きょうのことば
インマヌエル盛岡キリスト教会2020年8月30(日)のメッセージをおつたえいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で47年目のご奉仕をしておられます。
説教題 『神のすべての武具』(國光勝美牧師)
聖書個所 新約聖書 エペソ書6:10~20
10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。11 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。14そして、堅く立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、15 足には平和の福音の備えをはきなさい。16 これらすべての上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。17 救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。18あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。19 また、私のためにも、私が口を開くときに語るべきことばが与えられて、福音の奥義を大胆に知らせることができるように、祈ってください。20 私はこの福音のために、鎖につながれながらも使節の務めを果たしています。宣べ伝える際、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。
<説教>
この朝はエペソ6章11節、特に、「神のすべての武具を身に着けなさい」を中心に恵みをいただこうと導かれております。
このエペソ人への手紙は、パウロが、福音を宣べ伝えていることで当時の人々から反発を受けてしまい、ローマの獄中に囚われの身となった数年間に書かれました。獄中にあって教会宛に書いたお手紙、それがエペソ人への手紙、或いはコロサイ人への手紙等などですが、それが獄中、或いは幽囚書簡と分類されております。パウロは、自分を監視しているローマ兵たちを日々目にしながら、この福音が、それぞれの教会にしっかりと伝わりますようにとの願いを込めて書簡を認めていたわけです。そしていよいよ、エペソの教会宛の手紙が締めくくりに差しかかったときに、
10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
彼はこう記しました。
ローマの兵隊たちは、パウロの日常のあり方、生き方に感銘を受けるようになり、回心をし、救われる人たちも出て来ました。そして次の任地に赴いたときには、このパウロの福音を告げ知らせたので、兵隊たちの間にキリストの福音が伝わっていくようになっていたのです。
何れパウロは、エペソ宛の手紙の筆を置こうとするとき、エペソの人たちがどうか信仰を守り通してしっかりと立ってもらいたいという願いをこの書簡にこめたわけです。
「終わりに言います」、これは、さあいよいよ心してくださいね。「主にあって、その大能の力によって強められなさい」。「主にあって」、つまり、キリストご自身のその大能の力、イエス様ご自身を自分のあり方に当てはめる。キリストご自身の信仰によって強められなさい。これは、前回もすこし触れたところでありますけれども。私たちの信仰はつまずいたり転んだりしてしまうような信仰でもある。そうしたくなくても弱い私たちはそういう信仰ですけれども、しかし、イエス様が持っておられる、イエス様が父なる神様に対して持っておられる信頼に満ちたゆるぎない信仰、その大能の力によってどうか強められなさいといっている。あなたたちを取り囲んでいる悪魔、サタンはほんとうに大きな力を持っているから、だからどうかどうかキリストご自身の信仰によって強められなさいというのが10節にあるわけです。
そして11節「 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい」。
「悪魔の策略」、これは私たちの信仰を阻もうとする勢力、悪魔の、サタンの勢力であります。悪魔は巧緻に長けており、警戒心を起こさせないような姿で近づいてくる。あのイエス様でさえ、あの荒野の40日の誘惑に遭いました。イエス様さえも信仰を試みられました。まして私たちが試みに遭うのは当然。誘惑に遭う事自体は罪ではない。もしそれが罪だとすればイエス様の40日の誘惑は罪であることになってしまう。そんなことはない。誘惑に遭うことは罪ではない。
では何によってその悪魔の策略に勝つことが出来るのか、そこが大切なところです。
12節に「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものですとある。悪魔はこの世の目に見える類の者ではなく、この世の暗闇の支配者たち、天上の諸々の悪霊です。悪魔の支配も神の範疇にあるのですが、被造物世界を牛耳っている。この世の神と呼ばれる悪魔が私たちを滅びへと追いやってしまう。この世には暗闇の支配者たちが満ちている、このことを知っているだけでも、心に留めるだけでも意味があると思います。私たちのほんの僅かなスキを悪魔は決して見逃さず、何とか信仰の道から背けよう背けようとする。そんな勢力が私達を取り巻いている。私たちが教会の礼拝で恵まれて、きょうは悪魔との戦いについて勝利の秘訣をいただいたと感謝して教会の扉を出たときに、もうそこにバナナの皮でもあったかにスッテンコロリンとひっくり返ってしまうような、ほんとうに、それほどに悪魔は私たちのスキを狙っているのですよと、パウロはエペソに代表される教会に、「こういう人たちの中にあって、どうかしっかりと立ってください、堅くたってください」と勧めているのです。
