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きょうのことば

インマヌエル盛岡キリスト教会2020112()の礼拝メッセージをおつたえいたします。

説教題『神による激励』(國光勝美牧師)

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 國光勝美牧師・ひろ子牧師は、46年の間、盛岡で主のご奉仕をしておられます。

聖書 ハガイ書1:12~15

12そこで、シェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアと、民の残りの者すべては、彼らの神、主が預言者ハガイを遣わされたとき、彼らの神、主の御声と、ハガイのことばに聞き従った。民は主の前で恐れた。

13主の使者ハガイは主の使命を受けて、民にこう言った。「わたしは、あなたがたとともにいる――主のことば。」
14主が、シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルの霊と、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアの霊と、民の残りの者すべての霊を奮い立たせたので、彼らは自分たちの神、万軍の主の宮に行き、仕事に取りかかった。
15それは第六の月の二十四日のことであった。

 

<説教>

  この朝は、『神による激励』というメッセージを御前に覚えております。ことしゼカリヤ書4章のおことばによって始まったことですが、このゼカリヤ書のすぐ前がハガイ書であります。ハガイ書の11節に「ダレイオス王の第二年、第六の月の一日に、預言者ハガイを通して、シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルと、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアに、主のことばがあった。」と記してございます。またきょうの12節からを見ますと、ハガイ書は、ゼカリヤ書と背景を同じくして語られていることを知っていただけると思います。これを理解するために、ゼカリヤ書のことしのおことばを心に留めるためにも、ハガイ書の学びをと主の前に導かれております。

  ゼカリヤ書、ハガイ書、或いはエズラ記、ネヘミヤ記は同時代に書かれております。これはみなイスラエル民族が捕囚の地から解放され帰って来て、祖国を回復するという一連の出来事の中に展開しているものであります。この回復とは、捕囚の地から帰ってきたイスラエル、ユダヤの人たちの回復のことです。これをどう分かりやすく整理したらよいかを考えておりましたところ、手元にある本の中に、「回復は1,2,3、でそろい踏み」と覚えるのがいいと面白い解説がありました。なるほどと。「回復は1,2,3、でそろい踏み」。一連の回復には三つの主題、三つの出来事が関わっております。

  その第一番目は神殿の回復です。帰還したそこにはかつて栄華を極めたソロモンのあの民族的な誇りであった神殿、壮麗な黄金に輝く神殿があったのです。結局バビロンによって破壊されてしまったのですが、これを再建しようというのが、いま私たちが扱おうとしている歴史的背景の一番目であります。

「ソロモンの神殿の画像」の画像検索結果

 バビロンに捕囚となり、そこから帰還してもうほぼ70年も経っています。預言通りに祖国に帰ってきたわけですが、70年前の記憶というとどうでしょう。私は間もなく73歳になります。盛岡の警察署から免許書の更新が近づいています。つきましては法令によって、高齢者講習を受けることが義務付けられております、というお知らせが来ました。すぐ近くに自動車学校があるので気楽に構えていました。ところがすでに満杯になっており、別な自動車学校を紹介されました。もうそのような年齢になっております。はなしが逸れましたが、70年前というと3歳。さすがに3歳の記憶はちょっと厳しいかなと。3歳から4歳になる時期にちょうど家を引っ越したことがあり、生活の場所が移ったのが3歳の半ばで、それははっきり覚えております。このような自分の経験から見て、さてバビロン捕囚に遭った人々の70年前、まだ幼児であった人は、お父さんお母さんに連れられてソロモンの神殿に行ったことでしょう。壮麗さが記憶にものこっている。何よりもあのソロモンの神殿を再建せねばならない。これが第一陣として帰還した人々の第一番目の目標だった。ペルシアのキュロス王の解放令が出たときに、我らにはついに神様のお約束を成就するときがきたと喜び勇んで帰還した人々であります。彼らは政治的な指導者、所謂総督であるゼルバベルと宗教上の指導者である大祭司ヨシュアに率いられての帰還でした。これはハガイの1章14節にございます。この2人がしっかりとタックルを組んで、さあ、あの神殿を回復しようと乗り出したわけであります。

 さて、旧約聖書のエズラ記をみてください。この背景が、いまお話したところ同じ時期であることはすぐお分かりいただけるでしょう。
このエズラ記の1章1節「ペルシヤの王クロスの第一年に、エレミヤによって告げられた主のことばが成就するために、主はペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせた。2節「ペルシヤの王キュロスは言う。『天の神、主は、地のすべての王国を私にお与えくださった。この方が、ユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てるよう私を任命された。3節あなたがた、だれでも主の民に属する者には、その神がともにいてくださるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮を建てるようにせよ。』」
 心を奮い立たされる者たちよ、あなた方の神殿を建てるためにさあ行きなさい。志のある者は行け。キュロスがこういうのです。

