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2019年12月

19年の感謝をこめて

 1212日に引っ越し、新たなところでの荷ほどき、整理、暮らしの準備などで大幅に更新が遅れました。筆者がパソコンに没頭していると家人に負荷をかけてしまうわけで、せめて日曜日だけは更新したいと思いつつもできかねました。

     ☆  ☆  ☆

 インマヌエル盛岡キリスト教会の國光勝美牧師のことしの最終日曜日のメッセージは、『神の杖』と題し、生涯にわたるクリスチャンのアマレクとの戦いとその戦法でした。聖書個所は出エジプト17816節。

 神の杖ってどんな杖?
  一つ「聖言(みことば)の杖」
  一つ「祈りの杖」
  一つ「主イエスの執成しの杖」

 この三つが挙げられました。

「聖言の杖」
 聖書は他の印刷された書籍とは異なり、神の霊感によって記された神の聖言であり、このご聖言にはっとして出会うときに、ご聖言が大きな働きをすることに気づくという経験を私たちはもっている。聖書が神の恵みとして私たちの力となってくる。

「祈りの杖」
 私たちがつまずきそうなとき、苦しいときに、聖徒たちの祈りによって支えられ歩むことができる。教会の、聖徒たちの祈りという杖に支えられている。

「主イエスの執成しの杖」
 モーセはイスラエルの指導者であり、モーセが神に与えられた杖をあげているときにはイスラエルが戦いに勝利。これは祈りの手でもある。杖をあげる手は疲れてしまうこともある。しかし主イエスの執成しの祈り、執成しの杖は決して疲れることはなく、垂れることはない。これはまことに大きな慰めであり励ましである。アマレクとの戦いに勝利する秘訣は主イエス・キリストへの信仰、信頼であると教えられました。 

大変簡略ではありますが今年の最終説教をお伝えいたしました。

  ☆  ☆  ☆ 

 22日のクリスマスの礼拝、祝会はとても楽しく、また24日のキャンドル・サービスはおごそかな暗闇の中に次つぎにあたたかい蝋燭の火が点されてゆきました。筆者の関係者で90歳になられるS子さんは「子どもの頃の幼稚園のクリスマスを思い出して懐かしかった!」と感激。後日ディーサービスで「クリスマスにいいところに行ってきたよ。ほんとに心がきよめられた」と皆さんにお伝えしたとお電話をくださいました。

   ☆  ☆  ☆ 

 さて、日々更新し続けてきたクラシック倶楽部の方は、放送番組とはまったく有難いもので、作業をしながら視聴することもできます。

 印象深かった演奏は

 奈良の正暦寺福寿院客殿で収録されたイーヴォ・ポゴレリチのピアノ演奏とインタビュー。この番組でインタビュアーが姿を見せることは滅多にないのですが。その準備された質問と、対する答えには唸った。響きをコントロールするにはひたすら耳を傾けること。自分の音に耳を傾けることであると。そして次のことば、若干聴き落しはありますが、縦、横の三次元的な響きの構造に耳を傾けること、筆者の耳には程遠いと思いつつ……独特な和声、和声の演奏には緻密で洗練された聴き方が求められる、と。
 第88回日本音楽コンクールピアノの本選、亀井 聖矢さんのサン・サーンスの協奏曲5番は感動でした。
 そしてきょうのウィーン少年合唱団「オー・ソレ・ミオ」「荒城の月」「今日天使たちがウィーンにやってくる」、楽しかった。 
 ことし最後の555分の名曲アルバムは「樅ノ木」シベリウスの樅ノ木。

 個人的に年末の最高は、フランツ・ウェルザー=メスト指揮、クリーヴランド管弦楽団の随所でぐんと覇気迫るベートーヴェンの「第九」です!!

 

 ことしこのブログを訪問くださったお一人お一人に深く感謝を申し上げます。来る20年もどうぞ宜しくお願い申し上げます!

 

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20191211クラシック倶楽部を聴く

16回チャイコフスキー国際コンクール ガラ・コンサート
東京芸術劇場 コンサートホール

☆「歌劇「エフゲーニ・オネーギン」から ポロネーズ」チャイコフスキー:作曲
(管弦楽)東京交響楽団、(指揮)飯森範親
☆「バイオリン協奏曲 二長調 作品35」チャイコフスキー:作曲
(バイオリン)セルゲイ・ドガージン、(管弦楽)東京交響楽団、(指揮)飯森範親
☆「「ネル・コル・ピウ」による変奏曲 から」パガニーニ:作曲
(バイオリン)セルゲイ・ドガージン

🎵聴きどころは8年ぶり2度目の参加で優勝を果たしたセルゲイ・ドガージン。チャイコフスキーがレマン湖畔で一か月で書き上げた唯一のこのバイオリン協奏曲、ドガ―ジンが言うに、誠実さやメロディーの美しさ、抑揚、これらはテクニックなしには演奏不可能、この曲はアウアーに献呈されたのだが、献呈されたその本人がバイオリンという楽器の範囲を超えている、演奏不可能といったほど。技術はもとより体力が要るのだそう。ドガージンの8年という歳月、真摯な研鑽のすがたが思われた。

