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2020年9月

200930 200930  クラシック倶楽部を聴く アラカルト、タリス・スコラーズ他

タリス・スコラーズ(声楽アンサンブル)透明な声で世界を魅了する二期会サマーコンサート珠玉のオペラ・アリアをご紹介ニコラ・アンゲリッシュ【曲目】わがハープは悲しみの音にかわり(ロボ作曲)ほか歌劇「ランメルモールのルチア」から「わが祖先の墓よ」(ドニゼッティ作曲)ほかピアノ・ソナタ第14番「月光」ほか【演奏】タリス・スコラーズ小林菜美/中島康晴ニコラ・アンゲリッシュ(ピアノ)―番組紹介よりー

 

🎵タリス・スコラーズは遅れて最後部分だけを視聴。10人の声楽アンサンブルの澄んだ歌声。ゲレーロの曲であったかビクトリアの曲であったか、聴き分けられずじまい。短くとも朝の静謐さによく透る澄んだ声の存在感。

二期会、正会員、準会員合わせて2,700人という。ソプラノの小林菜美、「花を分けましょう」(トマ)で「炎のまなざしをもつニンフよ、おまえは青い水の底で……」と美しい詩をよみがえらせる。テノールの中島康晴の「我が祖先の墓よ」、敗北の歌なのだが墓にくだって後までの心境を切々と。

ニコラ・アンゲリッシュのピアノはブラームスの「幻想曲作品116」人生の諦念と響く。ベートーベンの「月光」、第3楽章が達観した感じが。

 

🎧名曲アルバム。ダニーボーイ。1851年ジェイン・ロスが採集。坂本美南の歌。イギリス軍によって命を落とした人々が葬られた墓地の映像が印象的。

詞の抜粋
さて おまえが帰るころには 花々はみな 枯れているだろうか
くたびれようとも、 枯れていようとも
おまえも尋ねに来ておくれ 私が眠る その場所を
ひざをついて  私にあいさつをしておくれ

さぁ 聞かせておくれ、私のうえでやさしく響く足の音を

⛳いつものように7時前に書こうとすれば書けたのだが、ま、後からでも、がこんなに遅くなってしまった。9月もきょうで終わる。5分遅れでも、9月も聴きとおしたことになる。沿岸に住む友だちもクラシック倶楽部を聴くようになった。彼女は介護の真っ最中なのだけれども、聴くようになってから心楽しく一日を始められるとの便りがあった。

2028分更新

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200929 クラシック倶楽部を聴く  タカーチ弦楽四重奏団&ヴィジョン弦楽四重奏団

アラカルト弦楽四重奏団タカーチ弦楽四重奏団1975年ハンガリーで結成。豊かな弦の響きで世界屈指の人気と実力を誇るヴィジョン弦楽四重奏団2012年ベルリンを拠点に結成。幅広いレパートリーとチェロ以外の全員が立奏する自由なスタイルで人気を得る。【曲目】弦楽四重奏曲ヘ長調作品96「アメリカ」(ドボルザーク作曲)【曲目】弦楽四重奏曲第4番(グラジナ・バツェヴィチ作曲)、Opus2(ザンダー・シュトゥアート作曲)―番組紹介よりー

タカーチ弦楽四重奏団:アンドラーシュ・フェイェール(チェロ)ハンガリーのリスト音楽院のアンドラーシュ・ミハーイに師事する学生たちによって結成された。1977年、エヴィアン、ポーツマス両国際コンクールで優勝、翌年ブダペスト国際弦楽四重奏コンクールで1位無しの2位を獲得。

エドワード・ドゥシンベル(ヴァイオリン)
ハルミ・ローズ(ヴァイオリン)
リチャード・オニール(ヴィオラ)
アンドラーシュ・フェイェール(チェロ)

 

ヴィジョン弦楽四重奏団
クラシックの王道的な作品に加えて、自分たちのオリジナル楽曲や異なるジャンルの楽曲をアレンジしたものなど、多岐にわたる。VSQはこのユニークな音楽活動を通し、現代におけるクラシック音楽の表現のしかた、またその受容のされかたに関して、新しい世代と昔からのクラシック・ファンとを結びつけ、包括的に取り込む使命を負い、前進している。プログラムは全て暗譜、立奏するという独特の演奏スタイルは、音楽とのより強い一体感を感じさせ、鮮烈な印象を与えるとして賞賛を集めている。


ヤーコブ・エンケ (ヴァイオリン)
ダニエル・シュトル (ヴァイオリン)
ザンダー・シュトゥアート (ヴィオラ)
レオナルド・ディッセルホルスト(チェロ)

🎵タカーチの「アメリカ」、ドボルザークが黒人霊歌やチェコの民謡を取り入れて作曲。第一楽章のビオラ、第二楽章の出だしにぞくっと。熟練の新鮮さ、重厚さ。旨味が。
ヴィジョンの「弦楽四重奏曲第4番」。作曲家グラジナ・バツェヴィチ(19091969)は、Wikipediaによると「ポーランドの女性作曲家ヴァイオリニスト。ポーランドの内外で国際的に認知された最初のポーランド人女性作曲家である。父親はリトアニア人音楽家で、兄ヴィータウタス・バツェヴィチュスリトアニアの、もう一人の兄キェイストゥットはポーランドの作曲家になった」。「弦楽四重奏曲第4番」で1951年度リエージュ国際弦楽四重奏コンクールに優勝している。聴いていると、とても女性が作曲したとは思えない。これは女性に対する認知度の低さによるのかもしれないけれども。第一楽章は危機的な予感をはらんだ旋律が、何だろう、次に何が起こるのだろうかと展開に固唾をのむような心境を抱かせる。第二楽章でのああか、こうかの模索。第三楽章になると、こちら側がそろそろ明るい旋律になって欲しいと思い始めるのだが、漸う光の屈折が。叙情を排したかにも聴こえるが、とにかく最後まで聴かせられるのだ。魅力的な曲。
「Opus2」、これがヴィジョンのメンバーであるザンダー・シュトゥアートの作曲。鼻歌を歌いながら道を行く。クラシックとポップスの中間域なのか。確かに快活で開放的で鮮烈。観客席には、室内楽にはあまり見られないスタンディングオーベーションも。

 

🎧名曲アルバム。「ノクターン」ボロディン作曲。ロシアの作曲家ボロディンが、妻への愛を託した曲。生まれつき体の弱い妻に寄り添う、夫の慈愛に満ちたまなざしが切々とつづられている。【演奏】クァルテット・エクセルシオ。ロケ地:サンクトペテルブルク、ウラディーミルー番組紹介よりー

🎵夫ボロディンが心臓発作で亡くなった4か月後に妻エカテリーナも。夫の死後長く生きながらえなかった妻と生きながらえた妻との違いは……。

⛳7時ジャスト更新

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200928 クラシック倶楽部を聴く  アロド弦楽四重奏団

フランスの若手カルテット、アロド弦楽四重奏団。パリ国立高等音楽院で学んだ4人により2013年に結成された。アルテミス、エベーヌなど著名なカルテットの指導を受け、名だたる国際コンクールで次々と優勝。今最も注目される弦楽四重奏団のひとつ。アロドは「指輪物語」に登場する白馬に由来。ー番組紹介よりー

アロド弦楽四重奏団 演奏会
20171214日 王子ホール~
アルテミス弦楽四重奏団やエベーヌ弦楽四重奏団に学ぶ。2016年ミュンヘン国際音楽コンクール第一位。
(第一バイオリン)ジョルダン・ヴィクトリア、(第二バイオリン)アレクサンドル・ヴ、(ビオラ)コランタン・アパレイー、(チェロ)サミー・ラシド。


ジョルダン・ヴィクトリア 弦楽四重奏は傑作の宝庫です。4人でそれを好きなだけ時間をかけて仕上げていく自由さがいい。4人のソリストが共演しているような4人だけですべてを作り上げていく感じです。ただいつも一緒にいるので険悪な雰囲気になることもあります。夫婦や恋人と同じで、いい時もあれば悪い時もあります。

アレクサンドル・ヴ クラシックの演奏家でも弦楽四重奏は日頃から聴いているものではありません。だからその魅力に目覚めたのは偶然です。学校でもソリストやオーケストラ奏者などは育てますが室内楽はあまり教えてもらえませんでした。でも私たちは弦楽四重奏の虜になってしまった。ジョルダンがいうようにたった4人で理想的なサウンドを作り上げていく。音楽をどこまでも深くほりさげられるのが魅力です。それはオーケストラでも可能ですが、演奏者が多いうえに練習時間も限られています。だから曲を徹底的に掘り下げられない事が多いのですが4人ならできます。弦楽四重奏は「分かち合いの精神」が大事です。良いことも悪いことも常に4人で分かち合える。これが弦楽四重奏の魅力です。

コランタン・アパレイー ビオラ奏者にとって弦楽四重奏は魅力的です。響きに膨らみをもたせたり旋律を奏でたりするビオラは変幻自在のカメレオンのようで面白い。弦楽四重奏はどんなビオラ奏者も満足させる編成です。

サミー・ラシド 弦楽四重奏は他の音楽に比べて近寄りがたいという印象を持たれやすい。作曲家にとっても非常に難しい音楽です。哲学的だったりメッセージが複雑だったりするので難解な音楽だと思われて避けられがちです。でも終演後、初めてクラシックを聴きに来たお客さんの多くが「何て美しい音楽!」と感動を伝えてきます。人に希望と感動を与える音楽だから引き続けなければいけない、将来性を信じています。

 

「弦楽四重奏曲 ニ短調 K.421 から 第1楽章 第4楽章」モーツァルト:作曲
20
代半ばのモーツァルトが、敬愛するハイドンの弦楽四重奏曲に刺激を受けて書いた作品。他にも5つ作曲され、まとめてハイドンにささげられた。現在それはハイドン・セットと呼ばれ、モーツァルトの後期の傑作として親しまれている。
「弦楽四重奏曲 第2番 イ短調 作品13メンデルスゾーン:作曲
メンデルスゾーンは生涯で7つの弦楽四重奏曲を遺した。第2番は「夏の世の夢」序曲が書かれた翌年18歳で作曲された作品。尊敬するベートーヴェンからの影響も見られ若きメンデルスゾーンの意欲があふれている。

🎵4人のコメントから、ビオラの役割についての認識が変わる。きょうは意識的にビオラの音を拾って聴いた。これまではチェロだったけれども。変幻自在のカメレオンの顔を聴いた気が。「弦楽四重奏曲第2番イ短調」の深い掘り下げに感動。協奏が狂走とも聴こえるところ、それが火花さえ散らして駆けるのだが、音響と化した抑制力が聴こえ、せめぎあい、美のせめぎあいといった観を呈している。深く濃い演奏だった。

「弦楽四重奏曲 第2番 イ短調 作品13」はメンデルスゾーン18歳で作曲。当時あまり顧みられなかったベートーベンの後期弦楽四重奏曲に大きな影響を得ての作曲であるようだ。グイッと迫る第4楽章は、「ベートーヴェンの『弦楽四重奏曲第15番』を下敷きとして作られているとWikipediaにある。
 

🎧名曲アルバム。マーラー「アダージェット」。イタリアの巨匠、ヴィスコンティ監督の映画「ベニスに死す」。神秘的な「アダージェット」の旋律は、倒錯の世界に身を滅ぼしてゆく芸術家の姿を、より甘美に映し出す。【管弦楽】NHK交響楽団,【指揮】広上淳一

表記上のヴェネチア散策はこちら。見てみたいのは14世紀のヴェネチア。

⛳6時40分急ぎ更新。きょうは快適に過ごせそうな天気予報。

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きょうのことば

 インマヌエル盛岡キリスト教会の2020年9月20()の礼拝メッセージをおつたえいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で47年目のご奉仕をしておられます。

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 説教題 『内なる人は日々新たに』(國光勝美牧師)
聖書個所 新約聖書 第二コリント4:1618

4:16ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。 4:17私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べ物にならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。 4:18私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。

<説教>

 この一年ほど信仰の試みを受けたことはなかったと振り返っております。天に召されました姉妹のこと、そしていま戦いのさ中にある事ども。信仰していても病気にもなるし課題もある。このようなとき、信仰というものについ疑問を抱いてしまうことはないでしょうか。こんなに祈っているのに、教会でもあんなに祈っているのにと。そして神様はそのことをご存知です。

 旧約聖書にヨブ記があります。人間のありとあらゆる苦難に直面し信仰を試された代表的な人物ヨブ。神様がヨブほどすばらしい信仰の器はいないと誇れば誇るほどに、悪魔は神様に対する挑戦を募らせます。神様が仰ることに対してサタンは言います。ヨブ19節「ヨブは理由もなく神を恐れているのでしょうか」。この次には「10あなたが、彼の周り、彼の家の周り、そしてすべての財産の周りに、垣を巡らされたのではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地に増え広がっているのです。11しかし、手を伸ばして、彼のすべての財産を打ってみてください。彼はきっと、面と向かってあなたを呪うに違いありません」と続くのですが。

 9節にある「ヨブは理由もなく神を恐れているのでしょうか」を幾つかの訳で見ますと、「いたずらに神をおそれましょうか」或いは「ヨブが利益もなく神をおそれるでしょうか」とあります。もうこのことばはうなずけることです。つまり、人が神様を恐れるのは利益があるから、守ってもらえるから、いいことがあるから、だから神様を信じている、詰まるところ、それが人の信仰なんでしょ、違いますか神様、サタンはこう神様に反論するわけです。実はこれが、もう時代を超越しての継続的なサタンからの挑戦です。どの時代の人々にも圧倒的で継続的、永続的なサタンからの挑戦であります。

 このように思いめぐらしていたときに、朝、起きがけに与えられた御聖言(おことば)が、詩篇104篇34と33 「われエホバによりて喜ぶべし ... エホバをおもふ わが思念は たのしみ深からん」。このおことばが心の中にふと通ってきたのです。新改訳2017では詩篇33、34「私はいのちの限り主に歌い生きるかぎり私の神をほめ歌います。私の心の思いが みこころにかないますように。私は主を喜びます」

 私には文語訳の方でこのおことばが深く示されましたが、別訳でもほんとうにアーメンでした。「私はいのちの限り主に歌い生きるかぎり私の神をほめ歌います」。これは何かいいこと、ご利益があったからの信仰ではない、神様を讃美し、生ける限り褒め歌を歌う。私の心の思いが御心にかないますように。私が主を喜びます。神様ご自身を喜ぶ。これを文語訳に裏付けられて味わうと、深く納得できます。神様をおもう私の思いは楽しみが深い。私は神様によって喜ぶ。ああそうだ。そうだなのだ。納得でした。

 神様に答えてもらいたいのにまだ答えられていないこのようなときに、私の信仰とは、それは、神様を喜ぶこと、これこそが大切な神様に喜ばれる信仰なのだ。まごついてはならない。まごつくと継続的に今日的な圧倒的な力をもって迫ってくる不信仰なささやきに足を掬われてしまう。「エホバをおもふわが思念は楽しみ深からん。われエホバによりて喜ぶべし」。このおことばに感謝の念が湧いてきました。そして今回の敬老の日のためのメッセージ、聖日のために第二コリント4:1618が心に留まりました。どうぞ目を留めていただければと思います。 

第二コリント4:16ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。

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 神様を中心に霊と心と体がしっかりと結びついている、これが外なる人です。これはもちろん肉体的な体を意味しております。内なる人というのは、霊とか心という見えない部分、それを表しています。この内なる人と外なる人が、神様を中心にゆるぎなくバランスがとれている、これがいちばん理想とする人間のあり様です。そして主を喜ぶこと。ネヘミヤ記にあります。「主を喜ぶことは汝らの力かし」。神様をぴたりと中心にすえるときに、外なる人と内なる人がバランスよく組み立てられていく。

 

 外なる人。これは崩れやすい土の器です。それを認めざるを得ません。これは齢と共に実感するところでもある。加齢現象が起きてきます。避けることができない。自分は健康的な生活をしているという自負はあるのですが、やはり壊れやすい土の器である。その管理に心を配るのは絶対に必要なことです。

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 こんどは内なる人。「4:16内なる人は日々新たにされています」。そして「4:17私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べ物にならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです4:18私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです」。心からアーメンと言いたい。私たちは、一時的なことに一喜一憂するんじゃない、比べ物にならないほどの重い栄光を受けているのです。

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 私が以前に証ししたことですが、ある方の手術を待っている最中に、さまざまな状況から、ついに死というものを受け入れました。受け入れたそのときに、「われ生くれば汝も生くべければなり」というおことばが与えられました。復活の主のご臨在があるその事実。ああそうなんだ。人はみんな死ぬんだ。その時の「われ生くれば汝も生くべければなり」というおことば、これがどれほど大きな力となったことか。「日々新たにされる」というのは、そういうことをいうのだと思うのです。日々新たにされるという内なる人、先ほどの例でいうのなら、「われエホバによりて喜ぶべし ... エホバをおもふ わが思念は たのしみ深からん」。「主を喜ぶ」私を、おことばを通して日々新たにしてくださる。私に復活のいのちと、生ける希望を与えてくださる。

 その内なる人を強くするにはどうすればいいのでしょうか。もし皆さんご存知の河村襄先生に訊いたなら、即座に「恩寵の手段です」と仰るでしょう。聖書に親しみ、集会に励み、祈りに励み、奉仕に励むこと、これが所謂恩寵の手段です。

 このことを踏まえたうえで、私は「朝に鏡を見て一日にの身だしなみを整えること」と申し上げたい。外なる体においてそうだとするならば、一日を始めようとするときに、聖書を開いて自らと照らし合わせて、神様の前に内なる人を整えていく、これが河村先生がいう恩寵の手段である。毎朝鏡を見る。聖書という鏡を見て、聖書から神様のおことばによって照らされて、自分の心の状態をチェックします。そうか「主を喜ぶことはあなた方の力」。そのようにおことばを通して鏡を見る。このことが為されるとき、内なる人は日々豊かに新たにされていきます。私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留める。見える者は一時的であり、見えないものこそが永遠に価値のあるものなのです。このことに目を留めたいと存じます。

 

※画像は教会からお借りしています。

⏰6時53分更新

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雑感

参考のために5時半から、クラシック倶楽部は5時からだが、いつもの30分遅れでJ-MEROを一とおり聴いてみる。
フレッシュMay J. そしてゲストは
BOYS AND MEN、鈴木愛理。

BOYS AND MENが「ミラクル起こす準備はできた」「ドデカイ夢叶えようぜ」と歌えば、鈴木愛理が「もうそろそろ夢見がちなメロディはやめよう」と現実に目覚めかけつつも突っ走りそうな心境を歌う。どちらの夢も心境もリモート、SNSに閉じ込められ、その中でのみ流れている今。

 それにしても、このコロナ禍がもたらしている深刻さ、行政に数字としてあげられる訴えの埒外にある現実の数々は!

