« 2021年1月 | トップページ | 2021年3月 »

2021年2月

きょうのことば 『みことばと私』

インマヌエル盛岡キリスト教会20210221()の礼拝メッセージをおつたえいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で48年目のご奉仕をしておられます。

Img153_20210214052501
説教題 『みことばとわたし』  (國光勝美 牧師)
聖書引証 旧約聖書 詩篇119105
105 あなたのみことばは、私の足のともしび 私の道の光です。

<お話し> (前回の復習は割愛いたします)
 きょうは上記にある詩篇119105節に導かれております。 

 みことばに導かれて信仰生活を送っているお互いでございますが、果たしてクリスチャン信仰にはどんな恵みと力があるのか、きょうはそれを「みことばとわたし」と題し、個人的なみことばとの関りを深めていきたいと思っております。

20210221-1556

 実は世の中に、そして私たちの生活には、神様のお声が満ち満ちています。
ここのところずいぶんと強風が続いております。教会の屋根にアンテナが立っていますが、それが強風でうまく受信できません。それで新しいアンテナを買ってきました。10年以上も前に一度、素人の私がやはりアンテナを交換したことがありました。それがずいぶん錆びついていました。あのときに確実に外して新しいポールをきちっと付け直せば今回のようなことはなかったんですが。なにせ錆ついている。何とか外そうと頑張ったのですが、風雨にさらされた錆びた鉄のボルトはどうやってみてもうまくいかない。あきらめて、ポールはそのままにして、買ってきたアンテナだけをその古いポールにつけて一応交換。交換はしたものの、はやり素人の雑さが現われてしまいまして、強風が吹くと方向が変わってしまう。NHKとかIBCとか他の局は見えるのですけれど、TV朝日だけが映りません。やっぱり直さなくちゃ。屋根の上に登る恐怖心はけっこうなものがあり、でも頑張って直しました。屋根の方で携帯で居間にいるひろ子先生に「どう? 映った?」と確認。「あ、映った映った」「じゃ他のチャンネルもチェックしてみて」。「ぜんぶ映ってる」。「これでよし」。
 こんなところに長居は無用とそそくさと降りて来たんですが、また風で狂ってしまうでしょうから、今度はそれなりに覚悟して、接着剤を使うとかビニールテープを巻いて動かないような工夫が要るでしょう。角度が90度動いたアンテナを、他の家の屋根のアンテナの角度を参考にしながら直したところ、きれいに映ったわけです。それで気づきました。アンテナの角度がどんなに大切であるかということです。
 私達も生活の中で思わぬ大風に見舞われることがある。或いはそれを試練といったらいいのでしょう、トラブルに巻き込まれてしまい、対処しなければならないときがあります。それを心の状態でいうなら、いつも神様の方に向いているはずのアンテナが狂ってしまう。そのときに、きちんと向きを合わせることです。神様の声はあるのです。それを受け取る側が、きちっと向きを調整するならばだいじょうぶ。その実物教訓を経験いたしました。
 どうでしょうか。皆様方も神の声は満ちているんですけれども、いつでも自分の側の受信の状態をチェックするのは大切なことです。そして私たちは、神様のお声をしっかりと聴く。アンテナを調整してきちっと神様のお声に耳を傾ける。これは雄羊の脂に優る。生贄にまさる。突然このところを引用していますが、旧約時代のイスラエルの人たちは、神に喜ばれる礼拝をするために祭壇を築き、いけにえを捧げ、犠牲の動物の脂をささげていました。しかし今、神様はこれを私たちに求めておられるのでは決してない。それよりも、神様のお声に耳を傾け、お声をしっかりと聞いて、それに従って行こうとするその心の状態こそが神様が最も喜ばれることなのです。

20210221-155454  

 アンテナをしっかりと神に向けて、そしてそのおことばに聞き従って行こうとするその心こそ第一サムエルの1522節にあるような「おはなしください。しもべは聞いております」とのありようであり、これこそ、きよめの信仰ということができると思います。
 「神様、あなたのお声に聞き従いたいと心から願っていますので、ですからどうぞあなたがお語り下さい。あなたのおことばの通りにしたいと願っています」。どうぞ先ほどの例話を参考にしてくださって、みことばに向かう角度、感度、そして、喜んでそれに従おうとする心、「おはなしください。しもべは聞いております」。これがきよめの信仰でなくて何でしょうか。

 ここに詩篇1232節のことばを引用しておきました。
まことに、しもべたちの手が主人の手に向けられ 仕える女の目が女主人の手に向けられるように 私たちの目は私たちの神 主に向けられています。主が私たちをあわれんでくださるまで。
 
どうぞ、このような心をもって歩ませていただこうではありませんか。そして、これを思い巡らせておりますときに、「なんぢ犠牲と祭物とをよろこびたまはず汝わが耳をひらきたたまへり なんぢ燔祭と罪祭とをもとめたまはず」という詩篇406節が過りましたが、これを新改訳2017で見ますと、

あなたは いけにえや穀物のささげものを お喜びにはなりませんでした。あなたはわたしの耳を開いてくださいました。全焼のささげものや罪のきよめのささげものを あなたは お求めになりませんでした。

 これこそ、主イエス様の御心が表れているものです。

わが神よ 私は あなたのみこころを行うことを喜びとします。あなたのみおしえは 私の心のうちにあります。
 この詩篇408節はとても意味の深いことばであります。これはイエス様がクリスマスのときに受肉し人となられる以前に、父なる神様と子なるキリストが語っておられるところを、このおことばを通して垣間見させていただいている、こう解釈できるでしょう。イエス様は十字架におかかりになられ人となられる以前に、「父なる神様、わたしはあなたのみこころを行うことを喜びとします。あなたのみおしえは心の内にあります」。こういわれ主イエス様は父なる神様との会話をなさって、人としてこの世においで下さったのであります。

 

105 あなたのみことばは、私の足のともしび 私の道の光です。 

 先ごろ、13日の午後118分に、福島、郡山震度6強という地震がありましたが、311でも被害のあった郡山の教会に影響がございまして心を痛め、何とか先生ご夫妻に励ましのおことばをと思いお祈りしておりましたところ、イザヤ書639節のおことばが非常に心に深く示されました。

彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、主の臨在の御使いが彼らを救った。その愛と憐れみによって、主は彼らを贖い、昔からずっと彼らを背負い、担ってくださった。

 励ましのおことばをと思ってお祈りしておりましたところ、イザヤ639節のおことばが非常に心に深く示されました。
注意深く読みますと、「主の臨在の御使いが彼らを救った」とある。神様ご自身ではない御使いが彼らを救ったと読んで当然なのですが、学説を読みますと、この「神の臨在の御使いが彼らを救った」という、この「臨在が御使い」というのは、「神様の御顔」ということばと同じヘブルの言葉が使われています。神ご自身が見える形で臨在を表している、それが「主の臨在の御使い」という表現があるので、これは神の代理人と言う意味ではけっしてなくして、神ご自身の御顔が、神ご自身が彼らを救うという意味であります。

 出エジプト記3314節にあるように
わたしの臨在がともに行き、あなたを休ませる」。
 神の御顔の御使いが、これは神ご自身がともに行ってくださること。そして、ともに行ってくださり、その途上では、「憐れみによって主はかれらを贖い昔からずっと彼らを背負いになってくださった」。このおことばをこの礼拝のために思い巡らしをしておりましたときに与えられましたのが次のマタイの福音書8章8節です。

主よ、あなた様をわたしの屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばをください。そうすれば私のしもべは癒されます。

 前後のことは省略させてください。そうだ、ただおことばをいただく。「あなたのみことばは私の足の灯、私の道の光」であってくださる。その神様のおことばがきょう礼拝に集われるお一人お一人に、どうかおことばがあたえられるように。これを切に願いました。そして詩篇23篇を思うと、よき羊飼いはしもとと杖をもって私たちを導いてくださる。山歩きが好きな私にとって、杖の重要さはよくわかります。登るのは里山ですが。それでも杖がある、ない、でこんなに違うのかと思います。信仰生活を歩んでいくとき、神様のおことばを与えられたとき、それを杖とし、その杖を持って握る。これは信仰です。神様が与えてくださったみことばを握りながら、日々を大切に一歩一歩歩んでまいりましょう。

※音声データ、画像は教会からお借りしています。
⏰眩しい朝の光が。6時51分更新


| | コメント (0)

雑感

 J-MEROも再放送ではあったが、しかしこの再放送も悪くはない。過去に見逃したすばらしい番組を見ることもできる。それはそれとして、けさのJ-MEROを一通り聴いて、あとは眼精疲労が蓄積、あとはできるだけ遠くを眺めて過ごすよう心掛けた。この1日にも感謝!

⏰21時29分

 

 

| | コメント (0)

210226 クラシック倶楽部を聴く ナビル・シェハタ コントラバス・リサイタル

エジプト人とドイツ人の両親のもとクウェートで生まれたナビル・シェハタはベルリン・フィルで首席奏者として活躍した名手。実兄カリムとの共演で低音の魅力を聴く。【出演】ナビル・シェハタ(コントラバス)、カリム・シェハタ(ピアノ)【曲目】無伴奏チェロ組曲第1番・コントラバス版(バッハ作曲)、歌劇「夢遊病の女」による幻想曲(ボッテシーニ作曲)ほか【収録】2018年11月22日 ハクジュホールー番組紹介よりー

ナビル・シェハタ(コントラバス)
エジプト人とドイツ人の両親のもとに生まれ、9歳でコントラバスを始める。2003年、ミュンヘン国際コンクールのコントラバス部門で優勝。2004年から2008年までベルリン・フィル首席奏者。指揮者としてもデビュー。
カリム・シェハタ(ピアノ)
クウェート生まれ。5歳でドイツへ移住。音楽教育者の家庭に育つ。(ここまでは)ハノーヴァー音楽演劇大学やブレーメン芸術大学大学院で研鑽を積んだのち、世界各地のコンサートに出演。近年は弟のナビルのよきパートナーとして度々ステージを共にしている。

 

おふたりのコメントの抜粋
コントラバスのレパートリーはとても限られています。プログラムを充実させるためにチェロに書かれた曲などを加えています。
長年演奏をためらっていましたが、バッハから学ぶことはたくさんあります。
ジュニア・コンクールに挑戦するときはいつも(ふたり)一緒でした。兄弟だと何でも自由に言い合えます。子どもの頃から一緒だから意思の疎通が楽です。

曲目
☆無伴奏チェロ組曲第一番(コントラバス版、イ長調) (バッハ)
☆歌劇「夢遊病の女」による幻想曲 (ボッテシーニ)
 コントラバスのパガニーニと称された19世紀の名奏者ボッテシーニの代表作。ベッ  リーニの歌劇の名旋律をコントラバス特有の音色と超絶技巧で楽しめる作品。
☆コル・ニドライ (ブルッフ)
 ユダヤ教の典礼歌「コル・ニドライ」の旋律を用いて書かれた幻想曲。バイオリン協奏曲と並ぶブルッフの傑作。
☆間奏曲とタランテラ (グリエール)
 グリエールは友人の名コントラバス奏者クーセーヴィッキーのために4つの小品を書いた。叙情性あふれる間奏曲と高度なテクニックが要求されるタランテラは中でも人気の作品。
☆アンコール リベルタンゴ (ピアソラ) 

🎵「チェロ組曲」、日の落ちかかる広い空間に朗々と、延びる影を踏み進みゆく足元を照らし添いゆくような響き。
「夢遊病の女」による幻想曲、ジョークを転がすところ、能天気にうたうような部分、それらにまともに関わりあう旋律も聴こえて。
「コル・ニドライ」、何ものかを詳らかにしたい無意識の意図といったものが。
「リベルタンゴ」コントラバスが弾けば、踊りも地に足がついて心は踊るという感じが。
コントラバスの音域は臓腑におさまりがいい。指板を大きく行き来する5指、運弓、小型の弦楽器よりもかなり体力が消耗されるのではと思うのだがどうだろう。それにしても弦楽器の形が今の形状に落ち着いたのはいつ時代であったか。

🎧名曲アルバムはビショップの「ホーム・スウィート・ホーム」。1823年に作詞・作曲され、同年初演のオペラ『ミラノの乙女クラリ』(Clari, Maid of Milan)の中で歌われた。栗山和樹編曲。東京オペラシンガーズ、円光寺&東京フィル。
Dsc05779-2

楽譜の表紙

 

⛳8時55分更新。再放送だけれども、2週間をかけて岩手を回った「こころ旅」が音楽番組の後に入り、震災が近い関係からと思ったが、岩手の風景をカメラ目線をたどっての再確認となった。稲穂が重みで垂れている。と書くうちに9時になってしまった。

 

 

| | コメント (0)

210225 クラシック倶楽部を聴く 佐藤俊介バロック・バイオリン コンサート

オランダを拠点に世界的に活躍するバイオリニスト佐藤俊介。バイオリン音楽の金字塔、バッハの無伴奏ソナタとパルティータ全曲をピリオド楽器で演奏したコンサートから。【出演】バイオリン/佐藤俊介【収録】2018年11月15日 浜離宮朝日ホール(東京都中央区)


【曲目】
☆無伴奏バイオリン・ソナタ第2番イ短調から第1・第2・第4楽章(バッハ作曲)
 6曲から成る無伴奏バイオリン・ソナタとパルティータはバッハがケーテン宮廷に務  めていた30代の作品とされる。このソナタ第2番の第2楽章に置かれたフーガはポリフォニックな音楽を得意としたバッハの真骨頂。
無伴奏バイオリン・パルティータ第2番ニ短調全曲(バッハ作曲)
 パルティータは舞曲を集めた組曲を意味し、第2番ニ短調5つの曲から成っている。終曲のシャコンヌについてブラームスは「一段の譜表で全世界を描いた曲」と評した。

ー番組紹介よりー

佐藤俊介さん(バロック・バイオリン)
1984
年東京生まれ。2歳からバイオリンを始める。その後家族と共にアメリカに渡り、カーティス音楽院、ジュリアード音楽院で研鑽を積む。近年ではヨーロッパに活動の場を広げ、20186月からオランダ・バッハ協会の第6代音楽監督を務めている。モダン楽器ピリオド楽器の両方を弾きこなしコンサート活動を行っている。この演奏会では、バロック時代のオランダの製の楽器を使って演奏。

佐藤俊介さんのコメント
Q
オランダ・バッハ協会について
このオランダ・バッハ協会にもおもしろい歴史がありまして、その100年弱存在する団体なんですね。1921年にできたもので、その音楽監督になるまえの5年ほどコンサートマスターとして弾いてたんですけれども、やぱり団体の一人であった人が音楽監督になる、今思い返してみるとごく自然なものだったのかなと思いますね。
Q
バロック・バイオリンについて
バロック・バイオリン、ピリオド楽器、弦楽器はガット弦、羊の腸をねじって作る弦です。昔はガット弦、いまはスチールとかナイロンの弦がある。この楽器は大変古いもので1684年だと思うんですが、これもバロック・バイオリンといってもいいのでしょうか。指板がちょっと短かったり、顎あてがなかったり、弓もバロックのもの。やっぱりいい音色です。弾き始めて1年ちょっとしか経っていないんですけれども、とても大らかな木のとてもまろやかな音色であります。
Q
シャコンヌについて
まず最初に気付くのはやはりテンポですよね。やっぱり舞曲であるという事を忘れずに弾きたいという事ですね。そうなると、ひょっとしたら一般のシャコンヌに比べると速く感じられるかもしれないんですけれど、そういうですからシャコンヌというバッハのシャコンヌというか、もうすこしそれを広くみて、舞曲のシャコンヌというスターティングポイント、出発点があったわけですね。それで、やっぱりテンポがアップするとそれは流れも変わりますし、あと、シャコンヌという巨大な真中、巨大なお城みたいな偉大なものという見方ももちろんできますし、私が知ってるシャコンヌの中でも大変例外的なものもいっぱいあるとおもうんですけれども、色んな色彩が見えてくるというそういうシャコンヌになって欲しいなと思っています。


🎵「ソナタ2番」よどみのないバロック・バイオリンの響き。
「パルティータ」の2クーラントでデジタル・アートの世界が浮かんだ。3サラバンド、バイオリンという楽器に自然な呼吸を吹き返させた感じが。4ジグ、受け留めかねるほどの光がふるのだが、受け留めようとする側が受け留められるような慈愛がこもっている。5シャコンヌ、たしかにこれまでに知るシャコンヌに比べてテンポが速いのだが、その速い分が重ろみをもって、ぐいっと、胸を惹きつける感じが。音は久遠に明滅しながら見通しの効く暗闇を駆ける。暗闇でありながら暗くない。ちょうど多色で描かれた事象全体に、濃紺の淡彩を薄く被せていくような光景が広がっている。

 

🎧名曲アルバム。けさはこちらもバッハ「パッサカリアとフーガ ハ短調」。オルガンは今井奈緒子のオルガンと共にワイマールの教会、街を。

⛳7時から一呼吸おいての更新。2件の山火事の鎮火がいつになるか。

けさ、クラシック倶楽部の前番組で観た日食に感動、つい写真に撮ってしまった。これまでそれほど感動して観たことはないのだけれども、早朝にしんと静まり返った部屋に突然に出現した感じがしたのと、自分がちょっと霊的な心境であったからかもしれない。
Dsc05726-2 Dsc05723-2

8時1分更新

 

 

| | コメント (0)

210224 クラシック倶楽部を聴く  辻彩名バイオリン・リサイタル 

モントリオール国際音楽コンクール優勝、期待の若手バイオリニスト辻彩奈。ベートーベンとフランクの名曲に加え、辻自身が現代作曲家・権代敦彦に委嘱した新作も披露する。 【出演】辻彩奈(バイオリン)、阪田知樹(ピアノ)【曲目】ロマンス 第1番 ト長調 作品40(ベートーベン作曲)、Post Festum 無伴奏バイオリンのための 作品172(権代敦彦作曲)、バイオリン・ソナタ イ長調(フランク作曲)【収録】2020年11月16日 NHK大阪ホールー番組紹介よりー