🎧名曲アルバム
「悲しみの聖母」ドボルザーク作曲
【ソプラノ】安井陽子,【アルト】加納悦子,【テノール】小原啓楼,【バス】小森輝彦,【合唱】東京混声合唱団,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】梅田俊明

🎵3人の子どもを亡くし悲しみの底にある中で、妻を慰めるために書かれたという。聖母マリアが、母親としての悲しみのことごとくを味わい尽くした女性であることに想いを新たに。これは、イエスには体験しえなかった感情であるだろう。自らの悲しみ、妻の悲しみが、イエスが苦しみを受け十字架に死なれたさまを目の当たりにしたマリアの深い悲しみと、悲しみの共有があると。

⛳作業をしながらの視聴、6時23っ分更新

 

※明日から、年内は、日曜以外の更新はお休みとなります。

 

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2019/12/10クラシック倶楽部を聴く

グザヴィエ・ド・メストレ(ハープ)&ルセロ・テナ(カスタネット)
2019
108日 紀尾井ホール

 

☆「ピアノ・ソナタ ニ長調 作品13」マテオ・アルベニス:作曲、メストレ:編曲
☆「古いソルチコ」グリーディ:作曲、メストレ:編曲
☆「赤い塔」イサーク・アルベニス:作曲、メストレ:編曲
☆「スペイン組曲 第1集 作品47から 第1曲グラナダ」イサーク・アルベニス:作曲、
メストレ:編曲
☆「スペイン組曲 第2集 作品97から 第2曲サラゴサ」イサーク・アルベニス:作曲、メストレ:編曲
☆「スペイン組曲 第1集 作品47から 第5曲アストゥーリアス」イサーク・アルベニス:作曲、メストレ:編曲
☆「ハープ・ソナタ ニ長調」ソレール:作曲
☆「スペイン舞曲集 作品37から 第5曲アンダルーサ」グラナードス:作曲、メストレ:編曲
☆「歌劇 はかない人生 から スペイン舞曲第1番」ファリャ:作曲、グランジャニー:編曲

🎵男性のハープ奏者が初めてならカスタネットも初めて。はじめはカスタネットが耳につき釈然としなかったが、「アストゥーリアス」あたりからコラボってきたというか、ハープの響きとおる空間の隅々にまで情熱的にリズムを刻みめぐる感じが。このカスタネット奏者はいったい? と思ったところに彼女のコメントが。元々は舞踏家でさまざまなダンスを踊っていたという。以前からカスタネットに愛着があり踊りをやめてカスタネットに集中したのだとか。どこまでも音程は定まったまま、拍の刻み方のみの表現。彼女のカスタネットの存在感は、演奏しながら魂は情念を秘め踊り続けているからだと思われる。

 

🎧名曲アルバム
「第九交響曲」ベートーベン
【合唱】東京混声合唱団,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】梅田俊明

🎵ベートーベンにして罵声を浴びたこともあったらしい。となれば、このブログの熱心な潰し屋がいたとしても何等不思議はないのだ。

⛳師走、忙し。6時24分 更新

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2019/12/9クラシック倶楽部を聴く

ハインツ・ホリガーと仲間たち
浜離宮朝日ホール(2019105日)

 

☆「トリオ・ソナタ 変ホ長調 BWV525から 第3楽章」バッハ:作曲
(オーボエ)ハインツ・ホリガー、(イングリッシュホルン)マリー・リーゼ・シュプバッハ、(ファゴット)ディエゴ・ケンナ、(コントラバス)エディクソン・ルイス、(チェンバロ)桒形亜樹子
☆「結び-ハインツ・ホリガーの80歳の誕生日を祝して-細川俊夫:作曲
(オーボエ)ハインツ・ホリガー、(イングリッシュホルン)マリー・リーゼ・シュプバッハ
☆「Kraus‐ur2001‐2002)」ホリガー:作曲
(ファゴット)ディエゴ・ケンナ
☆「2つのオーボエ ファゴットと通奏低音のためのソナタ 第5番」ゼレンカ:作曲
(オーボエ)ハインツ・ホリガー、(オーボエ)マリー・リーゼ・シュプバッハ、(ファゴット)ディエゴ・ケンナ、(コントラバス)エディクソン・ルイス、(チェンバロ)桒形亜樹子

※桑形亜樹子さんの「桑」は正式には旧字体

 