そして13節「 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい」。
続いて14節、15節というようになっていきます。
正確にいうとこの前の聖日のときには、この部分のところまで大急ぎに学び、このことをこんどは次の聖日に、つまり今日の礼拝のときに深く学ばせていただきますと申しましたが、「堅く立つ」という意味がこういう意味であることを確認していただいて、さあ、それでは神の武具というものに具体的に眼を留めていただきたいと思っております。
14節から腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、15 足には平和の福音の備えをはきなさい。16 これらすべての上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。17 救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。
次の絵ですが、パウロを監視しているローマの兵隊の日常的なすがたを借りて、パウロはローマの兵隊がどういう武具を身に着けていたのかを一つひとつ当てはめていったわけであります。
先ず「腰には真理の帯」、これがいわゆるベルトですね。ベルトがきちっとしていなければ困ります。さて、つぎのところは「胸には正義の胸当て」、これは心臓部分を守ってくれるものです。それからもう一つ「平和の福音」、ローマの兵隊の履物ですね。そして、「信仰の盾」。それから「救いのかぶと」、ヘルメットですね。そして「神のことば」。このように14,15、17節に神の武具ということが記されてあります。きょうはそのところをもうすこし詳しく見ていきたいと思います。
「真理の帯」、せっかくきれいに着たら、帯できちっと締めないとそれはだらしがない。やはり最初に帯がきちっと締まらないと。帯は大切です。私は高校時代に必修で柔道をさせられました。やったことがありませんから勿論白帯です。おお、これが柔道か。帯をぐっと縛ったことが強く印象にあります。ここでいう「真理の帯」というのは福音の真理といっていいでしょう。私たちが福音の真理によってぐっと締める。そしてエペソの4章21節「ただし、ほんとうにあなたがたがキリストに聞き、キリストにあって教えられているのならばです。まさしく真理はイエスにあるのですから」。
その福音の真理とは何ですか。イエス・キリストが私の罪のために私を愛し救うために十字架の贖いの死を遂げてくださったこと、そしてそれを見事に成し遂げてくださった復活、主の福音とは十字架と復活というこの大切な福音の真理です。これによって私たちきちっといま腰の真理のひもを縛っているでしょうか。
話しているうちにまた思い出しました。こんどは大学時代にラグビーを選択させられてしまいました。グランドでの初めての授業で、使い古したネクタイをもってくるようにと言われました。ぶつかったときに金属のベルトは傷がつく、相手も傷つけるので、ぜったいにバックルのようなベルトはダメだというのです。使い古しがなかったので、新しいのを持って行きましたが。ネクタイはきちっと締まるものですね。
みなさんどうですか。福音の真理の帯がきちっと締められているでしょうか。それは、私たちの贖いの十字架と復活の主イエスさま、これは、わたしたちの回心経験が確かであること、また潔めの経験、これはきょうは詳しくはお語りしませんが、きちっとした締めた経験、しかしそれがだんだん緩んでくる。締め方が悪い。しかしそのときに、潔めというものをしっかり理解していきますと、くっとしまりが良くなる。どうか先ず皆さん方にきょう、真理の帯がきちっと自分に巻かれていることを確認していただきたい。それからもう一つ、こんどは、胸には正義の胸当て、心臓を守る。大切な命をまもるところの胸当てです。きちっと自分の大切な命を守る物として胸当てを着けていますか。「正義の胸当て」、悪魔がやってきてもだいじょうぶですか。火矢を打ち込んできても悪魔と戦ってもこの胸が守られているか。これです。キリストの義です。私たちは弱いものです。しかし、私たちの義ではなくキリストの義が、イエス様ご自身が私たちのなし得ぬ律法を全うしてくださる。できない私たち。しかしイエス様は、律法の義を完全に守って下さって、守ることができた神の仔羊なるお方が、私たちの身代わりになってくださる。神の義とキリストの十字架の贖いこそ私たちの義そのものであります。「キリストの十字架はわが罪のため」というこの信仰による神の義、キリストの義をしっかりと身につけるときに、悪魔がどんなに火矢を放ってきても、私たちは守られる。
ローマ8章33節「だれが神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです」。
そうです。悪魔は私たちを夜昼神の前に訴える者なのです。しかし、神が義と認めてくださる。神が「この者は、十字架に架かった私の子ども御子キリストがわたしのためだということを信じています。だからその信仰に免じてこの男は神の前に義なる者です」。こう赦免してくださる。キリストの義を私たちはしっかりと持つことです。そうしていれば、夜昼神の前に訴えるサタンが来ても、キリストの義を私たちの胸当てとしてしっかりと持っているならだいじょうぶ。
