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2020年2月

20/2/29 J-MEROを聴く

J-MERO in 神戸 被災地で生まれた名曲
ゲスト 中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)、コザック前田(ガガガSP)

🎵中川敬は日記を書かない。日記の代わりに曲を書く。糸口があれば30分で曲を書きあげるらしい。「悲しくてすべてを笑う、渇く冬の夕べ」と歌う『満月の夕べ』。音楽、歌には力があり人の心を動かす。『満月の夜』を歌うと、暗い観客席のそちこちで白いものが見えるのだが、ハンカチを取り出している。涙を拭いているのだが、中川は見ないようにする。見ると泣けて歌えなくなる。演奏会が終わって泣いていた人たちのスッキリした顔。音楽は人の心を解き放つ。
避難所生活をして人生観が変わったミュージシャンのひとりがコザック前田。『満月の夕べ』をカバー。この曲は鎮魂歌としても出来上がっている。若者の世代に震災を再認識させたコザック前田。「この胸の振り子は鳴らす、“今”を刻むため、飼い主を亡くしたしば犬が、ヤサホーヤ焚火を囲む、解き放たれていのちで笑え、満月の夕べ」

古い事ではあるが、大正12年の関東大震災のときに、この時は10万人の死者がでているが、慈善コンサートで、焼け出された人々が全員手を打ち鳴らし足踏みして元気をもらったのは流行歌だった。勿論、東京音楽学校の関係者らも冷たい風にさらされながらステージに立って人々のために演奏し、人々の心を打った。

次には臼井真、登場。自らの家も全壊。2階にいたので死を免れた。25年前の117日のこと。近くの小学校全壊。震災から3週間経って、ピアノに指が触れたとき不思議な感じがしたという。当たり前がいかに幸せな事であったかを知る。神戸の街が無くなったことにガンときてすぐに走り書きで書いた曲であるという。生き残った者は時間を大切に生きなければならないと。神戸は大けがをした、死んだんじゃない。生まれたのが「しあわせを運べるように」。

最後は、しあわせを運ぶ天使の歌合唱団とMay J.の「しあわせを運べるように」のきよらかな歌声が流れた。

⛳きょうで2月も終わる。新型コロナの全国地図。立て続く試練。笑顔の消えたマスクの奥。せめて心を。6時52分更新

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20/22/8クラシック倶楽部を聴く

アラカルト ケラス&タロー/パユ 

(チェロ)ジャン・ギアン・ケラス、(ピアノ)アレクサンドル・タロー
2019年11月27日王子ホール~

☆「チェロ・ソナタ 第1番 ホ短調 作品38」ブラームス:作曲
☆「ディヴェルティメント ニ長調 から」ハイドン:作曲、ピアティゴルスキー:編曲


(フルート)エマニュエル・パユ
2019年12月2日東京オペラシティ コンサートホール

☆「無伴奏フルートのための幻想曲 第2番 イ短調」テレマン:作曲
「セクエンツァ 第1」ベリオ:作曲
☆「エア ~フルートのための~」武満徹:作曲


🎵アレクサンドル・タロー、ウェブでなかなかたどり着けなかったが、番組の解説で1989パリ生まれ。ミュンヘン国際コンクール第二位。舞踏、演劇とのコラボも積極的に。
ブラームスの「チェロ・ソナタ第1番」、2楽章までは身近に逍遥している感じが、3楽章で悲痛な感じ。アンコール曲「ディヴェルティメント」でさざめき笑い転げて。
パユの無伴奏、音で表された一つの存在が、あるべきところに、あるがごとくに、存在の輝きを放っている。テレマンの無伴奏、ちょっと東洋的な「ベリオ」での演奏技術の駆使、武満の「エア」、どれもが得心させる演奏。多くの作曲家たちがパユのために作品を書き下ろした理由がわかる。

🎧名曲アルバム
「弦楽四重奏曲第一番」バルトーク
【演奏】クァルテット・エクセルシオ 

🎵常設のカルテット、エクセルシオ。バルトークの鋼色した鋭く鮮烈な響きは!

 

⛳いま6時36分。何か書かねばと。これで2月もクラシック倶楽部を聴き倒したと書きたいところだけれども、30分遅れであった日も2回はあったような。それでも一通りは聴き、何らかを手にすることができた。実を言えば聴くのがしんどい朝もある。これはいわば一つの修行でもあるような。で、6時41分更新。

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20227クラシック倶楽部を聴く

16回チャイコフスキー国際コンクール ガラ・コンサートⅡ
2019
108日東京芸術劇場 コンサートホール

☆「ロココ風の主題による変奏曲 イ長調 作品33」チャイコフスキー:作曲
(チェロ)サンティアゴ・カニョン・ヴァレンシア、(管弦楽)東京交響楽団、(指揮)飯森範親
☆「ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23から 第1楽章と第3楽章」チャイコフスキー:作曲
(ピアノ)ドミートリ・シシキン、(管弦楽)東京交響楽団、(指揮)飯森範親

🎵サンティアゴ・カニョン・ヴァレンシア、1995コロンビア、ボゴタ生まれ。優勝するとか勝つといった意味ではなく、必ずうまくいくと信じてよい結果が出ると信じて演奏することが大切だという。ソリストとして世界中で演奏したいと。
ドミートリ・シシキン、チャイコフスキーの魅力は、湖、森、山並など雄大なロシアの魂を、ロシアの人々の心の中にある豊かな情感を感じさせるところ。音楽という世界共通言語で世界中の人々と繋がっていたいと。シシキンを直接に聴いたのはもう56年も前であったか、もっと前だったような。あれからさらに今日を目指し今日に至るまで精魂こめ研鑽しここに登場、あきらめずに目的意識を持続させ研鑽しつづけていたことに感銘。ヤマハのピアノを選んでくれているところも嬉しい。

🎧名曲アルバム
「マンフレッド 序曲」シューマン作曲
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】高関健

⛳3月8日予定だった農民オーケストラの「第九」も中止。各ホールのがらんとした寂しげな観客席、ライトの点かないステージが見えた気がして。6時50分更新

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20226クラシック倶楽部を聴く

アラカルト ブラッハー/メストレ 

(バイオリン)コリヤ・ブラッハー
(ピアノ)オズガー・アイディン
トッパンホール~
☆「バイオリン・ソナタ ト長調」ラヴェル:作曲
☆「カンタービレ ニ長調 作品17」パガニーニ:作曲

(ハープ)グザヴィエ・ド・メストレ
(カスタネット)ルセロ・テナ
紀尾井ホール
☆「サルスエラ「ルイス・アロンソの結婚」から間奏曲」ヒメネス:作曲、メストレ:編曲
☆「スペインのセレナード」マラツ:作曲、メストレ:編曲


☆「詩的なワルツ集」グラナードス:作曲、メストレ:編曲
(ハープ)グザヴィエ・ド・メストレ
☆「アランブラ宮殿の思い出」タレガ:作曲、メストレ:編曲
(ハープ)グザヴィエ・ド・メストレ

🎵うっかりまたも前半聴き逃し。ブラッハーのラヴェルは惜しかったと思いつつ。メストレ、ハープ奏者で男性はめずらしい。「アランブラ宮殿の思い出」、あの繊細なトレモロに湧き出て心に沁みる旋律の優しさ! メストレ、演奏を終えてしばし動かない、動けない理由はそこにあるのか。 

🎧名曲アルバム
「タイスのめい想曲」マスネ作曲
【バイオリン】荒井英治,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】尾高忠明

