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2019年11月

J-MEROwo J-MEROを聴く

J-MEROの前番組に「あの日の星空」が流れていたが、久方ぶりに映像ではあるけれども星空を見た。最後の瓦屋根を夥しいふるような星がおおっているさまが美しかった。震災で娘と孫を亡くされた方が365日とにかく星が出ている日は眺めているのだが、星がまたたくときに「光ってるよ、あんたたちかな」と声をかけるすがたが心に沁みた。

 

J-MERO、きょうは作業をしながら聴いておこうとおもっていたところ、何とギター製作のはなし。可児市にあるK.YAIRIの紹介。樹齢数百年の乾燥させた木を削る香りが満ちる30人の職人がいる工房だ。ここを贔屓にするBEGIN。特にネックの反りや手に取ってしっくりくる感触にこだわってアコースティックの注文を。音が抜けてこない場合でも2,3回ツァーを重ねると鳴ってくる。楽器を育てながらの演奏ツァー。
この工房で出来上がったギターたちは、胎教と称しクラシック音楽の流れる湿度、温度が一定に保たれるシーズニングルームに保管される。
製作と修復のプロがおり、修復の方がいうに楽器を見ると性格、弾き方、愛着度がわかるのだそう。製作の方は注文にぎりぎりまで応じる。
ギター製作は好きでやってるので苦労ではない。苦労というなら材料の仕入れなどということだった。

⛳いまこのときもどこかで暁の星を見ている人がいるかも。  6時22分更新

 

 

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20191129クラシック倶楽部を聴く

アラカルト アンサンブル・ディアーロギ/ビオラスペース

 

「ピアノと管楽器のための五重奏曲 変ホ長調 K.452
モーツァルト:作曲
(演奏)アンサンブル・ディアーロギ
2622秒)
~浜離宮朝日ホール~

「ザ・ギャザリング~6声のビオラのためのアフリカ組曲 から」
レニー:作曲
(ビオラ)ルオシャ・ファン、(ビオラ)大島亮、(ビオラ)エリザベス・レニー、(ビオラ)セジュン・キム、(ビオラ)井上典子、(ビオラ)金田滉司
621秒)
~上野学園 石橋メモリアルホール~

「ピアノ・セレクション から」
モンポウ:作曲
マリー:編曲
(ビオラ)今井信子、(ビオラ)ルオシャ・ファン、(ビオラ)セジュン・

キム、(ビオラ)大島亮
513秒)
~上野学園 石橋メモリアルホール~

「序奏とアンダンテ 作品5
デイル:作曲
(ビオラ)アントワン・タメスティ、(ビオラ)市坪俊彦、(ビオラ)辻菜々子、(ビオラ)金田滉司、(ビオラ)田口夕莉、(ビオラ)井上祐吾
1247秒)
~上野学園 石橋メモリアルホール~

 

🎵ディーアーロギ、ピリオド楽器にによる演奏。ピアノと管の親密さ。楽器の音がその時代時代を象徴しているという側面も感じられた。古楽器はのどかな時代の空気を、モダンはハードで尖った時代感覚をもというように。それにしてもバセットホルンはおもしろい。ビオラスペース、エリザベス・レニー作曲、この方南アフリカ出身、アフリカ組曲、単純だがリズム感があり、アフリカの大地から立ち上るという感じも。アフリカに材を取ったクラシック音楽がもっと出て来てもいいのではと。歴史、大地を踏まえたならドラマテッィクで勇壮な一大曲想が浮かびうるのでは。
 

🎧名曲アルバム

「弦楽六重奏 フィレンツェの思い出」チャイコフスキー
【ビオラ】佐々木亮,【チェロ】上森祥平,【演奏】ウェールズ弦楽四重奏団

🎵フィレンツェやああフィレンツェやフィレンツェや

⛳6時18分  更新

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20191128クラシック倶楽部を聴く

クラシック アラカルト
2019619日 すみだトリフォニーホール 小ホール

☆「弦楽四重奏曲 第6番」バルトーク:作曲
(演奏)ベルチャ四重奏団
☆「三十二の変奏曲 ハ短調」ベートーベン:作曲
(ピアノ)ベンジャミン・フリス
6つのバガテル 作品126 から 第5曲 第6曲」ベートーベン:作曲
(ピアノ)ベンジャミン・フリス

🎵バルトークの悲しみの変幻、鋼の食感。初めて耳にする「三十二の変奏曲」。なかなか上京する機会のないものにとって、この55分にコンサートのハイライトを缶詰のようにというと語弊はあるが、質を保ってぎゅっと詰め込み聴かせていただけることに感謝!

🎧名曲アルバム
「バイオリン協奏曲第4番第4楽章」ヴュータン作曲
【バイオリン】米元響子,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】大井剛史

🎵ビュータンの碑に取り付けられたか、刻まれたかの楽器の造形が美しい。

⛳6時12分更新

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20191127クラシック倶楽部を聴く

二期会サマーコンサートⅢ
渋谷区文化総合センター大和田さくらホール

 

☆「歌劇「ファウスト」から 宝石の歌「何と美しいこの姿」」
グノー:作曲
(ソプラノ)上田純子、(ピアノ)大藤玲子
☆「歌劇「タイス」から 鏡の歌「私を美しいと言っておくれ」」
マスネ:作曲
(ソプラノ)金見美佳、(ピアノ)大藤玲子
☆「歌劇「アルルの女」から 「ありふれた話」」
チレーア:作曲
(テノール)又吉秀樹、(ピアノ)大藤玲子
☆「歌劇「サムソンとデリラ」から 「あなたの声に心は開く」」
サン・サーンス:作曲
(メゾ・ソプラノ)山下牧子、(ピアノ)山岸茂人
☆「サルスエラ「ユダヤの子」から 「私はスペインから来た」」
ルーナ:作曲
☆「歌劇「ウェルテル」から 手紙の歌「ウェルテルよ 誰が言えましょうか」」
マスネ:作曲
(メゾ・ソプラノ)与田朝子、(ピアノ)山岸茂人
☆「歌劇「アンドレア・シェニエ」から 「国を裏切る者」」
ジョルダーノ:作曲
(バリトン)今井俊輔、(ピアノ)山岸茂人
☆「歌劇「椿姫」から 乾杯の歌「友よ さあ飲みあかそう」」
ヴェルディ:作曲
(ソプラノ)菊地美奈、(ソプラノ)腰越満美、(ソプラノ)小林菜美、(ソプラノ)佐藤優子、(ソプラノ)塩田美奈子、(ソプラノ)日比野幸、(ソプラノ)山口道子、(ソプラノ)嘉目真木子、(メゾ・ソプラノ)山下牧子、(メゾ・ソプラノ)与田朝子、(テノール)行天祥晃、(テノール)鈴木准、(テノール)中島康晴、(テノール)与儀巧、(テノール)吉田伸昭、(バリトン)今井俊輔、(バリトン)大川博、(バス・バリトン)狩野賢一、(バス・バリトン)多田羅迪夫、(バス)岸本力

🎵歌詞の内容はともかく最後の「乾杯の歌」圧巻。日本の声楽家たちの磨き抜かれた歌声響く三日間に感謝!

🎵名曲アルバム、「白鳥の湖」、現田さん指揮。この曲が認められたのはチャイコフスキーの死後2年後だったかな。

⛳6時16分更新

 

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20191126クラシック倶楽部を聴く

二期会サマーコンサートⅡ
2019年8月24日渋谷区文化総合センター大和田さくらホール

☆「歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」から フルート夫人のアリア「いらっしゃい 陽気な移り気よ」」
ニコライ:作曲
(ソプラノ)菊地 美奈、(ピアノ)山岸 茂人

☆「歌劇「椿姫」から「パリを離れて」」
ヴェルディ:作曲
(ソプラノ)日比野 幸、(テノール)与儀 巧、(ピアノ)山岸 茂人

☆「喜歌劇「メリー・ウィドー」から「ヴィリアの歌」」
レハール:作曲
(ソプラノ)山口 道子、(ピアノ)山岸 茂人

☆「歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」から「私のドラベッラだけはそうじゃない」」
モーツァルト:作曲
(テノール)鈴木 准、(バリトン)大川 博、(バス・バリトン)多田羅 迪夫、(ピアノ)山岸 茂人

☆「歌劇「ルサルカ」から「月に寄せる歌」」
ドボルザーク:作曲
(ソプラノ)嘉目 真木子、(ピアノ)山岸 茂人

☆「歌劇「ボリス・ゴドノフ」から ボリスの死「さようなら わが子よ」「聞け とむらいの鐘がなる」」
ムソルグスキー:作曲
(バス)岸本 力、(ピアノ)山岸 茂人

☆「歌劇「ドン・カルロ」から「世のむなしさを知るあなた」」
ヴェルディ:作曲
(ソプラノ)腰越 満美、(ピアノ)山岸 茂人

🎵直接クラシック倶楽部にリンクした方がいいと思いつつ曲目を書き出している。きのうもそうだが、一曲一曲聴きごたえがある。いつかこのコンサートを上京して聞く機会があればと久方ぶりに思った。大きな歌劇場経験のある方には歌う時に掴んでいる空気感の違いがあるなと感じられた。私的には「聞け とむらいの鐘が鳴る」に惹かれた。

🎧名曲アルバム「狂詩曲 スペイン」シャブリエ作曲
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】角田鋼亮

⛳6時7分更新

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20191125クラシック倶楽部を聴く

二期会サマーコンサートⅠ
渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール

 

☆「歌劇「マルタ」から 「もっと近くへおいで はにかみやのお嬢さん」」フロトー:作曲
(ソプラノ)松永知史、(メゾ・ソプラノ)成田伊美、(テノール)新津耕平、(バリトン)藪内俊弥、(ピアノ)大藤玲子
☆「歌劇「リゴレット」から 「慕わしい人の名は」」ヴェルディ:作曲
(ソプラノ)全詠玉、(ピアノ)大藤玲子
☆「歌劇「リゴレット」から 「ほおの涙が」」ヴェルディ:作曲
(テノール)山本耕平、(ピアノ)大藤玲子
☆「歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」から 「あなたのお嬢さんをください」」ニコライ:作曲
(テノール)西岡慎介、(バス)倉本晋児、(ピアノ)大藤玲子
☆「歌劇「ミニョン」から 「こよい 私は妖精の女王」」トマ:作曲
(ソプラノ)愛もも胡、(ピアノ)大藤玲子

☆「歌劇「スペードの女王」から 「あなたを愛しています」」チャイコフスキー:作曲
(バリトン)加耒徹、(ピアノ)大藤玲子
☆「劇的物語「ファウストのごう罰」から ロマンス「燃える恋の思いに」」ベルリオーズ:作曲
(メゾ・ソプラノ)小林由佳、(ピアノ)大藤玲子
☆「歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」から 「さあ 答えがないわ 開けてください」」チレーア:作曲
(ソプラノ)三縄みどり、(メゾ・ソプラノ)岩森美里、(ピアノ)大藤玲子

🎵いま二期会のメンバーは2700人以上に達しているようだ。オペラには女優としての資質も大きく問われるところかと思う。劇的な一場面にオペラを観た聴いたという実感が得られるのだけれども、その点で三繩さん、岩森さんの表現が印象にのこった。 

 

🎧名曲アルバム
「歌劇 “椿姫” ああ、そはかの人か~花から花へ」
【ソプラノ】安藤赴美子,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】秋山和慶


ヴィオレッタのモデルであるマリーの肖像画、先入観とはかなり違う感じが。

⛳6時半 更新

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きょうのことば

先週のインマヌエル盛岡キリスト教会では、インマヌエル綜合伝道団から世界各地に派遣されている宣教地からの報告DVDを視聴しました。

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引証聖句 マルコ1228304144

12:28律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」 12:29イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。 12:30心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

 

12:41それから、イエスは献金箱に向かってすわり、人々が献金箱へ金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持ちが大金を投げ入れていた。 12:42そこへひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは一コドラントに当たる。 12:43すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。 12:44みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」