辻彩奈さん(バイオリン)
1997
年岐阜県出身。2016年モントリオール国際音楽コンクール第一位。現在フランスと日本を拠点に活躍。
阪田知樹さん(ピアノ)
1993
年愛知県出身。2016年フランス リスト国際ピアノコンクール第一位。以来世界20か国で演奏。


作曲家 権代敦彦さん、独自の死生観をもつ作品で国際的に高く評価されている。辻彩奈さんからの依頼にこたえて無伴奏バイオリンのための新作Post Festum(ポスト・フェスティム)を作曲。―
辻彩奈さんのコメント
自分のために作品を書いていただくという経験は初めてでしたし、自分にとってはすごく大きな意味だったし、いざ練習して権代さんと、どんなふうに弾いたらいいとか、どんなことを考えながら作曲したとかいろんなお話を伺って、そういう生きている作曲家とお話しするという体験も初めてだったので、すごくすばらしい経験でした。Post Festumというのは、「祭の後」という意味があって、祭の後の静けさだったり、詳しく権代さんとも何を描いたのかという話をしてないんですけれども、遠くから何か見えないものが形はないんだけれども、それをずっとこう暗い中を探しているというイメージですかね。

私が演奏する色んな人のコンチェルトとかソナタの中で、すごく好きな作品というのはたくさんあるんですけれども、その中でもすごく大切に向き合ってきた作品で、ピアニストの阪田知樹もこのフランクにすごく熱い思いがあるということを知っていたので、彼と弾くならぜったいフランクしかないなと思ってこれを選びました。何回弾いてもすごく美しい旋律がわたしは好きなんですけれども、中でも34楽章が好きなんですけれども、3楽章、悩み、悩んでこう淡々と歩いている中で、一筋の光が見えて来て、それで第4楽章に光が溢れるみたいな。私はそういうふうに感じるんですけれども、4楽章は特にきれいなメロディーをピアノとバイオリンが掛け合う、そこがとても好きで彼の曲に対する大切さとかもすごく伝わってくるし、私もそれを受け継ぎたいなと思って、そういう気持ちで演奏しました。

 

曲目

☆ロマンス 第1番 ト長調 作品40(ベートーベン作曲)
ベートーベン30歳の頃の作品。穏やかな和声の中に抒情性が
☆Post Festum 無伴奏バイオリンのための 作品172(権代敦彦作曲)
協奏曲の後に演奏するアンコール・ピースとして作曲された。20206月に辻彩奈によって初演された。一丁のバイオリンが永遠を求めて時を刻み、高揚と沈静を経て聴く者を彼岸へと導く。
☆バイオリン・ソナタ イ長調(フランク作曲)
フランクはベルギーで生まれフランスで活躍した。フランクと同郷の名バイオリニスト イザイの結婚を祝福して作曲された。内面的な情熱と緻密な構成を併せ持ち、バイオリン・ソナタの最高傑作の一つ。

 

🎵「ロマンス」、甘やかな旋律。
「Post Festum」、Ⅰ、なぜか芥川の「蜘蛛の糸」が眼前に。躍り出たくとも鳴りを潜める魑魅魍魎に控えめな木魚の響きが。Ⅱ、魂のざわめき、しゅーっと天上にのぼり、昇りつめて辺りの見晴らしを確かめているが、そこにある形を留め得ない何者か。Ⅲ、宙を漂っている、これは昇天を果たした何者かであるのか、経文が彼方に遠くに、役目を果たし終えたかに遠ざかっていくかのよう。
フランクの「バイオリン・ソナタ」、1楽章、内に秘られた熱い思い。2楽章泡立ち波立つ不信感。持って行きどころのないやり場のない感情の表出。3楽章、沈思黙考しつつ部屋と思しき空間を一人さまようような。名旋律が一連の褒章のように鳴り響いたところで、ああ、これでしょう、人生のこたえはこれでしょう。4楽章、明るい日差しに冴えわたる喜びの名旋律。ああ、そうですよ。人生は捨てたもんじゃない。悪くはない。バイオリンとピアノの実に当を得、さえた気分のいい会話が。

🎧名曲アルバム。チャイコフスキーの四季から
ロシア民謡ではチロチロと燃える小さなストーブのようなペチカを想像していたが、それほど太くなければ丸太もそのままくべられそうな大きなペチカ。氷点下204050、もっとかもしれないが、大型のペチカに守られて。
Dsc05715-2

冷凍庫で生きられるハウスマウスや、氷点下196度でも生きられるキアゲハがいる自然界で、暖房かクーラーが無ければいよいよ生きられなくなっているのがヒト。

⛳パソコンの調子がいまいち。書き直しも含め、けさは冷や汗更新。9時44分

| | コメント (0)

210223 クラシック倶楽部を聴く 小林美樹 バイオリン・リサイタル 

2011年第14回ヴィエニャフスキ国際コンで第2位入賞。ソロ活動や国内外のオーケストラとの共演のほか、各地の音楽祭にも数多く出演し室内楽でも精力的に活動している【演奏】小林美樹(バイオリン)坂野伊都子(ピアノ)【曲目】バイオリン・ソナタ第5番「春」(ベートーベン)、序奏とロンド・カプリチオーソ(サン・サーンス)、恋のかくれんぼ(武満徹)ほか【収録】2020年12月4日武蔵野市民文化会館大ホールー番組紹介よりー

小林美樹2006年にレオポルト・モーツァルト国際バイオリン・コンクールでギドン・クレーメルから審査員特別賞を受賞。ウィーン音楽大学で研鑽を積み、2011年にポーランドのヴィエニャフスキ国際バイオリンコンクールで第二位。
坂野伊都子2000年に第69回日本音楽コンクールで第二位。宮崎国際音楽祭をはじめさまざまな室内楽プロジェクトに取り組み、後進の指導にも携わる。

小林美樹のコメト

Qベートーベン「バイオリン・ソナタ第5番」について
何回か弾いて来たんですけども、いまだに壁を感じるというか、でもすごく素敵な曲なので、さらに勉強をして自分なりのベートーベンというものを見つけられたらいいなと思うんですけれども。3楽章も短いんですけれども、あんなに凝縮した音楽というのは、やはりベートーベンだから出せるんじゃないかなというふうに思いますね。
Q
ヴィエニャフスキー「スケルツォ・タランテラ」について
8
歳の時に初めて楽譜を見て、これをレッスンで弾きましょうと先生におっしゃっていただいて、楽譜を見ただけでもう真っ黒なので、これ弾けるようになるかなというふうに、先ず楽譜を見て圧倒されたという曲でして、それも難しいけれども途中にあらわれるメロディーの美しさだったりとか、技巧にだけ終わらないところがものすごく好きで、8歳の時に弾いて以来何回かコンクールでも弾かせていただいたんですけれども、やはり思い入れの強い作品ですね。

 

曲目

☆バイオリン・ソナタ第5番「春」(ベートーベン)
ベートーベンが残したバイオリン・ソナタ10曲のうちの一つ。「春」は1801年の作曲。
☆スケルツォ・タランテラ(ヴィエニャフスキー)
ヴィエニャフスキーは1835年ポーランド生まれ。パガニーニ、サラサーテと並ぶ19世紀の代表的なバイオリニスト。1856年に書かれたこの曲は舞曲タランテラのリズムを取り入れた華やかで技巧的な作品。
☆序奏とロンド・カプリチオーソ(サン・サーンス)
1863
年作曲。親友だった名バイオリニストサラサーテに捧げる。
情熱的な序奏のあとにスペインの情緒あふれる舞曲調のロンドが展開される。
☆歌劇「ポニーとベス」から「そんなことどうでもいいさ」(ガーシュウィン)
20
世紀の名バイオリニストハイフェッツは第二の祖国アメリカに愛着を持っていた。第二次世界大戦中には積極的に慰問活動を行い、この曲を弾いて前線で戦う兵士の心を癒した。
☆さようなら(武満徹 作曲 森山智宏 編曲)
20
世紀を代表する作曲家武満徹は現代作品音楽で知られるが合唱などの声楽曲も多く残している。彼の声楽曲は美しいメロディーとともに歌う楽しさや音楽を自由に表現する喜びにあふれている。
☆恋のかくれんぼ(武満徹 作曲 森山智宏 編曲)
☆めぐり逢い(武満徹 作曲)

🎵小林の春一番。バイオリンが春の息吹、自然の小さな営みにも耳を澄ましているような。たまにピアノが小川の流れを淀ませるも、バイオリンが静かにたたずんで見下ろしているようなところも。第3楽章、「凝縮されている」と。ほんとうに短いけれどもこれで一つの楽章がよしとされたわけは。坂野のピアノを弾く姿に目を惹きつけられる。8歳で「タランテラ」を弾く小林を想像。教師の期待が。
けさは静かに、という気分もあり、技巧に意表を憑かれつつも、「春」や武満作品が自分には馴染んでくれた。演奏家にしても、もしかすれば、きょうはこの曲を弾く気分じゃない、とか、こんな心境のときこそあの曲が弾けたらと思う事が無きにしもあらずでは。それでもすべての曲でプロがプロたる所以を発揮せられているのはすごい。

 

🎧名曲アルバム。グラナドスの歌劇「ゴイェスカス」より「間奏曲」
グラナードスはゴヤの作品に影響を受け「ゴイェスカス」を作曲したとか。

⛳9時8分更新

| | コメント (0)

210222 クラシック倶楽部を聴く 神尾真由子バイオリン・リサイタル

【神尾真由子(バイオリン)】2007年第13回チャイコフスキー国際コンクールで優勝。ロストロポーヴィチ、インバル、アシュケナージ、メータなどの指揮者と共演、国際的に活躍する【田村響(ピアノ)】2007年ロン・ティボー国際コンクールで第1位。オーケストラとの共演のほか、室内楽でも活躍【曲目】チガーヌ(ラヴェル)妖精の踊り(バッツィーニ)ほか【収録】2020年11月13日文京シビックホール 大ホールー番組紹介からー

神尾真由子
4歳でバイオリンを始める。11歳でメニューイン国際バイオリンコンクールジュニア部門で最年少入賞。2007年21歳で第13回チャイコフスキー国際コンクールで優勝。
田村響
3歳からピアノを始め、18歳でザルツブルクモーツァルテウムに入学。200720歳でパリのロンティボー国際コンクールで第一位。

神尾真由子のコメント

Q国際コンクール優勝後の変化について

21歳になりたててコンクールに出たんですが、そのときはどこに行っても右手を注意されるような状態で、自分でも自信がなくて、それによって表現できる幅が狭くなっていたんですが、20代の後半ぐらいからほぼ、ある日いきなりのように右手のつかえがとれたような気がしまして、それからは自分でも自由に弾けるようになったかなと思います。たとえば、声だと一息で弾けるところもバイオリンでは弓をちょこちょこ返さないとそんなに続かないところであったり、ほんとうに一息のように弾けるように弓を動かしていくというようなことであったり、弓をはやく使うこともけっこう難しいことだったり、色々なほんとうに自分の体という楽器のように弾くと思ったら至らない部分が難しい部分がたくさんあるので、そういう意味で右手というのは目には付きにくいですけれど、かなり大きなウェイトをしめるところかなと思います。

Q母親となって変わったことは

いい意味で、もっと大事なものがあるので、それまでは演奏が大きなウェイトを占めていたんですが、そこまでだいじでなくなったことがいいように作用しているかなあと思いますね。これは演奏家には付きものなんですが舞台に出る恐怖みたいなのが誰でもあります。よく言われるのが仕事が決まったら嬉しいけどキャンセルになったらもと嬉しいとか、いざ出ることになったら怖い、キャンセルしたくなるというのが常なので、そういう意味ではやはり(聴きとれなかったところ)いやだなと思っても、子どものことでひやっとするのに比べたらもう全然怖い事じゃないのでほんとうに最近は楽しく演奏させていただいてるなと思います。

Qプロコフィエフの「バイオリン・ソナタ第2番について

後半はプロコフイエフの、すごくフランス的な響きがありながら、ちょっとロシアの響きもありながら、ただロシアものにしてはかなり軽め、叙情的でリリカルな流れるような不思議なはーもにーだったりきれいなハーモニーだったりととてもきれいなので、聴いてあまりズドーンとする感じではなく、きれいだなと思って聴いていただけると思います。

曲目
「月の光」ドビュッシー 田村響のピアノ演奏
「チガーヌ」ラヴェル
「バイオリン・ソナタ 第2番」プロコフィエフ
アンコール 「妖精の踊り」パッツィーニ

🎵伴奏者を伴奏者といわず共演演奏家、クラシック倶楽部を聴くようになってから、こういう意識に育てられた。コンサートの途中のどこかに共演者のピアノが入ることはよくあるのだが、このコンサートではピアノが切り口となった。ピアノ演奏が最初に置かれることの効果は、その後の演奏でもけっこう耳が引き続いてピアノを拾ってくれるのだ。耳という器官はしもべ的であるところもあり、本人の意識があるところの音を集中的に拾う。場合によっては意識外にある音は一切、その時の意識中には拾わない。かといって聴こえていないかと思えば、集中するポイントから意識を取り戻せば耳にはちゃんと入ってくる。意識を外させない音とは、ということにも。
「チガーヌ」、ハンガリーのバイオリニストが演奏するロマ音楽を聴き影響され作曲したとか。影を落とし影をさらい、しだいにほの灯りを携えて抜け駆け出てまちを徘徊、あそびだすといったイメージが浮かんだ。アンコールの「妖精の踊り」もテクニックのすごさ、至芸を待ち望む期待の間隙に心行くばかりの答えを充当してくれる。ロマの影響力の大きさをここでも。「バイオリン・ソナタ 第2番」は神尾のいうところを参考に聴き、前よりはすこしは分かったような。自分の分類の中ではどうしても聞きたい一曲と言う範疇ではないが、神尾が弾くなら、そして聴いてみて、そして聴いてよかったと。

 

🎧名曲アルバムはイザークの「インスブルックよさようなら」
編曲者のニウ・ナオミ、これはよく目にする名だけれども、さてはて、カワイ出版の頁に飛んでみると。この方もやはり何だかすごい方。大丈夫かな横文字、ほほ笑んでよね横文字さんと語りかけつつ転載。

東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。アメリカ・ボストンのニューイングランド音楽院 大学院修士課程作曲科首席修了。
あわせてAcademic Honors賞、Distinction in Performance賞受賞。
同校の推薦により全米名誉音楽家協会(Pi Kappa Lambda)終身会員に選出される。
12回名古屋市文化振興賞作曲部門入選(第1位)、アメリカの作曲賞 『The Toru Takemitsu Award for Composition』等の作曲賞を受賞。 
また音楽を担当したNHKオーディオドラマ「母から母へ」により、『ギャラクシー奨励賞』、 「戦争の悲しみ」により『放送文化基金賞・本賞』、『ABU(アジア太平洋放送連合)賞』、 『イタリア賞』の各賞を受賞。
現在、自身の作曲活動に加え、モダンダンスのための音楽やNHKのドラマ音楽の作曲、 NHK「名曲アルバム」、「みんなの童謡」、「日本うた絵巻」、「全国学校音楽コンクール (スペシャルステージ)」等、多くの音楽番組の編曲も手掛けている。

曇り空。5時近くに起きて、きょうはあたたかいと感じられたけさ。8時40分更新

| | コメント (0)

きょうのことば 『わたしの羊はわたしの声を聞く』

インマヌエル盛岡キリスト教会20210214()の礼拝メッセージをおつたえいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で48年目のご奉仕をしておられます。

Img153_20210214052501

説教題 『わたしの羊はわたしの声を聞く』  (國光勝美 牧師)

聖書引証 新約聖書 ヨハネの福音書102230
10:22そのころ、エルサレムで宮きよめの祭りがあった。 10:23時は冬であった。イエスは宮の中で、ソロモンの回廊を歩いておられた。 10:24ユダヤ人たちは、イエスを取り囲んで言った。「あなたは、いつまで私たちに気をもませるのですか。あなたがキリストなら、はっきりと言ってください。」 10:25イエスは彼らに答えられた。「わたしは話したのに、あなたがたは信じません。わたしが父の名によって行なうわざが、わたしについて証ししているのに、 10:26あなたがたは信じません。あなたがたがわたしの羊の群れに属していないからです。 10:27わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。わたしもその羊たちを知っており、彼らはわたしについて来ます。 10:28わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは永遠に、決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から奪い去りはしません。10:29わたしの父がわたしに与えてくださった者は、すべてにまさって大切です。だれも彼らを、父の手から奪い去ることはできません。 10:30わたしと父とは一つです。」 10:31ユダヤ人たちは、イエスを石打ちにしようとして、再び石を取り上げた。

(前回の復習は割愛いたします)

きょうは『わたしの羊はわたしの声を聞く』 、このテーマでみことばを取り継がせていただきます。

 詩篇23篇が神様が私たちの群れを導いてくださるお約束のみことばであると捉え、23篇を学びつつ、良き羊飼いでいらっしゃる主イエス様、そして、そのよき羊飼いでらっしゃるイエス様に導かれているその私たち羊のあり方、これをヨハネの福音書からいま学んでおります。

20210214-150529

 

わたしは良い牧者です。よい牧者は羊のためにいのちを捨てます。

 これがよき牧者である主イエス様、そして十字架の救いであると私たちは知っております。そしてこのお方の門を私たちは入る。そしてその羊となる。この門が悔い改めと信仰であり、この門を通らなければ入ることはできません。
「悔い改めと信仰」、これを使徒の働き2021節から抜き書きいたしましたけれども、パウロは言っています。
「ユダヤ人にもギリシア人にも」、これは他の民族はどうかという意味ではなく、当時のユダヤ人といえば神に選ばれた選民。そしてギリシア人というのはそれ以外の人たち、つまりどの人たちにおいてもとパウロはいうのです。パウロはどの人たちも「神に対して悔い改めること、そして、私たちの主イエスに対する信仰とをパウロは証ししているのだ」と言っています。これは、今日の私たちにもまったくそのまま当てはまるものであり、私たちの罪がイエス様の十字架を必要とした。神はそのひとり子をお与えになったほどに私たちを愛し私たちを罪の滅びから救うためにイエス様を十字架につけてくださった。