⛳いま陽はのぼって、6時46分。けさはネット検索だけ。ところで次の番組をちょっとのぞくと93才の方が番組宛に書いた手紙というのが映し出されていたのだけれども、しっかりとした美しい文字には! 果たして自分は93でこうまでしっかりしていられるかしら。フジ子ヘミングも1932年生まれで、確か昨年の演奏回数は63回、もし間違えると怖いので60数回としておくけれども、19年にはパリの有名コンサートホールでリサイタル。菜食主義者でクリスチャン。「わたしは天国に行くから。母には会いたいけれども、一緒には住みたくない」と言っていたが。老いてなおすばらしい方々がいらっしゃる。ちょっと本題を逸れたかなと思いつつ。6時57分更新。

 

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20225クラシック倶楽部を聴く

スウェーデン放送合唱団 演奏会
(指揮)ペーター・ダイクストラ
2019
1126日東京オペラシティ コンサートホール

 

☆「それはの息子であった」ペルト:作曲
☆「3つの聖歌」シュニトケ:作曲
☆「詩編交響曲」ストラヴィンスキー:作曲、ショスタコーヴィチ:編曲
(ピアノ)ヨハン・ウッレン、(ピアノ)マグヌス・ショルド
☆「モテット「歌え 主のみ前に新しい歌を」」サンドストレム:作曲
☆「乙女は踊りの輪に入る」スウェーデン民謡:作曲、アルヴェ:編曲

🎵サンドストレム、何とか明快な頁を繋ぎたいとググってみたが、的確な頁にたどり着けなかった。ダイクストラのコメントの聞きかじりで、このスウェーデン放送合唱団のモチベーション、真骨頂を意識しながら作曲しており、ダイクストラは彼を新ロマン派と位置付けているようだ。「歌え 主のみ前に新しい歌を」は、和声的で技巧的、しかも超絶技巧を駆使と。久しぶりにわくわく。この合唱団の声の性能の多様さ、歌唱技術の高さに感銘。サンドストレム、2019に亡くなっている。このコンサートの前であったか後であったか確かめようとしたのだが…。訳は樋口隆一、バッハ研究の大家であるようだ。
ストラヴィンスキー:作曲、ショスタコーヴィチ:編曲「詩編交響曲」、ストラヴィンスキーがこんな曲を! だけどどこがストラヴィンスキー的? と思ったところで第3楽章。ピアノにそれが顕著に表れ合唱にも。この曲でこれまで抱いていたストラビンスキーへの意識に1+。弦や楽器、シンバル、とにかくすべてを用いて主をほめたたえよと歌う。ストラヴィンスキーが弾圧に遭い帰れなくなっているときに、敢えてこの詩篇を選び作曲したところに意味の深さとこの曲の真価が。
ペルトの「それはの息子であった」、これはマタイ伝の最初に出てくるイエス・キリストの系図。はじめて読む者には退屈極まりないところ。これを作曲していた人物がいたのだ! 思えばキリストの系図には庶民から王、そして卑しい職業とされていた人々までが入っている。いまだ全部の人物をしってはいないけれども、これもまた実に意味深いことであると思う。
この岩手、盛岡にもすばらしいカンタータを歌う、歌える集団? がある。ペーター・ダイクストラがスウェーデン放送合唱団をして、「音の混ざり方が明瞭」「フォルテ、フォルテシモが力強さを持続できる」といったが、それができる合唱団が。盛岡バッハ・カンタータ・フェラインがそれだ。ただスウェーデン放送合唱団の方は女性16、男声1632名と声比がとれているが、盛岡バッハ・カンタータ・フェラインは女声が数からいうと圧倒的。しかしそこには何らかの演奏上の操作を用いているのかもしれない。この団体の関係者から聞いてみたことはないけれども。


🎧名曲アルバム
「愛の讃歌」マルグリット・モノー作曲、栗山和樹・編曲
【ピアノ】小原孝,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】円光寺雅彦

⛳6時55分にぎらつく陽光を左に、7時ジャスト更新。

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20/2/24クラシック倶楽部を聴く

波多野睦美 メゾ・ソプラノ・リサイタル
(ピアノ)ジュリア・スー
王子ホール 

☆「寂しい森の中で K.308」モット:作詞、モーツァルト:作曲
☆「クロエに K.524」ヤコービ:作詞、モーツァルト:作曲
☆「ルイゼがつれない恋人の手紙を焼いた時 K.520」バウムベルク:作詞、モーツァルト:作曲
☆「すみれ K.476」ゲーテ:作詞、モーツァルト:作曲
☆「アデライーデ 作品46」マティソン:作詞、ベートーベン:作曲
☆「ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 作品272「月光」から 第1楽章」ベートーベン:作曲
(ピアノ)ジュリア・スー、(ダンス)辻田暁
☆「夜の曲 作品362」マイアフォーハー:作詞、シューベルト:作曲
☆「歌曲集「冬の旅」 作品89から 第5曲「ぼだい樹」」ミュラー:作詞、シューベルト:作曲
☆「歌曲集「冬の旅」 作品89から 第17曲「村で」」ミュラー:作詞、シューベルト:作曲
☆「魔王 作品1」ゲーテ:作詞、シューベルト:作曲
(メゾ・ソプラノ)波多野睦美、(ピアノ)ジュリア・スー、(ダンス)辻田暁
☆「夕暮れの情緒 K.523」カンペ:作詞、モーツァルト:作曲
(メゾ・ソプラノ)波多野睦美、(ピアノ)ジュリア・スー、(ダンス)辻田暁

🎵「冬の旅」、モーツァルトの最晩年の「夕暮れの情緒」、身近に聴く。作曲者が感じた詩をこんどは演奏者が体を通して歌って訳すのだと波多野睦美。実際の翻訳も波多野睦美だった。モーツァルトの天分は随所にまで。オペラの1場面とはまた一味違うダンスの振り付け。

 

🎧名曲アルバム
「歌劇 トスカ  -歌に生き愛に生きー」プッチーニ作曲

【バリトン】上江隼人,【ソプラノ】森谷真理,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】飯森範親

🎵劇的な歌声が朝の空気を震わせて。

⛳月曜は休みたい気分でもあるけれども、やはり聴かぬよりはと。「冬の旅」を人生の課題としてらっしゃる方がいる理由が分かった気が。盛岡地方気象台を包む朝焼けを見ながら6時27分更新。コロナで人の行動半径も狭められ、より慎重に。

 

 

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きょうのことば

 インマヌエル盛岡キリスト教会2020216()の礼拝メッセージをお伝えいたします。
國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は46年にわたって岩手で主のご奉仕をしておられます。

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説教題 『永遠のいのちに生きる』(國光勝美牧師)
新約聖書 ヨハネによる福音書 第112526

25イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。26また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。」

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<説教>
(
長い牧会の経験から神様に扱われたといったお話が多くございましたが、時間の関係でまとめかねましたので、信者のためにという部分は割愛し、一般の方々向けであると思われるところを書かせていただきます)

「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」
 このおことばは、教会の墓誌にも彫られております力強いおことばです。
 誰もがみな、その軽重に違いがあるとしても、人生を全うするあいだに様々な試練に遭います。そしてたとえば病という試練を負い、余命を告げられる方もいらっしゃいます。手術に臨みながらも病巣を切除しきれない。余命はあと5年ですと言われる方があるかもしれない。その方にとって、人生はまさしく死を受け入れることから始まると言えましょう。私たちはみな産声をあげた瞬間から死に向かって生きている。例外なしに。そう考えますと、寿命はおそらくあと5年と知ることができるのは、これはある意味恵みです。もしこれを知ることがなければ、たぶん一日一日を漫然と曖昧に生きてしまう。しかし5年とはっきりと余命を知れば、死に向かって備えることができます。これは大変な恵みであります。