 

7時更新

 

 

 

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200925 クラシック倶楽部を聴く  新倉瞳 チェロ・リサイタル

「自分のできる精一杯をやるしかない」新倉瞳が奏でるチェロの名曲集新型コロナ・ウィルス感染拡大による緊急事態宣言後、番組初の無観客中継収録 チェロ新倉瞳ピアノ梅村百合【曲目】白鳥(サン・サーンス)、シチリア舞曲、エレジー(フォーレ)、フランス組曲(プーランク)、ヴォカリーズ、チェロ・ソナタ第3楽章(ラフマニノフ)、ルーマニア民俗舞曲(バルトーク)【収録】2020年7月3日古賀政男音楽博物館けやきホール-番組紹介よりー

🎵コロナ禍にある初のクラシック倶楽部無観客収録、番組紹介には中継収録と出ていたが。とにかく消毒の物々しさ、といっては叱られるのだろうし、それは必要項目でもあるのだ。検温に始まり何と手足の消毒、これが足も、なのだ。取材機材の消毒も。演奏者同士は対面でなければ15mの間隔を。メジャーが当てられている。空調の機材も増やして。ふだんの収録はみたところカメラ23台としか。それがスタッフの打ち合わせには10人はいたと見えたが。これも人数を最小限に抑えての数であるらしい。リハでは奏者もマスク着用。途中には換気で湿気が多くなるとチェロをサーキュレーターの風にも当てて。ピアノの調律場面に懐かしさを覚えるのはなぜだろう。

新倉「楽器も自分もこの演奏で息を吹き返したよう。とても長い時間かけてやってきているものを、どこにモチベ-ションを向けていいのか。来年再来年を見越して用意していたものが、ちょっとづつずれていってしまったので、どうしたものか。状況を受け入れるしかない。最初はどきどきそわそわそわしていたんですけれども、あるときから、もう力溜めしてこの期間だからできることをするしかないなと、いまではわりと落ち着いたかなと思いました」。

無観客、待ち望み迎える聴衆のいないステージの前、すぐ下にはカメラ眼が。

☆サン・サーンス「白鳥」
☆フォーレ「シチリア舞曲」「エレジー」
☆プーランク「フランス組曲」
☆ラフマニノフ「ヴォカリーズ」「チェロ・ソナタ 作品19 第3楽章」
☆バルトーク「ルーマニア民俗舞曲」

「プーランクについて、16世紀などの古い曲をもとに新しいものとして提供することを自分のテーマにしている。その点でプーランクとはリンクしている。この曲を勉強して、またこの曲のチャーミングなところを見つけられたかなと。掘り下げていきたい。ルーマニア舞曲、チェロで弾いている方は少なく、弾けないかとおもっていたが、実際この曲はヴァイオリンだとそれほど難しくないテクニックもチェロとなれば結構大変。それでも私自身がチェロをやってるという意識がないので、とにかく曲が好きだから弾きたいという思いで、イメージがあれば音が出るだろうと、「やめとく」を封印」と新倉。新倉いうチャーミングなところを意識して聴くに、フランス組曲中の6、シチリア舞曲、7、カリヨンにそれが。ルーマニア舞曲。バルトークのこの曲をチェロでとなると、かなり体力もいるのではと。この曲が好きなこともあり、小気味よく気分よく楽しく聴く。新倉がいうに「チェロは人の精神的部分に近いと。空気に振動して響くときにそれを感じる」のだとか。やはり生演奏かと思いもするのだが、当分は番組とディスクで。

 斯くして初の収録、1時間ごとの休憩、これはリハなど全部を含めた時間帯での事だと思うが、新倉が猫のひげがさまざまをキャッチするように、マスクをつけているとキャッチできないところがあると。緊張からはじまった収録の結果をけさ。聴く方もいつになくすこし緊張し待機したのだけれども。

🎧名曲アルバム。「オーヴェルニュの歌」フランス民謡。カントルーブ・編曲

 カントルーブ:早くから故郷の民謡の収集・研究にはげみ、1907年に「オーヴェルニュ高地とen高地[1]の民謡」(2巻)を発表、その後も「5つの農民の歌」、「続農民の歌」、「オーヴェルニュ高地の宗教歌」などを刊行し、オーヴェルニュからバスク地方にかけての南仏一帯の民俗音楽の権威と目されるようになった。

【ソプラノ】釜洞祐子,【指揮】松尾葉子,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団 ~フランス・オーヴェルニュ地方~

x7時5分更新

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200924  クラシック倶楽部を聴く 

テナのカスタネットが奏でる歌をメストレのハープがやさしく包みこむ。スペインの音楽に新しい息吹を感じさせるデュオ。ふたりの放つ華やかな音が聴衆を引き込んでいく。【出演】グザヴィエ・ド・メストレ(ハープ)ルセロ・テナ(カスタネット)【曲目】古いソルチコ(グリーディ作曲)赤い塔(イサーク・アルベニス作曲)以上メストレ編曲 ハープ・ソナタニ長調(ソレール)ほか【収録】2019年10月8日 紀尾井ホール

メストレ、25歳という若さで、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のソロ・ハーピストに就任、02年にはアンドレ・プレヴィンの指揮でウィーン・フィル史上、ハーピストとして初めてハープ協奏曲を演奏した。

ルセロ・テナは、カスタネット演奏において、独自の明白なスタイルを確立し、この楽器をオーケストラ曲のソロ楽器として大ホールに登場させることで、自らの名声を獲得してきた。この意味において、彼女は「カスタネット・ソリスト」という言葉の生みの親であり、それは彼女の活動に相応しい呼び名である。

  • マテオ・アルベニス:ピアノ・ソナタ ニ長調13*
  • ヘスース・グリーディ:古いソルチコ   
  • イサーク・アルベニス:12の性格的な小品集92より 第12曲 「朱色の塔」  デュオ
  • イサーク・アルベニス:スペイン組曲第147より
    1番「グラナダ」   エd
  • イサーク・アルベニス:スペイン組曲第297より  「サラゴサ」
  • イサーク・アルベニス:スペイン組曲第147より  「アストゥーリアス」  デュオ
  • アントニオ・ソレール:ハープ・ソナタ ニ長調*
  • エンリケ・グラナドス:スペイン舞曲集37より 第5番「アンダルーサ」*
  • マヌエル・デ・ファリャ/マルセル・グランジャニー編:歌劇《はかなき人生》より スペイン舞曲第1*
  • *はカスタネットとのデュオ

🎵スペイン音楽に通じるお二方の共演。カスタネットという楽器、実は楽器の仲間だとも思ってはいなかった。それがテナの経歴から、世界の名だたるオーケストラとの共演を果たしている。メストレが「テナとの共演は予想以上の成果をあげた」といっていたが、聴衆の反応という以上に音楽世界観が拡張されたといったことかと。はじめは何かそぐわない感じが。ソレールの「ハープ・ソナタ ニ長調」のあたりで、カスタネットが遠景として響くか、それとも近景のように、それも魂のどこからか湧き出るように響くのかを聴き分けようとしてみた。「古いソルチコ」や「「サラゴサ」のハープのソロはギターでこの曲を聴くよりも優しく穏やかで深いのだが、これがカスタネットとのデュオとなると、カスタネットが有無をいわさぬ響き、ときとしては傍尺若無人に聴こえもする。カスタネットという楽器の自己主張の強さを知らされる。たぶん楽譜はなく即興演奏、あうんの呼吸での即興演奏であるかと思いながらソレールの「ハープ・ソナタ ニ長調」を聴いてみると、リズムの近似性からか、何か両者が風土に自然に相和している、互いの機微を掴み巧みな即興が繰り広げられていると。ハープ奏者が男性であることも意外だったけれども、異色のデユオ。一般の楽器からは作曲者により近づこう、或いは試行錯誤、幾多の研鑽の結果としての響きが感じられるが、カスタネットからは他の何ものにも左右されない動かざる確信、これぞわたしの魂と湧き上がるような情念も感じられる。

 

名曲アルバム。「大きな古時計」。ワーク作曲。

東京混声合唱が温かい。



7
時更新

 

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200923   200923 クラシック倶楽部を聴く チェロのジャン・ギアン・ケラス&ピアノのアレクサンドル・タロー

日本では8年ぶりのデュオを披露したチェロのジャン・ギアン・ケラスとピアノのアレクサンドル・タロー。互いを最高の共演相手と認め合う彼らのアンサンブルをお楽しみください【曲目】ハンガリー舞曲集から(ブラームス作曲 ケラス&タロー編曲)ほか【演奏】ジャン・ギアン・ケラス(チェロ)、アレクサンドル・タロー(ピアノ)【収録】2019年11月27日 王子ホールで収録―番組紹介よりー

🎵以前にいちどは聴いたことがあった気がして、このブログの過去記事を検索してみたが出てこない。この5年の間、聴かなかった日はないわけで、題を勝手に書き込んだかで引っ掛かってこない。過去記事をコピーしてちょっと楽をしようとおもったところが。検索の仕方で記事はあるはあるはずなのだ。と、ここでいっていたところで仕方がない。けさ聴いたところで書き記しておくことに。

ケラスはモントリオール生まれ。ジュリアードを経てBBC交響楽団などで活躍。タローはパリ生まれ。ミュンヘン国際コンクール第2位。けさ初めてこの第何位という格付けがいかに理不尽で残酷、残酷はいいすぎであるかもしれないが、何れその一時点での評価をその後のすべてに記されてしまう。そのことに想いが到った。もっともその順位の間にさほどの差がないことも多くあるだろう。コンクールの後に自分の独自の境地を新たに打ち開いたとしても、この第2位、第何位が生涯の看板と背負わされる。優勝しなくともすばらしい奏者はいる、そう思われたのだが。

☆ドビュッシーの「チェロ・ソナタ」、1915の作品。ケラスとタローは20年来の共演。あうんの呼吸、視線だけで演奏が十分成り立つ間柄。違ったニュアンスでも、たしかなボールが返ってくるという具合。タローがそういっている。ケラスが長く共演して分かり合っているからこそ、リスクを恐れずに自由に弾くことができると。

このデュオ、精彩があって華やか。ケラスいう自由さからくる響きと感じられた。第2楽章、ドビュッシーの陰影を曳きながら、次は自分がおもしろいと思った点をwikipediaでたしかめたのだけれども、「短いながらもチェロの幅広い演奏技巧が駆使され、左手のピチカートスピッカートフラウタンド奏法、ポルタメントが認められる」とある、このところに関心を集中。

☆ブラームスの「チェロ・ソナタ 第2番」。188653歳のとき、避暑地のスイスのトゥーン滞在中にヴィトマンの邸宅で作曲したという。ブラームスの熱が、ケラスの熱となってけさは絞り出されといった感じにも、すこし切なく聴く。

☆ブラームスの「ハンガリー舞曲」は超有名な第5番、これでケラス&タローの編曲の違いを確かめ得たかなと。それにしても、ロマの影響というものの大きさをここでも。

 

🎧🎵名曲アルバム。モーツァルトの「ピアノ協奏曲ジュノム」。若きモーツァルトが故郷ザルツブルクで生んだ傑作「ジュノム」。誕生の裏には天賦の才で世界に羽ばたきたい願望があった。名の由来の湖水地方の美しい光景とともに送る。ピアノ 津田裕也 管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮 円光寺雅彦 ロケ地:ザルツブルク(オーストリア)―番組紹介よりー

1777年ザルツブルグでの作曲。ヴォルフガングはモーツァルトの母の故郷のオーストリアにある湖の名で「狼とともに行くもの」の意味であるとか。
聴こえさえすれば気分を即座に愉快な気分へと変えてしまうモーツァルトのすごさ。

⛳カナダの犬橇TVを見終え、朝食を終え、コーヒータイムを終え、やっとの更新。それにしてもカナダの大自然は!

これも再放送だけれども、馬、カヤック、氷壁、犬橇のどれもが命がけ。カナダには友人のご子息一家が暮らしている。こんな自然と共に。

9時19分更新。

 

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200922 クラシック倶楽部を聴く  西村尚也&アンドレア・バッケッティ デユオ・リサイタル

マインツ・フィルハーモニー管弦楽団の第一コンサートマスター、西村尚也(にしむら・なおや)のバイオリンと、バッハ等で特に高く評価されているピアニスト、アンドレア・バッケッティとの共演を送る。学生時代にF.ルイージ指揮PMFオーケストラでコンサートマスターを務めた西村は、東京芸大を経て渡独。現在はドイツ各地の主要国立歌劇場などにも客演している。2019年6月16日(日)東海中学高校講堂(国登録有形文化財)で収録。―番組紹介よりー

 東海学園は仏教系の学校として創立された進学校です。昭和6年に建てられた講堂は薄茶色のスクラッチタイル貼りの外壁。入口は大きな白の半円アーチ、23階の開口部を外側に膨らませた窓額縁部分がゆるく弧を描いて張り出しています。5本の付け柱と庇部分の白の装飾などが印象的で重厚な中に華やかさを持った建物です。
 設計は愛知県営繕課長の酒井勝、旧制東海中学卒業生の同営繕課の大脇勲、宮川只一が担当しました。鉄骨鉄筋コンクリート造3階建て、地下1階。
 

西村尚也
1985年名古屋市生まれ。東京藝術芸大学を出て渡独。マンハイム音楽大学を最優秀の成績で卒業。ソリスト科終了。2001年イフラー・ニーマン国際コンクールジュニア部門第一位。これまでF.ルイージ指揮、PMFオーケストラやドイツ各地のオーケストラでコンサートマスターを務める。現在はマインツ・フィルハーモニー管弦楽団の第一コンサートマスターを務めるほか、ハンブルクやフランクフルトの国立歌劇場にも客演している。
西村のコメント
コンサートマスターとソリストの両立について
コンサートマスターはオーケストラという「社会」の中で、劇場だったら歌手とか事務所を含めての「社会」の一員。団体行動をとる一方で、ソロが4小節でもあるとソリストとして結果を出さなくてはいけない。その切り替えが難しい。逆にソリストとして演奏する場合は、本番で結果を出さなければソリストの活動の方が一回の本番に掛かるプレッシャーは大きい。(でも)彼のような天才的な音楽家に触発されて自由に反応していけるのがソロにしかない魅力だと思う

アンドレア・バッケッティ
1977年イタリア生まれ。幼少期よりカラヤンやホルショフスキなど巨匠らの薫陶を受け、11歳の時にミラノでデビュー。モーツアァルテウム音楽大学やパリ国立高等音楽院、パガニーニ音楽院などで学ぶ。96年プレミオ・ベネチア・コンクールで優勝。世界各地でリサイタルを行う他、ザルツブルク音楽祭などに出演。2014年よりバッハの鍵盤作品全曲録音を行う。
バッケッティのコメント
彼との共演はとても興味深いものです。並外れた技術だけでなく音楽的なセンスもあるのでとても勉強になります。彼は楽譜や原典を分析するのですがそれは信じ難いことです。なぜなら多くの演奏家は才能があっても作曲家の考えをそこまで憶測してはいません。だから彼のそういう点をとても尊敬しているのです。もちろんテクニック的にも並外れていて絶対に間違えないのは信じられないことです。

 

「フォリア」コレッリ:作曲
バロック時代の凡例どおり、楽譜には旋律と和声のみ記され、音の肉付けは奏者に委ねられている。
「フランス組曲 第5 BWV816からガヴォット、ブーレ、ルール、ジーグ」バッハ:作曲
(ピアノ)アンドレア・バッケッティ
組曲の形式は17世紀半ばごろドイツで確立され、古い舞曲で構成されている。バッハの時代にはそれらの踊りの多くが消滅し、音楽の形式のみ残ったといわれる。ガヴォット、ブーレ、ルールの舞曲は、当時も踊りの曲としても生きていたといわれる。
「バイオリン・ソナタ 第5番 ヘ長調 作品24「春」」ベートーベン:作曲
ベートーベン31歳のころの作品。甘美な曲想から「春」と呼ばれるようになった。ウィーンに来て1800年ごろ交響曲第一番と同じ時期に作曲。そのころ耳が聴こえなくなってゆくが、伯爵令嬢と恋愛をしていた時期でもあり、若きベートーベンの感情が芸術として昇華されている名曲である。
「バイオリン・ソナタから第2楽章「ブルース」、第3楽章「常動曲」」ラヴェル:作曲
ピアノとバイオリンの独立性が際立たされ、ラヴェルの新しい作風を示している。第2楽章ではラグタイムのリズムが特徴的。またバイオリンのさまざまな奏法が試みられている。第3楽章ではピアノの低音に支えられ、バイオリンは細かな動きを繰り返す。第1楽章と第2楽章で登場した旋律が、断片的に織り込まれ、一気にフィナーレへ向かう。

 

🎧名曲アルバム。ミヨーの「スカラムーシュ」
ピアノ中野翔太金子三勇士

とにかく明るくて楽しい!