 

このページでは、自分が盛岡教会で直に聴いた説教を中心におつたえしております。

クリスマスが近づきました。大々的な家の片付けでさまざまな写真の整理もいたしました。
一つの場面にスポットをあてられたように思い出された場面、それはまだ教会の周辺に住宅も少なく、雪の降る夜に暗闇に白い道が湾曲している景色。凍てついた道をキャロリングのためにひろ子牧師と歩いたこと。すべって転びそうになるのを支え合いながら歩いたこと。そこにおりてくれた何かしらスピリチュアルなあたたかさ。今なお心に灯り続けている一場面です。

 

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向こうひと月は超多忙

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J-MEROのゲスト、Lisa 

☆  ☆  ☆ 

視聴時間はわずか10分。向こうひと月は超多忙、「きゅうし」と書き変換したところ、PCが真っ先に「急死」を出してくれたけれども、それはまだちょっと早い、では「休止」では? それもちょっと。当分は生存証明代わりの更新となります。

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20191122クラシック倶楽部を聴く

イ・ムジチの四季
2019102日サントリーホール

イ・ムジチ、1952年にデヴュー。55年に初めて「四季」初録音。83年までに全世界で1000万枚を売り上げたようだ。歴代のコンサートマスターの個性によって「四季」は異なる表情を。今回のゲスト・コン・マスはマッシモ・スパダーノ。スパダーノは1968年イタリア生まれ。オランダのユトレヒト音楽院を卒業。古楽の演奏、研究に力を入れている。ドラマテッィクな演奏で知られたコンサートマスター、アントニオ・アンセルミが来日前に急逝、マッシモがゲストで出演。

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🎵番組中「5時24分ごろ関東地方で地震がありました」の緊急情報に一瞬ギクリ。震度3と知り先ずはさほどの心配もせずにコーヒーを一口。イ・ムジチどうしてる? と思っていただけにごく最近の12人の「四季」を、バッハのアリア、ヴィヴァルディの「調和の霊感」とともにメンバーの表情とともに聴くことができよかった。サントリーホールも久しぶり。室内楽にサントリーの大ホールが映ることは滅多になく、これも懐かしかった。

 

名曲の方、グリーグ生涯ただ一つの協奏曲、

⛳書く書かないは別として、まだ世界が暗く誰も動かないうちに、この静かなひとときを音楽で寛ぐことができるこの有難さは!
11時32分更新

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20191121クラシック倶楽部を聴く

アマリリス四重奏団 演奏会
2019年9月29日第一生命ホール

 

グスタフ・フリーリングハウス(ヴァイオリン)
レナ・サンドゥ(ヴァイオリン)
赤坂智子(ヴィオラ)
イヴ・サンドゥ(チェロ)

 

☆「弦楽四重奏曲」ルトスワフスキ:作曲
☆「弦楽四重奏曲 第1番 ニ長調 作品11 から 第2楽章、第3楽章、第4楽章」チャイコフスキー:作曲
☆「弦楽四重奏曲 ハ長調 作品333「鳥」 から 第4楽章」ハイドン:作曲

🎵ルトスワフスキーの「弦楽四重奏曲」、初めの章には「聴衆が静かになるまで弾き続けるように」との作曲者の指示があるようだが、確かに、これはいったい? と意識を集中させられる。果たしてこの旋律の楽譜はあるのだろうかと思わせられるのだ。それぞれが否定的な会話をしているかに勝手に弾いているようで確かに楽曲を成しているところに凄さを感じる。第二楽章に入って心地よい流れを期待する者には音楽としては聞こえてこないのではないかとと思われもするのだが、一つの特異なイメージを脳裡に描くことに成功すれば、実に微妙で霊妙、不安、不確定、不定形が捕らえられ意表をついてくる面白さを味わうことができた。弦同志の無機質で金属的な響きに少数派の深い肯き合いもある。現代のあてどない咆哮とも思われた。
 このチャイコフスキーの2楽章には、トルストイならずとも落涙。すばらしい演奏、また再放送があるかと。

 

 

名曲アルバム
「谷茶前(たんちゃめ)」沖縄県民謡、丸山和範・編曲
【指揮】渡邊一正,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

🎵編曲は民謡を新しく新鮮に蘇られせて、新しく聴かせてくれる。

⛳6時42分 更新

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20191120クラシック倶楽部を聴く

タカーチ弦楽四重奏団 演奏会
2019927日 武蔵野市民文化会館小ホール

 

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第一バイオリン エドワード・ドゥシンベル
第二バイオリン ハルミ・ローズ
ビオラ ジェラルディン・ウォルサー
チェロ アンドラーシュ・フェイェール

 

メンバーのコメント
ドゥシンベル「探求心とチャレンジ精神をもってつねに進化しようとすること。それが私たちの本質です。」
ローズ「作曲家は弦楽四重奏曲を書くとき家族間の会話を想像すると思います。強くて同等の声を持つものが集まると無限の可能性が生まれます。だから私はこの楽団に入りました。対話から生まれる音楽を愛しています。」
ウォルサー「自画自賛をゆるしてもらえれば、私たちのサウンドは芳醇です。芳醇でいて明瞭さも兼ね備えていると思います。
フェイェール「演奏会に行きたいと思ってもらえればうれしいです。」
ラズモフスキーについて
ドゥシンベル「まずオープニングがすごい。何かを探している感じがして神秘的です。例えばチェロはどんどん低くなってどん底まで落ちていきます。けれどもそこから現れるのは明るく陽気なベートーベンです。」
ローズ「そこで感じる喜びは表面的でも軽いものでもありません。努力して勝ち取った喜びです。すごく共感できますね。」
ドゥシンベル「賛成ですね。ベートーベンは深い苦しみを経て中期に至り、勇壮な作品群を書いたのですから、努力して勝ち取った喜びです。」
フェイェール「この曲にはほかのベートーベンにない不思議なところがあります。輝かしい第一楽章のあと、憂鬱で延々と終わらないような第二楽章が続く。何十年も準備をしてこれから何かを始めるのかと思ったらそうではなく古風なメヌエットが始まってそのままずるずる引きずられていくのかと思うと突然ビオラが嵐のようなフーガを始め、はげしい掛け合いに突入します。」
ウォルサー「私は大好きですよ。終楽章まで来て一気に爆発するのは皆も好きなはずです。」

 

曲目

☆「弦楽四重奏曲 ハ長調 作品33 3「鳥」から 第1楽章、第2楽章、第4楽章」
ハイドン:作曲
☆「弦楽四重奏曲 作品59「ラズモフスキー」第3番 ハ長調」
ベートーベン:作曲

 

 

⛳とりあえず6時48分更新

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20191119クラシック倶楽部を聴く

無言館・祈りⅡ~戦後75年 戦没画学生慰霊美術館から
2019925日 長野県上田市 無言館収録

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ディルク・アルトマン:クラリネット奏者。シュトゥッツガルト放送交響楽団
白井圭:バイオリン奏者ARDミュンヘン国際コンクール第2
横坂 源:チェロ奏者。ARDミュンヘン国際コンクール第2
岡本 麻子:ピアニスト。メシアン国際ピアノコンクール第3

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オリヴィエ・メシアン(19081992フランス)
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世紀を代表する現代音楽作曲家。音と色彩に特別な感性を持ち、神学者、鳥類学者としても活動していた。親日家として知られ、1985年京都賞受賞の際にも妻イヴォンヌ・ロリオとともに来日。「世の終わりのための四重奏曲」は、第二次世界大戦中に作曲された。招集されフランス軍兵士となったメシアンは戦地で会った音楽家のために作曲。その後ドイツ軍捕虜となり19411月ゲルリッツの第8A捕虜収容所で初演された。 

曲目

☆「世の終わりのための四重奏曲」
オリヴィエ・メシアン:作曲
(クラリネット)ディルク・アルトマン、(バイオリン)白井 圭、(チェロ)横坂 源、(ピアノ)岡本 麻子

🎵終始字幕と音楽のみの無言のエスコート、これも散った芸術家たちの魂への音のない挽歌だ。二回目、メシアン、興味深い作曲家、聖書の黙示録、読み直そう。

 

🎧名曲アルバム
「トルコ行進曲」モーツァルト作曲
ピアノ・菊池洋子

⛳書きたいことは山々、時間少なし  7時2分更新

 

 

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20191118クラシック倶楽部を聴く

無言館・祈りⅠ~戦後75年 戦没画学生慰霊美術館から
長野県上田市 無言館

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片岡進。東京美術大学卒業。フィリピン沖バシー海戦で戦死。享年24歳。出征前夜一睡もせず自刻像を制作。「この像だけを自分と思ってほしい」と。

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曲目

☆「ブラック・エンジェルズ~暗黒界からの13のイメージ~」ジョージ・クラム:作曲
(バイオリン)川又明日香、(バイオリン)瀧村依里、(ビオラ)正田響子、(チェロ)高木慶太
☆「パッサカリア」ハインリヒ・ビーバー:作曲
(バイオリン)白井 圭
☆「弦楽四重奏曲 作品11」サミュエル・バーバー:作曲
(バイオリン)川又明日香、(バイオリン)瀧村依里、(ビオラ)正田響子、(チェロ)高木慶太

 

🎵きょうは見なくちゃ、見るべき番組、それが演奏も胸に沁みる、そして戦没画学生の想いが史実と絵画を通し鳩尾に食い込んだ。ジョージ・クラムのこの曲は、閉じ込められた慟哭、嗚咽を魂の陰をなぞるに音で象っていく。ふっと読経に通じるものも覚えた。思えば兵士たちの昼夜を問わないうち続く行軍の耳を覆っていたものはわきあがるような虫の音だっただろう。それがさまざまな状況によって、大方は弱っていくに従い、金属的に、或いは涼やかに、泣くようにも聞こえただろう。それを弦楽器の他に、変化をつけた水の量を入れたグラスを、ドラムを、弓で擦る、或いは、人差し指、中指にはめた指輪で弦を微かに震わせる、ガラスの棒で弦を擦るといった実験的な要素も感じられた。作曲者の譜面などの資料、解説も迫るものがある。
 傷病兵をタンカーに密林を行軍する実録フィルム、お盆に無言館を訪れる人々が筆を供えるさま、何よりも遺された作品の数々に、自分はこのように生き長らえながら、この画学生たちが造りたかった、描きたかった想いの1千分の1も生きてはいない、あり様に対する問いかけは、ビーバー、バーバーの旋律も手伝い見直しを迫られた。
死の際に人は何をのこすのか……

 

 

🎄名曲アルバム
「交響曲第8番」ベートーベン作曲
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】小松一彦

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きょうのことば

先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の講壇をお伝えします。
國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、45年の間、岩手で主のご奉仕をしておられます。

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 1110()ギデオン協力講壇『よき牧者なる主イエス』(説教:國光勝美牧師)
聖書引証:詩篇2316


1 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません
2
主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます
3
主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
6
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

 

<メッセージ>

前回は昇天者記念礼拝でした。「私たちの国籍は天にあります」というおことばから、私たちは天の戸籍簿に記載されている。ただそれが麗しい宗教的な言い回しで戸籍簿に名前が記されているという表現ではなく、ほんとうに私たちの名前が仔羊の命の書に名前が記されているということを確信できること、これほどすばらしいことはないなと思います。教会の墓誌にも名前が刻まれておりますけれども、それに優る神の御子の尊い命の十字架の血潮の贖いによって名前が天の御国に記されている。何という神様の憐れみでしょう。知れば知るほど感謝にあふれることであります。そして私たちの国籍、これをヨハネの福音書から見まして私たちの父の家には住む所がたくさんあります。どこか知らないところではなくお父さんの家、ほんとうの意味の故郷。「あなた方のために場所を用意してくださる」、この場所というのがこの世における場所ではなく、それとは次元を異にしている所です。


