的にそれはあり得ない。じゃどうする。そのときに、心の中にご聖霊様のほほえみがなくなるよういな選択はしたくないし、してはいけない。今私たちができるこの選択、この方法、それを、させていただくというのが一番現実的なものではないだろうか、このように思うのです。

 きょうはよきサマリヤ人のお話しでした。「キリスト・イエスの心を心としなさい」、そうありましょう、現実相応手と足を主と共に動かさせていただきましょう。ということで私は締めくくってよいのだろうとは思います。しかし敢えてここで一つ付け加えさせていただきました。誤解があったりしてはいけません。しかし私自身がこのようなところを通っている一人であるということを知っていただく意味で、聖霊の導きと言う中で、これに対処しましょうということを付けくわえさせていただきました。

 ご存じの通り、ほんとうに主に仕えて、もう天にお帰りになった國光幾代子先生は、ずっと女子寮の寮監を長くしておられました。神学院がまだ浦和にあった時代、ですからもうずいぶん前のことです。神学院がそこで営まれているときに、助けてあげたいと思うような方が神学院に訪ねて来られて、恵んでくださいというような意味のでしょう。特に戦後間もなくのそういう時代だからこそあり得ることだったのだと思いますが。女子寮の先生方、わーかわいそうだ助けてあげたいということで、当時幾代子先生や働いておられる方々が何とかこのかわいそうな方を助けてあげたいと思って、院長先生に伺いをたてた。すると蔦田二雄先生は、「ここはそういう場所ではありません」といって断られたんだそうです。まだ若かりし幾代子先生は納得がいきかねるところもあったのでしょう。しかし使命がどこにあるかということはいつ何時でも踏まえなければならない。使命は聖宣、宣教にある。蔦田氏はこのことをいわれたのだと。「ここはそういう場所ではありません」と仰った蔦田氏は、実は場合によっては、隠れたところで施しをしないではなかったというはなしも聞いております。

 

※データは教会からお借りしています。地図はネットからです。
⏰6時52分更新



| | コメント (0)

J-MEROをざっと

ゲスト 「サルサガムテープ」
ミュージシャンのかしわ哲(1994年NHK5代目歌のお兄さん)が中心となり、知的障がい者たちと共に結成したバンド。ポリバケツにガムテープを貼った手づくり太鼓でリズムセッションを豪快に奏で、偏見や差別といった心の壁をロックンロールで吹っ飛ばす。
Dsc04313-2 Dsc04278-2
これだけでは障害者の方々だから載せてるんじゃないかと思われるのも残念だしメンバーに失礼でもあるのでやはりつないでおきたいのはこちら。みなが解放されて芯から楽しんでいる。私的には邪心が感じられないところに共感。ハチャメチャに見えていても間隙には何かねばつかないすっきりとさっぱりとした空気が泳いでいる。日本を代表するロックスター忌野清志郎はロックンロールの原型と絶賛している。1996年スウェーデンで初の海外ライブを開催した。

Dsc04324-2
⛳22時28分更新
アメリカで日本人のミュージシャンが暴漢に囲まれ「中国人だ、やっちまえ!」と暴行を受けたという事件があったようだけれども、差別意識というものの怖さ、理不尽さを思わせられる。

 

 

 

 


| | コメント (0)

211119 クラシッククラブを聴く 中川英二郎 トロンボーン・リサイタル

【出演】中川英二郎,宮本貴奈,オッタビアーノ・クリストーフォリ「管弦楽組曲第3番からアリア」バッハ:作曲,(トロンボーン)中川英二郎,(ピアノ)宮本貴奈ほか。2018年121日富山県射水市アイザック小杉文化ホール 公開収録ー番組紹介よりー

射水市は人口約9万3千。富山湾に接し早朝だけでなく昼にもセリが行われている。これは全国でも珍しい。冬には旬の味のカニを求めて多くの客が。内川(新湊地区)の景観は日本のヴェニスと呼ばれる。小杉地区は旧北陸道の宿場町として栄える。左官職人を数多く輩出。

Dsc04215-2 Dsc04211-2

中川 英二郎
音楽家一家、育ち、5歳でトロンボーンを始める。高校在学中に初リーダー作をニューヨークで録音。以来クラシック、ジャズ、ポップスとジャンルを問わない活躍であまたのビッグアーチストやオケーケストラと共演を重ね、世界各地で演奏活動を行っている。2002年金管八重奏団「侍ブラス」結成。2008年朝のTV連続小節「瞳」のメインテーマを演奏。国内主要オーケストラとメインソリストとして共演。国立音楽大学ジャズ専修講師。

中川のコメント:この作品(竹内源造記念館にある「双龍」)とか見たら、芸術的じゃないですか。これってもう職人をさらに一つ越えているもんじゃないか。トロンボーンは同じように職人なんですよね。同じ職人の演奏家として感銘を受けますね。
 自分がこの楽器を演奏するときに気を付けることは、彩パレットをなるべく多くしたい。音楽をやるうえではそのパレットというのは、恐らくリズムや音色だとおもうんですけど、音色とリズムの組み合わせがもう無数にあるんですけど、それを自分でコントロールして、そうやって表現するという事をいつも考えてるんですね。それがトロンボーンのいちばんの魅力なんじゃないですかね。
 作曲については、よく入浴中に着想を得る。いわゆる降ってくるというのだ。きっかけがあると、さーっとエンディングまでが出て来る。それを手でスケッチ風に書く。コンピュターでシュミレーションするのはその後。楽器の演奏は職人的だが、作曲ではひとりの芸術家として自分をさらけ出せる。人間性や人となりが聴こえるはず。

 

オッタビアーノ・クリストーフォリ
イタリア・ウーディネ市出身。2009年日本フィルハーモニー交響楽団に入団。ソロ・トランペット奏者を務める。中川率いる「侍ブラス」のメンバー。
宮本 貴奈
茨城県結城市出身。アメリカ・バークリー音楽大学卒業後、ジャズピアニスト、作曲家として幅広く活躍。全米エドマンジャズピアノ大会優賞。国立音楽大学ジャズ専修講師。

曲目
「管弦楽組曲 第3番 から アリア」バッハ:作曲
「歌劇「運命の力」序曲」ヴェルディ:作曲、ニール・ベネット:編曲
「ファンダンゴ」ジョゼフ・トゥリン:作曲
現代アメリカの作曲家ジョゼフ・トゥリンが、メキシコの吹奏楽団のため2000年に作曲。スペイン発祥の舞踊ファンダンゴのリズムとメロディーが引用されている。
「シークレット・ゲート」中川英二郎:作曲
2007
年自身のアルバム制作のために作曲。扉を開くような曲想から後に名がつけられた。ジャズセッションのような即興演奏や楽器同士の掛け合いが聴きどころ。
「トライセンス」中川英二郎:作曲
トライ(3つの)センス(感覚)の名の通り3部で構成され演奏技術の粋を尽くした作品。
アンコール「チャールダーシュ」モンティ:作曲

 

🎵 中川さんにしろ、宮本さんにしろ、もう体の芯からジャズのリズムが組み込まれているという感じ。
 トランペットのオッタビアーノ・クリストーフォリと3人のバッハの「アリア」、ヴェルディの「運命の力 序曲」、トゥリアンの「ファンダンゴ」、これはメキシコの吹奏楽団のために作曲されている。ファンダンゴはスペイン発祥の舞踏らしい。こうしてみると何回か聴いていても聴き落し見落としが多々。
 中川の「シークレットゲート」、2007年作曲。扉を開くような曲想からのジャズセッション。トロンボーンというとヘッドライトとテールランプの都会の夜を連想しがちだけれども、この曲、次つぎと新たな扉が開かれ、俺はこう行くよ。各部屋をあるときは確かめ、ある時には興味薄に、ある時にはそこに存在する者に相槌を打ち、そしてまた都会にあり得るありとあらゆる形態を扉の向こうに探すという連続性を勝手に連想してしまった。同じく中川の「トライセンス」、出だしが中世ののどかで幾分雅な感じがして、もしやここからバロック、古典と時代をくだっていくのかと早合点したが、次第に広い景観がつたわってきた。殊にもピアノが民俗色を打ち出したときには、この曲のおもしろさがすこしわかりかけた。わかろうが分かるまいが聴かせてしまう演奏の巧みさ。組曲のような感じも受けて聞き終えた。なにかやわらかく深く醸される音色が作曲者の人間味に通じているかと。宮本のピアノ、ジャズぎっしりの牽引力。アンコールはモンテの「チャールダッシュ」。中川が「みなさんがよく知っている曲です。もし知らない人は隣に聞いてください」と。ジャズ感覚がキュキュとこの曲を引き寄せ、時としてついと別世界にはみ出してはまた歩みよる。おもしろい編曲。

 

🎧名曲アルバム。チャプリン作曲、栗山和樹編曲「ライムライト」。ピアノ漆原啓子、円光寺&東京フィル。
Dsc04247-2

チャプリンは80を超える映画をのこしたが、映画「ライムライト」を最後にアメリカを去り、63歳の時、スイスのレマン湖畔にある町ヴヴェイに移り住む。88歳までここでシナリオや自伝を書く。

⛳けさ、クラシック倶楽部前の別チャンネルの内容は鎬を削る兵器、ミサイルの開発に関してだった。その中で、やったらやり返されるという抑止力となる兵器が必要だというような言い回しには心が冷えた。実際人間関係にあってもそれはある。これ以上は言うな行動するな引っ込め、引っ込まなければ完膚なきまでに痛い目に遭うぞ、はたまたクビだと圧力をかける場合などはそうだろう。何れ兵器開発には心が冷える。冷えたところで、チャンネルを暖かなトロンボーンに合わせることができほっとした。
朝に聴いた曲の話を夜に更新。けっこう醒めてからではあるのだが。
ところで、大谷翔平はもうそちこちの記事、ブログなどに真っ盛りと咲き輝いているかと思う。何か大谷が躍進すればするほど、信じられない、この岩手からという思いになるのはなぜなのか。岩手出身の偉人は宮澤賢治や石川啄木、原敬、田中館愛橘、新渡戸稲造……と昔の人ばかりと思っていたけれども、本当にほんとうにすごい人が今現在活躍中! 実際にはまだまだ私が認識が浅いだけであって、様々な分野でもいそうなのだけれども。
20時35分更新

 

| | コメント (0)

211118クラシッククラブを聴く マテュー・デュフォー フルート・リサイタル

20歳でトゥールーズ・キャピタル管の首席就任、以降各地の名門オケの首席を歴任。2015年にはベルリン・フィルの首席に。ソロでも活躍するデュフォーの美音は必聴!【収録】2019年7月30日 武蔵野市民文化会館(東京都武蔵野市)

 

Dsc04162-2 Dsc04153-2

マテュー・デュフォー(フルート):1972年パリ生まれ。8歳から本格的に始める。現在ベルリン・オーケストラ首席奏者。
浦壁信二(ピアノ):1969年生まれ。都立芸術高校、パリ国立高等音楽院に学ぶ。国内外の演奏家と共演。洗足学園音楽大学客員教授。

マテュー・デュフォーのコメント
器楽の演奏家はみな「歌うような演奏」を目指しています。「声」をイメージして演奏するのです。声は何も介さずに自己表現ができる最も原始的な「楽器」です。フルートは「声」にいちばん近い楽器です。息と音が直接結びついています。歌口に(リードのような)物理的な抵抗がなく、直接息が入る唯一のクラシック楽器なのです。だから私はフルートに歌いかけるように演奏します。とても親密な関係です。息と戯れている感覚です。
 今回のプログラムは私にもピアニストにとっても難曲ぞろいですが、心を豊かにしてくれる作品ばかりです。やや暗く物悲しいプログラムですが、その気持ちを共有し会場と一つになりたい、そう願って組みました。
 美しい音とはポジティブな感情もネガティブな感情も含めての音です。ただ綺麗なものは飽きられます。人生と同じように音も変化や柔軟性があってこそ輝くのです。感情を音に乗せることが大切だと思います。
 私が音楽を通して目指すのは、「分かち合い」です。音楽で物語を語りメッセージを伝える。それさえできれば私は満足です。人の心に響く演奏をすることが私のしあわせなのです。

 

【曲目】
フルート・ソナタ  プーランク
フルートとピアノのためのソナチネ op.76  ミヨー
フルート・ソナタ ホ短調「ウンディーネ」op.167  ライネッケ

🎵 3人の作曲家による、それぞれの色合いをもったフルートの音。「ウンディーネ」、水の精を歌うフルート。時として陰影も伴う奥行きのあるフルートにピアノがけっこうドラマを付加してくれる。水の面をすべり揺らぐものがしだいに森の木立のかしこにあすをかなしく希望をさがしめぐるという感じが。悲しく呼ぶような、はたまたそれが木漏れ日に慰められてでもいるような魂のひとり歩き。第2楽章でアクティブに。いいじゃないの、これで、けっこうこれも愉快愉快と聴こえてからは解放されたような伸びやかさ。次楽章、それこそ、こうか、ああかと歌うような。終章、追いかけるのはピアノかフルートか、フルートかピアノかと華麗に勢いづく先の静けさ。

🎧名曲アルバムは三木露風作詞、山田耕筰作曲、和田薫編曲「赤とんぼ」
テノール錦織健、現田&東京フィル。
Dsc04189-2
露風は北海道で教職にあった32歳のときに、窓の外のトンボを見て幼少のときを思い出してこの詞を書いたという。13歳のとき、すでに赤とんぼへの思いを句にのこしているという。

