« 210118 クラシック倶楽部を聴く マテュー・デュフォー フルート・リサイタル | トップページ | 210120 クラシック倶楽部を聴く 上野耕平 サキソフォン・リサイタル »

210119 クラシック倶楽部を聴く ハインツ・ホリガーと仲間たち

80歳を迎えたホリガーは言う。「時計の針は人生を計るものではない。私は続けられる限り、演奏し、指揮し、作曲する。」信頼する仲間との絶妙なアンサンブルを放送するー番組紹介よりー

ハインツ・ホリガーは1939年生まれ。スイス出身のオーボエ奏者、指揮者、作曲家。演奏家としてバロック音楽から現代音楽までの作品に取り組む。作曲家としてさまざまな楽器の可能性を追求した作品を発表。

<演奏者>       
オーボエ、指揮:ハインツ・ホリガー
オーボエ、イングリッシュ・ホルン(*):マリー=リーゼ・シュプバッハ
ファゴット:ディエゴ・ケンナ
コントラバス:エディクソン・ルイース
チェンバロ:桒形亜樹子

<曲目>
J.S.
バッハ:トリオ・ソナタ第1番 変ホ長調 BWV525
細川俊夫:『結びハインツ・ホリガーの80歳の誕生日を祝して』(2019)
ハインツ・ホリガー:『Klaus-Ur(クラウス・ウール)
ゼレンカ:二つのオーボエ ファゴットと通奏低音のためのソナタ第5番 

 

🎵バッハとゼレンカを主に。バッハとゼレンカは交流があり、バッハがドレスデンにいた頃には、ゼレンカはバッハをよく訪れていたという。バッハの方もゼレンカには興味を持ち、バッハの息子にゼレンカの曲を写譜させていた。才能がある者同士は互いにその存在を意識し合うものかと思う。ただ、バッハの曲にはやはり神へのささげものである軸からの片よりは感じられず、ゼレンカの曲からは、世俗的な、「俗」という文字を当てはめるのは行き過ぎかとも思うが、同じような華やかさ、空気感、音の通りの良さでも、世に一脈通じるような気配、気分が感じられる。バッハとゼレンカの時代には、ロココ、感傷的な音楽もあったらしく、そちらの影響が入ってきていたのかとも。あとでそちこちのブログをぐぐっているうちに、ゼレンカの5番を「貴族的遊戯」と評していた方がいたが、まさしくの感。バッハ、ゼレンカが亡くなった後は信じられないことだが世に忘れられたふたり。バッハのマタイ受難曲を世に出したのがメンデルスゾーンだったが、ゼレンカを世に出したのはスメタナであったようだ。
 細川俊夫の「結び」。こんどはどう感じるだろうと興味津々で。ホリガーが贈り物をするときに布の端と端を結び合わせる、これは風呂敷のことかと思ったが。これがホリガーの80歳の誕生プレゼント曲。オーボエとイングリッシュホルンのデュエット。出だしには雅楽のような感じ。しだいに能楽を聴いている気がして、能面がイメージに現われると、それが脳裡から容易には去らず、ついに最後まで舞い続けていた。ところどころに和楽器の鼓が入っても不自然ではないと思われた。笙や篳篥をきいているような気分にも。ただこの和楽器、オーボエとイングリッシュホルンとの性能には格段の差があり、音域や技術的なことはよくわからないが、現代の楽器だからこそこの曲のように緻密で細やかな演奏も可能であり、幽玄ではあるけれども且つ現代的な仕上がりとしても聴かせるものになっているとも思われた。ホリガーの「Klaus-ur」、たえず炸裂するもの、大きくも小さくも火花を散らすもの、明滅するものの表現か。うめきというよりも見えないもの掴めない空間の呻きに意識の明滅とも。すごい感性の持ち主と。いちど聴いたら忘れない。譜面はいったいどう表記されているのだろうと。通常連なりうる旋律の埒外に見出した音符というには乾いた現代的な衝撃的な音なのだが、何れ平板と平板との間隙から拾い弾き集めたかのよう。最後部分のそれが点のように遠景となり締めくくられる。異形の造形なのだ。

ホリガーは音楽がなければ窒息するという。彼の肺呼吸は音楽。ヨーロッパの若者たちは物事への興味を失い老いている。人生は時計、時間では測れないものらしく、年齢はといったか、それは相対的なものであると。以前にも聴いてはいるのだが。何れ音楽がホリガーの人生のエネルギー源となっている。

相対的な齢を重ねるホリガー、そして仲間たちを、今朝も新鮮に聴いた。

 

🎧名曲アルバムはプッチーニ「ある晴れた日に」。木下美穂子のソプラノ、切々と。
蝶々夫人は宣教師サラ・ジェーン・コレルが出入りの商人から蝶々さんのはなしを聞き、それをアメリカにいるサラの弟が小説に書いたものだとか。

⛳けさは雪。降雪らしい降雪。クラシック倶楽部が始まる前に窓外を見ると、街路灯の下に落ちる電線の影が雪を散らしている。除雪車はまだ入っていないと、クラシック倶楽部を見て一曲終わったところでまた見ると、きれいに除雪されていた。5時ごろにはこの辺りの主な道路の除雪は完了したと思われる。日本海側の雪に比べると弱音を吐くレベルではない。殺人鬼コロナ、殺人鬼積雪、殺人鬼経済(これもコロナの仕業。どこからどこまでがコロナのせいで、どこからどこまでが政治責任で、どこからどこまでが個人の責任なのか)。3重苦のこの冬。
9時6分更新

|

« 210118 クラシック倶楽部を聴く マテュー・デュフォー フルート・リサイタル | トップページ | 210120 クラシック倶楽部を聴く 上野耕平 サキソフォン・リサイタル »

音楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 210118 クラシック倶楽部を聴く マテュー・デュフォー フルート・リサイタル | トップページ | 210120 クラシック倶楽部を聴く 上野耕平 サキソフォン・リサイタル »