 ゼカリヤが見た幻です。2本のオリーブの木と金の燭台。
2
本のオリーブの木は生きており、それでオリーブの油が間断なく器に流れ込んでいる。そしてオリーブ油が満たされたその器から、それぞれの管を通って灯が燃えている。これは間断のないいのちです。私たちが享ける永遠のいのちです。限りがあるのではない永遠のいのち。私たちは神様に結びついてはじめて永遠のいのちというものが与えられるのです。そのことを思いました。
 そしてこれが何かというと、私たちの罪を贖いたもうたキリストの十字架です。イエス様は贖いを完全に成し遂げられて言われました。「わたしはよみがえりです。いのちです」。贖いと復活。私たちは聞きなれておりますが、実はイエス様のあのできごとがあった後で、教会がいちばん最初に語ったメッセージはこれでした。われらの主がわれらのために十字架に架かって死んでくださった。しかしこのお方はよみがえり生きておられる。これこそが福音なのです。福音のエッセンスをたどれば、主は、罪びとであるこんな者を愛してご自分がその罪の身代わりとなって死んでくださった。そして主は、このような者を生かすためによみがえってくださった。まことの慰めと希望がここにあります。これが私たちが信じている福音であることを心のうちに留めさせていただきたいと思います。

※画像は教会からお借りしています。

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無題

けさは起床6時。どこか気が緩んでいたような。J-MEROは終わったところ。一応スイッチオンしてみると、福井県に材を取った新しい番組の紹介だったが、福井県のスーパー事業、就活等などを紹介していた。知らなかったが、47都道府県の中で、福井県は幸福度が1位。意外だったのは県の婚活支援サービスがあり、結婚が1519件に達したとか。魅力ある郷土づくりを実践しているようだ。これがドラマに。福井をググってみた。岩手県はどうだったかな。幸福度をアップさせるには何が?と考えさせられるも、さほどの知恵が出ないまま

⛳6時42分更新。

 

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20/2/21クラシック倶楽部を聴く

ウィーン・アカデミー管弦楽団 演奏会
(指揮)マルティン・ハーゼルベック
2017
418日(火)大阪・いずみホール

 

☆「交響曲 第6番 ヘ長調 作品68「田園」第1楽章」ベートーベン:作曲
☆「交響曲 第5番 ハ短調 作品67」ベートーベン:作曲

🎵5番、6番が初演されたのは18081222日の寒い日、アン・デア・ウィーン劇場は4階で座席数は2000。身分のある者や高齢者は座ることができたらしいが、あとは立ち見。ふつうは拍手もできないほどにぎっしり入る。それが当日は観客が半数しか入らなかったという。赤字。マルティン・ハーゼルベック率いるウィーン・アカデミー管弦楽団はこのとき、いずみホールで演奏しているのだが、その心は1808年のあの劇場にある、そう感じられた。当時の楽器での当時の響きの再現なのだ。ベートーベンは当時の楽器の特徴を知悉したうえで楽譜を書いているという。たとえばティンパニーは当時ネジで音を調節したらしいが、それにどれぐらいの時間がかかるかなど、それらがみな考慮されている。リサウンド、第4楽章では、ハーゼルベックが指揮する姿にベートーベンが重なった。殊にもナチュラルホルンに意識を傾けながら聴いた。

🎧名曲アルバム
「時には母のない子のように」アメリカ民謡。狭間美帆・編曲
【ソプラノ】三宅理恵,【ピアノ】佐藤浩一,【ベース】井上陽介

🎵フィスク大学の経営難を救った聖歌隊の働きがすばらしい。この働きで黒人霊歌が世界に。

⛳きのうの太陽はまだ見えてはいない。しかしこちらの側から見えていないだけで、実はいまも燦然と輝いている。雲があろうとなかろうと地上のすべてを見渡し見透かし見抜き照らし守ろうとしていると感じられる今朝。6時48分更新。

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20/2/20クラシック倶楽部を聴く

滋賀県甲賀市公開収録 Buzz Five演奏会
あいこうか市民ホール 

☆「ロメオとジュリエット」プロコフィエフ、ロータ:作曲、福田洋介:編曲
☆「OASIS福田洋介:作曲
☆「ラッサス・トロンボーン」フィルモア:作曲、鈴木彩水:編曲
☆「こどものサーカス」クーツィール:作曲
☆「「ポーギーとベス」組曲」ガーシュウィン:作曲、金澤恵之:編曲
☆「オー・シャンゼリゼ」ディーガン、ウィルシュ:作曲、織田英子:編曲

🎵人口9万、信楽焼の里がそう高くはない山から展望され静かなたたずまいを見せている。
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人の各楽器はただ息を吹き込んだだけでは音にはならない。唇をブルブルさせて吹き込んではじめて音となるらしい。この「ブルブル」をBuzzというのだそう。福田洋介の「OASIS」、これはBuzzの委嘱。広く高く視界がひらけるようなところはなく、ちょうど密林の静けさのなかに水や樹木、植物の表情を写し取っているような感じが。これをさまざまなミュートを使用したり楽器を軽くたたくなどで表現している。トロンボーンのユーモアあふれる楽器紹介などなど、分かりやすく楽しく聴かせてくれた。

🎧名曲アルバム
「おやすみアイリーン」レッドベリー作曲、狭間美帆・編曲
【歌】中井智彦,【ハモンドオルガン】金子雄太,【ギター】関根彰良,【ベース】西嶋徹

 🎵これもアメリカの一つの断面。レッドベリー、才能を見出されることで人生が大転換のラッキーボーイ。

⛳日は昇る。強烈な光を放って、きょうの日がギシギシとギリギリと薄曇りの空に遠慮なく進軍。幾千の金管が高らかに吹きならされ響き合いひびきあい、けだものたちをことごとく蹴散らしている。6時53分更新。

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20219クラシック倶楽部を聴く

エリック・ホープリッチ&ロンドン・ハイドン弦楽四重奏団
2017
927日 ヤマハホール 

☆「弦楽四重奏曲 二長調 作品64 5「ひばり」から 第1楽章」ハイドン:作曲
(バイオリン)キャサリン・マンソン、(バイオリン)マイケル・グレヴィチ、(ビオラ)ジョン・クロカット、(チェロ)ジョナサン・マンソン
☆「クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581」モーツァルト:作曲
(バセット・クラリネット)エリック・ホープリッチ、(バイオリン)キャサリン・マンソン、(バイオリン)マイケル・グレヴィチ、(ビオラ)ジョン・クロカット、(チェロ)ジョナサン・マンソン

🎵きょうの聴きどころは、やはりバセット・クラリネットの低音域と思っていたけれども、やはりぜんたいピリオド楽器の柔らかな落ち着ける演奏がこの年代には優しい。それにしても楽器の追求、エリック・ホープリッチはもう25年も前から楽器の復元、制作を試みていたその道の研究者。より豊かな音域の響きに与らせてくれた。

🎧名曲アルバム
「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」モーツァルト
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】飯森範親

演奏、これぐらいの速さ、急ぎ足ぐらいがいい。モーツァルトの両親が結婚してから9年経ってやっとモーツァルトが生まれたらしい。ここからさまざまを類推。

⛳いま炊飯器が「炊きあがったよ」と知らせている。「お風呂わきました」「洗濯おわりました」「スポンジ焼きあがりました」。おしゃべり人形のプリモプエルは「おはよう」「肩たたきましょか~」「おやすみなさ~い、またあした~」。さてきょうも新型コロナで始まる。6時半更新。

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20/2/18クラシック倶楽部を聴く

上野 耕平 サクソフォン・リサイタル 兵庫県豊岡市民会館文化ホール公開収録
(ピアノ)高橋 優介

 