⛳6時59分更新

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200921 200921  クラシック倶楽部を聴く  グリンゴルツの無伴奏バイオリン

名手グリンゴルツによるパガニーニとシャリーノ。無伴奏のバイオリン一本によって、時代を越えて響きあうカプリースを。銘器グァルネリ・デル・ジェスの音色にも注目。ー番組紹介よりー

パガニーニ(1782 - 1840)」とシャリーノ(1947-:イタリアの現代音楽作曲家)のふたりの曲を並べて弾いたのは、基本的な音が似ており、ともにバイオリンの未開の地を切り開いた規範となる新しいジャンルであり、凝縮した万華鏡のよう。両者には150年の隔たりがあるが、共通点が認められ響きも似ているとグリンゴルツ。ハーモニクス奏法は、パガニーニがよく好んだ奏法であるという。

曲の配列
パガニーニ「24の奇想曲」第1
パガニーニ「24の奇想曲」第2
シャリーノ「6つの奇想曲」 第1
パガニーニ「24の奇想曲」第5番
シャリーノ「6つの奇想曲」 第3番
シャリーノ「6つの奇想曲」 第2番
パガニーニ「24の奇想曲」第6番
パガニーニ「24の奇想曲」第10
パガニーニ「24の奇想曲」第11番
パガニーニ「24の奇想曲」第13番
シャリーノ「6つの奇想曲」 第5番
パガニーニ「24の奇想曲」第14番
パガニーニ「24の奇想曲」第17番
パガニーニ「24の奇想曲」第18番
パガニーニ「24の奇想曲」第23
シャリーノ「6つの奇想曲」 第6番
パガニーニ「24の奇想曲」第24

サルバトーレ・アッカルドは稀代のパガニーニ弾きと、シャリーノ「6つの奇想曲」第1番のところで解説が入ったのでググってみると、58年のパガニーニ国際コンクールで17歳で第一位、現在同コンクールの審査員を務めているようだ。イリア・グリンゴルツ98年同コンクールで、史上最年少(16歳)で優勝、併せて最年少優勝賞とカプリース最優秀演奏賞を受賞。どちらも「稀代の」なのだ。

3回は既に聴いているこのバイオリンの無伴奏奇想曲、ハーモニクスを興味深く聴く。これはやはり倍音が醸してくれる響きが確かであってこそ、つまりは楽器の質にも影響を受けてしまうテクニックであると思った。シャリーノの第1番と第6番がおもしろかった。第2番は宇宙空間に出たかとも。面白いのはそれのみならず、この無伴奏の徹頭徹尾をおもしろく聴かせてもらった。 

🎧名曲アルバム。ドヴォルザーク「母がおしえてくれた歌」。ネラホゼヴェスの雪景色、そして青戸知(あおとさとる)のバリトン、胸に。

⛳「6つの奇想曲」をググっているうちにタイムオーバー。一旦中止して9時37分更新。

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きょうのことば

インマヌエル盛岡キリスト教会2020年9月13()の礼拝メッセージをおつたえいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で47年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 『忠実な奉仕者とは』(國光勝美牧師)
聖書個所 新約聖書 エペソ書6:21~24
6:21私の様子や、私が何をしているかを、あなたがたにも分ってもらうために、愛する兄弟、主にある忠実な奉仕者であるティキコがすべてを知らせます。 6:22ティキコをあなたがたのもとに遣わすのは、ほかでもなく、あなたがたが私たちの様子を知って、心から励ましを受けるためです。
6:23信仰に伴う平安と愛が、父なる神と主イエス・キリストから、兄弟たちにありますように。 6:24朽ちることのない愛をもって私たちの主イエス・キリストを愛する、すべての人とともに、恵みがありますように。

<説教>

(前置き、前回の復習は割愛いたします)

 きょうはエペソ6章21節からです。

 エペソ書はパウロがローマの獄中で書いたお手紙です。
6:21私の様子や、私が何をしているかを、あなたがたにも分ってもらうために、愛する兄弟、主にある忠実な奉仕者であるティキコがすべてを知らせます。 6:22ティキコをあなたがたのもとに遣わすのは、ほかでもなく、あなたがたが私たちの様子を知って、心から励ましを受けるためです。

 パウロがエペソに長く滞在し、エペソ教会を開拓したときのその仲間であるエペソの教会の人たちに、「今私は囚われ獄中生活を送っているけれども、あなたがたエペソの人たちがほんとうに心配してくれているので、私のこの状況を具に手紙に書きました。これを私のいちばん身近にいてよく知っているティキコに託します。どうかティキコから今の私の状況を聞き知って安心してください」と、こういうことであります。

 このティキコにはもう一つ大切なお仕事がありました。それは、ピレモンという人のところにオネシモという人物がいたことがあるのですが、このオネシモがどろぼうをしてしまった。犯罪です。オネシモはピレモンのところから逃亡して、大都会であるローマに逃げこんでいたのです。いきさつは分かりませんが、オネニモはこのローマでパウロと出会います。彼はパウロによって明確に回心しました。オネシモがもうはっきりと悔い改めていることをピレモンに伝えてくれるように、パウロはこのこともティキコに頼んでいたのです。

その引証があります。
エペソ621節、そしてコロサイ47
コロサイ4:7私の様子はすべて、愛する兄弟、忠実な奉仕者、主にあるティキコが、あなたがたに知らせます。4:8ティキコをあなたがたのもとに遣わすのは、ほかでもなく、あなたがたが私たちの様子を知って、心に励ましを受けるためです。 4:9また彼は、あなたがたの仲間の一人で、忠実な、愛する兄弟オネシモと一緒に行きます。この二人がこちらの様子をすべて知らせます。

「この二人がこちらのパウロのようすを知らせます」、と、こうなっている。いま申し上げたお話しと合致して、それこそ了解していただけるでしょう。

 これがティキコという人物であり、エペソ書、それからコロサイ書にも記されてありますように、逃亡奴隷であったオネシモはすでに赦されているのだという大切なメッセージがあるとわかります。パウロは大切な任務をティキコに全面的な信頼を置いて委ねることができました。そして主にある忠実な奉仕者、こういう評価がティキコにもオネシモにも与えられております。

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 ティキコは聖書の中では決して目立つ存在ではない。神学生であっても、ティキコって誰? と思い巡らすほどあまり登場しない。ほんの小さな役割しかないのに、「主にある忠実な奉仕者」といわれるティキコ。ずっと長くパウロのいちばん近く仕え、パウロが信頼を置いていた奉仕者ティキコ。

 私たちパウロというとすぐさま偉大な大使徒パウロ、ペテロも偉大な大使徒ペテロという概念です。往々にして偉大な誰々に着目しがちです。パウロにしてもペテロにしてもこれは否定的な意味ではなく、人であってみれば、さまざまな面があったでしょう。

 私は公人としては牧師でありさまざまなお役目があります。しかし一個人でもある。一所に生活している家内は、私人としての私のすべてを知っているわけです。決して表と裏があるようにしているつもりはないのですけれども、たとえばどんな番組のテレビを見、どんな食べ物を好むか等など。偉大な使徒といっていますけれど、人パウロなのです。そこに個性、考え方の違いがあるかもしれない。さまざまな個性ある一人の人に長く信頼をおいて奉仕者として仕え続けるのは並大抵ではない。偉大であるとさえ思います。パウロ先生にもある意味公的な部分私的な部分がある。それらよく知っていて尚、これほどの信頼を奉仕者に抱かせるということは、これはほんとうに主イエスに忠実な人であったのだということを思います。主の前に忠実な奉仕者。これをもっと砕けた言い方で言うなら、居てもらいたいときにいつもそこに居る人。ひろ子先生は私と同じ神学校で同じ時期に学んで、同じ指導者に薫陶を受けておりますので、それをよく知っています。インマヌエルの初代総理蔦田二雄先生がよく仰った「あの兄弟は居てもらいたいなあというときには、振り返るといつも居てくれた」と。

 國光良子、この人はひろ子先生の祖母にあたります。義理の娘である國光幾代子先生が献身したときのことをも知っている。國光家が信仰に導かれる第一歩となったのはこの良子からでした。このような事実からも、忠実なよい信仰の証人でした。この姉妹が、蔦田二雄という人のすべてをよく知る立場にありました。この人は、蔦田二雄先生はほんとうに神の器であることを知っています。それはもう間違いないのですが、また、パウロがそうであったように一私人でもあります。蔦田二雄という人の個性、リーダーシップ、あり様に、ついていくのが難しい場合もある。ひろ子先生が小さかったとき、「どうしておばあちゃんは蔦田先生がこれをする、あれをするというときに、賛成ではないことでもそれを賛成するの?」と訊いたことがあるそうです。すると返ってきた答えは「私は今回このことは賛成できない。けれども、神様が立ててくださった器がそうすると言っているのだから、私はその方針に従う」。

 この答えはもろ刃の剣のように、いいことと悪いこととがありうる。絶対的なこととは思えません。聖書のことばではありません。しかし、皆さん方の判断材料の一つにはなります。プロジェクトについていけず反対し、離れていってしまう人たちがいるかもしれない。ただ蔦田先生が仰っていた「居てもらいたいと思うときに、いつでも居てくれる人」。これは凄い人だなと思うのです。ティキコはまさにそういう人物でした。

テモテ第二の手紙4章、これはパウロの殉教目前の遺書のような手紙です。テモテに対して書いています。
二テモテ4:9あなたは、何とかして早く私のところに来てください。 4:10デマスは今の世を愛し、私を見捨ててテサロニケに行ってしまいました。また、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマティヤに行きました。

 つまり信頼していた弟子の何人かがパウロから離れてしまったというのです。

 4:11ルカだけが私とともにいます。マルコを伴って、一緒に来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。

 マルコを伴ってとありますが、パウロの第一次伝道旅行のときに、マルコは途中でもうパウロ先生にはついていけないと抜けてしまった人物です。マルコは、だいたい自分の叔父のバルナバがいたからこそパウロはこうやって神様の働きの第一線に就けたんじゃないか、それなのにバルナバおじさんを出し抜いてリーダーシップを執るとは! マルコはそんな思いだったでしょう。それでマルコは第一次伝道旅行から離れてしまった。それで第二次伝道旅行のときに、バルナバがマルコのあのときの離反をとりなして、こんどの第二次伝道旅行に是非一緒にマルコを連れて行きましょうと言ったところが、パウロは許さなかった。マルコは絶対に連れて行かないと大反対。結局マルコの扱いをめぐってパウロとバルナバは分裂してしまった。パウロの方がフォーカスがあたり、バルナバの方が光の舞台からすこし離れてしまった。そういういきさつを知っていればいるほど、パウロが晩年になってから、そのマルコを「どうか伴って一緒に来てほしい、マルコは私の務めのために役立っている」といっている。長い間に関係がすっかり修復されていたのです。よかったなあと思います。

 それとともに12節に「わたしはティキコをエペソに遣わします」とある。先ほど話しましたティキコです。つまりティキコは居てもらいたいなあと思うときに、いつで居るんです。パウロも働きの方策をめぐって働き人達との困難にぶつかり、デマスは去っていき、クレスケンスも去っていき、あのテトスさえも去っていってしまった。「ルカは私と一緒にいる」とあります。このような中で、パウロはティキコにエペソへの手紙を託し、状況を報告してくれるよう頼んでいる。ティキコという人物はすごいなあと思います。

 パウロのもとから去っていった人たちの理由も、ティキコはよく知っていたはずです。けれどもティキコは、パウロ先生のもとにある。それは人にではなく神に、イエス様のもとに仕えているからこそできるのです。そして、居てもらいたいときに、いつでもそのもとに居る人ティキコ。

 エペソ書に返りましょう。

6:22ティキコをあなたがたのもとに遣わすのは、ほかでもなく、あなたがたが私たちの様子を知って、心から励ましを受けるためです。

 これを潔めの信仰に生きていると言わずしてどう言うべきでしょうか。ほんとうに自分に死んでいるのです。これだけの人ですから、もっともっとフォーカスされ、表舞台に取り上げられて当然の人物なのですが、すこしも自分が重んじられるようなことは求めず、主の働きのために、いつでもパウロの近くにいて、大切な仕事を黙々と担っていく。これは潔めの信仰のある人でなければあり得ない。そういう人物である、そういうことも含めながら、エペソ6章21、22節を、あまり聖書に出てこないティキコという人物に、きょうはフォーカスを当てて、皆様と一緒に、ティキコへの新たな認識と感謝、尊敬をもって皆さまがたとエペソ6:21,22を読ませていただきましょう。

6:21私の様子や、私が何をしているかを、あなたがたにも分ってもらうために、愛する兄弟、主にある忠実な奉仕者であるティキコがすべてを知らせます。 6:22ティキコをあなたがたのもとに遣わすのは、ほかでもなく、あなたがたが私たちの様子を知って、心から励ましを受けるためです。

私たちもどうぞティキコとなりますように。

 

※画像は教会からお借りしています。

⛳6時14分更新

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雑感

フレッシュMay J.のエスコート。けさのJ-MEROは、先ずフレデリック、「正しい正しい今をさがしては光った」「まだ見ぬ先に進み続けるだけ」「うそでもいいから夢泳がせて」。続く、つばきファクトリー、「無駄な欲を捨てて自由に」「必要なものは多くはない」。受けとる若者たち、その場限りの受け止めか、ホントはどこまで。刹那ののど越し、癒しは連綿と。新曲はまた出る、すぐ出る、次つぎに出る。アコースティックが尾を曳き遠ざかりゆく。

 はなしは一転。
どんな豪華な花屋にも優って、雑草が隙間なく地の面を埋め尽くし、朝露にきららかに輝く光景ほど美しいものはない。森に林に樹木が枝々をしっかと張りのばし、強烈な日を受けとめ、風を受けとめ、鳥や虫を住まわせ、動物たちをかくまっている緑ほど豊かなものはない。街のめぐりに、視界にこんな清々しさが満ちている今朝。

⛳6時50分更新

 

 

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200918 クラシック倶楽部を聴く 小菅優

9歳でデビュー。コンクールとは無縁の音楽キャリアを積むも、2005年にはカーネギー・ホールで、2006年にはザルツブルク音楽祭でリサイタル・デビューを行う。世界の殿堂で活躍を続け、名だたるアーティストたちの信頼も厚い小菅の、「今」を聞く。【曲目】カラヴィンカ(西村朗)ピアノ・ソナタ第17番ニ短調作品31第2(ベートーベン)ほか【収録】2019年11月29日 東京オペラシティコンサートホールー番組紹介よりー

 

🎵放送を聴いてから一息入れているうちに30分すぎてしまったが。小菅優礼賛を開始。
「風」がテーマ。小菅がいうに、その通りの筆記ではないが、風は目に見えないさまざまな空気感がある。語源をたどれば命、魂という意味もある。想像力を掻き立てられ、風は内面的でミステリアスで不可思議でもある。自らを奮い起こしてくれ、感性がゆすぶられるのだと。

「クラヴサン曲集 第1巻 第3組曲から「かっこう」」ダカン:作曲
「カラヴィンカ」西村朗:作曲
「ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 作品312」ベートーベン:作曲
「前奏曲集 第1巻から「沈める寺」」ドビュッシー:作曲
「前奏曲集 第2巻から「霧」」ドビュッシー:作曲

「かっこう」。鳥、かっこう、聴いているうちに、カッコウってどんな鳥? 小菅を聴いていると実際曲をよく理解したいというに優って、小菅の指が紡ぎ出す鳥を訊ねてみたくなるのだ。「カラヴィンカ」、実に印象的。透徹した、鉱物的な響きが騒擾を掬い取っていく。解説で、極楽にいる人間の顔を持つ鳥が人間を救済するとあるところをみると、これは「掬う」ではなく「救う」なのだなと思い直す。前回は小菅が打ち出す音をインド、東南アジアの打楽器に探したことが思い出される。自分の宗教土壌とは異なるが、魂を訪ねあるく、何か巡礼的なかんじもする魅力的な旋律、靄がかるところも明瞭に聴かせる小菅のハイテクニック。「ピアノ・ソナタ 第17番」即ち「テンペスト」。これはもうハイリゲンシュタットのあと、しかし芸術はのこしていかなければならないと、と小菅。激しい対話、心の嵐、これはシェークスピアの「嵐」でもあると。すばらしいベートーベン演奏にはベートーベンが現われると私は思っているが、この演奏にもあの面影が。現実はこうだが、しかしこうあらねばならないとつたわってくる。第3楽章の優しさは! 「沈める寺」、ブルターニュの伝説から。「霧」、小菅の真骨頂がまたまた繊細に色彩感をもって漂う。

