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きょうのことば

インマヌエル盛岡キリスト教会2020年7月26()のメッセージをおつたえいたします。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、岩手で47年目のご奉仕をしておられます。

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説教題 『危機に証しされるホーリネス』(國光勝美牧師)
聖書個所 旧約聖書 創世記281022

10 ヤコブはベエル・シェバを出て、ハランへと向かった。
11 彼はある場所にたどり着き、そこで一夜を明かすことにした。ちょうど日が沈んだからである。彼はその場所で石を取って枕にし、その場所で横になった。
12 すると彼は夢を見た。見よ、一つのはしごが地に立てられていた。その上の端は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしていた。
13 そして、見よ、主がその上に立って、こう言われた。「わたしは、あなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしは、あなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える。
14 あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西へ、東へ、北へ、南へと広がり、地上のすべての部族はあなたによって、またあなたの子孫によって祝福される。
15 見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。
16 ヤコブは眠りからさめて、言った。「まことに主はこの場所におられる。それなのに、私はそれを知らなかった。」
17 彼は恐れて言った。「この場所は、なんと恐れ多いところだろう。ここは神の家にほかならない。ここは天の門だ。」
18 翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを立てて石の柱とし、柱の頭に油を注いだ。
19 そして、その場所の名をベテルと呼んだ。その町の名は、もともとは、ルズであった。
20 ヤコブは請願を立てた。「神が私とともにおられて、私が行くこの旅路を守り、食べるパンと着る着物を下さり、
21 無事に父の家に帰らせてくださるなら、主は私の神となり、
22 石の柱として立てたこの石は神の家となります。私は、すべてあなたが私に下さる十分一を必ずあなたに献げます。」

 (7月23,24日にインマヌエルの東北、北海道、深川教会参加のズーム聖会が開かれましたが、開催の経緯などに多くの時間が用いられました。國光牧師は2日目の登壇でした。本日のメッセージはこの時の説教に関連した内容です)

 <説教>

 毎年、夏の聖会が開かれておりましたが、ことしはズームでの聖会となりました。東北、北海道、また深川の方々の参加もございました。聖会第2日目でメッセージを取次がせていただきましたが、その準備の背景などを『危機に証しされるホーリネス』と題してお話ししたく願っております。

 実は今回は、「歩く」ということが聖会メッセージのキーワードになりました。このための心備え、思い巡らしは一か月前からで、ずっと頭の中では準備はされていたのですが、どういう切り口で限られた時間内にお話をすべきか。

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 私はよく鞍掛山に出かけます。山歩き。皆さんはもうご存知ですが、これは自分の生活にはとても大切な部分となっています。もう20年も前になりましょうか、仙台の茂庭で聖会が開かれたときの講師は野田秀先生でした。司会が光栄なことに私。思えば私の山歩きはそのときから続いております。さあいよいよ来週が東北聖会だというので、私は鞍掛山の道をずっと歩きながら思い巡らしていたのです。夏休みで、相ノ沢キャンプ場にはたくさんのテントが並んでいます。テントがまだ目覚めていない朝早くにそこを過って、山道を登っていきます。主よ、と近づいた東北聖会のために祈りながら歩く。これがよい恵みの時なのですが。歩いているうちにガサガサ、ガサガサッと藪の中に足音が聞こえました。こんなに朝早く藪の中を歩く人って何だろう。だんだん近づいてくる。何とクマが間近に来ていたのです。忘れられません。それをいつも思い出します。

 新たな試みであるズーム聖会ではどんなことを話したらよいか、思い巡らしながら鞍掛山の道を歩いていきました。個人的な経験からですが、歩くということは、ひとりになれる。特に日曜日の御用を終えて、だいたい私は月曜日に行くことが多いのですが、ほんとうの意味で孤独に身を置いて色々と思い巡らす。反省したり、或いは、祈ったり、物理的にひとりになれるのがこのときです。
 そのときに神様が語りかけてくださる。これは何か神秘的な声が聞えるのではなく、聖書の中の言葉が、その時に応じて思い巡らしの中に出てくるのです。ああそうでした。神様が語りかけ、そして私がそれを祈るという形で応答ができます。神様、こうしてください。それに対して神様が応えてくださる。そこは誰にも迷惑をかけず、ひとりの世界です。そこで大声をたてようが叫ぼうが泣こうが、ひとりになって歩くことは格別な祝福です。今回『危機に証しされるホーリネス』をメッセージするにあたって、歩き、祈るうちに、創世記28章が心に留まりました。