☆「ファンタジー」ベダール:作曲
(ソプラノ・サクソフォン)上野 耕平
☆「バラード」トマジ:作曲
(アルト・サクソフォン)上野 耕平
☆「バイオリン・ソナタ イ長調」フランク:作曲
(アルト・サクソフォン)上野 耕平

🎵「ファンタジー」、これは聴き逃し。都会の孤独をサックスで聴きたかったのだけれども。「バイオリン・ソナタ」、これがピアノはピアノで相手の楽器に何の制約も縛りも妥協もせずに演奏されており、またサックスも諄々と諭すようにとも聴こえたのだけれども、サックスの響きをじっくりと聴かせてくれており、それでいて互いを損なわず両者の関りが成功しているというすごさ。 

🎧名曲アルバム
「奇想曲 第24番」パガニーニ
バイオリン・加藤知子

🎵加藤知子のバイオリン。彼女が学生だった頃に岩手県の宮古市に来てくれたことがあった。
バイオリンの可能性の限界挑戦のこの曲、彼女の響きを聴きながら、500年の歴史あるクレモナ散歩。100を超えるバイオリン工房があるという。そちこちの工房に陳列されているバイオリンがのぞく。16世紀に製作方が確立され、17世紀の後半には天才アントニオ・ストラディバリ(1644頃~1737)の出現。パガニーニも生涯ストラディバリウスを愛した。バイオリン製作学校にも多くの若者たちのすがたが。しかし、このクレモナの100を超える工房からも、製作学校からも、いまだにストラディバリウスを凌ぐ楽器が出てはいないのだ!

⛳日の出はまだか、カーテンをちょっと開けて日の出はまだかなと見てみたところ、雪。またまた雪景色。どこもかしこも真っ白です。6時38分更新。

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20/2/17クラシック倶楽部を聴く

エマニュエル・パユ フルート・リサイタル
東京オペラシティ コンサートホール

☆「無伴奏フルートのための幻想曲 第1番 イ長調」テレマン:作曲
「比重21.5ヴァレーズ:作曲
☆「無伴奏フルートのための幻想曲 第10番 嬰へ短調」テレマン:作曲
☆「スクリーヴォ・イン・ヴェント」カーター:作曲
☆「無伴奏フルートのための幻想曲 第5番 ハ長調」テレマン:作曲
☆「めやぎの踊り」オネゲル:作曲
☆「無伴奏フルートのための幻想曲 第6番 二短調」テレマン:作曲
☆「ソナタ・アパッショナータ 嬰へ短調 作品140カークエーレルト:作曲
☆「無伴奏フルートのための幻想曲 第7番 二長調」テレマン:作曲

🎵ネットにはこの番組から、作曲者、演奏家、曲目の解説、感想までみな出ている。パユがいうこれら作曲家たちの作品が時代を超えて響き合うのは、空中によく響き音がとおっていくフルートという楽器の特徴にもあるかとも思われた。無伴奏の幻想曲が体質的に合う。それにしても「比重」のネーミング、どうしてと思ったところに、プロットが流れるという親切さ。無機物的なネーミングがこの世界ではぎらりと光を放つという効果が。カーターの最強音、どきりとさせて素知らぬ顔で波を引かせてしまうかの見事さ。「めやぎの踊り」、これも言葉にすれば物議を招きそうだが、音の世界、音楽にしてしまうと振り上げられる拳もするりとかわせるというか、言葉は難儀なものだが、その点音楽は広く幅を利かせられるという感じが。パユのフルートにはもっと熱烈な拍手があっていいんじゃないのかな。というよりあるべき。

 

🎧名曲アルバム
「小さな空」武満徹・作詞、作曲
【合唱】東京混声合唱団,【指揮】大谷研二

🎵懐かしき映像。いつでもどこからでも望める小さな空。

⛳6時24分更新。

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きょうのことば

インマヌエル盛岡キリスト教会20202月9日()の礼拝メッセージは『生きることはキリスト』(國光勝美牧師)でした。 

新約聖書 ピリピ1:20、21
20私の願いは、どんな場合にも恥じることなく、今もいつものように大胆に語り、生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストがあがめられることです。
21私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。

 この教会の会員であられるひとりの姉妹が亡くなられました。主牧は日曜礼拝の説教は必ず準備されて礼拝に臨みます。これは世の中の方々が認識しておられるよりもはるかに厳しく守られております。
 ただきょうは亡くなられた方の信仰に入られたいきさつや、この方を偲ぶおもい、またこの方が切に望んでおられたことは何であったのかについて多く語られました。

このブログの日曜版は、聖書が語っていることが、どなたか一人にでも、何らかの参考になればと思い公開しております。自分自身が人様に何らかの説教ができるなどと大それたことを考えたことは一度もありません。


 きょうは説教の伝搬というよりも、私が今回のひとりの方の死から実感されたこと、それを書きます。すでに多くの方が昔からいっておられたことでもあります。
 死はその瞬間に、生まれたときから宿ってきた肉体という器を抜け出して、別な世界に移動することなのだ。この方のご遺体に接したときに、明らかにこの方のどこにももうこの方はいない。しかし、ここにはいないこの方の存在が実感されたのです。それで人が生まれるということの、一つの器の中で育ち、喜んだり、悲しんだり、怒ったり、その他ありとあらゆる感情、ケガや病気などに嘆いたり苦しんだりしながら一生という一定期間を過ごして、死という瞬間がきた時に、またその器を抜け出して瞬時に別な世界に移動する。このことから類推する人生の価というものを考えさせられました。何れこの世だけではない。今回、理屈ではなく、このように実感されました。ひとりの存在が人の視覚から消えてしまうことの喪失感は何によっても埋められないのですが、ただその方がこの世界から宇宙から消えてしまってはいない。いなくなってはいない、そう確信されました。

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雑感

J-MERO

ゲスト
BALLISTIK BOYZ from EXILE TRIBE、家入レオ、SKE48

BALLISTIK BOYZ from EXILE TRIBE、すでに広く知られているのだろうけれども、グループの中で3人が米国留学、中・高と過ごした方、ポルトガル語ができる、中国語ができるメンバーたち。世界でのスタジアムツァーの夢は半端じゃない。ただのスピード感を超えてアクロバットまでをこなす。
家入レオ、高校在学中にデビュー。作曲してもそのままゴーとはならず、委嘱先からああでもないこうでもないとブラッシュアップされた曲の方が結果的には世の中に受け入れられるらしい。才能を感じさせる「未完成」。せつなくも透明感があり、重みをもたせない。軽やかなスピード感。
SKE48、多くのメンバーの中でいかに自分を打ち出すかの努力、パフォーマンスをそろえながらも浮かび上がるためのひたすらな試行錯誤。

May.J、インタビューごくろうさま。

⛳もう土曜日! 6時33分更新。

 

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20/2/14クラシック倶楽部を聴く

コンチェルト・イタリアーノ演奏会2
「聖母のための夕べの祈り」モンテヴェルディ:作曲
(指揮)リナルド・アレッサンドリーニ
201765日 武蔵野市民文化会館 大ホール

 

☆第9曲「天よ お聞きください」」
☆第10曲「エルサレムよ 主をほめたたえよ」
☆第11曲「聖マリアのソナタ」
☆第12曲「海の星よ」
☆「マニフィカト」
☆アンコール 「聖母のための夕べの祈り」から 第1曲「主よ 救われるべき人に」