🎧名曲アルバム。ブルックナーの「ミサ曲第3番  ベネディクトゥス」。交響曲の大家として知られるブルックナーは、教会のオルガニストを長年務めた。彼が弾いたオルガンが今も残る旧大聖堂を中心に、ブルックナーゆかりの町リンツを紹介する。【ソプラノ】安井陽子,【アルト】加納悦子,【テノール】小原啓楼,【バス】小森輝彦,【合唱】東京混声合唱団,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】梅田俊明―番組紹介よりー

⛳7時1分更新

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200917 クラシック倶楽部を聴く  メナヘム・プレスラー 93歳のピアノ・コンサート

 待望の来日公演!90歳でベルリン・フィルにソリストデビューを果たし、ますます精力的な活動を展開するプレスラー。2017年秋に行われた日本での演奏会をお送りする。ピアニスト・メナヘム・プレスラー。20世紀を代表するピアノ三重奏団ボザール・トリオのメンバーとして半世紀以上にわたり活躍した。トリオ解散後はソロ・ピアニストの活動を本格化させ、90歳を超えてなお世界中で演奏会を行っている。今回の来日公演時、プレスラーは93歳。ショパン、ドビュッシーなど全16曲を熱演した。観客総立ちとなった話題の演奏会からお送りする。 2017年10月16日サントリーホールで収録―番組紹介からー

メナヘム・プレスラー プロフィール
1923
1216日ドイツのマグデブルク生まれ。ナチスから逃れて1939年に家族と共に移住したイスラエルで音楽教育を受ける。1946年、サン・フランシスコのドビュッシー国際コンクールで優勝し、本格的なキャリアをスタート。1955年~2008年ピアノ三重奏団ボザール・トリオで活躍。ピアノ三重奏曲の人気を大きく高めた功績を持つ。トリオは世界各地で年間100以上のコンサートをこなした。2011年、ICMA国際クラシック音楽賞の生涯功労賞および名誉あるウィグモア・メダルを受賞、20126月には、スペインのソフィア女王よりメニューイン賞を授与され、またグラモフォン誌の殿堂入りを果たした。90歳でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共演。この齢93歳。コンセルトヘボウ管弦楽団、パリ管弦楽団等へ次々と客演、欧米で話題の中心となっている。室内楽の第一人者としての威信は非常に高く、ピアノと音楽の知識は膨大にして、楽譜に書かれた音符から美しい音楽を紡ぎ出す聡明さを伴う。(番組解説とウエブとからの編集)

メナヘム・プレスラーのコメント
ピアノを弾くときこそが至福の時間でした。ピアノはいつも私に語りかけ私は返事をする。するとピアノは音楽に対し多様なアプローチがあることを教えてくれるのです。ピアノの声に応じていれば時には力強く時には控えめに激しくもあれば時にはこの上なく繊細な音も奏でることができるのです。
私の目的は常に作曲家たちの考えを細部まで伝えることです。例えばショパンはピアノを開花させることができる。彼の手にかかればピアノは別次元の美しさを放つ楽器へと変化します。私は作曲家が直接語りかけているような演奏を目指してきました。そのためにあらゆるテクニックは存在するのです。

曲目
「シャコンヌ」ヘンデル:作曲
「前奏曲集 第1巻から「デルフィの舞い姫たち」「帆」「亜麻色の髪の乙女」「沈める寺」「ミンストレル」」ドビュッシー:作曲
「マズルカ ロ短調 作品33 4」ショパン:作曲
「マズルカ 嬰ヘ短調 作品59 3」ショパン:作曲
「バラード第3番 変イ長調」ショパン:作曲
「月の光」ドビュッシー:作曲

🎵アンコールの「月の光」、彼の弾くドビュッシーはみなそうだけれども、透明度が増していき、それこそ月明かりが水の表面に静かにゆらめくばかりでなく、そこまでを静かにライトが底を無意識に探るように照らし出していく。「マズルカ」、音をそっと棚に置くかのその間合いにくっと来るのだ。ものがたり世界に引き入れてくれる繊細な響き。壮年のある意味のあざとさやダイナミズムからは遠く、彼の行きついたところの楽響が心地よい。サントリーホール満場のスタンディングオーベンション、プレスラー、温かな心からの祝福に包まれて左袖に。🎵メナヘムが楽譜を見るとき、或いは高齢での思いがけない起こり得る事態への対応とも素人目には思われもするのだが、それ以上に目の表情に見とおす眼力が漲っている。この曲はこうであるという確信めいた信念だ。やはりドヴュッシーの音の機微に含蓄を感じる。特に最後の「月の光」、暗い水面、しかし暗いながら美しく澄んだ水面に、月の光が、ただひっそりとたたずむ懐深い樹林に見守られながら、とき折り月の形状をゆるやかに断裂させながら揺らめいている、そんな情景が浮かんだ。巨匠93歳の月の光だ。
以上が前回、前々回に聴いて感じたところなのだが、🎵けさは、……私は若い頃のメナヘムの演奏を聴いたことがない。ナチを逃れて39年にイスラエルに移住している。激動の6年間を逃れられたのだ。このメナヘムの歴史が彼の演奏家としての人生を彩った側面もあったかなと憶測する。サントリーホールでの演奏は2時間であったらしい。この番組は55分編集。曲にだけ、曲の世界のみを見つめて弾いているかの93歳の演奏。幸せで豊かな演奏人生。90歳でベルリン・フィルとの共演。招待したのはサイモンラトル。以下はベルリン・フィル・デジタルコンサートホールの記事の転載です。

20141月、ピアニストのメナヘム・プレスラーは、実に90歳でベルリン・フィルにデビューを果たしました。驚くべきはその年齢だけでなく、彼の比類なき音楽性でした。柔らかいレガート、息をのむようなピアニッシモ、語るようなアーティキレーションなど、どれもが別の世界から来たような趣きを放っていたからです。そのとき客席にいたサイモン・ラトルは、躊躇せずにプレスラーをベルリン・フィルのジルベスターコンサートに招待し、同年末に両者の共演は実現したのでした。
プレスラーは1923年、ドイツ・マグデブルクのユダヤ人家庭に生まれました。ナチスの迫害を逃れて1939年両親とパレスチナに亡命し、やがて彼はアメリカに移住。1955年にはボザール・トリオを結成し、20世紀最高のピアノ三重奏団のピアニストとして、2008年に解散するまで活動を続けました。プレスラーのソロのキャリアはそこから始まったのです。
このドキュメンタリー作品は、過去ではなく、「いまここに」生きている一人の音楽家の姿を克明に伝えています。チャーミングな人柄を見せる一方、高いレベルの音楽を求めるためには自己や他の音楽家に対して妥協を許さない厳しい姿勢も覗かせます。ダニエル・ホープなど同僚とのインタビューやマイスターコースからの抜粋は、音楽と人生への深い愛情がメナヘム・プレスラーの生きる源になっていることを実感させてくれるでしょう。

 

🎧名曲アルバム。バーバー「弦楽のためのアダージョ」【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】円光寺雅彦 ~アメリカ・ニューヨーク~―番組紹介よりー

⛳後番組のカナダ紀行を気にしながら筆記し、7時2分の更新。

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200916  クラシック倶楽部を聴く 200916 クラシック倶楽部を聴く  迫昭嘉&江口玲のピアノ連弾 リスト版ベートーベンの第九

5回目を迎えた「迫昭嘉の第9」。今回は日米を中心に世界で活躍する江口玲と組んで演奏。リスト編曲による2台ピアノ版「第9」は、その難しさから長らく絶版となっていた。迫はこの編曲版に再び光をあて、原曲とは違う価値を見出し継続して取り上げている。【曲目】交響曲第9番「合唱つき」(2台ピアノ版リスト編曲)から【演奏】迫昭嘉(第1ピアノ)江口玲(第2ピアノ)【収録】2019年12月21日ハクジュホールー番組紹介よりー

🎵私が初めてこの2台のピアノによるリスト編曲版を聴いたのはレオン・マッコリーとアシュリー・ウォスのピアノでだった。勿論CDでのこと。当時は11音に耳を傾けるという聴き方はしていなかったので、よくわかって聴いたかどうかには? 物足りなさがのこった。音響設備の悪さもあったかと思う。それ以上に、第九がもうどこもかしこも変更不可能なほどに自分の中に入りきっちりと収まってしまっており、すこしでも変更を加えたものは入り込む余地がなくなっている。それとリストへの理解が届き得なかったことも否定できない。こういった編曲を果たしてベートーベンはどう思うだろうかと言いたい自分に失笑。何れ名曲ほど数々のバリエーションが産み出される命運にある。これは幸運でもあり、論議の対象となり、それでまたいよいよ世に拡散されるという図式だ。

 この連弾を聴くときには、ベートーベンを聴くという意識をひとまずおいて、リストの妙味を探り当てようと耳を傾けるのが肝心なのだろうと、迫昭嘉、江口玲連弾に対する。が、やはり元曲の偉大さ。聴いているうちにもうすでに内にある管弦楽の方が内に流れている。ネットをググってみると、第3楽章にショパンが聴こえたといっている方がいたが、これは第3楽章に限らずにあり、幾たびかはっとさせられた。興味は何といっても声部。管弦から声部に移行する部分はどうであるか。それが驚いたことに、破たんはまったくかんじさせず、穏やかめであったがために、ソリストの声がむしろ朗々とよみがえってきたことだ。合唱部はやや混沌と聴こえもしたが、ソリストのパートは意外に自然に歌われているかに聴こえたのだ。そこに、ここにリストを聴くまでの耳がないのが残念だけれども、初めて聴いたときよりもすこしは前に進んだという気が。

「迫昭嘉の第9」は5回目という。1994には清水和音と組んでいる。近年は第九の指揮も。東京芸大の音楽学部長。江口玲はこの番組ではもうおなじみ。作曲科を卒業しジュリアードに。ニューヨーク、東京で活躍。迫昭嘉は、この編曲版が埋もれてしまうことを危惧して、演奏の回を重ねているのだという。
 観客席にはお二方の弟子たちが詰めかけている気配。ついに音楽を専門に学ぶことはなかったけれども、メディアを通してこのような雰囲気を感じられるだけでも望外の幸せといわねばならない。

 

🎧名曲アルバム。ヴィヴァルディ「四季」の「秋」。【バイオリン】荒井英治,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】飯森範親 ~イタリア・ベネチア ヴェネト州~―番組紹介よりー


🎵ヴィヴァルディ、司祭の務めは措いて作曲に没頭していたとか。名曲を産んでくれたのだから神さまは赦してくださる、といっていいかどうか。

⛳7時、新内閣発足へ。ちょっと書き直しが出て7時7分更新。

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200915 200915 クラシック倶楽部を聴く  金子三勇士(かねこみゆじ)ピアノ・リサイタル

自然豊かな中標津町で行われた金子三勇士のピアノ・リサイタルからショパンの名曲「革命」「雨だれ」やリストの「ラ・カンパネラ」「ピアノ・ソナタ」を熱演6歳からハンガリーで学んだ金子三勇士のバルトークやリストについてのインタビュー2019年6月16日北海道・中標津町総合文化会館での公開収録―番組紹介よりー

☆「「ミクロコスモス」から「オスティナート」」バルトーク:作曲
「練習曲 ハ短調 作品1012 「革命」」ショパン:作曲
「前奏曲変ニ長調作品2815「雨だれ」」ショパン:作曲
「「パガニーニによる大練習曲」から「ラ・カンパネラ」」リスト:作曲
「ピアノ・ソナタ ロ短調」リスト:作曲

🎵2019年6月16日の収録ながら、この緑の豊かさ、ゆったりとした家畜、飼い犬とともにある暮らしにしばし癒される。中標津町は酪農の町。飼育頭数は人口よりも多い。人口は23,000。郷土館には開拓時代からの品々が展示されている。本格的な開拓が始まったのは明治末期。1937年標津線開通。1989年標津線廃止。50年以上も暮らしと共にあった駅がなくなる思いはどんなものだったろうか。苛酷な開拓と共にあった駅舎が消えた日。しかしその跡地に中標津町総合文化会館しるべっとホールが建てられたのだ。

この中標津まで来てくれた、行ってくれた金子三勇士は国際派の若手ピアニスト6歳で祖父母のハンガリーの田舎の家からバルトーク音楽小学校に、11歳でリスト音楽院に通学。中標津の風景を歩む金子に、ハンガリーの祖父母の田舎の風景が重なる。演奏するときの彼の原風景だ。
 けさはバルトークの「オスティナート」に風通しの良さ、新しさを。熱を帯びた「革命」、左手に淡々と落ちる雨粒が際立つ「雨だれ」、そしてリストの「ラ・カンパネラ」は鐘の下で暮らす人々の面影も拾い上げて豊かに鳴り響く。つづくリストの「ピアノ・ソナタロ短調」は、謎かけ、謎かけが連綿と。ピアニストは生涯このなぞ解きを迫られ、答えを詰問されるのではないかとさえ思われる。金子が「バルトークのほんとうのリストのすがたを知って欲しい」と語っているが、その大方がこの曲に詰まっているのではないかと。多面体であるリストの様々な側面を聴かせてくれた。リストが最も充実している時期に書かれている。曲についてリンク先で賛否両論を読んでみると面白い。金子はこの曲はリストの最高傑作であり、人生観、音楽観、人生のすべてが詰まっているといった意味のことを述べていたが。金子がこの曲に取組んだのが18歳、これを自らの年代ごとにどう紐解いていけるか、10年後の演奏も楽しみに聞いて欲しいと語っている。10年後というと、2029年。はたしてどんな世の中が、世界となっているかを想像すると空恐ろしくもあるが、どうか金子が芸術家たちが、誰もがどんな人々も、音楽をゆったりと楽しめるような世の中であってほしい。

金子三勇士
1989
年日本人の父とハンガリー人の母とのもとに生まれる。6歳からハンガリーと日本で音楽を学び現在は国内外で活動。6歳のとき単身ハンガリーに渡る。数々のコンクールで優勝。国内外のオーケストラと共演するほか、ソロ、室内楽でも活躍している。
コメント 中標津はハンガリーのような風景。6歳から自分自身もハンガリーの祖父母の家、山の奥の何にもないところで暮らしてたんですけど、その景色にものすごく似てますね。遠くの方に牛さんがいたり、自然の中だったからこそ、ピアノと向き合う時間も自由に取れましたし、たぶん、音楽的なイメージをするとき、作品を弾くときに景色をイメージするときというのは、ある意味で自分の原点ですよね、この自然豊かな環境は。
リストはバルトークの次に音楽世界を感じさせてくれた作曲家で、バルトーク音楽小学校の次には、リストが立ち上げたリスト音楽院で5年間学ばせていただいたんですが、如何に彼が偉大な作曲家、偉大な人物だったかというのを意識させられたことがとてもよかったかなと思いますし、一人でも多くの方々に本来の、本当のリストのすがたを知って欲しいなという思いで、今回も多めにリストの作品を選んでみました。
今回、後半のプログラムには、リストのロ短調ソナタという31分ぐらいの長い作品を選んでおり、最高傑作と言ってもオーバーじゃないかなと思ってるんですけど、彼の人生観、或いは音楽家としての生き方、人間としての生き方、すべてが詰まっているような作品でして、18歳の時に弾いたこのロ短調そなた、或いは20代の時に弾いたロ短調ソナタ、で、この先、30代、40代、50代、何歳まで生きるかですけど、70代、80代で弾いたロ短調ソナタがどういう風に変化していくのかというのを、ずっと人生をかけてお付き合いしていく大事な曲かなと思っていまして、10年ごとのこのロ短調ソナタを皆さんに是非楽しんでほしいなと思います。

 

🎧名曲アルバム。ボロディン「ノクターン」。ロシアの作曲家ボロディンが、妻への愛を託した曲。生まれつき体の弱い妻に寄り添う、夫の慈愛に満ちたまなざしが切々とつづられている。【演奏】クァルテット・エクセルシオ ―番組紹介よりー

⛳緊急車の音を聞きながら7時8分更新。

 

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200914 クラシック倶楽部を聴く  ピアニスト賀集裕子の世界  

 優雅さと力強さが織りなす音の世界若き日に名手イブ・ナットの薫陶を受け、80歳をこえた今も理想の音色を目指して模索するピアニスト賀集裕子の世界へご案内する。―番組紹介よりー

