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2019年10月

2019/10/31クラシック倶楽部を聴く

クラシックアラカルト ヴェリタス/紀尾井ホール室内管
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ヴェリタス弦楽四重奏団
国内外で活躍する名手たちによって2015年に結成され、輝かしい音色と緊張感あふれるアンサンブルによって高い評価を受けている。
(演奏)ヴェリタス弦楽四重奏団、(第1バイオリン・ナッシュヴィル交響楽団コンサートマスター)岩崎潤、(第2バイオリン・セントラル愛知交響楽団ソロコンサートマスター)島田真千子、(ビオラ・フィルハーモニア管弦楽団首席ビオラ奏者)小倉幸子、(チェロ・ニューヨークフィルハーモニックチェロ奏者)工藤すみれ
2019327日 上野学園 石橋メモリアルホール~
「弦楽四重奏曲 ハ長調 作品1 第6」ハイドン:作曲
☆アンコール「弦楽四重奏曲 第1番「オクトルーン・ボールズにて」から 第5楽章「ヘルバウンド・ハイボール」」ウィントン・マルサリス:作曲
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紀尾井ホール室内管弦楽団
ソロや室内楽で活躍する奏者たちによって構成されている。1995年に発足して以来、紀尾井シンフォニエッタ東京の名で活動していましたが、20174月から現在の団体名に変わっている。この演奏会では紀尾井ホール室内管弦楽団の精鋭による木管五重奏を中心にさまざまな室内楽作品が演奏されました。
(演奏)紀尾井ホール室内管弦楽団メンバー、(フルート)難波薫、(ホルン)日橋辰朗、(ファゴット)岩佐雅美、(クラリネット)勝山大舗
2019129日 紀尾井ホール~
「木管四重奏曲 第1番 ヘ長調」ロッシーニ:作曲、ベル:編曲
「ルネ王の暖炉 作品205から」ミヨー:作曲

🎵「木管四重奏曲第一番」、ロッシーニ12歳になったばかりの作品! マルサリスの曲を面白く聴いた。ベル自身がクラリネット奏者。

 

🎧名曲アルバム
「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」リヒャルト・シュトラウス作曲
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】渡邊一正

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伝説上の人物ティル。

⛳7時1分更新。けさのニュースは何かな…静かな10月最終日の朝。

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20191030クラシック倶楽部を聴く

アラカルト キアロスクーロ/アチュカロ

 

キアロスクーロ四重奏団
2005
年イギリスで結成。ガット弦を使用。バイオリン、ビオラは立奏。ヨーロッパの聴衆に高く評価されている。エディンバラ国際音楽祭をはじめヨーロッパの音楽祭に数多く出演。録音も意欲的に行う。今後の活躍を大きく期待されている四重奏団。

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ホアキン・アチュカロ
1932
年スペインで生まれる。1959年イギリス・リバプール国際コンクールで優勝。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団など200以上のオーケストラと共演。長年にわたる音楽活動の功績が認められ、スペインで数々の芸術賞を受賞。

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ホアキン・アチュカロのコメント
祖国スペインの作曲家ファリャについて?
ファリャは自分にあまりに厳しいので、作品を完璧に仕上げるまで苦労していました。残念なことにファリャの作品が少ないのは、常に完璧な作品を追及していたからです。完璧に仕上げられた音楽家らは、心に秘めた情熱を感じます。だから愛されているのです。ファリャならではの味わい…スペインやアンダルシアの情緒があります。
あなたにとってピアノとは?
あなたにとって空気とはどのような存在ですか? 生きるために必要です。私にはそれがピアノです。音楽の美しさやすばらしさを発見すると誰かに伝えたいという欲求が生まれます。それは偉大な作曲家が楽譜にこめた思いを伝えることです。その思いをピアノで伝える努力をしています。

曲目
☆「弦楽四重奏曲 変ホ長調 作品332」ハイドン:作曲
4楽章終結部のユーモアあふれる音楽から「冗談」と呼ばれ親しまれている。婦人たちの止まらないおしゃべりにあきれてため息をつくようすが表現されている。
(演奏)キアロスクーロ四重奏団
~王子ホール~

以下は
(ピアノ)ホアキン・アチュカロ
~武蔵野市民文化会館小ホール~
☆「スペイン小曲集から 第2曲 キューバ舞曲」ファリャ:作曲
ファリャはこの作品をパリ留学中の1966年に書き、スペインの作曲家アルベニスに献呈しました。ファリャが民族主義の道を確立したころの傑作。スペインの4つの地方の民族性を表現している。
☆「スペイン小曲集から 第3曲 モンターニャ舞曲」ファリャ:作曲
「火祭りの踊り」は、ファリャが後にピアノ独奏曲に編曲。繰り返されるトリルが揺れながら燃える炎を表現し、怪しげな雰囲気を漂わせている。
☆「ノクターン 変ホ長調 作品92」ショパン:作曲
☆「ベルガマスク組曲から 第3曲 月の光」ドビュッシー:作曲
☆「24の練習曲 変ロ短調 作品2816」ショパン:作曲

🎵ホアキンの感動的なアンコール曲3曲とスタンディングオーベーション 

 

🎧名曲アルバム
「北九州炭坑節」福岡県民謡、日高哲英・編曲
【唄】會澤あゆみ,【三味線】本條秀太郎,本條秀五郎,【笛】鳳聲晴久,【鳴物】川島佑介,鼓友緑佳,【はやし詞】千田けい子,天野りえ,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】円光寺雅彦

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⛳7時1分更新

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20191029クラシック倶楽部を聴く

タマール・イヴェーリ ソプラノ・リサイタル
(ソプラノ)タマール・イヴェーリ、(ピアノ)浅野菜生子(あさのなおこ)
紀尾井ホール(2017519日)

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タマール・イヴェーリ
ジョージア出身。トビリシ国立音楽院卒業。1995年パトゥーミ歌劇場にデビュー。豊かな表現力と繊細なテクニックで聴衆を魅了。世界各地の歌劇場で活躍を続ける。
タマール・イヴェーリのコメント
前半のプログラム(ロシア歌曲について)
ラフマニノフとチャイコフスキーはわたしのお気に入りです。今回歌う「リラの花」などどれも美しいですし、世界中で親しまれていて人気があります。この名曲を日本の皆さんにも聴いていただきたいと思いました。作品には「喜び」や「決意」が満ちていますが「深い苦しみ」も込められています。「もし私が知っていたら」や「歌うな、美しい人よ」では恋をした男女の苦しい気持ちが歌われています。とても人間的でドラマチックな中に陽気さもあって共感できるのです。
歌うときに大切にしていることは?
観客に「希望」を与えることです。私の歌を聴いている間は悩みを忘れさせること。そして私の歌が人の記憶に残ること。翌日も、その翌日も、一年後も。コンサートで受け取った響きや感情がその人の中にずっと残ってくれることです。偉大な歌手マリア・カラスの言葉ですが「コンサートというものは観客の想像力の中で開始時間のずっと前に始まり、終了時間のずっとあとに終わるものだ」と。私もそのようにありたいと思います。観客の記憶に長く残ることを願います。一生記憶に残るとしたらそれこそ偉大な歌手といえるでしょう。

浅野菜生子
桐朋学園大学卒業。国内外の多くの音楽家から信頼を寄せられ共演を重ねる。

 

曲目

☆「リラの花 作品215」ラフマニノフ:作曲
☆「もし私が知っていたら 作品471」チャイコフスキー:作曲
☆「春まだ浅いころ 作品382」チャイコフスキー:作曲
☆「歌うな、美しい人よ 作品44」ラフマニノフ:作曲
☆「雪解け 作品1411」ラフマニノフ:作曲
☆「昼の輝きが満ち夜の静けさが広がっても 作品476」チャイコフスキー:作曲
☆「歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」から 「私は神の卑しいしもべです」」チレーア:作曲
☆「歌劇「道化師」から 鳥の歌「大空をはれやかに」」レオンカヴァルロ:作曲
☆「歌劇「ルサルカ」から 「月に寄せる歌」」ドボルザーク:作曲
☆「歌劇「ワリー」から 「さようなら、ふるさとの家よ」」カタラーニ:作曲
☆「歌劇「蝶々夫人」から 「ある晴れた日に」」プッチーニ:作曲

 

 

🎧名曲アルバム
「コンドルは飛んでいく」ロブレス作曲、栗山和樹・編曲
【ケーナ】田中健,旭孝,【チャランゴ】田代耕一郎,【ギター】伊丹雅博,【打楽器】三沢またろう,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】円光寺雅彦
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インカ帝国の末裔を名乗るコンドルカンキはスペインの王政に反旗を翻し立ち向かっていく。民のために戦う男の象徴であった。

🎵いわての“コンドル”はイヌワシかな?

⛳6時53分更新

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20191028クラシック倶楽部を聴く

エヴァ・メイ ソプラノ・リサイタル
(ソプラノ)エヴァ・メイ、(ピアノ)浅野菜生子
2017
220日 紀尾井ホール

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☆「「音楽の夜会」から」ロッシーニ:作曲
☆「歌劇「ドン・パスクァーレ」から「騎士はあのまなざしを」」ドニゼッティ:作曲
☆「歌劇「リゴレット」から「慕わしい人の名は」」ヴェルディ:作曲
☆「歌劇「ランメルモールのルチア」から「あたりは沈黙にとざされ」」ドニゼッティ:作曲
☆「歌劇「アンナ・ボレーナ」から「私が生まれたあのお城へ連れて行って」」ドニゼッティ:作曲
☆「歌劇「ジャンニ・スキッキ」から「私のお父さん」」プッチーニ:作曲

🎵ずっと聴いていたクラシック倶楽部。それが先週の金曜に一年ぶりに聴き逃したところ、終日なにかを落としてしまったような気分が付きまとった。聴くことが習慣化していた結果だ。それでまたきょう、これもいちど聴いているのだけれども視聴。印象的だった浅野氏の伴奏で、エヴァ・メイのソプラノ。コメントなどをきちんと取らなければ、この記事を読んでくださる方々にもたらすものはないなと思いながら、気楽にゆったりと耳を傾ける。歌詞はみな恋、愛。失恋の紛らわし、恋のかけひき、一途な恋、耽溺、夢見心地、愛の喪失、心変わりした相手からの虐待、傷ついた心、癒しを求める思い、愛の苦しみといった内容を、エヴァがソプラノで情感豊かに歌い分ける。朝の食べ物を心に詰め込んだ。

 

🎧名曲アルバム
「ホテル・カリフォルニア」ドン・フェルダーほか作曲・吉俣良編曲
【ギター】長尾行泰,【指揮】渡邊一正,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

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🎵多くの若者たちが夢見る“ホテル・カリフォルニア”。だがとどき得ない現実も。とどき得てもその底には時として悲しみも。

⛳日々流れる災害ニュース。環境改善に協力しないまさかのあの顔がなぜか浮かんで、6時53分更新

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蔦田二雄

 先週は平日も仕事というよりも作業に追われ、申し訳ない事に、定期更新ができかねておりますが。

       ……  ……  ……

インマヌエル綜合伝道団の創始者である蔦田二雄氏は、戦時中に投獄され、獄中にあってインマヌエル即ち「神われらと共にいます」ことを実感され、終戦で出獄してから、この教団を創設しました。

 氏は1906年にシンガポールで歯科医師の蔦田顕理の二男として誕生。クリスチャンホームでした。ロンドン大学で学ぶ。21歳の時に、二年前の母の昇天を思い起こすうちに十字架の意味を悟り救いを得る。帰国後、中田重治、笹尾鉄三郎とともに自給のホーリネス教会を設立。1936年には日本聖教会に所属。1938年、日本橋教会で行われた聖会で、蔦田のもとに集まってきた同志たちの祈りによりリバイバルが起こり、全国各地に広まる。

 1942年、東条内閣によるキリスト教会への弾圧が起こり、聖書主義、聖化の教理と実践、宣教が否定される。特にホーリネスが狙い撃ちに遭う。多くのキリスト教会が政府の方針に合わせる中で、蔦田は否定された3点を貫き通し、その状況下で、あらゆる逆境のさ中にも神が共におられる事実を把握したのであった。

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きょうのことば

今日明日と身内の法事に関わる動きがあるので、いつも日曜日に掲載している「きょうのことば」の記録も録ってはありますが、きょうのうちに聖書のおことばのみをアップしておきます。

 10月20 日()の教団創立記念礼拝説教『幻と共に歩む群れ』(説教:國光勝美牧師)での聖書引証:創世記1214

1主はアブラムに言われた。

「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。

2そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。

3わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」

4アブラムは、主が告げられたとおりに出て行った。ロトも彼と一緒であった。ハランを出たとき、アブラムは七十五歳であった。

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けさのJ-MEROは大分からのパート2。けっこう内容が濃かった。じっくり見たかったけれども、あれこれしながらの視聴で、一応興味深い映像を録り置いたのみ。

瀧廉太郎ゆかりの岡城址を秋川雅史が散策、瀧の歌を紹介。4拍子の歌、ヨナ抜き3音階主流だったが7音の作曲などで日本の音楽に風穴を。1900年には「花」を作曲。番組と関係は無いが、1900年は鳥取春陽が生まれた年で、春陽が岩手の山の奥の奥で産声をあげた年に、もうこんな曲が日本の一角に流れていたことが何か感慨深かった。満23歳没。惜しまれる死。クリスチャンだった。

 

 

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本格的片付け

けさのクラシック倶楽部は、「堤 剛&萩原麻未 デュオ・リサイタル」、201778日 ハクジュホール。

☆「母と子のための音楽」三善晃:作曲
☆「チェロ・ソナタ へ長調 作品6」リヒャルト・シュトラウス:作曲
☆「愛の言葉」カサド:作曲
☆「ヴォカリーズ」ラフマニノフ:作曲

名曲アルバムは「歌劇“はかなき人生”から間奏曲とスペイン舞曲」ファリャ作曲。【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】岩村力

♡ ♡ ♡

 

けさ、はたと気づくと6時半。番組は終わっていた。いちど聴いた番組ではある。
連日のこの忙しさは当分続く。

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           もりおか歴史文化館前にある像

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2019/10/24クラシック倶楽部を聴く

エドガー・モロー チェロ・リサイタル
(チェロ)エドガー・モロー、(ピアノ)ピエール・イヴ・オディク
201761日 王子ホール

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エドガー・モローは、11歳の時にトリノ・レージョ歌劇場管弦楽団との共演でコンチェルト・デビュー。その後パリ国立高等音楽院、ドイツ・クロンベルク・アカデミーで研鑽を積む。2011年、17歳の時にチャイコフスキー国際音楽コンクールチェロ部門で2位、及び現代作品最優秀演奏者賞を受賞。以後世界各国のオーケストラとの共演やエディンバラ国際音楽祭、ラポールジュルネ音楽祭などの音楽祭に出演、世界を舞台に活躍するいま注目の若手奏者。
ピエール・イヴ・オディクはソルボンヌ大学で音楽学を学んだ後、パリ国立高等音楽院でピアノ、室内楽、声楽伴奏を学ぶ。2011年のチャイコフスキー国際音楽コンクールではエドガー・モローの伴奏を務め、最優秀伴奏者賞を受賞。エドガー・モローのリサイタル・パートナーとして数々の音楽祭に共演を重ねている。

 