🎵ホリガー80歳のコメントで印象的だったのは、人の齢は針で刻むような絶対的なものではなく、相対的なものであるという。ヨーロッパの若者たちの精神は老いていると言ったか死んでいると言ったか、何れ高齢者の方が精神的に若い場合があるのだと。彼にとって音楽は最高のエネルギーの源。そして年齢は驚くほど相対的なものだと繰り返す。自分の意識も変わった。
細川の「結び」ホリガー80歳の誕生プレゼントだ。ホリガーはオーボエとイングリッシュホルンのそれぞれが布の端であり、二つの端が絡み合い包むように作曲してくれたと。高揚、抑揚が少なく、寿ぐという感じは聞えないのだが、雅楽、侘びといった奥行きを感じさせ、単調なように聴こえて、ついつい最後まで聴きとおさせられた。
Kraus‐ur2001‐2002)」、ふだんのファゴットからはあまり聞こえてこない破綻、ざわめきが感じられ、今一つのファゴットの音色の可能性に気づかされる。ジャズの感覚もありホリガーの日々新たなる挑戦を聴いた気が。
ゼレンカとバッハは同時代。この頃ロココと感傷的な音楽が流行していたようだ。バッハはゼレンカの音楽に興味を持ち、これを研究するために息子に写譜させたという。ゼレンカの仕事はなかなか認められず、彼の曲に光をあてたのはスメタナ、スメタナが彼の曲を指揮して世に知らしめたようだ。さる事典には「ゼレンカの天国での玉座はバッハの隣にある」のだとか。

 

🎧名曲アルバム
「花のワルツ~“くるみ割り人形”から~」チャイコフスキー
【管弦楽】NHK交響楽団,【指揮】高関健

クリスマスに少女クララが体験した不思議なものがたり。台本、振付、演出はプティパ。初演から1年後チャイコフスキーは53歳で生涯を閉じている。

⛳相対的な時間を刻んでいたい。6時8分更新

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きょうのことば

きょうは第二アドベントですが、ここでは、インマヌエル盛岡キリスト教会の先週の日曜礼拝、第一アドベントのメッセージをお届けいたします。
説教者は國光勝美牧師です。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師はこの岩手で45年の間、教会の牧会と伝道に携わっておられます。

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201912月1日()
説教題『人となられた神』アドベント講壇1

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聖書引証 ヘブル2章1018
2:10多くの子たちを栄光に導くために、彼らの救いの創始者を多くの苦しみを通して完全な者とされたのは、万物の存在の目的であり、また原因でもある神に、ふさわしいことであったのです。 2:11聖とする方も、聖とされる者たちも、みな一人の方から出ています。それゆえ、イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥とせずに、こう言われます。2:12「わたしは、あなたの御名を兄弟たちに語り告げ、会衆の中であなたを讃美しよう。教会の中で、わたしはあなたを賛美しよう。」
2:13また、
「わたしはこの方に信頼を置く」
と言い、さらに、
「見よ。わたしと、神がわたしに下さった子たち」
と言われます。 2:14そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、 2:15死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。 2:16当然ながら、イエスは御使いたちを助け出すのではなく、確かに、アブラハムの子孫を助けだしてくださるのです。 2:17したがって、神に関わる事柄について、あわれみ深い、忠実な大祭司となるために、イエスはすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それで民の罪のなだめがなされたのです。 2:18イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。

<メッセージ>

 第一アドベントを迎えております。私たちの弱さ辛さ、それらのすべてをことごとく味わってくださるために神様が人となって地上に降りてくださったできごとがクリスマスです。この計り知れない恵みを、さまざまな人生経験のある中に、去年と同じく、そしてまたことしはことしで新たな響きでこの恵みを共感したいものです。この地上にある限り、一層深くこの恵みを知り続けるお互いでありたく願いながら、きょうのメッセージへと導かれております。

 ことしこの教会に与えられております聖言(みことば)は、ヘブル116節「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません」。信仰がなければ神に喜ばれることはできない。平穏無事なときには、信仰の船は順風満帆しかし、一旦大きな嵐、試練に立たされたときにはどうでしょうか。肝心なのはこのときです。それで、前回(先々週)、格別に聖書中のヨブという人物を思い巡らし、私がいま神様から与えられております課題の証しとさせていただきました。立てつづく課題に立ち向かい勝利した人物がいますよと、神様はヨブという一人の人物を私たちに紹介して下さっています。サタンはいうのです。「人というものは何か得することがなければ信仰などしないものだ。神様を礼拝するのは何か見返りがあるからするので、そうでもなければ信仰など誰も持つわけがない」。このサタンの挑戦に対して神様はヨブを提示します。ヨブを見なさい。ヨブはさまざまな困難に現実的に直面しましたけれども、その中でほんとうに神を畏れる信仰、見返りがあるからではなく、人は神が神であるから神を敬い信じ愛することを自らのヨブ記の思い巡らしから紹介させていただきました。

