2020年12月
201231 クラシック倶楽部を聴く アラカルト アンコール
2019年に収録したコンサートから、名手たちによる色とりどりの「アンコール」を総集編でお送りします。超絶の冴えや深い味わいなど、さまざまな個性をお楽しみ下さい。【出演】ファブリス・ミリシェー(トロンボーン)小菅 優(ピアノ)ジャン・ギアン・ケラス(チェロ)アレクサンドル・タロー(ピアノ)ほか【曲目】練習曲 変イ長調 「牧童」(ショパン作曲)、愛の悲しみ(クライスラー作曲)ほか―番組紹介よりー
☆「ロマンス」ヨルゲンセン:作曲
(トロンボーン)ファブリス・ミリシェー、(ピアノ)中川賢一
☆「練習曲 変イ長調 作品25 第1「牧童」」ショパン:作曲
(ピアノ)小菅 優
☆「愛の悲しみ」クライスラー:作曲
(バイオリン)エマニュエル・チェクナヴォリアン、(ピアノ)マリオ・ヘリング
☆「3つのロマンス 作品94から 第2曲」シューマン:作曲
(フルート)マテュー・デュフォー、(ピアノ)浦壁信二
☆「愛の小径」プーランク:作曲
(チェロ)ジャン・ギアン・ケラス、(ピアノ)アレクサンドル・タロー
☆「アヴェ・マリア」シューベルト:作曲
吉松隆 田部京子:編曲
(ピアノ)田部京子
☆「シチリア舞曲」伝パラディス:作曲、ドゥシュキン:編曲
(バイオリン)コリヤ・ブラッハー、(ピアノ)オズガー・アイディン
☆「混声合唱のための「うた」から「さくら」」日本古謡:作曲、武満徹:編曲
(合唱)スウェーデン放送合唱団、(指揮)ペーター・ダイクストラ
☆「即興曲 変ト長調 作品90 第3」シューベルト:作曲
(ピアノ)アレクセイ・リュビモフ
☆「即興曲 変イ長調 作品90 第4」シューベルト:作曲
(ピアノ)アレクセイ・リュビモフ
🎵けさはなぜか、というよりもきのうショパンの「牧童」を聴いていたせいで、ピアノにより反応してしまったということなのだが。小菅のそれが、この曲が左右合わせて1秒間に20回ぐらい鍵盤が弾かれるらしいのだが、流麗なうねりのうちに右の小指が瞬時に潮の一滴を岩に波間に飛ばす。はっとするところだ。田部京子の「アヴェ・マリア」、これが演奏に歌はないのだが、聴いているうちに歌が聴こえてくる不思議さ。アレクセイ・リュビモフの一曲目「即興曲 変ト長調 作品90 第3」、深くわきいでて心の扉を震わせる。すばらしかった。リュビモフ1944年生まれ。ミリシェー、温かな空間にひきつれては現実にふわりと引き戻す妙味。「愛の悲しみ」ではピアのマリオ・ヘリングの方が日本語で曲目を紹介。ケラスにしろ観客へのサービスに片言でも日本語を練習してくれたと思うとやはり嬉しい気持ちになる。ジャン・ギアン・ケラス&アレクサンドル・タローは20年以上も共演。「シチリア舞曲」、聞く側までが解放されて快心と響く。スウェーデン放送合唱団の「さくら」、武満徹の「さくら」、どういうわけか平安時代にタイムスリップ。
🎧名曲アルバム、ことしの最後は「第九」。東京混声合唱団他。ベートーベンにして罵声を浴びることもあったというが、「第九」は何人にも有無を言わさず、未来永劫不動の位置に。デスマスクがよみがえる。一生の苦悩がこの歓喜によって浄化、昇華を遂げていたならこの上ない。
⛳今年最後の更新、いま耳によみがえるのは「さくら」。7時ジャスト更新
201,230 クラシック倶楽部を聴く アンコール特集
アラカルト・ビバ・アンコール
2018年に収録したコンサートから、名手たちによる色とりどりの「アンコール」を総集編でお送りします。超絶の冴えや深い味わいなど、さまざまな個性をお楽しみ下さい。【出演】ギル・シャハム,江口玲,小山由美,佐藤正浩,ミシェル・ダルベルト,ナビル・シェハタ,バンジャマン・アラール,ニルス・メンケマイヤー,島田綾乃,清水華澄,越知晴子,青木尚佳,ウェン・シン・ヤン,イノン・バルナタン,ベルリンRIAS室内合唱団,ジャスティン・ドイル―番組紹介よりー
🎵その都度の番組を聴き終えてアンコールがいちばんよかったと思うことしばしば。通常のプログラムの“しばり”から解き放たれて、奏者が気分的に自在に演奏できるひととき。しかしそこはプロ、聴かせどころはしっかり。アンコールとはいえ、一曲一曲が濃い。アンコールのみを取り出しての編集という着想がおもしろい。
ギルシャハム&江口玲、このあうんの呼吸が何とも気分がいいサラサーテの「カルメン幻想曲」。シャハムがちょっと肩の力を抜きしかしここぞというところは鮮やかにバイオリンを弾きこなす。小山由美&佐藤正浩、ワイルの「スピーク・ロウ」。60歳をこえるミシェル・ダルベルトは風格あるリスト「超絶技巧練習曲第10番」。近頃は兄のカリムとの共演が多いというナビル・シェハタはクウェート生まれ、フリーバの「古風な様式による組曲」。パンジャマン、あのチェンバロの響きを聴かせてくれたパンジャマンのアンコールはやはりバッハの「幻想曲BWV571」、あの一連の典雅な演奏もよみがえる。ビオラのニルス・メンケマイヤー&島田彩乃でシューマンの「おとぎの絵本」。越知晴子の伴奏でメゾソプラノ清水華澄のマスカーニ「ママも知るとおり」、これが良かった。字幕なしだが、さっき気づいたのだが、「オペラ対訳プロジェクト」がネットに出ていた。バイオリンの青木尚佳&チェロのウェン・シン・ヤン。ウェン・シン・ヤンはスイス生まれ、1989年から16年間ベルリン交響放送楽団の首席奏者。クラークの「ララバイ」。ピアノのイノン・バルナタン、この方イスラエルのテルアビブ生まれ、英国で学ぶ。彼弾く「展覧会の絵」は場面共有できたという気分がのこっている。思いだしながらメンデルスゾーンの「ロンド・カプリチオーソ」を聴く。そして最後はベルリンRIAS室内合唱団のジャスティン・ドイル指揮、編曲の「朧月夜」を日本語で。日本語の挨拶、日本語での演奏にぐんと近親感が。なのだが、このアンコール「朧月夜」は日本の「朧月夜」ではない。ジャスティン・ドイルの編曲の女声が非現実的、天的な香りが満ちている。日本から天に抜け出したといった感じが。最後がこの曲で心穏やかな満ち足りた1日のスタートとなった。
🎧名曲アルバム。パク・キュヒのギターでアルベニス作曲、セゴビア編曲の「アストゥーリアス」。冒頭を耳に超有名なこの曲がまぎれもない名曲であることを得心。
⛳ビバ・アンコールの、以前に書いた感想を見ると書き間違いがあったり。それに気づいたいま。これですこしは進化したかなと。続けていれば何らかの蓄積にはなっているようだ。
「ウルトラ重機」、再放送、すでに見た重機もあるけれど、それこそ重機アラカルト、パンタグラフを持ち上げ架線につけてそこからの電気で走る、ザンビアのダンプトラック。デンマークのキャベツ皮はぎハーベスタなど、おもしろ映像を楽しんだ。
思ったほどには盛岡のここわが居住区に積雪はなかった今朝、7時1分更新
201220 クラシック倶楽部を聴く アメリカ海兵隊バンド
アメリカ海兵隊バンド
世界最高峰の吹奏楽団のひとつ、アメリカ海兵隊バンドの初来日公演! マーチ王スーザ直伝のサウンドと颯爽としたパフォーマンスをお届けする!―番組紹介よりー
曲目
☆「アメリカ合衆国国歌「星条旗」」
☆「日本国歌「君が代」」
☆「行進曲「海を越えた握手」」ジョン・フィリップ・スーザ:作曲
☆「エスプリ・ドゥ・コール」ロバート・ジェイガー:作曲
☆「イロァ・イロァ」ケヴィン・ウォルツィク:作曲
☆「ルイ・アームストロングへのトリビュート」スティーヴ・ブラ:編曲
(独奏トランペット)ダニエル・オーバン、(独奏クラリネット)パトリック・モーガン、(独奏トロンボーン)サミュエル・バーロウ、(吹奏楽)アメリカ海兵隊バンド
☆「「ユーソニアン・ドゥエリング」(世界初演)から 第2楽章「タリアセン・ウエスト」、第3楽章「落水荘」」マイケル・ギルバートソン:作曲
☆「くちづけ」アルディゲーリ:作詞、アルディーティ:作曲、パターソン:編曲
(メゾソプラノ)サラ・シェフィールド、(吹奏楽)アメリカ海兵隊バンド☆「「ウエストサイド物語」から「サムホエア」」ソンドハイム:作詞、バーンスタイン:作曲フェティッグ:編曲
(メゾソプラノ)サラ・シェフィールド、(吹奏楽)アメリカ海兵隊バンド
☆「行進曲「星条旗よ永遠なれ」」スーザ:作曲
🎵金沢市石ノ森ホール、2019年の収録。アメリカ海兵隊バンドは1798年創立。大統領直属。マーチ王スーザは第17代隊長。現在の指揮者はジェイソン・フェティッグ。司会はサラ・シェフィールド。
両国国歌に始まりスーザの「海を越えた握手」ジェイガーの「エスプリ・ドゥ・コール」、そして東日本大震災と津波の犠牲者のためにウォルツィクが2015年に作曲した「イロァ・イロァ」。「神よ、神よ、なぜ私を見捨てたのですか」という聖書のことばが引かれている。一転、明るく「ルイ・アームストロングへのトリビュート」、ルイ・アームストロングの6曲のメドレーでルィブラの編曲。そしてギルバートソンの「ユーソニアン・ドゥエリング」。第2、第3楽章、マイケル・ギルバートソンの初の吹奏楽作品。建物周辺の荒涼とした景色ということだったが、無機質をふるわせて振動を起こしてゆくような渺茫とした感じもある中に静謐な荘厳な光に足を踏み入れたところを丁寧に慎重にたどりゆくときにもたらされる一種のカタルシスも覚えた。ギルバートソンもこの金沢初演に駆けつけていた。これは前にも書いているけれども。先ごろ筆者の住まい近くで工事現場を見ながら、これを管楽器で作曲したら時間と空間をギューント貫き裂くような大地を平板を抉るような現代の最先端の響きともいえる曲ができあがるのではないかと思ったが、このギルバートソンの音、楽器の用い方に、まさしく、これ、これだ! と。書くときになるとこれです、まさしくと落ち着き払うのだが、その時は飛び上がった。前にも聴いていたはずだが今回はその特異さを得心したというところ。ギルバートソンは建築家ロイドライトの設計になる建物から着想を得たようだが、むしろ建築途上にある重機の動き、技術、人の動き、危険度すれすれの緊張感を引き寄せて作曲すれば、それこそサンサーンスの3番のオルガン付きぐらいの壮大さ、その現代版になるのではと。誰かこれで世界のオンリー・ワンになれないものか。
それにしてもサラ・シェフィールドのメゾソプラノ、軍楽隊のイメージを反転させ花と輝いている。アルディティの「くちづけ」、軍楽隊に咲く一輪の薔薇のよう。バーンスタインの「サム・ホエア」、アンコール「星条旗を永遠なれ」。スーザの「世界共通言語」、子どものときから無意識のうちにも入ってしまっている数々の曲だが、今回その偉大さが一層おもわれた。
🎧名曲アルバム。「揖屋の粉ひき歌」。きのうはこの歌をググって何通りも聴いてみたが、艶があり恋歌かと。二重かずら橋、シラクチカズラで作られたつり橋。今も架け替えが行われているという。演奏にはギターとベースも入っていた。
⛳またまたウルトラ重機をしっかり見てしまった。2030年には石炭採掘が中止されるが露天掘りに活躍する8000トン巨体の重機。オーストラリアの葡萄の実だけを摘み取る重機、これがどうやって人の指の代わりをとの疑問には、木を揺らして落とす。この揺らし方が肝心で1分間440回の振動を与える。これより強くても弱くても不都合。広大な、240ヘクタールだったがこの広大な葡萄畑を230人分の仕事をこなす。トンネル掘削重機もおもしろかった。現場監督が64歳の松林良一さん、けが人が出ることを防ぐ、これ第一の仕事に感銘。
音楽感想は以前書いたものを編集。で、7時20分更新
201228 クラシック俱楽部を聴く MAGNUMTRIO フルートアンサンブル
MAGNUMTRIO フルートアンサンブル 福岡県春日市公開収録
世界が注目する次世代型フルートアンサンブル「MAGNUMTRIO」が登場▽多久潤一朗、神田勇哉、梶原一紘による、超絶技巧を駆使した圧巻のパフォーマンス▽ちくわ笛 ▽歌劇「ルスランとリュドミーラ」序曲(グリンカ)、コロブチカ(ロシア民謡)、アヴェ・マリア(バッハ/グノー)、童謡メドレー、クロック・アラーム(多久潤一朗)、ミニマルアニマル(多久潤一朗)、剣の舞(ハチャトゥリヤン)、交響詩「死の舞踏」(サン・サーンス)、ハイランドパーク(多久潤一朗)、ブラックバード(マッカートニー&レノン)、くまばちは飛ぶ▽2020年9月福岡県春日市公開収録―番組紹介よりー
<プロフィール>
2006年、東京藝術大学在学中に結成。多久潤一朗、神田勇哉、梶原一紘による次世代型フルートアンサンブル。ピッコロからアルト、バス、コントラバスフルートなどの特殊管、尺八型、リコーダー型、中華型、スライド型などの改造頭部管を使う。
フルートのイメージからは想像し得ない音響を生み出す様々な特殊奏法や超絶技巧を駆使する特異なスタイルのパフォーマンスが注目され、世界各国で公演を行う。2020年ロシアのサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場で行われたフルートフェスティバルに日本代表として出演。(番組の解説)
【曲目】
☆「歌劇「ルスランとリュドミーラ」序曲」グリンカ:作曲、多久 潤一朗:編曲
☆「コロブチカ」ロシア民謡:作曲、多久潤一朗:編曲
☆「アヴェ・マリア」グノー:作曲、多久潤一朗:編曲
☆「童謡メドレー」多久潤一朗:編曲
☆「クロック・アラーム」多久潤一朗:作曲
☆「ミニマルアニマル」多久潤一朗:作曲
☆「剣の舞」ハチャトゥリヤン:作曲、多久潤一朗:編曲
☆「交響詩「死の舞踏」」サン・サーンス:作曲、多久潤一朗:編曲
☆「ハイランド・パーク」多久潤一朗:作曲
☆アンコール「ブラックバード」ポール・マッカートニー&ジョン・レノン:作曲、多久潤一朗:編曲
☆アンコール「くまばちは飛ぶ」リムスキー・コルサコフ:作曲、多久潤一朗:編曲
🎵多久が「フルートを突き詰めすぎた団体」と自分たちを紹介。3人がコンサートフルート、アルトフルート(音が4つ低い)、バスフルート(1オクターブ低い)、コントラバスフルート(2オクターブ低い)この何れかを担当、或いは持ち替えて演奏。フルートは楽器が大きくなればなるほど音量がすこしまろやかになって音色がやさしくなると。この低音フルートだけでグノーの「アヴェ・マリア」を演奏。
特殊奏法を極めたきっかけについて、多久は「簡単にいうと普通じゃない奏法です。フルートという楽器は特殊奏法が非常に多い楽器です。なぜかというと口でできることを増幅するシステムだからなんです。なので口でぷっと弾けばそれがフルートに反響して打撃音にもなりますし、管の中に息を吹き込んでヒューッと流したり、色々な特殊な音響を生み出すことが出来ます。私がもともと現代音楽を専門にやっていたからなんですね。現代音楽では特殊な音を出すことが非常に多い。ただ、特殊な音で特殊な音楽をやっているから、結果ふつうになってる。なので僕は特殊な奏法でふつうの音楽をやったら、これがいちばん特殊なものになるんじゃないかなと思って、それがアイデアの発端です」と語り、また、神田は「音楽大学で楽器を学ぶという事は、クラシックのレパートリーをきちんと弾けることが前提になってるんですが、現代音楽を演奏してくれと依頼が来たり、コンクールの課題曲になったりした時に、特殊奏法が出て来て、皆さんはそれをとりあえずできるようになるまで習得するというところがふつうのルートなんですけれども、私たちはその特殊奏法がぽこっと一つだけ出てきたのが、こんなにおもしろい音がするのを、ただその音楽のために一回だけ使うのはもったいないと、これを如何に形を変えて面白い音楽にできないか、特殊奏法というのは非常に重要な私たちの活動の軸になってます」と語る。
多久の編、作曲にはぜんたいに遊び心が感じられる。自分が楽しく愉快になる旋律を編み出し組み立てるという感じが。
「童謡メドレー」では機関車が蒸気を噴き上げる音、滴がしたたる音、ぞうの鳴き声、小鳥のさえずり、にわとりの鬨の声、ウミネコの鳴き声。蜂の羽音、茶摘みの忙しさ爽やかさの音までを追求する愉快な自然描写。
「剣の舞」は改造フルートでの演奏。グリッサンド・ヘッドジョイント、リコーダー・ヘッド・ジョイントとちょっと見落として音だけを聞いた部分ではあったが、移動式の吹き口にはびっくり。