エドガー・モローのコメント
チェロとの出あいは?
私が幼いころ、父が骨董商をしていました。ある日、父と骨董商が並ぶパリのドルオー通りを散歩していました。ある骨董商店に入ると、小さな女の子がチェロを弾いていたのです。それを見た途端、チェロに一目惚れしました。言い知れない魅力を感じたのです。骨董商の父は偶然にも投資目的でこのチェロを入手していました。しかし私がチェロの道を歩み始め、この楽器を貸してもらうようになりました。今は家族から買い取って私のものです。この楽器と出会えてほんとうにラッキーでした。自分のものとして一生共にいられるのです。
チェロの魅力は?
チェロは人の声にいちばん近い楽器だといわれています。音域が広く低音から高音までよくなります。また官能的でもあります。肉体的というか体の一部として体を補充してくれるのです。左手や弓で音を探る動作は、肉体と融合するような感覚があります。そうやって前身で演奏するというところにとても魅力を感じますね。

 

 

「エレジー 作品24」フォーレ:作曲
フォーレが結婚した年に作曲。チェロとピアノのために初めて書いた作品。哀愁を帯びた旋律で名曲として親しまれている。
「チェロ・ソナタ 第1番 ホ短調 作品38」ブラームス:作曲
ブラームスが32歳の時にクララ・シューマンの別荘のあるドイツの避暑地リヒテンタールで書き上げたといわれている。三つの楽章すべてが短調で書かれた北方的な哀調に満ちた作品。
「歌劇「サムソンとデリラ」から「あなたの声に心は開く」」サン・サーンス:作曲
2幕でデリラがサムソンの力の秘密を探るために、彼を誘惑しようと歌う優美で官能的なアリア。チェロ編曲版もサン・サーンス存命中から出版されていた。
「モーゼ幻想曲」パガニーニ:作曲
「チャールダーシュ」モンティ:作曲

🎧名曲アルバム
「告別」ハイドン
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】外山雄三

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⛳きょうはありませんが🎵以外はすべてほぼ番組どおりの解説、画像です。
とりあえず7時10分 更新

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2019/10/23クラシック倶楽部を聴く

諏訪内晶子&マリオ・ブルネロ&ボリス・ベレゾフスキー演奏会
2017531日 紀尾井ホール

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諏訪内晶子のコメント
……三日間をともに過ごして「重要な瞬間をつかむコツ」がわかりました。舞台の上で、舞台から離れた時、リハーサルの時、特別な体験をしました。ふたりのすばらしい演奏家の音楽性を目の前で感じ演奏を楽しむことができたのです。
マリオ・ブルネロのコメント
最初の練習で三者三様の音でしたが、今は自分の音がこのアンサンブルのための新しい音だと思えます。驚きの連続で、音楽家で友人のこのふたりから深いレベルで学ぶことができ光栄です。
ボリス・ベレゾフスキーのコメント
私はふたりの演奏を聴きながら、その途切れない会話を応援しているようなものですね。ひとりびとりの音を聴くのも十分楽しいですが、合奏を聴くと一層楽しめます。

 

☆「ピアノ三重奏曲 イ短調 作品50「偉大な芸術家の思い出」」、チャイコフスキー:作曲
(バイオリン)諏訪内晶子、(チェロ)マリオ・ブルネロ、(ピアノ)ボリス・ベレゾフスキー

チャイコフスキーは尊敬する音楽家ルビンシテインの不慮の死を悼んでピアノ三重奏曲を書いた。ピアニストとして名高い故人をしのぶかのように、感傷的なピアノの音色から始まるこの曲は、ルビンシテインの一周忌にあたる1882年に非公開で演奏された。

🎵出だしに感情を揺さぶられる。終盤の葬送行進曲的な厚みのある響きが圧倒的。ベレゾフスキーが向かうピアノの譜面の辺りかに諏訪内とブルネロの演奏する姿が重なり。映りこむはずのない角度にふたりの姿が入り3人となる編集マジック。

 

 

🎧名曲アルバム
「アラベスク」ドビュッシー作曲、加藤昌則・編曲
【ピアノ】萩原麻未,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】飯森範親

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⛳早朝に長男の出迎え。朝食、コーヒータイムを終えて落ち着き、9時26分の更新

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2019/10/22クラシク倶楽部を聴く

郷古廉&加藤洋之 ベートーベン バイオリン・ソナタ 全曲演奏会
(バイオリン)郷古廉、(ピアノ)加藤洋之
2017
413日 東京文化会館小ホール

 

郷古廉は1993年生まれ。2013年にティボール・ヴァルガ・シオン国際コンクールで優勝。期待のバイオリンニストとして国内外で注目を浴びる。現在はウィーン市立音楽大学で学びながらヨーロッパと日本で演奏活動を行っている。
 加藤洋之は1966年生まれ。1990年ジュネーブ国際音楽コンクールに入賞。ハンガリー国立リスト音楽院やドイツで研鑽を積む。室内楽を中心に活動し、多くの音楽家から信頼を得ているピアニスト。
 これまでに度々共演を続けてきた二人は2017年から3年にわたり、ベートーベンのバイオリン・ソナタ全曲演奏に取組んだ。今回演奏するのは、その第一回目のコンサート。

郷古廉のコメント
ぼくはあまりベートーベンのソナタをあえて取り上げていないんですね、今まで。何かこう作品の持つ強さと自分の持っている精神的な強さというものがあまりにも噛み合わないような感じがして、特に今回の初期のソナタ作品は、今までぼくが知り得なかったベートーベンのすがたであるというか、何か、こんなに模索してたんだなというか、こんなにこう何か何かというものを常に求めて、彼も生きてたんだなというそのすごく驚異的な精神の強さをすごく感じるし、非常に魅力を感じますね、ぼくは、初期のソナタに。
加藤洋之のコメント
非常に作曲家としては不器用な人だった。ただ表現したものというのが中にぎっしり詰まってて、初期はそのそこがうまく表現したいものと書かれてるものというのがうまくこう融合しないような、でもそれを更にそこを何というか精神的なエネルギーで乗り越えようとするような強さが音楽から感じられて、ある種の表現したい事と実際に書かれている音楽との間の軋みみたいなところがあって、そこの隙間からマグマのようなエネルギーがいつも感じられていて、わりとその後に書かれた作品よりももっとラジカルな印象を受けますね。

「バイオリン・ソナタ 第1番 ニ長調 作品12第1」、ベートーベン:作曲
「バイオリン・ソナタ 第5番 ヘ長調 作品24 「春」」、ベートーベン:作曲
「バイオリンとピアノのためのソナチネ 第3番 ト短調 D.408から第2楽章」、シューベルト:作曲

🎵申し訳ないことです、カメラにカードを入れ忘れており、ナイスショットを撮ったつもりが……。写真の掲載なし。
しかし、曲は物ではありませんが、一曲一曲の演奏が、あらゆる角度から当てられた光に磨き抜かれた艶を放っている一品一品のようでした。

 

🎧名曲アルバム
「孤児院のミサ曲」モーツァルト作曲
【ソプラノ】安井陽子,【アルト】加納悦子,【テノール】小原啓楼,【合唱】東京混声合唱団,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】梅田俊明

🎵モーツァルトがこれを12歳で作曲したってホントかな、専門家がそういっている間違いなかろうと思いつつ今一度確かめてみると、モーツァルト1756生まれ。「孤児院のミサ曲」作曲年代1768年。やはり。

⛳レコーダーで聴きながら  6時52分更新

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2019/10/21クラシック倶楽部を聴く

シモーネ・ラムスマ ピアノ・リサイタル
(バイオリン)シモーネ・ラムスマ、(ピアノ)三浦友理枝
2017210日浜離宮朝日ホール

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シモーネ・ラムスマ
オランダ人バイオリニスト。5歳でバイオリンを始め、11歳の時にイギリスに移住。ユーディ・メニューイン・スクールで学ぶ。その後最年少で英国王立音楽院に入学を許可され、19歳で最優秀の成績を修め卒業。以来ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、スイス・ロマンド管弦楽団、フランス国立交響楽団、スイス・ロマンド管弦楽団などと共演を重ね国際的に活躍を続けている。


シモーネ・ラムスマのコメント
選曲で最も大切にしていることは?
音楽に対する情熱と愛情、それだけです。そういったものを共有し音楽を一緒に楽しむことができれば何よりです。別次元の世界に身を置くことができるからです。そこには音楽しかありません。そういった瞬間を一緒に創造すること、それが演奏会の醍醐味です。それを是非体験したいですね。
フランクのソナタの魅力は?
フランクのソナタはバイオリンのレパートリーの中の最高傑作の一つです。友人でもあったイザイの結婚祝いとして書かれた作品です。ですのでラブストーリーのような趣きがあります。ピアノとバイオリンの間には、まるで恋人同士のような関係があります。ラプソディー風でもありドラマチックでもあります。美しい大変情緒的な曲です。ピアノとバイオリンとの間の会話が多いのが特徴です。ですので、これも演奏する喜びがあります。

三浦友理枝
東京生まれ。2001年に英国王立音楽院に入学。2005年に大学課程を、2007年に修士課程をいずれも首席で修了。2001年にはマリア・カナルス国際音楽コンクール第一位を獲得するなど数々のコンクールで受賞を果たしている。シモーネ・ラムスマとはリサイタルでの共演のほか、度々CD録音も行い高い評価を得ている。

 曲目
「バイオリン・ソナタ ニ長調 D.384から第1楽章、第3楽章」シューベルト:作曲
この曲が作曲されたのは1816年。シュベルト19歳の時。小規模で習作的な作品であることから「ソナチネ」と呼ばれることも多い
「バイオリン・ソナタ イ長調」フランク:作曲
ベルギーの作曲家セザール・フランクの代表作。1886年、彼が64歳の時の作品。生涯に残した唯一のバイオリン・ソナタだが、古今の傑作とされている。同郷の大バイオリニスト、イザイの結婚祝いとしてささげられ、同じ年にイザイの演奏で初演された。
「チガーヌ」ラヴェル:作曲

🎵今回は「チガーヌ」が印象的。奏法を駆使した場面展開がおもしろかった。

 

🎧名曲アルバム
「ティル・オイゲンシュピーゲルの愉快ないたずら」
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】渡邊一正

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🎵
絞首刑にまでなったいたずら者を愛し博物館を設け、埋葬も。斯くまでドイツ人に愛されるティル・オイゲンシュピール、シュトラウスに曲までつけてもらっている!

⛳なにか追われる感じで、ラグビーのニュース、歓声を聞きながら  7時5分更新

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きょうのことば

先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の講壇をお伝えします。

國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、45年の間、岩手で主のご奉仕をしておられます。

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 1013()の説教題『栄光に満ちた喜び』(説教:國光勝美牧師)
聖書引証:第一ペテロ第一章3~9

1:3私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。 1:4また、朽ちることも、汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これらは、あなたがたのために天に蓄えられています。 1:5あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現わされるように用意されている救いをいただくのです。 1:6そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いましばらくの間、さまざまの試練の中で悲しまなければならないのですが、 1:7試練で試されたあなた方の信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と光栄と誉れをもたらします。 1:8あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びにおどっています。 1:9あなたがたが、信仰の結果であるたましいの救いを得ているからです。

<説教>
(お招きしていた十和田教会の先生が台風19号の影響でいらっしゃることができませんでした。それで國光牧師が富山教会に招かれたときの録音をお聞きすることができました) 

 今日私はここで、自分がクリスチャンになってよかったと思っていること、そしてクリスチャンになったきっかけをお話ししたいと思います。

 私の両親は長野県出身でした。23年ぐらい前になるでしょうか。NHKで山崎豊子原作の「大地の子」が放送されたことがあります。私の両親も満州の新京、いまでいう長春でしょうか、そこに渡りました。私の2歳年上の姉は、長春で生まれております。まさかの敗戦で、両親の話しを聞きますと、大変な苦労をしながら引き揚げて来たようです。

両親は、松本を生活の拠点にしました。わたしは、勝美という名前なので「かっちゃん」と呼ばれておりまして、「大地の子」の主人公がまた「かっちゃん」と呼ばれておりましたが。2歳上の姉はまかり間違うとほんとうに残留孤児になったかもしれないことを思うと、何とも言えない思いになります。

 私の母は、兄弟姉妹がたくさんいる中の長女です。いちばん上に長男がおり、長女である母。母の一番下の弟は「とおる」といいます。長女の母の子どもが私ですので、「とおる」は私と9歳しか違わない私の叔父なのです。叔父さんと呼ぶのは気の毒なので、「とおるにいちゃん」と呼んでいました。

 引き揚げてきた当時、叔父は小学生でした。両親は、松本のすこし山の方にある美ヶ原に行く途中の美鈴湖の辺りに開拓に入っていました。満州から引き揚げてきた人たちが入植していたところです。母の長兄はそこで年老いた父親、それから自分の妻、自分の子どもたち、そしてまだ小学生の叔父が、貧しい開拓の暮らしをしておりました。

 私の両親は浅間温泉に落ち着きました。父が理髪店の資格を持っており、それで生活をしておりました。母が、いちばん下の弟であるとおる兄ちゃんが、お弁当さえ持って学校にいけないような様子を見るに見かね、「あまりに弟が可哀そうだ、手に職を付ければ何とか生きて行けるだろう」と、叔父をこちらの家に引き取りました。

優しいとおる兄ちゃんが来たのです。とおる兄ちゃんは、私をとても可愛がってくれました。貧しい中ではありましたが、とおる兄ちゃんは私たちの家族となりました。

その叔父が頑張って国家試験に通るほどになったとき、接客業であることから健康診断で胸のレントゲンを撮ったところ、影が出ていたのです。彼にとっては大きな出来事でした。姉のところに来て真面目に努力し、希望が見えてきたところで健康で足をすくわれたのです。

ある夜、叔父の隣に蒲団を敷いて寝ていたのですが、「なあ、かつ坊」といって、そう多くあるわけでもないセピア色の写真を手に、俺はあのときこうだったよ、ああだったよと言いながら、何度も「なあ、かつ坊」と話しかけるのです。はじめは興味を持って聞いていたのですが、そのうちつい眠くなって「とおるにいちゃん、眠いよ」と寝てしまいました。後でどんなに眠くともどこまでも話を聞くのだったと悔やまれたのですが。彼はその夜、山の中で薬を飲んで自殺をはかったのです。まだ息のあるうちに見つかり、すぐに松本国立病院に運ばれました。両親も責任を強く感じていました。まだ助かる望みはあると思っていました。大丈夫だったという連絡があるようにと、姉とふたりで、神様、当時はクリスチャンでもありません。仏壇、神棚もありませんが、とにかく手を合わせてどうかとおる兄ちゃん助けてくださいと必死に祈りました。しかし息を引き取ったという電話が入りましてすぐに病院にかけつけました。「ほら、これがとおるだ」とまだ温かい体に触らせてもらいました。私が小学校の5年から6年に移る春休みのときの事でした。

その時から、人が死ぬってこういうことかと。この瓶の薬で簡単に死ねるんだ、なんで生きなくちゃならないんだろうか。歳不相応な疑念がずしんと心の中に投げ込まれました。

そのまま外見的にはふつうに中学に、やがて高校にと進みましたけれども、私の心の中に、何ともいえない、なあに、そんなにして生きる意味はないんだ、苦しければ死ねるんだという思いがいつも頭をもたげます。いやな思いでした。火というとふつうは赤い。それが心の中の火は黒く、チョロチョロと見えるんです。ふとした時に、それがふわーっと燃えてくる。いやだな~、僕はこの黒い火と一生付き合わなくちゃならないのか。自分ではどうしようもないそんな思いがありました。

長野の高校は卒業すれば半分は東京へ、半分は京都へと進学します。私は東京でした。引き揚げて来て息子を東京の大学に出すのに親は大変だったでしょう。大学4年の6月には、音楽が好きでそういう関係に就職を決めました。そして自分のしっかりとした何かを持ちたい、そうすれば世の中に流されずに生きて行けるだろう。そのとき、とおる兄ちゃんの言っていたことが思い出されました。とおる兄ちゃんは、松本にあるキリスト教会の路傍伝道でチラシをもらい、教会に行ったことがあったのです。ところがチラシを家に持ち帰ったところ「耶蘇教になんぞくびを突っ込んじゃいかん!」と叱られたということでした。