ヨブはすばらしい信仰の勇者であると思われる方がいらっしゃるかもしれません。しかしヨブ記をご覧いただきますと、ヨブはうち続く試練の辛さに、もうほんとうに生まれてこない方が良かったとさえ独白しています。ヨブは試練に遭いながら、おそらく自分の未熟さ、乏しさを深く思い巡らしたでしょう。試練はそういう機会でもあった。そしてそのときに教えられたこと、それは消極的委託と積極的委託というこのことでありました。お互いクリスチャンですから神様が最善の事をしてくださる、そのことを信じております。しかしその最善のことをしてくださる神様を信じる中に、どうせなるようにしかならないという思いがあるとすれば、それは消極的な委託である。信仰的に見える不信仰です。クリスチャンはこの消極的委託という罠に往々にして陥りやすい。神様が良くしてくださる、神様に委ねるんだからといいながら、そこに実はほんとうの信仰が働いていないということがあり得る。しかし積極的な委託では、だからこそ神様に思いっきり期待をする。だからこそ全能の神様に大いに期待をする信仰、この姿勢を取り続けなければならないのだと。これが今回の試練で自分の心の中を深く探られながら教えられた恵みでありました。

積極的な委託をすることです。神様から聖言が与えられる。聖言が一つ、二つ、三つと与えられ、受け留める。それがしっかりとした支えになっています。またそれとともにお祈りをしていただく。これはこういう立場の者の特権中の特権であると深く感謝をしております。皆様方のお祈りにどれだけ支えられておりますことか。て、積極的な委託を神様に期待する信仰を励まされております。神を愛する、いかなる時にも神を愛する、それこそ神に喜ばれる者なのであります。

きょうは第一アドベントです。
ヘブル214節をご覧ください。
2:14
そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、2:15死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。2:17したがって、神に関わる事柄について、あわれみ深い、忠実な大祭司となるために、イエスはすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それで民の罪のなだめがなされたのです。

イエス様というお方が天と地をつなぐ役目、つまり大祭司として地上に来られました。そして、主自らが人となってくださり、人としての悲しみ苦しみを自らが実感されご存知になられたからこそ、今私たちをまもりそして私たちのことごとくを知って力づけてくださるお方であります。

イエス様は天と地をつなぐ鎖でありますが、私が神学生として初めてクリスマスを迎えたとき、神学院のチャペルでバルカー宣教師が手作りで、アルファベットの「o」を縦につなげて天と地を結ぶチェーンに見立てたおことばを書いてくださったものが心に残っています。

ヨハネ316節、聖書中の聖書と呼ばれている聖句です。

John3:16

"For God
so loved
the world
that he gave his Only begotten Son,
that who so On him
believeth  On him
should not perish
but have eternal life.”

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

 

まことの大祭司であられる神様が、まことの人間になってくださった。そして、まことの人として神様にいつもとりなしていてくださる。イエス様はまさに神と人とをとりなしていて下さるお方、大祭司なるお方です。

2章の17
2:17したがって、神に関わる事柄について、あわれみ深い、忠実な大祭司となるために、イエスはすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。

家族に友人知人に、重い病を抱えておられる方々、いらっしゃるでしょう。酷い症状や苦しみを目の当たりにしなければならないこともある。思わず胸がしめつけられ、はらわたがよじれる。しかし、そこに、ここに、人として苦しみも悲しみも自分の問題として担ってくださる大祭司がおられる。天より遣わされた大祭司、人となられた神に思いを深くいたします。

このあと、賛美歌を歌いながら、みなさまとともに聖餐式に与りました。

 

☆  ☆  ☆

教会では以下のようにクリスマスの集いをもちます。お出かけください。

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※このフライングペーパーは國光夫妻のご息女A姉がボランティアで製作してくださいました。

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ゲスト:GLIM SPANKY、超特急


GLIM SPANKY
はロックとブルースを基調とする男女のロック・ユニット。レミの重厚なハスキー声は酒とタバコで作ったかなどとネットには出ているがこれがほんとうの声。威圧感も感じさせる。それに彼女の詞、絵画やモノクロの写真や60年代アート、またカルチャー、文学、最近では英国の妖精の醸す空気といったものに現代の不透明感をミックスさせての作詞、それがちょっとおもしろい。歌詞内容までは割愛。アジア公演を果たしたとか。
超特急、勢い止まらぬパフォーマンスのスピード感。

 

⛳6時19分更新

 

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201/912/6クラシック倶楽部を聴く

アメリカ海兵隊バンド 日本公演
(指揮)ジェイソン・フェティッグ
本多の森ホール 2019516

 