🎵まえの放送では古楽器をググりながら聴いていた。今回はゆっくりとハーモニーを。それにしても全曲演奏が1時間半もかかると、途中で休憩がはいったかどうかは分からないけれども、弦が狂いはしないかとつい終盤耳を逆立ててしまった。1610年作曲の再現。10曲の「栄光は父と子と聖霊に」、三位一体の調和をうたう重音が心に平和を醸してくれた。
11曲の歌詞
「主は強い御腕をふるって
 おごり高ぶる者を追い散らされた
 権力のある者を引きずり下ろし
 惨めな者たちを高くされました
 飢えた者を飽き足らせ
 富める者を手ぶらで帰らせました」
これは聖書の中のことばだけれども、一般人が政治に求めている究極の姿勢、あり様がここにあるとも思われた。
 「マニフィカト」、「主よ急いで私を助けに来てください」「栄光は父と子と聖霊に 初めにあったようにいつも今も世々とこしえまでも」
現代はもはや宗教が死にかけていると見えるのは人の側の錯視、錯覚。人の思惑とは無関係に今もなお神はどこも少しも損なわれてはいない。

🎧名曲アルバム
「歌劇トスカ 歌に生き愛に生き」プッチーニ・作曲
【バリトン】上江隼人,【ソプラノ】森谷真理,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】飯森範親

🎵トスカの3舞台にゆかりのある3建造物、舞台には決して持ち込めないスケールの大きさ。正しく生きようとしたものの悲劇は胸を打つ。

⛳6時44分更新。


 

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20/2/12&20/2/13クラシック倶楽部を聴く

20/2/12

MAROワールド第32回演奏会
20171025日 王子ホール

☆「弦楽四重奏曲 イ短調 第1楽章」クライスラー:作曲
(第1バイオリン)篠崎史紀、(第2バイオリン)水谷晃、(ビオラ)佐々木亮、(チェロ)桑田歩
☆「美しいロスマリン」クライスラー:作曲
(バイオリン)崎谷直人、(ピアノ)清水和音
☆「2つのバイオリンのための協奏曲 BWV1043 1楽章」バッハ:作曲
(第1バイオリン)小林壱成、(第2バイオリン)大江馨、(ピアノ)清水和音
☆「弦楽セレナード ハ長調 作品48」チャイコフスキー:作曲
(コンサートマスター)篠崎史紀、(弦楽合奏)MAROカンパニー

🎵クライスラーのただ一つの弦楽四重奏は、チャップリンのライムライトのテリーのテーマのようなレトロな懐かしさがあった。「2つのバイオリン…」「弦楽セレナード」、明るく楽しいコンサートサロン、マロワールド、実はきのうは頭痛がかなりひどかったが、聴かなければ何かを落とし損をする、そんな思いでヘッドホンを耳に。落とし物をせずによかった。

🎧名曲アルバム
「タイスのめいそう曲」マスネ作曲
【バイオリン】荒井英治,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】尾高忠明

🎵目が痛んで画像は見なかったが、頭の中が混沌。こちらの健康状態はどうであれ、曲は曲として鳴っていたはずで、要するに一人のありようはどうであれ、世の中はいつもと変わらずに動いているのだ。こんな日もある、そんな日もある。

☆  ☆  ☆  ☆

20/2/13

コンチェルト・イタリアーノ演奏

🎵やすもうかと迷いつつ、後半の30分、やはりこれも聴かなければ損という気がして。
「聖母のための夕べの祈り」、音楽の改革者でオペラを誕生させたモンティヴェルディの曲。イタリア語の響き、特に母音に気を遣って歌われるらしい。歌詞は磯山雅(ただし)、「二人のセラフィム」と訳していたが。

🎧名曲アルバムは「愛の賛歌」
エディット・ピアフの傷心的な声で大ヒット。

 

⛳いずれも何回か聴いているけれども、聴くたびに新たな気づき。頭痛もかなり癒えて、6時58分更新。

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無題

眼精疲労回復のためにお休みいたします。

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20/2/11クラシック倶楽部を聴く

ジェームズ・エーネス 無伴奏バイオリンの至芸
2017215日、16 NHK CT102スタジオ 

☆「無伴奏バイオリン・ソナタ 第1番 ト短調 BWV1001」バッハ:作曲
☆「無伴奏バイオリン・パルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004」バッハ:作曲

🎵エーネスが奏者ではなくリスナーの立場で聴きたいこの演奏。またまた聴いたスタジオ録音の至芸。ヌープ男爵お気に入り1715年ストラッドの響きがきっかりくっきりじわり。 

🎧名曲アルバム
「おやすみアイリーン」レッドベリー作曲、狭間美帆・編曲
【歌】中井智彦,【ハモンドオルガン】金子雄太,【ギター】関根彰良,【ベース】西嶋徹


🎵レッドベリー、画家カラヴァッジョのよう。刑務所にいるレッドベリーを見出したのが古い労働歌を研究していたジョン・ローマックス。この歌を後にピート・シガーがカバーし全米1位のヒットに。

⛳いつもどおりのいつもの朝、平凡で静かな朝6時51分。

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20/2/10クラシック倶楽部を聴く

エマニュエル・チェクナヴォリアン バイオリン・リサイタル
ピアノ:マリオ・ヘリング
2019121日ハクジュホール

☆「バイオリン・ソナタ第5番 ヘ長調 作品24「春」」ベートーベン:作曲
☆「ウィーン風狂騒的幻想曲」クライスラー:作曲
☆「華麗なロンド D.895」シューベルト:作曲
☆「愛の喜び」クライスラー:作曲

🎵「春」、「クロイツェル」と並んでよく奏されるという。深刻さはない明るさ。1801年というとベートーベンはどこでどんな暮らしであったろうか。「ウィーン風狂騒的幻想曲」、何とクライスラー70歳で作曲。出だしは玄妙、あとはゆったりと黄昏時を楽しんでいるような、鼻歌が聞えてきそうなところも。シェークスピア、当時一世を風靡した歌手カルーソーと並んで大いに迎えられた自らの人生に満足であったのでは。「華麗なロンド」をチェクナヴォリアンは「シューベルトの歌曲、ピアノ・ソナタの作曲からは彼らしくない作品であると。突拍子もなく考えもせずに湧きあがるがままに書かれている」とコメント。譜面の上ではいかに破天荒でも。これが言葉で表した場合には難儀なことになることも。アンコールの「愛の喜び」、この曲を当時の人々はどれほどに待ち望んだことか。 

🎧名曲アルバム
「弦楽四重奏曲 第一番」バルトーク・作曲
【演奏】クァルテット・エクセルシオ

🎵クァルテット・エクセルシオ、常設のカルテットが日本にもあったようだ。マーチャーシュ教会が、オスマン帝国占領時代にはイスラムの会堂として使われていた! 争いたくない、従わざるを得ないとなれば御貸ししましょ、はたまた苦さをかみ殺すしかなかったか。というよりも信徒たちは祈ったことだろう。

⛳東の空、一瞬紅を帯びたかと思いきや、6時40分には幾分クールダウン。新しい朝だ。


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きょうのことば

インマヌエル盛岡キリスト教会202022()の礼拝メッセージをおつたえいたします。

説教題『手のひらに刻まれる神』(國光勝美牧師)

 國光勝美牧師・ひろ子牧師は、46年の間、盛岡で主のご奉仕をしておられます。

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聖書 イザヤ書491516

15「女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。
自分の胎の子をあわれまないだろうか。
たとえ女たちが忘れても、
このわたしは、あなたを忘れない。
16見よ、わたしは手のひらにあなたを刻んだ。
あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。

<励ましのおことば>

主の御手には十字架の傷跡がある。大工の手であり、握りしめる手であり、力強い御手である。 

歴代誌第一第410
ヤベツはイスラエルの神に呼び求めて言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあってわざわいから遠ざけ、私が痛みを覚えることのないようにしてください。」
神は彼が願ったことをかなえられた。
 