 

⛳この番組の前の時間帯、別チャンネル番組だけれども。音楽とは関係ない、と一旦書きながら、決して関係なくはないと思い直す。これ以上の環境の悪化、温暖化による災害の頻発、いよいよ深まる被害の深刻さによっては、文化というよりは暮らし全般が大きく影響をうけることになる。COP20では数値目標が決まっただけで、それではどのようにして達成するかの具体的な方策は何もか、ほとんどか、決まっているわけではないという。これでは削減数値目標が達成されるわけはないのでは。今に生きる怖さが身に迫る。

Dsc04141-2

14時19分更新

| | コメント (0)

211117 クラシッククラブを聴く エマニュエル・パユ フルート・リサイタル

89年神戸国際フルート・コン優勝以来、鮮やかな技術と流麗な音楽性で人気を博してきたパユ。今回はドイツ・バロックのテレマンと現代作品を交互に組んだ意欲的な公演。【収録】2019年12月2日 東京オペラシティ コンサートホールで収録番組紹介よりー

Dsc04102-2 Dsc04115-2

エマニュエル・パユのコメント
今回のプログラムでは古典の曲と現代の曲を組み合わせてみました。古典と現代を交互に演奏することで、フルートの曲が時代を超えて作られてきたことがわかります。スピリチュアルな目的や舞踏のため、それを聴き取ることができるのです。テレマンとオネゲルやヴァレーズとの対比は聴衆にとっても興味深いはずです。いわば作曲家たちによる対話です。あなたの音楽の聴き方にも変化をもたらすでしょう。私にとって舞台にあがることは大道芸をすることとは違います。徹底的に集中します。ソロ演奏のときはなおさらです。音符の一つ一つに私の息と心を吹き込まなければ音楽は生まれません。責任は重大です。ですから演奏会は常に真剣勝負です。全身全霊を注ぎます。しかし音楽が楽しく踊り飛び跳ねていたら私の心も踊ります。その喜びが私の演奏を通じて皆さんに伝われば嬉しいです。

曲目
「無伴奏フルートのための幻想曲 第1番」「比重21.5(ヴァレーズ)
「無伴奏フルートのための幻想曲 第10番」「スクリーヴォ・イン・ヴェント」(カーター)
「無伴奏フルートのための幻想曲 第5番」「めやぎの踊り」(オネゲル)
「無伴奏フルートのための幻想曲 第6番」「ソナタ・アパッショナータ」(カークエーレル)
「無伴奏フルートのための幻想曲 第7番」

 

🎵テレマンの第1番の次に「比重21.5」(ヴァレーズ)、この次にテレマン第10番といった以上のような配列。「比重21.5」はプラチナの比重。尺八の節回しも感じられ、尺八の音域の事はわからないが、このような現代曲を尺八でやってみたら面白かろうと。「スクリーヴォ・イン・ヴェント」は「風に書く」の意。風がざわつく叢林に明滅させる光の屈折を写実的にとらえている感じが。異次元に足を掛けたかなと。「ソナタ・アパッショナータ」のカークェーレルトって、と思ったところに、ドイツの作曲家でありオルガニスと。この曲は1917年第一次世界大戦で知り合った友のために作られた曲と当意即妙な字幕解説。曲の終わりは「無伴奏フルートのための幻想曲 第7番」で、フルートの音が遠ざかっていくかに演奏しながらパユがステージの袖にすがたを消す。全曲無伴奏演奏という実力。ベルリン・フィルの首席であってみれば、当たり前といえばあたりまえなのだが、知見によるプログラム編成、音の質の高さに心地よさを。無伴奏フルートのための幻想曲は第10番がいちばんよかったが、この10番を次のベースに入れたことで、テレマンはこんなにいいものだよ、だから続けて最後まで聴きなさいというパユのお勧めが。

 

🎧名曲アルバム。ショパン「マズルカ イ短調 作品174」。ピアノ大崎結真
Dsc04136-2

1824年、ショパンはワルシャワからシャファルニア村を訪れる。8歳で神童と呼ばれ貴族の間で有名になっていたショパンを村の有力者が招待。ショパンは滞在中に行われたこの地の祭りでこの地特有のマズルカに出会う。その音楽から着想したのがこの曲。

⛳22時28分更新

そういえば昨夜であったか、反田恭平さんのショパンコンクール2位、たしか内田光子さんも2位だったかと。それはともかく、この上位に食い込むための戦略が明かされていた。コンクールをつぶさに研究、満を持しての挑戦だったようだ。それとこのコンクールにしのぎを削るのが楽器メーカー。ピアノ製作業者の熾烈なたたかい。ファツィオリで初の優勝者、反田さんはスタインウェイ。わが社のピアノを、わが社のピアノで、この熱い熱い切実なおもいが。安堵の旨酒を汲んでいたのはあれはYAMAHAの方々であったか。

 

| | コメント (0)

211116 クラシッククラブを聴く ルシエンヌのトランペット

 空にはまったく関心がないという方もいらっしゃることは重々承知で、けさの朝焼けの美しさを。やがてはやがては転ばぬようにと路面を見ながら歩かなければならない日もくる。こうして頭をあげて空と顔を合わせられるうちに。
Dsc04085

      ☆  ☆  ☆

 けさのクラシック倶楽部はルシエンヌのトランペット。もう4,5回見たような気も。これが何度でも視覚に耐えるルシエンヌ。インタビュー場面はまるで映画のなかの一コマのよう。
Dsc04036-2 Dsc04034-2

(トランペット)ルシエンヌ・ルノダン・ヴァリ、(ピアノ)沢木 良子
秩父ミューズパーク音楽堂

ルシエンヌ:1999年フランス生まれのトランペット奏者。パリ国立高等音楽院でクラシックとジャズを同時に学ぶ。18歳でワーナー・クラシックスと専属契約。辻井伸行との共演は記憶に新しい。先ずはすべて耳から覚え、後で楽譜で確認する練習方法を取っている。

 ルシエンヌのコメント
トランペット、授業で知ってすぐに気に入りました。自分の息が音になるところや、楽器の構え方とか……唇をうまく使えば人それぞれいろんな音色が出せる。それにどんなスタイルの曲も演奏できる。私はすぐに夢中になって世界中の曲を拭いてみたいと思った。クラシックもジャズも歌も何でも。
クラシックとジャズはバイリンガルのようなもの。私の演奏は自然体でいつも楽しんでいます。どんな作品だろうと、そこに音楽を感じるんです。頭で考えるのではなくて、自分の中から出てくるの。はだしで演奏するのは音楽を感じられるから。バイブレーションを感じるし、動いたり踊ったりしやすいの。自由な空間が欲しいんです。クラシックとジャズを行ったり来たりするのが好き。今朝の目覚めはクラシックで明日はジャズ。好きに選ぶことができるし、二つの音楽なしには生きられません。どちらも大事なんです。まだまだ上手になりたいし、常に学ぶことが大事です。いつも旅をしていたいとも思います。とにかく音楽をやっていきたいですね。素敵なホールで録音やコンサートを。そして常に楽しみたいんです。

曲目

☆「亡き王女のためのパヴァーヌ」ラヴェル:作曲
「スペインの七つの民謡」ファリャ:作曲
「組曲「動物の謝肉祭」から「白鳥」」サン・サーンス:作曲
「ロシアの踊り」オスカー・ベーメ:作曲
「オブリヴィオン」ピアソラ:作曲
「ウィーン風小行進曲」クライスラー:作曲
「愛の悲しみ」クライスラー:作曲
「スカルラッティの主題による変奏曲」マルセル・ビッチ:作曲
「ウォーキング・イン・ジ・エアー」ハワード・ブレイク:作曲
「虹の彼方に」アーレン:作曲

🎵やわらかく優しく、夢見るトランペットの響き。こうしてみると、裸足でステージに出てきたときの驚きはいずこへか消えて、自分の意識はすっかり受容してしまっている。まるで孫を受容しているような心持が。

🎧名曲アルバム。バッハ「無伴奏チェロ組曲第一番プレリュード サラバンド」。チェロ横坂源。

Dsc04058-2

 ケーテン、バッハが32歳から5年半を過ごした人口3000人の町。バッハは宮廷楽長として活躍。芸術を盛んにと願うレオポルド侯がバッハを受け入れた。今でもこの町にはバッハが現れ、バッハの解説をしている。この曲も宮廷の「鏡の間」で、やはりレオポルド侯の前で披露されている。

⛳19時42分更新

 

| | コメント (0)

211115 クラシック倶楽部を聴く ファブリス・ミリシェー トロンボーン・リサイタル

圧倒的なテクニックと豊かな表現力で「若きレジェンド」と賞賛される演奏家、ファブリス・ミリシェー。ピアノの中川賢一とのデュオでトロンボーンの妙技を聴く。

Dsc04001-2 Dsc03993-2  

ファブリス・ミリシェーのコメント(途中から)
14歳のときジャズをやりたくなって、「それならトロンボーンだ!」と。チェロ科と並行してトロンボーンを選択しました。聴いていただければ明らかなのですが、トロンボーンの魅力はまろやかで暖かい音色とその多彩な響きです。繊細で小さな音から力強い音まで幅広い響きで空間を彩ります。私の感性にはトロンボーンがいちばん合っているようです。金管楽器の中のトロンボーンは、弦楽器の中のチェロと立場が似ていますし、響きも音色もいちばん私に合っています。音楽を楽しみ共有することは、どの楽器でも不変の喜びです。技術は必要ですが、音楽のすばらしさ分かち合うことが一番大切なのです。

(トロンボーン)ファブリス・ミリシェー、(ピアノ)中川賢一
武蔵野市民文化会館 小ホール 

曲目
☆「トロンボーン・ソナタ「大天使ガブリエルの嘆き」」シュレック:作曲
「室内カプリッチョ 作品35」クロール:作曲
「トロンボーンとピアノのためのバラード」マルタン:作曲
「交響的小品 作品88」ギルマン:作曲
「ゴールデン・スランバー」レノン&マッカートニー:作曲、武満徹:編曲
(ピアノ)中川賢一
6つの演奏会用小品「ホフマニアーダ」から」グラドキフ:作曲

🎵けさは、リラックスして耳を傾ける。ジャズがやりたくなり、チェロ+トロンボーンとなったらしい。グラドキフの「6つの演奏会用小品」を傾聴。中川賢一のピアノがけさは新鮮に聴こえた。

 
 ミリシェーが、オンライン・マスタークラスについて語っているが、放送とはまた別にちょっと転載してみる。日本にいながら彼の講義を受けられるかもしれない。
「長い間、いつかは始めたいと思っていましたが、はじめは良い方法が見つかりませんでした。リアルタイムのオンライン動画通信でレッスンをしている人もいましたが、それが上手くいくとは思えませんでした。
一つ目の問題は時差です。例えば日本とは8時間の時差があります。生徒が10時にレッスンを受けたいとしたら、フランスにいる私は夜中の2時です。時差のせいでレッスン時間を決めるのがとても難しいのです。二つ目は音のクオリティです。インターネットの状況に左右され音がよく聞き取れない場合があります。三つ目は言葉の問題です。私は英語、フランス語、ドイツ語でレッスンをすることができますが、誰もがこれらの言語に堪能なわけではありません。
こうして、私は「生徒が自分の動画を送り、私がコメントをつけて送り返す」という方法を選びました。
まず生徒が自分の演奏をビデオに撮って私に送ります。例えば、今ギルマンを練習しているとします。彼は自分のビデオカメラでギルマンを演奏しているところを撮影します。それは、一人でもピアニストと一緒でもどちらでも構いません。
その後、受けとったビデオを見ながら私がレッスンをします。本人の演奏動画を流しながら、直すべきこと、もっとこうすべきだと思う箇所で一時停止をし、私がアドバイスをしているところを撮影します。
オンライン・マスタークラスならば、リアルタイムのオンライン動画通信による先ほど述べた3つの問題点は解決できます。また、一時停止もできますので、生徒は理解できるまで何度も聴くことができます。外国語が苦手な学生には特に重要ですね。」

🎧名曲アルバムは、ヴィドール「トッカータ」。オルガン新山恵理
Dsc04019-2 Dsc04022-2 Dsc04023-2 Dsc04026-2
ヴィドールが活躍の場を求めてリヨンからフランスに出た、その当時、オルガンは改良が進み、色彩豊かな音色が響きが加わっていったという。
ヴィドールというと、あの大オルガン、サン・シュルピス教会の壮麗、荘厳、重厚、典雅なあの大オルガンが彼と共に浮かぶ。64年もの間、90歳まで、ヴィトールはこのオルガニストであった。67段ある階段を彼は厭わずにのぼって演奏し続ける。願わくはあと3年弾いてほしかった。あと3年、93歳まで弾けば、ちょうど階段の数と弾き続けた年限が一致する。これはどうでもいいような私的な願いなのだけれども。「この階段の上で待つオルガンを思えば、階段上りも辛くない」と彼はいっていたという。

⛳紅葉の鮮やかさが日々にくすんできている。外の景色が、世間の、世界のさまがどうであれ、音楽は、音の響く領域に、独立国家、独立大気圏を作ってくれる。いまのところこの領域に侵攻してくる〝敵〟がないのは、何と幸せなことだろうか。
9時40分更新