私もキリスト教はいいものだということは分かっていました。当時は学生紛争がすごかった。学生が、尊敬すべき先生に三角帽子のようなものを被せて自己批判を迫るような、中国の文化大革命のような様相を呈していました。人間としてそんなことをやっちゃいかんだろう、主張はいろいろあるだろうけれども、これは違う、こんな主義主張は絶対に違う。もう一つ私が思っていたのは、さる学びの中で、キリスト教というものの持っている真実さを矢内原忠雄の著書に見て、これはいい、自分もそういうものを持ちたいということもあって、ちょうど大学4年の11月半ば、お茶の水学生キリスト教会館と呼ばれていた時代に、そこの講演会に行きました。そのチラシをたまたま駅でもらいました。誰から誘われたのでもない、私はいちどこれに向き合ってみたいと集会にいきました。講師はダビッド・マーチン先生でした。この先生は、北陸ですばらしい働きをしておられた宣教師でした。流暢な日本語です。聞いているうちに、「この先生はほんとうのことを本気で話しておられる、これは間違いない」、すばらしいと思いました。ただ宗教に対する恐れ、誤解が私にもあり、来てよかった、けれども信じるのはまた別だ。もうこれでやめておこうと思っていました。ところが司会をしておられた先生が、あれだけたくさんの人がいた中で私に近づいてこられ、「君きのうも来てくれたよね。今日も来てくれてありがとう。あした待っているよ」。
 それでまた最終日に参加しました。すばらしい十字架のメッセージでした。信じるならこれだな、これでいこうと思いました。するとマーチン先生が、「さあ皆さん顔をそのまま伏せていてください。今晩イエス様を信じたいと思う人は私だけ見ていますから手をあげてください」といわれたんです。びっくりでした。後ろの方に座っていたので、会場をみわたしたのです。45人の手があがっています。これだけマーチン先生が一生懸命話されて、ここには100人近い人がいるのに、たった45人はないどろうと私は手をあげたのです。マーチン先生が私のところに来て「おめでとう、あなたは今クリスチャンになったのです」と仰いました。洗礼を受けるとクリスチャンになると思っていた私は、なるほどクリスチャンになるってこういうことなんだとわかりました。

これが私にとっての大きなできごとになりました。聖書を読んだこともなく、キリスト教に関わる知識はほとんどありませんでした。

聖書の中にイエス様と一緒に十字架につけられた強盗のはなしがあります。あのとき、イエス様を中心に十字架にかけられた一人は最後まで悪態をついていた。しかしもう一人は「あなたも私も罪を犯したからこうなるのは当然だ。だけどこの人は、悪いことは何一つしていない。主よ御国に入り給う時我を覚えたまえ」とイエス様という方をわかったわけです。そして自分が罪びとだという事がわかったのです。私もそうでした。聖書が分かったわけじゃない、だけど、イエス様というお方がほんとうに神の愛をあらわしてくださったお方だという事と、私はほんとうに罪びとだという事がわかったのです。そしてあの強盗とおなじように、「おめでとう」と言われたあの時にクリスチャンになったことがわかりました。

帰る電車の中で喜びが湧いてきました。これでよかった、これでよかった。さらに気が付いたのは、あの小学校の時の春休みから一生付き合っていくのかと思われた死への誘いのような黒い火が消えていました。

1:8あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びにおどっています。 1:9あなたがたが、信仰の結果であるたましいの救いを得ているからです。

クリスチャンになるってこんなに簡単なこんなに尊いできごとであったことを思います。一枚のチラシによって私は恵みの世界に入ることができました。

今とおる兄ちゃんの墓は美鈴湖を見下ろす山の中、開拓に入った人たちの墓がそこに集中してあるんですけれども、そこにあります。松本に帰るときには必ずとおる兄ちゃんの墓に行きます。

「とおる兄ちゃん、もしあのとき松本でもらったチラシを持って教会に行っていたら、きっとこういう事にはならなかったよな。だけどそれが私の救いのきっかけにもなった。私が牧師として今このように導かれているのは、一つはとおる兄ちゃんのような人に福音を伝えるためなんだ」と語りかけています。この死を無駄にしたくないという思いがあるからです。どうか皆さんもこの福音をしっかりと捉えて、所属している教会を中心にして生涯歩んでいただけたら、こんなに嬉しいことはありません。

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J-MEROを聴く

J-MERO in 大分 パート1
ゲスト:南こうせつ
特別ゲスト:大分県立芸術文化短期大学&立命館アジア太平洋大学の学生の皆さん

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🎵けさの放送予定は見ていなかったけれども、意外や、南こうせつの登場だった。海外のどのあたりでどんな層に受けることになるのか。
「神田川」「なごり雪」等など、あれだけ大ヒットした理由を、南こうせつは、1970年代は平和、平和と求められた時代から、こんどは身近な人を愛するという時代に移っていたのだという。年輪重ねたこうせつ、バックバンドの変わらぬ切々と、しかしさりげない語り口調の説得力。音域がそう広くないことが、今もって聴く者に齟齬を感じさせずに届けられる要因か。「愛よ急げ」は阿久悠の作詞。阿久悠の死後、ご子息がこうせつに届けたらしい。東日本大震災に因んだ歌。作曲して仙台市若林区にある八軒中学校に送ったところ、振りまでつけて練習してくれていたらしい。それを特別ゲストの大分県立芸術文化短期大学&立命館アジア太平洋大学の学生たちや会場が一体となって熱演、熱唱。
「愛よ急げ、待つ人は近い」、愛を求め助けを求めている人は近いと歌う。
このたびの台風19号の甚大な被害に遭われた方々に急ぎ走って救助に当たられた方々には、ここに怠けてはいないけれども暮らしがふつうにできていることに何か申し訳なさを覚えながら、敬意、尊敬の思いが湧き上がった。

⛳深刻な被害情報が届く日々。すでに台風20号発生。6時40分更新  

 

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2019/10/18クラシック倶楽部を聴く

宮崎国際音楽祭2017 マイスキーとウィーンの仲間たち
201756日 メディキット県民文化センター 演劇ホール(宮崎市)

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この演奏会では、世界的なチェリスト、ミーシャ・マイスキーを中心に、ウィーン・フィルの元コンサート・マスター、ライガー・キュッヒルやウィーン・フィルの現役メンバー、そして、第一線で活躍する日本人の演奏家たちによってアンサンブルが結成されました。豪華なメンバーの演奏で弦楽アンサンブルの醍醐味が味わえるモーツァルトとメンデルスゾーンの室内楽。

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ミーシャマイスキーのコメント
私は常にこれが最後になるかもしれないという気持ちですべてのコンサートを大切に扱っています。「弦楽八重奏曲 変ホ長調 作品20」は、メンデルスゾーンがとても若い頃の作品で、すばらしい曲ですが演奏はとても難しいです。挑戦しがいのある作品ですから、とても楽しみです。私は室内楽が専門家ではありませんが、自分の子どもたちや多くの音楽家とアンサンブルを楽しんでいます。しかしこれほど大きな室内楽作品はめずらしいので、私にとっては大きな挑戦です。
ライナー・キュッヒルのコメント
今日ようやくマイスキー氏と共演する機会を得ました。彼と知り合って35年になります。バーンスタイン指揮のウィーン・フィルでバイオリンのクレーメルとブラームスの二重協奏曲を演奏したときです。今回の共演はそのとき以来のことです。きょうのプログラムはとてもすばらしいものです。このメンバーでモーツァルトとメンデルスゾーンの室内楽を演奏できることは大きな喜びです。

 

曲目

「バイオリンとビオラのための二重奏曲 ト長調 K.423」モーツァルト:作曲
(バイオリン)ライナー・キュッヒル、(ビオラ)ハインリヒ・コル
「弦楽八重奏曲 変ホ長調 作品20」メンデルスゾーン:作曲
(バイオリン)ライナー・キュッヒル、(バイオリン)ダニエル・フロシャウアー、(バイオリン、ウィーン・フィル第一バイオリン首席奏者)漆原啓子、(バイオリン)川田知子、(ビオラ、ウィーン・フィルの首席ビオラ奏者)ハインリヒ・コル、(ビオラ)川崎雅夫、(チェロ)ミーシャ・マイスキー、(チェロ)古川展生

🎵「華麗な重奏」と解説があったがまさしく。食い込んでくる迫真の演奏、超豪華ディナーに与った後のような。

 

🎧名曲アルバム
「ホテル・カリフォルニア」ドン・フェルダーほか作曲、吉俣良・編曲
【ギター】長尾行泰,【指揮】渡邊一正,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

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写真のビル、キャピトルレコードであったか。現在はユニバーサル・ミュージックグループの一部。レコード会社の企画に妥協せざるを得ない屈折を抱えるアーティストたちも。音楽産業の内幕を書いた著書があったかどうか。

⛳あれこれ思い巡らすうちに早7時、中途だけれども、これで更新

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2019/10/17クラシック倶楽部を聴く

デンハーグピアノ五重奏団~古楽器で聴く19世紀の響き~
20172月ハクジュホール

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(冒頭、聴き落し)いまも瑞々しい音を奏でます。こうした楽器を使って作品の魅力を現代によみがえらせる楽団がデンハーグピアノ五重奏団で、編成は、フォルテピアノの小川加恵、バイオリンのバディアロヴァ・朋絵、朝吹園子のビオラ、山本徹のチェロ、角谷朋紀コントラバス。この編成の楽団は世界的にも数少ない存在。なぜならこの編成の作品はシューベルトの「ます」以外にほとんど知られていないからです。しかし彼らは18世紀の終わりから19世紀半ばにかけて30を超える優れた作品がこの編成のために書かれていたことを世界に紹介してきました。その一つがベートーヴェンと同じ時代を生きたフンメルの五重奏曲です。
 デンハーグピアノ五重奏団の響きを特徴づけているものの一つにコントラバスがあります。この楽器は、1760年にウィーンでヨハン・ヨーゼフ・シュタットルバンによって製作されたものを、2007年にクリスティアンネ・ミシュクが忠実に復元したものです。現代の楽器より10センチほど大きく、羊の腸で作られたガット弦が5本、強い張力で張られています。

コントラバスの角谷朋紀のコメント
この大きな楽器を十分に鳴らし切るために、かなり太めの弦が当時から必要だったようで、太い弦を張って楽器から十分に音を引き出すわけですけれども、よりこうはっきりとした、現代のスチール弦に比べて、こういうガット弦というのは、より発音に敏感なんですね。音を出すときの発音のスピードというのが、いろんなこうニュアンスをつけることが可能になってくるというのがすごく特徴的で、あとはフレットもガット弦でできているんですけれども、こういうフレットをつけることによっても音の立ち上がりとか、クリアーさとかがより可能になる。

古楽器ならではの響きにさらに温かみを与えているのがフォルテピアノです。シューベルトの「ます」が作曲された翌年、1820年に作られた。当時の音色を現代に伝える。使用のフォルテピアノはオーストリア・インスブルックの1820年ヨハン・ゲオルク・グレーバー製作。


フォルテピアノの小川加恵のコメント
200年も時を経て、まだ現在のわれわれに当時の音色を聞かせてくれるのは、とても感慨深いものがありますし、やはり当時というのは、フォルテピアノ一台一台に個性のあった時代でして、一台一台をふれることでまるで違う人と会話をしているようなそういった感覚も覚えます。

19世紀前半に書かれたピアノ五重奏というのはフンメルに代表されるような華麗な名人芸を披露するようなピアニストたち兼作曲家の人物によって書かれた作品が多くあります。ですので華麗なピアニスティックなパートであったり、で、弦楽器の方はそれに補強するような形で伴奏をしてくれているんですが、この伴奏付きソナタという音楽ジャンルがあるんですけれども、こちらは18世紀後半から19世紀前半にかけて多くの聴衆が慣れ親しみ、そして出版社もこぞって出版した人気の音楽ジャンルだった。こちらをもとにフンメルは、流行に乗ってそういったエンタテイメント性の要素がいっぱいのそういった作品を書いています。

 

曲目

「五重奏曲 変ホ短調 作品87 から 第1、第3楽章」フンメル:作曲
フンメルは少年時代、モーツァルトにピアノを師事。ベートーベンとはライバル関係にあった。ヨーロッパ随一のピアニストとしても活躍。その作品は華麗な技巧で彩られている。この曲はフンメル23歳の1802年に作曲したと考えられている。
「五重奏曲 イ長調 「ます」 D.667」シューベルト:作曲

🎵丁寧な古楽器の解説に、いよいよ当時の空気感を共有。世界にも数少ない楽の音を。生で聴かずに音楽を語るな、と聞いた気もするが、何の、何の、この楽しさ愉快さは。

 

🎧名曲アルバム
「コンドルは飛んでいく」ロブレス作曲、栗山和樹編曲
【ケーナ】田中健,旭孝,【チャランゴ】田代耕一郎,【ギター】伊丹雅博,【打楽器】三沢またろう,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】円光寺雅彦

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コンドルとなったコンドルカンキの魂はいまも人々を護り

🎵たまにはマチュピチュに翼を休めて、コンドルよ、飛べ! アンデスを縦横無尽に。高く低く果てしなく飛べ!

⛳けさ更新しようとしたところ、題字の打ち込みがうまくゆかず、人の命に関わるわけでもない慌てるな、後でゆっくりとと  で、13時42分の更新。

 

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いかにして神に

 13日(日)に、興味深いお話を聞く機会がありました。集会は午前と午後とありましたが、午後の部での最近洗礼を受けられた信徒Sさんのお話しです。この日は2時ごろに目が覚め、台風19号情報が気になり、1時間ほどTVを見ておりました。深刻な事態に、予定されていたイベントがどうなるか危惧されました。しかしその午後に、勇気の出るお話を聞くことができ、大いに力づけられたことです。

ちょうどレコーダーから起こしたばかり、ご紹介いたします!