 
前回はスクリーンに蟻の世界を映しだしました。そこを這っている蟻さんにもし私が手を伸ばしてつまみあげて取り去ったとしましょう。たぶん蟻さんの世界では、彼が忽然と消えてしまったが、いったいどこへ行ったのかと危ぶむか不思議さに当惑するかもしれない。神様はこの世界のためにひとり子を遣わしてくださった。御子が蟻さんと同じ世界に降りてきて、蟻さんと同じになって、そして蟻さんの罪の贖いを成し遂げるために十字架に架かり救いを成してくださった。それを信じたとき、蟻さんには罪の赦しが与えられ、そしてまさに彼は新しい世界に、父の家に取りあげられていく。
 彼と同じ世界に生きていた者たちが、彼はどこへ行ったんだ、北緯何度だ、東経何度だといった地上のそれとはまったく違った次元の中に彼は入る。たしかに天の世界にとりあげられたとするなら、そのように考えるとき、「私が行って場所を用意した」という意味がわかるのです。迎えてくださる。「わたしがいるところにあなたがたもいる」、これが私たちにとっての天の御国、父の家、私たちの帰るべきところなのであります。

 そして先回は、締めくくりのように「私たちはもはや信仰によって歩まない。見ゆるところを歩む」というインマヌエル賛美歌681番を紹介させていただきました。見えない神様を思いっきりあてにして信頼して、すべてを委ねて歩むというこの信仰は、これここそが神様をお喜ばせするものでありますけれども、天の御国ではこの信仰というものをもはや働かす機会はない。そういう場所であり状態である。なぜならイエス様をそれまでは鏡に映るものをぼんやりと見るように見ていたかもしれないけれども、今や目と目を合わせて、十字架のイエス様の御傷を、ほら、あなたのために受けた傷ですよとイエス様が私たちに手を示してくださる。それを見て、トマスではありませんが、主よ、ほんとうにありがとうございます、ともう目の当たりに主とともに歩むことができるのが私たちの待っている世界です。そこでは、もはや信仰によって歩むということはない。私がこれまでに受けたメッセージの中で、いちばん心に残っているのは「信仰によって生きるということは、今このときにしかできない。天に移されて目と目を合わせてイエス様にお会いするときに、私は信仰によってあなたを見ています、などということはない。今のこの時代、まだイエス様を見たことはないけれども愛しており、且つ言い難く、且つ光栄ある喜びをもって喜ぶ」というその信仰の醍醐味を今のこの世で思いっきり発揮させてください。それこそ神様のお喜びになる信仰なのです。これを前回昇天者記念礼拝のときにお話しをさせていただきました。

 

 さて、きょうは詩篇の23篇。ここに心を集中したく願っております。

主は私の羊飼い。」

23篇には「アドナイ」ということばが幾つか出てきます。

 

アドナイ・イルエ
アドナイ・
ラファ
アドナイ・シャロム
アドナイ・ツィデケヌー
アドナイ・シャマ
アドナイ・ニシ
アドナイ・ロイ

この「アドナイ」は「主」と訳すことができますけれども、このイルエから始まって、ラファ、シャロン、ツィデケヌー、シャマ、ニシ、ロイがみな神様のお名前と結びあわされている。こうある注解書の中に紹介されておりました。

 

アドナイ・イルエは「主の山には備えがある」という意味です。きょうはギデオンの聖日でもありますから、できるだけ聖書をそのまま開いていきたいと思っております。
創世記22章14節「アブラハムは、その場所の名をアドナイ・イルエと呼んだ。今日も、「主の山には備えがある」と言われている」
ここにアドナイ・イルエ。神様のお名前にリンク、非常に一体化するようにしてアドナイ・イルエということばが使われております。「主の山には備えがある」。するとどうでしょうか詩篇の23篇はキーになっていますので開いてみてください。
「1 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」。まさにアドナイ・イルエの神様がわが羊飼いですよ、ということですね。

 

それからもう一つ、「アドナイ・ラファ」、これはどういうところに使われているのでしょうか。これは「わたしは主、癒すものである」。神様が癒し主であるということが、名前がリンクされておりまして、出エジプト記の15章26節「そして言われた。「もし、あなたの神、主の御声にあなたが確かに聞き従い、主の目にかなうことを行い、また、その命令に耳を傾け、その掟をことごとく守るなら、私がエジプトでくだしたような病気は何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたを癒す者だからである」
私は「主」、「アドナイ」、「あなたを癒す者だからである」。アドナイ・ラファということばで、リンクされている主のお名前です。私たちの主は癒すお方である。これを詩篇の23篇で見ますと3節に「主は私のたましいを生き返らせ」。主はまさしくアドナイ・ラファであるお方なんです。私のたましいを生き返らせてくださるお方。この詩篇の23篇がいかにアドナイ・何々ということばに満ちているのかということを一つひとつ確証するところでありますけれども。

 

次、「アドナイ・シャロム」。「主はわが平安」という意味でありまして、これは開く機会は少ないかもしれません。士師記というところにある。ヨシュアの後の士師記の6章の24節、きょうはギデオンの日なのですがここにギデオンが登場しました。24節「ギデオンはそこに主のために祭壇を築いて、これをアドナイ・シャロムと名付けた。これは今日まで、アビエゼル人のオフラに残っている」
「アドナイ・シャロム」、「主はわが平安」。これは23篇でいうのならば、2節にある「主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます」というこのおことばと同じです。主はわが平安。アドナイ・シャロム。23篇はこのアドナイ・何々という言葉に満ちていますね。

 

そして「アドナイ・ツィデケヌー」。これは「主は私たちの正義」。エレミヤ記の23章の6節。これも開く機会が少ない。イザヤの後の方をご覧になるとエレミヤというところがあります。エレミヤ記23章6節「彼の時代にユダは救われ、イスラエルは安らかに住む。「主は私たちの義」、それが彼の呼ばれる名である」
「「主は私たちの義」、それが彼の呼ばれる名である」
詩篇の23篇を合わせますと、3節に「御名のために、私を義の道に導かれます」。主は私たちの正義であってくださいます。

 

それからもう一つは「アドナイ・シャマ」ということば。「主はここにおられる」。エゼキエル48章35節、欄外のところをご覧いただくと「アドナイ・シャマ」と書かれています。エゼキエル48章35節ご一緒にお読みいたしましょう。「町の周囲は一万八千キュビト。この町の名は、その日から「主はそこにおられる」となる」。そして欄外を見ると「アドナイ・シャマ」とあります。
 詩篇の23篇を比較いたしますと、「4あなたが私とともにおられますから」とあります。「4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから」。

 

それからこれは時々今まで触れたことのある「アドナイ・ニシ」というおことばを思いだされるでしょうか。「主はわが旗」。出エジプト記17章8~16節までの間です。15、16節「モーセは祭壇を築き、それをアドナイ・ニシと呼び、そして言った。「主の御座の上にある手。主は世々にわたりアマレクと戦われる」。15節の欄外のところを見ると、この米印の所、「アドナイ・ニシ」とある。これは、「主はわが旗」。これはもう凱旋ですね。戦いに大勝利を与えてくださる。詩篇の23篇5節「私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています」。
 まさに圧倒的な勝利。主はわが旗。このように見て行きますと23篇はアドナイ・何々、アドナイ・何々、ということばに満ちております。

 

そして最後に「アドナイ・ロイ」。これは「私の羊飼い」という意味です。これは「主は私の羊飼い」。欄外には書いておりませんが、このことばが使われております。「主はわたしの羊飼い」。イエス様は「わたしは良い牧者です。よい牧者は羊のために命を捨てます」と仰る。よき牧者なるお方。

きょうはこの23篇を取り上げておりますけれども、みなこのように主がどのようなお方であってくださるのかということが、どんなに幸いなお方であるのかが満ち溢れて記されているのが詩篇23篇であります。

 

その中で私はきょう23篇の一つのことばに注目したい。新改訳聖書、文語訳聖書とで見てみます。注目したいのは「あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです」。文語訳では「なんぢの笞(しもと)なんぢの杖われを慰む」というこのおことばに心を向けたいと思います。この詩篇23篇はクリスチャンたちにはよく愛読され覚えられているところです。私たちは新改訳聖書2017を使っているのですけれども、私たちの前の世代の人たちは文語訳聖書に親しんでおりました。私がお読みいたします。「エホバ」と文語訳聖書の方に出ておりますのは「主」、そのことを心に留めて頂ければと思います。

 

ダビデのうた

23:1ヱホバは我が牧者なり われ乏しきことあらじ
23:2ヱホバは我をみどりの野にふさせ いこひの水濱(みぎわ)にともなひたまふ
23:3ヱホバはわが霊魂(たましい)をいかし御名のゆゑをもて我をただしき路(みち)にみちびき給ふ
23:4たとひわれ死のかげの谷をあゆむとも禍害(わざわい)をおそれじ なんぢ我とともに在(いま)せばなり なんぢの笞(しもと)なんぢの杖われを慰む
23:5なんぢわが仇(あた)のまへに我がために筵(えん)をまうけ わが首(こうべ)にあぶらをそそぎたまふ わが酒杯はあふるるなり
23:6わが世にあらん限りはかならず恩惠(めぐみ)と憐憫(あわれみ)とわれにそひきたらん 我はとこしへにヱホバの宮にすまん


このように紹介され訳されておりますが、注目させていただきたいのは、
なんぢの笞(しもと)なんぢの杖われを慰む」というこの部分であります。
羊飼いの杖、よく絵でも見たことがありますが、長い杖の先が湾曲している。これを羊の首にやさしくかけて、こっちだよというように方向を指示し引っ張っていくためです。それから旧約聖書などを見ると、杖は、武器を持たない羊飼いが、夜襲から羊をまもる武器でもあった。ですからこれは敵と戦う武器としてのものもありますし、また優しく羊を導く道具でもある。「あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです」ということは、私たちの生涯のさまざまな局面において、ああそうだったなと思い当たるでしょう。神様がよき羊飼いとして私の危うきを守ってくださった、私の迷いを正してくださった。

私はきょう「みことばの杖」というように集中したい。今の私たちにとってこれは「みことばの杖」なのです。このみことばの杖は、私たちがもし誤った道に行こうとするならば、この聖書のお言葉の杖は私たちを優しくこっちじゃないのか、そっちじゃないよ、信仰生活の中で正しい選ぶべき道を教えてくださいます。

またある時は、文語訳では笞(しもと)とあります。「なんぢの笞(しもと)なんぢの杖われを慰む」とありますが、これはまさしくむちですよね。むちっていやですよね。でもあるとき神様は、そっちじゃないよこっちでしょ、鞭をもって叱ってくださる。しかしそのむちが神様の手の中に握られているおことばであるのなら、その神様の叱責の言葉は私たちに取って慰めなんです。私たちが大きな敵、或いは試練、それに直面し、さあ、どうしようかというとき、大丈夫、このおことばで戦いましょう。

「我汝に言いしにあらずや」

神様がおことばを持って折に適うみことばの杖でしっかりと敵と戦ってくださいます。

 

 このまえ教区会が終わって現地解散でありました。この教会の課題も皆さんに祈っていただきたい。個人的に近しい方々にはお話しはしているんですけれども、そういう機会があまりない方もありますと、同じ東北教区で働いている同労の先生でも情報が違ってしまうとまたかえって失礼になったりするものですから、ありのままに話させていただきほんとうによかったなという思いでした。進学校時代にひろ子先生と同期の先生は郡山教会の先生ご夫妻は新幹線でいらっしゃるものですから、ならば教区会が終わって帰るとき一緒に私のクルマに乗って盛岡までと。十和田教会の先生もご一緒下さったんですけれども、そのときに先生がおいでくださいました。ひろ子先生が作って下さったかぼちゃケーキを囲んで1時間ほど。一緒に祈ることができてよかったと思いました。