そういえば昨夜のクラシック音楽館、九州交響楽団、滅多に聴くことはないという思いにつられて、ついつい、22時以降の番組はついつい観てしまう聴いてしまうものに分類されているが、ついつい聴いて、聴かせられてしまった。指揮の田中祐子さんのカッコよさ。これで、音造りのときにはけっこうきついのかもなどと思いながら、メリハリの小気味よさをうっとりと。九響とは「崩れる寸前のスリルを味わえる」とのたもうた。ベルリオーズ、序曲「ローマの謝肉祭」。ピアノの金子三勇士さんも出演。ググると何でも、知識的なことは大方は出てくる。ベルリオーズの「幻想交響曲作品14」田中さんが愛と屈折、挫折、怨念を語って真に迫る。と、音楽の聴きすぎ観すぎ。こんなに音の快楽ばかりを追っていていいものか。九響のコンマスの方であったか、「チープだけど『思い』というのは密接な方がいい」と。「このチープだけど」という形容が、一旦貼り付けて、取り忘れた絆創膏のようにのこった、といったらこの形容は叱られるだろうか。

と書くうちにときは進んで9時56分更新

| | コメント (0)

きょうのことば 『確かな希望に生きる』

インマヌエル盛岡キリスト教会2021年1107()の礼拝メッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で48年目のご奉仕をしておられます。
Img153_20210801074901
説教題 『確かな希望に生きる』昇天者記念礼拝(國光勝美 牧師)
聖書朗読 ペテロ第一の手紙 1章21節

あなたがたは、キリストを死者の中からよみがえらせて栄光を与えられた神を、キリストによって信じる者です。ですから、あなたがたの信仰と希望は神にかかっています。

 きょうは、この教会が48年前にこの地に開拓されてより、教会の会員として天に召された方々のご遺影を拝見しながら故人を偲びました。

<ショートメッセージ> 

 11月に入りまして第一回目の聖日、きょうは、昇天者記念礼拝でございます。
 きょうは短い時間となりますが、メッセージをお取次ぎいたします。
先ほどお読みしました聖書のおことばを、いろいろなものを取り払って何が中心にのこるかというときに、
あなた方は神を信じる者です
 では、私たちはどういう神様を信じているのでしょうか。世の中には、神と称するものが、また私たちの概念の中にいろいろな要素が混然としているかもしれませんが、ここでいっているあなた方は神を信じる者だというとき、この神様とは、

キリストを死者の中からよみがえらせて栄光を与えられた神を、キリストによって信じる者です。

20211107-155049

 私たちが信じている神様は、イエス様を死からよみがえらせてくださった神さまであります。このお方を信じているものです。十字架にお架かりになられた、そして私たちの罪を一身にその身に負われて、「こと終わりぬ」といって、私たちの身代わりをことごとく完全に成し遂げてくださったお方が、その墓に入られたあと、父なる神様によって復活されて天にお帰りになったというこの神様を私たちは信じているのであります。

ですから、あなたがたの信仰と希望は神にかかっています。

 希望の確信、それは、このキリストを死者の中からよみがえらせてくださって、天に座させてくださった栄光の神様を、私たちは、きょう信じている者たちであります。



   ☆  ☆  ☆

Dsc00348

 この後で、特に今年の9月に天に召されたT兄を偲ぶために多くの時が割かれました。
T兄はこの教会が開拓された当時、熱心に路傍伝道に加わられた方の甥にあたる方でした。その時、T兄のお母さんが某病院で重篤にあり、「天国に行けるんだよ」と看取られたとき、その安らかな様子にご自分も信仰に歩まれた方で、人生の紆余曲折を辿られ、最期には主のもとに帰還された方でした。

 

※音声データ、画像は教会からお借りしています。写真は筆者個人のアルバムからです。
⏰6時54分更新


| | コメント (0)

クラシック倶楽部の聞き逃し&J-MERO

奇妙なタイトルのページになってしまったけれども。

きのう12日のクラシック倶楽部は、その前の晩にクラシック音楽館にアンサンブル金沢が出ていたので、ついつい観てしまった。わたしにとっては遅めの時間帯。モーツァルトの交響曲29番で井上道義の指揮。久方ぶりに聴いた金沢の旋律。よかった。根詰めて聴いて、翌日は案の定の寝坊。目覚ましをセットすると起きる予定ではない家人まで起こしてしまうので目覚ましはかけない。もし先に家人が起きていると、あれ、いつも起きているはずの愚妻が起きて来ないぞ、とTVを点けてみたりもするのだが、この日は何と家の中のすべてが深い眠りにあったようで、はたと気づいた時刻は6時を過ぎていた。この日11月12日金曜日で16回のチャイコフスキーコンクールのセルゲイ・ドガ―ジン。曲目のCD、DVD、これに関してはブルーレイがあったかどうかはリストアップができていないけれども、いずれなぜこの時間帯の音楽にこだわるのか。朝日が昇るとともに、夜明けとともに、その日の放送を聴く、それなのだ。寝坊した日はいったんはガクッとくるけれども、気を取り直して、次は何だっけ。
Dsc03919-2
猫番組でガックリを癒されました。

☆  ☆  ☆

どれどれ今日のJ-MEROは ゲスト超特急 & なかねかな

Dsc03960-2 Dsc03958-2

 写真のお蔵を見てみたところ、先週、ちょっとぼんやり写真になっちゃった、とてもこれじゃ、と載せなかった11月6日の写真ものこっていて、何だか消すのももったいないとアップ。 

Dsc03697-2_20211113070501 Dsc03696-2

 きょうのSNS投稿のきっかけの話など書きたいけれど、一時中断の止むなきことです。

⛳7時8分 更新

 

| | コメント (0)

211112 クラシック倶楽部を聴く 庄司紗矢香&ヴィキンガー・オラフソン デュオ・リサイタル

庄司紗矢香&ヴィキンガー・オラフソン デュオ・リサイタル

世界的バイオリニスト庄司紗矢香とアイスランドの精鋭ピアニスト、オラフソンバッハとブラームスの名曲を現代屈指の実力派二人が全力で奏でる!注目の2020年浜松公演 バイオリン・ソナタ ヘ短調 BWV1018(バッハ)、バイオリン・ソナタ 第2番 イ長調作品100(ブラームス)、シチリア舞曲(パラディス)2020年12月15日浜松アクトシティ中ホール(静岡県浜松市)―番組紹介よりー

Dsc03881-2 Dsc03889-2 Dsc03893-2_20211112145802

コメント
Q
共演者について
庄司紗矢香2013年のノルウェーの音楽祭で初めて共演をしまして、その後何度かヨーロッパで共演する機会がありました。
ヴィキンガー・オラフソン:初めて共演した時、紗矢香が理想を追求する人だとわかりました。それは演奏するために最も重要なことで、演奏家は作曲家の理想に近づくようにベストを尽くすべきです。紗矢香はどの作品も自分の理想に忠実に演奏しています。
庄司紗矢香:音楽美をとても追及する心、そして音楽の一つひとつの意味を考え、またそこに妥協を許さない音楽的信念を持ったアーティストであるということ、またコミュニケーションに非常に長けたアーティストだと思ってます。それは必ずしもリハーサルで決めたことではなくても、そこに意味を見出すという事に重きを置いてますので、そういう意味で、私の信じるところと重なるかと思います。
Q2020
年コロナ禍での音楽活動
庄司紗矢香:私たち音楽家というのは、お医者さんのように治療したり守ったりできないですけど、音楽を届けてお互いに支えていく、そして心をつないでいくことができるのではないかと思っています。夏すこしヨーロパでも演奏会が復活した時期がありまして、演奏会にいらした方たちに生きていてよかったとコメントをいただくことが増えまして、そうしたときにやはり音楽の大切さというのがほとんど初めて実感できたというか、音楽をやっていてよかったと思えたときでもありました。
ヴィキンガー・オラフソン:ベルリンで演奏した1030日に発表がありました。感染症拡大防止のためドイツ国内での演奏が無期限で中止となったのです。その日コンツェルトハウスでモーツァルトの協奏曲を演奏しました。演奏会が終わっても聴衆はホールを出ようとせず拍手をし続けていました。美しくも悲しい光景でした。音楽を聴く機会が再び戻ってくるか誰にも分からないのですから。しかし同時に音楽は人々にとって大切な存在だとわかり、楽観的な気持ちになりました。新型コロナウィルスが収束した後も音楽と芸術は欠くことができない存在だと信じていきたいです。

曲目
ヴァイオリン・ソナタ 第5番 ヘ短調 BWV1018  J.S.バッハ
バッハがケーテン宮廷楽長を務めていた1720年前後に作曲された6つのチェンバロとバイオリンのためのソナタ。今回ピアノとバイオリンで演奏される第5番は4つの楽章すべてが短調で作曲された名作。
尚、今回の公演で庄司紗矢香は脚の不調のため座って演奏した。
ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ長調 Op.100 ブラームス
 ブラームスが完成させたバイオリン・ソナタは3曲あるが、第2番は1886年夏、スイスのトゥーン湖で作曲された。第一楽章には「早く来い」「調べのように私を」という歌曲の旋律が引用されたバイオリンの名曲。
アンコール シチリア舞曲 パラディス

 🎵庄司さん、このリサイタルのとき、足を痛め、椅子に座っての演奏、その後、治ったかしらと気になっていたけれども。やはり立奏の方が会心の音を紡ぎ出せるのではとの老婆心。
 庄司さんのバイオリンは「ストラディバリウス レカミエ」。これは上野製薬株式会社より貸与された1729年製ストラディヴァリウス だ。製薬会社、どう転んでも、というより人体有害薬を誤って出さない限りは、未来永劫安泰企業とも見えるけれども。何れそんなわけで社会貢献、文化貢献もこんなところでできているということか。絶世の美女レカミエ夫人についてはこちら

🎧名曲アルバムはポンセ「小さな星」。ピアノ加羽沢美濃、チェロ江口心一

Dsc03906-2

ポンセはサンディエゴ教会の聖歌隊に入り、16歳で正オルガニストに。

⛳11月11日分のクラシック倶楽部をきょう更新。15時07分。


 

 

 



| | コメント (0)

211110 クラシッククラブを聴く 米元響子 バイオリン・リサイタル

1997年パガニーニ国際コンで史上最年少13歳で入賞後、2001年日本音楽コン第1位、モスクワ・パガニーニ国際コンで優勝。現在、オランダで後進の指導にもあたる。演奏】米元響子(バイオリン)大須賀恵里(ピアノ)【曲目】バイオリン・ソナタK.296(モーツァルト)バイオリン・ソナタ(ドビュッシー)ワルツ形式の練習曲による奇想曲(サン・サーンス/イザイ)ほか【収録】2021年2月3日 ハクジュホールー番組紹介よりー

Dsc03832-2 Dsc03834-2

 

 

大須賀恵理:国内外で著名な演奏家と共演。教育者としても活躍。米元響子も幼いころから指導を受ける。

コメント
Q大須賀恵理について
米元響子:とっても明るくて優しい先生です。私はワルツの曲を一緒に演奏したんですけれども、そのときにワルツのスィングがとても特徴があって、私はそれでとても弾きやすかった覚えがあります。
Q再びの共演について
米元響子:やはり昔は何というんでしょうか、きょう演奏するようなソナタだったりというのは、まだ知らない時だったので、今回、ソナタを一緒に作り上げていく音楽をプログラムを組み立てる時点から一緒にお話合いできるのが嬉しい、時が経ったなあと実感しました。

曲目
バイオリン・ソナタK.296(モーツァルト)
1778
年母親と訪れたマンハイムで書き上げる。宿を提供した家の娘でピアノの生徒のテレーゼ・ピエロンに献呈されている。
この曲は出発前の3月11日に、世話になったマンハイム宮廷顧問官ゼラリウスの養女ピエロン嬢のために書かれた。
転載:美しいマンハイムの少女のための曲は、挿入された緩徐楽章アンダンテ・ソステヌートのなかに、ヨーハン・クリスティアーンへの最も強い回想を含んでいる。 それは器楽のアリエッタで、その主題と伴奏の仕方はほとんどそっくりロンドンの楽匠のアリア(『甘いそよ風』Dolci aurette)から取られている。
バイオリン・ソナタ(ドビュッシー)
バイオリンの名手ガストン・ブーレの助言を得て書き上げた晩年の傑作。この曲の初演が、ドビュッシーが公の前に姿を現した最後の機会となった。
ワルツ形式の練習曲による奇想曲 作品52 第6(サン・サーンス/イザイ)
高度な技巧を要する華麗なワルツはバイオリン曲としても人気を集めている。
アンコール 子どもの夢(イザイ)
アンコール 愛の悲しみ(クライスラー)

 

🎵はじめのうちは、これはピアノのリサイタルだったかなと、気持ちが追いつかないような思いでピアノの方に気を取られてしまったけれども。モーツァルトが父のレオポルドがいかに怒ろうともマンハイムを動きたくなかった理由に思いが。2曲目、ドビュシーにさまざまな陰影ある風景。3曲目、息をのむハイテク。クライスラーをいちばん自然な気持ちで受け取った。

🎧名曲アルバム。メンデルスゾーン「スコットランド協奏曲」。円光寺&東京フィル。
ドイツ生まれのメンデルスゾーンは20歳の時にエジンバラを訪れる。

Dsc03862-2

ホリールードハウス宮殿。16世紀、メアリー・スチュアートが女王として即位。彼女の秘書リッツィオとの間を嫉妬した夫のダーンリー卿が、メアリーの面前でリッツィオを殺害。メアリーは23歳だったという。宮殿の廃墟となった教会を目にし、この悲劇を知って、メンデルスゾーンはこの作曲を思い立つ。ドラマティック、悲しみが寄せるような美しさが