励まされる聖言
詩篇1388
主は私のためにすべてを成し遂げてくださいます。
主よ あなたの恵はとこしえにあります。
あなたの御手のわざをやめないでください。
 

兄弟姉妹方の祈りの手がある。
出エジプト1716
「主の御座の上にある手。
主は代々にわたりアマレクと戦われる。」
 

生きる価値、意味が濃くなってくる。

ローマ人への手紙第55
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
創世記228
アブラハムは答えた。「わが子よ、神ご自身が、全焼のささげ物の羊を備えてくださるのだ。」こうして二人は進んで行った。

 

※本日は、主牧がある方に関わり、制約された長い時間に、心に通った聖書の箇所を浮かんだままにお話くださいました。解説がありましたが教会に来ていてこそわかるというところ、また信徒のために参考になればとお話くださった個人情報的な部分も多く、ノートのメモから御聖言のみをピックアップし簡単に書かせていただきました。

 

 

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無題

きのうは友達の生死の境に時間的に居合わせた、これがどういう事かは説明しにくいのだけれども、うっすらと雪化粧の朝を友達に重ねている。

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20/2/7クラシック倶楽部を聴く

北海道中標津町総合文化会館公開収録 金子三勇士(かねこみゆじ)ピアノ・リサイタル
2019616

☆「「ミクロコスモス」から「オスティナート」」バルトーク:作曲
☆「練習曲 ハ短調 作品1012 「革命」」ショパン:作曲
☆「前奏曲変ニ長調作品2815「雨だれ」」ショパン:作曲
☆「「パガニーニによる大練習曲」から「ラ・カンパネラ」」リスト:作曲
「ピアノ・ソナタ ロ短調」リスト:作曲

🎵道東にある酪農のまち中標津町から。牛舎をあるくセントバーナード犬、前に見たとき、この犬は見落としていたななどと。
6歳で祖父母のハンガリーの田舎の家からバルトーク音楽小学校に、11歳でリスト音楽院に通学。中標津の風景にある道を歩みながら金子に祖父母の田舎の風景が重なり、こういった環境が演奏するときの原風景となっているらしい。
ほんとうのリストのすがたを知って欲しいとプログラムの後半にはリストの曲を多く演奏。たしかに「ロ短調」ではリストの多面体の様々な側面を聴かせてくれた。リストが最も充実している時期に書かれている。曲についてリンク先で賛否両論を読んでみると面白い。金子はこの曲はリストの最高傑作であり、人生観、音楽観、人生が、と言っていたか、それらが詰まっていると解説。これを自らの年代ごとにどう紐解いていけるか、10年後の演奏も楽しみに聞いて欲しいと語っている。

🎧名曲アルバム
「ノクターン 嬰ハ短調 遺作」ショパン作曲
【ピアノ】山本貴志

🎵心震えるこの1曲。終戦直後、ポーランド、ワルシャワに流れた復興の灯。

⛳盛岡は冷えに冷えて。今朝はどこも冷え切っているはず。「盛岡の天気」をググると-9。ベランダの寒暖計は-8。ただこの寒暖計が正確であるかどうかは不明。6時53分の東の山陰から青く灰色の雲に今光が穿たれている。

 

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2026クラシック倶楽部を聴く

長野県軽井沢町公開収録 佐藤卓史(さとうたかし)ピアノ・リサイタル
201861日 軽井沢大賀ホール~

 

☆「楽興の時 D.780」シューベルト:作曲
☆「幻想即興曲 嬰ハ短調 作品66」ショパン:作曲
☆「舟歌 嬰ヘ長調 作品60」ショパン:作曲
☆「ポロネーズ 変イ長調 作品53「英雄」」ショパン:作曲

 

🎵佐藤が言うに「シューベルトもピアノを弾いたがテクニックはヴィルトオーソではなかった。高度なテクニックを要求するような派手な曲はないが、内面へのアプローチがシンプルな手法で書かれている。曲の分岐点ではフレーズが私の思った通りの方向にいくので感覚の近さを感じる作曲家」であるという。「楽興の時」、これもコメントを参考に聴き耳をたて、たしかに12は自分の心の内を逍遥していると聴こえ、また自己愛的な旋律でもあると感じられた。有名な3で外へと踏み出し気分を変えてくれ4で事物、人との関りが彷彿と。6のところでまた内省にもどり自分の内に静かに止まり終えたという感じが。ショパン、オープン感覚の現代版といったショパン。
  筆者は未開の耳を、コメントなどを参考にして聴き、何とか未開の耳を耕そうとしている音楽愛好家の域は出ない。コメントを聴いても、説明を読んでも無知の故か感性の乏しさかで合点がいかない時に思うのは、やはり、こんな時、吉田秀和ならどう言っただろうといまだに思う事がある。内蔵されている耳の性能が神経が感性が緻密というか、逡巡することなくバンと言い切るところ、音楽評論家としてやはりすごい人だった。さる高名な高齢のピアニストを「ひび割れた骨董品」といったときには、流石にちょと失礼ではとも思ったが。この方、さぞかし立派なオーディオルームでも構えて…と思っていたところ、小さな音響機器でこと足りさせていたらしい。知った時は意外だった。大層な仕掛けは無くとも音楽は楽しめる。

 

🎧名曲アルバム
「無伴奏チェロ組曲第一番 プレリュードとサラバンド」バッハ
【チェロ】古川展生 

🎵バッハ、幸せなケーテン時代。代表作の幾つもが。並ぶレオポルト公の楽器コレクション、作は誰であったか?

盛岡市の気温をググっているうちに、記事を誤って消失。再び再現したものの、リンクなどは失われて。後で捕捉しよう。とりあえず7時1分更新

やはり氷点下8までになった今朝の盛岡。いまは眩しい日差しが室の奥までを明るくしている。春の兆しが。8時52分再更新。

 

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20/2/5クラシック倶楽部を聴く

クラシック倶楽部 迫 昭嘉(さこあきよし)の第九 

☆「交響曲 第9番 ニ短調 作品125「合唱つき」(2台ピアノ版)から 第2楽章、第3楽章、第4楽章」
ベートーベン:作曲
リスト:編曲
(第1ピアノ)迫 昭嘉、(第2ピアノ)江口 玲(えぐちあきら)
5018秒)
20191221日 ハクジュホール~(番組HPからそのまま転載)

 

🎵けさはコメントを聴き落した。目覚めてなぜか頭の中でか心の中でかベートーベンのあの嵐が鳴っていた。ベートーベンが散らかった床を歩いているすがた。曲を聴くときに作曲家のすがたが浮かぶのは、それがどの程度その時の有様を再現できているかどうかは別として、その姿が浮かぶのはベートーベンだけ。いまは亡くなられたピアノ教師をしておられた方が、ベートーベンがピアノの傍らに立ったことがあると仰っていたことを思い出す。
 江口玲はこの番組にはよく出ておりおなじみ。20本の指がどこまで声楽の持つ音の連続性を埋められるものか、そこが見どころ、聴きどころと思っていたけれども、聴きながらその視点はすこしずれていると気づく。ピアノならではの華やぎが随所に聴かれ、声楽の4楽章をこれはこれで一つの創造が行き届いていると感じられた。別な奏者によるCDの演奏を聴いたときは同じリスト編曲版でも物足りなさが残ったけれども、このように演奏する姿、殊にも20指の動きには伝えてくれるものがあり、眼にも興味深く聴くことができた。