「主よ、あなたが神の裁きとしての十字架につけられたのは私の罪のためでした。罪のない仔羊が、私たちのために尊い血を流してくださった。イエス様有り難うございます」。このようにイエス様の十字架の贖いを信じる。神に対しての悔い改め、我らの主イエスに対しての信仰、これこそが私達が門を通るときに欠くべからざる大きな意味を持つものであります。

 イエス様はおっしゃいます。「わたしは良い牧者です。よい牧者は羊たちのためにいのちを捨てます」。この門であるイエス様のお救いに与った私たちは、そのお方の声を聞くことができるのであります。イエス様は仰います。「わたしの羊は私の声を聞く」。わたしの声を聞く。イエス様のお声を聞き分ける耳、それが門であるイエス様を通った羊たちの特徴であり特権です。イエス様の声を聞き分ける耳を私たちは持つことができます。それは何かというと御子イエスを神と告白する霊のそのお声です。

第一ヨハネの4章2~3
4:2神からの霊は、このようにして分かります。人となって来られたイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。4:3イエスを告白しない霊はみな、神からのものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていましたが、今すでに世に来ているのです。

 私は昔、神様の声を聞くということが、教会で、或いはクリスチャンどうしの会話の中で当たり前のように語られていることに正直戸惑いを感じたことがございました。まだ信仰を持って間もない時、神様がこのようにおっしゃったといった話を昔からの信者の方やクリスチャンの方々の会話に聞くと、どういうことなのか、それがわからない。私もいつになったらそういう表現ができるんだろうか。戸惑ったことを思い起こします。わたしの羊は私の声を聞く。

 ここで思いついたのはクッキングシートとペーパータオルです。私も少しは台所仕事をする事があります。クッキングシートとペーパータオルの使い分けはいい例話になるなと思います。神様のお声を聞くときに、例えばクッキングシートのようなものですと、神様のことばを水として、これをクッキングシートにこぼしても表面張力でころころと転がってしまいそこにはのこりません。一方ペーパータオルは、思う以上に水をしゅーっとよく吸ってくれます。料理に欠かせない2種類の紙ですけれども性質は対照的です。

 神様のお声を聞くときにクッキングシートのような心であってはならない。ペーパータオルのような心でなければならない。こう述べました。つまり、せっかく神様のことばが私達に来て私たちが受け入れないような、聞いてもコロコロコロとどこかへ転がって行ってしまうような、そういう心の状態、しかし、もう一つの方ではペーパータオル、ほんの小さな神様のおことばであってもきちんと受け止めて、さあーっとしみ込ませる。私の心はどっちだろうか。今日、私の心はどっちになっているだろうか。願わくは私たちの心が神様のお声を隅々までしっかりと吸収するペーパータオルのようであらせていただきたい、こう願うものです。

20210214-150627  

ここに有名な絵があります。左の方はお祈りをしている少年サムエルの絵です。右側の方は、少年サムエルとエリという神に仕える老先生です。

この少年サムエルが寝ておりましたときに、「サムエル、サムエル」と誰かが呼ぶ声がしました。しかしサムエルには分からない。これが続くものですから、エリ先生にありのままにお話ししました。そうしたところ、エリ先生は、はっと気がつきました。そうか、これは神様があなたに語りかけているのだ。「いいかいサムエル、こんどそのお声がしたら『主よおはなしください。しもべは聞いております』と言いなさい」。このように老先生エリは幼いサムエルに言いました。サムエルはまた自分の部屋に戻りました。そこは主の臨在のある部屋なのです。するとまた「サムエル、サムエル」と神様の語りかけがありました。エリ先生に教えられたとおりにサムエルは「おはなしください。しもべは聞いております」と言いました

このおことばに関連した嬉しいエピソードがあります。よく話題にさせていただいておりますが、同じ教団で福井県に親しくさせていただいている先生がおられます。この先生と新年の挨拶をメールで交わしましたときに、私が、「ことしは詩篇の23篇のおことばに励まされて新年を踏み出しております。お祈り下さい」と申しました。すると、向こうの方からは「そうですか、私たちは今年は『おはなしください、しもべは聞いております』、これが私の与えられたおことばです。家内は違うようでしたけれども」とお返事がありました。奥様が与えられたおことばもお知らせ下さいました。私、皆様に聖書のおことばの栞を作ってお渡ししておりますので、先生と奥様の分も栞を作らせていただきました。

先生が「おはなしください、しもべは聞いております」を自分に与えられたものとして、意味を調べてみたそうです。「しもべはきいております」は、ただ漠然と音が聞こえるような意味ではなく、食い入るようにというか、今から一体何を語ってくださるのかと心から求めるように神様のことばを聞くこと。神様のおことばを真面目に真実な想いをもって聞くことであるということです。これを先生からご連絡をいただき、喜んで栞を作らせていただきました。まさにキッチンペーパーです。神様のおことばを余すところなくぜんぶ。

私が水曜日に、「牧師の書斎から」ということでズームでの集会を持たせていただいております。はじめは、日々その1日を始めるにあたって、聖書のおことばと解説が短く記されております「デーリー・ライト」をテキストにしてみました。私は個人的にはいつも朝にこれを読んで、おことばを味わっております。たとえば、イエスキリストご自身が律法を全うしてくださるお方なのだ、だからそのイエス様を心にいただく、これは詩篇40篇8節の「あなたのみ教えは私の心の内にあります」とリンクするのだなというように思い巡らしながら恵みをいただくわけです。日常忙しい方々にも、いくつかの短い、しかし内容の詰まったおことばで励まされるわけです。この用い方をひろ子先生と祈りながら、毎週水曜日の「牧師の書斎」からお分かちしたいとその都度、どういう切り口がいいだろうかなと思っているところです。

20210214-150644  

 私たちが聖書通読をしておりますとき、神様は語ってくださいます。ほんとうに神様は語ってくださる。じゃ先生、語って下さるってどういうことですか。それは教えられる。或いは啓蒙されるということです。

 これは、初代総理蔦田二雄先生の薫陶を受けた方々はみんな知っていることですが、蔦田先生がよく仰いました。「聖書を読むときは2色の色鉛筆を使いなさい。とにかく毎日聖書を読みなさい。読んで、これは良いおことばだなあと思ったところには赤い線を引きなさい。あ、こんなことしちゃいけないんだな、と失敗に気付かされ、これは気を付けなければと教えられたところには青鉛筆で線を引きなさい」。

ひろ子先生はクリスチャンホームでしたから、当時は子どもも文語訳でしたけれども、これも習慣づけられていたそうで、教えられたからというよりはとにかく赤い線、青い線を引くのが楽しくてならないから引いたものだそうです。

いわんとするのは、聖書を読んでああそうかと思ったときには赤い線。ああこれは警戒しなくちゃ、わたしの失敗するところだと思ったなら青い線を引くというように聖書通読をしていると、神様が教えてくださる。或いは教会もいまはズームになっていますけれども、集会の中でも神様がみことばを通して語ってくださることがある。

聖書を読みましょう!

詩篇119105 汝(なんじ)のみことばわが足灯火(ともしび)、わが道の光なり。119:130 聖言(みことば)うちひらくれば光をはなちて 愚かなるものをさとからしむ

聖書を読みましょう!

きょうのズーム礼拝の中で、そうだ、聖書を読もう、こんなにすばらしい宝がつまっているのだから。こう捉えていただければ私はもう大感謝です。それから神様は生活の中で語ってくださることがあります。私たちは、日々の生活、色んな人との関りの中で暮らしています。考えさせられること、反省すべきことがいっぱいあります。そんなときに、ああそうだと聖書の中からそれを見出すことができます。

このチャートの中で光の中を歩むということがあります。「わたしの羊は私の声を聞く」とあります。光の中を歩んでいるときに神様は私たちに語ってくださる。そしてそのおことばをしっかりと捉えてそのお言葉に導かれて生きていく。このようにしていただきたいと思います。

 

私が献身し神学校に入って1年生の時の7月に、蔦田二雄先生が天に召されました。蔦田院長からは数か月しかクラスを受けることができませんでした。

そのクラスで、いい質問をさせていただいたなと今にして思うのですが、思いきって手を挙げて「先生、おことばが与えられるってどういうことですか?」と率直に質問しました。先生はにっこりされて「みことばが与えられるというのはね、洗濯機があるだろう。洗濯ものがぐるぐると回るだろう。そこにひゅっと指を入れると引っ掛かるだろう。みことばが与えられるというのは、ま、こんなことかな」そして「ただね、ぐるぐる回っている洗濯機が、いつまでもヨハネ316ばっかりだったらいけないぞ」。

聖書通読をしていると色々な聖書のことばが心の中にいっぱい蓄えられる。さて、この問題にどのように対処して行ったらいいのか、主はどのように導いてくださるか「主よ語りたまえ」とサムエルのように御前に出る。そして主が語ってくださったのならば、素直に従って行きたいという思いを持つこと。神様はその時々にいちばん必要なことばを語ってくださる。それはお一人お一人に違います。

人生のさまざまな局面の中で、聖書のことばが、これは健全に捉えて頂きたいと思うのです。洗濯機のように回る。それに指を入れるとばくっと引っ掛かる。それがみことばが与えられるということだとその面ばかりを強調されるとそれは不健全なことになってしまいますし、正しい神様の導きとはならない。けれども真実に遜って神様の導きとなるおことばを祈り求めるならば、主が語ってくださる。主は必ずその人に相応しいみことばをもってその人を導いてくださいます。

 

※音声データと画像は教会からお借りしています。
⏰6時22分更新

| | コメント (0)

雑感

J-MERO、さてきょうのゲストはSKE48OWV、小田さくら&高木紗友希。それにしても若者たちがステージで多人数でパフォーマンスを繰り広げ歌うようになったのはいつからだったろうとTVを点けると、番組変更なのか映画だた。「さらばバルデス」。ジェミー少年がチノに必死に置いて行かれまいとする場面から仔馬が生まれた場面あたりまで。最後までは見ない。J-MERO はどうも番組変更で4時半ごろからになっていたらしい。

⛳9時55分とりあえず更新。

 

| | コメント (0)

210219 クラシック倶楽部を聴く 妻屋秀和 世界のオペラ・アリア

イタリア声楽コンコルソ・ミラノ部門金賞をはじめ多くのコンクールに入賞。ライプチヒ歌劇場、ワイマール・ドイツ国民劇場のほか、ヨーロッパ各国の歌劇場に出演する。【演奏】妻屋秀和(バス)、矢崎貴子(ピアノ)【曲目】歌劇「ボエーム」から(プッチーニ)歌劇「ファウスト」から(グノー)歌劇「イオランタ」から(チャイコフスキー)【収録】2021年1月18日 めぐろパーシモンホール 大ホールで収録

ー番組紹介よりー

 

バスの妻屋秀和はイタリア声楽コンコルソピアノ部門入賞をはじめ複数のコンクールに入賞したのち、イタリアミラノに留学。その後ドイツのライプツィヒ歌劇場やワイマールドイツ国民歌劇場と専属契約しながらヨーロッパ各国の歌劇場で数多くのオペラに客演。これまでに演じた役は80にのぼる。

ピアノの矢崎貴子は山口県出身。桐朋学園大学を経て同研究科在学中より声楽の伴奏を中心に演奏活動を始めました。現在二期会研修所ピアニストとして国内のさまざまなオペラ公演の稽古に携わっている。

 

妻屋秀和のコメント

Qきょうのプログラムについて

ふだん僕はオペラばかり歌ってるもんですから、やっぱり僕のものとかパフォーマンスを聞かせるにいちばんいいのはやっぱりオペラかなと思いまして、あとリートとかも少しずつやっているので、と思ったんですが、先ずは僕はやっぱりオペラだと思ったんですよね。リートというのも一つの作品になっていてその一つひとつを構築していって一つの作品で一つのオブジェを作るという感じなんですけれども、オペラというのはそれぞれのパーツを持ってきて結果的に一つの大きなオブジェを作る感覚なんですね。なので自分が歌っているアリアというのは、その大きなオブジェの中で一部分でしかないんですけども、その一部分でありながらも、パーツがすごく大きな意味を持っていてというような感じがあるので、作り方がかんことなりますよね。   対象になる人が存在するんですね、自分の独白だけではなくって、そこに対象の人が存在したり対象物があったり、あと一人に掛けているものもあれば大勢に掛けているものもある曲もありますし、自然と手が出てしまうわけです。演技というつもりではないんですけども、歌曲とはちょっと違った感じにはなると思います。

Qバスの魅力とは

テノールやソプラノに比べて派手さはないです。バリトンに比べても派手さはないです。華がないといったらそれまでなんですけども、バスにはバスにしかない魅力というのもあると思うんですよね。この低めの声もあたたかい気持ちになるそんな声ではないかなと思います。勿論、強い表現をすることもあるんですけれども、どちらかというとテノールが王子さまやってるんだったら、じゃバスは王さま、でソプラノが恋人となっていると、それを心配するお父さんであったりとか。僕の今の年になってようやくそのバスの役柄に馴染んでちょうどうまいとこに来たかなと今すごく思えるんですよね。今の年齢と役柄を表現するのにちょうどいいのかなという気もしますし、滅多に聴けないバスのアリア、みなさんご存知ない曲もたくさんあるとおもうんですけども、是非この機会に聴いてみて、あ、こんないい曲もあるんだ、この曲実は知ってるとかありましたら是非聞いていただけると嬉しいと思います。

Qロシアのオペラ作品について

これは昔から自分に合うからと言われていたロシアのオペラですね。チィコフスキーの音楽といったら日本人の心に伝わるというか、ちょっと演歌チックなところもありますよね。ああいうところになるとやっぱり日本人的に歌おうと思ってるわけじゃないんですが、自然に入っていける、ぐーっと絞り出すような表現とかが、やはりロシアのものというのはそういう感じがしますね。

Qヴェルディのオペラ作品について

ヴェルディのオペラを4つ続けて聴いていただく。ヴェルディで求められるバスの声というのは、あたたかい声であったり、威厳を求めている声であったりするんですが何れも表現が大きいんですね。4曲歌っていくとしだいに魂が抜かれていくような感じがしますね。でもそれぐらいちょっと意気こめて歌っていきたいと思います。

 

 

曲目

歌劇「魔笛」から「この神聖な殿堂には」 モーツァルト

歌劇「ボエーム」から「古い外とうよ」プッチーニ

歌劇「ファウスト」からメフィストのセレナード 

「眠ったふりをせずに聞きたまえ」グノー 訳 多田茂史

  ―悪魔メフィストフェレスが恋人に捨てられたマルガレーテをあざ笑う歌―

歌劇「イオランタ」から「「もし私に罪があるならば」チャイコフスキー

  ―ちゃいこふすきーがのこした最後のオペラをプロバンスの王レネが己の娘イオランタの目が見えないことを悲しみ嘆くアリアー

歌劇「ボリス・ゴドノフ」から「ビーメンの話」 訳 小賀明子

   「ある日の夕暮れ 年とった羊飼いが」ムソルグスキー

  ―ロシア歌劇の傑作の一つ。ボリス・ゴドノフは幼い皇太子を暗殺して帝位に就く。―

歌劇「シモン・ボッカネグラ」から「悲しい胸の思いは」ヴェルディ

  ―政敵であるシモンを愛し死んでいった娘を思って歌う。フィエスコの悲しみのアリアー

歌劇「ナブッコ」から「来たれレビよ」ヴェルディ

  ―ヴェルディ初期の代表作。大祭司ザッカリアが聖典を手にし、神へ奇跡を祈る荘厳なアリアー

歌劇「シチリア島の夕べの祈り」から「ああ、パレルモ」ヴェルディ

  ―フランスの支配下にあったシチリアのパレルモで起こった民衆の反フランス暴動を題材に書かれたオペラ―

歌劇「ドン・カルロ」から「ひとり寂しく眠ろう」ヴェルディ 訳 多田茂史

  ―19世紀のスペイン宮廷の複雑な人間模様と葛藤を描いたヴェルディ中期の傑作。政略のために息子から婚約者を奪ったスペイン王フィリッポ2世が愛のない結婚や王としての孤独な心情を歌ったアリア―

 

🎵コロラトゥーラを聞いていて息をのむ瞬間には美しく感嘆するし、メゾ・ソプラノの味わい深い滋味も沁みるし、テノールの世界が開けていくような音域もいいけれども、はじめてこのバスのアリアをまとめて聴くことで、バスの舞台で果たしている役割が明確となり、声の持つ安定感、底力、威厳、厳格さはやはり他の声に図抜けている。絶対音感がない者には「悲しい胸の思いは」の最後の長く曳航するように引かれる音がピアノのどの位置かは定め得ないが、ここでバスの声の不思議さが思われた。人の声は不思議だ。
当地で毎年開講されるオペラ講座を聴いて、さらに詳しく知ろうとするならヴェルディかなと思っていたが、けさは代表的なアリアを4曲聴く幸運に恵まれた。

 

 

🎧名曲アルバム。円光寺&東京フイルのシューベルトの「グレート」
「ベートーベンの後に生まれた者に何ができるのか」。

⛳雪。ここのところ吹雪、吹雪、雪、小雪、雪。ヴェルディの人の運命をわしづかむような、というよりも鷲づかんでいるのは神で、神がヴェルディを通して書かせたのかもしれない。
すごい響きを繰り返し耳にしながら9時55分更新。

 

 

| | コメント (0)

210218 クラシック倶楽部  福井敬 悲しくなったときは ~歌に込めた思い~

新国立劇場やびわ湖ホールほか数々のオペラ公演でタイトルロールを演じ、ドラマティックな歌声で聴衆を魅了。2016年ウィーン・フィルの第九演奏会でソリストを務める。【演奏】福井敬(テノール)谷池重紬子(えつこ)(ピアノ)【曲目】君を愛す(グリーグ)歌劇「トゥーランドット」から 誰も寝てはならぬ(プッチーニ)悲しくなったときは(中田喜直)ほか【収録】2020年12月3日 武蔵野市民文化会館大ホールー番組紹介よりー 