そのときに久保先生が下さったおことばが詩篇91篇の1516節でありました。

91:15かれ我をよはば我こたへん 我その苦難のときに偕にをりて之をたすけ之をあがめん
91:16われ長寿をもてかれを足はしめ且わが救をしめさん

お祈りをしてお別れのときを持ちました。これは大きな慰めですね。何のものにも代えがたい。その先生が、私はこのお言葉が与えられてきました。読ませてくださいと言ってお読みくださり、そしてみんなで心を合わせて祈るとき、みことばはほんとうに力強く導いてくださる。「よき羊飼い」、どうぞこのみことばの杖をもって、私たちこの詩篇23篇のよき羊飼いなるお方に導かれて歩ませていただきたいと心から願うことであります。

 

この後ギデオン協会の大西博雄先生が登壇され、ピリピ書の「あなたの内に働きかけてその願いを起こさせ、且つ実現に至らせるのは神である」を開き、聖書をホテル、学校、病院など贈呈するための協力へのアッピールがありました。



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J-MEROちょっと

J-MERO
ゲスト 德永英明、KREVASKE48

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KREVA
のコメント
 「成長の記録」、見せたかったのは自分の成長している部分だった。もともとはDJと自分の1MC、ヒップホップのクラッシカルなスタイルでやってたけど、ちょっと違う事がやりたいなと思って、その後はバンドで始めたんです。ライブしながらどんどんアレンジが固まっていったんで、これは形に残しておきたい。自分のことになりますけどバンドとやって行くことで歌がうまくなってきたというか、たとえばDJでやるときって必ずいつも同じ音が流れる。だからそこに対してラップも歌もアプローチするんだけど、バンドでやるときには呼んで応えてくれる、呼応してくれるメンバーとやると自分のラップも変わってくる。それを経て歌もうまくなってきたなと思ってたし成長した分は形にのこしておきたい。バンドでやったのを作品にしました。
 だいたいの曲が作って歌って録ってどんどん歌ってく。レコーディングするときって、まだその歌が下手な状態、初期の状態。ラジオ、テレビ、いろんなところから自分の曲を流していただくときに、……やってないな、バンドと一緒にやってく中で、ちょっと歌い方だったり伸ばし方だったり、ちょっと変わっていくじゃないですか。広くこうですよと提示しない限りはそれがもうみんなのベーシックになっていくんだなという事を何回か感じていて、成長してんだぞというところを見せたいなと思いました。
 今後録り直す可能性は、また成長してきたなと感じられたらやってみたい。誰かにやってみて欲しいですね、俺の曲を。誰かが歌う俺の曲というのをやってもらえたら嬉しい。

 

德永英明のコメント
 セルフカバー1位の映画あてにといわれたので「アイラヴユー」を録音したんです。でも「アイラヴユー」がドラムとベースとピアノのトリオだったんで、これはジャズっぽいなというんで、次はジャズアルバムを作ろうとなったのがいきさつです。

揺れながら歌えるというのは快感。「輝きながら」は、ジャズに向いてるのか向いてないのかわからないんですけれども、ジャズのフォービートの揺れというか、なんかエラーを振りまきながら歌ってる感じがするんですね。

セルフカバーをやる意味は、声もどんどん変わってきてるんで、昔の声とは違う。50代になって声も変わってきて、いい意味でかすれたかんじなのかなあと。

 

SKE48のコメント、ざっと

ダンスがすごい、元気というファンの声に導かれ支えられやってきた。握手会などの親近感で。汗の量。セットビットが楽しみ。
夢はアイドルを30歳まで育ててもらい。ソロライブでみなと騒ぎたい。ミュージカルに出たい。充実させた二十歳にしたい。女優として活躍したい。SKE48としては世界進出。

⛳ラップのリズムが「オザナリ、オザナリ!」と聞こえて困った。まさしく「オザナリ」かな。タイムリミット7時6分更新

 

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2019/11/15クラシック倶楽部を聴く

トン・コープマン オルガン・リサイタル
2018713日 ミューザ川崎シンフォニーホールにて収録

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コープマンのコメント
バッハが優れた音楽家と考える1番の理由は、感情と理性のバランスがとれていることです。彼はすべて譜面に表すことができ、同時に和音一つで聴き手を感動させることもできました。その音楽があまりに強く感情に訴えるため涙することもあるでしょう。音楽史の中でもバッハのような人は他にいません。ミケランジェロやダ・ヴィンチと並ぶ最高の芸術家です。

 

曲目

☆「フーガ ト短調 BWV578」バッハ:作曲
☆「前奏曲 二長調 BuxWV139」ブクステフーデ:作曲
☆「わが愛する神に BuxWV179」ブクステフーデ:作曲
☆「フーガ ハ長調 BuxWV174」ブクステフーデ:作曲
☆「前奏曲 変ホ長調 BWV552」バッハ:作曲
☆「「オルガン小曲集」からおお人よ 汝の罪の大いなるを嘆け”BWV622」バッハ:作曲
☆「「クラヴィーア練習曲集第3部」から永遠の父なる神よ”BWV669」バッハ:作曲
☆「「クラヴィーア練習曲集第3部」から世の人すべての慰めなるキリスト” BWV670」バッハ:作曲
☆「「クラヴィーア練習曲集第3部」から聖霊なる神よ”BWV671」バッハ:作曲
☆「フーガ 変ホ長調 BWV552」バッハ:作曲
☆「アンコール 「オルガン小曲集」から主イエス・キリスト われ汝を呼ぶ” BWV639」バッハ:作曲
☆「アンコール ソナタ ト長調」スカルラッティ:作曲
☆「アンコール 「ヴォランタリー」から」スタンリー:作曲

 

 

 

🎧名曲アルバム
「弦楽四重奏曲 “アメリカ”」ドボルザーク作曲

【バイオリン】漆原啓子,【バイオリン】川田知子,【ビオラ】鈴木康浩,【チェロ】向山佳絵子

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アイオワ州スピルヴィルにチェコからの入植者が作った村がある。1893年夏の休暇を過ごすためにドボルザークが家族と訪れる。当時はニューヨークの音楽学校の校長だったドボルザーク。「新世界」に興奮しながらもホームシックに。ボヘミアに似たスピルヴィルの自然が彼を慰める。スピルヴィル滞在中に通ったチェコ移民が作った教会。今もあるオルガンでチェコ移民のためによく演奏した。彼は2週間ほどでこの曲を完成させ、スピルヴィルで初演。

 

 

⛳解説、画像などはすべて番組からです。6時45分更新

 

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20191114クラシック倶楽部を聴く

ユリアンナ・アヴデーエワ ピアノ・リサイタル
2019219日東京オペラシティコンサートホール

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ユリアンナ・アヴデーエワのコメント
ショパンの曲について、そこに込められている感情やアイデアは無尽蔵です。毎日発見があっても不思議ではありません。よく演奏する作品でも新しく演奏する作品でも新たな発見は大きな喜びをもたらしてくれます。
 とても幸運なことはコモ湖国際ピアノ・アカデミーに入学できました。北イタリアの山に囲まれたとても美しい場所です。入学できるのは1年に56人という少人数で、世界中のいろいろな先生に学ぶことができました。さまざまなレパートリーや考え方を持った先生方に学んだことで私はとても解放されたんです。一つの決まった方向に突き進むのではなく、いろんな音楽の感じ方を学ぶことができました。昔は地域によって音楽教育が異なり、ロシア流、フランス流、イタリア流と様々な音楽教育がありましたが、現在地域性は希薄になりグローバルになったと感じます。それは面白いことだと私は思います。
何年前からパンツスーツに切り替えたか覚えていますか?
 覚えています。よく覚えています。きれいなドレスで臨んだ本番中、突然気まずくなったんです。その時私はラヴェルの「夜のガスパール」を弾いていました。11年か12年前です。2曲目の「絞首台」を弾いていた時、あれ、何か違うなと違和感がありました。もちろん演奏中に自分の腕や肩を見たりドレスを意識することはありませんが、違和感を覚えたのです。豪華なドレスで「絞首台」を弾くのは違うのではと疑念が生まれたんです。それがきっかけでした。衣装が演奏の妨げになってはいけない、他の方法を見つけなければと決心しました。私も聴衆の皆さんにも見た目に気を取られることなく音楽のみに集中して欲しいと思ったのです。美しい豪華なドレスを着る機会は他にもあるのですから。
 今回は日本でショパンのソナタの3番を弾きたかった。最近ステージプログラムに取り入れた作品で、ショパンの作品の中でも鍵となる曲の一つです。ソナタ形式の代表作としても音楽的にもショパンの作品の中で頂点を極めた曲だと思います。だからじっくり時間をかけて弾きこんできました。日本の聴衆の皆様とこの作品を分かち合いたいと思い思い切って今回演奏することにしました。この曲がこんどのコンサートの中心です。
音楽家を志す若い世代へのメッセージを
 どんなに困難な局面であっても自分の楽器と音楽を心から愛することです。音楽という自分が好きなことを通して聴衆という大勢の人々と交流できるのは素晴らしいことです。音楽の一番素晴らしいことは団結できること。音楽という言葉を通じて一つになれるということ。それを一番念頭に置くべきだと思います。うまく弾けなくとも伝えたいことがあれば聞き手はわかってくれる。それが一番意義深いことだと思っています。

 

曲目

☆「マズルカ ヘ短調 作品73」ショパン:作曲
☆「3つのマズルカ 作品59」ショパン:作曲
☆「ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調 作品58」ショパン:作曲
☆「楽興の時 第3番」シューベルト:作曲 

 

 

🎧名曲アルバム
「ツァラトゥストラはこう語った」リヒャルト・シュトラウス作曲」
【管弦楽】NHK交響楽団,【指揮】尾高忠明

⛳タイムリミット、とりあえず7時3分更新

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「石を彫る」中ぶんな・詩

11月10日のこと。宮古市にいる友人Oさんから電話があった。夜8時でもあり何事かと出てみると、「詩とメルヘン」の創刊号から読み直していたところ私の詩が載っているのに気づき感激、つい電話をしてしまったという。嬉しく励まされた。どの号ですかと訊くと、1995年9月号。取りだしてみた。「石を彫る」。やなせたかしの選評は「この詩、いいでしょう!今月推薦の一篇。最後の一行なんか心に沁みる。きっかりとした硬質の言葉の中に一筋の抒情が流れる」とある。
 これは実は舟越保武の彫刻とエッセイに感動して生まれた詩だった。24年前、花巻市在住のときに書いている。

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   石を彫る


   石を切り出す
   名もなく
   見ばえもない
   朴訥の塊を。
   角をそぎ
   粗を落とし
   石を生かせば
   眠る命が
   微かにめざめる。
   鑿(のみ)をたて
   槌をふるう
   語りかける
   鑿がはずれ
   皮膚を破る
   削る
   ひたすらに
   削る
   整いはじめる
   顔の輪郭。
   語りかけ
   磨き
   語りかけ
   磨けば
   ついに現れる
   無垢な頭像。
   その顔に
   慈しみを傾け
   霊を注げば
   空洞の目に涙はあふれる。

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2019/11/13クラシック倶楽部を聴く

ホアキン・アチュカロ ピアノ・リサイタル

2019115日 武蔵野市民文化会館小ホール

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ホアキン・アチュカロのコメント
スペインの作曲家を演奏するのはスペイン出身のピアニストの責務です。私とモンポウには大きな友情がありました。たとえば今日演奏する前奏曲第9番ですが、私はピアニストのラローチャと作曲家のモンサルパーチェと共に彼の家に招かれました。彼は「前奏曲第9番」の作曲を終えたところで、モンポウ自身の演奏でこの曲を聴きました。それ以来いい関係になり、わたしがバルセロナで演奏するときには必ず来て感想を話してくれました。モンポウの音楽はとても濃密で、その調べは実に私的で親密です。モンポウの曲が大きく叫ぶことはありません。常に静かで美しく優雅でとても優雅です。わたしと妻のエマは二台のピアノの演奏をするのですが、ある日バルセロナのレストランで偶然モンポウに出あい、「私と妻のために二台のピアノのための曲を書いてくれないか」と頼むと彼は言いました。「困ったな、僕にはピアノ一台の鍵盤だけでも多すぎるくらいだよ」。