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 私がイエス様を私の救い主キリストを受け入れるまでに起こった心の変化と、教会に行くことになった経緯をお話しします。

 2016年の秋ごろに、私は古代文明や古代史が好きで、本やネット検索をしていました。とあるサイトの記事に、聖書のエゼキエル書に古代の飛行船のことが書いてあるとか、創世記に巨人の記述があるとあったので、気になり、確認しようと思いました。しかし、聖書を買ってまで読もうとは思わず、ネット上に口語訳聖書があったので、エゼキエル書を確認しました。確かに飛行船のようなことが書いてあると確認できました。

 読み進めたのですが、内容がチンプンカンプンで、さっぱりわからず、読むのを止め、こんどは創世記の巨人のところを探して読んで、え、これだけ? ほんの数行ですか、そんな気持ちで読みました。確かに巨人のことは書いてありました。その時は、これって、神話だろうと思いました。私のイメージでは、聖書とは人がやってよい事、悪い事等が書いてある指針書みたいな本だろうと思っていました。ところが巨人の箇所が終わって、ノアの洪水の話しが出てきて、ノアの話しって、聖書に書いてあることだったと知りました。洪水の話しはとても興味があったので、最初から聖書を読み始めました。これが聖書を読むことになったきっかけです。

 それから読み始めたのですが、最初は字義通りに読むことや初めて聞く用語があったり、主語が分からなくなったりして、ほとんど理解できずにいました。ある日、旧約聖書を理解したいのであれば、当時の中東の歴史や文化、イスラエルのことがわからないと旧約聖書は難しい本だと知りまして、イスラエルのことや当時の歴史、文化などをネット検索で勉強しながら聖書を読んでました。

 数か月読んでいくうちに、すこしずつ聖書の神のことがわかってきました。私は聖書を読む前から、この世界や人や生き物を創造した何かしらの存在がいると思って生きてきました。ビックバンがあって、地球ができて、微生物からサルに、そして人になったと唱える進化論主義者ではありませんでした。それもあってか、聖書にあるように、神の被造物人間が手で作った神は偶像で虚しいものであることに先ず気づかされました。自分は聖書に書いてある神を受け入れていると感じました。このままユダヤ教信者にでもなるのではないか。それからは神社や仏壇に手を合わせることは止めました。これまで何と自分は空しいことをしていたのかと強く感じました。

 聖書の神が全知全能の神、創造者だと受け入れ信じ始めていました。何度も読み返し勉強しながら、数々の疑問を抱き、夢中に読む日々が続きました。わたしにとって楽しい時間でした。私がいちばん好き、というほどの情報が聖書にあったからです。それは地球の始まりの事です。聖書に出会う前は古代のことをネタにした本を読んだり、ネット検索をして楽しんでました。旧約聖書には地球の誕生、そして人間の誕生。舞台は中東で主役はイスラエル人。神様と人間の関係を記した歴史だと思いました。

 ある日、箴言17節「主を畏れることは知識のはじめ」この聖句が深く心に留まりました。もし自分が死んで、神様と11で会うことを想像したら、ものすごい恐怖を感じました。今までの自分の人生が堕落した生き方。傲慢、放蕩生活。全く神の存在など思う事がない事。聖書の神が忌み嫌う生き方をしてきたことに気づかされつつありました。

 それからというもの、聖書を読んでいて楽しい気持ちから、怖い感情になることが多々ありました。特に箴言を読むと、心が痛く、怖い、怖い、と思うようになりました。

 この時点では、イエス様の存在は全く知らず、旧約聖書だけを読んで新約聖書は読んでいませんでした。読まさらない、気にもならない状態でした。けれども、旧約聖書の内容から、誰かがイスラエルのために来る、与えられることはボヤッと感じておりました。

 ある日、ダニエル書を読んで、週末預言のことが心に留まってるときに、新約聖書のラストのヨハネの黙示録も終末預言だと知って、初めて読みました。読んだ感想は、ダニエル書よりも生々しくリアルに記されていると思いました。これをきっかけに新約聖書を読もうと思いました。

 そして初めて聖書を読む人はマルコの福音書から読むといいというネット情報を見ました。理由は、マタイの福音書だと系図から始まり、カタカナの名前の羅列で萎えてしまう。その情報通りにマルコの福音書から読みました。読む前は旧約聖書と新約聖書は全く違う関係性のない本だと思っていたんですけども、読んでみると、旧約聖書の続くだと理解しました。私は今までイエス様は架空の人物で恐れ多いのですが、仏陀や日本の神、偶像だと思っていました。今までの人生で、私は誰からもイエス様のことを聞くことや教えられることはなく、全く無知でございました。読んで思ったことは、イエス様って実在の人物で話す言葉の力強さ、一言も言い返すこともできない方だと思いました。この方が、旧約聖書でイスラエルのために来ると預言されているかたなのだと知りました。新約は旧約の続きの本だと知り、マタイの福音書から読み始めました。

 ところがマタイの福音書で系図に出てくる人の名前が、知ってる名前ばかりじゃありませんか。そこで思いました。もしかして神様は私に新約聖書を理解しやすいように長い時間をかけて旧約聖書で予習させてくださったのではないかと思いました。

 もうそれからは夢中で読みました。新約を一通り読み終えて、再び旧約聖書を読んだ時、パズルが一気に合わさるような感じを受けました。それ以降旧約聖書を読むと、今まで感じなかったことが起こりました。旧約聖書の神主がイエス様に思えてきたのです。毎日読んでいるうちに心に変化が感じられました。それまでは、旧約聖書を読んで恐怖を感じたり、気持ちがへこんだりしたことがあったんですが、それからは無くなったのです。

 ある日、ルカの福音書233節の「父よ、彼らを御許し下さい。彼らは自分が何をしているか分かっていないのです」。この聖句が、まるで私自身に言っているように心に響きました。これから十字架で殺されようとしている人から、このような言葉が出るとは! 神様の愛を感じました。またある日、マタイの53節、山上の垂訓の場面です。そこを訳語の読み比べをしていたときのこと、口語訳、共同訳、新改訳と読み比べ、最後に文語訳を読んだら涙があふれ出ました。文語調の訳の「幸いなるかな」から始まることばは心に沁みて号泣しました。この頃から聖書を読むと感動に包まれる感じになりました。

 そして、聖書がいっている罪を意識するようになりました。人は死んで裁きを受ける。だが罪を悔い改めてイエス様を信じる人は裁きを受けずに永遠の命を得るということを真剣に考え始めました。そして、イエス様は2000年前にまだ生まれてもいない私の罪のために、身代わりとなって十字架に架かって死んでくれた方だと深く受け止めました。

 これまでに感動した聖句はあまたありましたが、エペソ書簡の14節の「世界の基が据えられる前から選んでおられた」、この聖句で、これまでにない感動で包まれました。この頃だったと思います。イエス様が、私の罪のために死んで墓に葬られ、三日目によみがえり、今は天にいると信じました。

 これが私がイエス様を私の救い主キリストであると受け入れた経緯であります。それからは、主イエス様を救い主であると受け入れて、日々の生活が楽しくなりました。振り返って過去の辛かった時を思うと、神様に自分は守られていたのだなと改めて思い感謝しております。そして今思うと、毎日が楽しく、私は主を喜んでいます。また未来を思うと希望しかなく、この地上生活のわずらわしさはやがて私たちに啓示される栄光に比べれば取るに足りないとまことにまことにそう思うようになり、イエス様を知らない時には思い煩っていたことが多かったんですが、今はそれほど感じなくなりました。

 聖書はいつ読んでもはっと気づかされ、ほっとする本だと思います。

 それから、教会に行こうと思った時の話をします。聖書やイエス様のことを共感したくて妻に話すのですが、今いち温度差があります。このことを共感したい人に出会いたいと思いました。実は自分の聖書知識がネットから出たものなので、理解が間違っていないか知りたくなりました。調べてみると、インマヌエル盛岡キリスト教会がありました。インマヌエルという響きにピンときました。神は共にいる。良い名の教会だなと思っていました。

 ある土曜の夜に、使徒の働きを読んでいるとき、2章のところで胸が熱くなる感じがしました。明日は日曜なので、教会に行ってみようと決意しました。そして次の日、教会へ行きました。2019526日のことです。これが私のイエス様の出会いと、教会との出会いの経緯でございます。イエス様に出会うことができて、まことにまことに感謝して喜んでおります。聞き苦しい点もあったと思いますが、ご視聴ありがとうございました。

 

 

 

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2019/10/16クラシック倶楽部を聴く

ストリング・クワルテットARCO結成20周年記念演奏会
2016年128日 ハクジュホール

 

ストリング・クワルテットARCO1996年に結成された弦楽ス重奏団。メンバーは
第一バイオリン伊藤亮太郎 NHK交響楽団コンサートマスター
第二バイオリン双紙正哉 東京都交響楽団第二バイオリン首席奏者
ビオラ柳瀬省太 読売日本交響楽団ソロビオラ奏者
チェロ古川展生 東京都交響楽団首席チェロ奏者
いずれもオーケストラの首席奏者を務めるほか、ソロや室内楽でも活動している演奏家たち。カルテットはエネルギッシュな演奏に定評があり、2016年結成20っ周年を迎える。

柳瀬のコメント:僕らはそれぞれオーケストラに所属して、別にライフワークとしてカルテットをやってるんですけど、それぞれが他所で色々な事を吸収してやってるから、たまに集まってカルテットをはじめるときにいろんなものを外から得たものをそこで披露するというのは、なかなか常設の団体ではできないことをやってるのかなと思うんです。
双紙のコメント:まず練習量だと思いますね。オーケストラは三日の練習で一回、すごい短いスパンでやる。僕らのカルテットはやはり、一曲に10回とか20回とか合わせをやってそれで曲を理解して、4人の気持ちを合わせて、それで本番に臨むという、気持ちの入れようが全く違う。
伊藤のコメント:学生時代からの友人ということもあり、一緒に4人でやってると学生時代にいつも戻るような気分になります。
古川のコメント:僕たちはカルテット以前に先ずいろんな関係性があったというのは、もしかしたらほかのカルテットにはあまりないことかもしれない。小学校の時からいっしょだったりという。一緒に勉強してきたというあれがあるので、共通言語というかたまにしか集まらないけれどもみんなアプローチは違っても、求めてるものは何かこう共通項がある団体だと思いますね。

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「弦楽四重奏曲 第1番 作品20 から」ヒナステラ:作曲
「弦楽四重奏曲 第1番 ホ短調「わが生涯から」」スメタナ:作曲

🎵ヒナステラ、未知の世界に神経を張り詰めらせ模索させる、聴く者を覚醒し神経を逆立てさせる。終始このリズムに釘付け。
スメタナ、重厚で聴きごたえがあった。

 

🎧
名曲アルバム

「北九州炭坑節」福岡県民謡、日高哲英編曲
【唄】會澤あゆみ,【三味線】本條秀太郎,本條秀五郎,【笛】鳳聲晴久,【鳴物】川島佑介,鼓友緑佳,【はやし詞】千田けい子,天野りえ,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】円光寺雅彦

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⛳きょうは光がさしている。樹木たちも満足げ。 7時ジャスト更新
 

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2019/10/15クラシック倶楽部を聴く

パリ管弦楽団&紀尾井シンフォニエッタ東京の名手たち
20161129日紀尾井ホール
紀尾井シンフォニエッタ東京とパリ管弦楽団のメンバーを中心とする12人のアンサンブルの演奏。

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マーラーは、ウィーン宮廷歌劇場の指揮者・総監督として声楽にも精通していた。この曲でも第4楽章に歌を導入し、ドイツ民謡詩集「少年の魔王の角笛」からの一編を用いた。今回紀尾井シンフォニエッタ東京のコンサートマスター千々岩英一の呼びかけで室内楽を結成、壮大なマーラーの交響曲の室内楽版を指揮者無しで演奏することが実現した。千々岩はパリ管弦楽団の副コンサートマスターも務めている。

 

曲目

「交響曲第4番ト長調」マーラー:作曲、エルヴィン・シュタイン:編曲
(バイオリン)千々岩英一、(バイオリン)井上静香、(ビオラ)篠崎友美、(チェロ)エリック・ピカール、(コントラバス)池松宏、(フルート)ヴィセンス・プラッツ、(オーボエ)蠣崎耕三、(クラリネット)フィリップ・オリヴィエ・ドゥヴォー、(打楽器)綱川淳美、(打楽器)前田啓太、(ハルモニウム)高橋博子、(ピアノ)長尾洋史、(ソプラノ)小林沙羅


🎵マーラーの交響曲の中では小規模であり演奏機会は多かったようだ。4番に室内楽版があったとは。室内楽版といっても、この楽器編成の豊かさはやはりマーラーならではという感じが。第4楽章で小林沙羅が「音楽も地上のそれとは比較にならぬすばらしさ」と夢見るように歌う天国の歌が印象的。演奏に時間を明け渡して解説は控えめだったかなと。天国の食卓の豊かさ、これは天国のすばらしさを象徴的に表しているものかと勝手に、ここは勝手になのだが、現したものかと。それが天国の音楽は、その素晴らしさは至上の喜びをくれるものであろうと思うとわくわくした。ソプラノの部分はボーイソプラノで歌われることもあるようだが、たしかに、もし子どもの純真さが天国を描くとしたら、素晴らしい今一つの世界は、小林氏の表現に通じるものがあるような。「まことに汝らに告ぐ、もし汝ら飜へりて幼児の如くならずば、天国に入るを得じ」という聖言が浮かんだ。対訳は広瀬大介と出ていた。

 

🎧
名曲アルバム

「行進曲“ワシントン・ポスト”“士官候補生”」スーザ作曲、ニウナオミ編曲
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】沼尻竜典

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🎵スーザは13歳で海兵隊軍楽隊に入隊、軍楽隊で育まれ優れた指導者となり作曲家となった。スーザ・フォンという楽器の考案も。「ワシントン・ポスト」はワシントンにある新聞社の創立80周年のために作曲、「士官候補生」は、ワシントンの高校のマーチング隊に捧げられている。スーザのこれらの曲、軍楽マーチといえるのか、とにかく聴くと元気が出る。人を元気づける才能に敬意。

⛳途中コーヒーブレイクを入れ、旅番組もちょっと。  で、7時13分更新

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2019/10/14クラシック倶楽部を聴く

バボラーク・アンサンブル 演奏会
(ホルン)ラデク・バボラーク、(室内楽)バボラーク・アンサンブル
20161126日 第一生命ホール

 

 チェコ・パルドビツエ出身のラデク・バボラークは1994年ミュンヘン国際音楽コンクールに18歳で優勝。ベルリン。フィルなど著名なオーケストラと共演。ソリストとして活躍する一方、さまざまなアンサンブルを結成。チェコ・シンフォニエッタでは指揮者としても活躍するなど若いながらチェコの音楽界を牽引する存在。そのバボラークがチェコの音楽仲間を中心に結成したのがバボラーク・アンサンブル。それぞれがソロやオーケストラで活躍している実力派ぞろいのアンサンブル。
演奏会ではホルン協奏曲主要4作品に挑む。この放送では3作品とアンコール曲を紹介。

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ラデク・バボラークのコメント
 モーツァルトはホルンのための作品をたくさん残しています。協奏曲ではピアノやバイオリンに次いでホルンの作品が多いことは嬉しいことです。彼はホルンにオーケストラのためだけではなく、ソロとしての可能性を見出したのです。モーツァルトはホルンの豊かな音色を利用し、協奏曲に三つのキャラクターを使い分けています。第一楽章では古典的なソナタ形式。第2楽章ではゆったりとしたノクターンのロマンス。当時狩りの楽器でしかなかったホルンがここで叙情的な表情を見せたのです。そして第3楽章に軽快な8分の6拍子で伝統的な狩りの雰囲気を表現しています。これらのさまざまな表情を聴衆は一度に楽しむことができるのです。これこそがモーツァルトの魅力です。誰もがその曲に恋してしまいます。
 8歳ではじめてホルンを手にした時から、ホルンは私の日常のパートナーです。40歳になった今、もう私の人生とは切っても切れない関係になっています。ホルンを吹くのに適した体にも恵まれました。ホルンのない人生は想像もできません。音楽がないのと同じです。8歳からともに歩んでいるので、もう道連れです。

曲目

「ホルン五重奏曲 変ホ長調 K.407モーツァルト:作曲
「ホルン協奏曲 第4番 変ホ長調 K.495モーツァルト:作曲
「ホルン協奏曲 第3番 変ホ長調 K.447モーツァルト:作曲
モーツァルトのホルン協奏曲の中でもっとも最も充実した作品。第3番と第4番のカデンツァは、バボラークのオリジナル。
「アヴェ・ヴェルム・コルプス K.618モーツァルト:作曲

 

🎧名曲アルバム
「バラード第4番」ショパン作曲
【ピアノ】津田裕也

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サンドの館にあったときに、ショパンは世界遺産となる多くの作品をのこしたようだ。

⛳解説、画像ともにクラシック倶楽部からの転載  6時56分更新

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きょうのことば

TVで先ほど多摩川の氾濫がつたえられた。全国各地で河川氾濫。ダムの緊急放流が。いま岩手に大雨特別警報が。
LED街灯に照らされた樹木が、地鳴りをはらんだような風に煽られ低木が苦し気に上下、高木は葉を千切られそうに煽られている。
恐ろしい事態だ。緊急には避難できるような準備はしておいてある。