 エズラ記22節にゼルバベルと一緒に帰って来た人々はヨシュア、ネヘミヤ、セラヤ、レエラヤ、モルデカイ、ビルシャン、ミスパル、ビグワイ、レフム、バアナと記され、続いて民の人数が記されております。

 エズラ記3章の最後の部分にございますが、結局ゼルバベル、ヨシュアを筆頭にいろいろな困難はありましたけれども、ついに彼らはこの神殿を回復すべく礎を据えたのです。
 エズラ310節に、「建築する者たちが主の神殿の礎を据えたとき、イスラエルの王ダビデの規定によって主を賛美するために、祭服を着た祭司たちはラッパを持ち、アサフの子らのレビ人たちはシンバルを持って出て来た。」11節「そして彼らは主を賛美し、感謝しながら「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに」と歌い交わした。こうして、主の宮の礎が据えられたので、民はみな主を賛美して大声で叫んだ。」そして12節「しかし、祭司、レビ人、一族のかしらたちのうち、以前の宮を見たことのある多くの老人たちは、目の前でこの宮の基が据えられたとき、大声をあげて泣いた。一方、ほかの多くの人々は喜びにあふれて声を張り上げた。」13節「そのため、喜びの叫び声と民の泣き声をだれも区別できなかった。民が大声をあげて叫んだので、その声は遠いところまで聞こえた。」
 この神殿の回復のようすを私たちはすこし垣間見るわけであります。70年前の3歳の記憶を下敷きとするなら、幼いころに見た壮麗な神殿を知っていた人たちは、或いは、これがあの神殿の回復なのかと悲嘆にくれてしまった人もあったでしょう。しかし多くの人たちは、さあ神の家がようやくできるのだ、我らは我らのベストを尽くして神殿を造り上げるのだという喜びの声をあげたでありましょう。

 さてもう一つ、「123、でそろい踏み」と申しました。
 帰還の2番目はエズラです。このエズラは、帰還してきたイスラエルの民たちが、どのような規律で社会的な一体感、アイデンティティを保つか、それをモーセの律法をもって行いました。エズラは社会規範を律法で人々の間に回復させました。律法の回復です。

 エズラ書のすぐ後にネヘミヤ記があります。ネヘミヤ記8章によると、ようやく神殿が回復し、そしてネヘミヤによって城壁も回復したときですが、律法が民に解き明かされている場面があります。
 89「総督であるネヘミヤと、祭司であり学者であるエズラと、民に解き明かすレビ人たちは、民全体に向かって言った。「今日は、あなたがたの神、主にとって聖なる日である。悲しんではならない。泣いてはならない。」民が律法のことばを聞いたときに、みな泣いていたからである。」

 我らユダヤ人、イスラエル人は律法によって国を回復するのだと、彼らはエズラによって律法を再確認する。エズラは社会規範を回復するためにやってきた人物であります。これがBC468年のことです。

123、でそろい踏み」。いまネヘミヤ記を開いたところですが、順番でいうと、ネヘミヤは3番目、城壁の回復ということになるわけであります。城壁の重要性、これは私たちの社会の感覚とは違います。分かりづらいかもしれませんが、一つの生活の場所が城壁で囲まれていないということは、それはまだ未完成な状態である。一つの居住しているところが、城壁によってきちんと囲まれ防御されている、その中に居住生活がある、城壁があってほんとうのエルサレムの回復ということになるのです。そのためにやってきたのがネヘミヤという人物でありました。ネヘミヤが城壁が崩れているのを見たときに、ほんとうに嘆き悲しみました。城壁のない街の再建はあり得ないと言ってついに彼らを立ち上がらせ労し完成させたのがネヘミヤであります。

 

123でそろい踏み」。
 第一番目の回復がゼルバベル、ヨシュアの神殿建築でした。ことし、「7ゼルバベルの前にあたれる大山よ汝は何者ぞ汝は平地とならん。ゼルバベルが神殿を回復しようとしたときに、民の神殿よりも自分たちの生活の方が先だというような困難がつきまとうなど、色々な問題があったときに、ゼルバベルとヨシュアが大丈夫だよ、神様がこう言っておられるからとそれらを克服していきました。

