きょうのことば ークリスマス講壇ー
インマヌエル盛岡キリスト教会の2020年12月20日(日)の礼拝メッセージをおつたえいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で47年目のご奉仕をしておられます。
説教題『救い主の誕生』―クリスマス講壇― (國光勝美 牧師)
聖書引証 新約聖書 ルカの福音書2章1~7節
2:1そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。 2:2これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。 2:3人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。 2:4ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、 2:5身重になっていた、いいなずけの妻マリアとともに登録するためであった。 2:6ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、 2:7男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
<お話し>
クリスマスおめでとうございます。
クリスマス礼拝がズームでの礼拝となりましたが、今年のはじめにはこのような形で2020年のクリスマスを迎えることになろうとは思っておりませんでした。しかしこれも神様の摂理の一環、こうして皆様とともに礼拝に与ることができますのは大きな恵みでございます。
例年ですとクリスマス祝会もあり、楽しみながらクリスマスのできごとを学ぶ日があるのですが、ことしはそれもございません。それでそれも兼ねるつもりで礼拝をと願っております。きょうは洗礼式もございます。メッセージの時間が短く限られておりますこともご了解ください。
イエス様のお誕生を凡そ紀元元年といたしますと、このご降誕は、それよりも約700年前に預言者イザヤによって預言されておりました。イザヤ書9章の6、7節をご覧ください。
6 ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。
イエス様のお誕生の700年も前に預言者イザヤがひとりの男の子の誕生を預言している。ダビデの王座に就かれる王の王なるお方が生まれることを預言しているのであります。
さらにイザヤ53章にも、このお方がまさに私たちの身代わりとして十字架につけられる。それがこの男の子の生涯である。まさに十字架の贖いのできごとをイザヤは預言しているのであります。
イザヤ53章
1 私たちが聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕はだれに現れたのか。
2 彼は主の前に、ひこばえのように生え出た。砂漠の地から出た根のように。彼には見るべき姿も輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。
3 彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった。
4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。彼は罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。
5 しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒された。
6 私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。
7 彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠り場に引かれていく羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
8 虐げと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことか。彼が私の民の背きのゆえに打たれ、生ける者の地から絶たれたのだと。
9 彼の墓は、悪者どもとともに、富む者とともに、その死の時に設けられた。彼は不法を働かず、その口に欺きはなかったが。
10 しかし、彼を砕いて病を負わせることは主のみこころであった。彼が自分のいのちを代償のささげ物とするなら、末長く子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。
11「 彼は自分のたましい激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を負う。
12 それゆえ、わたしは多くの人を彼に分け与え、彼は強者たちを戦勝品として分かち取る。彼が自分のいのちを死に明け渡し、背いた者たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、背いた者たちのために、とりなしをする。」
イエス様ご降誕の預言のことはここまでにしまして、こんどは具体的にイエス様のお誕生にフォーカスを合わせます。
ナザレというところをご確認ください。A地点です。そしてベツレヘムというところに旅をしなければならない。これがルカの福音書2章に記されてあるきょうお読みしたところです。ヨセフはダビデ王家の血筋であります。本来ならばベツレヘムに住まいはあるはずですけれども。この暗い時代にあって零落し、ヨセフは国のずっと北のはずれのナザレで貧しい大工をしている男でありました。しかし前回学ばせていただいたように、許嫁の妻マリアは本来そこで赤ちゃんを出産してもいいのですけれども、当時のローマ皇帝アウグストから全世界に人口調査をするように、そのためにそれぞれ自分の本籍のあるところに行って登録をするようにとの勅令が出されました。これはローマ皇帝の絶対的な権限の下に行うものです。すでに身重になっている妻マリアが旅をするのは苛酷なことでありましたが、勅令に背くわけにはいきません。ヨセフは自分の本籍のあるベツレヘム、それはエルサレムから近いところであります。そこに旅をすることになりました。だいたいどれぐらいの距離の旅だったでしょうか。単純に今に舗装された道を行ったとすると170キロあります。でもその当時は山道です。宿があるわけでもない。きっと貧しい中ですから野宿をしながらであるかもしれない。難儀な旅を強いられてヨセフとマリアは旅をいたしました。170キロ、これを今の私たちにあてはめると、盛岡を起点としてだいたい仙台までです。大変な旅であったことがご想像頂けます。ヨセフとマリアは、人口調査があるということで多くの人たちが移動している中にある若い夫婦、それ以上のものではありません。みんな勅令に背くことはできないので旅をしております。宿屋を探すのですけれども泊まるところがない。仕方なく家畜小屋に長い旅の疲れを癒す。そこでマリアはイエス様を出産されました。
ここで、聖書のヨハネの福音書1章のおことばを思い起こします。
1:11この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。 1:12しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。
神のひとり子が私達のために人としておいでくださったのに、ご自分の民は、この方を受け入れようとしなかった。しかし、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった」。これがクリスマスの持つ大きな意味です。最も惨めな、最もみすぼらしい、最も弱い、最も小さい者の中に、このお方は誕生してくださいました。
天から地に一つの鎖が落ちてきました。ヨハネの福音書3章16節です。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
このクリスマスの意味を、私たちが毎年この時期に確認をさせていただきます。聖書の中の聖書と呼ばれているヨハネの福音書3章16節をもう一度、皆さま方とご一緒に読ませていただきましょう。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
☆ ☆ ☆
このあと、ひとりの姉妹が洗礼に与りました。この日は浸礼ではなく滴礼、滴を受洗者の頭上に滴下する形式による洗礼が執り行われました。
※画像は教会からお借りしています。洗礼写真はズーム礼拝時、筆者がパソコンから撮ったものです。
⏰5時39分更新
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