停電とならぬうちに更新しておこう。

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「聖書の無料画像」の画像検索結果

先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の講壇をお伝えします。
國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、45年の間、岩手で主のご奉仕をしておられます。

 106()の説教題『福音への招待』(説教:國光勝美牧師)
聖書引証:マタイ伝22114

<説教>

22:1イエスは彼らに対し、再びたとえをもって話された。 22:2「天の御国は、自分の息子のために、結婚の披露宴を催した王にたとえることができます。

22:3王は披露宴に招待した客を呼びにしもべたちを遣わしたが、彼らは来ようとしなかった。 22:4それで再び、次のように言って、別のしもべたちを遣わした。『招待した客にこう言いなさい。「私は食事を用意しました。私の雄牛や肥えた家畜を屠り、何もかも整いました。どうぞ披露宴においでください」と。』 22:5ところが彼らは気にもかけず、ある者は自分の畑に、別の者は自分の商売に出て行き、 22:6残りの者たちは、王のしもべたちを捕まえて侮辱し、殺してしまった。 22:7王は怒って軍隊を送り、その人殺しどもを滅ぼして、彼らの町を焼き払った。 22:8それから王はしもべたちに言った。『披露宴の用意はできているが、招待した人たちはふさわしくなかった。 22:9だから大通りに行って、出会った人をみな披露宴に招きなさい。』 22:10しもべたちは、通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った人をみな集めたので、披露宴は客でいっぱいになった。 22:11王が客たちを見ようとして入って来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない人が一人いた。 22:12王はその人に言った。『友よ。どうして婚礼の礼服を着ないで、ここに入って来たのか。』しかし、彼は黙っていた。 22:13そこで、王は召使いたちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇に放り出せ。この男はそこで泣いて歯ぎしりすることになる。』

22:14招かれる人は多いが、選ばれる人は少ないのです。」

 

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<説教>

きょうは、エペソ人の手紙からちょっと外れまして、こんどの聖日への備えとしてこのマタイの福音書22章をお開きしましたが、前回のところも簡単に見ていきたいと思います。

教会は見えない神様を中心に礼拝、交わり、奉仕、そして正しい教理、聖書の教え、そしてまたこれを多くの方々にお伝えする働きをする、見えざる神様を私たちに見える具体的な生活をするところであり、このようにして一つ一つ組み合わされていくのです。このように前回は締めくくらせていただきました。

 

さて、いよいよ今日のところです。

福音への招待は、「大いなる招き」という言葉で表すこともできます。
皆さん、マタイの福音書22章をお開きですね。ここに「22:2天の御国は、自分の息子のために、結婚の披露宴を催した王にたとえることができます。」とございます。
 披露宴にお客さんを招待したのです。ところが彼らは来ようとしなかった。それで再び別のしもべたちが遣わされて、「さあいらっしゃい、ぜんぶ準備ができましたから」と言ったのですけれども、彼らはその招待を気にもかけず、自分の畑の方に行った。つまりこの世の中の様々な事柄に時を費やして、何とあまつさえ招待に遣わされたしもべを怒って殺してしまった。このような有様です。これもまた詳しく見ていきますが、「大いなる招き」というときに、ちょっとルカの福音書の方も開いていただきたいのです。

 ルカ伝の1415節からを見ますと、
14
15イエスとともに食卓に着いていた客の一人はこれを聞いて、イエスに言った。「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」。1416するとイエスは彼にこう言われた。「ある人が盛大な宴会を催し、大勢の人を招いた。1417宴会の時刻になったのでしもべを遣わし、招いていた人たちに、『さあおいでください。もう用意ができましたから』と言った。1418ところがみな同じように断り始めた。最初の人はこう言った。『畑を買ったので、見に行かなければなりません…』」1419別の人はこう言った。「5くびきの牛を買ったので、それを試しに行くところです…』。ひとくびきを2頭とすると、10頭の牛をみるために行きたくない。また1420また、別の人はこう言った。『結婚したので、行くことができません。』こう言って誰も応じなかった。それで「1421家の主人は怒って、そのしもべに言った。『急いで町の大通りや路地に出て行って、貧しい人たち、からだの不自由な人たち、目の見えない人たち、足の不自由な人たちをここに連れて来なさい』」。とにかくたくさんの人を招くようにと命じたのです。

 実はマタイの22章にも同じような招きがあります。基本的には、同じ内容を別のたとえで語っておられるとみて差し支えありません。どちらの引証でも同じ内容のメッセージはできるのですが、しかし、明らかに違う、或いはもっとはっきり言えるのは、きょう開いたマタイの方は、王子様の披露宴であります。そこに留意しながら、マタイの22章の方から、内容を探っていきたく願っております。

ご覧いただいてお分かりの通り、大きな披露宴が催されましたけれども、遣わされた人の招きに対して、225節、彼らは気にもかけず、ある者は自分の畑に、別の者は自分の商売に出ていった。そして6「残りの者たちは、さあおいでくださいと言った王の僕たちを捕まえて、この僕を侮辱して殺してしまった。」これは王に対する決定的な反旗の翻しです。
そこで7節、「王様の怒りが軍隊を送って、その人殺しどもを滅ぼして彼らのまちを焼き払った」、こう、マタイの方には出ております。

 皆さん方は、たぶんお分かりになると思いますが、これは招かれていた人たちは誰かというとユダヤ人達だったのです。王様からの招待を受けるにふさわしいものは、それはアブラハムの末、選民イスラエル、彼らこそ神様の祝福を受けるにふさわしい、そういう輩でありました。そして、王子の婚宴、これはまさにメシヤ、大いなる婚宴を催すというテサロニケの、きょうは開きませんけれども、子羊の婚宴の席を思い起こさせる内容でありますが、いよいよ待ち望んでいた、あなた方が待ち望んでいたメシヤが来ました。このすばらしい福音を、ユダヤ人たちにこの招きを伝えたのですけれども、「あんなのはキリストじゃない。だれがキリストであるもんか」と拒絶します。せっかくイエス様が、「神の国があなた方に近づいた」と言ったにもかかわらず、イエス・キリストを拒絶してしまった。何回もイエス様が、「神様は忍耐をもって幾たび呼び集めたことだろうか」とイエス様は、十字架を前にしておられた最後の時に、「ああ、エルサレム、エルサレム、幾たびわたしはあなたを守ろうと招こうと、呼んだことであろうか。けれどもあなた方は聞かなかった」といって、結局最終的にイエス様を拒絶してしまったという、そのことをまさに預言している場所であります。さらに繰り返すようですけれども、この前半の部分822:8それから王はしもべたちに言った。『披露宴の用意はできているが、招待した人たちはふさわしくなかった。

こうして、イスラエルの人達はこの招きには与ることはできなかった。これが22章の前半の部分です。

きょう私たちは、それを踏まえたうえで、9節からのところを見ていきたいと思います。
22:9だから大通りに行って、出会った人をみな披露宴に招きなさい。

「大いなる招き」というように、私は、この部分をまとめたいと思うのですけれども、それは何かというと、それは王様からの招きであるという事です。そして2番目に祝福の招きである。そして3番目に、全ての人への招きである。大いなる招き、実は福音というのは、大いなる招きがその根本にあります。他の教え、宗教は、私にはわかりません。しかし、私たちが寄って持って立っているこの福音は何かというと、さあ、いらっしゃい。準備はできていますよ。渇いている者は来なさい。
「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさい。わたしがあなた方を休ませてあげます。来なさい。」。まさしくこのことなのです。

王様からの豊かな招きがある。そしてこれは祝福への招きである。
「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさい。」
 だから大通りで出会った人はみな披露宴に招きなさい。そして、この大いなる招きは、もうすでに整っている。すべてのものが準備完了しているということです。そしてもう一つ大切なことは、招きがあったという事ですけれども、聖霊の招きがあった。しもべたちが行きました。大通りで出会った人はみな披露宴に招いた。そうです。聖霊様は私たち一人ひとりに豊かに招きを語りかけてくださるお方です。そして、この聖霊はまず最初に、私たちに、さああなたは今どこにいるのですかと問いかけます。そのままでいいんですか、と自分自身の今の状態をはたと気づかせてくださる。

ちょうど放蕩息子のたとえ話があります。皆さん、頭に思い浮かべることがおできになると思います。
 私のお父さんの家には食物が余りある。そんな私のお父さんの家だけれども息子である私は、ほんとうに身を持ち崩して、豚の食べる餌を食べ物にしなければならないような状態にある。ああ、このままではいけないとその息子ははたと気が付く。そのところを見させていただきました。

 2章でいうのならば、遣わされた僕たち、大通りにいって出会った人たちをみな披露宴に招きなさい。今回は今までのように戸別配布を大々的におこなうことは物理的にはしておりませんけれども、しかし私たちにできることを主はご存知です。

 チラシを抱えて種入れを持って、そして、出ていきました。それは主のためのご奉仕をさせて頂く喜びでもある、特権でもありました。この「大通り」の意味ですが、固有名詞からは、日本では銀座のような、たくさんの人が溢れているようなところなのかと漠然と想像してしまいますけれども、あるコメントをみましたところ、この当時の「大通り」というのは、貧民窟のようなところとありました。それが的を得ているかどうか、それはわかりません。もしかしたらそれこそ銀座のような大通りであったかもしれませんけれども、そしてそう理解して少しもさしつかえないのすけれども。それこそ、山谷といわれるようなところなのでしょうか。ホームレスの人たちがいっぱいいるような、そこがこの大通りというところ、人があまり意識しないようなそんなところがここでいっている大通りなのだというコメントを見たときに、はたと自分の先入観といいますか、それを気づき直されるというか、気づきを与えていただきました。

 この人ならばというのではなく、みんなから見捨てられているような、そんなところにでも行って招いてきなさい。聖霊様は、私たちを遣わしてくださいます。どうぞこの思いを持って残る1週間、種入れを携えてこの主のご命令、御想いを自分のものと受け留めさせていただきたいと、このように思うのです。

 さて、主の招きを受けた人たちのことが10節以降にあります。「もべは通りに出て行って、良い人でも悪い人でも、出会った人をみな集めたので、披露宴は客でいっぱいになった」とある。よく年末になると、神様の使命と心得、炊き出しでホームレスの人たちに、食べる者を差し上げる、そのような善的な働きをするときに、たくさんの人たちが列を作って並ぶという光景をニュースなどで見たことがありますが、そのようにとにかく、「さあ、あなたのためにすべての準備ができています。」

そして招いたところ、披露宴は客でいっぱいになった。この披露宴というのは、どんな食事だったのでしょう。それはパン一つのようなことでは決してない、王様の、王子の披露宴の食事です。私たちでいうのならば、罪が赦され、神の子とせられ、あの放蕩息子が、父の家にもどったときに受けたあの大歓迎、それとまったく同じであって、それ以下であるはずはありません。それらのものがぜんぶ備えられている。しかし、選ばれる人は少ない。

11節「22:11王が客たちを見ようとして入って来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない人が一人いた。 22:12王はその人に言った。『友よ。どうして婚礼の礼服を着ないで、ここに入って来たのか。』しかし、彼は黙っていた。 22:13そこで、王は召使いたちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇に放り出せ。この男はそこで泣いて歯ぎしりすることになる。』

22:14招かれる人は多いが、選ばれる人は少ないのです。」

 この人は、どういう人でしょうか。友よ、と呼びかけられています。この当時披露宴の入り口には、その披露宴を催す主催者が、招かれた人たち用に、きちんと婚姻出席用の礼服を準備してある。それがその当時のしきたりであったそうです。あるところを見ると、「その入り口には」というふうに書いてあるところもありました。或いはもしかすると、しもべがそれをもってその人の家に行ったのかもしれない。でも少なくともこの大通りにいって、或いは貧民窟に行って、さあいらっしゃい、招かれていますよと言う場合にはその家に持っていくということはありませんから、とにかく、招かれたその人たちの礼服が主催者の責任においてきちんと入口に備えられていた。そして入ってきた、大通りから集められた多くの人たちは、聖霊の働きによって、自分の置かれている実態を照らされ、そして悔い改めて、ああこんなすばらしい恵みをといって神様に感謝しながら、それを礼服として受けて入っていくのです。

 しかし、結果的に選ばれなかったこの人は、自分の正しさ、自分の価値観、それを優先して、つまり、こんな既成の神様が準備して下さった礼服なんかいやだ、自分は自分の主義を貫き通す。それで他の人たちとは違った、私こそこれに出席するのにふさわしいものでありましょうというプライドをもって、この人は行ったのかもしれない。決してよれよれのものを着て行ったはずではないと思います。自分なりの在り方でいったでしょう。しかし、王様は仰いました。王様は自分の御子イエス様の十字架の贖いというあのすばらしいキリストの十字架の救いというものを準備して、そして、さあ、これによってあなたの罪はきよめられ、赦され、きよめられ、これを着ることによって、これを自分のものに受けることによって、あなたは、王の王子の披露宴に入ることができる。多くの者たちは、かたじけなく思いながらこれを受けている。しかし、この人は、そんなものはいらない、自分のもので行くとやってきたその結末は、

22:13そこで、王は召使いたちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇に放り出せ。』
 神様の御愛を彼は真っ向から否定した男です。「この男はそこで泣いて歯ぎしりすることになる。」
 そうです。「歯ぎしりすることになる」、「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」

 天国はその意味で、狭い門かもしれません。多くの者は招かれますけれども、しかし、狭い門をくぐる、それは神様が備えてくださったこのキリストの十字架の救いというただこの一つによるのであり、これ以外のものは決して披露宴に入ることのできないものなのだ、このことを御前に覚えながら、多くの方々にご案内し、お救いの恵に与らせていただきたいと心から願うことであります。

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台風19号近づく庭の気配

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 6時半活動開始のけさ、J-MEROも見逃し、1年ぶりの遅い起床。思えば1年間、よく5時前に起きていたものと思う。目覚ましを使ったことは一度もなく、時としては何者かに起こされているという感じがしていたが。もうそろそろゆっくりしなさいとの天の勧めか。

 それにしても気になるのは台風19号。今朝がた2時ごろに目が覚め、状況を見ていたけれども、関東圏が危ぶまれる。無事を祈った。

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2019/10/11クラシック倶楽部を聴く

ジャン・チャクムル ピアノ・リサイタル
201985日 すみだトリフォニーホール で収録

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ジャン・チャクムルは1997年にトルコのアンカラ生まれ。5歳頃から地方の音楽学校でピアノを習い始める。高校卒業後、パリのストラ・カントルムでマルセラ・クルデリに師事。2014年に首席で卒業。その後、トルコ、イギリス、オランダ、日本などで演奏。20018年の第10回浜松国際ピアノコンクールで優勝。

ジャン・チャクムルのコメント
ピアノとの出会い

両親の影響で幼い頃からクラシック音楽に親しみました。演奏会には欠かさずに行きました。ときには週に何度も。そうするうちに5歳か6歳の頃ギターを弾きたくなりました。地元の音楽学校へ通いましたが、ギターには手が小さかったのでピアノを始めました。ギターは忘れました。12歳頃から講習会に参加したりコンクールに出場するうちに、これがやりたいことだと思いました。
浜松国際ピアノコンクールについて
コンクールで優勝するのは大変なことです。参加者たちは大きな負荷のかかる3週間を過ごしました。一方で皆の間には仲間意識がめばえ、これは運命だったんだと思います。
演奏で大切にしていること
演奏家はコンサート中は特に情緒や感覚をそれほど重視しません。フレーズの開始やアクセントの位置、和音の解決などを現実的に考えます。音楽を正しく理解し伝えれば自然と意味が生まれます。演奏家が音楽に意味を吹き込むのではありません。正しい文法で弾けば音楽は自ずと立ち上がります。練習や準備を重ねてそこを理解できるようにするのです。音楽の意味を理解することと、ひらめきで弾くのとは違います。

