20526クラシック倶楽部を聴く ハインツホリガーと仲間たち
80歳を迎えたホリガーは言う。「時計の針は人生を計るものではない。私は続けられる限り、演奏し、指揮し、作曲する。」信頼する仲間との絶妙なアンサンブルを放送する。-番組紹介より-
🎵ハインツ・ホリガーと仲間たち。2019年10月9日浜離宮朝日ホール収録分。ハインツホリガーは1939年スイス生まれのオーボエ奏者、指揮者、作曲家。バロックから現代まで。ホリガーは音楽がなければ窒息するという。彼の肺呼吸は音楽。ヨーロッパの若者たちは物事への興味を失い老いている。人生は時計、時間では測れないものらしく、年齢はといったか、それは相対的なものであると。以前にも聴いてはいるのだが。何れ音楽がホリガーの人生のエネルギー源となっている。
バッハの「トリオ・ソナタ変ホ長調から」作曲は1730年。そして演奏順は前後するけれどもゼレンカの「ソナタ第5番」、この2曲は明るく朝を呼び覚ますには相応しい。聴いていてすっきりとした心地よさが得られる。バッハ、ゼレンカが亡くなった後は信じられないことだが世に忘れられたふたり。バッハを「マタイ受難曲」で世によみがえらせたのがメンデルスゾーンなら、ゼレンカを世によみがえらせたのはスメタナであったようだ。ゼレンカという作曲家はあまり意識のうちにはなかったが、バッハはゼレンカに興味を持ち、バッハの息子にゼレンカの曲を写譜させたという。「天国でのゼレンカの玉座はバッハのとなり」といわれるところを見ると、その才能はかなりなものとゼレンカを再認識。
細川俊夫の「結び」。こんどはどう感じるだろうと興味津々で。ホリガーが贈り物をするときに布の端と端を結び合わせる、これは風呂敷のことかと思ったが。これがホリガーの80歳の誕生プレゼント曲。オーボエとイングリッシュホルンのデュエット。終始能楽を聴いている気がして、能面がイメージに現われると、それが脳裡から容易には去らず、ついに最後まで舞い続けていた。ところどころに和楽器の鼓が入っても不自然ではないと思われた。笙や篳篥をきいているような気分にも。ただこの和楽器、オーボエとイングリッシュホルンとの性能には格段の差があり、音域や技術的なことはよくわからないが、現代のがっきだからこそこの曲のように緻密で細やかな演奏も可能であり、幽玄ではあるけれども且つ現代的な仕上がりとしても聴かせるものになっているとも思われた。
ホリガーの「Klaus-ur」、たえず炸裂するもの、大きくも小さくも火花を散らすもの、明滅するものの表現か。うめきというよりも見えないもの掴めない空間の呻きに意識の明滅とも。すごい感性の持ち主と。いちど聴いたら忘れない。譜面はいったいどう表記されているのだろうと。通常連なりうる旋律の埒外に見出した音符というには乾いた現代的な衝撃的な音なのだが、何れ平板と平板との間隙から拾い弾き集めたかのよう。最後部分のそれが点のように遠景となり締めくくられる。異形の造形なのだ。
🎧🎵名曲アルバム。モーツァルトの「オーボエ四重奏曲」。モーツァルトも異形の造形を聴いたあとではちょっと影が薄れて、というよりも、その曲の印象に耳が支配されてしまっており、ただに字幕を追ってしまうのみになった。音楽家たち芸術家たち憧れのミュンヘン、ヴィッテルスバッハ家。なぜかけさはそれがちょっと物悲しくも。
⛳見える美しい緑のグラデーション。すべての緑の名をあげたくもあるが、時間の関係でここで更新、6時55分。
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