🎵賀集裕子、193511日生まれ。昭和10年生まれだ。天野愛子、パウル・ショルツ、井口基成、井口愛子の諸氏に師事。近代の音楽家たちには親しい名前だ。経歴から、戦後の日本をピアノで、歌でメディアを通して明るくしてくれた音楽家であるのだ。励まされた方々は多いだろう。51年、第20回日本音楽コンクール第1位入賞。 56年、エリザベート王妃国際音楽コンクール10位入賞。そのときの顔ぶれをwikiから拾ってみると、

こうなっている。このとき、賀集はファイナルに残るとは思っておらず、協奏曲を考えてもいなかった。ベートーベンのピアノ協奏曲第4番、何と、アシュケナージが弾いて見せてくれたという。それでヒントを得た賀集はファイナルを最後まで弾いてしまったというのだ。
 ネットのある頁に賀集裕子のピアノは「内なる声と対話しながらの演奏」とあったが、けさの「オルフェオのメヌエット」の澄み切った音にはっと。齢重ねるごとに内なる音楽はいよいよ透明に澄んでくるのかもしれない。しかもその澄んだ空気からは、ひとりの女性ピアニストの来し方が、光が漏れ来るように聴こえてくる。これが一つの境地というものなのだろう。
ドビュッシーの「マズルカ」を聴いたとき、えっ、これがドビュッシー? そう、これもドビュッシー。賀集が、プログラム編成で、曲のちょっとずつ変わったところを狙ったといっていたが、初心者の筆者にこの狙いが分かりやすかったのがこの「マズルカ」だった。賀集はコメントでこう語っている「私は、リサイタルの時の頭に持ってくるのがバッハなんです、いつも。2声3声のフーガとかそういう重厚なドイツ音楽が好きなので、バッハから始めて、それからいろんな曲に入ります。ドビュッシーのマズルカを選んだ一つの理由は、マズルカといえばどなたもご存知のショパンなんです。ドビュッシーのマズルカなんてあるの? と思われるんですけれども、ドビュッシーにしては非常に古典的なものも中にちゃんと含まれていて非常に面白いので、そういうものがいいと。シューマンのアラベスクですけれども、アラベスクと言えばみんなの頭に浮かぶのは、ドビュッシ-ですが、それに比べて重厚でありながらドイツの中でも揺れ動くようなアラベスクに非常に興味をもちまして、そういうすこしずつ変わったところを狙ったという選曲」。

曲目は
「オルフェオのメヌエット」グルック:作曲、サン・サーンス:編曲
「マズルカ」ドビュッシー:作曲
「アラベスク ハ長調」シューマン:作曲
「トッカータ ホ短調 BWV914」バッハ:作曲
「詩曲 作品321」スクリャービン:作曲
「即興曲 第2番」フォーレ:作曲
「ノクターン 第6番 作品63」フォーレ:作曲
「月の光」ドビュッシー:作曲

ファイナルのときのようすを賀集のコメントで
56年エリザベート王妃国際音楽コンクールで12人のファイナリストにのこったとき、思わぬピンチに陥った。それを助けてくれたのが、このとき優勝したウラディミール・アシュケナージだった。そのときのことを賀集裕子は次のように語る。協奏曲は最終予選に通った時に自分が弾きたいものを書くんですけれども、残るなんて私は思ってなかったので、ちょっと恰好のいい曲でも書いておこうかと思って、本選用にまだ演奏したことのないバートーベンの協奏曲第4番を選択し書いちゃったんですが、その曲を弾く羽目になって、また必死に勉強いたしましたんですが、大変だよと言って、私が弾くベートーベンの、一度も弾いたことがないんですから、それを、アシュケナージさんが、第2ピアノ(オーケストラパート)のところをいっぺんだけ弾いてくださったんです。それがなかったら私舞台に立てなかった。たった一度のそれで、オーケストラに立ち向かって最後まで弾いてしまったんです」。

この収録は20171113日 自由学園 明日館(豊島区 西池袋)に於いてだが、賀集と溶けあう建物の雰囲気、そして窓ガラスにはめ込まれた独特な硝子面の配分に、この建物の設計は? とググってみたところ、こちらに。やはり、やはり「自由学園明日館は、1921年(大正10)、
羽仁吉一、もと子夫妻が創立した自由学園の校舎として、アメリカが生んだ巨匠フランク・ロイド・ライトの設計により建設されました」。

🎧名曲アルバム。「ダニーボーイ」アイルランド民謡、上柴はじめ編曲

世界中で愛されているアイルランド民謡「ダニー・ボーイ」。大切な人を失った悲しみに寄り添う歌詞と柔らかな響きの旋律を北アイルランドの風景とともにお送りする。―番組紹介よりー

 WIKIから
曲のタイトルは北アイルランドの県の名に由来する。この曲はロンドンデリー県(デリー県)リマヴァディのジェイン・ロスにより採譜された。彼女が聴いたのはタイトルも歌詞もない器楽曲としての演奏だったが、いつどこで誰から聴いたのかなどについて詳しいことはわかっていない[1]。ロスはこれを音楽収集家のジョージ・ペトリに預け、この曲は彼の編纂による1855年発行の「The Ancient Music of Ireland」(アイルランドの古代音楽)に収録された[2]。この書物には無名の曲としてリストされたが、「ロンドンデリーのジェイン・ロスの収集による」という註がつけられたため、この曲は「ロンドンデリーの歌」として知られることとなった[3]

以下もwikipediaからの転載
「この曲の起源についての詳細は長い間謎に包まれていた。というのもロス以外の収集家にはこのメロディーと出会った者がなく、知られている例はいずれもペトリの発表に由来するものだったからである。もう一つの謎はその音域の広さである。特に曲の終盤の旋律は極めて高い音域に遷移しており、この部分はプロの歌手にとっては聴かせどころとなっている一方で一般の人にはなかなか歌うのが難しくなっている。これは伝統的な民謡としては極めて異例なことである」。
ここに一つの不思議がある。

⛳8時59分更新
「お疲れです」とインナーチャイルドか、どこかで誰かがいっていたのか、聞こえたとおりのすこしお疲れの月曜日。しかしけさの音域は何かその疲れをここちよいものに変えてくれた。


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きょうのことば

 インマヌエル盛岡キリスト教会の2020年9月6()の礼拝メッセージをおつたえいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で47年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 『パウロと祈り』(國光勝美牧師)
聖書個所 新約聖書 エペソ書6:1020

10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。11 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。14そして、堅く立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、15 足には平和の福音の備えをはきなさい。16 これらすべての上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。17 救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。18あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。19 また、私のためにも、私が口を開くときに語るべきことばが与えられて、福音の奥義を大胆に知らせることができるように、祈ってください。20 私はこの福音のために、鎖につながれながらも使節の務めを果たしています。宣べ伝える際、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。

<説教>

 この朝は、大切なところとしてエペソ61820節に注目しようと思っております。

 パウロは、この神の武具をもって鎧うようにといっております。そしてこの6章の締め括りのところである181920節には、「祈り」ということばが次つぎに出てくる。ここに、神様からの大きな示唆があるように思います。注意して読んでみましょう。

18あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。19 また、私のためにも、私が口を開くときに語るべきことばが与えられて、福音の奥義を大胆に知らせることができるように、祈ってください。20 私はこの福音のために、鎖につながれながらも使節の務めを果たしています。宣べ伝える際、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください

 パウロが、こうも立て続けに祈りということばを使っている。パウロにとって祈りはどういうものだったのでしょう。

 パウロが初めて「祈り」を知ったのは、おそらくステパノが殉教するときです。パウロがまだクリスチャンを邪教の輩と思い込み、殺害の意気に燃えていたそのとき、キリストの証人であるステパノが、ユダヤの人たちの怒りにふれて公開処刑である石打の刑になるときだったでしょう。若手の急先鋒であるパウロは、処刑をする側の一員として、そこで初めて登場してきます。彼は、クリスチャンたちは邪教の徒であり、彼らを抹殺することこそ神の御心に適うと思いこんでいたのです。ステパノがいよいよ石打に遭い絶命寸前だったとき、ステパノは「この罪を彼らに負わせないでください」と、天におられるイエス様に祈りました。これが祈りであることを、パウロはたぶん初めて知ったでしょう。

 それからパウロの生涯にとって劇的だったのは、やはりクリスチャンを殺害しようと勇んでダマスコの途上にあったときにイエス様に出あいます。「いったいこれはどういうことなんだ!」、彼は自分の今までの生き方がわからなくなった。静かに祈っておりましたときに、祈りの中に、アナニアという人が示されました。アナニヤが目の見えなくなったパウロ導きます。それまで曇っていたパウロの目からうろこが落ちるようにパウロはここでほんとうの救いを経験します。パウロの回心の祈りがありました。

 また彼の生涯で有名なところとすれば、ピリピの獄中における祈りもあります。それからローマに行こうとした船が大嵐に遭い、まさに沈まんとしたときに彼は祈った。

 パウロは人生のあらゆる局面において、もう祈ることが当たりまえであるかのように祈っている。パウロは祈りというものをほんとうに知っている人物です。だからこそ「祈って下さい」とリクエストしているのです。

 私どもの個人的なことでも、祈られている幸いをこの1年ほど力強く感じたことはありません。ですので、パウロがこの手紙の締め括りで「祈るように」、また「祈ってください」と記すその願いと想いがわかります。これは「ご健勝をお祈りしています」「敬具」「かしこ」のような慣用句とは違います。ほんとうに祈ってもらいたい、祈りを知っているから、あのときこれまでそうだった、あのときの難船もそうだった、ステパノの時もそうだった、みんな祈り祈り祈りによって成し遂げられたのだと、そのことを思います。

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  さて、私たちの日常生活にあって、祈りはどういう位置づけになっているでしょうか。私たちは、祈らないときがあります。祈れないときがあります。祈らないとき、祈れないとき、それはどういうときなのでしょう。

 皆さん方、たぶん今朝も鏡をごらんになったと思います。男性女性に関わらず、私たちは鏡を見ます。鏡を見ますと、そこに自分の今の状態が映し出されています。祈れないとき、祈らないとき、鏡に映っている自分はどんな顔をしていますか。これはどこの注解書にも書いておりません。自分自身の経験からです。鏡が汚れているときがあります。雑事にかまけて鏡を見るのを忘れている。自分自身を見つめる機会が色々なことでおざなりにされている。祈りを忘れている。鏡が汚れていると気づいたら、それはいいことです。もういちどほこりを拭いてきれいにして、さあ、そこに自分の今の顔、状態を映したとき、そこに質すべき、正すべき自分がいる。気づかされ教えられる。自分自身のさまざまを鏡の中で、祈りの中で整えられていくのです。そうか、このことがいけなかったな。鏡を見ないとそのことがわからない。しかし、ほんとうに祈りの鏡を見たときに、ああこれがいけなかったとわかる。お祈りの鏡を見ている時に、あのとき、これがいけなかった、祈っているうちに、だんだん自分の今の状態がわかってくる。

 みなさん、今週、祈りの時間がなかったのなら、もういちど祈りのために鏡を取り出してください。その鏡にもしほこりがたまっていたならば、どうぞ拭き取って、鏡をもういちどきれいにして、そして神様の前にで出てみてください。祈って下さい。すると、私自身のほんとうのすがたがそこに現われてくる。現れてくると、聖霊様が、ほら、いいね、今のあなたのここがいけないんだよ。はい、わかりました。このように教えられます。この鏡を見る幸い。これも信仰生活の醍醐味の一つではないかと思うのです。鏡で筋肉の出来具合を確かめるボディビルダーもいるでしょうけれども、しかし、鏡は、自分のあり方、神様との自分のあり方に向き合わせてくださる。これはとても現実的です。

 きょう私が話した鏡以外のことはすべてを忘れいただいても結構です。まず鏡を見ていただきたい。それを別の表現でいうと祈ってごらんなさいということなのです。今週どれだけ鏡をご覧になりましたか。神様の前に、自分のほんとうのすがたをどれだけ映しましたか。どれだけ教えられましたか。鏡を見ていると神様は語ってくださる。そしてそれによって調整し整えられる。恐らくパウロはこの繰り返しで、私たちがイメージするパウロになったのだろう、こう思います。身だしなみをきちっと整える、これは親しく神様と一緒に歩む者たちのエチケットです。

 

こんな思い巡らしの中からこんどは618節に入っていきましょう。

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18あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい

「祈りと願いによって」、とあります。「祈り」という言葉で意味しているものと、「願い」という言葉で意味しているものとでは、若干の違いがあることに気がつきます。

 この場合の祈りというのは神様との交わり、つまり、鏡を見たときに、ああ、自分はこんなにも神様に愛されている。神のひとりごのイエス様の十字架のすがた、この神と向き合う、つまり、鏡を見て、救われている自分を凄いなと思う。鏡の中の自分に、変なようですが、良い意味においてうっとりとする。こんな者がイエス様によって赦されているのだ、こんな者が! それがわかるときに、嬉しくてうれしくて喜びが止まらない。これが祈りなのです。祈りというのは、鏡を見ることなのです。そこにおける神様との交わりに心が豊かになる。

 そして「願い」、これは文字通り嘆願といっていいでしょう。お願いすること。神様のまえに豊かな贖いの恵みを感謝し、心をほぐされ、この問題、この課題を、主よ、どうぞ宜しくお願いしますと祈る。「あらゆる祈りと願いによって」、目を覚まし忍耐の限りを尽くして祈らせていただきましょう。それは、「聖霊によって」、なのです。「どんなときにも御霊によって祈りなさい」なのです。この御霊によって祈るから、イエス様の十字架と贖いの恵みが私達にいよいよ大きく表される。

ローマの826節をご覧ください。

同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。

 だから鏡を見て、ああ、こんな者が赦されて、今保たれて、こんなにイエス様の恵みをほめたたえている。主よ、ご存知ですよね、今私が何に直面しているか、どんな課題にあるのか。祈ってください。嘆願して下さい。

 ご聖霊様が弱い私たちのために執り成していてくださる。御霊によって祈るというのは、こういうことなのです。御霊によって祈る。それはイエス様の前にしっかりと鏡を見て感謝し、そしてご聖霊様が、いま私の必要をずっと執り成してくださる。有り難うございます。こういって立ち上がる。これが毎朝鏡を見てクリスチャンとして立ち上がる日常のすがたであるべき、聖書はそう教えているのではないでしょうか。

祈って下さい。

19また、私のためにも、私が口を開くときに語るべきことばが与えられて、福音の奥義を大胆に知らせることができるように、祈ってください

「語るべきことばが与えられるように」とパウロ。これは牧師である私の願うところでもあります。是非牧師のためにも語るべきことばが語られるように祈っていただきたい。私自身きょうのメッセージとして、新しい光として与えられたのは「鏡を見る」、このことでした。パウロはほんとうに“鏡”を見続けた人であろうと思います。これが私のきょうのメッセージです。

 この講壇では、時事講演をしたり、聖書と離れた話をするのではなく、語るべきは神のメッセージ、聖書からのメッセージです。神様は今何を私たちに必要なものとして語ってくださるのか。

 

 それから、福音の奥義を大胆に語ることができるように。みことばを大胆に語ることができるように。

 奥義、これは難しい秘伝のようなものではない。福音の奥義、神の御子が我らの罪のために人となって十字架の贖いを成し遂げ、そして、よみがえってくださったというこの福音の奥義が語られるように、大胆に語れるように祈って下さい。私たちはしばしば臆病の霊に捉われてしまうことがあります。

テモテ第二の手紙17神は私たちに臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました。

大胆に福音を証しすることができるように、どうか祈ってください。

 これはエペソの学びを通しての特権ですけれども、私は皆様方にお願いします。どうぞ、この足りない者のために、メッセージが与えられ、きちんと奥義を語ることができ、のみならず、これを大胆に語ることができるように、どうか祈って下さい。皆さん方に心からこのことをお願いいたします。

 

※画像は教会からお借りしています。5時48分更新

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雑感

けさは更新のための更新といったところ。
J-MEROでは、May J.のフレッシュを。
気付くとアンジュルムは終わり、宮本佳林が歌い、続く清野桃々姫。
終わってすぐにワールドニュースに切り替えたところ、難民の厳しい実情、仏の入院者数増加で前番組が吹っ飛んだ。

しかし目をあげてみると、曇ってはいるが、穏やかないつもの景色。パソコン周囲には読み止しの「カザルスとの対話」、バジレア・シュリンク「迫害前夜」、そして教会で毎週発行される週報のファイル、パソコンがトラブったときのお助けメモ帳などが並んでいる。しているうちに7時、パソコンを閉じる時間。

 

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200911 クラシック倶楽部を聴く  ルシエンヌ トランペット

フランス生まれのトランペットの新星、ルシエンヌ登場。クラシックや映画音楽などの名曲をお届けする。曲目:白鳥(サン・サーンス)、オブリヴィオン(ピアソラ)他―番組紹介よりー

ルシエンヌ トランペットに恋して
(トランペット)ルシエンヌ・ルノダン・ヴァリ、(ピアノ)沢木 良子
秩父ミューズパーク音楽堂

1999年フランス生まれのトランペット奏者。パリ国立高等音楽院でクラシックとジャズを同時に学ぶ。18歳でワーナー・クラシックスと専属契約。辻井伸行との共演は記憶に新しい。先ずはすべて耳から覚え、後で楽譜で確認する練習方法を取っている。

 