こんどは足です。「平和の福音」とあります。
ローマ10章15節「遣わされることがなければ、どのようにして宣べ伝えるのでしょうか。「何と美しいことか。良い知らせを伝える人達の足は」
こう書いてある。
「平和の福音」、何とすばらしいことか。イエス・キリストは、あなたのために十字架に架かりよみがえってくださり、永遠のいのちを与えてくださるというこの福音を宣べ伝える、何と幸いな事でしょう。その足。このローマ10:15のもとになっているおことばが
イザヤ52章7節 良い知らせを伝える人の足は山々の上にあって、なんと美しいことか。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神が王であられる」とシオンに言う人の足は。
どうかこのローマの兵隊の履いている靴、足。私たちを、この福音を伝える、よい訪れを伝える足としての武具を持たせていただきたいと思うのです。そして、「盾」。これは信仰の盾です。この盾は悪しき者の火矢を消すことができる。
16節「これらすべてのうえに信仰の盾を取りなさい。それによって悪いものが放つ火矢をすべて消すことができます」
前回の礼拝でも申しました。私たちの信仰という以上に、イエス様が父なる神様にもっておられる信頼と信仰が私の信仰である計算すること、当てはめること。私の弱い信仰ですとすぐに砕かれてしまう。だけれども、信仰は計算です。カウントしましょう。イエス様のもっておられる信仰を、「イエス様お借りします。あなたの持っておられる信仰が私の盾です」とするのです。
詩編の112篇7節「その人は悪い知らせを恐れず、主に信頼して心はゆるがない」112:8「その心は 恐れることなく、自分の敵を平然と見るまでになる」。
どうか私たちも今週また、色々なサタンの火矢が撃ち込まれてくる、取り囲まれている中にありますけれども、イエス様の信仰を我が信仰とし、しっかりとこれに立たせていただきましょう。
「救いのかぶと」、これは頭です。いちばん大切な頭部を守るヘルメット、この救いのかぶとをかぶるように。
エペソ2:8「この恵みのゆえにあなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなた方から出たものではなく、神の賜物です」。この救いの賜物をしっかりとどうか頭にヘルメットとして被らせていただこうじゃありませんか。そして、最後は「御霊の剣」、即ち神のことばをとりなさい。これはいちばん最初のとき申し上げました。イエス様が悪魔と戦われた荒野の40日のようすを見てください。
マタイ4章1節
4:1それからイエスは、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。 4:2そして、四十日四十夜、断食をし、その後で空腹を覚えられた。 4:3すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」 4:4イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」 4:5すると悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、 4:6こう言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。『神はあなたのために御使いたちに命じられる。彼らはその両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする。』と書いてあるから。」4:7イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない。』とも書いてある。」 4:8悪魔はまた、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての王国とその栄華を見せて、 4:9こう言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう」 4:10そこでイエスは言われた。「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい。』と書いてある。」
このようにイエス様は、神のことばで応戦をしていきました。私たちに、これらの神の武具の身支度が整っているでしょうか。まんがのような例話ですが、「あのことばはどこだっけ」。いざ御霊の剣を抜こうとしたところが、錆ついていてなかなか抜けなかったらどうでしょう。みことばの、これどういう意味だっけ。どうかイエス様のように、切れ味鋭い神のおことばをもって応戦していきたいですね。悪魔はこの瞬間も私たちのスキを狙っているのです。
この神様の武具である帯、正義の胸当て、平和の福音、救いのかぶと、信仰の大盾、そして神のことば。私はこれらのことを自分にあてはめるときに、どうかイエス様の十字架の贖いの血潮によってこれらをきよめてくださいと祈ります。その昔、血を振りかけてもらって潔められたように、これらの武具を聖別し潔めて身に着けさせてください、こうお祈りをして神のすべての武具を取らせていただきたいと思っております。
⏰先週は学びのために他出、これが年に1回の日帰りの他出となりましたが。録音、画像を教会からお借りし、いつものように起こし、文章化するために編集いたしました。5時18分更新。
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