⛳先ほど虹が立っていた。不鮮明な写真だけれども。
Dsc03870

15時43分更新

 

 

| | コメント (0)

211109 クラシッククラブを聴く エマニュエル・チェクナヴォリアン バイオリン・リサイタル

1995年生まれ。7歳でオーケストラとデビューを果たす。2015年シベリウス国際コンで第2位を受賞。ゲヴァントハウス管やサンクトペテルブルク・フィルなど共演多数。【演奏】エマニュエル・チェクナヴォリアン(バイオリン)マリオ・ヘリング(ピアノ)【収録】2019年12月1日 ハクジュホール で収録番組紹介よりー

Dsc03784-2 Dsc03789-2

チェクナヴォリアンのコメント
ウィーンには日本の芸術家がたくさんいて、日本はまったく知らない国ではありませんでした。アルメニアでは父の助手が日本人でしたから、幼い時から日本はとても身近な存在でした。今回は日本で初めてのリサイタルなのでドイツやオーストリアを代表する作品でまとめました。
シューベルトは生粋のウィーン人です。きょうは二人のウィーンの作曲家で締めくくられます。この「華麗なるロンド」はあまりシューベルトらしくない作品です。シューベルトは歌曲、ピアノ・ソナタの作曲家として有名ですが、この曲は全く彼らしくない。ものすごく技巧的で歌曲のようなところもありますが、どこか「悪魔的」です。ピアノもバイオリンも非常に難しい最晩年の作品ですが、最後に突拍子もないものを書いてしまった感じ。演奏可能かどうかを考えずに湧き上がる音楽をそのまま書いたかのようです。でもすばらしい曲です。

曲目
ヴァイオリン・ソナタ 第5番 ヘ長調 Op.24「春」 (ベートーヴェン)
ウィーン風狂想的幻想曲 (クライスラー)
華麗なるロンド ロ短調 D895 (シューベルト)
アンコールは愛の喜び(クライスラー)

エマニュエル・チェクナヴォリアンは指揮者の父とピアニストの母を両親に持つウィーンの音楽一家に生まれ、アルメニアに育つ。2015年シベリウス国際ヴァイオリン・コンクールで第2位及び、ベスト・シベリウス演奏賞を受賞。使用楽器は、ベアーズ国際ヴァイリン協会から貸与された1698年製ストラディヴァリウス。201712月、ソニー・クラシカルからデビューアルバム「SOLO」をリリース。このCDが注目を集め、201810月には新設されたOPUS Klassik賞を錚々たる演奏家とともに受賞。20179月からは、オーストリアのラジオ番組で、毎月1回「Der Klassik-Tjek」というタイトルの自身のラジオ番組のパーソナリティを務めている他、北ドイツ放送、バイエルン放送や独仏共同出資のテレビなどにも出演している。


マリオ・ヘリング(ピアノ)1989年ハノーファー生まれ。いずれもヴァイオリニストの両親は、父がドイツ人、母が日本人である。3歳からピアノを始め、樋口紀美子、ファビオ・ビディーニに学んだのち2009年よりハノーファー国立音楽大学にてカール=ハインツ・ケマリング及びラルス・フォークトへ師事。スタインウェイ国際コンクールやドイツ青少年コンクールで16回の優勝を飾っており、さまざまな奨学賞も獲得。2003年ベルリン交響楽団とベルリンのフィルハーモニーへ登場してオーケストラ・デビュー、大成功を収めた。巨匠パウル・バドゥラ=スコダが絶賛するドイツ若手ピアニストの注目株で、これまでにエルプフィルハーモニー・ハンブルク、コンセルトヘボウ、ウィーン・コンツェルトハウス、ケルン・フィルハーモニー、ベルリン・フィルハーモニー、コンツェルトハウス・ベルリン等世界有数の会場、キッシンゲン夏の音楽祭、ルツェルン音楽祭、スタインウェイ国際フェスティバル等著名な音楽祭へ出演。2012年名匠アレクサンドル・ラザレフの指揮で日本フィルハーモニー交響楽団と初共演を果たす。2016年ノエ・乾とのデュオアルバム、20182枚目のソロアルバムがそれぞれICMA国際クラシック賞にノミネートされ絶賛を博した。2018年難関として知られるリーズ国際ピアノ・コンクールにて第2位及びヤルタ・メニューイン賞受賞。

🎵「春」は「クロイツェル」と並んでよく奏される。深刻さはない明るさ。1801年というとベートーベンはもう聾疾を隠し切れなくなっていた時期で、それでもこの大きな悲しみのさ中に1800年には笑い声を立てているといわれる「七重奏曲」や明朗なと形容される「第一交響曲」が少年の日ののどかさを反映しているという、その一連の作品ということになるだろうか。18001801の作曲というと、ジュリエッタ・ギッチアルディーを恋していた時期。その幸福感も聴こえる。「月光」を彼女に捧げて彼女を不滅化したが、このジュリエッタは、ベートーベンに幸福感も与えたが、ロマン・ロランによると、実は「コケットで幼稚で利己主義であった」という。1803年にはガルレンベルク伯爵と結婚し、ベートーベンをどん底に突き落とした。「月光」の曲を返してと言いたくもなるのだ。この後、ベートーベンは1802年にハイリゲンシュタットの遺書を書いている。偉大な芸術家が作品を捧げた人物はいわば不朽の名声を得た形にもなるのだが、近頃は、誰それが誰それに何々を捧げたと知っても、捧げられた人物を安易にそれに値する人物であったとは思わなくなっている。すべては神に捧げておくのが最善なのかも。
 「ウィーン風狂騒的幻想曲」、何とクライスラー70歳で作曲。出だしは玄妙、あとはゆったりと黄昏時を楽しんでいるような、鼻歌が聞えてきそうなところも。クライスラーはシェークスピア、当時一世を風靡した歌手カルーソーと並んで大いに迎えられた自らの人生に満足であったのでは。「華麗なロンド」をチェクナヴォリアンは「シューベルトの歌曲、ピアノ・ソナタの作曲からは彼らしくない作品であると。突拍子もなく考えもせずに湧きあがるがままに書かれている」とコメント。譜面の上ではいかに破天荒でも。これが言葉で表した場合には難儀なことになることも。アンコールの「愛の喜び」、この曲を当時の人々はどれほどに待ち望んだことか。ふたりのプロフィールはハクジュのコンサート紹介から。自分は70歳まで生きられればと思っていたが、クライスラーは70でこんな作曲をしている。

 

🎧名曲アルバムは、三木露風作詞、山田耕筰作曲、和田薫編曲「赤とんぼ」
テノール錦織健、現田&東京フィル

Dsc03820-2

露風は兵庫県龍野生まれ。代々熊野の城に努め、祖父は寺社奉行。少年期に文学に目覚める。13歳の時赤とんぼへの思いを句に残す。5歳のとき母は弟を連れて実家に戻る。母への思慕、故郷への思いがこの「赤とんぼ」の32歳での作曲、完成となったか。大正10年のこと。

⛳9時24分更新


| | コメント (0)

211108 クラシッククラブを聴く 佐藤俊介 バロック・バイオリン コンサート

オランダを拠点に世界的に活躍するバイオリニスト佐藤俊介。バイオリン音楽の金字塔、バッハの無伴奏ソナタとパルティータ全曲をピリオド楽器で演奏したコンサートから。【出演】バイオリン/佐藤俊介【収録】2018年11月15日 浜離宮朝日ホール(東京都中央区)ー番組紹介よりー

佐藤俊介さん(バロック・バイオリン)
1984
年東京生まれ。2歳からバイオリンを始める。その後家族と共にアメリカに渡り、カーティス音楽院、ジュリアード音楽院で研鑽を積む。近年ではヨーロッパにも活動の場を広げ、20186月からオランダ・バッハ協会の第6代音楽監督を務めている。モダン楽器ピリオド楽器の両方を弾きこなしコンサート活動を行っている。この演奏会では、バロック時代のオランダの製の楽器を使って演奏。

Dsc03711-2 Dsc03708-2

佐藤俊介さんのコメント
Q
オランダ・バッハ協会について
このオランダ・バッハ協会にもおもしろい歴史がありまして、その100年弱存在する団体なんですね。1921年にできたもので、その音楽監督になるまえの5年ほどコンサートマスターとして弾いてたんですけれども、やっぱりその団体の一人であった人が音楽監督になる、今思い返してみるとごく自然なものだったのかなと思いますね。
Q
バロック・バイオリンについて
バロック・バイオリン、ピリオド楽器、弦楽器はガット弦、羊の腸をねじって作る弦です。昔はガット弦、いまはスチールとかナイロンの弦がある。この楽器は大変古いもので1684年だと思うんですが、これもバロック・バイオリンといってもいいのでしょうか。指板がちょっと短かったり、顎あてがなかったり、弓もバロックのもの。やっぱりいい音色です。弾き始めて1年ちょっとしか経っていないんですけれども、とても大らかな木のとてもまろやかな音色であります。
Q
シャコンヌについて
まず最初に気付くのはやはりテンポですよね。やっぱり舞曲であるという事を忘れずに弾きたいという事ですね。そうなると、ひょっとしたら一般のシャコンヌに比べると速く感じられるかもしれないんですけれど、そういう、ですからシャコンヌという、バッハのシャコンヌというか、もうすこしそれを広くみて、舞曲のシャコンヌというスターティングポイント、出発点があったわけですね。それで、やっぱりテンポがアップするとそれは流れも変わりますし、あと、シャコンヌという巨大な真中、お城みたいな、巨大なものという見方ももちろんできますし、私が知ってるシャコンヌの中でも大変例外的なものもいっぱいあるとおもうんですけれども、色んな色彩が見えてくるというそういうシャコンヌになって欲しいなと思っています。 

【曲目】
無伴奏バイオリン・ソナタ第2番イ短調から第1・第2・第4楽章(バッハ作曲)
 6曲から成る無伴奏バイオリン・ソナタとパルティータはバッハがケーテン宮廷に務  めていた30代の作品とされる。このソナタ第2番の第2楽章に置かれたフーガはポリフォニックな音楽を得意としたバッハの真骨頂。
無伴奏バイオリン・パルティータ第2番ニ短調全曲(バッハ作曲)
 パルティータは舞曲を集めた組曲を意味し、第2番ニ短調5つの曲から成っている。終曲のシャコンヌについてブラームスは「一段の譜表で全世界を描いた曲」と評した。

🎵モダンとは違って、ビンと張った感じの音色ではない。けれども、バロック時代の時間が弾き出されてくる音色にこもっているというか、当時の時間の感覚がひょいと現れて、和みをくれて歩いてくれる、今回は、そんなふうに感じられた。

🎧名曲アルバムはモーツァルト「トルコ行進曲」。ピアノ菊池洋子
Dsc03736-2
ウィーンで最初にカフェを開いたのは、トルコ生まれの商人。1683にオスマントルコとの戦いに勝利したとき、トルコの文化がどっと入ってきたが、カフェもそのうちの一つ。戦後オーストリアも軍楽隊を創設とあるから、ずいぶんと昔。トルコのリズムは異国情緒としてウィーンで流行。戦いから100年後の1783年にモーツァルトはこの曲を作曲している。音楽はいたるところで融合を果たして今に伝えられているものらしい。ウィーンのカフェを見ているうちについついカフェを淹れてしまった。ミルク7割、コーヒー3割でトルコ行進曲の余韻と共に楽しんだ。

⛳9時32分更新

 

 

| | コメント (0)

きょうのことば 『我に来たれ』 

インマヌエル盛岡キリスト教会2021年1031()の礼拝メッセージをお伝えいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で48年目のご奉仕をしておられます。 

☆ ☆  ☆ 

この日は1987年に盛岡教会にお招きしました大橋武雄牧師の説教DVDをズーム配信でお聞きしました。
20211031-152640

説教題 『我に来たれ』  (大橋武雄 牧師)
聖書箇所 新約聖書 マタイの福音書11章28節 

<お話し>
マタイの福音書11章28節
(文語訳)凡て勞する者・重荷を負ふ者、われに來れ、われ汝らを休ません。
(
新改訳2017)すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

これはイエス・キリスト様が仰った有名なおことばであります。よく宣伝カーで教会の集会の案内しますときに語られておりますおことばです。
キリスト教という宗教はいったいどういうものなのか、いろいろな面から申し上げることができます。

 ただいまお読みいたしました聖句から申しますと、キリスト教という宗教は、神様が人間を招いていらっしゃる宗教であるということがいえるのであります。キリスト教以外の世の中の宗教というものは多くの場合に、人間の側が神様を探して歩いている。たとえば安心を与えるところの神様はないであろうか。必ずしも神様という名前は聞いていないかもしれないけれども、いわゆる信仰の対象としてそれを求めている。どうかいいお嫁さんやいいお婿さんを世話してくれる神様はないだろうか。交通事故から守ってくれる神様はいないだろうか。お金がたくさん儲かるような宗教はないだろうか。このように、この世の多くの宗教というものは、人間がご利益がある有名な神様を探して歩いている宗教であります。けれども、キリスト教という宗教は、神様が人間を招いていらっしゃる。