曲目

☆「亡き王女のためのパヴァーヌ」ラヴェル:作曲
「スペインの七つの民謡」ファリャ:作曲
「組曲「動物の謝肉祭」から「白鳥」」サン・サーンス:作曲
「ロシアの踊り」オスカー・ベーメ:作曲
「オブリヴィオン」ピアソラ:作曲
「ウィーン風小行進曲」クライスラー:作曲
「愛の悲しみ」クライスラー:作曲
「スカルラッティの主題による変奏曲」マルセル・ビッチ:作曲
「ウォーキング・イン・ジ・エアー」ハワード・ブレイク:作曲
「虹の彼方に」アーレン:作曲

🎵 ルシエンヌといえば若く美しく才能あふれる裸足のトランペット奏者と銘記されている。はじめて聴いたときには、この裸足が気になって仕方がなかったが、前回ではこれも彼女の表現と納得し、今回ではなぜか気にならなくなった。何しろ音はやわらかく優しい。これで自分を自由に表現できるならとやかくいうほどのことではない。トランペットで物語り、トランペットでおしゃべりを。

⛳7時2分更新。

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200910 クラシック倶楽部を聴く 紀尾井ホール室内管弦楽団 木管五重奏

名手6人が紀尾井ホールに集って行った演奏会からオペラ、フランス音楽の名曲を。【出演】難波薫(フルート)、池田昭子(オーボエ)、勝山大舗(クラリネット)、岩佐雅美(ファゴット)、日橋辰朗(ホルン)、鈴木慎崇(ピアノ)【曲目】喜歌劇「こうもり」序曲(ヨハン・シュトラウス作曲)ほか【収録】2019年1月29日 紀尾井ホールー番組紹介よりー

🎵それぞれに一言づつのコメントで、遠かったメンバーがぐんと身近に。今回はトム・ケネディ編曲の「こうもり」序曲」で明るく活き活きと弾む響き、その響きに鳴るホルンとファゴットの落ち着いた響きを心楽しく聴いた。それとラヴェルの「マ・メール・ロワ」これは「マザー・グース」を題材として作曲されている。オーボエ奏者であるダヴィット・ワルターの編曲で、ピアノを入れたことで立体的な響きになっていると。

以下はウキペディアからの転載だが

1曲 眠れる森の美女のパヴァーヌ(Pavane de la belle au bois dormant

4/4拍子 Lent(ゆっくりと)

シャルル・ペローの童話集『マ・メール・ロワ(マザーグース)』の「眠れる森の美女」から。

2曲 親指小僧(Petit Poucet

2/4拍子 Très modéré(とても中庸に)

『マ・メール・ロワ』から。曲名に関しては「一寸法師」という訳があてられることもある。

3曲 パゴダの女王レドロネット(Laideronnette, impératrice des pagodes

2/4拍子 Mouvement de marche(マーチのリズムで)

ドーノワ伯爵夫人マリー・カトリーヌ1650年頃 - 1705年)の『緑の蛇』から。パゴダとは塔を意味し、そこに住む中国製の首振り陶器人形の物語。

4曲 美女と野獣の対話(Les entretiens de la belle et de la bête

3/4拍子 Mouvement de Valse très modéré(とても中庸なワルツのリズムで)

マリー・ルプランス・ド・ボーモン英語版1711 - 1780年)の『子供の雑誌、道徳的な物語』からの「美女と野獣」に基づく。

評論家ロラン・マニュエルは、エリック・サティの「ジムノペディ」の影響を指摘している[2]

5曲 妖精の園(Le jardin féerique

3/4拍子 Lent et grave(ゆっくりと荘重に)

「眠りの森の美女のパヴァーヌ」と同じくペローの「眠れる森の美女」から。眠りについた王女が王子の口づけで目を覚ますシーン。

「親指小僧」「パゴダの女王レドロネット」「美女と野獣の対話」には、原作から短文が引用・付記されている。

このうち、紀尾井の演奏では、235曲に惹かれた。2曲は水の上を聖霊が漂っている感じ。3曲は始まるよ~といった躍動感。5曲ではピアノが細やかな水音のような響きが清冽、新鮮に記憶にのこった。ウィキの解説とは別に自分がそう感じたところを記す。

🎧名曲アルバム。マーラーの「アダージェット」。【管弦楽】NHK交響楽団,【指揮】広上淳一。イタリアの巨匠、ヴィスコンティ監督の映画「ベニスに死す」。神秘的な「アダージェット」の旋律は、倒錯の世界に身を滅ぼしてゆく芸術家の姿を、より甘美に映し出す。ー番組紹介よりー

🎵美しさは倒錯的なうちにもあるはあるらしい。何れ若さはつかの間。鏡の向こうには筆者の頭蓋の骨も見える近頃。

⛳きょうの予報では30℃を下回るようだ。24時間雨量80ミリ。要注意は積乱雲。日々注意項目に縛られる日々。しかしこのような音楽の楽しみ、創造にはほどとおくなっているが、想像の自由があることに感謝、感謝。6時54分更新。

 

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200909  クラシック倶楽部を聴く  ファブリス・ミリシェー トロンボーン・リサイタル

圧倒的なテクニックと豊かな表現力で「若きレジェンド」と賞賛される演奏家、ファブリス・ミリシェー。ピアノの中川賢一とのデュオでトロンボーンの妙技を聴く。
出演】ファブリス・ミリシェー(トロンボーン)、中川賢一(ピアノ)【曲目】トロンボーン・ソナタ「大天使ガブリエルの嘆き」(シュレック作曲)、6つの演奏会用小品から(グラドキフ作曲)ほか【収録】2019年1月29日 武蔵野市民文化会館小ホールー番組紹介よりー

 

☆「トロンボーン・ソナタ「大天使ガブリエルの嘆き」」シュレック:作曲
「室内カプリッチョ 作品35」クロール:作曲
「トロンボーンとピアノのためのバラード」マルタン:作曲
「交響的小品 作品88」ギルマン:作曲
「ゴールデン・スランバー」レノン&マッカートニー:作曲、武満徹:編曲
(ピアノ)中川賢一
6つの演奏会用小品「ホフマニアーダ」から」グラドキフ:作曲

🎵以下は3月に聴いたときに書いた内容。
ミリシェーが、オンライン・マスタークラスについて語っているが、放送とはまた別にちょっと転載してみる。日本にいながら彼の講義を受けられるかもしれない。
「長い間、いつかは始めたいと思っていましたが、はじめは良い方法が見つかりませんでした。リアルタイムのオンライン動画通信でレッスンをしている人もいましたが、それが上手くいくとは思えませんでした。
一つ目の問題は時差です。例えば日本とは8時間の時差があります。生徒が10時にレッスンを受けたいとしたら、フランスにいる私は夜中の2時です。時差のせいでレッスン時間を決めるのがとても難しいのです。二つ目は音のクオリティです。インターネットの状況に左右され音がよく聞き取れない場合があります。三つ目は言葉の問題です。私は英語、フランス語、ドイツ語でレッスンをすることができますが、誰もがこれらの言語に堪能なわけではありません。
こうして、私は「生徒が自分の動画を送り、私がコメントをつけて送り返す」という方法を選びました。
まず生徒が自分の演奏をビデオに撮って私に送ります。例えば、今ギルマンを練習しているとします。彼は自分のビデオカメラでギルマンを演奏しているところを撮影します。それは、一人でもピアニストと一緒でもどちらでも構いません。
その後、受けとったビデオを見ながら私がレッスンをします。本人の演奏動画を流しながら、直すべきこと、もっとこうすべきだと思う箇所で一時停止をし、私がアドバイスをしているところを撮影します。
オンライン・マスタークラスならば、リアルタイムのオンライン動画通信による先ほど述べた3つの問題点は解決できます。また、一時停止もできますので、生徒は理解できるまで何度も聴くことができます。外国語が苦手な学生には特に重要ですね。」

今回は、グラドキフの「6つの演奏会用小品「ホフマニアーダ」から」、これは大曲だなと思いながら聴く。はじめは錯綜とした感じだったが、思索的になり、第5曲でピアノの音がよく聴こえだし、あとは最後まで楽しめた。
ミリシェー語るに、6歳で兄弟姉妹でピアノトリオを楽しみ、14歳でジャズに目覚めたという。チェロとトロンボーンを並行して学ぶ。トロンボーンは音がまろやかであたたかく、多彩で繊細であると。小さい音から力強い音までをだすことができ、弦楽器のチェロと立場が似ている。生徒には「音楽を楽しむ」ことを教えているという。音楽のすばらしさを噛みしめ、分かち合うことが大切であると。

 

🎧名曲アルバム。「オーヴェルニュの歌」フランス民謡・カントルーブ編曲
【ソプラノ】釜洞祐子,【指揮】松尾葉子,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団 ~フランス・オーヴェルニュ地方―番組紹介よりー
🎵「聴き手が田園風景やそよ風が感じられるような曲が書きたい」とカントルーブがいっているようだが、今朝の疲れ気味にはこの静かな響きが心によく透った。優しく懐かしさが感じられる。鍋を持ち出しダンスに興じる場面があったが、これは結婚式の祝いなどの席で踊られるのだとか。

⛳33℃、34℃でもこれを残暑というのか。
9月、盛岡市の庁舎前には栃の並木が。このころになると「トチの実が落ちます」と注意書きが幹に取り付けられる。「トチの実が落ちます」。30分以内で郊外にも抜けられ、林の中ではドングリも栗もクルミも落ちます。木の実が落ちる。枝や幹にコン、カラーンと音を響かせ、散り敷かれた枯葉に落ちて森閑とした澄み切った林に落下の音をさせる。いたるところに木の実が落ちる。栗の実を2粒3粒でも拾ってみたい。どうぞと口を開けたイガから、枯葉を書き分けて、見つけられまいとどこかにもぐりこんだ栗の実を見つけてみたいもの。
8時57分更新

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200908 クラシック倶楽部を聴く エリック・ホープリッチ&ロンドン・ハイドン弦楽四重奏団

ピリオド・クラリネットの世界的演奏家エリック・ホープリッチ、そしてピリオド楽器によるカルテット、ロンドン・ハイドン弦楽四重奏団によるハイドンとモーツァルト。作曲家たちが思い描いた音色による、古典の名曲をおおくりする。ホープリッチが自ら製作したバセット・クラリネット(18世紀終わりの版画から再現)の柔らかくあたたかな音色にも注目。【出演】エリック・ホープリッチ,キャサリン・マンソン,マイケル・グレヴィチ,ジョン・クロカット,ジョナサン・マンソンー番組紹介よりー

 

🎵この朝の聴きどころは、何といってもエリック・ホープリッチのバセット・ホルン。「ぶらあぼ」によれば、ホープリッチは古楽界の巨匠たちと多くの共演をし名演をのこしてきているようだが、貴重なオリジナル楽器の収集家や研究者としても知られる名匠であると。元々は、モーツァルトが五重奏曲や協奏曲を献じた名手、アントン・シュタードラー(17531812)が愛用した楽器が描かれた版画を基に、番組では実際にのこっているモーツァルトの古いプログラムにある写真からとホープリッチがいっていたが、それからホープリッチ自身が復元製作したもの。球状のベルがついていて、キーの数が5つと極端に少なく、裏に低音を出す4つのキーがついており、普通の楽器よりも長3度低い音域まで出せる。ホープリッチがちょっと試奏した短いフレーズだけでも、彼の言う通り美しく表情豊か。
ハイドンの「ひばり」、騒がしい世間から逃れて閑静な田舎の灌木の際に通る道をほっとしながらゆったりと散歩している心持に。古楽器の空気との親和性は抜群。ピリオドの弦ゆえに時としてふわりとさまようような響きも人間的。モーツァルトの「クラリネット五重奏曲」、これぞモーツァルトのお気に入りの再現。空間の幾とおりもの方向からも聴こえる気がして眼をあけると、そのたびに和らかくやさしげな表情を耳に返してくれる。「復元」とひとことでいっているが、この音を手にするまでの苦労はどんなものだったろう。湾曲する部分、球状の部分、接合部分、穴の加減、キーがぴたりといくかどうか、それこそ忍耐深い試行錯誤の繰り返しでできあがったのではと。うん、これこれ、とけさもモーツァルトの機嫌は上々と思うのだが。 

 

🎧名曲アルバム。ドボルザークのあの「母がおしえてくれた歌」にじんと。

⛳7時ジャスト更新

 

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200907 クラシック倶楽部を聴く  エマニュエル・パユ フルート・リサイタル 

エマニュエル・パユ フルート・リサイタル

 89年神戸国際フルート・コン優勝以来、鮮やかな技術と流麗な音楽性で人気を博してきたパユ。今回はドイツ・バロックのテレマンと現代作品を交互に組みあわせた意欲的な公演。【曲目】無伴奏フルートのための幻想曲第1番イ長調(テレマン作曲)、スクリーヴォ・イン・ヴェント(カーター作曲)ほか【演奏】エマニュエル・パユ(フルート)【収録】2019年12月2日 東京オペラシティ コンサートホールで収録―番組紹介よりー

 

🎵今回のプログラム編成にパユの知見を見た。テレマンの「無伴奏フルートのための幻想曲」、このバロックの響きをベースに巧みにそれぞれ個性の曲調の異なった現代曲を挿入し、飽きることなくバロックを際立たせ、それぞれの現代曲の特徴を際立たせ聴かせてくれた。

「無伴奏フルートのための幻想曲 第1番」→「比重21.5(ヴァレーズ)
「無伴奏フルートのための幻想曲 第10番」→「スクリーヴォ・イン・ヴェント」(カーター)
「無伴奏フルートのための幻想曲 第5番」→「めやぎの踊り」(オネゲル)
「無伴奏フルートのための幻想曲 第6番」→「ソナタ・アパッショナータ」(カークエーレルト)
「無伴奏フルートのための幻想曲 第7番」

テレマンの第1番の次に「比重21.5」(ヴァレーズ)、この次にテレマン第10番といった以上のような配列。「比重21.5」はプラチナの比重。尺八の節回しも感じられ、尺八の音域の事はわからないが、このような現代曲を尺八でやってみたら面白かろうと。「スクリーヴォ・イン・ヴェント」は「風に書く」の意。風がざわつく叢林に明滅させる光の屈折を写実的にとらえている感じが。異次元に足を掛けたかなと。「ソナタ・アパッショナータ」のカークェーレルトって、と思ったところに、ドイツの作曲家でありオルガニスと。この曲は1917年第一次世界大戦で知り合った友のために作られた曲と当意即妙な字幕解説。曲の終わりは「無伴奏フルートのための幻想曲 第7番」で、フルートの音が遠ざかっていくかに演奏しながらパユがステージの袖にすがたを消す。全曲無伴奏演奏という実力。ベルリン・フィルの首席であってみれば、当たり前といえばあたりまえなのだが、知見によるプログラム編成、演奏の質の高さに感銘。無伴奏フルートのための幻想曲は第10番がいちばんよかったが、この10番を次のベースに入れたことで、テレマンはこんなにいいものだよ、だから続けて最後まで聴きなさいというパユのお勧めが。

 

🎧名曲アルバム。「大きな古時計」ヘンリー・クレイ・ワーク作曲/ニウナオミ編曲
【合唱】東京混声合唱団,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮者】円光寺雅彦 ~アメリカ・グランビー、ミドルタウン~―番組紹介よりー

ヘンリー・クレイ・ワークの父親は奴隷解放運動家であり長く投獄され、そのためにヘンリーはひどく貧しかったらしい。それでも13歳で働きに出た印刷工場でオルガンに出あう。ヘンリーは1832生まれ。アメリカの奴隷解放の歴史をたどる時間はないけれども、当時の活動に対する当局の苛酷さが想像せられる。「大きな古時計」、この曲の温かさ、作曲者の温かさに久方ぶりにぬくもった。

 

⛳台風、これほど科学が進んだ、と書いて、ほんとうにすすんだのか? と問い直すが……。何とかならないのか、これほどの情報の中に、台風の勢いを衰えさせる術はないのかと、とにかくググってみると、こんなページが。抜粋すれば、10号「台風をふせぎ暴風雨をおさえるには、それ以上の力がいります。(中略)台風などのもっている力(エネルギー)がどのくらいか計算してみると、およそ1018乗ジュールであることがわかります。それはマグニチュード8という大きな地震の力と同じくらいです。そしてそれは原子爆弾(広島型)の10万発分、水素爆弾の100発分となります。ですから、台風のなかまをつぶそうとしてもかえってちがう災害をおこし、むだをうむことになります。」と記載あり。

7時5分更新

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きょうのことば

 インマヌエル盛岡キリスト教会2020年8月30()のメッセージをおつたえいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で47年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 『神のすべての武具』(國光勝美牧師)
聖書個所 新約聖書 エペソ書6:1020

10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。11 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。14そして、堅く立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、15 足には平和の福音の備えをはきなさい。16 これらすべての上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。17 救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。18あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。19 また、私のためにも、私が口を開くときに語るべきことばが与えられて、福音の奥義を大胆に知らせることができるように、祈ってください。20 私はこの福音のために、鎖につながれながらも使節の務めを果たしています。宣べ伝える際、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。