 

 

曲目

☆「スペイン小曲集から 1.アラゴネーズ 4.アンダルシア舞曲」ファリャ:作曲
☆「ドビュッシーの墓にささげる賛歌」ファリャ:作曲
☆「前奏曲 第10番・第9番・第1番・第7番」モンポウ:作曲
☆「歌と踊り 第6番」モンポウ:作曲
☆「ショパンの主題による変奏曲」モンポウ:作曲

 

🎧名曲アルバム
「弦楽6重奏曲 フィレンツェの思い出」チャイコフスキー作曲
【ビオラ】佐々木亮,【チェロ】上森祥平,【演奏】ウェールズ弦楽四重奏団

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この曲はチャイコフスキーのフィレンツェへの恋慕から生まれた。
🎵メディッチ家がフィレンツェの芸術に果たした貢献の大きさに改めてメディッチ家検索。メディッチ家はユダヤ人ではない。銀行家。ただ当時は教会が金を貸して利子を取ることを禁じており、どうも教会から非難されることのない為替手形で莫大な利益をあげていたようだ。

⛳7時ジャスト更新

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20191112クラシック倶楽部を聴く

ジョス・ファン・インマゼール&伊藤 綾子 ピアノ連弾の夕べ
2018
920日 浜離宮朝日ホール

 

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インマゼールのコメント
優れた作曲家は音楽を作るための道具、つまり楽器のことをいつも考えています。作曲家の念頭にあるのは「ピアノ全般」ではなく目の前にある「一台のピアノ」です。ですからこの楽器で19世紀末から20世紀初頭のフランスの音楽を演奏するのは理にかなっています。エラール社は長い伝統を持つ最大規模のピアノ製作所だったのでとても重要です。またエラールはさまざまな作曲家と親しい関係を築いていました。この楽器に慣れてくるとほかの楽器ではできないさまざまなことができるようになります。ただ歴史あるピアノも現代のピアノもいい面もあればそんなに良くない面もあります。私たち人間と同じですね。

楽曲

☆「梨(なし)の形をした三つの小品」サティー:作曲
☆「「夜想曲」から「雲」「祭り」」ドビュッシー:作曲、ラヴェル:編曲
☆「ボレロ(ピアノ連弾版)」ラヴェル:作曲、ヴェル:編曲
☆「ハンガリー舞曲 第5番(アンコール)」ブラームス:作曲

🎧名曲アルバム
「バイオリン協奏曲第4番第4楽章」ヴュータン
【バイオリン】米元響子,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】大井剛史

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⛳4時ごろ、ちょっと迷っていた。やるべきことがもっと他にあるような気が。しかしいまのところ一日で唯一の文化時間、音楽タイム。するうちに気が付くと5時は過ぎ5分経過。反射的にTVの前に。インマゼールはまえに聴いている。彼のコメント、筆記の価があるかと録ってみる。名曲のヴュータンの編集が当時のヴュータンの証左ともなる興味深い寄せ書きなど重要な資料を見せてくれた。ちょっと書く欄が違っているかと思いつつ6時40分更新。この忙しい日々。

 

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20191111クラシック倶楽部を聴く

イノン・バルナタン ピアノ・リサイタル
2018626日 トッパンホール

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イノン・バルナタン
1979
年イスラエルのテルアビブ生まれ。3歳でピアノを始め11歳でオ-ケストラと共演しデビュー。ロンドンの王立音楽院でクリストファー・エルトンに師事。これまでにニューヨーク・フィルハモニックやベルリン・ドイツ交響楽団など世界有数のオーケストラと共演。指揮者アラン・ギルバートはバルナタンの洗練された緻密な音楽を高く評価。2009年には優れた若手音楽家に送られるエイヴリー・フィッシャー・キャリア賞受賞。
コメント
私はピアノが持つ無限の可能性に驚いています。あらゆる楽器で演奏される音はすべてピアノで再現することができます。
作曲家と演奏家の違いは、演奏家は音楽の中で「役」を演じます。役者は脚本の中に生きる登場人物とその世界について思考しなければなりません。演奏家はどのように演奏するのかだけではなく、作品の世界観、目的、意図を創造するのです。演奏家としてピアノを弾くことは俳優が役を演じることと似ています。
「目に見える暗闇」アデスはジョン・ダウランドが1610年に書いた歌曲。「暗闇に住まわせておくれ」を素材にしました。音符もリズムも変えていませんが、原曲の構築を破壊しました。原曲の音符はあらゆる所で音域を変えて出現します。私はアデスの音楽を夢を見ているような感覚で聴いています。夢の中で感じるような微妙で不思議な違和感を覚えるのです。なぜ500600年前の曲を用いて現代的な作品を生み出せるのかと驚いています。終盤はダウランドの音楽を直接引用しています。しかし古典の音楽が新たな作品として聞えるように書かれているのです。

 

曲目

☆「ベルガマスク組曲」ドビュッシー:作曲
☆「目に見える暗闇」トマス・アデス:作曲
☆「夜のガスパール」ラヴェル:作曲

🎵「目に見える暗闇」、おもしろい曲。自分の扱った近代音楽など、これを何とか現代に受け入れられるようにする策はないものかと考えることがある。それが5,600年もの前の曲を現代に斬新に引き出している離れ業。闇の奥にある静寂、これは宇宙的な暗闇の静寂とも聴こえるのだが、静寂を手探りしまるで糸巻機で巻き取るように、人差し指と親指で絡め取ってでもいるような響きが印象的。

🎧名曲アルバム

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「椿姫」のヴィオレッタ

⛳とりあえず7時1分更新。ニュースはきのうの皇室パレード。

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きょうのことば

先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の講壇をお伝えします。

國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、45年の間、岩手で主のご奉仕をしておられます。

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 113()召天者記念礼拝説教『私たちの国籍は天に』(説教:國光勝美牧師)
聖書引証:ピリピ3:1721
3:14キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目ざして走っているのです。 3:15ですから、大人である人はみな、このように考えましょう。もしも、あなたが何か違う考え方をしているなら、そのことも神があなたがたに明らかにしてくださいます。 3:16ただし、私たちは到達したところを基準にして進むべきです。3:17兄弟たち。私に倣う者となってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。 3:18というのは、私はたびたびあなたがたに言ってきたし、今も涙ながらに言うのですが、多くの人がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。 3:19その人たちの最後は滅びです。彼らは欲望を神とし、恥ずべきものを栄光として、地上のことだけを考える者たちです。3:20しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。 3:21キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。

 

 

きょうは亡くなられた方々を偲ぶことに多くのときが用いられました。

⛳教会から画像を数枚お借りしたのですが、うまく画面に取り込むことができず、また作成途中のブログの不安定さもあり、内容を十分に伝え得ておりませんが、このままで更新いたします。

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J-MEROピックアップ

ゲスト  刀剣男士 formation of 三百年 、SHISHAMO

刀剣男士 formation of 三百年
2015年スタート。歴史の改革を企む敵と戦うゲームが原案だそう。2018年パリ公演成功。主(ファン)を喜ばせるために歌って踊ることも時代の戦い方であると。メンバーの名はいにしえの名刀に由来たとえば「千子村正」などなど。それぞれを検索したところ、刀剣の歴史、謂われなどが続々と出てきたのだけれども、怖いのでああこうかという程度に。

 

SHISHAMO
声質は違うけれども、ながくヒット曲をだしたユーミンが重なった。

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曲の一コマから

⛳すこし疲れ気味。6時50分更新。SHISHAMOをもうすこし書きたかったけれども。


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2019118クラシック倶楽部を聴く

沖縄県読谷村公開収録~森麻季ソプラノ・リサイタル
(ピアノ)山岸茂人
読谷村文化センター 鳳ホール 2017129

森麻季のコメント
自分自身というものがいちばん反映されるのが歌かなと思って、齢をかさねるごとにいろんな人生経験を踏んできて、たとえば20年前に同じ歌を歌っても見えなかった言葉の意味とかがややっぱり今になって、ああこういうことが言いたかったんだなあとより深く音楽を解釈することができたりとかそういうこともあるので、自分の成長とともに音楽も深められてそれを表現することができる世界なのかなあというふうに思っています。
プログラムの選曲については、オペラだけでもなく日本の歌曲の日本語の美しさとか日本歌曲の繊細な部分というのも是非聴いていただきたいですし、プラ・アリアもすごく華やかだったり、もうちょっとスケールの大きいものだったり、あといろんな技巧的にわたし今回選んでいる曲は高い音があったりとか、細かい音でトトトトトと動くようなコロラトゥーラというんですけれど、技巧的なものも聴かせることができますし、アヴェ・マリアを3曲選んでいるんですけれど、これもクラシックの中では皆さんがよくお聴きになったことがあるものかなあと思いまして、お聴きになった方が興味を持ってくだされば嬉しいなと思って選びました。

 

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曲目

☆「Stand Alone」、小山薫堂:作詞、久石譲:作曲、秋山しげる:編曲
☆「歌劇シャモニーのリンダから恋の炎」、ドニゼッティ:作曲
☆「セレナード」、シューベルト:作曲、リスト:編曲
☆「アヴェ・マリア D.839」スコット:作詞、シューベルト:作曲
☆「アヴェ・マリア」バッハ、グノー:作曲
☆「アヴェ・マリア」マッツォーニ:作詞、マスカーニ:作曲
☆「歌劇ファウストから宝石の歌 なんと美しいこの姿」グノー:作曲
☆「間奏曲 作品1182」グノー:作曲
☆「初恋」石川啄木:作詞、越谷達之助:作曲
☆「見上げてごらん夜の星を」永六輔:作詞、いずみたく:作曲
☆「歌劇ロメオとジュリエットから ジュリエットのワルツ私は夢に生きたい
グノー:作曲
☆「歌劇ボエームから ムゼッタのワルツ私が町を歩くと」プッチーニ:作曲

見上げてごらん 夜の星を

見上げてごらん 夜の星を
小さな星の 小さな光が
ささやかな幸せを 歌ってる
ぼくらのように 名もない星が
ささやかな幸せを 祈ってる
        (抜粋)

        

🎵
「うっとり夢の世界」を駆け巡る女ごころは花。森麻季さんの技巧ともなう華やかさ! 聴くものを楽しませてくれる。

 

🎧名曲アルバム
「ピアノ協奏曲 イ短調」グリーグ作曲
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【ピアノ】横山幸雄,【指揮】矢崎彦太郎

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グリーグの生涯ただひとつの「ピアノ協奏曲イ短調」

 

⛳とりあえず6時40分更新

 

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2019/11/7クラシック倶楽部を聴く

藤木大地カウンターテナー・リサイタル
(ピアノ)多田聡子
2017121日 東京文化会館小ホール

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藤木大地は、1980年宮崎市生まれ。東京藝術大学、ウィーン国立大学大学院で学び、2003年新国立劇場フィガロの結婚でテノールとしてデビュー。2011年にカウンターテナーに転向。バロックから現代音楽まで幅広いレパートリーを持ち、現在は日本とウィーンを拠点に国際的に活動。
藤木大地のコメント
リサイタルはとにかく楽しいんですね。自分のぜんぶを出せるんですね。きのう練習していて頭から通してひとりで練習していて文章にしても音楽にしても自分が自由に表現できるというのは何と尊いことだろうかと思ってるわけです。きのうもそれを感じてすごくしあわせなことだと思うし、でも演奏家の使命はそれを客席と共有していろんな思いをその空間の中で共有する、或いはそれぞれの思いを感じてもらうということだと思うから、その曲にまじめに向き合って作曲家が感じたこととかをできるだけ伝えるようにしたいし、そういう技術を磨かないといけないと思うし、そんな演奏をしたいかな。
Q世界初演の「手紙」について
「手紙」ですからね。誰かが誰かに向けて出した手紙ですよね。僕もたぶんその曲を歌うときには、じゃ誰に宛ててこの手紙を書いたんだろうか、誰に向かって歌ってるんだろうかということをきっと想像して歌うと思うし、聴いてる人もおそらくそれぞれの人にそういう愛で手紙を書く相手、もらう相手がいてそういう想像をするだろうし、そういう想像をするような歌を歌いたいなと思います。