 ただいまお読みしましたところに、「すべて」と書いてある。「すべて」というのは、お年寄りも若い人も、お金持ちも貧しい人も、男の人も女の人も、肌の色の黒い人も黄色い人も白い人も、つまりは全世界の全時代の全人類という意味で、ここに 「すべて」ということばが用いられております。「労する者」というのは、ほかの訳を見ますと、「疲れたるもの」と訳されている。「疲れた」とはどういうことかというと、人生の航路、人生の旅路に疲れている。

 テレビを観ておりましたところが 、甲府かどこかの高校生がマラソンを走っているのを見ました。はじめはみな元気に走っております。ところがだんだん足が重くなってきます。道に座る者も出てくる。途中でいろんなサービスを受け、飲ませてもらったりしますけど、ふらふらです。もうすこしだ! もうすこしだ! と声援されながらゴールインするのを見ておりました。あれは体の方の疲れですね。さらに20キロ30キロ40キロ、50キロ。疲れていきます。

 人間が生涯を送っておりますときに、肉体的な疲労ばかりではなくて精神的な疲れも起こって来る。あとでそういった事例を申し上げてみたいと思いますけども。その人生という旅路に疲れを覚えてきた人が「すべて疲れた人」なのであります。  またそのあとに「重荷を負っている人」、またこれを説明してまいりますけれども、重荷というものはどんなものであるか。人生の旅路で、荷物を担がないで長い道を歩いているのならまだよろしいのですが、重い荷物を負って旅路を歩くのは大変です。

 私は、よく旅行をしますが、そのときに少々重い荷物を持っても、そう重いと感じたことはありませんでしたけれども、近頃は重いなと感じるときがあって、これは重いなというよりも、こっちが齢とったのかなと考えたりもしますが。
 徳川家康という人が申しております。「人の一生というのは重き荷を負うて遠き道を行くがごとし」と。その重みの中にはいろいろなものがありますけれども、一つは日々というものの重荷。そういう重荷を担っているところの者は我に来たれと仰っているのはイエス・キリスト様であります。先ほど申しましたように、これはイエス・キリスト様のおことばです。

 この「我に来たれ」と招かれるお方は、一旦ご自分のもとに問題を持ち込んできたからには、解決することのできるお方であるということを意味している。たとえば病気の人に「どうぞいらっしゃい」といって、「じゃあなたのところに行ったら治りますか?」と尋かれたとき、「治るか治らないかはわかりませんが」ということでは招く資格はない。「どうぞいらっしゃい」といいながら、「ただし、わたしのところではなかなかできませんが」というのでは、招いたところの資格はない。けれどもこのイエス・キリスト様が「我に来たれ」と仰ったということは、これは問題を解決することのできるお方であるということであります。そして「我汝らを休ません」とこうおっしゃって、問題を解決されるのであります。

 さて、このイエス様が「凡て勞する者・重荷を負ふ者、われに來れ、われ汝らを休ません。」と仰った時代はどういう時代であったか。当時、ユダヤの国は、ローマの帝国に征服せられていた。日本も、第二次世界大戦後は被占領国民であった。日本は戦争に負けまして、アメリカ、或いはオーストラリア、英国、こういうような国々が来て日本の街を占領したわけです。日本のあちらこちらの都市が焼き払われてしまった。建物が残っている街は少なくありましたが、当時、私は京都に住んでおりましたが、京都はそういう戦災を受けておりませんでした。占領軍が、大きな旅館とか立派な建物を接収しました。大正天皇のご大典のご大礼、結婚をなさいましたときの記念の建物、ヒノキ造りの立派な建物、私はそこに行ったことがあります。そこにも占領軍はみんな土足で上がる。建物の前にこう書かれている「進駐軍のほか入るべからず」。日本人でありながら、日本人は入ることを許されない。みんな焼けてしまって、焼け残ってる物は持っていかれる。それでも税金はたくさん取られる。家を税金の代わりに納める。或いは土地を税金の代わりに納める。こういう状態でありました。

 このユダヤの国はどういうものであったか。詳しく知ることはできませんけれども、ローマに占領せられておりまして、そしてローマに税金を払っていかなければならないというような状態。ですから彼らは疲れ果てて生きているのがいやになるような状況が起きていたに違いない。そういう状況下でのイエス様のおことばが
「凡て勞する者・重荷を負ふ者、われに來れ、われ汝らを休ません」
このおことばであります。

けれどもこれは今から2000年前のユダヤの国にばかりではなくて、全時代における全世界の人間に書かれたおことばでありまして、今日私ども対しましても同様に、すべて男の人も女の人も、お年寄りも若い人も、或いは知識のある人もない人も、お金のある人もない人も、みんな誰でも疲れた人はと、こういうふうにイエス様は仰る。

人生の旅路に疲れているとはどういうことか。1978年 11月に栃木県議会議員が、経営する会社が経営破綻した翌日に、大井川中洲で一族三代9人で自殺をしたということがあった。明かな自殺はその議員の方と長男の2人のみが焼身自殺で、他の7人は中洲に停めたマイクロバス内で睡眠薬を飲まされた後に絞殺されていたという悲惨な事件があった。あの議員は小学校しか出ていなかった。世の中でいうなら立志伝中の一人であったかもしれない。けれども息子さんの商売の失敗、それに助けを出したことから、だんだんと泥沼にはまるようになりまして、何とか夫妻のためにとお金をかき集めるために血みどろな毎日を送っていたようです。そして自分の嫁がせた娘には生き残るようにいったけれども、お父さんに同情したか、みんな私たちも連れていってくださいということでこういう結末になったと新聞には報じられておりました。

 そういうような実業に携わっている人もそうでありますけれども、またある人は育児ノイローゼ。子育てに自信がなくて、子供を道連れに自殺をする。そういう人たちの人生をみておりますと、子育ての大変なところは僅か3、4年ぐらいしかない。大変さがずっとじゃないんでしょうけれども、その人にとっては、もうそれは何十年もの間辛い人生を歩んできたような疲れを覚えていたに違いない。或いは自分が病気であって、もう治る見込みがないと思われたり。或いはその病人の世話をしている人が、いつまでこれは世話をしたらいいのかわからない。そういうケースがあります。或いは齢とった人の世話、看病のために疲れてしまう。

 私もこの春、半年ばかり入院をしておりました。そして食物が入らないので点滴。長い間何度もやってるので堅くなって注射針が通らない。そこで直に血管を裂いて血管の中に点滴のチューブを入れる。24時間起きることができません。誰かついていなければならない。子供たちが8時間交代でついていた。長男も二男も。勤めから帰ったばかりの三男が夜明けまでついて、病院から勤めに出ることもあった。これが70日続いた。三男は嫌がらず一生懸命やってくれたけれども、体力的に続かなくなってきた。しまいにはもうみんな倒れるかというところまでいった。半年で3人がそうでありますが、もし一人の人が、夫であるか奥さんであるか、お年寄りが子供の面倒をということになると、6年も7年も、しかも治る見込みがないということになりますと、疲れてくる。そういう結果長い間ついているご主人を死なせて自分も死ぬとか、あるいは奥さんを先にやって自分も死ぬとかいうようなことが起きる。自分の病気のために、或いは看護のために疲れてしまったというような人も。そればかりではなくて、深刻な問題も。ご主人がギャンブルでお金を使ってしまった。お金を入れてくれない。埼玉県ではある巡査部長さん、奥さんと離婚、子供を道連れにして自殺してしまった。

 疲れている方々は多くいらっしゃる、その中で、自分の問題をしっかり考える方々がいらっしゃる。たとえば人生とは何ぞや。いったい人間はどこから来てどこにいくのか。何のためにこの地上に生きているのか。

 私はいつも思うんですが。大人の人たちが毎日朝起きて顔を洗って、ご飯を食べて仕事にでかける。そこに行きつくまでには、学校にも一生懸命で、塾通いしたり。自分で行きたくないと思っても行け、行け、あれを習えこれを習えと子どもの時を過ごし、そして進学した。高校へも何のために行ったらいいのか分からないけれども行った。というようなところを通ってまいりまして、あるときになりますと、こんどはその成り行きを問い直す。

 私の息子たちも、朝起きて、勤めて戻ってきて、お風呂に入って、繰り返しまたやって、そのほかにもいろいろあるでしょ。満員電車に揺られ降りてみますとオーバーのボタンが落ちてどこにいったかわからない。人生そんなことでしょうけれども。いったいこのことを何でしなければならないのか。働くのは食べるため。人間は食べるために働く。人間の本能のために生きてる。

 戦争に負けました時にはみんなどうやって食べるか。ジャガイモを手に入れることができるか、とうもろこしをどうやって手に入れることができるか。サツマイモをどうやって。京都は戦災を受けなかったので、京都の人たちは衣装を持っていた。これを食べるわけにいかない。田舎に持って行ってとうもろこしと交換する。つまるところ、結局人間は食べることのため。学校を出ていいところに就職してたくさん月給をもらって、立派な家を建ててみても、結局は煎じ詰めると食べること。

 犬を飼っています。可愛がっていますけども。自分が餌をたべるときに誰かがそばに寄ると、うーっと。ほかのときならじゃれついてくるのですが、食べるときにはこれを取られはしないかと思って、うー。結局、生き物は食べることのために。家畜であっても。最終的にはみんな食べるためです。だから人間はいったい食べるためにこの世に生まれてきたのかと考えられてくる。他に目的はあるとはいいますけれども、地位を得ても名誉財産を得ても、食べ物がなくちゃどうにもならない。最後は食べること。

 それでは人間は食べることのために生まれてきたのか。食べさえすれば千年も万年も生きていくことができるのか。そうはいかない。みんな天寿を全うしたといっても70か80、或いは長くて100前後と決まってはいない。交通事故、飛行機墜落。こっちが気をつけてもクルマに跳ねられることも。或いは結婚式に行ってご馳走食べてコレラに罹って帰ってこられなかったということもある。これらはざらにあることではないかもしれませんけれども、こういうことがないとは誰もいえない。

 人生とはなんぞや。いったいみんな何のために生きているのか。何のために勉強しなくちゃならない。何のために遊ぶ時間もなく塾通いを。小学生でもそう考える人が出てくる。

 3週間前、神戸で伝道しておりましたが、三日目の講壇に立とうとする直前にニュースで、小学校4年の女の子が首を吊ったと聞きました。ショックでした。授業中に弁当を食べたとか食べないとか。新聞、TVで毎日のようにこのようなことが報道されている。

 人生とはいったい何なのか。旧いはなしではありますけれども、藤村操という一高(東大)の生徒が、「人生不可解」ということばを遺して投身自殺をしたというのでありますが、人生とは何なのか。このような問題を考えて疲れていく人もある。

 また実際に自殺を実行されるというのは氷山の一角であり、新聞記事やニュースになるのはほんの僅かで、それの一歩手前の人が世の中にどれだけあるかわからないのです。そういう人に対してイエス様は、「我に来たれ我汝を休ません」

 ただ単に人生行路に人生の旅に疲れたということばかりではなくて、さらに、重荷を負っている方々がある。人間が心の中に持つ重荷がある。
 一つは人間が心の中に重荷だと感ずるときは、どのような事態を重荷だと感ずるかということ。たとえば育児のことも申しましたけれども、この子どもを育てるにしても、自分が耐えられておる間は重荷ではない。殊に親御さんになられた方はよくお分かりだと思うのです。病気になったりしますと夜も寝ずに看病されたり、私もすこしやったことがあります。昔は洗濯も手でやりました。おむつを洗うところから。子どもが大きいのをしておりましたら若いご主人はびっくりしてしまって鼻をつまんでぶるぶる震えている。わたしは伝道者になりましたから、お母さんがどんな苦労をするかと洗濯もやったんです。初めての子どもですから今から何十年も前のことです。伝道もしなくちゃならないし家事もしなきゃならない。子どもが大きくなってくれたら、健やかに育ってくれたら、育児はちっとも重荷じゃない。希望が持てなくなっていくと、さらにこれ以上は耐えられないとなってくると、同じことをやっていてもそれが重荷となってしまう。これは事業の問題でもそうでしょう。或いは子どもさんの問題でも、希望をもってやっている間は疑問も湧かない。いくらやってもできないなと思うと、どうして、なんで勉強しなくちゃならないの。どうしてテストをしなきゃならないの。重荷になってくる。自分の耐えられるうちは、事業でも勉学でも育児でも重荷にはならない。自分に耐えられなくなってくると、これが重荷になってくる。もう一つは何であるかというと、一生懸命に自分はやっているんだけれども、やってることの意味がわからない。なんでこれやんなくちゃなんない、なんで勉強しなくちゃならない、やってる意味がわからない。どうして人間は生きていかなくちゃならないんだとなる。

 私は18歳になってから、勉強し、就職した成り行きを振り返ってみて、結局は食べるために働いてきたんだなと思った。しかも、ご馳走のためと言うじゃなし、いい家に住んだというわけじゃなし、美しいものを着たというわけじゃない。それでどうして、人生50年とするなら50まで生きてなくちゃいかんのか。当時の私は20歳前でありました。これであと30年同じことを繰り返してかなくちゃならんのかな。ある時は傘を忘れて取りに行ったり。こうしてあと50年生きていかなくちゃならん。これは死んだ方がいいなと思ったのが18のときです。それじゃあっさり死ねるかというと、そうはいかない。そこが問題。