<説教>

この朝はエペソ611節、特に、「神のすべての武具を身に着けなさい」を中心に恵みをいただこうと導かれております。

 このエペソ人への手紙は、パウロが、福音を宣べ伝えていることで当時の人々から反発を受けてしまい、ローマの獄中に囚われの身となった数年間に書かれました。獄中にあって教会宛に書いたお手紙、それがエペソ人への手紙、或いはコロサイ人への手紙等などですが、それが獄中、或いは幽囚書簡と分類されております。パウロは、自分を監視しているローマ兵たちを日々目にしながら、この福音が、それぞれの教会にしっかりと伝わりますようにとの願いを込めて書簡を認めていたわけです。そしていよいよ、エペソの教会宛の手紙が締めくくりに差しかかったときに、

10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。

彼はこう記しました。
 ローマの兵隊たちは、パウロの日常のあり方、生き方に感銘を受けるようになり、回心をし、救われる人たちも出て来ました。そして次の任地に赴いたときには、このパウロの福音を告げ知らせたので、兵隊たちの間にキリストの福音が伝わっていくようになっていたのです。
何れパウロは、エペソ宛の手紙の筆を置こうとするとき、エペソの人たちがどうか信仰を守り通してしっかりと立ってもらいたいという願いをこの書簡にこめたわけです。

「終わりに言います」、これは、さあいよいよ心してくださいね。「主にあって、その大能の力によって強められなさい」。「主にあって」、つまり、キリストご自身のその大能の力、イエス様ご自身を自分のあり方に当てはめる。キリストご自身の信仰によって強められなさい。これは、前回もすこし触れたところでありますけれども。私たちの信仰はつまずいたり転んだりしてしまうような信仰でもある。そうしたくなくても弱い私たちはそういう信仰ですけれども、しかし、イエス様が持っておられる、イエス様が父なる神様に対して持っておられる信頼に満ちたゆるぎない信仰、その大能の力によってどうか強められなさいといっている。あなたたちを取り囲んでいる悪魔、サタンはほんとうに大きな力を持っているから、だからどうかどうかキリストご自身の信仰によって強められなさいというのが10節にあるわけです。

そして11節「 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい」。

「悪魔の策略」、これは私たちの信仰を阻もうとする勢力、悪魔の、サタンの勢力であります。悪魔は巧緻に長けており、警戒心を起こさせないような姿で近づいてくる。あのイエス様でさえ、あの荒野の40日の誘惑に遭いました。イエス様さえも信仰を試みられました。まして私たちが試みに遭うのは当然。誘惑に遭う事自体は罪ではない。もしそれが罪だとすればイエス様の40日の誘惑は罪であることになってしまう。そんなことはない。誘惑に遭うことは罪ではない。

では何によってその悪魔の策略に勝つことが出来るのか、そこが大切なところです。

12節に「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものですとある。悪魔はこの世の目に見える類の者ではなく、この世の暗闇の支配者たち、天上の諸々の悪霊です。悪魔の支配も神の範疇にあるのですが、被造物世界を牛耳っている。この世の神と呼ばれる悪魔が私たちを滅びへと追いやってしまう。この世には暗闇の支配者たちが満ちている、このことを知っているだけでも、心に留めるだけでも意味があると思います。私たちのほんの僅かなスキを悪魔は決して見逃さず、何とか信仰の道から背けよう背けようとする。そんな勢力が私達を取り巻いている。私たちが教会の礼拝で恵まれて、きょうは悪魔との戦いについて勝利の秘訣をいただいたと感謝して教会の扉を出たときに、もうそこにバナナの皮でもあったかにスッテンコロリンとひっくり返ってしまうような、ほんとうに、それほどに悪魔は私たちのスキを狙っているのですよと、パウロはエペソに代表される教会に、「こういう人たちの中にあって、どうかしっかりと立ってください、堅くたってください」と勧めているのです。

そして13節「 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい」。

 続いて14節、15節というようになっていきます。

正確にいうとこの前の聖日のときには、この部分のところまで大急ぎに学び、このことをこんどは次の聖日に、つまり今日の礼拝のときに深く学ばせていただきますと申しましたが、「堅く立つ」という意味がこういう意味であることを確認していただいて、さあ、それでは神の武具というものに具体的に眼を留めていただきたいと思っております。

14節から腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、15 足には平和の福音の備えをはきなさい。16 これらすべての上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。17 救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。

次の絵ですが、パウロを監視しているローマの兵隊の日常的なすがたを借りて、パウロはローマの兵隊がどういう武具を身に着けていたのかを一つひとつ当てはめていったわけであります。

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 先ず「腰には真理の帯」、これがいわゆるベルトですね。ベルトがきちっとしていなければ困ります。さて、つぎのところは「胸には正義の胸当て」、これは心臓部分を守ってくれるものです。それからもう一つ「平和の福音」、ローマの兵隊の履物ですね。そして、「信仰の盾」。それから「救いのかぶと」、ヘルメットですね。そして「神のことば」。このように141517節に神の武具ということが記されてあります。きょうはそのところをもうすこし詳しく見ていきたいと思います。

「真理の帯」、せっかくきれいに着たら、帯できちっと締めないとそれはだらしがない。やはり最初に帯がきちっと締まらないと。帯は大切です。私は高校時代に必修で柔道をさせられました。やったことがありませんから勿論白帯です。おお、これが柔道か。帯をぐっと縛ったことが強く印象にあります。ここでいう「真理の帯」というのは福音の真理といっていいでしょう。私たちが福音の真理によってぐっと締める。そしてエペソの421節「ただし、ほんとうにあなたがたがキリストに聞き、キリストにあって教えられているのならばです。まさしく真理はイエスにあるのですから」。

 その福音の真理とは何ですか。イエス・キリストが私の罪のために私を愛し救うために十字架の贖いの死を遂げてくださったこと、そしてそれを見事に成し遂げてくださった復活、主の福音とは十字架と復活というこの大切な福音の真理です。これによって私たちきちっといま腰の真理のひもを縛っているでしょうか。

 話しているうちにまた思い出しました。こんどは大学時代にラグビーを選択させられてしまいました。グランドでの初めての授業で、使い古したネクタイをもってくるようにと言われました。ぶつかったときに金属のベルトは傷がつく、相手も傷つけるので、ぜったいにバックルのようなベルトはダメだというのです。使い古しがなかったので、新しいのを持って行きましたが。ネクタイはきちっと締まるものですね。

 みなさんどうですか。福音の真理の帯がきちっと締められているでしょうか。それは、私たちの贖いの十字架と復活の主イエスさま、これは、わたしたちの回心経験が確かであること、また潔めの経験、これはきょうは詳しくはお語りしませんが、きちっとした締めた経験、しかしそれがだんだん緩んでくる。締め方が悪い。しかしそのときに、潔めというものをしっかり理解していきますと、くっとしまりが良くなる。どうか先ず皆さん方にきょう、真理の帯がきちっと自分に巻かれていることを確認していただきたい。それからもう一つ、こんどは、胸には正義の胸当て、心臓を守る。大切な命をまもるところの胸当てです。きちっと自分の大切な命を守る物として胸当てを着けていますか。「正義の胸当て」、悪魔がやってきてもだいじょうぶですか。火矢を打ち込んできても悪魔と戦ってもこの胸が守られているか。これです。キリストの義です。私たちは弱いものです。しかし、私たちの義ではなくキリストの義が、イエス様ご自身が私たちのなし得ぬ律法を全うしてくださる。できない私たち。しかしイエス様は、律法の義を完全に守って下さって、守ることができた神の仔羊なるお方が、私たちの身代わりになってくださる。神の義とキリストの十字架の贖いこそ私たちの義そのものであります。「キリストの十字架はわが罪のため」というこの信仰による神の義、キリストの義をしっかりと身につけるときに、悪魔がどんなに火矢を放ってきても、私たちは守られる。

ローマ833節「だれが神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです」。

そうです。悪魔は私たちを夜昼神の前に訴える者なのです。しかし、神が義と認めてくださる。神が「この者は、十字架に架かった私の子ども御子キリストがわたしのためだということを信じています。だからその信仰に免じてこの男は神の前に義なる者です」。こう赦免してくださる。キリストの義を私たちはしっかりと持つことです。そうしていれば、夜昼神の前に訴えるサタンが来ても、キリストの義を私たちの胸当てとしてしっかりと持っているならだいじょうぶ。

 こんどは足です。「平和の福音」とあります。

ローマ1015節「遣わされることがなければ、どのようにして宣べ伝えるのでしょうか。「何と美しいことか。良い知らせを伝える人達の足は

こう書いてある。

「平和の福音」、何とすばらしいことか。イエス・キリストは、あなたのために十字架に架かりよみがえってくださり、永遠のいのちを与えてくださるというこの福音を宣べ伝える、何と幸いな事でしょう。その足。このローマ1015のもとになっているおことばが

イザヤ527 良い知らせを伝える人の足は山々の上にあって、なんと美しいことか。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神が王であられる」とシオンに言う人の足は。

 どうかこのローマの兵隊の履いている靴、足。私たちを、この福音を伝える、よい訪れを伝える足としての武具を持たせていただきたいと思うのです。そして、「盾」。これは信仰の盾です。この盾は悪しき者の火矢を消すことができる。

16節「これらすべてのうえに信仰の盾を取りなさい。それによって悪いものが放つ火矢をすべて消すことができます」

 前回の礼拝でも申しました。私たちの信仰という以上に、イエス様が父なる神様にもっておられる信頼と信仰が私の信仰である計算すること、当てはめること。私の弱い信仰ですとすぐに砕かれてしまう。だけれども、信仰は計算です。カウントしましょう。イエス様のもっておられる信仰を、「イエス様お借りします。あなたの持っておられる信仰が私の盾です」とするのです。

詩編の1127節「その人は悪い知らせを恐れず、主に信頼して心はゆるがない」112:8その心は  恐れることなく、自分の敵を平然と見るまでになる」

 どうか私たちも今週また、色々なサタンの火矢が撃ち込まれてくる、取り囲まれている中にありますけれども、イエス様の信仰を我が信仰とし、しっかりとこれに立たせていただきましょう。

「救いのかぶと」、これは頭です。いちばん大切な頭部を守るヘルメット、この救いのかぶとをかぶるように。

エペソ28この恵みのゆえにあなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなた方から出たものではなく、神の賜物です」。この救いの賜物をしっかりとどうか頭にヘルメットとして被らせていただこうじゃありませんか。そして、最後は「御霊の剣」、即ち神のことばをとりなさい。これはいちばん最初のとき申し上げました。イエス様が悪魔と戦われた荒野の40日のようすを見てください。

マタイ41
4:1それからイエスは、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。 4:2そして、四十日四十夜、断食をし、その後で空腹を覚えられた。 4:3すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」 4:4イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」 4:5すると悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、 4:6こう言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。『神はあなたのために御使いたちに命じられる。彼らはその両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする。』と書いてあるから。」4:7イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない。』とも書いてある。」 4:8悪魔はまた、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての王国とその栄華を見せて、 4:9こう言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう」 4:10そこでイエスは言われた。「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい。』と書いてある。」

 このようにイエス様は、神のことばで応戦をしていきました。私たちに、これらの神の武具の身支度が整っているでしょうか。まんがのような例話ですが、「あのことばはどこだっけ」。いざ御霊の剣を抜こうとしたところが、錆ついていてなかなか抜けなかったらどうでしょう。みことばの、これどういう意味だっけ。どうかイエス様のように、切れ味鋭い神のおことばをもって応戦していきたいですね。悪魔はこの瞬間も私たちのスキを狙っているのです。

 この神様の武具である帯、正義の胸当て、平和の福音、救いのかぶと、信仰の大盾、そして神のことば。私はこれらのことを自分にあてはめるときに、どうかイエス様の十字架の贖いの血潮によってこれらをきよめてくださいと祈ります。その昔、血を振りかけてもらって潔められたように、これらの武具を聖別し潔めて身に着けさせてください、こうお祈りをして神のすべての武具を取らせていただきたいと思っております。

 

⏰先週は学びのために他出、これが年に1回の日帰りの他出となりましたが。録音、画像を教会からお借りし、いつものように起こし、文章化するために編集いたしました。5時18分更新。

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雑感

J-MERO
ゲスト大森靖子、flumpool

この年齢の感覚からは受け入れにくいと感じても、一応は端から端まで丹念に聴きとおす。
大森の歌、たとえば楽器が奏者の要求に耐え切れずに悲鳴をあげているという感じが。若者たちの正直に生き傷つく姿を肯定しているのだそう。「君が蹴散らした不細工なぼろぼろのライフをかき集めて大きな鏡をつくる」と歌う。時代によってこのようなやり場のない感情は表出する術がなかったろうが、堂々と海外発信されるこの時代。彼女が共感した峯田の「そのままでいい」、これはどこぞのカウンセリング講座で聴いたことばでもあるが、傷つく若者の心象の全面肯定なのだが、それが肯定と言うすきっとした風通しの良さとは違う、くぐもった苦し気な時として投げやりとも聴こえる表出。「俺はもう腐った」と感じてる者たちに、そうじゃない、そうじゃないというメッセージをどん底から叫んでいる。この歌に癒される若者たちの厳しい生が痛々しい。
flumpool、大森ほどにダイレクトではないが、やはり「できない理由に埋もれてる」者たちへの応援歌。「不甲斐ないきょう」「できない理由に埋もれてる微かな可能性」。正統派から少しばかりそれてしまったずれてしまったやるせなさを自然体で穏やかめに耳ざわりよく歌う。

昨朝のエベーヌ弦楽四重奏団のジャズ5曲の、エベーヌによる編曲が、5曲ともみな同じソースをかけられたようこのソースで各々の曲につながりができていたような。絵画で言うと別個の色彩に一つの色のグラデーションで影をつけ、統一感をだしたような。

音楽からは逸れて、ワールドで9号の通った中国のようす、倒れた樹木の取り片づけ、剥がされた屋根、雨水浸水を見た。気持ちが痛む。10号は920hpとむしろ勢いを増している。台風は進むごとに勢いが落ちるという思い込みが覆された。何が起きるも頑張れるうちは頑張らねば。何か感情までがもうついていきかねはじめてはいるのだが。こんなときにこそ神に思いを馳せて。

⛳6時57分更新

 

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200904 200904 クラシック倶楽部を聴く エベーヌ弦楽四重奏団

エベーヌ弦楽四重奏団 演奏会

フランスの新世代カルテット、エベーヌ弦楽四重奏団の演奏会から。前半は古典の名曲、文字通り「セリオーソ・厳粛」なベートーベン。そして後半は彼ら自身のアレンジによるスタイリッシュなジャズの名品をお送りする。「クラシックとジャズを区別せず、どんな音楽も楽しめることを証明したい」とバイオリンのピエール・コロンベは語る。2017年10月、ハクジュホールで収録。―番組紹介よりー

ピエール・コロンベ(ヴァイオリン)
ガブリエル・ル・マガデュール(ヴァイオリン)
マリー・シレム(ヴィオラ)
ラファエル・メルラン(チェロ)
2020年に創立20周年を迎える。

ピエール・コロンベがジャズ作品についてコメント
五線紙に書かれるクラシック音楽は、ある意味「賢い」のかもしれません。一方感動的なテーマから生まれる即興の音楽ジャズもまたすばらしいのです。しかし私たちはどんな音楽も楽しめることを証明したいのです。ジャズが新しく自由な音楽だからではなく楽しむためのものだからです。コンサートのチケットを買うときに、「よし、今夜は知識を得よう」と思うでしょうか? いいえ1時間ほど厄介なことを忘れ、良い気分になり喜びを感じるためです。私たちが舞台で自由になりどんな音楽でも楽しむ姿を伝えたい。ジャズはそれを可能にし、心地よい関係を築く音楽なのです。

エベーヌは、パリでイザイ弦楽四重奏団に学んだ他、ガボール・タカーチ、エバーハルト・フェルツ、ジェルジ・クルタークなど優れた音楽家の下で研鑽を積んだ。2004年難関のARDミュンヘン国際コンクール優勝(合わせて5つの特別賞を受賞)に続き2005年にはフォルベルグ・シュナイダー財団よりベルモント賞を贈られた。同財団の援助により、個人所有の貴重なイタリア製の楽器がメンバーに貸与されている。

 

曲目

「弦楽四重奏曲 へ短調 作品95「厳粛」」
1810
年ベートーベンが40歳で作曲。11番目の弦楽四重奏。ベートーベンはこの作品に「厳粛に」という意味を持つイタリア語「セリオーソ」という副題をつけた。

以下のジャズはすべてエベーヌ弦楽四重奏団によって編曲

「フットプリンツ」(ウェイン・ショーター)
「ベベ」(エルメール・パスコアール)
「マイルストーン」(マイルス・ディヴィス)
「アナ・マリア」(ウェイン・ショーター)
「ネイチャー・ボーイ」(E.アーベ)

