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きょうのことば  「クリスマスを待つ」ー第二アドベント講壇ー

インマヌエル盛岡キリスト教会2020年12月6日()の礼拝メッセージをおつたえいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で47年目のご奉仕をしておられます。

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説教題『クリスマスを待つ』(國光勝美 牧師)

聖書引証
旧約聖書 イザヤ書9章1~7節
1 しかし、苦しみのあったところに闇がなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は辱めを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダンの川向う、異邦の民のガリラヤは栄誉を受ける。
2 闇の中を歩んでいた民は、大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝く。
3 あなたはその国民を増やし、その喜びを増し加えられる。彼らは、刈り入れ時に喜ぶように、分捕り物を分けるときに楽しむように、あなたの御前で喜ぶ。
4 あなたが、彼が負うくびきと、肩の杖、彼を追い立てる者のむちを、ミディヤンの日になされたように打ち砕かれるからだ。
5 まことに、戦場で履いたすべての履き物、血にまみれた衣服は焼かれて、火の餌食となる。
6 ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。


旧約聖書 ミカ書5章2節
2 ベルレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。

 

<お話し>

 この教会では、ケニヤのテヌウェク病院に包帯を送る奉仕をしておりますが、ひろ子先生のラインに、現地の医療宣教師蔦田就子先生から、二年前に送った包帯が、送る途中で失われたかと思っていたところが、今ようやく着いたという連絡がありました。小さな群れの小さな奉仕がケニヤのテヌウェク病院で大きな喜びとなっているそうです。共にこのクリスマスを守ることができるのは大きな歓びであります。
 そのテヌウェク病院では「We will not fear, but prepare.(私たちは恐れない、しかし備える) 」、これをモットーに過ごしていることを聞きました。これが盛岡教会の心構えでもあります。

 前回の説教ではズームにトラブルを生じ、プロジェクターのスクリーンに映しかねた画像がございましたが、次の画像を先週のメッセージ「闇の中の光」に追加していただき、クリスマスアドベントの第一回目であったことを思い起こしていただければ感謝です。

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 さて、きょうは第二アドベント「クリスマスを待つ」という題です。皆さん意外に思われるかもしれませんが、聖書のどこを何度検索しても「クリスマス」という言葉は出てきません。聖書にはないのです。それではいつ頃この1225日が一般的になったのか。多くの学者たちが調べておりますが、どうも5世紀ごろにアウグスティヌスという人がキリストの誕生は1225日と統一したと受け取られる文書が遺されております。ほんとうに1225日なのか。いやそうではないだろうなと多くの人が考えている。それじゃいつなのか。

 実はイエス様がお生まれになったとき、キリスト教がペテロ、そしてパウロのような使徒たちによって広められていった当時、世界はローマ帝国の時代でありました。ローマの異教的なお祭りがちょうどこの冬至の前後にありました。冬至というといちばん夜が長い。しかし冬至を過ぎると少しずつ昼の時間が長くなります。これは喜びでもある。暗きに輝く世の光としてこの世においでくださったイエス様のお誕生を1225日と便宜上あてはめるのも、それはまたそれなりに意味があるであろうとこのように思っているわけです。しかし忘れてならないことは、それじゃ日にちがはっきりしないから誕生がなかったのか。決してそんなことはありません。聖書にはイエスキリストの誕生は、そのできごとして、或いはその預言として、クリスマスのできごとに満ちているといっても過言ではない。それを先ず心に留めさせていただきましょう。

 さて、いま皆さん方と一緒に開きますおことばは、イザヤ書、そしてミカ書というところであります。イザヤ、ミカという人物が活躍したのがだいたい紀元前700年前後といったらいいでしょう。ここに地図がございます。

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北の方、上の方にガリラヤ地方があり、そしてガリラヤ湖。そのすぐ上にアッシリア帝国という太い字が。じつはこのアッシリアという異教の大帝国が、このイスラエルの国、或いはユダの国ともいっていいでしょう、この国を亡ぼすために北の方からガリラヤの方にやってきた。