曲目

☆「幻想曲 嬰ヘ短調 作品28「スコットランド・ソナタ」」、メンデルスゾーン:作曲
メンデルスゾーンは1828年頃からこの曲を書き始めたといわれている。1830年に以前から交流のあった文豪ゲーテを訪問し披露された。
「ピアノ・ソナタ 変ホ長調 D568」シューベルト:作曲
「組曲「野外で」」バルトーク:作曲
バルトークは祖国ハンガリーの民俗音楽を用いた作品を多く生み出した。屋外での情景や光景が描かれており、自然を愛したバルトークの一面を強く示した作品である。

🎵「組曲「野外で」」の「夜の音楽」、静寂の奥から無意識の広く深い世界から湧出し、聞こえてくるような一音一音の妙。意識と無意識の狭間に浮かび映じては消えるかの音。そして現実世界に覚醒され躍り出てくる響きが印象的。
ジャン・チャクムルの使用ピアノは「SHIGERU KAWAI」でした。

 

🎧名曲アルバム
「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」R.シュトラウス作曲
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】渡邊一正

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⛳7時 更新

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2019/10/10クラシック倶楽部を聴く

深沢亮子 ピアノ・リサイタル
2017517日 浜離宮朝日ホール

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深沢亮子
1938年千葉県東金市出身。15歳のとき、日本音楽コンクールで入賞。その後ウィーン国立音楽大学で学び1961年ジュネーブ国際音楽コンクールで入賞。以来ヨーロッパをはじめ世界各国で演奏活動を行う中、日本の現代作品の紹介を積極的に行う。60年以上の長きにわたり、国際的なピアニストとして活動を続けている。
コメント
子どものころから好きで、両親も教えてくれまして、そういう雰囲気が家にありましたので、それがあたりまえのような感じで、戦後みんな親戚中集まってホームコンサートをしたり、今はどこでも皆さんしてらっしゃる。あの時代はあまりなかったようです。そういう中で育って、ピアノやらなきゃいけないというあれはないですね。いつの間にか好きで両親から教わって弾いてたという感じで、それがいまだに続いているわけなんですけど、私にとってはほんとうに大事な何でも話せるお友達みたいなものでしょうか。ピアノによってすべて慰められたり元気づけられたりしますしね、いろんなことがあってもね。だから音楽がそういう力も持ってますからね、ひとりでも多くの方々が音楽を好きになってくださるといいなという気持ちがいつもありまして、そういう意味もあって、曲目を選ぶときなんかも多少そんなことを考えながら組むようにしております。
 助川さんとの出会いについては、31歳ぐらいの時だったと思います。突然、助川さんからピアノのためのタペストリーという長大な難曲、30分もかかる曲だったんですけど、弾いてくれないかと仰って、先生も何度か家に来てくださって色々なご注意を教えてくださったりしてね、やっぱり生きている作曲家の方から直接教えて頂けるというのはとても得難いことで、とてもいろんな意味で勉強になりました。本当に何かこう、天国から音が舞い降りてくるような、ほんとうに精神的な美しい音楽をたくさんお書きになって、色んな曲をやらせて頂いて、とても教えていただくこと多かったですね。

 

曲目
☆「やさしいピアノ小曲集「ちいさな四季」から 「だれか呼んでる どこからなの」」助川敏弥:作曲
☆「やさしいピアノ小曲集「ちいさな四季」から 「秋の谷川」」助川敏弥:作曲
☆「やさしいピアノ小曲集「ちいさな四季」から 「暮れる谷川 石がなる」」助川敏弥:作曲
「花の舞」助川敏弥:作曲
「松雪草」助川敏弥:作曲
「山水図」助川敏弥:作曲
円山応挙の日本画や日本の伝統楽器からこの作品の着想を得た。1978年作曲、深沢亮子が初演。
「ピアノ・ソナタ ハ長調 K.330」モーツァルト:作曲
「厳格な変奏曲 ニ短調 作品54」メンデルスゾーン:作曲
☆「無言歌 第5巻から 「春の歌」 作品626」メンデルスゾーン:作曲、ラングレー:編曲

🎵助川氏の作品、ピュアで瑞々しい。「山水図」、日本画の持つ空間が感じられる。奔流かと思われる響き、これがシンプル、極力控えめな音なのだが、むしろそれが内なる激しさを想起させる。この効果がふしぎだ。さいごには滴が穏やかな間合いをもって一粒ひとつぶとしたたる。見事だと思った。

🎧名曲アルバム
「孤児院のミサ曲」モーツァルト作曲
【ソプラノ】安井陽子,【アルト】加納悦子,【テノール】小原啓楼,【合唱】東京混声合唱団,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】梅田俊明

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⛳窓外は明るい日差し。7時4分更新

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2019/10/9クラシック倶楽部を聴く

高橋悠治 in NHK~時代を超えて 音楽の輪を回す~
2017121 NHK101スタジオ

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高橋悠治
コメント:
高橋悠治です。作曲をしてピアノを弾いています。1960年から現代音楽の専門のピアニストになり、その後アメリカに住んでいたころから、少しずつクラシックの曲を弾くことになりました。最近は、バリトンサックスの栃尾克樹さん、メゾソプラノの波多野睦美さんと3人で、「風ぐるま」というユニットを作ってコンサートをしています。ソロ、デュオ、トリオを組み合わせたプログラムで、17世紀バロックの音楽や20世紀の歌曲など、それに新しく作曲した曲もあります。今回のプログラムは、これまでに作曲した曲と、それにつながるクラシックの曲を幾つか詰めてみました。
 先ず、永瀬清子の詩に作曲した「あけがたにくる人よ」です。永瀬清子は岡山で、畑仕事をしながら詩を書いていました。「あけがたにくる人よ」は198781歳のときの詩です。ピアノパートは、「デデッポッポー」という日本のキジバトとシェーンベルクの「グレの歌」にあるヨーロッパのヤマバトの啼き声の引用を組み合わせています。
 シューベルトは1825年に、スコットランドの詩人ウォルター・スコットの叙事詩「湖上の美人」による歌曲集を作っています。その中で、貴族の娘エレンが歌う「エレンの歌 第2番 「憩え猟師よ」」と「エレンの歌 第3番 「アヴェ・マリア」」は初版の楽譜では英語で歌えるように作曲しています。今回は英語で演奏します。
 いまの「エレンの歌」と同じ年に歌曲集「冬の旅」も作られています。その時代のウィーンは、メッテルニヒの独裁体制のもとで、シューベルトもシューベルトの友人たちの集いも警察に監視され、歌詞のある音楽はすべて検閲されていました。シューベルトは友人に送った手紙で、暗い時代に生きる運命を嘆いています。そこに添えた自作の詩「民衆に訴える」に新しく作曲してみました。
(「膀胱結石手術図」「網膜裂孔」「眠り」「バッハと歩哨」は録り逃し。概略は)
 闇の中で作曲詞を眺めながら、昔聴いたバッハの前奏曲を思い出しています。バッハの名前Bachのドイツ音名を前奏にして、その詞に作曲してみました。そしてその前奏曲は、どの曲かわかりませんが、ここでは「平均律クラヴィーア曲集 第1巻 第6番 二短調」を演奏します。
 音楽は、記憶と希望を呼び覚ますこともある。音楽のある場所で人はひとりでないことを感じます。

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曲目

「あけがたにくる人よ」永瀬清子:作詞、高橋悠治:作曲
(歌)波多野睦美、(ピアノ)高橋悠治
☆「エレンの歌 第2「憩え猟師よ」」スコット:作詞、シューベルト:作曲
(歌)波多野睦美、(ピアノ)高橋悠治
☆「エレンの歌 第3「アヴェ・マリア」」スコット:作詞、シューベルト:作曲
(歌)波多野睦美、(ピアノ)高橋悠治
「民衆に訴える」シューベルト:作詞、高橋悠治:作曲
(歌)波多野睦美、(ピアノ)高橋悠治
「膀胱結石手術図」マレ:作曲、高橋悠治:編曲
(声)波多野睦美、(バリトンサックス)栃尾克樹、(ピアノ)高橋悠治
「網膜裂孔」高橋悠治:作曲
(声)波多野睦美、(バリトンサックス)栃尾克樹
「眠り」フレッチャー:作詞、ガーニー:作曲
(歌)波多野睦美、(ピアノ)高橋悠治
「バッハと歩哨」ガーニー:作詞、高橋悠治:作曲
(歌)波多野睦美、(ピアノ)高橋悠治
「平均律クラヴィーア曲集 第1巻 第6番 二短調」バッハ:作曲

🎵以前に聴いたときは「膀胱結石手術」にショック。今回「網膜裂孔」、眼を閉じた中で行われている施術のさまが、とつとつと。そのとつとつに不安、戸惑い、安らかさが。サックスでこんな細やかな感情表現が。内容の濃いきょうのプログラム。前にも書いたかもしれないが、永瀬さん81歳の詩作。自分の思いには反した一生を、詩にすることによって否定的な人生に明るみを与えたという感じが。無意味な人生なんてない、そんな気がした。シューベルトの意外な一側面。すべての歌詞が検閲を受けた時代に「ただ歌だけが運命に立ち向かう力をくれる」という詩を高橋氏が翻訳、作曲している。何れ全プログラムが非常に興味深い内容。おもしろかった。
 

 

🎧名曲アルバム
「アラベスク」ドビュッシー作曲、加藤昌則・編曲

【ピアノ】萩原麻未,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】

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「アラベスク」はオリエント文化からの影響が色濃いという。

⛳とにかく忙しいきょう、来客、電話で中断、中断、中断

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2019/10/8クラシック倶楽部を聴く

ロナルド・ブラウティハム フォルテ・ピアノ・リサイタル
201727日 トッパンホール

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ロナルド・ブラウティハム
オランダを代表する演奏家。アムステルダムとロンドンでピアノを学び、ルドルフ・ゼルキンに師事。ピアニストとして活躍する一方で、フォルテピアノに情熱を傾ける。フォルテピアノはハイドンやモーツァルトの時代18世紀に使われていた鍵盤楽器。ブラウティハムはフォルテピアノの録音に意欲的に取り組み、古楽アンサンブルと共演に取組む。「キング・オブ・フォルテピアノ」と評される活躍を続けている。

ロナルド・ブラウティハムのコメント
フォルテピアノとの出会いは?

1980年代後半、モダンピアノでモーツァルトのソナタを演奏するごとに疑問を持ちました。自分の演奏する音が好きになれず試行錯誤しました。偶然にピアノ製作者ポール・マクナルティと出会い…この楽器も彼が製作したものです。この楽器でモーツァルトを弾き、答えが出ました。
モダンピアノとフォルテピアノの違いは?
大きく違う点は、モダンピアノの演奏には腕や肩の動きが重要です。苦しさは感じませんが、より強い身体が必要です。一方、フォルテピアノは、指によるアタックの強さとタッチの速度が大切です。モーツァルトが書いたスケールやアルペジオは、フォルテピアノで演奏すると身体がリラックスし、音がより軽く歯切れよく刺激的になります。少し速く弾けるので音楽が際立つのです。楽器の選択は、演奏者がどのように弾きたいか…なのです。モーツァルトをモダンピアノで弾くと華麗ですが、フォルテピアノだと刺激的で若々しく愛らしい。
フォルテピアノへの思いは?
フォルテピアノを弾くと、モーツァルトになったようで、彼と強い絆を感じます。フォルテピアノはペダルではなく膝を使います。モーツァルトも私と同じように演奏していました。作曲家に一歩近づくことで、音楽の真実に近づこうと努力しています。フォルテピアノを弾く醍醐味は、その一歩を後押ししてくれることです。

 

楽曲
「ピアノ・ソナタ ト長調 K283モーツァルト:作曲
モーツァルト19歳の作曲。6曲のピアノソナタのうちの1曲。彼の演奏楽器がチェンバロからフォルテピアノアに移り変わる時期の作品。
「ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 作品13「悲愴(ひそう)」」ベートーベン:作曲
ベートーベンがピアノソナタにはじめて標題をつけた作品。「悲そう」は若きベートーベンの憂いに満ちている。ベートーベンはこのソナタを理解するために、シェークスピアの「テンペスト」を読むようにと弟子に語ったという。テンペストとは英語で「嵐」や「激動」を意味する。
「ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 作品312ベートーベン:作曲
「エリーゼのために」ベートーベン:作曲

🎵落涙。大音量を求めたい部分では一抹の物足りなさがあり、また繊細な部分ではさざめきがより昇華されて明るく映える感じなのだが、これは楽器の性格上のもので、しかし、それらを超えて、楽器から醸されるその時代特有の空気感が作曲者をより身近に感じさせてくれる。聴く者を終始息も継がせず釘付けにする。ホンモノを聴いたという実感が。以前にも聴いているが今回の方がより理解、納得できた。

 

🎧名曲アルバム
「交響曲 告別」ハイドン
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】外山雄三

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⛳忙しいそがしで、タイムリミット。7時11分更新

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2019/10/7クラシック倶楽部

高橋礼恵&ビョルン・レーマン ピアノ・デュオ・リサイタル
2017922日 ハクジュホール(東京)

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高橋礼恵&ビョルン・レーマン
ともにベルリン芸術大学に学び、2009年にピアノ・デュオを結成。それぞれソリストとして活躍する一方でデュオとしても積極的にヨーロッパやアジアで演奏。作曲者や編曲者、そして曲の構造などにもこだわって選んだ作品を、緻密で完成度の高いアンサンブルで聴かせるなど注目を集めている。実生活でのご夫婦のふたりは、結婚を機にお互いの音楽性への理解が一層増したと語っている。

高橋礼恵のコメント
私たち二人ともベルリン芸術大学でヘルヴィッツ先生という同じ先生のところで学んでいたんですけれども、その時にやはりたくさん仲間がいまして、みんなでお互い音楽を演奏し合ったり、音楽について話したりですとか、音楽を聴いたりということをよくやっていまして、その仲間の中から自然にピアノの連弾ですとか、2台ピアノというのはほんとうにすばらしいレパートリーが非常にたくさんあることになって、まあそこで自然に一緒にいろいろ試して弾いてみるようになりました。
ピアノ独奏と連弾の違いは、打鍵が弦楽器などと一緒に弾くのと違って、ポンと点で打点が出ますので、それを揃えることが、打点を揃えるということが最初とても難しくて、タイミングとか呼吸を習得するのはわりに時間がかかりました。バランスというのも一人で弾くのとは違いまして、たとえば一人で弾いていると上のメロディーを際立たせるとか、和音を弾く場合も両手のバランスというのがだいたい概ね決まってきてはいるんですけれども、それがやはり二人で弾く場合、私がたとえばバスを弾くとなると、やはり右手の部分というのは、テノールとか、内声をつかさどることになるので、そこを上の声部を弾いている人のたとえば左の手のパートとうまく混じり合わせて、全体がちょうどよく混じり合うというバランスの作り方がまたソロとは全く違うなあと思います。聴き方というのが、やはり4本の手の全体の響きを聴きながら弾かなければいけないというところがとても違うかなと思います。

ビョルン・レーマンのコメント
多様なレパートリーがあるということもピアノ・デュオの魅力だと思います。伝統的な作品に加え、優れた編曲のものが数多くあるのです。再発見して演奏する価値のある作品がたくさんあります。
室内楽のピアノと連弾の違いは、ふたつの大きな違いは、一台のピアノを演奏するところで、今日のように二人で一つの楽器に向かう時に、共に同じ響きを見つけなければならない。室内楽では自分のパートに責任があり、自主性が強いのですが、ピアノの連弾は、関係がもっと蜜なのです。ペダルも特殊で、片方の人が受け持ちますが、もう一人が弾いているパートを常に聴いて考えなくてはならない。別の言い方をすると、「合わせる」ことが強く求められます。