 

多田聡子
東京藝術大学で学ぶ。現在、器楽、声楽を問わず国内外の著名な演奏家と共演を重ねている。

 

曲目

☆「旅のこころ」高田敏子:作詞、加藤昌則:作曲

☆「歌曲集「旅の歌」から美しい人よ目覚めよL.スティーヴンソン:作詞、V.ウィリアムズ:作曲
☆「歌曲集「旅の歌」から私はいずこにさすらうかL.スティーヴンソン:作詞、V.ウィリアムズ:作曲
☆「ゴンドラの唄」吉井勇:作詞、中山晋平:作曲
☆「宵待草」竹久夢二:作詞、多忠亮:作曲
☆「夢みたものは・・・」立原道造:作詞、木下牧子:作曲
☆「てがみ」岸田衿子:作詞、加藤昌則:作曲
☆「ダニー・ボーイ」F.ウェザリー なかにし礼:作詞、アイルランド民謡:作曲
☆「死んだ男の残したものは」谷川俊太郎:作詞、武満徹:作曲
☆「万霊節 作品108V.ギルム:作詞、R.シュトラウス:作曲
☆「あすの朝 作品274H.マッケイ:作詞、R.シュトラウス:作曲
☆「小さな空」武満徹:作詞、武満徹:作曲

 

🎵いつか聴いたときと同じようなことを書いているかもしれない。55分があっという間。この声は声の方から自然に耳に入ってきて耳を傾けさせる。「宵待草」がなかなか。今回も武満の作曲、谷川俊太郎の詞が諄々と諭されるように悲哀、虚しさを切々と感じさせ、最後の「輝く今日」がメッセージをのこして届いた。

 

 死んだ男の残したものは

死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった

墓石ひとつ残さなかった

死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった

死んだ子どもの残したものは
ねじれた足と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

死んだ彼らの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない 

死んだ歴史が残したものは
輝く今日とまた来る明日
他には何も残っていない
他には何も残っていない

 

🎧名曲アルバム
「白鳥の湖」チャイコフスキー作曲
【管弦楽】NHK交響楽団,【指揮】現田茂夫

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チャイコフスキー初の作曲の初演は失敗。演出、振付が良くなかったとか。しかし2年後、こんどは爆発的な成功を。2年間のチャイコフスキーの苦しみはいったい…。

⛳とりあえず7時1分更新
羽田空港の事件の続報が



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2019/11/6クラシック倶楽部を聴く

菊池洋子 ピアノ・リサイタル
2016108日(土)宮津会館

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菊池洋子
2002
年第8回モーツァルト国際コンクールで日本人としてはじめて優勝。以来日本を代表するピアニストとしてライプチヒ弦楽四重奏団やアンサンブル・ウィーン・ベルリンなど世界的なアーティストとの共演を重ねる。
コメント
Qショパン作曲「「バラード 第1番」について
この曲はピアノを勉強している人にとってはみんなが演奏する勉強する曲だと思うんですけれども、実際に演奏会で取り上げたのはここ数年でありまして、あまりにも有名というのが私の中であったんですけども、23年ほど前にこの曲でバレエとのコラボレーションをやったんですね。ジョン・ノイマイアーさんの振り付けで椿姫、その中のパドルでこのバラード1番をやったときに自分が今まで思い描いていた先入観のあったバラードの1番とまったく違うバレエとやったことによって、あ、こういう表現もありなのかなあとか、ちょっと違った角度から作品を見ることができて、私のショパンのバラード1番というイメージがちょっとできて、これはリサイタルでもちょっと取り上げてみなさんに是非聴いていただきたいと思い、バレエがきっかけでこの曲をリサイタルでも取り上げてみたいと思うようになりました。
Qショパン作曲「12の練習曲 作品25」について
小学校から6年ぐらいかけてショパンのエチュード24曲全曲を練習して、そのときは日本で師事していた田中希代子先生とずっと6年かけてこの曲を一曲一曲ほんとにていねいに、これはもうピアノをやって行く中でほんとうに大切な曲だからと先生がおっしゃっていたので。そして、高校卒業してからイモラ音楽院に留学したんですけれども、そこでまたもうこのショパン・エチュードというのは全曲いつでも弾けるようにしておくくらい大切な曲だとまたイタリヤで師事したフランコ・スカラ教授にも言われ、また最初から全曲と取り組んで、そして24曲を演奏会でも演奏したりしてたんですけども、私にとってはほんとにこのショパンのエチュードというのは小さい時から取り組んできた大切な一曲、まあ24曲ですけど、一曲、その中の今回は作品2512曲を演奏しますけど、ほんとうに思いの強い曲をお聴きいただきたいと思いました。

曲目
「羊は安らかに草をはみ」バッハ:作曲、ペトリ:編曲
バッハのカンタータ「狩りだけが私の喜び」の第9曲。20世紀前半に活躍したピアニスト、エゴン・ペトリが独奏用に編曲した。
「バラード 第1番 ト短調 作品23」ショパン:作曲
独創的な表現でピアノの可能性にあらたな境地を切り開いたショパン。初期の代表作として知られるこの作品は、1836年ショパンが26歳のときに出版された。
「12の練習曲 作品25」ショパン:作曲
「ちょうちょう」や「こがらし」が含まれるこの曲集は、1837年に発表された。高度な技巧を要する「練習曲」であると同時に美しく叙情的な楽想にもあふれており、ピアノならではの表現を追求した最重要作のひとつである。
☆アンコール「バレエ音楽「白鳥の湖」から「白鳥の踊り」」チャイコフスキー:作曲、ワイルド:編曲

🎵ショパンがぎっしり。練習の積み重ねをはじめて意識しながら聴く。手が壊れないか、指が折れないか。叙情、流麗の前段階の苛酷な研鑽。
ずいぶんと見やすくなった字幕解説。一瞬ステージ上のカメラさんが見えて。滅多に映ることはないけれども、こうして音楽家たちを映像に残しているのだなと。

 

🎧名曲アルバム
「狂詩曲 スペイン」シャブリエ作曲
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】角田鋼亮

🎵自分の曲は聞く者の魂を揺さぶりみな抱き合って喜ぶだろうといったシャブリエのものすごい自信、こういったときにもう楽想が頭にあったのかも。

⛳7時4分更新

 

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第49回(岩手県盛岡市) 松見バイオリン教室 発表会

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 11月3日(日)の午後2時から、松見バイオリン教室の発表会を聴きました。
真に迫って弾く子どもたち。3時には帰らねばと思っていたのが、次は? 次はどうかな? と興味が引き出され、はやく帰らねばと思いつつ、ついつい5時近くまで聴いてしまった。
 松見和子、雅子先生は双子の姉妹でらっしゃる。おふたりでこれまでに1000人以上もの生徒たちをご指導をくださっている。私の関係者3人もお世話になっている。身びいきとなるけれども、3人のようすをアップいたします。

Dsc01672小5 「ヴァイオリン協奏曲第五番 第一楽章」モーツァルト

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中2 「ツィゴイネルワイゼン」サラサーテ

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中2 「無伴奏パルティータ2番 シャコンヌ」バッハ

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 この合奏はみなの音が美しい厚みのある重音となり別世界を堪能させてくれました。一緒に行ってくださった方が言いました。「何もチケットを買わなくともこんなにすばらしい演奏が聴けるのね」。曲はヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲イ短調第一楽章の場面。

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2019/11/5クラシック倶楽部を聴く

アレクセイ・リュビモフ ピアノ・リサイタル
2019929日 すみだトリフォニーホール 小ホール

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アレクセイ・リュビモフは1944年旧ソビエト連邦出身。10代から数々のコンクールで優勝し、その後現代音楽の演奏に力を入れ、シェーンベルクやブレーズの作品のソビエト初演を次つぎに行って注目をされた。30歳ごろからピアノだけでなくチャンバロやフォルテピアノといった古楽器の演奏にも取り組み、今では国を代表する古楽器奏者としても活躍しています。2018年には「第1回ピリオド楽器のためのショパン国際コンクール」の審査員も務めた。ピアノ、フォルテピアノ、チャンバロを弾きこなし、バロックから現代音楽まで幅広いレパートリーで活躍。モーツァルトはリュビモフにとって大切な作曲家であり、フォルテピアノの演奏でピアノ・ソナタ全曲録音を行っている。今回のコンサートではモダンピアノでモーツァルトの作品を熱演。

アレクセイ・リュビモフのコメント
多くの人はモーツァルトの音楽を語るとき、まず音楽の様式を理解することから入ろうとします。かつて私も古い音楽において大切なことは、様式を理解することだと思っていました。今私の考え方は少し広がりました。私にとって大切なことは様式ではなく、モーツァルトという人そのもの。様式においては同じ時代のほかの作曲家も同様でしたから。だからモーツァルトの人物像をひもとくことこそおもしろいアイデアであり、すばらしい課題だと思うようになりました。そして彼という人間の多彩性や多面性を演奏で表現することが一番大切だと思うようになったのです。モーツァルトの内面的な部分は、さまざまな文献や研究書で明らかになってきています。私はそうした資料を読むのがとても好きです。音楽を理解する助けになります。モーツァルトはとても複雑な人でした。どの小節にも彼の人間性が顕著に表れています。私にとって大切なことは、彼の音楽から彼自身を見つけ出すことなのです。

曲目 オールモーツァルト

☆「幻想曲 ニ短調 K.397」
☆「ピアノ・ソナタ ハ長調 K.545」
☆「幻想曲 ハ短調 K.396」
☆「ピアノ・ソナタ ハ短調 K.457」


🎵演奏するさまはいうまでもなく、ハンマーの落ちるさま、黒鍵の並ぶハイライト、白鍵に動く動く指の影までに注意力を喚起させるすばらしい演奏。どこもかしこも聴き逃せない、見逃せない。どの音もが聴く者の感性に落ち、矛盾するようだが、繊細さややさしさが突き刺さるまでに繊細であるところに魅入られる。モーツァルトの内側に近づけた気が。

 

🎧名曲アルバム
「谷茶前(たんちゃめ)」沖縄民謡、丸山和範・編曲
【指揮】渡邊一正,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

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⛳とりあえず7時ジャスト更新

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2019/11/4クラシック倶楽部を聴く

フレディ・ケンプ ピアノ・リサイタル
2019年9月20日東京 紀尾井ホール

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フレディ・ケンプ
1977年ロンドン生まれ。ドイツ人の父と日本人の母のもと、ロンドンで育ち、幼くしてピアノの才能を開花させる。8歳でイギリスの名門ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と共演。1998年チャイコフスキーコンクール第3位など著名なコンクールでも入賞を重ね、世界各地のオーケストラトと共演をかさねる。年間100回ものコンサートを今でも精力的にこなし実力派ピアニストとして着実な歩みを続けている。
今回はフレディ・ケンプにとって重要なレパートリーであるショパンの作品ばかりを集めたリサイタルとなった。
フレディ・ケンプのコメント
ショパンとの出会い