「ハイランド・パーク」ではタップ、足踏み、アンコールの「ブラックバード」では口笛。可能な限りの模索、試行錯誤。「くまばちは飛ぶ」は、いたずらなくまばちが、どこにどんな悪戯できるところがあるかと好奇心いっぱいな目を光らせながら飛ぶさまが浮かぶ。これがまさしくMAGNUMTRIOの好奇心に相通じると思われた。
🎧名曲アルバムは「月の砂漠」作詞の加藤まさをが愛した御宿町の美しい景色とともに、藤井フミヤの歌と異国情緒あふれるアレンジでお送りする。有賀啓雄作曲。藤井の遠くにあこがれるような声を聴きながら見るとさらに多くの方々が演奏に関わっているのにきょう気づいた。
⛳クラシック倶楽部の後の番組「ウルトラ重機」。500トンの橋げたを宙づりに車輪128個ついた転車台に載せるクレーン車。運ぶに設置するに優れたる転車台。また新千歳空港が6,5メートルのプラウ付除雪車14台で3キロの滑走路を短時間で、10分と聞いた気がするが、いくら優れた機能でも10分は、30分かの聞き違いかもと、それで短時間で滑走路を使用可能にする除雪車。ノルウェーのロッククリアリング。ニューカレドニアのニッケル鉱山で活躍するスラムポットキャリア、これが1750℃のスラグ(いまのところ産業廃棄物)を運び投棄する重機。とにかくすごかった。こういった重機がありとあらゆる開発を可能に。
もしこんなすごい光景を音楽にするとしたら、パイプオルガンだろうか。そういえば、断片的にしか見なかったがパイプオルガンコンクールで黒人の音楽家が優勝(あとで調べたところ2019年モントリオールでのカナダ国際音楽コンクールで、優勝はアメリカのアルシー・クリスⅢ)。いつもなぜオケに黒人の方がいないのか不思議だったが。
10時13分更新
きょうのことば ークリスマス講壇ー
インマヌエル盛岡キリスト教会の2020年12月20日(日)の礼拝メッセージをおつたえいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で47年目のご奉仕をしておられます。
説教題『救い主の誕生』―クリスマス講壇― (國光勝美 牧師)聖書引証 新約聖書 ルカの福音書2章1~7節
2:1そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。 2:2これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。 2:3人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。 2:4ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、 2:5身重になっていた、いいなずけの妻マリアとともに登録するためであった。 2:6ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、 2:7男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
<お話し>
クリスマスおめでとうございます。
クリスマス礼拝がズームでの礼拝となりましたが、今年のはじめにはこのような形で2020年のクリスマスを迎えることになろうとは思っておりませんでした。しかしこれも神様の摂理の一環、こうして皆様とともに礼拝に与ることができますのは大きな恵みでございます。
例年ですとクリスマス祝会もあり、楽しみながらクリスマスのできごとを学ぶ日があるのですが、ことしはそれもございません。それでそれも兼ねるつもりで礼拝をと願っております。きょうは洗礼式もございます。メッセージの時間が短く限られておりますこともご了解ください。
イエス様のお誕生を凡そ紀元元年といたしますと、このご降誕は、それよりも約700年前に預言者イザヤによって預言されておりました。イザヤ書9章の6、7節をご覧ください。
6 ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。
イエス様のお誕生の700年も前に預言者イザヤがひとりの男の子の誕生を預言している。ダビデの王座に就かれる王の王なるお方が生まれることを預言しているのであります。
さらにイザヤ53章にも、このお方がまさに私たちの身代わりとして十字架につけられる。それがこの男の子の生涯である。まさに十字架の贖いのできごとをイザヤは預言しているのであります。
イザヤ53章
1 私たちが聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕はだれに現れたのか。
2 彼は主の前に、ひこばえのように生え出た。砂漠の地から出た根のように。彼には見るべき姿も輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。
3 彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった。
4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。彼は罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。
5 しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒された。
6 私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。
7 彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠り場に引かれていく羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
8 虐げと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことか。彼が私の民の背きのゆえに打たれ、生ける者の地から絶たれたのだと。
9 彼の墓は、悪者どもとともに、富む者とともに、その死の時に設けられた。彼は不法を働かず、その口に欺きはなかったが。
10 しかし、彼を砕いて病を負わせることは主のみこころであった。彼が自分のいのちを代償のささげ物とするなら、末長く子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。
11「 彼は自分のたましい激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を負う。
12 それゆえ、わたしは多くの人を彼に分け与え、彼は強者たちを戦勝品として分かち取る。彼が自分のいのちを死に明け渡し、背いた者たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、背いた者たちのために、とりなしをする。」
イエス様ご降誕の預言のことはここまでにしまして、こんどは具体的にイエス様のお誕生にフォーカスを合わせます。
ナザレというところをご確認ください。A地点です。そしてベツレヘムというところに旅をしなければならない。これがルカの福音書2章に記されてあるきょうお読みしたところです。ヨセフはダビデ王家の血筋であります。本来ならばベツレヘムに住まいはあるはずですけれども。この暗い時代にあって零落し、ヨセフは国のずっと北のはずれのナザレで貧しい大工をしている男でありました。しかし前回学ばせていただいたように、許嫁の妻マリアは本来そこで赤ちゃんを出産してもいいのですけれども、当時のローマ皇帝アウグストから全世界に人口調査をするように、そのためにそれぞれ自分の本籍のあるところに行って登録をするようにとの勅令が出されました。これはローマ皇帝の絶対的な権限の下に行うものです。すでに身重になっている妻マリアが旅をするのは苛酷なことでありましたが、勅令に背くわけにはいきません。ヨセフは自分の本籍のあるベツレヘム、それはエルサレムから近いところであります。そこに旅をすることになりました。だいたいどれぐらいの距離の旅だったでしょうか。単純に今に舗装された道を行ったとすると170キロあります。でもその当時は山道です。宿があるわけでもない。きっと貧しい中ですから野宿をしながらであるかもしれない。難儀な旅を強いられてヨセフとマリアは旅をいたしました。170キロ、これを今の私たちにあてはめると、盛岡を起点としてだいたい仙台までです。大変な旅であったことがご想像頂けます。ヨセフとマリアは、人口調査があるということで多くの人たちが移動している中にある若い夫婦、それ以上のものではありません。みんな勅令に背くことはできないので旅をしております。宿屋を探すのですけれども泊まるところがない。仕方なく家畜小屋に長い旅の疲れを癒す。そこでマリアはイエス様を出産されました。
ここで、聖書のヨハネの福音書1章のおことばを思い起こします。
1:11この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。 1:12しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。
神のひとり子が私達のために人としておいでくださったのに、ご自分の民は、この方を受け入れようとしなかった。しかし、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった」。これがクリスマスの持つ大きな意味です。最も惨めな、最もみすぼらしい、最も弱い、最も小さい者の中に、このお方は誕生してくださいました。
天から地に一つの鎖が落ちてきました。ヨハネの福音書3章16節です。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
このクリスマスの意味を、私たちが毎年この時期に確認をさせていただきます。聖書の中の聖書と呼ばれているヨハネの福音書3章16節をもう一度、皆さま方とご一緒に読ませていただきましょう。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
☆ ☆ ☆
このあと、ひとりの姉妹が洗礼に与りました。この日は浸礼ではなく滴礼、滴を受洗者の頭上に滴下する形式による洗礼が執り行われました。
※画像は教会からお借りしています。洗礼写真はズーム礼拝時、筆者がパソコンから撮ったものです。
⏰5時39分更新
J-MERO & 雑感
案内はフレッシュMay J.
ゲストはマーティ・フリードマン、船木結(アンジュルム)、北川莉央(モーニング娘。'20)、松尾太陽
🎵今回、これも再放送。なぜにJポップをカバーするのかに焦点が。マーティ・フリードマン、ちょっとググってみると、17歳頃ハワイにいたらしいが、そこで日本の演歌に強い影響を受けギターに取り入れたところ周りは白眼視。日本に傾倒。アリゾナ州立大学の日本語弁論大会で2位を獲得するほど。2004年から拠点を日本に。インタビューは日本語でも応じるが、今回はMay J.と英語でやりとり。Jポップ、その魅力は、メロディーのセンス。楽しくて悲しい曲など音楽常識を超えている。こういった対比、落としてまた盛りあげるといった極端な変化などにあると。それを自分の泣きギターを効かせるといったところは、まさしく演歌的。演奏は「千本桜」。
舟木、北川は、コロナ禍での立ち位置の模索からのカバーであったか。北川は「やさしさに溢れるように」「そばにいるよ」。舟木「月光」。この「月光」の衝撃的な歌詞「この腐敗した世界に堕とされた こんなもののために生まれたんじゃない……I am GOD’S CHILD」
松尾太陽名曲に触れることでこういうことがある、こういうことができるを発見。「春の日」を哀愁ただよわせるアコースティックのアレンジで。明るい気持ちになってくれたらと。
☆
土曜日は世の中の土日気分が心のどこかに忍び込んでいてちょっと一休み気分になるのだが、久方ぶりにちょっと聞いてみようかとJMEROを。
☆
24、25日の夕方はバイオリンで賛美歌メドレー。神様が果たして片耳を塞いだか、両耳を塞いだかは不明。しっかり聞き届けてくださったかも不明だが弾く側はけっこうな自己満足を。
私のクリスマスは、あすのクリスマス説教を起こしブログにアップするまではまだ終わらない。
⛳7時ジャスト更新
201224 クラシック倶楽部を聴く 吉川隆弘 ピアノ・リサイタル
吉川隆弘 ピアノ・リサイタル
イタリアの巨匠・ミケランジェリに心酔し、イタリアへ留学、高弟に学ぶ。1999年東京藝術大学大学院修士課程修了。2002年7月シューベルト国際音楽コンクール優勝。ミラノに拠点を置き、イタリア各地の主要なオーケストラと共演を重ねながら、ヨーロッパ各地で演奏活動を行う。【曲目】ピアノ・ソナタ 第3番(ベートーベン) 映像 第1集(ドビュッシー)ほか【収録】2020年10月3日 浜離宮朝日ホール(東京)―番組紹介よりー
吉川隆弘は1973年兵庫県出身。96年東京芸術大学卒。99年同大学院修了。イタリアへ渡る、ミケランジェリの弟子、アニタ・ポリーニにピアノを師事。ミラノ・スカラ座アカデミーで室内楽、作曲を学ぶ。ドイツのシューベルト国際音楽コンクールなど多くのコンクールで優勝(以上はTV解説)。ミケランジェリの奏法を徹底的に学ぶ。ミラノを拠点に活躍するクラシック・ピアニスト。イタリアのメディアにも度々取り上げられ、ミラノ・スカラ座での演奏は各紙にて高く評価されている。東京藝術大学卒業。同大学院修士課程修了。1999年よりイタリア、ミラノ市在住。イタリアの4つの国際コンクールに優勝。イプシロン・インターナショナルよりベートーヴェン、ドビュッシー、シューマン、リストのCDを発売。レコード芸術誌上で特選盤となるなど、高評を得ている。(ここまではこちら)
2019年11月「TAKAHIRO YOSHIKAWA - WOLFGANG AMADEUS MOZART」を発売。同月ミラノ・スカラ座のバレエ公演 Petite mort にてモーツァルトのピアノ協奏曲を演奏(8公演)。
コメント
ミケランジェリが弾いてきた曲をということで、ミケランジェリへのオマージュといいますか、ミケランジェリはレパートリーがすごく絞られてた。生涯にわたって例えば今日弾くベートーベンの3番ソナタだったり、ドビュッシーの作品はもう生涯にわたって弾いてきている。そういう作品に取り組むことで僕自身ももういちどそのイタリアに留学したのが20年ぐらい前になりますので、その時期に勉強していたことをもう一度思い出してやってみようと思う。ミケランジェリというのは今でいえば、もうずいぶん昔のピアニストですから、今第一線で活躍しているピアニストたちというのは、価値観もすこし違うかもそれません。その時代のスタイル、価値観というか、そういうものも振り返りつつ演奏できたらと思います。
ミケランジェリの奏法についてwikipediaには次のように出ている
リヒテルと違い、鍵盤の上部雑音(指が鍵盤に当たる時に出る衝突音)を出来る限りゼロにする彼特有のピアニズムで知られている。この趣旨を生涯守り続けたために、独自のテンポと独特のアゴーギクなどついて回ることもあったが、そのファンは、それこそがミケランジェリの美学であると思う者も多い。このような演奏は、ブゾーニやラテン系演奏家に近いものがある。日本人の信奉者を多く生んだ理由も、ブゾーニ経由のピアニズムを通過した日本の留学生が多かったからという見方もある。
曲目
☆ベートーヴェン:ピアノソナタ第3番 ハ長調 Op.2-3
☆ショパン:アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ Op.22
☆ドビュッシー:映像第1集
☆ドビュッシー:映像第2集
