きょうのことば
インマヌエル盛岡キリスト教会2020年2月16日(日)の礼拝メッセージをお伝えいたします。
國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は46年にわたって岩手で主のご奉仕をしておられます。
説教題 『永遠のいのちに生きる』(國光勝美牧師)
新約聖書 ヨハネによる福音書 第11章25~26節
25イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。26また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。」
<説教>
(長い牧会の経験から神様に扱われたといったお話が多くございましたが、時間の関係でまとめかねましたので、信者のためにという部分は割愛し、一般の方々向けであると思われるところを書かせていただきます)
「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」
このおことばは、教会の墓誌にも彫られております力強いおことばです。
誰もがみな、その軽重に違いがあるとしても、人生を全うするあいだに様々な試練に遭います。そしてたとえば病という試練を負い、余命を告げられる方もいらっしゃいます。手術に臨みながらも病巣を切除しきれない。余命はあと5年ですと言われる方があるかもしれない。その方にとって、人生はまさしく死を受け入れることから始まると言えましょう。私たちはみな産声をあげた瞬間から死に向かって生きている。例外なしに。そう考えますと、寿命はおそらくあと5年と知ることができるのは、これはある意味恵みです。もしこれを知ることがなければ、たぶん一日一日を漫然と曖昧に生きてしまう。しかし5年とはっきりと余命を知れば、死に向かって備えることができます。これは大変な恵みであります。
ゼカリヤが見た幻です。2本のオリーブの木と金の燭台。
2本のオリーブの木は生きており、それでオリーブの油が間断なく器に流れ込んでいる。そしてオリーブ油が満たされたその器から、それぞれの管を通って灯が燃えている。これは間断のないいのちです。私たちが享ける永遠のいのちです。限りがあるのではない永遠のいのち。私たちは神様に結びついてはじめて永遠のいのちというものが与えられるのです。そのことを思いました。
そしてこれが何かというと、私たちの罪を贖いたもうたキリストの十字架です。イエス様は贖いを完全に成し遂げられて言われました。「わたしはよみがえりです。いのちです」。贖いと復活。私たちは聞きなれておりますが、実はイエス様のあのできごとがあった後で、教会がいちばん最初に語ったメッセージはこれでした。われらの主がわれらのために十字架に架かって死んでくださった。しかしこのお方はよみがえり生きておられる。これこそが福音なのです。福音のエッセンスをたどれば、主は、罪びとであるこんな者を愛してご自分がその罪の身代わりとなって死んでくださった。そして主は、このような者を生かすためによみがえってくださった。まことの慰めと希望がここにあります。これが私たちが信じている福音であることを心のうちに留めさせていただきたいと思います。
※画像は教会からお借りしています。
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