☆「アメリカ合衆国国歌「星条旗」」
☆「日本国歌「君が代」」
☆「行進曲「海を越えた握手」」ジョン・フィリップ・スーザ:作曲
☆「エスプリ・ドゥ・コール」ロバート・ジェイガー:作曲
☆「イロァ・イロァ」ケヴィン・ウォルツィク:作曲
☆「ルイ・アームストロングへのトリビュート」スティーヴ・ブラ:編曲
(独奏トランペット)ダニエル・オーバン、(独奏クラリネット)パトリック・モーガン、(独奏トロンボーン)サミュエル・バーロウ、(吹奏楽)アメリカ海兵隊バンド
☆「「ユーソニアン・ドゥエリング」(世界初演)から 第2楽章「タリアセン・ウエスト」、第3楽章「落水荘」」マイケル・ギルバートソン:作曲
☆「くちづけ」アルディゲーリ:作詞、アルディーティ:作曲、パターソン:編曲
(メゾソプラノ)サラ・シェフィールド、(吹奏楽)アメリカ海兵隊バンド☆「「ウエストサイド物語」から「サムホエア」」ソンドハイム:作詞、バーンスタイン:作曲フェティッグ:編曲
(メゾソプラノ)サラ・シェフィールド、(吹奏楽)アメリカ海兵隊バンド
☆「行進曲「星条旗よ永遠なれ」」スーザ:作曲

🎵今回はどの部分が心に残るかなと思いつつ。
「イロァ・イロァ」、「神よ、神よ、なぜ私を見捨てたのですか」という聖書のことばが引かれている。東日本大震災の慰霊だ。ぐっとくるものがある。「ユーソニアン・ドゥエリング」の第2、第3楽章、マイケル・ギルバートソンの初の吹奏楽作品。建物周辺の荒涼とした景色ということだったが、無機質をふるわせて振動を起こしてゆくような渺茫とした感じもある中に静謐な荘厳な光に足を踏み入れたところを丁寧に慎重にたどりゆくときにもたらされる一種のカタルシスも覚えた。ギルバートソンもこの金沢初演に駆けつけていた。これは前にも書いているけれども。それにしてもサラ・シェフィールドのメゾソプラノ、軍楽隊のイメージを反転させ花と輝いている。スーザの「世界共通言語」、子どものときから無意識のうちにも入ってしまっている数々の曲だが、今回その偉大さが一層おもわれた。

 

🎧名曲アルバム
「きよしこの夜」グルーバー作曲
【ソプラノ】天羽明惠,【合唱】晋友会合唱団,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】尾高忠明

🎵自筆譜がのこっていることに驚き。名も知られぬところで名も知られぬ人の作曲、これがいまではだ誰一人知らぬものはない。宮廷の恵まれた環境で大作曲家によって作られたのではないところがイエス・キリストの降誕にまことにふさわしいという気が。
みなをしあわせにしてくれるきよしこの夜と美しい映像に感謝!

⛳この時間帯の前の別番組で、ネットを1時間やるとクルマが1キロを走行しただけの二酸化炭素を出すと。やり方に改善が要りそう。
6時34分更新

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2019125クラシック倶楽部を聴く

ブラス・ユナイテッド 演奏会
(打楽器)クン・プラーティンク
201737日 東京文化会館小ホール

☆「スペイン組曲から 「アストゥーリアス」「カタルーニャ」「セビリャーナス」」アルベニス:作曲、ラベリ:編曲
☆「新しい歌」マクミラン:作曲
☆「ピッチ・ブラック」ヤコブTV:作曲、フェルヘルスト:編曲
☆「プルチネッラ組曲2.0から」ガッロ/モンツァ/ペルゴレージ:作曲、フェルヘルスト:編曲
☆「スクエア・ダンス」、高嶋圭子:作曲

🎵「新しい歌」、祈りと聴いた。刺激的なヤコブTV、テープで再生される「声」との語らい、「ドラム抜きの方がよりクールだ」に、そうかな。「プルチネッラ組曲2.0から」、バロックからの編曲版。「スクエア・ダンス」、世界の金管奏者によく取り上げられているという。この楽団のもつジャンルを超えた幅広さを聴いた気が。

🎧名曲アルバム
5つの小品 作品75から “もみの木”“ピヒラヤの花咲くとき”」
【ピアノ】舘野泉

🎵シベリウスとアイノの墓に映じる木陰。瑞々しいピアノの響き。

⛳多くの書き落としを覚えつつ、なぜそれでもやめないのかは…。 6時28分 更新  

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2019124クラシック倶楽部を聴く

アテア木管五重奏団 演奏会
2017928日 武蔵野市民文化会館小ホール

 

☆「木管五重奏曲 作品43」ニールセン:作曲
(演奏)アテア木管五重奏団、(フルート)アレーナ・ルゴヴキナ、(オーボエ)フィリップ・ハワース、(ホルン)クリストファー・ビーグルス、(ファゴット)アシュリー・マイヤル、(クラリネット)橋本杏奈
☆「夜の音楽のための小品集」ボザ:作曲
(演奏)アテア木管五重奏団、(フルート)アレーナ・ルゴヴキナ、(オーボエ)フィリップ・ハワース、(ファゴット)アシュリー・マイヤル、(クラリネット)橋本杏奈
☆「木管五重奏曲 ト短調」タファネル:作曲
(演奏)アテア木管五重奏団、(フルート)アレーナ・ルゴヴキナ、(オーボエ)フィリップ・ハワース、(ホルン)クリストファー・ビーグルス、(ファゴット)アシュリー・マイヤル、(クラリネット)橋本杏奈