 

楽曲

「カンタータ第106番「神の時」から ソナチネ」バッハ:作曲、クルターク:編曲
編曲のジェルジ・クルタークは、1926年生まれのハンガリーの作曲家。ピアニストとしても知られ、演奏会で妻と連弾することも多く、そのレパートリーとして多数のバッハ作品を連弾用に編曲している
「コラール前奏曲 汚れない神の小羊よ BWV1095バッハ:作曲、クルターク:編曲
「バレエ音楽「春の祭典」ピアノ連弾版」ストラヴィンスキー:作曲
ストラヴィンスキー自身の編曲によるこのピアノ連弾版についてレーマンは、「元の管弦楽団版は油絵のように色彩豊かだが、連弾版は素描のように構成が明確で現代的、両者の観点の違いが面白い」と語っている。
「ハンガリー舞曲第4番」ブラームス:作曲

  

🎧名曲アルバム
「ダニー・ボーイ」アイルランド民謡、編曲・上柴はじめ
【歌】坂本美雨,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】渡邊一正

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きょうのことば

先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の講壇をお伝えします。
國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、45年の間、岩手で主のご奉仕をしておられます。

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9月2()の説教題『組み合わされて成長し』(説教:國光勝美牧師)
聖書引証:エペソ人への手紙第21922 

<説教>

2:19こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。 2:20使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身がその要の石です。 2:21この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、 2:22このキリストにあって、建物の全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります。2:22あなたがたも、このキリストにあって、ともに築き上げられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。

 

<説教>

 それでは簡単に前回の復習をして、きょうのところに入っていきましょう。
 まずエペソ人への手紙のいま2章を締めくくりの方へときょうは入るところですけれども、ポイントは一つです。パウロがこのお手紙でいわんとしていることは、神様はイスラエルの民だけをえこひいきして救われたのではなく、つまり、選民、神に選ばれ民という、アブラハムの子孫であるというそれを誇りとしていたイスラエルを神様は選んで救われたのではない。全く関係のない者たち、割礼もなく、またメシヤを待望するというそういう知識もなく、またほんとうの礼拝をすることさえも知らない、ましてモーセの十戒に表されるような神様の掟、それは聖書といってもいいでしょう、それさえも知らなかった、イスララエルの者たちはこれらのものは我らのものだといっているのに対して、それとは全く与りのなかった者が救われていた。それまでは選民と異邦人との間には大きな隔てがあって、救いは我等のものだという特権意識を彼らは絶えず持ち続けておりました。またそれを知れば知るほどに、こんどは逆なりの偏見といいますか、ユダヤ人に対して先入観と偏見が持たれるようになりました。ご存知の通り欧米の方はキリスト教が精神土壌に大きくあります。ローマ帝国以降そういう流れの中にユダヤ人というものは蔑視されてきた民族だったわけです。選民意識が強ければ強いほど、逆なりに迫害も多かったでありましょう。キリスト教国の価値観からは、彼らユダヤ人は、我らの救い主イエス・キリストを十字架につけた、救い主を十字架につけた輩なのだ。その証拠のように聖書のことばをもって彼らユダヤ人たちは、イエスを助けようとしたピラトに、「イエスを十字架につけろ、この男の血がわれらとわれらの子孫にかかってもかまいはしない、奴を十字架につけろ」と叫び、そして主を十字架に追いやった。これがユダヤ人に対する欧米諸国からの強固な偏見、先入観となっている。近代でいうなら第二次大戦のナチス・ドイツによるユダヤ民族抹殺でありました。あるクリスチャンになったユダヤ人がいいました「どうか我らを、イエスを十字架につけた民族であると言わないでくれ、これがどれだけ偏見に満ちた敵意をナチスに与えたかわからない。また非人道的なことをしている人たちに、クリスチャンたちが心のどこかに、そうだ、そうなったのは自業自得だというような言葉に出す出さないにかかわらず偏見を持っている。どうかこれを取り除いてほしい。決して我らをこのように見ないでくれ」といっています。

 イエス・キリストは、全ての隔ての壁を取り除いたお方です。聖書の中では、偏見を持たれていたのは律法学者、パリサイ人、それと、罪びとと呼ばれる取税人、或いは羊飼いです。この羊飼いですが、よくわかるように書かれているのがクリスマスの場面です。天使がイエス様の誕生を真っ先に知らせたのは、野山で羊を飼っている羊飼達にでした。羊飼いに救い主の誕生を真っ先に教えたのです。私たちは聖書からそれをロマンティックに牧歌的に理解しやすいのですが、これが実はラン・メッセージである。人間が知らねばならない、聞かねばならないメッセージ。きょうあなたがたのために救い主がお生まれになった、このお方はいま飼い葉おけの中にやすんでおられる、この方こそメシヤなのですという神様が全人類に関わってくださったというラン・メッセージであります。

 何と神様は、偏見で一番社会で見くびられていた、ユダヤ人のサークルからも除け者にされ、やつらは安息日を守ることもしない、できないような職業についている、もう箸にも棒にもかからないやつらなんだというその人たちに、イエス・キリストの誕生のメッセージが最初に与えられたということは、実に意味深い。このような観点から見れば見るほどにそれを思うことであります。

 どうか私たち、人に対する、或いは、これを自分に対する偏見、先入観、これらのものから救われてください。それらの隔ての壁をすべて取り除くお方が、我らの主イエス様であります。このお方に私たちのすべての平和の基があるという事をどうか知ることができますように。イエス様の十字架の血こそがあらゆる偏見を取り除く平和の源であります。これが前回のメッセージでございました。

 

そしてきょうのメッセージに入ってまいります。

19節「2:19こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。

 つまり、神様がアブラハムの子孫に約束してくださったすべての良きもの、それは、同じく私たちのものとして享受することができる。そして私は今日、神の家族という事に非常な恵みをいただいております。家族。冷たい組織、血の通わない、そういう組織に組み込まれるというのではなく、あなた方は、イエス・キリストの十字架の救いを受けているあなた方は、神の家族であり、天国の諸々の祝福を受け継ぐ者たちであります。
 放蕩息子が父のもとに帰って、頂いたすべての祝福は、あれは私たちに与えられているものと全く同じ約束のものです。そのことを思います。私たちはその意味で神の家族です。神の家族になるということは、一人ひとりが、イエス・キリストの前に罪をお詫びし、イエス・キリストの十字架を私のためであると自分の罪を認め、神の裁きをそこにある、神の愛がそこにあると知って、有り難うございますと、キリストの十字架を感謝して受け取る信仰によって受けたとき、私たちは神の家族の一員となっている、そのことを覚えたいと思います。

 

さてこんどは20節「2:20使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身がその要の石です。

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 こちらの図の方がもとになっているものです。使徒たち、預言者という土台の上に立って私たちはこの恵みの中に今あるのだという事をもう一度確認させていただきまして、さて、神の家族、これが教会とどう結びつくのか。1921節に目を留めてください。

19節の最後に「家族」とあります。何回も申しましたとおり、神の家族、家族が住むところはどこか、当然それは家になるわけです。その家という発想のもとに、21節の、「建物」というパウロの言及に進むわけです。イエス・キリストご自身が、こんどは家族の建物の要石なのですよ。そしてこのキリストにあって、建物の全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります。

「家族」に注目をして、最初に礼拝ということを申し上げました。家族、それは神を一緒に礼拝するグループです。

これは私自身が経験したところでありますが、私がお救いに与ったのは、お茶の水のキリスト教会館の特別集会のメッセージで、イエス・キリストの十字架を信じたのです。その時に、そこの先生から、君、ここは会館であって教会ではない、だから君たちが教会に結びつくことを僕たちは祈っているからね。という指導を受け、そして 私は、摂理的に恵みを頂いてインマヌエルという教会に導かれることになりました。さて、ここは会館であって教会ではない。だって会館だってイエス・キリストの十字架の福音を伝えてくださった私の魂の故郷でもある。それなのに、そこが教会ではないってどういうことなんだろう。何かわかったようで、今一つもやもやとした思いを持っておりました。

そこの会館に集っている人たちは、いろいろな流れの教会の人たちがおられた。インマヌエルの者もいれば、改革派の人もいれば、ルター派の人もいれば、いろいろな人たちがそこでお話しをし恵みをいただいて福音を伝えている。その意味で、広い意味では目に見えない教会の働きではあるんですけれども、その会館というところは、やはり教会ではない。どこが違うのだろう。

それは、会館というのは責任がない、というとおかしな言い方になりますが。教会というのは神の家族という意味で、もっと深い大切な意味がある。その教会に属している者たちが一つの目的のために協力して働きを進めているのが会館の働きである。やはりその働きには違いがあるということがわかるのです。

私たちは会館ではない、教会なのです。救われた人たちが家族として主を礼拝する。それから家族というところには交わりがある。人生の問題に立ち向かわせて、互いに思いやりの心を育てるところ、これが家族としての教会、その意味だろうと思います。互いに思いやりの心を育んで、一緒にさあ行きましょうと立ち向かう。特に、問題、課題のさ中にある方々にとって、教会の祈りの交わりは何と素晴らしいものだろうかと思います。

昨日、郵便受けに手紙が2通届いておりました。1通は「ひろ子先生へ」とあり、北海の方からの手紙でした。もう1通はそれよりすこし分厚い。それは私が敬愛する福井の方、私と交わりのある先生からでした。教会の病む方への励ましです。「私の家内が胃がんだという時に、とても恵まれた賛美歌があります。人それぞれの趣味があるので、会うかどうかはお委ねして、非常に励まされたCDを送ります」とそのCDが送られてきました。これ、家族だなあ、ほんとうに問題に立ち向かわせてくれる。互いに思いやりの心を育ててくれる教会、この21節に「建物全体が組み合わされて成長する」とあります。何か既成のできあがったこれというのではなく、私たちはこういうところを通りながら、生きて、だんだんと成長し続ける、それが教会なのだなと思うのです。それから「家族」ということに注目するときに、それが教会と一体であると考えます。私たち家族は互いに仕え合うことを喜びとする、お手伝いができるのを喜びとする、これが家族だと思うのです。そして自分を、教会を通して成長する建物としてみるときに、ああ、自分はこのことで神様のお役に立てる、自分はあのことはできないけれども、神様は私に、小さいけれどもこういう賜物を与えていてくださったというときに、それをもってお仕えする喜び、それを発見し、それぞれが家族のために奉仕をする。何という恵みでしょうか。それからもう一つ言えること、神の家、というとき、これは学習の場といえるだろうと思います。実は今度の特集の時にどなたかに証しをしていただきましょうという話し合いがなされたとき、じゃ最近救われたS兄に、ということになりました。そのSさんが、「クリスチャンってずるいなと思った」というのです。え? と思いました。それは何かというと、こんな素晴らしいものを持っているのに、私はここに来るまで理解することができなかったというんですね。旧約聖書はしっかり読んでいて、何だ旧約聖書でいってる救いって、新約で言ってるイエス様のことなんだということを、クリスチャンたちこのことを知っているのに、どうして教えてくれなかったのか。

教会に来ればわかりますよということであるのですけれども、これは一つの例なんですけれども、教会は福音を、勿論、慎重に、これがパーフェクトというわけではないにしろ、祈りながら、できるだけ健全に福音というものがなんであるか、それを、教えていくところ、これがきちんと為されていないと、間違った方向に進んでしまう。

一か月ほど前になりますか、この教会に仙台からのご夫妻がいらしたことを覚えておられるかと思います。それはご自分の教会の抱えている痛みや悲しみというものを交わりの中でお話しくださったのではありますけれども、私たちはどんな先生を特別集会の講師としておまねきしたらいいかわからない。何が健全なものであって、教会がいともたやすくカルト化、カルトってあまりいいひびきではありませんが、しかしきちっとした理解がされていないとカルト化してしまうという現状を目の当たりにしたときに、ああ、ほんとうに教会は健全なものが必要だと仰る。

そのお話を伺いながら蔦田二雄先生のことを思い起こしました。蔦田先生が、インマヌエルを興しなさった時にすぐに、教団の始まりと共に作ったのが神学校だったのです。どうしてかというと、仲間の牧師たちみんな一生懸命ですばらしい牧師たちなのだが、戦争中に特高の尋問に遭ったとき、信仰が分からなくなってしまう姿を蔦田先生は目の当たりにしておられた。そして、専門のものを扱うようなときに、ただ信ぜよ、信じる者は皆救われんアメーンと言って、タンバリンをたたき、太鼓を打ち鳴らして、これは卑屈な意味でいうのではなく、ただそれだけだったときに、そういう特高の調べを受けた場合、きちっとなぜキリストが神なのか、日本の神道と、伊勢神宮と、そういう日本のものとどこが違うのか、きちっと頭脳的にも学び理解しておくべきである。でなければ迫害に遭ったときに、不思議なほど熱心だった方が信仰が分からなくなってしまうという事態となる。熱心は必要だけれども、頭脳的なきちっとしたキリスト教理解というものがないと、試練に特に、長きに亘る試練に耐えることはできない。だから、絶対に正しい神学というものを持つ必要がある。迫害から出て来たばかりの先生だからこそ、痛感されたのはそれだったのです。教会は健全な学問の場所。でないと簡単にカルト化してしまう。そういう恐れがあります。だからこそ、私たちは一層遜って遜って、自分たちはということでなくして、遜って神様の前にどうか正しい神様の福音をしっかりとお伝えすることができるようにという教会が正しい聖書信仰の理解を深める場所であるという事、これはほんとうに必要なものであろうと思います。そしてもう一つ、この福音を伝える働きをする、これは、家族、それはイエス様が私たちの愛して止まないお方が、さあ、これをもって出て行きなさいと主はお命じになられたこのお方が、私たちに命じた葡萄畑における働きをしないままであることは到底できません。どうぞ、この福音ために働く、伝える働き人としてあらせていただきたいと思うのです。

最後、このチャートを掬ってみました。22節、「2:22このキリストにあって、建物の全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります。

先ほど申しました。礼拝において、交わりにおいて、奉仕において、学習の場において福音を伝える働きにおいて、それぞれが組み合わされて成長する。組み合わされるというときに、よく大工さんが縦木を組んでいくところがあります。さすがプロだなあと思うのは、私はこの建物が建てられていく様をいちばん近くで見ることになったのですが、離れた作業所の方で、柱に溝を掘ったり、いろいろな作業をするのでしょう。そしてこの柱、梁はというようにぜんぶ頭に入っている。最後は木づちというのでしょうか、掘っている溝に合わせてトーントーンと。組み合わせるってこういうことなのでしょう。建物全体がそのときに調整される。削られたり、もう少し広く穴を掘ったり。というような様々な微調整、それは私たちが組み合わされて行くとき、私もいま言ったような中を通っております時に、神様の前にほんとうに砕かれ教えられ神様が私にこういうことを教えようとしておられるんだ、こういうところができていない、ほんとうにそれらのことを教えられながら一つ一つ組み合わされて、礼拝において、交わりにおいて、奉仕において、学習の場において、福音を伝えるための働き、これらのものを私たちイエス・キリストというあの方の血潮によって一致して平和の福音を生きる者でありたい。

そして22節「2:22あなたがたも、このキリストにあって、ともに築き上げられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。

築き上げられる。この恵みを私は、そして皆さん方もそれぞれの日々の歩みの中で神様から扱われ、そしてどうかみんなと一緒にこの「組み合わされて成長する」聖なる宮を一緒に築き上げていこうではありませんか。

