きょうのことば
きょうはインマヌエル盛岡キリスト教会2020年5月10日(日)のメッセージをおつたえいたします。
國光勝美牧師、國光ひろ子牧師の岩手での主のご奉仕は47年目となっております。
説教題 『多様性の中で』 (國光勝美牧師)
聖書個所 新約聖書 エペソ人への手紙 第4章7~16節
4:7しかし、私たちは一人ひとり、キリストの賜物の量りにしたがって恵みを与えられました。 4:8そのため、こう言われています。
「彼はいと高き所に上ったとき、
捕虜を連れて行き、人々に贈物を与えられた。」
4:9「上った」ということは、彼が低い所、つまり地上に降られたということでなくて何でしょうか。 4:10この降られた方ご自身は、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方でもあります。―― 4:11こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、あるたちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。 4:12それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。 4:13私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。 4:14こうして私たちはもはや、子どもではなく、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略から出た、どんな教えの風にも、吹き回されたり、もてあそばれたりすることがなく、 4:15むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するのです。 4:16キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。
<説教>
いま私たちはエペソ人への手紙4章を学んでいるところです。きょうは7、8節のところから学んでいきます。特に7節に目を留めさせていただきましょう。
4:7しかし、私たちは一人ひとり、キリストの賜物の量りにしたがって恵みを与えられました。
これとよく似たおことば、これが第一ペテロ4章10節にあります。
4:10それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。
この並列的な二つを合わせてみると、教えられるところが多くあります。注目していただきたいのは、エペソ4章の方には「与えられました」とあります。
「私たちは一人ひとり、キリストの賜物の量りにしたがって恵みを与えられました」
これに留意して第一ペテロの4章10節を見ますと、
「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みのよい管理者としてその賜物を用いて互いに仕え合いなさい」
ここで聖書がいっていることは、私たち一人ひとり神様から賜物が与えらえられている事実を認めなければなりません。えっ、私が神様からそんな賜物を受けているんですか?そうです。受けているのです。受けているのですけれども、それをどれだけ自覚して、良い管理者としてそれを用いていくことができるのか、そこが問題です。
タラントということばがあります。新約聖書マタイの福音書25章にでてきます。イエス様のたとえばなしです。何をいわんとしているのでしょう。14節からですが、
25:14天の御国は、旅に出るにあたり、自分のしもべたちを呼んで財産を預ける人のようです。
ご主人が尊い財産を預けて旅立った。いいえもらってません。私に賜物なんかあるでしょうかと思った方おられるでしょうか。いいえ、私たちは神様からそれぞれ賜物をいただいているのです。財産を預けられているんです。そして、
25:15彼はそれぞれの能力に応じて、一人には五タラント、一人には二タラント、もう一人には一タラントを渡して旅に出かけた。
イエス様はご自分が帰っていらっしゃるまで、さあこの賜物を用いて働きなさい、恵みの良い管理者でありなさいといってるのです。それぞれの能力に応じたタラントを預けます。不公平だと思われますか。いいえ、神様はそれぞれ異なった能力に応じてお与えになる。能力が異なっていていいのです。誤解を招かない表現をしなければなりませんが、神様はある意味思いっきり不公平な方なのです。だって私たちはこのように日本に生まれていますけれども、たとえばアフリカの内戦状態のところに生まれて、そこで生活している人たちもある。これほど不公平なことはない。だけれども神様は私たち一人ひとりに、その状況に置かれた能力に応じてちゃんとタラントを与えて預けていてくださる。
因みに一タラントは、今の価格で約6000万円。二タラントは1億2000万です。これだけあなたに元手を預けるから、さあ、しっかりやってごらんと言われる。五タラントなら3億。どうでしょう。私はそんなに預かっていない。すばらしいタラントを与えられているにも関わらず、それを自覚できなかった人はどうしたでしょう。たとえば一タラント預かったしもべは、この元手を失くしてしまったら、ご主人様にこっぴどく叱られるかもしれない、失くさないように土を掘って埋めておこう、そしてご主人様が帰ってきたら、あなたから預かった一タラントはここにちゃんとありますといってお返しすればいいだろう。