旧約聖書の1180頁、イザヤ書はイエス様についての預言が記されていることでとても有名です。
イザヤ書の91節 しかし、苦しみのあったところに闇がなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は辱めを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダンの川向う、異邦の民のガリラヤは栄誉を受ける。

 イザヤがこう預言した時、アッシリア帝国と最初に緊張状態になったのはガリラヤ地方でした。それ以前にイスラエルは、北イスラエルとユダに分裂しており、北イスラエルはすでにアッシリアに滅ぼされてしまっていた。ユダの国とイスラエルの国はルーツをたどれば兄弟のような国であったのが、いずれにせよ北の王国の方はすでにアッシリア帝国に滅ぼされ併合され国を失う。その強大なアッシリアがガリラヤの方にやってきた。もうユダの人たちは戦々恐々。しかしそんなときにイザヤが、だいじょうぶ、必ず神様は私たちを守り支えてくださるとメッセージを述べたところであります。

 これをさらに進めてみましょう。こんどは旧約聖書の1586頁。ミカ書第5章をお開きください。

 イザヤとミカはほとんど同時代に神に仕える預言者でありました。ですので、イザヤとミカ、人物は違いますけれども、ともにイエス様、メシヤの誕生についてすばらしい予言をしています。

ミカ書5章の2節  ベルレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。

 このようにミカが預言をしている。地図をみてください。

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 ベツレヘム。その場所、おわかりでしょうか。ユダ王国の首都であるエルサレムと比較的近い場所ですけれども。ここからあなたの支配者、エルサレムを治める者が出るという預言。その出現はその昔から永遠の昔から定まっているというのです。

 そしてまたイザヤ書の9章を見ていただきますと、アッシリア帝国の勢力が迫ってくる。ユダの人たちは、わーこんどは北が滅ぼされたように私たちも滅ぼされてしまう。どうしよう、もうこのまま国が亡くなってしまう、という怖れに震えておりました時に、神の預言者イザヤが言います「だいじょうぶ、ガリラヤは神の栄誉を受けるよ」。

私たちは新約の時代に生きています。イエス様がガリラヤ地方で大きな働きをされたということを福音書を通して知っています。イザヤは「ガリラヤは栄光を受ける」、そして92節に「闇の中を歩んでいた民が大きな光を見、死の陰の谷に住んでいた者たちに光が輝く」、こういって「大丈夫、北の方は亡びてしまったけれどだいじょうぶ、あなた方は守られるのだ」、こういう希望のメッセージを民に語っています。

 いま申しましたことを画面の中で見ていただきましょう。

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 お話しの整理になるのかもしれませんが、兄弟国の北王国が滅ぼされてしまう。すると南王国の人々はわー、これは大変だ、これからどうなるんだろうか。ほんとうに暗闇の真っただ中であった。これは今の私たちの時代を表しているような感じさえします。メシヤ、キリストへの待ち望み、はやくこの暗黒から私たちを解放してくれる救い主が与えられないか。このメシヤへの待ち望みが日に日に強くなってまいります。このときのユダヤ人たちの待望するメシヤ像はどんなであったか。救い主、キリストといわれる人物に、ユダヤの人たちは何を期待していたのか。間近に迫っているアッシリア、この強大な国と戦い勝利を与えてくれる、そのような救世主、メシヤを彼らは期待していました。そして、あのダビデ、ソロモンの時代にそうであったように、我が国に繁栄と独立をもたらすところの救い主、キリスト、メシヤを彼らは期待していました。ダビデの王座を継承する者こそ我らが待ち望むメシヤだ。そして先ほど見ましたように、それはどこから、そう、ベツレヘムのエフラテから出る。そのようにミカ書、預言者ミカはいっています。これが当時のユダヤの人たちが持っていたメシヤ待望でありました。

