きょうのことば
きょうはインマヌエル盛岡キリスト教会2020年5月3日(日)のメッセージをおつたえいたします。
國光勝美牧師、國光ひろ子牧師の岩手での主のご奉仕は47年目となっております。
説教題 『一致の土台』 (國光勝美牧師)
聖書個所 新約聖書 エペソ人への手紙 第4章1~6節
4:1さて、主にある囚人の私はあなたがたに勧めます。あなた方は、召されたその召しにふさわしく歩みなさい。 4:2謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、 4:3平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい。 4:4からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。 4:5主はひとり、信仰は一つ、バプテスマは一つです。 4:6すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神はただひとりです。
<説教>
(先週の復習は割愛します)
きょうはエペソ人への手紙4章4節からです。エペソ4:4~6に書かれてある一つとは何かを整理してみましょう。「一つの望み」「一つのからだ」「御霊は一つ」「主はひとり」「信仰は一つ」「バプテスマは一つ」「父なる神はただひとり」。私たちはこれらのすべての「一つ」と一つです。
このことを可能にするのは謙遜です。「きよめの証し」「一致の体験」を可能ならしめるのは「謙遜」です。神のからだに属する個々は一つといっても、人はみなタイプが違います。一致というものが頭でわかっていても、実際に協調し共に歩むことを可能にするのは「きよめの恵み」です。罪がすべて十字架の血潮によってきよめられ、除去され、聖霊をいただく、満たされるという恵みに与るときにこの一致ができます。「きよめ」は言い換えれば「謙遜」です。それはイエス様に見られるものであり、お互いを尊敬し、相手を自分よりも優るものと位置付ける。クリスチャンの場合は、間違いを犯して一致が崩れるということはあまりありません。だいたいは良かれと思う目的のために不一致を生じることがある。目的をめぐる方法では自らの信仰が非常に試されることがあります。
あるエピソードがあります。竿代先生が板橋教会にいらしたころでした。ある兄弟が交通事故を起こし、竿代師に相談したそうです。警察で面会し話しを聞いたときのこと。この兄弟が或いは興奮していたのでしょう「私は悪くない! 相手が悪い!」と言い放った。それは彼の確信であり、嘘は言っていない。しかし先生はこう言われた「あなたの言い分は、主張はよくわかりました。しかしあなたのこの言い方が違っています」。たしかに自分は正しいのかもしれない、しかしどのようなあり様でそれを相手に伝えるかです。このようにきよめが試されるときというものがあります。
ここでパウロとバルナバのことが思い出されます。パウロは謙遜な器として聖書に書かれています。このパウロにして、こういう間違いはあるのです。あのマルコ伝を書いたマルコがまだ若かったとき、パウロと伝道旅行をしたことがあります。このときマルコは旅の辛さに耐えかねて帰ってしまった。パウロが次の伝道旅行に出かけるとき、懐深いバルナバが、反省し次のチャンスを待っているマルコを連れていこうとしたところ、パウロはあのときでマルコの本質がわかったからだめだと拒否してしまう。このとき、パウロとバルナバの間には激しい反目がありました。バルナバはパウロの才能を見つけ出し世に送り出したいわばパウロの恩師であります。しかしパウロはバルナバの提案を拒否したのです。それでバルナバはマルコを連れて別な伝道旅行に出かけます。結果的にパウロがヨーロッパに福音を伝える旅にバルナバとマルコの名前は出てきません。
パウロに拒絶されたマルコですが、彼は後になってバルナバによって見事に再生しマルコの福音書を書いております。パウロが殉教するときには、パウロはマルコに全面的な信頼を置いて助けられております。あのとき、パウロは自分が正しいと思っていったわけでしたが、その方法、言い方はどうだったのでしょうか。バルナバはマルコを何とか育てたいと進言したに違いありません。ところがパウロとバルナバは激しく反目する羽目になった。
しかしパウロはこの後で、神様から気づきを与えられ、くだかれ、築き上げられていったでしょう。パウロは決して欠点のないひとではない。このようなことをきっかけに磨き上げられていった人物だったでしょう。
職場、近隣にあっても、同じようなことがあるでしょう。爆発し、けんか腰に言い争うこともある。そのようなときには、お詫びして神様の前に出ましょう。そこで忍耐を学ぶでしょう。「4:2謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、」とあるとおりです。
インカ帝国の遺跡マチュピチュの石垣をご存じかと思います。剃刀の刃一枚通さぬ強固な石垣です。石を長い時間をかけて削り調整し積み重ねていった。どうか謙遜に神の前に出て悔い改め神様に扱っていただき、調整され磨き上げられるお互いでありたいと願うことです。
4:2謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、
4:3平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい。
※画像は教会からお借りしています。説教は筆者が書いたものではなく、教会で録ったレコーダーから牧師の説教を起こし筆記しています。簡略にしたところもございます。牧師夫妻の写真は筆者が任意で載せています。
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