テノールの福井敬は岩手県出身。これまで新国立劇場やびわ湖ホールほか数々のオペラ公演でタイトルロールを演じ、輝かしくドラマテックな歌声で聴衆を魅了。2016年にはウィーン・フィル管弦楽団の第九演奏会でソリストを務めるなど、国内外のオーケストラトの共演も多く、日本を代表するテノール歌手の一人として精力的に活動。
(以下はこちらから)国立音楽大学及び同大学院修了。文化庁在外派遣等により渡伊。イタリア声楽コンコルソミラノ大賞(第1位)、芸術選奨文部大臣賞新人賞、五島記念文化賞オペラ新人賞、ジロー・オペラ新人賞及びオペラ賞、出光音楽賞、エクソンモービル音楽賞本賞、等受賞多数。2015年には二期会「ドン・カルロ」の優れた演唱等により"第65回芸術選奨文部科学大臣賞"を受賞。二期会「ラ・ボエーム」ロドルフォ役での鮮烈デビュー以来、数々のオペラに主演。他者の追随を許さない輝かしい声、音楽性豊かな表現力かつ情感溢れる演技により、聴衆を魅了している。
ピアノの谷池重紬子は第一線で活躍している歌手と数多く共演。歌手の育成にも携わる。次代のオペラ界を担う歌手を支えている。

 

福井敬のコメント
 テノールの魅力は、昔、高校時代に応援歌練習、要するに伴奏無しで応援歌を歌わされるんですよ。周りのみんなは高い音でヒーヒーいってたんですけど、なぜか私だけ高い音がわーっと出ちゃって何でだろうと不思議に思ってたたんですけど、あ、これがテノールというものなんだなとそのときに初めて感じて、自分はテノールなんだろうと思って、最初におそらくルチアーノ・パバロッティという世界の名テノールの、その時代はまだLPレコードなんですけど、買いまして、こんな素敵な声を持ってる人がいるんだ、わ、面白いなと思って勉強していくうちに、歌って、あ、そうだ、楽器を使わないんだ。そうか自分自身の体が楽器でそれが、自分の体そのものが逆に音楽を表現するためのインストゥルメントであり、その手段であり、唯一のものだとすごく魅力を感じて、やっていくうちにどんどんどんどん嵌っていきました。
 私は実は岩手県の出身なんですね。東日本大震災があったときに、やっぱりその無力感と言うか、自分はこちら関東にいて何もできない悔しさとか虚しさ、それからこちらで被災された方が大変な生活を送ってらっしゃる。あるテレビでニュースで岩手で被災した避難生活、ほんとうに辛い、大変だと仰ってたんですけども、でもそういうときに、「宮澤賢治の詩を口ずさむんです。そうすると、あ、もうすこし頑張んべが、て思えた」と。それを見たときに何ができるんだろうと思ったときに、あ、自分は逆に音楽を色々なコンサートの会場で披露することができるんですから、じゃ音楽で皆さんにこういう思いがあるんだよ、こういうふうに頑張っている人がいる、そういう思いを忘れないでほしい、それから一緒に感じて欲しいというふうに思って歌うようにしています。

 

曲目
「君を愛す」 アンデルセン詩、グリーグ曲 寺倉正太郎 訳
「木兎」 中田喜直
歌劇「リゴレット」から「女心の歌」ヴェルディ
歌劇「トゥーランドット」から「誰も寝てはならぬ」プッチーニ
歌劇「トスカ」から「たえなる調和」プッチーニ  小畑恒夫 訳
歌劇「ウェルテル」から「春風よなぜ私を目ざますのか」マスネ
詩「雨ニモマケズ」福井敬の朗読
「悲しくなったときは」寺山修司 詩 中田喜直 曲
「死んだ男の残したものは」谷川俊太郎 詩 武満徹 曲
「小さな空」武満徹
「春なのに」菅野祥子
「つれない心」カルディッロ
「彼女に告げてよ」ファルヴォ 小瀬村幸子 訳
「ビー・マイ・ラブ」ブロッキー 濱田滋郎 訳

 

死んだ男の残したものは

1.
死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

2.
死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった

3.
死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

4.
死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

5.
死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

6.
死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
他には何も残っていない

 

🎵歌劇では愛の心境を朗々と。オペラは向こうでは演劇よりも大衆的であるらしいけれども、愛の移り気、軽さ、切なさ、喜び、悲しみ、傷み、愛の勝利を余すところなく。やはり武満の「死んだ男の残したものは」が沁みた。谷川俊太郎が作曲を依頼。「ベトナムの平和を願う市民の集会」のために書かれた作品。「つれない心」はアメリカに帰化したイタリアの作曲家カルディッロが同郷であるナポリ出身の大テノールであるカルーソーに捧げた作品であると番組解説。
 一曲一曲をぐんと引き寄せ渾身で歌いあげる。じわりと心に来る説得力に感動! 無観客であるけれども、コロナなければ観客の間から盛んにブラボーがあがっていたはず。
 岩手出身ということもあり、聴き入った。県人の活躍は嬉しい。 

🎧名曲アルバム。ブラームスの交響曲第一番。
唯一現存のブラームスの家には、音楽家であれば宿泊できるらしく、2か月滞在という音楽家が映っていた。

⛳けさの日の出は雪景色に美しく紅色。この写真どりやら食事やらを挟んで、且つ、じっくりと歌曲を聴いた満足感、それといまアナザー・ストーリー、TVで太宰治が。ちょうど芥川賞を得んと綿々と手紙を認めた場面を背中に聞きながら8時55分更新。

| | コメント (0)

210217 クラシック倶楽部を聴く イル・デーヴ スペシャルコンサート

「さびしいカシの木」「かもめ」「涙そうそう」「花は咲く」(イル・デーヴ)「ちびつぐみ」(山下浩司)「かやの木山の」(望月哲也)「あわて床屋」(青山貴)「春」(大槻孝志)「ピアノのためのからたちの花」(河原忠之)「糸」「いのちの歌」「アンパンマンのマーチ」(イル・デーヴ)2020年11月29日 北海道伊達市 だて歴史の杜カルチャーセンター公開収録ー番組紹介よりー

 望月哲也、大槻孝志(テノール)青山貴(バリトン)山下浩司(バスバリトン)河原忠之(ピアノ)
総重量500キロの重量級クラシック・ボーカル・グループ。イイギリスの「イル・ディーボォ」に触発されて2011年結成。豊かな音色とぬくもりのある音楽を目指す。コンサートや録音の分野で活躍中。

 

青山貴のコメント
今年のコロナ禍で、イル・デーヴも他のクラシックの演奏家の皆さんと同じようにやはり春から演奏会が次々と中止になってしまいました。練習もできなかったですし、活動が全くできない状態が何か月も続いたんですが、その秋から少しづく演奏活動を再開させていただき、これが何とか続けていけたらなあとおもっています。

メンバーが互いに魅力を語る
山下浩司の魅力
山下さんはこのイル・デーブ5人のリーダー。大先輩にあたる。頼らせて頂いてるし気さくに接しているし、とてもやさしい方です。
望月哲也の魅力
イル・デーブのいちばん上のパートを歌う事が多いんですけれども、みんなを先導してくれるすばらしいテノール。
青山貴の魅力は
いちばん年下のメンバー。デーブのマスコットといわれている。彼の歌唱、彼のおしゃべり、いわゆるMCいわれているんですけれども、いちばんお客さんの人気が高い。イル・デーブのメンバーからもそうですしお客さんのみんなからも愛される愛すべき存在。
大槻孝志の魅力は
望月は大槻とは大学時代からの同級生。アイデアマン。コンサートのプログラミングも積極的に考えてくれ、イル・デーブの可能性も探って盛り上げてくれる。
河原忠之の魅力
ほんとうに見た通りの大柄な体格で、僕(大槻)たちの声も見た目も支えてくださって、僕は個人的に河原先生のピアノの音が好きで、みんなもそうなんですが、その音に後押しされて毎回気持ちを乗せられるという大黒柱というか、縁の下の力持ちと言った存在。

曲目
「さびしいカシの木」やなせたかし作詞、木下牧子作曲
「鷗」三善達治作詞、木下牧子作曲
「涙そうそう」森山良子作詞、BEGIN作曲
「花は咲く」岩井俊二作詞、菅野よう子作曲
「ちびつぐみ」北原白秋作詞、平井康三郎
 
歌 山下浩司
「かやの木山の」北原白秋作詞、山田耕筰作曲
 歌 望月哲也
「あわて床屋」北原白秋作詞、山田耕筰作曲
 歌 青山貴
「春」新川和江作詞、信長貴富作曲
 歌 大槻孝志
「ピアノのためのからたちの花」山田耕筰作曲
 ピアノ 河原忠之
「糸」中島みゆき作詞曲
「いのちの歌」Miyabi作詞、村松崇継作曲
「アンパンマンのマーチ」やなせたかし作詞、三木たかし作曲

 

🎵詩人としてのやなせたかしが主宰する「詩とメルヘン」に何回か自分の詩を取り上げていただいたこともあり、最後がやなせの詩で締めくくられ嬉しく思った。最初は大人向けに書いた「アンパンマン」を、後に子供向けの漫画に描き直してヒット。やなせは60歳を過ぎていた。1988にはTV放映。69歳にして爆発的なヒットを手にする。

こうしてじっくり聴いてみると、歌の雰囲気が「アンパンマン」のところだけ瞬時あの飛ぶヒーローが浮かぶのだが、よい詩だなと思う。

「そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷が
いたんでも」

 ちょっと話は飛躍するけれども、イエス・キリストは人の罪の身代わりに十字架につけられ罰を受け苦しんだというけれども、このアンパンマンはお腹を空かせたものたちに自分の体を食べさせる。自分は痛いのだけれどその痛みの分だけ他者が生きる。私の友達が病気で苦しむ過程を踏むことになり、何といってよいか分からなかった。けれどもその後で、自分が苦しむときには誰かがどこかで生かされるときなのではないか、だから苦しみは無駄ではない、そんな気がした。けれども、友達と全く同じ状況に置かれてみなければ、それを口にはできない、そんな気もした。
 今回聴いていて、流行歌にも人を励ます、気持ちをホットにしてくれる歌はたくさんあるなと。中島みゆきもMiyabiも。 
 メンバーによるそれぞれの方の紹介とソロ演奏、バス・バリトン山下の「ちびつぐみ」、朗々と重厚、聴きごたえがあった。

 まだまだ書き足りない気がするけれども、時間の都合できょうはここまで。各メンバー、海外で研鑽を積み、国立音楽大学、愛知県立芸術大学で准教授、教授である方々である。

 

🎧名曲アルバムは武満徹の「小さな空」。世界にも名の通る武満、しかしその初めはピアノの紙鍵盤からであった。たしかダン・タイ・ソンもそう。環境がどうであれ、何は無くてもやる人は頑張ってここまでも。

⛳昨夜来の吹雪が「懲りたかな、まだ懲りてないな」と風に流される奥でつぶやいている。これはどうも私に言っているらしい。9時24分更新。

| | コメント (0)

210216 クラシック倶楽部を聴く 森谷真理 魅惑のソプラノ

森谷真理 魅惑のソプラノ

武蔵野音楽大学声楽科および大学院、ニューヨークのマネス音楽院で学ぶ。2006年「魔笛」夜の女王役でアメリカ、メトロポリタン歌劇場でオペラ・デビュー。以後、欧米各地の主要歌劇場に出演を重ねている。近年では国内の舞台でも。山田武彦は東京芸術大学及び大学院で作曲を学んだ後、パリ国立高等音楽院ピアノ伴奏科に留学。色彩豊か音色による大らかなアンサンブルで多くの演奏家から信頼を得る。【演奏】森谷真理(ソプラノ)山田武彦(ピアノ)【曲目】歌劇「マノン」から 私が女王のように町を行くと(マスネ)叙情的散文(ドビュッシー)ほか【収録】2020年11月26日めぐろパーシモンホール 小ホールー番組紹介よりー

 

森谷真理のコメント
 歌との出会いは、母が声楽家だったので物心ついたときには母の歌を聴いていたという出会いでした。ちょうどその大学院に入る前の時に、母の大学時代の友人の方が、ニューヨークに住んでらっしゃる方だたんですけど、その方が偶然栃木の実家に遊びに来て下さって、その時に、ニューヨークはどう? といってくださったのがたぶん最初のきっかけだと思います。何しろアメリカは他のヨーロッパの国と違って、やはりオペラというものは後から国に取り入れた国ですよね。彼らのものではなかったというところが大きくて、とてもよい先生たちがそろってたんですね。アメリカに行ったことがご縁で、やはりイタリアオペラだけではなく、たとえばあの当時学校に入って、すべてきちんとドイツ歌曲を勉強する機会を得たりオラトリオか、あとはちょっとバロックに触ってみるとか、フランス歌曲であるとか、色々なジャンルのものを手広くそれをきっかけになったのは、アメリカの学校に行けたお蔭ではないのかなと今でも思ってます。
 まずアメリカの国独特の事かもしれないんですが、例えばコンクールにしてもオーデションにしても、一つの言語だけの曲を持って行ってはいけない。色々な時代のものを幅広く入れつつ、たとえばドイツ語もありフランス語もあり、英語もありというような形でのプログラムになるので、私は何も知らなかったので、そのときついていた先生に、あなたどう、これやったらどうと言われつつ受験をこなして、それで学校に入ってまた授業を通って、他の生徒さんが歌っているのを聴いたりだとか、先生にもらった曲を自分で見たりだとかやってるあいだに、ああ、自分はこう言う曲が好きなんだなとか、こっちのジャンルはもうちょっと勉強してみたいとか、そういった意識は芽生えていました。
 この日本で働き始める前はオペラばかり歌ってたので、逆にあまりコンサートというものをしたことがなかった。オペラの魅力は、わたしがどうしてオペラを好きかと言えば、一人じゃないというところですね。アンサンブルが好きなんです。誰かと一緒に歌ってるのが好き。あとお芝居が楽しいですね。言葉もあるけれども、そこに演技というものがついてくる。演技をするときも相手方がいる。そういうところが私はすごく、オペラやりたいと思う時はそういう時で、人恋しいときですね。
 歌曲の魅力は、歌曲で特にチクルスが好きなんですけど、その世界観と言うものを自分で作れるというところが好きです。自分で、勿論ピアニストの方と一緒にですけれども、その空気感であるとか方向性であるとか最終的にマネージメント、自分からですよね。そこが面白いところかなあとは思ってます。
 私はドビュッシーが大好きなんです。歌曲と言ったらドビュッシーが群を抜いて好きなので、私にとってはすごく感動が深い。すごく深く突き刺さるものがあって、かといって攻撃的でもなく、独特の柔軟性と言うか柔らかみもありつつ深みもありつつ鋭いところもあってというところがすごく魅力的で、やはり自分が良いと思った曲を歌いたいという本能的な欲求があります。私はドビュシ―が好きなんですよね。

曲目

歌劇「アルチーナ」から「帰ってきて、喜ばせて」ヘンデル作曲
歌劇「ジュリアス・シーザー」から「夜は青く」ヘンデル作曲
歌劇「マノン」から「私が女王のように町を行くと」マスネ作曲
歌劇「タイス」から鏡の歌「私を美しいと言っておくれ」マスネ作曲
「アナカプリの丘」ドビュッシー  山田武彦のピアノ演奏
「叙情的散文」ドビュッシー作曲
 ドビュッシー33歳のときの作曲。1895年出版の歌曲集。歌詞はドビュッシー自身の手による。4つの曲で構成されている。


🎵詩はあとでまた聴きなおして、読み直してみる必要があるけれども、しかし、ソプラノ、好きだというドビュシーのみならず、如何様にも対応可能なゆとりを感じさせる。時間が短く感じられたということは、どうも引き込まれて聴いていたらしい。ドビュッシーの詩は凡庸さを回避するような企みも感じられるけれども、この詩でドユッシーの私的世界観に意外な+α。

 

🎧名曲アルバムはサティの「あなたが欲しい」。
20世紀初頭の面影をのこす酒場のピアノはYAMAHA、これはいつかも書いたけれども。

 

⛳何れ朝の短い時間でこの1時間の音楽のすべてを理解し、筆記するのは無理であると痛感するこの頃。830分更新
外は吹雪。

 

| | コメント (0)

210215 クラシック倶楽部を聴く 林美智子 メゾ・ソプラノリサイタル

国際ミトロプーロス声楽コンクール2003で最高位入賞。オペラのほか、オーケストラとの共演、リサイタルなどでも活躍を続ける。自身のプロデュース公演でも注目を集める。【演奏】林美智子(メゾ・ソプラノ)石野真穂(ピアノ)【曲目】朧月夜(岡野貞一)赤とんぼ(山田耕筰)落葉松(小林秀雄)旅のこころ(加藤昌則)恋のかくれんぼ、昨日のしみ(武満徹)ほか【収録】2020年11月18日 めぐろパーシモン小ホールー番組紹介よりー 

林美智子
東京音楽大学卒業。文化庁派遣芸術家在外研修員としてミュンヘンに留学。2003年国際ミトロプーロス声楽コンクールに入賞。二期会、新国立劇場中心に数多くのオペラに出演。チョン・ヨンフンやパーヴォヤルヴィなど国内外の指揮者と共演。

石野真穂
桐朋学園大学音楽学部卒業。パリのシャトレー劇場でコレペティツールの研鑽を積む。帰国後コレペティツールとして活躍。二期会、新国立劇場の演奏に関わる。

 