🎵レオンスカヤを聴いて、ではリヒテルに、と思っていたところが、おもわぬところ、ミケランジェリの奏法云々でリヒテルが出てき、これも何か以外と言うより心外という感じだったが。何れミケランジェリの完璧主義に全幅の賞賛を寄せるほどにはミケランジェリを知ってはいない、聞いてもいないのだが、これを機会にこんどは、今回吉川の演奏でドビュッシーが際立って映像的に視覚的にのこるほどであったので、ミケランジェリのドビュッシーぐらいは聴いておきたい。
🎧名曲アルバム。ドイツ民謡「もみの木」ニウナオミ編曲。もみの木、とにかく凛として清冽、平和を感じさせる。円光寺&東京フィル&東京混声。雪に覆われ常緑の樹木と共にある人々の営み、子どもたちの雪遊び。雪原に立つ樹林をにぶく照らすあれは夕日だろうか。
⛳この後番組「ウルトラ重機」、ついつい1時間見てしまった。ノルウェーのスーパー除雪車、4mの積雪を瞬時にと見えるのだが、1600馬力。スウェーデンの伐採重機、30℃の坂も登る。伐採、枝葉の削ぎ落し、丸太の長さの切りそろえまでやってのける。こんな重機があったら山は忽ち丸裸と思いきや、計画的植林で森林は100年前の2倍面積になっているとか。あとはゲレンデ装備車、凄い速度。次は掘削。鉱山、これがケミ鉱山で、ステンレスの原料クロムの採掘、掘削機などなど。昔、人が多くのいのちを落としてしまった仕事を機械が代わってくれている。途轍もない能力だ。
10時3分更新
201224 クラシック倶楽部を聴く ニコライ・ルガンスキー ピアノ・リサイタル
「ロシア・ピアニズム」の正統派として高く評価されているピアニスト、ニコライ・ルガンスキーのリサイタルから、ラフマニノフの前奏曲をお送りする。「ラフマニノフのプレリュードには多種多様なコントラストがあり、どの曲もそれぞれ小さなポエムを持っています」と語るルガンスキー。濃密なロマンをたたえた数々の小品を説得力あふれる解釈で解きほぐし、聴衆を魅了した。2018年2月、東京・紀尾井ホールでの公演から。―番組紹介よりー
「前奏曲作品23」は、「前奏曲嬰ハ短調」からおよそ10年後1903年に完成した10曲から成る曲集。全体は深い叙情性に包まれていてピアノの高度な演奏技巧が盛り込まれたダイナミックな作品である。
13曲から成る「前奏曲集作品32」は、1910年、ラフマニノフ37歳の年に作曲された。「前奏曲作品23」を受け継ぐロシア的な叙情性の中に近代的な手法も見られる作品。
☆「前奏曲集 作品23から 1.嬰ヘ短調」
☆「前奏曲集 作品23から 3.ニ短調」
☆「前奏曲集 作品23から 4.ニ長調」
☆「前奏曲集 作品23から 5.ト短調」
☆「前奏曲集 作品23から 6.変ホ長調」
☆「前奏曲集 作品23から 7.ハ短調」
☆「前奏曲集 作品32から 1.ハ長調」
☆「前奏曲集 作品32から 2.変ロ短調」
☆「前奏曲集 作品32から 3.ホ長調」
☆「前奏曲集 作品32から 4.ホ短調」
☆「前奏曲集 作品32から 5.ト長調」
☆「前奏曲集 作品32から 12.嬰ト短調」
☆「前奏曲集 作品32から 13.変ニ長調」
☆アンコール「前奏曲 嬰ハ短調 作品3 第2」
🎵
ラフマニノフの解釈に定評があるというルガンスキー。ロシア・ピアニズム、繊細、流麗、力強い輝き、聴く価ある演奏だった。きょうのプログラムは抜粋であるというが、これでもう十分、聴いたという充実感、満足感がのこった。最初の曲の出だしから音の霊気が鍵盤からたちのぼっている。ひと滴ひとしずくおりてくる音。今一つの世界に強く乗り出し引き出した対象と交わされる対話、これがなるほど音、音楽との会話、そこに押し出されたかの作曲者であるか演奏家であるかの個性。あふれ流れるきららかな水が澱みなくしみ込んでくる。時折見える力強く濃いロシア色の響き。尽きない魅力が最後の一音まで。
最初に聴いたときの印象を上記のようになぞってみたが、今回聴いて、まったくこの通りであるなと。今回は特に「作品32から 4.ホ短調」~アンコールの「嬰ハ短調 作品3 第2」にアクティブな力強さ、神経を撫でる繊細さ、柔らかなやさしさに輝かしさが。コメントはなかったが、制作側で録らなかったのかどうかは分からない。寡黙であっても演奏が実に雄弁であることがしばしば。
🎧名曲アルバムはチャイコフスキー「くるみ割り人形 花のワルツ」。高関&たしかN響
チャイコフスキーが学んだペテルブルク音楽院、「くるみ割り人形」初演のマリインスキー劇場。そしてチャイコフスキーが亡くなったのもこの地。芸術の都。世界遺産都市。これがすこしでも都市建設の方々の慰霊になっているといいのだが。
⛳6時37分更新。
201223 クラシック倶楽部を聴く 清水和音ピアノ・リサイタル
「こども情景作品15」シューマン:作曲,(ピアノ)清水和音,「バラード第4番ヘ短調作品52」ショパン:作曲,(ピアノ)清水和音ほか 「巡礼の年第2年(イタリア)からペトラルカのソネット第47番」リスト:作曲,(ピアノ)清水和音,「ピアノ・ソナタ第30番ホ長調作品109」ベートーベン:作曲,(ピアノ)清水和音 ~2020年9月30日NHKホールで収録~―番組紹介よりー
清水和音:20歳でロンティボー国際音楽コンクールピアノ部門優勝。リサイタル賞受賞。世界的な指揮者、オケと共演。
曲目
「こども情景作品15」シューマン
「バラード第4番ヘ短調作品52」ショパン
「巡礼の年第2年(イタリア)からペトラルカのソネット第47番」リスト
「ピアノ・ソナタ第30番ホ長調作品109」ベートーベン
自分にとっては初めての曲についてググってみると、
「巡礼の年第2年イタリア」には、ペトラルカのソネットが3曲収められている。第47番、第104番、第123番である。
ルネサンスを代表する抒情詩人フランチェスコ・ペトラルカ( 1304-74)の代表作「抒情詩集」の中には、ソネットと呼ばれる14行の定型詩が収められている。この第47番は、ラウラという女性に捧げた詩がもとになっている。
イタリア人フルーティストのニコス・ピィファロ・ヴィンチェンゾさんに、次のように訳していただいた。
「彼女のふたつの瞳が私の心をつかんだ
この日、月、年、季節、時代、時間、点、美しい国、位置に感謝する
弓でハートに矢を打たれ、心の深いところに傷が入り込んだときの
初めての甘い苦痛に感謝する
私が彼女を呼ぶ多くの声、ため息、涙、欲望に感謝する
そして、彼女の名声を探し求め、彼女以外のほかの対象を持たず、
ほかの女性に振り返らない私の考えに感謝する」
コメントは「作曲家はみんな譜面に託すわけですからやはり分かってもらえるように書いてあるはずであるという前提で演奏するというのが基本的な姿勢なんですけれども、それと同時に一人ひとりの作曲家のことでいえば、人と付き合うのと一緒だというのが基本で、シューマンのパーソナリティがどうかというのはもちろん勿論想像でしかないですけども、とても温かい人なんだろうなとそういう感じがしますね。温もりを感じるとか近い感じがするとか、いつもそばにいてくれる感じですね。音楽家はシューマンとシューベルトはみな大好きですよね。多くの人が。それはやはりそのあたたかさなんではないか、そう思いますね。ショパンは演奏家に遠慮させるというか、あまりにも凄すぎて傍にいたらもうみんなが遠慮するんじゃないか、そんな感じがしますね。人にはおそらく優しくてジェントルマンで知的で、あらゆるものがそろっていて、傍にいたらまあ遠慮して除けて避けて通るかなとそんな感じがしてます。それにもかかわらずその表面的なメロディーはほんとうに分かりやすくて魅力的で、みんながショパンを好きになるのはそっちの方面だと思います。演奏家の立場で言うとある意味近寄りがたいというのが正しい表現のような気がしますね。リストは何たって大スターで、華やかで、基本的にオペラが頭の中にいつもあって、神様だとか悪魔とか、天使だとかそういうものが音楽のどの曲を聴いても何かそういうものが聴こえてくる。そのおとぎ話的なものが楽しめる。僕大好きですねリストは。この傍にいたらいちばん仲良くできるんじゃないか、そんな感じがします。ベートーベンは何なんでしょうね、もういろんな顔があってその多くの演奏家たちがおそらくその一部分を深く自分の中に入れていくというか、ベートーベンのほんの一部に触れることで、なんかとても巨大な存在に接しているという体験ができている、そんな感じだと思いますね。あまりにも多くの面がありすぎて、しかもそのとてもおそらく難しい人間で複雑怪奇な内面を持ってるんだけども、表に出ているものは常に単純でわかりやすくて、この二面性というか、中身と表側の違いの面白さというようなものがいつも興味深いですよね。」
🎵清水和音、他の番組などで聴く機会がけっこうある。そのたびに曲への親和性というものを感じて来た。それがコメントを聞くと、やはりそれぞれの作曲者に対する個人的な思いがあるらしい。今回の収録からは、ベートーベンの「ピアノ・ソナタ第30番」の第一楽章の終わり部分のピュアな響きが心に落ちたのと、コメントを聞くことでより一層この音楽家のリストとの親密さ、感覚的に、それは人格的な側面もあるのかもしれないが、相通じる親和性を実に肯定的に聴くことができ、また演奏4曲のうちやはりリストが印象にのこった。
🎧名曲アルバム。ベートーベン「第九」。梅田&東京混声&東京フィル。初演の3年後に没した。この3年は病苦を抱えての3年。しかし有終の美を飾った第九は先の人気投票で第一位。この凡人ですら岩手の初演には合唱に参加している。全存在を高みに引き上げ昇華してくれる。
⛳秘境鉄道、けさはアフリカのボレボレ列車、ザンビア~タンザニア路線。このなかでタンザニアの方々の民俗の踊りに難なく入ってリズムに合わせパワフルに現地の人とともに踊った日本の若者。人々には大うけ。これひとつで垣根が一気に取り払われ距離が縮まる。異文化を知り同化することの重要さがここにも。とび交う「ア・サンテ!(ありがとう!)」。7時3分更新
201221 クラシック倶楽部を聴く エリーザベト・レオンスカヤ ピアノ・リサイタル
巨匠エリーザベト・レオンスカヤのピアノ・リサイタルから。レオンスカヤが長年にわたって深い愛情を注いできたシューベルトの、最後のピアノ・ソナタをお送りする。―番組紹介よりー
エリーザベト・レオンスカヤ
1945年旧ソ連の一部だったジョージアのトビリシュに生まれ、6歳からピアノを始める。1964年ルーマニアで行われたジョルジュ・エネスコ国際ピアノコンクールで優勝。モスクワ音楽院の学生時代に巨匠リヒテルと出会う。1978年からウィーンを拠点に活動。リヒテルとの共演と親交も長らく続き、大きな影響を受ける。2015年東京・春・音楽祭が企画したコンサートシリーズ「リヒテルに捧ぐ」に招かれ、シューベルトの最後のピアノ・ソナタ3曲を披露。そして2018年の春、東京・音楽祭でシューベルトのピアノ・ソナタ全曲演奏に挑み、4月14日に最終日を迎えた。
コメント:日本の春の印象は?
2015年桜が満開の季節に来日しましたが、魔法のようでした。とても詩的…花が咲き、やがてそよ風が吹き、雪のように静かに花びらが落ちてきます。花が散ってしまうのは残念だけど、同時にとても美しい。桜の花々の向こうに見える真っ青な空も美しいわね。
☆「ピアノ・ソナタ 変ロ長調 D.960」
1828年9月に作曲されたシューベルト最後のピアノ・ソナタ。そのおよそ2か月後、シューベルトは31歳で世を去った。
☆アンコール「4つの即興曲 D.899から 第3番 変ト長調」
🎵「ピアノ・ソナタ 変ロ長調」には、懐かしむような、懐かしさに遊んでいるような響きに心癒される。アンコール曲、しずかな心境で時の流れをかみしめる。
レオンスカヤの演奏にリヒテルの静かな大河から分かれ流れる詩的な響きが感じられ、リヒテルに帰ってみようかとの思いが湧いた。
🎧名曲アルバムはクープランの「王宮の合奏曲」。ルイ14世のベルサイユ宮殿の豪華絢爛
⛳6時 21分 更新
201221 クラシック倶楽部を聴く 亀井聖矢 ピアノ
2001年愛知県出身。高校3年に進級する2019年春に飛び入学試験を経て桐朋学園大学に入学。同年、日本音楽コンクール第1位入賞。注目のピアニストとして活躍中【出演】亀井聖矢(ピアノ)【曲目】ピアノ・ソナタ 第21番 作品53「ワルトシュタイン」(ベートーベン作曲)超絶技巧練習曲 から第5番「鬼火」第4番「マゼッパ」(リスト作曲)ほか【収録】2020年9月29日めぐろパーシモンホール 小ホールー番組紹介よりー
曲目
ピアノ・ソナタ 第21番 作品53「ワルトシュタイン」(ベートーベン作曲)
パガニーニの主題による変奏曲第一巻(ブラームス)
超絶技巧練習曲 第1番 「前奏曲」(リスト作曲)
超絶技巧練習曲 第5番「鬼火」(リスト作曲)
超絶技巧練習曲 第4番「マゼッパ」(リスト作曲)
亀井のコメントをちょっと拾ってみると「最初についた先生が自分が弾きたい好きなやりたい曲を、大人になってからやった方がいい曲でも自由に弾かせてくれたことが自分の中では大きかった。それがたのしくてお客さんが喜んでくれた、それでここまで続けられた。テクニックに夢中になりがちな面があるが、なんでこの作曲家がこの曲を書いたのか、もっとミクロな視点でいえば、なんでここには休符があって、なんでここにはこんなフレーズがあってというところ、作曲家がどういう思いで書いたのかを考えて、自分はまだ未成年と言う事もあって人生経験が豊富ではないんですけど、その作曲家がどういうふうに過ごしている時期だったりとかということに思いを馳せて、そういうことを考えて演奏に向き合うようにしています。」「昔から一日8時間練習するとかいったようなタイプではないんですが、量をよりも質、短い時間でいかに効率よく自分のものにできるように練習していくかを考えるようにしてやっていたんですが、本番が多くなってくると質も大事だしその中でたくさん時間も練習しなければいけないということで、本番近い時にはもう一日中さわっているときもありますし、コロナのあいだとか、のんびりできる時は、1時間2時間という日もありました。頭を使ったりすることが好きで、パズルやなぞ解き、そういうものをピアノをやっている意外に楽しんだりしてて。あとは一人暮らしをしているので、あいている時間に料理をしてみたりとか、そういう時間の過ごし方をしています」「周りがすごく腕の高い先輩方ばかりで、同じ学年も一こ上の学年だったりとか、先輩にも日本音楽コンクールとか1位取ってるとかが門下に何人もいたり学校でも周りでもそういう子がいっぱいいたりその環境自体がすごく刺激になるし、自分が負けてられない頑張らなきゃという、特に自分がとび級させてもらってちゃんとそれに見合う頑張りをしていかなくちゃならないという気持ちを高めてコンクールに臨んだりとか、周りの生徒の刺激だったり、ピアノ以外にも作曲を副専攻してたりとか、いろんな授業があるんですが、そういうところからも自分の演奏に生きるようないろんな学習が、いろんな方向から音楽に向き合う事でできるので、すごく自分にとってはいい選択だったと思います」
🎵「ワルトシュタイン」の冒頭を聴いただけで、「鮮烈、華麗」と紹介されることに肯けた。これはベートーベンがスランプを脱し、作曲意欲が上向きになっていたときに作曲されている。亀井の演奏、恐れげなくよどみなく急こう配を駆け下り駆け上る。テンポが比較的穏やか目なところでさえ速度を感じてしまう。それは性急であるというのとは別物。シャープで暗さ重さを感じさせない。亀井の感性というフィルターに濾された「ワルトシュタイン」といった感じが。
ブラームスの変奏曲、リストの練習曲でのほうに、より芸術性が感じられた。
🎧名曲アルバムはショパン「序奏と華麗なポロネーズ 作品3」。遠藤真理のチェロ&菊池洋子のピアノ。公爵がチエロ、そのお付き合いでショパンが(ベートーベンがと誤記してしまったことに21時近くにはっと気づき訂正。またまたチェックリストに記されたかも。すみません。慌てていましたので)ピアノをの図を想像しながら。
⛳2時ごろに盛岡震度5弱に起こされた朝、9時7分更新
x
きょうのことば 『ヨセフとマリアの信仰』―第三アドベントー
メリー メリー・クリスマス!