 きょうの主題は神殿の回復で、ハガイ書にあります。
 旧約聖書の1608頁、或いは1609頁、神殿の回復のために、総督ゼルバベル、大祭司ヨシュアが活躍しました。この二人を励ますために実は神様が預言者を遣わされます。一人はハガイ、そして一人がゼカリヤであります。ゼルバベルとヨシュアを困難な仕事に就かせるときに、神様は、ハガイとゼカリヤを遣わして、ゼルバベルとヨシュアを励ましたのであります。そして、きょうはそのハガイ書のところです。

 ハガイ15節に「今、万軍の主はこう言われる。『あなたがたの歩みをよく考えよ。』」7節に「万軍の主はこう言われる。『あなたがたの歩みをよく考えよ。』」とあります。あなた方は神の宮を建てるという当初の目的を忘れて自分たちの必要を第一に考えてやっているのではないか。つまりハガイは、先ず私たちの信仰生活のあり方がこんな状態でいいのかと問う。そして13「「わたしは、あなたがたとともにいる。――主のことば。――」。

 神様は大きな課題に当たろうとしているゼルバベル、ヨシュアを励ますために、人々にいまの信仰生活のあり方をもういちどよく考えてごらんと悔い改めを促しています。そしてその後、神様は13節に「「わたしは、あなたがたとともにいる。――主のことば。――」。

 人は何がいちばん大きな力になるのか、ゼルバベル、ヨシュアたちよ、何がいちばん力になるのか、「わたしは、あなたがたとともにいる。」。先ほども一緒に皆さんとお祈りさせていただいた姉妹のことですが、大変困難なさ中にあるときに、それに対して返事をどのような形で書いて差し上げたらいいのか。頑張りましょうね。私にも、ひろ子先生にもその言葉が相応しくないという事はすぐわかります。頑張りましょうねといって頑張れる類のものではないのです。皆さん方お一人お一人がほんとうに試練に直面するときに、頑張りましょうねで解決できる問題はない。じゃ何がいちばんの励ましになるのか。実はこのハガイも、預言者の世界でもそうですけれども、人々を励ます預言者として、ふたりは油注がれて預言者として立っているのです。ハガイにとって、「我汝と共にあり」、これほど大きな励まし、力はありません。私もこのことをずっときょうの大切なメッセージの柱として思い巡らしておりました。ですから、ひろ子先生も私も姉妹にどのようにメールのお返事を書いたらいいのか。「我汝と共にあり」。一緒にいてくださる神様。「我汝と共にあり」、これです。

ダビデも詩篇23篇、「汝われと共にいませばなり」。励ましを必要としているのです。

 私はイエス様ご自身のことを考えました。イエス様ご自身の大きな試練。人々から拒絶されてついに十字架にまで追いやられる、その大きな試練の中に、イエス様は「私は悲しみのあまり」と言い、そして「私のためにどうか祈ってくれ」とも言われました。イエス様でさえも励ましを必要としていたのです。はたと気づかされます。人はほんとうの励ましが必要なのです。そしてその励ましは何かといえば、「我汝と共にあり」。イエス様というお方が一緒におられる。わたしの悲しみ辛さもぜんぶ知ってくださるお方。エネルギーとか、奇蹟的な力だとかいうようなものではない、私のことをぜんぶ知っておられるお方がおられる。果たして私はどれだけそのお方を認めまつる営みをしているだろうか。日常生活の中で、主が共にいてくださる、そのことに気づかずにいることほど残念なことはありません。どうぞ、このお方が私たちと一緒にいてくださる。

 そしてことしのおことばであるゼカリヤ書の4章を開いてください。6節「萬軍のヱホバ宣ふ是は權勢(いきおい)に由らず能力(ちから)に由らず我靈に由るなり」。これはゼルバベルへの主のことばです。「是は權勢に由らず能力に由らず我靈に由るなり」。この「我靈」、「わたしの霊」というのは聖霊のことです。そして私たちは新約聖書の光を、この時代の人たちよりもよく知ってます。その聖霊なる神様は慰め主なのです。私たちをほんとうの意味で励ましてくださるお方が聖霊なのです。ほんとうに私たちは聖霊との深い関りにあって慰めをいただく。恵みの光。我靈に由るなり」、「わたしの霊による」のです。ゼルバベルよ、わたしの霊によるのだよ、ゼルバベルよ、わたしが為すのだからね。そして7節を見ると、「ゼルバベルの前にあたれる大山よ汝は何者ぞ汝は平地とならん」。大いなる山よ、お前は何者か、お前は平らにされる。これが大きな大きな励ましではないでしょうか。「私はあなたと共にいる」。これをしっかりと捉え、そして聖霊の励ましを神様のおことばと共に握りしめて、神様に励まされて、この年、歩ませていただきたい。このように願っていることであります。

 

 

 

 

 

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