 当時はいまでいえば20歳、昔でいえば21歳といえば当時は徴兵検査を受けて兵隊になる義務がある。甲種、乙種、丙種と判別される。丙種となると兵隊としては使い物にならない。私は兵隊検査の時までに会社の社長になろうと思った。なれるわけがない。けれども若いときはそういう夢を持つ。18歳のとき、広島にいたんですけど、大阪のでいい会社だと思った会社に入った。立派な印刷所のように名刺に書いてあるのだけれども、実際は中継ぎみたいなところ。注文を取るとほかに頼んで印刷をやってもらうのがありますように、その会社も、立派な名前を付けてある。大阪の南区の安堂寺橋といえば、大阪では商店街がならんでいるところ。問屋街がならんでいるところなんです。初めて夜行列車に乗って、列車食堂に入った。ボーイさんに大阪ってどんなとこか尋いた。「駅に着くと円タクが寄ってきますよ」。それぐらいの予備知識は持っておりました。18歳です。タクシーに乗って「この会社に」というと「そんな会社はありませんよ」とぐるぐる回ってる。安堂寺橋4丁目に入って、そのときやっと探し当てたところが、普通の家のようなところにネームプレートが掛っていて入ってみたところが、テーブル三つ、応接セット一つ。出勤してきたのが社長と専務と玄関番の3人。私が4人目。仕事は、きょうはどこから電話がかかってきたか。誰が来たのか、その日記をつける。時々銀行にお使いに行く。そして毎週土曜日になるとお小遣い5円。土曜日になると映画の無料券をくれる。道頓堀に行って映画を観たり。下宿代もない。当時の給料は小卒で一か月10円ぐらいのときです。毎週5円。私は一か月20円。しかし月給がない。両親を養わなくちゃいけない。「社長、月給はいつくれるんですか」と尋くと、「貯金通帳を見ただろう」。残高が5円しかない。つまり給料がでない。これじゃ徴兵検査までに社長になるどころではないんです。それから転々として。これは未信者のときのことですが。

 このようなときには人生がみな重荷になってくる。あるものは死んでしまう。最近起きている自殺がありますが、人生が重荷になってくる。死にたい死にたいと言う人がいますけど、本当は死にたい人はいない。もし生きることができるならば1000年でも2000年でも生きたい。それくらい生きたら、月に行くのにちょっと新幹線でいくような具合になっていて素晴らしいものだろう。けれども現実的には、日本は色々住みにくくなって死を選ぶ。人生の目的があるうちは重荷ではないが、目的なくしてやっていると重荷になってくる。とんとん拍子にいってるときは勉強であれ仕事であれおもしろい。何をやってもおもしろいようなもんだろうと思う。

 私が入院しておりましたとき、隣に入院した人が自動販売機のセールスマンだった。一台売ると10万ぐらいもらったらしい。一か月に何台も売れる。月に百何十万も収入があって恐ろしくなったと彼はいっています。普及してくると買わなくなるから、こんどは貸すんですね。しまいには買うところも借りるところもなくなった。そうなったときに自動車事故で吹っ飛ばされた。入院です。生きる望みがないなんていってるんです。まだ彼は30になってない。隣の私は伝道者ですから聖書を渡してイエス様のお話しをしました。彼は入退院を繰り返してました。私は退院してしまったので会わなくなりました。

 自分のやっていることに意味が分からなくなるもう一つは、自分がやってもやっても、これいつまでやらなくちゃいけないかわからないとなると、これは重荷になってくる。いつまでやったらケリが付くのか。

 昭和18年に満州に行ったことがあった。中国の東北地方に伝道に行ったことがある。そこでは、直径1メートルの大きな臼がある。柄が出ていてロバに引っ張らせる。ロバに目隠しをして。人間だと大変です。首から外してやっても、まだロバは回っている。いつまでやっていいかわからないから重荷になる。人間だっていつまでやったらこれが完成するのかがわからなかったならば、その人は何をやっていてもそれは重荷になってくる。あそこに行けばいいんだというときには重荷にならないけれども。

 私の子どものときに、私の母の田舎である四国に行ったことがあります。いまから60年ぐらい昔の話。今は鉄道やフェリーがある。まだ船が沖の方に留まっていた。浅瀬では伝馬船というのを船頭さんが引っ張る。予定よりは遅れて向こうに上陸したり。ところが、こんどそこから母の里に行くまでに、12キロぐらいある。もう夕方でした。その道をたどっていく。田舎ですから10キロぐらい向こうでも電灯がついているのが見える。その家にたどり着いたとき、ほっとしたことがありますが、向こうに目的があるときには、途中で疲れてきても、もうあそこまでだ、もう少しだと自分で自分を励ますことができますけれども、人生は、あとどれぐらい行けば行きつくのか、どこでおしまいになるのかわからないときには重荷になってくる。いつまでやらなきゃならないかわからない。子育てもそうでしょうし、事業のことでもいつまでやらなくちゃならないかわからないとき、その人には重荷になってくる。

 もう一つは、やってもやっても結果を得られないというときには重荷になる。これをやったらああいう褒賞をもらうことができる。或いは進級することができる。何かがあるときには辛いことでも、もうひと頑張りだ、もうひと頑張りだ。いつまでやっても報いがない、報われないというときには、その人にとって重荷になってくる。内容はさまざま。これは人生のことであるか、治療であるかもしれない。政治の世界であるか、或いは思想の世界のことであるか、芸術の世界か、彫刻でも行き詰まってしまう。よく有名な小説家が自殺するでしょう。芥川、川端、有島、みんな行き詰まる。  

 神様は私ども人間を「我に来たれ」と仰って、イエス様のところにまいりますと、その人に目的のある人生を与えなさる。あなたにはこういう人生がある、こういう目的がある。これを目指してあなたは進んでいる。そして、こういう結果を期待することができる。こういうことを聖書は教え、そして「我に来たれ、我汝らを休ません」と仰っている。イエス・キリストを信じて救われてこそ初めて人間は何のためにこの世に生まれてきたのか。何をするのか、いったいどこに行くのかということがはっきりしてくる。聖書はそれを教えている。そして、聖書はただ教えているというだけではなくて、実際にそういう目的を持って生きていくことができる。すばらしいではありませんか。

 私の手術をいたしましたときに、小腸の中に癒着が起こった。1年間の間に3か所。胆汁が流れなくなり、黄疸になった。昨年の7月の17日に痛みを覚えて検査入院。最終的に流動食。スープが通るようになったのは5月の終わりなんです。それまでほとんど固形物は喉を通ったことがないと思うぐらい。あとは点滴。そのときに、私自身もこんどは再起は不可能だなと思われるところまでいった。あとで聴きましたら医者も勿論再起できると思っていなかったようですし、私の子どもたちも家の者も再起はないと思っていた。喪服の準備をしていた。

 私は、食事が通るすこし前のときから神様に、「癒してください」と祈っていたけれども、癒してくださいというお祈りの中に、ただ癒してもらえばいいというだけであって、私は神様の御心のままに生きるとはお祈りしてなかったなと気づいた。勿論私はなにかこの世の楽しいことをしようとして癒してくださいと祈っていたのではなかった。もし私が癒されたら多くの人が神様は素晴らしいと思ってくれるだろうなと考えていた。けれど、今申しました通り、もう難しくなったとき、私は神様にこういうお祈りをした。

 「神様、もし私に、もうこの地上における使命がないんでありますなら、もう天国にお返しください。けれども、もし私に何か使命がのこっているのならば、もういちど癒してください」とお祈りしたんです。ところがそれから不思議なように食欲が出てきてスープが飲める。茶さじに2杯。ついに癒されて退院。

 退院して初めの神様の御用をさせていただいたのは4月。それから7月は函館、札幌、大湊、下田、松山、沼津、それから2週間、3週間前には金沢、神戸に6日間。というように、日本のあちこちと周りましたけれども、このとき私の心にあることは何かというと、もしまだ使命があるなら癒してくださいとお祈りしたんだけども、私はまだ使命があるんだということ、生きる目的がある。だから、このようにして神様にお頼りするときに、私の場合にはキリスト様を多くの人々に伝えていくという使命がある。そして神様はそうしてくださった。

 皆さん方はどんなに自由をされておっても、その自由がいけないというんじゃない、勉強がいけないというんじゃないけれども、それが何のために勉強して何のために自由をしてるのか。目的ははっきりしている。目的ある人生を送ることができる。

 ただ今私はお証しをさせていただきましたように、不可能なことを可能に変えることができる。それは事業でも同じ。事業に行き詰った。或いは人生の何かに行き詰った、家庭生活に行き詰った、あるいは育児に行き詰った。そういうように行き詰ったときに神様は、特に聖書の中を見るとものの見事に道を開いてくださる。

 その昔、200万人を超えるイスラエルの民がエジプトの軍隊に追われ追い詰められた。先は紅海に遮られる。両方は山に阻まれている。絶体絶命。そのとき、神様は海を二つに分けてこのイスラエルの民を、シナイ半島の方にざーとお渡しなさったということが聖書の中に書かれている。そういう奇蹟的なことは、かなり昔だけじゃなくて今も行われる。神は、人間には不可能である、人間にはできないということに神様の力は働く。不思議なことが行われてくる。ここでは時間の制約があってその幾多の例をお話しできませんが、そのように神様は、目的を明確にし、不可能を可能にして、そういう人生を送らせてくださるお方である。だから、それで

すべて労する者重荷を負う者我に来たれ。我汝らを休ません。

20211031-152545

 重荷のもう一つは何かというと、これは精神的な面の重荷をもってる。それは罪という重荷。人間は誰も人が知らなくても罪というものがその人を責める。法的な罪はもちろんのことです。或いは盗みの罪、殺人の罪であるとか。

 自分が何かしでかした悪いもの、罪をもっておりますと、夜もろくろく眠れない。いろんな悪いことをした人が警察から追われて捕まったときに、ほっとしたということを新聞でよくお読みになるでしょう。みんな誰も知らないと思っているけれども、自分が知っておる。私の友人で聖書を販売して歩いている人がいた。伝道してる。その人が、献身をいたしまして、その人から聞いたのですが、宮崎県のどこかで売り歩いてどこかに泊まった。ところがその夜に、これが50年ぐらい前のことですから、安宿は襖一枚で仕切られてる。隣の人が夜中に「赦してくれ!」と叫んだ。そして私の友人が、朝、共同の洗面所に行くと、うなされていた人が洗面器を並べていた。「夕べうなされていたようですが」と話しかけると顔色がさーと変わった。「何て言いましたか?」。自分の過去をわかられたと思った。「私はリスチャンで聖書を売り歩いている。何か悩みがあったら私に話してください」。尋くと、居酒屋で酒を飲んで相手を殺して逃げていた。全国の炭鉱に潜り込んで隠れ歩いていたけれども。殺した相手の顔が、恨めしそうに倒れていったすがたが目の前に出るんだそうです。それで彼は夜うなされる。北海道から九州まで逃げ回っていた。友人は彼のためにお祈りして「自首しなさい」。自首したところが時効になっていた。

 殺人ばかりではなく、親の金を盗んだり、子どもでもいたずらして、親が帰ってくるとおやつと言って玄関にいつもなら飛び出していくのが、悪いことすると、靴音がしただけで気持ちが暗くなる。人間を暗くし、下向きにさせてしまう。重荷には罪の重荷というものもある。あの罪は誰も知らない、自分だけが知っている、その罪のために悩む。大人であっても、子どもは子どもなりに、お年寄りはお年寄りなりに。

 日本は結果的に戦争に負けました。大陸に渡っていたときに日本人はいろんなことをしておった、そういう人が30年経って、今頃になってああいうことがあった、こういうことがあったと。話して自分はこれですっきりしたということを言ってる方もありますが、そういう罪の重荷、これは人を苦しめるものです。さらにその人を、この地上において苦しめるというばかりでなく、聖書はもし罪がそのままであるならば、よしんばその人がこの地上において自殺をしたりそんなことをしないで生き延びて行って、天寿を全うして仮に死んでいったとしても、聖書は、罪を持っているところの者は来世において必ず罪の裁きを受けなければならない。聖書には
ローマ 6章23節「罪の払う値は死なり」
と書いてある。死ぬということは人間の内なる霊魂と肉体が分離することを肉体的な死という。肉体は土葬か火葬され土になってしまう。霊魂というものは、霊魂の世界がある。この霊魂にいのちがある。誰も突き止めたひとはないでしょうけれども。キリスト教以外の人も、ある宗教では毎年7月になると、霊魂を迎え慰めをするといってご供養したり、慰霊祭をする。それはこの肉体はなくなったけれども、魂がどこかに生きていることを理論的に説明することはできないかもしれないけれども、あるものはお墓の前に行って、事業失敗しました、結婚しました、家庭を持ちましたと報告する。石に向かって。しかしその人は石に向かって言ってるんじゃない。魂がある、そう思うから言ってる。聖書では、その生ける魂が、永遠に苦しんでいかなければならない世界を地獄といっているのです。 