クリスマスは25日とされていますが、全世界の多くの教会はきょう20日にクリスマス礼拝を持ちます。
このブログの教会の説教は一週間遅れで掲載しておりますので、クリスマス・メッセージは来週になります。
☆
インマヌエル盛岡キリスト教会の2020年12月13日(日)の礼拝メッセージをおつたえいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で47年目のご奉仕をしておられます。
説教題『ヨセフとマリアの信仰』―第三アドベントー (國光勝美 牧師)
聖書引証
新約聖書 マタイの福音書1章18~25節
1:18イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。 1:19夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にはしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。 1:20彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフよ。恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。 1:21マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」 1:22このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。 1:23「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。 1:24ヨセフは眠りから覚めると主の使いが命じたとおりにし、自分の妻を迎え入れたが、 1:25子を産むまでは彼女を知ることがなかった。そして、その子の名をイエスとつけた。
<お話し>
きょうは「ヨセフとマリアの信仰」ということでメッセージを語らせていただきます。
クリスマスのできごとですが、地図をご覧ください。
まず小さな数字の1というところ、これはベツレヘムと書いてある近くですけれども、イエスはをマリアとヨセフを親としてベツレヘムに生まれたとあります。それから、2というところ、グリーンの矢印が上から下のほうに出ています。2のところを読みますと、東方(バビロニアかペルシャだと思われるが、アラビヤの可能性もある)の占星術師が王になるおさなごを見ようとやってきた。ヘロデ王は彼らの知らせに心をかき乱されるとあります。これは博士たちがやってきたあの場面です。これが地図の上から下の方にグリーンの矢印、エルサレムにやってきました。そしてこんどは3、ヘロデは彼らをベツレヘムに送った。そこで彼らはイエスを見て贈り物を捧げたのですが、4彼らは大急ぎで別の道を通って帰っていきました。さあ、ヘロデ王はこのおさなごイエス様を殺そうと企んでいたわけでありますが、こんどは5、赤い矢印がベツレヘムからエジプトの方へと長い矢印が出ています。これは、夢で警告を受けたマリアとヨセフが安全のためにおさなごをエジプトにつれてくる。これが赤い矢印です。そして6ヘロデはベツレヘムで2歳以下の男の子を殺したということです。
さてこんどは新約聖書のマタイの福音書1章にイエス・キリストの系図が出ています。
1節アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。
最初にこのように書かれている。そして、誰が誰を生み、誰が誰を生みと、……と連綿と続くのですが、たとえば
7節、ソロモンがレハブアムを生み、レハブアムがアビヤを生み、アビヤがアサを生みというように、ずっと系図が書かれてあるのですが、15節エリウデがエレアザルを生み、エレアザルがマタンを生み、マタンがヤコブを生み、16節ヤコブがマリアの夫ヨセフを生んだ。キリストと呼ばれるイエスはこのマリアからお生まれになった
セフはアブラハム、ダビデの家系を引き継ぐそういう人物である。ヨセフが生まれたのですけれども、16節をよく読むと、キリストと呼ばれるイエスはこのマリアからお生まれになったと、こうあるわけです。いままでとちょっと書き方が違います。つまり、この書き方を見て、イエス様がヨセフの子と記されて、つまりヨセフがイエスを生みというようには書いていない。キリストと呼ばれるイエス様はこのマリアからお生まれになった。明らかに今までの書き方と違っており、イエス様の母はマリアである。そしてそのマリアの夫であるヨセフはアブラハム、イサク、ダビデの子であるけれども、それはイエス様のいわゆる父ではない。マリアが聖霊によってみごもったということであり、17節18節以降に出ているわけであります。どうぞこの系図、このような特色があることを心に留めさせていただきましょう。
マリアと夫のヨセフ、イエス様がこの二人の間に生まれました。しかし、その後、ヨセフとマリアの間には子どもが生まれています。その証拠にマタイの13章55節をお開き下さい。イエス様が伝道をしているときに人々が、イエス様のお話しを真剣に聞くことができなかった。なんで偉そうにイエスは話をしているんだ。自分たちはあの家庭をよく知ってるぞ、という文脈です。
13:55この人は大工の息子ではありませんか。彼の母親はマリヤで、彼の兄弟は、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。
ここでヨセフが大工だったということがわかります。そしてその母親はマリアじゃないか。その弟たちはヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダじゃないか。こう人々はいっている。つまりこの図にもどりますけれども、ヨセフとマリアとの間には、イエス様がまずお生まれになった。しかしそれはヨセフが所謂人間における父親ではなく、聖霊によってマリアが身ごもった。しかし、ヨセフとマリアの二人の間には、これだけのイエス様の兄弟たちが生まれているということがわかります。最初に書かれておりますヤコブという人は新約聖書のずっと後ろの方にヤコブ書というのが出てまいります。ヘブル書のあとにヤコブの手紙がありますけれども。このヤコブの手紙を書いたのがこのイエス様のいわゆる肉における弟のヤコブです。
実は言い伝えがありまして、イエス様が活躍をし伝道をしておられるときに、ヤコブたち兄弟がまだイエス様を、つまり自分の兄貴を神の子であり救い主であるとは受けとめられなかった時期がありました。わかる気がします。しかし、イエス様のよみがえりを目のあたりにしてからは、ああそうだったのか、ほんとうに十字架のあと、復活のあと、ヤコブは重要な証人として、ある意味教会の指導的な立場になったといわれています。きょうはそのことに詳しくは触れませんけれども、これが、マリア、ヨセフとの関係であるということを心に留めさせていただきましょう。
さて、ヨセフがマリアの受胎を知ったのはマタイの福音書1章18節
1:18イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。
これはヨセフが誰よりもよく知っていることです。私はまだマリアと一緒になっていない。しかし、マリアのお腹の中には赤ちゃんがいる。
いちばん戸惑ったのは、ルカの福音書なども参考にしますと、マリアは受胎告知、聖霊によって身ごもり、天使によってその受胎がわかったとき、彼女はおばさんのエリサベツという人物のところに行きました。これはルカの福音書1章16節にございます。あまり詳しくは触れませんが、マリア自身も戸惑って、これはどういうことかと自分のことをよく理解してくれる親戚のエリサベツのもとに3か月間滞在をしています。そこでマリアが心の整理がきちんとついたところで、さあこのことを婚約者である誠実なヨセフに伝えなければならない。マリアは、その覚悟をもって、エリサベツのもとから帰ってきました。そして、ヨセフに話します。これを聴いたヨセフは心から信頼していたあのマリアが。その心の苦しみはいかばかりでありましたでしょうか。
1:19夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にはしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。
これがヨセフの結論でした。どう見ても未婚のマリアが赤ちゃんをはらんでいるなどはあり得ないことだ。そして、マリアは、これは聖霊によるといったけれども、どうしても受け容れられるものではないだろう。夫のヨセフは正しい人です。申命記22章23、24節にありますけれども、
23 ある人と婚約中の処女の娘がいて、ほかの男が町で彼女を見かけて一緒に寝た場合、24 あなたがたはその二人をその町の門のところに連れ出し、石を投げて殺さなければならない。その女は町の中にいながら叫ばなかったからであり、その男は隣人の妻を辱めたからである。こうして、あなたがたの中からその悪い者を除き去りなさい。
石打の刑というのは、最も残酷な死刑の方法です。その最初に石を投げなければならないのはヨセフ自身。マリアを石打にする、死刑にするその石をヨセフが最初に投げねばならない。たしかにマリアを受け入れることはできないけれども、しかしそういうようなことはとてもできない。ヨセフのもう一つの結論は密かに離縁しようということでした。ここでヨハネの福音書8章7節おひらきください。新約聖書の195頁になります。
7 しかし、彼らが問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい。」
イエス様の周りにはいつもイエス様の言葉尻をつかんで何とかイエス様を陥れようと企む人々がいましたが、その者たちが絶好の口実を得たできごとが、このヨハネの福音書8章の冒頭部分にございます。
その4節を見ると
4 イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。」
この女は姦淫の現場で捕えられた。言い逃れもできない。この女を引き立ててきて、「イエス様、あなたは日頃愛を説いておられますけれども、さあ、どうしますか。この女は姦淫の現場で捕まえられた女です。あなたは律法の正しい教えをなさる教師でいらっしゃいます。さあ、律法ではこのような女を石打にするよう、このように書いてあるのを、あなたはよもや知らないとは言わないでしょう。この女は姦淫の現場で捕まえられてきた女です。さあどうしますか。」、こうイエス様に詰め寄った。ヨハネの福音書8章7節にございます。
7節しかし、彼らが問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい。」
イエス様はこのように答えられた。そう律法ではたしかにこのような者には石打の刑、それを命じている。さあ、それと同じように、あなた方の中で罪のない者が先ずこの女に石を投げなさい。殺しなさい。
9節 彼らはそれを聞くと、年長者たちから始まり、一人、また一人と去って行き、真ん中にいた女とともに、イエスだけが残された。
10 イエスは身を起こして、彼女に言われた。「女の人よ、彼らはどこにいますか。だれもあなたにさばきを下さなかったのですか。」
11 彼女は言った。「はい、主よ。だれも。」イエスは言われた。「わたしもあなたに裁きを下さない。行きなさいこれからは決して罪を犯してはなりません。」
再び罪を犯すんじゃないですよといって、イエス様はこのように女性を扱いました。さあ、このことを心に留めながらもういちどマタイの福音書1章にお帰りください。
1:19夫のヨセフは正しい人で、
律法を正しく行うならば石打の刑、ヨセフがまず石を投げなければならないでしょう。しかし夫のヨセフは正しい人で、密かにマリアを離縁しようとした。ここに夫ヨセフの人となりがよく表れています。ヨセフの決断の中に、あのイエス様と同じ思い、それがあった。これも心に留めながら、
1:20彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフよ。」
何ものかが、そう、主の使いがこうヨセフに呼びかけた。軽くさっと読み流してしまいそうなところですけれども、「ダビデの子ヨセフよ」と呼びかけられたのです。先ほど系図にありました。アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。その中にヨセフがいる。
見よ、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフよ。恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。」
あなたがマリアを妻として迎えなさい。マリアから生まれるこの子どもは聖霊によるんだよ。イエス様のような思いやりのあるヨセフに対して、御使いは、あなたはこれから大切な使命を果たすために選ばれた男なんだよ。マリアの胎にいるのは聖霊によるんだよと。そして、21節
1:21マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」
その名をイエスとつける。これは「罪からの救い」ということを表すことば。つまりこのおさなご、これからマリアの胎から生まれるこのお方は、罪から人々を救うための男の子として生まれるんですよ。こうヨセフに夢で御使いが示されたのです。マリアとヨセフ、あなたはダビデの子孫だよ。そしてダビデの子孫から救い主が生まれるんでしょう。マリアから生まれる。あなたの妻のマリアから生まれる。そしてもう一つ、22、23節
1:22このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。 1:23「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。
この23節のおことばが、このマリアの胎に宿っている男の子、それは「その名はインマヌエル」、その意味は「神が私たちとともにおられる」。これがこのお方の本質をあらわしている。
つまりこの21節では、生まれるその子はイエスであり、罪からの救い主という使命を果たす。そして23節では、これから生まれるところのおさなごは「神が私たちとともにおられる」という本質をもっているということを御使いがヨセフに夢を通して告げられたのであります。
しめくくりにヨセフとマリアの信仰、これを見ていきましょう。私は二人とも自立した信仰を持っていた人たちだとこのように申します。
ルカの福音書1章38節1:38マリヤは言った。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」
未婚の自分が子を宿すという事がどういう社会的な批判を受け、辱めを受けなければならないかも分かっていながら、「私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」とはっきりとマリアは自分の信仰をもって神のことばに従いました。「私は主のはしためです」。そしてマタイの福音書1章にあるようにヨセフは恐れずにマリアを迎えました。マタイの福音書1章20節にあるとおりでした。
「ダビデの子ヨセフよ。恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。」。そして24節1:24ヨセフは眠りから覚めると主の使いが命じたとおりにし、自分の妻を迎え入れた。
これがヨセフとマリアの信仰として私たちがきょう心に留めたい大切なメッセージです。私達もどうか、マリアのごとくまたヨセフのように、神のことばにはっきりと従って進んで行く者であらせていただきたいと存じます。
※週報、画像は教会で作成されたものをお借りしています。
⏰5時41分更新
201218 クラシック倶楽部を聴く 第89回日本音楽コンクール 本選会 ホルン部門
第89回日本音楽コンクール 本選会 ホルン部門▽吉田智就、西本葵、谷あかね、佐藤俊輝(放送順)▽曲目:ホルン協奏曲から(ジェイコブ)▽演奏:東京フィルハーモニー交響楽団(演奏)、角田鋼亮(指揮)▽収録:2020年10月28日 東京オペラシティコンサートホール―番組紹介からー
吉田智就 入選 第一楽章の途中から
西本葵 入選 第二楽章の途中から
谷あかね 3位 第一楽章の途中から
佐藤俊輝 2位 全楽章
🎵ホルンははたして何人ぐらい挑戦したのか、40人ぐらいかと思っていたところ、96人という方々が。課題曲は2曲あったようだが、本選で受賞したどの方々もジェイコブの「ホルン協奏曲」を選択。これも意外。同じ曲を演奏、支援する角田&東京フィルにも拍手。
岩谷賞は聴衆による投票で決まるのだが、視覚が聴覚に錯覚をもたらさぬようと願うのだが、しかし音楽を視覚で聴く方々も多いかと、醸す雰囲気などすべての総評がスター性にもつながるのだろう。ここでチョン・キョンファを思いだすのはなぜだろう。
🎧名曲アルバム。小山実稚恵さんの32番。ベートーベンの「ピアノ・ソナタ32番」。けさはこれがほんとうに瑞々しく心に浸みこんできた。またまた映像最後の場面、暗闇から脱したばかりの朝明け、日の光がまだ地平線下に待機しているのか、ベートーベンの幸せはベートーベンの曲の中にのみあると感じられ、薄青い空を樹間に入れる枝々の鋭い屈折が、それを掴み取ろうとする強靭な意思とも見え落涙。「生ある限り忍耐をわたしの指針としなければならない」とは彼のことば。
⛳いますばらしい朝明けを見ている。山の際には薄青い空なのだが、その上には青鼠色の雲、いまその雲を穿ちながら光が雲の縁を朱色に染めはじめている。あと数分はこの景色を楽しもう。7時更新ベートーベンのソナタの名フレーズが幾つも胸中を過る。
201217 クラシック倶楽部を聴く 第89回日本音楽コンクール本選会チェロ部門
第89回日本音楽コンクール本選会チェロ部門【演奏】広田勇樹、柴田花音、泉優志、藤原秀章、水野優也(放送順)【曲目】チェロ協奏曲から(エルガー)、チェロ協奏曲第1番から(ショスタコーヴィチ)、【収録】2020年10月27日東京オペラシティコンサートホール―番組紹介からー
広田勇樹 入選 エルガー「チェロ協奏曲 ホ短調 作品85」第一楽章
柴田花音 入選 ショスタコーヴィッチ「チェロ協奏曲 第一番変ホ長調 作品107」第一楽章
泉優志 3位 ショスタコーヴィッチ「チェロ協奏曲 第一番変ホ長調 作品107」第二楽章の途中から
藤原秀章 2位 ショスタコーヴィッチ「チェロ協奏曲 第一番変ホ長調 作品107」第三、四楽章
水野優也 1位 エルガー「チェロ協奏曲 ホ短調 作品85」第二楽章の途中から