教えてくれたのは母が最初だったと思います。ピアノを始めたのもクリスマスプレゼントに何が欲しいかと聞かれたときからでした。両親と一緒におもちゃ屋さんに行っていろいろと見ていたのですが、棚の上に値段の高そうなものがありました。中身も分からずあれが欲しいとねだったんです。「他のおもちゃはなしよ」と両親に言われて買ってもらったのが小さなキーボードでした。付録の楽譜はすぐに最後まで弾いてしまって母に違う楽譜が欲しいとねだりました。そこで母が弾いてくれた曲がショパンでした。若い時に覚えたのでしょうか。とにかく衝撃でした。初めてショパンを聴いてすてきな音楽だったことを覚えています。それからはピアニストとしてショパンが重要なウェイトを占めています。
ショパンを演奏するということ
年齢を重ねるにつれいろいろな経験をして人間として成長します。それが自然と音楽にも反映されます。
私の場合はショパンに限らず、これまでの常識を打ち破る解釈であっても、自分の試みに意味があると思える場合には、そのまま演奏してしまうことがほとんどです。音楽に対して真摯に取り組んでいれば突き進んでも構わないと思っています。そんな私の思いが聴衆に伝わることを願っています。
演奏会にショパンを選んだ理由
ちょっと遊び半分で考えたのが今回の選曲のコンセプトです。私の好きな曲ばかりをショパンの“ソナタ”のように並べて演奏することにしました。ショパンのソナタを考えると第一楽章はバラードに少し似ています。第2楽章はスケルツォ、また第3楽章はノクターンのようです。最終楽章にはポロネーズを書いていてくれたならばおもしろいと思っていました。
今回の演奏で目指すショパンの音色とは
バラエティに富んでいるところがいちばんの難しさかもしれません。ショパンが実際に書いたソナタでも同じです。バラードの長いフレージング、スケルツォの軽やかさ、まったく対照的です。そのあとノクターンがあり、ショパン独特のポロネーズと続きます。ショパンの場合、それぞれの曲に合った音を探るのに常に苦労しています。ショパンの音色は実際に演奏すると表現がより自由なことがわかります。こうしたホールで演奏することも念頭に置かなくてはなりません。フォルテシモと書かれていてもよく分からないことがあります。でもある時、ショパンが演奏したピアノを弾くチャンスがありました。現代のピアノとはまったく違うもので、それを弾いたあと、ショパンの意図がより明確になりました。スコアに書かれてある指示のほんとうの意味が分かってきたのです。

 

曲目

☆「アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ 変ホ長調 作品22」ショパン:作曲
☆「バラード 第4番 ヘ短調 作品52」ショパン:作曲
☆「スケルツォ 第4番 ホ長調 作品54」ショパン:作曲
☆「ノクターン ロ長調 作品62 1」ショパン:作曲
☆「ポロネーズ 変イ長調 「英雄」 作品53」ショパン:作曲

🎵ショパンの作曲当時のピアノの性能を分かっていなければ本当の譜読みには届かないという点、プログラム構成をおもしろく。曳く余韻、感情を削ぎぎみな演奏部分がなにか演奏者らしいという感じが。建物の壁や草地に影を投じる梢の葉の揺らぎを聴いた気がして。

🎧名曲アルバム
「ブラジル風バッハ 第5番」ヴィラ・ローボス作曲
【ソプラノ】天羽明惠,【チェロ合奏】NHK交響楽団
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🎵ヴィラ・ローボス、パリに留学し、そして「自分は真のブラジル人」という彼が作曲したこの曲、初めて聴くこの曲のすばらしさ!

⛳クラシック倶楽部の前に、フィレンツェのすばらしい絵画、彫刻が放送されていた。最近の美術雑誌などにはない清新さ、精神性に打たれた。 7時頃にいちど更新したのだが、きょうの番組を落とすのが惜しい気がして書き留めてみた。再び 20時9分更新

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きょうのことば 宗教改革記念説教

 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の講壇をお伝えします。

國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、45年の間、岩手で主のご奉仕をしておられます。

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 10月27(日)宗教改革記念礼拝説教『福音の原点』(説教:國光勝美牧師)
聖書引証:ローマ4:15
4:1
それでは、肉による私たちの父祖アブラハムは、何を見出した、と言えるのでしょうか。4:2もしアブラハムが行ないによって義と認められたのであれば、彼は誇ることができます。しかし、神の御前ではそうではありません。 4:3聖書は何と言っていますか。「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」とあります。 4:4働く者にとっては、報酬は恵みによるものではなく、当然支払うべきものとみなされます。 4:5しかし働きがない人であっても、不敬虔な者を義と認める方を信じる人には、その信仰が義と認められます。

 

<説教>

 きょうは福音の原点という題で宗教改革記念礼拝を持たせていただきたく導かれております。

 先週が教団創立記念礼拝の聖日でございました。そして、1031日が宗教改革記念日でありますが、それに近い日曜日を記念礼拝と多くの教会がしておりますのに倣いまして、私たちも今日を今年の宗教改革記念礼拝と位置付けております。また来週の日曜日は、昇天者記念礼拝でございまして、次つぎと続きますけれども、どうぞ、今日は宗教改革記念日を格別に心に留めていただきたいと存じます。

 教団創立の記念とも密接に関わっておりますことでございますが、復習を兼ねてといったらいいのか、或いは、すでに今日のメッセージと捉えていただいてもよろしいかと思います。
 先週は教団創立のインマヌエルの歴史を思いました。そして、「幻とともに歩む群れ」というテーマでお話をさせていただきました。
 日本語で幻といいますと、実際にはないものがあるように見えること、またそういうもの。またその存在の確認が難しいもの。こういった理解が日本語では幻という意味でありまして、もう一つ、たちまちのうちにはかなく消えてしまうものが幻であると。同じこの幻という字ではありますけれども、これが一たびビジョンという言葉に置き換えられますと、将来あるべき姿を描いたもの、将来の見通し、構想、未来図、未来像。ビジョンというのはそれを見る力、アイデア、そして夢と同じような経験、想像力と知力を働かせた将来の計画となります。
 神様は群れにビジョンを与えてくださいました。このところからお話をさせていただきました。そして、神様はその時代にひとりの油注がれた器、この教団の創設者蔦田二雄をお用いであり、私たちはそれを大きな祝福と思っておりますが、どうかくれぐれも、これが偶像視されてはいけないし、そのように私たちは決して捉えてはおりません。ただ幻、ビジョンを具現化していくうえで用いられた器として記録、記憶しているわけでございます。

 彼は神様からビジョンを与えられ、聖潔と宣教というこの二つの実現に突き進んでいった人物でございました。彼がいう潔(きよ)めというのは、聖書に基づく福音理解であって、第一ペテロの116節「あなたがたは聖なる者でなければならない。わたしが聖だからである」と書いてあるからです。この神様のおことばである聖書に、このビジョンがはっきりと示されている。このビジョンに向かって、彼はその具現のために進み行きました。
 そしてもう一つ、彼が神様から与えられたビジョンは、マタイ28章の「ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け」とあるように、世界に出て行って福音を伝える、そういうビジョンを彼は与えられて行きました。このビジョンがどこから出てきたのか、それは御子の十字架の血潮という、もう何にも代えがたいこの神の御子の贖いの愛、十字架の愛に示されたもの、ここからです。これが本当の意味で理解できたのならば、きよめ、宣教というこの二つが、このビジョンにあらわされないはずはない。これはあまりに親しみなれている言葉ではありますけれども、神の御子が十字架で血潮を流してくださったというその事実を知れば知るほど、このビジョンがはっきりしてまいります。

 旧約聖書のレビ記には、神に仕える祭司たちが生贄を捧げる方法、手段が事細かく記されています。このことについて正直申しますと、なんで直接私たちに関係のないような牛が屠られ羊が屠られ、そして血が注ぎだされるのか、それがまたしてもまたしてもと書かれております。実際にその血が流されている場面を、はたと、イエス様がまことの神の仔羊がその私たちの神に近づくための道を開いてくださるために、神の御子の肉体から流れ出る血潮、神はそれほどにわたしたちを罪から救ってくださろうと実際になさったのだという、この福音の理解が深まれば深まるほど、このビジョンはいよいよ鮮明になってまいります。

 そして、前回はあまり十分に開く機会がなかったのですけれども、創世記の12章の方をお開きください。創世記の12章の1~4節のところですが、

「1主はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。2そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。3わたしは、あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」

 ここにアブラムとありますが、後にアブラハムと神様によって変えられています。その変えられる前の同一人物の名前であります。ここに神様の声を聞いて、何処に行くのかも知らず分からないまま、しかし神様がそこに出で行きなさいというので、彼は聞いた神の声に従っていきました。4節を見ると

4アブラムは主が告げられたとおりに出ていった。

13節までは主が語られたことばです。それを彼は聞きました。そして、彼はその出で行くところを知らずして出ていきました。神の声に従って行ったのであります。

 

 これをきょうの宗教改革記念日のとき、マルチン・ルターという人物にも当てはめることができるのではないか。まさに彼が直面している周囲の状況、しかし彼は敢然と勇気をもって神の声に聞き従っていった人物でありました。
 宗教改革というとマルチン・ルターというこの人物がすぐに私たちに思い起こされることであります。
Lucas Cranach (I) workshop - Martin Luther (Uffizi).jpg 彼は神の声を聞いた人であり、神の声に従った人でありました。よくルターのその一つの経験を、「塔の体験」という言葉、或いは今までどこかで耳にされたか、というこれも一つのルター派の方々にとってはもう自明のことであります。ちょうど私たちがジョン・ウェスレーの改心の時のできごとが自明のこととしてしばしば語られるように、このルターの「塔の体験」といわれるものがありました。

彼はヴィッテンベルク大学というところで教鞭を執っていた人物であります。しかし彼はまじめに神様の前に真実に生きようとし、神の前に正しいものと認められたいという真実な願いをもっておりましたけれども、真面目であればあるほどに自分の心の中にあるそうでないものにいよいよ気がつき、彼は袋小路に追い詰められてしまう。でもそのことは、私たちにもよくわかる。自分で一生懸命に正しいと思う在り方をし、神の前に義と認められたいと思えば思うほど、真面目であればあるほど追い詰められてしまう経験を私たちはよく理解することができます。そのとき彼はヴィッテンベルク大学の図書室、そこが塔なのですが、そこの図書室で経験したという事で、ルターは「塔の体験」というのですけれども、実はこのローマ人への手紙を彼はずっと学び続けておりました。そのときに、ちょうど今日お読みいただきましたローマ人への手紙の43

4:3聖書は何と言っていますか。「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」とあります。

 信仰によって義と認められると書かれてある。これが、正しい行いに励んで真面目である事に汲々としていた彼には、本当に大きな視点の転換となりました。今まで自分が真面目に神様の前に励むことによって、律法を行う事によって義と認められたいと思っていたのがそうではない、自分に絶望し、だけれども、じゃ聖書には何と言っているのか、神を信じる、神を信じることで、それが彼の義となる。神の声を聞き神の声に従っていったあのアブラハムのあの神様に対する真実な態度、それは神を信じたからこそ神の声を聞き神の声に従って行ったということになるわけですから、ああ、そうか。彼ははっと気がついた。これは恐らく間違いなくクリスチャンたち全員が自分の経験とし、ある意味追体験できるそのものを見る思いであります。

 そしてもう一つ、ここに神の声を聞き、神の声に従って行った人物があります。この像はもしかして実際にご覧になる機会がおありだったかと思うのですが、これ青山学院大学の正面入り口に入ってすぐ右側の方にあるジョン・ウェスレーの像です。青山学院はインマヌエルの年会の会場として、九段会館の後に、青山学院大学の方で日程を調節してもらい、会場としてしばらく使わせていただいておりましたが。

青山学院大学 ジョン・ウェスレー像 写真素材 
 ジョン・ウェスレーはメソジスト教会の始祖。私たちの群れの源流であり、遡ればこのところにたどり着くのであります。このウェスレーという人物は、イギリスの国教会といういわゆるイギリスの国王を首長とする宗教なのですが、カトリックではなく、そしてまた純粋な意味でのプロテスタントでもなく、ちょうどその中間にあるようなイギリス国教会と呼ばれる流れがあります。そのところを私たちが遡っていくのならば、そして、またその流れを俯瞰してみますと、これはプロテスタントの立場に分類しても当然良いだろうということであります。教会史的なことは今日はあまり深く触れません。