 そして永遠に幸いな生涯、キリストと共にある世界が聖書にある。罪をそのままにしておくと、この地上でさいなまれ苦しい生涯を送るというばかりではなくて来世でも苦しむことになる。けれどイエス・キリスト様は、地上における生活は勿論のこと、来世の生活もちゃっといいところに行かせてやりたい。神はその一人子であるイエス・キリストをこの地上に遣わして人間の罪の身代わりのために死なせてくださった。わかりやすく申しますと、人類は自分で働いて返すことのできない借金したとしますが、イエス・キリストというお方は、お前の借金はぜんぶ払ってやる。これはお前が書いた借用書。私が払ってやったから、結果的に縁もゆかりもない今から2000年前のユダヤのイエスキリストというお方が私の借金を払ってくれるはずがないと思えば、実際に払われておっても、まだ謝金の重荷はなくならない。けれども、はいそうですか、有難うございますと、領収書をそのまま受け取りますならば、その人から負債感なんてものはなくなる。聖書に書かれてある通り、イエス・キリスト様が十字架に架かって死んでくださったということは、あなたの罪の身代わりなんだ。あなたが罪を犯して当然受けなければならない罰というものはイエス様がぜんぶ代わって受けてくださった。そしてあなたには天国というものを約束せられている。信じなさい。イエス様は私の罪の身代わりに死んでくださった。信じるなら、誰でも罪が赦される。「すべて疲れた者重荷を負う者我に来たれ、我汝をやすません」とイエス様は招いていらっしゃる。

 その後の2000年の教会の歴史を見ますと、そのイエス様のことばを信じてから罪を赦されている。もう日本中世界中にこういうような救ってもらった証しをすることができる人が満ちている。きょうもここで、ああ私のためにイエス様が死んでくださった。信じます。きょうまでの生涯が間違いであったことを見前に認めてお詫びをして、イエス様を信じるとお救いに与ることができる。これを悔い改めと信仰という。誰でも修養、努力しなければならない、あるいは聖書をぜんぶ読まなきゃならない。或いはお金を持ってこなきゃならない。というようなことであるならば、誰も救いに与ることはできない。

 けれど、先ほどお証ししましたように、私を導いた牧師さん難しいこと言わなかった。イエス様信じると救われる。そうして私は昭和5年の5月1日に。それまで私は無神論者だった。でも私は罪というものが分かってきたときに、一人でいるのが怖くなってきたときに、イエス様のもとに救われて48年経つのでありますけれども、その喜びを忘れることができない。自分がそうであるばかりではなくして多くの人々に40数年前の恵みを伝えることのできる恵みである。今日、御前に一緒に私は重荷を、負債を負っている者だという自覚をお持ちになりますならば、このイエス様におすがりになって、幸いな生涯にお入りになるようにお勧めしてやまないのです。

※写真、画像、音声データは教会からお借りしています。
⏰6時54分、13,514字更新

 

| | コメント (0)

211105 クラシック倶楽部を聴く リュート奏者つのだたかしと美術家・望月通陽の世界

リルケの小説「マルテの手記」から生まれた美術家・望月通陽の作品。小さな美術館as it is(あるがまま)を訪ね、作品を前にリュート奏者つのだたかしが奏でる音楽とは。 【曲目】涙のパヴァーヌ、運命(ダウランド作曲)、サラバンド(プーランク作曲)月とりんご、雨のミロンガ(つのだたかし作曲)、トッカータ第6番(カプスベルガー作曲)、キリストは生まれたまいぬ(ユーデンキューニヒ作曲)、パバーナ第4番、第6番(ミラン作曲)、そは5月(ダラス作曲)、ぼだい樹の下で(フォーゲルヴァイデ作曲)ほか【収録】2021年3月 美術館as it is(千葉県長南町)

Dsc03582-2 Dsc03565-2  

つのだたかしのコメント
望月は、彼は音楽家じゃないし、僕は物書きでも物つくりでもないので、あまりそこで芸術的な話を戦わすことはなくて、必要がない。できて来たものを「いいね」とお互いに言うような感じですね。これは今回だけじゃなくていつも思うに望月さんの作品というのは、とても音楽的な感じがする。何かこう、こういう静かなホールで彼の絵を見ていると、何かが聴こえるみたいな、それも滔々と流れて来る音楽ではなくて、中に訴えかけてくれるものというか、中に響いてくるというのがすごく幸せな感じはしますね。ですから望月君の作品は、そうした内なる音楽というのを持ってる作家なのかという。たとえばCDを作った場合に、これに何か絵をつけてくれると最初の編集したものを彼に聴いてもらう。そうすると何だかいろいろなものがにょろにょろと出てくるんですよ。魔法のように。
 この場所(美術館as it is)はもう夢の場所。ここで演奏ができるなんて幸せだと思いますね。手触りがあるもの。やっぱりこのすこし雑味があるといいますか、つるつるにしてないところ、壁でも何でも。手触りがあるというのはリュートの中にもあるんです。音に、2本の弦が完璧に1本に聴こえないところがあるんですね。そこがサワッてくる。サワリのある音楽というのは、ちょっとノイズが、いい音に対する感覚というのがちょっと。ヨーロッパの楽器の中に教わってくるものとはちょっと違う。むしろ民族音楽の中にあるサワリ。三味線のサワリとか琵琶のビンビンというそれだけでぞくぞくとするような音がいっぱいあるわけですよね。僕は歌は大好きなんですけど、歌うんじゃなくて喋る。ぼそぼそ喋るんですけど、喋ってるような音楽はいいなあと思う。リュートを弾いて喋る、こんどは音が作りだす、音が鳴ってるから聴こえてくる静けさみたいなとこが心にサワるんですね。

Dsc03571-2 Dsc03589-2Dsc03601-3

 

曲目
サラバンド(プーランク作曲)
月とりんご(つのだたかし作曲)
ファンタジア(作者不詳 16世紀イタリア)
聖母マリアの頌歌から「バラの中のバラ」(アルフォンソ10世編纂 13世紀スペイン)
プロピニャン(作者不詳 15-16世紀 スペイン)
パバーナ第4(ミラン作曲)
運命(ダウランド作曲)
パバーナ第6番(ミラン作曲)
そは5月(ダラス作曲)
ぼだい樹の下で(フォーゲルヴァイデ作曲)
トッカータ第6番(カプスベルガー作曲)
プレアンベル(ノイジドラー作曲)
涙のパヴァーヌ(ダウランド作曲)
ファンタジア(ナルバエス作曲)
こずえのロシニョール(作曲者不詳 17世紀 フランス)
恋のためにすべてを失って(アテニャン編)
雨のミロンガ(つのだたかし作曲)
キリストは生まれたまいぬ(ユーデンキューニヒ作曲)
カナリー(作曲者不詳 17世紀 イギリス)

 

🎵人の思惟を含まない明るく閉ざされたへやに、自分にかたりかけるように鳴るリュート、ウード、ラウダ、バロックギター。混沌から創造化されたばかりに見える望月の作品と相通じるものが感じられる。もしこの美術館の外回りを歩いているときに、この弦の音が聴こえてきたなら、扉を開けてみるよりも、じっと外にたたずんで耳を澄ませるのではないかと。穏やかな内なる時間に再び与ることができたことに感謝!

🎧名曲アルバムはヴィドール作曲「トッカータ」
オルガン新山恵理、

Dsc03667-2

19世紀後半、仏でオルガン音楽が花開いたという。リヨンの教会のオルガニストの息子として生まれたヴィドールは、26歳でサン・シュルピス教会の大オルガンに出会い、以来64年間、このオルガンの67段の階段をのぼり90歳まで演奏し続ける。

Dsc03679-2

⛳5日の分を11月6日のきょう11時24分更新。

| | コメント (0)

211104 クラシッククラブを聴く チェロ奏者・宮田大とギター奏者・大萩康司

 今週はなかなか忙しく、本を読む時間もゼロ。しかし、中性脂肪を撲滅? すべくウォーキングの時間だけは確保。それと毎日曜日にアップしている聖書メッセージが、今回はゲストスピーカーなのだが、これが60分という長さ。60分を文書に起こす時間がどれぐらいかかるかは、これはやってみた方にしかわからない。これも自分が勝手に自分に課しているものなわけだけれども。というわけで、ついついクラシック倶楽部の備忘録が滞ってしまった。いずれ将来頓挫するとしても、やめたくてやめるということはないだろうと思われる。

 

☆ ☆  ☆



114()クラシック倶楽部は、人気のチェロ奏者・宮田大とギター奏者・大萩康司が、本物の飛行機の前で演奏!所沢航空発祥記念館で収録映画「紅の豚」から「マルコとジーナのテーマ」(久石譲)ほか

 

「映画「ロシュフォールの恋人たち」から「キャラバンの到着」」ミシェル・ルグラン:作曲、角田 隆太:編曲
「マルコとジーナのテーマ」久石 譲:作曲、角田 隆太:編曲
「翼」武満 徹:作曲、福田 進一:編曲
(ギターのみ)
「ギターとチェロのためのソナタ」ハダメス・ニャタリ:作曲
「ブエノスアイレスの秋」アストル・ピアソラ:作曲、角田 隆太:編曲
「ブエノスアイレスの冬」アストル・ピアソラ:作曲、角田 隆太:編曲
「天の三羽の美しい鳥」モーリス・ラヴェル:作曲、大萩 康司:編曲
「鳥の歌」カタルーニャ民謡:作曲、パブロ・カザルス:編曲
(チェロのみ)
「オブリヴィオン」アストル・ピアソラ:作曲、つのだ たかし:編曲

🎵所沢航空発祥記念館での収録。新型コロナで記念館が3月いっぱい休館にはいるまえの2月に収録したようだ。航空機とギター&チェロ、その狙いは。先ずは日本初のアンリ・フォルマンの展示を背景に「キャラバンの到着」、到着したキャラバンの期待の興奮とざわめき。これが飛び立つ直前のそれに通じるものがあるのか。大萩は飛行機の動きを想像しての事か、その前に静止して演奏する不思議な感覚を語り、宮田は小6まではパイロットになりたかったと。「マルコとジーナ」でゆうゆうと空を飛ぶ。このお二人、演奏中に顔を合わせることはないが、音と雰囲気で互いを確認し合っているのだなとコメントから類推。武満も空となれば翼で心を解放。物思いも載せて楽曲ヒコーキ。白い機体にオレンジの尾翼、胴体にはびしっと横線もようの856を背景にハダメス・ニャタリ。タンゴのエッセンス詰まる「ブエノスアイレスの秋・冬」この背景もアンリ・フォルマン。いつになく心に沁みる「鳥の歌」。「オブリヴィオン」とは「忘却」を意味するとか。
 音楽家が教会や宮廷に招かれるとそれ相応に能力を、創造意欲をかきたてられるものらしいけれども、こういった設定もまた凡人には及ばない何等かを演奏に付加するものかもしれない。航空機発達の時間空間をギターとチェロの響きで悠々と飛びかけた感じが。
 と、ここまでが前回聴いた感想だが、今回は自分の内でまたさまざまなトッピングが。
「昔ね、YS11 にのったとき、もう揺れて揺れて怖かった。遺書を書いた方がいいかもと思ったって、恐怖でそんな気持ちのゆとりなんか持てないのよね」。つい最近知人からこんなはなしを聞き、それがまだ記憶に新しいうちにまたこの所沢での収録を。戦争となって飛躍的に技術進歩を遂げた航空機。現在の性能のすばらしさは! といっても乗る機会はない。しかし心の翼、これがあることは飛行技術に優るといえるとよいのだが。

 今回は奏者が何々コンで何々などは措いて、といってもこのお二方の経歴を知らない人はいないのだが。とにかく気軽な気持ちで、それが、途中ハダメス・ニャタリの曲から気分をがらりと切り替えてみた。曲を聞きながらダンスの振り付け、それは何も私が独自に考え出したものではないが、すでに作り出されたさまざまなタンゴのパターンを思い描きながら聴いて楽しんだ。作曲者自身の土台が深刻めいたところはなく、自由に駆け抜け滑り行く、先に障害物があってそれを回避するために瞬時模索する、そういった曲の感じなのだ。「ブエノスアイレスの秋、冬」でも、ピアソラ独自のタンゴのエッセンスを醸しながら女性の脚がフロアーにのびやかに弧を描くさまを想像し、楽しさが倍加。宮田、大萩は航空機とコラボし私はその音楽と想像上のダンスと、そして窓外に広がる山々の東雲とレモン入りの紅茶ともコラボ。心行く音楽のひと時。そしてカザルス:編曲の「鳥の歌」、国連本部で演奏された、ピースピースを知らずとも、実にすばらしい演奏。今回は格別に余韻までがまだ胸中にのこる。

※以上は前回聴いた時のブログ記事を転載。実はこの日、起きだしたのが65分。名曲アルバムも終わってしまっており、1時間勘違いしてTVを点けたところ、岩合光昭さん撮影の猫が大写しに。こんな日もある、そんな日もある。

☆  ☆  ☆

で、この日、この時間帯での対面の猫写真は、万福寺の猫「ぷくたろう」
Dsc03552-2 Dsc03551-2

⛳4日の分を本日11月6日9時44分更新。


 

 

 

| | コメント (0)

211103クラシッククラブを聴く パク・キュヒのギター・リサイタル

横浜市の文化財である古民家「横溝屋敷」から韓国と日本で育ち国際的に活躍するギタリスト、パク・キュヒのリサイタル江戸~明治時代に建てられ横浜市の文化財として保存・公開されている古民家「横溝屋敷」からスペイン&中南米ギター音楽の傑作によるスペシャル・コンサートソナタ(スカルラッティ作曲)ワルツ第3番(バリオス作曲)ソナタ(ヒナステラ作曲)カタルーニャ奇想曲(アルベニス作曲)練習曲(ソル作曲)旅人のソナタ(ブローウェル作曲)ほか

Dsc03508-2 Dsc03505-2

 