🎧名曲アルバム
「小さな空」武満徹
【合唱】東京混声合唱団,【指揮】大谷研二

🎵この曲は1962年に子供向けラジオドラマのために作曲されている。武満は昭和5年本郷生まれ。7歳まで駒込曙町に住んでいたようだ。古い井戸など懐かしい当時のたたずまいが映し出されていた。戦後は世田谷区代田に。少年時代は多摩川でよく泳いだらしい。自身の郷愁が込められているというこの1曲。日本ならではの作曲を世界に知らしめた武満、映画、テレビ、舞台、そしてこんな小さな、ささやかとも思われる、しかし懐かしさをじわりとさらりと感じさせる曲を幾つも手掛けていたことを知らされる。

⛳静かな朝。きのうまでに解けた雪がまたすべての屋根を白く塗り替えている。雪かきをする姿がちらほら。6時42分更新。

 

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20/2/4クラシック倶楽部を聴く

田部京子 ピアノ・リサイタル
2019
1212日 浜離宮朝日ホール

☆「「こどもの情景 作品15」から「知らない国々」「トロイメライ」「炉ばたで」「詩人のお話」」シューマン:作曲
☆「ピアノ・ソナタ 第3番 ヘ短調 作品5」ブラームス:作曲

🎵近頃、ブラームスのピアノ・ソナタとはほんとうのところ相性がいまいちであることに気づいた。けれども田部のコメントに導かれて最後まで聴きとおすことができた。田部が、ピアノの音は打鍵のあと減衰していくがそこがピアノの美しさの一つと。これまではそこがピアノの欠点としか捉えられなかった意識を変えてくれた。それでいよいよシューマンがじわりと沁み、ブラームスの各所の音の連鎖も瑞々しく聴くことができたような。曲の真実味からいうと、ジャンルはちがうけれども、この後の名曲アルバムで聴いた「時には母のない子のように」の方にそれが感じられた。音楽を受容する側も、いつも同じではなく、良くも悪しくもその都度変化していることを自らの内に感じ取った今朝。

🎧名曲アルバム
「時には母のない子のように」アメリカ民謡。狭間美帆・編曲
【ソプラノ】三宅理恵,【ピアノ】佐藤浩一,【ベース】井上陽介

🎵故郷を失い奴隷の身の境涯に時として自分が母のない子どものように感じるという。込められた深い悲しみ。

⛳青みがかった東の空の雲の縁にどうにか朱がにじみ出して。午前は晴れ予報のきょう。6時50分更新。

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20/2/3クラシック倶楽部を聴く

小菅優 ピアノ・リサイタル
2019年11月29日東京オペラシティ コンサートホール~

☆「クラヴサン曲集 第1巻 第3組曲から「かっこう」」ダカン:作曲
☆「カラヴィンカ」西村朗:作曲
☆「ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 作品312」ベートーベン:作曲
☆「前奏曲集 第1巻から「沈める寺」」ドビュッシー:作曲
☆「前奏曲集 第2巻から「霧」」ドビュッシー:作曲

 

🎵久しぶりに小菅優の音の冴えを聴いた。時としてこれでいいの? と疑問を抱かせもするけれども結局はこれでいい、これがいいと納得させてくれる。演奏時間が短く感じられる。演奏がもうじき終わるとなると、もう終わるの? 残念! と思う。「カラヴィンカ」、冥界を思慮深げに飛ぶ鳥か。何とも言えない、ここでも自らの語彙の不足を感じるのだが、えもいわれぬ音の流れに魅了された。ベートーベンの171802年、ちょうど難聴が悪化し自殺を考えていた頃の作品。この曲についてはシェークスピアアの「嵐」を読めばわかるとベートーベンは言ったらしい。死が脳裡を過るも、芸術をのこさねばの執念で書き上げたようだ。ハイリゲンシュタットの遺書を書いた後の作品。第一楽章についてか、激しい対話、心の嵐であると小菅。それが第二楽章では、優しい音の花々を見出し拾い摘みあるき楽譜という花かごに集めゆくような、彼には天から如何様な音もが提示されているかの感じさえする。絶望にもひたすらに音を連ねることで自らを慰め救おうとし、自らを生かし人を生かそうと、それは何か作曲という範疇を超えていたのではないのか。第三楽章はすこし淡泊すぎはしないかと、もつれたのではないかと聴こえたところもあったが、小菅の前には自分の自分の耳か頭の混乱だろうと。何れこんな会話ができる演奏家なのだ。ここで審美の世界が開かれていく。淡々と聴こえるところも。これが音に与る中で作曲者の吹っ切れた心境が弾むところなのだろう。どこを取っても作りものではない魂の表現の一曲。ドビュッシー、これもすばらしかった、というと何かぞんざい、う~む! 納得、と。緻密な創造力からにじみ出る演奏といったらいい得ているだろうか。小菅の音は飽きない、面白い。

 

🎧名曲アルバム
「マンフレッド 序曲」シューマン作曲
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】高関健

🎵ベルン郊外であったか、ベルナーオーバーランドのすばらしい映像。ヨーロッパ第二のシュタウンバッハの滝。映像に曲が押されてしまった感じも。バイロンはこの滝に触発されてか詩劇「マンフレッド」を着想したのだとか。マンフレッドは最後に恋人の霊と再会、死を免れたというのだけれども。

⛳次の番組を聞きながら書いている。ダイエット中のオランウータンのベニ君が食糧庫を発見、大喜びで食べているところをスタッフが発見。さあ、どうするベニ君、どうなるベニ君。意外におとなしくスタッフに手を引かれて食糧庫から連れ出されていた。音楽とは関係ないはなしと思っていたところ、バナナの山を背景にした音楽にアレンジされたクラシックの名曲が違和感なく流れた一瞬があった。で、6時56分更新。

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きょうのことば

インマヌエル盛岡キリスト教会2020126()の礼拝メッセージをおつたえいたします。この日は総会があるために、短めのおはなしでした。

説教題『我が霊に由るなり』(國光勝美牧師)

 國光勝美牧師・ひろ子牧師は、46年の間、盛岡で主のご奉仕をしておられます。

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聖書 ゼカリヤ書4章1~14節

1私と話していた御使いが戻って来て、私を呼び起こした。私は眠りから覚まされた人のようであった。
2 彼は私に言った。「あなたは何を見ているのか。」私は答えた。「私が見ていると、全体が金でできている一つの燭台があります。その上部には鉢があり、その鉢の上には七つのともしび皿があります。この上部にあるともしび皿には、それぞれ七本の管が付いています。
3 また、そのそばには二本のオリーブの木があり、一本はその鉢の右に、もう一本は左にあります。」
4 私は、私と話していた御使いに言った。「主よ。これらは何ですか。」
5 私と話していた御使いが言った。「あなたは、これらが何であるかを知らないのか。」私は言った。「主よ。知りません。」
6 彼は私にこう答えた。

「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。
『権力によらず、能力によらず、
わたしの霊によって』
と万軍の主は言われる。
7 大いなる山よ、おまえは何者か。
おまえはゼルバベルの前で平らにされる
彼がかしら石を運び出せば、
『恵みあれ。これに恵みあれ』と叫び声があがる。」
8 また、私に次のような主のことばがあった。
9 「『ゼルバベルの手がこの宮の礎を据えた。
彼の手がそれを完成させる。』
そのときあなたは、万軍の主が
私をあなたがたに遣わされたことを知る。
10 だれが、その日を小さな事として蔑むのか。
人々はゼルバベルの手にある重り縄を見て喜ぶ。
これらの七つは、全地を行き巡る主の目である。」
11 私は彼に尋ねた。「燭台の右左にある、この二本のオリーブの木は何ですか。」
12そして再び尋ねた。「二本の金の管によって金の油を注ぎ出す、このオリーブの二本の枝は何ですか。」
13 すると彼は、私にこう言った。「あなたは、これらが何であるか知らないのか。」私は言った。「主よ。知りません。」
14 彼は言った。「これらは、全地の主のそばに立つ、ふたりの油注がれた者だ。」