🎵これほど立て続けに演奏者が入れ替ったショスタコーヴィッチのチェロ協奏曲を聴いたことはなかったなと。それにしても協奏曲を、これはピアノもバイオリンも、今回のチェロはピアノ伴奏、声楽も、若き才能を支援するオケやピアノ伴奏、指揮と挑戦者と同じステージにあって各演奏に関わる感想はどんなものであろうか。この方々のこれからが楽しみ。
🎧名曲アルバムはベートーベンの「エグモント 序曲」渡邊一正&東京フィル
エグモントの居城ガースベーク城の威容が曲とともに迫って。これできょうのエネルギーがまた。
⛳きのうのはなしになるが、プレミアムシネマで「シンドラーのリスト」があった。暗く辛い場面が多いので、見るのは止めようかとも思ったが、さてあの場面はどうだったか、と思いだそうとするも大方を忘れている。それでまた視聴。これは忘れた頃には観ておくべき映画であることを最後の感動とともに再確認。今に後に、これからは特に。
9時3分更新
201216 クラシック倶楽部を聴く 第89回日本音楽コンクール本選会声楽部門
第89回日本音楽コンクール本選会声楽部門▽秋本悠希、前川そふぃあ、照屋篤紀、井上大聞、谷垣千沙、小林啓倫(放送順)▽「4つの歌曲 作品2」から(シェーンベルク)「女の愛と生涯」から(シューマン)、「旅の歌」から(ヴォーン・ウィリアムズ)ヘルマンに(ライマン)「こどもの不思議な角笛」から(マーラー)「秘めやかな愛」(シューベルト)▽2020年10月26日東京オペラシティコンサートホールで収録―番組紹介からー
秋本悠希 メゾソプラノ 入選 「舟歌 片戀」(團伊玖磨)
前川そふぃあ メゾソプラノ 入選 「女の愛と生涯」(シューマン)
照屋篤紀 テノール 入選 「幸福の杯」(カークェレルト)/「歌曲集32-3 愛の賛歌」(リヒャルト・シュトラウス)
井上大聞 バリトン 3位「旅の歌」から (ヴォン・ウィリアムズ)
谷垣千沙 ソプラノ 2位「ぼだい樹の下」(プフィッツナー)
「悲しみの聖母像の前にたたずむグレートヒェン」(ウォルフ)
小林啓倫 バリトンン 1位「子どもの不思議な角笛」(マーラー)
🎵今回、1985年生まれのお二人が1,2位。技術ばかりではなく声にあらわれる人間的な熟達度を思った。自分でも意外だったのは、小林さんが「少年鼓手」に入るまえ、
まだ歌わずに立っているのだがその立ち姿に涙が出た。ここまでの思い決意で、と。それはコンクールに出る方々の共通の想いであろうけれども。何か粛然としたのだ。それが歌にもあらわれている。
第12曲の「原光」はうたいあげるのになかなか難しいところではないかと思いちょっと他の頁にとんでみると、簡略だけれども
「苦境のさなかにいる人間の、再び神のもとに戻りたいという気持ち…14曲中最後に作られた作品。処刑される少年の辞世の歌。歌曲集の中でも最高の出来であるが、「交響曲第2番」第4楽章として転用されたため、<3人の天使は歌った>同様、CDでは歌曲集からはずされることが多い。」とあった。
🎧名曲アルバムは「第九」の合唱。梅田&東京混声&東京フィル。
またまた感動。よくベートーベンがピアノの傍らに立った、とか来てくれたとか耳にすることがあるが、この250年目のベートーベン人気は! 彼は今あまりに忙しく、もう回り切れないだろう。
ベートーベンのデスマスク、後年ベートーベンの髪の毛を分析したところ、どうも鉛中毒だったらしいのだが、体が腫れ上がったり腹水が溜まったりで惨憺たる死に方をしたベートーベンが思いだされたが、苦闘の証しが作曲。250年経るもこの華々しさ。
⛳7時2分更新。
書き足しだけれども、「秘境鉄道」、ノルウェーのフィヨルド沿いの鉄道施設に3万4千人の戦争捕虜が酷使されていた資料映像が出ていたが、日本人のシベリア抑留ばかりではなく、他にも各所にありそう。
201215 クラシック倶楽部を聴く 第89回 日本音楽コンクール本選会バイオリン部門
第89回 日本音楽コンクール本選会バイオリン部門▽橘和美優、髙木凜々子、平野友葵、北川千紗(放送順)▽2020年10月25日 東京オペラシティコンサートホール 第89回 日本音楽コンクール本選会バイオリン部門▽橘和美優、髙木凜々子、平野友葵、北川千紗(放送順)【曲目】バイオリン協奏曲 ニ長調 作品35(チャイコフスキー)、バイオリン協奏曲 ニ短調 作品47(シベリウス)【演奏】東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団(管弦楽)、高関健(指揮)【収録】2020年10月25日 東京オペラシティコンサートホール
すこし遅れてスイッチオン。聖書のミカ書がなかなかおもしろくて思いめぐらしているうちに遅れたのだけれども。
橘和美優 入選 チャイコフスキー バイオリン協奏曲
髙木凜々子 3位 シベリウス バイオリン協奏曲ニ短調 作品47 3楽章
平野友葵 2位 チャイコフスキー バイオリン協奏曲 ニ長調 作品35 第二、第三楽章
北川千紗 1位 シベリウス バイオリン協奏曲 ニ短調 作品47 第一楽章の途中から
🎵バイオリンに向かう姿勢の、ピアノもそうだけれど、ひたむきさ、ひたすら、一途、さまざまな葛藤や忍耐、努力を経ての今なのだろうけれども、それらを乗り越えてある今に心打たれる。バイオリン部門はみな乙女たち。清々しさ、美しさ。新鮮。晩年のカザルスが乙女に恋し結婚した心境がわからなくもない。
🎧名曲アルバム。ベートーベン「熱情ソナタ」。横山幸雄のピアノ。冬枯れの神経系の樹木の梢の向こうの冬景色。その景色が水面に映える夕景に変わったところで血管系の樹木が立ち現れたと感じるのも、この曲の為せるところ。
⛳大雪が降るかと思っていたが、きのうの解けのこる雪が家々の屋根に。
秘境鉄道はノルウェー。トナカイの飼育などを興味深く。6時52分更新。
201214 クラシック倶楽部を聴く 第89回 日本音楽コンクール本選会ピアノ部門
第89回 日本音楽コンクール本選会ピアノ部門▽荒井玲奈、三浦颯太、望月 晶、山縣美季(放送順)▽収録:2020年10月24日 東京オペラシティコンサートホール【曲目】ピアノ協奏曲第1番から(ショパン)、ピアノ協奏曲第2番から(サン・サーンス)、ピアノ協奏曲第2番から(ショパン)【演奏】東京フィルハーモニー交響楽団(管弦楽)、渡邊一正(指揮)【収録】2020年10月24日 東京オペラシティコンサートホールー番組紹介よりー
荒井玲奈 入選 ピアノ協奏曲第1番(ショパン) 第二楽章の途中から
三浦颯太 3位 ピアノ協奏曲第2番から(サン・サーンス)第一楽章から
望月 晶 2位 ピアノ協奏曲第2番から(サン・サーンス)第二、三楽章
山縣美季 1位 ピアノ協奏曲第2番から(ショパン)第二、三楽章
音楽コンクールがいつからあったのかとググってみると、wikipediには次のように出ていた。
1932年、時事新報社(現在の産経新聞)の主催により「音楽コンクール」が発足し、その後一時を除き毎年開催されている。当時の本選会会場は日比谷公会堂であった。
第6回(1937年)より主催者が毎日新聞社となり、また第13回(1944年)では戦争の激化の影響(敵性語排除)もあり、一時大会名が「音楽顕奨」に変更される。1945年に予定されていた第14回は戦後の社会情勢の混乱もあり、翌年(1946年)に延期され、また、大会名も「音楽コンクール」に戻された。なお、1946年は春と秋の2回開催された。第18回(1949年)より、コンクールの大規模化への対応および、知名度の上がりつつあるコンクールの質を更に高めることを目的としてNHKが主催者に加わると同時に予選と本選の全国中継が始まった。
第51回(1982年)より、コンクールの名称を現在の「日本音楽コンクール」に改称。第62回(1993年)より本選会の会場が東京芸術劇場に変更される。
第67回(1998年)より、本選会の会場が現在の東京オペラシティのコンサートホール・タケミツメモリアルに変更される。第72回(2003年)より本選会に「聴衆賞」(聴衆が最も良いと判断する1名を選択し投票)が新設される。
🎵これからの音楽を担っていく方々。毎年各部門から多くの音楽家たちが世に出されている。世界的なコンクールを目指す方々も多いのだろうけれども、日本にのこって活躍して下さる方、また郷里にもどって地元で活躍してくださる方はより有難く感じられる。4人の方々の演奏、よかった、よかったと聴き終えて先々を楽しみに。
審査員には音楽評論家は原則として入らないのだそう。意外だったが、なるほどという気も。
1932年からあった音楽コンクール。昭和7年にはいったいどんな曲が演奏されていたものか。当時の東京朝日新聞でも当たれば或いは載っているかもしれないが。増沢健美氏などの発案。そして野村光一や堀内敬三の協力があったようだ。
この先10年後20年後の音楽界と音楽がどういうことになっているかは順次待ち望むのみ。
🎧名曲アルバム。アルベニスの「アストゥーリアス」。ギターはパク・キュヒ。いまどこにいるのだろう。
⛳朝のうちに更新をしないと、何やかやに取り紛れて、きょうも午前中は聴いたピアノが鳴っていたのだが、いつの間にか鳴りを潜め、夕食を終えるとまた聴こえだすという具合。けさは雪景色。バルコニーは氷点下2度。今ごろは解けのこった雪がバリバリになっているだろう。19時36分更新。
きょうのことば 「クリスマスを待つ」ー第二アドベント講壇ー
インマヌエル盛岡キリスト教会の2020年12月6日(日)の礼拝メッセージをおつたえいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で47年目のご奉仕をしておられます。
説教題『クリスマスを待つ』(國光勝美 牧師)
聖書引証
旧約聖書 イザヤ書9章1~7節
1 しかし、苦しみのあったところに闇がなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は辱めを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダンの川向う、異邦の民のガリラヤは栄誉を受ける。
2 闇の中を歩んでいた民は、大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝く。
3 あなたはその国民を増やし、その喜びを増し加えられる。彼らは、刈り入れ時に喜ぶように、分捕り物を分けるときに楽しむように、あなたの御前で喜ぶ。
4 あなたが、彼が負うくびきと、肩の杖、彼を追い立てる者のむちを、ミディヤンの日になされたように打ち砕かれるからだ。
5 まことに、戦場で履いたすべての履き物、血にまみれた衣服は焼かれて、火の餌食となる。
6 ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。
旧約聖書 ミカ書5章2節
2 ベルレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。
<お話し>
この教会では、ケニヤのテヌウェク病院に包帯を送る奉仕をしておりますが、ひろ子先生のラインに、現地の医療宣教師蔦田就子先生から、二年前に送った包帯が、送る途中で失われたかと思っていたところが、今ようやく着いたという連絡がありました。小さな群れの小さな奉仕がケニヤのテヌウェク病院で大きな喜びとなっているそうです。共にこのクリスマスを守ることができるのは大きな歓びであります。
そのテヌウェク病院では「We will not fear, but prepare.(私たちは恐れない、しかし備える) 」、これをモットーに過ごしていることを聞きました。これが盛岡教会の心構えでもあります。
前回の説教ではズームにトラブルを生じ、プロジェクターのスクリーンに映しかねた画像がございましたが、次の画像を先週のメッセージ「闇の中の光」に追加していただき、クリスマスアドベントの第一回目であったことを思い起こしていただければ感謝です。
さて、きょうは第二アドベント「クリスマスを待つ」という題です。皆さん意外に思われるかもしれませんが、聖書のどこを何度検索しても「クリスマス」という言葉は出てきません。聖書にはないのです。それではいつ頃この12月25日が一般的になったのか。多くの学者たちが調べておりますが、どうも5世紀ごろにアウグスティヌスという人がキリストの誕生は12月25日と統一したと受け取られる文書が遺されております。ほんとうに12月25日なのか。いやそうではないだろうなと多くの人が考えている。それじゃいつなのか。
実はイエス様がお生まれになったとき、キリスト教がペテロ、そしてパウロのような使徒たちによって広められていった当時、世界はローマ帝国の時代でありました。ローマの異教的なお祭りがちょうどこの冬至の前後にありました。冬至というといちばん夜が長い。しかし冬至を過ぎると少しずつ昼の時間が長くなります。これは喜びでもある。暗きに輝く世の光としてこの世においでくださったイエス様のお誕生を12月25日と便宜上あてはめるのも、それはまたそれなりに意味があるであろうとこのように思っているわけです。しかし忘れてならないことは、それじゃ日にちがはっきりしないから誕生がなかったのか。決してそんなことはありません。聖書にはイエスキリストの誕生は、そのできごとして、或いはその預言として、クリスマスのできごとに満ちているといっても過言ではない。それを先ず心に留めさせていただきましょう。
さて、いま皆さん方と一緒に開きますおことばは、イザヤ書、そしてミカ書というところであります。イザヤ、ミカという人物が活躍したのがだいたい紀元前700年前後といったらいいでしょう。ここに地図がございます。
北の方、上の方にガリラヤ地方があり、そしてガリラヤ湖。そのすぐ上にアッシリア帝国という太い字が。じつはこのアッシリアという異教の大帝国が、このイスラエルの国、或いはユダの国ともいっていいでしょう、この国を亡ぼすために北の方からガリラヤの方にやってきた。
旧約聖書の1180頁、イザヤ書はイエス様についての預言が記されていることでとても有名です。
イザヤ書の9章1節 しかし、苦しみのあったところに闇がなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は辱めを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダンの川向う、異邦の民のガリラヤは栄誉を受ける。
イザヤがこう預言した時、アッシリア帝国と最初に緊張状態になったのはガリラヤ地方でした。それ以前にイスラエルは、北イスラエルとユダに分裂しており、北イスラエルはすでにアッシリアに滅ぼされてしまっていた。ユダの国とイスラエルの国はルーツをたどれば兄弟のような国であったのが、いずれにせよ北の王国の方はすでにアッシリア帝国に滅ぼされ併合され国を失う。その強大なアッシリアがガリラヤの方にやってきた。もうユダの人たちは戦々恐々。しかしそんなときにイザヤが、だいじょうぶ、必ず神様は私たちを守り支えてくださるとメッセージを述べたところであります。
これをさらに進めてみましょう。こんどは旧約聖書の1586頁。ミカ書第5章をお開きください。
イザヤとミカはほとんど同時代に神に仕える預言者でありました。ですので、イザヤとミカ、人物は違いますけれども、ともにイエス様、メシヤの誕生についてすばらしい予言をしています。
ミカ書5章の2節 ベルレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。
このようにミカが預言をしている。地図をみてください。
ベツレヘム。その場所、おわかりでしょうか。ユダ王国の首都であるエルサレムと比較的近い場所ですけれども。ここからあなたの支配者、エルサレムを治める者が出るという預言。その出現はその昔から永遠の昔から定まっているというのです。
そしてまたイザヤ書の9章を見ていただきますと、アッシリア帝国の勢力が迫ってくる。ユダの人たちは、わーこんどは北が滅ぼされたように私たちも滅ぼされてしまう。どうしよう、もうこのまま国が亡くなってしまう、という怖れに震えておりました時に、神の預言者イザヤが言います「だいじょうぶ、ガリラヤは神の栄誉を受けるよ」。
私たちは新約の時代に生きています。イエス様がガリラヤ地方で大きな働きをされたということを福音書を通して知っています。イザヤは「ガリラヤは栄光を受ける」、そして9章2節に「闇の中を歩んでいた民が大きな光を見、死の陰の谷に住んでいた者たちに光が輝く」、こういって「大丈夫、北の方は亡びてしまったけれどだいじょうぶ、あなた方は守られるのだ」、こういう希望のメッセージを民に語っています。
いま申しましたことを画面の中で見ていただきましょう。
お話しの整理になるのかもしれませんが、兄弟国の北王国が滅ぼされてしまう。すると南王国の人々はわー、これは大変だ、これからどうなるんだろうか。ほんとうに暗闇の真っただ中であった。これは今の私たちの時代を表しているような感じさえします。メシヤ、キリストへの待ち望み、はやくこの暗黒から私たちを解放してくれる救い主が与えられないか。このメシヤへの待ち望みが日に日に強くなってまいります。このときのユダヤ人たちの待望するメシヤ像はどんなであったか。救い主、キリストといわれる人物に、ユダヤの人たちは何を期待していたのか。間近に迫っているアッシリア、この強大な国と戦い勝利を与えてくれる、そのような救世主、メシヤを彼らは期待していました。そして、あのダビデ、ソロモンの時代にそうであったように、我が国に繁栄と独立をもたらすところの救い主、キリスト、メシヤを彼らは期待していました。ダビデの王座を継承する者こそ我らが待ち望むメシヤだ。そして先ほど見ましたように、それはどこから、そう、ベツレヘムのエフラテから出る。そのようにミカ書、預言者ミカはいっています。これが当時のユダヤの人たちが持っていたメシヤ待望でありました。
さて、これからはイザヤ書9章6節です。
ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
彼らユダヤ人たちが期待していたメシヤ、それはどういうお方かと言うと、ひとりのみどりごが誕生する。私たちのために。先ず第一に不思議な助言者。ここで「不思議な」は形容詞で使われていますが、文語訳聖書では「その嬰児は不思議。」。このように「不思議」は「名詞」でです。文語訳に慣れている人たちにとっては、そのみどりごは「不思議」或いは「ワンダフル」、そして「カウンセラー」、「助言者」。でも新改訳では「不思議な助言者」。助言者というのは、私たちを今のところから回復させてくれる働きをします。それから助言者は、さあ、この道を歩むんですよというように道を示してくれる方です。そして力を与えてくれる。これがひとりのみどりご。このお方は暗闇の中にいる私たちに回復を与え、歩むべき道を示し、私たちに力を与え、これはただにユダヤの人たちにだけではなく、今の私たち一人ひとりにもこのお方、ひとりのみどりごイエス様ご自身ですけれども、このお方は私たちのすばらしい助言者として私たちを回復させ導き私たちに力を与えてくださいます。