🎵ニルセン国際コンクールで3位だったこのフレッシュな5人が短く語ってくれた中で、アレーナが「日本はいつでも街にクラシックが流れていてすばらしいけれども、ぜひ生演奏を聴くことを忘れないで欲しい、クラシックの未来のために友達を誘ってほしい」と。アシュリーが「5人はみな性格が違う、個性が強い。演奏では互いに補い合っている」。「木管五重奏曲 作品43」、風景描写、人々の生業のさざめきのうちに、それぞれの楽器が十人十色の主張を始める。そこが聴きどころ。ひとつの和合を見たかに再び穏やかに、軽快に重奏、最後が完全な和合、一致で締めくくられる。ボザの曲はなかなか優美。タファネルは「現代のフルート奏法の父」と呼ばれているとか。

 

🎧名曲アルバム
「アヴェ・マリア」シューベルト作曲、スコット作詞、山岸茂人編曲
【ソプラノ】森麻季,【ピアノ】山岸茂人

🎵この放送とは直接関係ないが、こんど私がクリスマスに教会で、この曲をバイオリンで弾くことに。選曲はTさんで楽譜、CDまで準備して下さった。譜面を見て主旋律の単純さに驚いた。それがこれほど人の心をとらえるものがあるのだ。名曲というのはこういうものかもしれないとも思う。簡単な曲ほど実は難しくもある。20年ぶりの挑戦。自信はまったくない。しかし神には能力的な面に対して相対評価はない。それが救い。

⛳田中陽希のグレートトラバースを目の端に 6時32分更新



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2019/12/3クラシック倶楽部を聴く

アレッサンドロ・カルボナーレ クラリネット・リサイタル 
(ピアノ)黒田亜樹
2017726日ハクジュホール

 

「クラリネット小協奏曲 ハ短調 作品26」ウェーバー:作曲
☆「クラリネットのための第1狂詩曲」ドビュッシー:作曲
☆「ルーマニア民俗舞曲」バルトーク:作曲、セーケイ、ベルケス:編曲
☆「歌劇「リゴレット」の旋律による演奏会用幻想曲」ヴェルディ:作曲、バッシ:編曲
☆「ガーシュウィン!!」ガーシュウィン:作曲、カルボナーレ:編曲
☆「ショレム・アレイヘム ロヴ・ファイドマン!」コヴァーチ:作曲

🎵アレッサンドロ・カルボナーレ、「わたしはおもしろいことをします」と観客にいったことばが思い出される。彼のいうおもしろいことの一つはプログラム編成。クラリネットの持つ多様性を生かしたプログラム編成でドイツから始め音楽でさまざまな国を巡る。黒田亜樹との共演については、亜樹は映画音楽やエレクトロニクス音楽の影響も受けている開放的な音楽家、開放的な音楽家とのコラボが好きであると。
会場を回り客席に座りながら弾くなどユーモア、サービスが行き届く。日本語で「気に入りましたか?」には爆笑。とにかく楽しい。
バルトークの「ルーマニア民俗舞曲」、これはバルトークがルーマニアの民俗音楽の採譜をもとに作曲、1棒踊り2腰帯踊り3足踏み踊り4ホーンパイプ踊り5ルーマニアのポルカ6速い踊りから成り、バルトーク特有の響きを特徴づける基となっていると思われた。ガーシュイン、コバーチの曲でアレッサンドロのエンタテインメントとしての才も存分に発揮され実に楽しく聴ける。意表をつく行為、行動にも演奏の確かさが飛んでしまうことがないのは彼の天的資質が確かな証拠。

 

🎧名曲アルバム
「クリスマス・オラトリオ」バッハ作曲
【合唱・管弦楽】バッハ・コレギウム・ジャパン,【指揮】鈴木雅明

 クリスマスがやってくる!

⛳6時14分更新

 

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2019122クラシック倶楽部を聴く

ソフィー・ダルティガロング ファゴット・リサイタル
(ピアノ)沢木良子
201764日 武蔵野市民文化会館小ホール にて収録
 

☆「無言歌 作品109」メンデルスゾーン:作曲
☆「チェロ・ソナタ 第2番 ト短調 作品52」ベートーベン:作曲
☆「ファゴット・ソナタ 作品71ケックラン:作曲
☆「ファゴット・ソナタ 作品168」サン・サーンス:作曲