パク・キュヒのコメント
 まず最初にお話しいただいたときに、古い民家で撮影するということを聞いて、そもそも野外で演奏したことがあまりなかったので、どういう響きになるかすごく楽しみにしていました。いつもコンサートの前はコンサートホールで演奏するということをイメージしながら練習してるんですけれども、今回来る前まであまりイメージが湧かなくてそういった部分がちょっと心配だったんですけれども、お家で  弾くような感じかなというイメージが湧いたので、そういう感じで演奏できたかなと思っています。
 ヒナステラの「ソナタ」は、アルゼンチンのリズムを使った曲になっています。マランボというのはアルゼンチンの男性が踊るリズムのことで、すごく男性的なかっこ良さを表しています。この曲の聞きどころは、特殊奏法がけっこうある。たとえばギターを弾くだけでなく、板や弦をたたいたり、弦をはじくという奏法が駆使されている楽しい曲かなと。特に4楽章では日本人ギタリストが名付けた奏法があるんですけれども、「猫パンチ」という奏法がはいっていまして、これは猫のように指を丸めて一回たたきます。たたいてラスケアードという一気に弦をはじくという奏法なんですね。これが合わさってリズムを表す、そういう奏法になっています。そこを聴いていただけたらと思います。
 ブローウェル「旅人のソナタ」はこの曲はブラジルの巨匠のオダイル・アサドさんに献呈された曲です。彼がブラジルの方なので、ブラジルをイメージして旅をするような形で、4楽章になっている曲です。スペインに留学していた頃にオダイルさんにレッスンを受ける機会があって、特徴としてはオダイルさんの人柄にすごく似ているかなという感じがしました。彼の言葉でいちばん記憶に残っているのは「この曲はロックン・ロールだ」。オダイルさんはとてもワイルドな方で自由な方なんですね。それがこの音楽にまさに入っていて、その自由さそしてワイルドな感情をもって演奏することを心がけています。

 曲目
☆「ソナタ ト長調 K.391」スカルラッティ:作曲
「アランブラ宮殿の思い出」タレガ作曲
「フリア・フロリダ(舟歌)」バリオス:作曲
「ワルツ 作品8 3」バリオス:作曲
「ワルツ 作品8 4」バリオス:作曲
「ソナタ 作品47ヒナステラ:作曲
「カタルーニャ奇想曲」アルベニス:作曲
「練習曲 ホ短調 作品6 11」ソル:作曲
「旅人のソナタ」ブローウェル:作曲
「愛のロマンス」作者不詳:作曲

 

 🎵ヒナステラの「ソナタ 作品47」、ブローウェル「旅人のソナタ」、解説を踏まえて興味深く。「アランブラ宮殿の思い出」、「愛のロマンス」、この二つの曲は、ほかにどんな曲があろうとも、他を良い意味で駆逐してしまう。
カメラワークのすばらしさ、演奏のすばらしさは前にも書いたけれども、ギターのラテンの響きが時を超えて16世紀の古民家に届きそこで鳴り、同時にいまのこの古民家のたたずまいに響いているかのよう。
 作者不詳の「愛のロマンス」、wikipediaによると「起源についてはスペイン民謡とされることが多いが、19世紀後半にギターの練習用として作られたものと考えられており[1]、実際にクラシック・ギターの練習曲の定番として広く演奏されている。作曲者についても諸説あるが、スペインのギター奏者アントニオ・ルビーラとする説が有力とされている。最初に映画で使われたのは1941年に製作されたアメリカ映画血と砂』であるが、1952年フランス映画禁じられた遊び』の主題曲としてギタリストナルシソ・イエペスが編曲・演奏したことで世界的に知られるようになった」 。もっと何か知る手がかりはないのだろうか。

🎧名曲アルバム。デュファイ「うるわしばらの花」。ニウ・ナオミ編曲
指揮長谷川久恵、東京少年少女合唱隊ほか。
「うるわしばらの花」は、花の聖母マリア大聖堂の完成記念式典のために作曲された。
Dsc03524-2

⛳13時45分更新。主人が今から円光寺に行ってみようと言っている。大きな夫婦桂があるお寺だ。

 

 

| | コメント (0)

211102 クラシッククラブを聴く ウィン・フィルハーモニック・ファイヴ×チームラボプラネッツ×ベートーベン

ウィーン・フィルのメンバーを中心に結成されたピアノ五重奏団デジタルアートミュージアム「チームラボプラネッツ」での演奏ベートーベンの音楽に新たな光を当てる。【出演】ウィン・フィルハーモニック・ファイヴ,ティボール・コヴァーチ,エカテリーナ・フロロヴァ,ゲルハルト・マルシュナー,ペーテル・ソモダリ,クリストファー・ヒンターフーバー ー番組紹介よりー

Dsc03476-2_20211102150801 Dsc03469-2 Dsc03446-2

初めてデジタル・アートに触れたコヴァ―チのコメント
とても感動しています。21世紀の今、美のルネサンスがここで起きている。古い教会や大聖堂と同じように英知、力強さと美との調和がここにあります。とてもインスピレーションをもらいます。さまざまな分野の芸術、たとえば彫刻や絵画、音楽や文学はいつの時代も互いに影響しあって実を結んできました。私たちが今回ご紹介するのは、クラシック音楽の天才としてのベートーベンだけではなく、ジャズの預言者でもあるということです。現代の聴き手がベートーベンに親しむきっかけとなればと願っています。ジャズが生まれる100年以上前に、ベートーベンはそのアイデアをもっていました。ベートーベンは芸術における偉大な巨人です。レオナルドやミケランジェロ、バッハ、モーツァルト、ブラームスらと同じように彼らの作品が発する力強いメッセージは、これから何百年も輝き続けるでしょう。それを生み出したのは芸術家の誠意と新しいものを作ろうとする勇気なのです。偉大な芸術はこれからもずっと人々を魅了し受け継がれるでしょう。ベートーベンは自分の作品が当時の聴衆に受け入れられなくとも決して動じることなく、自分のアイデアや音楽を信じ続けたことに感動します。後の時代の人には理解してもらえると信じていたのでしょうね。

 曲目
「ルートヴィヒのラグ」ベートーベン:作曲、コヴァーチ:編曲
(ピアノ五重奏)フィルハーモニック・ファイヴ
ベートーベンの「ピアノ・ソナタ第32番」第2楽章にはスウィング・ジャズ風のリズムが現れる。コヴァ―チはそのリズムに注目して編曲を施し、ベートーベンは「ジャズの預言者」であることを明らかにする。
「ピアノ四重奏曲 作品16から 第2楽章」ベートーベン:作曲
(ピアノ四重奏)フィルハーモニック・ファイヴ
「テレーゼの夢(シューマン「ベートーベンの主題による変奏形式の練習曲」による)」コヴァーチ:作曲
(ピアノ五重奏)フィルハーモニック・ファイヴ
「セレナード 作品25 から」ベートーベン:作曲
(弦楽三重奏)フィルハーモニック・ファイヴ
「シネマ風アレグレット」ベートーベン:作曲、ヴェルツォヴァ:編曲
(ピアノ五重奏)フィルハーモニック・ファイヴ
ベートーベンの「交響曲第7番」第2楽章をハリウッドで活躍する作曲家ヴェルツォヴァが映画音楽風に編曲。
「ロンドとアレグレット」ベートーベン&アブレウ:作曲、コヴァーチ:編曲
(ピアノ五重奏)フィルハーモニック・ファイヴ
ベートーベンの「ピアノ協奏曲第1番」のロンドが、1920年代に流行したチャールストンへと変化してゆく。さらにブラジルの作曲家アプレウが1917年に発表した「ティコ・ティコ」のメロディーも現れる。
「カリビアン・テンペスト」ベートーベン&カミロ:作曲、コヴァーチ:編曲
(ピアノ五重奏)フィルハーモニック・ファイヴ
ベートーベンのピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」とラテン・ジャズの名手ミシェル・カミロの作品を合わせた1曲。

🎵クラシック界のあるオーソリティーが、クラシックの曲には何も付け加えて欲しくないと仰っていたが、この五重奏団の意図するところの「本気」に打たれた。当初は制作、企画の演奏者を巻き込んでのゴリ押しではないかという思いも。ところが、聴き進むほどに納得。「ピアノ・ソナタ 第32番」が編曲により「ルートヴィッヒのラグ」として登板。これはもうベートーベンがジャズに行き着いたというか探りあてたというか、それで有名なのだが、これを皮切りにどう展開するのか興味津々で次に。「ピアノ四重奏曲 作品16 第4楽章」、音で楽しみ視覚で楽しむ。続く「テレーゼの夢」、ベートーベンが愛した女性、なぜかベートーベンの恋愛は成就しない。テレーゼの方がベートベンの音楽を夢に見、夢で聴くであったか、そのような思いめぐらしからのコヴァーチの作曲であったかと。「セレナード作品25から」、ここではバイオリンがフルートパートを務める。「交響曲第7番第2楽章」が「シネマ風アレグレット」として登場。これは生涯的に聴いていた楽曲でもあり切々と興味深く。自分に没し過ぎて作曲者の意図から遠ざかってしまったのだが。次の「ピアノ協奏曲 第一番 ロンド」が「ロンドとチャールストン」での登場、1920年のチャールストンへと変化。ここから5重奏の意図が鮮烈に訴えてくる。ここでコヴァーチのコメントが俄然説得力を帯びて響く。
クラシックにデジタル的な明るさと輝き、クラシックにまったく違和感なく溶け込み溶かされるジャズの響きは新鮮。素晴らしく楽しい朝のひととき。

🎧 名曲アルバム。メトネル作曲「忘れられた調べ」から「夕べの歌」
ピアノはイリーナ・メジューエワ

Dsc03483-2

ロシアの風土に根差した叙情的な作風で多くの優れたピアノ曲や歌曲を残した。ひたむきに理想を追い求めた孤高の作曲家。モスクワ南西100キロにあるオブニンスク市にあったオブニンスキ家が、革命で家を失ったメトネルに、山荘「ブグリ」を提供。ここで「忘れられた調べ」と題する三つのピアノ曲を作曲する。亡命しロンドンで71歳の生涯を終える。

⛳室内にいるにはもったいない秋の明るさこもる街並み。きょうはオペラ講座がある。前回はじゅわっとオペラのアリアを。今回も楽しみ。ところが最終回の講座が甥の結婚式とぶつかってしまった。コロナで日延べとなっていた結婚式でもあり出席せねば。
せん茶をいただきながら、15時21分更新

| | コメント (0)

211101クラシッククラブを聴く 三浦文彰×デジタルアート

バイオリンの俊英・三浦文彰が東京臨海副都心のチームラボに登場!超絶技巧から大河ドラマの名曲まで!デジタルアートとの超必見コラボが実現! 来場者100万人突破という東京の新名所「チームラボ・ボーダレス」を舞台に、バイオリンの俊英・三浦文彰がデジタルアート作品とコラボを実現!ピアノ・江口玲


曲目クライスラー作曲「愛の喜び」
  ユン・イサン作曲「大王の主題」
  パガニーニ作曲「『ネル・コル・ピウ』による変奏曲」
  モーツァルト作曲「バイオリン・ソナタ変ロ長調K.454」

服部隆之作曲「大河ドラマ『真田丸』メインテーマ」

                        ―番組紹介よりー

Dsc03344-2 Dsc03358-2

 

三浦文彰のコメント
Qデジタルアートの中で演奏して
こんな空間で演奏するってまずないので、僕の中ではクラシック音楽というのはやはり国も何も関係なく人々が常に人生の中であるものなので、こういう場所で演奏するというのは楽しかったです。
Q今回の選曲について
まったく違った時代の作品たちを、バランスをすこし考えながら作ってみました。パガニーニの「ネル・コル・ピウ」はもう僕が10代の頃からよく演奏していて、パガニーニの書いた作品の中では最も難曲と言われているとてもチャレンジングな作品なので、それこそこのような空間で演奏できるというのは面白いんじゃないかなと思ったので、自分自身で楽しみながら演奏できればいいかなと思います。
Q
今後の展望
音楽というのは、人生にいろんな彩をくれるものだと思っていて、クラシック音楽の魅力というかそれを僕らの世代にももっと知っていただいたらいいかなとおもっているので、もっと身近に楽しめる機会というものを作っていけたらいいなと思うので、僕もそれに熱を入れてやっていきたいなと思っています。

🎵いまだにあの大河ドラマの「真田丸」の鮮烈な弦の音が鮮やかだ。三浦文彰というバイオリニストを銘記した一瞬だった。研ぎ澄まされた音色、切れの良さにはスカッとする。ハイフェッツをほうふつとさせることも。江口玲さんのピアノの包容力に和す。

🎧名曲アルバム。チャップリン作曲、栗山和樹編曲「ライム・ライト」
ピアノ漆原啓子、円光寺雅彦&東京フィル
スイス、レマン湖畔の町ヴヴェイにチャップリンは63歳で移り住んだ。映画「ライム・ライト」を最後にアメリカを去ったのだった。湖の高台にチャップリンが住んだ家が残っている。彼はここで最愛の家族に囲まれた幸福な日々を送った。
 映画「ライム・ライト」の主題曲のほか代表作のほとんどを自らが作曲している。 

Dsc03374-2 Dsc03367-2
⛳ピエロの画像も入れたかったチャプリン。あたたかい。自らを滑稽に無能であるかに設え人を面白がらせあたため愉快にしてくれる。
18時31分更新

 

| | コメント (0)

« 2021年10月 | トップページ | 2021年12月 »