 このウェスレーという人の体験を確認したいと思うのです。彼はルターがそうであったように、非常に几帳面で真面目な人物でありました。そして神に仕えようという真実な思いをもって、当時のイギリスにとっては新世界アメリカですね。当時の。そのアメリカにこの福音を携えて彼は宣教師として船に乗って出かけていく。その同じ船に乗船していた人たちの中に、モラービアンと呼ばれる一つの群れがありました。それは、信仰の自由を求めてアメリカに渡っていく一つの群れでありました。ウェスレーからすれば、学問的なことには程遠いそういう彼らと同じ船の中にあった。やがて大嵐に遭遇し、さあどうしようというさ中に、このモラービアンの人たちは、いつもと変わらずに賛美歌を歌い、神様に祈りを捧げている。その姿を見て、自分はこんなにも恐れているのに、この人たちは平然としている。自分とは何かが違う。違うものを持っている。彼はモラービアンの持っているものに惹かれたわけなんです。舟は新大陸に着き、彼はそこで一生懸命宣教活動に励むんですけれども、彼の超真面目さ、几帳面さ、というようなものも含めて、受け入れられなかった。彼は失意のうちに帰っていきました。

 ウェスレーの心の中には、ずっとモラービアンの人たちのことがありました。イギリスに戻った彼は、これがそのアルダ-スゲートの経験と私たちは呼んでいますけれども、彼は日記に「あまり気乗りがしないときであったけれども、モラービアンの人たちの集会がアルダースゲートというところである」と記しています。小さな集まりだったのでしょう。彼はその集会に行ってみた。そこで指導していた人が、ルターのローマ人への手紙の序文、ロマ書序文とその本をテキストにして、信仰による救いと義認、「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」という所謂このところが語られていたのでした。ロマ書序文の中でウェスレーは聞いて、これだ! これだ! 神を信ずる、これが神様の前に義と認められるという事なんだ。まるでルターの「塔の体験」です。神の声を聞き、神の声に従ったように、ウェスレーは、自分の新生、新しく生まれるという福音による経験をこの時に持ったわけです。

その資料をちょっとご紹介いたします。ある文書を引用いたします。
「伝道の情熱に燃えて大陸アメリカにウェスレーはその仲間と共に出かけたが、彼は内心、自らの救いの確証を実は求めていた。その航海でドイツからのモラービアンの移民に出あい、突然の嵐の中で、彼らが平然として讃美し、祈りを合わせている光景に心を打たれた。自分たちが今にも死にそうだと怖じ惑っている時に、彼らを支える信仰はどこから来るのかと、その根拠を追い求めた。そのような信仰的な苦闘の中で、彼は福音的改心をついに経験した。1738524日の夕べ、気の進まぬままアルダースゲート内のモラービアン派の集会に出席し、司会者の読んでいたマルチン・ルターのロマ書講開の序文を聞いているうちに心が不思議に燃えるのを覚えたと日記に記している。ローマ書に人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく信仰によるのである。これは、「信仰により義人は生きる」と書いてある通りである。この改心の経験により、彼は、悔い改めてキリストの十字架の恵によってのみ救われ、キリストは救い主であり、自分の罪をすべて赦してくださることを心から信じることができるようになった。これがウェスレーのアルダースゲートの劇的な改心の体験であり、メソジスト運動の原点となりました。私たちがしばしば聞いているこのところでありますが、この福音の原点に。

 お話を締めくくらせていただきますが、さて、きょう、宗教改革記念日という時に、あなたと私の宗教改革はどんなものでありましたでしょうか。福音の原点は、アブラハムがそうであったように、神様が語ってくださった神のことばによって彼は出ていきましたけれども、その神の語られたという事は、神ご自身が権威そのものですから、この神、究極の権威である神様が語られたことば、このことばに私たちはしっかりと土台を置いて、このことばによってスタートしていく。私たちは本当の意味のこの宗教改革、私にとっての宗教改革をしているでしょうか。

イエス言ひ給ふ『われ汝に、もし信ぜば神の榮光を見んと言ひしにあらずや』「我汝に言いしにあらずや」

 この「汝に」ということば。聖書のことばが一般的に真理を語っているというのではなくして、ルターにそうであったように、ウェスレーにそうであったように、神様は、神様の権威あることばを私に語ってくださる。神様は語ってくださる。私に語ってくださる。

『われ汝に、もし信ぜば神の榮光を見んと言ひしにあらずや

 この文語訳聖書の方が私にはスキッと心の中に落ち着くものですから、この表現をいたしましたが、これはヨハネの11章の40節にあるおことばです。

「イエスは彼女に言われた。信じるなら神の栄光を見る」とあなたに言ったではないか。

 ヨハネの11章の40節でありますが。神様は個人的に語ってくださいます。そして、言ったではないかと、私たちの信仰にチャレンジなさいます。私はあなたに言ったよね。語ったよね。

「もし信ぜば神の榮光を見んと言ひしにあらずや」

どうですか。私たち一人ひとり神様のおことばを、いにしえああだったこうだった、あの人はこうだったというよりも、私にとってそれはご聖霊が、聖霊なる神様が、今の私たちに必要な、神様が語りたく願っておられる聖霊がそのおことばを私たちに与えてくださるのです。神さまは語りたく願っておられる。神様は私たちに語りたく願っておられる。導きたく願っておられる。それをちゃんとアブラハムのごとくに聞いて

「アブラハム神を信ず。神これを彼の義と認めたまえり」

 神を信じ、私たちの本当の意味の宗教改革をきょう心に確認させていただき前進させていただきたく願うことであります。

 

 

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J-MEROピックアップ

J-MERO
MIYAVI
、夏川りみ、BEYOOOOONDS、野島樺乃(SKE48)

MIYAVI
いま北米・中米19か所での公演を終えたばかりらしい。MIYAVIのコメントからワンポイントだけを。「アメリカ公演のとき、色々な人種の方々が来てくれている。この光景こそMIYAVIのメッセージを通じて描きたいこと、描きたい音楽。争うことなく様々な人種を超えてみなが一体となること」。今後の抱負は「メディアを介して空の写真をみなと共有したい」。歌うは「Under the same sky」。

夏川りみ
今年デビュー20周年。2001年の「涙そうそう」がロングヒット。アジア・南米・中国・台湾公演をこなす。今後の抱負は沖縄に伝わる島唄だけのアルバムを作りたい。心の呼吸、心の島々。

首里城炎上! で、写真は沖縄を歌ってくれている夏川さんを
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BEYOOOOONDS
何と読む? May. Jが「ビヨ~ンズ」といったかな。デビュー曲は発売一週間で10万枚売り上げたとか。3作品の総再生回数は300万を超す。「1億2600万人のここが変だよジャパニーズ」と日本人のDNAをぶちあげる。「ニーズの今と未来このままでいいの?」「生粋の内弁慶」「横一列でスマホ図書館」「付和雷同の美学 DNA」と続くが、歌っているのは12人。年齢構成は14歳2人、16歳3人を含む14~20歳までのDNA、とこうなっている。

野島樺乃(SKE48)

メイ・ジェイと歌いたいと登場。「はなみづき」をデュエット。

 

⛳天気予報を聞きながら 7時ジャスト更新

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2019/11/1クラシック倶楽部を聴く

ヴァンサン・ル・テクシエ&野島 今日子 デュオ・リサイタル
(バリトン)ヴァンサン・ル・テクシエ、(ピアノ)野島 今日子
2017
1130日 武蔵野市民文化会館小ホール

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ヴァンサン・ル・テクシエ
1957年フランス出身。パリで声楽を学んだバリトン歌手。パリ・オペラ座などフランスを中心に世界各地の劇場で歌い、歌唱力と並び演技力も高い評価を得ている。201711月には東京で行われたメシアンのオペラ「アッシジの聖フランチェスコ」にタイトルロールとして出演。今回のデユオリサイタルは、このメシアンの大作が日本で初めて全曲演奏されたことを記念し、メシアンへのオマージュとして企画された。
ヴァンサン・ル・テクシエのコメント
きょうのプログラムはふたりで考えました。メシアンへのオマージュになっています。彼の名作「アッシジの聖フランチェスコ」の日本初演で主役を歌わせていただきました。リサイタルではメシアンと彼が愛した作曲家を取り上げることにしました。ドビュッシーやラヴェルはもちろんのこと、バッハなどもメシアンのお気に入りの作曲家でした。
そして今日子さんと出会えたのは幸いでした。出会ってから自然に共演することになり、彼女はすばらしい音楽科ですよ。人としてもすばらしい。本当に本心です。だからこういう仕事は自然にうまくいくんです。

野島 今日子
フェリス女学院大学院修了後、パリ国立高等音楽院で研鑽を積む。ソロ・ピアニスト、室内楽奏者としてディナール音楽祭やプラハの春音楽祭などヨーリッパ各地の音楽祭に出演しています。現在はフランスのエヴリー音楽院や、パリ国立高等音楽院で室内楽や伴奏ピアニストの指導も行っている。
……フランス歌曲の中で歌詞の選び方が特にうまいのが、ドビュッシーとラヴェルだと思います。音楽と歌詞を巧みに掛け合わせ一体化させているのです。
野島 今日子のコメント
メシアンは男性の声とピアノには何も書かなかったんですね、オペラ以外には。女性の声には書いたんですけれども。メシアンに捧ぐというのにメシアンの曲がないのもね、というので今回一曲だけロリオというピアノ曲なんですけれども、鳥の図鑑から一曲だけ、それはピアノ・ソロで弾かせていただくことにして、それで一応プログラムを決めました。
ヴァンサン・ル・テクシエは、人間的にこれ以上公正で、偏見のない人というのは会ったことがないと思います。ほんとうにみなと同じように、何の隔てもなく人に接してくれる人なんですね。心の広いというか優しいというか、そういう人間的な魅力がすごくあるひとなので、その人がそのまま音楽をやって彼がそのままの音楽をやってくれるのでもうこれ以上はない。

 

曲目

☆「マタイ受難曲 BWV244から「清めよわが心」」バッハ:作曲
☆「鳥のカタログ第1巻から「キガシラコウライウグイス」」メシアン:作曲
鳥愛好家のメシアンは、鳥の鳴き声を模倣した作品を多く遺した。その代表的な作品が「鳥のカタログ」。全713曲。演奏時間3時間にも及ぶ大作。フランスに生息する77種もの鳥が登場する。
「はなやかなうたげ 第2集」ドビュッシー:作曲
作曲された1904年当時、急速に仲が発展し、のちのドビュッシーの妻となったエンマに捧げられた。……
「博物誌」ラヴェル:作曲
「にんじん」で有名なルナールの博物誌から、ラヴェルは身近な生き物たちを題材とした五つの散文を選んで作曲。それぞれの動物の真理を観察者の視点で追い、皮肉とユーモアをもって人間の真理に重ね合わせている。
「赤とんぼ」三木露風:作詞、山田耕筰:作曲

🎵メシアンの手の内にある鳥は、敏捷に餌をついばみ、羽ばたき、子育てもし、啼き交わし、存在感を感じさせる一方、世の中をけん責、糾弾もするかの怖い響きも。「博物誌」、詞の視点にチクリと刺さる川柳のような面白さがある。
 

🎧名曲アルバム
「トルコ行進曲」モーツァルト
ピアノ・菊池洋子

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🎵1683年オスマントルコに勝ったウィーン。ウィーンにカフェを始めたのはトルコ生まれの商人だったらしい。その後トルコの文化が次つぎに。トルコの影響の大きさは!戦いから100年後トルコブームに沸く1783年にこの「トルコ行進曲」が書かれた。当時モーツァルトが住んでいた建物の向かいには16世紀から続くパン屋がある。三日月を模した月型のパン、キプファールは、トルコの国旗の月を模したものだとか。こんどパン屋さんでキプファールを買い、モーツァルトも好んだコーヒーをいただきながらトルコ行進曲を聴きたいもの。この部分は10時半に書き足しながら、この誰でもがしっているこの曲が今朝くれた楽しさと元気に感謝!

 

⛳時間切れで、とりあえずは7時4分更新

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