🎵ソフィーが初めてファゴットの響きを聴いたときに「これだ」と思ったという。彼女は「やわらかく甘美な音色」と表現。私はファゴットには抵抗、反骨を感じたことがなく、恭順、温和、平和、やさしさが感じられる。「チェロ・ソナタ 第2番 ト短調 作品52」はチェロの楽譜でそのままファゴット演奏ができるために、ファゴット特有の響きを堪能してもらえるだろうと。ファゴットの音域はチェロの音域に近い。長いフレーズの演奏ではいかに呼吸をコントロールするかが肝心だという。彼女が共演したウィーンフィルはオペラが得意で歌手をいかに引き立てるかがあり、ベルリンフィルは交響曲主流でフィルは常に舞台の主役、この両者に多くのものを学んでいるとソフィー。

🎧名曲アルバム
「弦楽のためのアダージョ」バーバー作曲
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】円光寺雅彦

🎵観客がはいっていないメトロポリタン歌劇場の映像の一コマ一コマを味わい深く。一時期はテノール歌手をめざしていたバーバー、この歌劇場の一席を占めながら、自分がいつしかこの舞台に立ち歌っている姿を夢想したこともあったかと。

⛳はや12月、ことしもあとひと月で締めくくられる。刻々と刻刻々と時は冷静、冷徹、休むことなく刻刻々。紛うことなく違えることなく的確なリズムを刻み続ける。刻刻々。  6時7分 更新

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きょうのことば

 インマヌエル盛岡キリスト教会の先週の日曜礼拝メッセージをお届けいたします。
説教者は國光勝美牧師です。國光勝美牧師、國光ひろ子牧師はこの岩手で45年の間、教会の牧会と伝道に携わっておられます。

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説教題『神に喜ばれる者』
引照聖句 ヘブル1116
11:1
さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。 11:2昔の人たちは、この信仰によって称賛されました。 11:3信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのではないことを悟ります。 11:4信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神に献げ、そのいけにえによって、彼が正しい人であることが証しされました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だと証ししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって今もなお語っています。 11:5信仰によって、エノクは死を見ることがないように移されました。神が彼を移されたので、いなくなりました。彼が神に喜ばれていたことは、移される前から証しされていたのです。 11:6信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。

 

<メッセージ>

年頭に与えられました聖言(みことば)はヘブル116節「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません」を握りしめ、皆さんと共に歩んでまいりました。
 私はいま思わぬ試練の中にありますが、このことを通し、またこのことを通してでなければならない神様の恵と祝福がもたらされたことに深く感謝をしております。皆様方のお祈りに感謝しながらクリスマス前の歩みを締めくくり、来週からのアドベント、クリスマスを待ち望む講壇にシフトチェンジいたしますが、ここでこの今年のおことばヘブル116節をここでしっかりと捉え直すように導かれております。

 

このところヨブ記を思い巡らしております。ヨブ記の意味の深さを考え教えられ、また扱われるという経験をしております。ヨブ記から聖書を開くことは滅多にありませんが、しかし、ヨブという人物については、皆様方も及ぶところは多くおありだろうと思います。
 彼は、地上には彼ほど優れた信仰を持っている者はいないと聖書に記されているほどの人物であります。そんな彼を、サタンは何とか信仰から引きずり落とそうとします。「人は得することでもない限り神を信じたりするものか、神を畏れているといったって祝福や守りが取り去られたなら、彼は信仰を簡単に捨ててしまうに決まってるのさ」

ヨブ記は聖書の中ではいちばん古い書物であると言ってよろしいかと思います。ヨブ記には人間の歴史と共にある神様と人間、そして信仰のあり方が、悪魔の言葉を通して記されております。人はご利益があるから神さまを信じてるんだ、そうでなければ誰が信じるものかという悪魔の挑戦に、神様はその悪魔の挑戦をしっかりと受け留め、ではやってみるがいいと挑ませる。そして恐ろしいまでの悲惨な試練がヨブに展開していくのであります。それがヨブ記の大きな主題であります。

子どもが亡くなり、財産も次つぎに奪われていきます。それでも屈しないヨブにこんどは全身を腫瘍のようなもので苦しめます。

ヨブのあまりに悲惨な状態にヨブの妻が「あなたはこうまでなってもまだ神様を信じているの、神を呪ったらどうか」と口走る。サタンの言わしめるところです。さらりと子どもの童話のように書くこともできますが、これは現実的な大きな試練であります。

 神学院でヨブについて学んだときでしたでしょうか、信仰の世界でいう三大悪妻のひとりはヨブの妻だと聞いたことがあります。今一人は意外や意外ジョン・ウェスレーの妻だと。それはそれとして、ヨブの妻は決して悪い人間ではない。ヨブの試練を身近にし思わず堪え難い呻きがそのような言葉を投げかけさせる。「神を呪ったらいい」、これは悪魔のもっともらしい誘惑です。

11:6信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」

 ほんとうに幸いなことに、ひろ子先生も私自身も憐れみのゆえにこのヨブの妻のような誘惑を心の中に来たらせることは微塵もありません。ほんとうに心の中を神様に覗いていただいて、どこを探していただいてもありません。「聖潔(きよめ)ってこれなんだな」と思いました。これがきよめの恵なんだなと。もし心の中にきよめの恵が届いていなかったなら、おそらく、信仰って何なんだという思いに引っ掛かり、引っ繰り返されてしまうこともあるでしょう。皆さん方に祈っていただきたい。サタンの誘惑は激しい、だからこそ一層神様の憐れみを請いながら歩ませていただこうと思っております。