こんどは力ある神、ヨハネ1章1節をお開き下さい。
初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
このお方は、ひとりのみどりごというお方は、神とともにあった。そしてこのおことば。このお方は神ご自身である。イエスキリストが神ご自身である。このことをイザヤははっきりと預言しています。救いについて話す預言者ではなく、このお方は神ご自身として私たちの前に救い主としてあらわれていてくださる。また6節にありますが永遠の父と呼ばれる。
では、ヘブル13章8節新約聖書の456頁をお開きください。
永遠の父である、不思議な助言者であるヘブル13:8イエス・キリストは、昨日も今日も、とこしえに変わることがありません。
私たちの救い主なるひとりのみどりごとしてこの世においでくださったお方は「永遠の父」、このような名まえが付せられている。感謝です。そしてもう一つの名まえ、それは「平和の君」と呼ばれる。もちろん先ほどお話しさせていただいたように、彼らユダヤの人たちが待ち望んでいたのは、アッシリヤ帝国による滅亡、何とかこの危機から守られ、何とかダビデ、ソロモンの栄華が私たちに与えられるようにというのが、彼らの期待していたメシヤ像でした。しかし私たちはここにそれよりももっと大きな深い大切なメッセージを読み取ることができます。
新約聖書のローマ人への手紙5章1節。304頁
こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
神との平和を持っている。このときイザヤが預言していたのは当時のユダヤの人たちが一般的に期待していたメシヤ像をはるかに超えて、いま新約に生きている私たちが、ああそれはまさしくあのクリスマスのときにお生まれくださったイエス様なんだ、このお方はまことの平和の君として私たちに平和をもたらしてくださる。然り、それは人と人との争い、国と国との争いということを超えて、もっと根本的に私たちは神様と仲たがいしていたという神から離れていたという私たちがイエス・キリストの贖いの十字架の血によって、その神との、私たちは生まれながら神に敵対していた者だった、しかし、このひとりのおさなごが、私たちに与えられて、このお方が、イエスキリストが、十字架によって神との和解を成し遂げてくださった。
イザヤが預言していたメシヤ像というのは、冬至のユダヤ人たちが地上的なこの世的な救いばかりを考えていたのですけれども、彼らのそれをはるかに超えて、不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君であられるのであります。
ここでイザヤ9章7節をご一緒にお読みしましょう。
その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。
万軍の主の熱心が、神様ご自身が必ずこのことを成し遂げる。ミカは預言しました。メシヤがどこで生まれるのか、それは、ベツレへム、エフラテに生まれる。イザヤはそのメシヤは、救い主は、ひとりの男の子、ひとりの男の子が私たちに与えられる、こういっている。このイエス・キリストの誕生を預言いたしました。そしてそのことはすべて今よりとこしえまで万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。
※地図、画像は教会からお借りしています。
説教の文面は音声データを起こし内容を損なわないよう、できるだけ忠実に編集させていただきました。
⏰5時49分更新
雑感
更新のための更新ということになるが、けさ目覚めたときにはJ-MEROは終わっていた。やれやれという感じだったが。
☆
ふと「美の壺」を見てみようかと。またしてもTV! なのだが。とはいうもののTVを見るのは朝だけ。と言いながら昨夜はベートーベンの曲のランキングがあったためにららクラシックをついつい見てしまったけれども。
「美の壺」、これが信楽だった。1月10日分の再放送。
唸った作品は、ダイレクトに土の力強さ、豊かさを感じさせてくれるもの。これが私には天皇家への献上品よりはるかに素晴らしく見えた。一つは、茶道で使う水差しを作るのかと思ってみていたところ、こんどは蓋にするのだろうか口に練られ平らにした土をかぶせたかと思いきや、まるで大地を破るがごとくにそこに一気に破れを。その裂け目が上向いている。土のたくましさが。一つはある程度焼き上げた壺の表面に練られていない土を張り付けて模様にし、たぶん再び火を潜らせたかと思うが、手触りの土を感じさせる作品。
子どもを14匹連れた信楽狸もあったが、どうも狸にはいまだ興味は持てずにいる。
花人が、信楽に野山から摘んできた草木を生けていたが、ざくろ、蔦の葉の切れ葉か切れ端か、寒菊などを生けていたけれども、これ系を眺めて感心したことはほとんどないが、冬に向かう、或いは冬をしのぶあるがままのすがた、苛酷さに肩ひじ張らずに恬淡とした風情には通じるところがあった。
201211 クラシック倶楽部を聴く ドーリック弦楽四重奏団
1998年イギリスで結成。2008年大阪国際室内楽コンクールで1位、イタリアのパオロ・ボルチアーニ国際弦楽四重奏コンクールで2位を受賞。高潔な詩情と明晰な音楽つくりで魅了する【演奏】ドーリック弦楽四重奏団【曲目】弦楽四重奏曲 第13番 変ロ長調 作品130(大フーガ作品133つき)ベートーベン作曲【収録】2019年10月31日 紀尾井ホールで収録ー番組紹介よりー
第1ヴァイオリン:アレックス・レディントン(Alex Redington)
第2ヴァイオリン:イン・シュー(Ying Xue)
ヴィオラ:エレーネ・クレマン(Helene Clement)
チェロ:ジョン・マイヤースコウ(John Myerscough)
ヴィオラ奏者の使用楽器は、ブリテンペアーズ財団から貸与されている 1843年製ジュッサーニ
Wikipediaから曲の解説を借りると、
第1楽章 Adagio, ma non troppo - Allegro
変ロ長調、序奏つきソナタ形式
瞑想的で荘重な序奏における第1ヴァイオリンの旋律は、この楽章全体の中核をなし、提示部や展開部のつなぎ目でたびたび姿を見せる。
第2楽章 Presto
変ロ短調、三部形式
スケルツォ風の短い楽章。きわめて速く、せわしない音型の密集である。
第3楽章 Andante con moto, ma non troppo. Poco scherzoso
変ニ長調、三部形式
美しい情緒をたたえた緩徐楽章であるが、"ポコ・スケルツォーソ"(ややおどけて)とある通り、民族舞踊曲風のくだけた印象を持つ旋律が特徴で、二度目の緩徐楽章であり崇高なカヴァティーナである第5楽章とは対照的である。
第4楽章 Alla danza tedesca. Allegro assai
ト長調、三部形式
「ドイツ舞曲風」と題されているが、これはレントラーのことである。第2楽章と同じく、次の楽章への橋渡し的な短い楽章となっている。
第5楽章 Cavatina. Adagio molto espressivo
変ホ長調、三部形式
「カヴァティーナ」とは叙情的なアリアを指し、その名の通り非常に美しい旋律を持つ。
第6楽章 Allegro
変ロ長調、ロンド形式
前述の通り、後から差し替えられた楽章。改作前のものとは打って変わって、沸き立つようなリズムと楽しげな主題の楽章であるが、対位法的な部分も少なからず使われている。
🎵ドーリック、番組解説では「高貴なロマン」「レーザーのような明晰さ」と讃えられているようだ。はっとしたのは、まず4人の衣装の統一感。それぞれの衣装をついカラー・サンプルに照らし合わせてしまった。第一バイオリンのレディントンは青系のベストスーツなのだがウルトラバイオレット。それがソックスが第二バイオリンのシューのドレスと同じ色。シューは赤紫系のドレスでアメジスト。ビオラのクレマンはグリーン系のパンツスーツでピーコックブルー。チェロのマイヤースコウは青系のスーツにも見えるがこれがパープル。ライトによっても多少は異なって見えることもあるが、衣装のカラーのトータルバランスがまるで品格ある聖画のようでもある。
マイヤースコウが、「楽団名はドーリア式の柱に因む。無駄な飾りなくまっすぐにのびている」と。この曲は1825年ベートーベン55歳の作品。大フーガは出版社に書き直しさせられたというが、近頃は初稿どおりに演奏されているという。この弦楽四重奏は素早い演じ分けが必要と語ったのはレディントンだったような。シューが「ベートーベンは演奏するのに体力をつかわせる」と。マイヤースコウが「ベートーベンは晩年フーガに夢中になっていた」「極端な面を受け入れ楽しむべき」。4人のコメントはまさにこの作品を言い表し理解を助けてくれた。レディントンが足で拍を刻んでいたが、この曲の“確かな標準”を刻んでいなければややもすると立ち位置を見失ってしまいかねないという気さえする。特にフーガが書き直しを迫られた理由がわかる。まるで瓦礫がそちこちから崩れ落ちるような感じがするのだ。よくこれを互いが各々の在りかを失わずに弾いている。驚きだ。聴いているうちにそれがそれこそ既成を切り崩す響きであると新鮮に聴こえだす。「どうだい」という苦み走ったベートーベンの顔が浮かんだ。
🎧名曲アルバム。リルバーン作曲「アオテアロア序曲」(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団,(指揮)円光寺雅彦 ~ニュージーランド・ウェリントン、ワンガヌイ~
ニュージーランドにこのような作曲者が! 「アオテアロア」は先住民族マリオのことばで「白い雲のたなびく島」だという。イギリスに留学していた時代に作曲。後半生はウェリントンで。1915~2001。
ダグラス・リルバーン:ニュージーランド北島ドライスデールの農場に生まれる。クライストチャーチのカンタベリー・カレッジ(現在のカンタベリー大学)にて音楽の勉強をし、1936年にはパーシー・グレインジャーが創設した作曲賞を受賞した。その後ロンドンの王立音楽大学に留学し、レイフ・ヴォーン・ウィリアムズに師事した。1940年に帰国し、ヴィクトリア大学ウェリントンの教授として、ニュージーランド音楽の発展に貢献した。(Wikipedia)
⛳ ついついけさも7時まで見てしまった秘境鉄道、カナダのチャーチル、氷点下52度の痛烈な極寒に生きる方々。まちを歩き回るホッキョクグマがハドソン湾が凍るころには北極に移動。どこも寒いカナダ、しかし人の心は温かいと。犬がカチカチに凍った肉にかじり付いていたけれども、ホッキョクグマにしろ犬にしろ着衣無しで生きられるこの不思議。小学生並みの驚きかもしれず、それでも言わずにはいられないこの驚き! 10時55分更新。
201210 クラシック倶楽部を聴く タカーチ弦楽四重奏団
世界屈指の人気カルテット「タカーチ弦楽四重奏団」。2016年ジュネーブ国際音楽コンクールで第一位、副賞も全て獲得した実力派。出演:タカーチ弦楽四重奏団 曲目:ハイドン作曲 弦楽四重奏曲 ハ長調 作品33第3「鳥」から ベートーベン作曲 弦楽四重奏曲 作品59「ラズモフスキー」第3番 ハ長調 バイオリン:エドワード・ドゥシンベル、ハルミ・ローズ、ビオラ:ジェラルディン・ウォルサー、チェロ:アンドラーシュ・フェイェール(2019年9月27日 武蔵野市民文化会館で収録)ー番組紹介よりー
🎵タカーチ弦楽四重奏団は1975年ハンガリー生まれ。メンバーの入れ替わりは当然あったようで、現メンバーは
1バイオリン エドワード・デユシンベル
2バイオリン ハルミ・ローズ
ビオラ ジェラルディン・ウォルサ
チェロ アンドラーシュ・フェイエール
演奏に現われる明るさを感じながらそれぞれのコメントを聞く。ウォルサが自画自賛すればこのカルテットは芳醇で明朗と。
1曲目ハイドン「弦楽四重奏曲 鳥」、朝の目さっと覚めにはリズミカルで明るく心地よい響き。森の眠りと思わせる部分が薄闇の奥に聴こえるようなのだが、鳥たちは目覚めて軽快、明朗。
2曲目ベートーベン「弦楽四重奏曲 ラズモフスキー」。第一楽章、デュシンベルであったか、オープニングに何かを探しているよう……神秘的な、といっていたが、このラズモフスキーには神秘的な響きが随所に聴こえる。孤独感に残留せずにさっと次の光さす世界に扉が開く。それが「明るく堂々たる曲調」との解説のごとくなのだ。第2楽章、ビオラの旋律に苦しさ、チェロの憂鬱。作曲者が楽譜に書き入れているさまをなぜか想像していた。こんな感じかな、こうでいいだろう、ここはまだまだ、そうこんなところだろう……。落ち込む気分というよりは逡巡しながら音を探り出しているそのさまをそのまま音符にしているのではないかと。第3楽章、もうこの辺で、こんな感じに……。自分が納得できる旋律に届きそう、第9でこの音じゃない、その音でもない、そうそうこの音という場面が思い出される。第4楽章、見えてきたとばかりに、そうこうだ、これなんだよと、どんどんあふれ出してくる。奏者たちの後ろをのぞきまわっているベートーベンのすがたを勝手に想像する。ハルミがベートーベンの音楽はベートーベンが努力して勝ち取ったものというのにデユシンベルが相槌を。ハルミは日系アメリカ人。模索をくぐり抜け、或いはメヌエット風なところを経て突然嵐のような旋律となるベートーベン。は実に創造は自由で楽しく愉快なもの。ウォルサが、突然の爆発は皆も好きなはず、と。そうなんですよ、ほんとうに。
ハルミが家族の語らいはだいじと。それは弦楽四重奏団の一つの要でもあるかと思う。タカーチが熟練の懐の広さと技術的にも高い演奏を提供しながらアット・ホームな安心感をもくれる楽団であると思う。
🎧名曲アルバム。チャイコフスキー「花のワルツ~“くるみ割り人形”から~」(管弦楽)NHK交響楽団,(指揮)高関健 ~映像:ロシア・サンクトペテルブルク~
ピョートル大帝が建設したこのペテルブルクにはモスク音楽院もある。西欧建築が威風を見せている。「くるみ割り人形」の初演もこの地にあるマリインスキー劇場で。一大文化の拠点でもあるこのペテルブルク、しかしこの河口デルタの都市建設は悲惨だったなと、そちらの方を意識しながら今の街のたたずまいを。
⛳ タカーチ、すぐに書こうと思っていたところが、後番組でマダガスカルの鉄道が紹介されていたのだが、この工事に1万人が命を落としたと聴こえてき、ついさっきペテルブルク建設で泥のように死んでいった人々を思いだしたことに重なり、TVを見てしまった。それが次はカナダ。知人の親族がカナダにいることもあり、これも見てしまった。1700キロの区間に駅は3つか4つ。ドーフィンの街のジオラマはおもしろかった。ここにはウクライナ式の教会があるとか。ドーフィン4割が1910年頃というからロシア革命の前にきているのだがウクライナからの移民であるという。若者たちのコサックダンスの練習が眩しかった。
と、この番組が終わる7時までついつい釘付けに。
ひと段落したところで、9時17分更新。
201209 クラシック倶楽部を聴く フィルハーモニック・ファイブ×ベートーベン×デジタルアート
ウィーン・フィルのメンバーを中心に結成されたピアノ五重奏団▽デジタルアートミュージアム「チームラボプラネッツ」での演奏▽ベートーベンの音楽に新たな光を当てる【出演】フィルハーモニック・ファイヴ,ティボール・コヴァーチ,エカテリーナ・フロロヴァ,ゲルハルト・マルシュナー,ペーテル・ソモダリ,クリストファー・ヒンターフーバーー番組紹介よりー
🎵 この収録は、NHKとUNITELの国際共同企画。
クラシック界のあるオーソリティーが、クラシックの曲には何も付け加えて欲しくないと仰っていたが、この五重奏団の意図するところの「本気」に打たれた。当初は制作、企画の演奏者を巻き込んでのゴリ押しではないかという思いも。ところが、聴き進むほどに納得。「ピアノ・ソナタ 第32番」が編曲により「ルートヴィッヒのラグ」として登板。これはもうベートーベンがジャズに行き着いたというか探りあてたというか、それで有名なのだが、これを皮切りにどう展開するのか興味津々で次に。「ピアノ四重奏曲 作品16 第2楽章」、音で楽しみ視覚で楽しむ。続く「テレーゼの夢」、ベートーベンが愛した女性、なぜかベートーベンの恋愛は成就しない。テレーゼの方がベート―ベンの音楽を夢に見、夢で聴くであったか、そのような思いめぐらしからのコヴァーチの作曲。「セレナード作品25から」、ここではバイオリンがフルートパートを務める。「交響曲第7番第2楽章」が「シネマ風アレグレット」として登場。これは生涯的に聴いていた楽曲でもあり切々と興味深く。あのバイオリンンの高音は4ポジションであったか、3ぐらいだったかもしれないが実に効果的。次の「ピアノ協奏曲 第一番 ロンド」が「ロンドとチャールストン」での登場、1920年のチャールストンへと、1917発表のティコティコへと自在に変容。ここから5重奏の意図が鮮烈に訴えてくる。ここでコヴァーチのコメントが俄然精彩を帯び説得力を効かせる。コヴァーチ語るに、21世紀の美のルネサンスがここに。さまざまなインスピレーションがわく。あの時代の古い教会や大聖堂などの英知、力強さ、美がここにある。彫刻、音楽、絵画、文学は互いに響き合うもの。クラシック音楽の天才ベートーベンはジャズが生まれる100年以上も前にジャズを響かせている。ベートーベンはジャズの預言者。芸術の巨人レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロを筆頭に当時の錚々たる大芸術家の名を連ねて、ベートーベンは彼らと並んで力強いメッセージとともに生き続けると。ベートーベンの作曲への誠意、新しいものを造ろうとする勇気、彼は後の世代にも必ず理解してもらえると信じていたのだと。落涙。ベートーベンは古びない、ベートーベンはどの時代の音楽とも並び立ち凌駕し、未来永劫に新しいというこの5重奏団のメッセージがぎりっと鳩尾に落ちる。たしかに、演奏を聴きながら、大聖堂も見えたと実感した瞬間がある。続く「ピアノ・ソナタ17番 テンペスト」が「カリビアン・テンペスト」とジャズ仕様。どんな仕様をまとってもその時代の音楽を巻き込み元曲が映えるベートーベン、21世紀の奏者とデジタルをも吸収し映える曲の見事さ、奏者の渾身に感動! この楽団、たちまちに最先端のデジタルアートを吸収し、消化し昇華させる力あるメンバーたち!