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 地図をご覧ください。エルサレムの下の方にベエルシェバがあります。これを出発点として、行き先はハラン。現在のハッラーンです。歩くと188時間の距離。ここをヤコブがひとりであるくことがどんなことを意味するのか。
 どんな辛い悲しい恐ろしい気持ちでこのベエルシェバから行ったのでしょうか。そして、そこに自分が鞍掛山で経験した一歩一歩あるくとき、神様が語りかけてくださる。ひとりになって涙をぼろぼろ流したかもしれません。ヤコブは、兄エソウが受けるはずの長子の祝福をだまし取りじくじたるものがあったでしょう。自己弁護もしたかもしれない。兄エソウが先に生まれただけで、なぜ長子の特権を受けることができるのか。僕だって同じ権利があるはずじゃないか、なんでこんなに違うんだ。人間的にはそんな思いがヤコブの中にある。たった一杯のスープと引き換えに神の祝福をあっさり譲る兄の軽薄さをなじったかもしれない。だから兄はダメなんだ。彼は歩きながら自分を正当化しよう正当化しようとする。そういうものなのです。ひとりになって歩くとき、夜には遠くでウォーっと野獣が吠える。コンビニに行って何かを買える状況にもない。孤独で歩くときには、あれこれ考えるものなのです。お兄さんが悪い? 結局、ぼくが悪いんじゃないかなどなど。

 鞍掛を歩いていたときに、神様に扱われた人にはエリヤもいたなと。エリヤがカルメル山でバアルの預言者たちと対決し大勝利を得たことがありますが、王妃イゼベルがエリヤを殺害しようとしたために、エリヤはベエルシェバまで逃げていきます。どれぐらい歩いたのか。カルメル山からベエルシェバまで歩いて39時間。このときエリヤは、どうして俺が殺されなくちゃならないんだ、これだけ神様の使命を果たしてるじゃないか、そんな思いだったでしょう。ベエルシェバから神の山ホレブまで歩いていくのです。これも見ますと86時間。エリヤは神の山ホレブに至って、そこで神様と出会う。神様が「エリヤ、おまえはここで何をしているのか。」。嵐の中に神はおわし、しかしそこに静かな神の御声があった。エリヤはここで立ち直りました。歩いている人は神に扱われます。神と出会う。ヤコブも神と出あった。エリヤも神と出あっている。同じ体験をした放蕩息子もいます。

 放蕩息子は早々と財産の分け前を受けて遠い国に行ってしまう。ある意味、お父さんの目の届かないいちばん遠いところ、神様の目が届かないと思われるいちばん遠い国まで行って、そこで湯水のように財産を使い果たし、落ちるところまで落ちて、彼はついにはっと気がつくのです。ルカの福音書15章にあります。

17しかし、彼は我に返って言った。……18 立って、父のところに行こう。そしてこう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。 19 もう、息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」』 20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとへ向かった。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。

 このときもこの息子は歩いていた。歩きながら自分の愚かさを反省し悔い改めている。自分自身の本質を徹底的に見つめた歩きではなかったか。彼がお父さんのもとに帰り謝罪すると

 22 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。 23 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。 24 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』

 お父さんの方が彼を見つけて走り駆けよってよく帰って来たと迎えている。

 山道をほんとうにひとりになって、主の前に出るとき、その山道が、或いは、ヤコブ、エリヤ、放蕩息子が歩きたどったその道が、その場所が、神様に扱われる宝物のような場所になるわけです。

 人の試練とは何なのか。ヤコブは自分の責任から来た試練。エリヤは神様の御用を果たしたにも関わらずなぜ自分がこのような目に遭うのか、そういった試練。放蕩息子は自らの愚かさからどん底になる。危機に遭う試練に遭う原因と種類はそれぞれに違いますけれども、ただ言えることは、そこで等しく神様の取り扱いを受けているということです。神様に扱われてホーリネスのすがたに導かれる。そこに至るのだということであります。

※画像は教会からお借りしています。

⏰5時56分更新

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