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きょうのことば

インマヌエル盛岡キリスト教会2021110日の礼拝メッセージをおつたえいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で47年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 『主は私の羊飼いー4』  (國光勝美 牧師)

聖書引証 旧約聖書 詩篇23篇1~6

ダビデの賛歌
1
主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
2
主は私を緑の牧場に伏させ いこいのみぎわに伴われます。
3
主は私のたましいを生き返らせ 御名のゆえに 私を義の道に導かれます。
4 たとえ 死の陰の谷を歩むとしても 私はわざわいを恐れません。 あなたが ともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖 それが私の慰めです。
5
私の敵をよそに あなたは私の前に食卓を整え 頭に香油を注いでくださいます。 私の杯は あふれています。
6
まことに 私のいのちの日の限り いつくしみと恵みが 私を追って来るでしょう。 私はいつまでも 主の家に住まいます。

(前回の復習は割愛いたします)

きょうは、詩篇233節「主は私のたましいを生き返らせ 御名のゆえに 私を義の道に導かれます。」このおことばに集中して恵みをいただきたく願っております。

「主は私のたましいを生き返らせ」。聖書の中で、たましいというのは、私を私たらしめているいちばん根源的な本質的なものです。その私を私たらしめているいちばん大切な私のたましいを生き返らせるのがよき羊飼い。よき羊飼いに出あう以前は、私たちは死んでいた者だということです。「生き返らせ」とありますから、それまでいのちの根源である神様から離れていた私たちが、まことのいのちそのものでいらっしゃるイエス様によっていのちが与えられた。これを新生の恵みと言います。誰でもこのよき羊飼いに出あうまでは、私たちは罪の中に死んでいたものです。時代がどうであろうと聖書は言います。このイエス・キリストは私たちの罪の身代わりとして死んで、そしてよみがえってくださった。そのいのちに与って、初めて私たちはいのちを得るのです。罪を悔い改め、イエス・キリストを信じたとき、私たちは新しいいのち、ほんとうのいのちを得ることができます。その意味で、主はわたしのたましいを生き返らせてくださるのです。

 

しかし、もう一つ、私たちはきよめの恵みというものをいただいて生きる。

これを新約聖書ガラテヤ人の手紙第51621節。
16
私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。
17
肉が望むことは御霊に逆らい、御霊が望むことは肉に逆らうからです。この二つは互いに対立しているので、あなたがたは願っていることができなくなります。
18
御霊によって導かれているなら、あなたがたは律法の下にはいません。
19
肉のわざは明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、汚れ、好色、
20
偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
21
ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものです。

 「主は私のたましいを生き返らせ」というとき、私たちを新たに生まれ返させてくださるとともに、御霊によって歩むきよめの恵みにも導いてくださるということを覚えたいと思います。

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 そして旧約聖書のサムエル記第一1522

22 サムエルは言った。「主は、全焼のささげ物やいけにえを、主の御声に聞き従うことほどに 喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。

 神様は聖書の中に、神様のお声を聞き、そして神様の御声に聞き従う。よき羊飼いの御声に聴き従うということを喜ばれます。このようにして歩んでいくときに、私たちは詩編23篇「主は私のたましいを生き返らせてくださる」ということを納得するのであります。

 

 そしてここ詩篇23篇の3節に「御名のゆえに」とございます。きょうは旧約聖書をお読みするだけになりますけれども、
エゼキエル書3622

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22 それゆえ、イスラエルの家に言え。神である主はこう言われる。イスラエルの家よ。わたしが事を行うのは、あなたがたのためではなく、あなたがたが行った国々の間であなたがたが汚した、わたしの聖なる名のためである。

 私たちが義の道に導かれる、正しい道に導かれる、肉の行いから離れていのちの道を歩む、聞き従って行くことは、神様が、これはあなた方のためと言うよりはむしろわたしの名のためであるというのです。神様ご自身のお名前のために、私たちをそのようにする。つまり、詩篇23篇の祝福というのは、このポイントを捉えていただきたいのですが、 詩篇23篇の祝福と言うのは、あなたがたのためにそうするのではない、そうではなく、わたしがよき羊飼いだから、そしてわたしの声に従って行く羊がどんなに大きな祝福を受ける生涯を歩むことができるのかということをあなた方に示すのは、それはあなた方がかわいいからとかあなた方を慈しむからということが第一義的なことではなく、わたしの名にかけて、わたしが私だから、わたしの名にかけてわたしは私の声に聞き従って行く者を必ず祝福する。ダビデはこのことを自分の生涯において確かにそうだったと振り返っている。ダビデは、自分の生涯で、たしかに主に従って行ったこともあった。けれどもついこの世の中の誘惑に負けて、大きな罪を犯してしまったこともあった。また自分の虚栄のために、また自分がどんなに偉大であるかという事を示すために、神様の喜ばれない政策をして、多くの国民が命を失うという大きな禍さえも彼は国に至らしめました。しかし、失敗の多い弱さを持ったダビデでしたけれども、ほら、私の声に聞き従っていてごらん、必ず祝福してあげるから。このように言われるのであります。「御名のゆえに」なのです。神様は私たち一人ひとり、ご自身の名にかけて祝福して下さる。ことし詩篇23篇が与えられておりますが、大きな力であり拠り所です。

 

「私を義の道に導かれます」。アブラハムが神の前に義と認められた、これは創世記のところにありますけれども、アブラハムが神様のことばを信じた、それが彼の義と認められた、とあります。彼は、正しい行いをしたから神の前に義と認められたというのではない。彼が主を信じた。詩篇23篇の祝福して下さるという主を信じた。この時、それが、彼の義と認められることになった。すこし専門的な表現になってしまったかもしれませんけれども、私はことし、23篇、神様がご自身のきよい御名にかけてわたしの声に聞き、私の声に従って行く者を必ず祝福してあげる、そして義の道、これはいのちの道といっていいでしょう、そこに主が必ず導いてくださる。この詩篇23篇の神様を愚直なまでに信じて従って行く羊であらせていただきたい。このような私たちの群れであらせていただきたい。これがこの朝のメッセージであります。

 

※画像は教会からお借りしています。
⏰一昨日は異音がしてパソコンが壊れたかと思いましたが、またサクサク感がもどり更新できました。6時26分。

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