🎧名曲アルバム。「祖谷(いや)の粉ひき唄」(唄)早坂光枝,(尺八)三橋貴風,竹井誠,水川寿也,渡辺淳,(ギター)高井寿,(エレキベース)前田JIMMY久史 ~徳島県祖谷地方~-番組紹介よりー
祖谷は平家の落人部落なのだが、これは全国的にある。岩手で知るところは鳥取春陽の先祖たちがたどり着いた新里村、刈屋北山。周囲はやはり北上山系の1000m級の山々に取り囲まれている。実際行ってみたけれども、その山中に立てこもるように見張りを立てて暮らしていたようだ。祖谷でも追手がきたときには切り落とせるようなつり橋があるなど、どれほど追手を畏れて山奥にへ山奥へと逃れ苛酷な条件に暮らしたものかがわかる。琵琶を弾くにも音を悟られないように滝の傍で弾いたとか。「そば米」挽きといっても米ではなくそばなのだが。こんな思いめぐらしで肝心の唄が遠くに飛んでしまっていた。また改めて聴いてみる必要がありそう。
⛳ジョン・レノンの没後40年の番組を後ろに聴きながら6時50分更新。
201208 クラシック倶楽部を聴く 迫昭嘉(第1ピアノ)江口玲(第2ピアノ)の第九
5回目を迎えた「迫昭嘉の第9」。今回は日米を中心に世界で活躍する江口玲と組んで演奏。リスト編曲による2台ピアノ版「第9」は、その難しさから長らく絶版となっていた。迫はこの編曲版に再び光をあて、原曲とは違う価値を見出し継続して取り上げている。【曲目】交響曲第9番「合唱つき」(2台ピアノ版リスト編曲)から【演奏】迫昭嘉(第1ピアノ)江口玲(第2ピアノ)【収録】2019年12月21日ハクジュホール ー番組紹介よりー
迫昭嘉は東京藝術大学及び東京藝術大学大学院、ミュンヘン音楽大学マイスタークラス修了。東京藝術大学大学院にてクロイツァー賞を受賞、ジュネーヴ国際音楽コンクール最高位、東京国際音楽コンクール室内楽部門優勝(1980)、ハエン国際ピアノコンクール優勝およびスペイン音楽賞(1983)、ABC国際音楽賞受賞(1998)。「ドイツ・ピアニズムの本流を継承する名手」と評価され、全てのディスクが『レコード芸術』誌で特選盤・推薦盤に輝く。近年は指揮者としてもベートーヴェンの交響曲を手掛けている。今回共演した江口玲は東京芸術大学の作曲科を卒業したあとアメリカのジュリアード音楽院修士課程を卒業。東京、ニューヨークを拠点に活躍。
迫昭嘉のコメント
我々の にとってはベートーベンの交響曲というのは、鑑賞はできても実体験がなくてですね、それこそ4半世紀前になりますけども、初めてやったときはその実体験ができるという喜びがものすごく強かったです。
で、最近また実はオーケストラで第九を指揮させていただくという機会も増えてきたところで、もう一回この曲を見直してみました。それで、やはりその単純にオーケストラの曲をピアノを置き換えたというだけではなくて、ピアノならではの魅力もはっきり感じられるようになってきたんですね。より細部の構成というか動きが、オーケストラの中で埋もれてしまうような音がピアノだとはっきり出てくるということで、十分に違う第九の魅力をピアノ2台で出せると思います。
🎵第2~3楽章までは、心境的にオケ版の第9に押され気味だった。ピアノを聴きながらオケが一緒に鳴り響いている感じが。それが第4楽章ではたと。これはピアノ・ソナタとして聴けばいいのだ。2台のピアノ・ソナタとして。そう意識した途端にピアノだけの音がすっきりと立ち上がり、色々な風景が見えてきたから不思議だ。日が傾き静かな深まりゆく蔭に沈みゆく風景。しだいにそれがまた月光に浮かびあがってくる。またたきはじめる星のいくつか。それがしだいに数を増してさざめきながら夜空にまたたく。互いに自己主張の競いあい。それがやがて静かに相和し互いを輝かせ銀河と、もちろん当時は銀河という認識はなかったとしても、一つの相和する星の一つのまとまりと歓び輝きはじめる。こんなイメージに遊んだ。シラーの詩はシラーの詩としてこんな空想もできる澄みきった叙情ある響きも。
🎧ラクダに乗った王子様とお姫様を描いた童謡「月の沙漠」。作詞の加藤まさをが愛した御宿町の美しい景色とともに、藤井フミヤの歌と異国情緒あふれるアレンジでお送りする。佐々木すぐる作曲。-番組紹介よりー
⛳ 食事時間をはさんで9時5分更新
201207 クラシック倶楽部を聴く ザルツブルク音楽祭2020 イゴール・レヴィットのベートーベン
ザルツブルク音楽祭2020 イゴール・レヴィットのベートーベン▽生誕250年にピアノ・ソナタ第31番、第32番を注目のピアニスト レヴィットが熱演 ザルツブルク音楽祭2020 イゴール・レヴィットのベートーベン▽生誕250年を記念して行われた、ベートーベンのピアノ・ソナタ全曲演奏会の最終公演▽【曲目】ピアノ・ソナタ第31番変イ長調作品110(ベートーベン)、ピアノ・ソナタ第32番ハ短調作品111(ベートーベン)【収録】2020年8月21日 ザルツブルク祝祭大劇場大ホールー番組紹介よりー
イゴール・レヴィットは1987年、ニジニーノヴゴロド生まれ。8歳のときに家族と共にドイツ移住。2009年ハノーファー音楽演劇メディア大学において、理論・演奏の両方で大学史上最高の成績でピアノの学業を修める。これまでにカール=ハインツ・ケマーリング、マッティ・ラエカッリオ、ベルント・ゲーツェ、ラヨス・ロヴァトカイ、ハンス・ライグラフに師事。2005年、テルアヴィヴのアルトゥール・ルービンシュタイン・コンクールに最年少で参加し、銀メダル及び最優秀室内楽演奏賞、観客賞、最優秀現代音楽演奏賞を獲得した。
居住地のベルリンでは、サドラーズウェルズ・インディペンデント・オペラ管財人団の厚意により与えられた、スタインウェイDグランド・ピアノを使用している。
31番に関し、作曲者はチェロソナタ第5番にみらるように、後期の作品ではフーガの応用に大きく傾いている。この曲の終楽章は、最後の3曲のピアノソナタの中では最も典型的にフーガを用いたものである。ドナルド・フランシス・トーヴィーは「ベートーヴェンの描くあらゆる幻想と同じく、このフーガは世界を飲み込み、超越するものである」と述べた[3]。(wikiから)
🎵メトロポリタン歌劇場かザルツブルク祝祭大劇場か、で、そちこちググってみると、グレードからいえばそれはやはりザルツブルク祝祭大劇場の方でしょうという結論に。行ってみたことのない者の戯言もまた楽しからずや、というところで。何もかもが中止、延期と思いこんでいたところ、ネット配信なども交えて開催されていたらしいザルツブルク音楽祭。その最後部分に辛うじてあやかれたという次第。
イゴール・レヴィット、あらかじめプロフィールをググっておいたけれども。実は予備知識はない方が先入観なく聴くことが出来る場合が多いのだけれども。あらかじめそのすごさを知らされると、これはすごいえんそうであると聴かねばならないなどと奇妙な心境になっていることがあるからだ。
それにしてもイゴール・レヴィットのドラマティックな演奏は! 確信に満ちた力強い打鍵には狭量な思惑、思索などはみな吹き飛んでしまう。一音一音に次の音はどんなふうに? と次の驚きを期待し待つ心境にさせられるのだ。すったりと凪いだ湖に穏やかに細かに細かに明滅する光、陰影を連想させるところでさえ、一音一音の微妙な音の間合いでも心が次の予感に震える。イゴール・レヴィットの演奏はそびえたつ岩壁。みあげている人がいかにも小さく点となっていくような心境となる。コロナがなければブラボーの嵐は極致に達したはず。
イゴール・レヴィットの演奏には、ふと三島由紀夫作品が思いだされた。それとこれも根拠のないふと思った程度の事なのだが、これらのピアノ・ソナタをより深く理解するためには、ほとんど同時並行で作曲していたという『ミサ・ソレムニス』や『ディアベリ変奏曲』も丹念に聴いてみる必要があるかもと。いまそこまでの根気に欠ける自分がいうのもどうかとは思うのですが。
🎧名曲アルバム。
これがまた小山実稚恵さん弾く、いつの間にかさん付けに。岩手だからか何なのか理由は自分にもわからない。とにかく小山さんのベートーベンのピアノ・ソナタ第32番。いま聴いたばかりの32番。これはジョークではないだろうと思いながら、どこかで愉快な笑いが抑えきれない。イゴール・レヴィットを聴いたばかりの小山さんの演奏が今回は実に女性らしい繊細な響きに聴こえてきたのは不思議だった。あのジャズ部分の明るいリズム。ここに小山さんがいると感じられる素敵な演奏。
ベートーベンはコーヒーを毎朝欠かさずに飲んで作曲に取組んだらしい。あらら、私も毎朝コーヒーを欠かさずに飲んでいるんだけれども(笑)。カフェで注文することも忘れてひと目を気にせずに思索に没頭したというから、その集中力、何かに捕えられたときのベートーベンは、山形で作曲をしておられる木島由美子さんがよくおっしゃる「あっちの世界」「向こうの世界」に行ってしまっていたのだろう。
⛳けさは寒そうな曇り空。それが気分は晴れやか。音楽ってやっぱりすばらしい!
はやぶさ2の明るいニュースとともに6時53分更新
きょうのことば 「闇の中に輝く光」ー第一アドベントー
インマヌエル盛岡キリスト教会の2020年11月8日(日)の礼拝メッセージをおつたえいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で47年目のご奉仕をしておられます。
説教題『闇の中に輝く光』(國光勝美 牧師)
聖書個所 イザヤ7:14、9:1~7
7:14 それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。
1 しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。
2 やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。
3 あなたはその国民をふやし、その喜びを増し加えられた。彼らは刈り入れ時に喜ぶように、分捕り物を分けるときに楽しむように、あなたの御前で喜んだ。
4 あなたが彼の重荷のくびきと、肩のむち、彼をしいたげる者の杖を、ミデヤンの日になされたように粉々に砕かれたからだ。
5 戦場ではいたすべてのくつ、血にまみれた着物は、焼かれて、火のえじきとなる。
6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。
<おはなし>
イザヤ9:2 闇の中を歩んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝く。
私たちは今「闇の中を歩んで」います。関西にいる牧師の友人の奥様は、この6月に胸の痛みを訴えてまもなく、この10月早々には逝かれとの知らせを受けました。「寅さん」のような快活でユニークな男が、「今もそのままの部屋でテーブルに写真と花と季節の落ち葉とともにおります。」とのメールを貰いました。「貴君も奥様をお大事に」と……。
主イエスさまは、一番暗い時に、一番暗い場所にまで降りてくださいました。それは、暗きに歩む私たちに、「闇の中に輝くまことの光」となるためでした。このお方は、暗い、不潔な馬小屋の中にまでおいで下さいました。
さあ、今私たちも、「主よ、私の心にお出でください。」と、主を待ち望もうではありませんか。
⏰6時更新
雑感
起床時間は一定してはいないけれども、だいたいは駅の始発電車に乗る方々の起床時間と同じ。けさは4時。きのうクラシック倶楽部の次の番組予告を見て、えっ、ザルツブルク! まさか、ほんとう? いったいどんなふうに録ってきてるのかなと久方ぶりにわくわく。それでもう4時に目が醒めてしまったのだが。5時になってみると何かようすが違う。何ときょうが土曜日であることを忘れていたのだ。やれやれ。それでも奥入瀬の紅葉と八甲田の雪景色に心和ませ、そういえばこの秋は紅葉も見てはいなかった。しかしこの八甲田の撮影はとカメラの眼になり代わってたどりながら、この仕事のやりがいある苛酷さに思いをいたした。通常人の行かないシーズンに人の行かない場所に踏みこんで収録し持ち帰って編集し流してくれる。放送の片棒担ぎするつもりはないけれども、思えばありがたい。
☆
J-MERO。そういえばMay J.が日曜日であったか、福田こうへいと一緒にのど自慢にゲスト出演していた。
和楽器バンドの動画の再生が1億超えたというから見過ごせない。ライブでは和楽器の活動のための募金も実施。楽器の編成を知ってから曲を聴いている。まったく知らないで聴いたほうがヒットの秘密が掴めたろうと眼を閉じてみるもすでに遅し。当初は奇異な混淆と見えていたのだけれども。
☆
ことしもあと4週間を切っている。去年の今頃は引っ越し準備におおわらわ。次代に残したい物などはないわけで、とにかく捨てに捨てまくり、後になって、あああの棚は捨てるんじゃなかった、あの食器も、ともなったが、人が生きていくにはそれほど多くのものは要らないのだという実感も。一般の方々に比べると物は買わない方であるわが家にしてそう思う。
⛳じき真正面の山の際にはきょうの眩い光が迸り出るはず。7時ジャスト更新
201204 クラシック倶楽部を聴く チョン・キョンファ&ケヴィン・ケナー Ⅱ
巨匠バイオリニスト70歳の記念演奏会。キョンファが指の故障から復帰後、共演を熱望したのがピアニスト、ケナー。二人の熱演からブラームスとフォーレの名ソナタを紹介。チョン・キョンファ待望の来日公演から。「人生最愛の作曲家」と語るブラームスの傑作ソナタを、70歳の節目に新たな解釈で演奏する。今、最も信頼を寄せるピアニスト、ケナーとの音楽作り、ブラームスへの思いを語ったインタビューも紹介。【収録】2018年6月5日東京オペラシティー番組紹介よりー
【曲目】
バイオリン・ソナタ第1番(フォーレ作曲)
バイオリン・ソナタ第3番(ブラームス作曲)
「美しい夕暮れ」(ドビュッシー作曲)ハイフェッツ編曲
🎵ケナーと組んで8年というキョンファ。ケナーが強く共演を望み実現したもの。音楽で自由に対話できるという。「この自由を得た今こそが私たちの音楽の始まりね」。フォーレの曲は音楽で自由に対話ができる曲として選ばれている。事実、第一楽章で、これはこうでしょ、ああそうだね、とバイオリンとピアノの語らいが。そこに「音の対話ができるようこの曲に集中しようと取組んだ」といった解説が。この番組では、これはなぜかと思っていると、疑問に対する答えをすっと流してくれる。また、たぶんこうだろうと思っているところにそれを得心できる事柄をタイムリーに出してくれる。それが一つの楽しみでもあるのだが。2楽章の“揺れ”の旋律に、キョンファはケナーの弾くショパンの「舟歌」に心魅かれており、この曲の揺れがそれを思わせることで選曲したのだと。3楽章ではキョンファがよってもって立っているこの音楽、子どもが追いかけ追いかけられ無邪気に戯れているバイオリンの響き、彼女の内なるものに筆者なりの思いが到ったところで、ぐっとくるものがあり涙が出た。それに4楽章、叙情的な囁きかけも。すべてを通じて70歳節目の演奏であるという若くエネルギッシュなキョンファの独自な境地は羨望だ。
キョンファは「バイオリンは最も繊細な楽器で、楽器には命が宿っている」、特に「ガルネリは人間に近い。人間の魂が吹き込まれている」と。
ブラームスの第3番、キョンファがこれを初めて弾いたのは16歳のとき。今はこの曲にハンガリー舞曲の影響を見、今はハンガリーらしさを全面に押し出しているというが、何と、この曲の自分の演奏に「昨晩納得した」というのだ。それは今回のコンサートのための練習のときであってみれば、つい最近の、であり、この曲がそれで新たに進化を遂げたということに。
「美しい夕暮れ」、なにかキョンファの最期はこうありたいという望みがこもっていたような、或いは今の心境をこの曲に託したのだろうか。穏やかに澄んで消えゆく。
キョンファを聴きながら、演奏者というものは、弾き込んでいくうちについには作曲者の魂に接近し、作曲者の魂に接触して、作曲者の魂に共振するといったものかもしれない。ここでは楽器同士の対話を超えて、曲そのもの、作曲者との語らいの方を強く感じさせられた。
それにしても、きのうの「シャコンヌ」、いまも宇宙の広がりをも感じさせてくれる。
チョン・キョンファ、その齢にあっても生命力を脈々とかよわせ咲き続ける花。今回はケナーのピアノにも感動!