🎵コロンベがジャズに限らずだけれども、自由でありたいといったとき、ん? と思ったのだが、次を聞いてみると、自由というのは好き勝手にやるという意味ではなく、先ず曲を玩味、分析、討論しあって作曲者と同じところを探り出したところで自由を手にでき、そこでまた聡明な作曲家がより見えてくるという意味のようだ。1810、ベートーベン40歳での作曲。第一楽章から尋常ならぬ説得力。カタイナ~、の厳粛さを経て、第二楽章であたりを俯瞰するゆとりが。心がやわらかく、それでも自分の物思いにひたっているかに。作曲者のつぶやきが聴こえた気が。これは神と共に過ごしているひと時であるかもと。第三楽章、煩悶、訴えが。細部もらさずに聴き込ませるエベーヌに感じ入る。第四楽章、苦闘の中から強いて安息、寛ぎを手繰り寄せ、つかみ取る。弦の白熱。オケのようにバーンと外に表出し響きわたらせるのではなく、内にこもるものが殻を破り捨てずにことごとく発火。さすがの終盤。
 ベートーベンは「醜いから」という理由で女性にふられたこともあるようだ。その他もろもろ有名だけれども。何れ、神はこれほどに説得力のある音楽、人に喜びと納得をもたらし光明、希望を与える音楽をこのベートーベンに授けることによって人類にもたらしたのだ。

 

🎧名曲アルバム。ミヨー「スカラムーシュ」。
生涯で400曲以上を残したミヨーはエクサン・プロバンスで育った。代表作「スカラムーシュ」には親友の死に導かれて渡った南米のサンバの音楽が編みこまれている。-番組紹介よりー

🎵親友レオの戦死。傷心でブラジルに渡り、サンバに出あう。底抜けに明るいミヨーの一曲。

⛳さてニュースの第一報は台風だろう。
3・11、原爆記念日、終戦記念日等など、ことしはその日に差し掛かるたびに重たかった。差し掛かるたびにこの後、銘記すべき災害などが増えていく予測と相まって幾たびも思い起こさねばならなくなる現実のまえに、いかに生きるべきかなどと偉そうにいう分際でもない。すこしでも被害が少なく済むように祈るしかない。とりあえずは事前にこれだけの情報がもたらされていることに感謝しつつ、7時ジャスト更新。

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20093 クラシック倶楽部を聴く ウィーン・ニコライ弦楽四重奏団

ウィーン・ニコライ弦楽四重奏団 演奏会
ウィーンを拠点に活躍するカルテット、ウィーン・ニコライ弦楽四重奏団。ヘーデンボルク和樹・直樹兄弟のインタビューを交え、ウィーン古典派の作品をお送りする。【出演】ウィーン・ニコライ弦楽四重奏団【曲目】弦楽四重奏曲ニ長調K.575から第1・第4楽章(モーツァルト作曲) 弦楽四重奏曲作品59「ラズモフスキー」第3番ハ長調(ベートーベン作曲)【収録】2018年10月6日 フィリアホール(横浜市青葉区)―番組紹介からー

 

ウィーン・ニコライ弦楽四重奏団はウィーン・フィルのメンバーから成り、2012からウィーンを拠点に活動しているという。ヴィルフリート・和樹・ヘーデンボルク(ヴァイオリン)使用楽器はM. SchwalbD. Bagué。弓はT. M. Gerbeth1977年生まれ。
ベンジャミン・モリソン(ヴァイオリン)使用楽器は父デヴィッド・モリソン作(2006年)とジュゼッペ・ナドッティ作(1785年)。
ゲルハルト・マルシュナー(ヴィオラ)
ベルンハルト・直樹・ヘーデンボルク
(チェロ)

和樹(長男)・直樹(次男)は、洋(三男)と日本語が流暢な三兄弟。洋のピアノでピアノトリオでの活動も。オーストリア・ザルツブルク出身。スウェーデン人のヴァイオリニストの父と日本人のピアニストである母をもつ。

和樹・直樹両氏へのインタビューでオーケストラと室内楽の違いを訊かれたとき、オーケストラはオペラの歌詞を生かすことなどに傾注される。一方、室内楽はアットホームで親密、語り合う。この室内楽がさらに大きくなったのがオケで、あまり差はない。ただオケはみなにわかりやすくはっきりと届けるようなオーケストレーションや音色や技術に工夫があると。

 

🎵モーツァルトの「弦楽四重奏曲 ニ長調 K.575から 第1楽章、第4楽章」。聴くときのその時々に聴く側がどういう心境にあるかによっても強く受け取る部分に違いが出てくることもあるのだが、前回は、森の中を散策しながら樹上にかける鳥の音を聴き、自然との対話を楽しんでいる心境で、繊細優美な流れをそのまま受け取っていた。今回はそれよりも風通しよく軽快に流れる心地よさをそのまま。ベートーベンの「弦楽四重奏曲 作品59「ラズモフスキー」から第3番 ハ長調」。これは、ベートーベンの「傑作の森」のうちの一曲。第一楽章、深淵、慎重、第九の冒頭のようにこの音じゃない、この音でいいのかと、作者の模索が聞こえる。流麗なところあり、対話的なところも。これは自分との対話、自らに問いながらの思いめぐらしが感じられる。第二楽章、この冒頭に心がざわついた。室内を歩き回り、ときに窓外に視線を移し、こうか、ああかと反問、思索、試作をくりかえすさまがほうふつと。第三楽章、明るみに向かう弾んだ気分。ちょうど鬱を脱したような解放された快活さ、躍動感が。意匠、着想がそちこちに飛翔し最高の心境にかけのぼったところで、これでよし! とペンが置かれたような。

 

🎧名曲アルバム。ドボルザーク「母が教えてくれた歌」編曲日高哲英

バリトン】青戸知,【ビオラ】川本嘉子,【ピアノ】河原忠之 ~チェコ・ネラホゼヴェス~―番組紹介よりー

🎵「昔、年老いた母が私に歌を教えてくれたとき、その目に涙を浮かべていた。今、私も親となり、その歌を子どもに教えようとしているが、日焼けした頬にいつの間にか同じように涙を流す」といった詩の内容。チェコのネラホゼヴェスにドボルザークの生家があり、そこにであったか彼の愛用のビオラが展示されていた。生家の向かいに立つ趣のある教会のオルガンも弾いていたようだ。「母が教えてくれた歌」は彼が38歳のときの作曲。この曲、歌詞を聴きながら、さまざまに想うところがあった。

⛳台風。ラズモフスキーを聴きなおしていたが、この情報が耳に入るなり、暗たんと。7時5分更新。

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200902 クラシック倶楽部を聴く  小山実稚恵&アルティ弦楽四重奏団

 名実ともに日本を代表するピアニスト小山実稚恵、そして結成20年・名手の集ったカルテット、アルティ弦楽四重奏団による演奏会から。ドイツ・ロマン派の室内楽を二曲。【出演】ピアノ/小山実稚恵 弦楽四重奏/アルティ弦楽四重奏団(バイオリン/豊嶋泰嗣・矢部達哉、ビオラ/川本嘉子、チェロ/上村昇)【曲目】弦楽四重奏曲変ロ長調作品67から(ブラームス作曲) ピアノ五重奏曲変ホ長調作品44(シューマン作曲)【収録】2018年9月30日 第一生命ホール(東京都中央区)―番組紹介よりー

小山実稚恵
日本を代表するピアニスト。チャイコフスキー国際コンクール、ショパン国際ピアノコンクールに入賞してから国内外で積極的に演奏活動を広げている。アルティとは2016年に初めて共演。初共演をきっかけに201822年まで第一生命ホールで室内楽演奏会が企画され、長期的なシリーズに発展することになった。
コメント
アルティとの共演については、ピアノだけと対話していると、どうしても自分の音楽がピアノをもとに作った音楽になりそうになるんですけど、こういうそれもすばらしい演奏家の方たちとすると、ああほんとうに、ピアノがどうにでもできる楽器だったら、自分だってこう弾きたかったというフレーズがいっぱい出てくるわけで、そういうときにやっぱり、それがふっとこう自分の音楽を見直すきっかけになったり、合わせる喜びもあればそういう自分のほんとうに好きだったものに立ち返るチャンスを貰えるしゅんかんでもあるし、やっぱりあとは想像力が広がるとかいろんな魅力があるので大好きです。

アルティ弦楽四重奏団
1998
年結成。4人のメンバーはソリストとして活躍しながら弦楽四重奏曲の演奏活動を意欲的に続け、20018年に結成20周年を迎える。日本を代表する弦楽四重奏団の一つ。メンバは(バイオリン)豊嶋泰嗣、(バイオリン)矢部達哉、(ビオラ)川本嘉子、(チェロ)上村昇。
矢部達哉 コメント
最初にカルテットをやりだしたときに、やっぱりカルテットのレパートリーってたくさんあるので、先ずそれをやらなきゃいけないというのでゲストを呼んだり、そういうことしないようにして、つい最近なんですけれども、そういう別な方と一緒にやろうという機運が生まれて、それで小山さんとご一緒させていただくことになって、カルテットとクインテットは全然ちがうものかもしれないんですけど、僕は、小山さんと一緒に弾く時は、その延長線上でピアノがより奥行と彩りを加えていただけるような、なんかそんな感じで弾いていました。

 

曲目
「弦楽四重奏曲 変ロ長調 作品67から 第2楽章」ブラームス:作曲
アルティ弦楽四重奏団。
「弦楽四重奏曲 変ロ長調 作品67から 第4楽章」ブラームス:作曲
アルティ弦楽四重奏団。
「ピアノ五重奏曲 変ホ長調 作品44」シューマン:作曲

🎵前回聴いたときには、ずいぶんとこまめに筆記していたようだ。純国産という意味でも、また岩手に暮らしたことがあるという点でも注目してきている小山さん、そればかりでなく小山さんの、どうしてここでさん付けになっているのかとはたと気づくのだけれども、深く考えないことにして先を急ぐ。そればかりでなく、さまざまなショパンを聴くことがあるけれども、ああここは小山さんのショパンに限ると思うこともしばしば。
ブラームスの「弦楽四重奏曲」、ブラームスの曲の特質なのだけれども、4つの弦から沸き立たせようとする何かがあるのだが、それが不発に揺蕩っている感じの第4楽章、躍動するも決して明るみへと抜けてはいかない。閉塞感を抱えたままややに明るみを帯びるも、それすらも光と影のボーダーにあると聴こえる。

シューマンの「ピアノ五重奏」、これは編集の妙もあると思うが、ここでアルテがまるで沈滞から抜け出したかに鮮やかとなる。矢部さんが「ピアノが奥行と彩りを与えてくれる」と、これは小山さんのピアノの効果を言ったのだと思うが、その奥行と彩りがアルテに立ち現れたのだ。この曲が「1843年にゲヴァントハウスで初演されたときのピアノ担当はクララ」のテロップを見てしばらくは小山さんとクララを重ねてしまったあの才能豊かなクララに想いが走ったが、ほどなく小山さんは小山さん、やはり小山さんの演奏にもどる。2楽章ではこの奥の奥にも先の先にも耳を澄ませてみようという意識が喚起された。小山さんの指は細やかな心の揺れのようにというか、それを紡ぎ出す指。ここでバイオリンやチェロとの相乗効果もありビオラにぐっときて落涙しかける。3楽章は互いが互いを闊達に連れ歩くような乗りの良さ。4楽章は見事に総ざらい、見事だった。実力のある演奏は周りの演奏家たちの実力をも更に引き出す、そう思われた。 

🎧名曲アルバム。ブルックナー「ミサ―曲第3番から ベネディクトゥス」
交響曲の大家として知られるブルックナーは、教会のオルガニストを長年務めた。彼が弾いたオルガンが今も残る旧大聖堂を中心に、ブルックナーゆかりの町リンツを紹介する。―番組紹介よりー

🎵リンツの宝ブルックナー。ウィーンへの移住直前に書かれているこの曲。リンツ時代の集大成であるという。ブルックナーが弾いたオルガンはいまも当時のままの音色であるという。錚々たる声楽家の方々の歌声、聖なる歌声。

⛳気温26℃。湿度54%。秋が冬を呼んでいる。しかしここはクリスマスを呼んでいると言い換えておこう。6時43分更新

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200901 クラシック倶楽部を聴く MAROワールド 第32回演奏会

MAROワールド 第32回演奏会。20171025日 王子ホール
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MAROことバイオリニスト篠崎史紀と仲間たちが奏でる、音楽愛にあふれた極上のサロンコンサート。お得意のチャイコフスキー「弦楽セレナード」ほかー番組紹介よりー 

篠崎史紀 愛称まるさん。N響のコンマスとしての活躍の傍ら、情熱を注いできたのがMAROワールド。篠崎氏と共演するのは、若手からベテランまでの音楽仲間MAROカンパニー。アンサンブルを大切に2004年の開始以来31回を重ねる
コメント MAROワールドというのは、演奏会提示という考え方よりも、どちらかというと僕がヨーロッパでずっと体験してきたサロンコンサートという感じ。だから言い方を変えちゃうと、大人の集まりの社交場と思ってくれればいい。そこで集まった人たちはお客さん同士であれ、僕たちとお客さんであれ、みんな仲間としてしゃべれるような場所、そんなみんなで音楽を育てていく空間として育ってきたのがMAROワールド。僕の中にとってのクラシックというジャンルに関する考え方は、伝承していくこと。もちろん作曲家という人がいますから再生しなければいけない。それを伝承していくっていうこと。だからきょうのMAROワールドを見てもわかるように、3世代続いている。3世代が続いていく、そして、その後100年、200年と同じものが延々と続いていくような、そんな予感をさせる場所。やっぱり舞台上は楽しくないとお客も楽しくないし、僕たちが楽しんでなければスタッフも楽しくないし、その気持ちというのはやっぱり強ければ強いほど新しいものを探求していく好奇心、強いエネルギーを産むような気がする。それがMAROワールドと言っちゃうと、そうかもしれない。 

MAROワールドカンパニーの若手演奏家たちにとってMAROワールドとは

バイオリニスト 小林壱成 最初に出させていただいたのが、たしか去年の一月だったと思うんですけど、コンサートマスター、コンサートマスター、という感じでもうなんで一緒なんだろうなと最初緊張したんですが、いざってしまえば、みんな音楽を通して会話してて、遊んでるという雰囲気がすごく楽しいなと思いました。(…は聞き落し)
チェリスト 岡本侑也 すごく印象深かったのは、心から純粋に音楽を楽しまれてて、僕もその中で本当に楽しく演奏させていただいて、ご一緒させていただいて、今まで経験できないような楽しさがあって。リハはすごく楽しかった。終電を逃してしまって王子ホールからそれぞれの家まで徒歩で帰ったことが一度あります。それもとてもとても楽しいできごと。
バイオリニスト 大江馨 MAROさんというすごく大きな存在があって、もうステージに出るだけで、お客さんを楽しませる。お客さんにも、MAROさんが出てきたら何か楽しいことをやってくれるんじゃないかと期待させるパワーみたいなものをすごく感じます。これは勉強してなれるというものじゃない。ただいつかは自分もできたらいいなと思いますけど。

「弦楽四重奏曲 イ短調 第1楽章」クライスラー:作曲
(第1バイオリン)篠崎史紀、(第2バイオリン)水谷晃、(ビオラ)佐々木亮、(チェロ)桑田歩
クライスラー唯一の弦楽四重奏曲。故郷ウィーンから渡米後、不遇の時代に作曲した。篠崎史紀は学生時代、ウィーンの古本屋でこの曲の楽譜に出あって以来魅せられ続けているという。
「美しいロスマリン」クライスラー:作曲
名バイオリニストであったクライスラーが「古いウィーンの舞踏歌」として書いた曲の一つ。曲名のロスマリンは少女の名前だという。
(バイオリン)崎谷直人、(ピアノ)清水和音
2つのバイオリンのための協奏曲 BWV1043 1楽章」バッハ:作曲
バッハが1730年頃に書いたと考えられている。2台バイオリンのための名曲。追いかけるように進むバイオリンの絶妙な掛け合いが魅力。
(第1バイオリン)小林壱成、(第2バイオリン)大江馨、(ピアノ)清水和音
「弦楽セレナード ハ長調 作品48」チャイコフスキー:作曲
西洋の様式とロシアの民族音楽を織り込んだ。この曲をチャイコフスキー自らも好んでいたという。
(コンサートマスター)篠崎史紀、(弦楽合奏)MAROカンパニー

🎵音楽番組で、コンマス席に篠崎氏がいれば、ああN響か、とおもってきたが、傍らこのような音楽活動を。楽しませるという観点からか、みな有名な曲。すっきりとした高音質といった感じ。若手が育っているなという感じが。156人の人数での立ち姿での演奏(チェロの3人だけは座っていたけれども)は音も相まって聴く者に一層迫るものがあるなと。

ここまでは去年聴いたときの筆記だが、今回聴いて、クライスラーの「弦楽四重奏曲」に前衛といってもいい響きが。はっとした。再放送、再々放送であっても新たな発見が。

 

🎧🎵名曲アルバム。バーバー「弦楽のためのアダージョ」
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】円光寺雅彦 ~アメリカ・ニューヨーク~

9・11で、ケネディの葬儀で、ベトナム戦争映画で演奏されたというこの曲。

⛳もう9月。またもう9月と書く。はやい、はやい。クラシック倶楽部、朝練のつもりの視聴、そろそろゆっくりしようかとと思うところに、ついつい開く番組予告。これはいい、これはよかったと、またもつられて見続けている。
昨日あたりから、もうほんとうに秋の風。どこ吹く風の新型コロナはまだまだ元気そう。6時54分更新

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