林美智子のコメント
日本の歌曲の魅力は、母がお風呂で毎日のように歌ってくれていたので、みかんの花咲く丘とか、色々な歌、そしてコーラスでも四季折々の日本の歌をたくさん習っていたので、自然に慣れ親しんだ感じでしたね。母国語ですからお客様とキャッチボールが直接的にできるので、自分が感じていることをそのまま伝えて、そしてお客様にもそのまま感じていただいただく、そんな分野ですね。
 武満徹さんの歌を好きになったきっかけというのは、もともとは谷川俊太郎さんの詩の方が私には身近にありまして、シンプルで想像力が湧く愉快な詩には心躍らされて、そしてまた武満さんは、こと歌に関しては何かの書物で、もう歌は限りなく自由でいい、その人のその人のことばで表現で自由であるべきだと書かれていたのを読んでなるほどなと思って、是非これらの歌を自分のライフワークとして歌って行きたいなと感じました。

 

朧月夜 高野辰之作詞 岡野貞一作曲
お菓子と娘 西条八十作詞 橋本国彦作曲
くちなし 高野喜久雄作詞 髙田三郎作曲
貝がらのうた 三善晃作詩曲
市の花屋 深尾須磨子作詞 髙田三郎作曲
赤とんぼ 三木露風作詞 山田耕筰作曲
落葉松 野上彰作詞 小林秀雄作曲
さびしいかしの木 やなせたかし作詞 木下牧子作曲
ねむの木の子守歌 上皇后作詞 山本正美作曲
旅のこころ 高田敏子作詞 加藤昌則作曲
夢みたものは 立原道造作詞 木下牧子作曲
以下は武満徹作曲
恋のかくれんぼ 谷川俊太郎作詞
昨日のしみ 谷川俊太郎作詞
小さな部屋で 川路明作詞
見えないこども 谷川俊太郎作詞
うたうだけ 谷川俊太郎作詞

 

「さびしいかしの木」 アンパンマンの作者やなせたかしの詩。山頂に立つ一本のかしの木がさみしさに慣れてしまったとつぶやく様子を歌っている。
「市の花屋」 髙田三郎はパリの庶民の生活を書いた深尾の詩に日本への愛しさを感じて「パリ旅情」をさっきょくしたが、その一曲。
「落葉松」 野上彰は昭和22年の秋に軽井沢で「落葉松」の詩を書いた。野上の死後小林はこの詩を読んで深く感動し一気に作曲したといわれている。
「旅のこころ」 詩人高田敏子は主婦の立場から平易なことばで日常を描き多くの女性から支持されていた。
「夢見たものは」 木下牧子が高校生の時に作曲。
「ねむの木の子守歌」 上皇后が高校生の時の作詩

🎵今回は「落葉松」がじわりと。落葉松、新緑の落葉松には清々しさ、黄葉の落葉松には明るさばかりを感じ取ってきただけに、この詩と曲の全く違った青色、濃紺、水色、黒と林美智子のメゾ・ソプラノに透明度が増してくる色彩感と雨に濡れそぼつ、涙に濡れそぼつ深い悲しみに打たれた。「落葉松の 小鳥の雨に わたしの 乾いた眼が濡れる わたしの 乾いた眼が濡れる」。落涙。

🎧名曲アルバムはトスカニーニの「子守歌」。ピアノ白石光隆
音楽に対する厳格さで知られた1867年生まれの作曲家。

 

⛳きょうは朝の眩い光はないが、けさの外気温6度で春の芽吹きの前触れが感じられた。1時間の食事、後かたずけを挟んで9時17分更新。

 

| | コメント (0)

きょうのことば  「主の牧場の羊たち」

インマヌエル盛岡キリスト教会2021年02月07日の礼拝メッセージをおつたえいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で47年目のご奉仕をしておられます。

Img153_20210214052501

説教題 『主の牧場の羊たち』  (國光勝美 牧師)
聖書引証 新約聖書 ヨハネの福音書10118

(前回の復習は割愛いたします)

 きょうは『主の牧場の羊たち』というテーマでメッセージを導かれております。詩篇23篇の学びは前回で一応区切らせていただきました。 先週、総会を越えて、この年どのようにみことばを関連付けていったらいいのでしょうかと導き求めておりましたときに、よき牧者でいらっしゃるお方に導かれている私たち、「主の牧場の羊たち」に焦点を合わせて恵みをいただきたいとヨハネの福音書10章をお開きした次第です。

この1節から6節まで。

10:1「まことに、まことに、あなたがたに言います。羊たちの囲いに、門から入らず、ほかのところを乗り越えて来る者は、盗人であり強盗です。 10:2しかし、門から入るの羊たちの牧者です。 10:3門番は牧者のために門を開き、羊たちはその声を聞き分けます。牧者は自分の羊たちを、それぞれの名で呼んで連れ出します。 10:4羊たちをみな外に出すと、牧者はその先頭に立って行き、羊たちはついて行きます。彼の声を知っているからです。 10:5しかし、ほかの人には決してついて行かず、逃げて行きます。ほかの人たちの声は知らないからです。」 10:6イエスはこの比喩を彼らに話されたが、彼らは、彼らは、イエスが話されたことが何のことなの、分からなかった。

 ここに牧者と盗人について記されています。読んでいただけばすぐに納得していただけるだろうと思います。所謂世の中の羊飼いである牧者が、主の羊を何とか盗もうとしている、そういう人たちのことについて記されているのが1節から6節です。

そして7節から10節には、羊たちの門であるキリストのことが記されています。

10:7そこで、再びイエスは言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしは羊たちの門です。 10:8わたしの前に来た者たちはみな、盗人であり強盗です。羊たちは彼らの言うことを聞きませんでした。 10:9わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら救われます。また出たり入ったりして、牧草を見つけます。 10:10盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかなりません。わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。

 7節に「再びイエスは言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしは羊たちの門です」。で、「わたしの前に来たのは盗人であり強盗」である。でもイエス様は、「わたしは門である」そして「わたしを通って入るなら救われる」。このように710節まで記されてあります。

そして、11節から最後の18

10:11わたしは良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。 10:12牧者でない雇い人は、羊たちが自分のものではないので、狼が来るのを見ると、置き去りにして逃げてしまいます。それで、狼は羊たちを奪ったり散らしたりします。 10:13彼は雇い人で、羊たちのことを心にかけていないからです。 10:14わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っており、わたしのものは、わたしを知っています。 10:15ちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じです。また、わたしは自分の羊のために自分のいのちを捨てます。 10:16わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊たちがいます。それらも、わたしは導かなければなりません。その羊たちはわたしの声に聞き従います。そして、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです。 10:17わたしが再びいのちを得るために自分のいのちを捨てるからこそ、父はわたしを愛してくださいます。 10:18だれも、わたしからいのちを取りません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、再び得る権威があります。わたしはこの命令を、わたしの父から受けたのです。」

 この「よい牧者」とはイエス様ご自身を表しているのですけれども、イエス様はどういうことをしてくださるお方なのか。

「よい牧者なるお方は羊のためにいのちを捨てる」。ここによい牧者であるキリストが象徴的に記されております。これに、すぐる1月学び続けました詩篇23篇の「主はわが牧者」を合わせて恵みをいただこうとしているわけでございます。

 ここに示しました画像で、すこし豆知識を申し上げます。ヨハネの福音書の中でイエス様が、ご自分がどのようなものであるかを7つあげて自己紹介しておられます。これを覚えておくことは意味があるだろうと思ったしだいであります。

20210207-135622

 さて、ヨハネの福音書10章の最初の部分ですけれども。「偽りの羊飼い」、これはどういうものを意味しているのだろう。すこしチャート、図を用いてまとめてみました。イエス様は、自分よりも前に来た牧者は偽りのものだ、こういっておられます。それは「強盗であり盗人」であると。イエス様がここで偽りの羊飼いに注意をするようにといっておられるのは、実は、パリサイ人達のことで、彼らは指導的な立場にあって、これを行えばいのちを得ることができる、救いを得ることができると羊たちに教えているけれども、いやそうではない。「偽りの羊飼いたち」とは、それはわたしより前に来ている宗教的な指導者、パリサイ人たちである。彼らは結局まことの羊飼いである主イエス様を十字架につけ拒絶する。真の牧者としていらっしゃったイエス様を拒絶する、それが偽りの羊飼いたちなのだということをイエス様はこのところで述べていらっしゃいます。

イエス様は、「私は門です」と。7節以降のところにあります。「わたしは門です」。そして8節「わたしより前に来たものはみな盗人であり強盗です」。ほんとうの私の羊たちは彼らのいうことは聞き入れない。わたしが門なのだ。誰でも私を通って入るなら救われる。「わたしは門である」。そして「わたしを通って豊かないのちの糧を得ることができる。そしてそのよき牧者は11節以降に「羊のためにいのちを捨てる」と記されている。このところをしっかりと捉えたいと思います。

20210207-135641

 9節「わたしは門です。誰でもわたしを通って入るなら救われます」。私は23篇のメッセージを1か月取次がせていただきながら、羊は迷いやすく弱い存在である人間を表していると申しました。そんな者たちがイエス様の声を聞いて、聞き分けてそれに従っていく。23篇に見られる幸いな主の羊となるには、いったいどうしたらいいのか。

それはほんとうに一人ひとりがイエス様を救い主とする悔い改めの門を通っているかどうかによって違う。これを深く思うのです。罪を悔い改めませんと、今まで世の中の声に従う耳、生まれ変わる前は世の中の声に従う耳であり、そして私たちの歩みは自分の欲望を求める足。悔い改める前はこのような耳、イエス様の声ではなく世の中の声を聞く耳。自分の欲を求める足。それで歩いて来た私達でした。

しかし聖書はいうのです。「ユダヤ人にもギリシャ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰を証ししてきたのです」という使徒の働きの2021節を引用しておきましたけれども。主の羊の特色は、一人ひとりがほんとうに悔い改めてイエス様を信じているということ、この門を通っている羊であるかどうかということ、これが決定的な違いです。この悔い改めとイエス様に対する信仰というものを知らない羊は、イエス様の声を聞き分けることができません。またイエス様が願っておられるような歩みをすることができません。「わたしは門である」とイエス様がおっしゃったとき、一人ひとりが真実に罪を悔い改めて、生まれ変わって、イエス様の声を聞く耳、イエス様のみ旨に喜んで従おうとする足。これを持つ羊であること。それが新生の恵みです。

これは何回私たちの信仰生活の中で、あの時、私は確かに神様の声を聞き分ける耳をいただいた。そして私の足は、神様のみ旨を喜んで従おうとする足になっている。生まれ変わっている羊たち。この私たちのために主イエス様は11節にありますように「良い羊飼いは私たちのためにいのちをお捨てくださいました。このお方を信じることによって私たちは新生、新しい神のいのちを持つことができるのであります。神の声を聞き、そして神様に従っていく足をもつことができるようになります。そして私たちはこのみことばを食することができます。そして私たちは「我が世にあらん限り必ず恵みと憐れみと我に添い来たらん。我はとこしえにエホバの宮に住まわん」という神様を仰ぐ、永遠を仰ぐ目が与えられます。

このヨハネの福音書10章を開きながら皆さんとご一緒にもういちど詩篇の236節を開いていただきたいと存じます。これは前回の時に最後にお開きしたチャートです。

6 まことに 私のいのちの日の限り 主が与えてくださったいのち、その使命がある限りいつくしみと恵みが 私を追って来るでしょう。
この「いつくしみ」というのは、「神の満足」、神が創世記の1章に、「はなはだよかった」。神様の満足のいつくしみ、その神様が私達を祝す。そして憐れみ。神様がイスラエルの民に忠実に必ず約束を果たしてくださるという愛情の表現が恵み、或いは憐れみということばにあらわされているのでございます。

そして詩篇の62篇

11神は一度告げられた。二度私はそれを聞いた。力は神のものであることを。12主よ 恵みもあなたのものです。

力と憐れみの神、いつくしみと恵みの神。これが生涯わたしを負ってくる。これは付きまとうというと否定的な意味合いになりますけれども、そのような表現が使われております。そのような表現が使われているほど、逃げようとしても逃げ切れない。そういうような強い表現。恵みと憐れみとが必ずわたしの生涯に付きまとう、つき従ってくる。それはまさに永遠的な祝福。「われはいつまでも主の家に住まい」。どうぞこの詩篇23篇の祝福、これがヨハネの福音書10章、よき羊飼いであられるお方と、そして、そのお方を私たちは悔い改めの門、救いの門をちゃんと通って、信仰を持って、このお方のお声を聞き、このお方を喜んで従って行く足、それをもって豊かな糧をいただく羊として歩ませていただきたいと存じます。

※データは教会からお借りしています。

⏰昨夜23時8分福島・宮城で震度6強の地震、今5時半時点でで80人の方々が怪我、原発には異常なし、津波の心配はないと。心痛みつつ、しかし、けさも聖書メッセージを更新します。
聖書のヨハネの黙示録22章13節「わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」
このことばが浮かびました。
5時39分更新

| | コメント (0)

J-MERO ざっと

 久方ぶりのJ-MEROという感じが。
ゲスト家入レオ。
彼女の曲がひとの心をとらえるのは。聴いているうちにあの繰り返される抑揚、高音と低音との行き来にあやされている気がしてくるのだ。あやすというとよく泣きじゃくる子どもを何とか機嫌よくさせようとすることに使われるのだが。 

 爽やかMay J.の「作詞作曲は?」というインタビューには「ふだん書いたりしている日記とかを見返したりして、ああそうだったな、最近私よくこういう気持ちになるな、と言うところから着想を得ることが多い。ある人に言われたことば、歌うために生活してるんじゃなくて、生活があるから歌があると。散歩に出たり、いまは人と話すのが難しい時期ではあるけれども、人とふれあって、映画を見たり小説を読んだりして、そういう世界とも対話と言う感情が生まれてくるから、曲作りの時は決め事と言うかそういうスタイルで生活していけたらいいなと」。人には言えないほんとうの自分を何らかのもの、人物に託しさらけだしているのだとも語る。

 

⛳暁のにぶい光。けさの外気温-5度。コピー作業ばかりもしてはいられないと思いつつ、6時53分、たった今曙光が。眩い。心引き上げられるこの瞬間がけさも。。

| | コメント (0)

210212 クラシック倶楽部を聴く 広瀬悦子 ピアノ・リサイタル6時52 

ヴィオッティ国際コン、ミュンヘン国際コンに入賞後99年アルゲリッチ国際コンで優勝。各地の音楽祭への出演のほか、バイエルン放響、モスクワ・フィル、N響などと共演。【曲目】ピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」(ベートーベン)バラード第1番作品23、バラード第4番作品52(ショパン)ほか【演奏】広瀬悦子(ピアノ)【収録】2020年12月8日 武蔵野市民文化会館大ホールで収録(無観客収録)

ー番組紹介よりー

 

広瀬悦子はヴィオッティ国際コンクールとミュンヘン国際コンクールに入賞後、1999年マルタ・アルゲリッチ国際ピアノコンクールで優勝。1999年パリ国立高等音楽院を首席で卒業し、世界各地で精力的に演奏活動を行っている。これまでにNHK交響楽団、バイエルン放送響など国内外のオーケストラと数多く共演。情熱的でスケールの大きな音楽作り、美しい音色、幅広いレパートリーが高い評価を集め、世界に次々と活躍の場を広げている。

 

広瀬悦子のコメント

 フランスで受けた影響については 私、15歳のときにフランスに行ったんですけれども、ショパンだったりドヴュシーだったりラヴェルだったり、そのフランスで生活した作曲家の音楽がすごく好きだったということもあって、その作曲家がどんなところで暮らしたんだろうという事を知りたくてフランスを選んだんですけれども、そのときに痛感したのが、日本の音楽教育は全般的にそうなんですけれども、先生がこう弾いたら生徒もこう弾きなさいというのが多いんですけれども、フランスはいかに個性を表現するかの教育が多い。例えば初見の授業の中でも、そんなに弾けない子でも自分の思ったこと、表現したいことをほんとうに上手く表している。そういうのを目の当たりにして、そういった個性の確立と言うのがすごくフランスで受けたいちばんの影響です。

 当時、ショパンはあまり幸せな人生でなくて、やはり祖国愛が強い人で、ポーランドに帰れなかったというのがすごくショパンの心に影を落としていて、その時ロシアに占領されるという事態にすごく心を痛めて、自分がそこになにもできないというもどかしさだったり怒りだったり、そういうものをこのバラードにぶつけたというか、最後のコーダなんかほんとうに神様ってほんとうにいるんですかというそういう心の叫びだったり、そういうものをすごく感じます。

4番はほんとうにこうショパンの4曲の最後に書かれた作品で、ショパンが人生いろいろな経験をしてきて自分の特に影の部分というものをすごく感じる曲で、ほんとうはほほ笑んでいるんだけれども、心では悲しんでいるみたいな、そういう心の動きをすごくピアノの音に反映させているなというところが魅力だと思います。

 

曲目

ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調作品312「テンペスト」ベートーヴェン
バラード第1番ト短調作品23ショパン
バラード第4番ヘ短調作品52 ショパン
「愛のワルツ」作品57 第5 モシコフスキ

🎧名曲アルバム。「線路は続くよどこまでも」アメリカ民謡
19
世紀半ば労働者の多くはアイルランド出身の鉄道建設労働者の中から生まれた曲。わずか7年で3000キロが完成。急ぎに急がせられたというわけだ。辛い重労働。この歌が後にテキサス大学応援歌となり、「テキサスは君たちに注目し期待している。いかなる時も決して逃げてはならない」と歌われている。これを知り、またまた元気が出るのだ。

⛳けさは急ぎに急いでの更新。わたしのコメントは、価値基準から言えば、ほんとうはあってもなくてもいいのだが、広瀬が言う個人の大切さを思うとそうもいかず、4番の謎かけのような問いかけのような響き、そして順番は前後するが、テンペストの第3楽章の美しさに震えたけさでした。
6時52分更新

| | コメント (0)

210211 クラシック倶楽部を聴く スティーヴン・オズボーン ピアノ・リサイタル

スコットランド生まれ。ナウムブルク国際コン、クララ・ハスキル国際コンで優勝。緻密・精緻な分析に裏付けられた音楽性と確かな技術でベートーベン最晩年のソナタを描くー番組紹介よりー2019111日 トッパンホール

 