25:16五タラント預かった者は出て行って、それで商売をし、ほかに五タラントをもうけた。 25:17同じように、二タラント預かった者もほかに二タラントをもうけた。 25:18一方、一タラント預かった者は出て行って地面に穴を掘り、主人の金を隠した。
ここに五タラント預かった者は出て行ってさらに五タラントもうける。6億です。すごいですね。二タラント預かった者はほかにまた二タラントをもうけた。一方、一タラントを預かった者は出て行って、地面に穴を掘り主人の金を隠しておいた。
25:19さて、かなり時がたってから、しもべたちの主人が帰って来て彼らと清算をした。 25:20すると、五タラント預かった者が進み出て、もう五タラント差し出して言った。『ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください、私はほかに五タラントをもうけました。』 25:21主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
ご主人様にとって、この五タラントは僅かなものなのです。預けられた者は感謝して、このご主人様のために増やしておいたわけです。
25:22二タラントの者も進み出て言った。『ご主人さま。私は二タラント預けてくださいましたが、ご覧ください、ほかに二タラントをもうけました。』 25:23主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
この二タラントをしっかり自覚してそして増やした。
25:24一タラント預かっていた者も進み出て言った。『ご主人様。あなた様は蒔かなかったところから刈り取り、散らさなかったところからから集める、厳しい方だと分かっていました。
これはご主人様に対する偏見です。自分がひねくれているからひねくれて見えてしまうのでしょう。或いは、どうしてあいつには二タラントで自分にはたった一タラントなんだという妬みであったかもしれません。
25:25それで私は怖くなり、出て行って、あなた様の一タラントを地の中に隠しておきました。ご覧ください、これがあなた様の物です。』 25:26しかし、主人は彼に答えた。『悪い、怠け者のしもべだ。』
こうしてひとり叱責を受けている。
さてエペソに返りましょう。エペソ4章7節、
4:7しかし、私たちは一人ひとり、キリストの賜物の量りにしたがって恵みを与えられました。
私たちのキャパシティー、能力はみな一人ひとり違っている。違っていていい、違っているそのあなたに、違っているわたしに、違っているあの人にこの人に、神様はちゃんとすばらしい賜物を与えていてくださる。それをどうか与えられていないなどと言わずに感謝して主の御用のために精一杯よい恵みの管理者としてその賜物を用いて、何のために用いるかというと、
4:12それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。 4:13私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。
私たちはキリストの体を建てあげるための体を一人ひとりが主から与えられている。悪い怠け者のしもべは、私にはそんなところはない、あの人のように私にはできませんと斜にものを見て自分を過小評価してしまっている。でもそうじゃない、6000万円をこんな私に預けてくださる。自分のはあの人と比べて少ない、この人と比べて少ないということではないのです。こんな足りない者に主は預けてくださったことに心から感謝して、自分に与えられた賜物を精一杯、キリストの体である教会の建て上げのために用いることができたらどんなにか幸いでしょうか。
エペソ4章8節、9節、これは字義通り読んだだけでは背景がわかりません。その意味するところが分からない。難解なところです。このところでパウロが頭に描いているのは、凱旋将軍が捕虜を沢山引き連れ、戦利品として沢山の宝物をもって自分の国に凱旋してくる、そういったイメージです。大戦利品をもって帰って来た。凱旋将軍は主イエス様です。主イエス様はサタンと戦い、見事に今までサタンの支配下にあった者たちを解放し、つまりサタンの虜になっていた私たちを主は解放し戦利品として、悪魔と戦った勝利の戦利品として、ほら、私はサタンの手からこれほど多くのものを取り戻しましたと知らしめている。そしてその素晴らしい賜物を凱旋将軍が、一人ひとりに与えていく。それを背景としてイエス様がいと高いところにのぼられた。勝利をしてイエス様は天に帰っていかれたのです。ならば降って行ったというのはどういうことなのか、イエス様は十字架でサタンを打ち砕いて黄泉にまで降って行った。そして凱旋将軍として黄泉から復活してくださり、勝利の主として天に帰っていかれた。そのときにイエス様は私たちに素晴らしい賜物、タラントを与えてくださった、そのように解釈していただいてよろしいかと思います。