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J-MERO
ゲスト 和楽器バンド

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🎵尺八、最初の一音を出すのに三日かかり、穴を塞ぐほどに音を出しにくくなるというこの楽器を、ロックバンドに生かすこの意外性。三味線でロックはすでにアリ。箏は爪はやはり三つだが、西洋の音階に対応できる25弦。和太鼓、それにドラムとエレキ2台の編成。和装は目いっぱいデフォルメされ、海外では東洋の“”エキゾチック”か。「日本ではリスナーのなじみとなり、海外ではインパクトをもって日本らしさをわかってもらいたい」「まずは日本を知り興味を持って欲しい。和楽器を知る導入口となれば」とのメンバーのコメント。2017年だったろうか、ニューヨーク公演も。現地の反応は「遊び心があってクール」「リズム、エネルギーがある」等など。
 ドラム&和太鼓のバトル、三本締めのリズムで開けたロックは「起死回生」。最初は奇異とも。今回よくよく見て聴いてみると、なかなかの創意、なかなかの野心なのだ。

🎧6時45分更新

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2019/10/4クラシック倶楽部を聴く

マテュー・デュフォー フルート・リサイタル
(フルート)マテュー・デュフォー、(ピアノ)浦壁信二
武蔵野市民文化会館 小ホール

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マテュー・デュフォー
1972年パリ生まれ。8歳から本格的にフルートを始め、20歳の若さでトゥールーズ・キャピトル劇場管弦楽団の首席奏者に就任。1990年からシカゴ交響楽団の首席奏者に就任。現在はベルリン・フィル交響管弦楽団の首席ソロ奏者を務める。ソリストとしても活発に活動し、世界各国の音楽祭やリサイタルで演奏活動を行っている。

マテュー・デュフォー コメント
音楽の演奏家はみな「歌うような音楽」を目指しています。声をイメージして演奏するのです。声は何も介さずに自己表現ができる最も原始的な「楽器」です。フルートは声に一番近い楽器です。息と音が直接結びついています。歌口に(リードのような)物理的な抵抗がなく直接息が入る唯一のクラシック楽器なのです。だから私はフルートに話しかけるように演奏します。とても親密な関係です。息と戯れている感覚です。
今回は前半にフランス、後半にドイツとはっきり分けたプログラムにしました。私自身の人生と重なります。私にとってもピアニストにとっても難曲ぞろいですが、心を豊かにしてくれる作品ばかりです。やや暗く物悲しいプログラムですが、その気持ちを共有し会場を一つにしたい、そう願って組みました。
美しい音とはどのような音?
感情が伝える響きだと思います。ポジティブな感情もネガティブな感情もただ綺麗なものは飽きられます。人生と同じように音も変化や柔軟性があってこそ輝くのです。感情を音に乗せることが大切だと思います。私が音楽を通して目指すのは分かち合いです。音楽で物語を語りメッセージを伝える。それさえできれば私は満足です。人の心に響く演奏をすることが、私の幸せなのです。 

浦壁信二
1969年生まれ。都立芸術高校で学んだ後、パリ国立高等音楽院で研鑽を積む。ヨーロッパでの演奏活動を経て、現在は日本を拠点に室内楽や伴奏を中心に活動を展開。国内外の演奏家と多くの競演を重ねている。洗足学園音楽大学で客員教授、ヤマハ・マスタークラスを務めるなど後進の指導も積極的に行っている。

 

曲目

「フルート・ソナタ」プーランク:作曲
「フルートとピアノのためのソナチネ 作品76ミヨー:作曲
「フルート・ソナタ ホ短調「ウンディーネ」作品167ライネッケ:作曲

🎵

 

🎧名曲アルバム
「歌劇「はかなき人生」から 間奏曲とスペイン舞曲」ファリャ
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】岩村力

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この曲は20世紀初頭に活躍したスペインの作曲家ファリャの作品。ロマの娘サルーの悲恋物語を題材にした音楽劇。生きる情熱と苦悩に満ちたこの曲は人々の心を掴む。後年、親友の死をきっかけに南米に亡命。

 

⛳7時5分更新

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2019/10/3クラシック倶楽部を聴く

ブラック・ダイク・バンド 演奏会
(指揮)ニコラス・チャイルズ
(コルネット)リチャード・マーシャル
(ユーフォニアム)ゲイリー・カーティン
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ブラック・ダイク・バンドは金管楽器と打楽器で構成されるブラスバンド。1855年にイギリスで結成された英国式ブラスバンド。ヨーロピアン・ブラスバンド選手権、全英ブラスバンド選手権、イングリッシュ・オーブン・ブラスバンド選手権など数々のコンテストで優勝を重ねる。首席指揮者と音楽監督を務めるのはニコラス・チャイルズで英国王立ノーザン音楽大学教授。ブラック・ダイク・バンドを数々の受賞に導く。ブラスバンドの世界的な指導者としても知られている。

ニコラス・チャイルズのコメント
ブラック・ダイク・バンドとは

初期のビートルズのA面はブラック・ダイク・バンドでした。我々のバンドのすごさを物語っています。ブラスバンド史上最強のバンドなのです。ブラスバンドのコンサートは音楽の旅路です。「ルスランとリュドミーラ」序曲のような勢いのある編曲作品あり、ミュージカルのようなオリジナル作品あり、美しい静寂から興奮の極みまで何でもありで、話しているだけで毛が逆立ってきました。すばらしい旅路にご期待ください。
楽団の強みとは
一番はメンバーの情熱です。メンバーの多くはアマチュアで、仕事をしながらバンド活動をしています。バンド活動は仕事ではなくほんとうに好きでやっていることなのです。バンドの伝統に誇りを感じていますが、将来に向けた活動を大切にしています。グレイアムが楽団のために作曲した「トライアンフ・オブ・タイム」は新しい試みの一つ。16分ほどの楽曲ですが、まるで小さな交響曲。メンバー全員が順番にソロを演奏します。ソリストが前に出て演奏するとき、ミュージカルのような世界が楽しめます。
最後の曲「イモータル」について
人気曲が並んだ今回のプログラムですが、日本のファンから曲のリクエストを多くいただきました。中でも一番リクエストが多かったのが「イモータル」です。ブラック・ダイクのために書かれた曲で、我々以外のバンドの演奏は認められていません。1855年に発足してから今日までのバンドの歴史が綴られています。これからの活動について聞かれますが、まったくもって未知数です。ただ今後も更なる高みを目指し、理想とする音楽を届ける、それがすべてです。

 

曲目
☆「クイーンズべリー」ケイ:作曲
ブラックダイク結成の地クイーンズべリーの名前を冠したマーチ。団員だったケイが作曲し1939年に発表。コンサートの冒頭に必ず演奏される曲。
☆「歌劇「ルスランとリュドミーラ」序曲」グリンカ:作曲、ハーグレイヴェス:編曲
原曲はロシアの作曲家グリンカが1842年に発表した歌劇の序曲。
☆「ミス・ブルー・ボネット」サイモン:作曲、スミス:編曲
アメリカのコルネット奏者サイモンが作ったブラスバンドの花形コルネットの魅力あふれる曲。ブラック・ダイク・バンドのコルネット奏者リチャード・マーシャルが華麗な演奏を披露。
☆「ミッション・インポッシブル」シフリン:作曲、ファーニー:編曲
映画「ミッション・インポッシブル」のテーマは、トロンボーンを学んだファーニーの編曲。
☆「ソウル・ボサノヴァ」ジョーンズ:作曲、ダンカン:編曲
「ソウル・ボサノヴァ」は映画「オースティン・パワーズ」のテーマで、再ヒットしたクインシー・ジョーンズの曲。元はビック・バンドのために書かれ、ブラス・バンドでもしばしば演奏される。
☆「アイ ウィル フォロー ヒム」プゥルセル・モーリア:作曲、リチャーズ:編曲
プゥルセルとモーリアが発表したこの作品は、映画「天使にラブソングを」で使われ有名になった。トロンボ-ンが活躍するこの編曲はブラス・バンドの作曲家として知られるリチャーズによるもの。
☆「トライアンフ・オブ・タイム」グレイアム:作曲
ブラスバンドで高い人気を誇る作曲家グレイアムが2014年に作曲。タイトルは「時の勝利」という意味で、ブラスバンドの機能を限界まで引き出した大曲。
☆「組曲「山の王」作品37から第4曲「羊飼いの娘の踊り」」アルヴェーン:作曲、リュードランド:編曲
スウェーデンの作曲家アルヴェーンが1923年に完成させたバレエ音楽が原曲。原曲ではバイオリンが弾く速いパッセージを首席ユーフォニアム奏者ゲイリー・カーティンが演奏する。
☆「イモータル」クーパー:作曲
ブラック・ダイク・バンドの元打楽器奏者で楽団に多くの曲を書いているクーパーが作曲。「不滅」というタイトルどおり、楽団の栄光をたたえた「代名詞」的作品である。

🎵ブラック・ダイク・バンド、コメントどおりすばらしさを納得。この映像、金管という楽器の美しさを最大限に見せてくれた、光とカメラ眼のコラボ、ほんとうに美しかった! 視聴はこれで2回目。

 🎧名曲アルバム
「ホテル・カリフォルニア」ドン・フェルダーほか作曲、吉俣良・編曲
【ギター】長尾行泰,【指揮】渡邊一正,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

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ロサンゼルスは音楽産業の中心地。世界的に知られる大手レコード会社が多数存在する。イーグルスは自らが身を置く巨大な音楽産業についても歌った。成功と共に商業性を意識せざるを得なくなる。イーグルスは自らにも批判の眼差しを向けた。

 

⛳途中に朝食、コーヒを挟んでの筆記。きのう、きょうの名曲アルバムもよい内容。あとで時間があったら書き込んでおきたい。
いうまでもなく🎵以外はすべて番組から。  8時半更新 

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2019/10/2クラシック倶楽部を聴く

ルシエンヌ トランペットに恋して
(トランペット)ルシエンヌ・ルノダン・ヴァリ、(ピアノ)沢木 良子
秩父ミューズパーク音楽堂

1999年フランス生まれのトランペット奏者。パリ国立高等音楽院でクラシックとジャズを同時に学ぶ。18歳でワーナー・クラシックスと専属契約。辻井伸行との共演は記憶に新しい。先ずはすべて耳から覚え、後で楽譜で確認する練習方法を取っている。

 

曲目

☆「亡き王女のためのパヴァーヌ」ラヴェル:作曲
☆「スペインの七つの民謡」ファリャ:作曲
☆「組曲「動物の謝肉祭」から「白鳥」」サン・サーンス:作曲
☆「ロシアの踊り」オスカー・ベーメ:作曲
☆「オブリヴィオン」ピアソラ:作曲
☆「ウィーン風小行進曲」クライスラー:作曲
☆「愛の悲しみ」クライスラー:作曲
☆「スカルラッティの主題による変奏曲」マルセル・ビッチ:作曲
☆「ウォーキング・イン・ジ・エアー」ハワード・ブレイク:作曲
☆「虹の彼方に」アーレン:作曲

🎵 今回の緑の中でのインタビューで、ルシエンヌの裸足の理由がわかた。自由な空間を求めて、自分を自由に表現できるためにであるようだ。そこが草原ででもあれば緑に降り立った妖精、ステージでは若干の違和感を感じたが、けれども、これは彼女が探り出した演奏を飽きさせず楽しく聴いてもらうためのパフォーマンスであるのかも。「トランペットはわたしの声です」。授業でトランペットの虜に。とにかく自由でありたい、いつも旅をしていたい、ずっと音楽をやり続けたいというルシエンヌ。サン・サーンスまではトランペットで物語を聴かせ、ベーメになると楽器がおしゃべりを始めるといった感じ。
 もしルシエンヌがブラック・ダイク・バンドの制服で演奏したとしたら、音の自由さはどうなるだろうか、などと少しの間ナンセンスな想像をしてしまった今朝の視聴であった。

 

⛳多忙。取り急ぎ 7時6分 更新

 

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2019101 2019/10/1クラシック倶楽部を聴く

イアン・バウスフィールド  トロンボーン・リサイタル
(トロンボーン)イアン・バウスフィールド、(ピアノ)児嶋一江
201691 Hakujuホール

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イアン・バウスフィールド
イギリス・ヨーク出身。7歳でトロンボーンを始めブラスバンドで活躍した後、18歳でハレ管弦楽団、24歳でロンドン交響楽団の首席奏者に就任。2000年にはウィーンフィルハーモニー管弦楽団初のイギリス出身の首席奏者に就任。現在はソリストとして活躍する一方、現在はソリストとして活躍する一方、スイスを拠点に後進の指導に取り組んでおり、世界で活躍する演奏者を数多く輩出している。
コメント
わたしにとってトロンボーンは声の延長線上にあります。まず心で曲をイメージし、それを文字通り歌います。そして声帯の代わりに唇を震わせるのです。とても声楽的な楽器ですので。
きょう皆さんが何を聴きにきているのかわかりませんが、わたしにとっていちばん演奏がしがいがあるのはラフマニノフとマーラーの歌曲です。とても心地がよく実に美しい音楽です。
私が小さい頃、英国では子どもたちが毎週無料で楽器のレッスンを受けられました。そのシステムがなければ私はここにいないでしょう。ある週、私はトロンボーンに出あいました。まさに一目惚れです。私は先生に言いました。「そのトロンボーンに触ってもいい?」と。そうやって7歳で始めてから私は他の楽器をやりたいと思ったことはありません、一度もです。他の楽器には目もくれなかったし、私のトロンボーンへの情熱は1パーセントも減っていません。むしろ募る一方です。
若き音楽家たちに伝えたいことは、私は人間の心は誰しも美しい演奏家だと信じています。音楽は自分の内面で学ぶのです。外から学ぶものではありません。数学や歴史、物理とは違います。私たちの心に深く根差すものが何かを見つけなければいけません。楽器をやりたいと思うのは、心が呼んでいるのです。心が何を言いたいのかを理解し、それを楽器でどう表現するかを学ぶのです。それがまずつで、二つ目はゆっくり練習すること、いそがないこと。以上、哲学的な面と実践的な面のアドバイスです。

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児嶋一江
東京芸術大学同大学院を経て、ミュンヘン音楽大学で研鑽を積む。これまで日本音楽コンクール、ジュネーブ国際音楽コンクールなど複数のコンクールに入賞。数多くの著名なソリストと共演。樫本大進、クリストフ・ヘンケルなど著名なソリストから厚い信頼を寄せられている。

 

🎵バウス・フィールド、この番組を通じて、筆者に、トロンボーンの楽しみ方を教えてくれた人。このコメントを書いておくだけで、この回はOK。

 

楽曲

☆「ソナタの断片」グリンカ:作曲
☆「乙女よ、もうわたしのために歌うな 作品44」ラフマニノフ:作曲
☆「リラの花 作品215」ラフマニノフ:作曲
☆「兵士の妻 作品84」ラフマニノフ:作曲
☆「なんとすばらしい所 作品217」ラフマニノフ:作曲
☆「雪解け 作品1411」ラフマニノフ:作曲
☆「わたしはこの世に忘れられ」マーラー:作曲
☆「トロンボーン・ソナタ」シュナイダー:作曲
☆「スコットランドの釣鐘草」スコットランド民謡:作曲、プライヤー:編曲

 

🎧名曲アルバム
「北九州炭坑節」福岡県民謡、日高哲英・編曲
【唄】會澤あゆみ,【三味線】本條秀太郎,本條秀五郎,【笛】鳳聲晴久,【鳴物】川島佑介,鼓友緑佳,【はやし詞】千田けい子,天野りえ,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】円光寺雅彦

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⛳炭坑節、資料がたくさん。  7時7分更新

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