スティーヴン・オズボーン1971年スコットランド生まれ。音楽の本質を鋭く捉えた実力派ピアニスト。知的なアプローチで緻密に構成されたリサイタルは毎回注目を集める。

 

オズボーンのコメント
―後期三大ソナタの特徴についてはー
ベートーベンは一生を通じて、即興と言うものにこだわっていました。彼自身即興演奏を競い合うようなことをしましたし、作曲に当たっても即興的な要素を組み込もうとしていました。年を経るほどにそのやり方が巧妙で繊細になっていきました。この最後の三つのソナタは即興的な要素が巧みに組み込まれた見事な例だと思います。ですからこれらの作品には自然に湧いてくるという感じがあります。構築されたものというより、意識の自由な流れが感じられます。前作のハンマークラヴィーア・ソナタは40分くらいの曲です。しかしこの三つのソナタは20分です。3曲目は25分でしょうか。素材は圧縮されていて、ベートーベンが何を表現しているかと言うと、決して長い演奏会にはなりませんが、表現されることはどんな演奏会にも引けを取りません。音楽的中身が濃いからです。

―ピアノ・ソナタ30番についてー
曲ごとに特徴を述べるのはとても難しいですね。いろいろと異なる特徴がありますから。作品109のソナタには何かいいものがあります。ベートーベンは自分の作品集に収めるために曲を書いていました。ピアノ・ソナタの作曲依頼があったとき、彼の助手がその曲をソナタの第一楽章にしたらどうかと提案したのです。作品集に収めるような曲だったからか大作のように構えたところのない曲です。面白いのはとても即興的なことです。非常に短いソナタ形式の曲です。3曲ともそうかもしれませんが、構えたところがないというところで特徴が生まれるようです。とてもやさしい感じで始まります。謙虚といってもいいかもしれません。そんな第一楽章とは対照的で、第2楽章はとても攻撃的です。第3楽章はすばらしい変奏が続きます。曲の最後が超絶技巧になりますから、ピアノが素晴らしく響くので、リストはそこが大好きだったのでしょう。

―ピアノ・ソナタ第32番についてー
最後のピアノ・ソナタ作品111、このあとベートーベンがピアノ・ソナタを書かなかったのもうなずけます。(拾いかねた部分)2つの楽章は極めて対照的です。第一楽章は密度が濃く、攻撃性が満ちています。第一楽章はやはり前の時代を向いていて…古い音楽の要素があるのですが、そこにもベートーベン的な性格が非常に強く出ています。そのような攻撃性とは対照的に第2楽章はベートーベンが書いたとは思えないほど叙情的です。(拾いかねた部分)かれはここで素晴らしいことをやっている。変奏というとふつうは旋律を超絶技巧的にしたり短調にしたりと違うものが集められて最後は拍子を変えたりして楽しく元気よく終わる形にします。しかしベートーベンの場合はまったく違い、(拾いかねた部分)そして主題を再現しますが、最初と違ってたくさんの音符があります。その形をとらないところも2か所ほどありますが、全体として最初は少ない音符、最後にはたくさんの音符ということで単純です。ほとんど平凡ですらあります。あまりにも単純すぎて、このようなことをした作曲家はいないかもしれません。しかしベートーベンがしたことは感情の面からいうと、とても信じられないほどすばらしいのです。最初はすこしずつ有機的に展開していくのですが、やがて多様な性格を帯びてきます。展開が分かりにくかったりもするのですが、しかしその真っただ中でとてもテンポが速くジャズっぽくなる所があって、その後突然えも言われぬほど美しくなります。そこでも前の変奏より音符が増えていきます。感情の面でいうと、これは彼の作曲したものの中でも異例中の異例でしょう。これほど私を感動させる楽章は他にないと思います。一つの大きな金字塔です。この終楽章ゆえに、最後のソナタが最も思い入れがありますね。音符もそんなにない、音楽の流れに身を任せるような感じのところが多いです。

 

曲目

☆ピアノ・ソナタ第30番ホ長調 作品109
作品109は三つのピアノソナタの一曲目。壮大さが凝縮された音楽からはベートーベンの新たな音楽の歩みが感じられる。
☆ピアノ・ソナタ第32番ハ短調 作品111
 ベートーベンが作曲した最後のソナタ。2つの楽章で構成されていて、第一楽章は張り詰めた雰囲気が漂い、第二楽章は美しい旋律の変奏曲。ベートーベンが最後に到達した音楽の境地を見るかのような奥深い一曲。

 

🎵コメントでいう三つのソナタは実際のコンサートで演奏されたもので、そのうちけさの2曲が放送分。
 個人的に聴きどころと思うのは何といっても32番の第2楽章。静謐な中にまるで色彩の光が白光に溶け込んでその彩を失くするように消えゆく最後の音がまだのこっている。この32番のオズボーンいう抒情性。洞窟のはるか向こうに日がさしていて、そのあたりから密やかに鳴りこぼれる音の連なり。繊細なところを丁寧にひろうオズボーンの指先をカメラが大きく映し出したとき、なぜか感動し涙が。

オズボーンの左手中指のテーピング、終生指に故障を来さなかったピアニストは果たしてどれぐらいいるのだろう。

🎧名曲アルバム、バッハの「パッサカリアとフーガ ハ短調」オルガン今井奈穂子
オルガンの構造にも詳しかったバッハは、ドイツ各地から新作オルガンの試奏に招かれたとか。新しい音色を求めてオルガン職人と熱く語り合ったらしい。その求めに応じて職人たちは多彩な音色をオルガンにもたらした。マイスターと呼ばれる熟練の職人が今にその音色を守り続けていると。

けさのTVから
Dsc05352-2

⛳取りこぼしの多いコメントとなったが、まずまずは内容がつかめるかと。途中食事を1時間挟み、8時43分更新。

| | コメント (0)

210210 クラシック倶楽部を聴く アレクセイ・リュビモフ ピアノ・リサイタル

古典から現代まで幅広いレパートリーを持つリュビモフ。今回の来日は自身にとって特別な作曲家というモーツァルトだけで組まれた。即興性にとんだ変幻自在な演奏を放送するー番組紹介よりー

アレクセイ・リュビモフ ピアノ・リサイタル
2019
929日 すみだトリフォニーホール 小ホール

アレクセイ・リュビモフは1944年旧ソビエト連邦出身。10代から数々のコンクールで優勝し、その後現代音楽の演奏に力を入れ、シェーンベルクやブレーズの作品のソビエト初演を次つぎに行って注目をされた。30歳ごろからピアノだけでなくチャンバロやフォルテピアノといった古楽器の演奏にも取り組み、今では国を代表する古楽器奏者としても活躍しています。2018年には「第1回ピリオド楽器のためのショパン国際コンクール」の審査員も務めた。ピアノ、フォルテピアノ、チャンバロを弾きこなし、バロックから現代音楽まで幅広いレパートリーで活躍。モーツァルトはリュビモフにとって大切な作曲家であり、フォルテピアノの演奏でピアノ・ソナタ全曲録音を行っている。今回のコンサートではモダンピアノでモーツァルトの作品を熱演。

アレクセイ・リュビモフのコメント
多くの人はモーツァルトの音楽を語るとき、まず音楽の様式を理解することから入ろうとします。かつて私も古い音楽において大切なことは、様式を理解することだと思っていました。今私の考え方は少し広がりました。私にとって大切なことは様式ではなく、モーツァルトという人そのもの。様式においては同じ時代のほかの作曲家も同様でしたから。だからモーツァルトの人物像をひもとくことこそおもしろいアイデアであり、すばらしい課題だと思うようになりました。そして彼という人間の多彩性や多面性を演奏で表現することが一番大切だと思うようになったのです。モーツァルトの内面的な部分は、さまざまな文献や研究書で明らかになってきています。私はそうした資料を読むのがとても好きです。音楽を理解する助けになります。モーツァルトはとても複雑な人でした。どの小節にも彼の人間性が顕著に表れてています。私にとって大切なことは、彼の音楽から彼自身を見つけ出すことなのです。

曲目 オールモーツァルト

「幻想曲 ニ短調 K.397
「ピアノ・ソナタ ハ長調 K.545
「幻想曲 ハ短調 K.396
「ピアノ・ソナタ ハ短調 K.457」

🎵演奏するさまはいうまでもなく、ハンマーの落ちるさま、黒鍵の並ぶハイライト、白鍵に動く動く指の影までに注意力を喚起させるすばらしい演奏。どこもかしこも聴き逃せない、見逃せない。どの音もが聴く者の感性に落ち、矛盾するようだが、繊細さややさしさが突き刺さるまでに繊細であるところに魅入られる。モーツァルトの内側に近づけた気が。
 けさはテンポの速い演奏を聴きなれてしまった自分に気づかされ、はたと立ち止まった瞬間も。 
「ピアノ・ソナタ ハ短調」、ベートーベンに影響を与えた曲であるとか。あの時代、後世に不動の位置を画する作曲家同士が互いに互いの創作に自らの曲を照らしての作曲が桁外れの壮観さを呈して眼前に迫る。 

🎧名曲アルバム。武満徹の「小さな空」。(合唱)大谷研二&東京混声合唱団
1962(
昭和37)年子供向けのラジオドラマのために作曲。懐かしい子どもの遊び、東京下町の風景とともに。当時の武満の写真だろうか。ちょっとTVから撮ってみた。武満は昭和5年に東京の本郷に生まれている。昭和も随分と遠くなった。

Dsc05275

⛳このブログは写真容量が小さいので写真をアップしても新たに乗せるために消さざるを得ないので、ちょっとの間見えるだけですが。リュビモフは前回のに書き加えて。
10時40分更新

 

| | コメント (0)

210209 クラシック倶楽部を聴く ジャン・チャクムル ピアノ・リサイタル

97年トルコ生まれのピアニスト、ジャン・チャクムルのステージ。2018年浜松国際ピアノコンクールで第1位を受賞。瑞々しい音楽と冴え渡るテクニックを兼ね備える逸材

ー番組紹介よりー

 

ジャン・チャクムルは1997年にトルコのアンカラ生まれ。5歳頃から地方の音楽学校でピアノを習い始める。高校卒業後、パリのストラ・カントルムでマルセラ・クルデリに師事。2014年に首席で卒業。その後、トルコ、イギリス、オランダ、日本などで演奏。20018年の第10回浜松国際ピアノコンクールで優勝。

ジャン・チャクムルのコメント
ピアノとの出会い

両親の影響で幼い頃からクラシック音楽に親しみました。演奏会には欠かさずに行きました。ときには週に何度も。そうするうちに5歳か6歳の頃ギターを弾きたくなりました。地元の音楽学校へ通いましたが、ギターには手が小さかったのでピアノを始めました。ギターは忘れました。12歳頃から講習会に参加したりコンクールに出場するうちに、これがやりたいことだと思いました。
浜松国際ピアノコンクールについて
コンクールで優勝するのは大変なことです。参加者たちは大きな負荷のかかる3週間を過ごしました。一方で皆の間には仲間意識がめばえ、これは運命だったんだと思います。
演奏で大切にしていること
演奏家はコンサート中は特に情緒や感覚をそれほど重視しません。フレーズの開始やアクセントの位置、和音の解決などを現実的に考えます。音楽を正しく理解し伝えれば自然と意味が生まれます。演奏家が音楽に意味を吹き込むのではありません。正しい文法で弾けば音楽は自ずと立ち上がります。練習や準備を重ねてそこを理解できるようにするのです。音楽の意味を理解することと、ひらめきで弾くのとは違います。

曲目

「幻想曲 嬰ヘ短調 作品28「スコットランド・ソナタ」」、メンデルスゾーン:作曲
メンデルスゾーンは1828年頃からこの曲を書き始めたといわれている。1830年に以前から交流のあった文豪ゲーテを訪問し披露された。
「ピアノ・ソナタ 変ホ長調 D568シューベルト:作曲

20歳の頃の作品。
「組曲「野外で」」バルトーク:作曲
バルトークは祖国ハンガリーの民俗音楽を用いた作品を多く生み出した。屋外での情景や光景が描かれており、自然を愛したバルトークの一面を強く示した作品である。

🎵「スコットランド・ソナタ」、第3楽章では音の饗宴に招かれているという心地よさ。「ピアノ・ソナタ 変ホ長調」の第二楽章の冒頭のあたたかさ。絶えず脳裏にはベートーベンの楽曲があったか、そんな逡巡も時折感じられて。
「組曲「野外で」」は5つの曲から成っており、1「太鼓と笛」、冒険するときの期待と興奮、一種野卑な感じも宥められ含まれているのだが、そこに捕まれたという感じなのだ。不安、慄きを底に未知の世界に分け入っていくような気分。2「舟歌」揺蕩いにも重たさ硬さが。3「ミュゼット」、4「夜の音楽」、5「狩」。の「夜の音楽」、静寂の奥から無意識の広く深い世界から湧出し、聞こえてくるような一音一音の妙。押し黙った地の底から動植物の気配を探知してゆくような。意識と無意識の狭間に浮かび映じては消えるかの音。今回この「狩」。静寂の奥から無意識の広く深い世界から湧出し、聞こえてくるような一音一音の妙。押し黙った地の底から動植物の気配を探知してゆくような。意識と無意識の狭間に浮かび映じては消えるかの音。そして現実世界に覚醒され躍り出てくる響きが印象的。今回はこの静まり返る森からひたひたと聴こえるかの音に注意深く受け取る。5「狩り」、激しい勇み足。血の匂い、血をかぎ分けるような響きも。これぞ民俗的、ダイレクトに土俗的な動きが伝わってくる。優雅で流麗なメロディーラインには遠い感覚があざとく聴く者の心を惹きつける。
 以前はバルトークは苦手だった。それがなぜいま素直に受け入れられるか。この曲が「そうだよ、現実はこうなんだ」と、顔を背けない現実直視が聴こえる。それが現代的とも感じられるところかとけさ思い到った。

チャクムル使用のピアノは「SHIGERU KAWAI」

🎧名曲アルバム。ハイドンの「時計交響曲」現田&東京フィル

⛳こうして夜明け、日々に早まる夜明けを東の空に待つ気分は悪くない。夜は明ける。必ず朝は来る。

けさのバルトークに影響され、一首  
斬られても斬られてもなほ突き進むわが身を抉る刃ありとも  ぶんな

6時50分 更新 

 

| | コメント (0)

210208 クラシック倶楽部を聴く イーヴォ・ポゴレリチ in 奈良 正暦寺福寿院客殿

ピアノ界の鬼才イーヴォ・ポゴレリチ、約30年ぶりとなる映像作品。奈良の古刹、正暦寺福寿院客殿で収録した貴重な記録である。苦難を乗り越えてきた音楽人生を語る。ー番組紹介よりー

 

イーヴォ・ポゴレリチ
独創的な解釈と卓越した演奏技術で圧倒的な存在感を放ち続ける。初来日は1981年。2017年秋、彼が訪れたのは長年の憧れの地であった古都奈良。ポゴレリチの祖国は旧ユーゴスラビア。クロアチア人の父とセルビア人の母の間に生まれる。21歳で時代の寵児となりセンセーションを巻き起こした彼の人生は平坦なものではなかった。長期に亘る左手の故障、そして愛する妻の死。演奏活動の中断を余儀なくされた時期もあった。苦難の時を経て今奈良の古刹を訪れた彼。

イーヴォ・ポゴレリチが世界にその名を知らしめたのは1980年のショパンピアノ国際コンクール。当時21歳。既存の解釈を覆す鮮烈な演奏は、聴衆の熱狂的な支持を得た。しかし、あまりに独創的な解釈は、一部の保守的な審査員には受け入れられず、彼は、本選に進む夢を絶たれた。マルタ・アルゲリッチがそれに抗議し「彼こそが天才」と言いのこして審査から降りてしまった事件は今も語り草になっている。あれから37年、ポゴレリチは独自の道を歩み続け、孤高の境地に至りつつある。今どのような思いで音楽と向き合っているのか話を聞く。聞き手は数多くの一流演奏家を取材してきた台湾出身の音楽ジャーナリスト、チャオ・ユワンプー。

【インタビュー】

ユワンプー「あなたは一つひとつの作品に膨大な時間をかけて向き合います。その過程はどのようなものですか?」

ポゴレリチ「自分に満足することなど決してありません。常に次の更なる深みをめざしています。それが負担になることもあります。のめり込んだ後は距離を置かねばなりません。何か月も集中することはできないので休憩が必要です。自然に休めるときもあれば自らに言い聞かせることもあります。うまく休めれば、後でより多くを収穫することができます。でも最初に多くの努力をささげなければ見返りはありません。経験を積み演奏会をこなすことも大切ですが、それがすべてではないのです。理屈では説明できない要素もあるのです。同じ作曲家でも初めて取り組む作品が他の作品と同じ語法とは限りません。作曲家の語法は人として成長し進化するにつれて変化していくものです。聴き手が理解できるように作曲家の言葉を学ぶこと。それが私の仕事なのです。
ユワンプー:ショパンについてはステレオタイプ的な思い込みがあります。彼の音楽に対する誤解についてどのように思いますか?
ポゴレリチ:ショパンは知的ではないという誤解がありますが、彼の音楽は知性にあふれています。ショパンというと甘美 詩的 感情的 優雅…などと思われがちですが、思慮深い知性に裏打ちされているのです。自分に対して非常に厳しく、誇張した表現を一切しませんでした。そうならないように注意を払い、同じことを繰り返さないようにしていました。そして多くのことを簡潔に表現する方法を常に探求していました。今回はハ短調のポロネーズをレコーディングします。演奏される機会の少ない作品です。
ユワンプー:作品40第2ですね?
ポゴレリチ:初期に書かれたものではなくとても興味深い作品です。私たちの抱くポロネーズのイメージからかけ離れているのです。どこまでが踊りでどこまでが回想なのか。それともポロネーズというジャンルから切り離されたものなのか。非常に内省的で入り組んだ要素が含まれています。とても謎めいた作品です。
―途中割愛―
(今回の選曲は) 寺の響きや雰囲気に合ったイメージしてみました。
ユワンプー:ラフマニノフの楽興の時 第5番をあなたが弾き始めると私たちは一瞬にして胸を打つような優しい世界に誘われます。禅僧のように何か特別な修行を積んでいるのでしょうか?
ポゴレリチ:この作品は寺で演奏するのに最も適した作品ではないかと思います。とても親密であたたかく、迎え入れてくれるような雰囲気があります。東洋的なところもあり、優雅さもあります。その響きは何を描き出そうとしているのかー蜃気楼のようなもの実体のないものなのかもしれません。初期の作品ながら、ラフマニノフらしい魔法の響きを聴くことができます。
ユワンプー:あなたの演奏に触れるたびに畏敬の念で言葉を失います。色彩豊かでありながら音がまったく濁りません。どのようにしたらこれだけ多彩な音色が出せるのでしょうか?
ポゴレリチ:ひたすら耳を傾けることです。演奏活動を休んでいたころ、それを一つの課題としました。自分の音に耳を傾け、さまざまな角度から何度も音を聴き返しました。縦や横の響きだけでなく、三次元的な奥行にも注意して聴きました。響きの構造に耳を傾けたのです。この作品には独特な和声が使われているので、完璧な演奏をすることはできません。
シベリウスは実に才能あふれる作曲家でした。その和声を響かせるには緻密で洗練された聴き方が求められるのです。