🎧名曲アルバム。クープラン「王宮の合奏曲」。(フラウト・トラヴェルソ)有田正広,(チェンバロ)有田千代子,(ヴィオラ・ダ・ガンバ)平尾雅子 ~映像:フランス・ベルサイユ~
この芸術の集合体である宮殿でミサ曲や宮廷音楽を作曲できたクープラン。
⛳いま後番組で「始発物語」を。これがけっこうおもしろい。始発にはどんな人たちがのるのだろうかと。美しい朝明けを左眼尻に7時ジャスト更新
201203 クラシック倶楽部を聴く チョン・キョンファ&ケヴィン・ケナー
巨匠バイオリニスト70歳の記念演奏会。2005年、指の怪我で舞台を離れたキョンファ。その時向き合ったのがバッハだった。5年の活動休止を乗り越え、奏でる音楽とは―チョン・キョンファ待望の来日公演から。けがでバイオリンを弾けなかった時期、彼女はどのように音楽と対じしたのか。70歳となり、改めて自らの音楽作りについて語った珠玉の言葉もご紹介。共演は、キョンファが今、最も信頼するピアニスト、ケヴィン・ケナー。【収録】2018年6月5日東京オペラシティー番組紹介よりー
チョン・キョンファ
1948年韓国生まれ。6歳の時運命の楽器バイオリンに出あう。僅か12歳で家族と離れ、アメリカの名門ジュリアード音楽院で学ぶ。ビユーから50年以上、世界を舞台に活躍。今回は彼女が最も信頼を寄せるケヴィン・ケナーと共演。1970年22歳の時、ロンドン交響楽団アンドレ・プレヴィンと共演し華々しくヨーロッパデヴュー。世界の聴衆から喝さいを受ける日々が30年以上続く。しかし、2005年、突然、活動を休止。左手人差し指を痛めてしまう。これまでともに歩んできたバイオリンを失う。そのとき向き合ったのはバッハの無伴奏作品だった。
コメント
世界有数のバイオリニストになるなんて考えてもみませんでした。バイオリン、特にその音色に魅了されこの年までひたすら情熱を注ぎ、演奏することに喜びを感じてきました。
「人々に音楽を届けたい」この思いが私を駆り立てたのです。
初めてモーツァルトを弾いた幼い日、美しさ、みずみずしさに圧倒されました。
若い頃は夢がいっぱいでした。練習の時も架空の聴衆に向けて音楽を奏で、壁さえも私の聴衆だと感じていました。「音楽を届けたい」という思いに突き動かされていたのです。
指を痛めてからは、楽器をおいて内省すること。頭の中だけで音楽を解釈し、和声を捉え流れを作るこれまでにない練習の日々でした。寝る時もバッハのフーガが頭をめぐり、音楽を構築していました。どの音も沈思黙考から生まれたものです。昔は一音でも間違えると落ち込んだものです。できない自分をどうしても許せなかった。
もはや技術的に完璧な演奏はできません。肉体的な限界を感じます。しかし今の私が求めるのは、心に残る音が響く特別な瞬間を聴衆と分かち合うことです。
若い時は「無の境地」なんて馬鹿にして常に何かを得ようと突き進んでいました。今は「無」こそが自由だと思うのです。
人間の一生は束縛との闘いです。それは受胎の瞬間から始まります。9か月で誕生しお乳をもらうために泣き叫ぶ。そして最初の一歩、大人は感激しますが、赤ん坊には試練です。色々な経験をしながら一生を終える。たった一度の人生をどう生きるか、人生という旅の途中で何を発見するか、そこに深い意味を見出せるかは自分次第。自問自答を続けることが大切で、それなしでは演奏できません。
一音一音を自らに問いかけ生み出す、それが今の私の音楽です。
【曲目】
ヴォカリーズ(ラフマニノフ作曲)
シャコンヌ(バッハ作曲)
バイオリン・ソナタ(フランク作曲)
🎵「ヴォカリーズ」に先立って、キョンファが「この曲は彼(ケナー)が選んだのよ。私はもっと楽しいのにしたかったのに」とジョークをとばす。音がほんとうに活き活きと輝いている。そして「シャコンヌ」。これはもう桁違いの絶品という感じが。まさしく闇を切りひらき、闇を貫くという演奏に感動! フランクの「バイオリン・ソナタ」、これが同じフレーズの循環形式。キョンファはこれぞ「人間の一生」であると。70歳にしてエネルギッシュ。キョンファが巨匠と呼ばれるに相応しい器であることをけさも肯かせられた。
🎧名曲アルバム。ベートーベンの「“エグモント”序曲」東京フィル&渡邊一正 映像はベルギー・ブリュッセル
16世紀のフランドルの繁栄。フランドルの自由を王に訴えたエグモントは死刑に。ベルギーの建国はこの20年後。ベルギーでご活躍の音楽家をここで思いだす。 堀米ゆず子さんはたしかブリュッセル在住。この方、学生の頃にいわての宮古市にいらっしゃったこともある。
⛳雪が遠慮がちに舞いおりてというと月並みな気もして言い換えてみたいのだが、いずれこの静けさ。人が動きだすまえの街をおだやかに包んでいく。6時46分更新。
201202 クラシック倶楽部を聴く コワン&アコカ&金子陽子
ナヴァラ、アーノンクールに学んだ古楽の雄、クリストフ・コワンの演奏で「アルぺジョーネ・ソナタ」をお送りする。現存するアルペジョーネの音色を聴く貴重な機会。「アルペジョーネ」とは19世紀に生まれ、すぐに廃れてしまった楽器。ギターとチェロを合わせたような構造で、シューベルトのソナタにかろうじてその名を残している。今回はコワンが所有するオリジナル楽器での演奏で、世界に二十挺ほどしか残っていないという現存するアルペジョーネの音色を聴く貴重な機会。【出演】クリストフ・コワン,ジェローム・アコカ,金子陽子ー番組紹介よりー
☆「アルペジョーネ・ソナタ イ短調 D.821」シューベルト:作曲
(アルペジョーネ)クリストフ・コワン、(フォルテピアノ)金子 陽子
☆「バイオリン・ソナタ イ長調 D.574」シューベルト:作曲
(バイオリン)ジェローム・アコカ、(フォルテピアノ)金子 陽子
🎵シューベルトは1824年に27歳のとき開発されたばかりのアルペジョーネのために「アルぺジョーネ・ソナタ」を作曲したが、28年に初演されたときには、もうアルペジョーネが廃れており、バイオリンで演奏されたというのだから、アルペジョーネの短命さがわかる。廃れた理由は、別なコンサートのコメントで聞いた気がするが「フレットが固定されているために音程を変えたりビブラートをかけることができない」などの事情がありそう。音を聴いたところでは、幾分軽みのある分、明るさ、懐かしさを感じさせるのだが、この楽器に底深く力強い響きを望もうとすれば限界がありそう。音がストイックに聴こえた部分も。情感豊かな激しさが輻輳するところでは引き込まれた。アコカ言うに「哀愁を帯び神秘的」でもあると。ギターとチェロを合わせたような構造で、シューベルトのソナタにかろうじてその名を残しているという。もともとはオーストリアで開発される。アルペジョーネはいま世界に20挺ある。このコンサートで使用のアルぺジョーネは20世紀になってからミュンヘンで製作されたもので5弦。
このジェローム・アコカのバイオリンも古楽器。弦はガット弦。弓も時代に合ったもの。また金子弾くピアノは、金属製のフレームを持たない古いピアノ。フォルテピアノは音の強弱の幅が狭いので繊細なタッチが求められるという。金子のHPには「コワンたちとの共演では、フォルテピアノのもつ限りない表現の可能性と室内楽のあるべき真の姿を共に提示した」とある。古楽器。モダンのような華麗さにはちょっと距離を置くけれども、遠い時代の空気感、絹の手触りの音色で安らぎをくれる古楽器たち。古楽器は照明が当たるだけでも音程が不安定になる」と。温度、湿度の変化に敏感な楽器、長時間の演奏は冷や汗ものなのかも。
古楽器というと格別に耳をすますというのはなぜだろうと自分に問うてみると、モダンのような華麗さには届かないところがあり、時として肩透かしに遭うときも。それはやはり湿度などの影響による楽器本体自体の調子によるのだけれども。優しい。和む。この感じかなと。アルペジョーネとなるといかに希少でシューベルトのお気に入りといっても楽器の陳列をメディアなどで見ただけではそれは楽器ではないわけで、弾いてくれる音楽家がおり、これが唯一聴く機会となれば集中力はキュッと。「アルペジョーネ・ソナタ」、第2楽章の高音弦2本の音に、シューベルトの音の悦びはこの辺りにも、そして第3章の名旋律に、ここはこの楽器ありてありの部分なのかもなどと想像しながら聴く。
🎧名曲アルバムはベートーベンの「熱情」。横山幸雄のピアノにじ~ん。映像に捕えられて音楽が掻き消えることがある。ところがベートーベンの曲が映像にかき消されたことはない。ベートーベンのすごさはここにも。
⛳ 脱コロナをめざしたい。注意事項は遵守しつつ、自分の気分のありようを脱コロナに持って行きたい12月。クリスマスが明ければ寒さは続いても少しずつ日は長くなる。6時45分更新。
201201 クラシック倶楽部を聴く 堀米ゆず子&児玉桃
ベートーベン不朽のバイオリン・ソナタ「春」と「クロイツェル」。出会いから30年、共演を重ねてきた堀米ゆず子と児玉桃。世界的演奏家による円熟の響きをお届けする。 ベートーベン生誕250年の節目に堀米ゆず子と児玉桃が取り組んだバイオリン・ソナタ。新型コロナウイルス感染拡大のため、半年も演奏活動ができなかった二人が久しぶりに音楽で対話する。ベートーベンについて、お互いについて語ったインタビューもご紹介。【曲目】バイオリン・ソナタ「春」から、バイオリン・ソナタ「クロイツェル」(いずれもベートーベン作曲)【収録】2020年10月16日 武蔵野市民文化会館大ホールー番組紹介よりー
堀米ゆず子は東京都生まれ。桐朋学園大学音楽学部を卒業。1980年、日本人として初めてエリザベート王妃国際音楽コンクールで優勝。ベルギー、ブリュッセルに在住。ブリュッセル王立音楽院客員教授。使用楽器は、1741年クレモナにて製造された「ヨゼフ・グァルネリ・デル・ジェス」。
児玉桃は幼少の頃よりヨーロッパで育ち、パリ国立高等音楽院に学ぶ。1991年、ミュンヘン国際コンクールピアノ部門で最年少で最高位獲得。
ふたりはベルリン・フィィルなどと共演。国際舞台で活躍。出会いから30年近く、度々共演を重ねる。ベートーベンの「春は」そんなふたりが最初に取り上げた作品。
コメント
児玉:とても楽しみにしてましたんで、ベートーベン250年ぎりぎりに、ベートーベンいっぱいだったはずなのが、結局半年ぐらいぜんぜんそういう動きがなくなってしまいましたので、改めて音楽の力、ベートーベンの力というのは、250年関係あってもなくてもすばらしい。堀米:やっぱり力を与えてくれるというか、元気、鼓舞してくれるような音楽。生命力、わたしがベートーベン弾くときにいちばん感じるのは、彼の調性によるファンタジーなんですけど、「調性を生きる」という言い方もするんですけども、(聞き取れなかった事項三つ。出来上がった音楽のタイプ、性質をいっているかと。間違えてもと割愛)、こういうふうにしてそれと一緒に動いていくと、それが自ずから力になるというか、もちろん計算されているんでしょうけども、わたしはそれよりももっとなんかファンタジーというのかな、そういう即興性みたいな転調の感じがします。そういうふうにして聴いていくと新鮮な感じがする。
クラシック音楽ってやっぱり調整によって表現されるものが多いと思うんですけれども、ハーモニーに和声、……でやりやすいのはやはり、ベースを弾いてくださるからそれに乗っかっていけば音楽ができていくというところがありますよね。
児玉:わたしは逆に表現の仕方がスフォルツァンドでもいろんな表現の仕方がありますので、それをピアノで想像してイメージして、こうペダルとか、一つの音でリンメンドはできても、音は消えていくので音の中でクレッシェンドというのは難しいんですよね。それをだからなんかこう想像でそれをまねしようとするのがとても表現の広さにつながりますし、自分なりに解釈しようとして音に出すのにやっぱり、ゆず子さんとか……聴いて実現するように努力してます。いつもうまくはいかないですけど、それが理想としてます。すゴばらしいゆず子さんと音楽を届けることができるというのは何と幸せなことだろうとまた今日つくづく思いました。
🎵国際的な賞を獲得した方々、日本からいなくなっちゃうな~という思いが。やはり向こうの方が音楽的に活躍できる土壌があるということなのだろう。堀米ゆず子、いまどこでどうしてる? にこたえてくれたけさの番組。堀米ゆず子の今を聴くことができた。「クロイツェル」、バイオリンとピアノが双方相まってこちらに攻めこんでくると感じられたところで捕まった。ことばがもう向こうの速いテンポ。ベルギーはけっこう数か国語が話されていると思ったが、オランダ語、ドイツ語、フランス語が公用。もう半分以上は向こうの人になられちゃったかなとコメントを聞きながら思った次第。こうして現役を保つことができる凄さを思った。
🎧名曲アルバム。「もみの木」。編曲ニウナオミ。「もみの木」(合唱)東京少年少女合唱隊Jr.シニア&ユース・コア,(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団,(指揮)円光寺雅彦 ~ドイツ・ザクセン州~―番組紹介より~
🎵クリスマスの定番曲。「もみの木 もみの木 おまえはいつも枯れない……天に向かって真っすぐに伸びる」。クリスマスは質素に穏やかに過ごすのがドイツ流だとか。ドイツ民謡。凛とした清々しい魂を持った作曲者がいたに違いないと思われる一曲。
⛳はや師走。なにか心せくが、やはり連日のコロナ報道に、コロナに罹らないまでもどこかがコロナ病。停滞の“風”に流されている感覚も。それこそもみの木のように、せめて天には抜けて日々を過ごしたいもの。11時15分更新。
最近のコメント