 

<説教>

 きょうは総会を控えておりますので、もういちどこの『我が霊に由るなり』というおことばに心を留めながら総会にふさわしい主の御扱いをいただきたく願っております。

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 このゼカリヤ書は、政治的な指導者ゼルバベルと宗教上の指導者である大祭司ヨシュアという二人の人物を介し、全イスラエルの人々に向けた励ましのことばであることを私たちは学んでまいりました。ゼルバベルとヨシュアは、それまでバビロンで囚われの身でありましたが、故国帰って先ず礼拝の場所である神殿を再建するという大きな使命を持ち、喜び勇んで彼らは帰ってまいりました。この二人はイスラエル民族の大きな二本の柱です。

 ゼカリヤの414節を見ていただきますと、二人ながら油注がれた者である。これは神様の働きをするために選ばれた人物ということです。そして、このとき、ゼルバベルとヨシュアを励ますために遣わされた預言者の一人がハガイ、そしてもう一人の預言者がゼカリヤです。

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 ハガイは、「あなた方の歩みをよく考えなさい」。ほんとうに今のような在り方で神様の恵を受けることができるだろうか、もういちどよく考えてみなさいと悔い改めを奨励し、そして、「だいじょうぶ、わたしはあなた方と共にいる」と主は言われるではないかと民を激励している。これがハガイのメッセージでありました。

どうか私たちも今日、教会総会に臨みますけれども、ハガイを通して語られた「あなた方の歩みをよく考えてみなさい。」を吟味し、「わたしはあなたと共にいる」を励ましとしましょう。

きょうお開きしているのは、預言者ゼカリヤのところです。この神殿再建という大きな仕事、それは『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』成しうる。あなたの権力や能力によって成すものではなく、神であるわたしの霊によって成し遂げられるものである。それを間違えてはいけないと、ゼカリヤは、ゼルバベルとヨシュアに対して言うのです。あなた方が携えている仕事はわたしの霊によるものであると。今から教会総会に臨みますが、これがゼルバベルからの私たちへのメッセージであります。

そして、今私たちの前に置かれている山、ゼルバベルの前で平らにされる山とは。

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 「大いなる山よ、お前は何者か。」ですが、この盛岡教会の週報のナンバリングをご覧ください。Vol.XLV-4とあります。これは、第47巻目のその第4回目の礼拝の週報であることを表しています。47、この数字にはさまざまな感慨がございます。

盛岡教会の働きをさせていただいております私自身、大きな問題としてマンネリズムがあります。これだけ長く同じところにいますと、自己弁護するわけではないのですけれども、良きにつけ悪しきにつけマンネリズムは避けられない。私たちの前にあり続けるマンネリズムでもあり、これは良い意味で砕いていかねばならない。何かに取組もうとするとき、特伝やバザーなど、ある程度今までのことが経験としてずっと積み重なっておりますので間的に予測ができる。すると一回一回の特伝、特集をするにしても、そのことに新しいことを期待するという事がなかなかできにくい。まさしくマンネリズム、疲れてしまうということがあります。それからもう一つは47Vol.をつけたとき、高齢化、自分の年齢を考えてしまう。こういうことなのかと改めて思いました。

教会総会に臨もうとするときに、この大いなる山を、もし自分をゼルバベルにたとえさせていただくのなら、これを崩していただきたい、こう思うのです。ゼルバベルの前に平地となる。主は「わたしの霊による」と言っておられます。マンネリズム、或いは、その他の問題に於いても「大いなる山よ、おまえは何者か。おまえはゼルバベルの前で平らにされる」、これを覚えることです。

9節のおことばも心に掛かっております。

「『ゼルバベルの手がこの宮の礎を据えた。

彼の手がそれを完成させる。』

 この教会の開拓を恵みのゆえにさせていただいた私たち、どうかこれが「『ゼルバベルの手がこの宮の礎を据えた。彼の手がそれを完成させる。』と委ねるようなご奉仕に与りたいと心から願っているところであります。

 前回、お話させていただきました「主の御手の中に」、私のためにすべてを成しておいてくださる主、「どうかあなたの御手のわざを辞めないでください」と主に積極的に期待をし、なるようにしかならないというような消極的な委託ではなく、主よ、あなたの御手に委ねます。どうぞ私の願いを聞き届けてくださいと積極的に神様に期待し、御手の中に陥らせていただきたい、このように願っております。

 

※この後、小休止を挟んで、教会総会が開かれました。
画像は教会からお借りしています。

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讃美に。感謝に。

忘れないうちに書いておこうと思い、まだ書かないでいたこと。


 ここ3,4日のことだけれども、ある懸案事項、これを一つの物体、或いは存在にたとえるとして、その中身、実態、思惑がよくわからない、つかめない、今一つ読めない、見透せないところがあるとスッキリ、ハッキリ、釈然としないものを抱えていた。その時、心の奥から賛美歌が聴こえてきたのだ。やはりそれは明け方だった。
御手の中ですべては変わる讃美に」♪「御手の中ですべては変わる感謝に」♪

 その時、事態がこれはこうだ、これはこういうことだ、これは良くなる、これは酷いことになるかも等など、そういったことは一切まだわからないままに、すでに一切が解決している、そう何か諭された納得があった。聖霊だ、と私は思った。助け主、癒し主、すでに言い古されてさえいるこのイエス様を信じる時に与えられるという聖霊が、やはりやはり自分の内に働いている。そう感じた。

 そうか、この懸案事項は心配することはないのだな、聖霊と神様は一体であるので、この懸案事項がいったい何なのか神様の側ではすべて分かって解って判っていることが聖霊にも同様に共有され、その聖霊は自分に内住しているので、いま不可解さや困惑、何かわからない恐れから解き放たれているのだ、そう思った。

 その懸案事項の他にもこのブログが大変ないたずらに遭っているという疑念を私は随分以前から持っているけれども、つまりこのブログを何とかつぶそうと様々な手段が講じられていることも、そしてああそうかこのようにやっているのかとだいぶ前から分かって来てもいる。しかし、それもこれも含めて、
「御手の中ですべては変わる讃美に」♪「御手の中ですべては変わる感謝に」♪
こう神は言っておられる、そして霧がすっと晴れるように気分が平明になっていた。



 やはり知り合いのブログが同じ被害に遭ったことがある。一時は閉鎖というところまで行きながらも、また復活している。こういった事態をどこまでもたどってはっきりと突き止め調査できる仕組みが構築される必要を覚える。必ずやそれはできるはずだ、できるようになると私は思っている。

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雑感

J-MEROは…夕べフェイスブックを更新したせいか、はたまた緊張がゆるんだせいか、或いは、いつも5時前には何者かに起こされているような気がするといったことがあるけれども、自分を起こしていた存在が、もうこの辺で我武者羅に起きなくてもよろしいということなのか、いまはすこしの間、気楽さのレールに乗っているか乗せられているかのようだ。ゆっくりと目が覚めて、習慣的にTVスイッチオン。「美の壺」、酒蔵のことだ。いつかどこかのブログで見たことがある。

 はや2月。こうしてはいられないのだが、食後のコーヒーをいただいてほっとし、キーを何となくポツポツと。
きのうの写真でも一枚アップし、フェイスブックに書いたことを後でこちらにも転載しておこう。

Dsc04100

⛳9時47分更新

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