 

 ヨブにはエリファズ、ビルダデ、ツォファルという3人の友達がいるわけですね。ヨブが大変な試練にあっていることを知り慰めようとはるばるやってきます。そして、そこで苦難についての議論が始まる。これもまた一つのテーマでありまして、人はなぜ試練に遭うのか、その理由は何なのか。是非もういちど読み直したいところであります。

 

 励ましとしてイザヤの53章、53章全体がイエス様を預言しているのですが、2~4節をご覧ください。

2彼は主の前に若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。3彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。4まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。

イエス様はほんとうにこの苦しみ痛み辛さをことごとく味わって私たちの病を身に負い、4節を見ると私たちの痛みを担った。

 神の御子が人になってくださった。私たちはまもなくクリスマスを迎えますけれども、来週からアドベントとなりますけれども、イエス様はこのことのために人としてお生まれくださったのであります。神の御子が、人の悲しみを思い、涙を流し、はらわたがよじれるほどに悲しまれて世においでくださったというこのことを、私は家内の病という試練、現実を目にするまで、このお方が人となって悲しみを担われたということを私は知らなかった。このことを通してほんの僅かでも知ることができました。それを思うとイエス様の、それを知れば知るほどに私というものが何と足りない欠けの多い者であろうか、人の辛さ、人のいたみをどれだけ私は担う事ができている牧師だろうかということをつくづく申し訳ないなと。そのために主はおいでくださった。

 

 話しの締めくくりに入っていきますが、これは有名なローマ人への手紙の828
8:28神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

 このおことばは、皆さん方も事柄は別として、人生の中で思わしくない、こうあってもらいたくないような出来事に折々直面するときに杖としてこられたでしょう。「神の御計画に従って召された人々のためには」、そうだ、私たちは神を愛している人。すべての事が共に働いて益となることを私たちは知っている。そうだ、神を愛する人、ヨブがそうだったじゃないか、それは「即ち」、「イコール」で結ばれている。「神の御計画によって召された人」

じゃないか。であるからには神様がすべての事を共に働いて益としてくださる。そうだ、どれだけこのみことばの杖によって助けられ支えられてきたことか。

 

 しかし私はそれとともに自らのことを探りながら、「すべてのこと相働きて益となる」という表現に照らしたときに「神様によって召されたものだから神様はすべての事を働かせて益としてくださるんだ、だからもう神様にぜんぶ委ねよう。現実的にどうあがいても神様がすべての事を相働かせて益としてくださるんだから全てを主の御手にゆだねよう。私はそれが微妙に心に、自分の心を探るときに、それは消極的な委託であると思われました。これは信仰的には見えます。でもそれをよく突き詰めると信仰的な不信仰じゃないかという気がするのです。神様に委ねているから信仰的ではあるのですが、そうでしょうか。私は積極的な神様への委託、これは神様に期待する信仰と敢えて言いたいのです。神に期待する信仰、それがみことばの杖。

 どれだけ今回さきほどのロマ書のおことばもそうですし、「アブラハム神を信ず。神これを彼の義と認め給えり」。それからマタイ伝にもマルコ伝にも色々な癒しの記事があります。「汝の信仰の如く汝になれ」といった杖が次つぎに出てきますけれども、詩篇23篇のすばらしさ、響きが違って聴こえてくるくらいです。聖言の杖によって一層神様に積極的に期待します。そして皆さん方のお祈りに支えられている、ほんとうに祈られている、祈っている、祈られている。思い出しますが、蔦田二雄先生でしたが、ほんとうに祈ってもらいたいという大きなできごとがあった、そこにたまたま歩いてきた犬にも、おい祈ってくれと言いたくなるもんなんだよ、そういうものなんだといっておられました。ほんとうにそうだ、祈ってくださる方々がおられる。私たちはほんとうに恵まれている。一本だと折れてしまいますが、それが二本、3本と束ねられていく祈りの杖というものが。これをもって神様に期待するんだ、そして神を愛する者、これこそ神に喜んで、信仰なくしては神に喜ばれること能わず。神に期待する。神を信ずるものには報いたもうことを必ず信ずべければなり。信仰的に見える不信仰なんじゃなくてほんとうに一つ一つの課題にみことばの杖、そしてそれも皆さん方のお祈りに期待して神に喜ばれるものとして歩んでいる。いいおことばが年頭に与えられていたんだ。それを心に留めて来週から、イエス様の降誕を待ち望むアドベントになります。聖餐式が行われます。こんどの聖餐式に共に与りたいと願っています。皆さん方のお祈りを心から期待し感謝いたします。

 

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