4:10この降られた方ご自身は、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方でもあります。4:11こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、あるたちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。
この11節を簡単に解説いたしますと、「使徒」と最初にあります。使徒と弟子とある意味重複しているのですが、聖書で使徒というのはイエス・キリストの教えを直接、間接にではなく直接受けて福音を伝える教会を指導する者たち。使徒というのはイエス・キリストの生き証人、復活の証人、これが使徒です。ですので使徒は当然キリストの弟子でもあるのですが、「使徒」という場合には、キリストの生き証人といいますか、直接イエス様と面会をし、だからペテロは十二使徒と呼ばずに使徒なのです。ところがパウロの場合には果たして使徒といえるのか。他の人たちは、パウロがどんなに偉いといってもあのイエス様と3年半寝食をともにしたペテロさん、ヤコブさん、ヨハネさんたちの足元にも及ばないじゃないかと悪口を言われる立場でもあった。しかしパウロはいっています。「私は使徒です。よみがえりのイエス様から直接私はあのとき選ばれた器として任命をいただいた、私は列記とした使徒です」。つまり使徒というのは直接イエス様とお会いし、福音を伝える教会を指導する。それから預言者は神のことばを人々に伝える説教者です。決してノスタラダムスの予言といったような意味での予言ではなく、神様のことばを人々に宣べ伝える立場にある者のことで、その賜物をもっている、与えられている人を預言者といいます。それから伝道者、これは教会の外で巡回して未信者に福音を宣べ伝えること。それから牧師、そこに形造られた神様の群れを餌を与え水を飲ませ、というように、神の群れをケアーする、そういう役割を持っている人が牧師です。12節をこのように味わうこともできます。
ではこの賜物というのは。エペソ4章には、イエス様が復活してこの賜物を戦利品として賜物として分け与え、11節にあるように
「ある人たちを使徒、あるたちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。」
ここにはある意味教会の土台となるような代表的な立場の者たちがあげられていますけれども、しかしこの他に、
例えばローマ人への手紙の12章6節
12:6私たちは、与えられた恵みに従って、異なる賜物を持っているので、それが預言であれば、その信仰に応じて預言し、12:7奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教え、 12:8勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は喜んでそれを行いなさい。
ここでの賜物ですが、教会にはこのような色々な賜物を持った人たちがいるとありますし、
もう一つ第一コリント12章8~11節
12:8ある人には御霊を通して知恵のことばが、ある人には同じ御霊によって知識のことばが与えられています。 12:9ある人には同じ御霊によって信仰、ある人には同一の御霊によって癒しの賜物。12:10ある人には奇跡を行なう力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。 12:11同じ一つの御霊がこれらすべてのことをなさるのであり、御霊は、みこころのままに、一人ひとりそれぞれに賜物を分け与えてくださるのです。
そしてこれらはみなエペソ4章の12節13節
4:12それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。
神様はキリストの体をたてあげるために賜物をくださっています。
私たちは1タラント、6000万円を与えられているにも関わらず、おお、こんな恐ろしい主人だからと土の中に隠してしまうような者なのか、それとも自分のようなものがこんなにも与えられていると認め感謝してキリストの教会の建て上げのために私はこれができる、これをさせていただくと恵みの良い管理者となり、教会生活ができたなら、ほんとうに主に喜ばれる者になるのです。
※イラストは教会からお借りしています。
🏠6時59分更新
| 固定リンク
「教会」カテゴリの記事
- きょうのことば『どうぞ披露宴においでください』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教ー(2025.05.18)
- きょうのことば『福音を一緒に届ける同労者として』ー木山キリスト教会 松尾献牧師の説教ー(2025.05.11)
- きょうのことば『イエスは手と脇腹を彼らに示され』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教ー(2025.05.04)
- きょうのことば『聖書を、まだ理解していなかった』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教ー(2025.04.27)
- きょうのことば『わたしとともにパラダイスに』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教ー(2025.04.20)
コメント