 

【曲目】

「ピアノ・ソナタ Hob.XVI-37 から第2楽章」ハイドン:作曲
「ソナチネ 作品36第4から第2楽章」クレメンティ:作曲
「ポロネーズ 第4番 ハ短調 作品40第2」ショパン:作曲
「ノクターン ホ長調 作品62第2」ショパン:作曲
「楽興の時 作品16 から 第5番 変ニ長調」ラフマニノフ:作曲
「悲しいワルツ」シベリウス:作曲

 

🎧 名曲アルバムはシューベルトの「交響曲 グレート」。円光寺&東京フィル

⛳きょうはイーヴォ・ポゴレリチの音楽観と音楽ジャーナリスト、チャオ・ユワンプーのインタヴューに心魅かれ番組での会話をできるだけそのまま筆記してみました。9時26分更新

| | コメント (0)

きょうのことば 『主は私の羊飼いー7』  

インマヌエル盛岡キリスト教会2021131日の礼拝メッセージをおつたえいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で47年目のご奉仕をしておられます。

 この日もズームでの礼拝。聖餐式が持たれましたが、ひろ子牧師が各家庭用に葡萄液を準備され、また各々がパンを準備して、聖別の祈りが為され、陪餐に与りました。

Img153_20200927062101

説教題 『主は私の羊飼いー7』  (國光勝美 牧師)

聖書引証 旧約聖書 詩篇23篇1~6

ダビデの賛歌
1 主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
2 主は私を緑の牧場に伏させ いこいのみぎわに伴われます。
3 主は私のたましいを生き返らせ 御名のゆえに 私を義の道に導かれます。
4 たとえ 死の陰の谷を歩むとしても 私はわざわいを恐れません。 あなたが ともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖 それが私の慰めです。
5 私の敵をよそに あなたは私の前に食卓を整え 頭に香油を注いでくださいます。 私の杯は あふれています。
6 まことに 私のいのちの日の限り いつくしみと恵みが 私を追って来るでしょう。 私はいつまでも 主の家に住まいます。

(前回の復習は割愛いたします)

20210202-173352

題字を「至上の幸せ」とさせていただきました。左側にあるのは詩編236節のおことばです。

6 まことに 私のいのちの日の限り いつくしみと恵みが 私を追って来るでしょう。 私はいつまでも 主の家に住まいます。

そして、「主の羊であることの幸い」を見ていただき、その下には1部がちょっと隠れておりますけれども、「主が与えられたいのち、その使命のある限り」とございます。

きょうは131日。で、きのう30日は、1年前にある姉妹が大手術をしたまさにその日でありました。そのことを思いますと格別にこの6節のおことば「6 まことに 私のいのちの日の限り いつくしみと恵みが 私を追って来るでしょう。 私はいつまでも 主の家に住まいます。」のなかで、この「いのちの日の限り」というおことばがとても心に響いてまいります。そのとき同じ病棟に親しかったT姉妹が入院をしておられました。T姉妹は27日、この次の日曜日に召されなさいました。同じ病を持っておられました。皆様方がどれほど祈ってくださったことか、それを知っていればいるほどに、私はこの「まことに 私のいのちの日の限り」ということばの意味を深く思わざるを得ません。

私たちは、自分のいのちが当たり前のように、

私たちは、今ある命を当たり前のように自分の命と考えております。しかし、よく落ち着いて考えてみますと、これは主から与えられた命なのです。誰も自分で自分の命を始めた人はいない。主に与えられた命。ですから私の命は主の御手のうちにあるのです。まさに主が与えてくださった命。そして、その「使命のある限り」というのが「私の命の日の限り」という意味ではないだろうか。このように思います。

 人には「なぜ」ということがわからない。そういうことがいっぱいあります。T姉妹が5年間病と戦われて、その使命を終えられ主の御もとに帰っていかれました。「まことに 私のいのちの日の限り」、これはただ印刷された平凡な言葉なのではない、決してそうではない。まことの命、まことのいのちというものを考えさせられるのであります。

 ここに「いつくしみと恵みの神」と記させていただきました。この「いつくしみ」という言葉ですけれども、これは他の聖書を引き比べますと「神様の満足」、これは、非常に良いという「神様の満足」を意味する言葉が使われています。
 創世記の1章の天地創造をご覧ください。
1
4節「神は光を良しと見られた」。非常に良い、神様が満足されたというこの言葉が使われている。それから10節「神は乾いたところを地と名づけ、水の集まったところを海と名づけられた。神はそれを良しと見られた」。12節「地は植物を、すなわち、種のできる草を種類ごとに、また種の入った実を結ぶ木を種類ごとに生じさせた。神はそれを良しと見られた」。18節「また昼と夜を治めさせ、光と闇を分けるようにされた。神はそれを良し見られた」。21節「神は、海の巨獣と、水に群がりうごめくすべての生き物を種類ごとに、また翼のあるすべての鳥を種類ごとに創造された。神はそれを見て良しとされた」。25節「神は、地の獣を種類ごとに、家畜を種類ごとに、地面を這うすべてのものを種類ごとに造られた。神はそれを良しと見られた」。
 つまり神様がご自分の主権のもとにお造りになられた被造物を、神様は、良しと見てくださった。

詩篇236節をご覧ください。ここの「いつくしみ」ということばは、まさに神様が、「ああ、これであなたに非常に満足している、それをあなたの生涯に与える」という、このことばが使われているのです。
 「憐れみ」ということばがあります。これは「ヘセド」ということばが使われていて、「主がイスラエルの民に対して忠実で、約束を誠実に守られる」。その神様の愛情を表すことばとして「恵み」ということばが用いられています。つまり「私のいのちの日の限り」神様は私たちを「良しと見られた」、そして非常に満足しておられた。まさに天地創造の時に神が良しと満足されたと同じように私たちのいのちを、いのちの日を「よし」と。そしてご自身の民に対して必ず忠実に約束を果たされる、その憐れみということばがここに用いられております。
 私はこれを見たとき、詩篇の621112節を思い起こしました。

11神は一度告げられた。二度私はそれを聞いた。力は神のものであることを。12主よ 恵みもあなたのものです。あなたは その行いに応じて人に報いられます。

 この62篇を、私が親しんでおります文語訳で恵みをお分かちしたいと思います。

11ちからは神にあり神ひとたび之をのたまへり われ二次(ふたたび)これをきけり 12ああ主よあはれみも亦なんぢにあり なんぢは人おのおのの作にしたがひて報をなしたまへばなり

 すべてのものを無から生じられる力あるお方。「ああ主よあはれみも亦なんぢにあり」、ご自身の民に対して必ず忠実に約束を果たされるお方の愛情を示すおことばとして恵みがあります。これらの背景を心に留めながら、もういちど詩篇の236節に返ってください。

6 まことに 私のいのちの日の限り いつくしみと恵みが 私を追って来るでしょう。

良しと見られ、そして忠実な約束、忠実な神様が、「私を追って来る」。これは注解書を見ると色々な意味があるようです。敵から追われる、敵が追いついてくるというようにこれが訳されている。そういう解釈も幾つかありますけれども、私が忘れることができないのは、これはちょうど人に影がいつでもあるように、つまり太陽に向かって私が立っている時、私の影は私の後ろの方に影がのびています。これは離すことができません。つまり神様を太陽として神様に向かって私たちが歩んでいる時、私たちの後ろには神様の恵みと憐れみと我に添い来たらん。影が本体と決して切り離すことができないように、神様の恵みと憐れみが、私たちは神様に向かっているときに影のように必ずついてくる。この太陽に向かって神様に向かっていれば影が延びるように、それを取り払おうと思っても、決して取り払うことができない。それが、神様の慈しみと恵みが私の生涯に追いかけてくるという事なのです。付きまとうというような訳がされていることがありますけれども、私たちには神が分かつことなく行くところ行くところについて行ってくれる。この表現がいちばんぴったりするように思います。

私はいつまでも 主の家に住まいます。

「わたしの命の日の限り」という地上におけるとき、それだけでなく、私はいつまでも世々かぎりなくこの神様の祝福の慈しみと憐れみの中に住む。ダビデは詩編23篇をこのように締めくくっております。私たちがどうかこの良き羊飼いの羊として、羊飼いの声を聞きながら、導かれることを喜びながら、このお方と共に歩ませていただきたいと存じます。

 

※データを教会からお借りし、起こして書式にし掲載しております。

⏰けさはPC操作の途中で「ワードにエラーが発生し、機能が正常に働いておりません」と出て冷や汗。しかしどうにか6時ジャスト更新です。

| | コメント (0)

雑感

 土曜日はなぜか気がゆるみがち。朝起きてTVを点けるとJ-MERO、May J.が、またねと手を振る最後の場面。それにしてもアイドルたちのパフォーマンスのスピード感は止まるところを知らない。この先どんな展開を拓いていくのだろうか。

 音楽の感じ方は人によって違って当たり前と思うのだが、驚いた感想が。これはクラシクの方だが、かつてマーラーが指揮するコンサートのプログラムにはベルリオーズの「幻想」が12を下らない回数であるらしい。マーラーが「幻想」の中の「刑場への行進」指揮した時、これを聴いた作曲家セルゲイ・ラフマニノフのいうところは、「マーラーの演奏にみなぎる『色彩の野蛮さ』と『獰猛さと恐怖』はホールの窓をふるわせた」。またこの同じ演奏をボストンで聴いたのが後のニューヨーク・タイムズの批評家オリン・ドンズは「この行進曲は容赦なく進んでいく恐ろしいモティフ、うなるようなファゴット、鋭い音をたてる金管楽器、神経をたたきのめすような打楽器によって強められた正真正銘の悪夢へと聴衆を引きずり込んだ」と。「グスタフ・マーラー 失われた無限を求めて」(アンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュ著)
 と、こういうわけで1昨日はひねもすベルリオーズ。鈍感なのか無感覚なのか、私には、近くあることはあってもそうは聞えなかった。大作曲家の耳とは大変な構造をしているものなのかも。

 またまたきのうのラファエル・アギーレのギターのことだけれども、彼がクラシックと現代の違いといったところを弾き分け聴かせてくれたのだが、最初は「子どもの情景」から「見知らぬ国」の冒頭部分、「これがシューマン」と。それが繊細で優しくえも言われずやさしいのだ。そしていきなり情熱的で激しく叩きつけるように弾かれる弦。「これがスペイン」と。このすばらしいコントラストが何か胸にめり込んだという感じで、ひょいひょいと思いだされる。久方ぶりにシューマンらしいシューマン、これぞシューマンを聴いた気がした。

⛳何とか更新をと、とにかく文字を連ねて22時1分更新

| | コメント (0)

210205 クラシック倶楽部を聴く  ラファエル・アギーレ ギター・リサイタル  

2007年のタレガ国際ギターコンクールをはじめ、世界の名だたる13のコンクールで優勝を収めたスペインのギタリスト。賞賛を受け続ける華麗な演奏をご紹介します。 【出演】ラファエル・アギーレ(ギター)【曲目】スペイン組曲 第1集からアストゥーリアス(アルベニス作曲)、月に映えて(パコ・デ・ルシア作曲)、歌劇「はかない人生」からスペイン舞曲第1番(ファリャ作曲)、サルスエラ「ルイス・アロンソの結婚式」から 間奏曲(ヒメネス作曲)、カヴァティーナ(マイヤーズ作曲)、アランブラ宮殿の思い出(タレガ作曲)ほか【収録】2020年2月4日 浜離宮朝日ホールで収録ー番組紹介よりー

 

ラファエル・アギーレ
南スペインのマラガ出身。8歳でギターを始め16歳でオーケストラトと共演してデヴューアンドレ・セゴビヤやナルシソ・イエペスの後を継ぐギター奏者として高く評価されている。

今回は母国スペインの音楽。クラシックからフラメンコまでさまざまな作品を演奏。

 

ラファエル・アギーレのコメント
スペインの音楽はスペイン人そのものです。情熱的でメランコリーで気性が激しくドラマチック生き生きとしていて人生を楽しむ気風があります。ギターの魅力とはそのすべてを表現できることだと思います。ピアノには敵いませんが、ベルリオーズがいったようにギターは小さな一つのオーケストラなのです。
このギターは2016年に私の父が故郷のマラガで作ったものです。表板はシダー(米杉)、裏板と側板はインディアンローズウッド。フラメンコとクラシック両方演奏するのに最適です。シダーのしっとりとした響きしかし、…一瞬で世界を旅することができる、そこが気に入っています。
演奏するときは、神経質なのでとても緊張します。そんなときは子どものころのことを思いだします。ギターの奏でる音を聴いて恋に落ちた時のことです。その感情がステージにあがる理由を思い出させて完璧を求めずに楽しむこと。演奏会はパーティーですから。音楽の力を分かち合う事で聴衆は私に力を与えてくれます。そして演奏会は大きな力をくれる場になるのです。

どこでであったか、ファエル・アギーレがいっていたが、ギターとういう楽器は演奏技術を知らないと自然な流れを作るのが難しい、ギターは特殊なところがあって響きにくい調性があったり派手に聴こえるアルペジオやコードの組み合わせがありそれを熟知していないといけない、その点スペインのギタリストの作品にはベースとなる深い知識があると。

曲目

☆スペイン組曲から 「アストゥーリアス」(アルベニス):原曲はスペイン民族主義音楽を確立させたアルベニス(18601909)のピアノ曲。セゴビアが愛奏したことで、ギター曲としても人気の作品となった。
☆スペイン組曲から「セビリャーナス」(アルベニス):超絶技巧で名を馳せたサビーカス(19121990)とフラメンコにジャズやクラシック・ギターの要素を取り入れたパコ・デ・ルシア(19472014)の作品。ともにフラメンコ奏者による曲だが、それぞれの特徴が出た作品となっている。
☆オレイ・ミ・カディス(サビーカス)
☆月に映えて(パコ・デ・ルシア)
☆はかない人生から「スペイン舞曲 第1番」(ファリャ):民族主義と印象主義を巧みに融合させたファリャ(18761946)の歌劇の中の一曲。結婚式の場面で演奏される音楽で流麗な主部に熱い中間部が挟まれている。
☆スペイン風セレナーデ(マラッカ):スペインの名ピアニストホアキン・マラッツ(1872)の作品中ほとんど唯一知られた作品。近代ギターの礎を築いたタレガによってギター曲として広まった。
☆サルスエラ「ルイス・アロンソの結婚式」から間奏曲(ヒメネス)
 ギタリスト山下和仁の見事な編曲によってめくるめく妙技が披露される。
☆アンコール カヴァティーナ(スタンリー・マイヤーズ)
「私の大好きな小品を演奏します。がらっと雰囲気を変えて」とアギーレが弾いたのがこの曲。心休まる寛げる静かな曲。
☆アンコール 「アルハンブラ宮殿の思い出」(タレガ)

 

🎵「ギターの場合、たとえば「はかない人生」で民族主義と印象主義との融合と解説があっても即座にそれを聴き分けられなかったり、小曲が並んだ場合、超有名な曲しか印象にのこらず、あとは並列的に聴こえたりなのだが、これも回を重ねるうちには、じわじわと心に落ち込んでくるものかと」と前回書いているが、今回は一曲一曲が独立して立ち上がり心に落ちた。それにしても、間合いの絶妙さ、これは完全に曲を掌握し奏者の感性が融合を果たし、魂そのものとなったときに、聴く者の魂に届いてくるものと思われる。

🎧名曲アルバム。
「ホーム・スウィート・ホーム」ビショップ作曲、ヘイン作詞、栗山和樹編曲
ビショップが作曲したオペラのアリアだが、オペラは忘れられこの歌のみがのこり、1823年の初演以来200年にわたって歌われているとか。

日本では戦時中、海外の音楽が禁止される中で、この曲は日本人に親しまれていると認められ途切れることなく愛唱された。

⛳けさのギターはすばらしかった! いま録音を聴きながら書いている。9時13分更新。

| | コメント (0)

210204 クラシック倶楽部を聴く イ・ムジチの四季

イ・ムジチといえば四季、四季といえばイ・ムジチ。1980年代、全世界に四季ブームを巻き起こした「イ・ムジチ合奏団」の現在の、清冽な「四季」をお送りする。

ー番組紹介よりー

 

イ・ムジチ合奏団 演奏会
2019
102日 サントリーホール 大ホール

イ・ムジチ、イタリア語で「音楽家たち」という名前をもつ合奏団は、聖チェチーリア音楽院の卒業生が中心となり1952年デビュー。1955年にはじめてヴィヴァルディの「四季」を録音。以後録音を繰り返し、1983年までに全世界で1000万枚を売り上げ、イ・ムジチの「四季」は世界中のファンを魅了。歴代のコンサートマスターの個性によってイ・ムジチの「四季」は異なる表情を見せる。今回のコンサートマスターはマッシモ・スパダーノ。スパダーノは1968年イタリアのランチャーノ生まれ。オランダのユトレヒト音楽院を卒業、古楽の研究、演奏に力を入れている。ドラマティックな演奏で知られたコンサートマスターアントニオ・アンセルメが、来日前に亡くなり、スパダーノがゲスト・コンサートマスターを務める。