さて、これからはイザヤ書9章6節です。
 
ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

彼らユダヤ人たちが期待していたメシヤ、それはどういうお方かと言うと、ひとりのみどりごが誕生する。私たちのために。先ず第一に不思議な助言者。ここで「不思議な」は形容詞で使われていますが、文語訳聖書では「その嬰児は不思議。」。このように「不思議」は「名詞」でです。文語訳に慣れている人たちにとっては、そのみどりごは「不思議」或いは「ワンダフル」、そして「カウンセラー」、「助言者」。でも新改訳では「不思議な助言者」。助言者というのは、私たちを今のところから回復させてくれる働きをします。それから助言者は、さあ、この道を歩むんですよというように道を示してくれる方です。そして力を与えてくれる。これがひとりのみどりご。このお方は暗闇の中にいる私たちに回復を与え、歩むべき道を示し、私たちに力を与え、これはただにユダヤの人たちにだけではなく、今の私たち一人ひとりにもこのお方、ひとりのみどりごイエス様ご自身ですけれども、このお方は私たちのすばらしい助言者として私たちを回復させ導き私たちに力を与えてくださいます。

 こんどは力ある神、ヨハネ11節をお開き下さい。

初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

 このお方は、ひとりのみどりごというお方は、神とともにあった。そしてこのおことば。このお方は神ご自身である。イエスキリストが神ご自身である。このことをイザヤははっきりと預言しています。救いについて話す預言者ではなく、このお方は神ご自身として私たちの前に救い主としてあらわれていてくださる。また6節にありますが永遠の父と呼ばれる。

 では、ヘブル138節新約聖書の456頁をお開きください。

永遠の父である、不思議な助言者であるヘブル138イエス・キリストは、昨日も今日も、とこしえに変わることがありません。

 私たちの救い主なるひとりのみどりごとしてこの世においでくださったお方は「永遠の父」、このような名まえが付せられている。感謝です。そしてもう一つの名まえ、それは「平和の君」と呼ばれる。もちろん先ほどお話しさせていただいたように、彼らユダヤの人たちが待ち望んでいたのは、アッシリヤ帝国による滅亡、何とかこの危機から守られ、何とかダビデ、ソロモンの栄華が私たちに与えられるようにというのが、彼らの期待していたメシヤ像でした。しかし私たちはここにそれよりももっと大きな深い大切なメッセージを読み取ることができます。

 新約聖書のローマ人への手紙51節。304

こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。

 神との平和を持っている。このときイザヤが預言していたのは当時のユダヤの人たちが一般的に期待していたメシヤ像をはるかに超えて、いま新約に生きている私たちが、ああそれはまさしくあのクリスマスのときにお生まれくださったイエス様なんだ、このお方はまことの平和の君として私たちに平和をもたらしてくださる。然り、それは人と人との争い、国と国との争いということを超えて、もっと根本的に私たちは神様と仲たがいしていたという神から離れていたという私たちがイエス・キリストの贖いの十字架の血によって、その神との、私たちは生まれながら神に敵対していた者だった、しかし、このひとりのおさなごが、私たちに与えられて、このお方が、イエスキリストが、十字架によって神との和解を成し遂げてくださった。

 イザヤが預言していたメシヤ像というのは、冬至のユダヤ人たちが地上的なこの世的な救いばかりを考えていたのですけれども、彼らのそれをはるかに超えて、不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君であられるのであります。

ここでイザヤ97節をご一緒にお読みしましょう。

 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。

 万軍の主の熱心が、神様ご自身が必ずこのことを成し遂げる。ミカは預言しました。メシヤがどこで生まれるのか、それは、ベツレへム、エフラテに生まれる。イザヤはそのメシヤは、救い主は、ひとりの男の子、ひとりの男の子が私たちに与えられる、こういっている。このイエス・キリストの誕生を預言いたしました。そしてそのことはすべて今よりとこしえまで万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。

 

※地図、画像は教会からお借りしています。
説教の文面は音声データを起こし内容を損なわないよう、できるだけ忠実に編集させていただきました。

⏰5時49分更新

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