 

☆「四季」ヴィヴァルディ作曲
アンコール 「アリア」バッハ作曲
アンコール「調和の霊感 第一楽章」ヴィヴァルディ

🎵ウィキからの転載で「イ・ムジチ合奏団演奏による『四季』は1995年時点の日本において、6種の録音の合計で280万枚を売り上げている[1]。特に3回目の録音は日本で初めて(レコードとしては今も唯一)の、クラシック音楽でのミリオンセラーを記録した」。
イ・ムジチ、1952年の結成。当年69歳の合奏団。過去の団員の入れ替わりなどはわからないけれども、アンサンブルとしての活動で70年近くも続いている。奏者のお一人おひとりに格別な感慨をもって聴いた。
字幕は「あずさまゆみ」と出ていたが、どういう方なのかよく分からなかった。

 

🎧名曲アルバム。ブラームス「交響曲 第1番」(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団,(指揮)大友直人 ~ドイツ・バーデンバーデン~―番組紹介よりー
現存する唯一のブラームスの住んだ部屋にのこされたノートの書き込みに「偉大な作品はこの小さなへやから生まれたのですね」とあったらしい。この曲に取り掛かるまでといったろうか、30年かかったとか。

⛳春の予兆をにじませる暁の空を見ながら6時49分更新

| | コメント (0)

210203 クラシック倶楽部を聴く アンサンブル・ディアーロギ 演奏会

アンサンブル・ディアーロギは「フォルテピアノ」「オーボエ」「クラリネット」「ナチュラル・ホルン」「ファゴット」の五重奏団。古典派の音楽を作曲当時の楽器の音色でおおくりする。【曲目】ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調作品16(ベートーベン作曲)ほか【収録】2019年1月23日 浜離宮朝日ホール(東京都中央区)ー番組紹介よりー

(ナチュラル・ホルン)ピエール・アントワーヌ・トレンブレイ:ナチュラル・ホルンはバルブもピストンもないのでそう呼ばれています。仲間の楽器には備わっている穴もキーもありません。すべての音は唇の振動で作られます。
(フォルテピアノ)クリスティーナ・エスクラペス:このフォルテピアノは1795年製のウィーンの製作者ワルターのコピー楽器です。

(ファゴット)ハビエル・ザフラ:今日の楽器の中で、この楽器のみパリで作られたオリジナル楽器です。19世紀初頭、音楽と楽器製作の重要都市だったドレスデンからパリに移住した製作者によるものです。
(オーボエ)ジョセプ・ドメネク:現代の楽器と同じ三つのパーツから成るオーボエです。同じくドレスデンの製作者による楽器のコピーです。

 

 🎵ディアーロギは「対話」、もっと聴衆とのコミュニケーションを取りたいと意識してつけたとか。(フォルテピアノ)クリスティーナ・エスクラペス、(オーボエ)ジョセプ・ドメネク、(クラリネット)ロレンツォ・コッポラ、(ナチュラル・ホルン)ピエール・アントワーヌ・トレンブレイ、(ファゴット)ハビエル・ザフラ。このメンバー、古楽器奏者というとどこか時代がかったアンチーク世界にあるかと思いきや、このページを見るとみなオペラ、オペレッタの陽気な世界で存外愉快に人生を音楽を楽しんでいるという雰囲気が。
それにしてもやはりおもしろいナチュラル・ホルン。穴もキーもない。音程はよくない、ということは正確な演奏はけっこう難しいということに。しかし作曲家はこのような特性も周知の上でやはりこの楽器を組み入れているのだろう。ナチュラル・ホルンについての音域などのあれこれはこちら

ハイドンの「ピアノ三重奏曲ニ長調 Hob.XV-16」。ハイドンには端正、律義といってしまっては語弊があるかもしれないがそんな感じ、それと気品を感じるのだが、それらがすこし奥まったところで穏やかに流れるといった感じ。ハイドン58歳での作曲。ベートーベンの「ピアノと弦楽器のための五重奏曲 作品16」。これぞベートーベンという情感の流れがどこに出て来るのかと待てど。ただ後の有名な数々の旋律が生まれる過渡期にあって、フォルテ・ピアノにはそんな序奏と言うか予兆が。解説では、これはモーツァルトの同じ楽器編成での曲をモデルとしたベートーベン26歳の作曲であると。

古楽器演奏は作曲者が生きた音楽の時代の空気感をやんわりと伝えてくれる。そして音程が狂いやすいことも含めてより人間的で優しい響きを醸してくれている。ロレンツォ・コッポラが、「美しい和音と旋律だけではなく、モーツァルトやハイドンが多様した演劇的な要素、時にはオペラ・ブッファのような面白おかしい仕掛けを解き明かしてお見せします」とクラリネットを置いて、とても分かりにくい、しかし親しみあるユーモアあふれる日本語を交えて愉快なパフォーマンスを三つ。ベートーベンのオペラからだったかと思うが。会場には幾たびも笑いが。これが愉快。

 

 

🎧イザーク作曲ニウ・ナオミ編曲「インスブルックよ さようなら」(カウンターテナー)青木洋也,(合唱)東京少年少女合唱隊シニア&ユース・コア,(リコーダー)古橋潤一,(リュート)櫻田亨ほか、指揮は長谷川久恵。

マクシミリアン1世の音楽好きと庶民性がいまもインスブルックに。500年の歴史あるすばらしいインスブルック。

⛳7時ジャスト更新。真冬並みの寒さが戻るとか。盛岡はくもり、雪。

| | コメント (0)

210202 クラシック倶楽部を聴く リナ・トゥール・ボネ&ムジカ・アルケミカ 演奏会

スペインのバロック・バイオリン奏者リナ・トゥール・ボネの演奏で、バロック期の作曲家ビーバーの大作「ロザリオのソナタ集」からお送りする。聖母マリアの秘跡を題材にしたこのソナタ集は第一曲と終曲を除くすべてがそれぞれ異なるスコルダトゥーラ(変則調弦)で書かれ、当時のバイオリン技術の集大成と言われた難曲。ボネ自身が創設したアンサンブル「ムジカ・アルケミカ」との共演で、二夜にわたる全曲演奏会の第1日を。ー番組紹介よりー

 

 リナ・トゥール・ボネ
スペイン、イヴィサト生まれ。父の手ほどきで3歳から音楽を始め、フライブルク大学、ウィーン大学で学ぶ。バロックから現代にいたるまで幅広いレパートリー。多くの著名な演奏家と共演。現在めざましい活躍を見せるバイオリニスト。またリナ・トゥール・ボネは新しい表現の形を求めてアンサンブル「ムジカ・アルケミカ」を設立。人形劇や詩人といったほかのジャンルとの共演を通して音楽の可能性を追求し続けている。「ムジカ・アルケミカ」は曲によって演奏者が変わるフレキシブルなアンサンブル。きょうは5人のメンバーが演奏。

曲は聖母マリアの秘蹟を題材にしたソナタ。第1曲と終曲を除くすべてが異なるスコルダトゥーラ、変則調弦で書かれた作品。

リナ・トゥール・ボネのコメント
スコルダトゥーラについて
スコルダトゥーラとは、あえて調子を外してバイオリンを調弦することです。きょうは4丁のバイオリンを使い分けて演奏します。一つの曲が終わるたびに調弦を変えることで、いろいろな音をだすことができます。
前半の曲について
まず天使が翼をはばたかせて入ってきて聖母マリアの胎内にキリストが宿っていることを告げます。ソナタ第3番はキリストの降誕です。暗いハーモニーの中で輝き鳴り響くようなスコルダトゥーラに調弦され、まるで全体が暗い中かごの中の幼児のみが輝いているバロック様式の絵画のような印象をこの響きの中で聴くことができます。第4番はキリストの神殿での拝謁です。神殿を訪れたキリストは、これから困難な運命をたどると告げられ、聖母マリアは心臓を突き刺されることになるといわれる場面です。辛く悲しい雰囲気を持った美しいソナタです。ソナタ第6番から悲しみの旋律が始まります。不協和音に調弦したスコルダトゥーラがバイオリンを震えさせます。キリストが震えたようにバイオリンも震えるのです。血の汗がポトッポトッと落ちる感動的な場面です。ソナタ第7番と第8番は映画でいえば悪役です。ここではキリストが鞭打ちにされる様子を聴き取ることができます。演奏している私たちが酔っ払いに見えるところもあります。キリストの背には血がにじみ痛みを口にする場面もあります。罰を受けたキリストの姿を表す「この人を見よ」の場面です。バイオリンの弦が張りすぎて1オクターブだけになってしまいます。いちばん低い弦が5度上がってピンと張った状態になり、最後の弦も同じ状態になって、そしてしだいに緩んでいくのですが、叫びたいという気持ちをこの弦で表現しているのです。

 

「ロザリオのソナタから 第1番 受胎告知」ビーバー:作曲
(バロック・バイオリン)リナ・トゥール・ボネ、(テオルボ)トーマス・ボイゼン、(ヴィオラ・ダ・ガンバ)パトヒ・モンテーロ、(ハープ)西山まりえ、(オルガン)ユージン・ミケランジェリ、(チェンバロ)アンヌ・マリー・ドラゴジッツ
「ロザリオのソナタから 第3番 降誕」ビーバー:作曲
(バロック・バイオリン)リナ・トゥール・ボネ、(ハープ)西山まりえ
「ロザリオのソナタから 第4番 拝謁」ビーバー:作曲
(バロック・バイオリン)リナ・トゥール・ボネ、(テオルボ)トーマス・ボイゼン、(ヴィオラ・ダ・ガンバ)パトヒ・モンテーロ、(ハープ)西山まりえ、(オルガン)ユージン・ミケランジェリ、(チェンバロ)アンヌ・マリー・ドラゴジッツ
「ロザリオのソナタから 第6番 オリーブの山での苦しみ」ビーバー:作曲
(バロック・バイオリン)リナ・トゥール・ボネ、(テオルボ)トーマス・ボイゼン
「ロザリオのソナタから 第7番 鞭打ち」ビーバー:作曲
(バロック・バイオリン)リナ・トゥール・ボネ、(テオルボ)トーマス・ボイゼン、(ヴィオラ・ダ・ガンバ)パトヒ・モンテーロ、(チェンバロ)アンヌ・マリー・ドラゴジッツ
「ロザリオのソナタから 第8番 茨の冠」ビーバー:作曲
(バロック・バイオリン)リナ・トゥール・ボネ、(テオルボ)トーマス・ボイゼン、(ヴィオラ・ダ・ガンバ)パトヒ・モンテーロ、(オルガン)ユージン・ミケランジェリ、(チェンバロ)アンヌ・マリー・ドラゴジッツ

第1番 受胎告知、第3番 降誕、第4番 拝謁、第6番 オリーブ山での苦しみ、第7番  鞭打ち、第8番 荊の冠

🎵ボネが後部観客席からの登場、ステージへ。ボネのバイオリンは闇を貫いていく1条の光。寄り添い奏でるテオルボ奏者トーマス・ボイゼン、ヴィオラ・ダ・ガンパ奏者バトヒ・モンテーロ、チェンバロ奏者アンヌ・マリー・ドラゴザッヴ、オルガン奏者ユージン・ミケランジェリ。スコルダトゥーラが「降誕」のところでは、一通りではない響きの変化の妙味もあるが一種のわりきれなさ霧のように弦の奥から湧きでてくる感じもある。「拝謁」では聖画のように薄闇に光に静まりあるものへの愛情と厳粛さ、聖なるものへの畏れもあり、むしろこちら側の聖なるものへの態度のありようが問われる。「オリーブ山での苦しみ」、血の汗が弦に滴る。バイオリンの緊迫感を和らげるかにテオルボ。「鞭打ち」、この周りのざわめきと感じられる響きのうちに人々のあざけりの笑いが。「鞭打ち」、ここで、ああ、これは神に捧げられている演奏なのだと。「荊の冠」とでこれはシスターのバイオリン、弦をもっての献身であると感じられた。
 

🎧名曲アルバム。サティ「あなたが欲しい」アンリ・パコリ作詞。挟間美帆・編曲
「おそるべき粗悪品」といいつつ流行歌的なものも作曲したサティ。

⛳7時2分更新。緊急事態宣言一か月延長のニュース。

x

| | コメント (0)

210201 クラシック倶楽部を聴く ピエール・アンタイ&スキップ・センペ×目黒雅叙園

現代屈指のチェンバロ奏者、ピエール・アンタイとスキップ・センペ。伝統を今に「生かしたい」と語る2人が、江戸時代の美意識を今に伝える名建築・目黒雅叙園(1931年昭和6年に料亭として開業)で演奏するー番組紹介よりー

(チェンバロ)ピエール・アンタイ、(チェンバロ)スキップ・センペ
2017
125日 目黒雅叙園

 ピエール・アンタイ
楽器から多彩な音色を引き出す技法でバッハなどのバロック音楽を演奏。現代屈指の名手として時代をリードする。バロックを代表する作曲家ラモーの作品から編まれた組曲である。管弦楽用に書かれた歌劇作品は2人の手でチェンバロ用に編曲された。
スキップ・センペ
1958
年アメリカ、ニューオリンズに生まれオーバリン音楽院で学んだ後、レオンハルトに師事。古楽器の演奏法に精通し、知識に基づく独自の演奏解釈で古楽作品に新たな光を当て続ける。

二人のコメント:当時は録音録画ができないので劇場の興奮を家でも味わいたいと人々は家でもチェンバロなどのために編曲されたオペラの曲を演奏し楽しんでいた。でも編曲版の楽譜には要点しか書かれておらず、自分で必要な音を足さなければならない。当時最高のチェンバロ奏者のように的確に音を付け加える技が必要だった。また作曲家のラモーたちは、2台のチェンバロ用にオペラを編曲し師弟や友人同士でも演奏できるようになった。独自の編曲版が生まれたわけだ。二人の出会いは30年前に遡る。時代に埋もれていた楽器チェンバロに光を当てた演奏家であるレオンハルトのもとで共に学んだ。
二人とも若い頃は個性的な演奏スタイルだった。それで二人でデュオを組むことにみんなが驚いた。でもスタイルはあまり変わらない。求めるものは同じ。
昔の人は音楽のリズムや小節をダンスのような感覚でとらえていた。でも今の人たちはリズムは一定で伸縮自在だとは思っていない。メトロノームはおぞましく本来音楽が持っていたリズムを殺してしまった。等間隔のリズムを刻み続けるメトロノームとは違いダンサーたちは互いのステップを読み、リズムを導き出し、それに合わせた振付を相手と一緒に考える。彼らのように互いに相手の動きを感じながら演奏することが大切なんだ。
(スキップ・センペ)は伝統のあるものを今の人々に伝えることこそが最も現代的な芸術だと思っています。それらは相当な速さで世の中から消えつつあるのです。僕らのやってることは独特で譜面でしかない音楽を目覚めさせなきゃならない。音楽の原理、作曲家の意図に忠実に演奏し曲を目覚めさせる。音楽の美しさ楽しさを聴衆と分かち合い、作品が「今を生きる」ことに貢献したい。

全曲がラモー作曲、アンタイ&センペ:編曲
☆「2台のチェンバロのためのシンフォニー」
「歌劇「優雅なインドの国々」から序曲」
「歌劇「優雅なインドの国々」から ロンド形式のミュゼット」
「歌劇「優雅なインドの国々」から メヌエット」
「歌劇「優雅なインドの国々」から タンブーラン」
「歌劇「優雅なインドの国々」から ポーランド人のエール」
「歌劇「優雅なインドの国々」から アフリカの奴隷たちのエール」
「歌劇「プラテー」から ミュゼット」
「歌劇「ダルタニュス」から シャコンヌ」
「歌劇「ピグマリオン」から 序曲」
「歌劇「イポリットとアリシー」から メヌエット」
「コンセール用クラヴサン曲集から 挑発的な女」
「歌劇「プラテー」から ヴィエル風のメヌエット」
「歌劇「優雅なインドの国々」から 未開人」
「歌劇「ダルタニュス」から 前奏曲」
「歌劇「優雅なインドの国々」から シャコンヌ」
「歌劇「ダルタニュス」から タンブーラン」

🎵現代を代表するチェンバロ奏者のデュオ雅叙園は昭和6年に料亭として開業。内部は江戸時代を象徴するなかなか凝った装飾に満ちている。この美とバロック音楽とのコラボというわけだ。
演奏、いま何を弾いているかというよりも、一連の演奏が、海のさざめき波間のきらめきに次つぎに100景を見せられているようなすばらしさだった。環境も演奏になにがしかの情感をもたらすというけれども、この音色に雅叙園の豪華絢爛美が溶けていたかどうかは判然としないけれども、チェンバロは音の切れ消えが速いにも関わらず、それが露わになるところのない連続した響きがすばらしかった。わくわくとざらざらと音が湧出する。4本の手のいまどの手が鍵盤をたたき、はじき、いまどの手が空にあって鍵にどのように舞い降りていくかを見るのも楽しかった。一連に日陰という空間は感じられず、明るく屈託なく陽気でダンスのように目まぐるしく動き回る。そんなリズムが湧きに沸いた。

🎧名曲アルバムはチャイコフスキーの「四季」から1月「炉辺にて」11月「トロイカ」。
チャイコフスキーが、ロシアの春夏秋冬と人々の暮らしをピアノで紡いだ小品集。伝統的な暖炉ペチカの温もりと、宿場から宿場へと人や物を運んだトロイカの風情を堪能する。ピアノは金子三勇士―番組紹介よりー
焚口の高いペチカ。そりを引く3頭立て。冬のロシアの暮らし風情が。

⛳7時16分更新、すばらしい太陽がいま東に輝き出でる。

 

 



xx

| | コメント (0)

« 2021年1月 | トップページ | 2021年3月 »